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Mirrors and Windows
「最近写真が変わったね」と友人から言われることがあります。そんな時とても嬉しいのです。なぜなら写真が変わったということは自分が変わったということだからです。
人は写真を撮るとき、関心のあるイメージや雰囲気に焦点を当て、そこをクローズアップしてその世界観を広げます。
写真を撮るということはこの広大な世界から見たら、アリより小さい部分の一部を切り取るということです。
それによってそのごくごく小さい一部は、写真を撮ることであたかも自分の中で大きい存在として脳裏に刻むことになります。
私が撮る写真は、憧れのイメージや、それまでに見た何ら��のイメージから影響を受けています。だから撮影した写真を見ることで自分が何に影響されたかを見出すことができます。
「写真は世界を映す窓であると同時に、自分自身を映しだす鏡でもある」と言われるのは、写真は外の世界を映し出すだけでなく、意識的であれ、無意識的であれ、自分がどんなもの、どんなイメージ、どんな光に意識が向いているのかを映し出しているからです。
私はそれを確認するために写真を撮り続けています。
Sometimes my friends tell me, "Your photos have changed recently." I am happy when that happens, it means I have changed.
When one takes a photograph, one focuses on an image or mood of interest and expands one's view of the world by taking a close-up of that image or mood.
To take a photograph is to capture a small part of this vast world, a part that is smaller than an ant.
By doing so, that very small part is imprinted in the mind as if it were a larger presence in his or her mind.
The photographs I take are influenced by images I admire or by some image I have seen before.
It is said that a photograph is both a window on the world and a mirror of yourself, because it not only reflects the outside world, but also reflects what you are consciously or unconsciously aware of, what images, what light you are aware of.
I guess I keep taking pictures to confirm this.

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The Garden of Photographs

この度11月16日から23日まで行われる「VIRTUAL ART BOOK FAIR」に参加することになりました。今年は間に合って良かったです。今回展示する新作のZINEについてご紹介します。
この本は『The Garden of Photographs』は同じ名前の、手製のアルバムをもとにして作られています。この本の説明の前に、この手製のアルバムを作った経緯を、少し長くなりますがお話しします。
コロナ非常事態宣言のころ、この機会に撮りためた写真を一回まとめることにしました。私の写真は日々の断片であるため、一枚一枚が全く違うテンションとトーンになっています。この様々な断片のまとめ方をどうするかということが一番の問題でずっと放置していたのでした。
そんな時、ふと20年以上前に買った古いアルバムが目に留まりました。大切にしすぎていてなかなか使えずとっておいたものだったので、まずこのアルバムでまとめることに決めました。そして、この本をまとめるためにキーワードを探し、「庭」という言葉に決めました。
自然とそれを作る人の意図によっていろい��な姿に変容していく庭。一言で庭といっても人工度が強い庭から自然に近い庭までいろいろな庭があります。
もし自分が今、庭を作るとしたらどんな庭にするだろう?はじめから設計図を思い描く事はできない。でも所々に良さそうな場所にまず植えてみて、どうなるかを見ていくような庭なら作れるかもしれない。一枚一枚の写真を庭に植える植物と考えてみると、それは枯れるかもしれないし、増殖したり変形していくかもしれない。でもそんなどうなるか分からない植物を庭の適当な場所に植えるようにアルバムに配置していったらどうだろうか...という感じで進めてみました。
私は自分の作るものの中に、きちんときれいに見せる部分だけでなく、勢い余って曲がってしまったりきたなくなってしまう部分をどこか作っておきたいという思いがいつもあります。(作っておきたいというよりそうなってしまうといったほうが正しいのかもしれませんが)自分のそういう部分もこんな風に「庭」という言葉があるとすんなり入れられるように思えました。
写真のセレクトにあたっては、こんな時期でもあったので、時代を暗示するようなイメージとして使えそうなプリントも所々に配置しました。今思うとあのときでなければ選ばなかった写真だったと思います。
アルバムに合わせて和紙にレーザープリントしたものを中心に構成しながら、実験的に銀色や黒い紙等、いろいろな紙にプリントしてみました。ほとんど原型をとどめないものもありましたが、また違った新たな効果が出るのが面白く、それも新しい写真として扱ってみる事にしました。
最近パソコンとネットだけの世界で手を使って物を作る事が少なかったので、糊でいろいろな紙にベタベタ貼ったり剥がしたりを繰り返してでき上がったときは、なんとなく自分の中でバランスがとれてすっきりした気持ちになりました。
こうして完成した『The Garden of Photographs』は自分でもとても気に入った一冊で、今年の「TOKYO FRONT LINE PHOTO AWARD」では思いがけずホンマタカシさんより個人賞をいただくことができました。
前置きが長くなってしまいましたが、今回のアートブックフェアに出品した本はこのアルバムをもとにしています。手製の本だから出る味もがあるので、もう一度作るのは難しいかもしれないと思ったのですが、もとの本のテイストは残しながらまた違った新しいフォトブックとして仕上げる事ができました。
どんな風に感じていただけるか、まったく未知ですが、是非手にとっていただけたら幸いです。
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頭と手
楽譜��建築の設計図が最近気になる。
共通していることがある。それはそのままではそのものではないこと。わからない人が見ると何も想像できない点と線だということ。そう思うとなんだか不思議だ。
私は楽譜が適当にしか読めないので、楽譜を見るだけでは頭の中で音楽は鳴らない。でも頭の中で鳴る人もいる。
大分前のことだけれど、一つの部屋に作曲家2人と私の3人がいて、2人が譜面に夢中になっているという状況になった。距離としてはソーシャルディスタンスよりずっと近いにも関わらず、私はこの2人とまるで違う遠い世界にいるのだということを寂しいほどに実感した瞬間だっだ。
楽譜から音楽が感じられないだろうかと何となくベートーベンの音符だらけのピアノ楽譜を眺めていた時、とても発見した気持ちになった。ひょっとしてこれは精巧なプラモデルみたいなものなのではないだろうか。
誰でも技術的に可能でありさえすれば、音符の通り演奏することでどんな人でもその曲が弾ける。楽譜ってすごい発明ではないだろうか。一方設計図は、建物の楽譜のようなものかなとも思う。
ただ両方に共通しているのは、楽譜の通り演奏した演奏も、設計図と模型、建築も、何かが加わらなければ、本当に生きたものならないという点だ。
その「何か」が何なのか。多分私はそれに興味がある。
建築家はまるで哲学者のように観念的なことを語る人が多い。にも関わらず実際に住んだり活動をする建物を作る。その頭の中から現実のものになる間に何が起こっているのだろう。
友人にすすめられて読んだユハニ・パルラスマ(Juhani Pallasmaa)という建築家の書いた「The Thinking Hand」という本がとても面白かった。
この本には建築だけでなく、ものを作る、創造することに人の手がどれだけ重要な役割を担っているかということをいろんな視点から探っている。何か知識を得るというのではなく、目に見えない創造の秘密のようなものを捉えようとする試みに自分も参加しているような、とてもワクワクする内容だった。
楽譜が楽器というものを通じて、また設計図が石や木というものを通じて形になる時、そこに人の手が必ず関わってくる。
頭より手が作るものの方が信用できる、とこの本は言っているように思えた。
手というものが、単なる楽譜や設計図が作り上げた音や物に息を吹き込むその「何か」に大きく関わっているのだろうと思う。
頭で考えることと手で考えることの違い。そしてそれをつなぐものとは。そんなことに興味がある。
そういえば編み物なども、編み図を見ると大変そうだけれど、編んでいくうちに手が動き出していつの間にか完成する。その手が思い出して慣れていく感じが好きだ。しばらく作ってないのでその感じを忘れていた。久しぶりに今年はマフラーでも編んでみようと思う。
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場所とうろ覚えの記憶
私が通っていた幼稚園があった場所には今も同じ幼稚園があり、周りに畑があってほとんど昔と風景が変わっていない。いまの時代にしては珍しいことかもしれない。
幼稚園に行く途中に小さな川が流れていてその川沿いを歩くと斜めの十字路に突き当たり、大きな木に囲まれた農家が現れる。
そこで川の流れが変わり、空気が変わる。川沿いにあぜ道のような細い道がある。そこを通るたびに必ず見てしまう場所がある。ここに前は小さな木の橋がかかってなかっただろうかと思うのだ。
小学校の頃、この農家に住んでいた女の子が同じクラスにいたような気がする。そしてこの辺りにそのお家へとつながる小さな橋がかかっていたような気がするのだ。
その女の子というのも今考えると不思議な女の子で、雛人形のようなおかっぱの黒髪で純日本風な顔立ち、お琴を習っていたということを覚えている。お家に行ったことがあるような気がするのだけれど、それが本当なのか夢の中なのか分からない。私の家にも遊びに来て祖母と一緒におしゃべりしたような気もする。
あまりに昔のことで、いつの間にかその女の子の記憶は私の中では「かぐや姫」のイメージとほとんど一緒になってしまった。だから本当にそんな女の子がいたのだろうかとも思うが、苗字も名前も覚えているので実際にいたのだと思う。
諏訪敦彦監督の「ユキとニナ」という映画を見たときそんな私の記憶と混ざって何か懐かしさを感じた。
記憶と混じり合うと現実との線引きも曖昧になってくる。でもその記憶の物語の拠点となる場所が実際にあるというのは面白い。この場所に行くといつも不思議な気分になるのはこの場所の醸し出す独特な雰囲気のせいなのかもしれないと思う。
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ウグイス
とにかく今年はウグイスがよく鳴く。
毎年ウグイスが鳴くのが聴こえるととても嬉しかったけれど、数日でどこかに行ってしまうのが普通だった。ウグイスはこの世の中の変化を知らないとしても、今年はいつもより居心地の良さを感じたようで近くの高い木で暮らすことを決め、ずっと鳴いている。
おかげでウグイスの声とともに目が覚めるというペンションの朝のような体験もできた。
天気のいい日は自分の美声を知らしめるかのように声高に鳴き、雨の日は少しテンション低めに鳴くということも知った。
朝は他の鳥の鳴き声も聞こえるけれど、なぜかウグイスは夕方まで鳴いている。
初めて鳴いた頃はその声を聴くだけで春を感じてワクワクしたが、天気の良い午後の非日常の静寂の中で響く声を聴くと、シュールでなんともいえず寂しい感覚になるときもあった。
ウグイスはいつでもただ心地よく鳴いているだけなのに、勝手に日々私が感情移入して色々な意味をつけているのだなあと思う。
今はこの鳴き声がすっかり普通に生活の音にとけこんでいるので特別に意識をしなくなった。
コロナが落ち着いた後、人はこの時期のことを忘れてまた普段通りになってしまうのかと言っているのをよく聞くようになった。前のような社会に戻ることはなくても、それなりにまた新しい世の中に馴染んでいくのだろう。
その時、私の記憶に静寂の中の今年のウグイスの声はこの時期の特別な記憶として刻まれているだろうか。
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The Dog And The Wolf

『Joel Meyerowitz: Between The Dog And The Wolf』を眺めている。写真集を見ながらこんなにゆっくり時間を過ごしたことが最近あっただろうかと思いながら。
この写真集は海のそばにあるプールを海��一緒に撮影した写真集で、プールの写真と一緒におさめられている「blue hour」とともに夕暮れ時の写真が集められている。
どこかの国のどこかのプールや夕暮れなのだけれど、不思議と既視感があるのだ。この既視感はなんなのだろう?
海辺のプールと言えば湘南のあたりの風景がまず思い浮かぶ。このタイトルのようにプールが人工(dog)で海がウルフ( Wolf)、それが夕暮れ時の時間に地続き(水続き?)につながっているように撮られていて不思議な感覚に陥る。
海は果てしないしプールは果てがあるのだが、どちらかというとプールというのはなんだか物悲しいのだ。とくに夕暮れ時は。だからといって嫌いな訳ではなく、眺めるのは好きなのだけど、なぜかそこに人がいてもいなくてもなんだか寂しい。
その物悲しいプールと果てしない海を同時にみていると、何とも言えない気分になる。
いいと思えるものは写真でも音楽でも言葉で説明できないように、この写真の良さは言葉にできない。この写真はただ言葉を失いつついつまでも眺めていられる。
この写真集を見ていると、普段忘れていた旅先で見たいろいろな風景を思い出してその風景に重ねて見ていることに気がつく。だから既視感があるのかもしれない。
いい写真というのはこんな風に「いつまででも眺めていられる写真」なのではないかと思う。
もう一つはやはり夕暮れ時というのは特別な時間ということもある。
大学の時、西荻窪にある友人の部屋に遊びに行った時「この夕暮れ時の時間は音楽もつけないで電気もつけないでなにもしないの」といった友人の言葉に、今まで自分はそんなこと考えたこともなかったので驚いたことがある。けれども、いっしょに静かにしていたら隣の善福寺公園の気配が感じられてはっとしたのだった。
とても小さな部屋だったけれどそのとき時空間は隣の公園とつながっていたのだと思う。 まさにThe Dog And The Wolfの写真のように。
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内側と外側
今まで私は建築にあまり興味がなかった。本当は興味がない訳ではなかったけれど、自分が気に入った建築に住むのは夢のまた夢という気がして自分にとって建築は遠い世界だったのだ。
でも最近小屋を建てる人も多かったり、そいういう小屋の写真を見ていろいろ想像したり、坂口恭平さんの「0円ハウス」などの著作をパラパラと見ているとなんだかわくわくしてきて、自分もなにかできるのではないかという気になってきたりする。
建築をまず箱と考えてしまうと、そこに自分の場所を作らなくてはならない。私はどんなに広い部屋でも端っこにいないと落ち着かないので、広い家に住んでも自分に必要な空間というのは少しだけであとは余ってしまうのではないかと思うのだ。
でも出発点を反対にして自分の体をもとに、そのまわりの空間を考えていくと逆にいろいろ広がっていく感じがする。そういう建築って言うのはどういう外観になるのだろうか。
これは前にファッションについて考えたことに似ているように感じる。服も、はじめに与えられた大きさに合わせるのではなく、体と服の間に適度な空間があって着ていて包まれている様な落ち着く感覚というのを大切にしたいと思うようになった。前は多少窮屈でも外見に自分を合わせていたのだけれど最近は内側の比重が多くなった気がする。
着心地だけでなく着た時のテンションまで着心地で変えてしまう服というのは実際あるし、着心地もよくて外見も美しい服というのもある。建築もそうだろう。そう思うといろいろなデザインの可能性があるなあと思う。
ダンスなどを見る��きも、いつもダンサーの人はどうしているのか不思議なのだ。自分が自身のの体やまわりの空間を感じて踊っている場合と、それが外見でどう見えるかを意識しながら踊ることにはズレは生じないのだろうか。
建築もファッションもダンスも、その内側と外側のバランスで成り立っているのだろう。内側だけ心地よかったら外見が美しくなくてもよいということはないし、外側と内側はつながっているので、まったくかけ離れてしまうということもないと思う。
今日、ふといつもの公園を歩いていたら大きな石が木の下にあったことに気がついた。いままでその木の影になっていて気がつかなかったのかもしれない。その石は、座ってみるととても気持ち良くて体にしっくりくる大きさで、寄っかかっても寝転がっても、どういう体勢でも絶妙に心地よいのだ。
この石を覆うようにして低い木が生えているのだけれど、これはもと植木屋さんが盆栽のように曲げたような形に仕立ててあるので、ちょうど石の上を屋根のようにして覆っていて、まるでこの石に座る人のために生えているかのようだった。あまりに心地よくてこのまま住んでしまいたいと思った程だった。こっれは外から見てもその心地よさは想像できなかっただろう。
こんな風に内側と外側っていうものがあって、内側というのは主に触覚に近くて、体で体験するものであり、外側は視覚に重きが置かれる。写真に写るのはいつも外側だと思うのだけどどうなのだろう。(そう考えると内側でも視覚的にもとらえられるインテリアは内側の外側とも言えるのかもしれない。)そのズレみたいなものは、建築家やデザイナーの人達はどんなふうに考えているのだろうと思うと興味深い。
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日常と非日常の違い

最近すっかりブログを書かなくなってしまいました。やはり書くといろいろな発見もあるので、たまに書いてみようと思います。
特に最初に何が言いたいのかわからないというところから書いてみたいと思います。
写真を撮り始めたころからいつも持っているキーワードが「日常の中の非日常」というものでした。でもよく考えてみると日常と非日常の違いって何なのでしょうか。当たり前と思っているその線引き自体どうなのだろうということに最近気がついたのです。
当たり前のように自分の中で決めている日常と非日常。
例えばいつもの道を歩いていて角を曲がったときに何を見たら非日常だろうか。
私にとって日常は、誰もいないか、誰かが歩いているか、自転車か、車が通るかです。
じゃあ角を曲がったらいきなり馬や羊が歩いていたら?それは確かに非日常ですが、それは日常の中の非日常ではなく、そこまでの非日常は別に期待していないのでした。
角を曲がったら変な帽子をかぶった人が踊りながら歩いてきたら?それはちょっと非日常です。そうすると日常の中の非日常は、日常がちょっとだけ違うという日常と地続きのものということになります。
日常と思っていることも見直してみると不思議です。自分が思えば日常なのですから。前にバックパッカーの人が旅をしていても感動しなくなったと聞いて驚いたことがありますが、旅に慣れてしまえばどんなに遠くの島に行っても日常に思えてしまうこともあるのかもしれません。
多分退屈が苦手な人はたくさんいます。私もその1人ですが、前ほどいろいろな刺激を受けたいと思わなくなってきたので、日々日常と思われる場所や生活の中で何とか退屈にならないように工夫をしようと思っています。
そうすると日常というものの中にじんわりと非日常の割合が多くなっていくのを感じます。日常の中に発見が増えるからです。でもそれは楽しい反面、時には何にでも反応してしまうのでなんだか疲れる時があるのです。
非日常というのは日常があるから言える言葉で、日常ということも同時にとても大切だということなのでしょう。バランスを取ることが大事なのかもしれません。ハレとケという言葉があるように。
日常というのは言ってみれば、意識をしないで当たり前と思っていることで非日常は、はっとするようなことという風に思っていますがどうなのでしょうか。
日常と非日常の線引きというのにはいろんな可能性があるような気がします。線引きすら必要あるのかないのかもわかりませんが、その時によって変えられるなら変えていけたらいいなあと、今書いていたらそんな風に思えてきました。
日常と非日常についてはもっと色々思うことがあるのでまた書いてみようと思います。
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場所の思い出と写真

小さいころ育った場所を訪ねれば、大きく風景が変わっていなければ当時のことを思い出すということがあると思いますが、私のようにほぼ昔から同じ場所に住んでいると、その場所を見たからといって子どもの頃の思い出が浮かぶということは普段はありません。
10年近く前にドキュメンタリーマガジンに幼いころの自分の思い出を綴った文章と写真を掲載させていただくことになったとき、ふと当時良く遊んだ場所をそのときの感覚で撮りたいと思いたちました。
近所の市営グランドのまわりは土が盛られて少し小高くなっているので、子どもの頃は格好の遊び場だったのです。あの時は小さな丘でも山登り、冒険気分がして本当に楽しくて、そのときの風景のようなものが頭の中にはっきり残っいて、その子どものときのような感覚を呼び覚ます様な写真をとってみたいなと思ったのでした。
そういう写真にするにはどうしたらいいのか?例えば子どものころの背の高さから写すとかそういうことでもいいのかもしれない…とかいろいろ考えてみました。
でも編集長の「写真は今しか写せないよ」という言葉に、とても説得力を感じたので、そのアイデアはやめることにしました。
写真と記憶の関係を考えれば、必ずしもその場所の写真とつながるとは限りません。例えば全然関係のないどこか��国の写真を見た時に急に昔の懐かしい風景や匂いみたいなものがフラッシュバックする時もあります。
でもやはりその記憶と同じ場所で自分の過去の記憶を呼び覚ますような写真は本当にできないのかなともぼんやり考え続けていました。
ある日の夜、スーパーに行こうとグランドの前を自転車で通った時にふと見たら、なんとなく何かが撮れそうな気がして自転車を降りて撮ったのがこの写真です。
この場所はまさに子どもの頃山登りごっこでよじ上っていた記憶の場所と同じ場所で、特に抽象的な写真を撮るつもりもなかったのだけれど、結果こういう写真になり自分の中ではとても納得ができました。
確かにこれは今でしか撮れない今の写真だけれど、この写真を見ると昔のその感覚が自分の中ではよみがえります。それは、抽象的な影だけの写真だから自分で感情移入することができるのでしょう。とりあえずずっと気になっていたことがある意味すっきりして、あのときの答えはこの写真ということでいいのではと思えました。
他の人には自由に見てもらえればそれでいいのですが、何で撮ったの?と聞かれたらこのことを話してみたいなと思います。
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FROM TOKYO TO JERUSALEM 小辻節三自伝

「FROM TOKYO TO JERUSALEM/ABRAHAM KOTSUJI」は日本で初めてのユダヤ教徒になったと言われている小辻節三氏(1899~1973) の自伝です。小辻氏のことを初めて知ったとき「なぜ日本人がユダヤ教徒に?」という疑問が一番にわいてきました。「ユダヤ教は選民思想」と社会科で習ったように、ユダヤ教はユダヤ人の宗教と言うイメージがあったので、日本人がユダヤ教徒になるとは一体どういうことなのだろうかという素朴な疑問が頭から離れなかったからです。しかもその小辻氏は京都の由緒ある下鴨神社の神職の家庭に生まれたということも興味深かったことの一つです。なぜ神道からユダヤ教に?...
日本であまり知られていない小辻氏ですが、最近「命のビザを繋いだ男(※1)」という本でナチスの迫害から逃れ、杉浦千畝氏の「命のビザ」で日本にたどり着いた後のユダヤ人を日本で命がけでサポートした人物ということで知られるようになってきたようです。この本をまだ読んでいないのだけれど、私は特になぜユダヤ教に?ということに興味がありました。
また日本で初めてアラビア語原典からコーランを翻訳した人として知られ、ユダヤ、イスラム、ギリシャと東洋の思想との本質的なつながりを独自の視点から深く掘り下げた井筒俊彦氏のヘブライ語の先生が小辻氏であったことも興味をもった大きい理由の一つです。
実はこの本を読む前にこのなぜ神道からユダヤ教に?という部分では結構納得してしまったという面もありました。若松英輔氏の著書「井筒俊彦 英知の哲学」に小辻氏のことがとても詳しく載っていて(※2)これを読めば、なぜ?の部分の考察は十分納得できるものでしたが、やはり小辻氏自身の言葉に実際に触れてみたいという気持ちから読んでみることにしました。
(↓ここから少し長いので、小辻氏の生涯に関してはこのサイトにとても分かりやすく掲載されているのでそちらを参照しても良いかと思います。)
小辻節三の道のり
神職の家庭に生まれ育った小辻氏は子どもの頃から神社の雰囲気が好きで、父母の愛に恵まれてすくすくと育ちます。昔の家というのはお父さんより長男の方が権限が上だったようで、園芸家や音楽家になりたいという夢を持った時期もあったのだけれど、ことごとくお兄さんから反対されたようです。
当時の元気な男の子と同じように武士道精神に憧れた気骨のある少年でした。しかし中学生のころ、明治天皇の崩御によって乃木大将が殉死したことに衝撃を受け、自分の生き方を模索し始めます。また毎晩灯籠をつける仕事が子どもの頃からの日課だった小辻少年も神道にはっきりとした教義がないことに物足りなさを感じるようになります。そんな折、ふと入った古本屋さんで手にした聖書に引き込まれ、旧約聖書(キリスト教で言うところの)を一気読みします。
聖書に自分にとっての神道との共通性を見いだした小辻少年。そんなある日、日課の灯籠をつける仕事がどうしてもできなくなり、心配したお母さんの前で「これはイスラエルの神道なんです」と胸の内を打ち明けます。後に知った父も、理解のある人でその気持ちを尊重しました。その後プロテスタントの教会に通うようになり新約聖書も読むことになったのですが、どうしても新約聖書に馴染めなかったといいます。「キリストは規律を重んじるユダヤ人に異を唱え、新しい生き方を説いたとはいえ、あくまでユダヤ人として生きユダヤ人として死んでいったのではないのか。キリスト教はパウロの宗教であってキリスト自身の目的とは離れていたのでは?」という疑問を感じたからです。
その後東京に出て明治学院に進み神学の道へ。そのころから大学の先生はヘブライ語のことを今ひとつ良くわかっていないのではないかと思っていたようです。知らない間に結核にかかっていて体力的にも辛い大学生活を送り、卒業するにあたって牧師になるしか職がないということで、今ひとつ納得がいかないまま牧師に。
北海道で牧師活動を行いそこで結婚、ある日大学の同級生が訪ねてきます。その同級生は癩病にかかっていたのではじめは誰だか分からない程変わっていました。その友達に対して無力だった自分に気づいたことと、そしてそのころずっと抱いていた旧約聖書をもっと勉強したいという気持ちが強くなり、牧師をやめてアメリカに渡り本格的にヘブライ語を学ぶことに。
日本に帰ってから念願の聖書原典研究所を銀座で開きます。これはヘブライ語で旧約聖書を読み「狭い教理や天下の何者にも束縛されない講義」(※4)を行うという、小辻氏の私塾のようなもので、小辻氏自身でヘブライ語の歌までつくっていたという気合いの入れ方からもわかるように、小辻氏にとってもやりがいのある仕事だったようです。(そのなかの生徒の一人が井筒俊彦でした。後に井筒氏は遠藤周作氏との対談で、小辻が時に聖書を読みながら感極まって涙を浮かべる姿が印象的だったと語っています。)沢山の生徒が通うようになって盛況だった小辻塾、ある日その教室に行くと、なにもかもがすっからかんになっていました。小辻氏の思想を良く思わない人たちによって強制的に教室が閉鎖させられたのでした。キリスト教ではない何かよくわからないこをとを教えていることに危惧を感じた人たちによって。
その後南満州鉃道の仕事の話がきて満州にわたり、ユダヤ人との交渉役をつとめながらユダヤ人と交流を深め、日本に戻り1943年に著書「ユダヤ民族の姿」を出版。そしてそのころに、杉浦千畝氏の「命のビザ」で日本に渡ったユダヤ難民がまた送還されないようにビザの期間を伸ばすため奔走したり、自費でユダヤ人が日本にとどまることが出来るように援助したのでした。そのころ、日本にも軍部には反ユダヤ思想が入ってきていました。そして小辻氏の行動が憲兵隊の目に止ります。ユダヤに関する本を書いたのはユダヤ人にお金をもらっていたのでは?と疑いをかけらたのを発端に、あげくの果てにひどい拷問を受けることに。運良くそこに居合せた満州時代の友人に助けられた小辻氏。暗殺リストにも入っているらしいということで命からがら家族とハルビンへ渡ります。
その後も何度も命の危険にさらされた時、お金に困った時、助けてくれたのはユダヤ人の友人でした。
なぜユダヤ教に改宗したのかということに関しては小辻氏は「それが自分にとってごく自然なことだったから」と記しています。小辻氏の生涯にわたりこの本を通じて見ていくと、ユダヤ人とともに楽しみや苦しみを分かち合い、聖書への理解を深めていった小辻氏にとって当然のことだったのでしょう。
私は「なぜユダヤ教?」と鼻息粗く読み始めていくうちに、その疑問がだんだんと薄くなっていきました。それは実際のところ読むのにあまりに時間がかかりすぎたということもあるけれど、その生涯を追っていくうちに確かにユダヤ教というものが特殊なものというように思えなくなってきたからです。
井筒俊彦への影響
話は変わりますが私が以前読んだ井筒俊彦氏の著書「意識と本質」(※3)の中にヘブライ語には二通りの読み方があり、その読み方によってまったく違うものが浮かび上がってくるという内容のことが書かれていました。そのもう一つの読み方で読めば、もともとはユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教のもとにもなった旧約聖書の中に民族を超えた普遍性を見いだすことができるのかも?という希望のようなものをこの本を読んで感じたのでした。
若松氏は「小辻はユダヤ教の中に日本人にも共通のものを見いだしたからこそユダヤ教徒になったのではないか」と書いています。
つまりそのもう一つのヘブライ語で聖書を読むことによって、小辻氏はなにか確信を得たのではないかと私は思っていました。(ユダヤ人と日本の共通点に注目する人にとっては小辻氏の出身、下鴨神社自体が離散した古代ユダヤ人の末裔が祖先となっているという説もあるから、小辻氏は結局のところ先祖にたたどりついたのではないかと考える人もいます。)
でも小辻氏が初めて読んだ旧約聖書は日本語でした。聖書もユダヤ教という言葉も知らない中学生の時に、あの長くて難解な旧約聖書を一気読みしてしまうということは普通はあり得ないことです。もともと持っていた持っていた特殊な才能(霊感?)のようなものがあったのでしょう。そして後にヘブライ語やユダヤの歴史についての学びつつ、自分の人生と重ねながら聖書の理解を深めていくにつれて中学生のころの初めの直感を裏付けていくようなことを後になって身をもって体験していったのではないかと思います。
小辻氏は1959年にユダヤ教に改宗して日本に帰ってからユダヤ教やユダヤの歴史を日本人に伝える活動を精力的に行おうとしていたようです。ここで自伝は終わるのでその後どのような活動をしていたのかも当時の日本ではどれだけ小辻氏の仕事が広まっていったかはよくわかりません。未だに自伝を日本語で出版していないところから考えてもあまり日本に理解者は多くはなかったのかもしれません。多くの人に知られていなかったとしても、後の井筒俊彦氏の仕事に大きく影響を与えた人物であったことは確かだと思います。
とにかく英語の本ということもあって、分からないところや間違って理解しているところも多々ある気がします。もう少し再読して、その時代のことを調べてちゃんとブログを書こうと思っていたのだけれど、そうするといつになるか分からないので、とりあえず今の時点でまとめてみました。動乱の時代を生きた1人の男性の手記として読んでも非常に心に響く本になっていると思います。また著書、「ユダヤ民族 その四千年の歩み」という本は今でも入手可能で、巻末に「私の歩んだ道」に日本語での小辻氏の回想録が記されています。もし興味のある方はぜひ読んでみて下さい。
※1「命のビザを繋いだ男」山田純大
※2 セムの子ー小辻節三との遭遇 p.57「井筒俊彦 英知の哲学」若松英輔
※ 3 「意識と本質―精神的東洋を索めて」井筒俊彦
※ 4 「ユダや民族 その四千年の歩み」小辻誠祐
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見る・見られる
写真を始めた頃ペンタックスの一眼に50mmレンズをつけて近所の写真を撮っていた。
その時に自分に決めたルールは「新鮮と思ったものを初めてのような気持ちで撮ること」だった。何年か同じところをぐるぐると撮っていたけれどやはりだんだんと発見がなくなってきたような気がして、いろんな場所をとるようになった。
それから約20年経って最近またそのときと同じように近所をスマホで撮っている。そこで発見したのが、前に撮っているような時に見えていたものとぜんぜん違うものを見ているということだった。
天気のいい日も悪い日もどんな光でも見え方が同じことは一つとないので飽きない。前は「この光じゃないと」みたいな思い込みがあったような気がする。そうすると同じような写真ばかりになって飽きてしまう。
現代美術家李禹煥氏の「余白の芸術」というエッセイは、写真の教科書としても最適に思える。
そこには見るということとはどういうことかがいろいろな角度から書かれていて、何度読んでも発見がある。
例えば「画家と二つの眼差」という章では画家がどのようにものを見るかということが書かれている。
「一方が他方を決定づけるようにして見てしまうのではなく、対等な関係で向かい合い、見るというより相方の眼差が感じ合う。だがこのようなバランスは、次の瞬間すぐに崩れてしまうのだ。対象と関わりを強めるほどに、見る人はイマジネーションを働かせ意味するものに豹変しつつ、いよいよ独裁者のような眼差をもって対象に襲いかかる」
絵の方が自由に表現できるという点が写真と違うけれど、見る見られるという点においては写真も共通していて、その写真の特徴は撮る時の見る、見られるのさじ加減で大きく変わってくるのかなと思う。
見える被写体と、撮ろうとする気持ちから見えてくるものの区別がつくようになるとどれくらい被写体側を出してみている自分側を出さないとかそういうことができるようになるのかもしれない。
それが出来るためにはやっぱりちゃんと見えるものを見るっていうことが大切で、禅問答のようだけれど、見るっていうことは結構難しいことのようで、本当はもしかしたらとても簡単なことなのかもしれない。
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公園が変わるとき

近所に自分が勝手にプライベートガーデンと思っている大好きな小さな公園がある。この公園は桜の木がほとんどで、桜の時期は隠れた名所になる。
端っこには立派なヒマラヤ杉の大木と、2月になるとそこだけぱっと明るくなる妖精のような小さな梅が植わっている。隣が水道局で、その建物や庭がなんとなくエキゾチックな郷愁をもたらしている。
小さな丘の上に建てられた小さな建物の窓は上が半円になってい��、私は密かにロマネスクの教会に見立てて旅気分で眺める。
庭には不思議な形の噴水があり、水道タンクに向かって安全のための小さな祠が建てられていて、いつもきれいに掃除されていてそこだけ神社みたいになっている。
中に入りたいけれど入れない、柵の外から覗く水道局は近いのに遠い場所で、どこか謎めいている。
そんな水道局を眺めながらベンチに座っていると異空間にいるような気分になる。子どものころの秘密基地みたいな。その気分に浸りたくてこの公園に行く。
この公園を密かに愛する人は結構多くて、ぼーっと座ったり、お弁当を食べたり、本を読んだりして帰っていく。きっとみんな同じようなことを感じているのだと思う。ここはみんなにとってのプライベートガーデン的存在のひっそりとした公園なのだ。
でももしかしたらとてもこの公園が大きく変わることが今起こりつつある。隣に立った新しいマンションとの間の塀が取り払われて、この公園がマンションのお庭のようになった。
公園の一面がマンションの窓になった。窓って考えてみればその部屋にとって風��取り込み空気を循環させる口でもあるし、外を眺めるための部屋の目でもある。
ベランダから覗いたらマンションから住む人は満開の桜が見られるだろう。子ども達が遊んでも窓から見られるので、お家の人も安心だろう。これは見る側の立場だ。
でも、ということはいままで、ベンチでのけぞって桜の柄先を眺めていた自分の背中に沢山の目があるということにもなる。
こんな風に見られる公園になるわけだから、このプライベートガーデンはもうプライベートガーデンではなくなるだろう。ひっそりと1人になりたい時に来られる場所ではなくなる。
公園がなくなるわけじゃないのに、こんな風に塀が一つなくなるだけで空間はまったく違った様相を帯び、違う役割をもつ空間に変わってしまうと思うと感慨深い。
最近公園はどんどんオープンな空間なっていくように思える。オープンの方が近隣の人は安心だろう。でも公園に行くのは都会に自然がないから、自然の中に入るような隠れられるようなスペースが欲しいからでもある。またオープンになるとよくも悪くもその場所の「こもる」気配もなくなる。きっと半世紀近くも変わらなかったこの公園にとってこれは大きな変化になるだろう。
このマンションに人が住むようになったらどんな風に変わるのだろう。多分私はこの公園の端っこのヒマラヤ杉の影に隠れることになるだろう。
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なんどめかの「サクリファイス」
タルコフスキーの「サクリファイス」を久しぶりに見た。初めて映画館で見たのは20年以上前、いきなり流れるバッハのアリアでしょっぱなからすっかりやられ、ぐいぐい引き込まれる映像がとても衝撃的な映画だった。そのあとも何度か見たけれど意味はさっぱりだった。私にとって「サクリファイス」は美しくて悲しくて怖い映画だった。風に揺れる白いカーテンは神秘的だし、シーンとした室内が突然ガタガタ揺れ始めるあの場面、マリアの家、とにかく強烈で怖い印象があったのだ。
あんまり暗い気分になりたくなかったし、今回は「サクリファイス」にどんな風に音をつけているのか知りたくなってその部分だけ見ようという軽い気持ちで見るつもりだったのだけれど、いつのまにか初めから最後まで一気に見入ってしまった。
視覚と聴覚を総動員するほど入り込んでいくタルコフスキーの映画。やっとこういう意味だったのか!と思った。サクリファイスって何が犠牲なんだろう?というくらい意味がわかっていなかったから。今まで何を思ってあんなに「サクリファイス」と言っていたのかと思うとなんだかおかしくなってしまったほどだった。
今まであの映画がさっぱりわからなかった理由としては、字幕をちゃんと読んでいなかった、しかもセリフが難解、ということがあると思う。雰囲気だけで見ていたのだ。
キリスト教や西洋思想の知識がないと何を言っているのかわからない、ということもある。そういう知識があれば、ここのシーンはこういう風に読み解けるとかいろんな見方ができる映画だったのか。
宗教的な視点でも、思想的な視点でも、原子力問題の視点からも、家族について考えるときも、人間って何?と思うときも色々な角度から、問題意識を持っている人に何かを与えてくれる映画が「サクリファイス」だったのか。
そして最後は希望を感じさせて終わっているし、マリアが前に見たように怖い人じゃなくて優しい人に見えたのも不思議な自分の中での変化だった。全体的にまえ見たときよりもあまり怖くなかったのだ。
初めは哲学的な思索にふけってニヒリズム的な生き方をしていた主人公が、明日核爆弾が落ちるかもしれないという瀬戸際になった時に、神に祈り、マリアの前で子供のように泣きじゃくり全く別人のようになる。家に火をつけた後に救急車に乗るのを拒む場面などは、ほとんどお笑い映画の一場面のようだ。滑稽になってしまったアレクサンドルはずっと人間的に見える。
自分はもともと複雑なドラマや映画の理解力がとても低く、ミステリー映画などは登場人物が増えるとすぐわからなくなるので、ここまでわかってなくて見る人も少ないかもしれない。でも意味がわからないのに最後まで見入ってしまった20年以上前のあのとき感じたもの、というのは自分の中で深く刻まれている。
意味がわからなくてもそれはそれであの映画は訴えかけてくるものが十分にあったのだ。逆に意味がわかったからってそんなに大きく変わる訳でもないのだ。
わからなくても伝わるのは、映像を見ているだけで何かを感じることができる映画だからなのではないか。難解と思えるのは言葉以前のイメージというもので構成されている映画だからなのだろうと思う。
ものを見るときは普通なら、水は水、コップはコップなのだが、タルコフスキーの写す映像はその言葉では説明できない言葉以前の何かまで遡り感覚をとぎすまされるように作られているからではないだろうか。
だから意味がわからないから見ても意味がない、という映画じゃないということだ。わからないというのは「言葉にならない」ということとも結びつく。タルコススキーは難解でも人を引き付けるのはそういう部分なのではないだろうか。
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分かりやすいって何?
前に本も書く編集者の方とお話した時に「最近分かりやすい本書けっていわれるのよねー。分かりにくい本って売れないの。読者はああしなさいこうしなさいって言われたいの。必要としているのは答えだから」とおっしゃっていた言葉がたまに頭をかすめる。
昔難しくて全然読めなかった本が少し読めるようになった気がする。でもそれには時間と気持ちのゆとりが必要で、忙しくない時に「分からなくてもまあいいか」位の感じで読むとすっと入ってくる時があって、そういう時ってすごく充実感がある。
しばらくバタバタしていてまたその本をめくっても、その本のモードになるまでに時間が必要なことがある。
最近では哲学書でも若い人向けに書かれた入門書的なものとか、とても分かりやすい。でもあまりに分かりやすいと逆に心配になったりもする。「一応納得しているだけかも?」とも思える。とか、ひねくれた視点で見れば「上手に納得させられているのかも?」とも思う。
その分かりやすさって言うのは今の時代のスピード感も関係していると思う。ネットで文章を読む時にキャッチーじゃないと頭の中に入らないように。そのネットの文章と同じテンションで書かれている本が「分かりやすい」と感じるのかもしれない。またそのテンポで読んでいると、ちょっとした矛盾を感じていてもそれを感じる暇を与えないのだ。
作品をネットで見る機会も増えて、例えばこの写真は何だろう?と思っていると「これはこういうテーマで撮影されています」という説明を読むと「なるほど!」と思った瞬間分かった気になってそれ以上見たいと思わなくなってしまう。
ということは分かるというのはその瞬間に考えることが終わりになるということでもある。
もっと見えるはずのものが分かった瞬間に見えなくなるということなのかもしれない。
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写真は言葉なの?
いまさらなのかもしれないけれど、今の時代ほど写真が共通の言語のように使われている時代はないのではないかと思う。
例えば、画像サイトなどで写真を使う時は、同じ感覚を他の人も持っているからその写真が使える訳で、それはもう言葉と同じと言ってもいいのではないだろうか。
インスタグラムだって、特に商用のインスタグラムで使われる写真が他の人に違ったイメージで伝わったらそれは失敗といえる。おいしそうな料理はおいしそうと他の人に伝わらなかったら失敗なのだ。だから共通に認識しているイメージがあるから伝わるとも言える。
じゃあ写真家の写真ってどういう写真なのかなと思うと、まだ共通の言語になっていない、共通のイメージができていないものを提示するということが一つの仕事なのだろう。
でもそれもまたいろんな人に見られることによって共通のイメージができていずれ言葉になる。例えば森山大道風、アラーキー風...
じゃあ他の人は森山大道風にとれるかというと...風にはとれるかもしれないけれど全然それは違うものになる。そこが写真の面白いところだと思う。どんなにマネをしてもその人と同じには撮れない。そこには大きな隔たりがある。でもたいていの場合はその差異に気がつかないから...風でひとまとめにくくってしまうのかもしれない。
それって言葉に似てないかな?
とそんなことを思ったので久しぶりにブログを書いた。夜中の文章は大概ろくなものじゃないとも言われるから、一晩寝て、なんか違ったら消すかもしれませんが、なんとなく久しぶりに腑に落ちたので書いて寝よう。
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物の大きさ
久しぶりにブログが書きたくなった。前に書いていたように。何となく思ってたり言いたかったことがあるような気がする、けどそれが分からないところから書き始めてみたくなった。それは物の大きさについて。どうして象は大きくて人間の大きさはどんなに大きくても2mなのか。なんで虫は小さいのか。どうして小さい花があったり大きい花があるのか。
例えばはっと窓から外を見た時に小さい花がぽつっと咲いているのが見えた時。そのとき何かを感じる。近くに行ってみる。近くに行くとそのときのはっとした感覚はもうなくなっている。その距離でしか見られない物との関係。
5m位の小さな花をマクロカメラで大きく撮ることができる。肉眼で見えなかったものが見えて驚くことがある。でもその花の本当の大きさは肉眼では見えない小さな花だ。
カメラは物との距離感や物の本来の大きさから自由だ。ここで急に神様という存在を想定してみる。神様はどうして物の大きさをその大きさに決めたのか。その大きさを自由に変えてしまうカメラは自然の摂理に反してはいないのか?それとも自然でもいい。どうして自然にそのものの大きさになっているのか。それには意味があるのではないか。
今の世界は映像が半分以上をしめているから、大きさがバラバラになっている。でも目に見えた大きさ。その距離の大きさでしか見えないものとの関係があってそれが案外大切なことなのかもしれないと今思っているのかもしれない。
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描くと撮る
絵と写真の違いは何だろう?と考える事はよくあるし、沢山違いがある。
でもいままで自分が気がつかなかった大きな違いに気がついた。絵を描くときの目の使い方と写真を撮るときの目の使い方の違いということ。
私は今はほとんど絵を描かなくなってしまったし描けないと言った方がいいという状態だけれど、この前クールベの風景の写真をインターネットで見つけた時にはっとした。この絵の木の一本一本や木の葉、岩肌、この絵の全部が手で描かれたという当たり前のことに気がついた。
絵を描いていた時の事をこの絵を見て少し思い出した。絵は描くことによって見る事が触る事にとても近くなっているという感覚だ。例えば文章を写し書きするのとただ読むのではちがうように、一つ一つ確かめながら描く絵は、描きながら見て、その木の一本一本の質感を触っているように感じて書く。
写真はどうなのか?「触るように撮る」という表現はできないことはないし、触るように見て撮ることもあると思う。でも絵を書く時に使われる触覚ではない。それはいい直すと筆の一本一本に自覚的な絵と違い、写真は自分でも気がつかないものを写している可能性が非常に高い表現方法だということなのだ。
そして画家が見ているように写真家は見ていないということ。逆に写真家が見ているように画家が見えていないという事。。。。この違いはなんだろう。
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