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『a farewell fairyland』 アクリルガッシュ/CG つくし賞2020 online展示参加作品。
つくし賞のテーマが「ファンタジー」だったので、そこから想起したコンセプトは「童話というものに満ちる幻想と、哀しさのえがく漠然とした世界」です。 「銀河鉄道の夜」「星の王子さま」「幸福な王子」と、童話はファンタジーでありつつどこか現実から地続きしているようなものが多いです。夢うつつというか。 そして童話特有の哀しさや残酷さ。子供向けだからといってもなにか苦いものが含まれています。 子どもに向けたお話であるからこそ、大人になってからかつての童話を思い返したり、その童話を読んだ時のことを思い出したりと感傷的な気分にもなります。 その幻想も、苦味も、感傷も、なにか具体的にこういうものだ、と言葉にすることは出来ないのですが、感覚としてはかなり好きなものです。 その言葉にするのが難しい感覚に似た雰囲気があると思っているのが、日本のエレクトロニカです。 幼い頃に描いた夢の世界のようなキラキラした、そして懐かしい感覚。滑稽な面もあれば、不気味な面もあり、どうしてもぼやけて掴めないような輪郭。 童話がコンセプトなので女性はもっと幼い子供にしようかなあとも思ったのですが、わたしにとってのエレクトロニカは少女くらいの年齢のイメージがあったのでちょっと懐古的な雰囲気の少女の絵になりました。 舞台や漫画の構成の考え方で左を見ることは未来を見ること、右を見ることは過去を見ることになるそうで。「これは未来を見つめるのか、過去を見つめるのか」で顔の向きを考えることも度々あります。
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『春は来ぬ』
��ワイトワトソン/絵墨/具絵の具/顔彩/水干絵の具/岩絵の具/胡粉
つくし賞2020にて展示。
「春は来ぬ」と書いて「はるはきぬ」と読みます。 タイトルは島崎藤村の『若菜集』から引用しています。
毎年秋になると、新美南吉縁の地である半田に彼岸花を見に行ってます。 今年は流石に半田市の方から「お越しにならないようにお願いします」というお知らせがあったので控えました。
彼岸花の景観地である半田の矢勝川は、閑静な住宅街のすぐそばを流れています。 そのため、夕刻になると犬の散歩がてら堤防を歩く人達と何度もすれ違いました。 わたしにとっては矢勝川は少しばかり遠いところにある非日常的な場所ですが、そこに住む人にとっては毎年彼岸花が咲く地が日常です。
去年の秋頃からぼんやりと「来年の桜の季節は京都の醍醐寺に行きたいなあ」と考えていたのですが、コロナの蔓延により自粛せざるを得ませんでした。 時期的にも全国的な自粛期間だったのもあり、その中で無理やり赴いたことでクラスターになってしまうことを危惧しました。
桜はまた来年も、そのさらに次の年も咲きます。でも、自分勝手で軽率な行動が、そこに住む人達の日常を奪ってしまうかもしれない。 だからこそ今年行くことは諦めましたが、そこに住む人達が見ているであろう美しい桜の風景を空想して、今回の作品を制作しました。
空想しているというのもあって、意図的に「桜の大樹」「桜の並木」「桜の湖畔」あるいはまた違う桜の姿、見た人によって変わるようにぼんやりした姿を描いています。
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箱の中のお店『かき氷 夏の思ひ出』にて展示。 かき氷���定番である「赤」「黄」「青」の色からそれぞれ思いついたものを描きました。 「赤」の『Natron』はナトロン湖とアンデルセンの『赤い靴』がモチーフ。 ナトロン湖はフラミンゴ以外の大体の動物が入ると石化してしまうことから「死の湖」と呼ばれています。真っ赤な色をしているので性質としても、見た目としてもなかなかインパクトがあります。 「黄」の『 Canary 』は北原白秋の「揺籃のうた」「からたちの花」がモチーフ。有名なカナリヤの童謡の方は著作権が切れていないのでモチーフに組み込むのを控えました。 「青」の『Glacier』は氷山。てっぺんはジェンカ。 クリムトの絵を観に行った時、庭に二羽以上の鶏が居るような絵があって、くさはらの中からたけのこが生えたように鶏が生えてたのが印象的でした。 はやしたかったんですよねえ、氷河にペンギンを。 真横に生えるくらいひねくれてると可愛いですね。
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2019/6 Alice Kitela 『Elisheva』 CDジャケット
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二つ折りのジャケットなので、二つ折りにしたときと 開いてみたときとで印象が変わる絵を描きました。 楽曲を聴かせて頂いて感じたのはあたたかな木漏れ日。 やわらかい光であり、陰から見える眩しさは轟音。 「静寂と轟音」という相反する要素のある音楽を わたしは「明暗、あるいは白と黒」 という捉え方をしています。 どちらが静寂でどちらが轟音かは、 いまいち見分けがついてないんですが。
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『titania』 2020/5 キャンバス/F6/アクリル 名古屋千種 ギャラリーカフェテオ周年記念展示「トロイメライ」参加作品
元ネタはシェイクスピア『夏の夜の夢』より、妖精の女王ティターニア。 ……とはいえ、夏の夜の夢ではティターニアはずっと不機嫌で かなりトゲトゲしい言葉でオベロンと喧嘩しています。 夏の夜の夢上では気の強い女王ではありますが、 ハーミアやライサンダー達とはまた違う人間が 妖精たちの集う森に迷い込んだ時に束の間に見せる 女王の姿はとても幽玄的に映るのかもしれないですね。 作品が静謐な雰囲気なのは 音楽ジャンルである「ポスト・クラシカル」を表現したかったから。 MatryoshkaとThe Filmsの雰囲気がとにかく好き。
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『柘榴忌に綴づる』 2019/2 クレスター/A3/透明水彩/顔彩/岩絵具 「悲しい夢を見たのかい? だけど食べるにはあまりにも瞬くような夜だ」
タイトルの由来は2020/7に開催した個展の最終日が江戸川乱歩の命日(柘榴忌)であったため。 仮タイトルは小泉八雲の著作をとって「私の守護天使」だった。 もともとはとある創作のお話の中の登場人物の一人だったのだけれど シェイクスピア『ロミオとジュリエット』の序詞役、 あるいは『夏の夜の夢』のパックのように観客に対し話しかける役割、 あとはディズニーの 『ファン・アンド・ファンシー・フリー』に出てくる ジミニー・クリケットのような導入役、語り手のような 「狂言回し」のキャラが好きで、この子にそういう要素を詰め込んで デザインをしました。 個展の時のDMをどうしようか悩んでた時に この子が導入役として適任だと思い、この子を描くことにしました。 これからまた何かお話を書いたりする時はこの子が 子どもたちにお話を聞かせるような始まり方になるだろうなあ。 そういえば島崎藤村の童話も、今からお父さんの話をするよ。 って感じに始まってたなぁ。 わたし自身が語り聞かせるような物語が好きなのかも。
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路地裏音楽祭 五周年記念コンピレーション 参加作品 どちらも冬のシューゲイザーをモチーフにしています。 『alone』は雪が降る夜にシューゲイザーを聴きながら 見上げた街頭と、街頭に照らされた雪が好きだなって思った時の感覚。 『there』は10分越えの轟音が奏でる冬の世界。
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2018/12 名古屋市博物館にて展示
それぞれ名古屋で活動しているインディーズバンドの音楽から インスピレーションを受けて作品を制作しました。
上段「残影」は『softsurf』からのインスピレーション。
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下段「帳が降りる」は『ulm』からのインスピレーション。
Ulm · Flood of Light
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パノラマの国のアリス 2017/10 A3 クレスター/透明水彩/アクリルガッシュ 京都 和み庵にて展示。 江戸川乱歩の「パノラマ島奇談」が大好きすぎて 不思議の国のアリスと混ぜた。 中心に立つアリスは、明智小五郎や小林少年といった 江戸川乱歩の描くパノラマ世界を眺めるだけの観客。 実際の展示では額縁にエクステ用の髪の毛を一本挟んでいました。 「 お前方はちっとも心配なぞすることはないのだよ。 お前の愛しい主人は、今幸福の絶頂にあるのだから。 」
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紅染 2017/5 A3 クレスター/透明水彩/アクリルガッシュ/ネイルパーツ @箱の中のお店 「花色金魚想」にて展示。 以下、作品解説。
金魚と聞いて最初に浮かんだのが室生犀星の「蜜のあわれ」 こないだ映画化されてたしその映画の予告を見るだけで もう……理想郷はここに有りというか。 ということで最初はまんま蜜のあわれみたいなものを考えてました。 …が、あまりにも答えが出すぎている。 このままではただの二番煎じ、 どうあがいても追いつくことすらかなわない。 最初に考えたのは「花に溺れる」 水のように満たされた花に溺れる。 たしか大量の百合で自殺とかそういうのがあったはず…。 その次に考えたのが「泳ぐ花」 水の中で金魚のようにくるくると躍る花。 そしてたどり着いたのが「ハーブティ」 水槽は硝子のポット。 鮮やかな朱の世界に染まる水と 花のように躍る金魚。
そしてとにかく室生犀星の世界から離れたかった。 中途半端に意識をしていたのか 文豪繋がりで萩��朔太郎と中原中也の詩を読んだ。 (文豪とアルケミストにハマって本をしこたま買い 丁度この二人の詩を買ったばかりであった)
二枚目の文章は絵に沿えた詩。 萩原朔太郎の詩でのまぐわうような恋人たちの詩は 生(女)と死(男)の混ざり合いだと思った。 萩原朔太郎の場合は男の視点。 生気に満ち溢れた女性を求めるような言葉。 そう解釈して、視点を女性に変えて詩を書いた。 女性のふくらかな四肢、それはまるで金魚の腹ではないか。 あとはそれこそ 「おわあ、こんばんは」「おわあ、こんばんは」 という猫の鳴き声の表現とか 「てふ てふ てふ てふ てふ てふ」 というちょうと読ませずてふと読む蝶の羽撃きの表現とか 中原中也の 「ただもうラアラア唱つてゆくのだ」とか そういう口語表現がとても好き 詩を考えるのはとんでもなく難しくて 数���間頭を抱え続けました。 萩原朔太郎は「青猫」 中原中也は「山羊の歌」 著作権が切れて青空文庫で読めるので、 興味が湧いたら読んでみてください。 今回の詩が如何に影響受けてるかすっごいわかると思います。
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@ギャラリーカフェテオ ギャラリーカフェテオ二周年企画『ペルソナ展』 上段 「かくして嘆く私自身に囁く。」 悲しみにくれるな、と本心を笑顔で隠した意思。それもまた私の本心だった F6/キャンバス/胡粉ジェッソ/アキーラ
下段 「かつて否定した僕自身に捧ぐ。」 僕の醜くて愛しい、非現実的な理想。目を背けた選択肢も僕であった F6/キャンバス/胡粉ジェッソ/アキーラ 以下、作品の意図について
上段 「かくして嘆く私自身に囁く。」 作品意図 ペルソナ展のDMとして、イメージしやすいのが 「仮面」であることに焦点をあてました。 イメージとしてはアンソールの「仮面の中の自画像」 あとは「しんどすぎて何もかもさらけ出して喚き泣きたいけど、 それを自制するのもまた自分自身だな」という思考。 下段 「かつて否定した僕自身に捧ぐ。」 作品意図 ペルソナ展に参加する上で P4Gの「江戸川先生の放送教室」を一気に見ました。 P3では何を言っているのかさっぱり分からない江戸川先生ですが この番組ではユング心理学、そしてペルソナやシャドウについて とてもわかりやすく解説してくれます。 そこで「シャドウ」についてたとえに出された話。 「明日出さなきゃいけない宿題をやらなきゃいけないけど めっちゃ遊びに行きたい。」(※ちょっと脚色してます) 宿題をしてから遊びに行くか、遊びに行ってから宿題するか これをどちらも自分は選ぶことは出来たし でもどちらか一方しか選べない。 ここで選ばれなかった選択肢は、 「選ばれなかった自分」「否定された自分」 ということになります。 はて。思えばそういう選択肢は幾多もあった。 あのブランドの服を着たかった。 でも、お金をCDに費やさず服に費やせば可能だった。 自分はそれを選ばなかった。 鳥を飼いたかった。 部屋を片付けてちゃんと世話をするなら可能だった。 自分はそれを選ばなかった。 思えば絵を描く時にはそういう理想をいつも込めていた。 可愛い格好をした少女。 鳥と一緒に生活をする少年。 そのいくつが、自身の実現可能な出来事であったろうか。 自分の描いてきた絵こそ「シャドウ」ではないのか、と。 「選ばなかった自分」を心(鳥籠)に押しこめていたけど 案外その籠の鍵は自分が持ってるわけで そんでもって好きなように開けてるなぁと。 ってことでまあ少年はそういう感じで鳥籠持ってますが つまるところいつもどおりの絵ってことです。 でもなんかこれってテーマを難しく捉えてる方だな? と思ってDMの絵は別に作成したんです。 本当はDMの絵を送ったらそのまま潰して この絵にしちゃおうかなって思ったんですが (よく見ると少女と少年の構図が似ている…つもり。) なんかこれはこれで潰したくないなって思って テオさんに事前相談しまして ペルソナ展では二枚展示していただけました。 事前相談は重要……! 余談ですが、絵でも音楽でも、 結構普段言えないことを表現したりしますよね。 でもそれを一枚、一冊、一曲に込めることは とんでもなく難しくて 本心をバラの花にに例えたとして、 表現をすることはバラの花弁を一枚取るような ことではないかなあと思います。 一枚だけではわからないけどそれは確かに 自分の心であるように。 そんな一枚一枚を集めて花となせば 自分の本心となるようなかんじ。 玉ねぎで例えてもいいかも。
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「死なずもの」 死の季節、静寂の森。雪の中で実を結ぶ樹。そこに宿る生命を見る。
A3/水彩紙/アクリルガッシュ
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すこし前のことになりますが タンブラーで書きたいなあと思った出来事 日頃からお世話になっているヒトミンスキーさんの個展に行ってきました

(画像をクリックすると個展告知のページにとびます)
ヒトミンスキーさんはフライヤーのデザインされたり 音楽イベントでライブペイントされたり ふつうにお客さんとしてライブを楽しまれたり やっていることがわたしの活動と似ているのと やはりそういう経験を長く、かつ多数こなしてきているので 勝手ながら先輩と思い慕っております。 そんなヒトミンスキーさんが個展をされていたので 展示されている作品と合わせて色々お話を聞くことができました 音楽×絵というか 音楽とライブペイントってイベント、中々見かけないので わたくしめの活動も合わせて そういうのもありだぜっていう活動の一端をお見せ出来ればと思い 今回タンブラーに書こうと思いました。 ここで懺悔すると、ヒトミンスキーさんとお話してた時は カルーアミルク飲んでました。濃くて美味しかったです。 おかげさまで上出来になってました。よきかな。 ・音楽イベントでライブペイントをするときのこと わたし自身は溶けない名前と二回共演させていただいてますが 溶けない名前の演奏に合わせてライブペイントをしてます でも風のうわさを聞くに、その体形はそう無いみたいです …30~40分ぐらいで、絵を仕上げなければいけないので当たり前ですな で、どうしているかというと、ステージとは別の場所で 大きな紙をべっと貼ってそこで描くのだそうです。 転換も演奏中も関係なく描くそうで もし好きなバンドが演奏している時はやっぱり普通に楽しむのかどうか わたしが問いかけたところ 「列の後ろの方でわーーーー!!って楽しんで そのままわーーーー!!と描きにいきます」 とのことで……めちゃくちゃフレッシュです ライブでいい音楽聴くとわーーーーこの気持ちで絵をかきたーいってなるので すさまじくフレッシュです よいですなあ あとは演奏に合わせてライブペイントをすると 曲調やリズムに合わせて線を引いたり点描したり…そういう楽しみがあるそうです (自分の場合はとにかく時間が無いので、 曲の展開で残りどれくらいか 計算して描くのでとにかく完成させることで必死になっております) ・フライヤーづくり ヒトミンスキーさんもわたしもひょんなことからフライヤーを作り続けてます わたしもヒトミンスキーさんも最初は客としてライブを楽しんでいくうちに、 絵を描ける人を探していてせっかくだから…という感じでお誘いを受けました で、ヒトミンスキーさんのポートフォリオには フライヤーの下絵がいっぱいありました。 注釈も一緒に書かれていて、すごい読み応えたっぷりでありました。 こんかいはどうしようー、という試行錯誤もたっぷりでした。 絵ができあがるまでの過程をみるのはとても楽しいです ・おんがくはたのしいぞー そんなヒトミンスキーさんのポートフォリオはめっちゃあります。 めっちゃすごいと思ったのが似顔絵付きのライブレポートや ドラマの感想レポート。 演奏されていた人の格好やらセトリやら言葉やらを めちゃくちゃ事細かに書かれてて情報量がすごいすごい そのバンドやドラマが好きな人からすれば分かりみの嵐ではないのかと思います わたしが感じたのは インプットする力もアウトプットする力もすごいなあというところ やっぱその対象が好きだからこそできること… …いや…やっぱりあの吸い込み具合と吐き出し具合はすごいと思いました ・けつろん なんか上手い具合に話が戻ってきました そんなヒトミンスキーさん。軽快な線ですいすいとライブペイントされていきます あと似顔絵もがんがん描いていきます なのでその場にアーティスト��んやお客さんの姿を絵にしたためたりしています お客さんからすればなかなかに楽しいことですよね そのたのしい空気に居る自分もその絵に入れてもらえている、というか やっぱり音楽に絵で関わるのは 自分がバンドさんの奏でる音楽が好きでいてこそだと思います フライヤーつくるのもライブペイントするのも 自分が作家だからというよりも 対象が好きで好きでたまらないからやってるようなものではないかと すくなくともわたしはそうです ヒトミンスキーさんはそれが滲み出ている感じです 絵の仕事とか関係なく、仕事頂いたバンドさんに取り置きお願いして お客さんとして行っちゃうこと数多のわたくしです はじめに申した通り、ヒトミンスキーさんは ライブペイントもフライヤーもたくさんやってきたからこそ そのきっかけとか情熱とか いっぱいお話きけてよかったんですよ よかったんです つまり たのしかった!!! あらためましてヒトミンスキーさん 酔っぱらいの質問攻めに付き合っていただきましてありがとうございました。 わぼくゥ
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