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子供の頃に思った。写真とは
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子供の頃に思った。写真とは、欲しいと思ったモノを所有できる道具。絵を描くよりも早く車の写真を撮った。ある日、車の前に飛び出して撮影し、ひどく怒られた。トラウマになって、写真を撮らなくなり絵を描き始る。車を所有したかったわけじゃない。走ってくる車が欲しかった。そんなことを思い出した。
絵は貧しくても紙と鉛筆でなんとかなる。だからドローイング(落書きを極める)とかやってたわけだ。20年前に絵がかけなくなって写真を撮り出して、それなりに絵で稼いだお金で写真(フィルム)を撮りまくった。悪くないから続けた方が良いと言われたが、お金がなくなってやめた。
その程度の覚悟だった。写真を撮るいくつか理由があった。絵を描かなくても制作している感じになって自分を安心させれる。撮影することで、他者、社会との強制的なコネクト。風景をみる(歩き風を感じる)。結果、線について多角的に思考し、絵が上手くなった。
当時の写真は、覚悟のない人間や、貧しい人が簡単に手を出せるジャンルではなかった。日常的に努力しやすいドローイングとは違う。時は流れ、2010年のデジタル技術の進歩は凄かった。現像しなくていい、とった写真をすぐ確認できる。しかしまだデジタル一眼は高額だった。
2020年デジタル一眼を展示品価格で買う(オリンパスPEN(E-PL9)。小金が入ったので買える時に手頃なものを買った。PL10の商品入れ替えの為だろう、レンズにゴミ入ってたから、すぐ無料で修理する)。ただ半年間置きっ放しだった。桜の季節となり、妻との散歩に何気なく首から掛けた。
以前は、絵描きの写真と言われるのが嫌で勉強もした。20年前に写真にハマった時、「写真が上手くなったからってなんだ!」と言われて、それがずっと喉に詰まっていた。テーマがないから作品が作れない。それっぽい写真が撮れる技術が上がってくだけ。
そして石巻に来た。引っ越し、住民票を移し、スペースを作り、地元の作家だけで運営できるようになったら抜けて、別の場所で別のスペース運営し、文化(アート)を点ではなく線にして、面にする目標を立てる。絵を描く様に、この動き(行為)が今の私の(関係性の)作品になっている。
絵は自分本位で制作できる。画面には必要な線や色を自分で決めて置いて行く。無駄なものはない。しかし写真は、あるがままが写ってしまう。画面の四隅に注意を向けないといけない。自分以外のコトに真剣に向き合わなくてはいけない。私には新鮮だった。
石巻での私の動きは写真に向き合いやすいマインドにしていた。妻と桜を見に散歩に出かけ妻の写真を撮る。楽しかった。妻も私も自分の写った写真が嫌いなので二人とも、ほぼ子供の頃の写真がない。それは今も変わらなかった。そんな二人に突然起こったコト。何かが変わった。
愛知(犬山)でドローイングを「楽描きを極める」と言って毎日描いていた。37歳の時に絵がかけなくなって写真を撮り始めた頃に、水戸での展覧会の話があり引っ越す。全てをリセットした。その後に結婚したのも大きい。初めて他者と真剣に向き合ったのだから。
40歳に結婚と同時に柏(千葉)に移る。妻が病気の文鳥を飼っていて、そこに日本で1番の鳥の病院があると聞いた。柏に引っ越したのは、それだけが理由だ。その時、「妻に絵で稼いでほしい」と言われ、ドローイングでは無理なので、ペインティングを始めることにした。
あまりモノに成ったとは言い難いが10年かけてニューヨークやパリで個展開けるくらいには成った。そして石巻に移った。その場所に行けば、その場所でしかできないコトガある。石巻ではそれが、街のアートシーンの立ち上げだった。ドローイングで10年(30代)、ペインティングで10年(40代)、そして石巻(50代)は写真なのか!?。
私の絵画ば関係性の作品。自分と他者、社会の関係性を紙に落とし込んで行く。例えば、新聞の中央に白い絵具を拳くらいの大きさで塗り、そこに鉛筆で楽描きをして行く。それが街に拡大した時、他者や社会への向き合い方が写真に合って来たのかもしれない。27歳でキワマリ荘立ち上げてるが社会性の自覚なし。)
最近、写真のyoutubeをよく見るんだけど、上手くなるコツの1番は高い機材を買う。2番は「枚数を撮ること」まあ、あらゆることの基本「まず数をこなす」。今はデジカメがあるし(安くなったし)、youtubeで基礎の技術や知識は簡単に学べる。最高だ。確かに、撮りたい写真ができると向き合い方が変わる。
旅行雑誌やファッション誌に載る様な写真を撮りたい訳じゃない。写真を仕事にしたい訳でもない。ただ写真で作品が作りたいだけだ。ただ、penのモニターはチルト式で、自分が撮りたい写真にはバリアアングル式の方が良いと分かった。
f1.8で25mmと45mmどっちのレンズ買うべきか悩むに当たって、自分の撮りたい作品に向き合う。これは勉強になった。結局しばらく買わない決断。方針を決めかねている。縛りを作って、それに向き合う方法も面白いかもしれない。試しに写真集を作っている。今はそんな感じ。
つづく
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この場所に居続ける理由。この街で死ぬ理由。
+ この場所に居続ける理由。この街で死ぬ理由。: 本当はこういう事(リツイート)は石巻のキワマリ荘がしなくてはいけないんだけど。リボーンにも出たし、ほっといてもまた出れそうだしって思ってるのかな。石巻のアートの付加価値ってなんですか。無いよ(今は)。だから在るように動き(振る舞う)続けないといけない。これでいいと思ったら、そこで試合終了ですよ。 <これは、今度、石巻のキワマリ荘で演劇をする(らしい)んだけど、そのツイート、リツイートを誰もしなかったので、ショックを受けたので上記のツイートをした。下記は、これは俺がおかしいのか!?とツイートしたもの。> 焦る。何を焦る。ここがどうなろうが、お前に関係ないじゃん!。って言われて終わる話ではある。お前は、フルタイムアーティストだから、とか命がけだとか、その熱量は無理とか。あんた、この街に合ったアートを作るって言ってなかった?とか、頭を過ぎる。 大声を出して、壁にぶつかっていくのは簡単だ。壁があればね。そこは海でどこまでも広く深い。どんな大きな声も暴力も吸い込まれる。そっと手を触れて、聞き取るしかない。そこで、もういいじゃん、これでよくない?って聞こえたら、どうすればいい。 趣味じゃダメなんですか!?。趣味でもいい。要は才能がないってことだ。趣味を人に見せるってことは、努力でカバーするしかない。十年努力して一つ何か成せるかどうかのレベルだ。失敗するかもしれん、現に私は絵で食う十年努力失敗した。その才能がなかった。悔しいが、しょうがない。でも、そのドラマは作品になる。 ん、煮詰まってる。悩んでいる。と、言うことは、何かに向かおうとしてるが、うまく進めないってことだ。その目標は、独りよがりになってないのか。いや、そもそも、すでにこの街にとって私が、すでに邪魔になってるのかもしれない。本来なら引っ越してもいい時期だが、 いろんな事情(主に金銭的理由)で引っ越せないし、ずっとこの街にいるかもしれない。ひょっとして、今の苛立ちは、ここに起因してるのかもしれない。この場所に居続ける理由。この街で死ぬ理由。では、お金に困ってな��ったら、どこに行きたい。、、、どこでもいいな、、場所じゃない。人か。なるほどな。だからか。 楽しいよ!、ママさんバレー作りましょう!。作りました。その中に、「ママさんバレーで日本一目指しましょう!。」って人が現れたら困惑する。でも、そもそも、目指そう!って人がチーム作ってる。ただ、その中で、世界目指さなくて、この街に合ったやり方でって成る。だったら、せめて、仲間(場所)の応援はするべきだ。 ART DRUG CENTER の出現でバランスが崩れたんだな。私が新しいギアの形に変形する。新しいギアを加える。潤滑油の問題かな。でも、これ、なんのため。が~~~~最初に戻った!!。 +
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FAUST IN MARIENBAD by The quest for Art
+ KAORU ARIMA:FAUST IN MARIENBAD by The quest for Art: /202007MISAKO&ROSEN http://www.misakoandrosen.jp/exhibitions/20/03/index.html text: FAUST IN MARIENBAD by The quest for Art: 世界はやさしい、だからずっと片思いをしている。: ART DRUG CENTER、キワマリ荘: キワマリ荘の作り方: れんこんのなか: この言葉たちに支えられ目標にして作品を作っている。: ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー +FAUST IN MARIENBAD by The quest for Art: 思えば、私は作家性重視の生き方(ロードムービー)を選んだ。そして「アートとは何か。人とは何か。幸せとは何か。」を問い続けてきた。今回は5つの壁に5つのテーマがある。彫刻、ペインティング、ドローイングをテーマごとに展示する。「私(人)の内と外」、「途中と永遠」、「社会との関係」を形にする。5つの壁(5つの展示)を通して見える「私」の展示だ。そして人の在り方と生き方の展示。 21歳の時、ボイスの資料映像を見た。その時彼は言った。「コレを見て、わたしにもできる!と思ったら、それは君がアーティストだからだ。後はやるか、やらないかだ。」何者かに成りたかった私は飛びついた。続ければアーティストでいられる。気づけば50歳を過ぎていた。 この展覧会は、ファウスト(小説):生に執着し、努力し続ける行為。去年マリエンバートで(映画):変化し続け終わらない永遠。ミイラ肖像画:人の死と藝術による永遠。から影響を受けています。この展覧会は、あなたにとって、始まったばかりですが、既に終わっていたり、未来で始まったりしています。形は在り方、生き方で変化し続けます、繋がり広がる線のように。 在り方:1)線について・空集の音の間に線は生まれ約束になる、約束は景に入り太極を持って風を待つ。・手を重ねると線が生まれる。手を離すと線は消えるのではなく広がり、全てを繋げている。2)人は「本来無一物」という空集合<空集の芽>を皆が持っている。3)1)と2)より、外は外で、内は内で(共有)繋がっている。・モノは視点や思いによって見え方が変化するが、本質は変わらない。<うちはうちそとはそとのんじゃった> 生き方:・ずっと途中で先端。・生に執着し努力(変化)し続ける行為。・寿命(枠)があるから瞬間が美しい。・日常(日々)の中の美しさ。・何もない」の中にある美(愛)。・太極思想・形にならないモノを要素(形)として作品にする。 まとめ:形は在り方生き方で変化してゆく。人(形)とは「何」だ。人が生きるとは「何」だ。<うのなとなのまにまにせもしもしらずいのまふるふる><FAUST IN MARIENBAD><The quest for Art>+ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー +世界はやさしい、だからずっと片思いをしている。 まず、時を遡ろう。1997年(28歳)当時の私は、自己治療(昇華)中。理由は、思春期に「何の取り柄もない、落伍者、バカ」と、言われ続けていたコト、親戚が夜逃げ(父が連帯保証人だった)、我が家は借金返済のため全てを失い、その後離婚にいたり、極度の人間(自分も含む)不信になる。簡単に言えば、自分と社会を恨んでいた。後に「本来無一物という言葉を知ったり、人は一番大切なモノのために(良くも悪くも)嘘をつく」をポジティブに受け入れるまで。その頃に、とても隠微残酷な「ART DRACULA」展を開催する。その時の芳名録に岩田さん(犬山のキワマリ荘の大家、私設美術館の館長)が、こう記入していた。「せんは必要なくなったとき そこにあるのかもね」。全く理解できなかった。彼は「鑑賞は真剣勝負、殺し合いだ!。変なもの見せると死ぬぞ!」って人だった。<ART DRACULA>10年後の2007年(38歳)「マイクロポップの時代」展のために、水戸に引っ越すことにした。1998年にto the Living Room 展(ワタリウム美術館)で「半年住む」という展示をしていたコト。や、思いもよらぬ成功によって達成感が生まれ、作品が制作できなくなって(煮詰まって)いた、のもある。引っ越す時、岩田さんに、もらった言葉は「すべては覚悟の問題だ、頑張れ。」だった。<岩田さんの餞別書道>岩田さんの書は引っ越しても、常に目に入る壁に飾ってある。自分への戒めである。それから時が過ぎ2019年(50歳)。岩田さんも向こう側に行ってしまった。今、私が彼のような立場になっている。「せんは必要なくなったとき そこにあるのかもね」言葉の意味は今もわからない。今ここでしてることが「そこにある」のかも。+お前の作品は「アートではない」、「自分のためでしかない」と言われながらも、「それでもいい」と歩み続けて来た。そう、これは、芸「術」ではなく芸「道」に(目的を)覚悟を決めた人(文化系極道)の生き方でもある。そもそも「自分のため」以外の選択があると私には思えない。自分のためが「他者のためになる」か、他者のためが「自分のためになる」かの違いでしかない。「どちらが優れてる」ではない。個の追求の果てに他者性もある。全ては、繋がっている、生も死も夢も現実も。そしてずっと途中で、ずっと先端。生きる永遠、死ぬ永遠。<うのなとなのまにまに せもしもしらずいのまふるふる>これを岩田さんに見せた時、「お前そのものだな」と言われたことを今でも思い出す。だから「何」だ、と声がする。<個の追求の果てにある他者性と、その奥にある風景>「ファウストを読め!!」岩田さんに再三言われた。思い出す度に読み返す。自己治療の作品が終わった後で、もう一度大成する作家は稀らしい。その代表がゲーテの「ファウスト」らしい。いつか、向こう側に行って、岩田さんに会えたら、「世界はやさしい、だからずっと片思いをしていた。」って言うだろう。そして、多分「死ね!」って言われる。(終)/20190803 FAUST IN MARIENBAD by Ishinomaki2019/RAF2019で使用したテキスト。+ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー + ART DRUG CENTER:「アートは人の心を治療する薬である」から名付ける。愛知県犬山市のキワマリ荘内にあった多目的スペース。1997~2007年の10年間で141回の展覧会を開催。2019年宮城県石巻市にて再開。 +キワマリ荘:愛知県犬山市に多目的スペースとして1996年にオープン。2007年に水戸に引っ越すことになり代表を変わる。2007年に水戸のキワマリ荘をオープン。2009年に千葉県柏市に引っ越す。前回同様に代表を変わる。2017年石巻のキワマリ荘をオープン。2019年に地元の作家に任せ、近所にART DRUG CENTERをオープン。 +artrφn(アートロン)プロジェクト:TRONプロジェクト(1984年に始まった坂村健によるコンピュータ・アーキテクチャ構築プロジェクトで、「オープンソース」「オープンデータ」「オープン API」を標榜。)への共感にARTを加えた造語。アート(美)が簡単に制作や所有ができたらいい。アートのオープンソース制作プロジェクト。気になる作品があったら、描き写してアート(思い)を持ち帰ってください。artrφnのφは空集合を表す記号とキュービット(量子コンピュター)の0と1の重ね合わせのイメージ。 +近況:「ネオギガ」展(1994):絵画は楽描きを極めればいい、「継続と日常」展(1995):日常がアートだ、「鑑賞と忍美。」展(2001):鑑賞の仕方で見え方が変わる。耐え忍んだ極みに美がある。ART DRUG CENTERは「アートは人の心を治療する」など、私は常にアート(美)とは「何か」を問い続けている「ロードムービー」だ。ここ最近は関係性だ、と思い色々してるわけです。そもそも新聞紙の作品(1998~)も関係性と当時から言われており、その拡張としての「街(石巻):キワマリ荘:ART DRUG CENTER」がある。 + ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー +キワマリ荘の作り方:・あったらいいのに、無いモノ(場所)を作る。・そこにいけば、仲間がいる。」という状況を作る。・カリスマリーダーはいらない。その人が移動するとその場所に人がこなくなる。・短期展望ではなく長期展望が重要。5年、10年先をみて動く。・人よりも場を強化すること。・失敗や成功を考えるより。やりたいことがあったら、やる。・絶対に無理をしない。・作家同士の感想(批評)を言い合える場所にする。・一時的な話題性(を作る)に振り回されない。・居間を作る。・ここから、世界に発信しているという覚悟を持つ。・良いモノは取り入れる。しかし、表面上のコトだけを真似ない。・お互いに手を抜くから、グループ展はNG。ただし企画展はOK。・一人一人の関係者は50人前後だが、3人個展できる環境があれば150人になる。・展示期間は1~二ヶ月。一週間だと、いくら良い展示をしても、人が来れない。・都会にあるギャラリーを目標にしてはいけない。関係者の数が圧倒的に違うし、情報の消費速度も違う。・グループの思考が固まり澱まないように、風通しをよくするシステム(展示、企画)を作る。可能であれば、メンバーの流動があればなお良い。・とにかく待ち、才能を集める(固める)。そして、目的を持った方向を決める。1年近く営業してると、静観してる人が動き出すので、その人達を確保。・地元の未来を語る展示は地元の作家がやるべき。そういう場所を作り、育てようという場所。外部の作家やメジャーな作家に頼ってはいけない。自分たちが、そうなる。そうなるための展示をしていき、企画を立てていく。・一般の人にあまり期待しない。彼らにとっては、単なる消費情報の一つ。自分たちも同じ事を他のジャンルに対してしている事を自覚する。・ギャラリーは普通無料で鑑賞できる。なので、展示する側、ギャラリーはどうせ無料だし、と思ってしまうが、実は、その人の時間や交通費を使っている事を自覚すべき。千円使った時にもらえる満足度を用意。・経済的豊かさよりも、個人の幸福度を上げる。・絵画の作り方と似ている。点線面。まず下地(場所)、点(最初は首謀者)、点を集め、線に、そして面に。まず、首謀者の目立つ点を画面に起く。点を集め画面のバランスをとる。最終的に首謀者の点を消して画面を整える。さらにその場全体が点に成って新たな始まりの可能性。+ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー +れんこんのなか: 不自由は自由の海に有る浮き輪。キレイとは整理整頓。うつくしさとは調和。机の上を「うつくしくしなさい!」とは言わない。うつくしいと感じる時は、後になってから、その瞬間は、自分も含まれてるから。左脳と右脳、連想と例え、アレとソレが同じだと感じる事、感謝と恐怖、表現の始まり。答えは始めから存在する、問題の方が重要だ。イコールの存在が厄介だ、同じにするために、数にする事。THE SUN COMPLEX & HEALING BY THE MOON。こころ」と言った。観た人の観たいモノへ。自分にとってのモノコトではなく感じる。指で自分の顔の中の骸骨を触る、外なのに中にある。コマとコマの間、見えていないものを観るためには。見せたいモノは絵じゃなくて、その向こう。モノの形よりも、モノのあり方に美しさがある。物語。誰が描いても、何枚描いても、美しさは劣化しない。空集の音の間に線は生まれ約束になる、約束は景に入り太極を持って風を待つ。天才と馬鹿が紙一重なら、馬鹿側からが近いはず。よわくなる。楽描き。五感の0時0分0秒を目指す。それでも生きてゆかねばならない。ここから、はじめよう。しゃかはきのした、だるまさんはあなのなか。ふゆのきぎ、えださきにあめのつぼみ、そらがさく。しごとはいきること、しゅみはせいかつ。みらいはえだとねのさきに、いきることはかこもみらいも。ゆるしかんしゃいかりのさきわれ。うちはうちそとはそとのんじゃった。わとわとわ。うのなとなのまにまに、せもしもしらずいのまふるふる。日が暮れ、ご飯を食べる、食べたいうちは生きたいんだ!と、感じる?でも、そういう所に、しあわせ」とか「うつくしさ」とかの、始まりは在る。つづく。みること、きくこと、かんじること、遠近法を使わないで、あること。昔、人は役割しかなかったのだろう、それに対応できない人が、バカにされ弾かれた、外に出れば、自由と孤独の狭間に何が生まれる、今や逆転。スイッチではなくボリューム。多神を包む海。バランス。時=流+刻+間。過去が存在するから、未来が生まれる、過去と未来があるなら「今」は点になる、今」が無くなれば、過去に縛られ未来が消える。過去は記憶、宇宙は「いま」しかない。aとbの間を移動する、その移動時間を無駄と感じるなら、一時間が十分になっても無駄。アートは人が自然(風景+時間+空間)を所有するための行為。身を守り、勝ち所有し、自らが自然(神)に成る、しかし、区切る事によって生まれるモノは本来の姿ではないから、永遠に自然に到達する事はできない、それが、狙いか。名を付けて所有する、要らないモノは外に出す、気づけば自分以外はゴミばかり。いのち」は何を所有しているのか、何か所有したいのか、もともと「いのち」は調和だし。いざと言う時、何を守るか、何を選んだにせよ、善悪はない、後で迷いさえしなければ。覚悟さえ決めていればどんなときでも、幸せだったりするのかな。わたしたちは、いつも永遠のはしにいる。わからでようとして、わをおおきくしてる、でるためには、わになるしかない、それでも、れんこんのなかだけど。ひとはわのなかを、じぶんのものとおもう、まるいたまのまんなかに、せんをひいたら、どちらがじぶんのもの。せんじたいがじぶんだ、ときづいたとき、わからせんになる、それでも、れんこんのなかだけど。きらなきゃいっぽん、はながさく、となりのはなが、ちょっときになる。しあわせ。等間隔に刻むリズム。今思う、続ける事は難しい、特に現状維持は難しい。ぬくもり、あんしんかん、しんじて、うたがわず、いつか、わたしも、そとからか、なかからか、そして、ありがとう。と、 2009/11/06 有馬かおる+ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー + この言葉たちに支えられ目標にして作品を作っている。 <一休宗純>有漏路より無漏路へ帰る一休み雨降らば降れ風吹かば吹け 生まれては 死ぬるなるけり おしなべて 釈迦も達磨も猫も杓子も 白露の おのが姿は 其のままに もみじにおける くれないの露年毎に 咲くや吉野の 桜花 木を割りて見よ 花のありかを あるとみて なきは常なり 水の月ないとみて あるは常なり 水の月 <良寛>ぬす人に取り残されし窓の月裏を見せ表を見せて散る紅葉 <小林一茶>馬の屁に目覚めて見れば飛ぶほたる + ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー + FAUST IN MARIENBAD series: FAUST IN MARIENBAD by Ishinomaki2019ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーRAF2019の私の展示は右回り、左回りでタイトルが違う。左が「世界はやさしい、だからずっと片思いをしている。」、右が「FAUST IN MARIENBAD by Ishinomaki2019」。今後私の展示タイトルは「FAUST IN MARIENBAD by xxxxxx 」。そう言う展示。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーhttps://www.reborn-art-fes.jp/artist/kaoruarima FAUST IN MARIENBAD by Paris 2019http://edouardmontassut.com/exhibition/kaoru-arima/ FAUST IN MARIENBAD by The quest for Art/2020http://www.misakoandrosen.jp/exhibitions/20/03/index.html +
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孤独について
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孤独について:学生の頃、調子に乗ってるからって理由で仲間から無視された。2週間ほど経ってリーダーが「なあ、無視してるのわかるよね、なんで普通に接することができるの!?」って聞いてきた。私にとって、無視される前も後も状況としては変わってない。私は常に孤独だった。
今少し変わったことといえば、「私」から「人」に変わった。人は孤独でさみしい。だから愛がある。そういう種の機能がある。だから孤独で悩んだり寂しいって思うことは健全だ。
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リボーンアート 市街地エリア
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市街地エリア物足りない」って言ってた人がいるって話だと思うんですが、、、リボーン全体見たけど、市街地が物足りないとは思わなかった(これを市街地キュレーターの私が言っても何だけど、、、)。
リボーンは、エリアだけを見るものではないと思うし(言い訳ではなく)。ブース内の関係性、エリア内の関係性、リボーン全体の関係性を考えた上でも、うまく機能していた。これは、物足りないのではなく、あるベクトルに特化したため、「見方によって、物足りなく見える」。
シンボルの点では、関係性をどう見るかで変わって来る。点で見るか、線で見るか、塊でみるか、さらに、大地(過去)未来のイメージの個人差。人間は小さな生物の関係性で個性を持ち、過去や未来を生きる。関係性にシンボルを見ることはできる。
グループ展(トリエンナーレとかも)で、展覧会を見ないで、この作家が面白い、つまらないと作家個々の意見が多いのですが、展覧会にはテーマがあります。それこそ関係性です。あるキュレーターは安定した作家のそばに新人を添えます。この意味!?展覧会は見る側の被写界深度で見える風景が違います。
だから作品が良くても選ばれません。たまに何で俺は!っていう人いますが「テーマや全体のコト」を考えてないです。よくビエンナーレ作家と言われる人がいますが、そういう人は「どんなテーマでも作品が作れます。」話をそれますが、今回の市街地エリアの作家は、それができない人が多いです。
作りたいから作る。コンセプトは後づけです。そういう作風の人は、説明するとボロが出て、コンセプトとあってない!と詰め寄られる。そういうタイプの作家は基本何言われても作風を変えられないので、悩む。そういう作家は作品ではなく環境(展示)を考える。環境で作品の翻訳します。
話を戻すと、関係性を重視した展示は見る側の被写界深度に頼ってしまう利点と欠点があります。なので、説明責任とかもあるのかもしれないが、私はアートを言葉を超えてたモノと思ってるし、言葉は余計だとも思っている。だから英語も覚えない(笑)。
それと違うアートが一般的な現代アートってのも知ってるが、その制作スタイルと私の制作スタイルは合わない。でも、お前の展示は文章多いよねってなるけども、玄関くらいまでは案内しますというサービス精神。
とはいえ、物足りないと思った人の事実を放り投げることはできない。アンチや無関心の意見も重要。翻訳(作品説明)は最善は尽くしたい。散々言われた前回同様、「もうこんなコト二度とやるか!ボケ!」と思いながらも、せっかくの経験を活かせるのなら、また挑戦してみたい。とも思う。
前回のリボーンで、ギャラリーなんて無理だよ!、シーンなんて作れないよ!。展示終わったら帰ったほうがいいよ!。って数人に延々言われたけども、まあ、覚悟の問題だと思います。
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世界はやさしい、だからずっと片思いをしている。
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RAF2019に展示してるテキスト:
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世界はやさしい、だからずっと片思いをしている。
まず、時を遡ろう。1997年(28歳)当時の私は、自己治療(昇華)中。理由は、思春期に「何の取り柄もない、落伍者、バカ」と、言われ続けていたコト、親戚が夜逃げ(父が連帯保証人だった)、我が家は借金返済のため全てを失い、その後離婚にいたり、極度の人間(自分も含む)不信になる。
簡単に言えば、自分と社会を恨んでいた。後に「本来無一物という言葉を知ったり、人は一番大切なモノのために(良くも悪くも)嘘をつく」をポジティブに受け入れるまで。その頃に、とても隠微残酷な「ART DRACULA」展を開催する。
その時の芳名録に岩田さん(犬山のキワマリ荘の大家、私設美術館の館長)が、こう記入していた。「せんは必要なくなったとき そこにあるのかもね」。
全く理解できなかった。彼は「鑑賞は真剣勝負、殺し合いだ!。変なもの見せると死ぬぞ!」って人だった。
<ART DRACULA>
10年後の2007年(38歳)「マイクロポップの時代」展のために、水戸に引っ越すことにした。1998年にto the Living Room 展(ワタリウム美術館)で「半年住む」という展示をしていたコト。や、思いもよらぬ成功によって達成感が生まれ、作品が制作できなくなって(煮詰まって)いた、のもある。引っ越す時、岩田さんに、もらった言葉は「すべては覚悟の問題だ、頑張れ。」だった。
<岩田さんの餞別書道>
岩田さんの書は引っ越しても、常に目に入る壁に飾ってある。自分への戒めである。それから時が過ぎ2019年(50歳)。岩田さんも向こう側に行ってしまった。今、私が彼のような立場になっている。「せんは必要なくなったとき そこにあるのかもね」言葉の意味は今もわからない。今ここでしてることが「そこにある」のかも。
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お前の作品は「アートではない」、「自分のためでしかない」と言われながらも、「それでもいい」と歩み続けて来た。そう、これは、芸「術」ではなく芸「道」に(目的を)覚悟を決めた人(文化系極道)の生き方でもある。
そもそも「自分のため」以外の選択があると私には思えない。自分のためが「他者のためになる」か、他者のためが「自分のためになる」かの違いでしかない。「どちらが優れてる」ではない。個の追求の果てに他者性もある。
全ては、繋がっている、生も死も夢も現実も。そしてずっと途中で、ずっと先端。
生きる永遠、死ぬ永遠。
<うのなとなのまにまに せもしもしらずいのまふるふる>
これを岩田さんに見せた時、「お前そのものだな」と言われたことを今でも思い出す。だから「何」だ、と声がする。
<個の追求の果てにある他者性と、その奥にある風景>
「ファウストを読め!!」岩田さんに再三言われた。思い出す度に読み返す。自己治療の作品が終わった後で、もう一度大成する作家は稀らしい。その代表がゲーテの「ファウスト」らしい。
いつか、向こう側に行って、岩田さんに会えたら、「世界はやさしい、だからずっと片思いをしていた。」って言うだろう。そして、多分「死ね!」って言われる。
20190803 有馬かおる(終)
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RAF2019の私の展示は右回り、左回りでタイトルが違う。左が「世界はやさしい、だからずっと片思いをしている。」、右が「FAUST IN MARIENBAD by Ishinomaki2019」。今後私の展示タイトルは「FAUST IN MARIENBAD by xxxxxx 」。そう言う展示。
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つつじ野(石巻かほく):750字(全8回)
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つつじ野(石巻かほく):750字(全8回)
20171207~20180128(毎週木曜)
(1)来石
(2)なぜダメなのか考えてみる。
(3)タブー
(4)作品の感想を聞かれる時がある。
(5)「作品の行き詰まり」の対処方について
(6)写楽の線
(7)作品性と作家性というのがある。
(8)それを「愛」という。(終)
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つつじ野:(1)来石
寒くなって来ましたが、話は夏に遡ります。リボーンアートフェスティバル2017の出品作家として、2年前より石巻に来る機会が増え、気がつけば今年の4月に引越しをしていました。それまでは千葉の柏市に住んでいました。千葉に8年。その前は水戸、その前は犬山(愛知)と、そもそも引越しが多かった。今回は妻がいるし、流石にリスクが高すぎて引越しは考えてなかった。ところが、リサーチのために石巻に何度か来るうちに、これは、引っ越さないと無理かもしれない!と思い始めました。何をしようとしたかといえば、石巻にギャラリー(多目的アートスペース)を作って、石巻の作家が運営していく仕組みを構築する。ちなみに私には実績があります。犬山と水戸に「キワマリ荘(多目的アートスペース)」をすでに立ち上げ、現在も代表が変わりながら運営されています。だからこそ、石巻にも!って話が私に持ち込まれるわけです。引越しを決意し、妻の説得に入ります。妻は元々私の作品のファンでした。今も一番のファンでフォロアーです。そんな妻を説得できない様では、他の鑑賞者を説得できるわけがない!ので作品の説明(なぜ引っ越す必要があるのか)を丁寧に時間をかけて話しました。正直に言えば渋々合意に取り付きました。アーティストは歴史にいかに名を刻むか考えながら行動します。もちろん、すぐに答えの出るモノではありません。とはいえ、何も考えずに作品を作っててもダメなのです。ーーー展示期間が終わりを迎えた頃、これからどうするの?帰るの?と、聞かれる様になりました。いや!?あの!?引っ越して来たんで!!。まだまだ皆んなの信用を得るために頑張らねばと思う日々。石巻の冬が来る。
(2)なぜダメなのか考えてみる。
前回、何も考えずに作品を制作するのはダメと言ったけど、なぜダメなのか考えてみた。全ての縛り(枠)にはルールがある。個、家族、街、学校、国、スポーツ、アート、漫才、マンガ、、、(名が最初の縛り)。自由とはルールの中にある。ルールの無い自由は自然。そうなったらバトルロワイヤル。弱肉強食。もはや集団を維持できないし、点数で競うこともできないからゲームにならない。目的を持って高め合うことができない。みんなで楽しく平和に生きて行くためにはルールはいる。話をアートに戻すと、作品を作るとき、どのジャンル(集団)に入り、どんなルールを守らなくてはいけないのかを知る必要がある。なぜか、そのジャンルの目的(可能性)を高めなくてはならない。そして高めた人の名が残る。歴史に名を残したいならこれしかない。ただ、ルールにとらわれ、こうでなければならない!と思った瞬間。マンネリズム、自己模倣に陥りやすい。こだわりや縛りは、時間が経つと心地よい。心の拠り所となる。鎖の自慢、不幸自慢が個性につながって行く。脅かすものを排除しようとすると、目も当てられない。結果、天然に翻弄されることになる。何しろ発見は枠の外にある場合が多い。やってる方も見てる方も飽きてくるから、少しづつルールも変わってくる。子供の頃に知った知識だが、有名な味噌ラーメンの宣伝文句「変らぬ美味さ」。しかし、何年か毎に味を少し変えているらしい。客が味に慣れ、飽きるから。ホントかウソかは問題ではない。なぜ心に残るのかが重要だ。普通に考えても、現状維持が一��難しい。何もしなければ、緩やかな死が待っている。少しでも上を目指して挑戦することが現状維持。そんなわけで、柔軟にルールを守ろう。
(3)タブー
アートでもタブーは無い様でたまにある。作品批評で「これはダメだよ!」って言われて、ソレが道徳的なコトだと。金脈を発見した気になる。たまに、ソレに気づいてなくて、落ち込んでる作家がいると、パクりたい気持ちを抑えて教えてあげる(めったに、そういう場面に出会わないけど)。今では信じられないかもしれないが、20年前、評論家に「私はマンガやアニメの影響を受けて作品を制作している。」と話したら、それが記事に成った。マンガやアニメがアートにとってタブーだったからだ。今や、そんなコトは、どこ吹く風である。それが普通に成った。私が今取り組んでるタブーは、「作風を変える」である。ドローイング=線画(というジャンル)でそれなりに名声を獲得していて、40歳になった時、ペインティング=絵画を始めた。かなり色々な方に怒られた。「別にいいじゃん!」って思うでしょ。でも、作家や作品の商品価値って、そんなコトでガタ落ちするのです。「この人は、こういう作品!」と成ってたのに!、なんで変えるのか!。今死ねば歴史に残るとか言われたり。しかし、私は、以後の人生のモチベーションをとった。そして、もしこれがタブーなら、やり抜く意味はある。私の後を、道を使う人がいるかもしれない。とにかく進もう!と。私は、こういう考えを持っている。10年あれば何でもできる。努力の仕方や方法を間違えなければ、なんとかなる!。後は覚悟の問題だ。覚悟がなければ、言い訳ばかりして、詰めが甘くなる。覚悟があれば全て楽しい。今は40歳、あと10年は生きてるだろう。で、始めたんだけど、気づけば48歳。後2年じゃないか!!。怖い怖い。
(4)作品の感想を聞かれる時がある。
作品の感想を聞かれる時がある。そんな時、まずこう聞く。「あなたは、作家ですか?、趣味ですか?、作家志望ですか?」と。まず作家志望の場合は、では今現在は趣味ですね。作家になりたいなら、これから「志望」を付けないように言います。そして、作家か趣味かもう一度聞きます。趣味の場合、ただただ褒めます。初対面の時は特にそうします。嫌われたくないのではありません。作家は作品と作者の距離感が十分取れていて、客観視できますが、初心者は作品の批判、批評、感想でネガティヴなコトを伝えると、自分自身がダメ、存在がダメ、となり、最悪の場合、ただの悪口言いやがって!と成ってしまう。いやいや、あなたのコトを言ってるんじゃないんです。作品のコトを話してる。作品とあなたは違うんです!と力説しても声が届きません。ただ嫌われて終わり。この客観性は意外に難しい。若い時は、そういうトラブルを何度も経験しました。ゆえに、「作家です。」と、私の目を見て言える人にのみ、色々言います。例えば、作品の感想を言う時、あえて相手がイラつくコトを言う。すると、言い訳したり、別の話をしたり、時には激怒するときもある。正直、かなりのリスクを伴うので信用できる知人にしか言わないのだけれど、どんなにそこが作品として上手くいってなくても、本当にそれが自分の伝えたいコトだったら、変えないんですよ。で、次も同じコト言われて、凹む。でも変えない。それが個性。そしてこのやり取りで作品強度が上がって行く。鉄を鍛えるのと同じ。これは、まだ自分が分かってない人に使う手なんだけど、喧嘩してそのまんまってコトもある。これはもう、相手を傷つけただけだから、最悪です。だから信頼関係が築けたらって話になります。
(5)「作品の行き詰まり」の対処方について
「作品の行き詰まり」の対処方について聞かれるので、考えて見ました。ほぼ、達成感、マンネリ(自己模倣)による行き詰まり、でしょう。なので、初心に返る(自分は最初、何を表現しようとしていたのか。どんな目標を持っていたのか)。技術(思考)的変化なら、ズレ、抜き、足し、ねじれ。コンセプトを突き詰めて行く段階で、捨てて行ったモノがあるはず。本当は、面白かったり、気になってたアイデアでも、その時の目的に合わないから排除したものを、もう一度洗い直す(宝探し)。限界なら、作風変えるのもありだけど、鑑賞者がそれを望むなら、その人達のために作る。それが、嫌なら、家族のためと、制作することが望ましい。若い時は「自分のため」という自我エネルギーが全てのモチベーションに繋がっていくんだけど、歳を重ねると達成感が出てきて、そのエネルギーでは、モチベーションが維持できない。ってことに気がついてくる。そう成ったら、「誰かのために」っていうモチベーションに切り替えの時期。なので、行き詰まった作家に結婚を進めるコトがある。それを私は、「大人になったから」とは思わない。自分のため、他者のため、どちらも自分自身のためだ。人は自分の幸せ、気持ちいいコトを絶対に優先する。基本、川の流れや、転がる石と同じだ。目標をセットすると若干変えられるくらいだとおもう。日本のアーティストは達成目標がとにかく低い(それさえも達成困難な状況だから)。でもそれは、仕事として考えてないから。自己満足、自己治療の延長(覚悟決めれば、それも悪くない)。私から観ると、いやいや、もっと行けるよ、そのテーマで!と、思うこと多い。
(6)写楽の線
今回は写楽の線について考えてみる。私はドローイング(線画)作家でそれなりに評価を得ている作家であるので、当然いろんな線を研究した。その中で別格に凄いのが写楽の線である。もちろん世界中で、というう意味だ。写楽はどういう線なのか、一本一本で観た時は、何か足りない。短すぎるのか?細すぎるのか?、色のせい?わからない。とにかく、その結果、ゲシュタルトの影響で近くにある線(や色)を引っぱりこむ。すると当然その空間は歪み運動を続ける。その運動の連鎖が画面全体に広がる。その結果として、私には、写楽の首絵(ポートレート)が立体に見える。初めてそう見えた時は、自分の目を疑った。急にそう見えるように成ったからだ。他の浮世絵も見たが浮いて見えるのは写楽の首絵だけだった。顔の輪郭は黒では無く灰色。黒は、目、眉、髪で、上部が重く成るから、服の柄で黒を使い、散らす。顔の部品のバランスも凄い。顔は下から見上げてるのに、鼻は横からなど、部位の視点がバラバラ。とか、その鼻筋のラインはどこを描いたの?(この仕様は、鼻のラインだけではない。)これ、キュビズムじゃん。でもそうじゃない。これは、動いてる役者を1000分の1秒でとらえて描いているからこう成っている気がする。北斎の波の絵と同じ。それぐらいの瞬間を記憶できる(できた)。それがキュビズムっぽく成っている。究極なんだけど、描いてない線が見える。まあ、ゲシュタルトだけど(この技術は作品に生かしている)。まとめ、意図的に一本一本の線を不足にし、周りの線を引き込む。その関係性の力学で、線は空間的に立ち上がり立体に見え、部位のバランスが再構成され、私には振り返る役者が見える。
(7)作品性と作家性というのがある。
作品性と作家性というのがある。日本人は「作家性」の方を重要視する。作家性って何?。簡単に言えば、作者の生い立ちである。日本人はゴッホが好きだが、作品より生き様の方が優先されている。別の言い方をすると、良い作品と作品的に優れてなくても有名人の作品ならば、有名人の作品の方が価値がある、というコト。逆にいうと日本人は作品を作品として見れない、というコトになる。さらに別の切り口で見てみる。グーグル検索でアーティストの名前を検索する。日本語検索では、作者のポートレートが多い。英語検索では作品画像が多い。日本人は好きな作品に出会うと「どんな人が描いてるんだろう!?。」と検索する。英語圏は「他にどんな作品があるんだろう!?。」と検索する。どちらが良いとか悪いとかではない。そういう国民性だというコト。かく言う私も日本人なので「作家性」を重視する傾向にある。実はこっちの方が楽。勉強しなくていいし、自分の好みの話で終わるから。でも、自分の好みに合わなくても、良い作品は評価できる様に成りたい。そのためには、勉強しなくてならない。ルールを知って、皆は何を一生懸命頑張ってるのか知りたい。そうなると、別の切り口で作品を見ることができる。ついでに他の特性をあげる。日本人がアートを本気で突き詰めると日常に成る。日常になれば、なんでもありに成るので解りにくい。デザイン、イラスト、グラフィックを極めて行ってもアートに成るとしたら、こっちの方が向いている。海外の作品は英語でできている。日本の作品は日本語でできている。当たり前だが、この違いを理解してない人が多い。言葉の文法で、モノの自立(自律)のさせ方が違う。結果、作品の成り立ちも違ってくる。
(8)それを「愛」という。(終)
アーティストについて。例えば、10万円と100万円のギャラの仕事が来るとする。デザイナーは予算の中で、自分の取り分をまず取り、残りの予算内で作品を作る。これは(社会人なら)当たり前のコトなんだけど、アーティストは違う。どっちも全力で作る。その結果は聞かなくてもわかる?そう赤字だらけになる。昨年夏のリボーンアートの作家も赤字に成った作家がかなりいたと聞く。特に若い作家はその傾向が強い。その反面、学校の先生やってる人は、研究費を使わないといけないから丁度いいって話もある。とにかく、アーティストはそう言う人種である。さて、今回が最後の寄稿になってしまったから、少し自分のコトを書いてみる。私には、所有欲があまりない。それは、思春期に全て無く成ったコトがあるから。その時から、「モノは人にとられる」と思い込み、それが、所有する恐怖に繋がる。他者からの贈り物も怖い。戻るべき場所、あるべき場所が無い。「人にとられないモノ、絶対に無くならないモノ」の探求をする日々。絵日記の様にドローイング(線画)を描き続ける日々。家が燃えて、全てが墨に成った時、その墨で絵を描く様な生活。それが生きるコトだった。とはいえ、そんな悲壮な時期もあっという間に過ぎ、そんなこともあったなあ、に成って行く年月。最近こう言われた。「人生かけてますね」「そうかな」人生かけてない人生ってある?、ああ「かける人生がもう無いのか」歳をとるわけだ。私の生きた時間が線に成って世界中に散っている。私も49歳に成る。烏の声と風の音。石巻の春を待つ。答え:私が探していたモノのは、繋がり広がり包む「線」と言う空間。別の言葉では、それを「愛」という。(終)
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鼠径ヘルニア(脱腸)と診断された件。
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鼠径ヘルニア(脱腸)と診断された件。
女医に血を6カプセル採取され、何度も服を脱ぎ「吸って吸って」「頑張って」などと言われ、放射線を浴び続けるプレイをした。7800円だった。
間接照明だけの個室で、女医に上半身にゼリーを塗られ、棒状の器具でグニグニされ「吸って吸って」と言われ、最後におしぼりで上半身を丁寧に拭いてもらい、自分の心音をいろんな角度から聞くプレイをした。2800円だった。
作品のコンセプトとか、思考パターンの重要な要素に猫穴がある。どんなルール(縛り)にも猫が自由に出入りできるような穴を用意しておく。風通しを良くするため。まさか、自分の輪郭までボヤけるとは。猫ならぬネズミ。鼠径ヘルニア(脱腸)になるとは。
鼠径ヘルニア(脱腸)の初期って自覚症状が無くって、痛くも痒くも無い、なんかちょっと、下腹部のふくらみが、若干違うなぁ、気に成るなぁ。くらい。ただし、放置しておくとヤバい。そして直すには外科手術のみ。
腹腔鏡下ヘルニア根治術(4泊五日):
私の場合、左のヘルニアだが、触診で右も気になると言われた(多少自覚症状あり)。右もヘルニアになっていた場合、両方ともできる術式らしい(結局右は無かったが)。
入院前に、ドクターXを全部見た。流石に手術室に歩いて入った時は「お~これが!!」とキョロキョロ。術後すぐに主人公と患者が喋ってる時があるが、全身麻酔の後はそんなもんじゃない!!!。
全身麻酔。はぁい、何々入れます。「ボンヤリしてきました。」はぁい、何々入れます。「点滴の所が冷たい感じです。あ、クラクラします。」の後、気づいたら、よく映画やドラマで見る画面全体に人の顔が沢山出てくる感じで「終わりましたよ~。」だって。ーー本当に「死」が怖く(恐ろしく)なった。
全身麻酔の術後が大変だ。両足に一日中足首をマッサージする器具を付け、交互にプシュープシュー。左手に血圧計で最初は20分ごとにプシュー、終盤は2時間ごと。右手は点滴と指先のヤツ。見えなかったけど、2つくらい器具を上半身に付け。そして、尿道カテーテル(これが慣れない)。
尿道カテーテルを抜く時が、もうヤバい。「ゆっくり吐いてください。」す~、ふ~~~==★?!!!?^!!**^^==~~~~。ナニあの痛み!脳が初めての痛みについて行けない感じ。あまりの瞬間激痛だったので、後から思い出そうとしても思い出せない。癖になる痛みでは無い。
アホなコトに、手術前に風邪気味に成ってしまい。手術台の上で、麻酔師さんに「風邪気味ではないですか~」、と聞かれた時に「そうです。」と言ったので、ザワつき、あ~って言ってください。その時の喉の状況を全員で眺め、「大丈夫!」。あわや延期に成り掛けた。
全身麻酔がまだ効いてる時は、頭も体もスッキリしてたんだけど、麻酔が切れた来たら、風邪がぶり返して来て、発熱と頭痛が始まり、頭痛で寝れなかった。あんまり痛いので、看護師さんにアイス枕と飲み薬をもらう。腹筋が痛くて体を曲げれないので、介護ベットの背もたれを電動で動かし水を飲む。
よく病院で寝てる人って、水を少ししか飲まないんだけど、本当に、少しずつしか飲めない。え、こんだけしか減ってない!って思うくらい飲めてない。しかし、咳風邪じゃなくて良かった。腹部切ってたら、痛くて咳できない。ヤバいな時はフリスクで止めた。くしゃみ一回でテンカウント。
大部屋だったのだが、食事中にもう普通に看護師さんと患者がうんこ、尿、ガスの話をする。多分女性とウンコの話を普通にする機会はこういう場所しかない。長さ、硬さ、回数。なかなのプレイだった。
私の不注意は風邪気味だけではなく、前日に体力を付けないと、と「肉を大量に食った。」普段もそうなのだが、肉食うとほぼ便秘に成る。結果、術後便が出ずに腹にガスがたまり、パンパンに膨れた。普段なら問題ないが、痛くて力めない。これも最悪だった。
病院で、老人は70歳からの認識で、49歳(私)は、まだ若いからと何度も言われる。同室に大腸癌の手術を受けた方がいた。半年入院してる。70超えてからの半年を、ナニもない病院で過ごす。色々考える。
テレビ20時間で1000円は高い。多分、病院とかホテルって一台ずつ受信料を徴収されるから、しょうがないのかもしれないが、長期入院はワンセグ付きのdvd買った方が安い。
早期退院をした。病院のご飯を食べてると、本当に早く退院したいと思う。ネットは繋がってないし、イビキ凄い人いるし。志ん朝の落語大量にipodに入ってたから、本当に助かった。
全身麻酔後に、臍の下の毛は当然剃られてたが、右足の太ももの所に15x20cmの剃り跡がある。何か貼り付けたんだろうけど、イタズラだったら面白い。右手首の表に点滴の針を刺し、強力接着のシールで固定してるのだが、毛深い人は、剥がす時、かなりの罰ゲーム。
高額療養費制度」ってのがあるんだけど、これ「月締め」で、1月間の限度額制度。10月31日から入院したから、その日の発生した8700円は別会計。最初に知っとくべきだった。
後は、傷口が腫れたり化膿することがなければいい。
とりあえず、他は健康。
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去年マリエンバードで」観る、ファウスト」読む、キャラだけがある世界、他
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去年マリエンバードで:
ネットで色々調べるが、
これほど、あらすじ内容が違うのも珍しい。
ホントに、皆、同じ映画観てますか!?
しかしこれが、こそが私の理想。
観た人の観たいモノに成る。
>
天井の装飾、どこまでもフラクタルに続く。
鏡に映る装飾、絵に描かれた庭、扉のレリーフになってる庭の形、そして庭、
トランプの柄、ゲームに使う棒と、リンクしてゆく。
演劇の背景の庭、絵の庭、庭(映画の中の)、~を観てる人の連鎖が私にたどり着く。
演劇が始まっている。
演劇の中で、男が女をどこかへ連れて行こうとしている。
ここでいきなりラストに飛んでみる。
ロビーで、男と妻らしき女が、同じ様なシーンで幕を閉じようとしている。
この時のナレーションと、最初の演劇のナレーションの内容が重なる。
夫らしき男は、演劇を観ている。
最後まで観ると、2人追う事が出来ないとナレーション。
そして、夫らしき男は、2人の背中を。
始まりに戻る。
演劇を、夫らしき男は観ている、が、講演後は映ってない、
だが、妻らしき女がそこにいる。
物語はそうして始まる。
無数にある平行世界と世界をつなぐ「キー」の多重のレイヤー。
夫らしき男」がゲームを二種類する。
1、3、5、7と棒を置き、抜いていく。
もう一つは、ポーカー。
見えているのは、自分の手持ちカードだけ。
夫らしき男」はどちらも必ず勝つ。
権力、支配力。
夫らしき男」は、父親や愛人かもしれない。
全ては、いずれ、立像や庭園の様に動かない過去に成る。」と、ナレーション。
中盤、男と妻らしき女は、男女の立像彫刻を観ながら、その状況を言いあう。
その後、夫らしき男が「実は、この男女は、、、」と真実を言う。
だが、それが事実だと言う証拠はない。
過去の(死んだ)モノの真実は無い。
観た人の観たいモノに成る。
この映画は、過去に成らないためにループし、物語を生産し続ける。
死なない映画。
あれ?、どっちにしろ、
観た人の観たいモノに成る。
ポーカーのプレイヤーと同じ。
>
今の私の感想:
あのループ空間の屋敷こそ「生」であり、
そこから女をつれて行こうとする男が「死(神)」である。
ロマンチックな見方をすると、死神が恋をした話。
>
この映画は、ずっと(20年以上)観たかったが、観る機会が無かった。
レンタルも無いし、中古も異常に高いし。
ところが、最近ブルーレイで発売され(て)た!
はい、Amazon。
一番好きなのは、羅生門だけど、気分によってマリエンバード。
ブルーレイ裏表紙に「羅生門」をモチーフにしたと書いてある。
この世界から抜け出せるのは死ぬときだけ。
そんな映画。
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ファウスト(第一部)(第二部):
ファウストの最後、「時よ止まれ、お前は本当に美しい」って、死にたくない」ってコトか。
>
(第一部)ファウストは悪魔と契約、
「時よ止まれ、お前は本当に美しい」と言ったら地獄に行くことに。
これは、「人生に満足した」らってコト。
(第二部)ついに、言ってしまう。
メフィストによって、魂が地獄に行こうとする、
その時、天使に救われる。
だが、だが、
ファウストは厳密には言ってない。
「(将来)○○に成ったら、こう呼ぼう」って話で、実際はそう成ってない。
死んだ魂の近くにメフィスト(悪魔)が居たから、
そういう流れに成ってるが、完全に自然死。
ただ、「そうだけど、言った事は、言ったよね!」って言われれば、言った。
今なら、裁判だ!
未来は、こう成ってほしい、そして、もし、そう成ったら、満足するだろう、、って話だから、
「まだ、死にたくない!」に、成る。
この場面、ファウストは目が見えなく成ってて、作業の音だけが聞こえる。
この事業をやり遂げるためなら「何してもかまわん!」みたいな事言ってる。
最後まで「やなヤツ」なんだけど、これ本当は悪魔が「墓穴」掘ってる音。
巧すぎる。
ゲーテは死ぬ時「もっと光を!」って言ったぐらいだから。
ホントは「格子戸を開けて」と続くらしいが、意味的に変らない。
メフィスト(悪魔)は言う、
死ぬまで、求めつづけた、追いつづけた、結局最後まで、何も握る事は出来なかった。
しかし、天使はココ(常に努力しつづけたコト)を評価し、魂の救済をする。
これ、好き。
作品性より、作家性を重要視する、日本人に受け入れやすい。
私は、行為(絵を描く)をしつづける事をアートだと考えている。
生き仏(座禅をしつづける)も、そうかな。
危険なのは、何でもアートに成る、日常でさえも。
ちなみに、私が読んだファウストは池内紀(訳)。
これも、去年マリエンバードで」と同じく、読んだ翻訳(本)によって解釈がバラバラのようだ。
例えば、「、、時よ、とどまれ、おまえはじつに美しい、、」池内紀(訳)の「お前」とは何か!?の感じ方とか、
文そのものの意味もそう。
Werde ich zum Augenblicke sagen: Verweile doch, du bist so schoen!
To that moment [that is, when he sees free men on free soil] I might say ― Stay, thou art so beautiful!
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追記:
手塚治虫は「ファウスト」を21歳で描いてる。
ファウストの1部と2部をまとめてる!これは天才だって素直に思う。
「百物語」42歳、
ファウストが完全に日本の風土に置き換えられてる。凄すぎる。
さらに、メフィストが女性で、最終的に相思相愛に。
魂の救い方に、(恋)愛が関係して来る。
この本の解説で、ファウストがドイツ語の普通名詞だと「げんこつ」だと知る。
手塚治虫の20代と40代のコマ割りの変り方とか、マンガの歴史。
ネオ・ファウスト(未完、絶筆)、
「百物語」と同じでメフィストが女性。
1970年代の日本、内容は、原作の第一部がほぼ終了。で、
ここまで、取り上げなかった「ホムンクルス」を取り上げている。
これ、ホントに続き読みたい、、原作だって2部から面白く成る、、残念。
原作でも、唐突にでてくるからな「フラスコに入ったホムンクルス」。
人造人間の最初の記述(という記事を観たけど、探せなかった)。
なぜこの話を、ぶち込んで来たんだろう。
進化と文化。
「世界一美しい人へ」と描かれた黄金のリンゴは誰の手に、、、というギリシャ神話があるが、
パリスが「美女(アプロディーテ)、権力(ヘラ)、勝利(アテナ)」の中から美女を選び、
トロイヤ(トロイの木馬事件)戦争に成る。
この話が、ファウスト(全体的)に反映されている、第二部はヘレナ(美女)探しに行くし。
「百物語」、「ネオ・ファウスト」は、ファウストの満足(欲望)を三つの願いに変更している。
巧い!。
ちなみに、ゲーテが最後に恋(17歳の女性)をした場所はマリエンバードである。
201609現在
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45歳を超えた辺りから、間違いなく別のステージに強制移動する。
死」の捉え方の問題と、その美意識。
キリスト教圏は魂の救済だから、なんか微妙にズレがあるか、魂は不滅。
ゆえに肉体の復活(最後の審判)で再生(天国)か。
日本だと輪廻に戻る感じ。
知人観てると、自分中心の思考だったのに、
子供(家族)が中心に成ったために、作風の変化が余儀無く。
とかもある。
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ただ、キャラだけがある世界:
20年前(2000年頃)、マンガとアニメはアートでは無かったが。
私たちの世代は、マンガこそ芸術だ!と考え始めていた。
だからこそ、アートの素材やネタとして、取り込む事が出来た。
今や、美術館でマンガとアニメは認知され、クールジャパンの先頭に立つ。
美術館で展示されたモノがアートに成るなら、マンガとアニメはアートだ。
マンガとアニメが展示される。
何を観に行ってるのか。
マンガとアニメの中での巧さ、表現力の伝承と進化。
ストーリーや世界観の伝承と進化。
一枚の絵としてみた時、それは、全て断片だ。
主人公の絵がある。
それだけでは、成り立たない、ストーリーや世界観がある。
当然、それは知っていなければ成らない。
日本人は知っている。
海外の人は、勉強しなくてはいけない。
これは、日本にとっての現代アートと同じ。
キャラが自立特化し、ストーリーや世界観のないキャラも生まれる。
ただ、キャラだけがある。
絵(キャラ)の巧さ(キレイ、カワイイ、カッコイイ)は純度を増して行くが、
画面密度が薄く成り、美しさ」の喪失(出版物(量産)の可能性もあるか、浮世絵あるし)。
キャラが無くならないだけで、美術の流れとと同じだ。
この後、風景や人物を視点の変化、解像度の変化などで、色彩や構造に移るなら、
西洋美術と違う流れで、同じ場所に行くのか。
鑑賞者の中に、キャラに特化した絵に満足できない(飽きる)人が出て来る。
一枚絵の意味が再発見される。
切り取って、どう自立させるか。
それでも、キャラを保ち続けるか、、、、。
>
マンガとアニメ」と真逆の絵が補色関係として必要に成って来る。
マンガ家が、アートをディスればディスるほど強く成る(20年前までは立場逆)。
そこにしか、(絵に関して、だけど)日本にアートの必要性を感じない。
年を重ねると、(流行の)マンガやアニメでは、昇華できない「何か」が溜まって来る。
その層が、流れてくる可能性はある。
目も悪く成るし、集中力も無く成るし、、、。
手の中で鑑賞できるモノ、、、分かるなぁ。
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梅ラボ観に行った。
自分の立ち位置の不在。モニターで見る作品、モニターに映るツイッターに切り取られた作品画像。梅ラボの作品と自分とのちょうどいい距離。もの凄くやだけど、ジェネレーションギャップがあるかもしれない。私の上の世代にある「鉄」の様な。梅ラボ(達)は、境界(現実とデジタル)が曖昧。私は、距離は近いが別物。マトリックスの世界観は理解できる。が、何かそれ以上(以外)の繋がり方をしてる。幻覚を観た。風景がピクセル単位で崩れ、風に流された。たぶん、あの展示の影響だ。その時、風景を「一枚の写真(画像)」の様にとらえた気がした。甲殻機動隊(ネットにダイブ)や電脳コイル(ポケモンGO)的でもない。なんだ!?風景の捉え方の変化か?やばいな、チャンネル空けられたかな?そう言えば、キュンチョメさんも風景を画像処理する作品作ってたな。風景、モニターの風景、そこに電脳コイル(ポケモンGO)。普通に風景観てても+2レイヤー。妖怪(幽霊)足したら+3レイヤー。40歳で普通に風景観れた時、感動しすぎて、そこで完結させてしまった。レイヤー足せたのか!これは、面白い。
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君の名は」観る:
普通に面白かった。女子好きだろうな、「運命」大好きだもんな女子。コレ観て、はっきり思ったのは、アニメ(とマンガ)鑑賞が限界に来ている。年を重ねすぎた。日本人が作るジジ専アニメ観たい。手塚治虫って凄いな。パプリカとか、マインドゲームとかあるのか。
ああ、そう言う作品作れば良いのか高齢化社会。
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去年マリエンバードで(短):
どこまでもフラクタルに続く、天井の装飾。
鏡に映る装飾、絵に描かれた庭、扉のレリーフになってる庭の形、そして庭、
トランプの柄、ゲームに使う棒と、リンクしてゆく。
演劇の背景の庭、絵の庭、庭(映画の中の)、~を観てる人の連鎖が私にたどり着く。
全ては、いずれ、立像や庭園の様に動かない過去に成る。」と、ナレーション。
中盤、男と妻らしき女は、男女の立像彫刻を観ながら、その状況を言いあう。
その後、夫らしき男が「実は、この男女は、、、」と真実(嘘かもしれない)を言う。
過去の(動かない)モノの真実は無い。
観た人の観たいモノに成る。
映画が、過去に成らないためにループし、物語を生産し続ける。
観た人の観たいモノに成る。
無数にある平行世界と世界をつなぐ「キー」の多重のレイヤー。
この世界から抜け出せるキーとは何か。
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これらが、今から、これからの行為の基盤になる。
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線について」と、顔ばかり描くのは繋がっている:
手のひらを合わせると線が生まれる。
離せば消える。
この線を約束と考えた。
くっついている。
離れたくない。
ぬくもり。
寂しさ(愛という信仰を強化)という機能が生み出した技術。
「空集の音の間に線は生まれ約束に成る」に、いたる。
のちに、
「約束は景に入り太極を持って風を待つ」の、
文章が加わり、新たな感性、考え方を得る。
その結果、
手のひらを合わせると線が生まれる。
離せば消える」のではなく、広がっている。」と考えるようになる。
すると、
人は線に包まれている、コトに成る。
個がキワマリ、他者性が生まれた。
宇宙と星の関係。
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顔には、目、耳、鼻、口」の7つの穴がある。
顔の中にある空間(モノ)。
五感で外部空間と繋がる空間(モノ)。
かろうじてある、輪郭(肉体や個性)。
星座の様なの関係性。
無限にある視点と繋がり。
ドローイングもペインティングも
線が持っている約束で、広がり繋がっている。
>
空集の音の間に線は生まれ約束に成る
約束は景に入り太極を持って風を待つ
これは心の仕事なり
>
うちはうち
そとはそと
のんじゃった
http://arimasunmoon.tumblr.com/post/861194080
彫刻バージョン:http://arimasculpture.tumblr.com/post/859469462
+
でもこれは、うつくしさや、アートとは関係ない。
あくまでも、私個人のテーマでしかない。
生きて行くための。
>
うのなとなのまにまに
せもしもしらずいのまふるふる
http://arimanewspaper.tumblr.com/post/869371980
>
これに「何か」が必要。
でなければ、作品に成らない。
+
今年(2016)の春に、キャンバスのスタイルが確立し始める。
キャンバス制作5年目。
決め打ち」の発動条件がそろった。
伝えたいコト、画風(制作スタイル)が明確に成り、恋人つなぎに成った。
後は、「つも」と「場の流れ」しだい。
そんなわけで、ここに記す。
わら半紙のドローイングを、最近また描きだしたが、
こっちは、もう、趣味でいい。
+
ちなみに、
画面の上下を空けてあるのは、一本の線が全てをつなげているイメージ。
もしくは、大きな何かに包まれている。
+
今年の1月、美術手帳(古本)の2001年12月号を200円で買った。
その中の村上さんと奈良さんの対談があり、その中で、
奈良さんの作品はアートじゃない」って言ってる。
え!?マジ!?
あれが、違ったら、俺もうムリっす。
そう言えば、私の個展の時の文章に「独自の解釈により、、」て紹介されてたな。
海外の紹介の何かも、そんな感じだった。
もう、覚悟決めよう。
俺にアートは分からん。
ただ、理解しようと努力しよう。
日本人も、日本(文化)好きな人は嫌いにならない。
+
キレイ:バランス。整理整頓。
魅力的:ずらし、くずし。それらが元に戻ろうと欲望をかき立てる。
美しい:調和。それの中にある時、「ぼー」(忘我)としてしまう。我に返った時、それを起こしたモノを「美しい」と思う。
主観:キレイ<魅力的<美しい
+
木を観る、森を見る、輪廻。
部分と全体のループ。
+
平行宇宙に住んでいる。
でも、皆遭難です。
だから、約束が必要。
+
0 notes
Text
+
写楽の線(2):
写楽の線はどういう線なのか、
写楽の線ほど、凄いモノは無いのだが、
一本一本で観た時は、何か足りない。
それゆえ、ゲシュタルトの影響で近くにある線(や色)を引っぱりこむ。
すると当然その空間は歪み運動を続ける。
その運動の連鎖が画面全体に広がり、
私には、写楽のポートレートが立体に見える。
顔の輪郭は黒では無く灰色。
黒は、目、眉、髪で、上部が重く成るから、服の柄で黒を使い、散らす。
鼻が凄い、顔は下から見上げてるのに、鼻は上から。とか、
その鼻筋のラインはどこを描いたの?とか、
この仕様は、鼻のラインだけではない。
もう、究極なんだけど、
描いてないのに、線が見える、とかかな。
まあ、ゲシュタルトだけど。
大きな壁に、小さな作品一点でも、間が持つのを、
情報重力が大きいと考える。
多くの作品を展示する場合は互いの情報重力バランスを考える。
全ての情報には重力がある。
そして、それは立体的に広がり、
線にも色にもある。
なぜ、この話が出て来るかと言えば、
写楽の絵を観ていた時、
情報にも重力があると感じ、
なぜ立体に見えるのか分かった気がしたから。
>
その辺の事を考えながら描いたのが、2010に描いた下記のシリーズ。
今はそれを、ペインティングに応用している。
http://arimakaoru.tumblr.com/post/879929301
http://arimakaoru.tumblr.com/post/983007871
http://arimakaoru.tumblr.com/post/941921575
>
このシリーズは2010に、ZENSHIにて個展をした時に、大量に展示。
個展なのに、多く友人の作品がある。と言う、関係性がらみの展示。
ゲスト: http://kaoruarima.blog.so-net.ne.jp/archive/c2301262222-1
展覧会中の記録: http://kaoruarima.blog.so-net.ne.jp/
ARTiT:http://www.art-it.asia/u/admin_expht/dnkXbvhNIx57BHj2wVu1
+
0 notes
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制作に関するメモ
+ 制作に関するメモ: 以前は、かなり使っていた色を、今はあまり使ってない。とか、白や黒も、結局オリジナル作ってる。とか、筆も、久しぶりに買ったけど、ハサミで調整。こうやって、個性(縛り)が生まれる。 +ここ数ヶ月(へたしたら、半年くらい)、まったく絵が完成しない。根本に、帰ろう。 1)アート、芸術は、癒しである。 宗教(死や、罪の恐怖)から始まり、金持ちの罪悪感、自意識。貴族の所蔵品が解放され、美術館が生まれたが、今も仕組みは変らない。金持ちが買い、美術館で観せる。大衆は、それに憧れる。それぞれに、癒しを求める。 日本は、それを嫌う傾向にある。日本は、趣味の深度。癒しである事に変りはない。 マンガのシステムが日本に適している。なので、せめて本屋の棚に画集。 2)楽しいから描く。 良くも悪くも、アートや芸術云々よりも、絵が好き。絵を描く事が好き。 問題は、良い絵と、良い作品は違う。良い絵は、気持ちを入れ、丁寧に時間をかければできる。作品には、ルールがある。 ルールに、縛られるのは、悪い事ではない、解放した時の開放感。自由にもルールがある。ルールがあるから、自由が成り立つ。自然ではない。 自分のために、楽しんで描くコト。どんなに、ルールに縛られようと、コレが無ければ、続かない。 かといって、好き勝手に、絵を描いてると、何が言いたいのか分からない。鑑賞者は、癒しを求めている。納得したい。自分だけ納得してる人を見ると、イライラする。 + あの(サラッとした)感じの作品を、また観たい」ってよく言われるので、最近は寄せて描いていた。が、上手くいかない。 加筆、失敗したら、黒で塗るの繰り返し。どんどん、下地の流れに影響され、ドツボ。新品(一枚だけ)で描き始めたのは、上手くいったから、加筆が良く無いって、ことだろう。別の流れに、乗りそうに成るのを、こらえて描く。 終わりが見えない。いっそ、流れに逆らわず、自分からそっちに行ってみる。筆を細いのにする。上手くいった。 ここに、この色この線、この長さって描くのではなく、シャシャとフニャフニャと。反射と勢い。 久しぶりに、ドーパミン祭り。この三ヶ月、一枚も完成してなかったのに、一気に仕上げる。調子こいて、100号のキャンンバスの加筆に、とりかかる。 こういうの、後から観るのが怖い。 + 顔をササッと絵を描く人は多い。顔の立体感をドローイングの線表現で成り立たせる。次は、輪郭と陰影は(ファッション雑誌や、写真そのまま)残して、極彩色で、ババッとササッと。 実際、検索してみると、結構な数の人がいる。眉下、鼻下、上唇の下、顎下のジグザグ。鼻をいかに、立てるか。現実的な、立体感と陰影を利用。ここまでは、センスと、努力(やりたい事をする)で何とかなる。 こっから先が難しい。ずれ、抜き、絵画的な表現。ルールを知り、伝えたい何かが必要。 + 自己満足では無い、技術の組み合わせ、発見の面白さ。 + 画面の厚み(レイヤー)を出すために、以前は、「画面に直接」、切り込みを入れていたが、「描いては紙で拭き取り、絵の具のたらし、ナイフのスクラッチ、テクスチャー変化のためにドットを打つ」に変り、現在は、それらを、しなくても画面が作れる様に成った。 前の方が、手間をかけてる感じはある。 +
0 notes
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100号との戦い、と、警備の仕事で学んだ事は。
+
100号(1620x1300)との戦い:
100号(1620x1300)三枚作っただけで、
体中が痛い。
部屋が狭いから、キャンバス回転させるのも大変。
下地塗るだけで、2000円(一枚)ぐらいかかるのか、、、。
ふう、、。
後は、何を描くか、、。
まだ、決まって無い(3週間前、まだ余裕)。
絵の具買いに行かないとな、、。
下地で、結構使ってしまった。
一枚は、成功したいな。
今から、買いに行けばいいのか、、。
そんな元気ないなぁ。
下地塗ってたら、ベストキッド思い出した。
しかし、あれだ、
ついに、立って、線を引っ張るのか、、。
さて、一息ついた。
絵の具買いに行ってこよう!
明日にしたら、一日、ムダになる。
>
失敗を恐れるな!と、
失敗はダメだ、時間と金を、どれだけ使ってると、思っている!
が、交互にやって来て、心を乱す。
やはり、最初の一筆に、ビビりまくっている。と、
言ってても、しょうがない。と、
一日すぎてしまった。
>
やっぱり、全然違うじゃないか!
人物の中心が、とれない。
やばい、三枚同時に、始めたもんだから、
全部に、同じ問題が!
最初の、一筆から、止められず、こんな結果に。
まあ、いいや、どうせ、作品にして行く過程で、
なんとかなるだろう。
>
絵の具の減り方が、尋常じゃない。
一層目で、これか!
明日、絵の具買いに行かないと。
>
一枚、たらし」を使ったら、部屋が狭すぎて、
もう何もできん。
何とかして、
もう一枚作業できる様に、しないと、、、。
とはいえ、
すでに、片付けられるモノは、片付けた。
>
完全に描き方の手順間違えた。
せめて、自分の前の作品観るべきだった。
よく考えたら、1年ぶり。
いきなり、描いた事も無い100号三枚だった。
画面の大きさに、押しつぶされそうだ。
泣き言ってても、しょうがない。
で、
俺は、何を怖がってるんだ!?
>
木枠、キャンバス張り、下地。三層。x3で、一週間か。
>
100号は迷宮。
どうやって、脱出しよう。
>
なんとかなった。
何とかした。
2枚。
タイトルを決めた。
Vampire (man) と、Vampire (woman) 。
過去の作品に、下記の様なシリーズがある。
ART DRACULA/1997
自己治療全開。
とは言え、その二枚もまだ、完成したわけではない。
一週間放置して、観なくては。
>
今回は、緊張と、プレッシャーで、
新しい事に、挑戦できなかったな。
スプレーとかも、買ったんだけど、使わなかった。
勢いだけで、描いてしまったから、
一つ一つのレイヤーに、一手間が無い所がある。
もう一枚ある。
楽しもう。
でも、それ、完全に下書き失敗してて、
観たくも無い、、、。
よりにもよって、
なんで、全部を正面で描いてしまったのか、、、。
>
緊張と、プレッシャーで、全然寝れない。
警備の仕事してる時は、速攻で寝れたのにな。
風邪かな?
>
Vampire (man) と、Vampire (woman) 。の詰めをした。
womanの方は、大丈夫。
manの方が、まずい展開。
3時間も、消しては、描いての繰り返し。
そろそろ、取り返しがつかないゾーンに突入する。
泣きが入り始めた。
心が折れそう。
最悪でも、Vampire (woman)は、あるから、いいけど、、。
萎える。
ブロンズ、明日届くって、メール来てたな、、。
>
manの方に、服を着せた。
黒で画面を押さえる、という姑息。
しかし、この子を導くには、この方法しか、、、。
モノに、当たりそうになるのをこらえ、
なんとか、なんとか、なりそうか、、、。
これ、自己暗示だと、まずいんだよなぁ。
あと、10日。
>
自己暗示かもしれないので、三枚目の制作。
下書きが、もう、すでに、ダメ。
どうにも成らないので、全部、黒く塗れ。
と、塗ってたら、筆を止める何かが!
奇妙な絵ができた。
これは、、ありか、なしか、、。
>
三枚できたけど、
全部展示は、やり過ぎだ。
Vampire (man)を削るか。
搬入一週間前。
三枚目のタイトルどうしよう。
つや消し塗らないと、ダメだなこれは。
最悪一枚あるけど、あれだけだと、寂しいなあ。
>
Vampire (man)、
70%はできてたので、出品しようと思えばできたけど、
ここからの詰めが重要で、ここで止めたら、国内レベル。
こっからは、綱渡り。
>
綱渡り失敗。
完全に復旧不可能。
全部真っ黒にする。
チューブ一本使った、信じられん。
キャンバスの張り替え考えたけど、一枚3000円、、、。
黒く塗った絵の具の下に、いったい、いくらの絵の具が使われてるのか。
時間も、50時間ぐらいか、、、、。
はぁ、もっとちゃんと考えて絵を描こう。
心が折れそう。
イライラしだした。
あぁ、泣きたい。
散歩がてら、DVD借りて来よう。
>
インターステラー観る。
凄かった、マイベスト5に食い込んだ。
火の鳥」と、ほしのこえ」足した感じ。
やる気復活。
改めて感じる、アート・バンパイア。
>
ここにきて、やっと、100号のコツをつかみ始めた。
やはり、描かないと、ダメだな。
表現の入出力を、完全に忘れていた。
搬入まで、あと、5日。
>
+
+
警備の仕事で学んだ事は:
判断が、早ければ、間違っていても良い。
皆、一生懸命頑張っている(のは分かっている)ので、
その時は、怒っても、後を引かない。
現場は、そんな感じで、回っている。
上の人間は、驚くほど、判断が早い。
どこでも、同じか、すぐ電話するし。
同じ時間に、4tトラック4台入って来る。
2台で、ギリギリの場所。
それが、もうすぐ終わります、そしたら、あれを移動して、
あれの前に、これを入れます。その後に、この車を入れますので、
どこか、ぐるっと回って来てください。
もう、何がなんだか、
その間、右も左も渋滞。
後で、ドライバーさんが来て、
あの状況で、落ち着いてたのは凄いよ。
良い警備員に成ったね。って言われた。
もの凄く、微妙な気持ちに成った。
>
警備の仕事で学んだ事は、
目的(目標)があれば、優先順位が生まれ、
迷い無く判断できる。と、いうことだ。
迷いや、罪悪感がある時は、目標がぶれている。
これは、作品を制作する上でも重要だ。
そんなわけで、
ブレたキャンバス作品(1年前に制作)を木枠から外しては廃棄している。
最終的に21枚中10枚廃棄8枚加筆。
加筆中3枚廃棄。
この感じで行けば、
大きいキャンバス失敗しても、大丈夫なくらいの作品あるな。
明日、100号の木枠届く。
+
作品を観て、何か足りない、と思ったら、3手足りない。
+
0 notes
Text
警備からの卒業(3/14)、なぜならば、、、、など、
+
警備からの卒業(3/14)、なぜならば、、、、
4/19から、個展が始まるからだ。
10月だったのが、急に早まった。
作品は、あったので問題ない。
警備員に成る前に、描き溜めた。
半分は、これでいく。
半分は、辞めてから制作。
もう、1年以上も、作品を完成させてない。
二つの事を、同時にできる人ではないので、こう成ってしまった。
10ヶ月くらい、鉛筆も握ってない。
さあ、この経験が、どうでるか、、、。
で、まず、彫刻の原型作って、その間に、
木枠とキャンバス頼んで、、、。
今できる事は、
作品に成りそうなモノは、保留。
他は、はがして廃棄。
制作から、1年経過してるから、
ためらう事無く、選択できる。
+
14階建てのエレベーターを完成させるのに、一ヶ月かかるらしい!
初日、4tトラック三台来た、全部が工具。
エレベーター屋さんは、数が異常に少ないらしい。
なので、現場で完成が遅れる場合、だいたい、エレベーター待ちらしい。
+
もうすぐ、この仕事も、1年に成るのか、、、。
3/12から、警備の仕事してるからな。
+
警備で吹雪体験、もう、思い残す事は無い。
想像を超えた、苦痛だった。
午後に、雨に変ったのだが、まるで、春に成ったろうな、
気持ちに成った。
そして、この日は、生コン。
3台目で、中止。
コンクリは、凍るとNGみたい。
+
雪を体験してしまうと、雨なんて、余裕だ。
+
神様、
冬に、三日連続で雨振らすの止めてください。
もちろん、風邪ひいた。
+
警備の研修で、
作業の手伝いを絶対しないでください。
何かあっても、保険が出ません、自己責任、自己負担です。
と、繰り返して言ってた。
+
18メートルのゲート。
風で、ゲートが倒れるたびに、補強していく。
今現在、一人でゲート閉めると、40分かかる。
突風が吹いたら、終わり。
事故が無いのは、運がいいだけ。
ゲートは以外に重く、倒れたら、一人で復旧は無理。
道路に、吹っ飛ばされた事もある。
本当に、現場は、いつ事故が起こってもおかしく無い。
不意に、やって来る。
運が悪ければ、気づく前に死んでる。
工事現場の、ゲート(入口)は、注意しよう。
できれば、避けよう。
+
なんで、二回しか、使ってない靴下に穴があくんだよ!
靴は一ヶ月。
+
現場に泥棒が入った(始めてではない)。
一回目は、近所の三現場、軒並み、やられたらしい。
作業員のひと曰く、泥棒の入らない現場は無い。
ということは、
現場の近くに、住んでる人は、施錠をしっかりした方が良い。
何しろ、現場には、必ず泥棒が、来るのだから。
+
鑑定士と顔のない依頼人を観た。
美術品とか、聞こえは、カッコいいけど、
完全に童貞を、こじらせた、二次元オタク老人の話だ。
面白かった。3回観た。
ネタバレあり。
なるべく確信に触れない様には、したつもり。
ではあるが、、、、、、、。
>
>
>
>
>
>
最後の展開で、ポカーン。
ネットで、チェックしたら、「あれは、無い!」
主人公への、仕打ちが、ひどすぎる。
早速、二回目を観る。
よくよく考えたら、主人公も、似た様な事してた。
劇中に呪文の様に繰り返されるセリフ、
贋作の中にも真実がある。」だったかな?
この言葉が、最後の希望。
原題が、
THE BEST OFFER
OFFERの意味には、
申し出る、提供する、身を捧げる、提示する、売り出す、求婚
印象に残るのは、誕生日のケーキ。
オートマタの存在。
ネットで、調べても、その、記述が出てこない。
最後の展開が衝撃的すぎて、こっちまで、気が回らないのだろう。
>
最後のシーン(衝撃の展開の後)、
主人公(彼)が、ゼンマイが大量に稼働しているカフェに、一人で入る。
彼は、手袋をしていない。
一人ですか?」と、聞かれ、
少し間を置いて、連れが来ます。」と、言う。
聞かれるまで、どうして、ここに来たのか、分かってないようだった。
映像が、下がって行く。
彼は、小さく成って、実際のゼンマイと、大勢の人々にまぎれる。
まさに、部品の一部に成った様に。
主人公の上にある、時計は止まっている。
彼の前の席は、今、空席だが、そこに、待ち人が来たとき、
物語が語りだす(のだろう)。
この辺が、オートマタと関係してるのは、間違いない。
そして、それは、鑑定士として、嘘の中の真実を確かめるため。
伏線から考えて、来そうではある。
ハッピーエンドを願う者として、、。
>
才能が無いと、言い続けた作家の作品だけを持って行く。
あれだけ、何の価値もない、と言っていた、作品なのに、
とても大切な作品に成っていく。
その作品だけに成る時、まあ、映画では、ああいう風だけど、
ああ言う時、頻繁にあるよ。作品より、愛する人を選ぶよ的な事を、言ってたら、
妻が、それは、作品への冒涜だ!とか、言い出して、
おまえは、その選択を、頻繁に俺に問うのに、どういう事だ!って喧嘩に成った。
まあ、気持ちは、分かります。
+
最近、ゾンビ映画を観すぎて、
寝汗が凄い。
今日はこんな夢だった。
ラーメンを食べようと、野外の自販機で、
食券を買おうとしたら、手に持っていた、
袋一杯の小銭をまき散らし、
雨の中、皆に、小銭を拾ってもらう、という、
とんでもなく恥ずかしい状況の中、
目覚めた。
汗びっしょりだった。
+
ナルトが、今週号のジャンプで終了した。
今週号は、2話(699、700話)ある。
いつまで、続けるか分からないが、
ジャンプをネットで購入(ダウンロード)している。
900円/月。こっちだと、ナルトのカラー版があって、
アメコミの色と比較できる。
>
で、本題。
696話で、分身をしたナルトにサスケがこう言った。
「それは孤独を紛らわせるための術だ」
凄い。
これそのまま、作者に跳ね返る。
何しろ、主人公の必殺技だから。
作者が、それに、いつ気づいたのか分からないが、
それが、分かった時、この物語が、幸せな終わりを迎えることは、
決まったんだと思う。
なぜなら、作者は、とんでもなく成功したからね。
20141110
+
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Text
警備員の仕事と、パン食って感動した話などなど、
+
巡回警備成るものが、始まった。
建設中のマンションの11Fから2Fをくまなくチェック。
40分かかる。
11Fは、コンクリート流して、数日しか経ってない。
解体屋さんも、まだ、入ってない。
2Fは完成している、ので、階を下がるにつれ、
部屋が出来上がって行く。
リアルパラパラマンガ。
>
次の休みは1/11。で。
18は研修なので、来月は2日しか休みない。
萎える。
これだけ、働いても、
この間、マイアミで売れた作品(一枚)の手取りより少ない。
色々考える。
来年の10月の個展。
マジで、頑張らないとな。
+
上の階に行くほど、コンクリートの量が減るんだな。
ナマコン車の数が少なくなって来た、3台とかだけど。
7台で、1時間違う。
前回、生コン47台。
+
あああ、無性に鉛筆で絵が描きたい。
思えば、半年、一枚も描いてない。
鉛筆も握ってない。
しばらく、このままにして、圧縮させよう。
+
現在、作業員の方が、常時30人くらいいる。
大工、鉄筋、設備、内装(ここに、10社くらい)、外装、
解体屋、荷揚げ屋(こんな仕事あるんだ)。
+
ガス管の工事を目の前でやってた。
警備員が、作業していた。
トラックの運転も、、!?。
ありなのか?
前にも書いたが、作業員の日給は、警備員の2、3倍。
経費削減にはもってこいだが、
何か起こった時の責任は、たぶん自己責任だろう。
後で、聞いたことだが、
ガス、水道の専属警備員は、そう言うのが多いらしい。
逆に言えば、誘導ができないらしい。
思い出し観れば、
警備員の一人は、ボロボロの制服着てた。
で、その人は、ほとんど警備してなくて、
作業を手伝ってたな。
始めて警備した場所が、これだったら、
これが普通だと思うよな。
同じ警備員として、
本当に、つらかったけど、
それで、早く帰れるなら、まあ、いいか、とか、
思ってるんだろうな。
たしかに、私も作業員に、「暇だろ、アレやっといて!」とか、
気軽に言われるけど、現場内の作業は警備員は、原則してはいけない。
し、そもそも、日給が違う!
暇なのは、暇なりの給料。
なので、最近は、「監督に言ってください、聞いてください」が、
口癖に成ってる。
>
そういえば、作業員さんたちが、
そばに来て、「暇でいいなぁ~、立ってるだけだもんな~」(結構言われる。)って、
言ってくるんだけど、
そうなんですよ、良いでしょう!」って言い返すと、
そう言われると、何も言えないって帰って行く。
ムカつくな、その返事!って笑って言われたこともある。
大抵の警備員は、立ってるだけじゃないんですよ~などなど、言うらしい。
そんなこと言ったら、面倒くさく成るのが、分かってるしね。
皆も、立ってる、だけじゃないのは、分かってる。
ちょっかい出してるだけ。
+
ほぼ毎日野外で警備の仕事してると、分かることがある。穏やかな日なんて、ほとんどない。暑い寒い雨風。何かある。雨風がしのげる場所最高。
+
前に、夏の警備はキツいよ!って聞いてたが、冬の方がキツいな。
前は、冬は、着ちゃえば、いいじゃん!夏は裸でも暑い。って思ってたけど、
それは、雨風をしのげる室内に居たからだ、と、今は思う。
まだ、12月か、、、。
まあ、夏もキツかったんだけど、
ペットボトルに水入れといて、1時間ごとに、水を背中に流し込んでた。
日陰を探しては、そこにいる。
現在、建物の階数が上がったので、
日照時間が2時半~3時半の1時間。
寒すぎる。
耳あて、すると、全然違う。ってことが分かった。
+
行列のできるパン屋のパンを、貰ったので食べた。
パンって、こんなに美味しいいんだ!って思った。
カレーパンと照り焼きパン。
大げさに言えば、
パンに、物語があった。
例えば、テリヤキパン、まず、素のパンが美味かった。
噛めば噛むほど、噛みたくなる。
次に、食べてたら、アクセント。
キザミキャベツのマヨネーズあえ(?)
この手間は、普通のパン屋のパンには無い。
無くても、十分美味い。
しかし、この手間こそ、飛躍的に、モノを美味くする。
素のパンもそう、。
一つ一つに、手間がかかっていて、さらに、
一つに成った時に、ちゃんと、バランスがとれてる。
食い物で、こんな気持ちに成ったのは、始めてだ。
年のせいか?
いや違う。
特別な何かは、五感を押し開くんだ。
鑑賞者の五感を開く鍵を、いや、
強制的に、解放させてしまう。
調べたら、仕事場からの帰り道に、
食べログで、3位のパン屋があったので、
よって、買って食った。
美味い。が、あのパンと比較すると、
詰めが、甘い。
手間が、もう一つかかってない。
アクセント?味の対比が無くて、単調。
なんか、絵画も、一緒なのかもなぁ。
勉強に成る。
わざわざ、遠くに食べに行く人の気が知れなかったけど、
こういう感動を、味わったら、関係ないな。
食い物で、感動したのは始めてかも知れない。
それも、200円前後で。
+
+
0 notes
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MOEBIUS の ARZACH と ARZAK: Ms.Marvel: マンガとアメコミの違い: など、
+
MOEBIUS の ARZACH と ARZAK:
Ms.Marvel:
マンガとアメコミの違い:
など、
+
MOEBIUS の ARZACH と ARZAK
ARZACHと、間違えて、ARZAKを購入。
Amazonで、3393円で購入したのだが、値段って結構、変るんだな。
ARZACHの赤い猿の絵が無いので、何だこれ!
https://ledinobleu.files.wordpress.com/2011/12/arzach_illus3.jpg
文字(ドイツ語)だらけじゃないか!
ほとんど、文字が無いって聞いてたのに!
やられた!と思ったが、こっちこは、こっちで、凄い世界観だ。
古代、未来、宇宙、大地、多様な文化が、違和感無く存在している。
ゾクゾクする。
http://www.bdgest.com/chronique-4249-BD-Arzak-L-Arpenteur.html
で、調べた。
別モノなのか!
>
wiki アルザック全文:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B6%E3%83%83%E3%82%AF
アルザック(Arzach)はフランスの漫画家メビウスことジャン・ジローにより執筆された、4話から構成されるセリフの無いバンド・デシネ(漫画)である。アルザックはフランスのSFおよびファンタジー漫画雑誌メタル・ユルランの第2号(1975年月)から第5号(1976年1月)において連載された。この漫画では、翼竜の様な生物に跨って荒廃した奇怪な土地を飛び回る寡黙な戦士アルザックの活躍が描かれる。アルザックを取り巻く光景や状況はしばしば夢や潜在意識を連想させる。この作品はフランスのコミック業界に多大な影響を与え、今もなおアルザックはメビウスが作り上げた中で最も有名なキャラクターとなっている。
1987年に、メビウスはThe Legend of Arzachと題した作品においてアルザックを再登場させた。この続編にはセリフが含まれており、『アルザック』とメビウスの別短編La Deviationとの関連を示す後付け設定が施されていた。
2000年代に新シリーズの『Arzak』三部作の執筆が始まり、2010年に第1巻を刊行したが、メビウスは2012年5月に逝去。未完となった。
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改めて、ARZACHを購入しようとしたら、
クレジットカード(持ってない)だったり、
1万円以上だったりして、購入を断念、無念。
で、改めて、何度も観てみたら、ありました!
コンビニ支払いok!
しかも、1957円で!!
到着まで3週間かかったけど、
待ちに待ったモノが届いた瞬間が味わえる。
これは、本当に良いモノだ!
イームズのイスに匹敵する。
エターナルコレクションNo.2認定。
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蛇足かもしれませんが、
始めて、メビウスを観た人は、ナウシカや、大友克洋に影響受け過ぎじゃないか!
と、思う人も、いるかもしれません、が、逆です。
また、メビウスは娘にナウシカと名付けた。
より詳しくメビウスを知りたい人は、下記のブログへ、行ってみて。
http://moebius.exblog.jp/
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新「ミズ・マーベル」は、なぜ変身できるイスラム教徒の女子高生なのか?:http://wired.jp/2014/01/20/ms-marvel-muslim-superheroine/
上記の記事を見て、気になったので、Marvelのアプリhttps://itunes.apple.com/jp/app/marvel-comics/id350027738?mt=8を、 ロードし、Ms.Marvelを購入していたが、ついに、一巻がでた。
http://marvel.com/comics/issue/49089/ms_marvel_2014_1
Amazonで購入。これをきっかけに、Amazon覚えたのが、ヤバいなこれ。
それはともかく、秋葉に行って、アメコミ屋さんに、行く様になって、 色々な、アメコミ観てみた結果、アメコミにはまった、と言うよりは、 この絵が、好きなんだ!と分かった。
後、Marvelのアプリの中に、無料のマンガ(おためし。ミズ・マーベルもある。) あるので、ぜひ。 なんというか、エンターテーメントしてます。
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驚いたのが、6、7話で、ART(絵)が変った!コトだ。
で、ウルヴァリンと、タッグ組んでるし。
8話では、元に戻った。
問題は、こういうコトが、どうして可能なのか。
なぜ、問題に成らないのか。
いったい何が、重要なのか。
と、いった問題は、自分なりに、考えた方がいいだろう、
きっと、絵画と絡んでいるに違いない。
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マンガとアメコミの違いとは? -MarvelのSVPに話を聞いた:
http://news.mynavi.jp/articles/2012/09/20/mvl/
マンガを読んでアメコミを読まない12の理由」:
http://d.hatena.ne.jp/ceena/20060624/1151162689
竹熊健太郎先生の「どうして漫画が日本でこれほど発展してしまったのか」:
http://togetter.com/li/433265
10/11 サタデーナイトラボ「アメコミ特集」:
http://www.tbsradio.jp/utamaru/2014/10/1011_2.html …
基礎から始めるアメコミ講座【2】インカー inker,レタラー letterer:
http://amecomidamashii.blogspot.jp/2013/05/2.html
「BD」とはフランス語で「マンガ」を意味する「Bande Dessinée(バンド・デシネ)」を略した言葉で「ベーデー」または「ベデ」と読むベデ:
http://books.shopro.co.jp/bdfile/2012/02/bd.html …
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警備の仕事と、感動のパン
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巡回警備成るものが、始まった。
建設中のマンションの11Fから2Fをくまなくチェック。
40分かかる。
11Fは、コンクリート流して、数日しか経ってない。
解体屋さんも、まだ、入ってない。
2Fは完成している、ので、階を下がるにつれ、
部屋が出来上がって行く。
リアルパラパラマンガ。
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次の休みは1/11。で。
18は研修なので、来月は2日しか休みない。
萎える。
これだけ、働いても、
この間、マイアミで売れた作品(一枚)の手取りより少ない。
色々考える。
来年の10月の個展。
マジで、頑張らないとな。
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上の階に行くほど、コンクリートの量が減るんだな。
ナマコン車の数が少なくなって来た、3台とかだけど。
7台で、1時間違う。
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あああ、無性に鉛筆で絵が描きたい。
思えば、半年、一枚も描いてない。
鉛筆も握ってない。
しばらく、このままにして、圧縮させよう。
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現在、作業員の方が、常時30人くらいいる。
大工、鉄筋、設備、内装(ここに、10社くらい)、外装、
解体屋、荷揚げや(こんな仕事あるんだ)。
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ガス管の工事を目の前でやってた。
警備員が、作業していた。
トラックの運転も、、!?。
ありなのか?
前にも書いたが、作業員の日給は、警備員の2、3倍。
経費削減にはもってこいだが、
何か起こった時の責任は、たぶん自己責任だろう。
後で、聞いたことだが、
ガス、水道の専属警備員は、そう言うのが多いらしい。
逆に言えば、誘導ができないらしい。
思い出し観れば、
警備員の一人は、ボロボロの制服着てた。
で、その人は、ほとんど警備してなくて、
作業を手伝ってたな。
始めて警備した場所が、これだったら、
これが普通だと思うよな。
同じ警備員として、
本当に、つらかったけど、
それで、早く帰れるなら、まあ、いいか、とか、
思ってるんだろうな。
たしかに、私も作業員に、「暇だろ、アレやっといて!」とか、
気軽に言われるけど、現場内の作業は警備員は、原則してはいけない。
し、そもそも、日給が違う!
暇なのは、暇なりの給料。
なので、最近は、「監督に言ってください、聞いてください」が、
口癖に成ってる。
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そういえば、作業員さんたちが、
そばに来て、「暇でいいなぁ~、立ってるだけだもんな~」(結構言われる。)って、
言ってくるんだけど、
そうなんですよ、良いでしょう!」って言い返すと、
そう言われると、何も言えないって帰って行く。
ムカつくな、その返事!って笑って言われたこともある。
大抵の警備員は、立ってるだけじゃないんですよ~などなど、言うらしい。
そんなこと言ったら、面倒くさく成るのが、分かってるしね。
立ってる、だけじゃないのは、分かってる。
おちょくってるだけ。
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ほぼ毎日野外で警備の仕事してると、分かることがある。穏やかな日なんて、ほとんどない。暑い寒い雨風。何かある。雨風がしのげる場所最高。
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前に、夏の警備はキツいよ!って聞いてたが、冬の方がキツいな。
前は、冬は、着ちゃえば、いいじゃん!夏は裸でも暑い。って思ってたけど、
それは、雨風をしのげる室内に居たからだ、と、今は思う。
まだ、12月か、、、。
まあ、夏もキツかったんだけど、
ペットボトルに水入れといて、1時間ごとに、水を背中に流し込んでた。
日陰を探しては、そこにいる。
現在、建物のの階数が上がったので、
日照時間が2時半~3時半の1時間。
寒すぎる。
耳あて、すると、全然違う。ってことが分かった。
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行列のできるパン屋のパンを、貰ったので食べた。
パンって、こんなに美味しいいんだ!って思った。
カレーパンと照り焼きパン。
大げさに言えば、
パンに、物語があった。
例えば、テリヤキパン、まず、素のパンが美味かった。
噛めば噛むほど、噛みたくなる。
次に、食べてたら、アクセント。
キザミキャベツのマヨネーズあえ(?)
この手間は、普通のパン屋のパンには無い。
無くても、十分美味い。
しかし、この手間こそ、飛躍的に、モノを美味くする。
素のパンもそう、。
一つ一つに、手間がかかっていて、さらに、
一つに成った時に、ちゃんと、バランスがとれてる。
食い物で、こんな気持ちに成ったのは、始めてだ。
年のせいか?
いや違う。
特別な何かは、五感を押し開くんだ。
鑑賞者の五感を開く鍵を、いや、
強制的に、解放させてしまう。
調べたら、仕事場からの帰り道に、
食べログで、3位のパン屋があったので、
よって、買って食った。
美味い。が、あのパンと比較すると、
詰めが、甘い。
手間が、もう一つかかってない。
アクセント?味の対比が無くて、単調。
なんか、絵画も、一緒なのかもなぁ。
勉強に成る。
わざわざ、遠くに食べに行く人の気が知れなかったけど、
こういう感動を、味わったら、関係ないな。
そう思わせる作品。
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