I am writing this while looking at the lovely world from an angle behind me.
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東京の好きなところ。
こちら(東京)に移り住んできて、銭湯が改めていいなぁと思っている。
きてから初めての冬に家のお風呂がイマイチで入りに行ったのがきっかけだ。
大阪や和歌山にもわずかながら各地にスーパー銭湯なるものはあるので、大衆浴場としては利用することはあるのだけれど、なんやろうなんかいいのよね、銭湯って。
番台の人がいて、お金払って脱衣所に行って、昔ながらのタイルの絵を見ながらお風呂に入る。
元々、お湯に浸かることがあまり得意ではなくて、早々に出ようとなることの多かった僕ですが、いまはぼーっとお湯に浸かっている。
もちろん何をするわけでもなく、ぼーっと仕事のことや、仕事のことや、仕事のことを考えている。特に良い考えに至るわけでもないのに。
そんなことで、解決できれば会社の中に銭湯のある会社がもっとあるだろう。
当然僕は足を伸ばして入れるお風呂は家に備わっていない。多分、すごくお金持ちになっても実現するのは最後の方だと思う。この辺りに銭湯固有の良さがあるのか。足伸ばして入った時のリラックス感は半端ないことに異論はないけど、どうも稚拙な気がする。
周りのお客さんの様子はというと、やはり高齢の方が多い。
お腹が妊婦さんくらい大きい人。
肋骨が浮いていて、すごく痩せている人。
端正な筋肉がついている人。
肌がしわくちゃな人。
刺青の入っている人。
お風呂に浸かると、すごく気持ちよさそうな表情になる人。
安心した表情になる人。
なぜそんなに難しい問題を湯船の中に持ち込んだのか、すごく険しい表情の人。
全く何を考えているのか分からない仏様のように無表情な人。
黙々とお湯の中でなにやらトレーニング的なことをしている人。
ストレッチしている人。
忙しそうにサウナと水風呂を行き来している人。
よく見ると、みんな見た目もその表情もそれぞれ違う。会話はもちろん最小限にとどめる必要があるので、みんな静かに自分なりのお風呂をエンジョイしている。
僕はそれをぼんやりと眺めているのが面白かったんだろう。ということに今はしている。



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わかりませんと言えること。
そこそこの齢になってくると、いろいろ他人から訊かれるものだ。そう、いろいろである。「最近観て面白かったドラマは?」「女性の好きな仕草は?」「投票率の低さは?」など、有名人でなくても他人から日常会話の成れの果てでいろいろ訊かれる。
そんなとき、大の大人がまじめな顔して訊いているのに、「わかりません」と言うことが何か不誠実な感じがしてしまうことがある。はっきり「わかりません」と言えなくても「う〜ん」とか「あ〜」とか、態度から「わかりません」を醸し出していても、やはりいい加減な印象を相手に与えてしまうのではないかと感じてしまうものである。
ことばとして成立するようなことは、しゃべろうとすればしゃべれたりするものだから、つい「最近ならアンチヒーローが面白いよね」とかから始まって、「女性の字を書く仕草が好き」とか、この辺はまだ世間話の延長線上でいいのだろうけれど、これを繰り返していると、挙げ句の果てには「若者の政治への関心、社会への参加は・・・」なんて具合でいつの間にか、どっかで聞いたことばばかりを並べたてて、ことばが踊りだしてしまう始末になる。
これは、サービス精神からなのか、虚栄心なのかよく分からないけれど、要するに「知ったかぶりっこ」の常習犯になってしまうのである。これはなかなか難しい病であり、よほど注意していても犯される可能性を常に孕んでいる。
「わかりません」とわかることのむずかしさ。「わかりません」と言えるようになるまでにどれだけの知ったかぶりをしてしまうのだろうか。ついわかったような気になっている自分がいつも背後に潜んでいる。
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初投稿。桜が嫌いなホモサピエンスはいないと思っているので、これにします。
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