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2024
自然界に存在する4つの力と忘れ去られた1つの結末
あっという間に自分の番になった。前日が終わる頃になってようやく焦り始め、22時くらいからなんだかわからないものをずっと書いていた。日記を書くようになったのは小学生の頃で、世の中や周囲に対する不満だったり、子どもであるが故に受けた些細な理不尽、くだらない遊びや諍いを、たった3行程度書いて先生に提出していた。今となってはその文献は失われてしまった。書いているうちに自分の肉体や思考はどんどん変化していったから、なぜそんなことを書いたのか今となってはわからないし、もちろん再現することもできない。その最後尾が、今書かれている文章になる。今では自分の頭の中にある花瓶のこと、月の裏側は想像することしかできないこと、撃ち尽くされた実弾と薬莢のこと、互いに引かれ合う最も弱い力、忘れ去られた1つの結末、クリスマスを前にしてそんなことを書いている。
自然界には4つの基本的な力が存在しているらしい。自然界で働く力を作用ごとに整理し、素粒子(基本粒子)に働く力として最終的にまとめられた、強い相互作用、弱い相互作用、電磁気力および重力の4つの力がこの世には存在しているという。このうち、電磁気力の大きさを1とすると、強い相互作用は100、弱い相互作用は1/1000ほどである。そして重力は「10の−38乗」という桁違いに弱い力である。この身体をこの地球の表面に繋ぎ止めている重力が、最も弱い力だということが意外に感じられる。重力が斥力を持たず互いに引かれ合う力だから、地球の質量が膨大で結果として強い力となっているから、などと理由はつけられるかもしれないが、詳しいことはわからない。とにかく私は地球に強く引き留められている。
遠くにいる友人や、もう二度と会えない人のことを考えるときには重力のようなものを感じることがある。あるいは、それよりももっと弱い力を感じることがある。10のマイナス何乗かわからないが、量子的な結びつきよりも、自身に差し迫った有限性をもとにして肉体に作用��る力が存在している。
納屋を建てる
男は大学を卒業すると、学生時代から付き合っていた女と早くに結婚した。なぜこんなにぼんやりした男に、呆れ返るほど美しい妻がいるのか周囲は不思議思うかもしれない。しかし男にはなんというか優しいところがあり、無駄な行動力があり、時折見せる誠実さのようなものがあり、長い付き合いがある私とすれば自然なことに思われた。
あるとき、夫婦のうちに身を引き裂かれるような悲しい出来事があり、妻は実家に一時的に帰省することになった。時間を持て余し、あまりに多くのものを失った男が考えたのは納屋を建てることだった。DIYが流行っていた時期で、便利な納屋を庭に建てれば妻も喜ぶだろうという優しさもあって、基礎から打つ徹底ぶり(彼の中では近年稀に見るほどの)を発揮し、目標に向かって前進する無駄な行動力をもって遂に納屋は完成した。
しばらくして、自宅に戻った妻が完成した納屋を目の当たりにすると、その納屋が触れてはいけない部分に触れてしまったのか、彼女はその場で崩れ落ちて号泣した。元来の納屋が持ち得ない記念碑的な要素がそこにはあったのかもしれない。女性特有の癇癪は止まらず、ほとんど聞く耳も持たず、「なんでなんの相談もなく納屋を建てたのか?」とクリティカルな質問が投げかけられた。「なぜ納屋を建てたのか?」ということはいくつかの要素の積み重なった複合的なものであり、時間が経てば経つほど「なぜ納屋を建てたのか?」ということは本人にもわからなくなっていった。加えて、男は駆けつけた妻の両親にひどく叱責された。「A君、納屋は立てちゃあ、いけないよ。誰にも相談せずに、納屋を、立てちゃあ、いけないよ。」大事なことだから2回いました。妻に隠れて納屋を建ててはいけません。しかし、「なぜ納屋を建ててはいけないか?」ということもおそらく複合的なもので、問いかけるたびに姿を変え、はっきりとした答えは出なかった。夫婦関係は大きく冷え込んだ。納屋のことは「な」の字も話題に上がらなかった。ピンク色の像を想像しないでください、と言われてなかなかできるものではないが、夫婦はそれを実行した。そして男は無駄な行動力で、そこに納屋があったことも悟られないくらい徹底的に納屋を破壊した。基礎は解体され、地面は均された。最終的には男が時折見せる誠実さによって、夫婦関係は修復されていった。
それから数年が経過し、相談したいことがあって久しぶりに友人へ電話した。妻との諍いが続いており、気のおけない友人の助言を頼りにしたかったのである。ひとしきり事情を説明すると、
「それってつまりさ、納屋を立てちゃあいけな��ったってことだよなあ」と彼は警句のように言った。
村上春樹の短編に「納屋を焼く」というものがある。アフリカ帰りのある男が、主人公に対し、納屋を焼いて廻っていることを告白する話である。
つまり僕がここにいて、僕があそこにいる。僕は東京にいて、僕は同時にチェニスにいる。責めるのが僕であり、ゆるすのが僕です。それ以外に何がありますか?
と男は言う。終始不穏な手触りのある小説である。
うろ覚えだが、パントマイムをする女が出てきて「蜜柑剥き」のパントマイムをする。「蜜柑向き」のパントマイムをするコツは
そこに蜜柑があると思いこむんじゃなくて、そこに蜜柑がないことを忘れればいいのよ
と女が言う。最終的にはモラテリティーとは同時存在のことです、ということらしい。今日も世界中で建てられる納屋と焼かれる納屋のことを考えては仕事が手につかなくなった。
電話をした次の日には、たまたま出張で来ていた父と数ヶ月ぶりに会った。合流すると自宅周辺にあるバーにいった。行きつけとまではいかないが、落ち着いて話をしたいときにはよく来ている場所かもしれない。壁一面に大量のウイスキーの瓶が並べられており壮観である。メニューには一杯十万円のウイスキーなんてものもあり、それを見た父は店内に響き渡るほどの感嘆の声をあげていた。酒もまわり、納屋を建てたり、焼いたりする男たちが話題となった。
「俺にはよくわからないけれど、納屋ってもんは何かのメタファーを持ちうるものかね」と私は聞いた。
すると父は「そういえばキリストも納屋で生まれた」とだけ言った。
酒が回っていたことや、自分の予想を超えた解答のくだらなさも相まって久しぶりに心の底から笑った。そうか、そんな時代から納屋なんてものはあったのか、と思って抱えていた複雑な事象や色々なことがどうでも良くなってきた。2024年前に納屋で生まれた男のことを考えた。納屋を建てもせず、焼きもせず、そこで生まれた男の存在を想って、今日はよく寝られると思った。
成長
息子の爪を切っているときに、指がとても太くなったなあと思った。一方で自分の爪に縦の線が増えてきて、何かの病気かと思って調べたら「老化」と書かれていたときには悲しくなった。
最近は「ティッシュってなにでできているの?」とか、「リモコンってなにでできているの?」と手当たり次第に原材料を尋ねるようになり、いわゆる「なぜなぜ期」というものが始まった。日経新聞で読んだ記事(2024年12月10日 なぜなぜ期は思考力向上の好機)では、「なぜなぜ期」子どもの発達面での大きな節目と考えられているらしい。
4歳ごろは、子どもの発達面での大きな節目と考えられており、思考レベルがぐんと上がる時期。特��的な例として、2つの物事を混同せずに比べたり、結び付けたりして考えるようになる。物事の因果関係にも興味を持つようになる。 この時期になると、自分の考えと他人の考えは同じではないと分かり、他人の気持ちを理解しようとする姿勢が見られる。さらに過去と現在、未来の時間軸を認識できるようになるので、体験していない「未来」があると分かり、自分の未来にも関心が出てくる。 こうした成長は喜ばしい半面、新たな認識が生まれ不安や恐怖を抱くようになる。特に大きいのが「未知への不安」だ。3〜5歳の時期は死に対する理解が進み、死への不安や恐怖を覚え「自分もいつか死ぬのかな。お父さんお母さんも死んでしまうのかな」と思い巡らす子どもも出てくる。
ある日寝る前に、「お父さんのおじいちゃんはいるの?」と聞かれた。おじいちゃんは今から8年前に亡くしており、この世にもういないことを伝える。
「死んじゃうと会えないの?どうなるの?」
「死ぬとそうだなあ、俺にもわからないけれど、死んだ人に会うことはできないよ。死ぬと全く動けなくなる、大切なものが失われる、話したり、食べたり、遊んだりと言うこともできない。石のようなものになるんだよ」
「お父さんは死なないの?」
「お父さんもいつかはきっと死ぬよ」
「そうなんだあ」と言って黙っていたので死の概念はまだ理解できず、息子は寝たものと私は思っていた。ところが次第に鼻水を啜る声が聞こえ、うっすらと涙を浮かべていることに気がつく。やはり怖くなったのだと言う。そうして今この瞬間に、息子は死の恐怖とそのざらりとした手触りを実感したのだ。私はその事実に想いを巡らせることになった。
気を付けたいのが、終始理屈で説明してしまうことだ。子どもが不安や恐怖に根ざした質問をするときは、親に「不安な気持ちを分かってほしい」と思っている。そんなときは「心配しなくても、大丈夫だよ」と、まずは安心させる言葉をかけてあげよう。
とその記事に書いていたことを思い出した。初めて新聞を読んでいて良かったと思った。
「心配しなくても大丈夫だよ。怖くなったら、お寿司とか、好きな人のことを考えるといいよ」
「そうすると多分寝られると思うよ」と言うとしばらく泣いてはいたけれど、いつの間にか寝ていた。なんだか途方もなく大きくなったものだと思った。そして自分自身も忘れ去られた一つの結末を思い出したことで少しばかりの恐怖を感じたのだが、子どもの成長を目の当たりにすると些細なことのように思われた。
終わりに
この文章を書いているうちに、そういえば自宅の納屋の扉が老朽化して、風で飛ばされる事態が発生したことを思い出した。部品を注文しているが年明けになるとのことで、修復には時間がかかるものと見ている。私は納屋を直す男である。
この記事は2024 Advent Calendar 2024の23日目として書かれました。22日目は nagayamaさん、24日目はtomoyayazakiさんです。
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私が必死になって彼女の軌道を追いかけるのが楽しいのだと思う。軽やかに私の追走を振り切って、逃げる。私はその度に娘たちと私の身体能力がにわかに縮まり始めていることに気がつく。ついこの間まで立ち上がるのもやっとだったはずなのに。自分の子どもはこんなふうに育って欲しいという私のエゴを嘲笑うかのように、彼女たちは多少の躓きをものともせず逃げ回る。かくいう私は午前中に歩き回っただけで、終日耐え難い眠気に襲われる。緩やかに現世から脱落しようとしている我が肉体と、これから成熟していく幼く強靭な生命が、束の間に現世ですれ違っただけなのであると感じる。記録の中の私はいつも体調が悪い。肩が重い、腰が痛い、鼻水が止まらない、悪寒にうなされている、虫歯が痛む。ゲロを吐いてクソを漏らす。思えばその頃から私の緩やかな脱落は始まっていたのだ。残された時間は多いようで少ない。下り坂に差し掛かり車輪は加速する。
どこからか冷たい風が染み出してきてつま先が冷たくなっている。山間の小さな町では寒暖の差が激しく、夜中、いや��中であろうとも出歩く人間はほとんどいない。自分の思考の片隅には、つまらない小さな花瓶が年中置かれている。身を細かく突き刺すような厳しい寒さのことを生けるための花瓶である。今年はとてつもない暖冬となるかもしれないとか、例年通りの気温となるでしょうという期待もどうせ外れてしまうだろう。それだって地球の気まぐれであって、互いの重力(存在)以外の影響をほとんど受けることなく太陽の周りを惰性で自転し続けるくだらない球体上の熱の偏りにすぎず、一片の意思も持たない無慈悲な物理現象を前にして漠然と感情めいたものを着色しているに過ぎない。今年はこうだった、いつもはもっと涼しかったなどと誰かに会う度にのたまい続けている。
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引力
疲れ切って家で食べるコンビニの飯は知ったような味がして情けなくなるが、旅先で啄む分には申し分ない。生来の計画性のなさでガタガタになった旅路にハマるのはこういう断片的な食事であると理解している。気取った飯については小忙しく、まったく落ち着かない。したがって、サービスエリアで食べる味噌ラーメンや山菜そばについて、私は大いに歓迎している。車の運転に集中して夕食どきを逃してしまい、その数時間後に行き場を失って食べるサービスエリアのラーメンが一番美味しいと思っている節がある。
実際には私もSNSで評判の食い物を食べてみたいという気持ちもある。ところがそういった店は事前の期待値を上回ることがほとんどない。最初から腑を提示してしまっているのだから、事前に期待した通りのものが出てくるか、プロモーションの内容を再現できずに不満がでる。まあ酸っぱい葡萄と言われたらそうかもしれない。実際食べたら美味しいと思うけどなんだかんだ理由をつけて気が乗らない。
人間の気持ちが充足するのは事前期待を上回ったときである。世の中に批判的な人は良くも悪くも世の中に期待し過ぎているのかもしれない。そういえば、先月久しぶりに訪ねた東京でも、ホテルの近辺にあった中華料理屋の冷やし中華がそっけなくて美味しかった。店員は明るくて乱暴な中国人だった。「何食べる?冷やし中華もおいしいよ?早く頼め」と彼女は言っていた。黒酢が効いて薄味で外食に疲れた舌には嬉しかった。
こういったことに理解のある���にはなかなか出会ったことがない。当初は私の性質に諦めた様子であっても、どこかで必ず文句が出る。あの時はアアであった、全くもってろくでなしのその日暮らしであった、この宿六について行ったらコンビニの飯を食わされた、というように。ところが女房と付き合うまではそんな私以上に食事に興味のない女にも出会ったこともなかった。こんなことをいうと彼女の機嫌をさらに損ねるだろうが、まるで彼女はザリガニのような食事を取るものだ。缶詰、納豆、偏った野菜(おそらく茹で過ぎている)。聞けば大学時代には恋愛に勤しんだ経験がなく、他人からうまいものを食いたいというわがままを提出されたこともなく、そのような食事がまかり通っていた、というのである。私にはアフリカに行って昆虫を食べるくらい理解できない。
その日は計画性のなさと女房との折り合いの悪さから日本列島をほとんど横断するような旅になった。大学時代から付き合いのある友達(彼女からすれば私は友達の元彼ということになる)がたまたま東北地方のある場所へ来ているというのである。隣の県だし大した距離ではないだろうとタカを括っていたのだが、実際に地図を読み直していくと、最短距離を行こうとすれば峠をいくつも越えなければならない。かと言って太い道路は巨大な迂回路で燃料も高速料金も工面し��ければならない。ちょうど中間地点にある女房の実家を経由しようという考えまではよかった。その後、どうしようもないことで喧嘩になり、そこからは娘とのふたり旅になった。
自分がいいと思っているものが娘にとっていいとは限らない。同行者は小さな娘一人といえども、普段はほとんど世話をしないから男の手には余るものだった。長時間の移動や、見知らぬ人々との出会いに娘は疲れているようだった。ただ座ったり私の両腕に抱かれているだけだとしても、腹は減るものだ。おむつも替えてやらなければ不愉快なことになっているだろう。そう思っていても、ほとんど土地勘のない場所でもあるしどこに何があるか見当もつかない。途方に暮れていたときにマクドナルドの看板が目に飛び込んできて、「お昼はハンバーガーを食べようか?」と後部座席の娘に聞くと「うん、シーたん、はんばーがーたべゆ」といって満面の笑みであった。
店内は混雑していて、私のような子供を連れた親が結構いた。自分が子供を授かるまでは、店の中に子どもが何人いようが知ったこっちゃなかったが、今では自然と気にしている。娘にはパンケーキ、私はビックマックを食べる。大した食器もいらないし、小さい子供には楽だなあと思った。すごいと思ったのは、床に何か落としたり、口の周りに何かのソースをつけたり、指が汚れたりして、ナプキンが欲しいなあと辺りを見渡していると、どこからともなく微笑み「どうぞお使いください」とさっきまでレジにいた女性が持っていきてくれる。今までマクドナルドで感謝したことなんてなかったが、この日ばかりは本当にありがたいことだった。どおりで子どもがたくさんいるわけだ。この国のこの店舗に限った話かもしれないけれど、世界中にチェーン店があって然るべきだと感じた。何もかも効率化した先に、疲れ果てた親父にナプキン一枚持ってくるような非効率的な接客が起こりうるわけだから素直に感心してしまった。
私はマクドナルドで働いたことがないけれど、一体どうやってこのモチベーションを保っているのか不思議だった。自分がビックマックにしゃぶりついている間はくだらないおまけのおもちゃでずっと遊んでくれるし、これは半端じゃないことだと思った。子どものセットに無料でおもちゃをつけようと考えた人は本物の天才かもしれない。知らなかったけれど、それなりのクオリティの絵本もオモチャの選択肢に入ってくるのである。店内も混んでいる割には清潔に感じた。
完全に事前の期待を上回った瞬間である。一度良くしてもらった店とか、なんとなく店員が余裕ある店には吸い寄せられるように通ってしまうもんだ。ホスピタリティは引力のようだと思った。飲食店が生き残る条件はフードレイバー比率ではなく、愛されるかどうかだなと思った。あまりに感心してマクドナルドのIR資料まで見に行った。2022年からの中期経営計画には「信頼と愛着の更なる醸成」「お客様の期待の一歩先を行く体験の創造」と記載があった。「おもてなしリーダーの採用」ともある。この店舗に限った戦略ではないと知り、まんまと術中にハマったような気がした。こんなド田舎でどうやって従業員の高いモチベーションとQSCを実現するんだろうか。本当に不思議だ。
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自分と不可分な領域にいる小さな影について、分け隔てることのできない小さな影である
しかし元を辿っていけば、その性質は自分や女房から生じているように思われて一方的に叱りつけることも難しく感じる。
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海浜公園とは名ばかりで、入江に向かう駐車スペースには不法投棄されたゴミの山ができていた。言い訳のように正規のゴミ袋に詰められているが、内容物はよく見れば海岸に由来するものではなさそうだ。娘を右腕に抱えながら、陸と海の境界線を目指して前進する。彼女は見慣れない地面の様相や植物に触れたくないという意思が固く、私から離れて自分で歩こうとはしない。でも海は見たいという。私のことを個人的な乗り物として見做しているに違いない。二足歩行のメリットはあらゆる地形を踏破可能な点にある。こうして、私の右腕だけがどんどん太くなってしまう。
海岸には行き場を失って漂流した枯れ木、釣具、畳のフチみたいな強張った布地が散らばっている。砂は重たく湿っており、真夏のピークは既に過ぎ去っている。海風はどこか遠い国の冷気を少しだけ運んできているようだった。私たちの他には数名の釣り人が海に向かって釣り糸を伸ばしているくらいで、素人目に見ても釣果は思わしくないようである。目を引いたのは、一本の杉の木が座礁していたことだ。どのようにしてこの場所まで流れ着いたのだろう。製材はされておらず、電信柱のように真っ直ぐで、林からそのまま引き抜かれたみたいに根が残っている。山を削り取るような、よほどひどい嵐が過去にあったのだろう。杉の木に腰掛けて写真を撮る。娘は太陽が眩しくて目を細めている。波際に近づき、ぼんやり海を眺める。娘がしきりに「ざざーん、ざざーんてしてる」と教えてくれる。
何か目的があったわけではなく、ちょうど良いところで切り上げて帰りたい。しかし、こういうときに素直に帰ろうとする娘ではない。子どもたちをコントロールするには、きっかけのようなものを用意しなければいけないと子育てのなかで学んだ。デパートにあるガチャポンのように。なにか適当な言い訳はないものかと考えた結果、貝殻の一つでも拾って��れを母親に見せるために今日は帰ろうと提案した。新鮮で色合いのよいものは探すことができなかった。どれも軽石のように掠れて白くなっている。しかし、その中から小さい二枚貝のものを娘は気に入ってくれたようで、今日の戦利品としてずっと握りしめている。
車に戻ろうと砂地を歩く。さっきまで聞こえていた波の音がいつの間にか聞こえなくなっていることに気がつく。朧げになる海岸線を尻目に、実は自分も、もう少しだけ海を眺めていたかったのだと思った。私は娘を強く抱きしめてその場を去った。
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崎陽軒のシュウマイ弁当と風邪
出張の最終日で高熱に冒された。その1週間の不摂生が引き金となった。一人の父親、夫としての責務から一時的に解放された反動は大きかった。お父さんである必要もないし、真っ当な男でいる必要もない。毎日欠かさずにその日の研修が終わり次第歓楽街へ直行し悪友たちと飲みふけり、ホテルに着いたらエアコンのガンガン効いた部屋で歯も磨かず、濡れた髪のまま全裸で寝た。偉い先生方のありがたい講義を聞かなければならなかったし、何かの議論をしたのだが全く覚えていない。仕事も含めれば一週間で80人くらいと会話したかもしれない。それでも「今日はどこで飲むんですか?」と挑発されれば休もうと思っていてもその気になってしまう。
私は肉体を維持するのに必要な全てを失っていた。わざわざ遊ぶために滞在を一日延長したのに、指一本動かす気力もなかった。千円で一時間のチェックアウト延長できることに気が付かなかったら、外に出た瞬間に倒れていたと思う。確保した数時間で、駅のホームまで歩くだけの体力を取り戻したかった。失われたものは二度と戻らない。そこに二日酔いが加わって紙屑のようなゲロを吐き散らし、ゴミクズみたいな下痢をした。何度風呂に浸かっても体温を維持できない。即時に行われる体温の足し算と引き算。指一本動かせないのに内臓に関しては玩具箱をひっくり返したような状態だった。
正午を回ったところで何をする気力もない。息も絶え絶えになりながら、虚な表情で東京駅までたどり着いた。地下には美味しそうな食べ物がたくさん売っていたけど、��れも食べる気持ちにならない。茅乃舎の出汁スタンドはギリギリ飲めそうだったが、店の前に立った瞬間に到底今の自分に受け入れられる食べ物ではないことに気がついて後退りしてしまった。こんなにキラキラしていて、したたかな飲み物を闇の生き物が摂取したら内臓が溶けて死んでしまう。
それでも、どうしても崎陽軒の焼売弁当だけは食べておきたくて改札前の売店で一つ買った。人生最後の贅沢だと思って新幹線の中で食べようと箱を開けたが、結局干しあんずと解熱剤しか口に入れられなかった。すぐに蓋をして鞄にしまってしまった。今まで崎陽軒の焼売弁当を食べた経験のなかで一等具合が悪い。一つだけわかるのは、私は崎陽軒のシュウマイ弁当を食べるたびに何故だか日記を残したくなるということだ。前もそうだった。私が何かを残したくなるのは崎陽軒の焼売弁当を新幹線の中で食べたときか、あるいはひどい風邪を拗らせたときだから、この日記を残すのはある意味順当に自分の脳内��情報が処理されている証左だろう。
新幹線を降りて駅前の広場まで出ると妻が車で迎えにきている。一目見て自分の状態が良くないと察し当初は心配したが、結局怒りが勝った。ベットに横になっていると、イキリ立って部屋に飛び込んできた。なぜ社会人にもなって酒飲んでハシャいで、体調管理もできずにノコノコ帰ってきたのか?子供にうつしたらどうするつもりか?お前はクソだと問いただされる。もう勝手に死んでくれお前は。と言われる。もう死にそうなのに。アクエリアスとウィダインのパチモンを買ってくれたはいいが、もう死ねといいながら私に投げつけていってしまった。なんということだ。ぐうの根も出ないし、あとのことを考える余裕もない。翌日になって多少は体調がもどり、冷蔵庫に入れていた崎陽軒のシュウマイ弁当を食べた。人生で一番貧しいシュウマイ弁当だった。久しぶりに塩気のあるものを口にできてよかった。なんとしても内臓に処理させる心持ちだった。
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植生、昆虫類になぜだか嫌味がない。現在のアパートの踊り場で死んでいる蝉や不意に現れる蛾などには明確な嫌悪感を抱くが、故郷の往来で空薬莢のごとく死んでいるカナブンにはどこか見慣れたところがあり、生来からの親しみを覚える。郷愁の正体は得体の知れている生態系にあるかもしれない。虫は路上で死に絶え植物は跋扈する。私のように数年単位で町から町へ移動していると人生の半分を過ごしたこの場所以外に、これから先の暮らしで郷愁を覚えることはないだろう。
この汽車は日常の雑事のなかへと私が戻っていく汽車である。私のほかには先刻ホームの長椅子で隣に座っていた老婆が遠く対岸の優先席へ腰掛けているのみで、線路と車体が触れ合う規則的な音が車内へこだましている。老婆と目があって会釈をする。汽車に乗る前に、私はこの老婆が土産に買っていたお菓子の箱を地面に落とすのを見た。退屈な会話に巻き込まれることがわかっていながら私はそれを拾った、という仲である。聞けば昨日まで町を挙げてやっていた祭りを見たくて故郷へ戻ってきたのだという。私はその祭りに参加して囃子を演奏したり運行に携わってたのだからその点は悪い気がしなかったが、それ以上のことを知ったところでどこか気まずくなる。まだ往来で死んでいるカナブンの方がどこか気楽に思われて、私は再び単調な景色に視線を移している。
電車はなく燃料で駆動する汽車である。遠方で回転する風車との距離について考える。たとえ三角関数を知っていても、どこかの長さが分からなければその実像は身を結ばない。それでもこうして暫く眺めていられるのだから遥か上空を飛ぶ飛行機のように相当遠くにあるのだろう。その一台ずつに無数の企業であったり、職務へと従事する人がおり、日夜その回転に関わっているということにどれほどの人が気がついているだろう。音もなく悠々と姿を隠していく夕日を背景に見送りながら、このような全能感に掻き立てられることもある。ところがその回転している世の中にかすりもしない小市民が現在の私である。汽車は揺れ、風車は回る。
退屈凌ぎに読み始めた本に「人間ひとりのすべての細胞が一日に発散しているエネルギーを集約すれば、30Lの水を沸騰させることができる」と書いてあった。私も「スーパーなどで買った大福は冷蔵庫の中で一日ばかり乾かしてから食べるのがコシが出て美味しい」などという発見をどこかに記載したい。
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Kiroku
晴れた日の夕方4時から6時くらい��家から足を踏み出すとき、私たちは友人が知っているような自分を脱ぎ捨てて、洋々とした匿名の彷徨い人の群れに加わる。自分の部屋で独り過ごした後では、彼らのつくりあげる社会はとても心地いい。その一人ひとりの人生に、私たちはほんの少し身を浸すことができる。自分はただ一つの精神に縛りつけられているわけではない、二、三分の間であれば他人の心身に扮装していられるのだ、という幻想を抱くにはそれで十分だ。
全国規模の研修に行く機会があり、数年ぶりに東京へ行く。かなり真面目な研修なことには変わりないが、すべて経費請求できるので半分くらいはご褒美感がある。東京駅で降りて、東西線の大手町駅へ向かう途中の地下道を在学中は実家から帰ってくるたびに何度も通っていた。早稲田町に住んでいたころの記憶が急に蘇って、特段忘れようと思ってい���ことでもないのに、記憶というのは曖昧になっていくのだと思った。というよりも、忘れようと思っていることのほうが却って忘れたい記憶を強化してしまう。忘れたくないことほど忘れてしまう。迷子になろうと思って迷子になる人はいないし、覚えているということは覚えているということを安心させてしまう。地下鉄に乗っているときにはイヤホンも何もしてないのに当時聞いていた音楽のようなものとか何気ない一瞬みたいなものが、脳裡を流れていくのを感じた。自身の直近十何年かの連続性のある行動のほとんどが、救いようもなくどうでもいいような、例えば特段好きでもない音楽とかうどん屋でした救いようもない会話のような離散的な素材までに分解されていることに気が付く。
各都道府県から一様に集められた人の前でやはりありがちな自己紹介を強いられる。紹介するような尖った自己の部分などとうの昔に大部分を失っているので、例えば私が今まで暮らしてきた土地、自身の行いが巡り巡ってたどり着いた故郷のことなどの紹介をする。自身の根底に土地への帰属意識のようなものがこんなにも作用しているとは思わなかった。
私の故郷が話題になることなど、住宅地に現れた熊の被害が全国的に騒ぎになるくらいである。雪解けの頃、なんとなくダムの周りの景色を見るために車を走らせていると、にわかに現れた黒い影がやはり熊だった。ダムの周りといってもそこから少し降ったところには数軒の民家があり、自然と人里の境界としても機能しているようにも感じた。ダムより先は明確に森で、指数関数的に自然が濃くなっていく。木や植物から人間味が無くなっていく。組み上がったパズルのように介入する余地のない強烈な自然の山肌には恐怖を覚える。ひっそりとして日の当たらない闇の土地である。私が目撃した熊は遠目に大きい野犬と思われた��(野犬でも十分危険なことには変わりないのだか)、明確にクマと認識されるや否や、さらにその危険度と私の心拍数が跳ね上がる。大型のサイズとなれば何か装備していても、たとえ車に乗っていようとも運が悪ければ死が明確に肉薄する。直接脳みそを手で撫でられるような恐怖を感じる。クマのプー太郎だって、ハチミツより人の肉の味を覚えれば、悪意のない殺意がさらに冷酷に発揮されるだろう。とにかく一目見れば、人類は狩られる側と感じる。感覚的には、ほとんどエイリアンと戦うような人類の劣勢ぶりを意識する。
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2022
夢を見るには眠すぎる
目が覚めると外は一面の雪景色に変貌していた。「すごいって、早く会社行って雪かきした方がいいよ」と妻がいう。もう少しだけ布団の中でグダつきたい。隣で寝ている息子の顔を眺めていたいけれども、妻のいうようにぐちゃぐちゃになった顧客用の駐車場のことを考えると、もう嫌な気持ちでいっぱいになった。この季節は全部マイナスからスタートしていくのが嫌だ。たとえプラマイゼロまで持って行っても、くだらない書類の空白を埋めていかなければならない。寝息を立てている息子のさらに隣で寝ている娘の顔を覗き込むと、私に気づいて信じられないくらい笑顔で笑っている。妻は先に目を覚ましており、蛍光灯もつけず私のお弁当を作っていた。これから始まる絶望的な季節、金にならない労働が幾分か頭をよぎっているようだった。だいたいこの時期になれば”こんにちは、雪です。一年ぶりですね”といった具合に簡単な挨拶にくるものだったから油断していた。”あー降ってきやがったなー”と思った翌日には、特殊作戦群が扉の前に"ステンバーイ…"と待ち構えていた。
繋がりとか縁とか言うとちょっと恥ずかしい
ここに集まった人みんなは"何かのご縁"で集まっていると思います。今日を迎えるにあたって、僕とイトーくんの縁はなんだろうと考えました。出身も違えば大学も学部も違うし、サークルも違うし、仕事も趣味も多分違うし、多分国籍が一緒くらいなもんで、たまたま今から10年以上前にいった神楽坂の竹子——ほんとうにひどい飲み屋ですよ——の一��でたまたま隣のテーブルに座っていて、たまたま私の元カノの友達——それも2、3回しか会ったことなかったんですよ——といっしょにいて、酔った勢いで話しかけてみて、そのまま仲良くなるという縁が、ここまでずっと残るとはあの時思わなかったです。今になってみれば何であの飲み会行ったかも、逆になんで自分があの飲み会誘われたかも今ではよくわかんないし、もうすこし気持ちが乗らなかったら外に出なかったかもなーとか、竹子のビールがもう100円高くて上等なものだったらあそこまで酔っ払ってなかったかもなーとか、その後なんとなく皆んなで東京タワーまで歩く気分にもなってなかったかもしれないです。なんというか僕はラッキーだなーと思ったんです。
そうして思い返していると、一緒にいると楽しいかもとか面白いことがことが起こるかもしれないという予感のようなものが縁だったのかなーと思うのです。よくわからん人付き合いには、ふわふわと縁なんて言ってヘラヘラ誤魔化してしまうんですけど、今日はもう少しだけ踏み込んでみるとあの時確かに"いい予感がした"んだって、やっぱり楽しいそうだなって予感が、あの時したんだと思います。みなさんも、お二人も、きっとそうじゃありませんか。
そして、その元カノの友達はイトーくんと飲んだくれているうちに、今では直接の大事な友達として、今日まで仲良くしています。彼女はいまロンドンにいて、ここに来ることができませんでしたが、手紙をいただいておりますので、代読させていただきます。
Hからの手紙を読む
結びになりますが、今日はお招きいただきありがとうございます。奥様とは今日初めてお会いしますが、二人が本当に愛し合っていることが身にしみてわかって、すごく嬉しいです。イトーくんをよろしくお願いします。今日は李賀のように飲みすぎるなと妻から釘を打ち込まれておりますが、たくさんお酒を飲んで、仲良くなって楽しい気持ちで帰りましょう。こんにちの縁が、美しい予感が、ずっと続くことを祈念しまして、お祝いのあいさつとさせていただきます。
手紙の中で語られた、昔イトーくんが酩酊状態で突如として朗読した李賀の漢詩
琉璃鍾 琥珀濃 小槽酒滴眞珠紅 烹龍炮鳳玉脂泣 羅幃繍幕囲香風 吹龍笛 撃鼉鼓 細腰舞 況是青春日將暮 桃花乱落如紅雨 勧君終日酩酊醉 酒不到劉伶墳上土
ガラスの杯は濃い瑠璃色に輝いている。 小さな桶から酒が滴って紅の真珠のようだ。 龍を煮、鳳を包み焼きすると、玉の脂がジュージューと泣くようにこぼれる。薄絹の帳と刺繍した幕にいる囲まれた中に、かぐわしい風がそよぐ。 龍の笛を鳴らし、ワニ皮の太鼓を打ち、白く美しい歯の美女が歌い、細い腰をくねらせて舞う。まして春だ。日はまさに暮れようとしている。桃の花は乱れ散り、紅の雨のよう。 君に勧める。一日中、ぐてんぐてんに酔いたまえ。かの劉伶でさえ、墓にまで酒を持ってはいけなかったのだ!
今年生まれてきた娘についてのごく個人的な考察
兄妹そろって妻寄りの顔つきなので、3人並んでいると本当にそっくりだなーと思う。加えていえば、妻は3つ子なのでこの世に似ている顔が6つあることになる。ややこしい。
じゃがいもについて
「ねえ僕は実はさ、じゃがいもってあんまり好きじゃないんだ」
「えっ?! どういうこと?? 私むしろ入れるようにしてたんだよ?お腹いっぱいになるかなって思って、それも結婚してから5年もたってるのよ?本気で言ってるの?」
「そうなんだよ、そこなんだよ、だっておなかいっぱいになっちゃうじゃないか。それだけでおなかいっぱいになっちゃうのが僕はダメだったんだよ実は」
「飢饉かよって思ってしまうんだ。いや、フライドポテトとかは別になんともないし、なんというかコロッケとかはむしろ好きなんだ」
「めんどくせー男だなオメーは。むしろなんにでも入れてたわ。これでもかってくらい」
「汁物に入っているやつが、なんか違うなってなっちゃう。いや、食べるよ別に、なんていうか食べれないわけじゃないんだ」
「同じコストでいろんなもの食べたいんだよ。人参とか玉ねぎとかは同じ量食ってもお腹いっぱいにならないでしょう?他のものも食べれるわけよ、米とか」
「ところがじゃがいもってマジでお腹いっぱいになるじゃん。さっき道の駅で買った郷土料理の汁物のなかに死ぬほどじゃがいも入っててさ、これ��ゃあじゃがいもじゃんって思っちゃって最低だったマジ。それでやっと気がついたっていうかさ、じゃがいもそんなに好きじゃないって。好き嫌い殆どないからさーあんまり考えたことなかったんだよ。いままで。そもそも山菜汁にじゃがいもいれてくるあたりセンスないよ。あの店潰れるぞ。僕は山菜が食べたいよ」
「ポトフはよく食べるじゃん」
「ポトフはギリギリ許せる。味がするから。嫌いなわけじゃないんよ、普通に食べるし」
「めんどくせー男だなーーーマジで」
「カレーは?」
「カレーはじゃがいもっていうかカレーだからイケるな」
「5年も真顔で好きでもないじゃがいも食べるのやばいって」
「そういうの早くいってよ」
今年買って買ってよかったもの
小型のマッサージガン マツダのcx-5(ディーゼル4WD) デスストランディング(いまさらプレイして最高傑作だった)
この記事は2022 Advent Calendar 2022の5日目として作成されました。前日は nobokoさん、明日はまとさん⭐️🇶🇦さんです。
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思い出すこと①
時間がただ過ぎていって、その日にあったことの少しでも思い出す瞬間も無くなっている。テレビ電話で幼い我が子と電話する。知らない間に言葉も増えているものだ。プラスチック製の青いイルカのおもちゃを手に握りしめている。いいね、イルカ買ってもらったんだねと私が話しかけると、イルカ違う、これお魚よ?と彼はいう。厳密に言えばイルカはお魚じゃないけど、どこでそんなこと覚えてくるのだろう。いつから「違う」とか、そういうのがわかるんだろうと毎日不思議に思う。
なんでこんなこと思い出すんだろうということもある。古い友人のことである。彼の就職が決まったときは、そうかもう地元に帰るんだなァとアパートで酒を飲みながら、もう根性の別れみたいに固く握手をしたんだった。まァそっちにも遊びに行くし、なんて。でも一ヶ月も経たないうちに、蓋を開けてみたら新宿支所で働くって聞いて、お互い気まずそうに連絡を取り、幻となった恥ずかしい別れの握手について揶揄したものだった。俺たち、こんなふうに手を握ったなって具合に。それからも、当時私が住んでいた新宿のアパートにも休みの日にはたまに遊びにきていたし、次の日休みだってときには夜遅くまでHalo4で遊んでた。それから数ヶ月もたって、なぜだかわからないけども連絡も取れなくなった。以来8年近く会ってない。その後どういう因果かはわからないけれど、特に大した信念もなく、彼と同じ職業についた。多少、自分には彼と似たところがあったかもしれないとそのときは思った。
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2021
藍色の影
セブンイレブンで印刷した「知ってて知らない鳥の町」を読みながら、2021年の話を書いている。
しばらく日記を書くことから離れていたこともあり、この一年間で何があったか、思い出すのに時間がかかる。半年以上日記を書かなかったのは初めてかもしれない。今年はあまり本も読まず、メモも取らなかった。部屋が狭すぎて落ち着いて作業する場所がほとんどなかったからかもしれない。今年唯一のメモは宮沢賢治の詩の一節で、「衝動のようにさへ行われる/すべての農業労働を/冷たく透明な解析によって/その藍色の影といっしょに/舞踏の範囲に高めよ」と書かれている。コロナ禍中で仕事中は厳しい局面に出くわすことが多かったが、この詩が心のなかで生きていて、一歩退いてダンスステップを踏んで���ろうという気持ちになれた。
氷濤
今年の二月頃、北海道を訪ねてきた友人たちと支笏湖の氷濤を見に行った。コロナ禍で旅行も飲み会も友人たちへの再会も後回しになっていたところに、楽しい一日が舞い込んできた。氷濤は水をスプリンクラーで吹き付け凍らせて作った氷のオブジェのことで、ただ巨大な氷の柱みたいなものもあったし、小さなお城みたく中に入ったり登れるものもあったりして、面白かった。巨大な構造物に囲まれていると、なにか悪ふざけめいた感じもあった。地域のイベントは行ってみたらやっぱり面白い。



転勤
街から街へ、住み慣れた場所を離れるのはいつも寂しいが、それでも不思議とそこに留まりたいという気持ちは湧かなかった。むしろ知らない街で暮らすことに期待感がある。妻はそうではなかったようで、なにか気に触るたびに新しい土地への不安を漏らしている。行政の行き届いた札幌のような街から出て、人生で一度も訪れたことのないような辺境の街に住むのは普通の人間からすれば相当なストレスに違いない。屈強なアルバイトふたりが小分けにされた我々の生活をすみやかに運び出すと、掃除の行き届かなかった部屋の隅からほこりが噴き出してきた。すっかり入居当時の広さを取り戻した1DKを眺める。夫婦ふたりきりになるのも久しぶりだった。あの時はちがうよ、ああだったんだよ。私だけが単身赴任して、君は後から来ただろう、それでどこかで美味し物を食べようって言って、結局よくあるチェーンの居酒屋に入ったじゃないか。札幌に来てからの4年半で何があったか話し合う。
息子は作業の手伝いを真似ながらもガムテープを投げたり、しまったミニカーをどこからか出してきたり邪魔しかしないので、ぎりぎりまで保育園に預けている。いつもの帰り道とは違う方向に向かっていく予定であることなど何も知らずに、今頃昼寝でもしているものだろう。あと数時間もすれば不動産屋が鍵を取りに来る。追加で料金が発生しない程度には掃除を終えてしまいたい。部屋の隅に生えたカビを落としたり洗面台を磨いたりする。この汚れは実は擦ってみれば落ちるものだったのだと気付く。この一週間の疲れがまるで遠泳を終えたあとのように降りかかる。転勤が決まってから、ほとんど息継ぎなしで泳いできたようなものだ。勤務最終日まで、やらなければいけないことは燻っていた。私しか理解していない顧客の引き継ぎ、こうでもなければ手をつけるのを後回しにしていた仕事が次から次へと現れたのだ。

最後に会えていなかった顧客との面談を終え、保育園で息子を回収する。今日のさようならは少しだけ意味が違うんだよ。また明日という意味が入っていないんだよ。さようならをいうのは少しの間だけ死ぬということだよ。この一年間で書いた絵(のようなもの)や画用紙でできた花束、保育園でのふれあいの結果をトランクに詰めこむと、港に向かって車を走らせる。ワイパーもほとんど意味がないくらい、強い雨が降っている。高速道路を降りてしまうとほとんど明かりもない。前方の車のテールライトを必死に目で追いながら、初めて通る道を進んでいく。カーステレオからはなっている音楽を遮って、スマートフォンが道を案内してくれる。だけど2km先を右折と言われても自分にはどこがその2kmなのかわからない。スマートフォンがそういっているだけで、ほんとうはこの先に道なんてなくて、巨大な穴に吸い寄せられるように落ちていっているのではないかとさえ思われた。
港は月面に存在する基地のようだった。巨大なトレーラーがフェリーの底に何台も格納されているなかにいると、にわかに私の車がおもちゃのミニカーのように感じる。もうすぐ家族も増えるし、車を買い替えるのも良い機会かもしれない。フェリーには大浴場があって、浴槽のお湯は船の揺れに合わせて海と同じくらい波打っていた。同じく風呂に入っている男どもと浴槽の中で鮨詰めになり、その不愉快な揺れは自らの力で抵抗できるようなものではなく、海中で漂う昆布のごとく揺れているのはなんだか面白かった。嫌な出汁が出るだろう。船に乗るのも久しぶりだ。最後に乗ったのは高校生の頃で、北海道の音威子府村までスキーの合宿に行った時以来だ。私がなにから難しい顔をしていたためか、一緒に���っていた自衛隊員から先輩と思われたのか「お疲れ様です」と頭を下げられる。そうだよ、俺は疲れているよ、と思った。
どうぶつの森が面白いのは転勤するのに近いかもしれないなと思った。新しい場所で暮らすということ、自分のための拠点を一から作り始めること、そこで身を立てることは、人生最大の娯楽のようなものなのだ。どこに家具を置こうとか、ルーターをどこに隠そうとか、テレビ周りの配線を組み直している時とか、ホームセンターに工具を買いに行くとか、まんまどうぶつの森だった。相違があるとすれば、飯を食べたり、気の進まない仕事に向かっていったり、強かな人付き合いの連鎖が常に降りかかってくるというところとか、年金だとか税金だとかの手続きからは逃れられないとか、もしそういう仕様が一つでもあったらあのゲームは台無しかもなと思った。どうぶつの地方都市なんてだれもやりたくはない。引っ越しの費用をケチって単身赴任用の部屋に3人で住んでいたのは本当に無理があった。後からきた後輩もみんな私の前例に習って同じように結婚し、同じ場所に住み続ける悪き風習を残してしまった。家賃のほとんどが会社負担で金銭的な余裕は大きかったが、家族用の冷蔵庫みたいな大きい家具は搬入できないし、3人で歪に布団を敷いて寝たりするのはあまりよくなかった。転勤先には家族向けのアパートがほとんどなかったた���、謎の一軒家(周りは草原)を支給されている。家主だって立てたことを忘れたんじゃないかというくらい古めかしい外観だったが、思っていたよりも中は綺麗だった。相応に広いし、納屋だってついている。冬タイヤをベランダに並べておく必要もない。やっと好きな家具を置ける。40万円分も家具を買い集めるのは楽しかった。冷蔵庫もやっと買い替えることができた。それまで使っていたのは大学生の時に買った無印良品の冷蔵庫で、キャベツ一個買うだけで満杯になっていた。新しく買った三菱の冷蔵庫はキャベツはおろか白菜まで何個でも入る。すごい。野菜の持ちも全然違う。そうして完成した部屋はどこかおしゃれにはなりきれなかったが、私も妻も満足していた。
ざっくりとベストよかったこと
今年よかったことといえば、来年の春くらいには子どもが増えるということで、日記を書き始めた頃から随分状況も変わったなと思った。もちろんアドベントカレンダーに書いている20xx年からも、変わっている。毎日全く同じような一日を暮らしているような気がするんだけど、一年間振り返ってみるとやっぱり違う場所にたどり着いた気がする。目を瞑って足踏みをしているように。一年も足踏みしていればもう別の場所の別の人間だろう。
あんなに色々言われていたオリンピックだって今年だった。オフィスが競歩会場に面していたために、かなりいい位置から見ることができたのはよかった。歩いているとは思えないくらいめちゃくちゃ早かった。
ほかにもチョコボールの金のエンゼルが当たったり、スーパーに行った帰り道にでかい虹をみたり、人生で初めてパーマをかけたり、Apexでソロダイヤ達成したり、そんな一年でした。
この記事は2021 Advent Calendar 2021の5日目として作成されました。前日はoooooooooさん、明日はnnca_ntnさんです。
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何がアイフォーン13だ、俺は30だ、馬鹿野郎とカリフォルニアに向かって叫んでやった。焼け跡からは遺体が見つかった。
久しぶりに帰った故郷は恐ろしいくらい静かで、酷く居心地が悪かった。転勤によって故郷は陸続きとなり、その気になれば車で何時間かかけて帰省できるにもかかわらず、精神的な距離は以前よりもずっと遠くなってしまった。従来の私には多少なりとも故郷の近くで働きたいという気持ちがあったが、今日に至るまでに私のことを誰も知らない街でもう一度ひとりになってしまいたいと思わせるような機会は、幾らでもあったのだ。そこには自分が撃ち込んだ弾丸もあれば、他人に撃ち込まれた弾丸もあった。あのヨボヨボなったアホ犬がヘロヘロとよってきて私のことを噛んだりするのですら愛おしかった。今ではもう新しい犬を飼っていて、その犬はすごく若々しくて力があって、アホ犬はすでに火葬を済ませ、私の携帯の待ち受けのなかにのみ、その眼でなにを語るでもなく佇んでいる。なぜだか帰る家を急に失ってしまったような気がした。
しばらく会わなかったMの話を、スナックで古い友人と飲んでいるときに聞いた。少なくとも元気というか、ほとんど正気を失ってしまっていて、墜落といっていいくらい人生を早送りするような行動を起こしている。そこまで行ってしまったらもう戻っては来れないのではないかと私は思う。どうしてこんなに袂を分かってしまったのだろうか。なにが分岐点だったんだろうか。その日はすでにビールだけで10Lは飲んでいたから、完全に出来上がっていて、はっきりとした理由を探そうと思ってもできなかった。ただ時間だけが過ぎていって、寝ている妻を尻目にそっと布団の間に潜り込み、大きないびきを書いて寝てしまった。夜中に長距離走に付き合ってくれたり、ナイタースキーをしていたときだってあったはずなのに。ランニングシューズを一足、隣に友人がいれば、どこまででも走っていけたものだったのに。
たぶん本当に戻る気を起こせなかったら一生私の前に現れることはないだろう。去年の12月頃に連絡が来たとき、過去の私のままだったら、おそらくそのまま会っていたかもしれない。やり直したいという言葉を受け入れてしまってもよかったかもしれない。でもそのときは、私がなんとか自分の力で築き上げてきた家族を必要のない苦労に巻き込む必要もあるまいと、なにか適当な理由をつけて断った。実際に飛行機に乗ってまで会いにいくほど、強く気持ちを動かされたほどではなかった。というのも私が受けていた弾丸はずっと心の奥の方に埋まったままだったし、それを少しでも取り去るような言葉も感じられなかった。心の奥底で考えていることは、言葉にしなくても多少は伝わってしまうものだ。良いものも悪いものも、たとえ隠そうとしていてもその人の言葉や雰囲気にある種の響きを与えてしまうのだ。自分が本当に求められているかどうかも分からず、ただ穴のほうに向かって馬鹿みたいに吸い寄せられるのも、騙されているような気がして、そして自分が思っていたより用心深くなったことに対してなぜか苛立っていた。そして、人付き合いをあっさりと金に変えてしまうような連中に私がウンザリしているだけなのだ。
転勤族のいいところは転勤するたびに多少なりともリセットできるというところだろう。閻魔帳には私の数々のしくじりが事細かに描かれているのかもしれないが。
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フラニーとズーイ①
猿は二日酔いになると、二度と酒を飲まないらしい。私は二日酔いになったが、帰り際になんとなく寄ったコンビニでまた酒を買おうとしている。私が猿より馬鹿なのか、それとも私の暮らしている世の中が猿の暮らしている世の中よりも過酷だからなのか、あるいはその両方かもしれない。いずれにせよ、二日酔いになった後でも「この世はまだ生きている価値がある」と思うには大切な友達や妻の手を借りなければならない。しかし家に着いた瞬間に、玄関や風呂場で盛大に吐き散らしてしまったので、後者の支援を受けることはできない。風呂場でゲロまみれになって寝ていたが、わずかに残った慈愛の精神が私を介抱させるに至る。そして私はその日もどうにか生き残った。「あんた何歳になるのよ」と叫ばれたのを覚えている、そしてどうにか振り絞るようにして「三十歳です」と答えたのも覚えている。
相変わらず電気ケトルでお湯を沸かしてお茶を飲んでいる。歯を磨いたり、目薬を挿したりして、ほとんど寝ようかと思ったところで机の上に置かれた本が目に留まる。フラニーとズーイ。読書の記録によれば、初めて読んだのは二十三歳のときだった。村上春樹の新訳をきっかけにして、当時早稲田町にあった「あゆみブックス」で買った気がする。当時私は早稲田大学に通っているわけではなかったが、早稲田町に住んでいた。そのことは自己紹介をやや複雑にした。大学がある以外特色はないが、好きな町だった。銭湯が三つもあった。そのうちのひとつの銭湯には人生で最悪の思い出がある。私が体を洗っていると、二つ隣の椅子に座って体を洗っていたおじさんが俄然「アッ」と叫び、飛び跳ねるように洗い場の排水溝の蓋を開けた。そしてそこに最低の下痢を投下した。そして私はそれをマジマジと見てしまった。それ以来私はその銭湯に行っていない。
当時はフラニーの章のレーンの薄っぺらさとか、インテリ批判みたいなものを感じて説教くさい印象を中心に持った気がする。泥酔した日に会っていた友人がその面白さを語ろうとしていたので、そんなに面白い話だったのか検証しようと思って買ってきたものだ。「こんなに面白い話だったんだ!」という例の冊子の存在も忘れていた。最初からその冊子を読んでしまうと、自分の感想も偏りそうだったので最後に読むことにした。
後少しで読み終わるところまで来ていたから、今日は夜更かしして読み切ってしまってもいいと思った。部屋の明かりはLEDの眩しいものしかなくて、キッチンのあかりだけは蛍光灯だから、スイッチを入れると何度か力を込めるようにして点灯した。妻は何故だかキッチンの明かりが嫌いだという。だからいつも料理を作るときに、鍋の中がどんな色になっているかわからなくて、煮込みすぎたり足りなかったりする。ああいえばこういう性質だから、そういうことを指摘しようものなら、だって蛍光灯嫌いなんだもんと彼女はいう。どこからか黴臭い匂いがして、排水溝の奥の方かもしれないのだが、覗き込む気にはならない。他の人はどんな感想を持っているのだろうと調べてみても、あまり有益なものは見つからなかった。こんなにインターネットが普及しているのに、サリンジャーの小説の面白さをきちんと説明できている人を探すのは骨が折れる。面白さを文章にしようとするとかなり難しい気がする。
本を一冊読むのも一ヶ月くらいかかる。育児や仕事に追われている。自分自身が何か変わったというわけではないのだ。本来の仮面、職業上の仮面、夫としての仮面、父親としての仮面が新たに追加されただけのことだ。そしてその仮面が一致している人もいれば、恐ろしく乖離している人もいる。
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「当然誰にだって内緒にしておきたいことはあるわ。後ろめたいことだからじゃなく、ただ内緒にしておきたいから。私にも2つや3つ、あんたたちにも知られたくないことがあんの。」
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溝と暗流
よくお茶を飲んでいると言われる。それまではカフェインなしに脳みそを奮い立たせることができず、コーヒーが手放せなかった。気に入った喫茶店からいつも豆を買って飲んでいたし、朝は妻にコーヒーを淹れてもらうのが好きだった。ついには自らコーヒーの生豆を焙煎するほどのコーヒー党だったが、なんとなく苦いのが嫌になってきて(そのために飲んでいたはずなのだが)飲まなくなってしまった。休日にベランダで煙を出しながらコーヒー豆を炒めるのは、ほとんど呪術のようなものだった。今はほうじ茶ばかり飲んでいる。私があまりに美味しそうに飲む為か、息子はコップで水を飲むたびに私の真似をして「アー」と声を上げる。私は本当にこんな顔でお茶を飲んでいるのかと思う。コーヒーほど凝ったことはしていない。透明な急須を気に入って使っていたが、それも面倒になってスーパーで買った50個入りのティーバッグのほうじ茶を愛飲している。ティーバッグ?ティーパック?いまだにわからなくなる。調べたらティーバッグ(tea bag)だという。
一日に何回か飲んでも一ヶ月は持つ。そうして一日に何度も電気ケトルでお湯を沸かす。新入社員だった頃に買ったもので、ステンレス製、コーヒー用のヤカンのように注ぎ口が細くなっている。水を入れて沸かすだけだから、あまり真剣に洗ったことがなく、底の方が薄黒く焼けてしまっている。何か電気的な変化なのかもしれないが、はっきりしたことはわからない。ケトルの周りは水垢やら油ぎった埃が張り付いている。いつも握っている黒いプラスチックの取っ手だけは感触が滑らかだ。お湯が沸いてもそれを知らせてくれるわけではない。控えめにカチリと音がなってレバーが戻り、オレンジ色のランプが消える。だから時折お湯を沸かしていたこと自体を忘れて、黙々と作業にのめり込んでいる時がある。そうしている間にお茶が飲みたくなって、全てを忘れて、またお湯を沸かしてーー。
月の裏側でほうじ茶を飲んでいるとは誰も思うまい。灰を固めたようなビスケットを齧る。長い休暇もいよいよ終わりが見えてきた。ほとんど仕事に行かなかったので、高等遊民になりたいという長年の夢も半分くらいは実現した。職場から時折電話が掛かってきて、簡単な指示を出したり、簡単な報告をする。あるいはプレステをいじるか、合間に去年買った量子力学の本を開いて何やら計算する。息子のために買った落書き帳もほとんど計算用紙として消費されており、妻はその様子を不満げに見ている。妻はコールセンターでバイトをしている。色々な電話が掛かってくる。大抵の人は、妻の対応に満足してくれるが、中にはそうではない人もいる。そもそもこの時代に電話をかけてくる人は大抵何かに怒っている。帰宅すると時折妻が愚痴のようなものをこぼす。「そんなこと言われる筋合いはないわ」と彼女は言う。妻は私と一緒で、たぶん正しく怒ることができない人なのかもしれない。何か恐ろしい言葉で呪いをかけられると足がすくむし、口も乾いてきて、頭がぐらぐらする。家に帰ったあたりで、はっきりしてくる。私はあんなこと言われる筋合いはなかった、と。
カチリと音をたててシリンダーがひとつ分だけ回転する。
駐車場は吹きさらしになっていて、車が雪の中に沈んでいる。もしも自分で家を立てたら、絶対に車庫付きにしようと思う。この労働から解放されるなら月々のローンが数千円増えたって構わない。幼い頃は雪だるまが複数個作れることや、一か所に雪を集めてかまくらをつくることを考えたかもしれないが、今では意味を見出すことができない。大気中の水蒸気から生成される氷の結晶が空から落下してくる天気。
ブーツを買わなければ、と思っているうちにもう二月になってしまった。そして文章を書かなければと思っているうちにきっと三月になってしまう。我が子が泣き叫ぶほどにパソコンから遠ざかっていき、社内の文書規定に従ってしまう癖がついてしまった。同時にあらゆる政治的な扇情から身を引いた。自分でもわからないくらい、不気味に、あらゆるものからから遠ざかっていった。思うに自分が自分から遠ざかっていったということに他ならなかった。つまりこの半年ほどは自分どころの騒ぎではなかった。直接的に肉体が変容していった妻に至っても同じ意見だった。我慢しているうちに全てが先送りになっていた。会社の朝礼で次のようなスピーチしたが、この記録を残しながらなんの教訓にもなっていないことがわかった。「ものごとを先送りにしてしまうのは人間の心理作用の一つであり、先送りにしてしまうことに対して先輩方が単純に先送りするなというのは筋違いで、先送りの原因となっている障害を取り除かなれけば先送りを解消することはできません。」などといったのがすでに数ヶ月も前の出来事だった。
今年は小雪だったから足元の悪さを気にすることは少なかった。必要なはずなのに、必要なものほどその要否は審議にかけられる。なんでもいいから買ってしまえばいい。鉄製の先が尖ったスコップ、氷を砕くためのツルハシ、防水ブーツ、結露防止のシート。私の持っているものは、ひと月も人の手が加わらなければほとんど雪の中に沈んだまま元にはも戻らない。誰かが通った跡に足先を嵌め込むように歩く。深い部分は湿っている。同じ建物に住んでいる上司だろうか、私より足の長い誰かが通った跡だ。そうしてやっと車にたどり着く。表面は息を吹きかけると飛び散るような軽い雪で、溶解と凝固を繰り返した深層部は重く張り付いている。助手席側の雪をスコップで寄せる。ドアを開けて車内から雪と氷を剥がすヘラ取り出す。スキー用に買った高級な手袋も、ほとんど雪かき専用になってしまった。
暖かいところで暮らしたいとずっと思っていたのに、どうして北上する羽目になったのだろう。こうして生まれてから死ぬまで雪との格闘が続く。鉄、水、スコップ、血液と石鹸。なにか新しいものを生み出しているわけではない。誰かがやらねば、誰かが困る。そう思っていたが、ある時からそのくだらない作業をしているうちに、自分から遠ざけてしまった自分自身が、ぴったりと戻ってくるような気がする。凍えるような寒さのなか、身体中の隙間を見つけては入り込んでくる薄暗い冷気を切り分けながら、側溝に雪を流したり、庭の裏に向かって雪を捨てにいく。深夜に夜に雪を寄せているとより特別な気分になった。一面雪に覆われていれば、月明かりだけでそれなりに明るく見えるものだ。幼い頃、同じように深夜に雪を寄せる父の姿を覚えているが、今の私とほとんど同じ気持ちだったのかもしれない。
そういえば、側溝にはいつからかわからないがほとんど水が流れなくなった。地域によっては側溝に雪を捨てるのは罪になるそうだが、私が生まれた街ではそういうことはなかった。側溝を流れてくる水が、果たしてどこから流れてくる水なのかいまだに分からない。一度その溝の先を辿ったことがある。民家と民家の間に吸い込まれるようにコンクリート製の溝は続いて、より大きな河川までたどり着いたが、その河川の方が側溝よりも下に位置していたので、結局水がどこからきているのかは分からなかった。その溝は自分も知らない深い場所で静かに分岐し、未知なる水源に接続されているようだった。しかし、無限に水が流れてくるかに思われたその溝も、大学を卒業して故郷に戻ってみるとカラカラに乾いていた。もはや雪が詰まっているだけのくだらない窪みになっていた。そして流れがほとんどなくなった溝の底にはほとんど樹木のような硬い植物が生えていた。この辺りの子どもたちは、いや私だけかもしれないが道に生えている草をちぎって、側溝に流してはどの草が一番早く流れるか調べたものだった。だからアスファルトから突き出している草木という草木はほとんど生えた瞬間から抜かれていったものだった。そういう遊びがこの辺りの無秩序さを押さえ込むのに一役買っていたとはに夢にも思わなかった。私たちはあの街で秩序の一部分だった。
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月の裏側
寝かしつけのために息子を抱いていたら突然嘔吐した。さっきまで吸っていた母乳が噴出し、私の肩はゲロまみれになった。はじめはご飯を食べ過ぎたのかと思ったけれど、その後も嘔吐を繰り返したために、眠ろうとしていた我が家は騒然となり救急へ向かうことになった。私はもう既に金曜日にたどり着いて、土曜日を無難に過ごし、日曜日を迎えるためのアサヒスーパードライを飲んでしまっていた。深夜0時を過ぎた頃、妻が文句を言いながら慣れない運転を始めた。猛烈な寒波の影響で、朝から晩まで寒かったから路面の状態は悪くなかった。救急センターは街の中心部にあって、普段アパートとスーパーマーケットの間しか運転しない人間にとっては緊張の伴うものだったろう。「今はコロナだし、車通りもないから君でも運転できるよ」と説得した。私はここ数年でだいぶ交渉が上手くなったような気がする。
街は冷蔵庫の中みたいに静かだった。仕事をしているときは何度も救急センターの近くを通っていたはずなのに、目的地に設定した途端にあたりの景色が現実味を帯びてきて、初めてくる場所のように感じた。地下の駐車場はツルリとしていて、精巧にできたおもちゃのような車が不規則に並んでいた。問診票を記入して待合室のベンチに座る。私たちの他にも数人が、各々の症状を抱えて淋しい小石のようにうずくまっていた。息子は見たことものない緑色のゲロを少しずつ吐くので心配だったけれど、医師は「ウイルス性の胃腸炎」と診断した。「危険な病気の可能性を否定してあげれば大体はそれです。ウイルス性の胃腸炎は感染力が強いのでお母さんとお父さんにも移る場合が多いです。」と医師は言った。私はその診断を多少疑っていたが、翌日になって妻が嘔吐し、私も胸のあたりが一日中ムカムカして、身をもってそれが確かであることを理解した。
そういえば前にも牡蠣に当たったことがあった。あれはいつだったかと、アーカイブを辿っていくと2014年の3月のことだった。もう7年も前のことで、私は生き延びた。幸運なことだ。読み返してみると今と全く文体も違っているので、そこに存在していたのがもはや自分ではないような気がしてくる。私は当時付き合っていた彼女の実家で牡蠣を食べた。同じものを食べた彼女のお母さんはなんともなかったが、私と彼女にはウイルスが直撃した。もしも時間が戻るならスーパーで30%オフになってる生牡蠣を買うのをやめたほうがいいと言う。大広間に布団を二つ並べて、時折トイレに行く以外は文鎮のように動かなかった。
彼女も彼女のお母さんも料理が上手だった。キッチンは決して新しくはなかったが、いつもよく整理されていて綺麗だった。使ったコップはすぐに洗ってきちんと食器を拭いていた。私はお父さんの隣でアホみたいにムシャムシャご飯を食べてビールを飲んでいた。今でも私はアホのままだが、当時はもっとすごくアホだった。彼女の両親がどういう気持ちで私を迎え入れてくれたか、お互いに結婚した今では知る由もないがアホを家に入れてくれたことへの感謝の気持ちしかない。別れてしまった恋人のことを考えるのは、月の裏側を想像するようなものだろう。
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正月
正月は祝日の中でも特別な雰囲気がする。寒冷地の家の窓は二重になっている。窓際は結露がひどくていつも湿っているし、時々こぼれ落ちた水滴が凍って開かなくなる。雨と違って雪は音もなく降り注ぐ。眠っている間に除雪車が前進と後退を繰り返している音がしていたことを思い起こし、昨日は大雪だったのだろうと思料する。カーテンの隙間から差し込む日の光は薄暗い。遥か遠方から辺りを鈍く照らしている。雪自体が遽に青白く発光し始めたかのように思われる。体を起こし、少しだけカーテンを開くと、布地に纏わりついていた冷気が指先を伝ってくる。妻はすでに目を覚ましていて、息子は地べたに座って朝のニュースを見ている。本当にただ見ているだけで、どんな醜い出来事があろうと画面が綺麗に光っているとしか思わないのかもしれない。妻が食パンを一枚取り出して、トースターに設置する。私は朝刊を取りに玄関に降りていく。太陽も少しずつ上体を起こし始める。白熱灯のような朝日が降り積もった雪を明るみにし、地上からありとあらゆる境目を消し去っていく。やっと本当の冬が来てしまった諦めの気持ちが湧いてくる。こうしてうだうだしている自分の精神状態に、誰か頭の良い人が名前をつけてくれるかもしれない。ずっと足元は濡れたまま、しばらく地面を見ることもあるまい。
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