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灰色のペプシコーラ
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ayasumi-spark · 2 years ago
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アヤスミ先生の次回作にご期待ください
振り返ればなんの努力もしてこなった人生である。勉強は熱心にとりくんだことはなく、定期試験も資格試験もいつも一夜漬けで済ませてきた。楽器の練習も嫌いで、基礎をおろそかにしつづけてきた。演劇をやっていたころも発声練習や体作りなんてろくにしていなかった。全部なあなあにやってきた。それでもなんとなくこなせた。それでもちょっとだけ人より上手くできた。そういう意味では恵まれた人生だった。もちろん全部中途半端で、大成したものはひとつもなかったけれど。ぼくはこれまでいかに手を抜いて楽しく過ごせるかを目標に掲げて生きてきた。しかしそういった生活をいつまでも継続できるのはガチで才能がある人間か、行動力が尋常ではない人間か、並外れた発���力のある人間だけなのだ──ということに気がつくまでずいぶんと時間がかかった。若いうちは、楽しいだけでいい。しかし残念なことに人間は老いる。若いうちは若いというだけでなにをやっても許されるが、歳をとるとそうもいかない。歳をとっても自由気ままに楽しく暮らしたいのであれば、若いうちにたくさんの努力をしておいて、30代40代50代の自分が楽できるように整えておかねばならない。インターネットなどで観測できる「仕事していないのに自由気ままに生きている人」たちは、実はめちゃくちゃ才能があるか、めちゃくちゃ努力をしている人たちなのだ。なんやかんやみんな高学歴じゃん、そういう人たちって。ぼくはというと、なんの勉強も鍛錬も投資も準備もしないまま若い時間をいたずらに過ごし、気がつけば、ただ老いていた。音楽活動みたいなものをしながら「んー、なんかそのうちワンチャンあるでしょ」と自堕落に過ごしていた。泳ぎ回りもせずに口をパクパクしながらただエサを待つだけのコイみたいに。そして気がつけばアラサーになっていた。いつの間にか「若いねー」と言われなくなっていた。田舎の両親から実家に帰ってこいとうるさく言われるようになった。思っていたより自分になんの才能もないことに勘づきはじめていたぼくは、このままではそろそろまずいと思い、就職活動をはじめた。
というわけで、のべ1年間の、つらく、くるしく、かなしく、ときには殺意をいだく出来事もあるような、とにかくあまりいい思い出のない就職活動を経て──この度めでたく正社員として就職することとなった。ここでは業界業種職種などについて明言するのは避けることとする。勤務地は東京のため北海道への引き揚げは回避することができた。
さて、ここでぼくの人生を変えた佐藤友哉という小説家と、エリーツというロックバンドの話をしようと思う。
佐藤友哉というのは北海道千歳市出身の小説家である。レイプされて死んだ妹の仇討ちのためレイプ犯の娘や孫を誘拐したり殺したりする主人公を描いたやべーミステリ小説でデビューした(主人公が異常なだけの作品ではないのでぜひ読んでください)。15歳という多感な時分に佐藤友哉先生の著作を読み、衝撃を受け、影響を受けたぼくは、完璧に人生が狂ってしまった。ああ、あの日部活の先輩の家で乙一を読まなければ、乙一にハマって『小生物語』を読まなければ、そこで「佐藤友哉」という文字列を目にしなければ、「へーこの人北海道出身なんだ。読んでみようかな」と興味を持たなければ、今ごろバリバリ勉強して一橋大学あたりに進学して商社勤めをしていたかもしれないのに、佐藤友哉先生の小説のせいで「おれは『覇王』になるんだ」みたいな胡乱で馬鹿げた目標をいだくこととなり、「家族を笑え、恋人を捨てろ、社会人を見下せ」のマインドを持つこととなり、「レイプ描写のある作品はいい」「レイプ描写のある作品しかよくない」「レイプしない映画や小説はクソ」などとのたまう人間になってしまったのである(しかし実際のところ、佐藤友哉作品で強姦の描写がある小説はさほど多くはない)。ぼくという人間を構成する因子の大部分は佐藤友哉由来である。いつしかファンをつづけているうちにご本人に認知されるに至り、「未来のない道民」というなんとも不名誉すぎる称号を与えられてしまった。かつて「重版童貞」というあんまりなニックネームをつけられていた人から、これまたあんまりなニックネームを与えられてしまったのである。20歳になったころ、ぼくは覇王になるべく無職のまま上京した。そして数々のイベントで佐藤友哉先生ご本人とお会いし、お話した。自分の人生ねじ曲げた人にこんなかんたんに会えるなんて東京はすごいところだなと思った。
で、その佐藤友哉先生が所属するロックバンドが、エリーツである。エリーツは小説家、エッセイスト、編集者で構成された出版関係者バンドである。メンバーは佐藤友哉のほか、みなさんご存知『NHKへようこそ』で一兆円稼いだ小説家・滝本竜彦、あまりに奇書的なエロゲノベライズ作品でデビューしたのに文学賞を受賞するにまで至った小説家・海猫沢めろん、先ほどぼくが散々書いた「めちゃくちゃすごい自由人」である文筆家・pha、そんな作家たちを担当した経験のある編集者・ロベスで構成されている。バンドメンバーはみな昔から音楽活動をバリバリやっていたとかではない。ほぼ初心者たちが「バンドって楽しそうだし、やろうぜ!」と声をかけあって結成された、有り体に言ってしまえば道楽オヤジバンドである。そうそうたるメンバーで構成されている道楽オヤジバンドである。
もう2年前だろうか。ぼくはエリーツの初ライブに足を運んだ。ぼくの青春を血まみれに彩り、人生を破壊した作家たちが、ギターを弾いて、歌を歌うという。そんなのもう、行くしかないだろう。会場はぼくも散々出演した経験があり、当時の店長やスタッフとも顔見知りであった四谷アウトブレイク。エリーツの演奏は……下手だった。ぼくが音楽に多少の造詣があるからそう判断ができたのか、それともだれが聴いても下手だなと思うのかはわからないが、とにかく下手だった。歌もアレだし、音作りもアレだし、ピッチもアレだし、タテもアレだし……。軽音楽部に入部した新1年生バンドの初ライブ、みたいな演奏だった。それでも、無邪気に演奏するおじさんたちを観て、ぼくは涙を流していた。ずっとドキドキしっぱなしだった。まあこれはぼくが敬愛する作家たちが目の前で演奏していたからというのが大きいのかもしれないけれど、たったひとつたしかなことがあるとするのならば、とにかくバンドメンバー全員がピュアに音楽を奏でていたということだ。ぼくは失っていたなにかを思い出した気がした。
そしてつい先日──ここ最近、就職が決まってから間もなくである──ぼくはエリーツのライブに赴いた。エリーツのライブを観るのは(インターネット配信などを除けば)二度目だった。会場は下北沢ラグーナ。ここも何度も出演したことがあり、スタッフとは懇意の仲だ……というか主催企画を開催したこともある思い入れのあるライブハウスである。そんなところでエリーツがライブをするという。感情がめちゃくちゃである。主催は佐藤友哉フォロワーであるラッパー・ハハノシキュウ。ハハノシキュウ氏のライブに触れておくと、とにかく圧巻のパフォーマンスであった。ぼくと彼は立っている「人生のステージ」がかけ離れいるためこんなことを言うのはおこがましいけれど、やはり近い「なにか」を感じざるをえなかった。ひさしぶりに観たエリーツは、明らかに成長していた。ぼくが観ないうちにすべてのパフォーマンスが圧倒的に成長していたのである。同期音源も使ってるし……。初ライブは観ていてヒヤヒヤするような演奏だったのだが(いや正直今もそうなんだけど)、此度のライブでは、ぼくは身体を揺らして普通に音楽を楽しんでいた。エリーツはパンクバンドではないけれど、パンクバンドのライブを楽しむときのそれに近い感覚を覚えた(これ褒め言葉じゃないかもしれないけれど)。
ライブが終わったあと、佐藤友哉先生に「あの……佐藤先生……未来のない道民です……」とご挨拶し、就職したことを報告した。佐藤友哉先生は驚いた様子で、お祝いの言葉をくだすった。さらに畏れ多くもお酒を奢ってくだすった。ぼくはこのことを生涯忘れないだろう。業界職種について訊かれたため申し上げると「え、あなたそんな(会社に入れるほど)頭よかったでしたっけ」とあんまりな台詞をいただき、笑った。アドベンチャーゲーム的に言うとノーマルエンドになりました、とぼくは佐藤友哉先生に言った。当初思い描いていた人生とは離れたところに来たけど、それでも納得のできるところに着地できた。ハッピーエンドよりのノーマルエンドです、と。『灰色のダイエットコカコーラ』のラストみたいな気持ちです、とぼくは言った。覇王になりたかったけれど、なれなかった。それでも生きていく。今思うと本当に身に沁みるラストだ。ぼくは佐藤友哉に人生を破壊されつつ、救われてもいる。佐藤友哉先生は「作家と読者って、つづけるものですね」とおっしゃった。本当にそのとおりだ。
ぼくは今��28歳になった。27クラブに入れたらおもろしかったのだけれど、なんの才能もなかったので無事歳を重ねることとなった。これからも平凡に歳をとっていくのだろう。そして遅くはなったが、やっとこさ人並みの人生がはじまろうとしている。この前はノーマルエンドなんて表現したけれど、まだまだ終わりではないのだ。実は「第一章・完」というだけで、すぐに第二章がはじまる。第二章も、つらく、く���しく、かなしく、ときには殺意をいだく出来事もあるんだろうけど、走り抜くしかないんだろう。実質タイトル回収もしたしこのブログもしかして最終回か? とりあえず10年間のご愛読まことにありがとうございました。
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ayasumi-spark · 3 years ago
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愛してるんだよおれは世界のことを……戦争なんてなくなってしまえばいいのに
戦争でも起きないかなっていつも思っている。戦火に見舞われて生活が一変してとんでもないことにならないかなってずっと思っている。とか言うと先の大戦の悲惨さを知らんのかとか望まない戦争に身も心もすり減らしている人のことを考えろとか言われそうなものだけど、いやいやいやいや額面通りに受けとらないでほしい。それでもたとえが悪すぎるだとか言っていいことと悪いことの区別くらいわかるだろなんて言われそうだけどこれがおれの正直な気持ちなんだからしかたがない。あー戦争でも起きて全部がめちゃくちゃにならないかな。わざわざ全世界に向けて言わなくてもいいこと言うなよなんてことも言われそうだけどわざわざ全世界に向けて言うから気持ちいいんだろうがこういうのは。勢いのまま今の仕事をやめることにした。おれは来月からどうやって生きていくんだろう?戦争が起きたらすべてが消し飛んで有耶無耶になるのではなかろうか。戦争が起きたら税金やら年金やら有耶無耶になるのではなかろうか。なるだろ。もう一度社会システム構築しなおそう。今の年金システムおかしいし、なにかのきっかけでもないとリセットできないやん。戦争が起きたらおれは銃をとって戦場に赴くと思う。命を燃焼させたいので。べつにこれ人殺しがしたいとかどこかの国と戦争がしたいとかそういうのじゃないんですよ。戦争なんて起きてほしくないんですよ。この地球上からすべての争いが消失することを願っているんですよ。でも、すべてがめちゃくちゃにならないかな、そして自分は命を燃焼したいな、と思ったら、ああじゃあ戦争かなってなったんですよね。いやだから戦争を肯定するつもりはないんだってば!もう一回言うけど、すべてがめちゃくちゃにならないかな、そして自分は命を燃焼したいな、と思ったら、そしたら戦争じゃんってなったんですよ。他になんかありますか?こういうこと書いてると近未来だとAIに危険人物だとか察知されて施設に収監されたりするんでしょうか。AIがどうこうとか以前にこれを読んだ人は嫌な顔するんでしょうけど。だから額面通り受けとるなってば!※このブログはフィクションです。【了】
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ayasumi-spark · 3 years ago
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明日バカデカいミサイルが降ってきてすべてがめちゃくちゃにならねえかな
母親から地元に帰ってこいと言われた。嫌すぎる。なぜならおれの地元は北海道のクソ田舎だからである。クソ田舎というのは「クソほどなにもない町」ではなく「クソみたいな町」という意味である。人は環境がつくり、環境は人がつくるのである。クソ×クソ=クソなのである。おれの地元にはマジでバカしか住んでない。あんな町に住んでしまうのはバカのやることなのだから、そりゃ当然バカしかいないというところに帰結するのである。おれはほんのちょっとだけあいつらより賢かったので地元を脱出した。中学生のころからずっと地元を出たいと思っていた。こんなところでずっと暮らしていたら心を病むと思った。実際病んでいた。同級生とも大人とも絶望的に話が合わなかった。波長が合わなかった。嗜好が合わなかった。思考が合わなかった。思想が合わなかった。あいつらはみんなおれのことをバカにした。メガネをかけているとか、運動ができないとか、ブサイクだとか、そういう理由でおれのことをバカにした。地元のクソさに気がつけない、なんの疑問も持てないバカのくせして、おれのことはバカにした。そんな奴らといっしょにいたくはなかった。出ていかない理由がない。あの町には本当になんの良い思い出もない。時々帰ると町全体にバカの雰囲気が漂っていて本当にゾッとする。頭の悪い人間しか住んでいない独特の空気が流れている。おれはそれが本当に怖い。町にはおれの心を躍らせてくれるものはなにもなかった。最近ゲオも宅配ピザ屋も潰れてしまったらしい。それはおれのような若者が流出しているのもひとつの要因かもしれないが、あの町はべつにおれのような若者を引き留める努力もしていない。ただ時代の流れとともに当然のように衰退している無能の町である。仮に今帰ったとして、おれになにができるのだろう?おれはなにをすればいいのだろう?水産加工場でひたすらホタテの殻剥きでもすればいいのだろうか?それで月13万円しかもらえないのに?今さらなんの娯楽もない土地でホタテの殻剥きだけをしろというのか?発狂するに決まっている。おれが東京から離れると悲しむ人も困る人も大勢いる。これは自信をもって言える。しかしおれが地元に帰ったところでよろこぶ人間はごく少数の親族くらいのものだろう。東京には友達が200人くらいいるが地元にはひとりもいない。なぜわざわざそんなところに帰らないといけないのだろう?嫌いな土地で嫌いな人間に囲まれて好きでもない仕事をしてきっと独身で死んでいくことになんの意味があるのだろう?というか確実に数年以内に自死を選ぶことだろう。自信を持って言える。あんなところで暮らすなら死ぬ。死ねる。今すぐ死ねる。きっとあの町の若者なんてオナニーと荒野行動以外にやることがない。病むに決まってるだろ。オナニーしかやることないのに実家に住んだらオナニーすらできねぇじゃん。ふざけるなよ。オナニーひとつとっても東京に軍配が上がるわボケ。母親はおれに「なんの才能もないんだから帰ってこい」と言った。まず、最低な一言だなと思った。そしておれは絶対に帰らないぞという意思を強くした。本当に帰らせたいのなら逆効果なんだよ。母親は「若いうちに帰ってこい。時間を無駄にするな」と言った。おれは頭をかかえた。若い時間を無駄にするべきでないのだとしたら、東京で就活したほうが100億倍マシだろ。おれは母親のことは嫌いではなかった。母親はけっして賢い人間ではないが悪い人間ではなかった。しかし此度、母親も所詮あの町の住民でしかなかったのだと思わされた。なぜか母親は東京のそこそこ大きい企業より、地元の零細企業に就職したほうが将来安定だと思っているらしい。母親もあの町の住民らしく頭が悪かったのだ。とてもショックだった。母親は「才能がないし芽が出ないのだからあきらめろ」とおれに言い放ったが、ひとつ勘違いしている。おれは夢を追って東京に来たのではなく、地元から逃げた結果東京に来たのだ。音楽をやりに来たわけじゃない。音楽じゃなくてもよかった。べつにやるのは役者とかでもよかった。音楽なんて、べつにもうやめてもいいし。音楽がやりたくて東京にいるのではなく、おれは東京と東京に住んでいる人たちが好きなのだ。そして北海道に住んでいる人間たちが大嫌いなのだ。あいつらとは本当に本当に本当に話が合わないのだ。地元に帰るくらいならまだブラジルに行くほうがマシだ。地元に帰るくらいなら義勇兵としてどっかの戦闘に参加したほうがマシだ。北海道に帰ったら自殺しちまうよ。冗談ではなく、自信をもって言えるが、数年以内に自殺しちまうことだろうよ。いや本当に。おれは死にたくない。死にたくないから、北海道には帰らない。
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ayasumi-spark · 3 years ago
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コロナになりました
2022年の3月は本当に散々だった。考えうる限りの不幸がどしどしとわたしを襲った。なぜか数年に1回は不幸を濃縮還元させたような「魔の月」がやってくる。まず月初に高額な納税と家賃の更新によって貯金を枯らすと、わたしは強烈な食中毒に襲われた。これが本当に強烈であった。上から下から液体をほとばしりつづける吐瀉物サーバーとなったわたしは、はからずも数キロのダイエットに成功することとなる。その後わたしが関わっている某団体において某トラブルが発生しその対応に苦慮。それが収束したと思ったら、新型コロナウイルスに罹患した。なんということでしょう。おのれの運命の悲惨さに涙することをがまんできなかった。そしてとどめを刺すように、陽性診断を受けた初日、そこそこ行きたかった広告代理店から落選の連絡があった。これ(落選)もコロナの症状のひとつですか? 以上がわたしを襲った3月の「魔」である。今ならわたしが世界一不幸に違いないと思ったがウクライナ問題のことを考えたらわたしの悩みなんてちっぽけことであるように思えた、と割り切れたらよかった。それ(ウクライナ問題)はそれ、これ(わたし問題)はこれである。そこそこの強度のメンタルを有するわたしも3月はさすがにこたえた。そんなわけで絶賛隔離生活5日目である。幸い症状は軽く、初日に38.5℃が出たくらいでその後は微熱とちょっと咳が出るくらいに落ちついている。落ちついているとはいえいつまでも微妙な症状がダラダラつづいていてかなりウザい。どうせコロナになるのであれば一思いにやってほしかった。入りたかった会社にも落ちたわけだし。最近友人に「就職を考えている」と伝えるとみな一様に「ショックだ」と口にする。わたしが就職せずになんとかかんとかやっている様を見て、これからもなんとかかんとかやっていってほしいという思いがあるようだった。しかしわたしも27歳である。方向を転換するには頃合い……と思っていたがそこそこ遅かったらしくいろんな会社に応募しまくっては落ちまくる日々がつづいている。こんなおもしろ人間であるところのわたしを落とす会社は本当にセンスがないと思う。猛省してほしい。このような態度だから受からないのかもしれない。ところで学生時代の友人が結婚するらしい。わたしは学生時代の友人4人とともに『フェミニン撲滅委員会』という最悪な名前のLINEグループを結成しているのだが、彼はそのメンバーのひとりである。破天荒エピソードに事欠かない奴で、いつ豚箱にぶちこまれるのだろうと思っていたらまさかの結婚である。彼はこの『灰色のペプシコーラ』の数少ない愛読者であり、先日電話をしたときにはこのブログを同僚にまで勧めているという、素直によろこんでいいものかどうかわからない話を聞いた。ここでは割愛するが彼からはほかにもうれしい言葉をいくつかもらった。最近つらいことかなしいことてんこ盛りであったわけだが、彼の言葉に報いるためにも、もう少しがんばってみようと思った。結婚式の折には北海道までかけつようと思う。 P.S.同僚さんへ あいつショタコンでケモナーっすよ。
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ayasumi-spark · 3 years ago
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ラーメン二郎の年に
「完璧なラーメン二郎などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」 ラーメン二郎にはブレの概念があり、その日の仕込み方や作り手によって味が大きく変化する。そこが魅力のひとつなのだ。僕がそう説明をすると、彼女はまるでマシンガンを与えられた弥生人みたいに、わけがわからないという顔をした。 彼女とはまるで話が合わなかった。僕がラーメン二郎について話している時、彼女は一蘭のことを考えていた。結局、彼女とはそのうち会うことがなくなった。僕たちは体を重ねることはできても、精神的なところで混ざりあうことはできなかったのだ。アブラと汁が完全に分離した非乳化スープと同じように。 インターネットが普及し、ラーメン二郎が広く認知されるようになった今日でもなお、日本人のラーメン二郎に対する意識はおそろしく低い。要するに、歴史的に見てラーメン二郎が生活のレベルで日本人に関わったことは一度もなかったのだ。 僕は中古で買ったホンダ・アコードに乗って、ずいぶん遠くの店にも行った。北は札幌、西は京都まで。そのうちに行きつけの店では提供前のコールをせずとも僕の「いつもの」が黙って出てくるようになった。 雨の日であれ雪の日であれ、僕はラーメン二郎を食べ続けた。体重が100キロを超え、血糖値やコレステロール値が危険域に達しても。僕にとってのラーメン二郎は、アメリカ人にとってのハンバーガー、ロシア人にとってのウォッカ、イタリア人にとってのピザと同じもののように感じられた。 僕は・二郎が・好きだ。 「それで」と店主が言った。「ニンニクは入れる?」 「全マシで」 「全マシで」 店内にあるスピーカーからはショスタコーヴィチの交響曲『レニングラード』が流れていた。
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ayasumi-spark · 3 years ago
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あああああああああああああああああああああああああ
佳子内親王殿下、27歳のお誕生日まことにおめでとうございます。2022年も宮中行事や公務など御多忙の身かと存じますが、御自愛專一で御過ごしくださいませ。殿下の末永い御健勝と御多幸をお祈り申し上げます。そしておれも27歳になりました。佳子内親王殿下とまったく1994年12月29日に生を受けた肉のカタマリことおれです。そうです、毎年恒例のお誕生日記録です。実はこの記事の前に誕生日用ブログをひとつ書いたのですが内容がアレすぎて全ボツしました(おれに全ボツさせられる記事を書くおれはすごいと思います)。最近は就活に励んでいるのですが学歴と経歴がカスなので書類選考で落ちまくっています。「(面接で)話せば(おれの魅力が)わかる」のに、と気分はさながら犬養毅です。今年も実家には帰りません。コロナが落ち着いたようで落ち着いていない感じだからです。おれは地元が北海道の寒村であるゆえ、疫病が蔓延している今東京から人がやってくるだけで煙たがられるのです。万が一村でコロナ発症者が出れば、たとえキャリアになったのがおれではなくとも「おそらくあの家のクソ息子が持ちこんだのだろう」と村八分に遭うこと必至なのです。それを考えると村には帰れません。というか母親に「今年も帰省はひかえては」と言われたのでした。これで丸二年地元に帰らないことになります。おばあさまやおじいさまは元気でしょうか。おれは今年もなにも成し遂げることはなく、肉のカタマリのまま1年を終えようとしています。みなさんは知らないかと存じますが、年末生まれはなにかと損です。クリスマスと誕生日をいっしょにされることがままあります(おれはクリスマスに冷笑的な態度をとっている陰キャなわけですがそれでももらえるプレゼントが合併されてしまったときには損な気分にはなります)。また、年が明けると「ついこの前27歳になったけど、今年で28歳もなるんだよな」と否が応でも考えてしまうのです。一気に2歳年齢を重ねた気分になるのです。ちょっとなに言ってるかわからないという声が聞こえた気がしますが、マジで一気に2歳年齢を重ねた気分になるのです。これは年末生まれにしか伝わらないと思います。もしかしたら年末生まれの同志にも伝わらないかもしれません。27歳。才能のある奴は27歳で死ぬそうです。ブライアン・ジョーンズもジミ・ヘンドリックスもカート・コバーンも27歳で死にました。おれはどうなるでしょうか。ところでこの前死を覚悟した出来事が起きたのですが、「まあこれで死んでもいっか」と思ってしまった自分がいました。まあおれは才能がないのできっと28歳を無事に迎えると思います。
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ayasumi-spark · 4 years ago
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東京五輪開催時の記録と所感
さて、日本の先進国ごっこも風前の灯火なわけですが、残念ながら我々はまだこの先人生が長い。えらい人はどうせもうすぐ死ぬので先進国ごっこをギリギリまでつづけていれば勝ち逃げできるわけです。ふつうにずるいな。そんなわけで、新型コロナウイルスでなにもかもグダグダになった世界で、なにもかもグダグダな東京五輪がはじまった。おれはなにもかもグダグダな人生の最中に起きた、なにもかもグダグダなこの東京五輪を忘れることはないだろう。サンキューバッハ。さあこの世界的一大イベントのオリンピック、夏季五輪としては57年ぶりの日本開催なわけですが、東京の街はいつもの日常が流れているのであった。お祭りムードもなければ粛然としている感じでもない。本当に自国で、この街でオリンピックが行われているのか疑問に思ってしまうほどに、街はいつも通り。新型コロナさえなければ、もうちょい街は活気づいて、外国人観光客であふれていたのでしょうね。ネットや街頭デモではオリンピック反対の声は大きいけれど、おれは東京五輪の開催に対して反対の意思はない。 だって中止にするのは現実的ではないし (おれは誘致の段階で「こんなグダグダな国で滞りなく五輪ができるもんかね?」と思っていたが )。思考停止で「東京五輪反対」と叫んでいる人は本当に愚かだと思う。感染数増加と五輪に因果関係ってあるのか?(あるならすみません)たしかに政府は愚策を連発してきたけど、それはそれでこれはこれじゃん。思考停止でオリンピックをやり玉にあげるのもどうなのよ。まあオリンピックのせいで感染拡大する根拠があるのだとしたら、それはすみませんぼくがまちがえてましたって感じなんですけど。んでもって五輪中止派の奴らもふつうに遊びに出歩いたりしているのには笑っちゃうな。ダブスタやめーや。それにして���開会式ひどかったね。小山田圭吾やら小林賢太郎やらの直前辞任の中行われたものだったし、まあ滞りなくできただけでも万歳なのかもしれないが、やっつけ感がすさまじかった。べつにゴリゴリ和のテイストを出せとは言わんが、タップダンスとジャズピアノとQUEENと『イマジン』と『ボレロ』はあまりにナンセンスすぎるだろ。ゲームミュージックも謎だ。ふつうに最初から久石譲あたりに全部頼んでおけばよかったのに。閉会式はどうなるんだろう。ここは日本を代表する作曲家・黛敏郎の『涅槃交響曲』をフルで流して粛々と終わったらどうか。氏は1964年東京五輪に楽曲提供しているわけだし。ここはひとつ、みんなで涅槃にたどりつこうではないか。
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ayasumi-spark · 4 years ago
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2015年のピンボール
 2015年8月のことだ。僕はしばらく会っていない父に突然呼び出され、第三新東京市に来ていた。  街では国連軍の戦闘機が、醜悪なデザインの巨人と戦っていた。戦いというよりは、異形の巨人による一方的な蹂躙と表現した方が正しいかもしれない。異形の巨人は国連軍のミサイルや機銃をほとんど意に���さず、時々気まぐれに羽虫を払うように戦闘機を打ち落とした。それは凄惨な光景ではあったけれども、僕はこれといって動揺はしていなかったし、国連軍の戦闘機が撃墜される様を見ても、激しく心を痛めるようなことはなかった。僕はそれをごく自然に受け止めていた。目の前で繰り広げられるこれは、ハ長調の平行調がイ短調であるように確実で、普遍的なものごとであるように感じられた。  そのうち、一台の車が僕の目の前に止まった。父が手配した迎えだった。僕を迎えに来た人は父の同僚で、葛城ミサトといった。快活で、胸が大きく、耳の形が美しい女性だ。彼女の車はホンダのシビックだった。二十九歳の公務員が選ぶ車としては、まず最善の選択と言えた。 「ねえ、待った?」とミサトは言った。 「とても」と僕は言った。  僕と彼女はこれが初対面だった。本来であれば、小粋なジョークを交わしたり、好きな映画や好きなジャズのスタンダードについてゆっくり話すなどして、親交を深めるべきなのかもしれない。しかし残念ながら、話すべき議題はもっと他にあった。 「葛城さん」 「ミサトでいいわ」 「では、ミサトさん。あれは」僕は国連軍の戦闘機と戦う、異形の巨人を指さしながら言った。「あれは、一体?」 「あれは使徒よ」 「シト?」と僕は言った。「シトとはなんだろう?」 「あとで説明するわ」  やれやれ、大人というのはどうしていつも説明不足なのだろう? ミサトは状況に不釣り合いなチャーミングな笑顔を浮かべていた。  僕たちを乗せたホンダ・シビックは時速100キロを優に超えていた。シトと呼ばれる怪物から少しでも離れるために。あるいはミサトの運転は普段から破天荒なのかもしれない。  そのうちに、僕たちはジオフロントと呼ばれるネルフの施設に吸い込まれていった。
「それで」と僕は言った。「それで、今日は一体?」 「エヴァンゲリオンに乗るんだ」と父が言った。「エヴァンゲリオン?」  僕の目の前には巨大な人型ロボットが存在していた。おそらくこれが「エヴァンゲリオン」と見て間違いない。紫色を基調としたそのボディは、正義のロボットというよりは、どちらかと言えば世界を滅ぼす異形の怪物に見えた。 「よくわからないな」と僕は言った。「僕はどうしてそれに乗らなければならないのだろう?」 「どうだろう」と父は言った。「私は実際のところ、どちらでもいいと思っている。お前が乗るべきだと思うのならば乗るべきだし、そうでないのならばやめればいい。エヴァンゲリオンのパイロットになってもいいし、あるいは『先生』の元に帰ってもいい」 「であれば答えはノーだ」と僕は言った。「ずっと僕を遠ざけていたあなたに、いきなり呼び出されて、こんなわけのわからないものに乗れなんて、とても納得できる話ではないからね。悪いけど」 「シンジくん、ひとついいかしら?」と葛城ミサトが言った。「たしかにこれは理不尽な話かもしれない。でもあなたはこの話を断るべきではない。ここで帰ってしまったら、あなたはきっとひどく後悔するだろうし、それによって酷く苦しめられることになる」 「手入れを怠ったがゆえに楽器を壊すクラリネット奏者みたいに?」 「そう」ミサトはうなずいた。「だから悪いことは言わない。いい? エバーに乗りなさい」  僕が大げさに肩をすぼめて見せると、ミサトは額に手をあてて首を横に振った。 「ねえ」とミサトは言った。「一生そうやって生きていくつもり?」  それから僕たちの間には重い沈黙が流れた。まるで曇り空をそのまま飲みこんでしまったような気分だった。 「では、予備のパイロットを」  父がそう言うと、ストレッチャーに乗せられてひとりの少女が運ばれてきた。少女の髪の毛は完璧な水色だった。まるでクロード・モネの『散歩、日傘をさす女』に描かれた空の色みたいに。少女のほっそりとした体のいたるところに包帯が巻かれている。大きな事故に遭ったばかりなのかもしれない。  青髪の少女はストレッチャーから立ち上がると、エヴァンゲリオンと呼ばれる紫色の巨人に向かって歩き出した。けれど彼女は数歩もしないうちに転んでしまった。僕は少女に駆け寄り、その瘦せた体を抱えて起こした。  少女の背中に触った時、僕は右手に不快な湿っぽさを感じた。まるで熟れすぎたトマトを手にとった時みたいに。僕の右手は血に濡れて赤く染まっていた。無論、この血は僕のものではなく、青髪の少女の包帯から滲んだものだった。 「ひとつ聞いてもいいかな」僕は青髪の少女に向けてたずねた。 「君はなぜそこまでして、エヴァンゲリオンに���ろうとするのだろう?」 「私は好むと好まざるとに関わらず、エヴァンゲリオンに乗らなければならない」と青髪の少女は言った。 「それは、たとえ大きな怪我をしていても?」  青髪の少女はうなずいた。やれやれ。僕は深呼吸して、気持ちの整理をすると、ひとつの決心をした。 「オーケー。エヴァンゲリオンには僕が乗ろう。それでいいね?」  父は静かにうなずいた。その表情は不機嫌そうでもあったし、どこか満足げにも見えた。  いつしか僕は自分がエヴァンゲリオンに乗ることについて、ごく自然に受け止めていた。まるで、はじめからこうなることがわかっていたかのように。  私は好むと好まざるとに関わらず、エヴァンゲリオンに乗らなければならない。  僕はポケットの中にあるウォークマン――父からもらったものだ――がなにかを再生していることに気がついた。イヤフォンからは、バッハの『無伴奏チェロ組曲第1番』が流れていた。
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ayasumi-spark · 4 years ago
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Take care of yourself.
※本記事には『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』のネタバレはさほど含まれませんが鑑賞後の感情が吐露されておりますので新鮮な気持ちで映画を観たい方はご注意ください。 『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』を観た。この閉塞感しかない時代・環境で公開されるの、出来すぎな気がする。そういう宿命でも背負っているのかエヴァは。前作『Q』が出てから9年も経っていたらしい。あまりに長すぎた。あまりに待たされた。しかしわたしは「待ちわびた」とは思わなかった。だってこの9年間は自分の青春に忙しかったから。エヴァのことなんか考えるひまなんてなかった。そして青春が終わりを告げようとしている26歳と27歳のはざまで『シン』を観ることになった。なんとも完璧なタイミングだったと言えよう。「あ~『エヴァ』終わるんだ~。忙しくてぜんぜん関心なかったわ~。どれ、観に行ってやるか」のノリで行ったら完全にガツンと一発やられた。ひさしぶりにフィクション作品にふれて興奮した。ぼくは同じ映画を劇場でリピートしたことはないのだが、はじめて何度も観に行きたいと思った。『シン』には旧劇場版ではたどりつけなかった大団円があった。それは物語的にはもちろん、メタ的にもそう。『エヴァンゲリオン』という作品がメタ的な意味でも完璧に終わった。我々の中で終わらせられた。だからこそ『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』ではなく『エヴァンゲリオン』だったのだろうと思う。それにしても『エヴァンゲリオン』というシリーズが終わってしまったのだと思うと本当にかなしい。こんな気持ちになるのなら永遠に未完でよかった。それはそれで美しいではないか。いやごめんそれはちょっといやだな。わたしは『エヴァ』リアルタイム世代ではないのだが、中学生のときに『エヴァ』好きの先輩にDVD全巻を貸しつけられ(高校入学直前の春休みのときだったと思う)、見事にハマることになったのだ……というほどにハマったわけではなかった。もちろん楽しんで鑑賞はした。しかしどっぷりのめりこむまでにはならなかった。しかし「多感な時期に『エヴァンゲリオン』にふれた」という事実はは何事にも代えがたい貴重な体験なのである。即効性こそなかったものの『エヴァ』はわたしの成長につれディレイをかけながらゆっくりと精神に染みこんでいった。あの作品のマジックは遅効性の毒のようにゆっくり時間をかけて心に沈着していくことである。「若い時に鑑賞しなければいけない作品」というのはたくさんあるが、『エヴァンゲリオン』ほど該当するものはないと思う。若い時に観ておいて、感情をワインのように熟成させる必要がある。なんかめちゃくちゃキモいこと書いてるなおれ。ともかく完全に熟成した今観る『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』は本当にくるものがあった。おれはひとり映画館で泣いていた。あんま泣いてる人いなくておののいた。あと連れ合いで来ている客の多さに愕然とした。ひとりで観るものだと思っていたので。終わったあとに女ふたりが「理解しきれなかった~」「なんで加持さん出てきたの?」とか言い合っていてマジでブチ●してやろうかと思った。見るからにオタクな男ふたりが「結局人類補完計画っていうのは~」と講釈たれあっているのを見てつかみかかりそうになった。本当にムカついた。最近怒ることがなかったからうれしかった。こんな気持ちにさせてくれる『エヴァンゲリオン』という作品はやはり本当にすばらしいなと思った。ぼくを思春期にひきもどしてくれてありがとう。それにしてもジェットアローンがマグマにダイブして親指を立てながら沈んでいくシーンでは涙を禁じえなかった。
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ayasumi-spark · 4 years ago
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こんぺこございますなんだワ
最近、物事の善悪の区別がわからなくなってきた。というか本来そんなものはないのかもしれないし、つけていいものではないのかもしれない。たとえば浮気は悪なのかどうかという話。ほんの少し前までは既婚者であっても遊女通いすることはなにも不思議ではなかったし、妾を持つことはあたりまえだったし(それなりの階級の男性に限った話だが)、たとえ腹違いであろうが子供をたくさんこさえるのはえらいことだったのだ(これまたそれなりの階級の男性に限った話だが)。というか不特定多数の人間と性交渉するのは動物の本能を考えると正解なのである。とにもかくにも「不特定多数の人間との性交渉は悪」というのは文明を生きる人間の現代的価値観に即したものに過ぎない。「現代では」悪いものとされているだけに過ぎない。西洋諸国は現在日本の捕鯨に反対の声を上げているが、ほんの少し前までは鯨油を採るためにバンバン殺傷していた。日本で大麻の所持が罰せられるようになったのはGHQ統治以降の話で、長年「神の草」として親しまれていた(そして現在では世界的に見ると解禁の流れになっている)。このように「よいもの」と「悪いもの」は簡単にひっくり返る。今では理解を得られている同性愛を民衆が受け入れるようになったのはごくごく最近の話だ。小児性愛や近親相姦についても「気持ち悪くてダメなもの」という価値観がひっくり返る未来だって十分ありえるだろう。「男性の長髪はみっともない」という価値観だってこれは近代にできたもので、ずっと長髪が「正しい姿」だった。現代ではヒゲを生やしている男はみっともなく無礼だと思われているが、ほんの70年ほど前までは世界中の政治家や軍人はえらさをアピールするためにほとんどが髭を生やしていた。70年前までは鬼畜米英を殺傷すると国の英雄だったのに、少し時代が流れるだけで防衛戦力すら放棄するべきだという論者が生まれたりする。 人の価値観なんて時代や住んでいる国、信仰している宗教によってとても簡単に変わるのだ。善悪の基準はすべて時代の空気感や国家や宗教が決めるのだ。そういったことを考えると、わたしは善悪の区別をすることそのものが愚かな行為なのではないかと思ってしまう。「これは多くの人が悪いことだと思っているから」という大義でだれかに石を投げるのは本当に愚かではないか。文明社会にルールが必要なのは確かだ。それに従うのはなにも悪いことではない。しかしながら時代や国が作る価値観に盲目に隷従し、それが絶対的正義だとして道からそれた人間を責め立てるのは、あまりに浅薄であるように思えてならない。わたしたちはたまたまこの時代に居合わせただけなのだ。「コンセンサスの上では異端行為だから・異端人物だから」という理由で、特定の人間に向けて石を投げていいということにはならないだろう。もちろんいつの時代でも共通して「してはいけないこと」はあって、「相手の同意を得ずに一方的に身体的・精神的危害を加えること」「嘘をつくこと」「相手の考え・指向・嗜好を頭ごなしに否定すること」の3点についてはたぶんいつだってよくないよねと思う。それ以外はもう、自由にさせたらいいのではないかと思う。「それはなんとなくいけないことな気がして、気持ち悪いことだと思うから」という理由で芸能人の不貞報道をバッシングするのは本当にあさましいと思わんかね。みなあまりに時代のつくる価値観に囚われすぎている。無邪気な正義を行使しすぎている。そんなわけで私は、ありとあらゆることに対して善悪の意見を述べることを放棄したのだった。また悟りに一歩近づいてイクゥ。
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ayasumi-spark · 4 years ago
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空洞です
最近はぶどう糖果糖液糖の摂取を控えており、休日出先でのみジュースを飲んでもよい、ということにしている。基本的に水しか飲んでいない。最低2リットル、いけるときは3リットル飲むようにしている。これが意外と苦ではない。どうやら私は砂糖中毒でもカフェイン中毒でもないらしかった。また、元来それなりにしているほうだったが最近かなり自炊の頻度が増えた。意識的に野菜を使うようにも心がけている。炭水化物も控えており、あれだけ食べていたラーメンもかなり抑えている。昼はサラダチキンとカップスープのみである。さらにあろうことか筋トレまではじめた。26歳になった私は不摂生を控え、完全に健康人間と変貌しつつあるのだった。べつに長生きをしたいからではない。なんならいつも希死念慮と格闘しているのだ。しかし人間そう簡単に死ねるものでもないし、せめて生きているうちはそれなりに整った人間であろうと思ったのである。筋トレを行うと憂鬱や希死念慮から解放されるとよく聞くのだが、今のところまったくそんなことはなく普通に死にたい。こうなったらバキバキに腹筋を割ってから死のうと思う。「筋トレしている奴は自殺しない」という通念を粉々に破壊できたらおもしろいのではないか。私が筋肉バキバキの死体と化したらかなりギャグなので遠慮せずに笑ってほしい。ところで緊急事態宣言の真っ最中である。相変わらず政府による「やってる感」の演出以外のなにものでもないソレには辟易せざるをえない。Go to eatの後に営業短縮とはお笑いではないか。別に営業短縮が悪いのではなく、じゃあ最初からGo to eat()なんてやるんじゃないよと思う。結果として完全にギャグになってしまったではないか。ところで今回の緊急事態宣言と去年の緊急事態宣言と異なる点がひとつある。「1都3県のみ」「一斉休校はない」「営業時短・停止は飲食店のみ」……いや私が言及したいのは緊急事態宣言の提示するルールそのものではない。民衆の心理に着眼点を移してみよう。するとあるひとつのことに気がつく。みんな、完全に「飽きている」のである。前の緊急事態宣言の折には若者ですらTwitterで「緊急事態宣言出ているのにに出歩ている人の神経疑う」などと言っていたのに、今回はそのような発信をしている人間は皆無なのである。自粛警察がとにかくおとなしい。去年の5月に他人を咎めていた人間が、みんなガンガン出歩いているのだ。完全にあきらめているし、飽きているし、ここまできて大丈夫なら今後も私だけはかからないだろうと思っているのだ。欲望に勝てなくなっているのだ。いやいやいや初志貫徹しろよと思う。自分の発言には責任を持てよと思う。意見を翻すなら翻した旨表明しろよと思う。まあ前このブログでも同じことを書いたが、緊急事態宣言が出た途端に「国が呼びかけているからみんな自粛しよう!」などと急に騒ぐのが一番愚かなので、それよかぜんぜんマシなのだが(緊急事態宣言が出ている時だけ気をつけようというのはそもそもおかしい話なのだ)。私はというと強いられていることもありガンガン今まで通りの暮らしでやっている。そんなわけであまり私には会わないほうがいいかもしれない。それっぽい症状が出たら、医療環境を圧迫するのは申し訳ないので、責任をもってひきこもり、ひっそりと息をひきとろうと思います。
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ayasumi-spark · 4 years ago
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年末の東京で哀を叫んだおじさん
命を燃やしたい。命、燃やしたくないですか? 使命を遂げたくないですか? 命の役目をまっとうしたくないですか? そんなこと考えたことがない? ではなぜ生きているのですか? 答えはわからない。わかりたくもないのさ。たったひとつたしかなことがあるとするのならば某(それがし)はまた覇王になれずに歳を重ねてしまったということである。26歳になった。文字に起こしてみると本当に絶望的な数字だ。もう幾許もせぬうちに三十路に到達するのである。現状、26歳であるのに稼ぎは少なく、地位も名誉もなく、子を為すビジョンなどまったく見えぬ。この世に生を受けた者としてもっともわかりやすい使命は子孫を残すことであるが、某(それがし)には到底できまい。仮に子を為したとて、某(それがし)の魂がそれで昇華されるとは思えぬ。生まれ変わりがあるのであれば、子を為すだけの人生では満足できずきっとまたこの世に生まなおすにちがいない。もっと別の大義に殉じたいのである。某(それがし)の命の役目とはなんだろうか。某(それがし)にも生まれた意味がきっとあるはずで、果たすべき魂の役目があるはずなのである。最近そのようなことばかり考えるのである。それは春先に起こったアレコレに起因するにほかならない。しかしこの(少なくとも表面上は)太平の世では自らの役目を見つけることは難しいのである。幕末から明治の混乱期に命を燃焼していった人間たちは、みな一様に命の役目をまっとうしていた気がしてならぬ。もしかするとテロ組織に参加する人間は、その魂が燃焼を望み、役目をまっとうせんとして、銃をとってしまうのではないか。某(それがし)は彼らの気持ちがすこしだけわかる気がするのだ。今年は疫病が世界を覆ってしまい、某(それがし)の生活も一変してしまいとても苦しい年になったということはまったくなかった。食うに困る事態に陥ることもなかった。疫病があろうともなかろうとも某(それがし)の人生はなにも変わりはなかったであろう。疫病のせいにするのは簡単ではあるが、自らの実力のなさに目を背けてはならぬ。しかしながら疫病がいつまでも蔓延しつづけているのは、それはそれで身動きがとれず困るものである。このままではアッという間に三十路になってしまうだろう。三十路を過ぎた人間はみな一様に「年齢など関係ない」と仰せになるが、某(それがし)にはそれが信じられぬ。というか某(それがし)はシンプルに加齢が怖い。し、無駄に歳を重ねてしまっているという罪悪感でやばいのである。某(それがし)はこれから先どこにむかっていくのだろうか。どこにむかっていくべきなのであろうか。今年の年の瀬は、はじめて東京で過ごす。親不孝ながらも毎年この時期は国許に帰省していたのだが、この疫病が蔓延する世ではそれは叶わぬ。周囲では帰省している人間も少なくはないが、某(それがし)の国は蝦夷の寒村ゆえ、万が一があれば家の存亡に関わるのである(村八分的な意味で)。某(それがし)は今東京のアパートでこの文章を打鍵している。年の瀬の記事更新は恒例ではあるが、いつも電車か実家で書いているので、なんとも不思議な気持ちである。26歳になりたての男が、暖房もつけず寒いアパートでひとり年を越すのである。それのなんとむなしいことか。来年、某(それがし)は27歳になる。27歳といえば某(それがし)が敬拝する作家である佐藤友哉先生は三島由紀夫賞を受賞した年齢である。今年は佐藤友哉先生とよくお話をさせていただく歳であった。しかし某(それがし)、まだ事を為してもいないのに軽薄に関わりすぎたのではないかと反省している。来年こそは覇王になり、この世のすべてを蹂躙し、みなにえらそうな態度で接していきたいものである。あ〜命を燃焼してぇ〜(26歳とは思えぬ痛々しい性格と発言、これっていつまでつづいていくのだろうな?)。
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ayasumi-spark · 5 years ago
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『灰色のペプシコーラ』傑作選
Tumblerを利用したこのブログ、なんともう開設から7年が経過したらしい。19歳の時にはじめて26歳になった今も使っているのである。その間いろんなサービスが勃興していたがずっとTumblerを使い続けている。なんだかnoteとかいうのはシャバい気がするのだ。 このブログ、基本的には痰壺である。だいたいはムカつくことがあった時か、なにもなくともなぜかムカつく時に感情を吐き出すために書いている。 読み返して思ったが、やはり概ね駄文であった。執筆の動機が動機なのだからそりゃ駄文になりがちではある。それにしてもめちゃくちゃ厭世してるなコイツ。あと自分の年齢を呪いがち。 そんな中で「これはおもしろいな」という文章もあるのでぜひ読んでいただきたく、年代順にご紹介したい(タイトルを押せば該当記事に飛ぶ)。
『街ん中の町田アヤスミ』  2016年5月(21歳) タイトルの元ネタは舞城王太郎の小説『山ん中の獅見朋成雄』から。 性格も文章もこの時が一番キレていた。文章のタッチは舞城王太郎を相当意識しているがもちろんなりきれてはいない。かなり粗削りではあるが、今読んでも名文だなと思う。
『高田馬場ロータリー大学シリーズまとめ』 2016年8月(21歳) ある日突然とり憑かれたように執筆し、Twitterに連投した「存在しない小説の帯文」のまとめ。言わずと知れた代表作である。 全10作をドライブ感のまま一気に書き上げた。当時、頭が熱くなり、発汗していたのを憶えている。興奮が伝わったのかタイムラインがまあまあ沸いた。それなりにリツイートもされ、まったく知らない人からも反響があり、創作で満たされることの快感を覚えた。 過ぎ去りしあの時の情熱やキレをもう一度取り戻したいと思うアラサーの日々。
『課税の歌を聴け』 2017年6月(22歳) タイトルの元ネタは村上春樹の『風の歌を聴け』から。ていうかまんま村上春樹構文である。 税金の払いたくなさを村上春樹風の文章で表現した。すっきりわかりやすくまとまっている読みやすい掌編。 最近Twitterに記事をスクショして載せたら微バズした。ブログはぜんぜん読まれなかったのに。やはりリンクを押すというのは億劫だよな。
『続・課税の歌を聴け』 2018年10月(23歳) 「続」とついているがべつに前作から繋がっているわけでもなければ税金の話でもない。 冒頭は『ねじまき鳥クロニクル』、その他は概ね『羊をめぐる冒険』のパクリである。文量は少し長め。
『ラーメン二郎を一日で三食くらった時の話』 2019年6月(24歳) 文末に「実話をもとにしたフィクション」とあるが90%くらいは嘘である。 ラーメン二郎を一日で三食くらったのは本当であるが、それ以外には真実がひとつもない。もちろん「ジロウと呼ばれる少女」という人物は存在しない。男4人で食べに行った。もう二度とやらないと思う。 それにしてもすさまじい文量である。文章のタッチは村上春樹構文まではいかず、あくまでも村上春樹風くらいでとどまっている。ちなみに「ジロウと呼ばれる少女」は『海辺のカフカ』の「カラスと呼ばれる少年」からパクった。 このブログにしてはめずらしくそれなりの反響があった。
『二月二十九日』 2020年3月(25歳) タイトルの元ネタは太宰治の小説『十二月八日』から。ほとんど丸写しと言っても過言ではない。サリンジャーの『ナインストーリーズ』をなぞった佐藤友哉の『ナインストーリーズ』と同じノリと言えば伝わるだろう(伝わらないだろう)。 コロナ禍における生活の状況を文章に残しておこうと思ったとき、日米開戦の当日を描いた『十二月八日』はまさに元ネタとしてうってつけであった。
『2015年のピンボール』 2021年5月(26歳) タイトルの元ネタは村上春樹の小説『1973年のピンボール』から。エヴァンゲリオンの冒頭を村上春樹が書いたらこんな感じやろ、みたいな安易なやつ。公開時期から鑑みると『シン・エヴァンゲリオン』を鑑賞し触発されたものであることは想像に難くないであろう。どんだけ村上春樹の真似こするんだよ。 ふりかえってわかったのだが、だいたい「いいな」と思った記事は既存の作家や作品のノリをオマージュしたものがほとんどであった。『高田馬場ロータリー大学シリーズ』以外は全部なにかの真似である。やれやれ、オリジナリティというやつはいつ獲得できるのだろう?
ブログタイトルの『灰色のペプシコーラ』は中上健次の『灰色のコカコーラ』をオマージュした佐藤友哉の『灰色のダイエットコカコーラ』のパクリである。もう出がらしもいいところである。
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ayasumi-spark · 5 years ago
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にょぜがもん
太宰治が戦後に書いた文章の中で「なぜ戦争中に軍国主義に熱狂していた民衆が、敗戦の途端にみんな『あの戦争はよくなかった』と口々に語りだしたのか。ふざけるな半端者どもめが(雑な意訳)」みたいなことを言っていたと思うんだけど(うろおぼえ)、マジで気持ちがわかる。御上の言うことやその時の情勢によってコロコロと思想を変えてしまう人間のなんたる多いことや。べつに御上の言うことに従うのが悪いというわけではない。情勢にならうのも悪いことではない。しかしよくもまあいけしゃあしゃあと短期間で思想を変えることができやがるな、あたかもそれが正しいことだという態度がとれるな、と最近コロナ禍の中思うわけである。みんな自分の意思なさすぎ。長い物に巻かれすぎ。なによりムーブが卑怯すぎ。マジでムカついているからなおれは。今年の5月、大きな都市では緊急事態宣言が発令され、外出をひかえるように呼びかけられた。その際に出歩いている人間を「モラルがない」と批判する人間はめちゃんこ多くいた。そういった類のお気持ち表明がTwitterでは散見された。それは間違いではない。たしかにこの疫病が蔓延している中でウィルスのキャリアになりかねない行動を起こすのはどちらかと言えばモラルのない行いであることに違いない。しかし、である。緊急事態宣言の時にあれだけ外出人間を批判していた人間が、今はガンガンに出歩いているのである。は??????????緊急事態宣言の時より日間感染者数の増えている今にガンガンに出歩いているのである。なんで??????????「今は緊急事態宣言発令されてないしいいだろ」ってこと?卑怯すぎるだろ。なぜあの時にモラルを説いていた人間が今出歩いてもいいという判断をしているのか、疑問でならない。勘違いしている人が多いが、モラルとは法律とか政府とかそういうものから外れたところにあるのだ。モラルというのはだれかに決められることではなく、お前の中にあるものなのである。もちろん大衆のコンセンサスによって常識というのは形を変えるものではあるが、短期間で都合よく変えていいものではないだろ。お前たちの意思あまりに脆弱すぎやしないか。なんでコロナ収束の兆しすらない今に「だれにもなにも注意されてないから」って出歩いちゃうのか。あれだけ緊急事態宣言の時は人に「今外出するべきではない」とか言っていたのに。「政府がGo Toキャンペーンやってるから今は消費をするべき」とでも言い訳するのかしら?たしかに政府の言っていることとやっていることは一貫していない。しかしお前のモラルは一貫しなければならない。そうだろ。それがモラルというやつだから。なぜ「感染者の拡大を防ぐために出歩くのを控えるべき」と言っていた人間が今Go Toナントカを無邪気に利用ができるのか。あまりに思考が停止しているだろ。きっとみんな先生に言われたことはしっかり守ってきたんだろうな。先生に言われたこと"だけ"は守ってきたんだろうな。一度自分が出した言葉には責任をもってほしい。もしくはしっかり謝って訂正してから行動してほしい。「緊急事態宣言の時は出歩いてる人を批判してたけど、もう私我慢できないし、危機感も薄れてきたから、旅行しちゃいます!ごめんね!」と一言ほしい。それだけでいいんだわ。どいつもこいつもなかったことにしやがってよ。まあでもみんな普段から他人の不貞やパートナーの不貞に文句言いながら自分はガンガンに姦通しまくってるからなあ。ダブルスタンダード大国ニッポンよ。とか言いつつおれも自分にそういうところなくはないだろうから気をつけていきたい。あと勘違いしないでほしいんだけど、おれは出歩ている人も出歩かない人もどちらも批判するつもりはない。緊急事態宣言の時にあれだけえらそうに説教垂らしていた人間が何事もなかったかのように出歩いているのが気に食わないだけである。また緊急事態宣言発令されたらきっと今遊びまくっている人間も急に「今出歩くのはモラルがない」とか途端に掌返すんだろうな。絶対に赦さんぞ。そうやって永遠に掌返しつづけていくんだろうな。村上春樹の『壁と卵』の喩えだったらお前らずーっと壁側!卑怯者!バーカ!
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ayasumi-spark · 5 years ago
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歌劇『金のない男』より
「令和時代を生きる一般的な二十代男性」という感じがして本当に嫌なんだけど、恒常的に漠然とした不安にとらわれていて、死にたくはないんだけど、まあべつにいつ死んでもいいなとずっと思っている。本当に「令和時代を生きる一般的な二十代男性」以外のなにものでもなく、自分のつまらなさに死にたくなりますな。本当につまらない導入だ。なんならこのネタ何回もやったよなあ。めちゃくちゃ焼き直ししてるわ。でも最近それが顕著なのだ。このころ周りでも芸能界でも死が連続していて、それに影響をうけているにほかならない。人生そのものが燃え尽き症候群である。野望みたいなものはなくて、何事もワンチャンうまいこといったらラッキーだなくらいにしか思えないのだ。若いころは(今だってじゅうぶんに若いのはわかっています)到底揃う見こみのない配牌から国士無双を狙うやんちゃ者ではあったのだけれど。今すぐ死にたいってほどなにかに追い詰められたりしているわけではないのだけれど、かといって生への渇望のようなものもなくて、困っちゃう。積極的に生きる理由もないけれど積極的に死ぬ理由もない。明日で人生終了ですと言われても後悔はないといったところ。実はそれってとても恵まれた人生であることの証左である気もする。それは親や周りの環境に感謝しなければならないなと思う。これまでの人生で本当にどん底になったタイミングは一度もないわけで。かといってめちゃくちゃ輝いた経験もないのだ。せいぜい年一ライブハウスで個人主催企画打つ程度が関の山。いやでもそれって簡単なことではなくて、本当に恵まれた環境や人にかこまれているなと実感も感謝もしています。でも「あれ~おれってできてこんなもんなのかな」みたいなことを思ったり。こんなことを思うということは向上心なくはないのかな? 答えはわからない。わかりたくもないのさ。たったひとつたしかなことがあるとするのならばおれは自己愛性パーソナリティ障害だ。そんなわけでなんとな~く自分の限界を察してしまっている僕なのだった(この決めつけは本当によくないことだとわかってはいます)。二十代も後半になるとこの先の人生がなんとなく察せてしまうのよな。このままこの人生を延長しつづけるとに意味があるのだろうか? そりゃもちろん変化を望めばまた話はべつ。みんな勘違いしているけれど実は自分の環境をガラッと変えることはそう難しいことではない。沖縄に引っ越したりすれば一気に違う人生が��じまるわけで。一念発起してラーメン屋を開業してもいいわけで。結婚して子供つくるのだって、めちゃくちゃ難しいというわけではない(その後の生活がたいへんだどうこうというのとはまたべつのはなし)。でもべつにそれらは僕がしたいことではないのだ。じゃあなにがしたいのかって言われると、べつにしたいことってそんなにはない。したくないことのほうが多いかな。仕事とか、したくないよね。毎日決まった時間に起きて、人に頭を下げて金を稼いで、飯食って、寝て、というのが本当に苦痛だなあ。20代後半にもなってまだこんなことを思っているなんて、本当の意味で社会不適合なのだなあ。中学生じゃあないんだからさ、アヤスミくん。そんなわけでYouTubeをはじめることにします(ガチです)。
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ayasumi-spark · 5 years ago
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恐れを知らない戦士のように振る舞うしかない
少し前に「釣り銭の渡し方がなっていない」と老人客に注意され逆上したコンビニ店員がその老人をボコボコにした事件があったけれど、β世界線の自分を見ているようで本当に怖かった。こいつはおれだ、と思った。正直コンビニで働いていたら、というかコンビニにかぎらず接客の仕事をしていたらおれもやりかねないと思う。なぜならおれは老人が嫌いだし「客」という存在が嫌いだからだ。コールセンターで働いていたとき、おれは厄介客に全力で立ち向かいガチで喧嘩していた。なぜなら「客」という属性をもった存在がシンプルにムカつくからだ。本当にコールセンターでよかった。つかみかかりたくてもつかみかかることができないからだ。世には「関西人」「B型の男」「バンドマン」といった特定の属性に苦手意識をもつ人間がいるが、それと同じだ。おれは「客」が嫌いなのだ。なぜなら客は強いからである。客は常に店員より優位に立とうと接してくる。そして店員は基本的に客に下手に出なければならない。その構図がムカついて本当にしかたがない。なぜ俺様がこんなおっさん相手にへこへこしなければならないのかと思う。そもそもこの世のクレームの8割は客のいちゃもんだ。マジで。少なくとも働いていたコールセンターではそうだった。客はこちらが言ったことを「聞いてない」と言うし言ってないことを「言われた」などとのたまう。ガチでだいたい客が悪い。みなさんもコールセンターにクレームを入れようと思ったときは「自分の過失ではないか」ということを冷静になって考えてほしい。そんなわけでなぜ悪いことをしていないおれが客に謝らなければならないのかと思ってしまう。べつに普通の客ならなんとも思わないし、極力丁寧に接するよう心がけていた。ただ厄介客になっては話が別だ。全力で戦う。コールセンターでもそうだし、かつて在籍していたバンドの物販でもえらそうにしてくる客とも何度バトったかわからない。べつにいつものおれは短気なわけではない。むしろ人より我慢ができるほうだと思う。友人知人になにを言われてもなにをされてもあまり怒らない。「眼鏡かけてるおまえブスだよな」とか言われても遊びの予定を急にトバされてもぜんぜん怒らない。くだんのコンビニ店員も普段は感じのよい人だったとのことである。こんな事件を起こすなんて考えられないと。ゾッとする話だ。ただ、業務中に客とトラブルを起こすことはそれなりにあったらしい。その話を聞いたとき、おれは彼に自分を重ねてしまった。彼はきっと通常何事もなければ優しい人なのだろう。ただ、フラストレーションが爆発してしまうことが時々あるのだ。おれと同じく「客」という属性の存在が特に嫌いだったのだと思う。「店員だから」という理由だけで自分がへりくだらなければならないことにも疑問をもち、怒っていたはずだ。そしてそもそも「仕事」そのものが好きではなかったはずである。おれにはそれがわかる。なぜなら彼はおれだからである。マジで乱暴な差別を言いますが、45~75歳くらいのおっさんおばさんじーさんばーさんは本当に厄介な奴が多い。いちばん関わりたくない人種である。我々の世代も年を重ねると今の中年のようになってしまうのだろうか。そうならないように心がけていきたいものである。
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ayasumi-spark · 5 years ago
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オオオエエアアエエ
『サブカル』って「どこか仄暗い人」のための「どこか仄暗さを感じる文化」のことだと認識してたんだけど、最近だと「ロキノンバンドのライブで暴れ()て『ポプテピピック』を視聴する中高大生」のことを指すらしく、いやいやそれってメインカルチャーを突き進むリア充やんけと思う。おまえら「クラスのDQNマジで相容れない」みたいな態度とってるけどおれからしたらおまえらも十分DQNじゃアホ。あれ、DQNって死語ですか? サブカルを自称するなら蔦まみれの外装の喫茶店で一杯700円するブラックコーヒーすすらんかい。小さい劇場で『存在の耐えられない軽さ』を観んかい。『鬼滅の刃』ではなく魚喃キリコを読まんかい。内省的な歌詞のシューゲイズバンド聴かんかい。ちなみにおれはコーヒー飲めないし『存在の耐えられない軽さ』は眠くて耐えられないし魚喃キリコもそんなに読んでないしシューゲイズバンドも聴かない。そんなことはどうでもよくて2020年8月末現在完全にウィズコロナのまま生活がつづいている。緊急事態宣言が出ていたときに「この時期に出歩くのはどうかと思います。品性を疑います」とか言っていた人たちがバンバン出歩いているのを見てげんなりしちゃうな。というのは「まだ危ないから出歩くんじゃないよ」ということではなく「おまえ人のこと責めてたくせになんなんだよ」ってことです。感染者は増える一方だが重症者や死亡者は増えていない?っぽい、からなのかもうみんなあきらめて元の生活にもどっているのかな。それとも単純に出歩かないことに耐えられなくなったのかな。ちなみにおれは緊急事態宣言が出ていたときからバンバン外出していたので(仕事)ぜんぜん自粛とかしてなかったです。最初からあきらめてました。コロナであろうがなかろうが元来ひきこもりたいほうなんですけども。しっかしまあ「この時期に出歩くのはどうかと思います。品性を疑います」とか言っていた人たち、自分の言ったこと忘れたんだろうか。「緊急事態宣言出されたから自粛してた。言われたことは守るべき。だから自粛してない人間をバッシングしてた。今は緊急事態宣言出されてないしべつに出歩いてもいいでしょ」というのが非常に日本人っぽくてゾクゾクするよな。このコロナ禍で様々なことが浮き彫りになった気がする。今年はありとあらゆるイベントが開催されなくて夏っぽいことぜんぜんできなかったな。元来してない気もするけれど。藤原基央が結婚しておれの青春が終了した感がする夏であった。
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