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ところで私はいつ病まなくなるんですかね。病まなくなったらなったで、そこに私の価値はあるんですかね。そもそも病まなくなるんですかね。どっちの未来も怖いです
死に対するアレと似てますね
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春風に乗って、人生が儚く襲ってくる
夏の夕陽を浴びた慟哭を思い出しては愛おしく思う
ひとりぼっちでいることが これほど洗われるような気持ちになること 洗われる気持ちには悲しみや辛さが滲んで入っていること
何のために生きるのか見失う日々に
人の目でしか生きる価値を測れない私はいつも、生きる目的が消えてしまうのを恐れているけれど
暖かい匂いの涼しげな微風に背中をさすられながら思い出すのは
形付けも定義もされなかった曖昧な記憶と曖昧な心のありかたのこと
夕方に差し掛かる穏やかな光を浴びたステンレス製の網戸の枠とかそういうものが、綺麗に光っているのを眺めていた日がいつかあったんだと、やっと気付くんだ
生きることに必死だったから、色づき、忘れてきたことがあるんだ
こんな春の夕方の陽射しの中で、眠るようにすっと死んでしまいたい
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整番とシャンプー
PK shampoo良かったです、良い音楽に出会うと煙草も吸いたくなくなる。一杯ひっかけることよりも、長くこの記憶に向き合っておきたい。
いつかの彼らがノリにノっていてYouTubeのオススメ欄に夜間通用口が出てきた少し後くらいに、おすすめの曲を募集したら名前をあげた人がいて初めて聴いた。うーんそこまで私は頭も良くないしノイズ系のバンドは好きそうであまり聴いたことがないのよ、と思った。
Twitterで度々見かけていたけれど、他にもそうやって名前だけをよく耳にするバンドがいてその中の一つとしていつか埋もれていくようになった。
ある日なんでか突然ボーカル・ヤマトパンクスのTwitterが気になって、そのままApple Musicにワープした。最近のマイブームはkhaki、これもきっと良いアシストにもなっていたと思う。なんとなーく語呂で気になった市營葬儀(どうしてもこのエイの字が変換に出てこない。)を聴いて好きになった(つまりお薦めしてくれたその人がすごい。)、好きになって2週間でこんなに近い距離で本人に会えるとは。思わなかった。
思えばSEKAI NO OWARI、THE ORAL CIGARETTES、SIX LOUNGE、言ってみればkhakiも、私が好きだと公言するようになるバンドとは「整番」の相性が「最初だけものすごく」良い。セカオワの炎と森のカーニバルin富士急ハイランド?2013は指定された観覧エリアの一番前の端でメンバーの顔も演出もそれはもう度肝を抜かれるほどのそれが鮮明に見えた。オーラルのレコ発ライブでは始発くらいの朝の早さから先着順のチケット販売に並んでZepp Tokyoの2列目をゲット。押しつぶされながらこの上なく幸せなロックバンドファン/ライブキッズお目覚めの日を得た(当日、整番を無駄にしたくないからと高校をまるごとサボって地元のマックで一人お絵描きと勉強をし���)。SIX LOUNGEはチケット発売とほぼ同時にポチッたら12月30日、流石に大晦日前日に渋谷eggmanのライブに振り切る人は少なかったらし��これまた1列目、しかもほぼセンター。ぎゃんぎゃん喚くほどの恋心を抱くことになるドラム・ナガマツシンタロウの狂気の視線を正面から浴びた。khakiはサーキットで人の流れに乗っていたら横に流され最前になり(入り口がステージ横だった)、今回は抽選で整理番号13番、呼ばれてイベントブースに入ると何故かセンターだけぽっかりと穴が空いていて、最前列どセンターを好きになって2週間めの新規が獲ることになった。
しっかり見てしっかり聴けたから好きにハマっていく、というのもあるのかもしれない、むしろそうだろ、とも思うけど。
PK shampooヤマトパンクスさんの何がくっと来たかというと、それはもうなんてったって声と、たまにピックにものすごい力が入るそのリアルな瞬間と、あと、水を飲んだペットボトルを床に雑に落としたところ(あっ、これはただの性癖ですね)
そして、大きかったのは、一瞬、大学1年生の頃の呼吸法が戻ったところ。彼が歌い出して、1曲目の途中にさしかかるとき、ふっと呼吸が私の知り得た感じになった。懐かしさを覚えるより先にその呼吸はあの頃みたいにクゥーと音楽を吸い込み心にしれっと届けて去っていった。イベントスペースに立ち込めた夏の熱気はライブハウスで何度も嗅いだ汗の匂いを仄かに流していた。私はくらっと、あぁ、続け、と思った。
でももう怖いのは、学生ではないという事実、ましてや社会人という事実。ライブキッズとは年齢を増す中でイタくなって20歳前の頃には名乗らなくなってノリ方も激しいながらに少し大人らしくなったけれど、それでも一人ぼっちであったとてライブハウスやフェスの輪の中のれっきとした一員だと胸を張っていた。しかしコロナ禍を挟んでの2023、突然やってきた23歳社会人という事実とロックフェスやライブの解禁、そして最悪なのは【時代が違う】という事実。ダイブもモッシュも反対の声が激しくなってもはや私達が見て育ってきたロックファンの先輩を多く抱えるSiMに救いを求めるしかない状況。ましてや新しい、今時の高校生に好かれているバンドだなんて、社会人が行くととんだ老害なんじゃないか。大人見すりゃおばちゃんになり、暴れりゃ年齢を考えない老害。うぅ、足がすくんでライブに行けない。暴れるタイプのバンドだからこそ、どう振る舞ったら良いか分からない。
私が惚れたオーラルに言わせれば「自分に嘘をつくな、自分の感情に正直になれ」もうこれが正論だろう。「立場を弁えろ」という言葉の重大さを理解した上でオーラル魂をやってのけていた10代の自分、21歳の自分。23歳なんて2つしか違わないのにさ、魅力的な大人になるってなんだか難しいなんて思うのが悔しいね。
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アクアブルー
もう7月1日だってさ。夏祭りのキラキラした季節が、暑かったり緩かったりする微風の中でプールに行く季節。
大学の頃は、2019はともかくとして、夏はなんとなく始まるもので、ずっと続くものだった。大学があってもずっと休みのようなもんだから夏の期間限定な感じにそこまで焦りもなく、夏休みが9月いっぱいまであるからいつの間にか秋の学祭の季節で何も後悔や後腐れなく終わって消えていくものだった。
会社員になるとそれは変わって、毎週の土日の休日しか夏の遊びをできる時間がないし、6月や9月に夏休み気分には到底なれない。7月1日は、夏を浴びる限られた時間をはかるタイムキーパーの開始合図だ。
大人になってわかること。それはBUMP OF CHICKENの歌詞のようなこと。父親が夏に対してどんな気持ちの入れようがあるのか、それは単に子供に沢山楽しんで欲しい模範解答なだけではなくて、父親の幼少や学生時代の夏の記憶から導き出された答えだということも、母親が夏に嬉しそうにはしゃいで、はしゃぐ私や父親を見るのがとてもとても嬉しそうだったことも、全て理解できるようになっている。
会社員がサザンオールスターズをよく聴く理由も、サザンがそんな大人に向けた歌詞を書く理由も、その 「敗者にしか分からない美」 を知ってしまったからなのだろう。その美は、威厳を持って在るというよりは、儚く、生暖かく、そして何より命が継がれて消えていくことをよく示しているようなのだ。
命の季節がやってくる。
今年はいっそう強く感じるのだろうか。
まつなつり。以前私がそう呼んだ、夏全体のこと。命が波のようにそれぞれの弧を描いて流れていくその季節全体のこと。お盆とも夏祭りとも夏休みとも違う。それは夏の香りと夏の自認に始まって秋の香りその自認によって終わる。
今夜は飲もうと冷蔵庫から出した氷結のラベルに水滴がついている。汗と呼ばれるその細かい粒が鮮明なブルーの絵と文字を浮き上がらせていて、小学生の頃に何かで見たような気がする。自由研��のキットなのか、読書感想文の本探しで読んだ中の表紙なのか、どこにでも持って行っていた半透明のカラフルな絵が浮かび上がるランタンなのか、手持ちサイズの顕微鏡もどきスコープなのか、夏が来たのだけは確かなよう。
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自然にクリーム乗せて
zoomから擦られた音声が雑に鳴っていた、晴れやかな五月に阻まれて耳に届かない
スーツ姿でパソコンと対峙している、ズボンは柄入りで、ピアスも取りたくないから頑なにつけている
五月病はうわつけない心とうわつきたい空との痴話げんからしい
今日もつまらない研修中、合間にアコギを弾いてみた。夏が近づくにつれてアコギが愛おしくなって秋を過ぎると嫌いになる。外の風の勢いを見ていれば思い出すのは高校の頃のことで、「青春の全て」を弾いた。久しぶりに弾いた。指で弾いた。
研修の真っ只中、耳の中に流れる音楽があまりにも不安そうで、先生の目を盗んでスマホで音楽をかける。痛々しさも胸を張れる武器だった頃に聴いていた、yonigeの音楽がスマホスピーカーの安い音で流れてきた。
幸せを追求するのはもうやめようと思った。思春期を超えて尚得体の知れないそれよりも、結局は心の動きのお話をしている時間を増やしたいっていうのがその頃から変わらない私の願いだって気がした。
牛丸ありさちゃんの声はやっぱり儚さを孕みながらものすごくカッコよくて、
思春期の私も良いセンスだなと誇らしくなった
今日も日々が過ぎて、恐れている3年間のうちの1ヶ月が既に過ぎそうで
23歳までに何かをって思うとあと数ヶ月だったからとても心が急いだ
「生き急いでるね」
ずっと言われていた言葉を、夢を諦めてから言われなくなっていた
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校正後と解説
「可愛い」は私にとっても揺るぎない褒め言葉だ。「女の子らしい」にも素晴らしいと思う。憧れる。女らしく居る女の子を魅力的だと思う。
キャバ嬢のひめかちゃんが好きだ。あざと可愛いさの中にかっこいい芯が垣間見える。彼女に憧れて、髪を巻いたり女子らしいお洒落な服を着たりしてみる。
ただしそれは、一種の自分への洗脳。
自分自身が他人から勘違いされる、本来は自分をそう捉えてほしくない服をわざと選ぶ。その行為への心の抵抗を、「別世界への憧れ」と「自分」を無理やり重ねることではぐらかしている。
正直なところ可愛い服の方が似合うのは知っている。でも、女の子らしさは私の生きかた、魅せ方にとってはマイナスになる。なにせ、綺麗じゃないから。ひめかちゃんみたいに、女らしさの中で確固とした自分らしさを見出せるほどの見た目や中身がないから。私が女の子らしい格好をしたところで、そこらへんにいる女子に紛れ込むだけだ。
男らしい格好をする。ピアスやネックレスをジャラジャラさせる。尖っている風な中に、被支配要素、抜け感、といった女子らしさを少し入れ込む。第一印象は「扱いづらそうな子」。そんな子が愛嬌を振りまいて無邪気に笑う。それで皆んなは私を正しく理解してくれる。「強がりでイタい厨二病」「譲れないものはあるけど気は弱め」「男物が好きだけど自分が女であることを嫌がってはいない」。さらに良い印象に”実は”がつくと、効果は二倍。「実は話しやすい」「実はしっかり者」「実は人が好き」。好きに生きるだけで人生が楽しくなる。みんなも見ただけで覚えてくれる。可愛い子と戦うことなく、無理することもなく自分を主張できる。
*
江古田の喫茶店『林檎』でこの詩を書いた。
紅茶瓶の花柄がお洒落で可愛かった。
ロリータファッションが様になっている前の席の女の子が羨ましかった。
私も女らしく綺麗で可愛くお洒落であることに少なくとも憧れを抱いている。
紅茶の様な女性にはとりわけ憧れを抱いていた。苦すぎず甘すぎず、少し苦く少し甘く、透明感に満ち足りて儚く純粋な、味も色もある女性を、私は崇拝している。彼女は自分が何を求めているか、どんな人を愛しどんな人に求められたいかを知っている。
私に高い価値がないことなんてわかってはいるけれど、それでも、それでも私にも本来、私ならではの魅力があったはずだ。しかし今それは無い。自分の魅力を何一つ、自信を持って提示できない。自分の誇れる魅力が全くない。ただ一般的に可愛いと言われる万人受けする服を着て、私は一体どんな人に愛されたいのだろうか。熱い紅茶を飲んで震える唇の赤は、生々しくて人間らしくて色がついていて、私の救いだった。
わたしはわたしでありつづけたいから、コースターに絵を描く、妄想をする。描くものなど何も浮かばない自分が嫌いだ。でもここで生半可なものを色付きのインクで描くのは嫌だった。イデア。妄想こそ完成品。
生きづらいこの瞬間に、世界に、溜息を吐く。それだけに於いても、様になっていることを祈った。
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わー
今回も色んなツルが生えて言いたいことがこんがらがってる。から順を追って説明しよう…描いてるうちに忘れそうなのが怖いけど。
「久しぶりに好きに生きたい!欲がすごい」って、Twitterに書こうとして。黒ネイルしたいし、舌ピも空けたい。だったら3連も戻したいし、折角なら金髪に��たい。そうやって思い描いて、2019に先輩から借りて面白かったからとこの前買った漫画をさらっと読み直して、友達のアイデンティティに触れたツイートを読んで、ふと気付いたことがあって。
最近ずっと深夜4時まで起きてるのも、お風呂に入る決心がなかなかつかないのも、全部これのせいだと。アイデンティティが無いまま明日とかこの先を迎えるのが怖いんだと。自分のなりたい自分像が(ハッキリではなくとも感覚的にしっかりと)あった+できる限りそれに向かって着実に何かを得ていたあの頃は、時が流れた先に自分が生きてる姿があることを疑わなかった。今は、時の流れに置いていかれてるみたいな。進みたい道もわからない、自分のことが理解できない。生きてる自分の姿を想像するより、自分がいない世界を想像するほうがずっとずっと簡単。でもまだ生きてはいたいとき、生きてる自分の姿をどうにかして思い描きたくて、だからずっとフリーズしたまま考えたりタバコを吸って定義づけして寝てもいいって安心感を求めてみたり、書きたいこともないのに自由帳を広げたりYouTubeを再生してはこれじゃないって頭抱えたり。外的要素がアイデンティティってどうなのって思ってたけど性格が表情に出るし服に合った表情に性格が沿っていくし、外堀ゼロで中身プリンか豆腐ぐらいのメンタルでいるから、だから怖いんだろうな
で、なんで専門知識もなければ感受性豊かだとか才能だとかもなくてそれでも作品とかものづくり、アーティストが好きなのかって。きっと私にとって、小説とかのそういうフィールドがなくなったら怖いからだと思う
眠いぜ!もう忘れた、続きは思い出したら
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林檎
空になった紅茶瓶の水滴
が 呼んでいる
わたしも花を育てたいので
その絵柄が羨ましい
永遠に紅茶なあなた、
愛するものにだけ、液を注ぐことができる
甘く苦く澄んだ、上品な水滴は
煌めきながら嬉しそうであった。
収まるべきところに収まるのだと
信じてはいる。 でも
わたしの水滴は
空中に散り無差別に与えられてしまいそう
それが怖いのですよ。
わたしはわたしでありつづけたいから
ガラスを曇らすよう息をした
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どくしょ間かんそうぶん
こんにちは。と何も考えずに口をついて書いてしまったのは言うまでもない、そしてこの口調も、今読んでいる本の影響であろう。本はやはり宝箱である。
夜もすっかり更け、北綾瀬から最寄りのしょうぶ沼公園沿いを我が家に向かって歩いている際、虫らしきものが一切鳴いていないことに気がついた。私は掌で口元の汗を拭い、木々へと目をやった。ある夕方ベランダに出た日には、いつのまにかツクツク法師の鳴く時分になってしまっていたことに夏休みを無駄にしたなんとも言い難い空虚な心持ちと対峙したが、もう既に今年の蝉は皆一生を綴じてしまったのであろうか。勝手にもの寂しくなり儚げな視線を浮かべてみる。が、その勝手さにいささか疑問を抱き、すぐに口をキュッとつぐみキリッとした顔立ちへと戻した。夜に蝉が鳴くモノかすらもう覚えていない。更に言えば、私が少し前に心の中に浮かべた文章も覚えていない。
だからこそ、思い出そうとこれを書き出したに尽きるのである。
さて、話は戻るが、本はやはり宝箱なのである。最近では身の上話、映画というものと関わることが増えた。
脚本家には到底勝ちようがない。彼らには妄想力・主観・優しさ・客観、その他私の想像し得ない多くのものが兼ね備わっていて脱帽するばかりであり、かたや文藝かたや映像の両方の技を持ち合わせているハイスペックぶりは先ほど述べたような私の不甲斐なさからは想像ができない範疇の仕業である。ひとつひとつの技術職に於いてもそのように感じる。それを踏まえて述べたいのだが、本は映画そのものと同等の価値を持つということに、私は感服するのであった。
あぁ、この内容である。あのとき私はこの内容の中でひとつ、あまりにも今読んでいる本に影響されているであろう言葉を浮かべていたはずだが・・・それを使わずにとうとうその先へと進もうとしている。
進もうではないか。胸を張って。私は漢気のある淑女である。そうありたいと常々気を遣っているのだから、そうなのだ。この夜風からももうすぐ抜け出さなくてはならない。我が家のマンションのエントランスもエレベーターも、愛着こそあるがやはり外から中へ入るにはしかめ面が沸くものだ���
また話を戻そう。一人で脱線してツッコんではいるが、私は本来しっかりもので、話の脱線にめざとい性分である。
本は映画と同等の価値を持つ。あの気がどうかしていそうな人々がこなす気が滅入りそうなハイスペック作業たちを、勝手な書き手の独り言の連なりが時には蹴落とすという具合で、恐ろしい。
私なりの本の読み方というものがある。それは「ごく単純に読む」というものだ。
『これはどういった魂胆が、内に秘めたものが含まれているのだろうか』などと考えたりはしない。その必要のない本が好きでもある。吐き出された感情に一番近いコトバを、私は素直に再現するにほかない。無駄な考えを挟もうものならばそれはそのこの上なく素晴らしき世界から私自身をぽんと引っこ抜く劇薬と化してしまう。そんな劇薬は嫌だ。
二度読んだとき、或いは知らぬところでひそかに繋がる何かに鉢合わせたときにだけ、魂胆や秘めたものが忘れられない煌めきとして、まるで後に見つけた宝箱の鍵そのものが宝だったかのような感動を私に与えるのである。
ゆえに、本に関する知識も少ない私は、本を挟んで「こうだったね」といった会話を長々とできない。カッコつけているようで痛手だということは、今宵は華麗にスルーして頂きたい。作者が随分と身勝手であるから、それに任せて読むのだから、間違いや解釈違いなどは存在しないだろうと勝手に納得するに尽きる。「こうだったね」「そうじゃないでしょう」といった会話は、どこかお門違いな心持ちさえする。
小説こそ無礼講。独り言と他人任せが時に映画に勝ってしまうのだから恐い。
さて、この話の軸の散乱具合から読んで取れるでしょうが、私は今眠い。もう既に家のリビングに座ってお茶を飲んでいるのである。美味しくお茶を飲みながら、ひとつちいさな自慢をして今宵はお開きにしようと思う。
先日、ひどく矛盾のある文章を先輩方に送りつけてしまったがあまり後悔していない。なぜか?「信じていないものに大金を賭け続けているような気分」といった表し方に妙に納得してしまったからである。
今夜は自分を棚に上げて先輩に意見したが頭を抱えていない。なぜか?いいよ、訊いてない、などと言わずに問うてほしい。そうかそうか、であれば勝手に答えよう。「このキャラクターにしては頭が良すぎる」といった旨の自分の発言に妙に納得していたからである。
コトバ選びは常に私を蝕む厄介者だが、時には私の痛みを麻痺させるほどの劇薬だ。
さて、宴も酣、上記が自慢になっていないと不服そうな顔をしている君。私はこのまま裸体に冷水をかぶり、あたたかな毛布にくるまってあの有名なパプリカのような妄想にダイブしようと思う。あれは怖い。しかし卑猥なものが憂鬱なのにも関わらず��れの卑猥なシーンは好きだ。いや、なんてことを。
最後まで読んでくれた貴方にこの慣れない文体の原因を紹介して終わろう。
『夜は短し歩けよ乙女』。
今更?というツッコミは不要である。正解者は私と一緒にお酒を一杯共にしよう。あぁ、奢りはしたくない。
それでは、良い夢を。
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イマという、ほうき星
BUMP OF CHICKENの天体観測のリリースが2002年。歌い���がれて今年は2022年。20年分の痛みを背負って、沢山のひとりひとりの物語を背負って、焦燥感優しさ人間らしさ全部包んだあの夜の音がイヤホンから流れる。
みんなイヤホンで聴いたんだろう、みんな不確かな青春を重ねたんだろう
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日記-2022.8.5
先日、久しぶりに、バンドのライブに行きました。私はやっぱりバンドが好きです。人が好きって言うけど、何でもない人も愛せるけど、愛せる、じゃなくて、愛してしまう、何かに必死で、何かを信じて本気で酔っている人が好きです。信じてないと本気で酔えないよ。ファッションなんてバレる。刹那的でも何かを信じて必死に、それに夢中になっている人はかっこいい。勿論続けばもっとかっこいい。けれどそれは、続いたからかっこいいんじゃない。惰性じゃなくて、本気で、これしかないって思って一瞬を生み出してるからかっこいい。それをし続けられるのは、限られた人だと思う。才能でもなくてきっと、宿命なのかも。だからいつか、夢中なものから離れても良い。宿命であれば、引き戻されてしまうから。それがカッコイイんだと思う。ロックだね。続けることが格好良い、は嘘かもしれない。自分の気持ちに問いかけた上で信じられないものを続けて、そこに何の魅力がある?楽しんでるから格好良い。辛さをぶつけてるから格好良い。瞬間瞬間に賭けてるからかっこいい。かっこいい瞬間を生み出す為に、無様でも続けなきゃいけない時もあるけどね。
全てをさらけ出せる場がひとつだけあります。いつも大暴走して、迷惑をかけます。彼らはかっこいいです。私と彼らの一生の思い出になったその瞬間たちは、同じことに対してカッコよかったし、そして今はそれぞれかもしれない。けれど、相変わらずかっこいいんです。みんな、無様に、でも今に必死で生きてるんです。死にたい人だって、自分がわからない人だって、誰かを支えすぎてる人��って、心から必死なんです。余裕な人だって、バカみたいに刹那的だったりするんです。暴走した後、いつも泣きます。私も、心から好きだと思ったり、定義付けなく好きだと倒れ込んだり、できる人間なんだって。そしてこんなに面倒な子供みたいな私を、一番好きな人たちが見守ってくれてるんだと。私はこんなにかっこいい人達と一緒に生きたんだと。少なくも、これまでの自分をやっと少しだけ好きになれます。よかったねって。こんな人達と巡り会えたから、ちゃんと心から生きられたんだねって。
これからは一人で、生きていくって言いたいけど、でもきっと生きるなら、何度も弱さを見せて頼って、生きていくことになると思います。
見捨てないでなんて言わない。私はそれで傷つかない。私の為に彼らが自分を捻じ曲げられたら、それは私が誰のことも信じられなくなる合図だから。
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2022/7/27【詩】 風
毒素の侵食を拒まなかった夢の中
蒼い絵画 青写真の現像
雄大な豪壮な煌びやかいやネオンチックな
二〇一九
あぁ まだ 生きている
あぁ まだ 生きながらえている
ねぇ ぼく だれ
もう一度、紫色の海に飛び込みたい
二〇一九?
二〇ニニ?
一九四五?
いま
舐めても薄味の線路
劇薬を飲めばあの日に行けるのでしょうか
たとえば 頭から
応答セヨ、二〇一九、二〇一九
エレベーターが止まらない
上下どちらにも進まないのに
こちら 二〇一九、コチラ 一九四五
「お前は俺とは違う」
狂信するものがない日々とは何だ?
神様、微笑まないで。嗤っているの?
「あなたの体はあなたのもの」だと
私が命を懸けていたあの年は嘘だったと
あの赤い血も、あの暗い海も、青写真も、涙で滲んだ花火も、
泣いていたのは私じゃなかったの?
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2022/7/31【詩】【推敲後】 「生」寄りの狭間へ
皮膚は うごめく 羽で
私は 人間なのだ
大嫌いな言葉は
泡のように 気持ちがいい
心に へばり��く 泡は
私を包んだフリだけど 落ちていく
私は大きな生ごみだった、ゴミ置き場に横たわる人形 世の中を転げ回った
羽を乾かしている
柔らかくて ふにふにして
確かで 弱くて ぬるい
ここは夏のさらさらとした夜だよ
羽が乾いていくの、まだ 透明だけど
あのひとは
必死で音楽をする人間が好きだった
あのひとは
大好きな虫達よりももっと大好きな命を知っている
それは、私
皮膚を噛んだら痛い そんな自分でいたいから
うごめく 羽を 伸ばして
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2022/7/31【詩】【推敲前】脱衣所の話(仮)
皮膚は うごめく 羽で
私は 人間なのだ
「ぐるぐるね、相変わらず、
頭の中はぐるぐるしてるけど
言葉になってしまって逃げて」
でも、それって、
泡のようにね 気持ちがいいの
気持ち悪くて へばりつく 泡は
私をごっそり包んで落とす
ねぇ私は大きな生ごみだった
いまを生きていたのは
ずっと 生ごみだったのに
私は今 羽を乾かしている
柔らかくて ふにふにして
確かで 弱くて ぬるい
羽を乾かしている
羽を乾かしている
夏のさらさらとした夜だよ
ねえ 音楽が好きよ
必死で音楽をする人間が好き
ねえ 私は羽化?していて
「蝉が好きだけど蝉じゃない」
大好きな虫達よりももっと大好きな
過去の私がいまの私と違うなら
いまの私は真実ではないことにしていいよ
過去は正しくはないけれど
皮膚を噛んだら痛い そんな自分でいたいから
うごめく 羽を 伸ばして
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完璧な日々
2019。大学に行く。それだけで事が進む。
みんなの動きとチャイムに合わせていれば授業に出られる。
学食は常に開いている。各1時間半もある空きコマで、部活の仲間と面白い話をしながら、自分のやるべきことをやって優越感に浸る。
つまらない授業でも明日やる事リストを書いているうちに終わり、内容も否が応でも頭に入っている。
授業ノートの下に自由帳。
みんなとご飯を食べる。
どんな格好をしても許されるから、どんどんなりたい自分になっていく。
週に3回のバイト。月曜日の夜の好きな先輩たちと会える部会。あとは自分を高めるための時間。2週間に1回は「休日」という予定を入れる。休日は絶対に、その日に思い立ったことしかやらない。
月に1回、心理カウンセラーと話す。高校から今に至るまでを知ってくれているひとに、好かれようとか相手の負担にな���ないようにしようなんて思わずになんでも話すことができる。その中で自分のはち切れていた部分が繋がっていく。
人の輪も広がる。真面目な話なんてしない仲間だけれど、みんな何かしら、芸術だとか人間だとか色々考えている。自分の過去を背負ってイマを馬鹿みたいに生きている。
音楽が私を傷つけて、音楽が私を救う。
つまり、人間が私を傷つけて、人間が私を救う。
脆く崩れ去った。すべてが崩れ去った。適応力があると自負する私でも、無理だった。
挑戦した。そしたら、自分がわからなくなった。
ゼロになった。
大切な感覚が鈍っていった。記憶が続かない、明日の予定を覚えられない。ありきたりじゃなくグッとくる服装、が分からない。模写以外の絵も好きな文章もかけなくなった。自分の感性を忘れた。全く負担じゃないはずだった、他人の話。人を信じて愛するという根底にも穴が空いた。人としての筋も通せなくなった。言葉が出なくなった、話すことが嫌いになった。数えられるくらいしかしたことのない「作り笑い」を常に貼り付けている。なりたい自分がわからない。やりたいことがわからない。
いま、ゼロです。
ゼロですか?
ゼロをイチにする?あれ、私の一番得意なところだったはずなのに何を迷ってるんでしょう。
たぶん、目的がないから怖いだけだ。
日常が戻らないことを見越していたから今ここにいて、この状況じゃ縋りついても意味がないものが失われた。それだけなんじゃないか。
救いを求めるな、どうせ救われないことを知っていた自分を褒めろ
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こわい、を超えるには
素直に生きるなんてとてもじゃないけど不可能なんじゃない?、と自分で思う節がある。
他人の言葉をまっすぐ受け止めることだって、童心にかえってみることだって弊害なくできるけど、それも全部自分の身を守るため、な気がしてしまう。
自分が嫌われない、好かれる、求められる方法を知っている。だからそこから一歩足を踏み外せばそれだけでもう賭けと同じような世界に居る、と思えてしまう。もう何も機能しなくて、そんな自分を誰も制御できないしその面から好きになってもらうことは不可能だってわかっているから、だから完璧主義なんだろう。
人として不完全な自分を晒すのだって、もはや完璧であり続けるためのテクニックのひとつ。完璧な人であろうとはしてない。けれど、魅せ方として完璧な存在の自分であろうとはしてる。
すぐに自分から切り捨てたり自分をわざと傷つけるような行動をとることさえ、相手に傷つけられるよりも自分で傷ついた方��楽だからだ。だってみんなだってそうでしょう。私は人一倍思い切りだけはあるって自覚をしている。思い切りというと母親には極端な考え方なだけ、とツッコまれそうだとも思う。その通りだ。
中途半端に居ることはできない、手放しきらずにいると制御できそうなのに制御が行き届いていない自分を憎んで苛立って呑み込まれてしまうから。
なんであの頃は強かったんだろう、と考えたら一瞬で答えは出た。自分を愛しきることができるのは自分だけだという強くて攻撃的で斜に構えた意志が私を支えていたから。嫌われ者になってしまう自分を自分で愛していたから。
人からの評価を気にして生きる。根底にあって揺るがないそれに、所詮は自分一人という孤独の強さが太刀打ちしてくれていた。
相変わらず甘えることは苦手です。人が離れていくことを知っている上に、自分がどこまで魅力のない人間になってしまうのか、その深さの想像がつかないから。
こわい、を超えられるように、克服したい。裏切られて泣いてを避けすぎてきたのかも。だから裏切られないことすら半端にしか知らないんだろう。
まだこわい。今もこわい。こわくてこわくて、こうして書いて、またこわくなる。
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日記-夜風
こんなに生き易い時代に、たすけて、と口をつくこと自体、何言ってるんだよと自分で思ってしまう。あれが終わったらもう全部終わらせるんだ、と思う度、夜の空気があまりに澄んでいて風が頬に心地よくて人生に困る。
世界は美しい、いや地球が美しい。自然が美しい。煩雑さでごった返す世の中に、ひとつだけで済む事実があって、それだからといって私が行動できることは今ないのだけれど、終わらせる選択肢がどこか遠くのことのように感じてしまう。
人は難しいけれど人が好きだ、それが私が行動を起こせる唯一の世界なんだけど、それが少し無力に思えてしまう。東京は少しの雲で星が見えないのに、それでも夜風はこんなに澄んでいる。だから無力に思えてしまう。
映画を観たい。本を読みたい。人の呼吸のテンポにやられてそれが出来ないほどに弱いから、そのために一人暮らしをしたい。でも人がいないときっとダメになる。その矛盾で、私は自然ではないことを突きつけられる。私も煩雑な人間、だから早くそれを受け入れたい。
時間が止まっている。私の中で、こういう夜ばかりで私を苦しめているように、だから時間が止まっているように思って、時間が流れていることが残酷すぎる事実になる。
鼻を啜るとふと思い出す人の香りに縋りつきたくてもう一度鼻を啜った。勝ち目がないのならば勝ち目のなさを突きつけられたい、それをきっと破滅的と捉えられるのだけれど、破滅的��はなくて単に怖がりなだけ。みんなは美化しすぎている。美化せずにいてくれる人は特別な存在で、私はそうやって負けることが好きだ。心臓が裸で晒されているような雰囲気があって、私はそれに安心するのかもしれない。
「気持ちの問題」と言われると、それならやってやる、と無理をするから、見透かされていたいのだと思うし、逃げたいのだろうと分かっているし、だから頑張るしか選択肢がなくなる。むづかしい事なんて本当は考えたくない。でも止まらない。これまでの生き方に牙を向かれたまま、とりあえず今日は寝て、明日の朝まで命を落とさないでいる。
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