古楽器やアンティーク 古美術の買取など骨董品を出張買取鑑定致します。もちろん店舗への持ち込みも大歓迎です。福岡県内外にて無料出張鑑定及び高価買取中! ホーム���ージはコチラです。
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能面買取/福岡県・骨董品
能面(無形文化財)買取/福岡・骨董品|福岡市東区にて無形文化財博多人形師の白水八郎さんの作品を買取りました。博多人形は現在中々、買取が難しい事が多いのですが特定の作家物に限れば買取は��能です。博多人形は江戸時代の後半に正木宗七(焼)や、中ノ子吉兵衛や白水武平といった名工たちが活躍して業界は活況を呈し、全国に流通するようになりました。明治になりパリなど国際的な博覧会で高い評価を受け、日本を代表する人形として「博多人形」の名で知られるようになり海外へも輸出されるようになりました。明治30年頃に主だった博多人形師たちが「温和会」の名のもとに毎月定例会を催し、各自の作品を持ち寄って意見交換を行っていました。その活動によって作家たちは競って近代的な作品を生み出しました。明治の名工と呼ばれる白水六三郎もメンバーの一人で、彼の工房からも多くの作家が輩出されています。高価買取されている作品の中には川崎幸子さんや中村信喬さん、宗田源造山などがいらっしゃいます。ありがとうございました。
骨董品買取の福岡玄燈舎では能面や人形を買取致します。お見積りや査定だけでも構いませんのでお気軽にお問い合わせください。福岡県内は無料出張査定致します。
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【青磁の獅子買取】
骨董品買取の福岡玄燈舎です。先日は骨董品や美術品買取で福岡県久留米市にてアンティークな青磁の獅子を買取しました。中国で作られたと思われる青磁です。古いですが割れや欠けもなくとても良い釉薬が施されている古美術品です。

青磁は中国で発展した陶磁器で、その歴史は殷の時代にさかのぼります。殷の時代は灰釉が使われており、龍窯が進歩するにしたがって、良質な青磁が生産されるようになりました。なお、灰釉と青磁釉の中間的な釉をもつ陶磁器は「原始青磁」「初期青磁」と呼ばれています。いわゆる「青磁」とされる釉が現れたのは後漢~西晋時代。越州窯(浙江省)で生産された青磁が良く知られています。 唐代以降、青磁は文人や知識人を中心に愛でられました。それは青磁が「碧玉」や「ヒスイ」に近い色だったからです。古代よりこれらの宝玉は「君子が身に付けるもの」であり、儒教においては「徳の根源」として尊重されていたことから、「假玉器」とも呼ばれた青磁は上流階級の貴族や文人にもてはやされたと考えられています。
骨董品買取の福岡玄燈舎ではご自宅にある青磁を買取ります。骨董品や茶道具,着物、油絵やおもちゃ、書道具や掛軸など 福岡県内外で無料出張&買取致します。 ℡050-3569-2100 8:00~20:00 受付年中無休
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【根付買取】
骨董品買取の福岡玄燈舎です。先日は骨董品買取で福岡県福岡市城南区にてアンティークな根付を買取しました。こちらのお宅は代々骨董品収集をされているお家で今回は和骨董の小物、根付や茶道具、書道具、掛軸や印材など買取りさせて頂きました。ありがとうございました。写真の根付はしっかり在銘のある鶴型の根付です。

根付の材質で最も一般的なものは象牙、木材(黄楊、黒檀、紫檀、黒柿、桜、ゆすら梅、いちい 他)と鹿角です。その他にも、漆、金属、貝、珊瑚、鯨歯、鯨骨、セイウチ牙、猪牙、焼物、江戸ガラス、籐、竹、木の実(胡桃、タグアナッツ他)など枚挙にいとまがありません。珍しいところでは、サイチョウのくちばし、珊瑚、一角(イッカククジラの歯)、琥珀、うもれぎなどもあります。
骨董品買取の福岡玄燈舎ではご自宅にある骨董品、美術品や茶道具,着物、油絵やおもちゃ、書道具や掛軸など 福岡県内外で無料出張&買取致します。 ℡050-3569-2100 8:00~20:00 受付年中無休
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「高麗青磁買取」
骨董品買取の福岡玄燈舎です。今回の骨董品買取は福岡県糟屋郡にお邪魔致しました。甲冑や日本刀、鍔などを買取りました。他には古伊万里や写真の青磁皿なども鑑定して買取致しました。

高麗の青磁皿です。 高麗の代表的な工芸品である青磁は11世紀頃に宋の青磁の影響で製造が始まり、13世紀の元の支配下の高麗で発達した。青磁の青は朝鮮の空の青さを写したものだとも言われ、その独特な美しさは他に例を見ない。それは高麗の陶工が、原料の土、うわぐすり、焼き方を工夫して生み出したものである。前期のものは模様がほとんど無いが、後期になると象嵌で風物を描いたものが主流になる。
骨董品買取の福岡玄燈舎では高麗青磁買取ります。お気軽にお問い合わせください。受付年中無休 電話050-3569-2100
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唐銅花瓶買取!
骨董品買取の福岡玄燈舎です。今回、福岡県春日市にて茶道具買取のご依頼で出張鑑定に出かけました。鉄瓶や釜、煎茶道具や茶碗、掛け軸なども買取できました。ありがとうございます。写真の花瓶は買取品のひとつで曽呂利花瓶です。

花瓶の「そろり」はいわゆる鋳物です。 「鋳物(いもの)」という言葉は、皆さまもご存知だと思いますが、その作り方は以下のような工程によります。 金属材料を高温で熱して液状にしたのち、型に流し込みます。それを冷やして目的の形状にする製造方法が「鋳造(ちゅうぞう)」です。その型か���取り出してできた金属製品が「鋳物」なのです。鋳物のメリットは、何といってもデザインが自由なこと。金属を液体にして流し込むので、複雑な形や小さな部品でも自在に作ることが可能です。
骨董品買取の福岡玄燈舎では唐銅の花瓶や茶道具買取致します。お気軽にお問い合わせください。受付年中無休 電話050-3569-2100
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オメガ腕時計買取!
骨董品買取の福岡玄燈舎です。今回、骨董品買取のご依頼で福岡市中央区のマンションにお邪魔いたしました。この時計は祖母の方が大切にしようされていてお嫁さんに引継ぎされていたものですがアンティークオメガなので壊れています。しかしながらとても状態がよく修理をしたら元気に動きそうでしたので買取致しました。

1848年、オメガ創業者のルイ・ブランが、スイスのラ・ショー・ド・フォンにオメガの前身となる会社を設立。1877年には、ルイ・ブランの息子のルイ・ポールとセザールが会社経営に参画し、会社名は「ルイ・ブラン&フィルズ(Louis Brandt & Fils)」となった。1894年、この会社は高い精度とメンテナンスが容易な、世界的に成功を収めるムーブメントを開発。この成功により1903年に会社名は「ルイ・ブラン&フレール -オメガウォッチ(Louis Brandt & Frère –Omega Watch Co.,)」となり、オメガというブランド名が誕生したのである。
骨董品買取の福岡玄燈舎ではオメガ時計買取ります。お気軽にお問い合わせください。℡050-3569-2100
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昭和レトロなサザエさん買取りました
福岡県春日市にて昭和の古い道具や掛軸、茶道具、書道具や絵画などの骨董や着物の出張鑑定買取依頼がありました。下の写真は買取品の一つで最近では見かけなくなった銀行の景品の貯金箱ですね。古いサザエさんのソフビです。柔らかな素材なので時間が経つとカビやシミが付き捨てられてています。ソフビといえばゴジラやウルトラマンも有名ですがこのサザエさんも日本では有名ですね。

福岡市では2007年4月26日、長谷川が住んでいた福岡市早良区百道浜一丁目(住所上は早良区西新六丁目(地図))に『磯野広場』ができ、「サザエさん発案の地」の記念碑が建てられた。記念碑には『サザエさんうちあけ話』からの引用が記載されている。 また、福岡タワー北側の博多湾岸から福岡タワー前交差点 - 博物館前交差点 - (よかトピア通り) - 西新通り交差点 - 脇山口交差点間の市道1.6kmには2012年5月27日に「サザエさん通り」の愛称が付けられた。この「サザエさん通り」沿いには上述の「磯野広場」がある。 2013年2月には、サザエさんと福岡市在住の波平の兄・海平の着ぐるみが完成し、地元のイベント等で活用されるようになった。
骨董品買取の福岡玄燈舎ではサザエさんグッズやレトロな物を買取り致します。お気軽にお問い合わせください。受付年中無休 電話050-3569-2100
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国鉄の行き先サボ買取りました 骨董品買取の福岡玄燈舎
福岡市南区よりお父様のコレクションのを売りたいとのことで出張鑑定に出かけました。こちらのお宅は国鉄に勤務されていた方で仕事柄国鉄グッズを集めていたようです。駅の琺瑯プレートやサボ、看板、列車の放出品などがお部屋にたくさんありました。時間をゆっくり掛け査定して買取りさせて頂きました。段ボール箱15箱になりましたがとても満足されたようでお昼ご飯もごちそうになりました。ありがとうございました。下の写真は廃線になった南薩摩交通のサボだと思われます。伊集院駅は大正2年(1913年)10月11日、川内線として東市来駅 - 鹿児島駅間が開通したのに伴い、鉄道院により当駅が開設される。大正3年(1914年)4月1日、南薩鉄道、当駅 - 伊作駅間開業。昭和2年(1927年)10月17日、八代 - 川内 - 鹿児島駅間全通により川内本線から鹿児島本線に改称。昭和24年(1949年)2月1日、南薩鉄道が当駅 - 鹿児島駅まで国鉄に乗入開始[注釈 2]。昭和29年(1954年)11月11日、南薩鉄道鹿児島乗入れが3往復に増加。昭和58年(1983年)6月21日、豪雨被害により、鹿児島交通枕崎線全線休止。同年7月1日、鹿児島交通枕崎線日置 - 加世田間で営業を再開。昭和59年(1984年)3月18日、当駅 - 日置間が復旧しないまま、鹿児島交通枕崎線全線が廃止。
骨董品買取の福岡玄燈舎では国鉄グッズを買取り致します。お気軽にお問い合わせください。受付年中無休 電話050-3569-2100

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レトロなカメラ買取りました
古いカメラや時計があるとのことで福岡市中央区に出張鑑定で出かけました。昭和の古いニコンやセイコーの腕時計がある中、ペンタックスの小さなカメラオート110がありました。とても小さなカメラで色はコーヒー色。可愛いアンティークカメラです。

ペンタックスオート110は1979年にペンタックス(当時の社名は旭光学)が発売した110フィルムを使う一眼レフカメラ。当時、一眼レフカメラ専業だったペンタックスが「110カメラを作るなら一眼レフしかない」という意気込みで開発した世界初&唯一のレンズ交換式110カメラだそうです。みたからにおもちゃみたいでスーパー小型なカメラです。でも面白いのがレンズ交換式で一眼レフなので、レンズも交換できるしファインダーをのぞけば像がうつるんです。ピントリングを回せばファインダーの中で像は結像しますしちゃんと小さいペンタプリズムが入っているそうです。 110(ワンテン)フィルムは、1972年にコダックが開発したカートリッジフィルム。画面サイズは13×17mmで、ポケットに入る超コンパクトカメラと同時に誕生した。カメラ本体は横に長い箱形で、ポケットに入るサイズであることから、ポケットカメラと呼ばれていた。ほどなく、フジ、コニカや、キヤノン、ミノルタなど、国内メーカーが参入。110カメラブームが巻き起こった。
骨董品買取の福岡玄燈舎では古いカメラ買取ります。お気軽にお問い合わせください。受付年中無休 電話050-3569-2100
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日本海軍の短剣買取りました
福岡筑紫野市より将校さんの古い道具があると聞いて骨董品の鑑定に出かけました。軍服や帽子、勲章やアルバム、絵葉書などダンボール箱4箱にぎっしりと詰め込まれた軍装品の数々。写真のお品は兵隊さんの短剣です。本物ではなくレプリカでしたがとてもつくりの良い模造刀です。

陸軍と海軍の刀の違いは輪っかが一つの物が日本陸軍でこのように2個あるものが海軍といわれております。短剣は大正に細部が改定されたものの、明治から終戦まで基本形状は変わらない。しかし、軍刀と同じく太平洋戦争開戦後は鮫皮の代用素材として、セルロイド一体整形柄や代用革が普及している。刀身は多くは日本古来の短刀の刀身に似せた模擬刀身、あるいは新作刀身や特殊刀身を仕込んでいた。海軍短剣の刀身として最も有名な物に三笠刀がある。日本海海戦の勝利を記念し、戦艦三笠に装備されていた12インチ副砲の砲身残鉄を使用した記念刀身である。短剣と長剣の両刀身が刀匠の堀井秀明により作刀された。短刀身(短剣)には甲種と乙種の二種類があり、甲種の刀身には「皇國興廢在此一戦」と彫刻がなされた。ただし、材料が砲身用の洋鋼であるため、新たに発見された場合などの刀剣登���が年々難しくなってきている。また、菊池千本槍の故事に基づき菊池槍を仕込んだ例もある。普通の短刀と異なり、短刀用に茎を切り落とし改造された菊池槍の形状が(やや大振りながら)士官短剣の形状と合致したためである。
骨董品買取の福岡玄燈舎では軍刀や短剣買取り致します。お気軽にお問い合わせください。受付年中無休 電話050-3569-2100
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アンティークな進軍ラッパ買取りました 骨董品買取の福岡玄燈舎
福岡市東区より古い物や骨董品の鑑定買取の依頼があり伺いました。こちらでは旧日本軍の軍服や賞状、勲章や絵葉書、手紙な戦地より持ち帰ったものが段ボール5箱ありました。第二次世界大戦の時代の物で約80年ほど前の物ですね。この進軍ラッパは当時の物ではなくレプリカだということでしたがミリタリーマニアの方には喜ばれる骨董品の一つです。

軍隊で用いられるビューグル(軍隊ラッパ)は、信号ラッパ(信号喇叭)や号音ラッパ(号音喇叭)、単にラッパ(喇叭)とも呼称された。ラッパの音は甲高く、遠方まで響き、騒音の中でも聞き取ることができる。この特性により、ラッパは古来から太鼓と並び軍事的な連絡手段として使用され、戦場に散開した兵士に指揮官の号令を伝えるのに使われた。概ね20世紀初頭辺りまでは世界の軍隊で「突撃」・「進め」・「止まれ」・「撃ち方始め」・「撃ち方止め」といった戦闘指揮の号���(号令)もビューグルによって行われていたが、これによって対峙する敵軍に自軍の動きや戦術を見破られてしまい、またラッパ手の付近にいる指揮官の位置も露呈してしまうなどの問題から、戦闘教義の進化や無線通信の発展も相まり戦場での使用は廃れていった[1]。しかしながら、起床・国旗掲揚・朝礼・食事・国旗降納・消灯といった日常生活(日課号音)や、栄誉礼・パレード(観閲式・閲兵式)といった式典行事などでは現代(日本においては自衛隊や消防)に至るまで引き続き用いられている。
骨董品買取の福岡玄燈舎では進軍ラッパや軍隊の資料買取ります。お気軽にお問い合わせください。受付年中無休 電話050-3569-2100
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鍋島焼能面買取りました
骨董品買取で福岡市早良区に出張買取で出かけました。
写真の能面は珍しい鍋島焼の白磁の面です。
骨董品査定で良く見かけるのは干支や置物は見かけますが能面は初めてです。

鍋島焼とは、17~19世紀にかけて佐賀藩(鍋島藩)で製造された高級磁器の総称です。1628年頃から作り始められたと言われ、1675年には有田から優秀な陶工31名を集めた窯を大川内山に作り、黄金期を迎えたと伝えられています。鍋島焼の特徴として第一に挙げられることは、一般庶民に向けて製造された焼き物ではなく、当時の将軍家や諸大名に向けた献上品、あるいは贈答品として製造されていた「大名御用達の焼き物」であるという点です。 大川内山で作られ��いた鍋島焼は、門外不出の秘窯で製造されていたことも明らかになっています。工房内では鍋島焼の技術が他の藩や地域に流出しないよう、徹底した管理下で生産されていました。大川内山には関所が作られ、外部からの立ち入りも制限されました。そんな貴重な鍋島焼を買取致します。お気軽にお問い合わせください。受付年中無休 骨董品買取の福岡玄燈舎 電話050-3569-2100
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デュポン万年筆買取りました
先日は福岡市中央区にてレトロな文房具を買取しました。
セーラーやモンブラン、シェーファーなどのボールペンや万年筆があるなか
とても高級感あるケース入りの万年筆を見かけました。

1980年代のアンティーク「デュポン万年筆」です。
ペン先は18k 750とあり本体はシルバーでできています。
共箱にギャランティーも付属しておりインクも5本入っていました。
デュポンは 1872年に幌馬車の会社として創業。長い歴史を持ち、フランスを代表するメーカーの一つが「デュポン」です。ライターなどでも有名ですよね。万年筆の販売を開始したのは1973年ですが、それまでに培った金属加工技術を用いた優美なボディが多くの人を魅了しました。 緻密な加工は見ているだけでもうっとりする完成度で、手元に置きたがる方も多数。金属と異素材のコラボにもいち早く取り組み、日本の漆加工に注目したモデルも登場しています。金属と他素材のマッチ具合を楽しみたい方にとっても、デュポンの万年筆は最適です。
骨董品買取の福岡玄燈舎では���ンティークな万年筆買取ります。お気軽にお問い合わせください。受付年中無休 電話050-3569-2100
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天然菊花石買取りました
骨董品買取の中でも一番重い商品の一つで
石関係があります。天然石や灯籠などが筆頭ですが
今回は天然菊花石の買取をさせて頂きました。

この岩石は、主として本巣市と山県市との境にある舟伏山北麓初鹿谷の古生代
の地層から産する。菊の花弁のような模様の鑑賞石として古くから有名であ
り、愛石家に珍重されています。
菊花石の基質は青色を帯びた黒色、褐色、あるいは暗緑色の輝緑岩または輝緑
凝灰岩で、その中に石灰質物質(方解石)の菊の花弁のような模様が散在して
います。花弁にあたる部分は一般に白色、淡紅色、淡紫色などを呈し、その大
きさは直径1cm内外のものから、径20〜30cmに達するものまで種々あり、
立体的に放射状集合をなしています。

菊花石の中でも、最高のものといわれているのが「根尾谷の菊花石」である。
地質学的にも重要な事から、菊花石の産地である岐阜県本巣市根尾松田字初鹿
谷48-9・10の指定区域(約1,430a)は、1941年(昭和16年)に国の天然記念
物、1952年(昭和27年)に特別天然記念物に指定された。
この区域での採取は厳しく禁止されている。
骨董品買取の福岡玄燈舎では菊花石買取り致します。お気軽にお問い合わせく
ださい。受付年中無休 電話050-3569-2100
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中国麻雀牌 買取りました
骨董品買取でよく見かける紫檀製の箱に入った
古い麻雀牌です。竹と骨でできているアンティークな麻雀牌。
古い中国の硯や書道の墨と一緒に買取したものですが
100年ほどの前の物の骨董品だそうです。

日本では主にユリア樹脂、またはカゼイン樹脂製のものが一般的である(中国ではアクリルが多い)。ユリア樹脂製の牌では、通常、重量を増やすために中に鉄が埋め込まれている。また、自動卓用の牌においては、牌の表裏を揃えるために磁石が埋め込まれている。また、ガラス製のものは透明ながらも裏から見ると牌の種類が判別出来ないように工夫されており、紙製のものは麻雀牌の図柄が印刷されたカード型のものが出回っている。また、紙製カードの裏面をマグネットシートに加工しているタイプも存在する。

背の部分については、昭和後期頃までは竹が主流であった(これを竹牌と呼ぶ)。しかし竹牌は欠けやすく、また牌ごとに木目が微妙に異なることから、ガン牌ができる懸念もあり、背までを樹脂で成型した牌が多く普及した。現在では、背の竹部分を作る職人が高齢のためいなくなり、国内での竹牌の生産は行われていない。
骨董品買取の福岡玄燈舎では麻雀牌買取ります。お気軽にお問い合わせください。受付年中無休 電話050-3569-2100
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黒曜石の矢じり買取りました
骨董品買取ではたまに発掘品コレクターの方より
買取査定をさせて頂きます。
今回もアンモナイトの化石やアメジストなど数点と
黒曜石の矢じりを買取り致しました。

黒曜石に交じって石やガラスのようなもの翡翠などもチラホラ
ありました。時代も縄文時代ということでした。

「鏃」(やじり・ぞく)とは、矢の先端に付けられ、弓より放たれた矢に鋭利性を生み出させ、貫通力を付与し、目標へ突き刺す利器(鋭利な刃物や鋭い武器の総称)のことを言います。弓矢は、人類が進化する中で狩猟生活の段階を迎えて、手の届かない獲物をも狩るための道具として生み出した飛び道具です。 初めは、身近にある石を拾って投げ付けるというようなところから、強い弾性を持つ器具を使って殺傷能力のある鋭利な物を弾き飛ばすことが必要とされ、「より遠くに飛ばす」また「より命中精度を高く」することを目指す中で、羽根を付けた矢の形などの工夫が試されたのだと考えられますが、どれだけの年数を重ねて、現在の人類が理解する弓矢の形となっていったのでしょうか。 我が国の武具発達史の中でも、飛び道具としての弓矢は初めから存在したと言って過言ではありません。弾き飛ばすための器具としての「弓」と、飛んで突き刺さる「矢」の組み合わせで成立する武器ですが、広い意味での刀剣史の一端として注目しなければならないのは、矢の先端に挿げられ、鋭利性を生み出す鏃です。「矢の根」とも呼びます。
骨董品買取の福岡玄燈舎では発掘品を買取り致します。お気軽にお問い合わせください。受付年中無休 電話050-3569-2100
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唐物香炉買取りました
福岡筑紫野市で中国の家具や古美術品を一式買取り致しました。
写真はその一部ですが状態の良い銅製の香炉です。
勝順堂の香炉で箱ありませんが売れ筋の骨董品のひとつです。

香
香炉とは、香料を加熱して、香りを発散させるために使う器のことをさします。仏具においては、灯明、花瓶と合わせて、三具足、五具足と言われる重要なものです。 三具足の場合は、向って左側に花瓶、中央に香炉、右側に灯明のロ-ソク立を配置します。 五具足は、左右の外側に花瓶を2つ、その内側にロ-ソク立を2つ、中央に香炉を1つ配置します。 また、キリスト教では、カトリックや正教会の礼拝の際に振り香炉と呼ばれる香炉が使われます。乳香と言われる香と、炭を入れて使用します
骨董品買取の福岡玄燈舎では香炉や茶道具買取ります。お気軽にお問い合わせください。受付年中無休 電話050-3569-2100
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