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・みたもの クラッシュ 真実の愛 All Together Now キリクと魔女 LAMB @MOVIX 夜明けの詩 ソウル・オブ・ワイン ブロークン・マイ・マリコ @TOHO 秘密の森の、その向こう @UPLINK 暴力をめぐる対話 ストーリー・オブ・マイ・ワイフ あの娘は知らない ダ・ヴィンチは誰の手に 愛と激しさをもって(フランス映画祭) ジャンヌ・ディエルマンをめぐって(フランス映画祭) 百年と希望 ミセス・ハリス、パリへ行く ルイジアナ物語 Self and Others School for Good and Evil セザンヌ(ストローブ=ユイレ) お熱いのはお好き ・ドラマ デリー・ガールズ SE3 サウンドトラック ギレルモ・デル・トロの驚異の部屋 ・よんだもの 魔女狩りの地を訪ねて アリス・ジェイムズの日記
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9gatsu 2022
・みたもの サハラのカフェのマリカ 日本原 牛と人の大地 アプローズ、アプローズ 冬の旅 ディヴァイン・フューリー 乱れ雲 サンセット大通り 血塗られた墓標 なまいきシャルロット 伴奏者 セイント・フランシス @UPLINK ある秘密 恋人はアンバー 彼女のいない部屋 泳ぎすぎた夜 秘密の森のその向こう @UPLINK フェイシズ アウトサイダー(タル・ベーラ) 灼熱の魂 フェルナンド・ボテロ ・みたドラマ その年、私たちは
・よんだもの ユリイカ セリーヌ・シアマ特集号
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8gatsu 2022
・みたもの 無聲 アンデス、ふたりぼっち 大人は判ってくれない@UPLINK 夜霧の恋人たち +アントワーヌとコレット @UPLINK みん��のヴァカンス バビ・ヤール 家庭 @UPLINK 逃げ去る恋 @UPLINK プアン @UPLINK 恋愛の抜けたロマンス さすらいの女神たち 私のように美しい娘 +あこがれ @UPLINK 戦争���女の顔 街の上で ちょっと思い出しただけ アミューズメント・パーク マタインディオス、聖なる村 STAY ON BOARD: REO BAKER’S STORY あなたの顔の前で グリーン・ナイト ルッツ 海に生きる
・みたドラマ それでも彼らは走り続ける ウヨンウ弁護士は天才肌 梨泰院クラス ・よんだもの 反=恋愛映画論
・スリーカード Ⅲ PENTACLE queen of wands
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summer reading 2021

🗒読んだ本
◯三体シリーズ
◯斎藤幸平/人新世の「資本論」
◯ヴァージニア・ウルフ/波
◯温又柔・木村友祐/私とあなたのあいだに いまこの国で生きるということ
◯トーベ・ヤンソン/メッセージ
◯ユリイカ 2021年8月号 台湾映画の現在
◯ユリイカ 2018年9月号 総特集=濱口竜介
◯対抗言論 vol.2
◯北丸雄二/愛と差別と友情とLGBTQ���
🔵三体シリーズと斎藤幸平の人新世をいっしょに読んでいてとてもいい読み方だと思う。資本主義について話すこと/うっかり毎日消費・消費してくださいね、そして情報の多さにがんじがらめになり、ここ2年ほどほんとうに必要だと思ったものしか買わなくなった。そして人間の欲深さ。お金があるとヒョイヒョイと使ってしまいそうになるものを、いったん立ち止まって考えてみる余裕。それから身につけるものは、すべて過程を知った上で身につけたいと思う。『ノマドランド』での経験もすこし関係してるのかもしれないと思ったり。斎藤幸平の人新世での掠奪のはなし。プラスチックのはなし。最近はスーパーで野菜を買わず、農家さんから直接紙包装で簡単に包んでもらった野菜を買っている。SF文学の持つ圧倒的な現実味。I~Ⅲまで、ほんとうにちょっと先の現実かと思うほど。Elvia Wilk:「フィクションは必ずしも現実を予言するものではなく、現実に影響を与えるのではない。現実に参加することで現実を作り出すもの」。
🔵対抗言論がしばらくお守りのような日々。わからなさを持つ他者とともに生きていく方法など。その流れのまま読む温又柔と木村友祐の書簡集。他者であるという認識のもとで交わされた書簡のその親密さにドキッとする。他者であることを引き受けながら、こんなにも親密な瞬間があるってスゴイね。複合的に交差するだれかと生きること、そしてその経験を自分の身体と言葉で引き受けていくこと、それが「政治的に正しく」あろうとするのではなく――「まっとう」(倫理的)であろうとすること。戸惑い、狼狽えながらも、その経験をまるごと引き受けることのたいせつさ。大好きなビフォア・シリーズでのジュリー・デルピーの言葉(!)「神様がいるとしたら、それは人と人のあいだにいる」(わたしとあなたのあいだ!)「もし、魔法があるとすれば、それは人と人が理解しあう力」(!)
🔵愛と差別と友情とLGBTQ+での『ブロークバック・マウンテン』と『ゴッズ・オウン・カントリー』、そして『君の名前で僕を呼んで』の3つの比較。映画館で働いていると、思わぬお客さんの本音というものを共感を求められながら聞かされてしまうことがあるけれど、『ゴッズ・オウン・カントリー』の上映があったとき、『ブロークバック~』や『君の名前で~』と比べながら、「なんだか汚い映画だね~」と数人から聞かされて、『ゴッズ』がだいすきでとても素晴らしい作品だと思っていたわたしは、呆気に取られ苦笑いしかできなくなる。お客さんは、わたしの意見が欲しいわけではないと分かっているけれど、いやいや違うんですよ、この映画はほんとうに素晴らしいんです、だって、からだとこころが一致しないってとってもとっても辛いことじゃないですか、と大きな声を出せないことにとても辛い数日を味わうことに。『ゴッズ』の素晴らしさ、からだとこころが一致しないということの辛さ、同性を求めるからだの欲望と愛しかたのわからないこころの不一致。そんな主人公が愛を知り、セックスをするというあの物語の素晴らしさ。見事なまでの『ブロークバック・マウンテン』への共鳴と現代からの応答。そして、『君の名前で僕を呼んで』に隠されたさまざまな世界の事象について。
カート・ヴォガネット・JRのローズウォーター。
“Hello babies. Welcome to Earth. It’s hot in the summer and cold in the winter. It’s round and wet and crowded. On the outside, babies, you’ve got a hundred years here. There’s only one rule that I know of, babies, “God damn it you’re got to be kind.”
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7月 2021

観た映画
・タンズ・アンタイド(ノーマルスクリーン) ・アナザーラウンド ・イリュージョニスト(シルヴァン・ショメ) ・愛の昼下がり(エリック・ロメール)@ UPLINK ・ヴェロニクと怠慢な生徒 ・ディナー・イン・アメリカ ・ミスタ���X(MyFFF) ・アメリカン・ユートピア@TOHO ・ホロコーストの罪人 ・復讐者たち ・浜の朝日の嘘つきどもと ・プロミシング・ヤング・ウーマン@TOHO ・父を探して ・アイ・アム・グレタ ・シャイニング北米公開版
観たドラマ
・ユーフォリア(シーズン1) ・ユニークライフ(シーズン4)
読んだもの
・対抗言論vol.2 ・三体Ⅲ上下 ・私とあなたのあいだ ・ダルちゃん
誕生日にもらったもの
・大量の味噌 ・ハル・ハートリーのThe Long Island TRILOGY ・シャイニングのTシャツ ・LISNのお香アソートとお香皿
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6月,2021
観た映画
・不思議惑星キン・ザ・ザ(@uplink) ・クー・キン・ザ・ザ(@uplink) ・アメリカン・ユートピア(@京都シネマ) ・ショック・ドゥ・フューチャー ・パリのどこかであなたと ・禁じられた抱擁 ・ライトハウス ・クルエラ(@イオンシネマ) ・Ete 85 ・101匹わんちゃん アニメ版/実写版 ・友だちのうちはどこ? ・ハイゼ家百年(出町座) ・デニス・ホー:ビカミング・ザ・ソング ・ジョシュア:大国にはむかった男 ・デカローグ3 (@uplink) ・スザンヌ、16歳 観たドラマ ・フィール・グッド SE.2 ・SCAM FRANCE SE.3/SE.4 読んだもの ・三体Ⅱ 上下 ・シモーヌ vol.4 アニエス・ヴァルダ特集 ・人新世の「資本論」(読み始め) ・三体Ⅲ 上 (読み始め)
6月、ソードのⅢがでたことで、鋭い刃によって、つらぬかれた真っ赤なハート。歪。人を傷つける可能性を考えながら過ごすこと。良かれと思ったことも予想外の結果になるかも。と思いながら。デイヴィット・バーンの「アメリカン・ユートピア」の余韻が一ヶ月続いていく。アフリカンビートを取り入れたトーキングヘッズとデイヴィット・バーンに対して、文化の盗用という批判を向けることはできるのか。歪な人間は不完全、間違うこともたくさんあるけれど、そこからあたしたちはどこに向かいたいのかというのを問われる瞬間だった。あの熱狂、幸福な時間。月初めにこの映画に触れられたことは素晴らしかった。今、何を伝えるべきなのか。それから、いい皮膚科に出会えてうれしい。幼少期に苦しんだアトピーの再発。化粧を断念。家から出るのが億劫になる一ヶ月だった。月末に友だちに会えてほんとうに嬉しかった。外部にアイデンティティを向けること、そこを拠り所にすることは危うい。外の世界は、自分を抜きにして、グングンどこかに向かっていってしまうからこそ。溜まっていたLobstarr magazineを読む。「集団免疫とは、愛である」というモニカ・ヘッセのコラム。集団免疫の獲得は、他者への愛や想像力によってなされるということ。
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0628
昨夜の『ハイゼ家百年』が今年のドキュメンタリーのベスト級に近く、脳は興奮状態、からだはのっぺりした状態で2連休の最後の日。朝から『ハイゼ家百年』を振り返り、思い出せない箇所もありながらやっぱり移送の管理に使われたユダヤ人のながーいリスト(30分以上スクロールされると同時に、混乱と恐怖が極める手紙が朗読される)をおもいだして、背筋が凍っていきそう。まさに、こうした個人を無くしてしまうものから、個人の家族史を提示することで、歴史に顔を浮かび上がらせるというトーマス・ハイゼの狙い通りの映画。家族における心象風景だろう映像(朗読される手紙や日記とはいっけん関係なさそうな映像)とともに胸に迫る思い。そんなこんなで、薬の影響かあたまがぼーっとしてしまい15時まで爆睡する。
起きてすこしごはんをつつき、『リアム16歳、はじめての学校』を観る。主人公のジュディ・グリアがかわいく、のほほんと観る。『アレックス・ストレンジラブ』のジュディ・グリア!それにしても義足の女の子にひかれて、いくつもりのなかった高校に行くというのは、題材として大丈夫か?ともおもってしまう。義足の女の子が悪いわけではない。全面的に90年代の香りがしたんだけど、母親の過保護っぷりは21世紀という感じもする。

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0621 years yearsが流れるタナカ・コーヒーにて
今日は朝7時前には起き、仕事にいく恋人を見送ることに成功した。そのあと、朝ごはん、掃除、洗濯を回して、すこしだけアッパロ・キアロスタミの『ホームワーク』を観る。このあいだの夜に『友だちのうちはどこ?』を観てから、もっともっとこの監督のことを知りたいとおもった。永遠に続くかのような知らない路地をちいさな男の子がずっと走っている。猛ダッシュ。こんなに猛ダッシュなんてしたの、あたしはいつぶりだろうかと思うほど。男の子のとまどいの表情がわすれられない。���っても大切なことを、おとなに聞いてもらえないときのあの心細さ。心配を和らげてくれるように願うあのときの気持ち。思い出して、苦い思い。でも、いま、おとなになったあたしはきちんと自分で自分を安心させてあげられる。目下いまのところは、というはたしだけれど。朝ごはんやらなんやらを片付けて、病院。すぐに受け付けてもらえて、やっぱりアトピーが再発したお顔は赤みがかっていて気分は萎えていく。それでもきちんと治療してくれるこの病院を見つけられてよかったなぁとしみじみ。スーパーで晩御飯の食材を買い、うちへ帰る。
家で『シュザンヌ、16歳』。同級生にはうんざりして、毎日を退屈している女の子、シュザンヌ、16歳がおとなの男性と恋に落ち、あちらも彼女のことを思っていて、だれかを愛するすばらしさに胸がはちきれそう。愛している相手に愛されるうれしさ、うれしさなんていう言葉では片付けたくない幸福な気持ちとともに、葛藤・不安も。アントワーヌはいつも彼女の首もとにキスをする。彼女もそれを受け入れて、手をギュッと握る。首もとのキスって、唇同士よりも愛情があふれていてすごく素敵なことに気づく。ひたいは子どもっぽいし(おとうさんがよく子どものおでこにキスするみたいに)、唇はあからさまだし、首もとのキスってすごい!ヌーヴェル・ヴァーグのような画の洗練された感じと、ときどき突如として挟まれるダンスシーン。カフェにふたりで隣り合わせにすわって、アントワーヌがシュザンヌにオペラを聴かせるシーンだけでこの映画のことを大好きになる。あたまが傾き、手がダンスを奏でる。言葉やからだの触れ合いではなく、ことばにする手前の感情をダンスという身体の奥底から湧き上がってくる行為にとって表現することのすばらしさ。そして、となりにいる相手の体温をかんじること。3つあるダンスシーンそれだけでこの映画のこと愛せる。
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“You see, children, your first obligation is education.”
Where is My Friend’s House? (Abbas Kiarostami, 1987)
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“This is the story of the death of a dream.”
The Beach Bum (Harmony Korine, 2019)
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0504
やすみ。連休中の繁忙にほとほと疲れ切りながらみはじめた『チェルノブイリ』(HBO)。昨夜はエピソード2の半分まで観て眠ってしまったので朝おきてからもう半分をみる。絶望的ラストのエピソード、不安とパニック。もっと知りたいと思う。なにが、どうなって、どうしてそうなったのか。知りたいことがたくさんある。
朝ごはんは、昨夜買って帰ってきたちまきを温めたものと、朝から恋人がつくってくれたナスのお味噌汁。
『チェルノブイリ』のあと、大島渚『戦場のメリークリスマス』。こうあるべきというステレオタイプにがんじがらめになっていくヨノイ大尉はアンジェリーナ・ジョリー『アンブロークン 不屈の男』のMIYAVI(役名失念)を思い出させた。
近場でランチを食べたい、それならHASEGAWAでお昼を、と意気揚々と自宅を出発するも待ちが5組いたことで断念。では、喫茶翡翠へ、ということで、まず通り道のショッピングモールで買い物を済ませていると、フレッシュネス・バーガーの看板をみてハンバーガーが食べたくなり、こちらで食べることにする。ふつうに美味しいがやっぱりハンバーガーだったのかとおもった。そして帰宅。恋人と鴨川沿いを歩くのがたのしく、暑いといいながらも笑っぱなしの散歩日和だった。はじめて遊んだときから、いっしょに歩くのがたのしいひとだった。道路のまんなかでくるくる、何度も回ったりなどした。いつもこんな感じでたのしく生きていきたい。ほんとうに暗いことばかりが起こるし、いま、外で働きながら接客業をするということは、ほんとうに疲れる。恐怖とか不安とか。それで���閉められないことへのジレンマなど。去年となんら事情は変わっていなくて、むしろ外に出ている人は多くなっていてもっと不安になる。それでも、あたしはいまこの人と生きているんだなぁとおもうと安心する。ジョナス・メカスの映画のようだ。人生が続くようにいつか消滅すると分���っている時間、過ぎていく時間についての幸福な記憶の欠片。

お風呂長風呂中に、『POSE/ポーズ』のシーズン2がやっと配信されたので、1話だけみる。90年代、マドンナのヴォーグとact up。アクトアップといえば、フランスの『BPM』という、アクトアップのパリでの活動とHIV、エイズについての映画を思い出す。
『日常生活に埋め込まれたマイクロアグレッション』を読み進める。いまは加害者側視点からの章で、胸を抉られる。「虚偽の人種的リアリティ あるべき姿を作り上げるのは、教育、マスメディア、重要な他者、および諸機関の結託」であること。個人ができることの少なさ、目の前の壁の大きさ。「見えないもの」を見えるようにすることの難しさと自分のなかのレイシズムを自覚したあとに起こるいろいろなこと。エルダースピークについても、あたしは心当たりがあるし、言葉を発することでその裏に込められてしまう裏側の思いに戦慄と、冷や汗のような身の覚えを感じる。
その後『チェルノブイリ』3話目を途中まで。死ぬと分かっていてもやらなければいけないという使命感。安全ではないものをどこまで許容するのかは難しい問題だなと思いながら。
充実した休みの最後。
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2021.4.1
もういつのまにか4月!4月!4月だなぁとおもいながら起きた。夜中にどうしようもなく喉が渇いて起床、6時の目覚ましで起床、「ごはんできたよ」の6時半で起床。ようやくのろのろ起きだす朝。恋人の仕事がおやすみだったから、ゆっくりといっしょに朝ごはんを食べる。食パン2枚とぐずぐずに煮立てた野菜スープ、おおきなフランクフルトを1本いれて。朝ゆっくりとだれかとごはんを食べるのはいいものだなぁと呑気なことを考えておしゃべりしていたらいつのまにか時間でいそいで支度をした。昨夜、ねむりにつく15分前、ほんのすこしだけ『ノマドランド』のはなし。じっくり考えながら、考えたことを話す。ノマドという生き方について、貧困について、日本とアメリカについて。既存の社会にいられなくなってこぽれ落ちたひとたちのこと。あたしは、アニエス・ヴァルダの『落穂拾い』のことを話す。そういう時間がとてもたのしく思える。朝は自転車で出勤。コンバースのキャンバス地のスニーカーはとても寒く、つま先が凍えるように震えていた。
昨夜仕事中に恋人から連絡がきて、デートしたく思っていますがいつが空いているかと聞かれた。家に帰ったらすぐに会えるのに、わざわざ連絡を取るという手段がとてもすてきだとおもう。好きな女の子をデートに誘うという行為、そして誘われるという行為の胸のたかなりはいっしょに暮らして2ヶ月が経っていてもかわらないんだなぁと不思議に思う。正直いって、デートは片手で数えるほどしかしておらず、デートというよりも生活してるという感じで、そんなひとからいきなりデートに誘われるのはとても変な感じだ。
仕事終わりにすこしだけ遊びに出かける。みんなに久しぶりだと言われ、そうたしかに、あなたたちに会うのは1年以上も久しぶりだねとうれしくおもった。酔っ払う。楽しいかもしれないけどこの日はとてもしんどくなってしまったので22時過ぎにはうちにかえる。新しく新調した自転車に乗るのがいまはとてもたのしい。lostageをきく。
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3.12.2021
夕方から雨がたくさん降っていて、いつのまにか眠気に誘われてしまう。でも身体の不調は無視して、まったく気にしないように予定に追われる。9時から18時まで働き、19時から21時までアルバイト。アルバイトのお店がようやく再開を決め、1ヶ月ぶりぐらいに長時間労働をして、フラフラしながら慣れないバス停でバスを待つ。雨は本降りになる。『消失の惑星』を読み終わり、積読していたルース・ベネディクトの『レイシズム』を読み始めたものの、『消失の惑星』の余韻がなかなか去らず、ちいさなちいさな痛みのことを何度も何度も考えてしまうバスの中。雨。片手に傘、片手に持たされたまかないをもったあたしの手はつり革をはなすことができず、気持ちがいっぱいいっぱいのままバスに揺られていたら最寄りのバス停についた。
自分の意思とはまったく関係のないところで両手が塞がれてしまう状況というのはほんとうに嫌で、気がじ��じりと焦ってしまう。手錠をかけられたあらゆるひとのことを考える。罪を犯したのではなく、ただどこかに運ばれていったひとのことや、身体を拘束されたひとたちのことを。レベッカ・マカーイの短編小説では、手錠をかけられた男が、手錠が外れることに気がついて監視の目を盗んで抜け出し、その辺にいた男と人生を交換するというはなしがあったな。
朝4時前に起きて仕事に行った恋人がバス停まで迎えに来てくれる。仕事をしてない時間がほんとうにほんとうに好きなようで、いつもテンションが高いのが逆に心配になる。仕事後、『君の名前で僕を呼んで』のDVDをみていた彼は、あたしに「オリヴァーのダンス、やっぱり何回みてもおもしろい」といって再現までしてくれた。心底わらう。人と生活するのがたのしい。心底疲れていてもわらえちゃうんだからすごい。
あたしは家に着いた瞬間、もうダメだと思ってふらふら横になり、ご飯を食べ、タバコを吸って。外で吸うタバコの時間は、雨の音がよく聞こえ、心地よく、ふだんはないものかのようにそこにあるトタンの屋根にバチバチと当たる音でここに天井があったことを再認識した。『blindness of silece』という映画で、目がみえなくなった神学者のジョン・ヒル��、目が見えなくなったあとに雨のことを知る手段として感じていた。「世界を感じ取れる 世界と関われる 世界と語り合える」。急に感じる、世界の存在。見知らぬだれかとともに暮らすことで日常にあたらしい世界が入り込んできて、強烈な幸福感を感じる。ここでふたつの世界が一体になってると感じるときの強烈な感情。調和し、与えてもらって、与えるという感じの。
恋人は、あたしに「あめのうた」という詩を読んでくれたが、ねむりのはざまでとても良い!とおもったことしか覚えていない。

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2021年春のすこし手前の暖かい一日
北のほうに引っ越してきてそろそろ1ヶ月。寒い寒い平家にもすこしずつ慣れてきて、自炊に奮闘。(ほとんどは同居人が作ってくれてはいるが)人といっしょに暮らす、人の気配がするという意味では、実家にいたころとなんら変わりはないけれど、やっぱり自分が選んでいっしょに暮らそうとおもったひとといっしょに暮らすのと、うまれたときからいっしょにいたひとと暮らすのではぜんぜん気持ちがちがうということに気がついて、でも気持ちが高ぶるとかでもなく、ほんとうにただいっしょに暮らしてるという気持ちなので自分でも驚いてしまう毎日。
北から南へ、バスで仕事に向かう朝にも慣れてきた。いちばん後ろの席に座るのが好きでよく座っている。となりにはスーツをきた中年ぐらいのおじさんがいつも文庫本を手に座っていて、あたしはこのおじさんにこのバスのなかにいる誰よりも強く親密さを感じてしまう。本という持ち物がまるで連帯のシンボルかのように。ミラン・クンデラの『軽さに耐えられない重さ』のように。何を読んでるんですか?... ... そう、あたしは『消失の惑星』を読んでる。... ... そうやって、見ず知らずのひとに親密な気持ちを抱いてしまう。このひとが『アンナ・カレーニナ』を読んでいたらあたしは話しかけてしまうのかもしれない。
最近『消失の惑星』を読みはじめた。少女ふたりの失踪をめぐるロシアの半島の話。十二月と題された先住民族の女の子、トナカイを飼う女の子のはなしがグッときて、でも何でグッときたかまだまだ分からない気持ちをコロコロと転がしながら続きをぐんぐん読んでいるところ。『サーミの血』を観たくなったので今度みようとおもった。
これを書いてる夜の11:30ごろ、同居をはじめた恋人はとなりの部屋で映画を観ながら嗚咽を漏らすぐらいに泣いてる。その気配が心地よくって、可笑しい。
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2020 movie
2020年は、ほんとうにすべてがあっという間。何もかもがなくなって、またもういちど最初からはじめなくちゃならない。そんな1年。Resilienceということばを頭のなかがぐるぐるしながら、あたらしい方向へ、あたらしい何かへ。何を大切にしたいのか、これから何を捨てて何を捨てないで生きていきたいと思うのかを考える1年でもありました。あたしはやっぱり人と人との距離、触れたいと思うときに触れられないことを悲しく思う。誰にも会えない期間があったからこそ、デジタルを介してじゃなく、人と会って話をすることがあたしはとても好きなのだと思った。
2020年。これからもずっとあたしの大切な映画になるであろう映画たち。憎しみよりも愛を。やさしい言葉とごめんなさいを。絶望の炎を希望の灯へと変えていける、そんな映画たちを愛しています。
ジョジョ・ラビット Jojo Rabbit (dir. Taika Waititi)
お腹の蝶々(オウェッ!)が羽ばたいていくまで。未知の他者(女の子)を知り、失敗を重ね、そして愛していくまで。大人になるということは「嬉しい時も悲しい時もシャンパンを飲むこと」「恐れずに人を信じること」。そして、何より地面を踏み締めて身体を揺らすことの、あの世界と一体になったような幸福感。踊ることは世界と和解し、ここに存在することを肯定されること。“Let everything happen to you / Beauty and terror / Just keep going / No feeling is final”——リルケ

マティアス&マキシム Mattias & Maxime (dir. Xavier Dolan)
やっぱり大好き。30代を迎えて、これからどんどん違う道に進んでいく彼らのパーティの終わり、そのほんのちょっと手前の最後の饗宴。誰もが口々にいろんなことを話し、そのテンポが心地よく永遠に見ていたい、彼らのこの饗宴に参加していたいという気分にさせられる。気がついてしまった愛の気持ち、誰かに愛を告げる瞬間。

ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ the last black man in san francisco (dir. Joe Talbot)
美しい過去からの決別、今を生きるための破壊と再創造、それに伴う痛み そして破壊してもなお残るもの。怒りと痛みと、愛と憎しみのあいだにうまれるジレンマと。そうやって今を生きるためには、何かを手放さないといけない。でも、手放してしまっても、それは失ったことにはならない。何度だって、思い出すことができるから。語り直すこと。手放したからこそ残るもの。「わたしたちから失われているときにだけ手にすることができる」

天井桟敷の人々 Les Enfants du Paradis (dir. Marcel Carné)
ままならぬ愛と人生。何年経っても色あせない傑作!!圧倒的なエネルギー。それだけで、もうこの映画を愛してしまう。お気軽で小粋なナンパをする軽やかなピエール・ブラッスール、悲しみとおかしみを称えたジャン=ルイ・バローのパントマイム劇が恋しい。

天国にちがいない It must be Heaven (dir. Elia Suleiman)
混沌とした現代の世界には、エリア・スレイマンが必要だ!!悲しみや怒りのなかにユーモアを見出す天才。ひとりの男の旅路が軽やかに演出されるさまはまさにジャック・タチのような散文詩。細かいイマジネーションの爆発。生きていくうえでイマジネーションがどれだけ大切かということを痛感する。だいすきです。

ナイチンゲール The Nightingale (dir. Jennifer Kent)
暴力は何者も救いはしない。怒りの炎を赦しの火に、そして希望の灯に変えるために必要な物語だった。植民地支配のうえで成り立つ差別の構図。アボリジニーのドリームタイムについても���と知りたい。残忍な描写は必要なままで、見知らぬ誰かを知るためには会話が必要だということ。言葉でしか対峙できないのだということ。言葉はぽろぽろとあたしたちの手からこぼれ落ちるけれど、「言葉とは、語ることのできる静寂の一部分」なのだから。
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0830
最近、とても不思議だと思えてしまうことばかりで、なんだか自分がこの世界とは真逆の方向に歩いているみたいに思えてしまう。(あたしの脳内イメージ::スローモーションで進んでいく車のあいだを通常のスピードで歩くあたしの視線。何かの映画でみたような手法の映像の見せ方)恋人とのことも、世界のことも、社会のことも。あたしはなぜあの時怒らなかったのかを覚えていない、なぜ?となぜ聞かなかったのかも覚えていない、ただそこにあった幸福感みたいなものの残像だけはまだあたしのてのひらでコロコロと転がっている、そしてそれはまだ温かい、というような日々。でも、この温かさはじきに冷めていくだろう、冷たくなっていってしまうだろう。真冬の日に、かじかんだ手を温めるときの缶コーヒーみたい。
いま・ここに生きていること、そこで立ち止まり過去を省みて歴史から学ぶこと、そして現在立っている場所を確認すること。現在に生きるということはつまりそういうことではないのか。スポーツ選手が、芸能人が、政治に口を出してはいけない、選挙には行かない、食卓で政治の話を持ち出してはいけない、いけないことは、ほんとうにいけないことなのか。政治に口を出さないということと政治について話をすることは、同じぐらい立場を表明することと何ら変わりはないのに。日々の選択は、いつだって政治的選択になりうるということをあたしはどれだけ理解してるだろう。何かをするとき、何かを発するとき、あたしはどこまで他人のことを気にかけながら、行動するだろうか(またはできるだろうか)と最近はずっと思っている。「個人的なことは、そのまま社会性や政治性を帯びるのだ」。
今日の選択:友だちとお昼を食べる、甘いものもたくさん食べる、たくさん歩いて汗をかく、友人に会う、安倍首相が辞職した話をする、何かを作るということ、そしてそれを作品として発表することの意味について考える、恋人が女性的であると公言したことについて、その後の対応についてもやっとしていることについて話を聞いてもらう、たくさん歩く、『心は孤独な狩人』を10ページほど読む、映画音響についてのドキュメンタリー映画を観る。
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0424 03:06 am
ひさしぶりに昼夜の生活が逆転してしまった。コロナで外に出れないと、ああ、なんだか今日は寝ちゃおう〜とか、観たいドラマの続きが気になって夜明けまで観ちゃったりとかして、きっと昼夜逆転するだろうな〜と思っていたけれど、こんなにも早く逆転してしまうとは。ハーブティの茶葉を入れたポットにたくさんお湯を入れてしまったことで(ちょっと欲張ってしまった)、いつのまにかぼたぼたと注ぎ口から、お湯が流れ出て(ハンドクリームを塗った手のひらの力のなさ!)、おまけに薬指を軽く火傷!ぼんやりしていて他のことを考えていると、まったく手が使い物にならないみたい。
最近は、仕事がなくて疲れていないせいか、よく夢を見る。(いつもは意識が飛ぶように眠ってしまい、ほとんど覚えていない。)しかも、とても悲しい夢だった。一つ:以前、強烈に好きだったひととの夢。あたしはとにかく彼の笑顔が見たくて、夢中だったのだ。とくになんでもない記憶。町のなかをぶらぶらした夜とか、雪で遊んで水浸しになった日とか、ホテルに入った夜だとか、いまのあたしでは考えられないような大胆さとか。そういった恥ずかしいエピソードがゴロゴロしているころの、まったく別人としか思えないような、記憶の破片たち。でも、いつからか、大好きなひとの顔色を伺ってしまっていることに気がついてしまって、それからは、話したいことを話せなくなって、いつのまにか疲れてちまって、そうこうしているうちに、彼はどこか遠くに行ってしまったのだけれど。夢のなかで、あたしはまだ、まっすぐに彼の目を見れていて、まだ疲れていなくって、ゲラゲラ笑っていたかつてのあたしの姿だった(そして、それは彼の姿でもあったかも)。朝起きて、ああ、夢だなとおもって、なんとなく悲しくて、いまも遠いところで生きているようだけれど、とても連絡したくなって、でも連絡するのはやめることにした。なんて連絡するのが正しいのか、あたしにはわからなかったから。その代わりにInstagramを開いて、生存を確認した。このコロナ禍の東京でも、何なりと生きているらしい。(ほんとうに?それって、ほんとうに元気なんだろうか?ちいさな、ほんとうにちいさなことって、SNSでは見えない)画面越し、あたしはいつも適切な距離を保てない。電話もメールも、昔から、距離がわからないまま。 二つ:繁華街。バーみたいなところで、実際、知っている顔もいれば、その夢のなかでは知っているようだったけれど、醒めてみれば知らないひとの顔が押し寄せていた。あたしは、その場所で、ここにいてはいけない場所��ようだった。みんながあたしの顔を見て笑っていた。中学生のとき、あたしはすごく男の子みたいになりたくて、髪の毛をすごく短く切ってもらったことがある。次の日、学校に行って、後ろのドアから教室に入ると、みんな一斉にあたしを見た。男の子は、声を潜めて笑っていた。(女の子はどうだったのかな?)その当時、あたしには友だちのような子はいたけど、ほんとうの友だちはいなかったから、その日、とっても居心地が悪くて、いますぐにでも帰りたいとおもった。そして、しくじった、と。そんな気持ちになるような、気分の夢。そして、それがどこか見ず知らずの他人ではなく、知っているひとの顔だったから余計に混乱した。夢。不安や心を表す、しかも暗喩的に。あたしはまだそのイメージを掴みきれていない。
仕事に行かなくなってから、毎日小一時間ほど、外に出るようにしている。日光を浴びないとダメになってしまいそうなほど、落ち込んでしまうから。いま住んでいるところには、2年ぐらい前から住んでいるけれど、別段ここで暮らしているというような感じはなく、(あたしはいつも以前住んでいた地元に戻りたいという気持ちばかりで過ごしている)、いつも家-駅、家-レンタル屋、家-スーパー、ぐらいの距離感だったけれど、最近は当てもなくブラブラと歩いている。ここは、花が意外と多いのだった。そして、人のいない公園がたくさんあることにも気がついた。団地が多く、子どもも多い割に、みんな公園では遊ばないらしい。一つだけ、大きなグラウンドがある中央公園には、ときどき野球少年やサッカー少年たちが、遊びに来ているようだった。

最近、SF作家4人の対談を読んでいて、すごく印象的だったのは、"Resilience"という言葉。Elvia Wilkが、この言葉の説明を「人類の、あるいは自然界の回復力は、破滅的な状態が起きたとして、それが起きる前の状態��戻る能力のことではない。Resilienceとは、すべてが前とは違うという事実は変わらなくても、自分が最も大切にするものを保ち続ける力のこと。だから問うべきなのは「私たちが知っている世界は崩壊するだろうか」ではない。それは不可避だから。「世界が崩壊するとき、私たちは何を守りたいだろうか」と問うべきだ。」そうだね、あたしたちの世界は、とっても脆く、すぐに壊れてしまう。変化、変化、変化。時代は進み、あたしたちはそのスピードについていくのにやっとだ!数年前の自分のことすら、もうまったく知らない別人になっているかのようだもんね。世界の変化、内面の変化、それらにどう向き合っていくのか。変化は避けられない、むしろ歓迎すべきこと。変化に向き合ったとき、さあて、あたしは何を守りたいんだろう。壊れていく世界、移り変わっていく毎日の中で。最近はこのことばかり考えている。先が見えない不安のなか、特に、映画業界は?大好きなカルチャーたちは、どう守られ、どう形を変えていくんだろうか。
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