Tumgik
banmatsuri · 6 years
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9月15日(土)お知らせ
こちらでの日記を、WordPressでつくったあたらしい日記へと、少しずつコピペしている。読み返しながら加筆修正しつつ、これはもう、あたらしくスタートできてるのでは?という気になってきた。
昨夜、夫にTwitterとの連携をしてもらったばかりなので、どきどきしながら記事をアップする。更新するのと同時にTwitterで投稿される、というのに憧れがあったというか、少しオープンにしていきたい気持ちの現れなのです。
でも何も起こらない。設定の方法など、ネットで検索しても自分ではいまいちわからないので、起床した夫に訴えると「ウェブの世界はこの繰り返し」と諭された。Tumblrでも連携できなかったことがあり、そんなものかな…と思いながら、Twitterのプロフィールにリンクを貼ろうとするもエラー。それならと、つぶやいてみてもエラー。
そこで夫に調べてもらったところ、あたらしい日記のURLが、Twitterではスパム認定されていることがわかる。それは何故か?というのは、こちらでは計り知れないことらしく、とにかくスパムじゃないよ、という報告をしてもらったけれど、それが受け入れられるのに2週間くらい、かかるらしい。
そのURLで日記を書いていくことに何も問題はないけれど、自分にとって少しはオープンな場であるTwitterで、直接のお知らせができないことがショックだった。まだしばらくは、ひっそり更新していきなよ、ということかもしれない。夫にとっても想定外だったことで、「ネットは広大だわ…」と有名な台詞をつぶやきたくもなる。
なごりおしいけれど、いま書きかけかている日記から、あたらしい日記へ移行をしようと思っています。いろいろ途中な部分も多いですが、個人のサイトを持てたようで嬉しいです。下記のURLからどうぞ。ひきつづき、よろしくお願いします。
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banmatsuri · 6 years
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Brunfelsia(ブルンフェルシアとよみます)
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近々、この日記を移行しようと思っています。
というのも、ホームページも製作するデザイナーである夫(この日記をいまだ読んだことがない)が、Tumblrを使いはじめた当初から、おもにアプリの不具合に、ぶちぶち言っていたわたしに見かね、Word Pressというソフトウェア(って何?と書いてる端から思うのですが…)でブログ設定したるわという話に、なったわけです。自分の勉強にもなるからと。夫はやさしい。
その間、約3ヶ月。わたしはTumblrに慣れ、不具合は解消されないものの、この日記をとても楽しんでいて、正直どちらでもよくなっていた。
しかし、最近は日記をなかなか書けず(といっても、毎日1、2行ずつは書いていて、要は書く速度が遅い)、何をしていたかというと、内職に精をだしていた。日々の優先順位も、感情も一定ではなく、揺らいでいる。書きたい過去のこと、めまぐるしく過ぎる現在がないまぜになり、どうしたものかなぁと思っていた。
そしてまた最近、日付をタイトルにするのをやめて、詩人のエミリ・ディキンスン方式(文章の最初の1行めをタイトルにする。思えば、保坂さんの『カフカ式練習帳』もそうだ)にしてみたら、するする書けることを発見し(と思ったけど、いつもより時間のある週末に書いてたからだ、という気もしてくる)、日記を書くのがまた楽しく思えた。この記事はすでにディキンスンやないけど。べつに何だって、ただのごっこというか、ここはわたしの遊び場なんやから、自由でいい。
この機会に、日記の場所を変え、見た目も変わることで、新しい気持ちになれるかな、と思ったのだった。いろいろ試してみたいという気持ち。
ただ、移行もひとすじなわではいかない。自分で触るには難しい部分が多いし、デザインがイメージと違ったり、ちょっとしたことから、先に進まない。夫には、日記を書くことが自分にとって、どれだけ大切なのか、伝えることができていないと思う。コミュニケーション不足だな。
いまさらながら、移行する前に、ブログのタイトルについて書こうと思ったのだった。Brunfelsia(ブルンフェルシアとよみます)って何かというと、バンマツリというナス科の植物の英名なのですが、バンマツリにはまた別の呼び名があり、それが本名(旧姓での)と酷似していることに、ちなんでいます。スーパーの一角にあった小さな花屋さんで、その植物を見つけたときは、とても愉快な気持ちになった。でも、タイトルはずっと仮のつもりでいて、ほかのタイトルがまだ思いつかない。なので、移行後もタイトルは同じです。
実家にて姉と会う。かつて姉は、よくコンビニの前などに置いてある、ソフトクリームの灯りがとても欲しい人だった。このままだと盗みにはしってしまうのでは…というくらい、ずっと欲しがっていたように思うのだが、あるときバラエティショップでそのミニチュア版を見つけ、これは!と姉に贈った。もう何年前のことなのか、すっかり忘れてしまっていたが、今回の台風で10時間ほど停電した姉宅で、ミニチュア版ソフトクリームが役に立ったのだと感謝され、ちょっと嬉しくなる。ソフトクリームを抱え、トイレにいったりしたらしい。市内では、まだ停電している所があると、姉から教えてもらう。台風からすでに、1週間が経とうとしている。
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banmatsuri · 6 years
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いつまでも洗濯が
いつまでも洗濯がおわらない。これはいつもの、午前中によくある風景で、洗濯をしていたはずが、気づくとわたしはほかごとをしている。今日も気づけばスマホを見ていて、参加したかった読書会に関する呟きをツイッターで読み、慌てて申し込みのメールをして、明日は新月なので、ブログの移行をするならこのタイミングなのかな、とずっと考えつづけていたので、トップ画面で使えそうな画像をパソコンで探しだし、気づけばもう何年も前に参列した、高校時代の友達の結婚式の写真を見はじめていて、わたし茶髪のボブやんか、とか思っていたら、すぐそばに赤いクレヨンを握ったあーちゃんが立っていた。床が真っ赤になっていた。まだ洗濯はおわっていない。
しかも今日は、娘のごはんに使おうと、少量のかぼちゃをラップにくるみ、電子レンジで柔らかくしようとしたら、燃やしてしまった。まず匂いでやばいと気づいて、急いでスイッチを消したけれど、煙りがとにかくすごかった。とにかく娘を非難、すばやく換気。わたしは目と喉を少しやられた。煙りの匂いがずっとしている。
それから絨毯についたクレヨンを、雑巾で擦りつづける。夫の作った重曹スプレーを使ったら、けっこう落ちた。次から次へと、濃いピンクに染まっていく雑巾を、ちょっときれいだなと思った。
今日はなにもしないほうがいいかもしれない。
これらの騒動ですっかり疲弊し、今夜はたこ焼きパーティーをするはずが、たこ飯に変更。わたしは今から、ずっと読むのを楽しみにしていた、ミランダ・ジュライの新刊『最初の悪い男』を読むことにする。訳はもちろん、敬愛する岸本佐知子さん。
台風で実家が十何時間も停電していた、次の日に北海道で大きな地震。北海道には、ツイッターで知り合えた、親愛なる方がいるので、ぜったいに大丈夫だと思いながらも、気が気ではなかった。SNSでお声が聞けて、ほっとしたり、胸がいっぱいになったり。6月に大阪で地震があってから、明日はわが身、という気持ちがずっと続いている。腹を据える。
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banmatsuri · 6 years
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猫も子どもも一緒だと、思いたい
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猫も子どもも一緒だと、思いたい。去る8月26日、名古屋で開かれた、保坂和志さんのトークイベントに参加したとき、思ったことだ。太宰治『桜桃』〈子どもより親が大事と、思いたい〉の、真似やけど。猫は保坂さんの大事。わたしは猫より子どもが大事と思ってしまった結果、冒頭の写真の猫はいなくなってしまった。それは一緒だった、といまさら気づいた。
保坂さんは15年間、餌をやっているけれど触らせてくれない(!)、白猫のシロちゃんを外で飼っているという。そのことをNHKで放送していた「ネコメンタリー」というテレビ番組で知り、どうしても写真に写る子、クルちゃんを思いださずには、いられなかった。といってもシロちゃんとの共通項は、体が白いというだけで、クルちゃんは人なつっこく、めちゃくちゃ触らせてくれた。しっぽがくるりと曲がっているから、名前はクルビ。わたしの妊娠前から数年間、わが家に通ってくれていた彼女は、保坂さん言うところの外猫だった。あーちゃんが産まれて1年ほど、餌を外にだしてはいるものの、まったく構うことができなくなり、クルちゃんはやがて姿を現さなくなった。
昨日、友人ファミリーの営む店に子猫が侵入し、飼うことになったという報せをSNSでみて、うらやましいなぁと思う。夫からは娘が小学校を入学するまで、飼うのは無理だといわれているが(わたしの性格上)、ほんとうは猫が飼いたい。
イベントのことを思い出そう。どこまで思い出せるか、わからないけれど。あつい一日だった。会場であるカフェに到着し、サーモンピンクのアロハ、クリーム色っぽい白いパンツという姿の保坂さんの後ろを通って、飲み物を注文しにいくとき、「ほ、本物」と、緊張でふるえた。
ネコメンタリーを観ていて心がぎゅうとなった場面がある。ディレクターと思わしき女性が、「こんなこと聞かれるのは嫌だと思うんですけど」と心苦しそうに前置きしてから、「保坂さんにとって猫とは何ですか?」と質問する場面。保坂さんの答えはとてもすてきで何だかほっとしたのだけど、こういう類の質問は、自分の属していた小さな地方のマスコミのなかでもあったことを(したくなくてもしなければいけないみたいな)、思い出したからだった。
イベントでも、こういった質問が社会では前提となっているという、言及があった。目の前にいるひとの好きなものを尊重したい(尊重してないから、その質問になる)。自信があること、主体性があることが前提になってるのって、どうなのだろう。ものを作るひとにとって、それは違うのではないか。目標とか、文学賞を受賞するとか。
そうじゃないと、仰ぎ見る存在に到達できない、というところで、わたしは泣いた。仰ぎ見る存在がいるからこそ、わたしはまがりなりにも、文章が書きたいと思ってしまうのだった。書きたくなってしまうから、よくわからない日記を書いて、気づけば時間が過ぎ去ってしまう毎日でも、べつにいいかと思えた。
日常、身辺雑記が宇宙に近いという話が好きだ。おととい、という言葉を使うときは近い感じがするが、実際は遠い、という話も面白かったな(保坂さんはおとといの晩ご飯が思い出せないと言っていた。そのときのわたしは思い出せた)。保坂さんはご自身を中学生男子のノリがある、とおっしゃっていた。文体の変化についても、自分にとって興味ぶかかった。
イベント後には懇親会があったのだけど、わたしはなんと、保坂さんの隣に座っていた。でも、質問をすることもできず、ほんとうに隣にいただけ。緊張と、ガチなファンである皆さんを前にして、完全に萎縮していた…。わたし、あほ面してたんやないかな、と回想する。猫のお話とか、ふつうにできたら、よかったな。保坂さんの小説で人生が変わったというひとが、多く参加していたと思う。自分はそこまでじゃないのでは(どちらかというとミーハー寄り)という、へんな負い目があったけど、『書きあぐねている人のための小説入門』を読んだあと、掌編だけれど小説を書きあげることができ、受賞もできたのだから、じゅうぶん人生が変わっているではないか。いまさら気づく。
この日は、カルチャースクールで知り合った、同志のIくんも参加していて、久しぶりに会えた(1年ぶりくらいに、でも時間が経つのが早すぎて、久しぶりという気はあまりしない)ことも、嬉しかった。本や文章に向かうことの基本はひとりだけど、こういった話ができる友人が、少なくてもいることが嬉しい。しかし、飲もうにも日曜だからか、笑えるくらい、どこの店もやっていなかった。サイゼリヤでイベントの感想などを話し、文筆がんばろうぜ、と言い合って別れた。
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banmatsuri · 6 years
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8月25日(土)
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子どもは待ってくれない。以前、ネット上で「ちょっと待って」と子どもに言いすぎて罪悪感、みたいな言説をみたことがあるけれど、まだ待つことを知らない(知っていても、待ちたくないだけかもしれない)娘へのそれは、ひたすらの懇願と祈りだ。罪悪感のはいりこむ隙間はない。
夫、休日出勤により今日はワンオぺで、はてどう過ごそうか、と思う朝。1日をどう過ごすかは、平日にいつも思っていることで、用事も行くところも、普段からそんなにない。
このときは、近所のコミュニティセンター内にある図書室に予約した本を取りにいきたい、ヒグチユウコさんのイラストのビニールバッグが付録につく「SPUR」を見に書店へいきたいという、自分の用事があったので、それを済ませようと思う。
昨日の反省から、心に余裕をもつこと、少しでも継続は困難だと感じたら、家に帰ること、と自分に言い聞かせ、あーちゃんのおやつを潤沢に巾着に詰めて、外へ出かけた。
結果、それだけの用事を済ませるだけで、大冒険になる。
育児にまつわる罪悪感は、枚挙にいとまがないなぁと思う。この夏は暑すぎた(わたしの住むG市は毎日、暑かった街ランキング5位以内には、ランクインしていた)。動きたいばっかりである娘を、外へ連れていけないことに、罪悪感を感じずにはいられなかった。
ただ、今週あたりから、娘のいやいやがはげしくなり、まず車に乗ってくれない。チャイルドシートで海老反り、スーパーのカート乗車拒否など、いろんな駐車場で走りまわっており(そしてわたしも叫んでしまう)、もう娘じゅうぶん運動できとるやん、と気づいた。スーパーへ行くだけで冒険だ。罪悪感、感じる必要なかった。
書店(SPURは売り切れていた)では、ブロックやままごとのおもちゃが置かれたキッズスペースに、ずっと居た。
そこで、ままごとがしたくて「順番だよ、順番だよ」とさいしょは牽制してきた、4歳の女の子とあーちゃんは一緒にあそんだ。あーちゃんはその子のことを「かわいいね」と言ったりし、だんだん女の子の態度もやわらかくなっていった。その子が去ったあと、ここには子ども用の小さな椅子しかないのだが、座りたいからと、90歳台だというおばあちゃんがやってきた。おばあちゃんは耳が遠いようで、こちらの言っていることは、あまり聞こえていない様子。「わたしの人生が変わったというきっかけが、2度あって…」と話しはじめるので、真剣に耳をかたむける。1度めは戦争。戦後にしていた仕事の話などを、聞く。2度めは何だったのかを聞けないまま、おばあちゃんはお孫さんに連れられ去っていった。ふたりがいなくなってしまうたび、あーちゃんはとてもいやがっていた。2度めのきっかけが、気になる。また書店へ行けば、会えるだろうか。
「ゼリー食べようよ」という呼びかけにも、娘は応えてくれず、なかなか書店を出られない。アンパンマンぬりえを買って、ようやく帰路につけたのだった。
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banmatsuri · 6 years
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8月24日(金)
育児をしていると反省することばかりできりがない。いつからか、反省すらしなくなり、ふてぶてしくなっていたのだけど、今日は久々に失敗、地面にめりこむほど反省する。
(といっても、実際この日記を書きはじめたのは、30日(木)。昨日の日付の日記を書くのに、ずいぶん時間がかかってしまった。感情に関することは、記憶にいつまでも留まっていて、書きたいと思ってしまう。日記の定義とは…。でもそんなことは、どうでもいいか)
思わず懺悔のメールを夫にする。いやいや期、こう考えを切り替えようぜ、という内容のネット記事が送られてきた。
ぺしゃんこのまま、以前この日記で愛読していると書いたブログ(ひと読みぼれしたのです)を、ふと読みにいく。すると、彼女はわたしの日記を読んでくれているかもしれない、と思える記述があって、ひゃあと舞いあがる。
読めば読むほど、自分のこととは思えなくなるくらい、それはすばらしいラブレターで、とても嬉しくなった。勘違いかもしれない。もし自分の勘違いだったとしても、こんなに救われた気持ちになれたから、いいやと思う。ひとは自分のみたいようにしか、世界をみていないとしてもだ。何回も読んでは(なんかわたしあやしいな)、少しずつ浮きあがっていって、ひとのかたちに戻ることが、できたのだった。
週末にある、保坂さんのイベントが目前。やっと新刊の『ハレルヤ』を読みはじめる。のっけから、泣きそうになる。
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banmatsuri · 6 years
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8月23日(木)
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わたしは地方のしがない名もなきライターだった。卑下ではなく、事実としてそう思う。
いまもライターの看板をおろした訳ではないが、もっと平明に、ただのライターである。妊娠前から仕事をけっこう整理してしまっていて、復帰するかどうかは流れで、と思っている。
隣県の都会、N市にあるA社。地元にあり、そこと比べるとかなり規模の小さなB社。どちらも地域の情報誌をつくる会社で勤務し、ある企業の広報をすぐ辞めたあと、フリーランスになった。これも流れで、だ。B社の月刊誌と、また別の会社が出している、写真メインのフリーペーパーの編集・ライティングが、その頃のおもな仕事だった。
昨日届いたホロスコープ(プレセッション式です)に心が動いたのは、じつはそういった仕事が、自分の適正能力にかなり近い、とあったからである。THE獅子座の女を自認していたわたし、はじめましてのMC乙女座に、うろたえてもいる。
勝つことじたいに興味はないけれど、勝ち負けという概念に当てはめてみるとすれば、仕事において自分は負けっぱなしだ。そこには、自分につき続けてきた嘘が、からんでいる気もする。けっきょく自分に嘘はつけない。
わたしは大学4年の初夏から、A社の編集部でアルバイトをしていた。求人誌で見つけて応募した。はっきりとそのまま入社しよう、という狙いがあった。
そこで思い出すのは、N市内の大学に入学してすぐにあった研修旅行(いま思えばいきなりでひどい)で、親しくなるも距離ができてしまう女の子、仮にC子とする、が言ったひとことだ。それは「将来はA社の編集部で働きたい。そうじゃないと生活できないから」というような内容だった。A社の出す月刊誌が好きだ、とも彼女は言っていた気がする。わたしは「小説が書きたいなぁ」と思いながら、将来についてなにも考えてはいなかった。いま思えば、それで何も問題ないと思うが、当時のわたしには、C子の言いきりが、とてもかっこよく映ったのだ。
かくしてわたしは、小説では食べていけない、仕事をするなら雑誌の編集という刷り込みを自分にし、C子の語った物語をなぞるように(でもA社の雑誌はろくに読まないまま)、社員になってしまった。とんでもない就職氷河期だったので、正面から社員になれるわけないと、そもそもは思っていた。
バイトはとても楽しかった。しかしその後、編集志望だったわたしは、上司から営業部を勧められる。たしか、わたしがへらへらしながら社内をふらふらしていたから、という理由だった(当時は喫煙者で、しょっちゅう喫煙所にいた)。そのときN市名物、あんかけスパゲッティを食べていたことを、憶えている。営業でなければ、社員になれないかもしれないという恐れから、わたしは営業部に入社することになる。
当時の上司や先輩からは可愛がってもらい、本当に感謝している。だが、わたしは営業が向いていなかった。人とお金に興味がなかった(人にたいしてはないというより、興味に偏りがある)。「嘘でもいいから、人に興味を持っている振りをして」と先輩から言われ、そのとおりにしたら、仕事がうまくいきだした。でもそれは嘘だから、長く続けることはできないと、思っていた。
理由はべつにもあってA社を退社し、B社に編集として入社するはずが、蓋をあけてみれば、営業の経験があるから営業で、ということになり、それをわたしは承諾してしまう。あの頃は本当に仕事がしたくなくて、さぼりまくっていた。営業だから、自由に外出ができる。午前中から書店やホームセンターに行っては、広々とした駐車場の隅っこに車を停め、萩尾望都、山岸涼子、大島弓子といった花の24年組、楳図かずおなどの漫画を読みまくっていた。
小さな出版社だからか、営業と編集の境界があいまいで、ゆくゆくは編集もやったし、占い師として占いページも連載した。ここでは社長と合わず、退社することになるのだが、フリーランスになったとき、この社長への違和感をごまかして仕事を続けた結果、B社は倒産する。かなりの金額が支払われなかった。
地方の地域情報誌の内容は、ほとんどが「食」だった。わたしはここで、本当は食に興味のない自分に、ぶち当たっていた。依頼を断っている場合ではなかった。そして、フリーペーパーの編集長になり、地方というものにも、ぶち当たった。「地方を盛り上げよう」という大きな言葉に、空疎さをいつも感じていた。このことは、いまでも考え中である。
ながながとした日記になった。むしょうに振り返りたくなってしまった。これ以上書くのは、もう時間切れという気がする。しがない日々でも、頁数は少なくても、好きだと思える仕事はあった。
冒頭の写真は、生まれて初めて完成させた小説だ。実家の自室の引き出しから、発掘してきた。いつ書いたのか、はっきり憶えていなかったが、小学2年とある。図書館で読んだ、こぐまの冒険というようなタイトルの本に、おおいに影響を受け書いた、原稿用紙30枚ほどの、こねこの物語だ。
主人公の女の子が「もうちょう」になる。それが理由で、飼っていたこねこが捨てられるところから、物語は始まる。終盤では「りゅうざん」という言葉まで出てきて、この言葉を使ってみたかっただけなのだろうな…という、子どものわたしの情熱が伺える。
大人になり、やっと小説を書き始めたのがまだ7年前だ。編集、ライティング、小説。このうちのどれかを取り出して、わたしはやっていく、というのではなく、自分はこれらができる、一応の能力があるということを、まず自分で認識したかった。
本の中と外をいったりきたりしている。やりたいこととできることの境界はなくなるのか。これからのことは、まだわからない。
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banmatsuri · 6 years
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8月22日(水)
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今日はあーちゃん2歳の誕生日。
朝、車に乗りエンジンをかけたら、正面にある液晶に、お誕生日おめでとうございます、みたいな文言が現れいっしゅんで消え、ハイテク!と目が覚める。もっと長く表示されたらいいのにな、写真に撮りたかった。突然キリンジの『悪玉』が流れだす。この曲が産後ずっと、わたしのテーマソングで、車のなかで歌っては泣いていた。子を思う、ヒールのプロレスラーの父親が、親になった自分の心境にいちばん近かったのだ。破壊の神、シヴァよ。
近所の薬局で必要なものだけ買っ��あと、取り置きしておいた、卵アレルギー対応のケーキを買いにいく。薬局には、あーちゃんをいつもかわいいと言ってくれる店員さんがいて、わたしはそれが嬉しい。子どもと暮らすようになり、世界(は、ちょっと大げさかもしれないけど世界)は自分が思っていたよりも、やさしいかもしれないと思った。お菓子屋では、すべての商品を握ろうとするので、はやばやと退散。数字のロウソクを買い忘れる。
あーちゃんは朝、産まれた。2���前のことを、まだありありと思い出せる。わたしはつわりのない体質で、体重の増加も基準ぎりぎり。病院に到着して2時間後に、あーちゃんが産まれた。子の体重は100グラムだけ基準にみたず、低体重児という言葉を、初めて知った。
乳児の頃の写真を見て、ぷくぷくの、薄毛の、お地蔵さまの、この子はどこにいってしまったんだろう?と思っていた時期があった。思えばそれは不思議な感覚で、いまはどの娘の写真を見ても、そこに娘がいることがわかる。
あーちゃんは夫にもわたしにも似ていない。
夫が出勤する前にプレゼントを渡す。汽車とわにのかたちになる積み木。喜んでくれたようで、一日中あそんでいた。わには「まに」と聞こえる。
誕生日の準備はこれくらい。ほぼいつもどおりの1日を過ごす。午前中はプールと称して、浴槽で娘をあそばせ、自分は半身浴するのが最近のお気に入りだ。
昨日も随分ぷりぷりしてしまい、今日くらいは、娘を怒らない日にしたいと夫と話していたら、「怒らなくてもいい日にしよう」と言われる。少し言い方を変えただけで、楽な気持ちになれた。夫はわたしよりも、言葉のセンスあるよな、と思うときが多い。危ないときは反射的に、こらっ!と言っちゃうし、夜は疲れて「ちょっと何しとるのっ(あ、怒らなくていいんだった)…かしら」とか、変な感じになってたけど。
からあげが食べたくて、仕事帰りの夫に、最近できた専門店で200グラム買ってきてと頼んだら、計4個だったのが衝撃だった。初めて専門店で買ったんだけど、大きめなんだね…。いっしょに食べようと、揚げないポテトフライを作ったのだけど、なかなか美味しくできた。
実家から、とてもわたしたちでは食べきれない量の、桶にはいった赤飯が届く…。これは祝福の気持ちだから、母には何も言わないでおく。あーちゃんが赤飯をほおばる写真を付けて、お礼のメールを送る。
夜、3人で記念撮影をしていたら、泣けてくる。米粉と豆乳クリームでできたケーキは思ったよりも甘かった。そして季節外れの苺の、酸っぱいことよ。かじるたびにふるえた。あーちゃんはケーキを3口くらい食べ、あとはフォークでぐちゃぐちゃにしていた。
楽しみに待っていた、ホロスコープの結果がメールで届き、「そうなんだ…」と初見では少し、いや結構、心が揺れる。けっきょく自分の言ってもらいたいことを、言って欲しかっただけなのか、俺は…みたいな気持ちにもなる。でも、実践的なアドバイスもあってかなり嬉しい。そこから自分がどう思って、どう行動していくか、しかないよね。じっくり読み解いていく。
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banmatsuri · 6 years
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8月21日(火)
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たまに、他人にひとこと言いたくなってしまうときがあって、何なのだろう。だいたいが、他人の上から目線が気になるときで、こういうときのわたしも、上から目線なのかもしれない。自分がただしいと思っているのだろうか。でもけっきょくなにも言わない。他人のことはどうでもよくなってしまい、気持ちのうえで、またはちょっとした行動で、すっと離れる。
ここ数日、だれかと対話したいという気持ちがある。でもだれと、どうやって? 文章で、手紙というかたちがいいなと思う(どなたか文通しませんか?とてもゆっくりペースで)。メールでおこなう、インチャセラピーを見つけて、とても気になっている。わたしはだれかにインチャのストーリーを聞いてもらいたいんだな。
IHを受けてすぐ、身内への怒りが噴出した。とくに母への。
鮮度の微妙な食材をたくさん渡されることがあり、ずーっと困っていた(お金は後日請求される)。向こうにとっては、わたしに良いことをしてる、という気持ちがあるのが厄介で、どう伝えればいいのか悩んでいた。自分としては、過去の「仕事ばかりしてろくに買い物もできない、生活能力のないだめな末っ子」をいまだ押しつけられているような気がして、嫌だった。すぐにメールでなるべく穏便に、事実だけ抗議したら、あっさり解決する。翌日、まだもやもやした気持ちをかかえたまま、本人に会ったら、またあっさり大丈夫だと思えた。
今日もあーちゃんはずっと喋り、動きつづけている。夕方以降、疲れてあまり相手をしていないと、わたしの腹上で馬乗りになり、全力で跳ねられる。意識が遠のいていく。
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banmatsuri · 6 years
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8月18日(土)
塩辛いからあげと炒飯を食べながら、もうこれからは塩分をひかえようと思う。喉がひたすら乾く夜。あーちゃんを中腰で抱っこするというワンミスで、夫がぎっくり腰になる。
今日IHを受けた。面白く不思議な体験で、セッション直後はうまく言葉にできなかった。自分をめぐる冒険のひとつだという実感が、いまはある。今年は物ではなく、体験にお金を使いたいと思っているのだ。
ツイッターでフォロワーさんの感想をみていて、劇的な印象を受けていたけれど、自分にとってはおだやかで、安心感のある体験だった。でも、どうなっていくかは、まだまだこれからだね。
みれいさんのブログで知ったIH、実際に受けてみて、こういうことだったのか!と、やっとわかった。言葉でほぐしていくようなカウンセリングともちょっと違うし。そりゃ、みんな違う内容のセッションになるよな、と思う。
プラクティショナーさん(というのかな?)が、身体の反応をみていく。何が起こっているかは、ほとんどわからない。ずっと育児とやりたいことが分断されていて(どちらかをやっていたら、どちらかができないみたいな)、テーマをひとつに絞れるのだろうか…と思っていたけれど、すぐに「育児」と出て、少し意外に思う。自分でわかるようなわからないような、そんな領域のことが、びしっとわかるのが面白い。それも、わたしの身体の声だなんて。
でも目標はぜんぜん決まらなかった。身体に頼りきってしまって、あ、言葉が大切なんだっけ、と頭がうろたえてる感じ。決まった目標は、育児に関することではなかった。時間がとてもかかってしまったのだけど、ていねいに寄り添ってくれる、誠実なプラクティショナーさんで、とてもありがたかった。1ヶ月後にはメンテナンスを受けられるというのも嬉しい。
以下は気になったキーワードのメモ。エネルギーがクリア。ひとにお願いできない。ひとりでやってきた。じつは気力、体力ある。自分の時間がほしい。本がつくりたい。かたちにしたい。仕事は仕事。世代間で受けつがれてきた、母親像にしばられている。創作でもなく(あれ?)、かといって誰にも見せないひみつの日記でもなく、生活で感じたことを書く。だから、今後もこの日記は必要みたい。
今日は大好きな友人の誕生日。寝落ちして日付が変わってしまい、深夜に慌ててメールする。さいきん好きなひとは女性ばかりだ。
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banmatsuri · 6 years
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夏の課題図書
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『結婚式のメンバー』
カーソン・マッカラーズ/村上春樹訳(新潮文庫) 
 もう学生ではないくらいの意味で、大人になったいま、夏休みというものを、どこか複雑な気持ちで思い返す。
休み自体は好きだけど、楽しまなければいけないという、無言の圧力を感じるから好きではない。相反した気持ちがないまぜになる季節が、夏である。
 1946年に刊行された、カーソン・マッカラーズ『結婚式のメンバー』は、〈気の触れた夏〉だからこそ起こるできごとを描く。アメリカ南部出身の女性作家マッカラーズの全作品は長らく絶版となっていたが、愛読者であった村上春樹の新訳により、代表作である本書がよみがえった。
 主人公は長身を気に病む、男の子のように短い髪をした12歳の少女フランキー・アダムズ。父とふたりで田舎町に暮らし、同年代の友達や仲間がいない彼女が夏休みを共にするのは、何年も自分は35歳だと言い張る黒人の女料理人ベレニスと、〈白くて小さい、ねじれた顔〉に金縁の眼鏡をかけた6歳の従弟ジョン・ヘンリーだ。物語はアダムズ家の台所でされる、このメンバーの対話を中心に進んでいく。
〈自分はいったいなにものなのか、自分は世の中に出てどんな人間になるのか、なぜ今の瞬間自分はここに立っているのか〉。春ごろから抱きはじめた疑問に、フランキーは怯えている。孤独で退屈な日々に、何より〈自分がフランキーであること〉に倦む彼女のすべては、8月最後の金曜日に生まれたある"夢想"によって、一変する。それは2日後、100マイル離れた街で結婚式を挙げる、兄ジャービスと婚約者ジャニスの新婚旅行についていくこと。ふたりと同じイニシャルになりたくて、〈F・ジャスミン〉と名乗ることにした彼女は父に宣言するのだ。「結婚式のあと、わたしはもうこの家には帰ってきませんから」。式の前日、よそゆきであるピンクのオーガンディーのドレスを身につけた彼女は、自分の生まれ育った街へ出かけていくのだが—。
 突拍子のない夢想に熱狂するフランキーのなかに、彼女より年を重ねたベレニス同様、読者であるわたしたちは〈切ないばかりの愚かさ〉を見るはずである。しかし、それは解説で〈この小説は単なる『人生の通過儀礼』を描いた小説ではない〉と村上春樹がいうとおり、多感な少女時代をただ懐かしむ気持ちばかりでは、決してない。「わたしがわたしであり、あなたがあなたであるっていうのは、変なことだって思わない?」。彼女が〈気の触れた夏〉に爆発させた疑問の数々は、いまだわたしのなかでもくすぶっている。
上記は産前に通っていた、書評の教室で課題として提出した2年ほど前の原稿に、加筆訂正したものです。わたしはハルキスト、もしくは村上原理主義者?ではないのですが、村上春樹の翻訳小説をもっと読みたいな、と思っています。フィッツジェラルドとか、積んだままやけど。『結婚式のメンバー』は、夏になると必ず思い出す、自分にとっての課題図書です。大人になるほんの手前、思春期にさしかかろうというときの、イノセンスは狂気と紙一重。
日記がなかなか書き進まないので、お試しとして投稿します。最近ツイッターで村上春樹さんのことが、話題にのぼっていたので。
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banmatsuri · 6 years
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8月17日(金)
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産前にアルバイトをしていた店へ、内職の納品も兼ね、久しぶりにあそびにいく。
車を駐車場に停め、店まで向かう途中、夫もわたしも真ん中にいるあーちゃんと、しっかり手をつないで歩く。まだ、こういうことに慣れなくて、「いまの状況、客観的に上から、神の視点から見てみて!わたしたち、すごくない?」と夫に思わず言ってしまう。まだ、照れがある。
素敵な文具や雑貨をあつかう店なので、あーちゃんが暴走しないかひやひやしていたが、さいしょは人見知りが発動していたのもあって、思っていたより大丈夫だった。慣れてくると、「きいろ、いっぱい。ピンク、かわいい」と、商品を指差して得意げに言ったり、オリジナルの一発芸「にゃーんこ」を披露していた(エムエムブックスみので招き猫を初めて見たとき、突然おこなった。息を漏らしながら発音する『こっ』と共に、招き猫のように片手をぐっと握る)。これからはもっと、あそびにいきたい。
店からほど近い公園へいく。昨日から急に涼しくなった。ときおり吹く風が気持ちいい。毎日が暑すぎて、外で過ごすのも��久しぶりのことだった。ベンチに座り休憩していると、あーちゃんの食べていたお菓子につられてか、鳩が一羽よってくる。「ぴーぴーちゃん!」(鳥はなんでも、ぴーぴーちゃん)と駆けより、わっと鳩が飛びたったときの、驚いた顔が忘れられない。それからも、あーちゃんは何羽か集まってきた鳩を、いきおいよく追いかけまわしていた。いちども転ばなかった。ただ、こうやって過ごしているだけで、満たされた気持ちになる。お盆休みもいいものやん。でも、ぜったいに目を離してはいけないのだと、事件の影響なのだろう、うっすらと警告の声が、ずっとしていた。
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朝吹真理子『TIMELESS』を読んでいる途中。固有名詞が意図的に使われていると、思う。東京に根づいた、登場人物の背景にハイソサエティをかんじてしまうのは、地方住まいのコンプレックスかもしれない。物語のすじとは、関係ないけれど。
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banmatsuri · 6 years
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8月16日(木)
行方不明になり無事、発見された男の子と、あーちゃんは月齢がいっしょである。
このニュースを、夫から聞いて知ったときは、日常の裂けめがすぐそこにあるような、ひどく昏い気持ちになった。思ったのは、自分がお祖父さんの立場だったら、だった。どうしたらいいのだろうか、どうしようもできない。
怖さから逃げたいような気持ちもあり���ニュースも見ていなかったが、見つかった、という報を見てまず夫に伝える。ほんとうによかった。安堵。ボランティアの人が凄いこと。またそれから、あまりニュースは見ていない。
夜になると、すっかり秋の気配。驚く。
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banmatsuri · 6 years
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8月15日(水)
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お盆といっても、とくべつにすることがない。
すでに中だるみを感じていた昨日。実家は帰省するには近すぎるし、お墓まいりは暑すぎるので、いつも時季をずらしてする。たぶんすべきことも、思うべきこともあるのだろう。ただ、「休日に何かをしないといけない」と思ってしまうことが、長期休暇の圧力を感じてしまうことが、子どもの頃から苦手だった。
そして夫とともに、極端に人混みが苦手。あーちゃんが喜びそうな場所に出かけようと、なんとなく計画(するのも苦手…)していたけれど、ネットでリアルタイムの混雑状況をみて、ふたりして心がぽっきり折れてしまった。でも、あーちゃんはプライベートプール(家のお風呂にちょうど良い温度の水をためるだけ)ブームで、ほんとうに楽しそうだし、まあいいかと思う。お盆限定で公開されていた、スケラッコさんの『盆の国』をむさぼるように読む。読めてよかった。夫はスケラッコTシャツの愛用者だ。ほぼいつもどおり、家にいるだけの、わたしたちの盆バケーションは、もう少しつづく。
あーちゃんの夫への呼び名が「ちゃん」から、「ちゃんちゃん」に。
この夏は何個アイスを食べたのか。無意識に食べすぎていて、最近では、それ自分にいま必要なアイスなのか?と問うようになってきた。
1週間ぶんの日記を、ちくちくと下書きしていたのだけど、いさぎよくやめてみる。隙間ができると内職をしていて、心が日記に向かっていないところがあった。無心になれる、内職の時間がけっこう好き。
この1週間もいろいろあった。ミーハー心で飲みはじめた、フラワーエッセンスを飲み終えたり(どうなのかは、正直なところよくわからない)。母と接して、ささいなことから「わたしをわるものにするな」と思うことがあったり(インチャ再び)。それもあってか、自分にはもう必要ないかもと思っていたIHを、週末に受けることに決めた、など。
しかし、このふたつ、夫にうまく説明することができない。子どもをみてもらううえで、何をしに行くか言う必要のあるIHは、「なんかマッサージみたいなものが受けたくて」(ぜんぜん違う)とか、もにょもにょした言いかたしか、できなかった。好奇心もあるし、何かが変わるのか、期待する心がなくはない。大野百合子さんの本に、すべてのヒーリングはセルフヒーリングだ、という文言があって「おお」と思った。そういう気持ちで受けにいく。
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banmatsuri · 6 years
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8月8日(水)
わたしは大丈夫、という気持ちも育児をしてると、すぐぺしゃんこになる。そりゃ、何かにすがりたくなるわ、と思う。こういうときは、他人からジャッジ(もちろん否定的な)されることを、恐れる気持ちにも、とにかくなっている。
食べムラというのだろうか、あーちゃんが好きなもののみ(現在ではにんじんのきんぴら、豆腐ハンバーグ)永遠に食べようとすることに、このごろ疲れていた。あれこれ試行錯誤してみたけれど、好きなものだけ食べて、生きておゆきという心境に、やっとなる。毎回、食べないものを処分するだけでも、徒労感がなかなかあった。
そんなに本が読みたいなら、家事とかせずに、読めばいいじゃない、という気持ちになる。わたしは読書するということに、いったい誰に許可を取っているのだ。
娘と向き合うことから、逃げるように行った書店で、イベントまでには読んでおきたい、保坂和志『ハレルヤ』と、「1100ページ、いつ読むの…?」と思いつつ気になっていた、阿久津隆『読書の日記』、サイズ感に惹かれて買う。実物を見ると買わずにはいられない本だった。帯文も保坂さん。
ライオンズゲートという言葉をはじめて知った。
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banmatsuri · 6 years
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8月7日(火)
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昨夜も寝ない娘とドライブ(あたらしい車に乗りたい気持ちもある)。
車のなかでジュディマリが流れて涙ぐむ。中学生のころから大好きで、わたしはずっとYUKIちゃんになりたかった。なれなかったし、いや、どうしたって他人にはなれないのだと、分かりきって久しい現在、狂おしいくらい他人になりたかった、あの頃を懐かしく思う。
アルバムを聴きこみ、姉といっしょに夜中まで、割りばしを口にくわえて、ジュディマリを歌う練習をした。むしろシングル以外の曲のほうが、歌詞を鮮明に覚えている。それと重なり、当時のなにもうまくいかなかった恋のことも思い出す。小学生の頃好きだった男の子を、中学生になってまた好きになった。浅黒い肌の鋭い目をした子。それがわたしのほぼ初恋だ。地方あるあるだと思うけど、20代になってすぐ、彼がホストになったと人づてに聞き、当時は何だかショックだった。いまでも、たまに彼の夢にみる。夢のなかでは、いつもやさしい。
ツイッターでは、読書関連のイベント等で一度だけお会いして、以後フォローし合っている方が何人かいる。そのなかでも、ジュディマリが好きだったという男性がいて、高校生の頃、好きすぎて学校の机とかに歌詞を彫刻刀で彫っていた、というつぶやきをかなり前にしていた。わかるというか、当時の情熱って、ほんとうにそういうところがあるなと思い、わたしはそのつぶやきが忘れられないのだった。
YUKIちゃんと夫は同学年。感きわまって、「YUKIちゃんの同級生と結婚するなんて思ってなかったよ〜」と夫に言ったら、「いや、実際には同級生じゃないしね」と冷静に返された。
最近のわたしは、夫の話をぜんぜん聞いてない。いつもスマホ片手に、ほんほんと相槌をうってる感じ。今日などは、自分のなかでやっと「これはこうだ」と納得したことを夫に話したら、すでに彼は3回くらい同じことを言っていたと気づく。
惑星と口笛ブックスというレーベルから出されている、電子書籍『ねこ』川崎徹を買ってすぐ読了。40頁ほどの短編なのだが、ずっと読んでいたい文章とは、こういうことなのだな、と思う。
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banmatsuri · 6 years
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8月6日(月)
あーちゃんの顔の余白をいとしく眺める朝。
その数分後、始まったいやいやに「かあちゃんだっていややもん!」と大声をだす。でも何も解決しない。
クレヨンでカラフルに染まった爪を切る。
数字に興味をもちはじめる。ことばとして、という感じで「いーち、さーん、ろーく、きゅー、じゅー」とか、言っている。
娘のことを書いておきたいという欲が、急にでてきた。
育児はきれいごとではなく、叫びだしたいくらい(ときどき叫んでる)、日々疲れてもいる。何度でも言うけど、読書ができない。おそらく1年前はもっと疲れていたし、育児が恐怖というか、いやでいやで仕方ないときがあった、産後の数ヶ月間の記憶もまだ生々しい。
ただ、もし娘がこの先、子どもを持つことがあったとして、わたしと同じような気持ちになるとしたら、それはいやだなぁと思う。なぜかずっと、自分に娘ができたら、いつか嫌われるんだろうな、というビジョンも持っていた。だから、ここで、わたしで解消したい。
武田百���子は8月になると、井伏鱒二の『黒い雨』を毎年読み返す。
〈残酷な現実や、大きすぎる敵に対して戦う方法があるとしたら、それは自分たちの甘やかな想像力なのかもしれません。
砂糖で鉄は錆びるのか〉
『cocoon』あとがき 今日マチ子(秋田文庫)
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