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フィクションのノンフィクション
夏といえば映画。
子供の頃は、夏休みに映画館の東映アニメフェアに行った。ドラゴンボールの映画が楽しみで。
歳をとってからは、この時期に戦争映画を必ず1本か2本観る。頭の中で夏と戦争がどうしても結びついてしまう。
好きな戦争映画は、岡本喜八監督の「肉弾」。「独立愚連隊」も好きな戦争映画だ。去年はそれに加えて「西部戦線異常なし」も観た。
「プライベート•ライアン」も数年に一度観る。
テレビドラマ「さとうきび畑の唄」もたまに見返したくなる。
���ゴジラ」(1954年公開)も、戦争映画としてこの時期に観ることがある。
「火垂るの墓」は一度も観たことがない。何故だろう、、、。私には怖すぎる。
今年はどうしようか。
岡本喜八監督の映画が好きなので、「日本のいちばん長い日」か「激動の昭和史 沖縄決戦」を観たいという気持ちがある。
だがしかし、
今年の夏はイスラエルが虐殺を止めることなくオリンピックに出場するというスーパーミラクルをやってのけたので、その情報だけで数本分の戦争映画を観たぐらい気が滅入っている。
ミサイルや爆弾で粉々にされたガザの土地には、イスラエル軍が飲み捨てていったコカ•コーラの空き缶がいたるところに転がってるらしい。イスラエルの醜悪。コカ•コーラはもう飲まない。飲めない。
イスラエル虐殺やめろ。殺すな。
もういやだ!!
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移行
wixからtumblrに移行しました。
wixがイスラエルに拠点を置く企業だと知ってしまった以上、こうするのが当然だと考えます。
このブログは全て、私自身の創作活動のメモやヒントになることを目的としています。
読み返すことで、文章という表現を通じて、私が私自身に出会い直す。ここはそういう場です。
ですから、まずはこの移行が私の思想の一部を表しているということをここにしっかり記し、現在の私自身をここに残します。
虐殺大反対。イスラエル(およびアメリカ)、虐殺をやめろ。日本は虐殺に加担するな。
こんな思想は当たり前でありきたりだ���思っていたのですが、餓鬼畜生の蔓延るグロテスクな世界なので、文章で明言しときます。
思想のログを残す行為は、ネット上だけではなく、私の体内にも積み重なり、ダンスの創作という身体表現に確かに繋がっていくのだと思います。
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不買を決めて、心の整理をする
新たな年が始まりました。
私がちょくちょくやっている不買運動について、いつかブログの題材にしようとかねてより思っていました。
東京五輪の時は、そのスポンサー企業の商品は買わないことにしていました。
コカコーラ飲みません、KADOKAWA買いません、紳士服の青木のスーツは一生買いません、電通クソ食らえ←絶対に関わりたくない、中抜きパソナもクソ←絶対に関わりたくない。
セブンイレブンの本社直営店とフランチャイズ店との労働環境の格差の問題を知ってから、セブンイレブンの利用をやめました。
ユニクロや無印良品の衣料品も買いません。使用している綿が、どうやら新疆ウイグル自治区のものを利用しているようだからです。新疆ウイグル自治区の綿は良質なものらしいのですが、現在は中国からの深刻な弾圧により、強制労働を強いられ、過酷な環境の中で生産された綿が国外に安価で輸出されているからです。中国とウイグルの実態については明らかにされていないことが多く、ハッキリとは分かりませんが、この問題に対してユニクロも無印良品もアンタッチャブルにしている感があります。それなら私も、ユニクロと無印良品の衣料品に触れないことにしました。
安さや利便性を求めることで、誰かの不幸を生み出す状況。できるだけ、そこに加担しないように不買運動をします。誰かの不幸が他の誰かの幸福になるような連鎖を見過ごしていい時代ではないと思います。
戦争よさようなら。
虐殺よさようなら。
wixよさようなら。
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平和の行使
彼らの言い分は、自衛権の行使だ、ということらしい。
あの壁の中にはテロリストとテロリスト予備群しかいないから、閉じ込めるんだそうだ。
戦勝国は、自衛の名の下に、敗戦国の人々を閉じ込め、少しでも抵抗すれば何十倍にもして傷めつける。これをずっと繰り返してきた。
強権を持つ者が発動する自衛権は、いつでも必ず、弱い者を抑圧するという暴力になる。どうやっても強権を脅かすことなどできないであろう遠くの弱者を抑圧することが、何の自衛になるのだろう。権力者の言う「自衛権の行使」というきな臭い言葉の本質を、今のイスラエルに見ている。
同じようなことを、ちょっと前の日本の総理大臣が言ってた。
彼はそれを「積極的平和主義」という言葉で表現していた。
悲しみや憎しみが膨れ上がっていく苦しみに、人間はいつまで持ちこたえられるのだろうか。あちらこちらで生まれる「自衛権の行使」が、いつか丸く収まるだろう、とは考えづらい。
憎しみを克服し、苦しみの連鎖を断ち切るにはとてつもないエネルギーがいる。個人ならまだしも、国家や集団ともなればそれはより難しい。
虐殺を即刻やめて欲しい。
超積極的に平和を願う。
苦しみの連鎖を断ち切るエネルギーをどのように蓄え、どこに向けたらよいかを断言できなくとも、超積極的にそのエネルギーを生んでいきたい。
「よいお年を」とは言いづらい。
それは私の問題であり、お前の問題である。
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あれのその後、ブログ11月号に追記
先日更新したブログの後半にこんなことを書きました。
2024年1月にイスラエルのダンスカンパニーであるバットシェバ舞踊団が来日するらしい。本当に素晴らしいカンパニーだが、今は観る気にはなれない。観ていいものではないという忌避感がある。なぜならイスラエル大使館が後援に入っているから。ここ数年、コロナで中止を余儀なくされていた中での待望の来日公演だった、それが平時ならば。 病院を破壊して、子どもや病人を問答無用に殺すことを許す理由など存在しない。核を使っていい理由などひとつもない。そんなことがまかり通る理由などあるわけがない。イスラエル��、このシンプルで明確な事実に反する国家として私の目に映っている。理屈を並べて虐殺を肯定する国家が後援するアートに、ブラボーなどと言って拍手している観客の姿を想像するだけで寒気がする。 彩の国、北九州、びわ湖ホールは予定通り上演を敢行するのだろうか。日本のコンテンポラリーダンスに長年尽力してきた有数の公共ホールが下す決断は、今後の日本のコンテンポラリーダンスやアートに大きな影響を及ぼしていくはずだ。希望はもてない。
ブログをアップした直後もしくはほぼ同じタイミングで、各劇場が上演と関連する全イベントの中止を発表しました。「関係各所との協議の末」という文言を理由としていて、政治的スタンスは明確にせずにその場を収めるあたり、悪しき日本の伝統と文化を感じました。
虐殺を容認する理由などない。
核兵器など絶対に使ってはならない。
虐殺反対です。
戦争反対です。
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あの時のあれとこれからのあれ
6年前に観たダンス作品が、新しい衝撃を引き連れて、記憶の奥のほうから飛び出してきた。イギリスを拠点に活動するカンパニーの作品だったんだが、あのダンス、あのシーンは、今パレスチナで起こっていることを表していたんだと。現在進行形で現実に起きている悲劇を、私はあの時のダンス公演で既に観ていた。
あの時の私は、イスラエルやパレスチナがそれぞれに抱える苦しみや憎しみについて何も知らなかった。そして、あの作品が本当にパレスチナについて表現したダンスだったか、創作者の真意は分からない。
”あの時のあれ”が後々になって、自分に影響を及ぼしていることに気付いたりするのがアートの魅力であり、恐ろしさ。あの時にあのダンスを観たことが、今も繰り返される憎悪の応酬に私が向き合うヒントになっている。
あのダンス作品のラストを思い出すことができない。
2024年1月にイスラエルのダンスカンパニーであるバットシェバ舞踊団が来日するらしい。本当に素晴らしいカンパニーだが、今は観る気にはなれない。観ていいものではないという忌避感がある。なぜならイスラエル大使館が後援に入っているから。ここ数年、コロナで中止を余儀なくされていた中での待望の来日公演だった、それが平時ならば。
病院を破壊して、子どもや病人を問答無用に殺すことを許す理由など存在しない。核を使っていい理由などひとつもない。そんなことがまかり通る理由などあるわけがない。イスラエルは、このシンプルで明確な事実に反する国家として私の目に映っている。理屈を並べて虐殺を肯定する国家が後援するアートに、ブラボーなどと言って拍手している観客の姿を想像するだけで寒気がする。
彩の国、北九州、びわ湖ホールは予定通り上演を敢行するのだろうか。日本のコンテンポラリーダンスに長年尽力してきた有数の公共ホールが下す決断は、今後の日本のコンテンポラリーダンスやアートに大きな影響を及ぼしていくはずだ。希望はもてない。
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Happier than ever
怒りや違和感についてのトピックが多いこのブログ。
小学3年生の調理実習で、同じ班の女子から好きな男子第3��にランクインしていると聞いた時は、身体が素直に喜んだ。それを聞いた直後、喜びと興奮で教室をぐるっと1周走った。これはもしかしたらダンスになるかも。人間は嬉しすぎると走る!
怒りや違和感ではないトピックで書いてみようとしたが、もう出てこない。良い思い出ばかりを抱きしめて生きてる人って存在する?私の創作にとっては、怒りや違和感のほうが栄養価が高い。
だが、子どもと生活していたら、その感覚にはすこし変化が訪れた。でもそれは、ブログに書いてないで、ダンスにしていきたいと思う。
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父りんちょ踊りんちょ
今日は、2種の「私」について書く。
父親とダンサーという、2種の「私」。
私が父親である時、ダンサーであることを忘れずにいようとする私がいて、反対に、私がダンサーである時、父親であることを無視せずにいようとする私がいる。そのおかげで、互いが互いを潰しあわず、無用なストレスを感じずにいられている。
そんな2種の「私」が、2種同時に背筋をビビンッ!と伸ばした瞬間があった。
2年前。公園で子どもと遊んでいると、父子がベンチで買ったばかりのアイスを開封し、食べ始めようとしていた。父が子どもの口にアイスを近づけた時、こう言った。
「がぶりんちょ」
その言葉に、ダンサーな私と父親な私は、ハッとした。
とても古風で、日本的で、平和で、ひょうきんな響き。幸福感に満ちた、何の罪もない言葉だけど、私は自分自身が「がぶりんちょ」と聞いたら「ダサっ!」とほくそ笑んでシニカルを気取る人間だということを忘れたくないのである。どちらかと言えば、「がぶりんちょってなにそれ!」というテンションで子どもと盛り上がりたい。
「がぶりんちょ」は愉快。まさに絵に描いたような楽しさ。「がぶりんちょ」は情景を幸福に仕上げる額縁。
しかし、私は子どもとの楽しい生活の日々を額に飾るのではなく、創作活動と地続きにしたい。私は子どもとの時間すべてにダンス的な発見があるはずだと考えている。そんな私は、なんてことない生活の中でのほんの一部の情景にあった、あの言葉の無条件に幸福な響きを受け入れたら、私のダンス的な視座がちょっと奪われてしまう気がする。(仰々しいかもしれないが)
そして、つい先日。
子どもに串団子を食べさせようとした時、危うくあの言葉が口から出てきそうになってしまった。人に何かを食べさせようとすると、つい出てくるあの言葉の罠。���嗟に言い換えた。
「がぶっちょん」
ギリギリセーフか?アウトか?ちょっと罠に足がハマってんな、俺。
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1999年8月に新宿の天ぷら屋にいたおっさんたち
この季節の私のイメージは、夏休みと敗戦。甲子園なんかも風物詩だが、私には試合を中断して行われる黙祷の方が印象深く、結局は戦争にイメージが結びつく。甲子園で鳴るサイレンに、私は空襲警報を重ねる。
高校1年生の8月だったか、新宿のスペース・ゼロという劇場で公演する機会があった。私は演劇部だった。
本番は無事に終わり、観に来てくれた演劇部OBの先輩が、新宿のどっかにある小さな天ぷら屋を探してきて、食事に連れて行ってくれた。店に入るやいなや、店主や客に煙たがれるような目で見られた。あの雰囲気は忘れられない。
食事をしていると、常連客っぽい人から「君が代の詩の意味を知ってるか」と突然問われた。私は音楽の授業で教わったことを答えようとしたが、その話がまだ言い終わらいないうちに全否定された。その後、戦争についてどう思うかを尋ねられた。先輩が「戦争は駄目ですよね」と言うと、すかさず店主が「戦争があったからインドが独立できたんだ」と突っ返してきた。
未来を担う若者たちと美味しい天ぷらを食べながら、戦争と平和についての対話がしたかったわけではないというのは明白だった。夜の新宿の路地裏の天ぷら屋にガキが入ってくんじゃねえってことだったんだろう。確かに場違いだったかもしれない。
あの天ぷら屋は、冷笑やらハラスメントやらマウントやらファルスやら、地獄がドロドロと煮えたぎっている場所だった。あの人たちの認識はほとんど間違ったものだったし、そのせいか味が全然思い出せない。陰湿な人が揚げた天ぷらは、それでもカラッとしてたんだろうか。
実際に戦争を体験した世代ではないが、それでも8月はとりわけ胸が苦しくなる。そんな8月ももう終わる。
胸が苦しくなるたびに言う。胸が苦しくなくても何度でもしつこく言う。
戦争反対!
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抵抗する尻
子どもと生活していると、いろんな番組を観る。
covid-19の緊急事態宣言発令下、無観客のNHKホールで、テレビの前の子どもたちに向かって「いつも側にいるよ!」と語りかけていたワンワンに感動したこともあった。
子どもの頃に観たディズニー映画もひと通り観直した。加えて、大人になって観てこなかった作品も観た。
当然、アンパンマンも観ている。やなせたかし先生の絵本もたくさん読んだ。
クレヨンしんちゃんの映画もほとんど観た。アニメのしんちゃんは、家族、かすかべ防衛隊、個性溢れるご近所さんたちに囲まれて、とても豊かな5歳を何十年間も過ごしているが、映画になるとちょっと違う。映画の中の彼は、大人の勝手にいつも振り回され、苦しめられる。いつも大人に傷つけられているが、持ち前のおバカやお下品をお武器に変えて必死に抵抗している。
私はこれを「所詮、子ども向けのアニメだから」と放っておくことができない。クレヨンしんちゃんの映画を見るたびに、この世界は大人が子どもをイジメているんだと感じる。子どもが本当に自由に生きて、そのまま立派に大人になってしまったら、、、と想像するだけで大人は怖いんだろう。自分たちの人生を否定されかねないから。
クレヨンしんちゃんといえば、放送当初から「親が子どもに見せたくないアニメ」としても有名だった。大人たちの恐れの表れに思う。
野原しんのすけは、子どもの時間を大人に奪われないように抵抗の表現として尻を出し、踊る。それでいて、あんな態度でありながら誰にでもしっかり甘えているところに感心する。
大人にはそんなユーモアはないから、叱るという仕草で大人のマナーを押し付ける。大人たちは、マナーによって抑圧された苦しみを、子どもにも体験させようとする。自分自身の自由のために当たり前に表現をするという単���な日々の営みの気力すら失ってしまったのが大人の実態。
子どもは自由にのびのびと生きるべきだ!と言う人も多いだろう。でも、子どもが「学校に行きたくない」と言い出したら、大人として何をすることが「子どもにのびのびとさせること」になると考えるのか。
私は、子ども向けのダンスワークショップもしてきたし、一緒に作品を創作もしたこともある。そのたびに、子どもの感性というやつを見逃さないように努めてきたつもりだ。親や先生とは違う、期間限定の第三者的な立場から、日常生活で埋もれてしまっている子どもの本能を引き出すチャンスだとも思っていた。ダンスの中では、尻を出して踊ることがかっこいい行為になったりすることがあり得る。実際、私も舞台上でこれまで何度か尻を出してきた。(かっこよい行為になっていたと自負できる感じはない)
しかし、この世界を「大人による子どもへのイジメ」という視点で見つめ直すと、ハッとする。恥ずかしいことに、「私は、そんなことは断じてしていない」と自信をもって言い切れないのである。
大人の都合によって子どもの尊厳が蔑ろにされていると感じる一例は、家父長制。本当に糞食らえと思う。”子供”と”家庭”は切り離して考えなければ、大人の都合の押し付けから子どもを守ることはできない。こども家庭庁、糞食らえ。
これからのダンス活動においても「子どもを守る」ということを忘れずにいきたい。子ども向けのダンスを創るとかそういうことではない。「子ども向け」という言葉がすでに子どもを蔑ろにし、子どもの尊厳を踏み躙っているような気がする。
野原ひろし、野原は広し、な人間でいたい。
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I love B
今月のブログは、The Beatlesを聴きながら書いている。
中学の頃、軟式テニスの幽霊部員だった私は、学校が終わると直帰して昼寝ばかりしていた。昼寝が好きだったわけじゃなく、クソつまらない中学生活から逃げたかった。控えめに言ったとしてもクソがつくほどにつまらない生活から。
ある日、The BeatlesのCDを家の中で見つけてしまった。Help!というアルバムだった。親がロックを聴いてる印象はなかったが、家の中でThe BeatlesのCDを見つけた。訳詞はついてなかった。なんとなしに聴いてみたら、ものすごく格好良かった。何かを格好いいと感じたのは、あれが初体験だったかもしれない。Helpはもちろん、You've Got To Hide Your Love AwayとTicket To Rideもめちゃ格好いいと思った。
それをきっかけにThe Beatlesにぐんぐんのめり込む。アルバムを聴き漁り、Let it beのジャケットのポスターを��屋に飾る。帰宅して昼寝というルーティンが、帰宅して熱唱というルーティンに変わった。幽霊部員なのは変わらず。The Beatlesというバンドのキャリアにも、彼らそれぞれの人生にも惹かれた。The Beatlesは、私の10代の一部分を占める。
しかし、20代の私はThe Beatlesを意図的に避けていた。その頃は、ダンスに“使える”音楽ばかりを探していた。The Beatlesの曲は認知度が高く、曲の持つイメージが強すぎて、ダンスには邪魔になると考えていた。そこから自然と聴かなくなった。
The Beatlesの曲は、いろんな感情を湧かせる。それに、どの曲からも生きづらさを感じる。The Beatlesが醸す生きづらさに浸ることこそ、中学生の私のThe Beatlesの味わい方だった。彼らの音楽は、生きづらさの良き理解者だった。
生きるのはとても難しい。20代の私は、中学生の頃に感じていた生きづらさを押し潰し、蓋をしながら生きていた。今年、Johnが凶弾に倒れた年齢を迎える私は、この生きづらさから目を背けないことにした。
ダンスはそのためにある。私は私自身のダンスによって、生きづらさに抗い、寄り添おうと思う。NYでダコタアパートに行こうとしたが、建物の近くまできて足がすくみ、遠巻きにしか眺められなかったことを思い出す。
The Beatlesは、私のダンスの良き理解者にきっとなってくれるはず。
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最初で最後のブログ
たった1人の非常勤の難民審査員参与の柳瀬房子に1年半で500件もの難民審査をさせたのは、あなた?
(「一般論として、1年6ヵ月で500件の対面審査を行うということは不可能」と法務大臣に言わせたのが誰か、は知っている。あなたではない。)
そんな不可能を可能にする柳瀬の「難民申請している人の中で難民なんていない」という発言を立法事案(法案作成の根拠)として審議させてきたのは、あなた?
行政府の長の長男の忘年会の場に首相公邸をあてがったのは、あなた?
カルト教団と政権の癒着を後押ししたのは、あなた?
子供を産んだら奨学金免除というクソ政策提言に感謝しているのは、あなた?
「差別の禁止」ではなく「不当な差別の禁止」と書き換えさせる政治家を選んだのは、あなた?さらに「差別禁止は人権侵害、社会的分断を生む」だと?
頻発する地震を肌で感じながら、それでも原発を再稼働させたいのは、あなた?
原発の稼働年数を延長させたいのは、あなた?
政治的弾圧や家庭内暴力などから保護を受けられず、国外に逃亡してきた人々を牢屋みたいなところに閉じ込めて散々虐めた挙句にその国に追い返したいのは、あなた?
とある港湾のカジノ誘致を巡る一民間人の反権力���争を描いたドキュメンタリー(の体裁をしたプロパガンダ)映画による、ヤクザ権力礼賛に感動したあなたはハマの誰?
100年先に残る街づくりといいながら、100年守られてきた都心の森林破壊に加担する都知事に1票入れたのは、あなた?
投票を放棄するのは、あなた?
誰が政治家になっても同じだとか言うのは、あなた?
「正義感強いねぇ」なんてまるで他人事なあなた。
コロナ禍で舞台で踊ることを控えてきたのは事実だけど、「もうダンス辞めたんだろ」なんて自覚的に意地悪を言うあなた。
こんな国の噂を聞いた。
そこでは日はとうに沈んでおり、今では立派な恥出づる国なんだそうな。
そんな国で生まれた人間の、今月最初で最後のブログ。
俺は正義じゃない。
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書きづらいことを書くトレーニング
今日は書きづらいことを書こう。なぜ書きづらいのかと言うと、恥ずかしいから。筋トレしてるなんて言うのは恥ずかしいよ。
世間では筋トレが流行っているようだが、私は流行りとしてではなく、必要に迫られて始めた感じが強い。コロナ禍で上演機会がなくなってしまったから。コロナ感染のリスクを負ってまで舞台にしがみつきたくはない。でもダンスにはしがみついていたい。コロナ禍を、上演なしダンサーとして過ごしていく為に必要なこととして、筋トレを始めた。
ダンスに出会った学生の頃を思い出す。
あの頃、ダンスの授業をほとんど受講して、聴講もして、放課後はダンス公演のリハーサルもして、レッスンにも行ったりして、1日の大半をダンスに費やしていた。ダンスに触れること自体がトレーニングであって、それが筋トレにも繋がっているという認識でいた。卒業してからも、私の生活はダンスとバイトだけで構成されていた。学生時代と同様に、筋トレだけに集中するという時間はなかった。
私にはダンス自体をトレーニングとして捉えようとする傾向があったが、それは身体のトレーニングだけでなく、思考のトレーニングでもあるからであって、「筋トレ」はダンス自体とは似て非なるものだということが今なら分かる。踊りの哲学、美学、方法論。表現に向き合うためのトレーニングは生涯をかけてやり続けなければならない。それに加えて、今になって始めた筋トレが、身体の���礎能力のアップや怪我の予防につながり、その備えが私の表現の幅をより一層膨らませてくれるはず。私の踊りの先生の言葉を借りれば「本番はご褒美」。
上演のためにダンスがあるのではない。私にとっては生きることを楽しくするためのものがダンスなのだ。ダンスにしがみつくことは、生にしがみつくこと。日々トレーニングを重ねることで、本番という褒美が、どこからともなく私に与えられる時がくる、と期待している。
という、極めて当たり前のことを書くのは、とても恥ずかしい。
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漠
外出している時、最低でも1度は不安な妄想をする。
例えば、工事現場の前を通るたび、瓦礫が飛んでくる、工事車両が突っ込んでくる、みたいな妄想をして、気構えをする。今この瞬間に大地震が起きたらどうすべきか。どこかから突然ミサイルが飛んできたら。
こんなふうなことが頭をよぎったりする瞬間があるのだが、かといって普段から鬱々としているわけでもないし、神経質に暮らしているわけでもない。身を一瞬たじろがせ、後ずさりさせるものの、すぐに過ぎ去ってゆく、ある種の突風のような不安だ。
常々、不安というものの厄介さを感じている。漠然と抱かれるぼんやりとした不安は、なおさら厄介で要注意。
私の生活はこれでいいのでしょうか?
私の収入はこれでいいのでしょうか?
私の幸せはこれでいいのでしょうか?
私はこれでいいのでしょうか・・・
迷える子羊ちゃま
どうやっても放っておくことができないのが不安。
ポール・マッカートニーはLet it be
エルサ王女はLet it go
どちらにしたってLife Goes Onで、時は進む。
コロナの影響で長らく公演ができていない(露出がなくなってしまった)現状について、実はそれほど不安を感じていない。ポールのように夢に聖母が出てきて格言をくれたわけでもないし、エルサ王女のように孤独を押し殺して強がってみせているわけでもない。自分の不安をパートナーに伝え、意見を言い合い、最善を協議するようになってから、不安とのお付き合いが徐々にイイ感じになってきた。
公演ができない(露出がない)ということは、私と社会やダンスとの隔絶を意味するものではない。断じてそうではない。そもそも、明日どうなるかも分からない世界を生きている。
私の行動の原動力は不安かそれとも喜びか。
そんなようなことが、私の世界を左右しているように思う。
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咳ネットワークサービス
劇場には3年くらい行っていない。健康を脅かす可能性を捨て置いてでも行くほどの価値、について考えていたら行かなくなった。
そんな自分が劇場についての記憶を辿ると思い出したもの。それが咳。
例えば、演劇の公演。開場中は音楽が鳴ったり、観客の出入りもあり、期待と心配の混ざった緊張感が場内のざわつきに表れる。開演時刻になり、観客に「観る時間」が訪れ、静寂に包まれたその瞬間に劇場に響くもの。それが咳。
ダンス公演。音楽と共に様々なダンスシーンが展開していった後に突如やってきた音のない静かなシーンで響く環境音。それも咳。
精神の緊張と緩和が絡んだ生理的な現象、なの?沈黙が苦手なだけでしょ。これと同じような、要するに咳のようなものを近年よく目にするようになった。
それがSNS。
ある人がSNSで呟く。それは咳のようなもの。それに対してある���が、賛、否、誹謗中傷。これも咳。応答する咳。SNSの世界もけっこうな劇場だ。そこに入った途端、人は沈黙に耐えられなくなる。
ただ、SNSの劇場は実際の劇場とは違って、どれだけ咳をしてみても誰かが聞いてくれているという実感が湧かない。いいねやリプライがなければ、無視されているように感じてしまう。SNSの劇場では、自分の孤独ばかり強く感じられてしまう。何より実感があることだから。
そして、自分の孤独を打ち消そうと、できるだけ大きな咳を、唾を、ウイルスを撒き散らしたくなってしまう。「自分は元気にやってるよーみんなもこっちにきてー」と大きくゴホゴホ。ケータイひとつ、どこでも開けるSNSの劇場、コスパがいいね!実際の劇場は、咳をしたら他の全ての観客と演者が聞いてくれている。
とりあえずは、あなたのその咳を黙って受け入れてくれる。劇場はあなたの孤独もきっと受け止めてくれる。劇場はそんな場所。古くさっ!(古臭さも大事だよね)
自分は孤独にもコロナにも感染したくないから、SNSも気をつけるし、劇場にも行かない。まだしばらくサヨナラ劇場。
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構えない創作活動365
去年は確か365日くらいあったと思うんだけど、私がブログを書いたのは3回。結構な頻度で書けたと思うけど、若干の申し訳なさが身体の中を漂っている。
書いてみたいこと���いろいろあるけど、どれも政治や社会に対する不信感にいきがち。そういうことよりももっと自分のダンスに近い話をしたい!…そんなふうに考えていたら年3回になった。
自分のダンスに近い話なんて言ってるけど、政治や社会を切り離して自分のダンスを考えることはできない。それに、自分のダンスの為に実はこんなトレーニンングしてます、とか書くほうが不信感だらけの文章よりもっと恥ずかしい。
我が家の美味しい晩御飯の話でもするか?→こんな大切なこと他人に教えたくない。
子育て奮闘記でも書くか?→こんなプレジャーな時間を誰かとシェアしたいなんて思わない。
じゃあ、どんな目的でブログ書くのか。これはある種の創作活動だ。
今年は(最低でも)毎月1回は更新することに決めた。(とかいって、早速2月入っちゃってる。無理な創作は身体を痛めるから、無理のないペースでってことで許しちゃお!)
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誕生日おめでたくなってきた
誕生日というものが好きじゃなかった。おめでとうとか言われたくない。サプライズとか寒気がする。毎回どう迎えたらいいのか分からない。何かの試練かと思うほど、誕生日というものを全然好きになれなかった。
好きになれない原因の1つは私が夏生まれだったこと。誕生日が夏休み中になってしまう私のような人間は、2学期の始���日に紹介される。業務連絡の事後報告のようなドライさが際立って、お祝いのイベントに感じられなかった。一度だけ、夏休みの前か後に担任の先生から小瓶に入った星の砂をもらったことがあって、それは嬉しかったな。言葉じゃなくて物だからかな。(ドライなのは俺か!)
誕生日会に呼ばれた時の嫌な記憶もある。それも小学生の時だった。当日いきなり学校で誘われた。パーティーの招待にしてはあまりにラフな、昼休みに遊ぶ約束みたいな感じのお誘いだった。あの子にしてみればひとつでも多くプレゼントが欲しくて、私を誘ったのかもしれない。私はそういうのに誘われたのが初めてで、嬉しくて、帰宅して母に事情を説明し、プレゼントを買いに行った。ミニ四駆とかプラモデルとか、自分が貰って嬉しい物にしたかったけど、急な誘いだったし、親も社交的なタイプではなかったから、近所のスーパーでトラベル用歯ブラシセットを購入し、包装してもらうのが精一杯だった。彼の「これいらない」と、彼のお母様の「貰っておきなさい」というやりとりを私は忘れられない。とても恥ずかしかった。でも絶対その後使ったはずだ、、、、
「大学デビュー」なんて言葉があるが、かつての私は恥ずかしながらそっち側の人間だった。何もかもが新鮮で、その頃はよく呑んで語って、人の誕生日をバカみたいに祝ったりした。あまりに辛い現代社会の現実と当時の私のお調子の良さとのギャップを考えると、全くもって良い思い出ではない。
大学を出てからはアルバイトしながらダンスを続ける日々。貧乏暇無し生活。自転車操業のような毎日を送るうちに、何のために自分が生きているのか分からなくなってきてしまって、なんにも面白くなくなってしまった。誕生日が近づくと、自分が生きてる理由を探さなければ、誕生日をちゃんとやり過ごせないような気がして、ずっと息苦しかった。そんな風に生きてきた結果、いつの間にか誕生日は私にとって試練となっていた。
ところがどっこい、親になってからの私は、子どもが1つずつ歳をとることに希望を感じ、子どもの誕生日にはその希望を盛大に湛えた笑顔を振り撒いている。私の人生も折り返し地点を迎え、少しでも長く子どもの未来に携わりたいと強く思う。子どもの誕生日を心から祝うのと同じように、子どもたちが祝ってくれる私の誕生日のことも心から大切にしようと思う。
誕生日という試練は予期せぬ形で終わったが、また新たな別の試練が訪れるはずだ。だから、希望が溢れる日は恥ずかしがらずに盛大にハッピーにお祝いしよう。
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