Tumgik
at-ht-2111 · 3 years
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雪多し
 この冬の雪は私の降雪記録を更新しそうである。12月は私が大館に移住してからの十年間で三番目に多い雪量を記録し、元旦から毎朝のように雪かきを迫る1月は月末まで7日を残して既に2.5㍍を越え、このままでは十年間の最多記録を塗り替えそうな勢いで、老いた身体にこたえる「年寄り泣かせの雪」の記録になりそうだ。来る朝もくる朝も何よりも優先する雪かきに一時間半ほど時間を割かれるが、持病の神経管狭窄症からくる腰痛に殆ど襲われず、筋肉痛も出ないことに我ながら驚いている。それは恐らく朝の起床前の体操と夕方の腰体操を欠かさず励行しているため、以前よりも腰回りの筋肉と腹筋が強化されたおかげだろうと考えている。
 この冬の多過ぎる雪はあまり気にならなかったことが気になる。隣家の屋根からの落雪が私が大切に手入れしている芝生の大半と菜園に巨大な雪山となり、何時になったら溶けるのか、雪解け水で芝生が苔だらけになるのではないか気になる。我が家の屋根の北側に設置された落雪防止金具で落下できず溶けずに残る大量の屋根雪と、滑落して雪の無い南側の屋根の甚だしいアンバランスに家の傾きが気になる。その雪の滴から生まれ二階の軒から地面に届きそうな太く長いつららは、タンクに灯油を入れる業者とガスボンベの交換業者に落下したらと気になる。車で通る道は交差点近くの空き地に捨てられた雪山が見通しを阻んで危なく、交通量があまり多くない雪道ではマンホールの位置がとても気になる。
 前方不注意を承知の上で雪面にマンホールの熱が作る丸い穴を探して運転する。雪が多いと除雪車がフル稼働しても脇道は後回しにされ、雪面からマンホールの蓋まで20㎝くらいの差があるのはザラで「これは凄い30㎝を超えていただろう」と思わせる穴もある。傾斜がついている穴なら遠目にも分かるが、ぽっかり空いた穴は「あっ、やばい」と思った瞬間にガタン、ガクンと車が跳ね上がるから、「マンホールの蓋が割れてタイヤが嵌まるかも」とか「車がダメージで立ち往生するかも」などの恐怖でハンドルを切って穴を跨いで避ける。十年経っても未だに慣れない雪道運転なのにこの冬の多雪が怖さを増幅する。除雪車が深夜の作業で道路に積もった雪を道脇に押し込めて道幅を狭め、2車線の道はせいぜい1車線半になるから絶えず対向車の有無に注意を払い、出会えば互いに道幅が比較的広い場所に車を寄せて道を譲り、譲られた側は片手を上げてお礼の意を表す。
 我が家の南面のブロック塀に沿って積み上げた雪壁は、ほぼ一時間半ほど妻と時に息子の応援を得た雪かきで壁際まで運んだ雪を、同じような時間を掛けて私が成型して作る。頂上に向けて跳ね上げた雪が積み上がった高さは優に2.5mを越え、塀の手前から押し付けていた雪は既に5mほど手前にせり出し、それが塀のほぼ半分15mほどの長さになった。その先は、隣家の屋根雪が滑り落ちて芝生と菜園を襲い、その屋根雪でガラス窓を塞がれた隣の住民は去年と同様に断りもなく、芝生にその屋根雪を放り上げて雪壁より高い雪山を作った。隣家とブロック塀の間は人ひとりがやっと通れるほどで、去年までの雪なら「仕方ない」と我慢したが、今年の雪山は看過できない。2022. 1.25
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at-ht-2111 · 3 years
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雪の壁
 暮れから年明けにかけて人の動きを制限せず相変わらず自粛の呼び掛けに、心配性の私は「コロナを甘く見ている」と感じていたが、やはり感染者が全国に急増し第6波の襲来と恐れられている。水際での海外からの防御も蟻ならぬ米軍基地なる穴からオミクロン株が漏れて市中感染が拡大している。どうやらコロナウイルスは宿主を重症化させず、長期に渡って人間社会と共生するインフルエンザウイルスに似た生き残り戦略に切り替えたようだ。体力のある若者はごく軽症で済ませ保菌した事さえ意識させないなら、余病を抱え体力が衰えた高齢者は予防のワクチン接種を続けるか、特効薬の完成に頼るしか方法がなくなるだろう。私のような後期高齢者にとって高いハードルになりそうだ。
 昨年の運転免許の更新で認知機能検査なるものを突きつけられ、誕生日に後期高齢者医療被保険者証が送られて来たら、伸ばした親指を下に突き出されたような、昨日までとは違う「貴方は老人です」と宣告された気がする。自分では気力も体力もさほど衰えを感じないが、実際は「これを開けて」と妻が諦めて手渡した大口瓶の蓋に閉口し、見かねて「貸して」と手を差し伸ばした息子がひとひねりで開けると、夫婦は思わず顔を見合わせ「手と指から老化が始まる」などと頷き合う。さらに二階の書斎の暖房に欠かせない灯油の運搬は満タンをとっくに諦め半タンが精一杯となり、雪国に暮らす者に欠かせない雪かきに耐えられるだろうかと不安になる。やはり衰えているのだ。
 12月の積雪129㎝は、ここに移住した十年間で2014年と2017年に次いで三番目に多い。まだ薄暗く空気がキンキンに凍りついている早朝、ご近所の方たちは真っ暗なうちから雪かきしているのかと思えるほど早く、特に奥の立石さんは自宅から我が家の前の車庫兼物置小屋までの道の雪かきを既に終えている。お向かいの田中さんは私とほぼ同時刻だから顔を合わせることが多く「正月そうそう、ひどい雪だ」「雪の多い冬だ」とか「休日なのに雪で休めない」などと恨み節を言い合う。マイナス6℃を越える深夜から明け方に降り積もった雪はサラサラして軽く、駐車場と芝生の三分の一ほど乗用車を十台も置ける面積に積雪7~8㎝なら、一時間半ほどで搔き集めて雪壁に積み上げられる。その広さは雪かきする身には辛いが、ご近所の方々が搔き集めた雪を雪捨て場まで運んでいるのに較べれば、雪捨て場として雪壁を作れる私は恵まれている。
 玄関前と道の間にある庭木のある花壇は、両側から跳ね上げられた雪で背丈を越える山ができ、モミジの下枝はすでに雪山に飲み込まれ、脇のツバキの緑葉も雪山に覆われそうだが、雪壁の手前にはまだまだ余裕があるから不安はない。雪壁の手前に妻がママさんダンプで運んだ早朝の雪を壁の上に跳ね上げて壁面を垂直に均していたら「いつもよく頑張っているねー」の声に顔を向けると、春から秋まで塀越しに隣の畑から野菜の育て方を教えて貰う奥さんだ。この土地の人の挨拶言葉で「どうも」と答えれば「歩く幅だけ雪かきしたらいいじゃない」年甲斐もなく広い範囲を雪かきしている私に「楽な道を選べ」と声を掛けてくれたようだが、私の性分がそれを許さないのだ。2022. 1. 11
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at-ht-2111 · 3 years
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シルクの雪
 夜明け前に一面に白く積もった雪を窓越しに上から見ても積雪量を知るのは難しく、早朝出勤らしい隣の車庫から道路に続くタイヤ痕の深さで雪嵩を目測する。早く起き出していた妻が「雪は3㎝くらいだから雪かきは不要ね」との声に「あっそう。じゃあ、もう少し寝るよ」私の見立てと合致する日もあるが「えっ、もっと多いんじゃない?」と疑問を投げかけて「もう一度よく見てよ」と催促し「7㎝ほど積もっていました」との訂正に「そうだろう」と雪かきの身支度をしながら答える日もある。今月の半ばまでは雪が雨に変じて雪を融かすことも多かったが、さすがに大晦日が近づけば、どんより空を覆い周囲の山並みさえも閉ざした鉛色の雲から落ちる雫は全て雪になる。「とうとう、雪かきの季節が来た」半ば諦めと半ば立ち向かう心情が交錯するが、二昨日から昨日まで続いた「雪は全然ありませんよ」妻の雪かき不要宣言に安堵の胸を撫で下ろす。
 膝下まで届く防寒コートを着て毛糸の帽子の上からフードを被り防寒防水の手袋をはめ、雪目防止のためにサングラスをしてゴム長靴を履いたのが私の雪かきスタイルである。冷え込みが厳しい朝は義姉さんから貰った防寒ズボンも必須のアイテムだ。昨夜から大雪暴風注意警報が発令されていた今朝は、窓障子を開けると二重の窓ガラスの内側が霜に覆われて外が見えない。かなり外気温が低い今冬初の現象に「だいぶ冷え込んだな」と呟く。霜を爪でこそぎ落として隣家のタイヤ痕で雪嵩を見ると、就寝前に覚悟していたよりはかなり少なく8㎝ほどのようだ。それは十分に雪かきの対象だから、急ぎ寒さ対策の着衣を身につけていると妻が顔を覗かせて「雪は10㎝くらい、気温はマイナス8度だって」と告げる。これまでマイナス5℃が最低だったから、これも今冬初の低気温だ。台所に立つ妻に「朝食前に片付けてしまうよ。ひとりで大丈夫だよ」と言い残し、玄関で雪かきの身支度をしていると「一段落したら手伝います」と妻の声が背中を押す。
 マイナス8℃の外気は一瞬ピリッと顔を刺すが防寒装備の内側までは侵入せず、むしろ動き続けている間に出る汗が心配になる。それよりも強い風に煽られた雪が絶え間なく舞い落ちて搔き出した雪面を跡形もなく覆ってしまい「この調子だと、今日は三~四回も雪かきする必要がありそうだ」などと独り言ちていると「遅くなりました」と出て来た妻に車二台の雪落としを頼む。 幸いなことにお向かいの田中さんが雪かき機械で道路の雪を吹き飛ばして片付けてくれたから、私の雪かき範囲は玄関前と駐車場だけでずいぶん楽になった。妻に「今朝の雪はシルクのようだよ」と言うと「本当にきめ細かくて艶めいてシルクみたい」と同調する。マイナス8℃の成すところだ。
 今日の天気予報は終日の雪で最高気温がマイナス3℃、凍えるような真冬日は明日まで続くらしい。沿岸地域は30mを越える暴風が吹き荒れて運休の鉄道路線がひっきりなしに報じられる冬の嵐だ。妻はクリスマス礼拝を兼ねた日曜礼拝に息子の運転で出かけ、車の跡に残った雪��片付けに出た私は、さっきの雪かきから僅か二時間でもう10㎝くらいの積雪に驚き、条件反射のように二回目の雪かきを済ませる。2021.12.26
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at-ht-2111 · 3 years
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老いと紅葉
 夜通し激しく窓を叩いていた雨は、盆地をふちどる名もない山々の連なりに白い隈をつくっていた谷間の雪を消したが、青森と秋田の県境の白神山地に続く田代岳の峰々を白く覆った雪は、消えるどころか山襞の白い筋を中腹のあたりまで伸ばして広げ、これから長く雪と同居する私たちに覚悟を迫るかのようだ。この冬は日ごとに増す朝晩の寒さをやたらに寒く感じ、秋まで続いていた早朝ウォーキングは陽光のなかの散歩に替わり「去年までならまだ着なかったのに」と思いながらも、ひと月ほど前から真冬物を選んで着ている。何気なく「オレもダメになったなー」と言う私に、妻は「もう、75歳ですよ、二人とも立派な後期高齢者ですから」それが当然なのだと励ますように言うが「早朝の雪かきは大丈夫だろうか?」などの思いが駆け巡る。
 この七日は二十四節気の「大雪」だったが、つい最近の私の造語「師走小春」とでも呼びたいような陽気だった。ある日「今日のようなぽかぽか陽気の日を、原さんのお姑さんは『十月小春』と呼んでいたそうよ」と妻から聞かされ「ふーん、そんな言い方があるの?小春って十月のことだけど、気分は伝わるなー」と心に留めていたら、ぐずついた天気を忘れたような陽気の日にふと思い出し「この陽気なら十一月小春と言うのかな?どうもゴロが悪いな、霜月小春ならどうだろう」と何度か「霜月小春」を口遊み、それなら十二月のぽかぽか陽気は「師走小春」で良いだろう、気分が伝われば良いのだ。
 毎朝まっ先に読む天声人語に前回のブログで私が使った「満天星」の文字を見つけ、腰を据えて2021・12・6 の天声人語を読む。『このごろまち歩きをしていてどきりとするのは、ドウダンツツジの生け垣である。真っ赤になった葉に、どこかこの世のものでないような趣がある。春に咲く白い花を星に例え、ドウダンは満天星と書く。いまは満天星紅葉(どうだんもみじ)となり、文字からしてきらびやかだ』と書き出し、色づいた葉は夕方にこそ映えるとの心情から、カズオ・イシグロの小説『日の名残り』の一節から老年のしみじみとした心情に夕暮れ時を重ね、さらに〈山くれて紅葉の朱(あけ)をうばひけり〉蕪村の句を引いて刻々と流れゆく時を描き、夕刻に自らの人生を重ねる年頃の人も、そんなときが来ることをまだ想像できない人も、赤や黄の色づきが暗闇にのみ込まれるまでの時間を持ってみたらと述べる。
 私はこの天声人語が述べているように、自らの人生を夕暮れ時に重ねてその年代に達した思いで、七十歳を迎えてから「日暮れ道」と題した随筆を地元紙に寄稿し続けていたのだ。しかし、真っ赤に紅葉した満天星ツツジの赤を越えた赤を目にして「どっきり」して足を停めて見入り「他の紅葉には無いもの凄い赤だ」と感じたが「この世のものではないような趣」は感じ取れなかった。まして紅葉の赤や黄を朝の光や昼の光のなかで見比べたこともなく、色づいた葉は夕方にこそ映えると気づくこともなかった。山々を鮮やかに彩り舞い散る紅葉の儚さに夕暮れ時を迎えた老人の心情を重ね、カズオ・イシグロの小説や蕪村の句など思い浮かべる素地もないのだ。2021.12.10
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at-ht-2111 · 3 years
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雪の威力
 霜月半ばを過ぎると晴天の朝に立ち込める濃霧の中では万物が色を失くして黒い影になり、とりまく山並みの紅葉はすっかり色を失くして暗くくすみ、杉林の沈んだ暗録色と共に遥か遠い山々の藍墨色に溶け込んで、日ごとに近づくモノクロームの世界を先取りしているようだ。色鮮やかな紅葉があっという間に消えたこの時季、朱赤や黄赤をたわわに実らせた柿が目立つばかりで「持ち主が老齢で柿もぎできないなら、代わりに取って上げよう」などと余計なことを思わせるが、熟柿に集まる小鳥たちが見向きもしないのは未熟のためだろう。庭の芝生が赤く染まって草紅葉の風情を醸し、ご近所のきれいに刈り込まれた満天星の真紅の垣根に出会えば、散歩の足を停めて見入ってしまう。 
 十日ほど前、山の畑で「誰がこんなに植えたの?」と呆れるくらいのダイコンを抜き、妻が葉を切り取って仕分けしている間に、私は冬越しのための穴を掘り底にダイコンを寝かせて土に埋め、その上に雨除けシートを被せて土を被せて固定する。畑に散らした葉などを片付けていると雨が落ち始めた。ニンニクと玉ネギの草取りと追肥を終えて、今年の畑仕舞いにする予定だったが「後日にしよう」と諦めた。それから続いたぐずついた天気に足止めされて気を揉んでばかりだった。冬を迎える前の天気はぐずつきがちで、時たま雲間から顔を出す太陽は「明るくなったぞ」と思わせても、あっという間に厚い鉛色の雲に覆われてしまう。薄曇りの土曜、日曜は妻の予定で動けず、ままならない。
 二十四節気の小雪の朝、週刊の天気予報にシーズン初めての雪ダルマが登場し「いよいよ雪か」「そのようね」緊張感を漂わせる。「いつ畑に行けるかなー、雪の前にやってしまわないと」予想していなかった雪の予報に焦りを感じて妻に話すと「今日やってしまいましょうよ」いきなり今日を持ち出され「えっ、今日は雨の予報じゃなかった?」と言えば、その言葉を待っていたように「今日は午後二時の降り始めだから、午前中は大丈夫のようです」早朝出勤の息子を送り出したあとTV-DATAを何度も見て「今日の午前なら」と決めていたようだ。私は時間を計り「よしやるか、二時には帰って来られると思うよ」と立ち上がり「必要なものを車に積むよ。寒いから防寒着を忘れないで」と妻に声を掛ける。今日の行動を今日決めて動くことは苦手な私だが、雪の威力には敵わない。
 準備を終えて車を発進させた堤防で、私が日頃話している立石さんの畑を見せようと思いつき「下の畑を見て、草がひとつも見えないだろう」「本当だ、すごくきれい」「昨日、耕運機で堆肥を鋤込んだようだ。これが本当の畑仕舞いだ」「とても真似できませんね」「参考になるけどね」。初冬の雲が垂れ込めた広々とした畑はさすがに寒く、あちこちに植えられた柿の古木が枝もたわわな柿色に包まれている。妻は「誰も取らないのかしら?モッタイナイ」去年と同じセリフ「多分、クマのエサでしょう」同じ答を返す。ほぼ予定の時間で作業を終えるとポツリポツリと降り出した雨に「まだ一時前なのに」妻は時刻にこだわり「作業を終えるのを待ってたみたいだね」私は畑の神様を感じる。二日後の朝「外は真っ白ですよ」妻に初雪を告げられ「とうとう来たか」。2021.11.25 
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at-ht-2111 · 3 years
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晩秋に
 暦が立冬を告げる時期の大館は、盆地を縁どる山並みが赤や黄や茶色などに色づき、遠くに霞む山々は濃い薄い藍色一色だが雪の白い輝きはどの山にもまだ見えない。北の大地で子育てを終えて冬越しの地を目指す白鳥たちが、米代川に一夜か二夜の宿を求めて群れ集い、夜明けと日暮れ時に甲高く鳴き交わす声を川沿いに響かせると、人々はその姿と声に「冬が間近い」との感じを深め「畑じまい」を急ぎ、車のタイヤ交換や庭木の雪囲いなど雪の備えに精を出す。わが家の玄関前の花壇に植えられた緑葉と赤葉の二本のもみじの葉は、黄、橙、赤、真紅など 燃え盛る炎のように 映えていたが、散り落ちて 日毎に うずたかく敷き積もり、錦衣を失くした梢は朝からの風雨に曝されて寒さに震えている。
 わが家の山の畑は紅葉の山々を背景にした台地一面の畑を覆っていた「とんぶり」が全て刈り取られて視界が開け、急坂を登りきった先にわが家のダイコンの瑞々しい緑葉の長い列と緑を失いかけた大葉を垂らしたサトイモの小群が真っ先に目に飛び込んでくる。二十日ほど前まではダイコンの緑葉の列はもっと長く、サツマイモの濃緑葉のこんもりした茂みもあったが今はない。今年二度目の挑戦のサツマイモは去年と同様に一株に一個「でぶっちょ」が生まれ、カボチャより大きい「大デブ」まで生まれた。サツマイモの標準的な姿形を求める妻は「これは、どうやって料理するの!」と落胆し 他所の畑と見比べて 「マルチのせいじゃない?」と指摘するが、マルチは雑草防止に極めて効果が高いからこれは譲れない。来年は畑に植える前に根を四~五本出させて植え付ければ、彼女が望む姿形になるはずと密かに考えている。
 物は試しと昨年一株だけ植えたサトイモはさほど手がからず美味しく出来たので、今年は十四株も植えたが八割方が 見事に 大きな株に成長し、スコップを 四方に差し込んでようやく掘り起こすほど根が張り、ずっしりと重く一株が五キロを超えている。 そのうち4株は 雪解けまで保存するため テキストの教え通り穴を掘って埋め、2株は雪の下から掘り出せるように庭の菜園に埋めた。サトイモは親イモを中心に子イモが群がって周囲を囲み、更に孫イモたちもその周囲をびっしり取り巻いている。親芋から子芋や孫芋を取り分けようとすると親と子と孫の結束の強さに辟易し、昔からの大家族と対峙しているような気分になる。八月末に種蒔きしたダイコンの収獲を終え、サトイモと共に親族や知人に「笑顔の宅配便」を届け、各人各様の笑顔と 喜びの声と出会えるのが何より嬉しい。九月初旬に種を蒔いたダイコンを今月中旬に収獲し、その際にニンニクと玉ネギの追肥を終えればわが家の「畑じまい」になる。
 庭の菜園ではキュウリとゴーヤの跡に植えた「みったくなし」と可哀そうな名を付けられたインゲンが支柱に張ったネットに這い広がり晩の食卓に供される。このインゲンは鞘の至る所に黒い染みがあるために「みったくなし」の名を頂戴したと聞いて、その時はなるほどと合点したが真偽のほどは不明である。しかし、湯通しすると黒染みはすっかり消えて深緑色になり、シャキシャキした歯ざわりに鉢皿の山盛りを平らげてしまうほどの美味しさなのだ。義姉から種を貰って三年ほど前から欠かさず植えているが「みったくなし」では心苦しく「湯上り美人」と名を変えたらどうだろう。2021.11.10
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at-ht-2111 · 3 years
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男は黙って・・
 細く開けた窓障子の外のガラス窓越しに濃い霧が少し離れた隣家をぼやけた影にしている。冬を迎えようとする時期の晴天の朝は、いつも米代川から立ちのぼる霧が川沿いを埋め尽くし、私が住まう舟場はその底に声もなくひっそり沈んでいる。霧に誘われた私はベッドから出て大急ぎで身支度を整え、台所に立つ妻に「おはよう、一時間ばかり歩いてくるよ」と声を掛け��冷え冷えするこの時期には欠かせない木綿の白手袋をはめて米代川に向かう。今朝も霧に閉ざされて何も見えない景色が、私が歩いている間に 刻々と息を吹き返し、生まれ変わったみたいに陽光に映えるはずだ。三百㍍ほど離れた対岸はすっかり霧に閉ざされ、川の流れは濃霧に吸い込まれたかのようで、顔にぶつかる霧の音が聞こえるほど静かだ。霧に隠れていた田中橋が見え始めた地点との距離から視界は百五十㍍と知った。
 河川敷の芝生広場に続く堤防の下の遊歩道から、橋が現れるのを見つめながら歩いていた私に向けられた視線を感じて顔を向けると、雨の朝も風でも雪の日も欠かさず愛犬を散歩させる裏の立石さんの息子がペコリ頭を下げた。私はいつもの通り「おはよう」と距離に応じた声を掛け、手を上げると彼もリードを持つ反対の手を上げて応じた。彼は堤防を歩く私を認めたが距離を埋めるだけの大きな声が出せなかったのだろう。その声を聞いたことがない無口な父親に代わり、彼が犬の散歩を始めた頃は「おはよう」と声を掛けても、見知らぬ私に声を掛けられて驚いたような、はにかんだような顔で頷くばかりだったが、最近は「おはようございます」の声が返る。夕方など道に背を向けて花柄を摘む私の背後から「こんばんわ」と声を残して犬の散歩に向かうほどで、無口な男性が多い中で挨拶を交わす友ができた思いで密かに喜んでいる。彼のみならず散歩で時たま行き交う男性の多くは皆無言だ。
 プロ野球が大詰めを迎えている。午前はBSでMLBの大谷の大活躍に胸を躍らせ、夜は専らほぼ全試合が見られるDAZNでプロ野球を楽しんでいたが、オリ・パラの期間は大谷の活躍の放送がなく、プロ野球は試合がなくて嘆いていた。あと少しでMLBもプロ野球も幕を閉じる。わが家は、息子は大洋ホエールズ以来の横浜ファン、妻は東京に暮らす次男と同じくヤクルト、私はジャイアンツと対戦する相手なら何処でも応援し、選手を潰しかねない姑息な原野球の敗戦に溜飲を下げる。しかし、今年は家族全員が揃ってバファローズの試合に一喜一憂している。
 今年からバファローズ監督を務める中嶋監督は隣の鷹ノ巣町(現、北秋田市)の出身、高山投手コーチは大館市の出身である。地元の新聞は北鹿(ほくろく)出身の首脳コンビが最下位から優勝を争うチームにしたと書いても、この地方ではバファローズのTV放送が殆どなく、僅かにオリンピックの活躍で山本や吉田が話題になる程度なのだ。中嶋監督は若者の能力を見極めて一軍に昇格させたりコンバートさせたり、失策には目をつむり我慢して使い続ける。若者の長所を引き出して自信を持たせるから、チャンスになれば選手全員が我も我もと繋いで一気呵成に相手を圧倒してしまう。原ジャイアンツの姑息さとは真逆な野球は、社会を覆う閉塞感を打破する野球である。 2021.10.26
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at-ht-2111 · 3 years
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休暇の間
 こんなにブログを長く休むつもりはなかったのですが、6月の終盤から最高気温が日毎に更新され、7月には猛暑日が五日間も連続するのは22年ぶりと報じられるほどの暑さで、8月に入ると耳慣れない熱中症警戒アラートなる注意報が連日TV画像の一角を占拠し、オリンピアンが活躍する映像が小サイズのTV並みに縮小される日が続いた。そんな猛暑にエアコンを設備していない西向きの二階の書斎は、朝に開けた窓から米代川の川風と扇風機の風では凌げず、パソコンに向かう気がなくなり「書き休暇」を決め込んでいたのです。ふた月もそうしていると縛りが解けたような解放感に満たされ、秋の気配が漂う9月に入っても「もう少しいいだろう」と甘え心が生じて三ヶ月の休暇になった次第です。このブログを読んでくれていた友人、知人から「体調を崩しているのでは?」との電話やメールを頂戴し、元気の証しに再開し月二回くらいにする考えです。
 このように北国には珍しい連日の酷暑に負けてゴロゴロしていたのではなく、いつも以上に山の畑に出向き「待ってくれない野菜たち」の手入れで大汗を流していました。中でもジャガイモは6月と7月に追肥と畝立てがあり、二度目の畝立ては友人の農機に頼りましたが、猛暑が続く8月のイモ掘りはかなりの重労働なので、毎日の最高気温と天気予報をにらんで少しでも気温が低目の、例年より一週間ほど早い7月下旬の日を選び、朝から夕刻まで一日掛かりでどうにか終えました。最高の旬の味を目指して十日置きに4度も種蒔きしたエダマメは次々に育ち盛りを迎え、摘芯などの手入れや収穫に7~8度も足を運びましが、息子からもお裾分けした方たちからも「最高に美味しいエダマメだった」と絶賛され、育て方と収獲のコツを掴んだような気がします。
 山の畑ばかりでなく庭の小さな菜園で育つキュウリ、トマト、ナスなどは、朝どりの味を楽しませてくれるほど毎日の手入れが必要で、気付いたことはテキストを読んで実践し元気に実らせていると、お隣の畑で様々な野菜を育てているプロが塀越しに「良く育っていますね。特にトマトが立派です」とお誉め言葉に恐縮しつつ自信を深めたりする。相次ぐ猛暑日は芝草を伸ばすと共に雑草が勢いを増し、8~10日ごとに4~5時間掛けて芝刈り機を押しながら目についた雑草に座り込む。通り掛かった人たちの「いつも綺麗な芝生ですね」などの声を励みに芝を刈り、草を抜き、目土入れで汗だくになる。塀ぎわの花壇で色とりどりの黄花コスモスが咲き揃い、花ガラを切り取っている私に「よく頑張るね。とても綺麗な花だけど名前は何だっけ?」お向かいのお婆さんはすっかり気に入った様子で、今日も花の名前を聞き質す。キバナは覚えにくいのだろうか?
 7月からの三ヶ月間で周囲の景観がすっかり変わった。黄金色に実った稲穂は殆ど刈り取られてなく、天日干し米にするホニョが広い稲田に僅かばかりポツポツ立っている。秋田の主力生産品の「あきたこまち」は積年のコメ余りにコロナ禍の外食不振の打撃を受け、JAの買取価格が大幅に引き下げられて農家の収入が一町歩当たり20万円ほど減ったらしい。ホニョが寂しげなのは稲作農家の気持ちのようだ。2021.10.10
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at-ht-2111 · 3 years
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夏の野菜
 停滞した梅雨前線が豪雨を降らせ土石流や崖の崩落などで大災害の様相を呈している地方もあるが、二週間ほど前に暫くぶり降った雨で梅雨入り宣言の出たここ大館は、連日の晴天で30℃を越える日も珍しくなく「少しは纏まった雨が欲しいのだが」と呟いて南の山々を背にむくむくと聳える真っ白な入道雲に期待しても、何処に雨をもたらしたかなど知らないが、いつの間にか雲散霧消してしまう。そんな雨の無い暑い日々だが、庭の菜園のトマトは豊かに実をつけて次々に赤みを増し、暑くなるのを待っていたナスは背丈や枝葉をぐんぐん伸ばして花をつけ、大ぶりな葉に隠れて花を咲かせるキュウリはあっと言う間に食べごろに成長し、食卓に乗せようと探す妻の目からも隠れて「こんなに大きくなったのを見つけた」と嘆かせたりする。トウモロコシは私の背丈ほどに育った茎の頂上から雄花を突き上げて雌花のフサフサした雌しべが現れるのを待っている。ゴーヤは張り巡らせたネットに這い広がり黄色い花に生まれたばかりの実を見せ始めた。連作障害を避ける目的で初めて植えた数十本の長ネギは、二度目の土寄せと追肥のお陰で健康な緑葉が背比べをするように立ち並び、色白の足元を大和なでしこのように隠している。
 山の畑では地中で子たちが順調に育っている証しのように花を咲かすジャガイモたちの脇で、深い雪の下で健気に寒い冬を越したタマネギとニンニクが「もうダメです」と訴えて緑葉が茶色に変わって寝そべってしまった。マルチの穴サイズを超えて丸々と太りマルチを持ち上げているものも、どれもこれも僅かに数本の根が地面と繋がっているだけで収穫を待っている。いつも以上の出来栄えに満足し「今年は良くできたね」「あの人やこの人に食べさせたいなー」「好きなだけどうぞ」妻は保存用を紐で結び、配達する分を袋詰めしている。干し場を求めて実家に向かうと義姉が「ここがタマネギの特等席」と話しながら乾燥場に案内すると、一回りも大きい玉が百個ほどぶら下がっている。義姉が育てたタマネギだ。私と妻は驚いて「大きいなー」とか「凄い数」と口々に言うと「特別なことは何もしていないのに、今年はとても成りが良くて」義姉は少し照れた口調だが満更でもなさそうに話す。タマネギ苗は昨秋に義姉から分けて貰い植えた時期もほぼ同じだったから、手入れの方法や追肥の時期など義姉から学ぶべきことがまだ沢山あるようだ。
 そんなことを考えていると義姉の「明日ジャガイモ畑に支柱を立てて倒れているものを立ち上げてやる」との言葉に、我が家のジャガイモたちの中にも繁茂して自重を支えきれず倒れていたものたちの姿が浮かび「倒れたままだと何か問題があるの?これまで支柱で支えてやったことなどないけど」と私が言うと義姉は「私もあまり大事とは思わないけど、病害虫の発生とか腐敗などで問題だと言う人も多いから」と言う。私は堤防の下のジャガイモ畑でも支柱を立てて紐を張り回しているのを思い出し「新型コロナでみんなが細菌などに神経質になっているんじゃない?」「それは解らないけど・・」ジャガイモは今月下旬に掘り出せば終了との考えを撤回し「最後の一手間かけてやるか。そのうちにやってみます」と義姉に答える。枝葉を重ねて畝間が見えないほど繁茂する中に支柱を立てロープを張り巡らしながら「美味しく育てよ」と唱えて作業を終えた。 2021.7.5 
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at-ht-2111 · 3 years
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夏の前日
 時折の風に頼りなげに揺らいで水面に数え切れない波紋を作っていた黄緑の早苗たちは、もはや一人前に成長して水田を覆い隠し、周囲の山並みの木々とこの大地を緑一色に染めている。河原からはオオヨシキリの鳴き声が溢れ漏れ出して喧しく、彼らの巣に産卵しようと狙う雌雄のカッコウは、相変わらず居場所を隠す声で鳴き交わしている。雀より小ぶりのオオヨシキリと鳩ほども大きいカッコウの奇妙な関係を思い、苦笑しながら歩を進めていると、久しぶりに降り注ぐヒバリの甲高い声に「どこだろう?」と上空で羽ばたき声の限り鳴き続ける親指大のヒバリを見つけた。あっという間に豆粒大になる姿を見て、ひょっとすると今年最後のヒバリの挨拶かも知れないと感じて足を停め、両耳のイヤホンを外して聞き耳を立て、ヒュルヒュル落下するのを見届ける。
 フジの紫の花が終わり満開だった象牙色のニセアカシアの花はすでに枯れ落ち、家々の庭に植えられたバラの花が芳香を放って咲き、野山には梅雨から夏を告げるクリの花が目立つ。堤防沿いの畑ではジャガイモが濃緑の葉の上に薄紫や白い花をほころばせ、隣りの畑に負けじと花の数や美しさを競っている。これらの畑よりも一週間ほど植えるのが早かった我が家の山の畑はすでに花盛りで、最後の追肥を先週末に終えて畝立て機械で友人が作ってくれた頑丈な土壁の中で、丈夫で美味しいイモに育つ最後の一ヶ月に入った。畝を立ててくれた友人の「どれもこれも立派に育っているね」との誉め言葉は、愛情込めて手入れをしてきた私と妻にとって何よりも嬉しい。タネイモが余りに小粒で心配だったキタアカリもこれまでのところ遜色ない成長ぶりだ。
 ジャガイモの花が咲き始める時期になると、苗床で育てられていたとんぶりの苗が15㎝ほどに育ち、周囲のあちこちの畑で人と機械が協働して苗を植える作業が繰り広げられる。雪解けから二、三度トラクターで耕して均した広い畑に苗植えの機械が畝を立てて進むが、機械を自走させるのではなく耕運機みたいに後ろから人が支え方向を決めて進む。更に水田の田植え機のように全自動で苗を掴み泥土に差し込む機能がないから、機械の上に座った人が一本ずつ苗を供給し続けなければならない。押し方と植え方二人の息の合った仕事ぶりを今年も感心して見つめながら、全国の農機メーカーは水田の田植え機械の開発は率先してやるが、とんぶりの苗植え機の開発など当地だけの要求は見向きもしないのだろうと考え、早苗を掴んで泥田の中に押し込む田植え機械をとんぶり苗植え機に改造できないだろうかと考える。
 このジャガイモの花期は秋植え冬越しのタマネギとニンニクの収穫の時期である。山の深い雪に押しつぶされて地面に倒れていた彼らは、春の気温と陽光を受けて蘇生したようにすっくと立ち上がり、黒土の畑で唯一の緑葉を風に揺らしていたが、隣に育ったジャガイモたちと命を交換したように地面に倒れて収穫を待っている。庭の菜園ではトマトやナスなどが順調に育ち、昨夕は初採りのキュウリが塩と味噌を連れたスティックに変身し「これは最高に美味い」絶賛を浴びた。 2021.6.25
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at-ht-2111 · 3 years
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牧場の筍
 出勤続きで休日が少なかった息子の久しぶりの三日連休を前にして、師匠から聞いて驚かされた言葉のまま「今年の山はワラビやゼンマイは終わった。もうタケノコだ」と言い方まで真似て言うと、師匠に私が「えっ、もうタケノコ?」と言ったのと同じく息子も「本当?もうタケノコが出てるの、ずいぶん早いなー」と答える。タケノコはウツギの花が咲く六月の山菜で初夏の暑さを避けて早朝に取るのだと言われている。更に驚かされたのは師匠に山の様子を尋ねたら「去年タケノコを取った山はとっくに終わった。来週ならリハビリ牧場だろう」と言うのだ。一昨年も去年も六月下旬、最後のタケノコ取りに連れて行かれた場所である。師匠は「リハビリのタケノコにはちょっと早いかもしれないが、明日の雨で生え出すよ」山は私の想像を遥かに超えて加速度的に進行しているのだ。
 去年師匠に同行した急傾斜の竹藪を息子は思い浮かべていたようで、リハビリ牧場でタケノコを取ると聞かされても、車から遠望した牧場の美しい景観は知っても「あそこでタケノコが取れるの?」と驚きを隠さない。私が牧場の囲いだった竹藪が年ごとに増殖して広がり、タケノコを生むのだと説明してもピンとこないようだ。百聞は一見に如かずである。リハビリ牧場と聞いた妻は「ハンゴンソウは終わったかしら?まだ大丈夫なら取りたいなー」ハンゴンソウが密生する牧場の一隅を思い出し、私は自力でその場所に連れて行けなかった去年の悔しさを晴らしたい思いで「今年は自在に草原を走れるジープだから、必ずハンゴンソウの場所に連れて行くよ」と宣言し、師匠との待ち合わせ時刻の前にハンゴンソウを取り終えてしまおうと、一時間ほど早く出発することにした。
 いつものタケノコ取りであれば、雪の重さで根元から曲がり山の傾斜に沿って上から下に向かい、背丈の倍ほども伸びて密集する親指ほども太い竹の根元に僅かに顔を出したタケノコを探す。見つけるには竹藪の下に潜り込んで這い回らなければならない。竹藪はしなやかな青竹もあれば頑固な枯れ竹もありその中に蔓などが密集し、タケノコを見つけても竹や蔓が身体と手足に自由を奪い身動きできず、抜けようと藻掻いているうちに長靴や着衣を突き破ったりする。竹藪を滑り落ちたり枯れ竹に顔や目を襲われたり虫に肌を刺さされたりする。着衣を厚くして手首や襟元を塞ぎ、帽子の上から風呂敷などで頬冠りし、酒屋さんの前垂れを半折した頑丈な袋を腰に巻くのが完璧なタケノコ取りのスタイルであると教えられたが、リハビリ牧場の竹藪の島ならワラビ採りのような装備で済む。
 妻がジープの後部席から「フキも取りたいなー」と話しかけたが、私はハンゴンソウが密生する場所に通じる道に運転する息子を案内し、去年のリベンジを果たすのが最優先で「あれこれ欲張らない、今日はハンゴンソウとタケノコだけ」と釘を刺し、無事にハンゴンソウが密生する場所に案内した。息子は初めての竹藪の島の周囲を珍し気に歩き回り、私と妻がハンゴンソウを取っていると「あっフキだ」妻がフキを見つけて近づき一本切り取り「とても良いフキだけど、取ってていい?」と訊かれ「今日は君の思いが現実になる日だ。きっとタケノコも取れるよ」と答えた。 2021.6.5 
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at-ht-2111 · 3 years
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田植え時
 近所にある幅2mほどで肩くらいも深いコンクリート製の用水路は、去年の秋から先日まで口を開けて乾いた底を見せていたが、今日は土色の濁り水を満々と湛えて流れ下り田植え時を告げる。米代川に注ぐ支流を何処かで堰き止め、水路から溢れるほどの勢いで流れ下る用水は近くの水田は通り越して、数キロ先の下流域の水田に導かれ、その間に流れを緩めて水温を高める。若苗を育み稲穂が実るまで必要に応じて水田に導水されるため、絶え間なく用水路を満たし続ける。稲作は苗の成長度に応じて水をコントロールする技術が肝心で、誰かが世界に向けた「アンダーコントロール」では通用しない。
 毎年この時期に用水路を流れる水を見ると、高低差のある全ての水田に水を行き渡らせる難しさ、何処からどれだけ取水して何処まで導水するか、その水田に何処から取水するか、水温を高める工夫、用水路の長さや寸法などを考えると、稲作にかける先人たちのゆるぎない意思が精緻で巨大な社会資産を創造し、遺産として現在に伝えていると考えざるを得ない。日本中に張り巡らされた用水路の総延長距離はどれほどあるのだろうか、その用水路を流れる水量もさぞや膨大なものだろう、このような統計はがあるのだろうかなどと思うが、その興味は田植え時だけのもので、調べもせずそのまま忘れてしまう。
 用水路を流れ下る水は耕起を済ませた数多の水田を満たし、雲や山並みや周囲に溢れる新緑を映す水鏡になり、青苗が植えられるのを静かに待っている。水鏡が好きな白鷺が群れて川から水田に降り立ち、一枚の鏡を一羽が占有して映る姿に見とれているようだ。水田に囲まれた道を走る助手席で妻が「こっちも水鏡、その隣も、あっちも」水田を指差すから「そのうち、全部が水鏡になるよ」私は一面水鏡ができる毎年の景色を思い浮かべて答えたが、その帰路に「えーっ」思わず素っ頓狂な声を上げ「どうしたの?」と訊く妻に「もう、田植えをしているよ。ずいぶん早いなー」水鏡ができたばかりの水田に早々と青苗が植え付けられているのだ。その奥の水田にも大型の田植え機が大量の若苗のトレーを背負って動いている。桜の開花を早めた春の暖気は水温も高めたのだろう。
 山の畑と庭の菜園の作業が一区切りして、ようやく芝生の雑草抜きと苔退治を始めて三日目、家の周囲の雑草抜きを終えて応援に駆けつけた妻に「助かるよ」と声を掛けて暫くすると妻が「ポツポツきましたね」雨が来る前に終えてしまいたい思いで集中している私に言うが「そう?何も感じないけど」難敵を追い求めたまま答える。午後になって雲が黒ずんで何時降り始めてもおかしくない空模様で、天気予報は「午後は雨」と報じている。せめて今日中に特に酷い敵の牙城を終えてしまいたい思いで、ふと浮かんだ「八竜大王、雨やめたまえ」を念じながら「でも、これは降り過ぎの雨を止めてくれと願う歌だったなー。竜神は一緒だからいいか」などと呟きつつ手を止めずにいる。八竜大王に願いが通じてか二時間ばかり堪えてくれたが、雑草と苔を詰めて膨らんだビニールの袋をパチッパチッと叩く音に「とうとう来たな、これでお終いにしよう」と妻に声を掛ける。田植え時の大館は雨が多い。 2021.5.25
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at-ht-2111 · 3 years
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五月
 キタアカリが売り切れてしまった騒動で珍しい品種を買うなどし、気が付けば5種類、過去最高の252個の種イモを植え終えたが、春の畑はこれで終わりではない。石灰と堆肥を入れて粗く耕して放置していた庭の菜園が首を長くして待っている。菜園には朝取りで食卓を賑わすトマト、ナス、キュウリなど手間のかかる野菜を毎年植えているが、今年はトウモロコシが加わるため少し過密になる。日照や連作に気を配って何処に何を植えるか決め、各々の野菜に適した肥料を施して深耕し、雑草除けのマルチを敷き支柱を立てて蔓物にはネットを張り、苗を選んで買い求めて植え付けるのが一連の作業である。 師匠から山への誘いに気持ちは動くが、菜園作りを何よりも優先させる。雪どけから雑草退治を怠っていたために険しい表情に変わり始めた芝生にも手を入れなければならない。青葉の五月はもう一つ身体が欲しいほどである。
 私の野菜の育て方テキストは数年来同じものを使っているが、去年のナスの不出来の原因は連作障害だった可能性があると考え、トウモロコシを植える場所を考慮すると同時に、菜園を四区分して輪作を実行することにした。去年のトマトを育てた二畝にトウモロコシ、トマトとナスはキュウリとゴーヤを植えた二畝にし、インゲンを植えた二畝にキュウリとゴーヤ、エンドウを植え、不出来だったナスの二畝は休養させる目的で長ネギを植える。ニラとアサツキの一畝で菜園は超満員で、枝豆やピーマンなどは山の畑でイモ類と共に育てることにした。植苗の間隔に沿って支柱の位置を決め、お隣さんから借りた特製の支柱穴掘り器で掘った深い穴に支柱を差し込み、それらを組み立て麻ひもでしっかり結び付ける。これらの作業を終えると気息奄々だった菜園が、新しい生命が吹き込まれたように生き生きして見える。毎年の事だが今年はいつも以上の出来栄えだと満足し、明朝買い求める苗の種類と数を妻と確認し合う。後は、時々手を貸して結実を待つのだ。
 山の畑のジャガイモを植えた幅広い畝が西側に二畝並んで乾いた土色で続き、ポツンポツンと何処からか飛来して根を下ろしたような雑草が乗っている。ジープに乗せた畑作業の道具を手にタマネギ、ニンニクが勢いよく育つ状態や、植えたばかりのサツマイモ、サトイモの苗とマルチに捲れがないかなどと見回る。ジャガイモ畝の小さな雑草を摘んでいると、畝土を押し上げる芽のパワーが作るひび割れを見つけ「見て見て、これはジャガイモの芽だ。間もなく顔を出すよ」と後を歩く妻に喜びの声を掛ける。
 「本当だ、こっちのも芽吹き出した」ひび割れを探して私を追い越し「メークインは何時も遅いんでしたね」と私に尋ね「そう、二週間ほど遅かった。メークインは其処に植えたの?」「ええ、この棒から畝の端まで行き折り返してこの棒までがメークインです」あの日、私は畝を立て種イモと肥料を置く溝作りに専念し、その後を追った妻が植え付け担当したから、何処に何の種類を植えたのか彼女の記憶と記録ノートに頼るしかない。しかし、私の記憶のメークインのボリュームでは彼女が示した範囲は広過ぎるようだが、間もなく芽が出そろうのを待つとしよう。 2021.5.15
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at-ht-2111 · 3 years
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山の畑
 友人が大型トラクターで耕起した畑土はふっくらと盛り上がり、まるで黒い羽毛布団をそっと置いたようなふかふかぶりで、足を踏み込むと長靴が隠れるほど深く耕されている。南北40m、東西4m、面積160㎡の細長い畑地は、私たちがジャガイモの連作障害を防ぐ目的で選んだが、年齢を重ねるごとに重荷感を増してきている。去年は東側の二畝に植えたジャガイモを今年は西側に移すことだけは決まっているが、それ以外に何を植えるかは未定である。今年は畝長10m、畝幅70㎝の畝を16本作り、妻が「我が家の命」と言い、山の師匠は「タケさんの主食だろう」と揶揄するジャガイモには、西側の八畝全てを与える。去年ジャガイモの収穫を終えた東側の一畝に植えたタマネギとニンニクは順調に冬を越してすっくと青葉を伸ばし、北端で同じく冬越ししたアスパラガスは株元から芽吹き出している。残りの6.5畝で何を育てるか思案している。
 つい先日までは今年もトウモロコシを植えると決めていたが、畑からわずか2~3キロほどしか離れていない山で、同年代の山菜取りの男性がクマに襲われて重傷を負う事件が発生し、山の師匠から「クマが出没する近くでは、クマの大好物のトウモロコシは止めたほうが良い。危険だよ」とのアドバイスに素直に従うことにした。去年、完熟の時を見極めて朝早く妻を連れて収穫に行ったが、最後の十数本が見事にカラスに食われてしまったトウモロコシを、今年は収穫が近づいたら獣害ネットに加えて防鳥ネットを張って収穫し、東京の息子夫婦に味わせてやろうと考えていたが、大事を取って山の畑は止めて庭の菜園に植えると決めた。妻は「畑土が違うから大丈夫かしら?」と不安気だが「菜園に毎年植えているトマトやナスの連作を避ける目的からも、試しに植えてみるよ」十分な施肥と深耕で立派に生育させたいが、果たしてどうなるだろうか。
 先月25日、義姉に二ツ井の道の駅で買って来て貰ったキタアカリを例年と同様の手順で植え終えたが、余りに小粒なのが心配になり芽が出ない場合に備えなければと考慮し「斎藤さんにキタアカリの種イモの余分があれば、3キロほど譲って貰いたい」と山の師匠にメールを送信したら、その時師匠の整骨院に来ていた斎藤さんが私のメールを見て「一杯あるから、あげるよ」と電話「じゃあ、明日伺います」と農事場に向かい、奥から斎藤さんが運び出した大袋に「えー、こんなに!」「余ったら食べればいいよ。まだ芽も出ていないし美味いよ」確かに皺などなく瑞々しいキタアカリに、私は思わず「うまそうな顔だなー」と笑い合いながらキタアカリ二袋に加えて「この肥料はジャガイモを美味くするよ」斎藤さんお勧めの肥料一袋も頂戴した。早速それらを植え付け、先日植えたイモたちにも「美味いイモになれ」と呟きながら斎藤さんの肥料を与えた。
 ジャガイモの植え付けはこの半日の作業で終了したが、あの小粒の芽出しが悪いようなら今日植え終えたキタアカリと植え替えする。ジャガイモたちは盛り上げられた土のホクホクした温かさ包まれて、芽を伸ばし始めているかも知れないが、畝土はただ静まり返っている。3~4週間もすれば一斉に芽吹くだろう。 2021.5.6
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at-ht-2111 · 3 years
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種イモ
 米代川の堤防を腰に両手を当てて支えたり腕を背後に回したり、今朝の腰の調子を窺いながらほぼ7百㍍、歩数にして千歩ほどの慣らし歩きが欠かせない。昨年11月に突然歩行困難に襲われた不安から耳を鋭くして足腰の言い分を聞く。調子の良い日は慣らしの間に足腰のギクシャク感が消えて自然に歩幅が伸びるが、何をどうしても痛みが消えず仕方なく諦めて「無理は禁物」と呟いてUターンする日もある。そんな日は新聞のサンヤツ広告の「脊柱管狭窄症」の文字が、やけに大きく目に映る。「来週は晴天が続くようだから、その間にトラクターで畑を耕起してあげる」とんぶり農家の友人から電話が入り、眠っていた子どもが起こされたように私と妻の農事時計が動き始めた。トラクターで耕起する前にジャガイモの植え付けに備えてやらなければならない事がある。
 私に桜の季節を告げる隣家の緋色の緋寒桜は黒ずんだ葉を茂らせ、一週間ほど前に豊満な淡いピンクの花で誇らしげに着飾っていた長木川の堤防の桜並木は、通り掛った車に花びらを舞い散らせている。間もなく五月の連休になるがコロナ禍のために読書で時間を過ごす癖がついて、外のことは妙に他人事のようにのんびり構え、芝生の所々に雑草が顔を見せても「まだ風が冷たいようだ」と腰が上がらなかったのだ。トラクター耕起の電話の翌日は山の師匠から電話が入り、山々の雪解けは去年よりも今年の方が遙かに早いと言う。例年なら私に師匠の声が掛るのは五月の連休と決まっていたが「シドケとボンナが出始め、タラの芽が膨らみ出した。連休前に来るように予定して」と急かす。昨冬に較べて3倍も4倍も雪が降ったのに、例年は五月の連休でも通れなかった山道が通れたと話す。コロナウイルスに負けじと地球温暖化の仕業なのだろう。
 トラクターによる耕起の前に畑一面に苦土石灰と鶏糞混じりの堆肥を撒き、耕起して貰う畑地に縄張りを済ませておいて「耕起したよ」の連絡を受けて、種イモを購入しようと毎年買い求めていた店に車で向かう。妻に「今年もキタアカリとメークインにするの?」と訊けば「去年と同じに8キロと3キロ植えましょう」と答える。ところが、まったく思いがけず「キタアカリもメークインも売り切れです。去年の不作で種イモが入荷しないんです。男爵ならあります」店員の指差す先に、男爵の種イモは数十箱も山のように積まれている。「去年のイモ不作なんて知らなかった、サンマの不漁なら知ってたけど」冗談めかして言うと妻は「他の店を探してみましょう」あそことここに行って見ましょうと促す。二軒目も三軒目もそして遂に七軒目までキタアカリは売り切れで「男爵ならあります」の声を聞かされる。
 私は「子供の頃からお世話になった男爵様でも良いだろう」と妻に妥協を促すが妻は「煮崩れが激しいので料理しにくい」私の手が出ない台所を理由に頑として頷かない。家に戻って息子に通販で買えないか調べて貰えば売り切ればかり、妻は困ったときの義姉さん頼みで電話したらキタアカリは早々に購入しているので分けて上げるに少し息をつき、その直後に義姉さんから出先の道の駅で買えたからとの電話で妻は安堵したが、私は品質は大丈夫かと心配している。汗を無駄にしたくない思いだ。2021.4.25 
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at-ht-2111 · 3 years
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春の雪
 米代川の河川敷や河岸を埋め尽くす柳が、同じく自生するアカシアや胡桃などを尻目に色とりどりの芽を膨らませ、冬枯れ色だった風景に日ごとに色どりを加えている。山々の雪どけ水を集めた流れはこの冬の十分な雪量を誇るかのように、なんの憂いも感じさせずに錆浅葱色の水を湛えて滔々と流れ下る。堤防脇から枝先を差し伸ばした胡桃の芽は、冬のあいだ纏っていた固い爪状の鎧を脱ぎ捨て、握り拳を掌に変えようと和らぎ始めている。盆地を取り巻く四周の山並みは春の霞が薄墨色に染め、山間の残雪はいつの間にか姿を消し、それらの頭上に姿を見せる森吉山や田代の峰々の白雪が、青空に群れる白雲に染まず陽光に輝いている。桜の春を告げる隣家の早咲き桜は日ごとに蕾をふっくらさせ、よく見ると緋色の花が二つ三つ、一斉の開花が間もないと告げている。
 雪どけからふた月ほど稲籾や米ぬかが撒かれただけで人の姿がなかった畑は、降り注ぐ陽射しと上昇した気温で暖まり、野菜を育てるのに十分な地温になったと判断したおばあさんたちが、待ち兼ねたように風除けの作業着に身を包んで動き始めた。おばあさんの家の男手が耕運機を持ち出して稲籾などを土に混ぜ込み、畑の土をほぐし終えているようだ。一人のおばあさんが何人ものおばあさんを呼び寄せたかのように、あちこちの畑でおばあさんたちが畑仕事に精を出し始めた。ひと月もすれば男たちが運転するトラクターが広い水田で耕起を始め、用水路に半年ぶりに流された水が全ての田圃に導かれ、秋の刈り入れまで半年も続く米作りが始まるはずだ。桜の春は農作業が始まる春だ。
 そんな春の朝の目覚めに何時もと違う部屋の明るさに冬晴れの朝を思い浮かべ、布団をはねのけて起床し窓障子を開けると、やはり一面の雪が敷詰められて春の陽光を散乱させて明るい。「四月の雪か、珍しい」と呟き49年前の4月2日の早朝の雪景色を思い出し、「あの朝はイースターの雪だったが、今朝の雪は受苦日の雪だな」と独り言。キリスト教徒でもない者が起き掛けに受苦日を思い浮かべたのは、昨日の妻が一日中「明日は受苦日、明日は受苦日」と言っていたのが頭に刻み込まれたせいだろう。あの49年前の結婚式は、教会の信者で付属幼稚園に勤務する妻への特別の計らいで、イースターの祝日礼拝の前とされ、朝八時からの挙式だった。私が支度のために家を出た朝六時は純白のヴァージン・ロードが続いていた。それ以来、四月の雪はあの純白の雪道を私に思い出させる。
 四月の雪は間もなく融けて消えてしまう運命から「名残り雪」「終い雪」「雪の果て」「忘れ雪」などと言い慣わされる。何れも儚さへの思いが伝わるネーミングである。この雪も朝から続く春の陽射しではせいぜい一時間で消えてしまいそうだから「春の雪景色を鑑賞しがてら散歩してくるよ」と堤防に出た途端、雲が太陽を遮って川風が冷たさを増し、雪混じりで吹きつける。どうやら季節外れの本物の吹雪になりそうだ。私の今年のテーマ「無理は禁物、無理は禁物」を呪文みたいに唱えて足早に戻り「外は凄いよ、吹雪になったよ。吹雪だよ」時を違えた吹雪は止まずに雪を落とすが、地表に触れるか触れない間に融けて流れる。芝生を白く覆った雪も儚く消えた。2021.4.14
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at-ht-2111 · 3 years
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春アラカルト
 八時を少し回った時刻に朝食を済ませると食器を洗材に付け込んだ妻はしばし休憩し、コーヒーを飲んでいる私の傍の長椅子に腰を下ろす。それが合図のように私は今朝の録画を再生して数十年前の朝ドラを二人で鑑賞する。昔、毎回欠かさず見ていた妻はしきりに「こんな筋書だったかしら?忘れてしまうものネ」と言うが、その時間に通勤していた私にはかなり新鮮で、それ以上にヒロインの当時の無垢で可憐な美しさを「第二のサユリになれた素材だね」とか最近のドラマを引き合いに「ビフォアー&アフター」などと茶化しながら見入っている。そのドラマがクライマックスに差し掛かっていると玄関のチャイムがピンポンと鳴ったので、どちらともなく顔を見合わせ「こんな朝に誰かしら?」「この勢いの良いチャイムは、きっと車の高橋さんだよ」と言う私に妻が微笑み「そうね、きっと高橋さんネ」と言いながら「はあーい」と大きな声で玄関に向かう。
 先ずはチャイム越しに来訪者を確かめてから玄関に出向くように何度言っても身につかず、長かった東京暮らしの間もチャイムの音に先ず大きな声で返事し玄関に小走りしてドアを開けるのが妻である。そんな姿に彼女のお母さんは電話が大の苦手だったのとそっくりなのだと思うしかない。そんな義母の電話嫌いを知りながら婿殿は「生まれたら会社に電話して下さい。タケダで通じますから」と頼み、清水の舞台から飛び降りる思いの極めて小さなな声が「生まれました」「どっちですか?」「男の子、二人とも元気です」次男の誕生を知らせる義母の電話を懐かしく思い出す。案の定チャイムの主はタイヤ交換を告げる車の高橋さんだった。秋から冬、冬から春の到来を告げる高橋さんの訪れで私はいよいよ本物の春を思い、しなければならない事柄をあれこれ思い浮かべ、じっとしていられない気分になるが、高橋さんはいつものように広げた話を面白おかしく悠然と語る。
 雪がしきりに降る前にやらなければならない事はかなり多いが、丁度その時期に歩行困難になり無理は禁物と自重したために「春になったら」と思う事が、例年よりも遥かに多い。その一つが花壇の片隅に植えられて玄関先の通路にも棘の枝を伸ばしたボケの始末である。株元から勝手気ままに十数本の幹を立ち上げ、野放図に張り出した枝が無造作に絡み合い鳥の巣状になって見苦しい。時々薬剤を散布したが花付きも悪く実も育たず感謝も反省もないボケを「切断する」と決めていたのだが、それが私の春一番の大仕事になった。
 そうそう、15日ぶりに独鈷の大日様の畑に車を走らせ「雪が消えている可能性は?」との問いに妻が「6割」私は「8割」と話して急坂を登り切った光景に「あっ」と驚く。4~50㎝の一面の雪が跡形もなく溶けて畑土が気持ち良さそうに陽光を浴びている。冬越しさせたタマネギとニンニクに追肥を与え、気掛りだった大根を掘り出すとどれもこれも十分に太く長く姿が良く、折れた先端から滴が沁み出してみずみずしさが伝わり「美味しそう」と妻「この保存の方法は大成功だったね」喜びの言葉を交わす。妻は配り先を「えーと、あそことあそこ」と数え「あと五本、掘り出して下さい」と私に言い「全部掘り出さなくていいの?」私の聞き質しに「暫く大丈夫そうだから、残りは次回にしましょう」大丈夫とわかれば現実の生活に戻るのも早い。2021.4.4
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