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2019/11/27 PEAVIS “Peace In Vase” Interview
「『自分らのジャンルって何かな?』と思ってたときに、ピースを歌ってるけどナヨナヨしたり単に『頑張れ』っていうんじゃなくて、かと言ってハードコアで暴力的で、っていうのも違う……だから、『ピースの意志が強い音楽』みたいな意味で、“ピースコア”っていうのはどうだろう?って。上っ面の平和じゃなくて、強い気持ちの平和、みたいな。だから、俺らはピースコアHIP HOPだと思いますね(笑)」
 “It’s All Right”や“Story Of Indigo”など、散発的なリリースではあるものの、ヴァラエティ豊かなトラックと、ピースフルな内容性で注目を集める、福岡在住のユニット:Yelladigos。その中核メンバーであるPEAVISが、初のアルバムとなる「Peace In Vase」をリリースした。    Amebreakの読者の中には、彼が以前は別の名義で活動していたことを知っている読者も少なくないだろう。10代でフル・アルバムをリリースし(その作品はAmebreakでもアワードを獲得している)、以降もコンスタントなリリースを展開。MCバトルにおいても好成績を収めていた存在であり、福岡シーンを考える上では欠かせない存在であった。 しかし、Yelladigos結成を機に名前をPEAVISに変更、ピースフルな(といっても、のべつにピースな内容ではない)リリックを中心に据え、そのアプローチは大きく変わった。それはデジタル・リリースされた「PEAVIS SAVES」や、Yelladigos諸作でも明らかになっていたが、今回の「Peace In Vase」を通して、その密度は更に濃く、そして明確に提示された。そして、客演陣の豪華さからも、彼が如何に広い交流があり、そして期待されているかも、同時に理解できるだろう。    何故、そこに彼が至り、そして「Peace In Vase」を作ったのか。Yelladigosのメンバーであり、ユニットのミックスである「SPACE TRAIN MIX TAPE mix by. DJ KEN-BEAT」を手掛けたKEN-BEATと共に語ってもらった。 インタビュー:高木“JET”晋一郎  
■PEAVIS君は、以前は別の名義で活動されていて、そのキャリアは決して短くはないですが、その前名義でのキャリアに関しては、現在はご自身からはほぼ言及や発信はされていません。その理由は?   「敢えて言う必要はないのかな、って。Yelladigosを結成したタイミングでPEAVISに名前を変えたんですが、そこで“新人ラッパー”として自分の中では切り替わっているんで」     ■ただ、前名義では10年以上活動して、4枚のアルバムを出しているわけだから、そのキャリアを断絶させてしまうのは、かなり勇気のいることではないのかな、と。   「ラップの内容やスタイルもかなり変わってきているし、前の名前だとバトルのイメージもついてたんで、それを払拭したり一旦リセットしたかった、っていう気持ちはありましたね」     ■確かに、Yelladigosの楽曲は前名義での活動とはかなり感触が違うし、“It’s All Right feat. kiki vivi lily”のMVが出たときは「ここまで突っ込んだ変化をするんだ」って驚いたので、リセットという表現はしっくりきますね。しかもあの曲は、HIP HOP現場はもちろん、J-POP系のイヴェントでもよくプレイされていて。   「それは狙ってたかもしれないです。『現代のRIP SLYMEだ』ってコメントに書かれたり」     ■良質でポップなトラックで、スキルの高いラップをやるとRIP SLYMEと言われてしまう問題はあるとしても(笑)、それぐらいキャッチーな楽曲に対して、Yelladigosのメンバー的には異論はなかったんですか?   「全然。みんな『行っちゃおう!』って感じで(笑)」     KEN-BEAT「全然OKでしたね。“It’s All Right”を出すことによって視野が広がって、そこからYelladigosを知ってくれる人も増えるという自信もあったし」   「Yelladigosは音的な拘りがあんまりなくて。トラックが良ければブーム・バップもやるし、TRAPも当然取り入れるし、キャッチーな曲もやるし」     ■だから、音的な掴みどころはないんだけど、とにかく楽しそう、というのがYelladigosのイメージで。   「間違いないですね。音のスタイルに対して拘るのはもったいないと思うんですよね。音の流行や好みは時代で変化していくし、パターンも大体出きってる気がする。だから、逆にカッコ良ければ何でもいいって時代だと思うので、トラックのジャンルには拘ってないですねですね。それよりも、リリックやラップで一貫性を持たせてたり、メンバーの発するメッセージを統一して、Yelladigosのカラーを担保している感じですね」     ■メッセージ性も、前名義とはかなり変わっていますね。   「それまでは『かますぜ!』みたいなラップをしてたけど、Yelladigosを結成するときに、Yelladigosはピース・マインドだったり『真実を歌う』ってテーマで一貫させよう、って話し合ったんですよね。『俺らはヤバイぜ!』みたいな、ラージに見せるような感じじゃなくて、もっとピースに、本当にリアルなことを歌ってこう、って」     ■そのマインドはYelladigos以前にも持っていたけど、出しにくかったような部分ですか?それともYelladigosで発見した部分?   「多分、自分の中にはあったんだと思いますね」     ■それがYelladigosによって花開いた、と。   「ですね。YelladigosのメンバーのBASHI THE BRIDGEは、10代のときにやってたクルーのメンバーで、RIOはその次に組んだクルーのメンバーだったんですよね。その今まで組んできたクルーの中で、より気の合うヤツが集まったのがYelladigosで。これまでのクルーは、人間関係というか、仲悪くなって解散したんですよね、どっちも。それでかなり病んだんですけど、今のYelladigosのメンバーで長崎の五島に行ったときに、五島の自然を見ながら『これからはピースを伝えていきたいね』って話になって。クルーですら分かり合えない、ヘイトしあう状況だからこそ、俺らはピースにやってこう、と。病みあげてどん底まで行ったんで、逆にピースフルにいこう、って(笑)」     ■逆転して(笑)。活動する上で、そのマインドの変化は大きいですか?   「例えばMCバトルで地元で優勝もしたし、『福岡で俺が一番だ』っていうのもやれるところまでやったんで、ラッパー的なアプローチはもういいかな?っていう気持ちもありますね。だから、逆に普通の人が共感するような自分の弱い部分とか、今の世の中や世界はこういうところが問題だろ?とか、そういうことを歌っていこうって感じにシフト・チェンジして。だから、リリックの内容やスタイルを変えるのはまったく苦じゃなかったし、これが今やりたいことなんで、逆にストレスはないですね」     ■話にあったように、前名義ではバトルにも出ていましたが、ブームになるのと同じ時期にバトルに出るのを辞めていますね。   「バトルで名前は高まってるけどタイトルは獲れない、ってことが多かったんですけど、2011年にUMBの福岡予選でやっと優勝して。それは念願のタイトルだったし、周りもめっちゃ喜んでくれたんですけど、個人的には『こんなもんか……』って感じだったんですよね。でも、本戦はかまそうと思って、めっちゃ意気込んでたんですけど、本戦の直前に、中学から仲の良かった、俺にHIP HOPを教えてくれたジンっていうB・ボーイでスケーターの友達がいたんですけど、そいつが飛び降りて — 事故か自分からかは分かってないんですけど — 死んでしまったんですよね。そのショックが大きすぎて、本戦も放心状態というか、全然集中できなくて。それに、本戦のステージってめっちゃデカイじゃないですか」     ■2011年の会場は恵比寿LIQUIDROOMでしたね。   「そこで、言うこともないような、会ったことないヤツとめっちゃ距離が離れながらバトルして、っていう状況を客観的に見て『俺はなんやっとっちゃろ……』って。そんなメンタルだから、一回戦で普通に負けて、そのときの状況が結構トラウマになって、それからバトルは避けるようになって」
■そういう経緯があったんですね。そして、前名義でもリリースを重ねながらYelladigosを結成して、PEAVISとして動き始めるわけですが、ソロ計画をスタートさせたキッカケは?   「自分は平成の最初らへんに生まれたんですけど、平成から令和になった区切りで、自分ひとりで作品出したいなと思って。なんというか……平成を生きてきた人なら共感できる作品を作りたいなと思って」     ■とはいえ、平成にあった事象を織り込んだといったタイプの、いわゆる「平成あるある」のような作品ではないですね。   「だから、『自分の感じる平成』って感じですね。平成の始まりはまだ良かった気がするんですけど、終わりの方から急激に社会が状況もヘルになっていったと思うんですよね。身の回りでもヘイトが増えてたり、時代的にとにかく悪くなっていってる感触がある。Yelladigosを結成した2015年の段階で『絶対に世の中は悪くなる』っていうイメージがあったし、それを見据えて、食い止めるためにもピースな音楽をやろうと思ってたんですけど、予想通り、世の中はどんどん悪くなってるし、未来は完全に暗い。でも『��いけどそこから光を見出そう』的なことを伝えたいな、って」     ■すごく達観したアルバムだな、って。まだ30歳にはなってないですよね?   「28です」     ■28歳のアルバムとは思えないっていうか。ラップ自体も落ち着いてるし、内容としてもずっと平熱を求める感触があって。   「そういう感情に、順を追って気付いていく、みたいなアルバムにしたかったんですよね。1曲目の“Ten”で『人生は生きる理由を探す旅』みたいなイメージから始まって、Olive Oilさんと作った最後の“Taiyo”で『天に太陽が昇って終わる』みたいなイメージがあって。12曲っていう曲数も、時計の周期を表わしてたり」     ■12天球というか。そういったスピリチュアルな部分もありつつ、内容は非常に分かりやすいですね。   「伝わりやすさとかとか聴きやすさは意識しましたね。昔はスキルを見せるために、ラップ自体も詰め込んで、韻とかも細かく刻んで詰め込んでたんですけど、今は分かりやすく、ちゃんと一単語一単語が聴き取りやすいようにって、自然とそうなっていきましたね。それに、この内容を抽象的に書くと複雑過ぎて伝わらないと思ったんで、難しいテーマを簡単に説明したいな、って」     ■ピースというテーマは一貫していると思いますが、曲によってはハードな部分も垣間見えますね。このアルバムではありませんが、Yelladigosでの“Fuck You!! feat. Jin Dogg”にもそういう感触があって。   「でも、ただ無闇にディスるだけじゃなくて、ヘイターにも気付くチャンスを与えるような、建設的な内容にしようと思って。やっぱりMCバトルに興味がなくなったのも、『お前の格好がどうだ』みたいな、揚げ足を取るだけの中身のないディスはもう必要ないなと思ったことも大きくて。それよりも、もっと中身に拘りたい、ちゃんとしたことが言いたいと思ったからなんですよね」     ■今作では“Drop Out”にもハードな部分を感じました。   「入れるかは結構悩んだんですよね。ハスリン時代の歌やし、そういうイメージをあんまり今はつけたくないこともあって。だけど、これも自分のリアルだったんで、歌っておこう、と。でも、『ドラッグやってる俺、超ヤベー!』じゃなくて、結局シャブ中になったり、入退院繰り返したり、何度も捕まったり、辛いこともとにかく多いっていうのは書いておきたくて。自分がそこから手を引いたのは、仲間が捕まったのとFEBBの死が同じ日に起きたっていうのが本当に大きかったですね。そこで『もう少しクリーンに生きたい、ハスリンは潮時』と思って。結局、欲深く金や地位を追い求めるのは良くないってことを書きたかった。欲望にはキリがないから、求めれば果てしないと思うし、結局死んじゃうか、捕まっちゃうか、破滅するか。だからそれよりも、自分がやりたいこととか、本当にしたいことをやろうって気付かせたいんですよね」     ■充足は心の平穏にある、というか。   「それこそ『女抱いて金儲けして』って曲は多いし、自分もそういうノリでいたことは間違いないけど、結局それはそんな楽しくなくて、虚しかった。もちろんお金は必要だし、やりたいことをするために必要なお金っていうのはあると思うんですけど、『金を儲ける』ってことがメインになってくると、いろいろおかしくなってくる、というか」     ■“Mirai”では世代論の部分をDaichi Yamamoto/田我流と一緒に書かれてますね。その中の「夢を持つのはバカと笑われたり」「生まれた瞬間から不況」みたいなリリックは、リアルな皮膚感覚なんだろうな、って。   「親の世代とかはバブルの時代があって、お金で良い夢も見てるから、逆に今でもお金に執着してると思うんですよね。でも、俺らはお金で良い夢も良い目も見たことないし、金で連想するのが『金があれば贅沢できて最高じゃん』っていうよりかは、『バイトだりー』なんですよね」     ■金による成功体験のイメージが付かない、というか。   「だから、基本金のことは考えたくないっていうか。『めっちゃ働いて稼ごうぜ!』ってヤツよりかは、『仕事行きたくないよね』ってヤツのほうが圧倒的に多い気がして。周りを見ても、親が金持ち以外で金持ってるヤツとか、まぁ見たことないっすよ。クラブで財布に3万入ってるヤツなんていないんじゃないですかね?」   KEN-BEAT「福岡はおらん!(笑)」   「だから、みんな貧困っていうか。実際ゲットーだと思うんですよ。インドとかアジアに旅すると、ああいうところのゲットーってもうモロにゲットーじゃないですか、見た目から。でも、日本は見栄えだけは良いゲットーというか。一見綺麗だけど、実際はマジでゲットー。前に『今はスーパーで好きな野菜とかフルーツを買うのに、給料の計算した上で買ってて、貧しくなってる』って記事があったんですけど、それって良くあるよな、って。好きなモノを財布の中身を気にしないで買うなんて、普通に働いてる人でも厳しいっすよね。特に若い子はそんな感じだと思います。みんなオシャレとかどうやってるんだろう?って思うくらい金ないっすね。ハタチになった瞬間に、サラ金で限度額いっぱいまで借りて、飛ばしてる子とかもめっちゃ多いと思うし」     ■実際、そういったことをラップしてるTajyusaim Boyzはコミカルなフリをした社会批評にもなってると思うし、面白いんだけど、「面白がってる」場合ではないんだろうな、と。   「ハスリンに手を出すのも、もうアメリカのゲットーのヤツとかと同じ状況だと思うんですよね。動機が『悪ぶりたい』とかよりかは、『それしか手段がない』というか。本当に金ないし、でもバイト行きたくないし、って。でも、ずっとそこにいたらいつか終わりが来るから。『ハスリンやめて更生しろ』とかは俺は言えないんだけど、それがメインになっちゃうのはどうなの?ってことは言いたいな、って」   KEN-BEAT「ハッスルがあっても、そこから音楽で成功するのがHIP HOPだし」   「ストリートにい続けるのがHIP HOPじゃないと思うし、そこからどう脱出していくか?若い子に希望を与えるか?みたいなことを考えましたね」
■コーラスにkiki vivi lilyを迎えた“Perfect View”では、「誰かに救われる」というテーマを明確にしているのが印象的で。   「今って暗い曲が多いじゃないですか。TwiGyさんが『“ドラッグやって、女抱いて、世の中ファックだぜ”っていうTRAPは悪魔の音楽だ』って言ってて(笑)。確かに、絶望を語るのってあんまり良くないと思ったんですよね。この曲で『昨日は人生最低の日/だけど今日は快晴』って言ってるんですけど、昨日が最低でも、今日それを乗り越えれば、明日はもっと良い日になるんじゃない?って。今、『救われない』って思ってる人も明日は救わるかもよ、っていうメッセージを自分は出したいんですよね」     ■ここ最近、頑張れソング的な意味じゃない、希望を語る歌が増えてるような気がするんだけど、それは状況があまりにも過酷すぎて、ノー・フューチャーを歌うには、あまりにも世の中がノー・フューチャーすぎることへのカウンターなのかな?って。   「かもしれないですね。こないだ思いついたんですけど、自分たちの音楽は“ピースコア”じゃないかな?って。『自分らのジャンルって何かな?』と思ってたときに、ピースを歌ってるけどナヨナヨしたり単に『頑張れ』っていうんじゃなくて、かと言ってハードコアで暴力的で、っていうのも違う……だから、『ピースの意志が強い音楽』みたいな意味で、“ピースコア”っていうのはどうだろう?って。上っ面の平和じゃなくて、強い気持ちの平和、みたいな。だから、俺らはピースコアHIP HOPだと思いますね(笑)」     ■その造語は面白いし、たしかにこのアルバムはピースコアなのかもしれないですね。   「ありがとうございます」     ■“Tadashii Machi 2019 / Yelladigos”ですが、これは椎名林檎の“正しい街”へのオマージュ?   「そうです。地元の曲は絶対に入れたかったし、それをYelladigosでやりたいと思ってたときに、“正しい街”をオマージュするのは面白いかな?って」     ■“正しい街”は自分が出ていった街を振り返って歌う話だから、今も福岡にいるYelladigosとは構造が真逆になってますね。   「応援してくれる人も多いんですけど、地元の中には『東京のレーベルから出すし、アイツらなんだよ』的な空気感も若干あって、正直ダルい部分もあるんですよね。地元ってずっと住んでると代わり映えもしないし、そういうイザコザを感じると『もう出たいな』って思う部分もあるんですけど、この曲では逆に地元の好きなところを描いてみよう 、と」     ■10曲目の“Beautiful Life”にはシンガー・ソングライターのYonYonが参加してますが、これはどういった流れで?   「Yonちゃんは韓国生まれで、小学校で日本に来たら『韓国人』っていじめられて、いっとき韓国に帰った時期は逆に韓国で『韓国語の発音がおかしい』とか『日本に魂売ったヤツ』みたいに言われた、って。そうやって、日本人でも韓国人でもないのか?っていう(アイデンティティの部分で)苦悩してた話を聞いたときに、音楽はそういうのを越えていけるっていうのを歌いたくて、そういうテーマで曲を作ったし、Yonちゃんにも参加してもらおう、って。今も日韓の情勢ってめっちゃ悪いじゃないですか。そういう人種間のヘイトとかはもうやめようよ、って」     ■ひとつ気になったんですけど、“Mirrorball Kingdom feat. RIO & Daia”で、プロデューサーのJazadocumentっていうタグがちょっと速い気がしたんですが。   「実は、Jaza君から送られたビートが、パソコンの誤作動でめっちゃ早回しになってて。それで、そのBPMでヴァース録って戻したら『ごめん、これビートめっちゃ速くなってた』って(笑)。オリジナルを聴かせてもらったらめっちゃメロウだったんだけど、速いヴァージョンが気に入っちゃってたんで、Jaza君に『嫌だと思うんですけど、このまま行っていいですか?』って。Jaza君も本意ではなかったと思うんですけど『まあ、いいよ』って。だから、誤作動が原因です(笑)」     ■ジャケットも前名義では顔を出してたけど、今回は抽象的なイメージですね。   「ジャケは自分のタトゥーとかやってもらってるグラフィティ・アーティストにお願いしたんですね。この花瓶は粘土で実物を作って、それをブツ撮りしてるんですけど、花瓶の中に未来の植物が咲いてて、その花びらが落ちてたら、それを微生物が食べて、それが栄養になってまた花が咲くっていう、サイクルを表わしてて」     ■なるほど。話は変わりますが、PEAVIS君から見る今の福岡シーンはどういった感触がありますか?   「『Yelladigosがいけなきゃ無理でしょ』っていう空気感もあるし、実際『お前らしかいないよ』って、ギャングスタな人たちもアンダーグラウンドの人たちも、バンド界隈やグラフィティのシーン、スケーターとか、いろんなシーンが応援してくれてる。たぶん、いきなり出てきてポップなことをやったらディスられるかもしれないんですけど、俺らの今までのストラグルだったりストリート・ライフも知ってるから『アイツら本物だからイケるでしょ』って言ってくれるんだと思いますね。ただ、シーン全体で見ると、みんな各々頑張ってるんだけど、総体としてはわりと止まってて。ゲストが来るイヴェントは人が入るけど、福岡の若い子がやってるイヴェントはガラガラ。親不孝通りもどんどん古い建物とか潰してホテルにしてるし、クラブも潰れて活気がなくなってますね」     ■各地の大都市で起こっていることだけど、外国人観光客の多い福岡はどの影響を強く受けている、と。   KEN-BEAT「RAMB CAMPのFREEZさんのやってたBASEも違う場所に移って、アパレルやCDを置いてる店になって」   「FREEZさんは俺を15歳くらいのときにフックアップしてくれた人だし、クラブとかも毎回タダで入れてくれて」     ■まあ、時効ということで(笑)。   「でも、そういう動きが自分でも出来たらな、って思いますね。実際、カッコ良い若いヤツも多いし、自分がもっと有名になれば、そういう世代もフックアップできるかな、って」     ■これからはYelladigosとソロの両輪という形ですか?   「自分のソロに関しては、言いたいことが出来るまで溜めとくというか、そんなに焦ってやろうとは思ってなくて。Yelladigosでは来年の春ぐらいにアルバム出せたらなー、って感じですね。まだ何もしてないんで無理だと思うんですけど(笑)、それぐらい目指して。他にもKEN君名義でEPとかも考えてて」   KEN-BEAT「トラック・メイカーEPとして、6曲入りくらいで作りたいなと思ってますね」   「そういう風に、ソロやプロジェクトも含めて、『Yelladigosからリリースがある』って状況は途切れないようにしていきたいですね」
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2019/11/19 THA BLUE HERB “THA BLUE HERB” Interview
「20代や30代の作品だけが常にリリースされて、自分らの世代のラッパーの作品があまりリリースされないっていうのは、ちょっとバランスが良くないと思うんだ。やっぱりいろんな世代で見える景色って違うし、俺ら世代の人間でも、それぞれの生き様を作品で発表しないと面白くないよ。いろんな世代の視点があればあるほど、世代間の違いも露わになるし、変わらない部分も発見できるだろうし、そうやってどんどん相乗効果で上がっていくべきモノだと思う。ヴェテランの役割って、そういうところにもあるよね」 -- ILL-BOSSTINO
 1999年リリースの「STILLING, STILL DREAMING」から20年を経た今年、5枚目のアルバムをリリースしたTHA BLUE HERB(以下TBH)。前作となる「TOTAL」(12年)から7年の間には、トラック・メイカーのO.N.Oは「Ougenblick」を2014年に、MCのILL-BOSSTINOもtha BOSS名義で「IN THE NAME OF HIPHOP」を2015年にリリースし、それぞれがソロとしての提示を行なった。    そういった動きと連動するように、2017年には『THA BLUE HERB 結成20周年ライブ』を土砂降りの日比谷野音で行ない、今年に入っては過去作のサブスクリプション配信を解禁するなど、TBHとしてのこれまでの歩みを総括するような動きも見られた。    その意味でも、セルフ・タイトルとなる「THA BLUE HERB」と名付けられた本作は、そういった流れを総括し、収斂させ、「TBHとは何者か」を作品として提示している。    そして、そのアルバムで提示されたものは、ラッパーとしての矜持、リリシストとしての存在感とオリジナリティ、ポリティカルな視点、シーンや流行への認識、地元、TBHの楽曲の特異性と構築度、TBHの足跡とその未来……そういった「普遍のTBH」とも感じられるような内容であり、2枚組30曲という大ヴォリュームで収録された。    しかし、その内容は決して“再生産”ではなく、改めて「TBHとは何者か」を提示することで、シーンへTBHの新たな足場と礎を築くような、強烈な意思を感じさせられる、非常に強い言葉と音、ラップとビートである。この貪欲な欲望とタフネス、そして希望こそ、やはりTBHなのだ。 インタビュー:高木“JET”晋一郎  
■今回のアルバムは2枚組、全30曲、総再生時間は2時間半と、かなりのヴォリュームで構成されています(初回限定盤はインスト盤を封入した4枚組)。制作初期段階からそのイメージがあったのか、結果的に2枚組になったのか、どちらの方向性が強いですか?   ILL-BOSSTINO「アルバムを作ろうという最初のミーティングって言うか、2017年の忘年会のときに、みんなで飲みながら『次回作は2枚組で』っていう話にはなってたね」     ■ブログの中でも「90年代は2枚組も多く、そこへの憧れもあった」というニュアンスのお話を書かれていましたね。   ILL-BOSSTINO「そうだね。やっぱりWU-TANG CLANの2nd(『WU-TANG FOREVER』/97年)やTHE NOTORIOUS B.I.G.の2nd(『LIFE AFTER DEATH』/97年)みたいな作品への憧れを、ずっと持っていたし、あの時代の幻影をいまだに追い続けてたらこの歳になってた、くらいのモンだからさ。だからこそ、そのレヴェルに挑戦したいっていう気持ちもあったよね。やっぱり、越えられるかどうか分からないぐらいのモノに挑戦しないと、燃えないよね。もう『有名になりたい』みたいなことがモチヴェーションではないから。それよりも、『自分たちはどこまで出来るのか?』っていう、チャレンジする精神のほうが大きいね」     ■自分たちを駆り立てるために、2枚組というハードルが必要だった。   ILL-BOSSTINO「まさにそうだね」   O.N.O「2枚組っていうのは相当大変だろうなとは思ったけど、同時に『いけるな』とも思った。だから、作るモチヴェーションとして、2枚組って仕様は気合いを入れてくれた。制作中も20曲くらい揃ったあたりから、更にスピードが上がっていったし、作り終わっても『全然まだまだいけたよ』って感じでもあって」   ILL-BOSSTINO「実際、3枚目に足突っ込んでたからね。『これ以上作るとCDの規格的に入らない』って(笑)」     ■それほどにモチヴェーションは高まってた、と。   ILL-BOSSTINO「そこにいけて良かったよ。『いいじゃん!まだ書けるじゃん!まだ作れるじゃん!』って知れたことは自信になったよ」   O.N.O「モチヴェーションはこのアルバムの制作が終わっても、まだ上がり続けてるしね」   ILL-BOSSTINO「やっぱり『カッコ良い曲を作りたい』っていうのが、単純だけど変わらないモチヴェーションだよね。それから、朝起きてYouTubeでいろんなラッパーのMVを観て、『カッコ良いな』って思うこともモチヴェーションになる。今は良いラッパーも沢山いるしね」     ■そこに負けたくない、という気持ちですか?   ILL-BOSSTINO「『負けたくない』って気持ちもあるけど、それよりも『俺らが認めたアーティストには、俺らのことも認めてもらいたい』って感じかな。例えば、俺はR-指定のことめっちゃ認めてるから、彼には(自分たちのことを)認めてほしい(笑)。でも、それは作品を通して、なんだよね。だからこそ、作品を作ることが最低限のエントリー」     ■TBHの初期はそうではなかったですね。   ILL-BOSSTINO「そうだね。当時の最前線にいたアーティストを『俺らは認めない』っていう立場だった。でも、今は違うよ、当然。R-指定もKOJOEも、韻シストも勝も、Refugeecampも小林勝行も最高だね。CHOUJIは好きすぎて毎日MV観てたもん。もう、ファンだよ。でも、彼らに『認めてほしい』ってわざわざこっちから伝えるのなんてあり得ないでしょ。だから、曲を出すしかないんだ。今までもそうしてやってきた。それから、単純な事実としてカッコ良いラッパーが昔より圧倒的に増えた」     ■丸くなったとかではなく、単純にカッコ良いモノが増えたから、それは純粋に認める、という。   ILL-BOSSTINO「HIP HOPのファンである以上、そうとしか言いようがないよね」   O.N.O「質がグッと上がったよね。地方にDJで呼ばれても、とにかくラップが上手いヤツがいたりする。HIP HOPマナーをちゃんと踏んで、HIP HOP IQも高くて……っていう人はそんなにいないけど、ラップ自体はみんなスゲェ上手いと思う」   ILL-BOSSTINO「もちろん、全員が全員を良いとは思ってないよ。俺だって俺なりの好みもあるし、俺の“良い”のハードルは高いからね。でも、それを超えてくる人たちはたくさんいるからね、もちろん年齢とか関係なしに。そこは認めざるを得ないよ。そして、俺が興味を持つようなアーティストは、アルバム(をリリースしている)アーティストが多い。俺らも2枚組のアルバムを作ったから、そこで競い合いたい」 ■今はアルバムであってもトータルで40分ぐらい、短ければ30分ほどでパッケージされたアルバムも少なくないですね。今回の2枚組というのは、そういった流れに対するカウンターという部分もあるのかなと感じたのですが、その意識はありましたか?   ILL-BOSSTINO「インタビューでそう訊かれることが多いんだけど、『あ、世の中そういうことになってるの?』っていう感じなんだよね。だから、そういうカウンターの意識はまったくない。確かに早く仕上げて、早くリリースして、リスナーも早く消費して、早く次のリリースに漕ぎ着けるっていうスピード感が今のトレンドなのかもしれない。だけど、それは俺らの20年以上のキャリアの中の最近の2~3年。音楽の歴史からしても単なる最近のトレンドってだけの話だから、構う必要はないんじゃないかな。それより、ウータンやビギー、それ以前からHIP HOPに限らずいろんなミュージシャンが挑戦してきた『2枚組アルバム』っていう系譜に対して、俺らも爪痕を残したい。その気持ちの方が強かったし、カウンターと言うんなら、そっちに対して、だね。『俺たちも(音楽史に対して)やってやる!』っていうさ」     ■喩えは大きいかもしれませんが、THE BEATLESの「WHITE ALBUM」やTHE ROLLING STONESの「メインストリートのならず者」といった「2枚組音楽史」の系譜に連なりたい、というか。   ILL-BOSSTINO「そこへの憧れっていうかね。そのアプローチも、今だったら出来るんじゃねえか?みたいな」     ■「今なら出来る」、そう思えた理由は?   ILL-BOSSTINO「今が一番、心技体が充実してるからかな。俺は47歳だから、20歳のラッパーみたいにこれから先、メチャクチャ時間がある、やりたいことがたっぷりあるわけではない、正直。でも、70歳の人みたいに、それまでにやってきたことが背後に沢山あるってわけでもない。だから、その真ん中に今の俺はいると思うんだ。これまでの経験もあって、同時にここから先の領域もまだある。だからこそ、ここが一番良いタイミングな筈だ、チャンスだ、と思えたんだよね」     ■“LOYALTY”にも「キャリアも中盤」というリリック��ありますし、その意味でも、“中盤”として出来ることが、2枚組だったと。   ILL-BOSSTINO「だから、このアルバムが『キャリアも中盤』の第一歩だね」     ■新しい一歩である、と。   ILL-BOSSTINO「俺たちからの影響を語ってくれるアーティストがいたり、そういう流れで俺らを知って『TBHってどういうヤツらなんだろう?』って、YouTubeで調べたり、最近解禁したサブスクで聴いてくれるような人も増えてると思う。それ自体はありがたい。ただ、その作品の俺らは、もう『過去の俺たち』なんだよね。だから、もう一度、俺たちの最新の形で、全方位に力を見せる、このアルバムでもう一度『始める』っていう意識があった。このアルバムでみんなに改めて挨拶をする。またエントリーするような気持ちだよ」     ■今回のアルバムが「TOTAL」の後にリリースされているのも興味深いです。「TOTAL」はタイトル通り、自分たちの自意識や自認する存在理由のような部分を、総合的にまとめた作品だったと思いますし、「そこで決着した先のトータル」を、このアルバムでは提示しようとしているのかな?って。   ILL-BOSSTINO「これまでリリースした4枚のアルバムは、“起承転結”だったと思う。99年の1st『STILLING, STILL DREAMING』で自分たちの存在を提示して、02年の2nd『SELL OUR SOUL』で更に深いところまで行って、07年の3rd『LIFE STORY』でそれまでとは違う展開に転じて、12年の4th『TOTAL』でそれらを結んだ、っていう。その活動の中で俺らは十分やれたし、十分に感謝も伝えられたので、区切りを付けよう、と。逆を言えば、そういった道程を経て、今回で遂にTBHが完成したと思う。だからこそ、『THA BLUE HERB』っていうセルフ・タイトルをこのアルバムに名付けることが出来たんだ。『TBHはこういうヤツらです』という作品だと思うし、リエントリーの作品だよね」     ■その意味でも、マンネリズムとは違う意味で、これまでのTBHと変わってないし、それをより深化した形で、「今のTBH」としてパッケージされていますね。   ILL-BOSSTINO「歌うことはまだまだたくさんあるしさ。20代や30代の作品だけが常にリリースされて、自分らの世代のラッパーの作品があまりリリースされないっていうのは、ちょっとバランスが良くないと思うんだ。やっぱりいろんな世代で見える景色って違うし、俺ら世代の人間でも、それぞれの生き様を作品で発表しないと面白くないよ。いろんな世代の視点があればあるほど、世代間の違いも露わになるし、変わらない部分も発見できるだろうし、そうやってどんどん相乗効果で上がっていくべきモノだと思う。ヴェテランの役割って、そういうところにもあるよね」     ■“視点”が今作でも重要なポイントだと感じました。自分の思想や、社会や歴史、自分のこれまでや関わった人々、地元、っていう非常に普遍的なテーマが今回の中心になっているし、それをどうTBHの視点とリリシズムから描くかという、そのアプローチ自体も非常に普遍的ですね。   ILL-BOSSTINO「やっていることは他のラッパーと変わらないよ。俺らもHIP HOPを通してアメリカのゲットーの黒人たちの生活を垣間見て、そこに衝撃を受けたし、それが自分がHIP HOPに向かう初期衝動だった。そして時間が経って今の日本を見回してみたら、東京にしろ、沖縄にしろ、西成にしろ、川崎にしろ、俺らの札幌にしろ、どの街にも特色と同時に、他と変わらない部分がある。だから、同じようなトピックをどうやって切り取るかの“技” — 『ラッパーの技量』が問われるっていう意味では、普遍的なことをやってるよ。そして、それはラッパーならではのユニークな勝負だし、俺はそこにメッチャ拘ってる。『ラッパーとは、HIP HOPとは』っていう部分に」
■O.N.Oさんとしては、今回のビートの選択はどのように進められましたか?   O.N.O「HIP HOPを今まで以上に意識したかもしれない。エレクトロニックな素材もあまり使わず、聴いてて想像できる楽器をメインに使うようにした。サンプリングではないけど、サンプリング的な組み方で、ワンループから自由に変化させていったりとか。そういうのはビートも含めて、強く意識してたかな」     ■今回、ビートのループ性というか、いわゆる“トラック”性が非常に重要な要素になってますね。Aメロ→Bメロ→サビと曲調がガラッと変わるのではなく、変化しながらもそれがシームレスに繋がっていく、というか。   O.N.O「BOSSはAメロ→Bメロ→Cメロって展開があるトラックを好むから、それをHIP HOP的な解釈で如何に展開させていくかは、今回すごく意識して。そして、トラック的にもあんまり情報を詰め込み過ぎないで、リリックが素直に入るようにっていうのは、いつも以上に意識したね。今回は30曲あるから、あまり焦らなくてよかったのも大きい。10数曲の中でアレもコレも入れたい、じゃなくて、曲数が多い分、曲毎の関係性やバランスを気にするよりも、1曲毎に注力して、濃く強くして、それが打ち出せたことが、今回の手応えとして大きいね」     ■“LIKE THE DEAD END KIDS”で「FREE」という言葉を強調されていますが、自由であるためにインディペンデントである、というのも、TBHが貫いてきたことだと思います。   ILL-BOSSTINO「自主制作でやってるのも、札幌にいるのも、全てそうだよね。自由でいたいから。世の中のあれやこれに何かを言うのも、自由でいたいからこそのことだと思う。パスポートもなければこの国から出られないような囚われの身ではあるけど、それでも、『どこまで自由でいられるか』ってことを追求してるし、リスナーにも自由を促したい。みんな好きに生きるためにはどうするべきか、それを考えてほしい、というかね。ただ、自由っていうのは難しくてさ。自由を追求したら、誰かの機嫌を損ねちゃったり、傷つけたりすることもあるわけで、自由にやるっていうのは難しいことだよ。だから、手前勝手に何でもかんでも発言すればいいってわけじゃない。いろいろ学んで、知性を使って、自由に振る舞うことが大事だよね」     ■同時に、それ故の“マイク稼業”のシビアさも、全体に通底するトーンではありますね。しかし、そこで脱落者を切り捨てるのではなく“LIKE THE DEAD END KIDS”での「去ってくなら去ってく者の歌を去ってく者が歌えばリアルなんじゃねって思っただけだ」という言葉のように、救いのようなセンテンスが入りますね。   O.N.O「俺も大好き。あのリリック」   ILL-BOSSTINO「うまくいかない状況を歌って『これ、俺のこと言ってるな』で終わっちゃ俺の好きなHIP HOPじゃないからね。『……それでも』って思わせるモノを、やっぱり提示しないといけないと思うし、それが俺の中のHIP HOPの基本。やっぱり悲しいことは多いし、それが人生だよ。でも、それで終わらない、『だけど、乗り越えていく』ってラインをちゃんと込めるのが、俺にとってHIP HOPだからね。ZORNのように、仕事しながらでも、子育てしながらでもラップは書けるし、別にメジャーと契約しなくったってHIP HOPは余裕で出来るんだよ。それは俺たちも証明してきたこと。もっと言えば、別の仕事しながら、ストラグルな状態でリリック書いてるヤツのほうが正義だよ、俺なんかより。本当にそう思う。だからこそ、俺はその倍はやらないとダメだとも思うよね」     ■そういった思いは“介錯”の「店閉めて/ネクタイ締めて/頑張ってる奴に半端な音は聴かせられねえ」といった言葉などに散見されますね。   ILL-BOSSTINO「朝から仕事して家族を養って、それでも空いた時間にリリック書くって……最も創作に適した時間だよ。そこでしか書けねえ、お前の書くライン、なまら本物。辞めるとかじゃなくて、『そこで一曲書いたら一発逆転できないか?』ってさ」     ■今回のリリックは、構造としてみると複雑に構築された部分もありますが、センテンスにおいては非常に明快ですね。   ILL-BOSSTINO「シンプルだと思う。難解な表現をするってことには、今は興味がないね。それに、やっぱりライヴで伝えるためには、明確な言葉がいいと思う。でも『とにかく分かりやすく』なんてことは思ってない」     ■噛んで含んで、という表現ではありませんね。   ILL-BOSSTINO「そこもバランスだよね。その匙加減は昔より考えてる」     ■“REQUIEM”や“THERE’S NO PLACE LIKE JAPAN TODAY”など、ポリティカルさや歴史観を提示する部分も今作では印象に残ります。しかし現状、そういった発言をする“コスト”というのは、SNSの発展などとリンクして、非常に高くなっていますが、それでもそういった言説をラップに乗せる理由は?   ILL-BOSSTINO「書かざるを得ないってだけだね。『それ、違うんじゃね?』って思ったら言わないと。黙ってるとYESになっちゃうしさ。でも、2枚組の妙っていうか“THERE’S NO PLACE LIKE JAPAN TODAY”だけを聴くと、いわゆる反体制、ちょっと左側の視点って感じる人もいるかもしれない。その次の“REQUIEM”を聴くと保守的だったり、右側って感じる人もいるかもしれない。そういう風に、自分の中に相反するものがあって、それが自分の愛国心であり、国家との結びつきだと思うんだよね。その思いを簡単に切り分けて言い争いしてる人たちもいるけど、俺の中では両方の感情があるし、そんな簡単なものではない。だからこそ、左だけなら左だけ、右なら右だけの表現で留まって表現してしまうと曲解されるし、危うい表現になってしまう。でも、曲数が多いことで両方の感情をアルバムに入れることが出来た。それはこの2曲だけじゃなくてね」     ■それは“HIGHER ON THE STONE”の「愛し憎む/憎み愛す/我が祖国」という言葉で回収されていますね。そういった相反する感情という意味では、フッドである札幌のことを描きながら、一方で放浪者であったり、マージナルな存在であるとも自分を規定したり、願望していることも興味深いです。   ILL-BOSSTINO「そうだね。『それが俺だ』って定義してるんだろうね」
■“TRAINING DAYS”の中では「あのライン」をサンプリングしていますね。BOSSさんのソロ“44 YEARS OLD”でのYOU THE ROCK☆との客演に続き、この曲とグループ間に起きたビーフ(とリスナー的には思われたもの)との関係性を考えると、非常に感慨深いものがあります。   ILL-BOSSTINO「このラインが出た当時から『これはBOSSのことを歌ってるんじゃないの?』っていろんな人間に言われたんだけど、当時の俺は上手く受け取れなくて、ちょっと面倒な流れを作ってしまって……。ただ、みんな知ってる通り、この何年間の間に彼とも直接会って、握手して、面と向かって話した。その上でこのラインを使ったんだよね。それに、昔の曲のラインをコスッて使って、あの一言を入れただけなのに、いろんな感情が沸くでしょ。HIP HOP好きならこのスト-リーに反応してくれると思うし、そういう文化であるHIP HOPって超ユニークだって改めて思ったよね」     ■一方で“AGED BEEF”のように、MCバトル・ブームに対する考えも表明されていますね。   ILL-BOSSTINO「そこも完全にさっきの話と連鎖してて。俺らはそうやって(ビーフを仕掛けて)出てきた人間だから、なにか事を仕掛ける人に対しては何も言えねぇ。でも、20年前に彼やYOUちゃんに対して俺が吐いた、若さに任せた邪悪な言葉、それを清算するのに — 簡単な一言だよ — 20年かかったわけだ。そのときの俺には、俺なりの正義や言い分があったし、その気持ちでその言葉を吐いたのは事実。だから、全面的に謝罪するということはない。でも、その自分が吐いた言葉を背負って、その相手にその思いを清算するまでに20年かかってしまったことも事実。彼の言葉を自分としてちゃんと受け止めて、それを返すまでに20年かかってしまった」     ■決して短くはないですね。   ILL-BOSSTINO「それと同じような邪悪な言葉 — 『殺す』とか『死ね』っていうもっと直接的な邪悪な言葉を、抽選だったり、運営側が決めた相手に、MCバトルだから/ゲームだからってぶつける現状がある。それは俺にとってはすごく恐ろしい。毎週毎月、どこかでラッパー同士が『殺す』『死ね』って言い合ってる。その言葉を、これからお前らはどう清算するんだよ?って。『ゲームだから』って言うなら、逆にそのラップ/言葉はそんなに軽いのか?って。MCバトルに違和感を持ってるのはそこだよね。もちろん、R-指定レヴェルのフリースタイルを観てしまうと、俺はリリックに打ち込むしかないと思わされる。般若とR-指定の『フリースタイルダンジョン』のラスト・バトルなんて、最高だったよ」     ■あのバトルは、バトルの健康的な側面が出ていましたね。   ILL-BOSSTINO「でも同時に、初めて会うような相手に『殺す』『死ね』って邪悪な言葉をぶつけあうバトルもあって、それを見て客も盛り上がる。そして、『それがHIP HOPだ』というそのシステム。そこに対しては、やっぱり……俺は黙ってられないね。俺には俺の言いたいことがあるから、言っただけ」     ■だから、単純なブーム批判だったりとか、バトル批判っていうよりは、そのシステムへの視点で書かれていますね。   ILL-BOSSTINO「『システムや運営側にいいように戦わされてるんじゃねーぞ、お前ら』って。ローマ時代のコロシアムみたいな残酷なことをやらされてるし、やらせてるよ。みんな気付いてないよ、その重み、傷の深さに。でも、みんな稼ぎたいし、有名になりたいし、腹も減ってる。だから、バトルに出てその手に掴みたいっていうのも分かる。でも、一方でそれを餌にしてバトルをやらせてる側は、とても残酷だよ。それに、やらせてる側も、みんなどことなくクエスチョンは持ってる筈なんだよ。そこまで無邪気じゃないと思うし、どこか一抹の痛みなり、疑問があるはずだと、俺は勝手に思ってる。それでも、結局それをやらせてるなら、意外と罪深いぜ。しかも、そういう状況がデフォルトになって、若い子たちがずっとがバトルで起こることを全て正義だと思ってしまって、『これこそHIP HOP』って言って出てきたら、誰が責任取るの?って感じだよ」     ■そういった危機感は、非常に強く出ていますね。   ILL-BOSSTINO「危ういよね。すごく危うい」     ■アルバムを“今日無事”と“MAKE IT LAST FOR…”という2曲で終わらせられますが、この2曲でこれまでのアルバムの言葉が収斂していく感触がありますね。そして、その言葉は完全にリスナーに開かれている。   ILL-BOSSTINO「そうだね。独り言では終わってないし、独白ではないね。それはやっぱりライヴをやって人前に立っているし、自主制作だからこそよく分かることかもしれない。どれくらいの人間が支えてくれてるかが分かってるし、そういう人のおかげで好きなことが出来て、求人情報誌は買わないで済んでるよ(笑)。そして、そういう人たちと一緒に上がりたいよね。本当に大切に思ってるし感謝してる、みんなのことは」     ■2枚組という形で自分たちを総括しつつ、ネクスト・フェーズを見据えた上で伺いますが、そのネクスト・フェーズはどういう形になりそうですか?   ILL-BOSSTINO「今までの経験上、ここから何百本とライブを重ねて、この曲たちがそこで鍛えられて、完成形に近づいていくと思うんだよね。アルバム出たばっかりのコイツら(楽曲たち)はまだ赤ん坊みたいなモンで、ここから成長していくんだと思う。そして、その鍛錬が終わったら、次に進むんだろうね。だから、いつものパターンだよ。ライヴをして、吸収して、その先に進む、っていうさ」   O.N.O「作り終わったばかりなのに、もう毎日ビートを作り始めてるしね。だから、まだまだ行けると思う。それはTBHに向けてもそうだし、自分のソロとしても。他のラッパーにも曲提供したいしね。DJで使いたい曲もなかなか売ってなかったりするから、そうなると、もう自分で作ったほうが早いと思うし、作り続けるしかないよね(笑)」     ■最高ですね。「欲しい音源は自分で作るしかない」という。   ILL-BOSSTINO「基本だね、俺らの(笑)」     ■それだけクリエイトすることが楽しい、というか。   ILL-BOSSTINO「そうだね。俺たちは相変わらず、HIP HOPの青春真っ只中だからさ(笑)」
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2019/08/24 餓鬼レンジャー ”ティンカーベル 〜ネバーランドの妖精たち〜” Interview
「5人集まってグループを継続して、定期的にアルバムを出すっていうのは、今のご時世かなりハードルが高いと思うんですけど、このやり方でOKならば、それも乗り越えられるのかな、って」 -- ポチョムキン
 いきなり私事で恐縮だが、Creepy NutsのR-指定と『Rの異常な愛情』というトーク・イヴェントを定期開催している。その中で、如何にR-指定が餓鬼レンジャーから影響を受けてきたかというのは、毎回のように語られるし、第三回では丸々一回を『テーマ:餓鬼レンジャー』として開催し、3時間以上かけても語り尽くせなかった程である。そして、R-指定だけではなく、彼ら世代のラッパーに話を訊くと、かなりの確率で餓鬼レンジャーからの影響であったり、お手本にしていたのが餓鬼レンジャーだったという話が登場する。    事程左様に、餓鬼レンジャーはレジェンド・グループであることに間違いはない!……のだが、やはり新作「ティンカーベル 〜ネバーランドの妖精たち〜」から流れる、その「レジェンドなのに……」感は、レジェンド枠に行くことを自ら放棄してるのではないか?という疑念さえ湧いてくる。    もちろん、豪華且つフレッシュな客演陣の参加は、彼らのプロップスの高さ故であることは間違いない。そして、今回のアルバムの内容精度の高さも、やはり餓鬼レンジャーだからこそ、なのではある。    しかし、異常に丁寧に作られたスキットや、急に不安な世界観を提示して終わるエンディングなど、その一筋縄では行かない感じというか、一筋縄でいかせることへの“照れ”、しかしとんでもないレベルのスキルとトラックを感じると、やはりこの感覚こそ餓鬼レンジャーなのだ!と思いを新たにする。    餓鬼レンジャーはレジェンド枠にふんぞり返らず、常に現役で突っ走る!   「いや、レジェンドだって崇めてくれていいんですけどね」(ポチョムキン談)
(本インタビュー、YOSHIは欠席) インタビュー:高木“JET”晋一郎  
■今回のアルバムは、資料によるとコンセプト・アルバムという切り口ですね。   ポチョムキン「4月20日に行なわれた『餓鬼園祭』というフェスがありきで、アルバムのコンセプトを立てたんですよね。それもあって客演も多くて」   GP「そしてお気付きの通り、YOSHIくんの参加率が低いという(笑)」       ■リーダーなのに(笑)。   ポチョムキン「一番スケジュールが取れないんで(笑)」   GP「実際、YOSHI君は大阪在住なんで、スケジュールが現実的に切りにくいっていうのもあるんですよね」   DJオショウ「でも、メンバーが揃わなくても作品を完成させるっていうスキルはかなり高まってる。それはYOSHI君が参加してない楽曲もあるけど、『餓鬼レンジャーという看板』は全曲が背負ってるからじゃないかな」   GP「楽曲の題材や歌う内容は『餓鬼レンジャーらしさ』を考えているんで、そうなっていきますね。あと、『誰が聴いても傷つかない』っていうアプローチは保ちたい」       ■特に再始動後の餓鬼レンジャー楽曲はそういったアプローチになってますね。ボースティングも“ちょっとだけバカ”での「ただラップが日本一現状」のように単純に言い切ってしまうというか。そこで何かと比較したり、何かを貶めて、自分たちを上げるものではない。   ポチョムキン「今の餓鬼レンジャーにそういうのはないですね、随喜と真田2.0の“☆T.O.B.E.R.A☆ feat DARTHREIDER YOSHI”とかで人を傷つけてきましたから……」   GP「ウ◯コを投げる曲(真田人“手乗りウンチョほーり投げ運動 feat. ポチョムキン”)も作ってるしね」       ■真田人さんと一緒に作ると人を傷つけてしまう、と(笑)。そんな真田人さんとグループを組んでいた(る?)オショウさんはどう思いますか?   DJオショウ「70ぐらいからウ◯コ投げてもいいんじゃないの?不良爺さん、みたいな」   GP「ウ◯コ投げるのは不良なの?(笑)」       ■70超えてウ◯コ投げるのはまた別の原因……ってどういう話ですか!   GP「アルバムのサイズ感的にもちょうど良いよね、今回は。ぱっと聴ける、っていう」   ポチョムキン「40分ぐらいでまとめるのが、今のムードなのかな?とも思ったし」   GP「ただ、外せないポイントは“スキット”。今の時代、サブスクでプレイリストで、っていう聴き方が多いから、スキットやイントロの必要性は弱まってるかもしれないけど、餓鬼レンジャーはそこにこだわりたい」   ポチョムキン「今回も1曲につき1スキットは作ってるんですよね。そして、その中で採用されたのが、今回の“ニート合唱団 ~Intro~”と“妖精VS人間 ~Skit~”」       ■かなりふるいにかけましたね。   GP「毎回作品を作って思うのは、オショウとポチョムキンの演技力がかなり上がってた、と(笑)」   ポチョムキン「これから餓鬼レンジャーを聴く人には、このアルバムやベスト盤(「WEAPON G」)も聴いてほしいけど、『なにか1曲』と言われたら、“妖精VS人間 ~Skit~”。これを聴いてくれれば、餓鬼レンジャーの全てが分かる(笑)」   DJオショウ「妖精の声はポチョムキンで間違いないんですけど、人間の声は僕じゃなくて、構成作家の須藤陽平さんなんですよ」   ポチョムキン「須藤君はサンドウィッチマンのネタとかを一緒に作ってる人で」   GP「『スキットを録るための日』っていうのをレコーディング日程に入れてるからね(笑)。だから、次のアルバムはスキット集かもしれない。スキット・アルバムを出したHIP HOPグループはいないでしょ」   ポチョムキン「ミュージシャンでいないでしょ」       ■『スネークマンショー』ですよ、それじゃ。でも“咲坂と桃内のごきげんいかが1・2・3”を考えると、日本のラップ文脈では正統派なのか……(笑)。今回の楽曲ごとのコンセプトはどのように決めていったんですか?   GP「曲制作の分担も決めたんですよね。『この曲はポチョが』『この曲は僕が』みたいに、楽曲ごとにイニシアチヴを握る人を決めて」   ポチョムキン「その上で“クライマックス”だったら、『餓鬼園祭のラストで披露しよう、YOSHIくんだったらやっぱり韻で』みたいにコンセプトを立てていって」   GP「それぞれがリーダーとして曲の制作を進めていったんで、そこで作品のヴァラエティが結果的に出たという部分もあると思いますね」   DJオショウ「根っこは餓鬼レンジャーなんだけど、コンピレーション感が出たとしたら、その部分が影響してるかもしれない」   ポチョムキン「だから、『メンバーそれぞれのフィルターを通した餓鬼レンジャー像』が楽曲に反映されているという部分もありますね」   GP「確かに客演が多いから、クレジットだけ見ると分散してるように思えるかもしれないけど、聴いてもらえればそこも違和感はないと思いますね」
■そう言っても、2曲目“チクショー!! feat. あっこゴリラ & コウメ太夫”からして、コウメ太夫さんという超変化球が登板してるじゃないですか。   GP「でも、ジャンルで言うとオショウと一緒なんで」   DJオショウ「和服ってこと?」   GP「いや、雰囲気(笑)」       ■変化球枠(笑)。   GP「コウメさんの意識はマジで高いですよ。私服で来たんだけど、レコーディングは白塗りして和服に着替えましたからね」       ■「チクショー!」を言う体勢を整えて(笑)。   ポチョムキン「高島田のカツラを付けてるから、ヘッドフォンが付けられないというアクシデントもありながら(笑)」   DJオショウ「『チクショー!』までに至るネタも、フリースタイルで何本も考えてくれて」   ポチョムキン「ボツになったんだけど、ブースで急に『タコ頭~』っていうネタを歌いだして、それは餓鬼レンジャー関係ないな……と思ってたら、エンジニアのDJ MO-RIKI(DOSMOCCOS)の頭を見て生み出してたという(笑)。で、根本的にはこの曲は何か印象的なフレーズをもとに曲を広げようっていうのがテーマだったんですよ」   DJオショウ「AKLO “New Days Move Remix feat.SALU, STAXX T(from CREAM), KOHH, SHINGO★西成”での、KOHHの『うるせー!』みたいな感じで」   ポチョムキン「その路線で考えたときに、もっと破壊力のある言葉は……『チキショー!』じゃないかと。それが思いついたんで、そこはコウメさんにオファーしたんですよね」   GP「餓鬼レンジャーはありがたいことに、くりぃむしちゅーさんとかケンドーコバヤシさんとか、いろんな芸人さんと絡ませてもらってきてるんで、今回も芸人さんに登場頂くのも自然かな、って。ただ、ポチョムキンとコウメさんだけっていうのもなんなので、もうひとり客演のラッパーが欲しいなと思ったときに、あっこゴリラが浮かんだんですよね」   ポチョムキン「ゴリさんでこのテーマはバッチリじゃないかと」   DJオショウ「女性ラッパーの中でもちょっと他のアーティストとは違う尖り方をしてるから、その感覚はこの曲のテーマにもフィットするだろうな、って」   ポチョムキン「そしたら曲のアイディアもバンバン出してくれて、フックも歌ってくれて。あのパートがあるとないとじゃ、全然感触も変わったと思うし、勢いを感じましたね」       ■オショウさんが作ったトラックですが、ラストが急に4つ打ちになるのが完全に意味が分からなくて。   GP「俺も分からない」   ポチョムキン「俺もわからない」   DJオショウ「え~(笑)」   ポチョムキン「とりあえず爆笑したけど」   DJオショウ「まあ、勢いがある感じで!(笑)」     ■“ちょっとだけバカ with Creepy Nuts”は、予てから餓鬼レンジャー・ファンを公言していたCreepy Nutsが遂に登板しましたね。   DJオショウ「Creepy Nutsの2マン・ライヴの対バンで僕らを呼んでくれたときも、ホントにリスペクトしてくれて。あんなに売れてんだから、もっと粗雑に扱ってくれてもいいのに」   ポチョムキン「よくないだろ(笑)」       ■それはオショウさんの性癖でしょ(笑)。   GP「対バン・ライヴの会場が福岡だったんですけど、彼ら主宰っていうこともあってか、完全にアウェイな状況だったんですよ。でも、お客さんがとにかく盛り上がってくれて、それはCreepy Nutsが僕らをリスペクトしてくれてるのが伝わってるからだろうし、ファンはアーティストを写す鏡だな、と。ただ一部のリスナーは、YouTubeに上げた“ちょっとだけバカ”のMVのコメント欄に、『R-指定もどきが両サイド(GPとオショウ)にいる』って書き込んでて」   ポチョムキン「ヒゲとロン毛で。GPとオショウがR-指定に寄せてったと思われてる」   GP「そういう心ない声が(笑)」   DJオショウ「俺らの方が先輩だっつの!(笑)」   GP「まあ、それは冗談だけど、R-指定の名前は早々に挙がってたし、R-指定だけじゃなくて、Creepy Nutsに客演してもらおう、と。っていうのも、餓鬼レンジャーの4人も、Creepyのふたりも、賢くもないけど極端にバカでもない、ちょうどいい、ちょっとだけバカ寄りなんじゃないかな?と。それをテーマにして」   DJオショウ「まあ、等身大ってやつですよね」   ポチョムキン「共通項考えてて、いろんなキャラが立ったラッパーの中では割と普通の部類ではあると思うので、そこで普通とか平凡をテーマにしつつ、あれこれ考えてる内に、普通、っていうかちょっとだけバカってことになりまして(笑)。だからこそ成し遂げれる夢がある、と『馬鹿げた夢ならお互い様』というワードでギュッと締めようと」   GP「オケも最初はTRAPで、次はレゲトン、最後はレゲトンにP・ファンクのコード進行とか、二転三転していったんですよ。でも、そういういろんな要素が絡まったら、餓鬼っぽくもあり、Creepyっぽくもあるトラックに落ち着いて」       ■ポチョさんのラップが、被せで回収するというTRAPでのラップの構成に近いのは、それが影響してるんですね。   ポチョムキン「ライヴだと、YOSHI君やRがその部分を歌ってくれても面白いし、って。松永にもちゃんとシャウトしてもらって」   DJオショウ「スクラッチじゃないのか!っていう突っ込みを待ってます(笑)」     ■どの曲も豪華ですが、その中でも“キューバ・リブレ feat. Mummy-D, RYO-Z, LIBRO & DABO”は屈指の豪華さですね。   ポチョムキン「まず、RYO-Z君とLIBROとで、一緒に曲を作ろうって盛り上がってたんですよね。それで制作を進めていく中で、DABO君にもヴァースを蹴ってもらって、『フックをDさんがやってくれたらヤバイよね』って構成が固まっていって。ただ、Dさんにオファーしたときに、『テーマは?』って訊かれたんだけど、実はしっかり固まってなくて。それで、『……“FUN”っていう感じなんですけど』ってすごくボンヤリしたテーマを返したら、それを見抜かれたのか、あの酒テーマが返って来て、『ありがとうございます!いただきます!』と(笑)。RHYMESTERは、会う度に『コラボしたい』って話を15年以上言い続けてて、それが今回、Dさんだけとはいえ、やっと絡めたっていう感動はありましたね」   GP「やっぱり、餓鬼レンジャーとLIBROは相性いいよね」   DJオショウ「スキルフルで豪華なMC陣をこれだけ入れて、よくまとまったと思うし、LIBROさんのトラックも大きいよね」   ポチョムキン「良いビートと良いラッパーがいれば、集めたりまとめたりっていうネゴシエーションの大変ささえ乗り越えれば、間違いない曲が出来るんで、っていう安心感もあって」       ■“夢で逢いましょう feat. 鶴亀サウンド”もLIBROさんとの共作ですね。   GP「ポチョは本気で歌ったよね」   ポチョムキン「歌った。フックはWATTが作ってくれたんですけど、それも綺麗にハマって。ミックスも試行錯誤しました、ふざけなくて作ろうと。それに、寝るのって大事ですよ、ホントに(笑)。そのメッセージは万人に伝わると思う」   GP「バンド系の人からも評判が良いよね」   DJオショウ「アンテナを張り巡らせてるリスナーにバシッとハマってる感じがする」       ■シティ・ポップ文脈も感じるし、「今の空気」がありますよね。   DJオショウ「だからここで言いたい。『単なるおっさん集団じゃねえぞ!』って」       ■誰もそこまで言ってませんよ(笑)。   DJオショウ「『R-指定のニセモノじゃねえぞ!」と」       ■YouTubeのコメントを根に持ってどうするんですか。   GP「でも、この曲もMV作ってYouTubeとかに上げて、もっと広めたいよね」   ポチョムキン「作りたいんだよな~。餓鬼レンジャーを聴いたことのない、世の中の9割の人にハマってくれればなと(笑)」
■“ランジェリー feat. Cherry Brown & なかむらみなみ”はかなり尖った音像と内容で構成されてますね。   ポチョムキン「まず仮のトラックに乗せて録ったラップをCherryに送ったら、こういうバイレ・ファンキっぽいトラックが上がってきて。このテーマに乗ってくれて、且つカッコ良い女性ラッパーは……『みなみちゃんどうですか?』ってCherryが提案してくれて、そういうセッションみたいな感じで組み上げていったんですよね」       ■この曲のなかむらみなみのラップは、キャラ立ち含めて素晴らしいですね。   ポチョムキン「餓鬼レンは客演を輝かしたいと思ってるんで、そう思ってくれれば最高だし、これをキッカケに更に羽ばたいてくれればなと」   DJオショウ「そして恩返ししてほしい(笑)」       ■急な打算が(笑)。   ポチョムキン「でも、下ネタが入ってる曲って今回はこの曲ぐらいなんですよ。それもどぎつくないでしょ?」       ■そうですね。“On The Bed feat. m.c.A・T”での擬音とラップで性行為を表現するようなプログレッシヴすぎるアプローチはないですね。ある意味、餓鬼レンジャー名物的な下ネタを入れなかったのは?   ポチョムキン「なんというか……おじさんが下ネタ言ったら嫌われるんじゃないか?って(笑)“On The Bed”ぐらい行き切っちゃえばいいんですけど。自分でも楽しめる塩梅でやりたいですね」   GP「でも、“ランジェリー”は楽しめるよね」   ポチョムキン「キャッチーだからね。あと『ラクダのつま先=Camel Toe』という新しい英語エロ表現も知れて、勉強になる(笑)」     ■ライミングに拘った“The Skilled feat. LITTLE & FORK”はYOSHIさん主導ですか?   GP「そうですね。この曲のインストを配布したら、各地のライマーが沢山リミックスをアップしてくれて。この時代でも韻が大好きな人ってこんなにいるんだなと思ったし、みんなそれを楽しんでくれるんだなって」       ■『Rの異常な愛情』で、R君はこの曲について「3人ともいろんなパターンの韻の踏み方が出来る人なんですけど、この曲だとYOSHIさんは母音で固く長い音で踏んでいって、LITTLEさんは『どうしたんだ』『動詞ばっか』みたいに、語感や流れでも踏んでいく。FORKさんは子音とそこに繋ぐセンテンスのプロセスで気持ちよさを生むみたいな。三者三様の踏み方としてるんですよね」と分析しています。   ポチョムキン「共通してるのは、FORKの『まさに時代に逆行ベンジャミンバトン』や、LITTLEの『絶滅危惧種』みたいに、韻が好きなこと自体がもう古いかもしれないし、そんなオールドスクールの自分たちだけど、これだけプライド持ってやってます、っていう矜持ですよね」   DJオショウ「ホント頑固職人っていう感じのね。俺のトラックも、頑固職人な感じで、真正面から“Apache”を使って、大ネタで勝負しましょう、と。でも、僕らはベタだと思���ても、若いリスナーには逆に新鮮だったりして、それも面白かったですね。そして、ポチョムキンも隠れハード・ライマーということは言っておきましょう」   ポチョムキン「よくぞ言ってくれ��した!“蘇生島”の俺のヴァースは、“The Skilled”に負けないぐらい踏んでるんで」   GP「『韻はYOSHI』って言われることを、ポチョは気にしてると思うんだよね(笑)」   ポチョムキン「俺だって韻踏めるんだぞ!なんなら固いぞ!と(笑)」       ■“蘇生島”は餓鬼レンジャーのみで構成された曲ですね。   ポチョムキン「制作の最後に作ったんですよ。アルバムを組み上げてみて、YOSHI君の登場が少ない……というより、餓鬼レンジャーとしての曲がないぞ!と気付いて(笑)。トラックがゾンビや呪術を感じるものだったので、それを元に“リボーン”みたいなテーマで進めていって。時間がなかったから、韻先行で作ったんで、韻が固いということもあります(笑)」       ■“NJな夜 feat. 伊藤沙莉”はタイトル通り、ニュー・ジャックがテーマですね。   ポチョムキン「ニュー・ジャック・スイングとかブレイクビーツみたいに、おじさんを隠さないけれども、それを先端にするのも餓鬼レンジャーだと思うんですよね。アラフォーが聴くとグッと来るだろうし、若い世代にもポップに楽しんでもらえるかな、って。沙莉ちゃんが今回は踊れて、歌っぽい方向がやってみたいって話してたので、その方向で進めていって」   ポチョムキン「本人が踊れるからね」   GP「それでポチョにも、歌ものニュー・ジャックによくある、ちょこっとラップが入るぐらいの塩梅で参加してもらって」       ■そして、本編は“クライマックス feat. shohey”で一旦幕を閉じます。   GP「“ONE”とか“Strong Island”みたいな、熱いメッセージのある一曲にしたいな、と。そこで熊本の後輩であるTHREE1989のshoheyを招いたんですよね」   ポチョムキン「熊本地震があったときに、“サンバおてもやん2016 feat. 水前寺清子, コロッケ, ポチョムキン from 餓鬼レンジャー & 高良 健吾”っていうチャリティ・ソングを作ったんですよ。そのプロジェクトの制作にもshoheyは参加してて、水前寺清子さんにディレクションしてるんですよ(笑)。もっと言えば彼が大学生ぐらいのときから知り合ってて」   GP「だから『テラスハウス』で彼がブレイクする全然前」   ポチョムキン「それをキッカケに、俺も『テラスハウス』観て、普通に楽しんでた(笑)」   DJオショウ「良い意味で中性的な、気持ちの良い、耳に優しい声だから、この内容にフィットするよね」   GP「ポチョのリリックで泣いたっていう声も多いよね。エロとかバカっぽいイメージが餓鬼レンジャーにはあるけど、意外と良いこと歌ってるんだぞ、と(笑)」       ■ただ、その涙が“妖精VS人間 ~Skit~”と“ティンカーベル♪”で引いてしまうんですが(笑)。   GP「タイトル曲がない事に気づいて“ティンカーベル♪”を作ったはいいんだけど、置き場所がなくて、ボーナス・トラック扱いになるという(笑)。ポチョが全部リリックを書いてくれて。で、HABANERO POSSEのBINGO君が最近熱いって言う、アフリカのGqom(ゴム)っていうビートを元にトラックを作ってくれて」   DJオショウ「唯一のメンバー全員のマイク・リレー曲」   ポチョムキン「ただ、この曲はライヴで絶対に再現できない。最後にきてライヴを想定してない曲が入ってくるという」       ■全曲解説的にお話を伺いましたが、これからの動きを教えてください。   ポチョムキン「5人集まってグループを継続して、定期的にアルバムを出すっていうのは、今のご時世かなりハードルが高いと思うんですけど、このやり方でOKならば、それも乗り越えられるのかな、って」   DJオショウ「愛情とアイディアをしっかり持ち寄れば、生活スタイルの違いで寄り合うことは難しくなっても、新しいアルバムは出来るんだな、って」   GP「これだけやれてるのが奇跡ですよね。ワンマンとかフェスが出来てるのも嬉しいし、このメンバーで動くのはやっぱり楽しいな、って」   DJオショウ「解散の危機にあるグループは、これを聴いてほしいですね」       ■それはマイカデリックのことですか?   DJオショウ「あそこは解散もなにも……そもそも真田人と連絡が取れないし」       ■急にショッキング情報が。   ポチョムキン「まあとにかく、アルバムっていう単位になるかは分からないですけど、作り続けていくとは思いますね。出したときに現役感さえあれば大丈夫だと思うので」   GP「でも、流石にポチョとYOSHIの2MCの絡みが少なかったんで、次はもっと増やしたいよね」   ポチョムキン「ね。R-指定もそう言ってたけど、やっぱりそれを期待してくれる人が多いなら、それに応えたい」
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2019/06/04 ANARCHYによる”The KING” 全曲解説
「参加してくれたラッパー全員の気持ち -- みんな、自分の人生を切り売りして身を削って、自分をさらけ出しながら作ってる。そんなのラッパーだけやないですか。そこが、他のジャンルにはないHIP HOP/ラッパーのヤバイとこやと思う。だから、このアルバムでは『俺の価値』というより、『ラッパーの価値』を示したかったんです」
 ANARCHYのキャリアについて語る際に意識しなければいけない点として、彼は常に「(自分にとって)新しいことに挑戦する」というテーマを持ち続けているということが挙げられる。    振り返ると、「DIGGIN’ ANARCHY」(2011年)でMUROが全曲のプロデュースを手がけたことや、BILLBOARD LIVEでフル・バンド体制のワンマン・ライヴを敢行したこと、「DGKA (DIRTY GHETTO KING)」(13年)をフリー・ダウンロード形式でリリースしたことや、その後のメジャー展開や前作「BLKFLG」(16年)で30分近くに渡るショート・ムーヴィーを制作したことなど、彼が発表するプロジェクトには、常に何かしらの「新たな挑戦」が行なわれている。好奇心が旺盛で、良くも悪くも(?)飽きっぽい性格とも言えるANARCHYにとっては、こういったチャレンジは、彼がモチベーションを保ち続ける上で重要な要素なのだろう。    2年振りに発表されたニュー・アルバム「The KING」でもその意識が健在であることは、誰の目にも明らかだ。今作のリリース発表時に話題になった点としては、まず、フィジカル(CD)盤の価格が1万3,000円という点だろう。過去にも、先日凶弾に倒れ亡くなってしまったLAのラッパー:NIPSEY HUSSLEがミックステープ・アルバムを100ドルで販売したことが大きな話題を呼んだりしたことはあるが、当時はインディ・アーティストだったNIPSEYと違い、メジャー・レーベルに所属するANARCHYにとっては、かなり大胆且つ、ビジネスとして考えるとリスクもある価格設定だ。    そしてもう一点は、アルバム冒頭を飾るタイトル曲以外の楽曲全てにフィーチャリングを入れたコラボ・アルバムという仕様。ANARCHYは、自分のアルバムではノー・フィーチャリングで臨むという拘りを持ち続けるタイプのラッパーではなく、これまでも要所で様々なアーティストを客演に起用してきたが、(ほぼ)全曲に客演を入れるコラボ・アルバムという仕様もなかなかの振り切れ方だ。    今回のインタビューでは、多彩な面々が一同に会した「The KING」を全曲解説形式で語って頂き、初監督を務め、今年の公開が予定されている映画『WALKING MAN』のような、今後の「新たな挑戦」についても語ってもらった。 インタビュー:伊藤雄介(Amebreak)  
■アルバムとしては2016年に「BLKFLG」をリリースして以来の新作ですね。今作は、いろんな意味でトピックが豊富なアルバムだと思います。まず、出発点としてはどんなアイディアが生まれて「The KING」の制作に向かったんですか? 「出だしは、そこまで深く考えてなかったです。例えば般若君との“Kill Me”なんかは1年以上前に作った曲で。『ちょくちょく作っていったらフィーチャリング・アルバムみたいなのが出来るやろな』みたいな感じではいたんですけど。(当初は)全曲、フィーチャリングを入れようとまでは考えてなかったけど、いろんな人と演りたかったし、この後に向けてのヴィジョンもちょっとあって、今回はその方向性をやり切りたいな、って。そこで、『いろんな人と演ろう』ってとこで、ちょくちょく長い期間をかけて作っていきましたね。こんなに長い期間作ってたことは、これまではなかった。いつもは3~4ヶ月ぐらいで作るのが、今回は1年ぐらいはかかりました」   ■「BLKFLG」にもいろんなラッパーが参加していましたけど、前作の制作がキッカケでコラボ・アルバムを作りたい欲が生まれたんですか?それとも、単純に自分主導でアルバムを作り上げる作業に飽きていたとか? 「それ(コラボ)が面白くなったときやったんですよね。今まで、やりたかったけど出来なかった人が多くて。般若も自分のアルバムに入れたことはなかったし。『自分だけでは作れへんモノを作りたい』という想いはありましたね」   ■それは、「このメンツ/豪華さはANARCHYじゃないと集められないだろう」ということも含めての話? 「それは、最終的にそう思えるようになったんですけど、作ってるときはそこまでは考えてなかった。単純に、『この人と曲を作���たいな』っていうところで作っていって、曲が溜まったらアルバムにしようかな?みたいな」   ■これまでのアルバムの作り方だと、ある程度の全体像やアルバムのコンセプトに沿った曲を作っていかないといけないから、そこと合わなかったらいくら一緒に演りたい人がいたとしても出来なかった、という面もありそうですよね。そうなると、コラボ・アルバムの方向に振り切った方がいいですよね。 「昔から、コンセプトがあってまとまりのあるアルバムが好きだったし、これまでのアルバムにも客演は入れてたけど、『いろんな人がいっぱい参加しているアルバム』という発想がなかったんですよね。そういう意味では、今回は今までと全然感覚が違う。制作は、『楽しい』しかなかったですね。刺激にもなったし。いろんなラッパーと演るっていうことは“勝負”みたいに考える部分ってラッパーはあるじゃないですか?俺、そういう感覚は今作に関してはあまりなかった。一緒に誰かと演ることで、俺に出来ひんこと — IOと演るときは彼の方に寄せるし、MIYACHIと演るんやったら彼のスタイルを踏まえた上でのラップを書いた。『(客演アーティストに)合わせた』って言ったら変なんですけど、『良い曲を作りたい』っていうのが一番、キモでしたね。『俺(の存在感)が死んでもいいから』じゃないけど、俺よりカッコ良いヴァースが入っててもよかった」
■CD盤の価格が1万3,000円ということも話題ですよね。要するに、1曲=1,000円ってことだと思うんですけど、この価格設定にした理由は? 「ずっと思ってたことなんですよね。一回、自分の作品に自分で“価値”を付けてみたいな、って。音楽自体に価値は、やっぱり付けられないんですよね。例えばiTunesにも定価の設定が決まってたりするし、それは決められたルールやし、仕方ない部分もある。だけど、作った“モノ”には値段を付けることは出来るじゃないですか?」   ■本来、価格設定は自由な筈ですからね。 「絵を描いた人が『この絵は1億円です』って言ったら価格が1億円になるワケでしょ?オークションで値段が上がることもある。以前、LAURYN HILLのライヴを観に行って。そのチケットが4万円とかだったんですけど、『高ぇ~』と思いながらもチケットを買って観に行ったんですよ。だけど、ライヴ後の帰り道、『全然高くないな』って思ったんですよね。それって捉え方次第やし、『その値段を出したから良かった』と思うこともあるじゃないですか。洋服でも、10万円したジャケットやったら一生着るかもしれない。モノの価値に対する考え方って人それぞれやし、1万3,000円を『高い』と思って聴く人もいれば、より大事にしてくれる人もいると思うんですよね。多分、(CDを)飾っちゃうんじゃないかな?って(笑)。『CDはもう売れない』って言われてる時代な中でも、それでもみんな身を削って作品を作ってるし、MVを作るのに何百万円もかかったりする。だから、この価格なだけの価値は全然ある、と俺は思ってるんです。これからもコレを続けようとは思ってないですよ。一回やってみたかっただけ。あと、12人のラッパーとやったからこの価格に出来たんです。俺のソロ・アルバムだったらこの価格にしてなかったと思う。参加してくれたラッパー全員の気持ち — みんな、自分の人生を切り売りして身を削って、自分をさらけ出しながら作ってる。そんなのラッパーだけやないですか。そこが、他のジャンルにはないHIP HOP/ラッパーのヤバイとこやと思う。だから、このアルバムでは『俺の価値』というより、『ラッパーの価値』を示したかったんです」
01. The KING Pro. by COOKIN’ SOUL   ■本作では唯一のソロ曲ですね。一発目から、リリック的には最初に“カマシ”を入れてきてますね。 「一曲目にするつもりもなかったし、『アルバム最後の曲になるかな?』とも思ってたぐらいで。『The KING』っていうアルバム・タイトル自体も最初は考えてなかったんです。(ANARCHYを入れて)13人のラッパーが揃ってるから、トランプの13=キングとかけてこういうタイトルになりました。みんなが『俺が一番や』っていう気持ちを持ってやるじゃないですか、ラップって。そういう気分をもう一回掻き立てたかったし、俺がピュアなHIP HOP好きとして『俺が王様や。俺が一番カッコ良い』っていう想いを曲にしたつもりです」   ■ここまでハッキリと「俺がKINGだ」とボーストしている曲って、意外とこれまで作ってきてないですよね。 「ない……かもしれないですね。でも、『俺がKINGだ』って言ってるけど、実際にそう思ってるかと言ったら — みんながそう思ってておかしくないんじゃないかな?って」   ■ラッパーとしての心構えとして、ということですね。 「ああ、そうですね」   ■「般若とか漢やクレバじゃない/AK マッチョ ジブラでもない/KOHHやPABLOWにはちょっと早い/文句あったら電話ちょーだい」というラインがあって、リスナーはこの部分に一番反応するでしょうね。何だったら「ディスってるのかな?」って勘ぐる人もいそうです。 「うん、そう捉える人もいるだろうけど、ここで挙げてる人たちは意味が分かってるだろうから。このラインは、そのままの意味ですね、『俺(がKING)やぞ』って。でも、ここで挙げてる人たちもみんな、そう思ってると俺は思う。今、そうじゃなかったとしても『いつかそうなってやる』っていう気持ちでやってる人たちやと思う。『(このラインは)リスペクトだよ』ってことはインタビューではあまり言いたくないけど、分かってくれる人は分かってくれると思う。逆に、ここで挙がってない人の方がムカつくんじゃないですかね?そういう曲になってると思います」     02. Run It Up feat. MIYACHI Pro. by 理貴
■この曲は、今作の価格設定と一番リンクする内容の曲ですよね。 「MIYACHIのことは、自分の周りがまず騒ぎ始めて、まだ日本ではちょっと名前が知られ始めたぐらいのときに聴かされて、カッコ良いな、って。実際、会ってみたら良いヤツで。(ANARCHYのライヴDJを務める)AKIOが日本ではライヴDJをやってたんですよ」   ■そんな繋がりもあったんだ(笑)。彼のラッパーとしての魅力はどんなところにあると思いますか? 「やっぱり、向こう(US)でやってるだけあって、英語と日本語の使い方のバランスが良い。上手いこと使い分けられるのって難しいじゃないですか。あと、人が良い。日系人だから日本人的な部分があるけど、日本人に足りないモノも彼は持ってると思う。向こうに住んでてもカブれることなく、日本人の心も持ち続けてる。ハートが真っ直ぐだし、礼儀も正しいんですよ。スマートな感じで良いんすよね。彼とは日本で一緒に録りました。大体のリリックをまず俺が書いて彼に送って、内容を照らし合わせた上でこっちのスタジオで制作した感じです。一緒に制作した感想は、『耳が良いな』って。トラックの細かい部分についても『ここをこうしたい』って言ってきたし、拘りがちゃんとあって、音楽制作に対する姿勢とかもすごく良いんですよね」     03. Kill Me feat. 般若 Pro. by BACHLOGIC   ■ANARCHY名義の作品での共演は初めてですが、般若とは過去にも度々共演してきてますよね。故に、慣れている相手だったとは思います。 「この曲も、俺が先にリリックを書いてたんですよね。で、書いた後にすぐ『コレは般若だな』って思って。やっぱ、フリースタイル・シーンについても言ってる部分があるし、最近の若いヤツらに向けても言ってる。俺と般若が言うから意味のあることやと思ったし、だから“ラスボス”を引っ張り出そう、って。やっぱ般若と演るといつも刺激を受けますね。自分も良いのを書けたと思うけど、ラップとしてすげぇヤバイし、面白いし、録音している内にどんどん楽しくなってきました。スタジオ入ってすぐ『コレは絶対ヤバイ曲が出来る』って分かりました。スタジオでの般若はいつも通りですよ。ジョークとかを言う感じでもなく、ホンマにストイック。ラップはサラッと録るんですけど、制作に関しては本当に真面目な人ですね」   ■この曲でのANARCHY君も、だいぶぶっちゃけてますよね。「お前の家もみつけるから鍵をしめろ」「俺は簡単に人を殴れる」とか、だいぶ理不尽なことを言ってますね(笑)。 「(笑)まあ、誤解する人がいてもいいし、面白がってくれる人もいたらいいかな、って」   ■ギャグとして言ってるんですか? 「いや、本気ですよ」   ■……。 「まあ、カマシ入れとこかな、って」   ■釘を刺してる、と。実際、ここで言及されてる“フリースタイル小僧達”に何か不快な目に遭わされたことはあるんですか? 「いや、ないですね。コレは俺から仕掛けてますし(笑)」   ■自分からケンカ売ってるんかい(笑)。 「でも、『中途半端に口だけでやってるなよ』っていうことを伝えたくて。それなりの覚悟がなければ、他のラッパーについてあれこれ言うべきじゃないし。エンタメとしてならいいかもしれないけど、それじゃなかったら気を付けろよ、って釘を刺したかったし、『俺と般若も良い歳とってきてるけど、現役バリバリやぞ』ってことを伝えたいな、って」   ■「ラッパーなら吐いた言葉は自分でケツを持てよ」ということを言いたいんだと思うんですけど、フリースタイルに限らず、そういったような意識が薄れてきているように感じることはありますか? 「そうですね。薄れてる部分もあれば、俺らの世代にはなかったモノが濃くなってる部分と、両方あると思います。技術面とか言う内容に関しては。“Yes or No feat. SEEDA”で『それアリなん?』って言ってるように、『……でも、アリや』っていうモノもいっぱいある。『薄れてる』って言えばそういう部分もあるかもしれないけど、それだけが正解でもないし。コレは俺らの時代/世代の人たちの考え方なんで。結局は最後の般若のリリックのように『流行りのFLOWも良いけれど/出口は向こう/その前にオメー根っこの部分も知っとけよ』ってことなんですよね」     04. Where We From feat. T-Pablow Pro. by D BO¥$   ■トラックやフィーチャリングがT-Pablowというところからも、一番どゲットーというか、ストリートを感じる曲ですね。 「D BO¥$が最初に作ったトラックは、最初はもっとゲットーでしたよ(笑)。そこから更にアレンジしたりしてここまで持って行きましたけど。アレンジを加えて化けたから使おうかな、って。Pablowとは、2WINのときに一曲作ったことがあった以来ですね。サシでやったのも初めて。やっぱ彼は今、呼ばなダメっしょ。一緒に演りたい相手だったし、今やっとかないとな、って。自分自身と照らし合わせることが出来る — 同じような環境で育ったヤツだし、良い兄貴ヴァイブスも持ってるんで、スゲェ期待してるヤツのひとりです。この曲は、最初はフィーチャリングを入れるつもりがなくて、最初は普通に2ヴァース書いてたんですよね。で、ここに客演を加えるんだったらPablowかな、って」   ■T-Pablowの上がり方を見てると、やはり自分の若い頃と重ね合わせて見ていますか?それとも、若い頃と近いけど自分たちとは違う新世代感を感じることもある? 「ああ、新世代感を感じることはもちろんあります。でも、同じ部分もたくさんある。地元をレペゼンしたゲットーのヤンキーのボスじゃないですか。その共通点だけで感覚が同じになる部分があると思う。彼はちょっと不思議なところもあるんですけどね」   ■生真面目な部分は感じますね。 「はい。マジメなんか、そうじゃないんかよく分からない(笑)。変わりモンですよ、スゲェ」   ■そうANARCHY君が言うんだから、相当変わりモンなんでしょうね(笑)。 「(笑)『イマドキやな』って思うときもありますけど、最近の若い世代には珍しく、『ちゃんと男の子してる』というか、そういうところがカッコ良いですね。最近はあんまり一緒に遊べてないですけど、東京の方に彼が来たら連絡くれたりもするし。BAD HOPの武道館ワンマンも行きました。ああいうのを観ると羨ましさも感じるし、ああいうヤンキーたちがあそこまで大きいステージに立ってるってだけで“アゲ”じゃないですか。彼らぐらいの年齢の俺には出来なかったことだし」     05. Dirty Work Remix feat. ANARCHY / AKLO Pro. by BACHLOGIC   ■以前にリリースされたAKLO名義の楽曲を再収録していますね。そもそも、どんな経緯でANARCHY君が参加することになったんですか? 「『リミックスに参加してください』って言われて、『やりましょう』みたいな感じで。トラックを聴かせてもらったらBACHLOGICで、トラック自体もヤバかったから、やりたいな、って思いましたね。その時点から、いろんな人とコラボしたいと思っていたタイミングだったから、『俺のアルバムにも入れていいなら(参加する)』ということでやった曲です」   ■AKLOは、この曲以前はあまり接点がなかった相手ですよね。 「そうですね。一緒に演るときが来るともあまり思っていなかった。彼は同世代だから、���う考えると不思議ですけど。でも、彼から誘ってくれたのは嬉しかったですね。コレは彼発信の曲なんで、俺がそこに乗っかったっていう感じですかね」   ■シーン屈指のテクニシャンという定評があるAKLOと共演しての感想は? 「やっぱ、上手いんですよ。具体的に、リリックのどこに食らわされるという部分じゃなく、全体的にスタイリッシュやし、自分にないモノを持ってる人だと思います」
06. The Professional feat. IO Pro. by KM   「IOとは現場とかで会ってる内にいろんなところで遊んだりするようになって、ずっと気になってる人のひとりでした。共演という意味では、彼のアルバム『Mood Blue』に“This Time”という曲に呼んでもらったのが最初ですね。あのときは最初からトラックが決まってたし、彼のフィールドでやった感じやったんで、一回自分のフィールドでもう一曲作ってみたいな、って思ってたんです。トラックはIOに選んでもらって、ラップは俺から書きました。俺は、プロデューサーのKM君とはほぼ面識がなくて、IOの知り合いだったんです。テーマは……特にないんですよ(笑)。まあ、『ラップのプロっす』って感じですね(笑)」   ■誰でも自称ならラッパーになれるわけですけど、プロとアマの違いについてはどう考えてますか? 「どの業界でもそれでメシを食ってたらプロじゃないんですかね?意識的な部分もあるのかな?メシを食えてなくてもスキルが高ければプロなのかもしれないし。でも、ほとんど“アマ”ですよね。100人ラッパーがいたら、その内10人もプロっていますかね?ラップって、一番そこの線引きがムズいですよね」   ■プロのラッパーの条件としては、今日みたいにインタビューに遅刻しないというのも入れてほしいですけどね……。 「(笑)いや、『遅れる』は逆にプロ・ラッパーの条件です(笑)。アカンやつやな(笑)」   ■確かに、かなりの割合が遅れてきます(笑)。     07. Shine In The Life feat. Leon Fanourakis Pro. by COOKIN’ SOUL   ■LeonはANARCHY君主宰のONEPERCENT所属なんで、この起用も納得ですね。でも、彼は今作の客演陣の中では最年少じゃないですか? 「そうですよ。というか、今まで一緒に演ったラッパーの中でも最年少です」   ■彼を最初に知ったのは、彼が『高校生RAP選手権』に出場した頃ですか? 「そのときからカッコ良いと思ってたし、WILYWNKAもそうだったけど、バトルを見て『音源を聴きたい』と思わされたラッパーでした。日本の音楽を聴いてる感覚じゃないような、何を言っててもいいと思わされるんですよね。もちろん、今後は『刺さる』曲をいっぱい作っていってほしいけど。だけど、俺は彼ぐらいの歳にこんなラップは絶対出来ひんかった。これまで、10代でここまでスキルのあるラッパーっていました?良いラッパーはいっぱいいたと思うけど。もちろん、“上手さ”だけがラップのテクニックじゃなくて、『聴かせるラップ』が出来るかどうか、というのもテクニックだと思うんですけど、一聴して『カッケェ!』って思わせるのが大事だとも思う。これから1stアルバムが出るけど、それもどんな反響があるか楽しみです。この曲は『このトラックにLeonが乗ったらヤバイなー』っていうところから作っていったから、彼に寄せた曲ですね。だから、俺もLeonに合わせたラップをしてみました。言葉をハメる場所とかテンポ感とか。他の人が自分と違うことをやってると、『俺もやってみたい』と思うタイプなんですよね。結局、寄せてみても俺な感じにはなるんですけどね」   ■彼との制作はどうでしたか? 「淡々と作業してたけど、最近の若い子たちは耳も肥えてるからなのか、拘りとかも強いのかもしれないですね。俺とかはパッと録って『あ、良いやん』って思うところを、彼は細かい部分にもいろいろ気を使ってて。だから、学ぶ部分が多い。『ここのラップで音を抜いたらいいかな?』とか、Leonにアドバイスを求めたこともありますね」     08. Loca feat. Awich Pro. by Chaki Zulu   ■Awichとは彼女名義の“WHORU?”でも共演済みですし、あの曲もバズってライヴで度々共演もしてるから、ここ数年ではお馴染みの共演相手ですね。だから、ANARCHYのファンなら今作で誰もが期待した共演相手だったと思います。 「『女の子を入れたいな』とは思ってたけど、今作はAwich以外は考えられなかった。彼女との相性も良いと思ってるし、初めて彼女のラップを聴いたときからずっと好きなんですよね」   ■Awichと最初にリンクしたのはどんなシチュエーションだったんですか? 「Chaki Zuluから『良いラッパーが沖縄にいる』とは聞いてたんですよね。彼女がまだYENTOWNの一員になる前、まだアンダーグラウンド・レヴェルでライヴをやってた頃です。で、何年か前に沖縄に行ったときにライヴを観たんですよね。ちっちゃいバーで、黒人とかしかいない、ステージもないようなところだったけど、そのライヴを観てスゲェ食らったんです。黒人の客の目の前まで行って歌いまくる、みたいな。『度胸がスゲェな、カッケェ!』って本当に思わされた。で、すぐ話しかけて『お前、ヤバイな。明日、俺のライヴがあるけど、俺の出番10分やるからやってみなよ』って。結構大きな会場だったから、彼女も『こんなところでライヴしたことないです』って言ってたけど、『1年後には日本中のこんな会場でやることになるから、絶対出来る』って。そしたら今や引っ張りだこな存在やし、俺の耳も間違いなかったな、って(笑)。まあ、一番凄いのは俺に教えてくれたChaki Zuluですけど」   ■この曲は、テーマが明確ですね。トラックも異色で。 「言うたら夫婦ゲンカ、みたいな。ああいうラテンなトラックを作ってきたChakiもスゲェな、って。俺、最初どうやってラップしていいか分からなかったすもん。珍しく彼に訊いて(笑)。彼がいろいろディレクションしてくれたから出来上がった曲ですね。内容のアイディアは、Awichがくれたのかな?設定とか、お題をくれたんで書けた、という感じもある。こういうのはやっぱ、人と演って初めて出来る曲ですよね。ソロやったら絶対出来てないです」   09. Rollin’ feat. MACCHO Pro. by DJ PMX   ■MACCHOとは過去に何度も共演してますね。 「はい。いくら連絡取ろうとしてもつかまらなかった(笑)。作ってた時期、フィーチャリングやる気がなかったらしいんですよね。『なかなか録れへんな……コレはどうにかするしかない』って思って、『遊びに行っていいですか?』って言って。だから、ちょっとMACCHO君を引っ掛けましたね(笑)。で、MACCHO君の家に遊びに行って朝までいろいろ喋ったら、次の日にはリリックを書いてくれました。いつもMACCHO君と作るときは、彼の家に取り敢えず一回は行きます。トラックを送っただけで作ってくれるような人じゃないんで。『いつも、俺とMACCHOが演るときはずっとケンカな感じでやってきたから、一回ちょっとチルな曲を作りましょう』って提案したら、全然チルなリリックを書いてくれへんかった(笑)。スゲェ攻撃的で、『やられたー』と思ってます」   ■ある意味MACCHOらしい、悪ノリなリリックですよね。こんなんメジャーで出せるか!っていう(笑)。 「(写真家の)cherry chill will.君に訊いたんですけど、MACCHO君は『ANARCHYにやられたよ……家まで来てさぁ』って言ってたらしいです(笑)」   ■ここまで苦労してまでも、MACCHOとの曲は入れたかったということですよね。そこにはどんな理由が? 「トコナ君(TOKONA-X)とは一緒に曲作れへんまま死んでしまったし、俺が大好きで影響を受けてきたラッパーとは出来るだけ多く曲を残したいと思ってるんです。だってみんな、いつ死ぬか分からないじゃないですか」   ■数年前、ライヴ会場でANARCHY君とラウンジで話してたら、OZROSAURUSのライヴが始まった瞬間にいきなりフロアの真ん前まで突進していったのが印象に残ってます(笑)。 「行ったなー(笑)。今でもキッズのままでいさせてくれる人ですね。そう思い続けたいじゃないですか。ピュアな気持ちで観れる人って数少ないんで」
10. Yes or No feat. SEEDA Pro. by YamieZimmer   「こうやって、俺とSEEDAが一緒に演るときが来ると思ってなかったでしょ?あの番組(『ラップスタア誕生』)で共演してるというのも大きいですね」   ■SEEDAとは、MICRHOPHONE PAGER “MP5000FT feat. ANARCHY, SEEDA”(09年)以来、10年振りの共演なんですね。お互いキャリアも長いのに、ここまで期間が空いたのには理由がありますか? 「以前は、ちょっと突っ張ってた部分があったんじゃないですかね。SEEDAとは同世代やし、いろんなところで比較されることも多かったじゃないですか。で、お互いいろんなことを経て、今となっては彼と話してるときに『SEEDAがいたから俺も頑張れたよ』って言える仲になれたし、『今こそ一緒に曲を作れる時が来たのかな?』みたいな。昔は、SEEDAの曲は敢えて聴いてなかったんです。『どうせダサイやろ』って、俺は正直思ってた(笑)。けど、今聴くと俺に出来ひんことをやってたし、凄いラッパーやな、って思います。お互い、腹を割ってリスペクトし合える関係になれたのがスゲェ嬉しいです。だけど、ただシリアスで『俺たちはここまでサヴァイヴしてきた』みたいな熱い内容にしたくなくて、『それ、アリなん?』って、適当な感じやけど核心を突いたようなテーマでSEEDAと歌うのが面白いかな?って。『昔、コレってHIP HOP的にはナシやったのに、今はアリやん?』みたいな会話をしてて、『そういうこと、歌わへん?』ってなったんですよね。俺らみたいに、これまでのHIP HOPを見てきたヤツらにしか書けない、『別にエエねんで、アリなんやで。でも、ホンマはナシやで』っていうことを、ユーモアを交えて歌えたらな、って。別に、若い子をディスりたいわけじゃないんですよね。だけど、リリックで『イカれたフリとか無理したり』とか『口パクでもウケればいい』って言ってますけど、そういうところはやっぱ『いや、違うやろ』って思います。『そんな曲、残らへん』とは思ってます。カッコ良いと思う若手の曲はいっぱいあるけど、『喰らう曲』は正直、ほとんどないです」     11. Brand feat. JIN DOGG Pro. by COOKIN’ SOUL
「JIN DOGGのことを知ったのは、結構最近なんですよね」   ■昨年9月に開催された主催イヴェント『ANARCHY & 1% presents “THE RAPPER”』に彼を呼んだ時期ぐらい、ですかね? 「その頃ですね。いろんなインタビュアーからJIN DOGGの名前を聞いて。で、『映像観てください』って言われて観たら『あ、良いな』って。そこからチェックするようになりました。この曲を作ったのは『THE RAPPER』を開催するちょっと前ですね」   ■ANARCHY君は、ある程度付き合いや繋がりがないと共演はしてこなかったタイプだと思うんですけど、彼に関してはそれぐらいの関係性でも呼んだんですね。 「そうですね。だけど、一緒に演る前に直接、会いには行きましたよ、大阪に。『JIN DOGGがいる』って噂を聞いて、彼がいるクラブまで遊びに行って、『曲をやろうぜ』って話をしました」   ■自分から会いに行って、その場で共演オファーって、相手もビックリしそうですよね(笑)。 「軽いな、俺(笑)。この曲のJIN DOGGは、ヤバイ」   ■先程、「俺よりカッコ良いヴァースが入っててもよかった」と語っていましたけど、この曲でのJIN DOGGも同様? 「俺の存在が薄くなってもいいと思ったし、この曲に関してもJIN DOGGのめっちゃカッコ良いヴァースが欲しかった。だから、この曲は『JIN DOGGの曲』かな、って。どちらかと言うと『JIN DOGG feat. ANARCHY』にちょっと近い気持ちです(笑)。でも、そういう感じにするのもそれはそれで難しかったですね。俺は敢えて単調な感じのラップにしたんですよね。で、その間にJIN DOGGのエッジの効いたラップが載ってるのが、俺的には気持ち良い。だから、この曲こそ勝ち負けじゃなくて、『一緒に作ることで面白い曲にしたい』という気持ちでした」     12. Spend It feat. Young Coco Pro. by AVA1ANCHE   ■Young CocoもJIN DOGGと同じ関西のアーティストで、近いフィールドで勢いのあるラッパーですね。 「彼とはここ1年ぐらい、ちょいちょい会うようになってた人ですね。『THE RAPPER』にも出てくれたし。この曲は制作の終盤に作った曲ですね。彼のいろんな曲を聴いても、自分に持ってないモノがあるのが分かる。正直、『どんなモンかな?』と思ってた部分もあったけど、実際にスタジオに入ったら彼の才能に驚きましたね。説明するのは難しいんですけど、自分でパソコンいじって録音作業も出来ちゃうし、頭の中にそういう作業工程がないと、出来ないことじゃないですか。俺はそういう考えが頭の中にないし、そういう技術もないんで。そういうところはスゲェ勉強させてもらいましたね。この曲の歌サビも、俺の普段の曲にはない軽やかな感じなんですけど、ヴァース部分は俺がちゃんとラップして、彼には敢えてサビだけやってもらって気持ち良い感じにしてほしかったんですけど、その期待に応えてくれましたね」     13. Lucky 13 feat. WILYWNKA Pro. by AVA1ANCHE   ■WILYWNKAは1PERCENT第一弾アーティストとしてデビューしましたが、関西のストリート・シーンから這い上がってきたという意味では、ANARCHY君とも通じる部分がありますよね。 「やっぱりストリートにいていろんな先輩たちがいる中で揉まれながら、育ちの環境云々じゃない部分でいろんな経験をしてきてると思うんですよね。逆に、ラッパーとしては良い環境にいてきたとも思います」   ■TAKA名義の時代から彼のことは知っていて、ここに至るまでの紆余曲折もANARCHY君は知ってると思いますが、今の彼の活躍振りを見ていてどう思いますか? 「初めの頃は『音源作ったら良いやろうな』とかは思ってましたし、1%に入って作り初めた時点でも、俺の中ではまだ半信半疑な部分があったんです。ヤバいラッパーなのは分かってたけど、どこまで成長してどうなっていくか、という部分に関しては未知やった。だけど、俺の想像を全然超えてきてると思うし、ちょっとアイツは、ヤバイんじゃないですか?」   ■ツアーも全会場、ソールドアウトだったみたいですからね。彼は次の時代を引っ張る存在になると思っていますか? 「はい。彼も以前のようなただのガキじゃなくなったし、それだけの意識の高さもあると思います。さっきの話じゃないけど、アレは『プロのラッパー』になったな、と思ってます。それって結構難しいことなんで」   ■まだ22歳ですしね。同じ年齢の自分と比べると、彼の方がしっかりしてると思う? 「もちろんそうでしょ。しっかり度もそうだし、彼のようなラッパーとしての意識の高さは、22歳の頃の俺にはなかったです。だから、彼にはスゲェ期待してるし、俺の想像も更に超えてくれるんじゃないかな、って」   ■初共演ですよね?WILYWNKAも結構テンションが上がったコラボだったんじゃないですか? 「アイツはそういう素振りは見せなかったですね。『良いっすね、やりますよ』って感じでした(笑)。でも、ちょっとでも『ANARCHYと演れる時が来たんか』って思ってくれてたら嬉しいです」   ■アルバムのラストに相応しい、シリアスな曲ですね。 「『ラスト曲には良い曲(シリアスな曲)を入れる』というのは、俺のアルバムに関しては絶対考えてることなんです。全曲気に入ってるけど、特にこの曲には大事な言葉が詰まってると思いますね。“ラッキー13”って、不思議な言葉じゃないですか?」   ■13には本来、不吉なイメージもありますからね。 「WILYWNKAも俺も、全てをひっくり返してきて今の状況があるけど、『全てが当たり前じゃないよ』っていう。コレは、WILYWNKAに向けてラップしてる部分もありますね。ファンに写真を撮られることも、ステージの上に立ってることも、俺とアイツが曲をやってることや、このアルバムでこれだけのメンツと一緒に曲を作れてることも、全て『当たり前』じゃない、って」         ■今作以降の流れで言うと、既に初監督を務める映画『WALKING MAN』(主演:野村周平)の公開が決まってますね。 「映画はもう、撮り終わって編集も終わりましたね」   ■監督ということは、実際にメガホンとかを持って指示をしたりしたんですか? 「はい(笑)。いやー、もう、勉強だらけの現場でしたね。俺が一番、素人やったわけだし。徐々に慣れてはいきましたけど、最初の頃は頭の中がパニックでしたね。撮影するシーン毎にOKかどうかを出す決断の連続やったし。俺が『もう一回』って言ったら撮り直しやし、どこが正解なのかが分からない部分もやっぱりあったんで。助監督さんや周りのプロの人たちに助けられて出来ましたね。みんな、俺が伝えたいことや作りたい“画”を表現するために動いてくれるスタッフが集まってくれたんで、なんとかなりました。友達がいいひん、喋り下手な普通の男の子がラップを始めちゃう — 『言いたいことが溜まってしまったヤツが始めちゃうのがラップだよ』っていう、“HIP HOP初級編”な映画になりました。HIP HOPって言うと、どうしても派手な部分を映像で見せがちだけど、そこじゃない“初期衝動”の部分を見せたかった。HIP HOPに関わってない人や『ラップってどうやったら出来るんやろ?』って思ってる人にも観てほしいですね」   ■映画の撮影が終わっているということは、次作に向けても近い内に取り掛かりそうですね。 「ここら辺から、クリエイトの方向に引きこもっていこうかな、と。『1stアルバムが良い』って言われる意味が今になって分かってきたんです。自分からしたら、1st以降のアルバムの方が好きな部分があるけど、1stアルバムが良いのは、アルバムに至るまで — 『ROB THE WORLD』を作ったのは25歳ぐらいの頃でしたけど、それまでの自分が詰まってたからなんやな、って。次のアルバムの内容まではまだ言えないけど、ここまでの自分の人生が詰まったモノを作ろうと思ってます。だから、大作になると思うし、ラッパーとしてのホンマのANARCHY、ANARCHYというジャンルの音楽を作るつもりでいます。今年はそれが俺の目標です」
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2019/05/08 JAZEE MINOR “WOKE UP” Interview
「今回はキッカケというか、長い目で見て仕掛けていく契機にしたいんですよね。やっぱり、あまり動けなかった4年半の区切りにこのアルバムはしたいし、この先の動きに繋がる作品にしたいと思ってますね」
 “100 feat. AKLO”のフックで連呼される「ワンハネ」がホット・ワードとなり、収録された1stアルバム「Black Cranberry」を含めて、シーンの中心に躍り出たJAZEE MINOR。それ以降もミックスCD「Call log」のリリースや、SIMON“Whisky And Soda feat. JAZEE MINOR”への客演などはあったものの、インタビューでも本人が語るとおり、ここ暫くはシーンから遠ざかっていた印象のある彼が、4年半振りのアルバム「WOKE UP」をリリース。    ラッパーとシンガーというふたつの武器を今回も巧みに使い分け、そしてシームレスに織り交ぜるそのスキルはやはり折り紙付きだが、今回は前作よりもテンションとしてはやや絞った構成によって、前作がアッパーな“動”の印象だったとすれば、今回は“静”の様相が基調になった、息の長い作品になったと感じさせられる(もちろん、それが「踊れない」を意味しないことは付記しておきたい。今作はしっかりとダンス・ミュージックである)。    また、ラップのスタイルをとっても、バイリンガル・スタイルを押し出すよりも、より日本語としてスムーズな聴感でありながら、USからの流れもしっかり感じさせられる方向性に舵を切っており、その印象の違いも興味深い。    JAZEE MINORが新たな目覚めで得た本作から、彼のニュー・チャプターが始まる。 インタビュー:高木“JET”晋一郎    
■前回のアルバムから今作までは4年半と、やや時間がかかったな、という印象がありますが、それは意図的にでしょうか? 「一応、EPを2枚とミックスCDを1枚出してはいるんですが、オリジナル・アルバムを出すには、ちょっとタイミングを掴み損ねていたっていう感じはありますね」   ■それは個人的な部分なのか、流行の掴み方といった音楽的な部分なのか、どちらの要素が大きいですか? 「メンタル的な部分もあったし、1stの取っ掛かりだった“100”のような曲を作るのがなかなか難しかった、という部分もありますね」   ■JAZEE君にとって“100”、「ワンハネ」は自分をスターダムに押し上げたと同時に、プレッシャーにもなる存在? 「それはありますね。でも今回、自分の中で覚悟が決まったのも“100”で。だから、“100”にちょっと殺されて、且つ助けられた、みたいな(笑)」   ■それは、具体的には? 「去年のAKLOとZORNのツーマン(『A to Z TOUR 2018』)のときに“100”をやったんですけど、それがその日、一番の盛り上がりになったんですね。そのときに『やっぱり“100”が求められてるんだな』と思ったし、『コイツを超えなきゃ俺はもう存在出来ないな』って覚悟が決まったんですよね。そして、“100”が自分にとってそうだったように、HIP HOP/ラップ・シーンにもう一回エントリーというか、『これがキッカケでまた動ける』っていう作品をまた新たに作りたいって気持ちでアルバムの制作に入って」   ■その意味では、「今のシーンに自分はいない」と感じていた? 「それは感じてましたね、正直。それで結構メンタルもヤラれてた時期があったりして。でも、アルバムの制作に入るぐらいで昼間の仕事も辞めて『音楽一本でいこう』って覚悟を決めたんですよね。アルバム・タイトルの『WOKE UP』も含めて、自分の意志というか、この4年半のざっくりとした流れをアルバムで表現したくて」   ■アルバムの前半と後半、“WOKE UP”を境にしてカラーはガラッと変わりますね。 「前半は歌モノに寄ってるけど、後半の3曲はラップ。歌とラップを織り交ぜるとかじゃなくて、バシッとラップだけっていう風にハッキリ分けようと思って。内容的にも、アルバムの前半は夢見心地というか、夢の中でフワフワしたような感じなんですけど、“WOKE UP”で目覚めて“マジ死にそう feat. AKLO”で覚悟を決めて、この曲で“100”と戦う、みたいな」   ■だから、前半はドリーミーなんだけど、後半に入ると自分のケツを蹴り上げるようなタフな内容になっていって。且つ、自分に言い聞かせながらも、同時にリスナーに伝えるキャッチ・ボール性であったり、リスナーに言葉を伝えたいという欲望をしっかり感じる内容だと思いました。 「1stは正直言って、『俺はこんなことも出来るよ、器用でしょ?』みたいな感じを詰め込んだ作品だったと思います。それは、自分の未熟さも含めて。でも、今回はこの4年半で感じたシーンとの距離感だったり、自分の在り方みたいな部分をちゃんと形にしたいな、って」   ■この4年間半の間では、やはり「ワンハネの人」と思われてしまう部分もあった? 「本当に、良くも悪くも“100”の一点突破だったし、そう思われても仕方なかったのかな?って。それもあって、今回はAKLO君と『“100”を越えなきゃいけない』という話になったんですけど、ツーマンでやっぱり“100”が盛り上がるのを見て、ああいうキャッチーな言葉を鍵にして、一発でサビが覚えられるフロア対応型の曲で“100”を乗り越えようと」   ■「ワンハネ」の流れの上にありつつ、それを乗り越える楽曲というか。 「そうですね。ある意味では『ワンハネのヴァージョン2』的なモノという意識もありましたね。ビート的には、MCバトルでも“100”のビートがよく使われるっていう話も訊いてたので、それに対応できるビート、ということも考えましたね」   ■その部分も意識してるんですね。 「『バトルで是非!』っていうことではなくて、いろんなところで曲がひとり歩きするのを後押しする仕組みは作りたいな、と思って。やっぱり“100”をいろんな人がリミックスしてくれたり、『ワンハネ』っていう言葉が一人歩きしたりで、勝手に広がっていった部分があると思うんですよね。だから、この曲も『マジで死にそう』っていうキャッチーなテーマとワードを提示することでひとり歩きしてくれればな、って」   ■ある意味では大喜利的な広がりも求めているというか。 「ビート選びにしても、ラップの乗せ方にしても、『もしかしたら、俺がやったらもっとカッコ良くなるんじゃないか?』みたいに思わせるような、余白があるようなモノにしたんですよね。そこで聴いてくれた人の欲求を掻き立てられるようなモノに出来たら面白いと思って」   ■完結しきってるとそこに手を加えづらいけど、敢えて一歩下がって余白を残すことで、みんなが乗れるポイントを作っている、と。「マジ死にそう」という、ネガティヴに見せかけてボースティングという、その着地点とワードはどのように決まったんですか? 「AKLOとふたりでフリースタイルみたいな感じで、言葉とフロウを出し合ってる中で、ポッと出てきたのが『マジ死にそう』っていうワードだったんですよね。それで、その着地点としては『死にそう』っていうネガティヴさをポジティヴに変換したり、『俺ら超楽しくて、本当死にそうなくらい生き生きしてるんだよ』っていうことを落としどころにしよう、と。これなら、例えば『死ぬほどメイクしてるぜ』みたいな感じで、このトピックで書ける人もいっぱいいるだろうし」   ■一方で、リアルに「マジで死にそう」という内容でも行けそうですよね。 「あんまり暗いのはイヤですけど(笑)」   ■「サウナ前の水風呂」とか、突如出てくる謎リリックみたいなのも好きでしたね。 「そういうのは意識してますね。やっぱり“芸人気質”みたいなところはあるんで。気取っててもしょうがないし、下町出身だから銭湯も行くし、サウナ前後は水風呂入るし、みたいな(笑)。そういうところもちゃんと出していかないとな、っていうか。やっぱり、面白いことを言いたくなっちゃうんですよ」   ■“100”の「ワンハネ」も含めて、パンチのあるワードと楽曲の作品を一緒に作るとしたら、やはりAKLOだった? 「“100”のコンビであり、且つ『このメンツでその曲を超えたいんだな』っていうのを分かりやすくしたいな、って。俺が『シーンにちゃんと戻ってきたな』っていうところを見せたいという意味でも、もう一回AKLO君とタッグを組みたかったんですよね。AKLO君的にも『“100”を超える曲を作りたい』って思ってくれてたのもあって」   ■その意味では、JAZEE君にとってAKLOはどういった存在になりますか? 「ラップや曲を一緒に作ると、ラップのディレクションやトピックスの選定も含めて、すごく『引き出してくれる』存在ですね。『ワンハネ』も、実は3個めに提案したワードだったんですよ。それまでに出したふたつの提案は却下で、『ワンハネ』が出た瞬間に『それ良いじゃん!』みたいな。だから、自分でまずは提案しなきゃいけないんですけど、それを引き出してくれたり、見極めてくれるんですよね。実際に『ワンハネ』はホット・ワードになったし、AKLO君自身の実績も含めて、すごく説得力がある。だからこそ、自分もAKLO君を食らわすぐらいの曲やワード/フロウを出さないといけないと思うし、刺激を与えてくれる存在ですね」
■今回のJAZEE君のラップは、よりクリアに日本語を聴かせる方向になっていますね。いわゆる『英語のフロウの延長にある日本語』ではあるけど、あまり言葉自体をぐにゃぐにゃに変化させてはいないし、言葉が非常にシンプルに聴き取りやすくなってる。 「そもそも、リリックを書くのがすごく早くなったんですよね。制作環境の変化も理由ではあるんですけど、本当にスラスラっと出てくる言葉、普段使ってる言葉を意識して、それをリリックに落とし込もうと思って。普段喋ってる分かりやすい言葉に、メロディをつけたリリックの方が、本当に伝わるとも思ったんですよね。それがリスナーにとって、聴きやすい方向に繋がってるんだとしたら嬉しい。自分としても、それによってリリックがテンポ良く書けるようになった部分もあると思う。フックも、例えば子供でも全然歌えるようなフックが最強だと思ったんで、シンプルに分かりやすくっていうのは心がけましたね」   ■ヴォーカルにかけるオートチューンも、あまり音を拗じらないで調音するぐらいの、かかってるか、かかってないかギリギリぐらいの、シンプルなかけ方になってますね。 「そこも意識しましたね。今はオートチューンをグイグイにかけて歌ってるラッパーがかなり多いですけど、ストリートのシーンの中で、僕はかなり早い段階でそれをやってたラッパーだと思うんですね。だから、オートチューンの使い方に対しても、ちゃんと説得力を持って提示したいと思って。確かに、オートチューンをギュインギュインにかけ��方が今っぽい感じになるのかもしれない。だけど今回は、そうじゃない方向性を試したかったんですよね。オートチューンなしでもちゃんとバチバチに音をハメられるから、なくてもちゃんと良く聴こえるけど、一応、今のマナーとしてオートチューンもかけといて、ぐらいな。昔からオートチューンを使ってた人間として、丁寧なオートチューン使いというか、『オートチューン、これかかってんの?』ぐらいのアプローチで聴かせたかった。それに、ヴォーカルの処理自体もすごくシンプルにしてるんですよ。今回はあまりハモリも入れずに、ほとんどヴォーカル一本、みたいな曲が多くて。1stのときは、ある意味では“化粧”をしっかりしたというか、重ねやハモリもいっぱい入れてたんですね。でも、本当に自信があるメロディだったら、それは一本で聴かせた方がやっぱり一番カッコ良いと思って、今回はその方向性でまとめましたね」     ■そういった、ある種のお手本的な意思は、一曲目の“New Basic feat, SALU”からも現われてますね。 「オートチューンを最初から使ってた人間として、俺とSALUが曲を作ったら良い教科書になるんじゃないかな?って。それでタイトルを考えてたら『New Basic』っていう参考書があって、『これじゃん!』って(笑)。だから、これから音楽を始めるヤツに向けて、『俺らのマネをしておけばベーシックなマナーはクリア出来るぞ』みたいな。時代の流れもそうですし、元号が変わるっていうタイミングで、平成を生きてきた人間として(笑)その部分は出しておきたいな、って」   ■この曲もそうですが、特に“Singing to You”など、同じフロウのモチーフが連続する、ミニマルなフロウ構成が今回は印象的で。 「それもモロ意識しましたね。日本や韓国は、Aメロ/Bメロみたいなノリがまだありますけど、USのR&Bシーンとかだと良いメロディがあったらそれを繰り返す部分が強いですよね。そうやってカッコ良いメロディ一発で引っ張ることが潮流でもあるから、自分もあまり考え込まずにその流れに乗った感じですね。ただ、『ここで盛り上がってほしい』って部分では変化を付けたりメロディを変えたりもしていて。それは、ライヴだともっと顕著に現われると思いますね」   ■その意味でも、音源と共にライヴも自分の作品が決着する場所だと。 「もちろん。アルバムを聴いてなくて、ライヴで単純に盛り上がってくれて、改めてアルバムを聴いたら『こんなにしっとりしてるんだ!』って驚いてくれても嬉しいし、逆に音源を聴いてライヴに来て『音源よりカッコ良い!』と思ってくれたらそれも最高ですよね。そういう部分は最近、すごく意識してますね」   ■“Fuck Boy”にはKOWICHIを客演で呼ばれてますね。 「このテーマを思いついたときに、俺はまだ『ファック・ボーイ界』ではまだまだ中堅なんで、やっぱり師匠と言ったらKOWICHI君でしょ、って(笑)」   ■ファック・ボーイ師匠(笑)。 「他にも、ファック・ボーイ教授とかがいて」   ■プロフェッサー・ファック・ボーイが(笑)。 「その上がファック・ボーイ・ジェダイとか(笑)」   ■大変だな、ファック・ボーイ界も(笑)。 「俺はファック・ボーイって言われちゃってちょっと戸惑う感じにしたんですけど、KOWICHI君は『バレないようにするよ』みたいな、ちょっと刺激的というか、毒がある感じにしてくれて。その落とし方も最高ですよね。ライヴでも結構盛り上がる曲になってますね」     ■“Chopper Fire”にはHIYADAMが参加しています。 「普段、一緒に遊んでる仲間じゃなくて、曲をキッカケに若手と近づきたいな、と思ったんですよね。そのときに、俺の曲をInstagramのストーリーで上げたりしてくれてたHIYADAMがパッと浮かんで、それで現場で一緒になったときに声をかけたんですよね。単純にカッコ良いラッパーだし、いつもはモードな感じだったり4つ打ちのイメージがあるけど、今回は敢えてパキパキのTRAPの曲で一緒にやってみたかった。それでスタジオに入って、トラックをその場で選んで、リリックも『よーい、ドン』で書いてみて。そこで先輩のスピード感を後輩に見せつけよう……と思ったらHIYADAMの方が書き上がるのが早くて、『……じゃあ、先に録って下さい』みたいな(笑)。今のスピード感とかテンポ感を見せつけられましたね」   ■最後は“湾岸キッド”で終わりますが、これは今までJAZEE君が書いてこなかったタイプの内容ですね。 「1stでは自分自身をレペゼンする曲、っていうのが書けなかったんですよね。でも、HIP HOP/ラップ・シーンにカムバックするなら、ちゃんと『自分がどこから来たのか』みたいな、もっとローカルな部分を見せないと、と思ったんですよね。自分は江東区:東京湾沿いの出身なんですけど、そこで湾岸で生まれた人間のサクセス・ストーリーみたいなところを書いてみたくて。あそこら辺って車で走ったりとかすると、いろいろ煽られたりするんですよ」   ■湾岸道路のトラックとかエグいですよね。殺気立ってる。 「そうそう(笑)。そういう風景も込みで、人生に喩えて歌ってみたんですよね」   ■サウンド面では、前作の“ゆらゆら”であったようなキャッチーさよりも、全体的にテンション的にはそこまで上げないで、しっかりとヴォーカルやラップを聴かせる内容になってますね。 「今回は、サウンドに統一感を持たせてひとつの世界観を作りたいっていう気持ちでしたね。聴き心地としては普通に聴きやすい、メロディアスでチルな感じになってると思いますね。作品で言うと、“Singing to You”をプロデュースしてもらったSUNNY BOYは、今や億万長者ぐらいの勢いがあるプロデューサーだけど、10年以上前からAudioleafで繋がってるんですよね。そこからの流れがあって、今回は一緒にスタジオに入って作らせてもらって。あとは、USのプロデューサーだったり正体不明のプロデューサーもいたり。そういう全体のサウンド像は、“DANCE FOR ME”とかを手がけてもらってるA-KAYさんに、トラックはもちろん、全体的なサウンド感も自分と一緒にディレクションしてもらって」   ■これからの動きはどうなりますか? 「とりあえずMVを何本かリリースするのと、その先にはワンマンを考えてて。夏くらいには1stとこのアルバムを織り交ぜて、客演を超呼んだ、お祭りみたいなワンマンを計画してます。それを今回のアルバムのひとつの区切りにして、そこからまた次の動きを見せられたらテンポが良いかな、と。その意味でも、今回はキッカケというか、長い目で見て仕掛けていく契機にしたいん���すよね。やっぱり、あまり動けなかった4年半の区切りにこのアルバムはしたいし、この先の動きに繋がる作品にしたいと思ってますね」
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2019/05/30 梅田サイファー “Never Get Old” Interview
「みんな、社会からしたらタブーにされてたり、フタをされてる部分をいろいろ持ってるんですよね。でも、それを開けて、ユーモアとライムでどう昇華していくかっていう集団でもあるから、マイノリティの人間が救われる場所でもあったんですよ。『自分の持ってるマイノリティ性をラップで表現したらこんなに武器になるんや、こんなにみんな笑顔になってくれるんや、じゃあ、ここにおってええんや』ってことを気付かされたんですよね」 -- KZ
「インタビュー、何人揃うかは分かりません」    これが今回のインタビューの窓口になって骨を折ってくれたKZから、オファーの際に伝えられた言葉である。その通り、梅田サイファーは、アルバムの制作やライヴは行なっているものの、“グループ”や“クルー”ではなく、「個人の集まり」であり、今回インタビューに登場して頂くコア・メンバーはいるものの、その総員はサイファーという性質上、当然ながらハッキリとカウントは出来ないという。    もう一点、KZの言葉を引こう。   「俺らは“クルー”じゃないんで、だからこれから出る(客観的な事実関係以外の)メンバーの意見は“総意”じゃなくて、『それぞれの人間の考え』なんです。その上でインタビューしてくれると嬉しいです」    それもまた「個人の集合体」であることを示す言葉だろう。しかし、彼らのニュー・アルバムとなる「Never Get Old」での、構築度の高いリリックの構成や、それぞれの指向性の違いはあれども固いライミング、“マジでハイ”に聴けるような密度の高いマイク・リレーなど、グループという名義ではないものの、そこには確かな“結束”が感じさせられるし、その結束こそ、彼らが梅田の歩道橋の上で培ってきたものだろう。    1時間半のインタビューということで、梅田サイファーの全体像のごくごく一端しか明らかになっていないかもしれないが、日本屈指のスキル集団がどのようにして形成されていったのか、その理解の一助になれば嬉しい。   (今回のインタビューには、peko/ふぁんく/KBD/KennyDoes a.k.a doiken/KZ/KOPERU/R-指定/ILL SWAG GAGA/コーラ/OSCA、エンジニアのCosaquが参加)
インタビュー:高木“JET”晋一郎   
R-指定「これからインタビューやから。収拾つかなくなるから(インタビュー開始前、ふざけてる他のメンバーに注意するR-指定)」   KZ「……ちょっとアイツ、業界人っぽい感じになってるな。イヤやわ~、染まってるわ(笑)」   R-指定「ちゃうちゃう。単純に近所迷惑(笑)」   KZ「いや、ここは勝負やろ、俺らとAmebreakの」     ■勝負の仕方が間違ってる気もするけど(笑)。今回は梅田サイファーとしてお話を伺いますが、こういった形でのインタビューは、これまでにありましたか? KZ「いや、梅田サイファーとしてインタビューを受けるのは初だと思いますね」     ■その意味でも、全国に名前は轟いている梅田サイファーですが、その情報はR-指定君をはじめとする、それぞれのメンバーが断片的に語ってきた部分が強いと思いますので、今回は改めて発足の部分からお話を伺えればと思います。 KZ「よろず君とあきらめん君っていうラッパーがいて、そのふたりが『ENTER』(韻踏合組合主催イヴェント)でふぁんくと出会って、『サイファーやろう』って始まったのが2007年の5月頃ですね」   ふぁんく「『ラップがもっとしたいな、じゃあサイファーかな』っていう話になって。それで、梅田は大阪のターミナルだし、集まるにもよかったんで、そこで週イチで集まってラップ/サイファーしてみよう、っていうことで始まったんですよね」   KZ「その3人がmixiで梅田サイファーの情報を上げて、俺はそれを見つけて参加したんですよね、2回目から。だから、参加するまで面識はなかったんですよね。でも、いまやみんなマイミクやんな(笑)」   KOPERU「梅田サイファーはマイミクのオフ会?(笑)」   KBD「mixiっていうのがよかったのかも。Twitterだとフォロー・ボタン一発やけどmixiは承認制やから、『これこれこういうもんで』っていうのをちゃんと説明しないとマイミクになれなかったし、そこが自己紹介になったかも」   peko「俺もmixiでコミュニティを見つけて観に行ったんですよね。それでKZに出会ったらスゲェ態度悪くて(笑)。で、最初は全然打ち解けれへん感じやったんですけど、僕が梅田で立ち上げた『アマチュアナイト』っていうイヴェントに遊びに来てくれたり、ふぁんくとKZがライヴをふたりでやり出した時期だったんで、そのイヴェントにブッキングしたり。そうしたら、更にそこにJapidiot(テークエム/tella/鉄兵/コマツヨシヒロ〈現:OSCA〉/HATCH)だったり、コッペパンになっていくKOPERU/R-指定/KennyDoesとかが遊びに来てくれて。高槻POSSEというグループが僕にはあったこともあって、関わり方としては、梅田サイファーとイヴェントを繋げたり、ちょっと外側から見るようなの感じでしたね」   KOPERU「僕も知ったのはmixiかモバゲーでしたね。テームエムさんがモバゲーでネット・ライムとかしてたり」   R-指定「俺もテークさんやKOPERU君とはモバゲーで繋がったし」   KBD「意外とネット・ライムをやってたラッパーって多いよね」   KOPERU「僕らの世代は『ヒダディーひとり旅』とか『UMB GRAND CHAMPIONSHIP 2006』のDVDを観て衝撃を受けた人が多くて、僕もそのひとりで。だから、『ラップをやってみたい』『サイファーに参加したい』っていう気持ちが強かったんですよね。僕が最初に行ったサイファーは梅田じゃなくて、アメ村の三角公園でやってたサイファーで、そこにはKZさんがいて。それで最初はあらかじめ書いてきたラップをしてたんですけど、サイファーが回っていく中で自分の持ち玉がなくなって、そこで初めて完全即興でやってみたり。その流れで梅田サイファーにも参加するようになったんですよね。それが2007年の夏。15歳だったと思いますね」   KZ「だから、KOPERUはめっちゃ早くから参加してるんですよね。ふぁんくが2008年の3月に『ENTER』で優勝して、梅田サイファーの名前がちょっと広がる前」   R-指定「俺が梅田に参加したのはふぁんくさんの優勝の年ですね。最初はYouTubeの動画で梅田サイファーを知って、地元の友達だったラードってヤツと観に行ってたら、『ENTER』で優勝してたふぁんくさんとKOPERU君、準優勝してたペッペBOMB君がおって『ヤバッ!』みたいな(笑)」   OSCA「僕はKOPERUにモバゲー経由で誘われたんですよね。僕がモバゲーのHIP HOPコミュニティの管理人をやってて、それでKOPERUが話しかけてくれたのが縁で」   KBD「ふぁんくの『ENTER』優勝は大きかったと思う。俺もそのときは客として観てたんですけど、ヤンキーや不良ではない、こんな人らがおるんや、って。それで、その人たちが梅田サイファーをやってるって知って、足を運んだんですよね」   KOPERU「最初はサイファーの動画を撮ってましたもんね」   KBD「そうそう。僕がラップを始めたのは25歳で遅いから、なんとか追いつかなっていうので、まずは学ぼうっていうのもあったし、単純にどんな人たちがおるんやろうっていうのも興味があって」   KZ「その頃ってどんな空気やった?どんな空気感やったかあんまり覚えてない」   KBD「もっとトゲトゲ、ピリピリしてた。特にふぁんくとKZがすごい……」   R-指定「尖ってた~(笑)」   KBD「KZ・ザ・リッパーでしたよ」   KZ「マジでダサイやんけ(笑)!」   ふぁんく「尖ってたって言い方はイキってるみたいで好きじゃないけど」   KZ「でも、ピリピリはしてたと思う。自分ら以外はダサいと思ってたし、『俺が一番/俺らが一番』っていう気持ちが、今よりも剥き出しだったと思う。HIP HOPをライターが扱うときの取り上げ方って、ドラマとか生き様とか」   KennyDoes「ストーリー」   KZ「それもそうやな」   KennyDoes「バックボーン」   KZ「……もう俺が喋ってええ(笑)?そういうバック・グラウンドばっかり取り上げられがちやし、それがないと良いラップが出来ない、みたいなイメージがあったと思うんですよ。それに対する反発心は強かった。例えば『ラップの技術論』って、ライターはあまり語らないじゃないですか。分かりはれへんのか、踏み込まないのかは分かりませんけど、技術の話よりも生い立ちやストーリーの方を重視する」   ふぁんく「生い立ちも、貧困だったりドラッグだったり、目に見えるような話が多くて。でも、みんなそれぞれに抱えてるものはありますよね。例えば僕は、一番上のお兄ちゃんが腹違いで精神の病気にかかってたり、っていう家庭環境があったりするけど、それはあまり顧みられなくて、ハスリンとかドラッグみたいな、法を犯すような悪い部分にばかり注目しがちで。そういう風潮に抗いたいっていう気持ちは強かったと思う。俺らだってそれぞれいろいろな問題抱えてるけど言わんだけやから、って。別の方面では“黒い”とか“アンダーグラウンド”みたいな、ボンヤリした定義も多くて。『それって違うんちゃうか』と思っていたし、それよりも『いま出来る一番カッコ良いラップをするのが正しいやろ』っていう意識が、支配的だったと思う」
■バック・グラウンドのようなある種の特殊性/特権性や、空気やムードという不確かなものではなく、「誰もが努力すれば鍛えて強くすることが出来る」「公正で客観的な」武器で戦う、というか。 ふぁんく「近いと思いますね。それもあって、『今に見とけよ』とも思ってたし」   R-指定「だから、最初は怖かったですもん。とにかくKZさんとふぁんくさんは怒ってたし」   ふぁんく「ハリネズミみたいに、敵を寄せ付けないためにトゲを出してたというか」   KZ「ハリネズミって、自分!」   ふぁんく「ハリセンボンみたいな体型やけど(笑)」   KZ「だからこそ、フロウとかライム、リリシズムっていうスキルの部分については、とにかくディスカッションしてた」     ■今、R君と『Rの異常な愛情』という日本語ラップに関するトーク・ショーをやってるんですが、その中でR君はとにかくロジカルにラップを分析していて。その礎が梅田サイファーだということは常々話していたし、実際にそれが自分たちのアイデンティティでもあったということですね。 ふぁんく「でも、めっちゃ嫌われてたと思う、梅田サイファーは」   KBD「KOPERUが『ENTER』で優勝したぐらいの時期の梅田サイファーの嫌われっぷりは」   KZ「異様やったよな」   KBD「『ENTER』のベスト4が、HIDADDYさん以外みんな梅田サイファーっていうときがあって、そのときはメッチャ罵声が飛んできて」   R-指定「実力があるのに嫌われてるっていう。だから『なんで認められないんだ』っていう黒いオーラも梅田サイファーは出してて」   KOPERU「韻踏合組合の人たちは早く理解してくれたし、他の人たちともモメるみたいなことはなかったけど、それでもアウェー感はあった」     ■何故、そんなに「嫌われて」いたんですか? peko「『ENTER』周辺だとCOE-LA-CANTH、鬼畜鉄道/ZIOPSみたいな、アメ村の流れを汲んだネクスト・スターへのプロップスがすごく高かったし、ラップも上手いし、単純にカッコも良いからシーンの空気を支配してて。一方でストリートの概念も強かったから、ストリート、もしくはアメ村っていう流れの中にない若いヤツがポンと出てきても評価されにくい状況だったんですよね。でも、そこでふぁんくが独自のスタイルで、シーンや空気になびかずにバンバン実力者をやっつけていったから、風穴を開けたと同時に、そのスタンスがヒールにも写ってしまってたと思う」   KBD「だから、“空気”が勝敗を決める部分も少なからずあったんだけど、梅田サイファーの人間が勝っていくことで、シンプルに『ラップ・バトルとしてどっちが上手いのか』っていう判断に変わっていったと思いますね。僕が初めて観に行った『ENTER』の決勝がふぁんくとHIDADDYさんだったんですけど、それまでだったら空気的には若手が勝つなんてことはかなり難しかった」   KZ「それまでにそれが出来たのって、悠然 a.k.a 赤いメガネさんぐらいちゃいます?」   KBD「でも、ふぁんくの優勝をキッカケに、梅田サイファーの人間がどんどん勝ち上がっていったことで状況が変わったし、それで僕も勝てたって部分があると思う」   KZ「KBD���んはその頃からゴリラに似だしてたん��か?」   KBD「それは15歳くらいからやな(笑)」   ふぁんく「でも、僕自身が『大阪のシーン』を何も知らなかったってのも大きかったと思う。知ってたら、もしかしたらその状況にへりくだってしまったかもしれないけど、その知識が全然なかったから、っていうのもあるかな」     ■KennyDoes君はどのように参加したんですか? KennyDoes「僕はそこらへんの話が全部片付いて、梅田サイファーが確立された時期に、ひょっこりと入ったんですよね。梅田が出来て4年目だから、2011年ぐらいだったと思いますね」   KZ「いつも待ち合わせ場所にレッドブルを持ってきてくれて『KZさん、これ飲んでください!』って。そのレッドブルの美味いこと美味いこと(笑)。それがいつしかメキメキと頭角を表わしてコッペパンのDJになり」   KOPERU「気付いたらラップもしだして」   KennyDoes「ラップはやりたかったんですよ。それこそKOPERU君が『BBOY PARK U-20 MC BATTLE』で優勝した後に公開されたドキュメンタリー動画をAmebreakで観てラップを始めようと思ったんで」   peko「最初に『アマチュアナイト』で出会ったときはDJだったんだけど、梅田サイファーでラップを始めて。一番短期間でレヴェル・アップしたのはKennyやと思うし、それは梅田サイファーが如何にスキルに固執した集団なのかを表わしてると思う」   KennyDoes「梅田サイファーの集大成みたいな人間だったと思うんですよ。梅田サイファーが培ってきたスキルの良いところを摘んだのが俺、みたいな」   KZ「留学経験も含めて、梅田の中で一番英語やUSのHIP HOPに対する理解も深い。リズムに対して機敏なんですよね、それは俺たちも影響されてますね」   KennyDoes「イェイイェイ」   KZ「一番伊達男やしね、この顔面やけど」   R-指定「糸目やけど」   KennyDoes「おいおい!(笑)」   ILL SWAG GAGA「僕もKennyと同じぐらいに参加したんですよね。mixiで『大阪/ラップ/サイファー』みたいな感じで調べたら梅田サイファーが出てきて」   KennyDoes「GAGAは梅田サイファーで一番ヤバいヤツです」     ■“New Basic Case.2 ”でもかなりアヴァンギャルドなラップをされていますね。 KennyDoes「GAGAが梅田に来た影響はめちゃデカイんですよね」   KBD「それまではケツで長く韻を踏んでリズム・キープしてっていう、梅田サイファー的なメソッドがあったんですよね」   KZ「まあ、今のバトルの定番というか」   KennyDoes「その形が飽和してきた頃に、GAGAがその価値観を完全に破壊するようなラップをして」   R-指定「最初、Kennyは怒ってたもんな」   KennyDoes「メッチャ嫌いやった」   R-指定「梅田の中での『上手い』っていう価値観の中でみんなラップを回してるのに、訳分からんラップするから……」   KennyDoes「なんやコイツ!って(笑)。でも、それが何週間も続くと、どんどんクセになっていくんですよ」   KZ「SCARSで言ったら、SEEDAとかBESの後にA-THUGの凄さに気付く、みたいな」   KBD「それか、キエるマキュウのMAKI THE MAGICみたいな。それがあったから、より梅田のスキルや表現に広がりが生まれたっていう」   (キョトンとしてるGAGA)   KZ「それでいい(笑)!」   ふぁんく「ただ、今でもワケ分からんこと言い出してイラッとすることはあるけどね(笑)」   KBD「その一番バグったGAGAの後に来たのが、コーラですね」   コーラ「俺が一番最後だと思いますね。初めて行ったときに、サイファーがもう終わってて、ふぁんくさんとKZさん、KBDさんはそこに残ってたんですよ。それの姿を遠巻きに見てたらKZさんが近づいてきて『君、なんか言いたいことがあるなら言った方がええで』って」   KOPERU「怖っ!(笑)」   R-指定「なんでそんな圧かけんねん(笑)」   KZ「いや、もっとファニーだったはずやねん!『どうした~♪』みたいな(笑)」   コーラ「それで『もう今日はサイファー終わったんすね』って言ったら」   KBD「KZ君がいきなり『それより君、ガチャピンに似てるな』って(笑)」   コーラ「それにKBDさんが『今日はムックはどうした?』って被せて(笑)」   KennyDoes「初回からイジってるやん(笑)」
■今回、インタビューに参加して頂いた皆さんの参加経緯を通して梅田サイファーの沿革を語って頂きましたが、「Never Get Old」をはじめとする作品に参加したメンツはもっと沢山いますね。では、今までに梅田サイファーに参加した人数はどれぐらいになりますか? KZ「まったく把握できないし、恐らく何百人っていう数じゃないですか?」   KBD「一回来て二度と来なかったのを含めたら、それぐらい行きますね」   KZ「最盛期はほぼ全ての土曜日だから、年に50回はやってたし」   KBD「突発的に平日にやるときもありましたよね」   R-指定「台風があっても意地になってやってたり」   KZ「『ビビッてるん?』みたいな(笑)」   OSCA「イヴェントにもサイファーやってから行く、みたいな」   R-指定「サイファーの途中にメシ食いに言って、食って戻ってまたラップするって感じでしたね。でも、やっぱり『そこまでやりたくない』って人もおるし」   KZ「スタイルも変則的なんですよね。8小節で回し合う、みたいなお約束じゃなくて」   KennyDoes「2小節とかでも奪われる」   KBD「だから、“回し合い”じゃなくて“奪い合い”(笑)」   KennyDoes「ちょっとでもダサイと思ったらガンガン奪いにいって」   peko「初心者の若い子とか一撃で粉砕されて、二度と来なくなったり」   OSCA「ふぁんくさんは名指しやからね。俺は『お前ラップ下手すぎ、消えろ』って言われた(一同爆笑)」   OSCA「マジで怖かった」   R-指定「ふぁんくさん、言葉が出てこなくて『エー、チェックチェック』って言ってたラッパーに、『さっきからお前は何を何回チェックしてんねん!』って切り捨てたり」   KOPERU「エグッ!(笑)」   KZ「生まれたての子鹿を容赦なく噛みにいくから(笑)。   ふぁんく「でも、それで来なくなった人は恐らくもうラップをやってないと思うし、そんな状況でも食らいついてきた連中は、今日みたいにいまだにラップをやってる。前者と後者で何が違ったかっていうと『本当にラップが好きだったか/好きじゃなかった』かやと思うんですよね」   KOPERU「……カッコええ(笑)」   KZ「みんな10〜20代の土曜の夜っていう人生のゴールデン・タイムに遊ぶんじゃなくて、『ラップをしたい』っていう連中が集まってるんやから、そらラップ好きですよ(笑)」   KennyDoes「俺らぐらいの『どぐされ文系』はおらんから」     ■どぐされ……(笑)。 KennyDoes「オシャレでもなくサブカルでもなく、ただラップが好きでひたすらラップして、ずっとラップの話をしてる……っていう、腐った連中……(笑)」   OSCA「だから、そんな状況でも付いてくる人には、KZさんはメッチャ優しかった」     ■だからか、メチャクチャ仲が良いですよね。今も賑やかすぎて隣家からクレームが来そうですが(笑)。 peko「先輩/後輩文化もないんですよね。KBDさんが一番歳上ですけど怒らないんですよ、ナメてても」   KBD「え、俺ナメられてたの?(笑)」   R-指定「GAGAは僕ら(R-指定/KOPERU/Kenny)より歳上ですけど、みんな呼び捨てですからね」   KennyDoes「僕が呼び捨てにしてるのは大親友だと思ってるから、ですけどね」     ■そういえば丸く収まるとでも?(笑)。 KennyDoes「根底にはラップのリスペクトっていう部分が強烈にあるから、年齢とかがそんなに関係ないんですよ」   KBD「クルーやグループだったら、先輩/後輩になると思うんだけど、個人の集合体だからその概念がないんですよね」   peko「僕がイヴェント始めたのも、先輩にノルマ払ってライヴさせてもらうのがバカバカしかったんで、『じゃあ自分らで作るわ』っていう気持ちだったんですよね。その考えが梅田サイファーと近かったし、それが実際に成り立ったから上下関係がいらなくなった、というか」   KZ「僕個人としては、早い段階で『ラップで食う』ことは諦めたんですよ��。生活がかかるといろんなしがらみが生まれたりするけど、生活がラップにはかかってない分、自分の好きなように、自分が幸せになる活動が出来ればよかったし、そこには上下関係は必要なかった」   ふぁんく「俺もラップにはハングリーだけど、『ラップで食う』ってことにはハングリーではないので」   R-指定「僕やKOPERUはラップで食おうとしてるし、いろんなイヴェントに出てるから関わる範囲が広いけど、結局『ラップに対してハングリーである』っていうのが一番重要やなって、梅田サイファーからはいつも感じますね」     ■クルーやグループではないとは言え、2013年にはアルバム「SEE YA AT THE FOOTBRIDGE」をリリースします。 KZ「KBDの同級生にdio jっていうトラック・メイカー/エンジニアの人がいるんですけど、その人がやってるDFBRっていうスタジオがあって、そこで2009年ぐらいから毎週のようにレコーディングするようになったんですよね」   KBD「サイファーが23時ぐらいに終わって、そのまま車でDFBRスタジオのある奈良まで行って、軽く寝てから曲作りっていうのをひたすらやってたっすね」   KZ「そこで、みんなフリースタイラーからラッパーに変わったと思う」     ■言わば、脳から直接出るラップじゃなくて、脳からノートに落としてどう書くか/構築するかっていう方向性を模索し始めた、と。 KennyDoes「『脳からノートに落としてどう』……メッチャ頭韻ですね(笑)」   ふぁんく「俺が鬼太郎やったらライム・アンテナ立ってたわ(笑)」     ■R君とトーク・ショーをやってるおかげかな。完全に偶然だけど(笑)。言わば即興ではなく、「レコーディングされるものとしてのラップ」になっていったということですね。 R-指定「曲を作り始めて『上手いラップ』と『良いラップ』とは完全には一致しないということに気付いて、俺はそこでまたちょっと意識が変わったっすね。DFBRでレコーディングを始めなかったらそれは分からなかったと思うし、歌詞を書く大変さ、曲を録る楽しさにも目覚めていって、更にみんなラップが上手くなっていって。Kennyとかテークエムとかがメッチャ伸びた。被せとかそういう技術面も含めて、幅がとにかく広くなった」   KZ「フリースタイルをやってる人間って — 僕もそうだったんですけど — 『声が楽器である』ってことに気付きにくいんですよね。でも、レコーディングをするようになってその部分に気付けるようになって。だから、そこはひとつの転機でしたね」     ■そして、梅田サイファーとしては2016年の「UCDFBR sampler Vol.2」のリリースや、各メンバーやユニットのソロ・リリースが展開され、今年1月には3rdアルバム『Never Get Old』がリリースされました。 KZ「梅田サイファーの中では停滞してた人もおれば進んでる人もおったんですが、梅田サイファーとして何かをするってことがほぼない時期が続いていて。そんなときに『過去の曲はもうやりたくない』ってふぁんくが言って『じゃあ新作を作ろうか』と。普段、梅田の舵取りは自分がさせてもらってるんですけど、今の梅田サイファーでは何が出来るのか/何をすべきなのかって考えたら『外に向いた作品を作ろう』って。『こんなに上手いのに、いまだに東京のシーンは俺らを無視してるし』っていう気持ちが俺の中にはあったし、だったらシーンに向けてちゃんとクラシックを作ろう、と。それは『見返してやる』って気持ちと同時に『シーンへの恩返し』という部分も含めて」   KBD「作ろうとするキッカケも1枚目〜2枚目とは違ってて。1枚目はKZが転勤で大阪を離れるから、ある意味では『思い出作り』的な感じ、2枚目はKZが帰ってきたんで『一緒にラップが出来る喜び』を盤にしようって、動機が内向きだったんですよね。だからこそ、その2枚は俺たちで全部取りまとめて、そこに挟持もあったんですよね。だけど、今回はLIBROさんやDJ松永、Jazadocumentみたいな外部のトラック・メイカーを迎えたり、レコーディング・スタジオも変えたりっていう変化があったんですよね」
■現在においても、梅田サイファーはアンダーレイテッドであると考えていますか? KZ「『俺らのラップのポテンシャルに気付いてない人が多すぎんで』って思ってますね。調子乗ってるんじゃなくて、シーンを見回しても俺たちの歌詞の強度は高いし、ビート・アプローチへの理解だったりっていうスキルの部分はもっと受け入れられるべきやし、広がるべきやと思ってますね。今回は、それが表現できたアルバムだと思いますね」     ■確かに、すごく体力が必要なアルバムですね。構造性も高いから、右から左に抜けていってくれない。 R-指定「全員のソロ曲も流し聴きを嫌うタイプだと思いますね。梅田の関連作は日本語でちゃんとラップしてるんで、向き合えばリスニングに体力が必要だと思うし、それぐらい向き合ってほしいんですよね」   KennyDoes「内容としても『日本語ラップ IS BACK』っていう作品になったな、って」   KZ「3~4曲のEPでMVを作って、みたいな今の時流とは違うけど、アルバムで聴く楽しさだったり、頭からケツまで繋げることで見えてくる世界観とか、ストーリーを感じ取ってもらいたいな、って。販売戦略よりも『良いラップを聴かせたい』って気持ちがあるからこそ出来たアルバムだと思いますね」     peko「曲順は僕が決めたんですけど、僕はある意味、外から梅田サイファーを見てる部分もあったんで、どうしたら一般のリスナーがこのアルバムがじっくり聴けるかってことを客観的に考えて構成しましたね。今HIP HOPの曲がどんどん尺が短くなっていく中で、16小節+4ヴァースでマイク・リレーみたいな、時流とは逆行するヴォリュームがあるんで、今現在、このアルバムが評価されるかってことはそんなに期待してなかったんですよね。でも、“マジでハイ”がバズったのは、逆にこういう濃厚なマイク・リレーのラップがフレッシュに聴こえたからだと思うんですよね。だから、今のシーンにないことが提示できたと思うし、このメンツならメッチャ面白いモンがまた作れそうやな、って思わせてくれたアルバムですね」   KOPERU「“マジでハイ”のMVもISSEIさんに撮ってもらって、みんなでちゃんとしたMVを作ったのも初めてだったし」   KZ「レコーディングとマスタリングも、今回“Never Get Old”でトラックを作ってもらってるCosaquに手がけてもらって」   Cosaqu「今回は、みんなのラップの特性を録りながら固めていきましたね。みんなラップのキャラクターがバラバラやから、どうなるんやろうと思いながらまとめていったんですけど、それでもコンピレーションみたいにはならなくて。それが梅田サイファーの強みなのかな?って。“マジでハイ”も、Rは最初違うヴァースを書いてきて、それをKZが『書き換えてくれ』ってオーダーして」   KZ「Rが書いてきたヴァースは、カッコ良いんだけど、揃えたときに他のリリックと矛盾が生じてしまう感じになっていて」   KBD「だから、楽曲としての強度を上げるためにはRには変えてもらえないとな、って」   KZ「今まで、他の人のヴァースに対するディレクションはしなかったんだけど、今回はやってみたんですよね」   Cosaqu「でも、それをやったことで、メッチャ全員が均等にヤバく聴こえる曲になって。それが再生回数の増加に繋がったと思いますね」   ふぁんく「良いアルバムになったと思いますね。パチンコ打ってるときもずっと聴いてる。パチンコ中はMr.Childrenの『Q』か、このアルバムか(笑)。マジメに言うと、コンピレーションになってないのは、全員が“マイノリティ”っていうメンタルを持ってるからだと思うんですよね、根っこに。少数派であり、『省かれてきた人間やな』っていう意識があるから、それがこのメンツのリリックやラップを繋げてる部分があるんかな?って」   KennyDoes「宇多丸さん言うところの『精神のゲットー』というか。それをみんな持ってると思う」   ふぁんく「それが繋がり合う場所が梅田サイファーであり、梅田の歩道橋の上だったんですよね。特に昔は梅田の歩道橋でやってることがアイデンティティではあった。でも、今はそういう場所じゃなくて、マイノリティ性を持っているこのメンツが集まることが梅田サイファーやな、って思いますね」   ふぁんく「イキッた言い方をすれば、梅田サイファーは精神性なんですよ。哲学というか」   KZ「言い方を変えれば宗教団体ですよ(笑)」   KOPERU「どんなオチやねん(笑)」   KennyDoes「使われへん(笑)」   KZ「マジメに言うと、みんな、社会からしたらタブーにされてたり、フタをされてる部分をいろいろ持ってるんですよね。でも、それを開けて、ユーモアとライムでどう昇華していくかっていう集団でもあるから、マイノリティの人間が救われる場所でもあったんですよ。『自分の持ってるマイノリティ性をラップで表現したらこんなに武器になるんや、こんなにみんな笑顔になってくれるんや、じゃあ、ここにおってええんや』ってことを気付かされたんですよね」     ■サイファーやラップを通して、自己肯定を獲得していった、と。 KZ「だから、ホンマにエエ場所やな、って思いますね」   ふぁんく「更生施設、梅田サイファー(笑)」     ■それはすごく良い話ですね。 KZ「ラップや梅田サイファーに救われた人たちだと思いますね、ここに残ったメンバーは」     ■では、これからの梅田サイファーはどのようになっていきますか? KennyDoes「実際、梅田サイファーとしては歩道橋の上でもうサイファーはやってないし」   KZ「ライヴやクリエイトが中心になっていくと思いますね。各々のソロも出しながら」   KennyDoes「コレクティヴっすね、言うたら」   R-指定「土曜に橋の上に集まるんじゃなくて、土曜にライヴで集まれるっていうのが嬉しいですよね。それでもやっぱり、クルーやグループではないと思うんですよ。梅田サイファーの根本みたいなものはふぁんくさんやKZさんが作って、そこに剽軽さをKBDさんが持ってきて、現場はpekoさんが与えてくれて、USのノリをKennyが、フロウやリズム・アプローチをKOPERU君とペッペBOMB君が注入して、イルな部分をGAGAが持ってきたり。他にもいろんなメンツがいろんな部分を持って来たけど、それを総合させたものが梅田サイファーの正解でもないんですよね。何故なら、クルーやグループじゃないから。だから、それぞれの考え方で進んでるし、それでも一緒にライヴして作品も作って刺激し合う。それが梅田サイファーの面白さやと思いますね」
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2017/10/25 BAD HOP “Mobb Life” YZERR Interview
「このタイミングでリスナーは判断すると思うんですよね。今って、『BAD HOPはカッコ良い』『BAD HOPはダサイ』という意見の間で揺れてると思うんです。多分、リスナー個人の心の中でもそこは揺れてると思う。このアルバムで決定的な評価を決めさせるというか、『あ、コイツらは絶対カッコ良いな』って言わせるために説得力を持たせる作品を作ろうと思いましたね」
 オフィシャル作としては初となるアルバム「Mobb Life」を発表したBAD HOP。話題作が連発されている2017年の国産HIP HOPだが、「Mobb Life」もまた、クオリティの高さはもちろんのこと、世界基準で見た現行HIP HOPの流れを貪欲に取り込もうとする意識の高さや、ハードコア・ラップならではのスリルなど、聴きドコロ多数の快作だ。    筆者が本インタビューを終えた後の感想は、「BAD HOPは最早“新世代”“若手”という括りだけで語られるべき集団ではない」ということだった。ついこの間、成人を迎えたとは思えない音楽面での向上心、ヴィジョンの確かさや大きくも現実味のある野心 — ハードコア・ラップらしいストリート性やラフなライフスタイルを押し出しているとは言え、それをパッケージングしてアウトプットする上での理論/哲学はかなりしっかりしたモノで、そういった部分に非常に感銘を受けた。サウスサイド川崎という限定されたエリアで育ってきた彼らだが、そのヴィジョンの先は川崎どころか、日本を飛び越えて海外に向かっているのが分かるし、無根拠なモノではないと感じさせる説得力もある。    今回のインタビューは、BAD HOPを代表して、「Mobb Life」のエグゼクティヴ・プロデュースやクルーの活動全体の監督的役割を果たしてきたYZERRが単独で登場。また、彼の生い立ちやハードなバックグラウンドなどは既出の記事や動画などで明らかになっているので、ここではBAD HOPの音楽面やそれに付随する事柄を中心に話を伺った。結果、よりヴィヴィッドにBAD HOPの戦略や志の高さが露わになった、濃密なインタビューになったと思う。 インタビュー:伊藤雄介(Amebreak)
■BAD HOPは、子供の頃からの友達グループが基盤となっているので、具体的にいつ頃ラップ・グループとして形成されたのかが曖昧だとは思うのですが、「ラップ・グループとしてのBAD HOP」を意識し始めたタイミングはいつ、どのようなタイミングだったのか振り返ってもらえますか?
「確かに、それをちゃんと考えたことはなかったけど、(タイミングは)ありますね。BAD HOPという名前は、元々地元でやってたイヴェントの名前なんですよね。で、確か池袋bedでライヴがあって、そのときに『そういえばグループ名、ないな』ってなって。その前から、『いつかみんなでレーベルやりたいな』って話をしてたんですけど、そのときに『名前、何がいい?』ってなったときに『BAD HOPじゃね?』っていうことは話してたんです。4〜5年前、T-Pablowが『高校生ラップ選手権』(以下『高ラ選』)に出始めたたぐらいの時期だったと思います。最初は、BAD BOY ENTERTAINMENTを意識してたんですよ。それぐらい簡単な感じで、そういう響きの言葉が俺たちの身近にあるかな?と思って。BAD HOPは、野球用語の“イレギュラー・バウンド”っていう意味だったし、『それ、良いな』って。Pablowが4回目の『高ラ選』で優勝した時期、USではA$AP MOBが出て来て、クルー的な感じが流行ったじゃないですか。そこからBAD HOPという名前を思いついて、『じゃあ何する?』『Instagramのアカウント作ってみるか』みたいなところから始まったんです。で、Pablowが優勝した後、一回目のイヴェントがあったときにBAD HOP名義でライヴに出たのが始まりですね」
■今となってはすごく絶妙なグループ名に感じますけど、それぐらいラフな感じで決まったんですね。
「最初は、『BAD HOP=バッドなHIP HOP』みたいに勘違いされるかな?って思ったんですよね。だけど、イレギュラー・バウンドの『どこに(ボールが)跳ねるか分からない』っていう意味は良いな、って思ってて。それと、イヴェントの『BAD HOP』をやってたのが自分のお兄ちゃん的な人だったし、『その名前を全国に持って行きたいな』っていう熱い気持ちはみんな持ってますね」
■その時点では、YZERR君とT-Pablow君以外のメンバーってまだラップをそんなにやってなかった時期でしたっけ?
「今考えると、まだみんな全然やってなかったですね。僕とPablowが(一回目の『高ラ選』後)一年間離れていた時期だったというのがあって、他のメンバーもラップしてなかったというのもありますね。ラップはやってたんですけど、みんなメチャクチャ下手だったし、完全に遊びでした。ライヴをやっても、無理やりやらされてたようなメンバーもいたし。僕らの周りはオトナになるのが早いというか、若いときに子供が出来たりするようなヤツがいっぱいいるし、そうなるとオトナになっても友達と一緒にいれる“口実”が必要で、それが単にラップだったというか。ラップを通して、子供のままでいたい自分たちが繋がれてたな、っていうのは思いますね」
■ANARCHYのドキュメンタリー映画『DANCHI NO YUME』でも彼の仲間が同じようなことを言ってましたね。「仲間と一緒にいれるなら極論、HIP HOPじゃなくてもよかった」みたいな。
「ラップの前は、それがヤンチャなことだったんですよ。チームみたいなのを組んで。で、そういったヤンチャなことから手を引こうとなったら普通の人になっちゃうというか、本当に何も繋がりがなくなると思ったんですよね」
■YZERR君とT-Pablow君は、他のメンバーより先に台頭したから、他のメンバーもそこに追随する形でスキルを上げていったと思うのですが、彼らの意識がアーティスト的な意味で高まってきたと感じたタイミングは?
「それは、今作からですね」
■あ、今作でやっとそうなった、という感じ?
「はい。今作を制作してるときにそれを感じました。前はやっぱり遊びだったんですよ。『BAD HOP 1 DAY』を出した頃も。僕たちが遊んでる感じをみんなに聴いてもらってたというか。もちろん、やり方とか出し方は考えてたんですけど、僕たちが遊んでる感覚をみんなと共有したかったというか。だから、あの頃は『作品を作ろう』ってなって作ってた感じじゃないんです。でも、今作は『作ろう』ってなった。以前は、細かいリズムとかが気になったとしても、あまりダメ出しやボツにしたりはしなかったけど、『Mobb Life』はより“仕事”というか、『ちゃんと作った上でみんなに聴いて欲しい』という気持ちが高まった。作ってたとき、『今回はちゃんとやらないとな』っていうことはみんな言ってましたね。全国流通の作品が出せるって決まった時点で……小さく聞こえちゃうかもしれないけど、発売すると売り上げ枚数とかが出るじゃないですか?『BAD HOPが最近勢いがある』って言われてるのに、全然売れなかったら恥ずかしいな、って。でも、今回は『やっちゃっていいんじゃないのか?』って思ったんです」
■その時が来た、と。これまではストリート・アルバムやフリー・ミックステープのリリース、積極的にMVの発表を続けていたり、昨年末は川崎/大阪でフリーのワンマン・ライヴも成功させてましたけど、僕的にはすごい計画的にバズ作りをしていた印象があるんです。“次”を見据えた動き/準備を着々としていたように見えてました。 「それはメッチャ考えてたし、今も考えてますね。2WINでアルバムを出した頃も考えてたけど、より意識的に考えるようになったのは『誰かが仕切らないとBAD HOPのアルバムは一生出来ないな』って気付いたからですね。その頃考えてやろうとしたことは、全部やれてます。この後、BAD HOPのZineを出したいと思ってるし、自分たちの映画を作りたいというのも現時点で考えてて。立てた計画は全部、日にちまで決めてるし、向こう3年ぐらいの計画は全部見えてますね」   ■そうした計画を立ててるのは、YZERR君なんですか? 「僕以外、いないんですよ。僕以外でそんな計画について言い出したことを聞いたことがないですね。Pablowとかは、音楽面での細かいこととかはいろいろ考えてますけど。あと、曲に関するジャッジも僕がやってるんですよね」   ■今作もエグゼクティヴ・プロデュースをYZERR君が務めてますしね。そういった計画を細かく立てるのは、自分たちがラージになるためのビジネス的視点で考えているのか、単にYZERR君がそういう性格なのか、どっちなんですか? 「ビジネス的な感じかもしれないですね」   ■でも、YZERR君のアーティストとしのキャリアが実質的に始まったのは2WINのアルバムの頃からだろうし、それ以前の業界経験から培った知識や経験値はなかったに等しいですよね。「こうやったらこういう風になれる」というイメージは、確信があったとしても根拠はなかったわけで。 「僕、ラップから離れてた時期にそういうことをすごく勉強してたんですよ。ビジネスのセミナーに行ったりとか。ラップ以外のビジネスで、僕が考えてやったことが当たってお金が入るようになったこともあって」   ■じゃあ、商才が元々あるということだ。 「昔の話ですけど、例えばバイクを安く仕入れてそれを売るみたいなことをずっとやってたんですよね。海外で何百着もシャツを仕入れて、それを売ったりもしてた。だから、小さい頃からそういうことはやってたんです」   ■そういったビジネス・センスは、ストリートでの経験から得たハスラー・メンタリティのようなモノが影響している?それとも、もっと王道なビジネス・マインドに近い? 「一時期はビジネス・マインドすぎちゃってリリックが書けなくなっちゃいましたね。敢えてだらしなくやることによって、アーティストとしてより良く見えたり良いフロウが出て来るということは、前から大事にしてたんですけど、ビジネスを意識しすぎてた頃はキッチリした人になりすぎちゃって、朝起きたらすぐお金のことを考えたりしてた。それこそマーケティングとかプロモーションのことを延々と勉強してたんで。でも、元々はストリートみたいなところでバイクとか服を売ってたから、ベースのマインドはやっぱりそういうところから来てますね。言い方は悪いですけど、僕たちは音楽を『売ろう』とは思ってないんです。音楽を通して知名度を上げていけば、それに付随する商売がお金になるというのが分かってるんで」   ■でも、そういった考え方は現在の世界的な音楽シーンの傾向と合致していますよね。USだとCHANCE THE RAPPERは正にそういう考え方/やり方で成功しているわけだし。 「そうですね。だから、フリーで���品を出していたのも、名前を上げることを最優先にしていたからだし」   ■だから、自分たちの音楽はある種“広告”ということですよね。 「はい。あと、例えばPablowが4回目の『高ラ選』に出たとき、彼は普通の服装で出ようとしてたんですけど、僕が上から下まで服装を変えさせて、洋服代だけで40万円ぐらいかかったんですよ。でも、その40万円は後々、何千万〜何億円になると思った。だから、最初から僕は“音楽目線”じゃなかった(笑)。でも、フリー・ライヴをやったりとかは、HIP HOPの中でそれをやったから話題になっただけなのかな?って思います。J-POPとかだったら、若手が全国を周って武者修行的に無料ライヴをやるとか、みんながやってるようなことだし。そういったことをHIP HOPでやったってだけですね」   ■「Mobb Life」に至るまでの計画/流れは、YZERR君的には概ね上手く行ったと思う? 「“軌道修正”は上手くいったとは思います。まず、『自分たちがダサイ』ということを認めることから始まったというか。実は、去年『BAD HOP 1DAY』を出す前にBAD HOPを解散しようとしてたんですよ」   ■それは、「自分たちがダサイ」と思ったから? 「はい。僕もラップを辞めようと思ってた。『自分がやってしまったことはHIP HOPに対する冒涜だ』ぐらいに思ってました」   ■そこまで……? 「BAD HOPというか、僕とPablowの活動含め、ですけど。『僕が一番嫌っていたようなラッパーに、自分自身がなってしまった』って思っちゃって、そこから病んじゃったんですよね。HIP HOPの現場にも行きたくなかったし。中立なスタンスのラッパーってあんま面白くないな、って思ってたんです。バランスを取ろうとして計算高いのが見えちゃうようなラッパーって、ドキッとしないんですよ。BAD HOPはそういうことより、より“素”でやってる感じが伝わってたと思うけど、僕とPablowはHIP HOPな筈なのにHIP HOPをやってなかったな、って。ポップなことをやろうとしても、SKY-HIさんみたいなところまでは行こうとはしないじゃないですか。その一方でヤンチャな部分を残しとくという、そこのバランスを取ろうとしている自分に嫌気が差してしまった。でも、その現実を認めた後に『どうしようか?』って話し合って、『じゃあ、もう一枚作ってみるか』ってなって出来たのが『BAD HOP 1 DAY』だったんです。BAD HOPとして最初にMVを出した“B.H.G”や“Stay”とかがあったけど、それらと比べて、その後に出した“Liberty”“New Root”の辺りはちょっと音楽性が変わっていったと思うんです。それが正に、“軌道修正”をしたタイミングなんですよね」   ■その結果、アンセムとなった“Life Style”のような曲が出来た、と。 「その頃、3ヶ月間だけ本当に追い込みました。どんどんディグっていって、『もっとHIP HOPを好きになろう』という努力をしてましたね」   ■とことんマジメだなぁ……(笑)。 「いやいや。でも、そういうことに気付けたから今がある。フリー作品やフリー・ライヴをやったことで、『クオリティが追いついてないな』ということに気付けたし。最初から気付いてはいたけど、そういう活動があったからこそ、自分の理想に近づけようとすることが出来た。で、その結果が『Mobb Life』になってます。今回のアルバムはすごく聴きやすいと思うんですよね。初めての人も聴けるし、HIP HOPが好きな人も『分かってるじゃん』って言ってくれるようなモノを作ろうと思った。でも、“BLACK BANDANA”とかは言ってることが少し乱暴だから、女子中学生とかにはちょっとハードかもしれないけど、『そういう子たちも聴くだろうな』とは思ってたし、『そういう要素も含めてHIP HOPなんだよ』ということを教えていかないと、HIP HOPがヤワなモノになってきちゃうと思ったから、そういう曲も敢えて入れたんです」   ■時には“毒”も必要だということですね。 「だから、盤としてアルバムを出すにあたって、『そういう曲は入れよう』って話し合ってました」     ■だけど、そういったあからさまにハードな曲は、今作だと“BLACK BANDANA”や“口だけ”ぐらいですよね。そういった要素は必要とは思っていたとのことだけど、ミニマムに抑えたのは意識的にそういう曲を減らしていったから? 「意識的、ですね」   ■悪さ自慢じゃないけど、素行が悪かった頃を振り返るギャングスタ・ラップ/サグ・ラップ的な曲は、書こうと思えばいくらでも書ける筈ですよね。でも、今作は敢えてそれをいち要素に留めている。 「それは多分、聴く人が多くなってきたことで“責任”がデカくなってきたからですね。あと、今は自分たちのメンタルがそこにない。そういうことを歌いたくなくなってきたのかもしれない。不良的な世界とはいまだにギリギリの距離感かもしれないけど、前はヤンキーがラップしてたんだとしたら、今はちゃんとアーティストになったというか。前が『ヤンキー的思考8割/ラップ2割』だったとしたら、今はそれが逆になった。ギャングスタ/ヤンチャ的なメンタリティは常に持ってますけど、そこはメッチャ変わりましたね」
■BAD HOPの作品もそうだし、T-Pablow君の『フリースタイルダンジョン』での露出もそうだったけど、メンバーのスキルや音楽性が露出/リリースを重ねる毎に確実に進化/成長していっているのがリスナーにも伝わるというのが、これまでのBAD HOPの動きを見てていいな、と思ってた部分なんです。YZERR君から見て、近年最も成長したメンバーは誰だと思いますか? 「Tiji Jojoは、元々天才キャラだったというのもありますけど、彼ですかね。最初の頃は、他のメンバーはJojoのラップを聴いて『お前、マジでダメだな』みたいな感じでしたけど、僕は『コイツはヤバくなる』って思ってた。アイツは、人が無条件に好きになる要素があると思うんです。彼のユルい性格含め、嫌いになる人はいないんじゃないかな?って。だけど、どこか引っかかりになるクセがあって、その違和感を他のメンバーは指摘してたんだろうけど、僕は逆にその違和感がいいな、って。でも、一番成長したのはVingoかな。最初に入ってきたときはラップも見た目も — ツイスト・パーマにバケット・ハットみたいな見てくれで、『うわ、こいつダセェな』みたいな感じだったんですけど、全部変えさせましたね。多分アイツは、音楽においては俺のことを“親父”みたいに思ってると思う」   ■やはり「Mobb Life」はこれまで発表してきた作品と比べて、その“重み”は全然違う? 「そうですね。このアルバムが、今後の僕たちの行く方向を決めてくれると思う。このアルバムが、このクオリティより低いモノだったら、多分これから作品が連れて行ってくれる先の“景色”の規模は小さいと思うんです。今、このタイミングでリスナーは判断すると思うんですよね。今って、『BAD HOPはカッコ良い』『BAD HOPはダサイ』という意見の間で揺れてると思うんです。多分、リスナー個人の心の中でもそこは揺れてると思う。このアルバムで決定的な評価を決めさせるというか、『あ、コイツらは絶対カッコ良いな』って言わせるために説得力を持たせる作品を作ろうと思いましたね。あと、“王道感”も意識した。若くてヤンチャな子でラッパーになる人って、今後、出て来ないんじゃないか?って思ってるんですよ」   ■それは何故? 「ちょっと悪いことしてたレヴェルの子だったら分かるんですけど、本当の意味でヤンチャな子、街の全部を仕切ってるレヴェルだと。これまで『高ラ選』でオーディションを通して千人単位が出て来たのに、本当にヤンチャだったラッパーが僕たちだったというのが驚きで。でも、僕たちが憧れてた人たちって、そういう本当にヤンチャだったような人たちだったし、そういう意味での“王道”を意識した」   ■「そういったアートフォームを継承して守り続けるのは自分たちだ」ということ? 「そこに対する責任じゃないですけど、そこに挑戦したいと思いました。ANARCHYさんが出て来たときとか、彼はそういうことを意識してたと思うし、そこが好きだったんです」   ■それこそTOKONA-Xとかもそうでしょうね。 「そうですね。昔のそういった雰囲気を持ちつつ、新しいこともやるバランス感というか。でも、こういうことはアルバムが出来上がってから特に思うようになりました。自分で言うのも変なんですけど、『Mobb Life』が出来て、自分たちが若い子たちを引っ張っていく存在になれるんじゃないか?って。今後、若い子たちの間でHIP HOPがもっと流行って変わるときが来るんだったら、それを変えるのは自分たちでいたい」   ■「若くてヤンチャな子でラッパーになる人って、今後、出て来ないんじゃないか?」と話していましたけど、BAD HOPが成功することでそういったニューカマーがどんどん出て来る可能性はあるんじゃないですか? 「ああ、それ、いいですね……それが理想です」   ■今作というか、これまでもそうだったようだけど、BAD HOPの音楽面でイニシアチブを執っているのはYZERR君なんですよね? 「みんな、絶対やらないんですよ。僕みたいな役割の人がいなかったら一生何もやらないと思う」   ■ラップをやる以前から、YZERR君はそういうリーダー的な立ち位置だった? 「完全に、小学生の頃からそうでした。最初はPablowが���うでしたけど、途中から僕になりましたね。そういう意味では、上下関係みたいな感じにはなっちゃってますね。“友達”というより“先輩”というか。まあ、それは昔からそうだったから、その関係性は変わらないですね」   ■クルーを長期的に成功させる上では、リーダーは必要でしょうしね。今作の制作面で、YZERR君は自分のラップ以外でどんな役割を果たしたんですか? 「トピックを考えたりとか。でも、今回はみんな、言わなくてもちょっとずつ出来るようになってきてた。日常生活の中で教え���ことが多いですね。HIP HOPは“ノリ”があることが大事で、それが全てだとぐらい思ってるんです。その人のラップを聴いたら、どんな/どこの音楽に影響されてるのかが分かるというか。例えば、レコーディングしてるときに『はい、もう(ブース)出て。“J”出ちゃってるよ』って言ったりするんですけど」   ■“J”? 「『内なる“J”、出ちゃってるよ』って。“J”は“ジャパン”ってことなんですけど(笑)。『お前、日本っぺぇな』って、そういうことはメチャクチャ言いましたし、そこは大事にしようってみんなで心がけました。“J”っぽいのは俺たちの“ノリ”じゃないんで。その(ノリから脱する)ためには、日常生活に至るまで自分たちがHIP HOPを好きにならないといけない。僕自身、今回の制作を通して成長できた部分があると思うし、その成長をメンバーも感じてくれたから、(全体の)スキルが上がったというのもあると思います」   ■自分の行動で示す、ということですね。 「そこはメチャクチャ大事にしました。ダサかったら『ダサイ』ってみんなで言い合おうと決めてましたし。普通だったら心が折れちゃうぐらいのことも言いました」   ■全否定、ぐらいな? 「全否定します。『もう無理だよ、お前みたいなヤツは』って。みんな、何度も辞めたいと思いかけたと思います」   ■でも、メンバーも多くて性格もそれぞれ違うだろうし、叩いて伸びるタイプもいれば褒めて伸びるタイプもいるじゃないですか。イヤらしい言い方をすると、YZERR君なりの“人心掌握術”はあったりするんですか? 「やっぱりみんな、性格は違いますね。そこのバランスはすごい保ってますけど、意識的にやってるというより、小学校の頃から僕はこういう立ち位置だったから、そこはこれまでの経験で分かる。『コイツ、今落ち込んでるんだろうなー。でも、ここを乗り越えたらもう一段スキルが上がるだろうな』とか」   ■BAD HOPの音楽性は、BAD HOPと同世代のUSラッパーが積極的に取り入れているスタイルが軸になっていると思うし、今作でも様々な形でそこからの影響が表われていると思います。そういったUSの“最先端”とリンクした音楽を作るというのは、意識的にやっていること?それとも、自然とそうなっている? 「すごく生意気な言い方になっちゃうんですけど、今作では『日本の中で勝負をしよう』と思わなくなったんです」   ■所謂日本語ラップ・シーンや日本の音楽シーンの中じゃない、ということですね。 「HIP HOPは、『誰がヤバいフロウをした』とか、そういうことが語り継がれていった方がいいと思うんですけど、その規模は世界基準で見たらやっぱり負けてるな、って。正直、日本のHIP HOPはすごくクオリティが低いと思ってます。韓国とか行ってもそれを痛感したし、それに食らっちゃって。『何で同い歳でPOST MALONEみたいなヤツが出て来てるんだよ』とか思いますよ」   ■あ、POST MALONEって同い歳なんだ。 「やっぱヤバイじゃないですか、それって」   ■YouTubeだと何億回って単位の再生数で、既にトップ・スターですしね。 「そうなったときに、『俺、コイツに負けてるわ、悔しいな』って気持ちになるし、『コイツらより先に行きたいな』って思うんです。まだ、自分たちは“フォロワー”みたいな感じだけど、いつかそこを超えたい。相手が世界というか、世界の同世代ラッパーと張り合おう、って気持ちが強くなりました」   ■様々なタイプのトラック — メロウなモノからハードなTRAP、メロディアスなTRAPスタイルまで今作では取り入れてますよね。初期のBAD HOPはよりドリル・ミュージック感というか、シカゴのTRAPミュージックのようなヤンキー感強いモノが多かったですよね。その音楽性の変遷について話して頂けますか? 「世界的なトレンドに合わせようとしてるのかもしれないです。ここ数年でまたトレンドが変わってきたと思うし。一時期はシカゴが熱かったと思うんですけど、そこからまた違う人たちが出て来たと思うし、その変化を敏感に取り入れようという努力はしてます。僕の中では何人かキー・パーソンがいるんですよ。最初の頃はCHIEF KEEFが好きで、その後に出て来たLIL UZI VERTとかRICH THE KIDが出て来た頃は、正直その辺りは好きじゃなかった。あくまで僕は、なんで、多分他のメンバーは好きだと思うんですけど。で、TORY LANEZやPOST MALONEが出て来て、彼らをディグり始めたときはYouTubeで何万再生ぐらいだったのが、どんどんデカくなっていくのを見たし、音がちょっとずつ、どんどん変わってきたのも感じた。あくまで感覚的なことなんですけど。例えば、シカゴでもLIL DURKとかもスタイルが変わったと思うけど、アーティスト単位での変化も追っちゃってますね。TRAP的なスタイルも徐々になくなってきてるな、とも思ってて。今度は90年代っぽい雰囲気が残ってるサウンドを使ってる人が増えてきたな、とか。最近、ダンスホール的なサウンドが流行ったじゃないですか?で、そこからどんどんその要素を取り入れていく人が増えてきて。そういった変化を敏感に感じ取ろうとしてますね」   ■やっぱり、BAD HOP内でも現行のHIP HOPが好きだとしても、メンバーによって好きなラインは異なる? 「違いますね。僕は基本、ヤンチャなラッパーが好きなんですよ。最近だと、今更ですけどGIGGSとかMONEY BACKとか。ヤンチャなんだけどノリがあるというか。他のメンバーはSMOKEPURPPとかSCAR LORDSとか、ああいうのをみんな聴いてますね。最近の若い子たちは、マリファナ的な感じよりコカインとかの方が好きそうだな、みたいな、そういうヤンチャ小僧が多いですよね。“早い”感じというか、そういうのが流行ってますよね。RICH THE KIDやLIL UZI VERTみたいな感じは、当初やってた感じまでだと思ってたら、そこから更に天井が高くなったというか。あの辺は髪の色を染めたり、所謂不良的な感じじゃないというか、『音楽だけで人を楽しませる』感じですよね。BAD HOPの音楽性が変わってきたのは、そこの影響があるのかもしれないです。そういう人たちが増えてきた一方で、もっと生意気そうな感じのヤツも出て来て。ケンカ弱そうだけど生意気、みたいな」
■今作だと“Super Car”みたいな曲は、歌われている内容は“ファンタジー”じゃないですか。以前は自分たちの経験談や身の回りの話についてしか歌えなかったとするなら、それ以外のファンタジー/フィクション的な要素を取り入れようとする余裕みたいなモノも生まれてきたのかな?という気がして。 「あー、そうですね。今の内に歌っとけば、後々そこまで行けるんじゃね?っていうか。前までは現実味がなさすぎたんですよね。でも、今なら『コイツら、本当に手に入れちゃうんじゃね?』って思わせられるかな?って」   ■「ラッパーは身の回りにあるリアルなことだけを歌うべきだ」という人もいると思うけど、個人的にはもっと幅広いモノだと思っていて。ハードコア・ラッパーでもファンタジーを歌っていいじゃん、って前から思ってたんです。極端にリアル志向なラッパーが日本には多い気がしてて。そうなっちゃうと、例えばずっと貧乏暮らししてるラッパーはずっと貧乏くさいラップをし続けなくちゃいけないのか?ってなっちゃうし。 「自分たちは、変にリアルさに拘ったりはしてないと思いますね。“Super Car”みたいな曲は、ファンタジーというより“願望”を歌ってるんですよね。そういうことはやってもいいと思うし、実際に出来ると思ってきてるんで。ウソを付きすぎるのは良くないかもしれないけど、そういう“体”でやるのはアリじゃないかな?って。例えば、まったく普通だった人が『俺はヤンチャしてきたぜ』みたいに言うのは流石に行き過ぎだと思うし、『もうちょっとバランス取れないのか?』って思いますけど(笑)。確かに、日本のリスナーはそういうことに対してうるさいな、って思いますね」   ■作品を通して、「イケてない」とか「ダサイ」っていう言葉がよく出て来るじゃないですか。YZERR君の定義だと、どんな人がイケてなくてダサイんですか? 「言葉にしようとすると確かに難しいですね。……まず、ラッパーなのにHIP HOPが好きじゃない人というか、HIP HOPの“側面”だけが好きな人。そういう人はマジでダサイな、と思いますね。例えば、LIL UZI VERTの曲でも適当にやってるように聴こえても、実際は適当じゃないと思うんですよ。リズムとか含め。でも、“側面”だけが好きな人はその“側”だけに憧れてやっちゃうし、そういう人っていっぱいいると思うんですよ。僕は、もっと日本でも『誰が今、一番イケてるね』って議論していくべきだと思うんですけど、そこの争いがないというか。フリースタイル・シーンの人たちでもMIGOSを知らない人とかいるだろうし、そうなると『ああ、この人は“側”が好きなだけなんだろうな』って」   ■HIP HOPが好きというより、「ラップすることが好き」なラッパーは実際、いるでしょうね。 「『HIP HOPが好きなんじゃないんだな』っていうのが分かっちゃうんですよ。それは、『昔の自分がダサイな』っていう話と同じですね。僕たちも、理想としているモノに辿り着いてないですけど、そこに対しては頑張ろうとしてる。今作を聴けば、分かってくれる人には伝わると思う」   ■曲の中でも言っているし、前々から発言してきたことではあると思うんですけど、そういう意味では最近の日本のバトル・ラッパーには「ダサイ」「イケてない」人が多いと感じる? 「感じますね。『日本はHIP HOPが向いてない国だな』って感じてるんです。NYに行った後、日本に戻ったらすごく違和感を感じることが多くて。例えば、ラジオとかで何か言っただけで『悪さ自慢だ』ってなったり。そんなこと言ったらHIP HOP自体、聴けないじゃないですか。例えば法律とかの規制も含め、日本は向いてないな、って。僕にとっては、良いクルマに乗って横にモデルとか女優を乗せて、『フライデー』で撮られた一週間後に“パパラッチ”って曲を出しちゃうとか、そういうことが『ラッパーっぽいな』って思うんですけどね。尚且つ、やっている音楽もしっかりしてるというか、そういうのが理想ですね。でも多分、バトル・ラッパーとかリスナーの多くは、もっと普通な感じが好きなんだろうな、って。フリースタイル/バトル・ブームがこれまでの日本のHIP HOPの歴史上、一番大きな規模で来ちゃったっていうのが、一番物語ってると思います。普通の若い子が粋がっちゃったりとか。『一緒にフリースタイルして下さいよ』って来て『おいYZERR、お前は〜〜』みたいなヤツとかいるし(笑)」   ■今作でも、礼儀知らずなヤツに対して言及してるラインとかありましたね。そういう意味ではBAD HOPってモラリストだな、って思うんですよね。世の中の基準で正しいかどうかはともかく、自分たちなりの倫理観やHIP HOPに対する美学や仁義がハッキリとある。攻撃的な曲は、そういった自分たちの価値観と外れている対象に向けて言ってますしね。 「あー、そうですかね」   ■適当そうに見えて適当じゃないスタンスもそうだし。BAD HOPの世代のラッパーで「礼儀が正しくない」なんて、普通、言わないと思いますよ(笑)。 「礼儀とかは、いろんな人たちと接するときに、メンバーにもすごい気を付けさせますね。変に常識的なところはあるかもしれないです。知り合いの社長さんみたいな人と会ったときとかは、毎回勉強だと思って『右に人が座ってたら左手でタバコ持って見えないようにしろよ』とか。小さいことですけど、そういった決まりが何十個もあります」   ■はー、しっかりしてるわ〜(笑)。 「『お前、今、口調悪かったよ』とか」   ■USのラッパーだと悪ガキで不遜なノリ全開、みたいなのもひとつのスタイルとしてあるじゃないですか。でも、BAD HOPはちゃんと秩序を保ってるというか。 「ひとつのスタイルとして、そういうノリを出したりすることはありますけどね。でも、人間としてちゃんとしてない人のラップは結構キツイです(笑)。LIL UZI VERTとかのラップを僕が好きじゃないのは、多分そういうことかもしれないです。芯がないというか。昔から憧れてきたラッパーの人たちは、まず人として一本筋が通ってると思うんですよね。口だけで芯がないようなラッパーは、多分2〜3年後にはいなくなってるんだろうな、って。『“側”だけが好き』っていう話と繋がってきちゃうんですけど」   ■昔は、YZERR君も日本語ラップ・ヘッズ的な部分があったと思うけど、今はまったくそういう要素はない? 「まったくないですね。一年間で一曲も聴かないかもしれない。もちろん、昔の曲も含めるとカッコ良い曲は多いんですけど、新しい世代を見ると……何回も同じこと言っちゃうんですけど、“ノリ”がないな、って思っちゃうんです。その“ノリ”は簡単に出せるモノじゃなくて、習得するためには何ヶ月も必要だと思うんです。そのためには遊ばないといけないし、その遊び方も重要だと思います。自分が完璧に出来ているワケではないですけど、その考えを実践してきたことによって、少しはその“ノリ”が自分でも分かるようになったかな、って。それって、音楽的に『後ろ目にちょっと気持ち良く載せてみたら』とか、そういう話じゃないと思うんです」   ■ライフスタイルとして染み付いてないといけない、というか。 「そうですね。それはマインド/考え方含め。そうなってくると、日本のラッパーでそれを出来てない人は多いと思う。その一方で、“ノリ”が出過ぎちゃって人としてダメになるのはいけない、っていう線引きはあるんですけど」   ■かなり自分たちの音楽に対しての自己批判精神が強いというのは、今回のインタビューでもよく伝わりますけど、「Mobb Life」を完成させての満足度は如何ですか? 「満足度……聴いてくれた人は結構『良い』って言ってくれますね。Zeebraさんにそう言ってもらえたのが一番デカいですね。『今までは“頑張って”って思ってたけど、今回は違うわ。マジでよく頑張ったな』って言ってくれて。実際、『SUMMER BOMB』のトリにしてくれたし、そういう意味ではひとつやり切れたな、って。今までは自分自身やBAD HOP自身のことが嫌いだったし、『昔の曲はライヴでやりたくないな』って毎回思ったりするんですけど、今回は第三者的に見ても自分がBAD HOPのファンになれるな、って。自分の作品をやっと愛せるようになりました」   ■言える範囲で、これから考えてるプランはどんなことですか? 「まずは、それぞれソロ・アルバムを出しますね。そろそろひとり単位で立てるようにならなければいけないと思う。BAD HOPという存在に依存するというか、ずっとそこにいるのも良くないな、と思ってて。ひとりひとりが主人公になれればいいな、って思ってます。グループとしてステージに立つから強気になれる部分もあるし、クルーがあると甘えちゃうと思うんですよ。だけど、ひとりだけになったときにライヴが出来るか?っていう。それは、ラップだけじゃなくてトークや照明とかの部分含め。自分だけでトータル・プロデュースが出来るようにならないといけないし、それが出来てもう一個成長できたらいいな、って」
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2017/04/18 唾奇 x Sweet William “Jasmine” Interview
「多分、ウィルさんのビートじゃなかったら全然違う聴こえ方がすると思いますね。リリックに関しては、『小さくもならないし身の丈も超えない』という拘りはありますね。だから、現状についてしか言ってないし、歌えない。今の自分が歌えることを全部歌った、っていうのがこのアルバムになってます」 -- 唾奇
 続々とニューカマーが登場している昨今の日本語ラップ・シーンだが、沖縄を拠点に活動する唾奇はその中でも異色……というより異様なオーラを放っているMCと言ってもいいかもしれない。彼はこれまで、ハードな環境からの出自を窺わせるだけでなく、自身の人間性やライフスタイルを自虐的とも受け取れるレヴェルでリリックに落とし込んできた。
 そして、愛知県出身のSweet Williamは、確かな音楽的素養を感じさせるメロディ・センスとジャジーさを伴ったトラックで、近年着実に評価を上げてきたトラック・メイカーだ。
 そのふたりがタッグを組み完成させた「Jasmine」は、不思議な感触のアルバムだ。毒気の強い唾奇のラップと洗練さを感じさせるSweet Williamのトラックは、相反するスタイルのようにも思える。だが、彼らはその組み合わせが生み出すミスマッチ感を逆手に取ることで、ネガティヴな表現が目立つリリックにも関わらず、すんなりと聴き通させてしまう絶妙な塩梅を保っている。
 彼らのプロフィールやふたりが出会い共作にまで至った経緯を語ってもらうことで、今作の塩梅の秘密を探ってみた。 インタビュー:伊藤雄介(Amebreak)   
■“South side ghetto”で「那覇市Ghettoに咲く月桃」という一節がありますけど、唾奇君は具体的に沖縄のどの辺りで育ったんですか?
唾奇
「今回のアルバムに“The girl from Yosemiya”っていう曲が入ってるんですけど、寄宮っていうところで祖母ちゃんと、ちょっと前まで住んでたっすね。都市部みたいに発展している土地ではなくて、瓦屋根の家がいっぱいあるようなところです。ワケあって実家がぶっ潰れちゃったんで、今は国際通りの裏に住んでる感じです」
■リリックで「家無し」って言っているのもそういうところから? 唾奇「そういうこともあって、二回ぐらいホームレスになっちゃってるんですよ(笑)。今も住所不定で、家を転々としてます」
■唾奇君が初めてHIP HOPと認識して聴いた曲は? 唾奇「キングギドラですね。小6でした。食らったっすね。姉ちゃんの当時の彼氏が音楽好きで、セックスするときに喘ぎ声を消すために爆音で音楽をかけてたんですよ(笑)。で、それこそ浜崎あゆみとか長渕剛とかも流れてた中、ギドラの“トビスギ”が流れてきた。何を言ってるかは分からなかったけど、『取り敢えず言っちゃいけんこと言ってんな』って思ったのがファースト・インパクトで、そこからはずっとギドラを聴いてたっすね。だけど、当時知ってた日本語ラップはそれぐらいで、あとはRIP SLYMEとか。姉ちゃんの彼氏が流していた音楽しか分からなかったし、当時はディグり方も分からなかったんで、音楽も服も、その彼氏からのお下がりを与えられてた感じでした」
■じゃあ、その時点でHIP HOPカルチャーとして注目したというわけではない、と。 唾奇「その後に聴いたのが、多分LGY(LGYankees)とかで。沖縄は、一時期ウェッサイが熱くなった時期があったんで、中学生の頃とかはみんな同じようなモンを聴いてたし、『この曲、良いよ』って教えられたモノばっかり聴いてました。だから、俺は逆にギドラが『変なラッパー』だと思ってたんですよ。ウェッサイ的なのがHIP HOPの王道だと思って聴いてたんで」
■昨年末、CHICO CARLITOの取材をしたとき、彼が日本語ラップに開眼したきっかけは、唾奇君が働いていたバーで流れていた日本語ラップを聴いたときだったと語っていました。 唾奇「『パラバル』っていうバーですね。元々、CHICOは僕に日本語ラップを教えてくれた仙手ってヤツのツレだったんです。で、僕は仙手からBESさんとか教えてもらって。でも、そのときは頭の中がウェッサイになってたから、言葉が難しすぎて逆に聴き辛かったんですよね」
■日本語ラップとはそれぐらいの距離感だった唾奇君がラッパーを志した経緯は? 唾奇「意識して『ラッパーになりたい』と思って始めたワケではないんですよね。『やることないからラップやろう』みたいな感じでやってただけで。リリックを書き始めたのは17歳ぐらいのときです。2年遅れて高校に入ったんですけど、2個下の代に地元の後輩がいて、そいつが授業中にめっちゃラップを歌ってて、そこからいろいろ教えてもらって『ネット・ライムをやろう』みたいな話になったんです。でも、ああいう場だと結構ボコボコに言われるじゃないですか。俺、メンタル弱いんで、『コレはやめよう』と思って(笑)。その頃はその後輩とリリックを送り合ってたんですけど、『簡単にレコーディングできるっぽい』ということを知って、パソコンとSkype用のマイクをゲトって、それを使ってレコーディングを始めたのが19歳ぐらいですね」
■ラップを始めた頃に影響を受けた人は? 唾奇「『この人ヤバイな』と思って全部アルバムを買ったのは894さん(MIDICRONICA)ですね。リリカルな人が好きなんで」
■まさか、沖縄のラッパーからその名前が出て来ると思わなかったのでビックリしました。 唾奇「894さんを教えてくれたのも仙手ですね。彼は相当なヘッズで、日本語ラップという括りで呼ばれるモノは全部、そいつに教えてもらったっす。それ以外だと神門さんとか狐火さんとか。小林勝行(神戸薔薇尻)さんとかも好きでしたね」
■唾奇というMCネームの由来は? 唾奇「アニメが好きで、『ソウルイーター』っていうアニメの登場人物に“椿”っていう女の子がいたんですよ。当時、『men’s egg』とかの影響でギャル男が流行ってたじゃないですか?その見た目で“椿”って名前だったらホストっぽいな、と思って。そこから『字面を汚い感じにしよう』と思って唾奇になりましたね」
■ということは、当時はギャル男だった、と(笑)。 唾奇「そうっすね(笑)」
■今のラップ・スタイルからすると、ちょっと意外な思春期ですね。 唾奇「でも、ダンスとかはずっとやってたし、小6の頃からはずっとB・ボーイ・ファッションだったんですよね。オーヴァーサイズの服を着てスキンヘッドだった。それも姉ちゃんの彼氏に『コレがカッコ良いから』って、言われるがままにやってたんですけど(笑)」
■しかし、こうして唾奇君のプロフィールを聞くと — 今日初めて会ったけど — どう考えてもSweet William君と性格/育った環境が似ているとは思えない(笑)。 Sweet William「(笑)」 唾奇「完全に対極ですね」
■Sweet William君のプロフィールを教えてもらえますか? Sweet William「愛知県出身なんですけど、今は神奈川に住んでます。子供の頃 — 小3ぐらいからずっとHIP HOPが好きでした。兄貴の影響ですね。三人兄弟で — その頃はまだやってなかったけど — 一番上の兄貴がダンサーで真ん中の兄貴がDJという環境だったから、HIP HOPは自然と家で流れることが多かった」 唾奇「サラブレッドっすよ」 Sweet William「カッコ良く言ったらそうなるかもしれないですけど(笑)。サウンド的に『日本のHIP HOP、そんなに聴かないですよね?』っていう印象を持たれることが多いんですけど、元から日本のHIP HOPは大好きでしたし、入りも日本語ラップでした。当時はTVしか情報がなかったんで、『HIP HOP ROYAL』(スペースシャワーTV)って番組を録画して何回も観てましたね」
■ラッパーになろうとは思わなかった? Sweet William「思わなかったんですけど、ラップは好きだったから、歌詞カードが付いてない作品とかは自分で書き出して覚えたりとかしてました」 唾奇「マメなのが伝わる(笑)。部屋とかめっちゃキレイだもんね」 Sweet William「で、兄貴がウェッサイ系のDJなんで、兄貴のDJ機材を触るようになって機材に馴染んでいって。中学生の頃に、兄貴がパソコンで簡単にトラックを作れるソフトを買ってきて、それを使ってトラックを作り始めました。その後、高校に入る前ぐらいにスペースシャワーTVで観たHIFANAさんがMPCを使ってて、それを観てMPC2000を買いました」
■作り始めの頃に影響を受けたビート・メイカーは? Sweet William「サンプリングという文化があって、ジャズとかをサンプリングして新しく音楽を作る、ということを初めて知ったきっかけはGAGLEでしたね。あと、(nujabes主宰レーベルの)HYDEOUTから出ていたSPECIFICSっていうカナダのグループがいて、そのメンバーのTHINK TWICEっていうビート・メイカーもすごい好きでした。モロにジャズのワン・ループっていう感じの音で、サンプリング・センスが飛び抜けて良いと思ったんです。大学生の頃までダンスをやってて、そこは唾奇と共通してるんですけど、ダンサー時代に洋モノのHIP HOPを聴き漁って。その頃に聴いた90年代のHIP HOPだとPETE ROCKが好きでした。90年代のUS HIP HOPも、自分の中では固い芯になっているというか、ルーツのひとつですね」
■地元もバックグラウンドも異なるふたりが繋がった最初のきっかけは? 唾奇「さっき話した、俺が働いてたバーに出勤して、店でSHUREN THE FIREをかけてたんです。そのバーは特殊な店で、店の外に一番デカいスピーカーがあって、外に向けて日本語ラップをずっと流してるんですよ。で、SHUREN THE FIREを流してたら、大学の卒業旅行で沖縄に来てたウィルさん(Sweet William)が店に入ってきて」 Sweet William「国際通りを歩いてたんですけど、同じような店ばっかりで『何だかなー』って思いながら歩いてたらSHUREN THE FIREが流れてるお店があって、『ここしかないっしょ!』って思って入りました(笑)」
■そんなきっかけなんだ(笑)! 唾奇「で、『HIP HOP、好きなんすか?』って訊いて。『ビート作ってます』『あ、僕、ラップやってるんすよ。連絡先、交換しません?』ってなって(笑)。でも、そういう風に日本語ラップばっか流してると、本当にいろんな人が店に入って来るんですよ。Olive Oilさんも、たまたま5lackさんを流してたら入って来て。『5lackじゃーん』みたいな感じで話してきたから、『あ、好きなんですか?』って訊いたら、『いや、これ俺の曲だよ』ってことがありました(笑)。そういう風に入って来た中のひとりがウィルさんだったんですけど、ここまで太くリンクしたのは彼だけですね」
■SHUREN THE FIREがかかってなかったら、このふたりの出会いはなかったかもしれない、と……。 唾奇「で、連絡先を交換したんで、俺がやってた阿弥陀ってグループのデモを送って」 Sweet William「沖縄からわざわざ郵送してくれたんですよ。でも、ラップもカッコ良いとは思ったけど、そのときはそれぐらいで。その後、2013年頃に僕がネット上でフリーEP『Peat Grape』を出したんですけど、そこに唾奇を誘ったのが、彼と作った最初の作品ですね」 唾奇「彼の1stアルバム『LO ONE』(15年)に“提灯”っていう曲があるんですけど、その曲のオリジナル・ヴァージョンですね(『LO ONE』にはリミックス・ヴァージョンが収録されている)。その撮影が、(沖縄での出会い以来)彼と会った二回目で。そのときにPitch Odd Mansionのボスに初めて会いました」
■Pitch Odd Mansionは、Sweet William君のアルバムのリリース元ですね。唾奇君もその一員とのことですが。 Sweet William「僕と一緒のタイミングで関東に出て来た國枝真太朗っていう映像作家がいるんですけど、彼はすごい人に好かれる人望の厚いヤツで、彼を慕っていろんなヤツが10人以上集ってPitch Odd Mansionという集団が出来て。レーベル……じゃないんですけど」 唾奇「クルー……でもなくて」 Sweet William「クリエイター集団、みたいな」 唾奇「Pitch Odd Mansionは、最初にライヴを観たときからずっと食らってて。自分も沖縄でクルーをやってたんですけど、それは仲違いみたいな感じでなくなっちゃったタイミングだったし、『一番カッコ良いと思ってる先輩たちと何かやれるんだったらいいな』と思って。Pitch Odd Mansionは、ウィルさんがビートを作れるし、國枝は映像を撮れるし、みんなラップできるし……環境が完璧なんですよね。それで、1年ぐらい前に僕も加入しました」
■唾奇 x Sweet Williamという括りだと、BCDMGのアルバム「FACT OF LIFE」(16年)に収録された“Same As”(唾奇, IO & YOUNG JUJU/Pro. by Sweet William)が大きく注目されました。実際、僕も結構前からDJ NOBU a.k.a. BOMBRUSH!(BCDMG)から「注目しているラッパー」として唾奇君の名前は聞いていて。 唾奇「NOBUさんに『IOたちと一緒に曲をやらないか?』って言われて。俺自身、KANDYTOWNのことはいつも遊んでた先輩から教えてもらってて『コイツら、カッケェな』ってタイミングだったんですよね。知り合いのイヴェント・オーガナイザーの子も当時、KANDYTOWNを推してたから『一緒に呼ぼう』って話になって、KANDYTOWNからIO/YOUNG JUJU/DONY JOINTの三人とNOBUさんをイヴェントに呼んだんですよ。繋がりが出来たのはそこからですね」
■“Same As”のMVには今作でも客演しているJinmenusagiもカメオ出演してますね。 唾奇「Jinmenusagiはもっと前からの知り合いですね。彼は元々、Pitch Odd Mansionと仲が良かったんで」 Sweet William「真太朗が彼のMVを撮ってたりしてて。真太朗の家にみんな集まるんで、僕も唾奇も彼の家でJinmenusagi君と繋がって」 唾奇「KANDYTOWNの三人を呼んだイヴェントにJinmenusagiもライヴで呼んだんですよね。そのときにMVを撮ったんです」
  ■CHICO CARLITO一陽来復 feat. CHOUJI, 唾奇”のトラックもSweet William君作でしたが、そういった楽曲を経て、今作「Jasmine」の制作が始まる、と。それはやはり、ふたりの間でも何らかのケミストリーを感じていたからだと思いますが。 Sweet William「唾奇は他のラッパーが言わないようなことを言うし、そのワード・センスに惹かれたんですよね。僕のトラックだと普通は載らないような言葉を載せてくるから、それが面白い。ロジック面でも、彼はちゃんとトラックのメロディに合わせられるんです。唾奇は『このトラックはこの音階で』みたいな感じにビート・メイカー寄りの目線で理解してるワケじゃないですけど、自然と合わせてくる。だから、曲として良い仕上がりになるんですよね」
■今も住んでいる場所が違うふたりですけど、具体的にどういう風に制作をしていったんですか? Sweet William「『こういう曲を作りたい』っていう話はちょいちょい唾奇から聞くことはあるんですけど、基本的に楽曲のイメージ作りは僕がやることが多いです」 唾奇「ウィルさんはウィルさんで作って、俺は俺で作る、みたいな。ウィルさんがトラック出来たら俺に送ってきて、俺もラップが出来たら送る。俺は基本、YouTubeで『90’s HIP HOP INSTRUMENTAL』みたいに検索したトラックの上にラップを載せて、それをウィルさんに送るんですよ。その間も、ウィルさんは自分でビートを作って、完成したら送ってくる。そういう作業をお互いで繰り返してるんですよ」
■じゃあ、���ラックが完成してからそこにラップを載せる場合もあれば、ラップが先に出来上がっている場合もあるということか。 唾奇「そうですね。そのふたつが俺らの作業の基本です」 Sweet William「僕、リミックスを作るのが好きで、いろんな人の楽曲のリミックスをやってきたんですけど、アカペラが先に来てそこに合わせて作るというのは作業的に近いモノがあるから、やりやすいんです」
■だけど、そういう風に作るとサンプリングのトラックだと音程がハマらないこともありそうな気もしますが。 Sweet William「そういう(合わせる)作業は得意分野ですね」 唾奇「その作業が得意というのが、ウィルさんと一緒にやってる上で一番の前提だったりするんですよ。いろんな人にアカペラを送って作ってもらったことがあるんですけど、やっぱりキーがズレてたりするんです。でも、ウィルさんはキー/コードを理解した上で、自分もピアノを弾けるから、送ったアカペラがより良くなって返ってくる」
■聴いた印象としては、Sweet William君のソロ・アルバム「Arte Frasco」の方がポップな印象というか — かと言って今作の音がドープに振り切っているというわけではないんですけど — 今作の方がより抽象性が強い音な印象を受けました。 Sweet William「そうですね。質感的には『Jasmine』の方が“黒い”方に近いのかもしれない」 唾奇「俺は、ウィルさんの曲は全部聴いてるんですよ。(他人の曲を聴いて)『そのビート、俺が使いたかったなー』って思うときもありますけど、ウィルさんが俺用に送ってくるビートは多分他の人には送らないビートだな、というのは強く感じるっすね」 Sweet William「そうですね。言葉で説明するのは難しいけど、唾奇に送るビートは『唾奇がこのビートで歌うからカッコ良い』ってイメージがありますね、多分」
■リリックに耳を傾けると“クズ”とか“カス”という言葉がよく出て来るし、「うだつの上がらない感」というか、そういう停滞感のようなものを感じさせる、ネガティヴさを感じるフレーズが多いですよね。かと言って暗いアルバムという感じもしない、不思議なバランスですよね。 唾奇「多分、ウィルさんのビートじゃなかったら全然違う聴こえ方がすると思いますね。リリックに関しては、『小さくもならないし身の丈も超えない』という拘りはありますね。だから、現状についてしか言ってないし、歌えない。今の自分が歌えることを全部歌った、っていうのがこのアルバムになってます。このアルバムがきっかけで調子良くなれば自分の環境も変わるだろうし、また次は違う内容になると思いますね」
■ゲットー上がりだったり苦しい環境から出て来たラッパーの多くは、希望を見つける術のひとつとしてラップ表現をしていると思うんですけど、例えば「成り上がりたい」みたいな要素が今作の唾奇君のラップにはほとんどないですよね。 唾奇「うん、“現実的”ですよね」
■ラップをやり続けることに意味を感じているというのは聴いてると伝わるんですけど、“出口”が見えないリリックですよね。だから、唾奇君本人はどんな心境で今作を自分の中で処理して書いてるのか、すごく気になったんです。 唾奇「俺はもう、めちゃくちゃ軽いノリですね」
■だから、自虐ギャグみたいなノリに近い? 唾奇「そうです、ギャグっす。『ウケるっしょ?』みたいな。実際はめっちゃノリが軽いんで。現場でも『このリリック、どういう意味なんですか?』とか、申し訳なさそうな感じで訊かれることがあるんですけど、俺からしたら、本当にネガティヴだと感じててラップしてるんだとしたら、こんなことは書かないと思う。全部、自分の中で処理できたからこそ書けているんです。最後の曲“道 -Tao-”(オリジナル・ヴァージョンはMVで公開されている)は結構前に出来た曲なんですけど、この頃は人生が一周グルッと回っちゃったタイミングなんで、いろんなことが一気に起こった。そういったことを全部自分の中で処理しきれたから書けた曲なんですよ。だから、言ってる言葉はネガティヴでも、俺自身の感覚的にはめちゃくちゃポジティヴなんです」
■なるほど。でも、僕も現場で申し訳なさそうに質門してくるような人と近いですよ。今日、初めて会ったから「とんでもない根暗な人だったらどうしよう」と思ってました(笑)。あと、気になったところとしては、女性に対する言及が多いですよね。大体が恨み節っぽいトーンなんだけど(笑)。 唾奇「それは、俺のだらしないところが表われてるんじゃないですかね(笑)。俺は、付き合う人とは長く続くし、“道 -Tao-”を書いた頃に一緒にいた女の子とかも4年ぐらい付き合ってた。長い分、いろんなことがあるし、俺も女によって変わっちゃうところもあって。それこそラップが一切出来なくなった時期があったんですよ。女に色々言われるのがめんどくさいから『じゃあ、もうラップやんねぇわ』みたいな。でも、ポジティヴに考えると、そういう女と別れたから今こうしてラップできてるようなモンじゃないですか」
  ■“Good Enough feat. kiki vivi lily”で「何かと元カノとかのことを書いてるのは手っ取り早くMONEY作るためだから」ってラップしてて、すごいぶっちゃけ方するな、と思いました(笑)。 唾奇「『ラヴ・ソングとか、みんな好きっしょー?』みたいなノリなんですけどね(笑)」
■“Girl feat. Jinmenusagi”も、サビを聴くとすごく良い曲風なんだけど……こう言うと失礼かもしれないけど、すごくダメな感じで……。非常に申し訳ないけど、唾奇君の人間性を知らないでラップだけを聴くと、すごいダメなヤツだと思わざるを得ないんですよ(笑)。 唾奇「ですよね(笑)。でも、実際はそのイメージを遥かに超えるぐらい、自分のことはダメなヤツだと思います」 Sweet William「でも、唾奇はメンタルが超タフなんですよね。結構凄い出来事を笑いながら話すんですよ。それぐらい強い人間なんで……凄いな……って思います(笑)」
■だから、聴き手からするとどんよりしてしまうような内容でも、唾奇君にとってはどうってことないこと、っていうことですね。 唾奇「『ラップやっててよかったな』って思うんですよ。何もないクズになるぐらいだったらラップしてるクズの方がいいや、って思ってて。で、それを人が聴いて『面白い』って評価してくれるんだったらいくらでもラップしたいし。直接、俺のことを知らない人は俺のことを『暗い人』と思ってる人、多いと思うんですよね。でも、俺はそんな暗い人間じゃないし。ただ、めっちゃ人見知りではあるんですよね。だから、あまり人と仲良くなれないというのはあるんですけど」
■Sweet William君のトラックは、ありきたりな言葉で表現するなら“ジャジー”とか“ソウルフル”とか言われがちだと思うんですけど、個人的にはそういうことよりも“ノスタルジック”な感触の音という印象があるんです。“昭和感”というとちょっと違うけど、1930年代ぐらいのSP盤のような温もりのあるレトロ感というか。 Sweet William「楽曲にイメージ付けをしたり、物語を感じるような音が好きなんです。パッと聴いたときに情景が思い浮かぶような楽曲が好きなんですよね。別に、そういうモノを作ろうとしてやってるワケではないんですけど。HIP HOPじゃない音楽もたくさん聴いてて、例えば日本の音楽だとKIRINJIとかCymbalsとか土岐麻子さんとかはっぴぃえんどとか。そういう音楽も好きだったんで、そういう部分が自分のトラックにも入ってきてるのかもしれないですね」
■ネタ選びなどで拘りはあるんですか?基本、レコードからサンプリングしてる? Sweet William「レコードはそんなに持ってなくて、CDからサンプリングすることが多いですね。自分がやってたというのもあって、ピアノが楽器の中で一番好きなんですよね。(ネタの)ジャンルはやっぱりジャズが多いです。でも、自分が本当に気に入った部分しかサンプリングしたくないから、ネタを探すのは苦労しますね。自分で全部弾いちゃうときもあります。そういうときも、何か取っ掛かりとなる楽曲を見つけるまでに時間がかかるから、あまり“量産型”なタイプじゃないですね」
■唾奇君は、現在も沖縄を拠点に活動を続けていて、同様に沖縄から全国に発信しているラッパーとしてはRITTOのようなラッパーもいますよね。一方、CHICO CARLITOやD.D.S(N.E.N)のように、東京/関東に出て来て活動しながら沖縄をレップしているスタンスの人もいる。唾奇君が今も地元にい続けるのは、アーティスト的なスタンスや拘りが反映されている部分があるんですか? 唾奇「拘りというか、まず、俺は家から出るのが好きじゃないんですよ。東京とか来る度に食らうんですけど、明らかに住みづらいじゃないですか。人も多いし、電車とかもそもそも沖縄にはないし。俺はそもそも家から出たくないから電車も必要ない(笑)。あと、『時間を守る』という概念が俺の中にはあまりなくて。“ウチナータイム”って言葉もあるけど、それって沖縄に住んでいるからこそ成り立っている言葉なんですよね。東京だと『急かされる』のが普通だと思うんですけど、俺はのんびりした性格なんで、沖縄の方が性に合ってるっすね。あと、祖母ちゃんが今、老人ホームにいるんですけど、祖母ちゃんが死ぬまでは沖縄にいようかな、って」
■じゃあ、「沖縄のシーンを盛り上げたい」という気持ちより、自分のライフスタイルだと沖縄の方が合ってるから住み続けているということ? 唾奇「もちろん、『沖縄シーンを盛り上げたい』という気持ちもあります。イヴェントも主催してるし。だけど、俺は煙たい雰囲気で女の客が少ないような現場でライヴするようなイヴェントは、性に合ってなくて。それよりも“パーティ”というか、チャラ箱で適当にライヴしてる中でお客さんも適当に遊んでてほしい、ぐらいな気持ちなんですよね。『そんなにライヴ、真剣に観ないでいいよ』って思ってて、お客さんは各自、やりたいことをやってくれてたらいい。その中でたまたま自分のライヴが良い感じだと思ってたら曲も聴いてほしい、ぐらいな感じです。沖縄って小さい島だし、その中のHIP HOPコミュニティはもっと小さいじゃないですか。同じ思想を持った者同士が同じ現場に集まって、同じようなことをやって同じような空気感を作るっていうのが、俺は耐えられないんですよ。それだといつまで経っても広がりを見せられないと思うんで。HIP HOPってそんなに重たいモノでもないし、普通に聴いても楽しい音楽な筈だから、『俺らを観に来い』というより『パーティに遊びに来てくれや』っていう気持ちの方が強い。だからこそ、自分のイヴェントはそういう意味でちゃんと気持ちを込めてやってるっすね」
■今後も、このふたりのユニットとして作品は作り続けていく予定ですか? 唾奇「取り敢えずこのアルバムが出来たから、俺はこれからは個々で動いていった方がいいかな、って思ってます。年内中にもう一枚アルバムを出したくて、それが現時点での目標なんですけど、この作品がきっかけで名前がいろんな人の耳に届けば、他にもいろんな人と作れると思うし。だけど、その中でもウィルさんのビートは確実に必要になってくると思いますね」
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2017/04/11 ゆるふわギャング  “MARS ICE HOUSE”Interview
「自分たちの曲を聴いて、いろんな人に(気持ちを)解放してほしい。普段はあんまり自分の意見を言えなかったりモゾモゾしてる人とかも、ウチらの曲で『うわー!』ってなってほしい。私たちの曲、音の気持ち良さとかも全然海外に負けてないし、みんなの魂に響くモノじゃないかなって信じてます」 -- Sophiee
 茨城県土浦市出身、元々はDUDE名義で活動していたRyugo Ishidaと東京生まれのSophieeのラッパー2名。そして、ビート・メイカーのAutomaticからなるHIP HOPユニット:ゆるふわギャング。よくこんなにも絶妙なユニット名を冠したものだと感心してしまうが、お揃いのタトゥーにまみれた体躯に、どこかファンタジックでドリーミー、しかしストレートな毒気があるラップとのギャップが功を奏したとも言うべきか、昨年9月の本格活動開始以降、急速なスピードで多くのファンを獲得してきた。アルバムの制作資金を募ったクラウド・ファンディングでも、早速、目標額の約5倍の金額を集めることに成功したり、最近ではあのDiploまでもが彼らのMV“Fuckin’ Car”をTwitterで紹介したりと、既に成功への指標が十分に見えている状況でもある。
 1993年生まれのRyugo Ishidaと94年生まれのSophiee。ふたりはどこで、どんなことを考えながらラップを綴っているのか?結成当初から未来までの話を訊いた。 インタビュー:渡辺志保  
■それぞれソロMCとして活動していたふたりがゆるふわギャングを結成したきっかけは? Ryugo Ishida「去年の5月、自分が(ソロ・アルバムの)『Everyday Is Flyday』を出したのをきっかけに、東京でライヴをすることが多くなったんです。それで、ブルマ(クラブ・イヴェント『BLUE MAGIC』)に行ったときにSophieeに会って。チルしてるときに『タトゥーの感じが似てるね』って話になったのが一番最初です。その後、Iamusu!が来日したときのブルマでまたSophieeに会って」 Sophiee「そのとき、自分がIamsu!の前座みたいな感じでライヴをしていたんですよ。(Ryugoと)最初に会ったとき、彼のことは知らなくて、一旦家に帰ってからYouTubeで調べたんです。そしたら“YRB”のMVが出てきて、それを観たときに『自分がやりたいことをもうやってる』って印象を受けて、『うわぁ、いいな』、と。初めて『この人と一緒に曲をやりたい』って思った。で、自分から連絡して、そこから遊ぶようになりました」 Ryugo Ishida「で、もうひとり、LUNV(LOYAL)と一緒に曲をやろうとなったときに作ったのが、CHANCE THE RAPPER“NO PROBLEMS”のビート・ジャックだったんです。その後、ふたりで“Fuckin’ Car”を作って、そのMVを出すときに『名前を何にしようか?』ってことで……」 Sophiee「“ゆるふわギャング”って(笑)。それがしっくりきたんです」
  ■今、話して頂いた流れにもある通り、当時、Ryugo君はDUDEから名前を変え、ソロMCとして新たな転機を迎えていた頃ですよね。当時のSophieeちゃんは、MCとしての自分のヴィジョンなどはあった? Sophiee「そのときは周りにもラッパーが多かったけど、曲はノリで作って遊びでやってたんです。だから、そこまで考えてなかったし、マジメに音楽をやってなかった。でも、自分が(ゆるふわギャングとして)ラップしたらああいう感じになって。リュウ君と会ったときも、彼はすごくマジメっていうか、『音楽で売れてやる』って気持ちが強かったから、『自分もこうじゃないといけないんだ。Sophieeもマジメになんなきゃ』って思って。そう思ってから、自分のラップの仕方なんかが明確に見えてきたんです」 Ryugo Ishida「俺も、『コレ(ラップ)しかないな』っていう気持ちがあったんですけど、それ以上にSophieeのパワーが凄くて。Sophieeと会ってから、余計に気持がポジティヴになれたっていうのはありますね」
  ■それが去年の9月頃の出来事ですよね。そして、昨年10月には“Dippin’ Shake”のMVも発表して、EPリリースと同時期にクラウド・ファンディングのプロジェクトも立ち上げた。かなり急に色んなことが決まっていった感じも受けますが、この辺りの計画はどうやって立てていったんですか? Ryugo Ishida「最初、最終的なヴィジョンとしては長編の映画っぽい映像作品とかも作りたいっていう思いがあったんです。それをSophieeとAutomaticさんに話したときに、『まずはアルバムを作ってみたらいいんじゃない?』ってことになって。でも、資金がなかったっていうのもあるし、映画を作るにもお金がかかるから、まずはどれだけ出来るかっていうのを試してみよう、と」 Sophiee「確か、“Fuckin’ Car”の曲のMVを作って、それを一回Automaticさんに見てもらったら、Automaticさんが『面白い』ってなって、何か掴んだみたいなんですよ」 Ryugo Ishida「そこで、Automaticさんが『クラウド・ファンディングっていうのがあるけど、どう?』って教えてくれて。それで始めたんです」
■そして、見事に目標額を大幅に上回る資金を集めて、今回のアルバム・リリースに至るわけですよね。 Ryugo Ishida「『クラウド・ファンディングで資金を集めてアルバムを作る』って決めたときに、いろんな人との出会いがあったんです。悪い人たちも良い人たちも。そこで、自分たちの中でストーリーがたくさん生まれて言いたいことも溜まっていって、それを本当にもうバーッと書いて。基本的には感情優先で作っていきました。フリーのビートを(ネットで)落としてレコーディングしたモノをAutomaticさんに投げて、それをAutomaticさんがビートに乗せて返してくれて。自分が書いた同じ曲でも、Automaticさんの手によってまったく違う3曲になったりとかもして」
■それは、自分のソロ・アルバムとは違う制作工程だった? Ryugo Ishida「まったく違いました。『Everyday Is Flyday』は大まかに自分のストーリーを作っていたんですけど、今回はよりダイレクトな感じで。今、目の前で起きていることをふたりで共有しながら、より『近いこと』を書いたという感じです」 Sophiee「『Everyday Is Flyday』がきっかけでリュウ君が東京に来るようになったこともあって、(アルバムには)そうしたことでの感情の変化も含まれていると思います」
■今も名前が出ましたが、ゆるふわギャングのチームの一員でもあるプロデューサー:Automaticさんはどういった方なんですか?メディアにはほとんど出ず、謎が多くもありますが……。 Ryugo Ishida「仙人みたいな人で、ミステリアスなんですよ。ずーっと家に引きこもってビートを作って、それを俺たちに送ってくれて……っていうのをひたすら続けてくれてますね。アルバム(制作期間)の最後の方も、髪の毛とか長くなっちゃって、本当に仙人みたいに……でも、人一倍音楽が好きなんだなって思いますね。あと、Automaticさんが疲れてくると、音に出てくるのが分かるんですよ」 Sophiee「『あ、疲れてるな』って。そういうときは、ウチらも超察して……(笑)」
■制作時はAutomaticさんも交えて、三人で曲を作ることが多い? Ryugo Ishida「基本的に、Automaticさんの前では曲を作ったことがない。曲を作るのはドライブ中が多いですね。霞ヶ浦沿いの細い道を、ずーっとぐるぐる回ってるんですよ」 Sophiee「自分たちの曲を聴きながらね」
■てっきり三人で集まって制作していることが多いのかと思っていました。これは個人的に以前から感じていたことなんですが、ゆるふわギャングのリリックの魅力のひとつに、ネガティヴな感情をゆるふわ流にポジティヴなモノへと変換しているという点があると思うんです。今作収録曲だと、“Sad But Good”や“Yes Way≠No Way”などに顕著かなと思うのですが。 Ryugo Ishida「今回のアルバムを作っているとき、悔しい思いをすることの方が多かったんです。クラウド・ファンディングにしても批判されたこともあって。『ただ音楽がやりたいだけでやってるのに、何であそこまで言われるんだろう』と思ったり。あとは、地元の人たちがだんだん俺のことをヘイトするようになっていったんです。俺は音楽をやるためにわざわざ東京に出たわけでもないし、地元があってこその活動だったのに、そこで『地元を捨てた』と言われたり。結構、そういうのに食らっちゃって。それで悔しかったんですけど、『そんなの気にしてもしょうがないな』って気持ちもあったので、『じゃあ、ポジティヴにしないと』みたいな気持ちはありました」 Sophiee「そういうのを相手にしていたって特に話題になるわけでもないし、そもそもオチがないっていうか。言い合ってるだけだと、アーティストとしても面白くないなって、ね」 Ryugo Ishida「なので、そういう思いは全て“YRFW Shit”にまとめました(笑)。『俺たちはそういうチームだ』っていう」
■ゆるふわギャングが映し出している世界ってどこか異次元っぽいというか、我々が普段暮らしている現実とは違うフェーズの世界という感じがしています。ふたりのMVに反映されている世界観などにも言えることだと思いますが。 Sophiee「嬉しいです。とりあえず、(リスナーにも)現実の世界はあんまり見て欲しくないっていう気持ちはあります。ウチらも自分たちの世界があるし、そういう自分たちの世界にずっといたい。現実を見すぎてもよくないし……。音楽だけは、ね?」 Ryugo Ishida「ね、やっぱり、夢を見てたいなって」
■そうしたふたりの世界観が強固だからファン層も幅広いのかな、と。ライヴ会場やSNS上などでも拝見する限り、ゆるふわギャングのファン層って本当に多種多様ですよね。メガネをかけた真面目そうな男の子がいれば、普通の女の子もいたり、一回り近く歳が離れたような熱心な大人のリスナーもいる。普段、 ファン層が広がっていると感じることはありますか? Ryugo Ishida & Sophiee「感じます」 Ryugo Ishida「『色んな人が聴いてくれてるんだ』っていうのと、みんな、純粋に音楽が好きなんだなって思いますね。嬉しいです」 Sophiee「自分たちの曲を聴いて、いろんな人に(気持ちを)解放してほしい。普段はあんまり自分の意見を言えなかったりモゾモゾしてる人とかも、ウチらの曲で『うわー!』ってなってほしい。私たちの曲、音の気持ち良さとかも全然海外に負けてないし、みんなの魂に響くモノじゃないかなって信じてます」
■確かに、女の子のリスナーは「自分がなりたい自分」をSophieeちゃんに投影して聴いているのかな?と感じることはあります。 Sophiee「そうなのかな。でも、もっと自由に『女の子もゴーゴー!』みたいな感じでいきたいですね」
■アルバム内の楽曲の中にも、映画のタイトルやキャラクターの名前が出てきますが、映画には大きなインスピレーションを受けた? Ryugo Ishida「映画はすごく観たし、今作のインスピレーションにもなりました。(アルバム制作期間内では)最初は『トゥルー・ロマンス』で、タランティーノの映画だと他に『パルプ・フィクション』とか観ました。あとは『グーニーズ』とか。日本の映画だと『冷たい熱帯魚』『ピンポン』……基本的には超クラシックなヤツから、B級的な映画も」 Sophiee「あと、これも偶然なんですけど、1993年とか94年とか、自分たちが産まれた年の映画を観ることが多くて。だから、なんか、自分たちはその辺が好きなんだなぁって」 Ryugo Ishida「それと、自分たちの周りで起きている出来事が、90年代の映画内で起きてることと一致したり。ちなみに、アニエスでライヴをやったときも(2017年2月、アニエスベーとナイロンジャパンによるコラボ・イヴェントとして、銀座のアニエスベー店舗にてゆるふわギャングがフリー・ライヴを行なった)、『ふたりには“パルプ・フィクション”のイメージがある』って言われて、『俺たちもちょうどこの間“パルプ・フィクション”を観て、自分たちの中にそのイメージがあるんです。あとPVもそのイメージで撮ろうと思ってたんです』って答えて。そしたら、アニエスが実際に『パルプ・フィクション』でも衣装を提供していたんですよ。そういう偶然が、アルバム全体にたくさんあるんです」
  ■それぐらい、いろんな想いが共鳴して出来たアルバム、ということでしょうか。 Ryugo Ishida「とりあえず、『コレで何か変えられるかもしれない』って気持ちがすごくありました。“Escape To The Paradise”が一番最後に出来た曲なんですけど、それは初めて、俺たちが車からちゃんとスタジオに移動して、俺たちとAutomaticさんと、(プロデューサー/エンジニアの)Ohld Estraさんとスタジオで録った曲なんです。『この曲で抜け出すんだ!』っていう。それで最後、(アルバムが)締まったっていう感じがあります。それまでは常に大変だったんです。メシも食えなかったし」 Sophiee「お金もないし……でも、ずっと信じてたから。『コレで何とか出来る』って」
■クラウド・ファンディングの件もそうですが、思わず周り — 特にオトナが助けたくなるような魅力があるのかな、ゆるふわギャングには。その辺りはどう思っていますか? Ryugo Ishida「最初は、寄ってきた大人の人たちがみんな悪い人だったんですよ。そこで食らったし精神的にも不安定になって、すごく人間不信になって喋れなくなったりもして。でも、音楽だけでやりたかったし、これ以上、今まで通りの経験はしたくないなって。だから一切、そういう場所には関わらないようにして。音楽だけ真面目に取り組もうと思ったら神が舞い降りてきた、みたいな感じでした。良い方向に向かい始めて、音楽だけやらせてくれてる、っていう」
■そうした想いはアルバムに収録されている“大丈夫“が代弁している感じでしょうか? Sophiee「うん。そのとき、嫌なことが立て続けにたくさんあって、なんか『オトナ、コワー』と思って。その後に山梨に行って、KANEさんやWAXさんと会ったんです(2016年11月、映画『バンコクナイツ』試写会のために山梨県を訪れ、その際、『ICE MARS HOUSE』のグラフィック・デザインを手がけたKANEやSD JUNKSTAのWAXと会ったそう)。WAXさんはその日に初めて会ったんですけど、初対面のときから『ゆるふわじゃーん!』って来てくれて。それで『音楽好きだよ』みたいなことも言ってくれて、すごく嬉しかったんです。今までそういうことがなくって、曲とか作っても『いや、まだまだ』みたいな感じの人が多かったし、リュウ君の地元とかも同じ感じだった。でも、WAXさんたちに会って、純粋に良いモノを良いって言ってくれるオトナの人がいるんだ、と思って。それに食らっちゃって」 Ryugo Ishida「それに、俺たちのせいなのか、スレちゃって捕まってる地元の後輩がふたりいるんですけど、そいつらがWAXさんのことをすごい好きで。それもあって、『やっとここまで来れたんだな』って思いました。帰り道はふたりの気持ちが高まっちゃって、山梨から車で帰りながら、途中で車を停めて曲を書いて……」 Sophiee「曲を書いて、泣いて、曲を書いて、また泣いて……みたいな(笑)。でも、本当に嬉しかったんだよね」 Ryugo Ishida「そうそう。今までで一番嬉しかったかも。初めて人の優しさに触れた……っていうか」
■今のエピソードにも車が出てきたし、ズバリ“Fuckin’ Car”という曲もあるけど、普段から曲の制作は、自然と車の中で行なっているんですか? Ryugo Ishida「元々、自分が地元の土浦から東京に行くときに、CDを手売りで売ってもガソリン代くらい(の儲け)だし、高速代なんてないから下道を使って3時間かけて運転してたんですよ。で、その3時間の間、ビートを聴いて自分でフリースタイルとかやりながら運転してたのがきっかけなんです。東京に来ても電車に乗らず、ずっと車の中ばっかりだから、結局そこで曲作りをしたりするのがベストだな、っていう。車はプリウスなんですけど、音が良いんですよね。なので、超爆音にして走ってます」 Sophiee「そう、音がめちゃくちゃ良くて、めっちゃ集中できるんです。車は、自分たちの“ロケット”みたいな感じ」 Ryugo Ishida「何度も発狂しそうになったけどね(笑)」 Sophiee「狭いから」 Ryugo Ishida「車の中では、2行くらいしか頭に残しておかないで、その2行をSophieeに書いてもらったり、車が停まるタイミングがあったら、パッと付け足して書いたり……それの繰り返しです。歌詞をちょっとずつ書きながら、停まって、また書く」 Sophiee「常に走ってるから、(車内から)見える景色とかも大事だし、目に入ったものがそのまま歌詞になる。ウチらのCDを車の中で聴いてると、すごい『走ってる感」があるっていう��」 Ryugo Ishida「“Honey Hunt”は、マジでディズニーランドに行って作った曲なんですよ。車で遊びに行って、その帰り道に車を停めて、そのときに見えてたモノを書いてるんですよね」
■ふたりのラップのリリックは視覚的に想像がしやすいというか、ディテールの細やかさには日本語ラップのそれではなくて、歌謡曲っぽさもあるなと感じています。それは意識的? Ryugo Ishida「いや、自然とこうなっていきました。今までは結構、『こういうラップにして、フロウはこういう感じにしよう』と決めながらリリックを書いていってたんですけど、最近はリリックを書く時点で言葉がポンポンと浮かぶようになってきたんですよ。なので、言いたいことが言えるようになってきたのかな、って。アルバム制作中にLIL WAYNEのドキュメンタリー映画を観てたんですけど、彼がそういう風にフリースタイルを録っていて、それに影響されたというのもあるかもしれないです」
■LIL WAYNEはリリックを紙に書かず、音源を録るときもフリースタイル的ですもんね。映画に多くインスピレーションを受けたという事実も、そうしたヴィジョナリーな歌詞世界を作る要因かもしれない? Ryugo Ishida「それはあるかもしれないですね。映画のワンフレーズにヤラれて、そこから『自分だったらどうだろう?』って想像したときにいろいろ出てくる。例えば“Bleach The World”は、映画『冷たい熱帯魚』の最後にお父さんが刺されながら『生きるってのは痛いんだ』って台詞があるんですけど……」 Sophiee「そのとき、ウチらの状況もなんか貧乏だったし、『痛いな』って思いながらふたりで観ていて」 Ryugo Ishida「そういう風に映画に刺激されることで、自分の感情が出て来て歌詞になっていくんです」
■映画の話が出ましたが、音楽は普段、どんなものを聴いていますか? Sophiee「スーパーカー。あと、電気グルーヴ」 Ryugo Ishida「石野卓球がすごい好きですね」
■意外!Ryugo君は、THE BLUE HEARTSも聴いていたと言っていませんでしたっけ? Ryugo Ishida「THE BLUE HEARTSは自分が中学生くらいのとき、すごく好きだったんですよ。そんなに曲に詳しいわけじゃないんですけど、常に歌詞に元気をもらっていた」 Sophiee「あと、最近はTHE BEATLESとかも」 Ryugo Ishida「NIRVANAとか、そういうクラシックなモノは聴いてますね。あと、Gorillazとか」 Sophiee「元々、みんなみたいに必死にディグって音楽を聴くとかはあんまりしないから、映画で使われてる曲を調べたり、とりあえず気になった曲を聴いてみたり、とかが多いです」
■並行して、最新のUSラップも聴いている? Ryugo Ishida「MIGOS、GUCCI MANE、BIG SEAN……そういうところはガンガン聴きます。それとは別に、ルーツ的な音楽も聴いて、『こういうことをやりたいんだけど、昔の人は当たり前に(既に)やってるんだなぁ』とか思ったり」
※ここまでしか残っていませんでした…
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2017/02/18 Creepy Nuts (R-指定 & DJ松永) “助演男優賞” Interview
「俺らはイカつかったりカッコ良いっていうカリスマ性があるわけではないし、サブカル的な崇高さやセンスの良さがあるワケでもない……だから、俺らは“卑近”なんですよ。でも、それって“普通”ってことだと思う」 -- R-指定
 本稿の執筆中に、Creepy Nutsの新作ミニ・アルバム「助演男優賞」がオリコン・デイリー・チャートの6位を記録したという報が入ってきた(ウィークリーでは初登場16位を記録)。もちろん、HIP HOPアーティスト且つまだキャリアの浅い彼らの作品がここまでヒットしているという状況は喜ばしいことではあるのだが……正直に書くと、この報を聞いたときに筆者が真っ先に思ったのは、「恐ろしい時代が来てしまった……」ということだ。
 確かに、巷では“ラップ・ブーム”と呼ばれているような時代ではある。Creepy Nutsのマイクを担当するR-指定はそのブームのど真ん中にいる“カリスマ”のひとりとして捉えられているのは間違いないし、彼のラップ・スキルに文句が付けようもないことは彼のキャリアが証明している。DJ松永の程良くキャッチーでHIP HOPリスナー以外の層にも訴求し得る聴感のトラックが、このチャート・アクションに貢献しているのも間違いない。状況的には、彼らがこれだけ世間から受け入れられても何らおかしくない筈ではある。
 だが……リード曲“助演男優賞”こそパッと聴きはポップではあるが、今作中に仕込まれている構造や、彼らが持ち続けてきた“捻くれ者”的なメンタリティ、世間から持ち上げられれば持ち上げられる程増幅されていくルサンチマンやフラストレーションに、聴く人によっては冷め切っているとさえ捉えられかねない、達観した視点の数々が象徴する根深い“闇”を踏まえると、「助演男優賞」は相当にハードコアで体力を要求する作品だ。彼らの内面や歌詞世界がどこまで理解された上で、リスナーが作品を消費しているのかが筆者には掴みきれていないため、更に恐ろしく感じる、というのもあるかもしれない。
 しかし、彼らが標榜し続けている、(体育会系にも文系/サブカル系にも属していない)“どっち”側でもないというスタンス — 世の中の人たちの大多数のスタンスであるとも言える — が共感を得た結果、今作が受け入れられているとするなら、それは美しい話だ。
 ハードコア・ラップの世界では、所謂J-POP的な曲を「色恋ばかり歌っている」と揶揄しがちであり、同時に“リアルさ”や“ストリート感”を押し出すという行為が度々行なわれてきた。Creepy Nutsはストリート性には乏しいかもしれないが(そもそもそこを目指しているグループでもない)、“どっち”でもない彼らなりの“リアルさ”の追求には余念がない。彼らがこのまま更に成功していくとしたら、既存のJ-POP的な価値観とは異なる、真に“オルタナティヴ”な存在としてラップ・ミュージックが日本国内で定着する可能性がある。そう考えると、日本のHIP HOPにとっては「恐ろしい」どころか、逆に物凄い希望を感じさせてもくれる。
 全5曲入りのミニ・アルバムというサイズを考えると、本サイトでは異例な字数のインタビューではあるが、それは彼らが今作に込めた“情念”の強さに比例している。全曲解説スタイルで、ふたりにたっぷり語り尽くしてもらった。
インタビュー:伊藤雄介 (Amebreak) 
 
■一年前に「たりないふたり」をリリースして、去年は大活躍の年だったと思うけど……しかし……売れましたねぇ……。 R-指定 & DJ松永「いやいやいやいや……」
■ふたりの心境的には? DJ松永「結構、濃すぎて」 R-指定「濃密でしたね。一ヶ月おきぐらいで来てほしいような出来事が一週間にまとめて来たりとか。良いことも悪いことも」 DJ松永「噛み締める余韻がないぐらい、矢継ぎ早にいろんな出来事があったんで、フワフワしてますね。(この一年に起こった良い出来事/悪い出来事を彼ららしい軽妙な語り口で話してもらったが、あまりにネガティヴ・マインドなため割愛)」
■……最初から暗いわ!この一年間、お互いが相方を見て感じたそれぞれの変化は? DJ松永「Rは、最近健康的ですね。顔色が良くなった(笑)」 R-指定「俺は完全にそう。俺が松永さんを見ると、この人はより“尖った”っすね。ネガティヴな出来事もそうだけど、やっぱり『フリースタイルダンジョン』があって、お客さんの目線的に『ダンジョン』の話しかしてこない現場もあったりして。松永さんは、『渦中にいながら関係ない』っていう立ち位置にずっと苛まれていた。俺は番組に出ているけど松永さんは関係ないから、そこの部分だけ取り上げられて一緒くたにされる時期が続いて。だから、俺が知っている中で松永さんは今が一番荒んでる(笑)」
■その松永君の心境は“どっち”の2ndヴァースでも言及されてますね。 DJ松永「ツアーのときの物販や、サイン会とかに参加したお客さんと写真撮ったりするじゃないですか。そのときにお客さん��スタッフに『Rさんとだけ(���真撮影)って出来ますか?』って頼んでくるんですよ。しかも結構な人数が」
■……シビれるねー(笑)。 DJ松永「そんな出来事が一個や二個じゃないんですよ!楽屋で関係者の方が挨拶に来てくれたりしても、Rとマネージャーの目だけ見て、ふたりにだけ名刺渡して帰っていくんです。しかも、ライヴの後にもそんなヤツがいるから、『お前、ライヴ観てねぇだろ絶対!』って。ライヴ観てて俺のこと認識しないってどういうことだよ!って」 R-指定「で、そんなとき俺はどんな顔してたらいいねん、みたいな(笑)」 DJ松永「悲しいかな、そういうことをしてきたヤツらの顔は全部覚えてます」
■分かりやすい意味での手の平返しとかだったらまだ納得もいくかもしれないけど、そうでもないわけだ。 R-指定「別ジャンルの人とかと一緒のライヴがあったりすると、バンドの人から『ちょっとセッションしましょうよ〜。俺、友達呼ぶんでちょっとR-指定さんも軽くフリースタイルで入って下さい』みたいな話を挨拶の前にしてくるんです」 DJ松永「セッションというのは、お互い意気投合して人間的な関係が積み上がってからだからこそやるモンだし……」 R-指定「挙句の果てには『R-指定ってヘンな名前ですね』とか。百も承知じゃ(笑)!(更にネガティヴな話が続くので割愛)」
  ■……だから暗いって!作品の話に移ると、「助演男優賞」は、「たりないふたり」の路線を受け継ぎつつ、更にディープ……というか更に卑屈さとシニカルさと闇が、ポップな音楽性によってより押し出されていて、なんて捻くれてるんだ!と正直思ったんだけど、ここまでの話でその理由は十分伝わりました(笑)。 R-指定「でも、今話したネガティヴなことに対しては、腹を立てるというより、全部曲にして成仏させるという感じで。『たりないふたり』は、より“デフォルメ”した俺たちのキャラクターを押し出したんです。お互いソロ作品は出してますけど、改めてCreepy Nutsとして出すにあたって、『HIP HOPシーンにいながら、俺ら全然イケてないんですよ』みたいな感じをデフォルメして書いた。でも、『助演男優賞』はより“生身”の俺らの意見ですね。だから、俺のソロ・アルバムやったり松永さんのアルバムのテイストも結構入ってると思います。振れ幅として、『たりないふたり』とは違う顔を見せようというのは最初からあったんで、自分の中に元々あるシリアスさやったりはもっと出そう、と」
01. “助演男優賞” R-指定「『ライヴで演りたい曲を作りたい』っていうのがあったし、それまで出来た曲はテーマが全部バラバラで暗かったから、一本筋通す曲且つ入口として気持ち良い感じのが出来ればな、ってずっと考えてて。そんなことをライヴが終わった後の控室でボーッと考えてたら、この曲のサビと歌詞を思いついたんです。そこから松永さんに『このサビがハマるトラック、ありましたよね?』って話して作り上げました」
■前作の“合法的トビ方ノススメ”路線というか、アッパーでBPM早いトラックは、Creepy Nutsのお家芸的なスタイルになりつつありますね。 DJ松永「ただ、更に早くなっちゃって。BPM144なんですよ(笑)」
■このタイプのトラックは、現行HIP HOPの主流とは真逆のアプローチではある。 DJ松永「『たりないふたり』を作ったときもそうだったんですけど、『流行りをまったく考えないようにしよう』と思って作ったんですよね。“合法的〜”を作ったときも、誰が気に入ってくれるのかも分からず作った感じで」 R-指定「俺らが組み始めた頃から、USのトレンドをしっかり落とし込んでる人たちがメインストリームやったから、そこにコンプレックスがあって。『俺、全然その要素ないわ』って。メロディアスなサビが作れても、そこに“洋楽感”がまったくないのもずっとコンプレックスだったんです。なんぼサビが浮かんでも、『おいおい、俺の“鋼田テフロン感”、出てこいや!』って(笑)」 DJ松永「Rさんはそれをマジで悩んでたから、『いやいや、それがいいんだって!』って言って」 R-指定「松永さんがそう言ってくれたから、ふたりで作るときはそういうことはまったく気にしなくなったんですよね」 DJ松永「でも、“合法的〜”のときも『このトラック、大丈夫かな?』ってめっちゃ思ってましたね。すごい秀逸なワンループでキャッチーなトラックだな、って今は勝手に思ってるんですけど、作ってた当時は手応えが全然なくて」
■でも、この方向性は今Creepy Nutsが主戦場としている他ジャンル勢と競演するようなライヴ会場では有効な方向性だとも思う。メジャー・デビュー後のRIP SLYMEがドラムン・ベースとかビッグ・ビート的なアプローチをしてたみたいに。 DJ松永「ライヴ受けに関しては、後付けですね」 R-指定「そもそも、“合法的〜”も俺たちの中ではアイドル・イヴェントとか別ジャンルの人たちと演ることを想定していなかった段階で出来た曲だし。だから、むしろ『ゴリゴリのHIP HOPな現場でこの曲を演るのってどうなんだ?』って方が気になってた」 DJ松永「で、実際に別ジャンルのイヴェントで演ってみたら有効だということに気付いたんです。でも、フェスとかだとその反応は本当に顕著ですね。“爆ぜろ!! feat. MOP of HEAD”(『たりないふたり』収録曲)とか、トラック流しただけですぐノッてくれる」
■この曲は、謙虚でもあり卑屈でもあり、でも最終的には野心を覗かせる、というCreepy Nutsらしさがよく表われてると思う。でも、最早R君は“主役級”の捉え方を世間はしてるんじゃないか?とも思って。 R-指定「でも、別ジャンルの現場に行けば俺らは“外様”やし、フェスでも演るステージはサブ・ステージだったりする。だから、『俺らはまだこんなモンや』って感じやし、HIP HOPの場面 — 『ダンジョン』に関しても、俺が出ててもやっぱりケツにおるのは般若さんやし、番組の顔はZeebraさんですよ。だから、俺はずっと“アシスト”をし続けてるのかな、って。HIP HOPシーンとして考えても、俺らの世代の“主演”はどう考えてもKOHHさんですよ。それは演ってる側だからこそ感じる。KOHHさん側からしたら俺らのことは眼中にないかもしれないですけど、俺ら的には勝手に『KOHHさんがZeebraさん的な感じだったら、俺らはRHYMESTERみたいな感じになれたらいいね』ってキャッキャ話してます(笑)」
■そういう妄想トークで“処理”してるのか(笑)。「主役というにはおこがましいけど、でもその次ぐらいの立ち位置で上を虎視眈々と狙っている」という塩梅は、サ上とロ吉が自らを“キング”ではなく“プリンス”と位置付けた“PRINCE OF YOKOHAMA”を彷彿とさせるものがある。 R-指定「メインじゃないからこそ、この曲ではメインじゃないヤツがやるようなことが詰まってると思います。言葉遊びやったりダブル・ミーニングやったり、ヴァース全体が小賢しい(笑)」 DJ松永「確かに、上野さんも俺たちも“呪われてる”な」 R-指定「俺らが大尊敬する宇多丸師匠も呪われてるし」
■「日本語ラップの“呪い”に苦しんできたラップ・グループの系譜」としてはRHYMESTER→サ上とロ吉と来て、今はCreepy Nutsですよ(笑)。 R-指定「パンデミックですね。呪いって、世代を超えて薄めていかないとなくならないんですけどね。『末代まで呪う』って言葉もあるけど」 DJ松永「末代の俺ら、まだ呪われてるな(笑)」
02. “どっち” ■“助演男優賞”が“PRINCE OF YOKOHAMA”的なら、この曲はRHYMESTER「グレイゾーン」的というか。 DJ松永「あー、そうですね。俺らの中で“サブカル”な人たちに対する文句がすごいあって。『アイツら腹立つわー』みたいな話をしつつも、『でも俺ら、最近サブカル扱いされてない?』って考え始めたら、それにもスゲー腹が立ってきて」 R-指定「『違う違う!』ってふたりで発狂して」 DJ松永「だから、『現場映えする踊れるトラックの上でRがサブカルをこき下ろす曲を作って、それをフェスで演りたいんだ!』って言ってRにこのトラックを渡して。そこから、単純なサブカル・ディスじゃなくて“どっち”にも馴染めないという解釈をRが持ってきてくれたんです」 R-指定「この曲の骨組みとなる『ドン・キホーテにもヴィレッジヴァンガードにも俺たちの居場所はなかった』っていうフレーズは、俺がソロ・アルバム作ってたときぐらいからあったフレーズなんです。俺は地元が大阪の田舎の方で、所謂“DQN文化”な場所だから普通にマイルド・ヤンキー的な友達もいっぱいいるけど、俺はそうじゃなかった。かと言ってそこまでサブカルに詳しい感じでもないし……という感じでHIP HOPな現場からロックとかフェスの現場に出るようになったら、サブカルの“ヤダ味”みたいなモノを一気に感じて。それまでは『HIP HOPの現場、怖いなあ……あの人はカッコ良いけど俺らはそんなガラじゃないし』って卑屈な感じなだけやったけど、どうやらこっち(サブカル方面)は腹立つぞ!?って」 DJ松永「体育会系のヒエラルキーと文系のヒエラルキーがあると思いますけど、文系は体育会系に馴染めない、同じような痛みを感じている人間が集まっていると思っていたのに」
■あー、いじめられっ子が環境変っていじめっ子に変貌しちゃった、みたいな。 DJ松永「そう。だから、よりタチが悪い。マウンティングがより汚い」 R-指定「体育会的なHIP HOPヒエラルキーにドップリだった頃の俺らは、『怖いし絶対ケンカじゃ勝たれへんけど、ラップとDJのスキルを見せたらいい』って思ってたんですけど」
■確かに、体育会的な方がそういう意味では分かりやすいかも。 R-指定「そっちの方が爽やかなんですよ。どんなオタクでナメられてても、バトルやライヴでカマしたら『お前、カッコ良いやん』ってなってくれるんです。でも、文系ヒエラルキーの人たちは変なところからマウンティングしてくる」 DJ松永「ニヤニヤしながら近づいてきて、褒めてるけど、さりげなくマウンティングしてくる感じがめっちゃ嫌で」
■なるほど……確かに、HIP HOP的な価値観である“スキル”から得られるリスペクトという概念を、サブカル方面の人たちは共有してるわけじゃないし。 R-指定「そうなんですよ。体育会系は分かりやすいピラミッド構造やけど、サブカル方面は分かりにくい上に確実に優劣を付け合ってるというのを感じて、『うわー、どっちかというとこっち(サブカル)の方がイヤやなぁ……』と思ってたんです。結局、どっちにも俺らは馴染めなかったので、コレはもう曲にしちゃおう、と」
■でも、自分たちの商品である作品として考えると、そういうスタンスだからこそドン・キホーテ/ヴィレッジヴァンガードのどちらでも陳列されて展開される可能性を秘めてるとも言える。 R-指定「だから、ややこしいけど俺は元々どっちも好きなんですよ。その一方で、それぞれのイヤなところも感じている。『表わしにくいなー』と思いましたけど、『それなら、表わしにくいということを曲にしよう』って。俺らはイカつかったりカッコ良いっていうカリスマ性があるわけではないし、サブカル的な崇高さやセンスの良さがあるワケでもない……だから、俺らは“卑近”なんですよ。でも、それって“普通”ってことだと思う」 DJ松永「一般の方にはそういう人の方が多い筈なんですけど、音楽とかをやって矢面に立ってる人間は、どうしてもどっちかに分類されがちなんですよね」
■曲の落とし所としては、「だけどそれでよかった」と、自己肯定に結びつけている。 R-指定「それが俺らの個性になったし、今振り返るとこういう経験をしてよかったな、と思います」
■ちなみに、ドンキにもヴィレヴァンにも居場所がないと感じているとしたら、自分たちにとって一番しっくりくるお店って何になる? R-指定「“サイゼ”ですね」 DJ松永「うん、“ゼリヤ”?」
■……メシ屋じゃねぇか! DJ松永「ファミレスがベストなんですよ(笑)。友達とドリンク・バー頼んで、エンドレスに何の生産性もない駄話をする感じ」 R-指定「ドンキでイカつい服買ったりナンパしたり、ヴィレヴァンでワケ分からん本買うとかじゃなく、サイゼリヤでツレとドリンク・バー頼んで無限に話してたい(笑)。『たりないふたり』でも、『皆のユートピア ミラノ風ドリア』(“中学12年生”)ってラップしてます(笑)」
03. “教祖誕生” R-指定「“教祖誕生”ってワードで曲を作りたいって、ソロの頃からずっと思ってたんですよね。映画『教祖誕生』(原作:ビートたけし)を観たのがキッカケで。映画の、インチキ宗���に文句言ってた純朴な青年がインチキ宗教の教祖になってしまうっていう、『ミイラ取りがミイラになる』ような話をストーリーテリング物にしたいな、って。あと、松永さんとよく話す議題として、『サブカル以外に腹立つモノとしては、SNSがある』っていうのがあって」 DJ松永「ネット評論家?気取りなヤツがマジで腹立つ。プロのライターの方とかはめちゃくちゃ尊敬してるんですけど」 R-指定「仕事としてやってはるライターの方は音楽への愛があるし、含蓄があってやってるけど、ネットで見るヤツらは『コレ、結局お前自身のアピールやろ?』って」 DJ松永「その作品にフォーカスを当てるのが第一目的じゃないんですよ。評論をしてる自分、考察してる自分を見てほしい。そのアピールの“道具”として俺らの音楽が利用されてるのが腹立つ。書いてる自分を良く見せたり、強く見せたいがために、もれなく上から目線だったり、乱暴な文章になってる。ただでさえ素人が評論家気取るのもおこがましい話なのに、アーティストへの敬意はもっと払ってくれよって」 R-指定「俺が嫌いな言葉で“プロ・リスナー”っていうのがあるんですけど……なんじゃそれ!?って。ラップでも、そういうネット上のヘイターに対して攻撃的な曲っていっぱいあるじゃないですか。『お前ら、そんなことせんと外に出て楽しい実人生を生きろよ』って。でも、それじゃヤツらには響かないんですよね」
■T.O.P.の“Hey Hater”とか、正にそういう曲でしたね。 DJ松永「全力で言いたい。T.O.P.さんには全面同意ですよ」 R-指定「全面同意やけど、『T.O.P.さん……アイツら、もっとややこしいです』と言いたい(笑)。だから、『俺のこのやり方を推奨させて下さい』って。彼らには何か言っておきたいんだけど、ただ文句言うだけだったら喜ばれるだけやから、一回『俺の中にアイツらみたいな部分、ないか?』って自問自答したんです。主役じゃなくて(“助演男優賞”)、不良/文系どっちにも馴染めないヤツ(“どっち”)は、何かと分類したがってネット上でディスるという行為に陥りがちやな、って考えたら、俺もそういう部分があるやん!って。俺にもしラップがなかったら同じ立場になってたかもしれない、って思ったんですよね。そうしたら、『ごめん、お前ら最悪やと思ってたけど、俺の中にも全然あるわ』って思ったし、だからこそヤツらの気持ちになってストーリーテリングをしてみよう、って」
■ド頭からキング・ギドラ“スタア誕生”インスパイアなラインで始まるし、どんどん殺伐とした展開になっていく構造も“スタア誕生”を彷彿とさせるから、あの曲のオマージュでもありますね。ところでR君って、ギドラの2MCで言うと“Zeebra派”?それとも“Kダブ派”? R-指定「……それは……ちょっと……一週間考えさせて下さい……」 DJ松永「コレは悩みますよー(笑)」 R-指定「俺は『さんピン』世代全肯定人間なんで……」
■ここまでこんな饒舌に話してたのに、ここで歯切れ悪くなるのか(笑)。でも、このインタビューが公開されたら、炎上しちゃうかもしれないけど、大丈夫? R-指定「いや、全然大丈夫です。炎上したとしたら、その時点で『お前ら成長してないな』ってことやし、俺みたいな頭悪いヤツでさえ攻撃しようと思ったら踏みとどまって『お前らの気持ちも分かる』ってなったんやから、お前らも同じオトナやったらそう思えるでしょ?って頭の良い方々やと思うんで(笑)」
■炎上したらしたで“プロ・リスナー”のリテラシーの程度が顕わになってしまう、と。その構造はだいぶズル賢いなぁ……R君が一番タチ悪いわ(笑)。
04. “朝焼け” R-指定「主役でもなくて“どっち”でもないヤツがネット上で“どっち”も批判するようなヤツになりがちだけど、そういうヤツらでも実人生を生きていくと、どこかで自分と向き合わないといけないじゃないですか。そのときに、『あ、俺は何者でもないんや』って気付かない限りは次には行けない。今作の曲は俺のラッパー人生そのもので、いろんな人を攻撃してるようで全部俺の話でもあるんです。最初は学校ではクラスの中心じゃなかった俺がラップを見つけて『やったー!』ってなったけど、不良/文系どっちにも馴染めないと気付いた高校生の頃の俺のラップは、他人を攻撃するためだけのモノだったんです。正に“教祖誕生”のようなメンタリティでバトルに出てた。『大御所/レジェントか知らん。最近イケててモテてる若手か知らん。全部殺したるからな』ってムキになってた。その状態で『UMB』に出たら二回連続、一回戦で負けて。そのときERONEさんに言われたのが『街背負ったるぐらいの感じでいかなアカンで』ってことで。それまでの俺は“ヴァイブス”っていう言葉がダサイと思ってたんですけど、『そもそも何でラップをやり始めたのか?』って自問自答したら、俺はZeebraさんとか般若さんとかRHYMESTERを聴いて心を動かされたからやし、つまり『“熱い”の好きやん!』ってことに気付いて。そこから『俺も人の胸に刺さるようなラップをしてもええやん』って思えるようになったし、そこで初めてお客さんの方を向いてラップしたり、ライヴでも『お前ら調子どうや!?』って言えるようになったんです。曲でも素直に自分のことについて書けるようになったし、そうなれたのがこの曲でラップしてるようなメンタリティだった時期で。『恥ずかしい』と思われてもいいから正直に書いた上で、本気で思ってるからこそ『俺はラップに命賭けてる』って言えるようになったんです。その瞬間から、俺のラップに“血”が通ったと思うし、だからアルバムも作れてライヴもいろんな場所で自信持ってやれるようになった」
■じゃあ、この曲でラップしている心境はR君が二十歳ぐらいの頃ということか。「時間はいつも俺を置いていく/また一つ老いていく/言い訳ばかり覚えていく」ってラップしてて……気持ちは分かるんだけど、30代後半の僕から言わせると、「まだ20代のこのふたりに言われたくねぇ!なら俺はどうすればいいんだ!」とも思わされた(笑)。 R-指定「でも、この心境って人生で一回だけ感じるモノじゃないと思うんですよね。俺は二十歳のときにそう思ったけど、こういう感情は周期的に来るモノだと思う」 DJ松永「その気持ち、超分かるわ。その年代は“過渡期”なんですよね。周りの人間はどんどん就職したり結婚していく年齢なんだけど、俺らはまともに社会には出ず、自分の音楽と向き合うだけの報われない日々。大人になりきれず、一日一日が進んでいる実感が全くない」 R-指定「何年かに一回、節目の度にこの気持ちになるんやろうな、って。俺のラッパー人生的にはこう感じたのが二十歳ぐらいのときで、そのときに『“助演”なりに自分の人生を“主役”として主観で生きよう』って思えた結果、初めて『UMB』で優勝できたんです」
05. “未来予想図” ■今作では一番の問題作ですね。『フリースタイルダンジョン』後 — 昨今のラップ・ブームが去った後の予言のような曲だけど……何も今、こんな曲作らなくても、と正直思って。だけど、ふたり的には今の内に歌っておきたかった? R-指定「そうですね」 DJ松永「むしろ早く出さなきゃ!って感じで」 R-指定「聴く人が聴いたら『何をやってんねん』って思うかもしれないですけど。先日の『ダンジョン』の収録でも、放送されなくてもいい前提でフルで歌わせてもらったんです(最終的にはフルでOAされた模様)。『ダンジョン』っていう空間とそこにいる人たちに向けて歌わないと意味がないな、というか。でも、演った後に出演者の方の何人かと話したら、皆さん理解してくれてたし、届く人にはちゃんと届くな、って。この曲は“体”としては暗いですけど、最終的にはめっちゃポジティヴな曲なんですよ。『ブームが来ようが去ろうが、俺らラッパーがやることは一緒やん。良いと思う曲を作って、良いと思うライヴして、支えてくれる仲間/家族のような半径数メートルのヤツらを大事にして生きるというのが一番幸せやんけ』っていうメッセージなんです」
■その部分だけ取ると、基本的にはANARCHYとかと言ってることは変わらない。 R-指定「いや、ホンマに。俺らみたいにナヨナヨしてて実際に人と殴り合って拳で語り合ったりしてきてないような軟弱者でも、遠回りしたとしても結局行き着くところはそこだと思うんです。だから、“ドンキ”の頂点と“ヴィレヴァン”の頂点は、多分考えてることは一緒ですよ。腹が立つのはそれぞれのカテゴリーになりたてだったり、頂点に群がってるヤツらであって」 DJ松永「確かに、『サブカルの頂点』が宇多丸師匠だとすると……」 R-指定「宇多さんもメッチャ熱い人じゃないですか。仮に『ドンキ側の頂点』がZeebraさんだとすると、あの人もそう」 DJ松永「KOHHさんも“結局地元”って言ってるからね。みんな思ってることは一緒だ」 R-指定「KOHHさんは“結局地元”って一発で言えちゃうからこそカリスマなんですよ。俺らみたいのは、何回も考えて右往左往しまくってからやっとそこに辿り着ける。だからこそ“助演”なんやろうな、って。ただ、この曲に関しては“助演”な俺が敢えて“主役”になって書きました。渦中の中の渦中にいる俺がこういう曲を作ることに意味があると思ったんです。外のヤツらや『フリースタイルしないっす』ってラッパーが『ブームなんて終わるよ』って言うより、実際にやってるヤツが『いや、ブームは終わりますよ。でも、俺らがやることは変わらないでしょ?』って言えば外側の人もあれこれ言えないと思うし、ミーハーな感じで入ってきたお客さんに対しても(釘を刺すことで)ちょっと状況が変えられるのかな?って」
■仮にこの曲で歌われているような状況になったとしたら、そこから更に巻き返すにはどうすればいいと思う? R-指定「俺らがやれることは、『起こった出来事を全部曲にしたろ』ぐらいな気持ちでやり続けることで、ブームが終わったら終わったで『ほら全部なくなった。でも、ここからもう一回行くぞ』って曲にするのもアリやし、続いたら続いたで思うことも変わってくると思う。俺らの目標は『武道館を埋める』とかそういうことではなくて、『ジジィになって死ぬ寸前までラップ/DJをやって、上手くなり続けて良い作品を作り続けたい』ってことなんです。だから、『巻き返すためにはどうするか?』ということはあまり考えてない。俺ら的にはブームが続いてほしいというより、ブームで入ってきた人間が全員、曲やったりライヴやったり、もっとアンダーグラウンドなアーティストやったりの方に楽しみを見出してほしいんです。来てくれた人がブーム終わって『はいバイバイ』っていなくなるんじゃなくて、もっと深く潜ってほしい。『ここまで言っちゃっていいんや!?』っていうことを、割とマスの方面に顔を出していってる俺らがやることに意味があると思うし、『HIP HOPってこんなことやっていいんですか!』って思ってほしい。俺らは俺らで — めっちゃおこがましいですけど — 他ジャンルのイヴェントやフェスではHIP HOPを背負っていってる覚悟があるし、こういう曲をそういう現場で演ることによって『お前らのジャンルに合わせて盛り上がれるような曲だけだと思うなよ。こんぐらい歌っていいのがHIP HOPやから』って思わせられれば、と」   ■ミニ・アルバムというサイズなのに、すごくヴォリュームのあるインタビューになってしまったけど、次の動きとしてはフル・アルバムを当然見据えてますよね?個人的に気になるのは、Creepy Nutsの“闇”は次のアルバムで浄化されていくのか、それとも更に深くなってしまうのか、ということで(笑)。 DJ松永「そこはまだ分からないよね」 R-指定「分からないですねー。よくラッパーのインタビューで『もう次、出来てます』みたいなフカシがありますけど……出来てません!『次作のヴィジョンは既に出来てる』って言う人もおるじゃないですか……何もありません!だから、『どうしましょ?』って段階なんですけど、そ���はそれで楽しみで。やっぱ、制作前に作戦立ててるのが一番楽しかったりするんですよね」 DJ松永「この人、5曲入りのミニ・アルバムでさえここまで詰め込んでて起承転結や繋がりを考えてしまうから、フルサイズのアルバムなんて一生出来ないんじゃないか、って思ったりしてます(笑)」 R-指定「だから、次はコンセプト・アルバムじゃなくて、『“今”のCreepy Nutsをお届けする、“おもちゃ箱をひっくり返したようなアルバム”』を作りましょう(笑)!」 DJ松永「そんなのが作れるもんなら作ってみろや(笑)」
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2017/02/08 KREVA “嘘と煩悩” Interview
「『嘘と煩悩』は、つまり“俺”っていうことだから、俺がすごく出ていると思う。でも、例えば『KREVA』ってタイトルのアルバムだったら重いと思うよ(笑)。そうしてたら更に沼に入っていくみたいな感じになっちゃうけど、結果的にコレが『嘘と煩悩』でよかったな、って」
 2013年にアルバム「SPACE」をリリースして以降、“トランキライザー”(14年)や“Under The Moon”(15年)といったシングルやベスト盤「KX」(14年)リリースなどがあった一方、ライヴや『SUPERLOSERZ SAVE THE EARTH 負け犬は世界を救う』(宮本亜門演出)への出演、自身が音楽監督も務めるKREVAの新しい音楽劇『最高はひとつじゃない2016 SAKURA』への出演などの活動も活発だったKREVA。そんな彼が、ソロ・デビュー以降10年以上に渡って所属していたポニーキャニオンから、ビクターのレーベル:SPEEDSTAR RECORDSに移籍後初となるアルバム「嘘と煩悩」をリリースした。
 セルフ・コンテインドな音楽制作をベースとしているため、(外部プロデューサーの参加は度々あったが)ラップからプロダクションまでの作業をひとりで完結させながらも、多作家振りを発揮していたKREVAとしては、4年間というアルバム・リリースのブランクは長い方だ。それ故に、今作「嘘と煩悩」は、近年の彼の音楽的モードとマインドを知るためには重要な作品と言えるだろう。
 「嘘八百+百八の煩悩」=908(KREVA)という意味が込められたタイトルが付けられた「嘘と煩悩」は、タイトル通りの彼らしい捻りと彼の主観をベースにしながらもリスナーの共感を得られる普遍性、そしてクリエイターとしての彼の拘りと発想力が混在した、分かりやすく「KREVAらしい」アルバムでありながら、様々な解釈が可能な聴き応えのある作品だ。今作の完成に至ったプロセスやその背景にある試行錯誤や葛藤など、様々なトピックを久し振りとなるロング・インタビューで彼にぶつけてみた。 インタビュー:伊藤雄介(Amebreak)  
■ツアー開始直前でリハに忙しいタイミングでの取材、ありがとうございます。スタッフさんから話を訊いたところ、毎日7〜8時間もリハをしてると伺いました。今回のツアーはどんなモノを目指しているんでしょうか? 「ツアー名が『TOTAL 908』に決まったから、それに合わせて内容を決めていくって感じだったかな。『嘘と煩悩』が出来て、そこからの曲を披露するのはもちろんだけど、“嘘”(800)と“煩悩”(108)の“合計”(TOTAL)が“908”っていう意味と、トータルでKREVAを感じてもらえるようなライヴ、その両方向から攻めていけば上手くいくんじゃないかな?っていう思いつきの下に内容を考えていった。14年にソロ・デビュー10周年を迎えてベスト盤もリリースして、47都道府県ツアーやフェスでは似たようなセット・リストになってきてて。『この曲の後にはコレ』っていう(お約束の展開がある)良さはもちろんあるんだけど、『嘘と煩悩』からの曲を加えることで、曲順が変わってそこから新たなストーリーが始まる、というのを目指した感じかな?」
■前作「SPACE」以降の4年間、オリジナル・アルバムのリリースはなかったですが、ライヴ活動や音楽劇『最高はひとつじゃない』など、音楽制作以外での活動も活発でした。この4年間の活動の中で、今作を作る上でヒントになったものはありますか? 「いやー、ないね。そういうことより『自分を掘る』感じだったというか。今作で参加しているAKLOと増田有華ちゃんは『最高はひとつじゃない』に出演してくれたから、それはひとつのキッカケになったかもしれないけど、何かをやってそこからそのまま影響を受けるっていうのは、あんまりないんだよね。それよりも逆を行きたくなるというか。『最高はひとつじゃない』とか『SUPERLOSERZ SAVE THE EARTH 負け犬は世界を救う』とか舞台仕事が続いてて、それは集団の中でリーダーシップを発揮するという役割だったんだけど、そうなってくるとひとりで作業したくなる。大勢とやってると、ひとりで作る……尊さとまで言うと重いけど、ひとりで作って完成まで持って行ける良さを改めて感じるね」
■活動の反動からインスピレーションを受けるんですね。 「そうそう、結構それが多い。大きいフェス・バンド編成で出演すると、またひとりで演りたくなるし、1MC+1DJスタイルで演ると、『みんなで音出したら面白いだろうな』って思うこともあるかな」
■これまでのクレさんのリリース・ペースから考えると、4年のブランクはかなり長い方です。その間も当然制作はしていたと思いますが、いつぐらいに「嘘と煩悩」のイメージが固まって制作を加速させていったんですか? 「今作の感じだったら、去年の5月ぐらいからじゃないかな。(その頃に)移籍が決まってちゃんとやりだしたって感じかな。その前は全然違うアルバムをイメージしてて、そこから作品を作ろうと思ってたんだけど、移籍が決まったから『嘘と煩悩』というタイトルにしたんだ。そこから、曲順とかも考えないで曲をたくさん作るようになった」
■その前に作った曲は、今回は入ってないんですか? 「いや、入ってるよ」
■より方向性が固まった上で、5月ぐらいから煮詰めていった? 「いや、その逆で、2015年に『908 FESTIVAL』が終わったぐらいから“FRESH MODE”みたいな感じのトラックがいっぱい集まった、『落ち着いたトーンにまとまったアルバムになったらいいな』って、なんとなく思ってたんだよね。で、実際にそういうトラックもたくさん作ったんだけど、時が経って制作が進んでいくと“神の領域”みたいな曲も出来てくる(笑)。やっぱ(そういう曲も)好きだからね。で、『どうしようかな?』って思ってたタイミングで移籍が決まったから、『じゃあ、あまり曲順とか考えないで一曲一曲作っていこう』って感じで作ったかな。そういう作り方は初めてな感じ」
■「嘘と煩悩」というタイトルは、どういうキッカケで思いついたんですか? 「6年くらい前から持っていたアイディアで、一回スタッフに提案したことがあった。『良いですね』って話になったんだけど、事務所の社長から『“嘘”(をタイトルに入れるのは)どうだろう?そこに引っかかる人がいるかもしれないね』って言われて、流れたんだ。で、移籍のタイミングだったし、何か引っかかりのあるタイトルを付けたかったから、ここで採用。それが決まってから“嘘と煩悩”って曲を作った」
■移籍一発目となると、セレモニー的にもっとリフレッシュ感が出たタイトルになってもおかしくないと思いますけど、そこをダブル・ミーニング/謎かけっぽいタイトルにしてるのはクレさんらしいな、と思いました。 「そうだね(笑)。ここ数作のアルバムが『SPACE』『GO』『心臓』『OASYS』とか、シンプルなタイトルが多かったけど、最初は『新人クレバ』だったり『愛・自分博』『よろしくお願いします。』だったから、そっちの感じかな?と思って。シンプルさと昔のトリッキーさを混ぜたタイトルって感じかな」
■今作のリリックを書く上で意識したことはありますか? 「なかなか、歌詞が書けない時間が長かったから苦労して……シングル“トランキライザー”を出した頃から、トラックを作ったらその上に載るメロディだけじゃなくて言葉が一緒にくっついて出て来る、っていうことが増えてきて、今回のアルバムの曲もそういうのが多い。それが故に悩まされる、ということが多かったかな。例えば“Sanzan feat. 増田有華”とかも、メロディと同時に歌詞がすぐ思いついちゃって。そこで言いたいことが言えてるが故に、ラップ(ヴァース)が“サブストーリー”みたいになっちゃった。だから、そこから自分が言いたいことをもう一回掘らなければいけなかった。“想い出の向こう側 feat. AKLO”も、『想い出の向こう側』ってフレーズがメロディと一緒に出て来たんだけど、『“想い出の向こう側”って何だろう?』って自分で考える、みたいな(笑)」
■自分から出て来た言葉だけど、その意味が自分でも明確ではなかった、と。 「そう、明確ではなかったんだけど出てきちゃう。メロディの進み方が音程を持っているから、そこに韻を踏んで合わせてしまっているのかもしれないんだけど。“タビカサナル”もこのタイトルで行こうと決めていたけど、『度重なる』と『旅(が)重なる』という意味のサビだけで『もう俺の言いたいこと、言えちゃってる』ってなって」
■本来、サビは曲の要みたいなものだから、そこがパッとハマるモノが出て来ると「やった!」みたいになってもおかしくないですけど(笑)。 「ただ出て来ただけの言葉だったら無視してもいいんだけど、メロディ/音程とセットになってると無視しづらいしね。そういうことが最近増えてきたんだよね。いろんなことを操れるようになってきたから、というのもあるかもしれない。それこそ大人数でやっていれば、『それでいいじゃん』って言ってくれて進められると思うんだけど、本当にひとりで制作してるし、『移籍するかもしれない』って話もあってリリース予定も決まらないまま作っていたから……だから、やっぱ〆切は偉大だな、って(笑)」
■4年間、アルバム・リリースがなかったというのは、そういった悩みから停滞していたということなんですか? 「いや、『SPACE』以降、バンドと一緒にやるようになったんだけど、バンド用のアレンジにもう一回アルバムを作り直すぐらい時間をかけてたから、それで今まで作品に使っていた時間を取られた」
■それはそれで、ひとつのクリエイティヴなプロセスとしてポジティヴな作業ですよね? 「全然そうだよ。活動は、今のこの世の中だったらやっぱりライヴがメインになってきている。だから、これは普通のことなんだけど、『908 FESTIVAL』とかやるとAKLOとか大ちゃん(三浦大知)の曲も全部アレンジし直すっていうのもやるから、すごい大変なんだよね。その作業を外の人に任せると、なんか普通になっていっちゃうと思うんだ。HIP HOPの人が選んで、バランスを決めてっていうのをやるのが大事だと思うし、俺の場合は自分で音も作ってるから、『そこも(アレンジ)変えていいよ』とか言えるじゃん?それによって自由さが増すと思うんだ。やっぱ、他のバンドの演奏上でやると、なんとか打ち込みで作ったトラックを再現しようとしているが故の“堅さ”みたいなものがあったりする。でも、そこから一歩踏み込めるのが自分の武器だと思ってるんだ」
■「嘘と煩悩」というタイトルですが、僕は逆に「すごく“正直”なアルバムだな」と感じたんです。最終的に前のめりな結論に導いていたとしても、クレさんが日々感じている葛藤や産みの苦しみや反省のような感情を、今作ではかなり曝け出していると思います。特に“Sanzan feat. 増田有華”のような曲にそれが顕著ですよね。さっき話して頂いたようなサビ作り/歌詞作りのプロセスがあったから、そう感じるのかもしれないですが。 「ああ、そうかな?特に意識しないでやってたけど、出たんだろうね」
■「GO」(2011年)は、震災後のリリースというタイミングだったから、その時期のムードがリリックにも表われていましたけど、今作も個人的にクレさんが感じていたことが反映されているのかな?と思ったのですが。 「ひとつあるとしたら、自分の中で言いたいことが見つかったとしても、それをライヴに来た人が『あれ?コレ、今の自分のこと歌ってる?』って思ってもらえるようにしたいな、って気持ちはあったね。その気持ちが芽生えたのは、多分47都道府県ツアーをやったからだと思う。全部廻って、『なるほど、こういう人たちが自分のライヴを観てるのか』っていうことが分かって、その経験が活かされてるというか、そうさせたんだと思う」
■そうですね。確かにリスナーが聴くとそういった意味で感情移入できる内容なので、仕上がりがパーソナルというと違うと思うのですが、そのリリックが出来る背景に、クレさんのパーソナルな視点が活かされているのかな?と思って。 「そうだと思うよ。『嘘と煩悩』ってタイトルだから、もちろんフィクションもあるけど。例えば10曲目の“もう逢いたくて”は、クリスマスの時期にひとりで作ってて、それってほぼ変態じゃん(笑)?さっきの話に戻すと、この曲も『逢いたくて、逢いたくて』ってフレーズがまず出て来て、『誰にどう逢いたいんだ?』ってところから始めた。あの曲はフィクションだけど、『自分が言えることをやろう』って考えて書いたって感じだね。……あ、DRAKEがLIL WAYNEに『お前は女の子のこと歌うのが上手いんだから、他のヤツに何言われても気にしないでやれよ』って言われたっていう話を聞いて、『……俺の方が得意だな』と思って(笑)。『女の子のこと、結構昔から歌ってるぞ?』と思って作ったことを今思い出した。で、『恋愛の歌にしよう』と思ったんだけど、俺的にはライヴが終わって会場を出た瞬間に『また行きてー』って思ってる人に向けて書くってことを思いついて、『コレが正に“もう逢いたくて”じゃね?』みたいになるように作っていったんだ」
■例えば、“Sanzan feat. 増田有華”で書かれているようなことって、クレさんの作家的な観点から出てるのか、クレさんが実際に感じたことがベースになってるのか、どっちなんでしょうか? 「俺(が感じたこと)だね。その曲を作っていたとき、結構暗かったと思うよ。この曲で俺が言いたかったのは、『これ“で”いいや』じゃなくて『これ“が”いいな』って思えるようになりたいな、ってことなんだけど、どうしても俺自身が『これがいいんだ』って思えなくて。自分の状況的に、『もっと行きたい』とか『コレが良くないわ』みたいな気持ちがすごいあったから、そこを素直に書いていった感じだね」
■だから、「嘘と煩悩」はそういう意味ではすごくリアルなアルバムですよね。 「そうだね。『嘘と煩悩』は、つまり“俺”っていうことだから、俺がすごく出ていると思う。でも、例えば『KREVA』ってタイトルのアルバムだったら重いと思うよ(笑)。そうしてたら更に沼に入っていくみたいな感じになっちゃうけど、結果的にコレが『嘘と煩悩』でよかったな、って」
■例えば“神の領域”は、メイン・テーマとしては自身の才能/SWAGのアピールという意味ではこれまでも行なわれてきたことですが、これまでがある種突き放すぐらい自分のスキルを誇示しようとしていたのだとしたら、この曲では「本当は君だけが好きでいてくれるかが気になってたんだ」と気使っていたりする。曲内で一方向の感情に振り切らないで、時には相反する情感を一曲の中で共存させようとしている印象を受けました。 「そうだね。だけど、意識して『ふたつの感情を共存させよう』というようなことはなかったかな。単純に、“時間”が理由だと思う。サビを作ったときとヴァースを作ったときがすごく空いてたり、数日のタイムラグだったり、その日の波によって変わったって感じなんじゃないかな。今回、一気に書いた曲はボーナス・トラックの“君に夢中”ぐらいじゃないかな。あと、自分で録音して取っておいて、後でアレンジを加えることが出来るようになってきたが故に、色々内容を変えてるっていうのもあるかもしれないね」
■アルバムの要所に“君”という“対象”が設定されていて、リスナーにとってはそれが友達だったり恋人だったり、いろんなものに解釈することは出来るんでしょうけど、クレさんの視点から見ると、この“君”はファンの姿を特に意識して書いてるのかな?という印象を受けました。 「うん、そうだね」
■で、そのファンに「カッコ良い自分」という姿だけでない部分を見せているし、だからこそ“正直”なアルバムだな、と思ったんです。 「あー、なるほど。それで言ったら確かに“正直”だね。『SPACE』を作ってるときぐらいから水泳を習い始めて、それが『SPACE』を作ることに影響を与えたんだけど」
■「SPACE」時のインタビューでも語ってましたね。 「水泳はずっと続けてるんだけど、まあ上手くならない(笑)。始めたときと比べたら100倍ぐらい上手くなったけど、自分が思うようには泳げない。すごい苦手だったのが普通に泳げるようにはなったけど、上手く泳げているかというと全然ダメで。しかも、その進歩が2年前ぐらいから止まってる感じがして、『コレは向いてないな』と思ってるんだけど — しかも先生とかに見られるワケだしさ — 苦手なことをやってからスタジオに来て曲を作ったりラップしたりすると、得意なことが出来る時間がすごく貴重に感じられて。その時間がいいな、って思うようになったね。健康のために続けたいっていうのもあるけど、どうにも上手くならないモノにトライしているのもいいかな、って。だから、『苦手な部分を見られてもいいや』っていう気持ちが表われたのかもしれない」
■「SPACE」のサウンド面で掲げられていたテーマとして、HIP HOP的なブレイクビーツ感とEDM的なシンセ・サウンドの融合というのがありましたよね。毎作、音作りには何かしらのテーマ設定や傾向があると思うのですが、今作の場合は? 「今回、あるとしたらまず“コード進行”だね。そこから作った曲が多いかな。ビートから作ったモノはほとんどなくて、コード進行から作っていった。もうひとつは、ネットとかで売っているサンプリングCDとかMIDI集とか、そういうのを買ってバンバン使うっていうのは決めてたかな。『コレ、プロのミュージシャンは絶対使わないな』って思ったんだよね。バンドの人たちとかだと、そんな素材集があることすら知らないと思う。でも、俺はそういった素材の中にも良いモノがあると思ったから、それを思いっきり使っていくのが俺の好きなHIP HOPの — いとうせいこうさんが言うところの“初期衝動”なのかな、って」
■バンド編成で作ったり、スタジオにあるハイエンドな機材を使おうと思えば使えるのに、それを敢えてしなかったんですね。 「今って、ラップ・ブームというかフリースタイル・ブームじゃん?それについて『どうですか?』って訊かれることが多いんだけど、そういうときに思うのが『もっと新しくてイケてるトラック・メイカーももっと出て来てほしいな』ってこと。まったく出て来てないとは言わないけど、少ないと思うし、今、トラックを作るってなるとEDM的な方向になっちゃうのかな、って気がしてるんだよね。それがすごく残念。だから、『そういう人がもっと出て来てほしいな』って気持ちがあるし、プラス、『もっととんでもない才能が出て来るんじゃないか?』とも思ってる。お兄ちゃんにもらったパソコンに入ってたソフトで作ってみたらとんでもないことになった、みたいな。そういうキッカケになればいいな、と思って。だから、『俺はこうやって作ってるよ』っていうことをなるべく喋っていこうと思ったんだよね」
■『SOUND & RECORDINGS』誌で特集もされていましたが、改めて、現在の制作環境や作業行程を教えて頂けますか? 「最近はあまり拘ってなくて、例えばNative Instruments MASCHINEにコードを弾ける機能があるし、ソフトやiPadでコードを弾くこともある。まあ、まず良いコード進行を見つける。それか、MIDI集でいいなと思ったヤツを自分の好きなキーに変えたりして、そこに好きな音色をハメてからビートをハメるって感じだね。ビートに関しては本当に拘りがなくて、基本、MASCHINEの音色を違うソフトで鳴らしたりした。でも、今回一番やったのは、ビートをAKAI MPC3000に入れたことで、MPC3000に取り込むと安心するというか、HIP HOPになるってことに気が付いたから、結構その手法は使ったかな。“鳴り”もそうだけど、特に“ノリ”が、MPC3000に入れると納得することが多かった」  ※ここから先は残っていませんでした…
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2016/12/08 CHICO CARLITO “Carlito’s Way” Interview
「俺は『手段のひとつ』としてバトルを使った、上手い成功例なんだと思います。優勝して、賞金使ってアルバムも作って全国流通までこぎ着けたというのは。一番手っ取り早く名前も売れたし、アルバムも出してなくて誰の後輩でもないヤツが大きなステージに立てるなんて、バトル以外ないじゃないですか」
 2012年からラップを始め、そこから僅か3年でUMB全国大会を制し、『フリースタイルダンジョン』でもモンスターとして抜擢……近年盛り上がりを見せるMCバトル・シーンにおいて、CHICO CARLITOは最大限にその恩恵を受け、自らのスキルでその恩恵を自身の知名度向上へと繋げてきた好例だ。
 だが、彼がバトルMCという枠だけに留まろうとせず、いちアーティストとしての更なる飛躍に挑もうとしていることは、待望の1stアルバム「Carlito’s Way」を聴くとよく分かる。今作は、彼が人生のほとんどを過ごしてきた沖縄というルーツから、バトルを通しての怒涛の展開を経た彼が見据える未来までを描いた、1stアルバムらしい意欲に溢れた好盤だ。 インタビュー:伊藤雄介(Amebreak)   
■プロフィールを読んでたら、HIP HOPを聴き始めたのが2012年からと書いてあって、意外と最近だということに少しビックリして。 「正直、最初に聴いたのは小6ぐらいに聴いたEMINEMとかなんですけど、そのときは聴いた瞬間『あ、いいや』って感じだったんです。そこからメッチャ空いて、高校卒業したぐらいに(沖縄の)国際通りをプラプラしてたら、そこで会った小中の同級生にバーで聴かせてもらったのが、鬼の“小名浜”だったんです」
■沖縄・国際通りのバーで“小名浜”を聴いたんだ(笑)。 「それと、BRON-K“ROMANTIK CITY”とかTHA BLUE HERB“路上”、NORIKIYO“2 FACE”とかを聴かされて。だから、比較的最近の日本語ラップを聴かされて『カッケェ!』ってなって入っていったんですよね。“小名浜”は、最初の4小節からヤバイですよね。自分はバンドでヴォーカルもしてたから元々音楽は好きでしたけど、ここまでリアルな感じというか、曝け出しているのは他の音楽にはないと思って、それで衝撃を受けたんだと思います」
■CHICO君は、時折歌ったりもするけど、それはバンド時代からの流れ? 「いや、バンドはメロコア系だったんで、ノリは違いますね。バンドは、高1〜2年ぐらいにやってました。『音楽をやりたい』というより、歌が好きだったから、小さい頃からずっと歌ってましたね」
■日本語ラップに衝撃を受けてから、どんな流れでラッパーになった? 「聴き始めたのが2012年の5月頃で、9月1日にLOVEBALLってハコで『HI-NIGHT MC BATTLE』というのがあって、そこに友達と観に行ったんです。友達に誘われたときは、『俺は(行かなくて)いいや』みたいな感じだったんですけど、カネもなかったし(笑)。それで行ったら、俺らの先輩がそのバトルで優勝して、その賞金が10万円だったんです。それを観て、『あれで?それで10万円ももらえるの?絶対俺もイケるでしょ!』ってなって。そのバトルの後にオープン・マイクもやってたんですけど、そこから入りたくなるぐらいラップをやりたくなってた。それで、その帰り道はひとりでラップしながら帰って、一週間後ぐらいに歌詞書いて、沖縄の先輩ラッパーの唾奇に見てもらって。唾奇は、俺らがたむろしてたそのバーで働いてたんですよね。だから、フリースタイルもリリック書くのも、同時進行で始めた感じでした」
■その翌年に、大学進学のために埼玉・草加市に引っ越すわけだけど、本格的に活動を始めたのはその頃から? 「12年の9月にラップを始めて、その翌年の春に沖縄を出るんですけど、その間に3回ぐらい沖縄のMCバトルに出ました。だけど、全部1回戦負けして、そのままこっちに来た。だから、『俺、センスねぇのかなー?』みたいに、自信が持てないままこっちに来たんですよね」
■埼玉に来てから、今作収録曲“Sons of Kuragaly”に参加しているTENGG/ARISTOと出会うようだけど、彼らとはどう繋がっていった? 「CHICO CARLITOと名乗る前はU.N.T.っていう名前でやってたんですけど、その前のMC名を“TENGU”にしようかなって考えてたんです。で、名前が他と被るのがイヤだったから、同じ名前のラッパーがいないか調べたら、埼玉にTENGGってヤツがいることが分かって、しかも彼が俺の引っ越した先に住んでた。それで、どうにかして彼に連絡取って。彼らとグループを組むのは、そこからもう少し経ってからですね。TENGGからTK(da黒ぶち)君のスタジオに誘われて、そこで一発録りとかして、そこから『大脱走』っていうイヴェントに誘われるようになったんです。2013年の夏、そのイヴェントで初めてラップのライヴをやりましたね」
■“47”は、CHICO君の“おばあ”のライフ・ストーリーが歌われていて、それを聴くと波乱万丈な人生だったと窺えるし、他の曲でもお祖母さんが出て来ることを考えると、CHICO君にとって大きな存在だということが分かるね。 「沖縄の俺らの世代とか、お祖母ちゃんの存在はデカイと思いますね。俺は両親が共働きだったということもあって、ずっと俺の面倒を見てくれてたし。おばあからはずっと『自分たちのときは出来なかったから、あんたはやりたいようにやりなさい。でも、勉強はしっかりしなさい』って、本当に“47”でラップしてるようなことを言われて育ちました」
■お祖母さんは若い頃から貧しくて苦労してきたことは曲からも分かるけど、CHICO君はバックグラウンド的にはタフな環境で育った? 「この曲で勘違いされちゃうと困るんですけど、俺は全然、普通です。おばぁが一生懸命働いてゲットーから抜け出してくれたから。なんで、一切ゲットーな環境とは関わってこなかったから、そういうストリート・ライフ的なことは歌えない。そういう意味では、ラッパーとしては“武器”が少ないのかもしれないですね」
■そのお祖母さんと、アメリカの軍人として沖縄に来ていて、後にお祖母さんを残して故郷に帰ってしまうプエルトリコ系のお祖父さんの間に生まれた子供が、CHICO君のお母さんだよね。だから、CHICO君はクオーターということになるけど、そのバックグラウンド/アイデンティティは自分に影響を与えてきた? 「俺は、クオーターだけどハーフ顔でもないし、“沖縄顔”だから、そこに関するコンプレックスとかはなくて。自分のおじいがプエルトリコ人だと知ったのも、20歳の頃なんです。そのときに、おじいのあだ名が“チコ”だったことを知って。自分のMCネームをもうちょっと意味のある名前にしたいと思ったんで、そのおじいのあだ名から“CHICO”を取って。“CARLITO”は、ちょうど名前を変えようとしてた時期に観てた映画が『カリートの道』だったんです。あの映画も、アル・パチーノがプエルトリコ系のマフィアを演じてて、映画が作られた年も俺が生まれた93年だったから、『CHICO CARLITOにしよう』と」
■こっちに出て来てからもMCバトルには出まくっていたわけだけど、バトルに出る目的はあった? 「ライヴと音源ですよ。バトルに出ることによってライヴのオファーをもらえたり、その後の音源制作に繋がったり。それ以外ないですよ。まあ、一回はデカイ大会で優勝したいというのはありましたけどね。去年、UMBで優勝したから、『バトルはもういいかなー』とか思ったりはしてますね。しばらくバトルに出ないで何年後かにポンッと出てみるもいいかな、とか思ったり」
■じゃあ、MCバトルに出るということは、自分の活動においてメジャーな部分ではない、と。 「そうですね。でも、バトルがなかったら俺のことを知���なかった人がたくさんいるから、俺は『手段のひとつ』としてバトルを使った、上手い成功例なんだと思います。優勝して、賞金使ってアルバムも作って全国流通までこぎ着けたというのは。一番手っ取り早く名前も売れたし、アルバムも出してなくて誰の後輩でもないヤツが大きなステージに立てるなんて、バトル以外ないじゃないですか。CDもリリースしてないのに『SUMMER BOMB』に呼ばれたのとかも、『名前、売ったんだな』と感じましたね。でも、『このバトルをキッカケにラップが上手くなったなー』みたいに感じたことはないんですよね」
■アルバム中のスキットでは、いろんな人との電話の会話を通して、時系列でここまでの展開を表現しているけど、この2〜3年で本当に目まぐるしく状況が変わっていったことが分かるね。 「『ラッパーとして駒を進めたな』って感じはしますけど、人間としては可能性を削ったな、とも思います。普通に大学行って就職したら何にでもなれるけど、その可能性を全て削ぎ落としてラッパーの道を進むんだな、と思ったすね。この一年で一番人生が変わったのは俺だと思いますね。『フリースタイルダンジョン』に出て、UMBで優勝して、その3ヶ月後に『ダンジョン』のレギュラーが決まって、客演でもKEN THE 390さんの“真っ向勝負”とか『ダンジョン』のコンピ — 俺の曲なんて“C.H.I.C.O.”ぐらいしか出てなかったのに、バンバン呼んでくれたみんなもスゲェと思うし — 『SUMMER BOMB』とか、デカイ現場でもやらせてもらって、1stアルバムも出る。だから、俺が誰よりも(自分の流れを)変えたって思います」
■1stアルバムの計画は、昨年のUMBで優勝する/しないに関わらず、今年出そうと思っていた? 「タイトル曲“CARLITO’S WAY”で『深い愛に包まれた今の俺/あるべき姿確認したMOMENT/2015年11月某日の午前4時寒空の下で』っていうラインがあるんですけど、ここが1stアルバムを出すって決めた時なんですよ。この時点では、TENGGがUMB埼玉予選で優勝してて、俺は『ダンジョン』に出たけど『制作も全然してないし、どうしたいの?』みたいなタイミングだったんです。俺は沖縄予選で一回戦負けしてて、落ち込んでたんですよね。11月のその日に、TENGGたちと打ち合わせして草加に帰ってたら、TK君から『まだ話せる?』って連絡があって、彼らと草加で朝までずっと話したんです。そこで、『今のCHICOの状況を踏まえて、何を出したい/どうしたいのか教えてくれ』って言われたんです。ちょうどその頃、『アルバム出すんだったら手伝うよ』って言ってくれてるところもあったんですけど、俺がこっちに出て来てずっと一緒にやってきたのはTK君たちなんですよ。だから、『TK君たちのレーベルから出します。よろしくお願いします』って伝えて。その瞬間から、自分の中でモヤモヤしていたモノがフッと下りて、これ以降のMCバトルで勝ちまくったんですよ(笑)。『THE罵倒REVENGE』『UMB REVENGE』『戦極MC BATTLE』、全部好成績で、最後にUMBの全国を獲って、『あ、マジでアルバム出せる』ってなって」
■アルバムの“設計図”は、どういう風に固めていった? 「11月にTK君たちと話した数日後に、TK君から『アルバムのイメージ、持って来て』って言われて、アルバムの具体的なイメージ/流れを全部紙に書いて。そうしたら『コレでいこう』ってなったんで、そのときからアルバムの構成はほぼ変わってないですね。『ここまでは沖縄にいたときの話で、ここからが東京の方に出て来て、ここからが腹を括ってみんなと上がっていくっていう曲で……』みたいに、ごく普通に、なるべくしてこういう流れになりましたね。だって、1stアルバム(の客演)にKEN THE 390さんとかR君とかDOTAMAさんが参加してたりとか、俺からしたら『全然意味分かんねぇ』って感じですもん。まずは沖縄のヤツらと埼玉に出て来てから出会ったヤツらと一緒に演るべきでしょ、って。俺がバトル/フリースタイルについての曲を作るなんて、想像の範囲内じゃないですか。それは裏切ってナンボだと思うんで。バトルに出てた俺を既に知ってるのに、曲でもバトルについてとか、ダルいじゃないですか(笑)。『バトルに出てるからバトルについての曲を書かなきゃいけない』っていうのは一切必要ないと思いますからね」
■確かに、MCバトル/フリースタイルっていう括りから見なくても勝負できるラッパーだということは、今作で証明できていると思う。 「もちろん、日本一になったときは嬉しかったですけどね。でも、嬉しかった一方、『……それで?』っていう感じもしましたね」
■“RH-”では「てっぺん見ても何もなかった」ってラップしてるよね。 「俺、賞金100万円を手渡しで束でもらったんですけど、俺が思ってるより薄くて、『あ、こんなモン?』って思っちゃったんですよね。賞金もらった後も、そのまま草加に戻ってみんなで乾杯したりしたんですけど、『あ、結局この面々とやってきたことは間違いなかったし、この関係性は変わらないんだな』って思ったんです」
■地元:沖縄・那覇をレペゼンするという姿勢が強く出ているアルバムだと感じて。埼玉で一緒にやってきた面々を除くと、客演している面々はみんな沖縄/沖縄出身のMCたちだよね。“沖縄”という要素を打ち出すというのはやはり重要だった? 「だいぶ重要だったっすね。自分が沖縄について何も歌わないラッパーになるっていうイメージが浮かばないし、そういう要素がないまま2nd〜3rdアルバムとかで『俺がレペゼンするのは沖縄』って歌ってても意味が分からないじゃないですか。まあ、青臭いし若いですけど、この気持ちが自分の等身大だと思う。このアルバムで参加してくれてる沖縄の人たちは、唾奇も含む俺らの若い世代にとって本当に“フッド・スター”なんです。フロアから観てた人たちに俺らがやってきたことを認められて、一緒に酒を飲んで、それでガッツリ曲やMV作って……それを1stアルバムでやったっていうことは、俺が思うカッコ良いことの全てじゃないかな?って思いますけどね」
■沖縄というと、基地問題のようなトピックがフォーカスされることが多いけど、“沖縄人”としてのCHICO君はそういった状況についてどう考えている? 「俺にとって沖縄は『生まれるべくして生まれた場所』って感じですね。外国人だったおじいの血も『島の血』だし。米軍とかも、みんな普通の光景として見ている。もちろん、事件とかあったら流石に意識しますけど、そういうとき以外ではあまり意識してこなかったです。特に軍用機の音とかはマジで意識してこなかったから、こっちから沖縄に帰ってきたら、『こんな音デカかったんだ!?』ってなる。まあ、俺は那覇だからっていうのもあるから、嘉手納とか普天間だともっとうるさいんだと思います。当たり前に基地があって、当たり前に地元があって先輩がいて……俺にとって、それが『普通の沖縄』だから、今更『何でなんだろう?』みたいにはならないです。もちろん、基地に関しては色々意見はありますけど、俺は基地がない時代を知らない。だから、シンプルな気持ちで『基地がない海は見てみたいな』とは思いますね。おばあたちが若い頃は見えてたのに、今は見えてない海がどんな感じか見てみたいな、って思ったりはしますね。まあ、当分無理でしょうけど」
■沖縄にはいずれ戻ろうと思っている? 「それは絶対に帰ります。すぐに帰るかは分からないですけど、将来的には絶対帰ります」
■沖縄に戻っても、ラップは続けるでしょ? 「そうですね……どうなるのかな。まあ、言いたいことがある内はラップはずっとしてたいですね」
■今後のヴィジョンというか、ラッパーとしての成功願望みたいのは? 「ひとつ、1stアルバムの売り上げで絶対したいことがあるんです。俺らの世代でデカいイヴェントを一発やりたいんですよ。俺らの世代、結構最強だと思いますよ。2個上にはR-指定やJinmenusagi、唾奇たちがいるし、タメにはKID FRESINOやRyugo Ishidaとかもいる。2個下にはBAD HOPの面々とかもいる。なんか、出来そうだなって思うから、俺のアルバムの売り上げでみんなを呼んでやりたい。多分みんな、『集まってやろうぜ』って声かけるようなキャラじゃないと思うから、それが出来るのは俺なのかな、って。でも、変に“ユニティ”って感じのイヴェントじゃなくてもいいって思ってる。そういう変な感じじゃなくて、例えば、上の世代がやってるイヴェントに行くと、当然その世代の人たちがライヴをやって盛り上げてる。同じことを、今の俺ら世代がやって盛り上げることが出来るのか。『さんピンCAMP 20』のニトロみたいに、20年後集まって盛り上げることが出来るのか。一回、大きいパーティをやって、その何年後にまたやる、っていうのを俺はやってみたいんですよ。同世代でまだ会ったことがない人もいっぱいいるし、簡単なことではないと思いますけど、俺もアルバム出して『やっとみんなと並べた』ぐらいのテンションで年代の近い各地のイケてるやつらとやれたらいいな、って。今の目標としては、そういうのがありますね」
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2016/02/17  晋平太 “DIS IS RESPECT” Interview
「僕のHIP HOP観の総括というか、やっとそれが少し分かってきた。僕にとってHIP HOPは、苦しいときでも一緒にいてくれるモノだったり支えてくれるモノなんだな、っていうことに気付いて。それがなかったら今の自分はいないですしね。誰にとってもHIP HOPはそういう面を持ってると思うから、なるべくポジティヴな言葉をかけたいし、それを伝えたいですよね。ネガティヴな状況はコントロールできないモノかもしれないけど、感情はネガティヴなことがあったときこそポジティヴにコントロールしたいな、って」
 Zeebraに憧れ、がむしゃらにシーン内でのプレゼンスを高めようと、10年以上に渡って活動を続けてきた晋平太。そんな彼が、近年のMCバトルの隆盛に救われたラッパーのひとりであり、そこに自覚的で誇りも持っていることは、4年振りに完成させたニュー・アルバム「DIS IS RESPECT」を聴けば明らかだ。自身のスキルをもって、過去10年のMCバトルのアートフォーム向上に大きな貢献を果たした彼は、バトルという現場で掴み、数えきれない程の勝ち負けを経て悟った人生観を、今作で全編に渡って惜しみなく表現している。    近年は、『UMB』での司会業や全国各地で行なっているラップ講座の講師、そして『フリースタイルダンジョン』などTV番組での露出などを通して、ラップ/フリースタイルの啓蒙活動にも勤しんでいる晋平太。そんな彼が今考えるラップ/フリースタイル観、そしてもちろん本作について、たっぷり語ってもらった。 インタビュー:伊藤雄介(Amebreak)  
■ここ数年は、今作に向けての制作はもちろんのこと、ライヴ活動も活発にしていたと思うけど、目立つところだと『UMB』での司会や『フリースタイルダンジョン』などTVでの露出が挙げられるよね。 「この数年で、役割が急に変わっちゃったなあ、っていう。僕の周りを見てもそうなんですけど、下の世代が出て来たことによって、僕らの存在が『ロケット鉛筆方式』で押し上げられていくわけじゃないですか。そんな準備が出来てないまま、下から押し上げられていったタイミングで、たまたま『UMB』の司会になって。『オトナの仕事』って言ったら変ですけど、そこから今までやらなかったような仕事がいっぱい来るようになった。最初は、『え?僕っすか?』って感じでしたけど、『他にいない』って言われて考えてみたら、確かにいないかもしれないな、とも思って」   ■TVの出演も、自分から出たいと思っても出れるモノじゃないから、「オファーされたから」出てるっていう部分もあるとは思うんだけど。 「そう言っちゃったら身も蓋もないですけど(笑)。僕は、以前は別の仕事をしながらラップしてたんですけど、誰よりもラッパーという職業に対する憧れが強かったと思うんですね。『ラップのプロ』というか。言い方は変かもしれないですけど、ラップでお金になるんだったら僕はなんでもやりたい。もちろん、いろんな意見があって当然ですけど、僕はラッパーになりたかったわけだから、世間の思うイメージと違ったとしても、ラッパーとしての依頼が来て、ラップをすることで仕事になるんだったら、ベストを尽くしたい。もちろん、『えー?』って思うような仕事もあるだろうし、実際そういうこともありますけど、その中で『じゃあ、どうしたらより良いモノになるか』という風に考えたい。僕がその仕事をやらなかったとしても、他の誰かがそれをやるかもしれないし、その誰かがやっつけ仕事をする可能性もあるワケだから、だったら僕が出て一生懸命やりたいな、と思ってますね」   ■ラッパー=音源制作/ライヴ活動という範囲だけではなく、ラッパーという肩書きが活かせる仕事なら何でもやりたい、ということか。 「そうですね。僕というか、ラッパーにしか出来ない仕事って結構あると思うんですね。僕は言葉を操るプロだと自分でも思ってるし、例えばラップでCMを作るとかも、他の人には出来ないことだと思いますし。やっぱり、頼んできてくれる人がいるから成り立つことでもあるので、前向きに努力すれば次に繋がるし、で、次が来たら最高じゃないですか」  
■とは言え、大前提としてライヴや音源制作が軸にあるからこそ、今作が出来たわけだよね。 「それはもちろん、当たり前なことで。僕の場合は課外活動が多いから、どうしてもそっちが目立ちますけど、ラッパーの本業としてライヴをして曲を作るのは当然ですよね。だけど、ライヴや音源制作は課外活動に比べたら地道なモノですよね。日々進んでるか進んでないのか分からないような作業の繰り返しなんで」   ■で、今作はオリジナル・アルバムとしては結構久し振りのリリースだよね。 「ベスト・アルバム『TODAY IS A GOOD DAY TO DIE』から3年で、フル・アルバムだと4年振りになりますね。アルバム制作についてはずっと考えてたし、作ってもいたんですけど、なかなかピースが揃わなかったというか。“世間知らず feat. J-REXXX”とか“ペーパートレイル feat. R-指定”とかは結構前から作ってた曲なんですけど、『コレだ!』っていう感触がずっとなくやってた感じです。この数年は、環境の変化がデカかったというのもあるし」   ■晋平太君は、2000年代以降のラッパーだけど、2000年代の晋平太君と2010年代の晋平太君では全然印象が変わるね。 「かもしれないですね。今は2010年代以降の僕しか知らないリスナーばっかりだと思いますけどね」   ■晋平太君のこれまでの道のりや背景を知っているか知っていないかで、今作を聴いたときの印象が変わるのかも、と思って。 「そうですね、最近は『スゲェ優しいヤツ』とか『良いヤツ』みたいに思われてる部分があるかもしれない(笑)」    ■それはMCバトルでの振る舞い方からも感じてて。以前が「ディスる」感じだったとするなら、今は「諭す」感じになっ���いるというか。いつの間にか「兄貴キャラ」になってるなあ、と。 「僕、ジェントルマンだと思われてますからね(笑)。よくそう言われることがあって、その度に爆笑しちゃうんですけど。昔は野獣みたいだったし、どちらかというと“クソガキ”が代名詞だったんですけどね」   ■今作のタイトル「DIS IS RESPECT」は、捻ってるけどストレートなタイトルになってるよね。 「最初に頭にあったのはRHYMESTERのアルバム『リスペクト』で、素晴らしいアルバムだからあやかりたいな、と思って(笑)。あと、長年いろいろやってきたけど、やっぱり“リスペクト”が全てだな、と。あらゆる大事なことはリスペクトさえあればなんとかなる。MCバトルでも、今でも勝ちたい気持ちやスキルを見せたい気持ちはありますけど、リスペクトのないやり取りはしたくない。相手の粗を付きまくって、それがすごく的確なタイプ -- 呂布カルマみたいなタイプもいるけど、的確なことを言えるってことは、それだけ相手を見てるってことじゃないですか。それはもう、ラヴでしょ、って。リスペクトのない相手に対してはそんなに集中して相手のことを考えないと思うんですよね。僕のするディスにはリスペクトがこもってると思ってほしいし、相手のディスも『コレはリスペクトの気持ち(の裏返し)だよな』って思ってないと受け止めきれない(笑)」   ■そういったことに気付いたのはいつぐらいから? 「司会するようになってからですね」   ■じゃあ、最近なんだね。2005年に『BBOY PARK』で優勝したときや、『UMB』で二連覇したときは違う考えだった? 「あの頃は、とにかく勝ちたかった。出るからには結果がないと意味がないと思ってたから、勝つためにはどうするかを考えていたというか」   ■確かに、5〜6年前の晋平太君は、バトルで勝つためのフリースタイルを極めに行ってたからこそのあの強さだったんだと思うけど、勝ちに向かうための計算高さが、逆にいやらしく映っちゃうこともあったと思うんだ。相手の先の先を読んでいる感じは、感心したと同時にちょっと引いたもんなあ(笑)。 「引くっすよね(笑)。それに、そこが出すぎると面白くないですよね」   ■だけど、“試合”として考えると、勝ち続けるために必要な技術でもある。 「でも、結局“ハート”がないと勝ち切れないんですよね。テクニカルな部分で言ったら若いときの方があったのかもしれないですけど、『最後の一勝をもぎ取る』っていうのは、多分テクニックの問題じゃないんですよね。昔の僕は“ハート”の方が強くて、そこからテクニックの部分を磨いていったんだけど、その結果陥ったのが、正に伊藤さんが言ってたようなことで。テクニック重視になりすぎて『本当はそっちじゃなかった筈なのにな……』って。『何で勝ちたかったのか』という部分を、勝っていく内に見失ってたと思う。『勝ちたい』というより『負けたくない』ってなっちゃってたんですよね。『負けないためにどうするか』っていうことを考えるようになるから、それって結構マイナス志向じゃないですか。2012年ぐらいの頃がフリースタイル的には一番キレてたと思うし、実際勝ってたけど、どんどん客が喜ばなくなってくるのが如実に感じられちゃって」   ■で、その末に行き着いたのが「DIS=RESPECT」だ、と。 「やっぱりそっちだね、って」   ■最早“悟り”だな……(笑)。じゃあ、今の方がバトルに出てて楽しい? 「勝つ確率は落ちてきて、それは悔しいんですけど、楽しいですね。今でもバトルに出るってなると、それに向けて集中したくなるけど、以前ほど『全てをコレに賭けてる』という感じでもないから、勝ったら『あ、運良かったな』みたいな」  
■今作のアルバム資料を見ると「これまでのキャリアの総括」みたいなことが書いてあったんだけど、実際そういう意識で作っていった? 「いや、以前にベスト・アルバムを出してるんで、総括は既にそこでしてるんですよね(笑)」   ■だけど、「内面の総括」は今作で試みてるのかな、とは感じて。これまでにあったことや、やってきたことを振り返るのではなく、これまでの過程を経てどう感じるようになったか、という部分においては“総括”なのかな、って。 「僕のHIP HOP観の総括というか、やっとそれが少し分かってきた。僕にとってHIP HOPは、苦しいときでも一緒にいてくれるモノだったり支えてくれるモノなんだな、っていうことに気付いて。それがなかったら今の自分はいないですしね。誰にとってもHIP HOPはそういう面を持ってると思うから、なるべくポジティヴな言葉をかけたいし、それを伝えたいですよね。ネガティヴなことを吐き出すモノでもあるかもしれないけど、僕はポジティヴな気持ちになりたいからラップをやってるし、聴いた人も同じ気持ちになってほしい。ネガティヴな状況はコントロールできないモノかもしれないけど、感情はネガティヴなことがあったときこそポジティヴにコントロールしたいな、って」   ■直接的にラップやバトルについて語っている曲もあるけど、直接そういったことに言及していない曲でも、ラッパー的視点やラッパーとしての晋平太君がこれまでどう生きてきて、どう感じてきたかという感情がアルバムの大部分を占めていると思って。 「やっぱり、自分はラップに触れてる時間が長いですからね。『ラップで何が出来るか?』とか、『ラップをどう持って行こうか?』ということを考えて、それを仕事にするっていう脳ミソがずっとあるんです。僕にとって今、『生きる』っていうことは『ラップする』っていうことなんです。やっとそうなれた。だから、僕にとってはラップが何よりも大事なことだし、ラップのことばっかり考えてる。人生で一番、ラップのことを考えてますよ。33歳で『そんなことばっか考えてるのかよ』って思われるかもしれないけど、それが事実。『ラップをどう広めよう』とかも、自分にとって今すごく大事なことなんです。ラップを通してしか人生を表現できないっていうワケではないですけど……」   ■例えば“世間知らず”も、ラップしてる内容は直接的にはラップと関係ないけど、コレはラッパーのメンタリティから発せられてる言葉だよな、って。 「そうですね。こんな言い方が正しいのか分からないですけど、僕は他人がどう考えてるか/他人からどう思われてるかっていうことに��味がなくて。それに、ラッパーなんで自分の考えていることを発したいじゃないですか。だから、今回『ラッパーとしての晋平太の考え』が出てるんだと思いますね」   ■90年代HIP HOPを想起させるオマージュや、既聴感あるサンプリング・トラックが多いのも今作の特徴だよね。 「最近、趣味でまたレコードを買うようになったんですよね。昔の日本語ラップのレコードとかスゲェ買ってるんですよ。で、いろいろ聴いてるとやっぱりカッコ良いし、あったかくてクオリティも高い。自分がドンズバで好きだったときに味わった気持ちみたいなのを思い出すことが、最近多くて。それは、『高校生RAP選手権』を見ててもそうだし、声かけてくれる若い子や『UMB』にエントリーする12〜3歳の子とかを見てても思う。『俺もそうだったなあ』って思い返すことがすごく多い数年だったんです。もちろんHIP HOPはずっと聴いてるんで、KOHHみたいなスタイルも理解できるし好きですけど、そういうアプローチで全曲やるかって言われたら違うし。僕は懐古主義者ではないので、単純に僕が消化してきた音楽を、現代の形にアップデートして伝えたいというのがありましたね」   ■数ある名曲の中からMAKI & TAIKI“末期症状 feat. Mummy-D, Zeebra”をカヴァー(“末期症状2015 feat. R-指定 (Creepy Nuts)”)しようと思った理由は? 「僕が最初にハマった日本語ラップって、“ICE PICK”(DJ HASEBE feat. Zeebra, Mummy-D)だったんですよ。“初期衝動”って曲でもラップしてますけど、当時中学生の僕にいろいろ教えてくれる友達がいて、“ICE PICK”を教えてくれた流れで“末期症状”も教えてくれたんです。そんなことはずっと忘れてたんですけど、また日本語ラップ・クラシックを聴くタイミングで“末期症状”を聴き返したら、やっぱりカッコ良いな、って。この曲で歌ってることって、僕の今の気持ちや僕が今やってることと一緒だな、っていうシンクロ感がハンパなくて。で、その時期にDJ TAIKIさんと会う機会が多かったし、R-指定はMummy-Dさんを特別なラッパーと思ってるようだし、僕もジブさんありきなんで」   ■名曲をカヴァーすることに対するプレッシャーはなかった? 「プレッシャーを感じてたらやらないですよね。先のことまで考えるタイプじゃないし、『好きなんでいいっすか?』っていうか。僕は今でもジブさんみたいになりたい、って思ってるし。もちろん、まったく一緒になろうとは思わないし、なれないですけど」   ■ラッパーとしての晋平太君から生まれた考えがベースにあるアルバムなのは確かだけど、一般のリスナーが共感できるような描き方で書いてるな、とも思ったんだけど。 「今回、特に意識したのは『ストーリー性』と『状況が浮かぶこと』なんです。だから、僕から見てる視点だし、気持ちなんだけど、感情というよりその場面/景色が浮かびやすいリリックかどうかが、伝える際のカギになるというのが分かっていた。一時期、日本語ラップの難解さにぶち当たったことがあるんですね。『コレ、俺は内容分かるけど、リスナーはスッと入ってこないだろうな』って思うことがすごくあった。韻を踏むにしても、踏んだことでイメージが倍増しなかったらあまり意味がないじゃないですか。例えば『砕け散った夢のかけら/拾いに行ったクラブ・チッタ』(“初期衝動”)っていうラインがあるんですけど、ちゃんと意味があって、ストーリーにもちゃんと沿っている韻を意識しました。僕から見た目線/ストーリーではあるんだけど、そういう意味で“感情的”というより“情景描写的”なのかもしれない」   ■“NJ〜ナゾノジシン〜 feat. MR Q from RAPPAGARIYA & 呂布カルマ”と“NOMAN NOPERFECT feat. SHINO”という、真逆のテーマを並べて入れているのが、すごく晋平太君らしいと思って。ステージ/バトルに立ってるときは自身マンマンに振る舞っているけど、その反面、コンプレックスや挫折も感じるという、相反する感情を素直に出してるな、って。以前よりもそういう部分を意識的且つ冷静に出しているような印象を受けたんだ。 「そうなのかもしれないですね。批判に晒されることも、周知される数が増える程多くなるし、その一方で応援してくれる人もいる。僕らは“千敵”って言ってるんですけど、『千人味方がいれば、千人敵がいる』って。それはどうしようもないことなんですけど、敵に好かれようとして好きな人に背中を向けるんじゃなくて、好きになってくれる人を増やしたいな、っていう想いがすごくあります。自分が完璧じゃないことぐらい分かってるし、自分も他人に完璧さを求めようとはしない。僕はやはり、MCバトルから得ている部分が多いし、どうしても自己批判的になるというか、最初に自分の弱点を晒しちゃうっていうのはバトルを戦う上での定石としてあるんですよね。それはリリックを書く上でも反映されてて、『言われる前に言っちゃう』っていう感じなんです。過去の曲だと“時代遅れ feat. 般若”とかもそうで、そういうことが出来るようになってきたんですよね」   ■MCバトルを人生の縮図とまで捉えてるかは分からないけど、あの現場を通して見えた人生観や人生経験は相当あるんだろうね。自分の弱点や強みについて、他人と闘うからこそ向き合わざるを得ないというか。 「僕にとってはかなりありますね。どうせ、刺されるんで。でも、それを恐れててもしょうがないですよね。MCバトルの素晴らしいところは、『言われたくないことを言ってくれる』っていうことだと思うし」   ■司会業やTVなどに出ることが増えて、以前より“代弁者”的なスタンスを意識することはある? 「僕たちがシーンで台頭していく上で何を増やせていけたかというと、今MCバトルに来てる普通な感じの子とかが増えたことで。僕らが若かった頃には、あり得なかったことなんですよ。例えば、全然垢抜けてなくて、クラスでも目立った存在じゃないけど、『ラップやってみよう』って思ってくれる子たちがすごい増えてきて、そこには少なからず僕の影響はあると思ってる。でも、僕みたいな人間がラップをやってると、周りから『不良っぽい』とか『危ない』とか言われがちで、それってイヤじゃないですか。僕はラップが好きでやってるワケで、別に犯罪を犯してるワケでもない。でも、『ラップってそういう感じでしょ?』とも言われる。もちろん、そういう面もあるし、そういうところから派生してるモノがあるのも分かってますけど、もうちょっと次の次元に行きたい。オトナがやってても認められるモノ、子供がやってて『あ、いいね』って言われるモノになってほしいし、そういうことを示��る人間が必要だと思うんです。僕が適任かと言われたら、それは分からないから『代弁してる』とまでは言えないですけど、少なからずそういう風に伝えようとしているっていうのはありますね」   ■今作はMCバトルに出ているからこそ生まれた視点や感情がベースにあるという意味では、「バトルMCのアルバム」と敢えて言ってもいいよね。最近のバトル・シーンの流れについてはどう考えている? 「最高じゃないですか。ラッパーが増えることほど嬉しいことはない。しかも、フリースタイル/MCバトルから始めるラッパーが増えてますよね。思ったんですけど、ラップって小難しいモノじゃないんで、『じゃあ、自分の考えを詞として書いて、作品にするのがスタートじゃないとダメだ』なんて、僕の中ではありえないんです。なんとなくそういうパラダイムが日本語ラップにはあったと思うんですけど、そんな小難しいモンなのか?って。誰かがやってたからマネするとか、僕なんか正にそうだったし、そこからで全然いいじゃん、って。最初からフリースタイルが出来るようになっても損することは絶対にない。ラッパーとして曲を作るっていうのは、そこから先じゃないですか。全員それをしなければいけないなんて、僕は思わない。サッカーとかと一緒で、ちょっとでもやれば、より好きになると思うんですよね。で、そこからちょっとでも本格的にやる人数が増えれば、未来に大天才が産まれるかもしれない。僕は『ラップ講座』をいろんなところでやってるんですけど、大したことは教えてなくて、その場所にいる全員がなんとかその日の内にラップできるようになって帰ってもらいたいだけなんです。2小節でも人前でラップできたら、続きがフリースタイルで出て来るかもしれない。事実、そういう人がいる。そういうポジティヴな環境は、自分から作り出せてると思うし、それを山ほど見てるから、そこは誇らしいですね。僕を見てラップを始めたって言うヘッズに会うことも少なくないんですけど、それほど嬉しいことはないですよ」
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2016/02/16 IO “Soul Long”Interview
「ソウルとかを聴いてると、街の見え方が変わってくるじゃないですか。雨でもロ��ンティックに感じれたりとか。そういう、音楽によって風景や歩き方が変わる感じは、音楽をやってて好きな部分なんですよ。曲を映画のように見せられたらいい、というか理想かもしれないです」
   2014年末、BCDMGがそれまでのプロデューサー・チーム的体制から、ラッパーや様々な意味でのクリエイターを抱える大所帯のチームとしてリニューアルしたタイミングに、Amebreakで彼らのドキュメンタリー的な動画を制作したことがある。彼らのインタビュー映像を軸に、同時期に公開されていたJASHWONのフリーEP「6」収録曲のショートMVを挿入していくという構成のものだったのだが、その動画で撮影されたMVのひとつがIO“Mr. City Lights feat. Dony Joint”だった(手前味噌だが、かなり良い仕上がりのMVだと思うので、未見の方はこの機会に是非!)。以降、IOの所属するKANDYTOWNは活動を活発化させ、昨年のシーンを代表するラップ・クルーと言える程の認知/人気を獲得してきた。    この一年で多数発表された、メンバーやクルー名義のストリート流通作品/ストリーミング楽曲を何曲か聴いたリスナーには、ある程度KANDYTOWNの音楽性やアイデンティティが伝わっている頃だろう。そんなタイミングにドロップされたのが、IOの1stソロ・アルバム「Soul Long」だ。    今作を聴いて感銘を受けたのは、ラップのスキルやトラックのクオリティの高さといった要素ではなく(もちろん、そのどちらとも高水準な作品だ)、それらの要素を“クール”なものに昇華させるIOのムード作りの巧みさだ。メロウなサウンドはウェットな感触だが、ラップで描く情景は都会的でドライ。頭では分かっていても表現するのは難しい、そんな塩梅をIOは25歳にして見事に具現化させている。これまでの日本語ラップ・アルバムでは、ありそうでなかったバランスの作品だ。    「Soul Long」のアルバム・インフォには「日本語ラップ版“ILLMATIC”」というキャッチ・フレーズが載っている。正直、そんなレコード会社のクリシェ的な宣伝文句に煽らされるほど筆者は若くないのだが(フォローするわけではないが、上記の表現は主にプロデューサー布陣の豪華さという共通点からそう喩えたのだろう)、このアルバムが日本語ラップにおける“クールネス”の定義を更新する可能性があるという意味で、“名作”のムードを纏っているのは確かだし、重要な一枚となる可能性が高いと思う。 インタビュー:伊藤雄介(Amebreak)  
■東京・世田谷で育ったとのことだけど、子供の頃はどんな環境で育った? 「割と普通だったと思います。ひとりっ子の鍵っ子だったんで、ずっとひとりで遊んでましたね。小学校の頃、棒を倒して、倒れた方向に進んで行くっていう遊びをしてたら、たまたま菊丸(KANDYTOWN)が通りかかって『何してるの?』みたいな(笑)。彼とは小学校が一緒だったんです」   ■他のKANDYTOWNの面々とも、小学校の頃からの付き合い? 「色々いるんですけど、YOUNG JUJUとか菊丸、DJのMASATO、YUSHIとかは小学校からです。中学〜高校の頃に繋がったヤツもいるけど、大体はどこかで学校や遊ぶ公園や駄菓子屋が一緒だったりっていう繋がりがありますね」   ■世田谷区は大きい区だから、ひと口に「世田谷区出身」と言ってもエリアによって印象がだいぶ異なるよね。IO君が育った喜多見周辺は、成城と二子玉川の間ぐらいの場所だね。 「世田谷にもいろいろあって、都会っぽいところもあれば静かなところもあって、喜多見は静かな方に入るのかな、って。ちょっと行けば川があって、越えたら川崎です。ただ、街には出やすい場所ですね」   ■確かに渋谷には出やすいし、246も通ってるよね。多感な時期に入ると、やはり遊びに行く場所は渋谷が中心だった? 「そうですね。俺たちが15〜6歳のときは、渋谷に行って宇田川町のBOOT STREET(CDショップ)とかHIDE OUT(服屋)があるエリアで遊んだりしてました。それが10年前ぐらいです。YUSHIとかはあまり学校にも行ってなかったから、昼間からあの辺りにいましたね。俺はあまり出るタイプじゃなかったから、割とフッドの方にいたんですけど」   ■だから、IO君は渋谷・宇田川がかつてのように東京HIP HOPの中心として機能していた時期を知る、最後の世代だよね。 「やっぱり、あの頃あそこにいた人たちと出会えたことは、自分にとって大きなことだと思いますね。俺の場合は特にHIDE OUTをやってたGOKさん(BCDMG)がよくしてくれたし、すごくカッコ良かった、そういう人たちのスタイルに憧れもありました」   ■IO君やKANDYTOWNから感じられる、一種のオーセンティックさは、そういうルーツに理由があるとは前から感じていたことで。15歳頃から宇田川町に出入りしていたということは、その頃には既にHIP HOPヘッズだったということだよね? 「小学校の頃、まずYUSHIが『8 MILE』を見て、それに影響を受けた彼はランドセルにNASのステッカー貼ってたりしてて。そういうヤツだったから、彼から受けた影響が大きいですね。ラップを始めたのも彼の影響です。中学生の頃、外で缶蹴りとかしてたのに、HIP HOPに出会ったことによって『遊び=ラップ』になったんです。それがラッパーとしての始まりでしたね」   ■その頃はどんなラップが好きだった? 「自分は、FABOLOUSとかJA RULE、LL COOL J、FAT JOEとか、2000年代前半に流行ってた、ストリートなんだけどフックにはシンガーが入ってくるようなメロウなヤツが好きでしたね」   ■今のメロウなスタイルは、そういうところにルーツがあると思う? 「そうですね、それも大きいと思います。あと、ソウルとかを親父がずっと聴いてたんですよね。車でどこかに出かけるってなると、車内ではMINNIE RIPERTONとかが流れてた。そういう環境だったんで、『この曲好きだな』って思うのは大体メロウな曲でした」   ■KANDYTOWNは、頻繁にストリート流通の作品や音源をSoundcloudなどにアップしてるけど、それはさっき話していたような、中学生の頃の「遊び=ラップ」の延長線上という意識? 「間違いなく延長線で、集まったときに『今日、作ろうか?』みたいな流れでやる作り方とか、ずっと変わらないですね。今でもみんなでラップを続けられてるっていうのは、やっぱり恵まれてるな、って思います」   ■KANDYTOWNをHIP HOPクルーとして見ている人は多いと思うけど、それぐらいみんなの付き合いが長いと、ビジネス的側面よりまず友人関係ありき、という感じがするね。 「そうですね。ラップを始める前に友達になってるので。ラッパーとしての付き合いより友達としての付き合いの方が先に来てますね」   ■“Soul Long”では「繋ぐドラマlike Chain Reaction」というフレーズが出てきて、この曲はMUROプロデュースだから氏の楽曲タイトルを引用したんだと思うけど、90年代〜00年代の日本語ラップへの思い入れはどの程度ある? 「BUDDHA BRAND/雷/RHYMESTERはもちろん、俺らの世代的にはSCARS/練マザファッカーとか聴いてましたし、CDも買ってました。俺が一番好きだった人はYOU THE ROCK★でしたね。あの人のCDはほとんど持ってるかもしれないぐらい。存在がエンターテインメントというか、そういう面白さや『何をやるんだろう?』って思わせてくれた感じとか。……あと、『BBOY PARK』とかで会ったときにケバブを買ってもらったんですよね。15歳ぐらいだったかな、『最高だな』って思いました(笑)」   ■KANDYTOWNの諸作や今作を聴くと、都会的と形容できるクールネスがあって、IO君自身も「俺は自分がクールだと知ってる」(“Check My Ledge”)とラップしているからその自覚はあると思うんだけど、そういったスタイルはどんな過程を経て確立されていったと思う? 「昔から変わらないのは、“夜”についてだったり“東京”が出てくる曲やパーティ -- “街”に関する曲をずっと作ってたし、それは自分が曲を作る上での中心として最初からあったと思いますね。自分が歌うならそれしかないというか。自分が見てたモノが自然と曲になっていったんだと思いますね」   ■IO君の地元は、地方に住んでいる人からするとだいぶ都会だとは思うけど、東京の中でも郊外寄りなエリアだよね。そういうバックグラウンドもあるからか、IO君が描く“街”は少し距離のある場所から俯瞰した視点な気がしてて。 「六本木が地元だと、多分こういう感じにはなってないのかなと��いますね。俺たちの育ったところは、世田谷の中でも一番外側なので、シティーが見えるちょうど良い距離なのかもしれないです。自分のスタイルは、自分がいた場所や周りの状況があったから作られたんだと思います」   ■BCDMGのGOK氏とは10代から面識があったとのことだけど、BCDMGに加入したのもその繋がりから? 「15歳ぐらいの頃、JASHWONさんが住んでいた隣に、自分たちが仲良いヤツが住んでて、そこに泊まりに行こうとしたらその家に入れてくれなくて、真冬の公園で野宿してたんですよ。そうしたら、『今日、JASHWONさんの家で何かやってるらしい』って聞いて、すぐ行きました。そこでデモを渡したのがJASHWONさんとの最初の接点です。そのときは、JASHWONさん/GOKさん/LOSTFACEさんがいて、俺とYUSHIで行きましたね。で、19歳頃にBOOT STREETで働かせてもらうようになったんですけど、そのときにJASHWONさんとGOKさんに『ちょっとスピットしてみろ』って言われて、そこでラップしたときぐらいからラッパーとして見てもらえるようになったのかな、って。そこから、JASHWONさんからトラックを送ってもらったり、俺はラップを送り返したりして、音源のやり取りをするようになったって感じです」 DJ NOBU a.k.a. BOMBRUSH!「俺も最初、IOのことはJASHWONから聞いたんだよね。BCDMGも『そろそろプロデューサーだけだと動ける幅も決まっちゃうから、ラッパーを探そう』って思うようになって、何年間もずっと探してたんだ。その過程でJASHWONから出て来たのがIOとDONY JOINT(KANDYTOWN)の名前だった。それが3年ぐらい前だったかな?BOOT STREETで働いてたっていう話は後から聞いたんだけど、話を聞いてみると結構前から近くにいたんだな、って」   ■NOBU君は、IO君たちのどんなところに魅力を感じた? DJ NOBU「ワード・センスかな。最初はヴィジュアルを見る前だったから、曲だけでしか知らなかったし。俺が初めてJASHWONにデモを聴せてもらった頃から、今のIOのスタイルだったと思う。東京っぽさを感じさせつつ、オーセンティックだけど新しい、今までいないタイプだなと思った。JASHWONは才能を見抜く力が本当凄いね」  
■KANDYTOWNとしてはこれまでに多くの作品をドロップしてきたけど、IO君名義の初ソロ・アルバムとなる今作は、どんなイメージで作りこんでいった?KANDYTOWNの諸作とは違う意識だった? 「基本的には、特別な意識というのはなかったです。ビートがカッコ良くて、そのビートに合ったラップを、聴いて浮かんだ言葉でやっただけなんで」   ■“ニューカマー”とか“フレッシュマン”みたいに、HIP HOPでは次世代の人たちで、そういうフレッシュさを売りにシーンで成り上がろうという意識の人が多いと思うんだけど、KANDYTOWNの人たちはそういう感じでもないよね。最初から落ち着いてるというか(笑)。そういう野心みたいなモノはある? 「もちろん、音楽で成功したいと思っています。だけど、KANDYTOWNのヤツらとそういう話をすることはあまりない。音楽について話すことも、普通の会話に比べたらそんなに多い方ではないと思います。だけど、一年前にYUSHIが死んで、そこでみんなの意思が固まったというのはあるし、『BLACK MOTEL』みたいな作品を出した後にいろんな反応が返ってくるのが(実感として)分かって、それで自分たちが動けばその分の変化が起きるというのが分かってきたんです。それでみんなのモティヴェーションが上がったというのは、以前よりあると思いますね」   ■僕は車を運転しないんだけど、それでも夜の246をドライヴして、窓から景色を眺めているような感覚を、「Soul Long」を聴いて味わって。実際、リリックも自分の主張を伝えるより、情景描写が多いよね。 「意識的にそういう描き方をしているわけではないですけど、ビートを聴いて浮かんだことや、イメージしたことをビート上に落としていく。そこに最近の調子を重ねていくって感じだと思います。あまり自分のラップのスタイルについて、考えたことはないかもしれないです」   ■でも、KANDYTOWNは音楽性は統一されているけど、個々のラップのスタイルはそれぞれ結構違うよね。 「それはよく言われるんですけど、俺ら的には嬉しいですね」 DJ NOBU「端から見ててクルー内のライヴァル意識も凄いと思う」 「ライヴァル意識はすごいありますね(笑)」   ■今作には“119measures”がKANDYTOWNのポッセ・カットとして収録されてるね。 「その曲に関しては、完全に殺し合い(笑)。みんな仲間だし、このアルバムをみんなサポートしてくれてるし、足の引っ張り合いみたいなことはないですけど、一曲にみんなが入るってなると、完全に『俺が一番を獲る』っていう気持ちでみんな書いてると思います。外側に対しての競争心はない方かと思うんですけど、その分仲間に対してハンパじゃない(笑)。今作について彼らがどう思ってるかは、話してないから分からないですけど、『次は俺がやってやる』って思ってると思うし、そのときは俺に出来るサポートをしたいと思います」   ■情景描写の多さって、IO君はTAXI FILMS名義で映像を撮ることも多いというのも関係してるのかな?って思ったりしたんだけど。 「少なからずあると思いますね。元々、映画が好きで、映画から受ける影響は相当あると思ってます。ソウルとかを聴いてると、街の見え方が変わってくるじゃないですか。雨でもロマンティックに感じれたりとか。そういう、音楽によって風景や歩き方が変わる感じは、音楽をやってて好きな部分なんですよ。一番好きな映画は、『モ・ベター・ブルース』(90年:スパイク・リー監督)ですね。NYが舞台の映画が好きなんです。『レオン』(94年:リュック・ベッソン監督)や『恋のためらい/フランキー・アンド・ジョニー』(91年:ゲイリー・マーシャル監督)とかも好きですね。曲を映画のように見せられたらいい、というか理想かもしれないです」   ■だけど、IO君の場合は“ストーリーテラー”という感じではないよね。それより、映画のワンシーンを切り取っている感じというか。 「そうですね。究極は、『良い1小節の固まり』が16個あって1ヴァースになってるという感じです」   ■リリックを中心に聴いていくと、「Like a〜」のような比喩表現が多いよね。 「『Like a〜』はすごい使いますね」   ■「Like ジョー山中」とか、どういうことだ、って思ったんだけど(笑)。 「ジョー山中、カッコ良いんで(笑)。あと、その前に“証明”って言葉が出て来るから、『人間の証明』から発展して出て来たんだと思いますね。そういう言葉遊びで使うことも多いですね」   ■そういう表現が多いから、必然的に情景描写メインになるんだろうね。 「半分、自分を映画化しちゃってるんだと思います。自分自身を、フィルムを通して見ている部分があるし、自分の日常をよりロマンティックに見せようとしてるというのはありますね。それは、ラッパーとして夢を見せることも大事だと思っているんで」   ■あと、プロデューサーのラインナップが絶妙だよね。今作の、現行シーンのトップ・ビート・メイカーとレジェンドなプロデューサーという組み合わせは、やりたくてもそう簡単に出来る布陣ではない。 「自分のアルバムを作るにあたって、カッコ良いビートが集まればいいな、っていう思いだけだったんですけど、MUROさんやDさん(Mr. Drunk)といった人たちは自分も聴いてきたレジェンドで、そういう人たちと演ることで、キッズとか下の世代にもそれを見せられるというのは、HIP HOP的に夢を見せられることだと思うんですよね」   ■IO君自身が、渋谷で上の世代のカッコ良い姿に憧れてきたからこそ、そういう意識が生まれた? 「そうですね。GOKさんが昔、『ラッパーは夢を見せないとダメでしょ』みたいなことを言ってた気がします。まさか俺がこんな人たちと曲が出来るところまで行くとは、友達とかみんなも思ってなかったと思うんです。だから、ありがたいですね」   ■若い世代のトラック・メイカーは、IO君が元々繋がっていた人たちなの? 「KID FRESINO君は、前に曲を一緒に作って(KID FRESINO“SPECIAL RADIO feat. IO”)。それのヴィデオをNYで撮って、そのときにビートを聴かせてもらったんですよね。OMSB君は、15歳ぐらいからの知り合いなんです。町田の方でよく会ったし、YUSHIの家にもよくいたんですよね」   ■タイトル曲でもある“Soul Long”は、亡くなったYUSHI君に捧げている曲だと思うし、アルバムには彼の声やトラックが随所で使われているよね。今作の発売日も彼の命日だから、アルバムを作る上で彼の存在は、少なからず意識されていることだよね。彼はIO君/KANDYTOWNにとってどんな存在だった? 「“スーパースター”です。昔から、何をやるにしてもカッコが付いてたし、めちゃくちゃぶっ飛んでてワケ分からないヤツだったけど、そのクレイジーさが俺にはマネできなかったから、すごくカッコ良かった。YUSHIがKANDYTOWNのみんなを繋げたし、彼がいなかったら俺もラッパーになっていなかった。多分、彼がいなかったらパイロットとかになってたかもしれないですね。それはそれでよかったかもな……とか思うこともありますけど(笑)。完全に人生狂わされてます。そういう風に、人の何かを変える影響力があるヤツでした」   ■全然タイプは違うだろうけど、SCARSにおけるA-THUGみたいな感じなのかもね。 「“カリスマ”と言ったらチープに聞こえるぐらい。彼のエピソードは語り尽くせないぐらいあります(笑)。いつも小田急線とかでラジカセを爆音で鳴らして乗ってたり、いきなりポケットからCD取り出して売り出したり。YOUNG JUJUが一時期サンフランシスコに住んでたときに遊びに行って、『YUSHIも来てるんだよな』とか思って車で走ってたら、ダウンタウンのど真ん中でスーツケースの上にあぐらかいてボーッとしてるヤツがいるんですよ。それがYUSHIで(笑)。まったく意味が分からなかったです。小1から一緒だったし、俺のソロ・ライヴなのにステージ上で延々とフリースタイルされて、アイツのマイク捨ててケンカになったりとか、そういうこともしょっちゅうでしたけど、動物とかにはすごい優しくて、轢かれて怪我してるネコは絶対見逃さなかったし、ここ3年位は『牛や動物が可哀想』って言ってヴィーガンになってました。俺は小学校の頃からずっとふたりでい過ぎて、最近はふたりきりだとちょっと気まずいみたいな感じでした。色んな人に迷惑もかけたと思うけど、みんなに愛されてましたね」   ■それぐらいインパクトのある人だと、いなくなっちゃうとそのデカさを尚更痛感するだろうね。 「YUSHIが作り上げてきてくれたモノの後ろを俺は歩いてきたんで、彼の気持ちを無駄にしないように広げられたら、って。YUSHIは『スーパースターになる』ってずっと言ってたんで、俺らもスーパースターになってYUSHIの存在をそこまで持ち上げようという想いがありますね」
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2016/02/08 #RAPSTREAM CO-SIGN feat. 崇勲(『KING OF KINGS -FINAL UMB-』2015年チャンプ)
文:伊藤雄介(Amebreak)
内側こもった blash up 磨いた 言葉の力 Punchliner アリスター これは長丁場 打ち砕けFake star ひっくり返せ14.5ゲーム差 (“仁王立ちの内弁慶”)    アンダードッグ -- 訳すると“敗北者”や“負け犬”といった意味になるが、スポーツなどの世界においては“(不利な状況/下馬評から)追う者”といった意味の方がしっくりくる。要するに“下克上”を起こせる側の者のことを指す言葉だ。    スポーツに限らずHIP HOPにおいても、アンダードッグはシーンの活性化には欠かせない存在だ。著名なラッパーが主流を担う現行シーンにおいて、その位置を虎視眈々と狙うニューカマーは総じてアンダードッグであると言えるが、リリックやスタンスを通して自分たちがそうであると主張する人もいれば、あまり表には出さず飄々と活動するラッパーもいるだろう。    2015年の国産HIP HOPにおいて、その活躍振りを見て真っ先にこの“アンダードッグ”というフレーズが浮かんだラッパーがいる。2015年に開催された鎖グループ主催MCバトル『KING OF KINGS -FINAL UMB-』初代チャンプであり、昨年11月に1stアルバム「春日部鮫」をリリースした崇勲だ。     埼玉の端の春日部の端 新たな狼煙を確認せよ 劣等感が俺の後ろ 大丈夫、肩組んでやったぜむしろ (“仁王立ちの内弁慶”)      「春日部鮫」というアルバム・タイトルが付けられている通り、現在32歳の崇勲は埼玉県・春日部市の出身。現在も同地に拠点を置いている。   「完全なるベッド・タウンっていう感じですね。まあ、都内に行くのにもそんなに不便じゃないし、っていう感じで、特に不自由がないから暮らしやすい街です。ずっと住んでいる街だし、友達もほとんど春日部にしかいないから、歌詞に出て来るのは必然かな、って。ラッパーだと、TKda黒ぶちも春日部が地元ですけど、自分が知ってる限りだとラッパーはそれぐらいですかね。他にもいるのかもしれないですけど」    自身のMC名について、「本名がスグルで、“スー君”っていうのがアダ名だったんです。ラップを始めたときは10代だったんで、“スークン”って名前にしたら歳上の人も君付けしてくれるかな、ってことで。……で、今その弊害が出てるような感じです。『スークンさん』って歳下から呼ばれたりするから(笑)」と自嘲気味に解説する崇勲は、16〜17歳頃に、周りが2PACやEMINEMを聴き出したタイミングに合わせてHIP HOPを聴くようになり、BUDDHA BRAND“人間発電所”で決定的なインパクトを与えられたという。だが、自ら「コミュニケーション下手」と評する彼の性格が災いし、本格的にラッパーを志すまでには少し時間がかかったという。   「“人間発電所”を聴いた頃ぐらいからリリックは書き始めてましたけど、録音の仕方も分からないからボーッとしてて。そうしたら友達がウォークマンで何か聴いてて、それを聴かせてもらったら、それが“大怪我”(大神)だったんです。だけど、そこに載っていたのはウォークマンを聴いてたその友達の声で。それで、地元のDJ(『春日部鮫』の収録曲7曲のトラックを担当しているDJ YABO)の家で録音が出来るっていうことが分かり、そいつん家でカセット・テープに自分のラップを録音するようになりました。それが18歳ぐらいの頃です。当時は98年ぐらいでしたけど、NAS“NAS IS LIKE”とかその辺に載っけてラップしてましたね。その頃からライヴはやりたかったんですけど……自分、コミュニケーション能力が圧倒的に低かったから、『どうやってライヴをやったらいいんだろう』って思ってて。頭下げてやるのも気に食わないな、って思ってたし。そうしたら、友達伝いでライヴしてくれるラッパーを探してる人を見つけて、2001年ぐらいに渋谷FAMILYでライヴしたのが初ライヴです。そのイヴェントは、クリスマス直前の単発イヴェントで、そこで披露したラップはクソみたいなモンだったと思うんですけど、超盛り上がったんですよね。それが快感になっちゃって」      初ライヴで確かな手応えを得た崇勲。このまま順調にキャリアを重ねていくのかと思いきや、シンプルに事は運ばなかった。   「そこから7年間ぐらい、超盛り上がったのはそのライヴだけでした(笑)。最初に盛り上がりのピークが来て、そこからどんどんダダスベっていく、みたいな。かなり苦々しい時期でしたね。あまりにスベるからもうイヤになっちゃって、2〜3年ぐらいライヴとかやらなくなった時期もあって、曲だけ作ってる時期がありましたね。……なんで盛り上がらなかったんですかね……今とスタイルはだいぶ違ったと思うけど、根っこの部分はそんな変わってないと思うんですよね。ただ、あまりみんなが仲良くやってる輪にも入っていくことは出来なかったし、そういう仲良い感じを見ているのもイヤな感じでしたね、当時は(笑)」    彼が10年近く辛酸を舐め続けてきた原因としては、外的要因もあっただろうが、どうやら自身のパーソナリティにも原因があったようで、それは崇勲自身も認めるところだ。   「今は多少変わってきましたけど、根本的には広く人と付き合うタイプではないですね。ここまでアルバムが出せなかった理由としては、それが大きいと思います。昔は、ずっと“第三の唇”っていう6〜7人組のグループをやってたんですけど、ライヴのオファーが俺に来るけどメンバーのスケジュール調整が面倒になってきて、『ひとりでやった方が楽でいいな』って思い、ひとりでやるようになりました(笑)。当時のメンバーの何人かは『春日部鮫』に参加してますね」      スキルはあるが、同業者と交流するのが苦手が故に、シーン内で上がっていけず燻り続けるという構図は、ラップに限らずどの世界でもある話だと思うが、HIP HOPにはそんな逆境を覆すための舞台がある。近年でその役割を最も果たしているのがMCバトルだろう。作品リリースがなかった崇勲がシーン内で名を上げるには、やはりバトルという現場が最も有効に機能したようだ。   「(2000年代前半の) 『BBOY PARK』のMCバトルとかは観てましたけど、漢さんのフリースタイルを観て『ああ、こんなん出来るワケねぇな』と思ってたから、当時はフリースタイルは一切やってなかったんです。だけど、2005年の『UMB』のDVDを観たときに『こんなにフリースタイル出来るヤツがいっぱいいるんだ』って知って、『自分でも出来るんじゃないかな』って思って、自分でも始めました。で、06年の『UMB』予選が初めて出たバトルです、一回戦で負けましたけど。その後のバトルは、『UMB』で言うなら千葉/埼玉予選で決勝まで行ったことはありますけど、大きなバトルで勝ったことはほとんどないですね」    MCバトル・ファンの間では徐々に知られる存在となった2010年代の崇勲ではあるが、目立った優勝歴がないこともあり、彼のことをダークホースと捉えていた人は多いだろうし、それは昨年の『KING OF KINGS -FINAL UMB-』グランド・チャンピオンシップに駒を進めても変わらなかった。著名且つ実力に定評のあるMCが多数エントリーしていた同大会において、彼を優勝候補に挙げていた人は多くなかっただろう。  
 だが、同大会での崇勲は、そんな下馬評を覆す強さを発揮し、見事に全国大会クラスのバトルで初優勝を果たす。実際、筆者も大会当日に現場で彼のバトルを観たのだが、ベスト16〜ベスト8〜準決勝〜決勝と駒を進める毎に、会場の空気が徐々に崇勲の色に変わっていくのが肌で感じられたし、彼もその変化に応えるようにパンチラインを連発していった様は圧巻だった。YouTubeなどで一試合単位のバトルをチェックするだけでは絶対に味わえない、現場で一回戦から通して観ることで感じられるダイナミズムやドラマがそこにはあった。崇勲が“アンダードッグ”であったことも、ドラマ性が増幅した要因だろう。こういうことがあるから、やはりMCバトルは動画を通してだけでなく、極力現場で体感するべきモノだ、と改めて痛感した次第だ。
 閑話休題。その『KING OF KINGS -FINAL UMB-』を、崇勲はこう振り返る。
「グランド・チャンピオンシップは、結構あっという間って感じでしたね。謎に集中してたから、集中力が切れることなく出来た。普段、バトルに出ても『勝てる』とは思わないんですけど、『負ける』ともまったく思わないんですよ。そういう矛盾した感覚があるんで、負けたら『負けたか』ぐらいの感じで、勝ったら『勝ったか』ぐらいの感じ。でも、ああいうデカイ舞台に立つことが出来たら、自分の良さを伝えられるのにな、とは思ってたんです。だから、下馬評は低かったと思いますけど、面子を見ても自分が負けそうな感じでもないな、と思ってはいました。(自分がダークホースだと思われていた雰囲気は)感じましたね。でも、俺はナメられてるときの方が強くて、そういうときの方が力が出るんです。期待されてるときは大体負けるんですけど(笑)。どんなバトルでも、出ても一回戦は白けてるムードだけど、そこから徐々に空気を作っていくんです。だから、地元で俺のことをよく知ってくれてる人は、『一回戦勝ったら優勝する』って前から言ってくれてたんです。俺という人間を伝えることが出来れば、そこからはコントロールできるっていう自信があった」
 地元が同じということもあり、フリースタイル巧者のTKda黒ぶちとも交流が深い崇勲。そういった交友関係を通してフリースタイル・スキルが磨かれ、今回の優勝に至ったのかと思いきや、そうではないと彼は語る。
「信じてもらえないかもしれないですけど……今年は『KING OF KINGS -FINAL UMB-』に出ましたけど、当日に始まる瞬間まで、まったくフリースタイルはしてなかったんです。基本的にはサイファーには参加しませんし、ひとりで頭のなかで考えたりもしないんで、普段フリースタイルは一切やらない。バトルに出たときだけ。だから、噛むことも多い。で、たまたま良い意味でハマったのがこないだの『KING OF KINGS -FINAL UMB-』だったっていう。2014年の『ブレス式 presents AS ONE』で、TKda黒ぶちとタッグで出たときに優勝して、そのときも『練習したでしょ?』って言われたけど、本番出るまでふたりでフリースタイルは一切しなかった。正直、人とやるフリースタイルは好きじゃないんですよね(笑)。昔、すごい若い子に『一緒にやってくださいよ』って言われて始めてみたら、『Yo Yo、お前のこと、ここでぶっ殺す』みたいなことを言われたりして。そういうことを何回か経験した内に『こういう人たちとやるのはやめよう』って思って(笑)。だから、自分の中でフリースタイルは、溜め込んだモノを一気に吐き出すっていう感覚ですね」
「MCバトルは、観るのは好きなんですけど、自分で出るのはあんまり好きじゃないから、滅多に出ようと思わないです。こないだの『KING OF KINGS -FINAL UMB-』は、アルバムを出す年だっていうのを自分の中で決めてたし、予選が『北関東予選』っていう括りだったんですね。そういう括りなら、無駄な罵り合いとかじゃなくて高いレヴェルでバトルが出来るのかな、っていうのが想像できたんです。だから、北関東予選だから出たっていう感じですかね」
この世に俺がいた事を残す イタコも発狂する怨霊のフルコース
(“外地蔵”)
 自身のアルバムを出すタイミングに、プロモーションも兼ねてMCバトルに出て名を売るというのはよく聞く話だが、崇勲の場合はタイミングが絶妙だ。『KING OF KINGS -FINAL UMB-』が開催されたのが9月末。そして、アルバム「春日部鮫」のリリースは11月だ。
 「春日部鮫」は、崇勲のアンダードッグ的メンタリティが強調されたパンチラインの数々や、地元・春日部で見てきた景色/事象を綴ったパーソナルなリリックが中心のアルバムだ。
「地元の友達とか先輩/後輩に喜んでもらえるモノを作りたいっていうのがまずありましたね。でも、途中でその方向性に関��て少し迷いが生じたんですよね。トピック的にあまりにも身内ノリすぎるかな、って」
 初アルバムの方向性について悩んでいたタイミングで、崇勲はある大物ラッパーと会話を交わす。
「その頃にたまたまBOSSさん(tha BOSS/ILL-BOSSTINO [THA BLUE HERB]) -- 何年か前に自分たちのイヴェントにライヴで呼んだことがあったんですけど -- に会う機会があって相談したんですよ。『ちょっとトピックが……』なんて話してたら『そんなの関係ねぇんだよ。1stアルバムなんだから、お前の好きなように書けばいいんだよ』っていうようなことを言ってくれて。その瞬間から、そのまま『身内ノリ続行』っていう感じで」
「BOSSさんからの言葉は、かなり励みになりましたね。アルバム自体、作り始めたのもBOSSさんが『30歳なんてまだまだヒヨッコだよ。ここから始めても全然遅くないよ』って言ってくれたんですけど、BOSSさんにかけてもらった言葉は、アルバムの歌詞の中にも入ってます。BOSSさんの言葉が背中を押してくれた感じになりました」
 昨年の9月頃だったと記憶しているが、筆者もtha BOSSとは彼のソロ・アルバム「IN THE NAME OF HIPHOP」のリリース・インタビュー時に対面/会話を交わしている。取材後、世間話の延長で最近のHIP HOPの話をするというのは、どんなアーティストの取材でもよくあることなのだが、tha BOSSの取材でもそれは例外ではなかった。そして、その際に「最近聴いたヤバいアーティスト」として彼が名を挙げたのが、崇勲だった。
 その会話の時点では、筆者は「春日部鮫」を聴いていなかったし、前述したエピソードも知らなかったので、彼が崇勲の名前を挙げたことに少し驚いたのだが、その数週間後に『KING OF KINGS -FINAL UMB-』で優勝し、その後に「春日部鮫」を聴いて、ようやくtha BOSSが言わんとしていたことが分かった。このアンダードッグ的視点は、tha BOSSがTHA BLUE HERBの1stアルバム「STILLING, STILL DREAMING」で表わしていた「追う者」のメンタリティと近いものがある。実際、崇勲もTHA BLUE HERBは好んで聴いていたようだ。
「自分の今のスタイルに反映してるってワケじゃないですけど、MSCとかTHA BLUE HERBの、聴いてるこっちが緊張してくるような歌詞……そういうのには憧れましたね。聴いてる人に何らかの感情を一瞬で埋め込むようなスタイルに感銘を受けました」
 自らのスタンスを、NIKEやADIDASのようなブランド色の強いスニーカーではなく、比較的庶民派な印象の強いCONVERSEの定番スニーカーに喩える“ALLSTAR”や、辛酸を舐め続けてきた時期に溜め込んだルサンチマンを明快に曲名にも示した“わかってねえな”のような曲が象徴しているが、崇勲は自身が不器用で無骨な泥臭い人間であることを隠そうとはしない。
「こればっかりは、染み付いちゃってる感覚ですかね。やっぱり、ラップを始めた当初からあまり周りと馴染めず、だけど仲良しこよしやってる人たちは『ヤバイね』って言い合ってるのをクラブの隅で聞きながら『……どこがヤバイんだよ……』とか思ってた期間が長かったんですよね。“わかってねえな”って曲に関しては、ここ何年かはライヴで盛り上がるようになってきたんですけど、昔はまったく盛り上がらなくて。そういう経験もあって、(“わかってねえな”中のリリックの)『皮肉やひがみが俺らのテーマ』とまで言い切っていくしかないな、って感じですかね」
LISTENER HATER PLAYER Mr,Mr クオリティクオリティ言う奴へのツイスター これは逆襲と呼べるぜある種 でも求むその先の拍手
(“HASEGAWA”)
 MCバトルの全国大会で優勝し、名刺代わりとなる1stアルバムを完成させた崇勲。彼の人間性がそれらの出来事によって大きく変わることはないのかもしれないが、以前よりも自身の活動に光明が差してきているのは間違いない。今後の展望について、彼はこう語ってくれた。
「今回のアルバムは、敢えて半径数キロの世界観で作ったんですけど、作ってたときから『このトピックは次のアルバムに持っていこう』みたいなモノがいくつかあったので、今度は違う自分が出るアルバムをすぐ取り掛かれる段階にはあります。BOSSさんは今、40代中盤でしたっけ?そこまでやれるんだったらラップは続けたいと思いますね。俺は『カッコ良い』とか思われるより『面白い』と思われたいんです。バトルに出てるときもそうだから、『こんなヤツでも勝てるんだぞ』っていう姿勢を示したいという意識があった。だから、俺は自分のまんま、何も変わらずにいけたらいいのかな、って」
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2016/02/02 KUTS DA COYOTE “GLOW IN THE DARK” Interview
「カッコ良いことや小難しいことを言ってると、聴き手が勝手に意味を作ってくれるじゃないですか。だから、深そうな言葉を並べて、韻だけ踏んでいく方が実は簡単なんですよ。実際、小難しかったり、こねくり回したような作り方を、25〜6歳のときはやってて、そういう内容で『深い』とか言われたり、自分でもそういうモノを目指したりしてて。でも、そういう流れを変えたのがKREVAとかRHYMESTERみたいな、FGの流れだと思うんですね。彼らのような、『分かりやすいのにカッコ良い』って構成は相当難しいし、書く方としてはそういった方向性が自分のハードルになってますね」
   “ラブホなうfeat. T.O.P. (THUGMINATI)”が大きな注目を集め、同曲が収録された1stアルバム「ESCAPE TO PARADISE」もストリートを中心に話題を呼んだKUTS DA COYOTE。彼の2年半振りとなるニュー・アルバム「GLOW IN THE DARK」は、Y'Sや十影も所属するFOREFRONT RECORDSに移籍してのリリースということもあり、新たなKUTS DA COYOTE像を提示する作品と言っていいだろう。軽やかな部分も感じさせられた前作と比すると、夜の歌舞伎町を背景にし、暗闇の中で鈍い光を帯びて浮かび上がるKUTSの姿からも感じさせられるように、シンプルさやダウナーさが強い、ダークな色を帯びたサウンド性がまずは耳に残る。しかし、そこに載るKUTSのラップは、そういったダークな部分も現われるが、同時にファッションや女性といったポップなテーマも歌われ、そういったサウンドをKUTS流の「話芸」で彩っていく。そのバランス感が中毒性を呼ぶアルバムだ。    
■前作から2年半というスパンでの新作ですが。 「時間的にはあっという間でしたね。でも、ライヴで自分の曲をもうやり飽きるほどやったんで、そろそろ次の作品を作ろうかなって思ってたときに、FOREFRONTから声をかけてもらって」   ■レーベル移籍という環境の変化は影響しましたか? 「Y'Sや十影とは年齢も同じだし、センスや感覚も似てて、現場でも一緒になる場合が多かったから、そういった流れで事務所としても俺の感覚を分かってくれるので、すごく制作がしやすかったですね。だけど、俺が使ってたスタジオをY'Sに紹介したら、そこの使用スケジュールをY'Sにかなり押さえられ��ゃって、俺が使えなくなるっていう(笑)。だから、俺の���が制作に入ったのは早かったんだけど、結果、Y'Sの『SMALL ASIAN THE MIXTAPE』の方が先に出ちゃって(笑)」   ■では、今作を作る上でのイメージは? 「前作でやってないこと、間逆なことがひとつのテーマでもありましたね。前作の“ラブホなう”がヒットしてくれたことで、それがコンプレックスになる部分もあったんですよ、正直。『あの曲しかない』と思われるのはイヤだし、他の部分も見せられるっていうのを今回は形にしたかった。その意味では、カウンター的にダークな部分が増えたってことがあるかもしれない。同じことをやりたくないっていうのは常に思ってるんで」  
■確かに、前作はもう少し明るいトーンが基調としてあったけど、今回は全体的に“夜”のようなムードが強くて。 「前回はドライヴで聴いたり、南国に行きたくなるようなことを意識したんだけど、今回は逆ですね。リリックも夜書くことが多かったし、そのムードが反映されたというか。俺自身、福島の田舎で育ったんで、夜にやることがなかったんですよね。だから、こういう夜に聴けるようなアルバムがあったらよかったな、っていう気持ちも込めて、こういうトーンになりました。展開の少ない、じっくり聴けるような構成というか」   ■某誌のレビューで、今作でテーマとなることが“ファッション”や“地方妻”だったりすることについて、「悪い意味ではなく、意識の高くない内容が中心なのが良い」って書いたんですよね。いわゆるメッセージ性だったり、良い発言のような「意識の高い」部分よりも、もっとフラットにAIR MAXが好きだから“AIR MAX95”を、タトゥーを入れてるから、“INK ART feat. Sophia”と、身近な話題を捻らずに、テーマと内容を直接的に結びつけて書くというのも、このアルバムのひとつのテーマなのかなって。 「カッコ良いことや小難しいことを言ってると、聴き手が勝手に意味を作ってくれるじゃないですか。だから、深そうな言葉を並べて、韻だけ踏んでいく方が実は簡単なんですよ。実際、小難しかったり、こねくり回したような作り方を、25〜6歳のときはやってて、そういう内容で『深い』とか言われたり、自分でもそういうモノを目指したりしてて。でも、そういう流れを変えたのがKREVAとかRHYMESTERみたいな、FGの流れだと思うんですね。彼らのような、『分かりやすいのにカッコ良い』って構成は相当難しいし、書く方としてはそういった方向性が自分のハードルになってますね」   ■その意味でも、今回のアルバムは展開や構成としては、“話芸”として聴かせる部分が強いのかなって。且つ、こういう話芸な感じは、昔の日本語ラップの影響も感じたり。 「そうですね、日本語ラップめっちゃ聴いてたんで、その影響はあると思います。『これは何言ってるんだろう?』って表現も中にはあるとは思うんですけど、確かに基本的にはシンプルな部分はシンプルに書きましたね。自分の中で分かりやすいと思って書いても、相手には伝わらなかったりすると、もっと分かりやすく書かなきゃダメかって思うし、その結実が“POLO -ZOT on the WAVE REMIX-”みたいな曲だったり」   ■今回のテーマはどのように立てたんですか? 「まず、『このテーマは誰も書いてないだろうな』とか『誰も使ってない言葉だから使おう』って部分が最初に来ますね。誰かと被る部分があったらそれを排除していくんで、その見極めで制作に時間がかかるって部分はあります。でも、焦ってないから、それが出来るまで、自分の納得がいくテーマが降りるまで、作らなくてもいいやって思ってますね」 Amebreak伊藤「世代的にはミックステープ世代だから、いっぱい曲作るってイメージがあるんだけど」 「そういうのは20代でやっちゃったんで」   ■では、今焦らないのは? 「妻子持ちだし、昼間は普通に働いてるのも大きいと思いますね。だから、ラップは趣味の延長線上って部分があるので、焦る必要もないかなって。昔は『ラップでこのゲームを支配するぜ』とか思ってたけど、今は正直ないですね。それよりも、まずは自分の気に入ったこと、面白いことをやるっていう方に制作意欲が向いてます」   ■ただ、“ラブホなう”的な、パブリック・イメージとしての「KUTS DA COYOTEっぽい曲」も求められる場合もあると思うんですが。 「“ラブホなう”的な内容を求める声もあるだろうし、ライヴでは求められるからそれはやりますね、当然。そこはケチる必要がないので。でも、その何番目のドジョウを狙わないのは、焦ってないっていうのが一番大きいかなって。売れたいっていうよりは、好きなことをやりたいし、っていう。“ラブホなう”はウケを狙った曲がたまたま当たったってだけだし、それだけじゃないって部分も出したいなって」   ■とは言え、“地方妻”みたいな曲があるっていう(笑)。 「まあ、そういうのを求めてる人がいるだろうから、そこもサービスはしておこうかなって(笑)。俺はHIDE(X JAPAN)が好きなんですけど、彼が『ファンは置いていかない』ってことを言ってたんで、その言葉は意識してますね」   ■前作よりも一曲一曲ごとに注力した感じと、もっと肩の力が抜けた感じを受けました。 「アルバムだと作り込み過ぎちゃうんで、それよりもミクステ寄りの感じに、気楽な感じにしようって。だから、その時々に作りたいって思ったものを形にしていくっていう方向性が強かったですね」   ■ビート的にもシンプルな音像が強いと思いますが。 「『これは書きたいな』って自然に選んだビートがこういう雰囲気だって感じですね。だから、アルバムとしてまとめたときに『これ系が好きなんだな、今の俺は』、って自分でも思って。あと、情報の多いトラックは書きづらいんですよね。『泣いてください!』みたいなシンセ・リフが入ってたりすると、あんまり食指が伸びない。ラッパー側で感情を全部載せたいし、そこで情感を出したいんで、トラックはひたすらシンプルなのがいいんです」   ■“AIR MAX95”や“POLO”のような、KUTS君が偏愛するファッション・アイテムをテーマにした理由は? 「“AIR MAX95”は、昨年発売から20周年だったんで、コレは書いておこうって。AIR MAX95はまず姉ちゃんが履いてて、それを見たとき、小学生だったんですけどホントに衝撃が走ったし、ひとつのファッション・アイテムが20年経ってもフレッシュって本当に凄いことだと思うんですよね。今観ても凄いデザインだと思うし、リスペクトとしてもいまだに愛してるってことを書こうかなって。“POLO”もそれぐらいの時期からずっと好きで。姉ちゃんが7歳上だったんですけど、東京のラルフ・ローレンで働いてたんで、それで上京するときに姉ちゃんの店で社割で買ったり(笑)」   ■“CML&D;”は途中から目線が変わっていく構成が興味深くて。 「『クラッシュ』(2004年/ポール・ハギス監督)って映画が好きで、それはいろんな視点が交差する映画なんですけど、それを音楽でも出来ないかなって。だから、ふたつの視点を書いて最終的にクロスするっていう構造にしたかった」  
■アルバムに先行してPVが発表された“脳ミソくれ feat. MARIA from SIMI LAB”は、実はアルバムの中でも異色な部分の強い曲ですね。 「“ラブホなう”の次が“脳ミソくれ”ってどんなラッパーなんだっていう(笑)。そういう驚かしはちょっとしたかったかもしれない」   ■この曲にMARIAを迎えたのは? 「『俺ひとりでゾンビの曲をやってもなぁ』っていうのと、そこに女性の声が入るのが面白いかなってことでMARIAに依頼したんです。でも、MARIAも『そんなテーマ書いたことない』って言ってましたね」   ■その後が“緊箍児 feat. LADY KEIKEI”だから、頭に関わる曲が続く構成だと思うんですが、偏頭痛持ちとか? 「よく分かりましたね(笑)。ホントにそうですね。偏頭痛が出ると『これは何かの戒めなのかな?』って思います。だから、孫悟空の頭にはめられた輪をイメージして」   ■MARIAにMARIN、Sophia、LILHONEYPRINCE、LADY KEIKEIと、女性の参加が多いのも今作の特徴ですね。 「まず、女の子の声が大好きだし(笑)、自分の作品には女の子の声が必要な要素だと思うんですよね。且つ、そんなに名前が世に出てない人も多いと思うんですけど、そこでリスナーに『誰なんだろう?』って驚きも与えたい。あと、結婚してるから女の子とデートとかないじゃないですか。だから、レコーディングのときに待ち合わせてスタジオまでエスコートするのが楽しいんですよ(笑)」   ■ハハハ。その割には“地方妻 feat. KOWICHI, Niyke Rovin & LILHONEYPRINCE”という, なかなかドギツイ内容もありますが。 「……あの曲は、奥さんが歌詞カード読んで、捨ててましたね(笑)。でも、ああいう曲を作ったり、MVに女の子を出したりしても理解してくれるのは嬉しいですね。ちゃんとそれがビジネスだってことを分かってくれてるんで」   ■“深く考えなくていいよ feat. J-REXXX”は、渋いカラーのこのアルバムの中で、一際明るい曲ですね。 「ダークのまま終わるより、最終的には明るく終わったり、なんちゃって感を出したくて。J-REXXXはAKASHINGO(EMERALD)がやってたイヴェントに一緒に出てた縁で、10年以上の知り合いなんです。それで、彼のアルバム『M.U.S.I.C』が出たときに、CASTLE RECORDSの特典で俺を客演に迎えてくれたんで(J-REXXX & KUTS DA COYOTE & G.O“Oh My Sweet Ganja”)、今回は俺が迎えて、と」   ■“深く考えなくていいよ”からブランク・トラックが続いて、隠しトラックが入ってるという構成もちょっと懐かしい感じで。 「でも、隠しトラックの作り方って、無音が長くて途中で曲が入ってる方法もあるじゃないですか。そっちの方がiTunes時代向けだったかなって」   ■確かに、ブランク・トラックの方法はCD世代のやり方かも。そのボーナス・トラックにEMERALDが参加してますが、EMERALDの動きはどうですか? 「正直、分かんないっす(笑)。1stで“エエエエエエエメラ! feat. EMERALD”を作って以来、次に作ったのがこの曲だったし、クルーなんだけど、クルーとして制作に入るかはちょっと分からないですね」   ■最後に、これからのKUTS DA COYOTEの動きは? 「ライヴで地方を回りながら、音源は早めに出したいと思いますね、今度は。書きたいテーマも浮かんでるんで、それを形にしながら、という感じです」
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2016/01/25 SKY-HI “カタルシス” Interview
「アルバムを聴き終わった後、ライヴを観終わった後に、リスナーには自分の人生が待ってるわけじゃないですか。僕の場合は、リスナーを音源やライヴに陶酔させて現実逃避させるんじゃなくて、『あのライヴを見たから/あのアルバムを聴いたからこの現実/明日の問題と戦える』っていうようなモノにしたいんです。僕の作品の強さを、リスナーその人の強さに変えて、自己肯定する材料にしてほしい」
 初のソロ・アルバム「TRICKSTER」のリリースから約2年。その間に“スマイルドロップ”や“Seaside Bound”などのシングル・リリースや、圧倒的なエンターテインメント性を提示した『〜Ride my Limo〜』ツアーなど、積極的な活動を展開していたSKY-HI。    そういった活動を経て制作されたニュー・アルバム「カタルシス」は、非常にコンセプチュアルで壮大な、一曲一曲ごとにそれぞれの世界があるのだが、それを紡ぎ合わせると、全体を通してひとつの物語やメッセージが浮かび上がる、“ラップ・オペラ”のような構造性/構築性の高いのアルバムとして完結した。    ある種、“永劫回帰”や“自由意志”といった思想に近い、哲学的とも言えるモチーフや、それを表現するためにダブル・ミーニング/トリプル・ミーニングの多用されたリリック、楽曲同士の世界観の連携、そして濃厚な“死生観”など、非常に構造的で、有り体に言えば「ややこしい」作品であることは否めない。事実、インタビューでも語られる通り、それは意図的なモノだとSKY-HIは話す。    しかし同時に、確かな言葉で綴られる“アイリスライト”や、ポップ・ミュージックとしての強度が非常に高い“カミツレベルベット”など、ポップで明快な作品であることも事実だ。    そういった複雑さと明快さ、ポップさとHIP HOP性、束縛と自由、自己と他者、生と死……そういった相反したり、相対的な物事を、SKY-HIは彼の視点から止揚し、統合し、「その先」を提示する。そして、その先が見えたときに灯る感情は、「カタルシス」。 インタビュー:高木“JET”晋一郎  
■まず、今回のアルバムの話に入る前に、1stソロ「TRICKSTER」からの約2年は、SKY-HI君にとってどんな時間だった? 「『TRICKSTER』を出した後には、音像やイメージを含めて『次のアルバムはこういう作品に』っていうイメージが既にあったんですね。だけど、『TRICKSTER』後のライヴの中で、『この内容だと根っこに持ってたメッセージが伝わってないのかな』っていう反省と気付きがあって。そして、その一番の原因は歌詞力、“カシヂカラ”の不足だと思ったんです。だから、その部分を磨き直して、“リリック”じゃなくて“歌詞”としての強度をもっと高めないといけないと思って。それで、スタッフにも『自分で納得がいく���のが出来るまで次のリリースはしない』っていう宣言をしたんです」   ■でも、一応レーベルとしてのリリース計画は決まってたんでしょ? 「うん、それを全部一旦白紙にしたんですよね。例えば、星野源とかゲスの極み乙女とか、“チャート1位”っていう数値的なトップも取りつつ、パブリック・イメージとしても今の音楽シーンのトップ・ランナーだって認められる人がいるじゃないですか。その中に自分が食い込んでいって1位を獲るって決めてたんで、ここで納得のいかないモノを出すと、そこに食い込む前にSKY-HIが沈没しちゃうと思ったんですよね。だから、『自分が完全に納得でき��曲作り』を始めたんです」   ■そこで掲げたテーマやハードルはどういったものだった? 「『自分の気持ちを全部吐き出しながら、しかもポップ・ソング』でしたね。その目標の上で、とにかく一曲に対してトライアル&エラーを繰り返して。しかもその期間が9ヶ月/182テイクにも及んだんです。漠然と作るのではなく、自分の中のOKラインが明確に見えていたんだけど、そこに辿り着くまでがとにかく大変で、地獄のような9ヶ月を経験することになりました」   ■そこまで時間がかかった要因は? 「ビート・ジャックが、自分がラッパーとして評価される契機にもなったんで、『早く書く美学』みたいなモノが自分の中にあったんです。だから、どうしても手クセだったり“ノリ”がリリックに入って来ちゃって。例えば、『韻を踏むためだけの言葉』が入ってしまって、それで歌詞世界が崩れてしまったり、『リリック性が歌詞世界を邪魔する』って部分があったんですよ。だから、それを超えるために『歌詞を書く人』としての強さが必要だったし、それを手に入れないと先に進めないと思ったんですよね。単純に言うと、漫画の絵が上手いのと、絵画の絵が上手いのって、絵の方向性は違うかもしれないけど、根本的な“画力”はどちらとも必要だし、共通してるじゃないですか」   ■デッサン力みたいな、ベースとなる部分というか。 「そういう根本的な部分を強くしたかったってことですね。それを今やらないとなって」  
■それで出来たのが“スマイルドロップ”だったと。
「そうですね」
■出来上がったときは、達成感があった?
「正直、『出来た』とは思ったけど、大きな手応えはなかったです。だけど、“スマイルドロップ”が出来て以降、どうやって曲を書いても、ちゃんと自分の納得のいく歌詞が書けるようになったんです。ビートジャックのときと同じようなスピードで書いても、手クセじゃない内容になったので、何かが変わったんだなって。その上で、問答無用のポップ・ソングを作ろうと思って作ったのが“カミツレベルベット”だったんですよね。そして、あの曲を作る中で、仮歌を入れたときにふっと、『Everything's gonna be alright』って歌詞が浮かんで。それは、今までの自分だったらありえないことだったんです」
■というと?
「今までは不条理だったり、認められない努力、叶わない夢みたいなフラストレーションが自分の中には強かったし、そういうメンタルの持ち方でもあったと思うんですよね」
■確かに、SKY-HI君は脳天気に「全てはうまくいく」なんて軽く言うタイプではないよね。
「でも、その地獄の9ヶ月を経た後に『Everything's gonna be alright』って言えて、それを自然に言えた自分に、本当にカタルシスを感じたんです。『こんな日が来るんだ』って。そこからアルバムのプロットが生まれて、やっとこのアルバムの制作がスタートした感じですね」
■アルバムからは、「死の匂い」がすごく濃厚に感じられたし、最初はちょっと怖かったんだよね。「SKY-HIは死ぬんじゃないか」って。
「その通り、っていうと死んじゃうみたいだけど(笑)、それはあると思いますね」
■歌詞として希死観念が強いっていうわけじゃないんだけど、端々に死の匂いを感じる部分がある。先ほどの話を訊いて、そこにはその「地獄の9ヶ月」が反映してるのかなって。やはり9ヶ月の間、同じ曲を作り直すっていうのは、ずっと自己表現を自己否定し続けるってことだと思うから、それは感覚としては自死にも近いよね。
「鏡に向かって『お前は誰だ』って言い続けると頭がおかしくなるっていうじゃないですか」
■アイデンティティが崩壊するらしいね。SKY-HI君のその9ヶ月の行為は、それに近いアプローチだと思う。
「その9ヶ月間には気づいてなかったんだけど、“カミツレベルベット”が出来たときに『あ、“スマイルドロップ”を作ってた9ヶ月って、ずっと死にたいって思ってたんだな』って」
■その9ヶ月の末に再生したということは、それまでの自分を殺したってことにも通じるよね。
「再生できたからよかったけど、どれだけやっても納得のいく曲が書けなかったら、歌うたいとして、作詞家として死んでたってことですからね。しかも、理想に到達できるっていう保証はどこにもなかったわけだから……」
■ゾッとするね。書けてよかったし、「Everything's gonna be alright」と言えてよかった(笑)。
「『死にたい』って思う気持ちって、多かれ少なかれみんな持っていると思うんだけど、それは自分の中にもあったんだなって。でも、どこで植え付けられた倫理観か分からないけど、『“死にたい”って思っちゃいけない』っていう観念はあるじゃないですか。しかも、そういう悩みに対して、『お前の死にたいって気持ちより、もっと深い悩みの末に死にたいって思う人もいるよ』っていう言い方もされたり。でも、『死にたい』って気持ちを、人と比べて大きいか小さいかを計るなんて実は無意味だし、その気持ち自体に違いはないから、その人の辛さや痛みを計量したり、比較したり、否定するのはすごく乱暴なことだと思う」
■自分のであっても、他人のであっても、その感情自体をそのまましっかりと受け止めるということだね。
「そうですね。何回救われても、自分自身、この先も『死にたい』って思うことはまたあるだろうし、何回も繰り返す筈で。生きててイヤだなって思うことは、これからもたくさんあると思う。だから、そういう事柄に対する思いも自分の作品として形にしていこうと思って、今回は書いてみたんです」
■そういう気持ちは、アルバムのオープニングとラストを飾る“フリージア”に強く表われているようにも思えたんだけど。
「そうですね。そうやって『死にたい』と思わされてしまうような今を『愛の無い時代』と呼ぶなら、それでも生きてる理由や『生きててよかった』と思える言葉やメッセージを、アルバム通して今回は歌おうと思ったんですよね。そういう、浄化的な意味での『カタルシス』。一方で、生死の話も根本にあるので、死を語るってことで『語る死す』と」
■そこからダブル・ミーニングは始まってるんだ。でも、その“カタルシス”は先程も話にあったように、自己救済的、自己浄化的な部分から発生しているんだね。
「もちろんそうですね。自分の感じたカタルシスから発展して、その感情をみんなに届けたいなって」
■個人的に感じたのは、今回のアルバムは自己肯定が中心のモチーフにあると思う -- それは翻ると他者肯定にも繋がるんだけど、それは自らを自らで否定させられてしまうような価値観から離れて、自分で価値を創造しなくちゃいけないということだと思うし、それはすごく大変で面倒なことだよね。
「うん。僕の場合は、その期間が自己否定を続けた9ヶ月だったんですよ。その期間の制作を通して、自分の倫理観や道徳、常識って部分でさえも、もう一回考え直す機会になったんですよね」
■今作が「TRICKSTER」と繋がってる部分があるとしたら、そういったアナーキーさなのかなって。「TRICKSTER」はタイトル通り、既存価値を破壊したり紊乱するキャラクターだったわけだけど、今回も、今の話のように常識を疑うようなテーマが多いし、「最終的に自分を自分たらしめるのは、あなたしか出来ない」ってことを言い続けてるアルバムだよね。その意味でも、共通してるのは「価値観を自分でどう捉えるか」ってことだし、それはアナーキーとも言える発想で。それは“破壊的”という意味でのアナーキーさではなく、「自分が自身を信じる」という意味でのアナーキーさなんだけど。
「アルバムを聴き終わった後、ライヴを観終わった後に、リスナーには自分の人生が待ってるわけじゃないですか。僕の場合は、リスナーを音源やライヴに陶酔させて現実逃避させるんじゃなくて、『あのライヴを見たから/あのアルバムを聴いたからこの現実/明日の問題と戦える』っていうようなモノにしたいんです。僕の作品の強さを、リスナーその人の強さに変えて、自己肯定する材料にしてほしい。特に、ライヴ『Ride my Limo』だったり、最近の自分の動きはそういう気持ちがあります。『音楽を聴いてる/ライヴを観てる瞬間は現実を忘れられる』っていう風に現実逃避させるためだけに僕に依存させるのは、少し可哀想にも危険にも感じるから、そうではなくて僕がいること/表現することで、みんなが自身を自己肯定できるっていう風にしたいし、それが今の僕のライヴだったり、僕とリスナーの関係性でありたいんです」
■その意味でも、自尊自立のアルバムだと思うんだけど、でも、「自分で判断しなさい」「自分を愛しなさい」みたいな、そういったことをベタに表現しないよね。
「正にそれは意識しましたね。そういう言葉は『強いメッセージ』になると思うけど、それをアルバム一枚ずっと言われたら……」
■脂っこいね。
「いくら美味しい肉でも、カットしないでまるごと出されたら食べられないじゃないですか。だから、強烈なメッセージが根本にしっかりあるからこそ、ちゃんと調理して、エンターテインメントにしたかったんです。そうやってエンターテインメントとして、映画とかマンガに対抗できる作品を作らないと、それぐらい強烈なメッセージは伝わらないなって」
■今はベタにメッセージを言い過ぎな作品も多いけど、根本の主題を言わないからこそ表現、言わないからこそメッセージって部分が、本来のエンターテインメントだよね。それと同じ構成にしたかったと。アルバムの構成として、非常に無常観的だったり、ペシミスティックな部分から、最終的に肯定に繋がっていく流れもドラマティックだよね。
「そのために時系列を作っていきました。“フリージア〜Prologue〜”でアルバムの伏線が全部張ってあるのは、映画で言えば、オープニングで全体を俯瞰させるような見せ方ですよね。この中でシニカルに『愛の無い時代だ』ってことを語って。そして“Ms.Liberty”“スマイルドロップ”“Count Down”と、喪失や欠落、『届かないこと』を歌ってるんですが、その集約として、喪失の究極として“LUCE”という“死”に辿り着く。そして、そういう喪失から人はどこに向かうのかと言ったら、多分、怒りやフラストレーションだと思うんですよね。それが“AS A SUGER”や“F-3”。そして、そこから“Young, Gifted and Yellow”というノスタルジーに繋がっていって」
■ここにノスタルジーを挟んだのは? 「“朝が来るまで”“Seaside Bound”は、喪失する以前の、出会った頃の話だから、これまでの世界観と時間が変化してるんですよね。そのために、過去と今を対比させるノスタルジーを挟むことが必要で。そして、『自分にとって大切な存在が、一秒でも幸せっていう瞬間を作るために、人は生きてるんじゃないか』ってことを表現する“アイリスライト”“カミツレベルベット”で、『Everything's gonna be alright』という肯定のメッセージを表現し、その先に“フリージア〜Epilogue〜”があるんですけど……」   ■“フリージア〜Epilogue〜”は、“フリージア〜Prologue〜”とリリックを敢えて重複させてる部分があるよね。だけど、その受け取り方が、アルバムの入口と出口でまったく変わっている。 「そうですね。同じ『愛の無い時代』といっても、いろんな曲を経た後の『愛の無い時代』は、そこに対して諦めるんじゃなくて、そんな時代だからこそ、自分の足で立って、愛を探して歩いていくっていうメッセージになってて」
■だから、時間軸の変化による成長譚にもなってるんだよね。でも、その構成はすぐには分からないし、今の説明でも多分足りないぐらい、複雑な作品だとも思うんだけど。
「でも、それぐらいの作品にしていいと思ったんです��そう思った要因のひとつは、“F-3”を作ったときに謎解きをリスナーがリスナー同士でやってくれたこと。USだとgenius.comがあるから、ダブル/トリプル・ミーニングを面白がることが出来ると思うんですけど、日本だとそれをやり過ぎると伝わらないんじゃない?って、諦めに近いものを感じてたんですよね。でも、“F-3”で多重的に意味をそこに込めて、『例えば<アウトとセイフ>という歌詞は、<セーフ>じゃなくて<セイフ>にしたことに意味があるんだよ』ってTwitterで軽く風を起こしたら、そこからみんなが深読みを始めてくれた。それで、意味合いを進化させることとエンターテインは反比例するものじゃないし、それは日本でも可能だってことを確信できたんですよ。それが大きな要因のひとつ。もうひとつは、そういった構成の複雑さを無視して聴かれたとしても、『いいね!』って思ってもらえるだけの音楽ヂカラ/音楽的強度がこのアルバムにはあるっていう確証があるからですね」
■複雑さという意味性は評価軸として意図しているけど、それ以前の問題として、純粋に「音楽的な強度」が、作品のクオリティを担保していると。
「そうですね。僕は立ち位置的に偏見を持たれやすいタイプだし、ここまでアルバムを考えて作ってるって思われない偏見も、ぶっちゃけ感じてるんですけど」
■便宜上アイドルと表現するけど、「AAAというアイドル・グループの日高のラップ・アルバム」という捉え方をすれば、「アイドルだからそんなに難しいことは出来ないでしょ」っていう偏見を持つ人も、いまだにいると思う。
「だから、インタビューとかで改めてこういう説明をしてもいいと思うし、その説明がアルバムの面白さと気付きの増幅に繋がると思うから、今回は積極的にそういう部分もインタビューで話していこうって。それに、僕のライヴのファンって、昔はAAAのファンかHIP HOPヘッズのどっちかだったりしたんですけど」
■別の属性から集まってきたファンが多かったと。
「だけど、それが今は『SKY-HIのファン』って存在がフロアを埋め尽くしてくれてるし、良い意味で黄色い歓声が減ったんですよね」
■もちろん、AAAからの流れのファンも多いとは思うけど、そういう人も「AAAの日高」じゃなくて、SKY-HIを観に来るわけだね。
「そう、みんなSKY-HIの曲を待ち望んで、単純にSKY-HIのメッセージや楽曲を楽しみにしてくれる人が増えたなって。だから、そういう人に向けて作品を作ることに、ためらいはなかったですね。そういう部分は、今回のアルバムで“自由”がひとつのテーマになってることにも繋がりますね」
■というと?
「僕は、昔から(AAAの日高という属性の)制約がある中でMCバトルに出たり、現場のライヴに出てたんですよね。そういう制約の中でもラップを出来ることに、自由を感じていたんですよ。だけど、周りからはやっぱり不自由そうに見られてた部分はあると思うし、確かに他の人に比べれば不自由な部分もあって。そういうアンビバレントな感情はラッパーとして感じてたことだし、だからラップとして書かなくちゃと思ったし、書きたかった。そういう風に、愛とか自由は自分にとって大きなテーマだし、それを追いかけたアルバムになったと思いますね」
01.“フリージア〜Prologue〜”(Pro. by SHIMI) ■まず、このアルバムは基本的に、作品の根本のメッセージを言葉の裏側に隠していると思うけど、この曲では「愛の無い時代」という非常に明確なテーマを歌詞として表出させてるよね。 「メロの展開や音のミックスでも、その部分の声を浮かび上がらせるようにしていて。それは、このテーマと言葉をアルバム全体に通底させたかったから。このメッセージはどの曲にも通じるし、この言葉をリスナーが認識してくれたまま“アイリスライト”まで辿り着かせて、その上で“カミツレベルベット”から同じ『愛の無い時代』というフレーズの登場する“フリージア〜Epilogue〜”まで到達しないと、アルバム全体のコンセプトが分かりづらくなっちゃうと思ったんですよね。だから、その部分だけはこうやって明確にしようと思って。インタビュー前編でも語った通り、全体を俯瞰する内容だから、その部分としてもこの言葉を明確にすることは必要だったと思います。あと、全ラインがこのアルバムの伏線になってますね。色の話とか、天気とか。例えば、この曲は曇り空で始まって、“スマイルドロップ”で『通り雨』が降るんですけど、そういうアルバム全体での時間軸も意識してます。MV含めて、アルバム全体でひとつの作品であるために」       02.“Ms.Liberty”(Pro. by FIREHORNS, DJ WATARAI)
■曲調やラップはすごく軽やかなんだけど、内容は『自由を求める』という、渇望を感じさせる部分が強いよね。
「大体いつもこんな感じなんですよ(笑)」
■それも暗いな(笑)。
「自由って、求めてるときは結局自由じゃないってことですよね」
■求めるってことは欠乏してるってことだからね。
「追いかければ追いかけるほど遠のくかもしれないけど、でも『追いかけることにも高揚感があるよな』ってことを表現してるのが“Ms.Liberty”で。『高級車にブランドのバッグなんかじゃ君は気にも留めない』って言ってるんですけど、『物質的な欲求』と『自由』って、やはり相反するものだと思うんですよね」
■落語の『水屋の富』じゃないけど、「所有する」ことで欲求は満たされるかもしれないけど、その分“制約”は増えるよね。
「そういう部分も表現できればなって」
■SKY-HI君は自信に溢れることも言うと同時に、こういう孤独感や「満たされない思い」みたいな部分がモチーフになる場合が、これまでも多かったよね。
「『自分は音楽シーンのトップに立てる存在である』っていう自信と自負はあるんですよ。だけど、そこに立つまでの難しさだったり、そういうトップ・チームと比べたら現状は負けているっていう認識も、やっぱりあるんですよね。“自信満々”っていうスタンスはあるんだけど、そこに届いてないっていうことも痛烈に感じてるから、こういう孤独さだったりフラストレーションが出るのかなって。僕は『分かる人だけ分かればいい』っていうゲームはやってないし、ずっと『自分はどう戦うべきか』を考えてるから、その意味でも『理想を追いかける孤独』っていうのは、メンタリティとしてあると思いますね」
03.“スマイルドロップ”(Pro. by UTA)
「『笑顔の理由が零れ落ちる』っていうのと、『笑みが溢れる』っていうことのダブル・ミーニングになっていて。前編でも話したように、この曲でキッカケが出来たことで次のステップに進めたし、作品としても、このアルバムの物語を紡ぐための入り口になってくれる曲ですね」
■アルバムを通して“フリージア”“カミツレ”“アイリス”と、花の名前が多いよね。今回のジャケットでもドライ・フラワーを持ってるし、この曲も当初のタイトルは“カラスウリ”だったと、以前のインタビューで話してたけど。
「カラスウリの花言葉は“誠実”なんですけど、そこからのインスピレーションです。だけど、スタッフとの協議で『流石に“カラスウリ”はダサい』ってことで“スマイルドロップ”になって(笑)花は“生死”のメタファーとして分かりやすいと思ったんです。一番分かりやすいのは、咲いて枯れるってことですよね。それから、野に咲く花もあれば人間に育てられないと咲かない花もあるし、ひとつの花を育てるために他の花は刈られたりする場合もある。しかも、勝手に花言葉を付けられたり、わざわざ枯らせて愛でるドライ・フラワーなんて、人間のエゴの象徴みたいなこともされて。でも、そういう風に、永遠の命を欲しがる人もいますよね」
■一方で、桜のようにパッと咲いてパッと散るのが美しいという価値観もあるよね。
「そういう生と死のメタファーとして、花というのは、象徴するものが大きいし、分かりやすいなって。それで、花が今作の表現の中には多く入ってきたと思います」
04.“Count Down”(Pro. by BROKEN HAZE)
■非常に直接的にフラストレーションを表わしてる部分が強いし、同時に「価値は自分で考えるしかない」ということを表わした曲だよね。
「“スマイルドロップ”から“Luce”に繋げてしまうと、メッセージとしてちゃんと表現できなさそうだと思って、“Luce”のメッセージをしっかり伝えるために必要だった曲ですね。だから、“Ms.Liberty”“スマイルドロップ”“Count Down”まで入れて、やっと“Luce”に進めたと思います。生きることは失い続けることでもあると思うんですが、このアルバムの前半ではとことんその喪失感やもどかしさを歌ってますね。ただ、"Ms.Liberty"で話したように、届かないことや失うことをただネガティヴなことだとも捉えてないから、サウンドは暗いものだけじゃなくて振れ幅広くアトラクティヴに持ちたかったというか。そして、それを通過して、どうやっても前向きには受け止められない『喪失の究極系』として、直接的に死を歌った“Luce”に向かいます」
05.“Luce”(Pro. by 夢幻SQUAD)
■“Luce”は明確に“死”のことを歌っているよね。
「“Luce”を、以前��『書いちゃダメだ』と思ってたんですよね」
■それは何故?
「悪く言えば、友人の死をネタに曲を書くってことにもなるだろうし、そう捉えられかねない。それはすごくイヤだったんですよね。でも、やっぱり友人が亡くなったということは、当然だけど自分にとってすごく衝撃的だったし、ショッキングなことで。だから、そういった『人が自ら命を絶つ』という事象に対して、俯瞰的だったり社会的な見方じゃなく、自分自身がそのことに対してどう思ったか、それに直面したときにどう思ったかを書きたかったんです。それは、今回のアルバムのテーマに対して大きな影響を与えてるし、いつしか『書くべきだ』というマインドに変化していって」
■この曲は「相手がこう思ってただろう」とか、「周りはこう思ってた」みたいな憶測は書かないで、「自分がどう思ったか」「自分はどう見たか」という主体的な視点でしか書いてないよね。
「だからこそ、『自死はダメだ』みたいな、観念的な話にしたくなくて。前編でも言ったように、『死にたい』って感情は比較が出来ないし、年間に3万人が自死する日本で、その中のひとつに直面したときの感情を歌おうと思ったんですよね」
■それは、自死者数のような主体が曖昧になりがちな“数”じゃなくて“個”の自死に、個として向き合うということだし、すごく誠実な態度だよね。
「どんなにオーセンティックなHIP HOPを作っても、どんなポップスを作っても、やっぱり“誠実”でありたいんですよね。ナメた態度で作りたくないし、ハードルを下げた表現はしたくないんです。それはこの曲を含め、どの曲もそうだと思うし、このアルバムはその結晶だと思いますね」
06.“As A Sugar”(Pro. by KREVA)
■「Get free」という言葉でこの曲も始まるように、全体として自由を求めるアルバムだと思うけど、それは非常に困難であるということも同時に言ってると思うし、その部分はこの曲が象徴してるよね。だからこそ、曲のラストで『何も怖くない』って強くシャウトしてるんだろうし、自分を鼓舞しなければいけないほど、自由と困難は隣り合わせだってことなんだと思う。
「そうですね。自分の力でどうにもならないことの多さを知っていくと、前に進むのって怖くなると思うんですけど、まさにこの“As A Sugar”なんて、“Ms.Liberty”とテーマ的には同じ筈なんですね。なのに、“Luce”を通過した後だとこうなるというか。そこら辺の関連性も含めて、『カタルシス』はここからが第二幕のスタートです。そもそも自由って、『自分で考える』ってことだと思うんですよ。でも、人間は自分で考えてるつもりでも、社会通念や常識とされるもの、教えられる倫理に支配されていて、そう考えるように仕向けさせられてたりする部分も本当に強いんだと思う。その上で自由を求めると、正義とされるモノや社会通念とはやっぱり戦うことになる。それでも自由を求めたいんですよね」
■その意味でも、さっきの物質よりも自由を求めるという意志も含めて、本質的にSKY-HIはアナーキストなんだと思うよ(笑)。この曲はKREVAのプロデュースだね。
「こういった内容の作品を、サウンド的にはストリング主体で作りたいってイメージがあったんですよね。そう考えてたときに、偶然KREVAさんが『これはSKY-HIに合うと思うんだよね』って聴かせてくれたのがこのトラックだったんです。だから、自分が求めてたサウンドとKREVAさんがくれたトラックが、自然にシンクロしたのがこの曲で。このトラックを『僕らしいトラック』って思ってくれるのって、僕のことをしっかり見てくれた人だと思うし、KREVAさんは僕のことをよく見てくれてたんだなって。でも、僕のラップは褒めてくれるんだけど、他の部分はあんまり褒めてくれないんですよね。KREVAさんは厳しいんです、僕に(笑)」
07.“F-3”(Pro. by DJ WATARAI)
■SKY-HI自身がその道筋をつけたとは言え、“F-3”をリスナーがTwitter上で謎解きしていったのは非常に興味深いことで。
「“F-3”の読解をみんながしてくれたことで、リスナーとの信頼感が本当に深まったと思うし、“Serial”だったり“Enter The Dungeon”が理解される下地になったと思う。そのアプローチの成功の象徴が“F-3”だったと思いますね。しかも、歌詞の読み取り方が明らかにおかしい発言があったら、『それは違うんじゃない?』ってリスナー同士で修正したり、自浄してくれたのが面白かったし、それは
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的な楽しみ方が日本でも出来るんだってことを、確信させてくれたんですよね」
■それがダブル・ミーニングだったりという、歌詞の重層化に繋がったと。 「KENDRICK LAMARの『TO PIMP A BUTTERFLY』もすごく複雑な構造の作品だけど、それが普通に全米/全世界的に評価されてるじゃないですか。だけど、日本は土壌が違うからそういうアプローチをやらないっていうのはやっぱり違うと思うし、日本人でも日本語でそういう重層的な構成の作品を作るのは全然可能でしょ、と思ったんですよね。2000年代に、フロウの面でSEEDA君が、サウンドの面でBACHLOGIC君が日本語ラップの価値観を変えたように、僕はアルバムの構造や歌詞ヂカラで、価値観を壊したかったんです」   ■個人的には、USのそういったムーヴメントと並行してる部分と共に、日本の職業作詞家がやってきたことにも近いと思ったんだよね。特に、松本隆の歌詞世界観に近いのかなって。 「作詞家として、すごく松本隆さんを尊敬してるし、ハードルだと思いますね。“スマイルドロップ”のリテイクのときは、『打倒:松本隆』でした(笑)。“はいからはくち”ってフレーズとか、凄いじゃないですか」   ■はっぴいえんどの曲だね。「ハイカラ白痴」「肺から吐く血」、しかも最近になって、「ぼくはYES(はい)から血を吐きながら 君のNO(脳)にただ夕まぐれ」というトリプル・ミーニングだったことが、松本さんのTwitterの発言で明らかになって。 「物事を表現するときに、例えばAのことを書くときに、普通はAを色んな角度で書きがちじゃないですか」   ■結果、過剰説明になったりして、本質が見えづらくなる場合もあるよね。 「でも、松本隆さんの歌詞はAの周りを塗り潰してAを浮かび上がらせる形だったりするし、それがすごく面白いんですよね。その書き方は詩的であると同時に、何を書くにも説得力を持つことが出来ると思って。その構成力を手に入れるために、“スマイルドロップ”は182回、リテイクしたんです」       08.“Young,Gifted and Yellow”(Pro. by Mr. Drunk) ■都市論として読むことも出来る曲だね。その意味でも、自由も孤独も、自己も他者も、やはり「人の関係性」の中で起こるわけだから、そのテーマの中に人の交差する場所である“街”が入ったということになるのかなって。 「この曲はどこの街とは指定はしてないけど、明確に渋谷を匂わせてもいて。それには理由があって、この曲のインスピレーション源である“TO BE YOUNG, GIFTED AND BLACK”(NINA SIMONE)は公民権運動の曲なんですけど、日本でもデモクラシーだったり政治に対するアプローチが増えていますよね。そういう動きも渋谷で起こったりするし、自分が遊んでた渋谷や、レコード/HIP HOPの聖地だった渋谷……とか、色んな側面があると思う。そういう変化に対して、過去の自分に対しての君や“Luce”の君、デモをしてる君、ただ遊んでる君……とか、いろんな角度で書いたんですよね。ただ、大きなテーマとしては“喪失”から来るノスタルジーと、その感情に対する向き合い方ということになると思います。最後にカタルシスを感じてもらうために、アルバム全体を通して人間の感情を誘導するように作る、という点を強く意識していて、メッセージやコンセプトに拘るからこそ、楽曲ごとに矛盾が起きないよう最大限に気を配ったし、だからこそ普通に聴いてたら自然と楽曲が誘う感情に添えるような作り方というか。時系列もちゃんと存在して、曲順通りに進んでいくんですよね。それが、この後の展開に効果的に作用してくる」   ■この曲はMr. Drunk(Mummy-D)のプロデュースで、90's的な雰囲気も感じるね。DJ WATARAIや蔦谷好位置の参加など、プロデュースでビッグ・ネームの参加も印象的だけど。 「ただ、ネーム・ヴァリューで参加してもらったって部分はまったくないんですね。Dさんは『INSIDE OUT』に一緒に出させてもらったときに、“F-3”を褒めてくれたんです。そのときに『90'sフレイヴァーの強い曲をやりたいんですよね』って相談したら……『あっ!』って(笑)」   ■「Mr.Drunkがいる!って」(笑)。 「そうそう(笑)。それでDさんにお願いしたんで、結果としてこういった人選になったという部分も強いですね」       09. “朝が来るまで”(Pro. by ist) ■複雑なアルバムの中ですごくシンプルに聴ける曲だから、ある意味では気を抜ける場所になっていて。 「“Young, Gifted and Yellow”からの繋がりとしても聴けるんだけど、同時に“スマイルドロップ”以前の、笑顔の理由が足りなくなる前の、単純に幸せだった世界の曲ですね。この曲があることによって“スマイルドロップ”の深みが更に増すと思って。ここで時間軸に歪みをもたらせたかったんですね、次の曲からの展開の前フリ的に。もうひとつは、R. KELLY的な、ラップに対してまだアレルギーがある人向けのラップ・アプローチというチャレンジですね」   ■R. KELLY的なモテ感もあるよね。彼のような変態性はないけど(笑)。 「前作の“Blanket”の女子人気が異常で、『こういう男はやっぱりモテるんだ』と思ったし、自分はそういう男だから、それは書かなきゃなって(笑)。そういう『LADIES LOVE SKY-HI』的な」   ■王子様としてのSKY-HIを。憎たらしいな(笑)。 「フフフ(笑)。女性の恋心を刺激できる自分でもやっぱりいたいなって。複雑なアルバムだけども、こういった部分まで排除してしまうのは、それはカッコ良いとは思えなくて」   ■そう。このアプローチをやらないと、サービス精神云々の前にSKY-HIの魅力が弱くなるよね。だからこそ重要な曲だと思って。 「そうですね。ファン・サービスとも違うけど、こういう部分も自分の特性だと思うし、やり続けたいなって」       10.“Seaside Bound”(Pro. by SONPUB)
■シングルとしても強さのある作品だったけど、アルバムの構造として重要な曲になってるね。
「『不安と安堵 逆さまの Sand』って、砂時計のレトリックを使ってるんですけど、ここから時間軸が変わるんですね。この楽曲の後半と共に、アルバム全体の時間軸が遡っていく」
■ただ、その構造は分かりやすくはないよね。
「うん。だから、それが分からなくても楽しめる音楽的強度は担保しなきゃなって。こちら側の使ってるメタファーやギミック、レトリックが押し付けになったらエンターテインメントにならないし、理解が出来ない人は付いてこれないっていう作りのアルバムには絶対にしたくなかった。そういう敷居の上げ方はあんまり意味がないと思うから。もっと言うと、この曲に限らずレトリックやダブル/トリプル・ミーニングを多用する以上、意図した仕掛けが全て捉えられるなんてことはほとんどないし、逆に意図してない捉えられ方をされてどうこう言われて苦しむこともあるんだけど、その解釈を強制したり聴く人をこちらから選んだりするのはアートじゃないし、それは小説家も映画監督もみんなが味わう軋轢だから、どんな解釈も受け入れようと心に決めています。古文や和歌なんて、発表から何百年〜何千年と経ってもいまだに『これはこういう意図だ』『いや、こういう意味だ』とか繰り広げられてるわけだし、僕の場合は、そのおかげで“フリージア”みたいにメッセージを言い切ったときの浮かび上がり方も、強くしてると思う。あとは、生きてる間にステージの上で作品の力とメッセージの強さを証明し続けるだけっていうか」
■この曲については、リリースの時に公開インタビューをさせてもらったので、そのインタビューも併せてどうぞ。
11.“アイリスライト”(Pro. by Nao'ymt)
■「君がただ『幸せ』って言う/一秒が作れたら/それだけで/いつも僕は僕になれる」という歌詞が象徴するように、この曲は相互補完的な肯定感であったり、他者との相対としての自己肯定という部分が強いよね。
「“スマイルドロップ”や“Luce”が、孤独や虚無、絶望が前提としてあって、それを“フリージア”では『愛の無い時代』って言ってて。でも、そういう愛のない時代という認識の上で『生きてる意味』を探したときに、それをどう見つける/どう感じるかっていったら、こういった、お互いに補完するような自己肯定なのかなって」
■だから、“朝が来るまで”や“Seaside Bound”といったラヴ・ソングの後にこの曲が来るのは、意味があるよね。
「『他者がいないと自分は成り立たない』っていうのは、ラヴ・ソングがずっと表現してきたことですよね。だから、そういう名曲はたくさんあったと思うし、この曲も主題が2ndヴァースで歌っているようなこととかにあるからこそ、ラヴ・ソングとして強くなることも重要だなって。“自己”は他者の存在によって確立すると思うから、自分の確立には他者が欠かせないし、必然的に他者との関係は書かざるを得ないんですよね。例えば、僕を“歌うたい”たらしめる証明は、歌を聴いてくれるリスナーがしてくれてると思ってるし。だからこそ、僕とリスナーとの関係は一対多数じゃなくて、一対一がそこにいる人の数生まれている、という認識で。そうやって、日頃から他者と自己の関わりについては強く感じていたから、ラヴ・ソングとしての強度が高まるのは自然なことでもありました」
■だから、“自意識”や“エゴイズム”に取り込まれた作品ではないし、「他者へ持つべき優しさ」という部分も表現されていて。この曲は“君”と“僕”という、すごミクロな関係から始まって、視点がどんどん広がって「白黒黄色流す血の赤/混ぜるアイはまだ足りないのかな」と、マクロな視点になっていくよね。でも、「せめて君だけはそこにいてよ」と、視点がまた最小の関係性に戻る構成も興味深かった。
「派閥争いや戦争みたいな、『多数vs.多数』みたいなものも、突き詰めたら一対一の連鎖でもあると思うし、正にいま引用してもらった言葉に大きなテーマを置いてるんだけど、世界が5原色で構成されてるのに、白人、黒人、黄色人種、流す血の赤だけで���青色=藍色(アイリス)はないですよね。だから、人間は“アイ”っていうピースが最初から欠けてる存在とも言えると思うんです。だからこそ“アイ”を探すのかなって」
■且つ、今回のラヴ・ソングは、ジェンダーやセクシャリティを男女には固定してない部分も素晴らしいなと。
「そうしましたね。男女でも、親子でも、友達でも、兄弟でも、姉妹でも成り立つ愛の形っていうか」
■同性同士でも成り立つよね。
「そういう切り口を多く持たせたかったんですよね。“フリージア〜Epilogue〜”に出てくる『愛、夢、優しさに正しさ』は、不確かなものの象徴なんですけど、不確かな故に、その受け取り方は広くしたかったんです」
12.“カミツレベルベット”(Pro. by 蔦谷好位置)
■この曲は、本当にポップに振り切った曲だよね。シングルの段階から本当に軽やかで素晴らしい曲だったけど、このアルバムの流れにあることで、本当にカタルシスを感じさせる曲になってるなって。
「自分としても、本当にポップに振り切れたと言う手応えがあったし、この曲を作ることが出来た自分にも感動したんですよね。“スマイルドロップ”の182テイクを超えた後に作った曲だったし、本当に勝負の一曲でした。でも、シングル・チャートとしては、200枚差でトップ10入りを逃してしまって、それは本当に悔しかったし、その悔しさはこのアルバムのクオリティを上げる要因になったと思います。ライヴやこのアルバムを通して人気曲になることで、やっとこの曲の素晴らしさがちゃんと伝わって、形になればと思いますね」
■本当に強さと希望を感じる曲だけど、でも、歌詞としては、それは苦闘の果てにあるという構成だよね。だから、この曲も無闇に明るさを歌うわけではない。 「愛とか自由を歌ったときに、無条件に明るいことには僕の場合はやっぱりならないんだと思う。かと言って、愛とか自由は過剰に重かったり、大変なモノでもないってことも、同時に言いたいですね。ある種、アルバムを通しての結論が一回ここで言えるというか。話は変わりますが、MVも逆再生で撮ってるんですが、それは当時から“Seaside Bound”でのレトリックみたいなものをアルバムで取り入れようと思って作っていたが故の伏線で。この曲のMVの最後で逆再生から本再生になって、額縁を取って“画”であった青空が現実のものになるシーンは、今見ても我が事ながら……こめかみに来ます(笑)」
13.“フリージア〜Epilogue〜”(Pro. by SHIMI) ■エピローグでもう一回、プロローグと同じ主題や言葉を歌うけど、違った意味合いを生み出しているよね。 「“カミツレベルベット”のPVが逆回転で作られてたり、“Seaside Bound”で砂時計を逆さまにしたり、って部分で表現してるんですけど、アルバムの内容が『遡る』んですよね。だから、遡った上での“二周目”の“フリージア”だから、同じ言葉でも意味がまったく変わるという」   ■観念的というか、SFチックな構成だよね。リスナーとしては“フリージア〜Prologue〜”から始まり、その間の曲での“成長”を経た上で“フリージア〜Epilogue〜”に繋がるから、同じ言葉であっても、経験を経た上での言葉に変わってると思うし、経験によって「強さ」を獲得したことによって言葉の意味が変わったんだなって。だから、このアルバムはひとつの成長物語なんだと思った。且つ、その強さというのは「自己の確立」ということなのかなって。しかも、「話をしよう」というのは、確立した個同士で話をしようということだよね。 「そうですね。やっぱり依存するのは違うと思うんで。その辺り、同じ『話をしよう』でも、“フリージア〜Prologue〜”とは聴こえ方が全然違ってくるのも感じてもらえると思います」   ■最終的に、「その答えは」という言葉で終わるよね。“フリージア〜Prologue〜”の「その答えは」がリスナーへの“謎かけ”だとしたら、“フリージア〜Epilogue〜”での同じ言葉は、リスナーへの“問いかけ”になってると思うんだけど。 「“答え”を出した方向に正しい道があるのかは誰にも分からないし、極端に言えば、『生と死』のふたつで“生”を選んだ結果、幸せかどうかは分からない。そうやって、“幸せ”っていうイメージ自体、不確かで曖昧なモノだと思うし、それについてどう思うかの答えは、言いたくなかった」   ■その答えこそ、究極に人それぞれだよね。 「だけど、このアルバムを聴いて自分を確立できた/確立したいと思った人は、その答えを自分で探すことが出来ると思うんですよね。当然、いろんな答えがあっていいと思う。でも、その答えを出す自分を確立してほしいし、僕はその答えを尊重したい。そして、リスナーにそれを促せる人であり続けたい」         ■以上、全曲解説ありがとうございました。最後に、これからのSKY-HIの動きは? 「メジャー2年目だった去年の公約が『めっちゃやる』で、実際めっちゃやったんですよね。そこで手応えもあったけど、同時にいろんな辛さや軋轢もあったし、大変な思いもして。だけど、そこで撒いた種を今年は花にしたいですね。だから、3年目の今年の公約は『結果出す』。具体的には、事実としてひとりでも多くの人がCDを手に取ってくれれば、それがチャートっていう結果に反映されるわけですよね。『数字に拘るのはダサい』っていう意識は僕にはないし、その部分ももっと貪欲にいきたい。その意味では、“アイリスライト”がiTunes総合チャート1位になったり、オリコン・ウィークリーで2位になったことはすごく嬉しかった。だけど同時に、もっと届かせることが出来るなって。そういう称号を獲ったことで更に先に行けるって思えた。更に言えば、もっと『売れたい』って。例えばミスチルとかPerfumeみたいな、誰もがNo.1だって思うとこ���までは、ランキングの1位を獲ったとしても���だ遠いし、そのスケールの違いを1位を獲ったことで更に感じさせられて。だから、売り上げも動員も、もっともっと拘っていきたい。大幅に伸ばしていきたい。それは、数字にすると無機質に見えるものだけど、そこには確かに俺を応援してくれる人の姿があるわけだし、その結晶だとも思うから。そのためには良い曲を作って、良いライヴをやって、今のファンをとことんまで満足させながら、新しいファンの数ももっと増やしていく。それが目標でもあるし、“国民的”になるために唯一にして絶対に必要なステップなのだと思います。……そう、本当にそれが一番大事だと思いますね。類似したアーティストや、替わりになるような人のいない存在であり、SKY-HIのライヴを観に来た人に、他のライヴでは味わえない満足をさせるライヴをしたいんです。それが出来れば、結果は自ずとついてくる筈だし、実際に現状そう出来ているから一年でワンマンの動員が2倍以上になった。それをありがたく受け止めつつ、だからこそ、その結果に甘えないで常に最高を更新していこうと、強くそう思ってます」
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