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CHICSNINES
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chicsnines · 10 months ago
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About Chirico
油絵を描きはじめるキッカケとなったジョルジョ・デ・キリコ
(Giorgio de Chirico)について書く。
24~25歳の頃にカナダのトロントに留学していて、
留学中にニューヨークへ旅行に行った。
観光客丸出しでプラプラ観光地を廻っていたが、
MoMAにて運命の出会いを果たす。
当時の自分は画家についての知識は全くなく、
「ピカソ、アンディ・ウォーホルは名前を知ってるぞ」なレベルであった。
有名な絵を前にしてもピンと来ない、絵画に関してのGスポット開発前の不感症であった為か、次から次へと飾られている世界的名画をかなりのスピードで見て進んだ。
その中で足が止まったのがキリコの絵だった。
その瞬間、身体中に電撃が迸ったーーー ということはなく、
「なんか見たことある気がするな」程度の��象だった。
が、本当に見たことがあるものを思い出す感覚とは違い、
「絶対に見たことが無いのに見たことがある気がする」
という新しい感覚があった。
MoMAを後にし、露天で売っていたメシを食いながらキリコについて調べると、「既視感を表現している」との記載があり、いわゆる「デジャブ」を正に体験をした自分は「絵でこんなことが出来るのか!」とドデカい衝撃を喰らった。
「GoodなSHIT程 後効きなのサ by OKI 」
突然の登場となるが、自分の母は絵画方面に明るい面があり、
昔は絵の仕事(お手伝い?)のようなこともしており、小学生5年の頃に松本大洋の「ピンポン」と「鉄コン筋クリート」を買ってきて、自分に「読んでみなさい」と勧めてきた女性である。(松本大洋が自分に与えた影響は非常に大きく、当時は彼の模写やら丸パクリのフリーハンドで漫画を描きまくっていた)
メシを食べながら母に
「MoMA行ってきた。ジョルジョ・デ・キリコって人の絵が印象に残りました。」
と感想を連絡したところ、かなりの時差があるにも関わらず比較的すぐに返事が来た。
その返事が自分に油絵をはじめさせたと言っても過言ではなく、
自分には姉がいるのだが、姉の名前が「キリコ」であり、その名前の由来がジョルジョ・デ・キリコなのだと返信に書かれていた。
それは我が人生トップレベルの衝撃であり、脱肛しかねないほどのインパクトがあった。
人生で初めて血の繋がりを強く感じた瞬間だった。
それまでは服でメシを食っていくつもりだったが一瞬で「オレは画家になるべきだ」と強烈な刷り込みが心に焼き付き、今日に至る。
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chicsnines · 10 months ago
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About Denim
ガキの頃からデニムが好きだった。
中学までは全く洋服に興味がなく、母親の買ってくる服をただ着ていた。
中学生になり、カッコつけはじめた頃に父が穿き潰したBIG-JOHNのデニムを貰い、それを穿いていた時に友人に褒められたのが好きになったキッカケだと思う。
デニムに関しては全くデニムに興味がない人間が適当に穿き潰すのが1番カッコよくなると思っている。
洋服を好きになると本当の意味で適当に服を着ることが非常に難しくなるため、自然な色落ちはハードルが高い。
しかし33になった今、デニムは大切ではあるがただの服として着るスキルがついてきた手応えがあり、近年穿き潰したデニムはなかなか良い色落ちになっている。
計算のない色落ちは美しい。
ここまで来るのに18年くらいかかったが、この先は自分とデニムについての事柄を書いていく。
14歳の時に初めて買った本格的なデニムはEVISUのNo2の2000。
当時は嬉しさのあまり寝る時も着用していた。高校卒業くらいまで穿いていたと思うが、青春時代のイカ臭い色落ちになった記憶があり既に処分済。
通っていた高校は制服がなく私服だった。
中学から洋服が好きだったので、私服通学だからと言う理由のみで選んだ高校である。
やたらHIPHOP文化の根付いた高校であったため、高校時代はPrps、Nudie Jeansなど海外ラッパーの着用していたデニムブランドに傾倒した。
当時代官山にSTADIUMというセレクトショップがあり、当時B-BOYの間では最高にイケている店の1つだったと思う。
そこで働いていたラッパーのY'Sさんのファッションに影響を受け、彼のよく穿いていたPrpsはバイト代で頑張って4本くらい買った。
通称「アナル穿き」と自分は呼んでいたが、ケツまでジーンズをズリ下げて穿いていた。絶妙なルーズ具合が当時の自分の目には最高にカッコよく映っていたのである。
その後、某服飾専門学校に進むことになるが、
当時は金がなかったので手持ちの服を売り、その売ったお金とバイト代を足してまた服を買うサイクルを高校から5年程繰り返していた。
その中でふと、手放さない服があることに気づいた。
B-BOYはFRESH至上主義な部分があり、最新のHIPHOPファッションに身を包んでいることが最高にクールだという価値観があった。
FRESHであるということは今の自分の中でもカッコイイ価値観であることに変わりはないが、最新の服を着まくるという誰にでも出来る浅はか極まりない行動、及び当時自分のスタンスがただの流行を追っているだけのいかにも日本人然としたワナビーと薄々自覚していたこともあり、上記の気づきは自分が本当に好きな服は何なのかを考えるキッカケになった。
手放すことのなかった服の中にRRLとA.P.Cが何着かあった。
当時の自分はSupreme周りのブランドを好んで着ていたが、それらはリセール価格もよく、モノによっては現在のように利益が出たので買ってしばらく着ては金になるうちに手放していた。
それらは自分にとって手放しても惜しくない服であった。
だがその手放す前提のようなスタンスにダサさを感じていたこともあり、結果的に残った服が本当の自分の好みなのでは?と気づきはじめてから洋服との付き合い方が変わりはじめた。
長ったらしく書いたが、上記の出来事以降も買っては手放してを繰り返し、試着を含めると数えきれない程のデニムを穿いてきたと思う。
現在はリジットから穿いているデニムを20本程所持している。
その中でリジッドデニムの完成度が高いな、と思うデニムブランドをザッと書く。
・HELMUT LANG 92
・RRL 89
・Rag&Bone 87
・A.P.C 85
・Valentino 84
右の数字はウイイレの能力値のようなモノだと思ってもらえると。
そして恐らく理解してもらえるだろうが、いわゆるレプリカブランドには興味がなく、ビンテージ寄りの色落ちは全く求めていない。
また数字はあくまでリジッドの状態での個人的な点数であり、
その期間は非常に短いという点も付け加えておく。
特にA.P.Cのリジッドはスニーカーでいうエアフォース1の白みたいなもので、ある種の贅沢品とすら思っている。
HELMUT LANGを除き、多数のモデルをどのブランドもリリースしているので、各ブランドについては個別に記事にしていこうと思う。
現在はラングラーのW14 CAという謎のフレアデニムが一番気に入っている。
(USA製で恐らく80年代のもの。1年くらい前にヤフオクでデッドを8000円くらいで買った。アラート登録しているが1度も通知なし)
ビンテージに関しては同じ物を入手する事が非常に難しいことから、上記のブランドからは除いた。
最後になるが、自分はリサイクルショップ巡りが趣味でありライフワークでもあるため、ほとん��のデニムは定価の1/10くらいで入手している。
「とんでもない安値で最高のデニムを手にする」
これがデニムをクソ適当に穿いて良い色落ちにする1番のミソと今は考えている。
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chicsnines · 10 months ago
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About Me
1991年生まれ Your File Host世代
某服飾専門卒。
油絵を描いています。
@shocking_pink_studio (instagram)
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