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おもいでのせつめい5
きつねがさかだちしてしっぽをよせあってるみたいだね

朝の長い電車においては立っているのは疲れるから座れたらラッキーだけど、本当は座ると眠ってしまって乗り過ごすことがあるしなにより窓の外をみることができないので好きとは言えない。いつもは交通費の出るバイトの後に作業をしているけど、来年に控える展示の準備のために作業日を増やすことにして、本来は休みの日にも自主的に作業場所に行くことにした。そういう日はバイトに遅刻することを心配せずに電車に乗れてうれしい。窓の外をぼーっと見ていると朝日に照らされたすすきが光っていて、そういう景色を見るといつも思い出すことがある。
小学生の時、私の同級生に五人兄弟の真ん中の子がいた。その五人兄弟の末っ子は私の弟とも同い年で、それもあって休みの日にはよくどちらかの親が相手の家に子供を預けて遊ばせていた。近くの国営公園に相手のお父さんに連れられて遊びに行った時、サイクリングロードに沿った芝生にすすきが何株か寄せて植えられていて、穂が真ん中に花束のようにふんわりと集まっていた。友達のお父さんはそれを見ながら、「なんか狐が逆立ちして尻尾を寄せ合ってるみたいだね」と言い、自転車でついてきている中学生のお姉ちゃんに「〇〇子、そういう絵描いてよ今度」とリクエストした。〇〇子ちゃんは「は?嫌だ。お父さんそういうこと言わないで」と答え、反抗期丸出しの答えにお父さんは苦笑したのだけど、当時小学生なのにまだ自転車にうまく乗れないせいでその友達のお父さんの自転車の後ろのチャイルドシートに乗せてもらっていた私は、お父さんの童話のような素敵な想像力に感心���て、〇〇子ちゃんのすげない答えにびっくりし〇〇子ちゃんが描かないならその素敵な絵を私が描こうかとか考えていた。結局描かなかったけど。
物心ついた時から私の家の中ではいつでも父が仕事をしていて外で働くのは母の役目で、家にいる父が家事をこなすことも当然多く、だから私も当然ちょっと珍しいくらいのお父さんっ子になり、趣味や好きなものが酷似している(というか父の影響を受けまくっている)のもあり、そのまま思春期の娘にありがちな父親への忌避感を強く含んだ反抗期なども経ずに今でも父とは友達のように仲が良い。なので、当時〇〇子ちゃんの父親に対する鋭い言葉にかなり驚いたのだ。思春期に父親に対して忌避感が生まれ、体臭などが気になって洗濯物を一緒に洗いたくないと思うのは、近い遺伝子を避ける本能のようなものでつまり至極真っ当な反応であると知ってからは、逆にいつまでも父親と仲が良いのは子供っぽいし異常なのかもしれないと気づいたが。
こないだ先輩が漫画を貸してくれた。前から名前を知っていたマイブロークンマリコは借りた当日に一気に読んで、別の日に映画も観た。先輩の故郷だというロケ地の岬のすすきが綺麗だった。Papa told me はゆっくり読もうと思ったのに、あんまりに好きになってしまって結局一気に読んだ。知世ちゃんと幼い頃の私の家庭環境が似ていることに気づいたのは読み終えてからだったけど。もちろん私には母親も弟もいるんだけど、幼少期常に父親が家で仕事をしていて、家事もして、ちょっと変わった仕事をしていて、本を読んでいて難しい言葉が出てきて意味を聞いたら教えてくれるようなあの感じ、他にも似ている点が多めで、読んでいて懐かしい感じがする。家族を家族として、あと普通に人として理解して好きでいられることはどんな形であれ恵まれていると思う。だからちょっと変だけど私と父親の仲が良すぎるのも別に悪くはないかな?と思えたし母親のことも、仲良く買い物に行くのは無理でももっと理解したい。
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最近の所感
仕事も2年目になり、なんとなく世界と己に対する感想が変わってきたので書き記してみる
まず、大人も普通に人間だということがちゃんと分かってきた
高校生、いや大学生の時もだな、先生は先生という生き物だと思っていた節があった…なかなか申し訳ない
年齢と立場だけでは図れない個人の性質的なものを最近感じる
今⁈て思われそうだけど最近ようやくわかってきた気がする
あと、人間関係でやるべき努力は、相手のことを嫌いにならないよう工夫を凝らすことかもと最近思っている
これ以上やったら相手のこと嫌いになりそうだと思ったらやらない、好意はそのまま受け取る、一見微妙な言葉も文脈を考えて受け取る
みたいな 自己啓発本みたいになった
好かれる努力も嫌われない努力も結局は他人に決定権があるけど、これは自分に責任を置けるから落ち着く
そうしていると意外とみんな優しい
苦手な人は大体倫理観が自分と大きくずれているだけ、という結論に至った
最悪死んだらええ♪という雑な気楽さにより私のメンタルは強めに保たれていますが、これは私の良いところと悪いところが集約されている、
これを続けるか、死なないことを前提に生きるか、これは要会議です
別に速攻で自殺願望があるとかでもなく、漠然としたやつ
今の生活は日に当たり植物に触れよく動きよく眠る、これはかなり生き物としての基礎という感じがしてとてもいい
毎日落ち葉を集めていると少しずつ落ちてる葉っぱが変わるし、花が咲くし、雑草がよく伸びる季節、たくさん風が吹いた日の風向き、暖かくなってきた時のツヤツヤした緑、突然梅がたくさん落ちる日、
そういうのがよくわかる
毎日細かな変化があって飽き性でも飽きない すごい
多くの作家のモチーフが植物に収束していくのを不思議に思っていたけど、何となく納得できるようになった
雨が降った後は落ち葉が湿って重くなる
文章にすると当たり前の事を体感に取り込んでいってる感じが幼少期みたいで楽しい
物から手を離すと落ちる、みたいな事
そろそろ野菜を食べて、一汁三菜、みたいな生活が良い事にも気づいて欲しい
まだそれは分からないのでおやつを食べてお酒を飲んで暮らしている
社会人としての成長、というより子どもの成長の延長にずっといる
プレイヤーとキャラクターどっちも兼任してる
そんな感じ
ただやっぱり大学生の時よりはちょい大人になったと思う
己のぶつけ合いみたいなコミュニケーションの取り方はしなくなったし
少しずつキャラクターを整えていってる、プレイヤーとしては右往左往
全部話さなくても仲良くは出来る
これが最近の所感
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おもいでのせつめい4
桃のジュースごくごく倶楽部

Safariのタブが200を超えたのでさすがに閉じていく必要があると思い、少しずつ消化して170を切ったところ。早稲田松竹上映スケジュール、ねったぼのレシピ、ヌック画像検索、壁紙のカビ対策、アクスタ制作方法、パヴェル・バラノフ画像検索、キンマとビンロウの文化、チョーヒカルさんと鈴木みのりさんの対談記事、井村屋ウェブショップ、mame kurogouchiのお花の刺繍のブルゾン画像検索、遠山に日のあたりたる枯野かな、さすらいラビーのハンサムでマッチョなジェントルメン、どうせ買わないものとか、さくっと読める記事とか、消化して、新しく得た知識はブクマして(そしたら質量変わらんやんけ)、長く開きすぎて404not found になってしまったページも閉じて。
芸人やモデル、歌手の人が好きな歌を選んでプレイリストをつくるっていう企画のページでマユリカの���本さんが、自分らがやってるバンドジュースごくごく倶楽部のタンパクスィッツあげるよを紹介していて、ジュースごくごく倶楽部は勇者にしてあげるしか知らないけどすごい好きだったし、なんとなくタンパクスィッツあげるよも聴いてみたらやっぱりすごく良くて、ていうかジュースごくごく倶楽部というバンド名がもう良い。私は一番水が好きだからジュースよりは水をごくごくしたいけど、あでも長野駅のカフェで飲んだ桃のジュースは人生で一番美味しかったな。一時期毎年長野の山奥に家族旅行している時期があって、駅からバスで山を登るんだけど、七回りだったか七曲りという道?(ななまがりて)とにかくものすごくうねった道をくだっていく帰りのバスで三半規管弱弱な私はたまらずにずっとビニール袋に向かってえずいていて、たしか何回かゲロも吐いて(もちろん行きも吐いている)満身創痍で駅について、新幹線に乗るまで駅のカフェで休もうということになった。
桃のジュースは冷たくて甘くて良い匂いでさすが長野県て感じの美味しさで、染み渡るようだったんですが、その駅のカフェというのがホテルのロビーにあるラウンジみたいな、壁とかはなくてスペースをソファで囲っているようなタイプのカフェだったので、突然ソファの向こう側つまりカフェの外から知らないおばさんがシールをくれた。その時一緒にいた父親は席を外していて、へろへろで桃のジュースを飲んでる私と退屈しきっている弟に一枚ずつシールシートをくれたそのおばさんは白いハットを被ってメガネをかけて服も確か白っぽくて髪型はハットでわからなかったけど多分おばさん特有のショート。普段シールとかほとんど買ってもらえなかったのでとりあえずもらったけど、知らないアニメの絵だしなにこれ…とよくみたら獣の奏者エリンと書いてあって、ちょうど原作にどハマりしていた私はアニメはみたことなかったけど震えるほど嬉しかった。ていうかその時までアニメになってることすら知らなかった。そのシールきっかけでアニメがあることを知って、さらにそこにあったいろんなキャラのシールを眺めていたら数年前に友達の家のテレビでついていたアニメが獣の奏者エリンだったと気づいた。
友達は男の子で、仲の良い親たちが子供を連れてその子の家に集まる時は私はたいてい別の女の子とあそんでいて、男子は部屋でゲームとかしてたんだけど、一度部屋の前を通った時男子たちがみてたテレビにめっちゃイケメンな忍者みたいなキャラが映って、その少し後に緑の目の女の子のキャラがでてきて、なんのアニメだろ…と思いながら忘れていたけどあれはイアルとエリンだ。そもそも私が獣の奏者にハマったのは、その男の子のお母さんが図書館の児童書を全部読破してしまうくらい読書が好きで、私が熱を出して休んだ��に貸してくれたのがきっかけだし。イアルイケメンだ…イアル、文字で読んでた時もイケメンだったけど動く絵になってもイケメンなんて…
獣の奏者エリンのアニメ観たいな…今度dアニメストア加入してる友達とレンタルスペースでお互い好きな映画とか観てみたい映画とか観る会するし、みたいって言ってみようかな…
炒り卵の咲く季節、春の曲を聴くとあまりにも沁みてしまってなにも手につかない、私多分春一番好きだわ最近。
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おもいでのせつめい

3うつくしいものにおどろくこと
卒制講評の時、いつもなにをつくってもどこかしらベタベタに褒めてくれる先生が珍しく難しい顔をしていた。そしてその先生からするとやや辛口な講評をしてきた。要約すると、期待していた、もっとできたのでは。といった内容で、それは自分でも感じていたことだったので悔しさとか情けなさとかいろんな感情が込み上げてきた。打ち上げでべろべろに酔ったその先生は、「あなたはこれからたくさんの綺麗なものを見ていっぱい感動していくべき、そうすればもっといい作品ができるよ」としみじみとした口調で言ってきた。講評中に言われたどんな言葉よりもお守りのような言葉だった。それからはなんだかちょっとしたこともすごく感動できて助かっている。道を歩いてていい色の花が咲いてたらそれだけで嬉しい、みたいなあれだ。久しぶりに会った高校の知り合いも、「筈のお父さんが筈はとにかく綺麗なものを愛しているんだって言っててすごい納得したんだよね」と言ってきた、正直父��そんなこと言ってたの全く覚えてなかったけどしっくりきた、私って綺麗なものが好きなだけなんだ。それでいいじゃん。
夢の中で読んだ父方のおばあちゃんからの手紙にも、「綺麗なもの、柔らかなものを大切にしていれば作品を見てもらえるようになります」と書いてあった。そして本のページの間に枇杷の葉っぱとすみれか何かの花を押し花にしたものを挟んで一緒に送ってくれた。ほんとはそんな手紙はない。でも夢の中だと懐かしいと思いながら読み返していた。本当にあったのは、おじいちゃんが団地の芝生で摘んだ四葉のクローバーを一本一本丁寧に押し花にしてビニールのスリーブに入れて送ってくれたという事実。祖父は寡黙で几帳面なところが父に似ていた。あと祖父母ってみんな達筆。誰かの祖父母みんな。私も誰かの祖父母になったら達筆になれるのだろうか。
おばあちゃんに言って欲しいことを都合よく夢にみただけだとわかっている。おばあちゃんとそんなに話をしたことはない。それでも、いつもなにが欲しいか聞いてくれた。獣の奏者が欲しいと言ったら、狐笛のかなたという同じ作者の別の小説も一緒にくれて、その本も大好きになった。
今一人で入院しているおばあちゃんにあげる作品を作っている。ふと綺麗なものについて考えていたら思い出した詩の一文があった。中学生くらいの時にホームルーム的な時間で詩を暗誦した。
美しいものに驚くこと
本当のことを守ること
気高いものを敬うこと
それらは人間の心をなんちゃらかんちゃらあとは忘れた。まあドイツ語から翻訳されたものなので翻訳によってもニュアンスが変わってくるのだろうが概ねこんなかんじだ。美しいものに驚く、という感情が今の自分に一番必要で、ぴったりな気がした。夕日の差し込む教室で意味とかどうでもよくてとにかくリズムとして覚えて唱えていた言葉たちがこんなふうに時間が経ってから突然意味がわかったり助けてくれるんだな。だったら数式の一つも覚えられたような時間をかけて暗唱した宮澤賢治の春と修羅とかも、人生のどこかで私を助けてくれるのかもしれない。毎日見ては美しさに驚いている世界もそうやって伏線みたいに回収できると思うと生きるのがもっと楽しみになるかも。なんなら私自身がそんなふうにありたい。一見意味がなくてもどこかで人生を助けてくれるようなもの。
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おもいでのせつめい

2 あなたににてるとおもった
中学生くらいの時に母が誕生日に子鹿のぬいぐるみをくれた。ぬいぐるみといっても、抱きしめて眠るようなフォルムではなくてかなりリアルなつくりで、四つ足で立っているし、子供の膝くらいの高さで存在感がある。もらった時素直に喜べなかった。もう中学生(ピン芸人ではない)なのに、こんな子供っぽいプレゼントで喜ぶと思われていることも嫌だったし、そもそも母が、私が喜ぶと思って買ってきたのかもよくわからなくてもやもやした。母はたまにぬいぐるみを買ってくることがある。そして決まって、「この子、筈さん(私)に似てる」あるいは「この子、のんちゃん(弟)に似てる」と言う。そうやって象のダンボや、首長竜、ヤモリなどのぬいぐるみが我が家にやってきた過去がある。たしかその子鹿も、あなたに似てると思った、と言ってプレゼントされたように思う。とにかく当時の私にとってそれは心から喜べるプレゼントではなかった。そのせいで、数日後に何人かの友達が家に遊びにきた時、「プレゼントなにもらったの?」ときかれて弟が「筈は鹿のぬいぐるみもらったんだよ!」と悪気なく発した言葉に「言わないで!」と怒鳴ってしまった。結果子供っぽいプレゼントを友達に見られるのが恥ずかしくてクローゼットに隠していたことまですっかりバレた。友達は、「可愛いじゃん」「私がもらったら嬉しいよ」と泣きそうな私に言ってくれておやつを一緒に食べた。自分のことがどうしようもなくみじめでなさけなかった。
なぜか突然そんなことをバイト中に思い出したせいで、ホテルのバスルームの他人が汚した床をタオルで拭きながら泣きそうになってしまった。最近の私の生活は、朝5時に起きて着替えて台所のグリルで軽く炙ったトーストに何もつけずに立ったまま食べて家を出て駅まで歩いて電車に乗ってバイトをしてお昼を食べて自分の制作をして電車に乗って駅から家まで歩いて風呂に入ってご飯を食べて日記をつけて寝るまで、ずっと音楽を聴きながら考え事をしている。バイト中も制作中ももちろん電車に乗っている時も誰とも話さない。そのせいで、ひたすら自分のことを考えていて、わけもなく自分の狭さとか醜さに打ちのめされて落ち込んだりする。特にバイト中は、他の時と違って音楽やラジオも聴けないし、私は作業がすごく遅いのでずっと自責の念に駆られる。でもそれは自分で選んだことなのだ。朝早く起きるために夜早く寝るせいでバイトと制作以外ほぼ何もできない生活も、午前中しかバイトしないから全然お金がないことも、バイトのあとに制作するから1日に少ししか作業が進まないこととかも、全部自分で選んだことで、選んだ時はやりたいことをできるのだからそれで構わないと強気でいられた。でも、そんな生活がはじまってやっと、自分を苦しめることは自分を支える人、つまり家族も苦しめることと同じだと感じた。私の場合だけど。自分の生活用品さえ切り詰めて、親にちょっといいものを買ってあげることなんてできるのだろうか。つらいことを考えても仕方ないから、すぐ妄想の世界に飛び立つことにしている。どんな動物になりたいか考えていたら、私に似ていると言って、首を傾げて遠くを見ている子鹿を買ってきたお母さんのことを思い出した。今思えばあれはこれ以上ない愛情の結晶だったのに、仮にそれが自己満足だったとしたって、何かを見て私のことを思い出した人がいるということにすら感謝せずに自分のことばかり考えていた私は本当に幼いし、結局成長できていない、そう思って嫌になった。あの時せっかくのプレゼントに素直に喜ばない私を見て母はどんな気持ちだっただろうか。母のことだから案外けろっと忘れているかもしれないけれど。損なってしまった感情のことや、今の私にできることを考える。私にしかできないことで借りを返して(言い方が良くない、愛を伝えて)い��しかないんだろう。
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おもいでのせつめい
1 食べちゃいたいくらい可愛い
ちっちゃい頃母の友人が私に「食べちゃいたいくらい可愛い」と言ってきて、怖すぎて一日中不安で夜も眠れそうになかった私の手を引いてその人に「食べないで」って一緒に言いに行ってくれた別の友人がいて、世界中の子供に接する人があの人みたいだったらいいのにな。ていうか食べちゃいたいくらい可愛いって言われて怯えてる私食べちゃいたいくらい可愛いな。
友達が好きな作家さんの個展に行った。高校の友達が住んでる良い街のかなり好きなギャラリーでやってて、作家さんもオーナーさんも気さくで優しかった。そのあと友達と一駅分散歩した。炒り卵と、ロールケーキみたいな家と、デカい蜘蛛の描いてある家と、他にも色々みた。友達と散歩してると見つけたものをその場で共有できるのがよい。
駅でサーティーワンのバナナスプリットサンデーを買った。友達が外のベンチを確保してる間アイスができるのを待ってたら、一個しかつくれませんと言われて一個注文をキャンセルした。コットンキャンディーと白桃リベンジしたい。外で一個のサンデーを分けた。マスクメロンとポッピングシャワー。わたぱちって生産終了したのか。
食べ終わってから駅の反対側に行って、額縁や古着を見た。友達は、よく見たらアフリカの動物たちが並んでいるデザインの指輪を買った。遠目から��と普通にオシャレなのかと思いきやよく見るとキリンも象もいる、友達が好きそうだし似合う。井の頭公園の池の前のベンチに座って鴨が水に潜ってるのとか見ながら色々話した。前のバイト先であった人間関係のトラブルがどのように終焉を迎えたか聞いてもらった。
自分が興味を持ってない人間に興味を持たれるのって疲れる。あと昔からちょっと「変でありたい人」に興味を持たれてしまう。「変だと思われたい人」かな。私もけっこう長い間好きになる人にはこいつちょっと変わってるなって思われたかったから、多分同じ匂いを嗅ぎつけて仲間だと思って寄ってきてるんだけど、残念、私は作為的な変な人に敏感なのでした。私自身がそれだから同族嫌悪でウってなる。あと「変だと思われたい人」にはやはり独特の自意識の拗れがある。本当に変な人は人からどう思われるかはそんなに気にしないから変なんですよ。で、そういう自意識の拗らせ方をしてる人は高確率で他人との距離のはかり方が下手。でも今回は見抜けなかった私もちょっとは悪い。完全に興味ない人には愛想よく振る舞えることがあるせいで相手にこちら���興味があると思わせてしまったのが敗因。というようなことをだらだらと喋った。友達が、何かあったら呼んで!と言ってくれて本当に嬉しかった。今後の人生で呼ぶことがあるかもしれない。自分一人で解決できたらいいんだけど、私の世界にお前の入る隙はないぞって見せつけるのが効果的な気がするので。私が相手を呼び出して、路地裏に連れ込んだらサングラスかけた友達がすごむということにした。美人局の手口すぎる。
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