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朕ピラ
13 posts
日記。跡地(atochi)というノイズバンドのメンバー。ドイツ語の勉強しています。主に生活、音楽、本、映画のこと。
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chinnpiraatochi-blog · 8 years ago
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3/28
昨日は県人寮の下見で駒込駅周辺へ。寮は狭いけど、自主自律的な、国公立大学の学生寮なんかでよく見られるようなコミュニティが出来上がっていて心配ない感じ。(卒業生の引っ越しの最中で冷蔵庫とかもらっちゃった) ホテルに着いた途端に具合が悪くなって寝込んだ。まだ環境に適応出来てない。都会は人為しかないから眼精疲労が相当溜まったんだと思う。目に入るもの全部が他人の脳みそなんだよね。 それで今日はTOEIC受けるために大学へ。学科の8割女子。男子高生ピンチ。発音がイギリス(?)っぽい感じでリスニングが全然出来なかった。自分の無能さに腹が立った。精進。高校の時遊びすぎ。 なんか急に読みたくなって内田樹「知に働けば倉が建つ」と色川武大「離���」読んだ。そのくらい。疲れた。明後日また東京へ。あと当分帰れないだろう。
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chinnpiraatochi-blog · 8 years ago
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3 24
i've got a ton of things to learn 'cause i'm hoodlum. 最近は勉強しています。基礎ができていないので上手く思い通りの学びを得られませんが。 あと、山形という土地に生まれた因果なのかソウルミュージックやファンクばかり聴いています。見習いです。 勉強すると、何も知らない自分を教材側から突き出される瞬間が妙に心地よくもあり、無知蒙昧な自分が恥ずかしくも思う。かなり前から世の中のことを全部知ったつもりでいるお耽美でイルでドープなユースカルチャーみたいなものに抵抗を感じてはいたんだけれども。 昔みたいに、死にたいとか全く思わなくなったし、寝ても夢を見なくなった。大人になったということなのか。 社会は人間の脳の敷衍だからそう簡単には変わらない、希望を持つとは、自分が変わることである。また某解剖学者の引用でしか締められません。
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chinnpiraatochi-blog · 8 years ago
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最近観た映画
お葬式(伊丹十三) マルサの女(伊丹十三) マルサの女2(伊丹十三) ミンボーの女(伊丹十三) マルタイの女(伊丹十三) スーパーの女(伊丹十三) 3-4X10月(北野武) 静かなる決闘(黒澤明) 青春の暗殺者(長谷川和彦) ゴッドファーザー(コッポラ) トレインスポッティング(ダニーボイル) デッドマン(ジムジャームッシュ) 伊丹十三月間 残るは たんぽぽ あげまん 大病人 静かな生活。 ド田舎で観られるのはこれくらいか。
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chinnpiraatochi-blog · 8 years ago
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3/5
今日は朝スーツ買って、マルサの女2(伊丹十三監督)みてミンボーの女(伊丹十三監督)観て、それからあまり覚えていない。 あと昨日のタンブラーの投稿もまったく覚えていない。なに、補完的に、って。三遊亭金馬の居酒屋は聞いたんだろうな。たぶん。笑ったような気がする。
マルサもミンボーも、かなりギ��ギリの映画だな、と思った。歴史的な文脈でみるとスゲー面白いし、感心した。そしてそういうバブルの頃の勧善懲悪的な映画(更にその前は真逆の任侠映画!)の上に立ってる今の映画がアウトレイジとかその辺なんだろうと思った。 ある種反対語的な警察・ヤクザ。でも世の中はそんな二項対立的な簡潔な構造になってなくて、ある種補完的な警察・ヤクザという構造を描いたのがアウトレイジだと思った。要するに、持ちつ持たれつということだ。
しかし伊丹十三監督のコミカルな目線で社会の暗部を抉り出すような作品すげーすきだな。生きてたら、なんて想像するけど。
しかし腹立つね。なにもかも気に食わねー。 立川談志「若いやつで長生きしたやつはいない」この言葉だけにすがってるようなきがする。勉強しよ
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chinnpiraatochi-blog · 8 years ago
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chinnpiraatochi-blog · 8 years ago
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FUCK ME
クラブでDJしてる中学の友達が紫色のドレッドヘアだった。それをみてとても綺麗だとおもった。 時間軸の衝突から起き��共時性に巻き込まれてしまったときの対処法の話、補完的な こんなに脳内が病人のように晴れ上がってすっからかんな日には、落語を聴いて寝るのが一番いいとおもう。 三遊亭金馬の居酒屋か、小さん師匠の時そば、そんなとこ。
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chinnpiraatochi-blog · 8 years ago
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高校卒業
こんちは。今日三月一日をもって高校を卒業しました。 山形の某公立男子高といえど、かなり特殊な高校でしたので相当愛憎入り混じる感情をもってます。 こんなめでたい日に母校を悪く言うつもりはありませんが(結果的には感謝しているので)とても素晴らしい面と忌まわしい面とがコインサイドの如しでした。それもまた学びという非常に便利な言葉に収束しております。 卒業式、やっぱりいい学校だったんだね。下手な御涙頂戴的な演出は一切ないのに熱い卒業式だった。ヒューマンライツ的な観点から男子高ってのは今一番目をつけやすい格好の標的だと思うんですけど、そこでは何もかもむき出しで、要するに裸で、特殊な環境だからこそ社会では有耶無耶なことが鮮明にみえた。(だからといって最近何かと話題の女子編入を否定する訳ではないけど) 僕はといえば最後まで楯突いてたというか、迎合しないアティチュードをとっていたのだが、それはそれで多様性を認めてくれていたと、今になっては思う。 はじめて担任を持った若い担任から「手のかかる生徒だった。お前は一生忘れないだろう」なんて言われたけど一種の歓迎の眼差しでもって言われた。実際に担任は好きだったし、かなり色々と良くしてもらった節がある。 思えば思うほど書きたい事があるからそろそろやめるけど、なんでいつも愛着が湧いてきたとき、それは別れの間近なんだろう。過去は勝手に美化されていくから俺はいつも前を向いて泥くさい汗臭い生き方をして行こうと思う。 みんなさよなら、ありがとう
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chinnpiraatochi-blog · 8 years ago
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黒澤明監督 「静かなる決闘」
プロフィール欄に映画なんて書いてるけどそんなに映画に明るくない。要するに、ポーザー。黒澤明監督作品も「どですかでん」しか観たことがなかったので「静かなる決闘」をみることに。 先も言った通り、映画についてはあまり明るくないので所感止まりの文章だがよしなにぜひ。 筋:大戦中の純潔の軍医が梅毒病みの患者の手術中に医療ミスで梅毒に感染、拗らせてしまう。大戦後、許婚の女性に愛を抱いているものの、己の廃疾を理由に結婚を拒絶。完全に自分に罪のない"梅毒"によって三船敏郎演じる主人公の町医者が描いていた"戦後の夢"がもつれていく… 婚前の性交渉を不純とみなす考え方や梅毒が猛威を振るっている時代設定、あまりにも人道主義的な筋には多少の古さを感じざるを得なかったものの95分間魅せられた。 (物語の中盤で現れる主人公に梅毒を移した男、それも梅毒が完治してないにも関わらず妻子を設けるクズ男の名前が"中田進(なかだすすむ)"で図書館なのに爆笑してしまった) 閑話休題、このチンピラ野郎と聖人的な町医者の主人公が極端な二項対立で描かれているところに主人公のジキルとハイド的な葛藤を匂わしており、映画鑑賞歴が年齢に伴っていない僕はなるほどな〜などと馬鹿みたいに合点がいったのであった。 特に僕が印象に残ったシーンは、ラスト近く、志村喬演じる主人公の親父が病院にやってきた警官に「おたくの息子はまるで聖人だ」と言われた際に「幸せになってたら案外俗物になっていたかもしれない」(うろ覚えで失礼)と返すシーン。あまりにも人道主義的な映画だったところに思わぬ毒がチクリと刺す。当時こういうバランス感覚があるのはさすがだな〜。黒澤監督。などとまたしても馬鹿みたいに合点がいったものである。 他にもいろいろ記したいことがあるのだが、なんせ既に文章がまとまりを失っているのでここらへんにしようと思う。他の作品もみたいな〜。ホゲーッ!!
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chinnpiraatochi-blog · 8 years ago
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男子三日会わざれば刮目してみよ
憧れとして、飄々とした生きかた、というものがある。だけどそれはたかが憧れに過ぎない。 要するに、ヘラヘラしてる自分を許す了見というものが備わっていない。いくら真似事をしたところで徒労。毎度のこと。 四六時中苛立っている。他人に対する怒りもあるけど、結局、己の無知蒙昧に苛立っている。 絶対、最悪な連中から虐げられてヘラヘラしてる自分を許すことなんて今は出来ない。 明日からまた、泥くさい生き方をする。ズコーッ! 絶対負けないʕ•ᴥ•ʔ https://youtu.be/CeAamSNNLxI
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chinnpiraatochi-blog · 8 years ago
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オーケストラの演奏でも聴いているのかと思ったよ。まいった。
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chinnpiraatochi-blog · 8 years ago
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今日の天使。たけしくん、ハイ!脳の進化の話
徒労、後悔、不安、すべてを遡源に還元してくれた今日のGOOD MUSIC.strange as angel. https://youtu.be/FALXbspWSu4 carlton and the shoes-i've got soul 今日もまた、養老孟司氏の講演会で心に残った話を書こうと思う。 氏は解剖学者であるかたわら、昨日の文章から察せられる通り、脳の研究者でもある。「バカの壁」「唯脳論」などは読まれたことがあるかたも多くいるのではないだろうか。氏、曰く、 猿人、原人、旧人、新人という人間の進化の過程において変化してきた事は多いが、その最も顕著な例は「脳の容積」である。 (人類と共通の先祖を持つチンパンジーの脳容量・・・約350~400cc 350万年前の猿人・・・約375cc 190万年前の原人・・・約750cc 150万年前の旧人・・・約950cc 25万年前の新人~現代人・・・約1500cc 出典:別冊日経サイエンス151「人間性の進化」) 進化の過程における脳の容積の変化は、どのような事と相関関係があるのか。 人間と共通の先祖を持つあらゆる種類のチンパンジーの脳の容積を比較したところ、それは明らかになった。 「群れの大きさ」である。(群れの大きさ!!) 要するに、他に対する認識が大きければ大きいほど脳の容積は膨れ上がり、進化しているということらしい。 この話を聞いて、僕は合点がいったような気がした。 中学生ごろまでの僕はといえば、いわゆる自閉症気味の子供だった。今では相当回復の見込みがあるが。要するに、他に対する関心が希薄だった。狭い脳ミソの中で暮らしていた。つまり、チンパンジーと同じ。そんなところである。なにかしらの脳と感覚の齟齬からか(?)常に倦怠が周りをうろついていた。結構な守護霊である。 しかし中学生の中頃になるとそんな悠長なことを抜かしていられなくなった。社会からの追い立てを喰らったいうことだ。すなわち。矯正を喰らった、否応なく。 そういうわけで否が応でも他人と関わらざるを得なくなった。いつのまにかその倦怠も縮こまって(もちろん未だにそれは、このチンピラ野郎はたまにやってくる)。 その点において、社会には恩がある。もちろん、この点においてだけだが。その中でもって僕は他を考え、それと付き合っていくたのしさを知った(たのしさに徒労もきちんと添えて)。スタートはかなりおそめだけど。他は人だけではなく、音楽や映画、本なんかにも及んだ。 そんなわけで、僕はいろいろなことを知りたいし、君と仲良くなりたい。よろちく。ズコーッ!! 養老孟司氏の言葉で一番好きな言葉「世界は脳より広い」
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chinnpiraatochi-blog · 8 years ago
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go fuck myself.脳梁のconflict.contradiction
受験も終わり、高校の卒業認定会議で正式に卒業が決まったので今日から日記のつもりでぼちぼち文章を書いてみようと思う。こんちは。
最近いつも脳梁欠損の患者について考えている。確かこの話を知ったのは約2年前、シベールアリーナで行われた解剖学者 養老孟司氏の講演会に於いて。(医学の心得は全くない上、耳学問なので下記の文章は少し雑になる)
脳梁(のうりょう)とは?周知の通り、人間には左右の大脳半球、すなわち右脳、左脳というものが誂えてある。右脳は感覚を司りアグレッシブな脳である事と対照的に左脳は論理を司り非常に保守的な脳である。 その���つの謂わばこの似ても似つかない、水掛論を繰り返す一卵性双生児のようなシロモノを仲介し、その仲を取り持ってやる神経繊維の束が脳梁だ。とても世話好きな器官だと感心する。
そんでもって、ここでいう脳梁欠損というのは後天的な病でもってこの脳梁を摘出した場合を指す(要するについに愛想をつかしてしまった)。
するとどうだろう、脳梁欠損の患者は、例えば外に出ようとして靴下を履こうとする、いつのまにか、そいつを脱いでる。またしてもそいつを履こうとする、するといつのまにかそれを脱いでいる。 外に出ようとする右脳と出たくない左脳が闘争しているのだ。それをいままで取り持ってくれていた脳梁がないのだ。ようやく靴下を履いて靴を履こうとすると全く同じ現象が起こる。はたからみればとんだ気狂い沙汰である。
さしずめ、思うところといえば、人間は生れながらにして文学の世界ではなく、生物学的にデカイ矛盾を抱えているということである。最初から右脳と左脳が壮大に、世界大戦に劣らないくらいのドンパチを狭い脳内でやらかしている(加えると、幼少期に於いては脳梁があまり発達していないらしい)。
僕はといえば、なにかしら人生において矛盾を見つける度に無意識的にこの話を思い出すらしい。矛盾なんて生まれつき、こんなのどうってことない、と言っているのかもしれない。ズコーッ!
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chinnpiraatochi-blog · 8 years ago
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go fuck myself.脳梁のconflict.contradiction
受験も終わり、高校の卒業認定会議で正式に卒業が決まったので今日から日記のつもりでぼちぼち文章を書いてみようと思う。こんちは。
最近いつも脳梁欠損の患者について考えている。確かこの話を知ったのは約2年前、シベールアリーナで行われた解剖学者 養老孟司氏の講演会に於いて。(医学の心得は全くない上、耳学問なので下記の文章は少し雑になる)
脳梁(のうりょう)とは?周知の通り、人間には左右の大脳半球、すなわち右脳、左脳というものが誂えてある。右脳は感覚を司りアグレッシブな脳である事と対照的に左脳は論理を司り非常に保守的な脳である。 その二つの謂わばこの似ても似つかない、水掛論を繰り返す一卵性双生児のようなシロモノを仲介し、その仲を取り持ってやる神経繊維の束が脳梁だ。とても世話好きな器官だと感心する。
そんでもって、ここでいう脳梁欠損というのは後天的な病でもってこの脳梁を摘出した場合を指す(要するについに愛想をつかしてしまった)。
するとどうだろう、脳梁欠損の患者は、例えば外に出ようとして靴下を履こうとする、いつのまにか、そいつを脱いでる。またしてもそいつを履こうとする、するといつのまにかそれを脱いでいる。 外に出ようとする右脳と出たくない左脳が闘争しているのだ。それをいままで取り持ってくれていた脳梁がないのだ。ようやく靴下を履いて靴を履こうとすると全く同じ現象が起こる。はたからみればとんだ気狂い沙汰である。
さしずめ、思うところといえば、人間は生れながらにして文学の世界ではなく、生物学的にデカイ矛盾を抱えているということである。最初から右脳と左脳が壮大に、世界大戦に劣らないくらいのドンパチを狭い脳内でやらかしている(加えると、幼少期に於いては脳梁があまり発達していないらしい)。
僕はといえば、なにかしら人生において矛盾を見つける度に無意識的にこの話を思い出すらしい。矛盾なんて生まれつき、こんなのどうってことない、と言っているのかもしれない。ズコーッ!
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