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01 おじさん轢かれる
正月ムードもすっかり開けた、一月の夕方。 窓の向こうの景色が、オレンジ色に染まり始めている。 混む前のファミレスのテーブルに図面を広げ、余白にスケッチを描いている。
「こんな感じでどうでしょうか」
描きあがったスケッチをくるりと回して テーブルの対面に座るお客さんに向ける。 ほー、なるほどね、と心が動いたような反応。
頭の中のイメージを、そのまま相手に見せることができたなら 絵を描くことも、ぴたりと当てはまる言葉を探すことも、要らない。 絵を描き、言葉を尽くしても、全ては伝えられないのがもどかしい。 この仕事をしていて、いつも思うことだ。
今日の打合せは上出来だ。
十年前、従兄弟と一緒に内装工事の会社を立ち上げた。 主に店舗の仕事をしていた。 おれがデザイン担当で彼が施工担当。 どちらも営業兼任でやっていた。 小さい会社だけど仕事もそこそこあって、 可もなく不可もない経営状態だった。
七年前、結婚を機に従兄弟が安定収入を求めて 別の建設会社へ転職することになった。 おれは既に結婚していて子供も二人いて、 自分が取ってくる仕事だけでも生活できそうだった。 だから、一人社長で会社を続けることにした。
―――――
普段は長野で仕事をしてるのだが、 きょうは縁あって静岡まで出張している。 打合せは順調で、次回でプランが確定しそうな手応えだった。 二週間後に、と約束をしてファミレスを出た。
通用口近くの駐車スペース向かう。 配送トラックがゆっくりとバックしてきた。 バックモニターで見えているだろうと思って通路を渡る。 見えていないのか、そのまま突っ込んできた。
慌てて避けたが間髪避けきれず
トンッ
徐行運転のトラックに接触した。
音もなく、足元に直径2mほどの真っ黒い穴が現れた。 何もなかった地面に、スーッと。 沈むように身体が穴に吸い込まれる。 足元は光の反射もなく真っ黒だ。 地面に手を掛けようと両手を広げるも、穴が大きく手が届かない。 落ちるように頭の先まで穴の中に納まる。
なにもかもが真っ暗闇になる。
直後、ものすごい速さで振動するような感覚があった。
再び光を認識したとき、水の中にいた。 飛び込む音があったかどうか。 鼻から水を吸ってしまい、ゴボゴボと肺の空気を吐き出してしまう。 必死で足掻いて水面へ顔を出して息を吸う。
咽る。喉が塩辛い。鼻の奥が痛い。 息を整えようやく目を開けると、とんでもない大海原にいる。
見渡す限り、海、海、海、海。
陸地がまったく見えない。
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02 中年と海
ダウンジャケットを着ているからか、どうにか浮いている。 もう一度辺りを見回すも海しかない。 太陽は昇るところか、沈むところか低い位置にある。 東も西もわからない。海しかないのだから。
ひとまず生きている。 いや、一度死んでここにいるのかもしれない。 転生先が海。 海賊王にでもなればいいのか。
トラックに轢かれたら黒い穴に落ちた。 王道展開ならトラックに轢かれて飛び出た先は、 中世ヨーロッパのような街並みのはず。 剣と魔法で魔物を倒し、 たくさんの女の子に囲まれる物語が始まるはず。
ここが大海原なのは 穴の中が一瞬すぎて、女神さまに会えなかったから? それとも、異世界とはいえ陸地が出来上がる前の、 惑星誕生すぐの時代なのだろうか?
四十を過ぎてから、配信サービスで片っ端からアニメを観た。 ラノベも多少読んだ。異世界転移に驚かない心構えがある。 さあ、眷属のドラゴンよ、もう助けに来てくれていいんだよ? 若しくは妖精が現れて、空を飛ぶ能力を授けてくれるのかな? かろうじて海面へ顔を出して呼吸を確保しながら、 ファンタジーな救援を待つも、ナニカが来る気配がない。
―――――
どのぐらいの時間が経ったのかわからない。
寒いし疲れた。 波の音に交じって、遠くから羽虫の飛ぶような音が聞こえてくる。 音は徐々に大きくなってくる。
グレーの鳥が猛スピードで、羽ばたきもせず飛び去るのを見た。 あれは鳥でもドラゴンでも妖精でもなく、小さな飛行機だ。 おそらく偵察用のドローンだ。 映画で見たことがある。 ドローンにはカメラが付いているはずだが、 おれの姿を認識できなかったのだろうか。
いまはもう、はるか彼方へ飛び去ってしまった。
―――――
どれくらいの時間、浮いているのかわからない。
喉も乾いたし身体も冷えて寒いが、とにかく浮いている。
気まぐれに波が顔にかかるから、目を瞑っている。
伸ばした髪が口の周りを撫で��気持ち悪い。
飽きることなく繰り返される、波の音しか聞こえない。
―――――
耳に水がかかってはっきり聞こえないが、 水を掻きわけるような音が聞こえる。 徐々にはっきりと聞こえてくる。 ドドドドというエンジン音。 目を開けたが、眩しくて何も見えない。 ドドドドという音は近くまで来て、止まってしまった。
ドボンとなにか重いものが、勢いよく海の中に落ちる音がした。 ばしゃんばしゃんと近くで水を叩く音がする。 さっきのドボンは人だ。船が助けに来て人が飛び込んだのだ。 音の方へ身体を向けようとするが、うまく力が入らない。
男が叫んでいる、すぐ近くで。
脇の下にごつい腕が差し込まれて引っ張られる。
これは助かったんじゃないか。
状況はわからなかったけれど、なんだか安心した。
腕に引っ張られて、後ろ向きにぐいぐい進む。
そのうち何も考えられなくなった。
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03 モンテビデオ
目を覚ますと、白くてごちゃっとした部屋にいた。 視界はぼんやり靄がかかっている。 今度こそ神様が出てきてチート能力を授けてくれるのか? そう期待したが、どうやら違うらしい。
手の甲に点滴の針が刺してあるようだ。 指先を洗濯バサミのようなものが挟んでいる。 ピッ、ピッ、と機械の音が等間隔で鳴っている。 間違いなくここは病院で、集中治療室だ。
ひとまず、生きていた。 安心したらまた眠りに落ちた。
―――――
次に目が覚めて起き上がろうとしたら、 胸のあたりが痛くて呻き声が出た。 程なく白い服の女性が部屋に入って来た。看護師か。 ベッドの脇にある機械の数値を見ている。 おれを見てなにか言って、足早に部屋を出ていった。
すぐに白衣の男を連れて、看護師はまた部屋に入ってきた。 この白衣は誰が見ても医師だろう。えらく若い医師だ。 医師はポケットからペンライトを取り出して おれの瞳孔と喉の様子を見た。 軽く頷きながらおれに何かを言っている。 どこかで聞き覚えのある言語。
この人たちは外国人のようだが、いったいここはどこなんだ。 こんなに現代的な異世界アニメは見たことがない。
医師が丸椅子をベッドの脇に置いて腰かけた。 真顔でおれに向かってなにか言っている。 質問しているようだけど言葉がわからない。 首を傾げると「ネイムィズ?」と訊いてきた。 これは英語だな、うん英語だ。
「ハナダ、ミツル」
姓と名は逆のほうがよかったか?
「ハナダ、ミツル?アーユーフロム?」 「アイ、フロム、ジャパン」
医師と看護師が二人揃って驚いた顔をした。 年齢を訊かれたのだが 「フォーリーテュー」がなかなか通じなくて苦労した。
質問は続く。
「ハウ…♭□&×○☆:$%…ヒア?」
きっと、どうやってここに来たのか尋ねているのだろう。 なんと言えば、どう説明すればいいのだろうか。 黒い穴に落ちたと聞いて理解できるのだろうか。 そもそも、ここはどこなんだ?
ガラッとノックもなく部屋の扉が開いた。 軍服を着た男たちが三人、勢いよく部屋に入ってきた。
医師は椅子からスッと立上り、 おれを庇うような恰好で彼らの前に立つ。 軍服の一人が医師に何かを言っている。 医師は抗弁している感じがする。 軍服連中の目当ては、ポジション的にたぶんおれだ。 捕まるとヤバい感じがするのだけはわかる。
軍服と若い医師の押し問答を傍観していると、 老けた眼鏡の白衣が部屋に入ってきた。 おれを品定めするように一瞥すると、 軍服に向かって毅然と言葉を発した。 理路整然と、君たちに権限はない、そう告げているようだ。 軍服の表情が強張っているように見える。 軍服は到底納得なんてしていないが、 渋々といった様子で部屋を出て行った。
老医師はそれを見届けたらまたおれを一瞥し、 若い医師になにか告げて去っていった。
騒動の後、若い医師は丸椅子に座り直し、 プンスカした顔でなにかを言っている。 軍服連中か、老医師に向けて愚痴っているようだった。
改めて、どうやってここへ来た?と尋ねてきた。 答える前に、ここがどこなのか知るべきだ。 ウェアー?と言いながら両手で床を指さした。
「モンテビデオ、ウルグアイ」
若い医師はそう言った。 知らなかったの?という顔で。
「モン…」復唱しようとして声が詰まる。
ウルグアイだって? ウルグアイって南米じゃないか!なんでだよ… モンテビデオは確か首都だったような…
薄々気付いていたけど、やっぱり異世界じゃなかったー! しかも南米て… 視界が歪むのがわかった。
そして寝たまま倒れた。
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04 邂逅
目を覚ますと白っぽい部屋にいた。 視界はぼんやり靄がかかっている。 知っている、ここは病院だ。 ウルグアイのモンテビデオの。 右腕に点滴のチューブが刺さっていて、 左手の指先に洗濯バサミもある。 ただ、ICUから個室に移されたようだった。
―――――
病室の窓から見える街並みが薄暗くなってきた頃、 さっきと別の看護師がトレイを持って入室してきた。 ヘーゼルナッツ色の肌に栗色の髪を後ろで束ね、 髪と同じ色の目をした、妙齢のラテン系女性。 可愛らしくも、意思の強そうな顔立ちをしている。
彼女はテーブルをセットして、その上に夕食のトレイを置いた。
「ワタシ、パウラ。ニホンゴ、スコシ」
看護師は微笑みながら、そう言った。 確かに日本語で、そう言った。 この病室は十階以上の高さにある。 そのぐらいここは大きい病院のようだった。 看護師の中には日本語話者もいなくはないのだろう。
「日本語、とても、嬉しい、ありがとう」
「フフフ、スコシ、スコシ」
指でちょっとの形を作って彼女は笑った。 少し照れたような笑顔に見惚れてしまって、言葉が続かなかった。
じっとしていろという身振りの後、 洗濯ばさみを外してくれた。点滴はまだ外せないらしい。
「アナタ…♭□&×○☆:$%…グリエタス」
おれの脇腹を指さしている。 肋骨が折れていると言っているのだろう。 確かに深く息を吸うと痛い。 さっき起き上がるときも痛かった。
「コレ、ノム」
錠剤をトレイに置いた。きっと鎮痛剤だろう。 言われるままに錠剤に手を伸ばすと
「ノノノノ」
錠剤を取り上げ、代わりにスプーンを渡された。 ああ、食後に飲めってことか。 さっそく豆を煮たようなものを口に入れ、パンを千切って食べる。 味は言わずもがな、外国の病院食、といったところ。 半分ほど食べるまで見届けたところで
マタ、アシタ、と言って彼女は去っていった。
―――――
「オハヨウゴザイマス」 「おはようございます」
パウラさんが朝食を持ってきてくれた。 テーブルをセットして、朝食のトレイを置いた。 そして革表紙の厚い本をどさり、とテーブルの脇に置いた。 手を伸ばして中を開くと西和辞書だった。
「ワタシノ、オバアサン、ニホンジン、デス ワタシワ、ダイガクデ、ニホンゴ、ベンキョウ、シマシタ ホンワ、ハハノ、モノ、デス」
長い文章をゆっくりと日本語で説明してくれた。 発表会で上手にできた子供が、そうするような笑顔をしている。
「ありがとう。よく、わかりました。スペイン語、勉強しますね」
こちらも、ゆっくりと日本語で返事をした。 彼女は理解したようで、うんうんと頷いた。
そして、ガンバッテ、と言って錠剤をくれた。 まさかスペイン語を頑張らないと鎮痛剤くれないのか?
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05 争奪戦
朝食を済ませて辞書をパラパラと眺めていた。 トイレ行こうと廊下に出ると、 部屋の目の前に、パイプ椅子に腰かけた警官がいた。 不法入国者、逃亡の恐れあり、といったところか。
トイレに向かって歩き出すと後ろを付いてきた。 さすがに中にまでは入って来なかった�� 監視下に置かれているということがよくわかった。
―――――
昼食をパウラさんが運んできた。 ひとまず日��語で話しかけてみよう。 彼女はいつも通りテーブルの上にトレイを置いて なにか言いたげなおれを見て言葉を待っている。
「少し、話をする、時間はありますか?」
「Si」
お互いの日本語と英語、 そして西和辞書を使ったスペイン語を繋ぎ合わせて、 いまの状況についてパウラさんに説明してもらった。 三十分ほどかかったが、自分が置かれている状況がわかった。
まず、ここは大学病院の脳神経外科の病棟。 老医師が責任者であり、法的な執行力でもなければ おれは病人として、どこへも連行されないらしい。
軍服の連中はウルグアイ海軍で、 おれを海軍病院に移送させようとしていた。 なぜ海軍なのかは、発見したからだそうだ。 きっと黒い穴のことを探知して 偵察ドローンを飛ばしたら男が浮いていた。 そいつを追跡したらここにいた。 尋問するため海軍病院に移送したいのだろう。
パウラー!と廊下の方から彼女が呼ばれた。 お喋りもここまでだ。 後でね、というような一言を残して彼女は去ってしまった。
確かに老医師は海軍を追い払ってくれていた。 ただ、彼がおれを守りたいというよりは、 なにか事情があってここに留めているような気がする。
ぼんやりと考えながら、 トレイの上のすっかり冷めた昼食を胃袋に押し込んだ。
―――――
午後、辞書をパラパラと眺めていると、ドアをノックされた。 シーツの中に辞書を隠して返事をする。 水色のシャツを着た長身の男が入って来た。白人だった。
「初めまして、ハナダさん。私、ヨハンソンといいます」
パウラさんよりも流暢な日本語で彼は挨拶をしてきた。 情報量が多すぎる。頭の中で事態の処理が追い付かない。
「私、アメリカのNSAの者です。海軍からあなたを守りに来ました」 「NSA?」 「はい。国家安全保障局です」
無理だ。理解しようとする方が無理だ。 ひとまず彼に喋らせよう。それから考えよう。
「で?」 「あなたは、日本とアメリカにとって重要人物です。 ここで拘束されては、両国や同盟国が困ります」 「守るっていうのは?」 「明日の夜、ここからあなたを逃がします」
廊下をパタパタと歩く音がした。看護師だろうか。 ヨハンソンは物音を気にして椅子から立ち上がった。
「また明日来ます。明日の午前中に説明します」
早口でそう言うと、彼はそそくさと部屋を出て行った。 ドアが閉まる前、彼が警官に軽く頭を下げるのが見えた。 とにかく情報量が多すぎて処理が追い付かない。
海軍、警察、パウラさん含め病院の人、ヨハンソン。 選択を間違えてタイムリープするのがわかっていれば どのルートが正解なのかシラミ潰しにできるのに。
中年の転生は残機ゼロっぽいのが辛い。
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06 看護師に懇願
ヨハンソン来訪の後、若い医師の回診の時以外は、 辞書で必要な言葉を調べることに費やした。 まず『大使館』を調べる。 西和辞書なので、Aから順に訳の方へ視線を走らせる。 非効率だけど、これしか方法がない。 あった!Eでよかった!
『大使館』は『Embajada』
読みはたぶん「エンバハダ」で通じるだろう。
―――――
「ブエナス・ノーチェース」
陽気な声と共に、夕食を持ったパウラさんがやってきた。 対照的におれは思い詰めた顔をしていたと思う。 正直、焦っていた。 老医師の心変わりがないか不安だった。 ヨハンソンの脱出計画が不安だった。
テーブルにトレイを置きながら、 どうした?とおれの顔を覗き込んでくる。
「お願いが、あります」 「ココワ、シゴト、セックス、ヨクナイ」
間髪入れず窘めるような口調で、予想外の返事が来た。 なにを言い出すんだこの人… 患者がこういう雰囲気の場合、決まって誘われるのだろうか。 というか、看護師とのそういうのは万国共通なのだろうか。
「違います。大使館、エンバハダ、行きたい」
ん?とパウラさんの眉間に皺が寄る。 詳しく聞かせろ、といった感じでベッド脇の丸椅子に腰かける。
ヨハンソンの件を、例の如く辞書を使って話した。 敵か味方かわからない。かなり怪しいとは思うけれど 警察の見張りがいては大使館には駆け込めそうにない。 NSAという組織も知らないし、それが本当かもわからない。
あなたならどう考えるか尋ねる。
んー、と悩んだ後で、逆に質問された。
「アナタ、ナゼ、ウミ?」 「日本にいた。黒い穴、落ちた。ウルグアイ、海にいた。信じる?」 「アナ?」 「自分でもわかんないんだ。説明できない」
パウラさんはじっとおれを見ている。 照れてる場合じゃない。おれも視線を外さない。 目の前でチカチカと光が明滅した気がした。 緊張しすぎて眩暈がしたっぽい。
「アナタ、ワルイ、チガウ。タスケ、マス」 「ほんとに?ありがとう!」
そりゃそうだ。本人は怯えまくってるが、 彼女にしてみれば、おれが悪人なのか判断する必要がある。
「私を、助ける。あなたは、困る?病院、海軍、怒られる?」 「ソウカモ。タブン、ダイジョブ」
彼女は困ったような顔で笑った。 助けてくれと頼んでおきながら確認してどうすんだ。 やっぱりやめたなんて言えないくせに。
「ごめん。ありがとう」
申し訳なさそうにするおれを気に留めず、 トレーの上の錠剤をトントンと叩く。
そして「マタ、アシタ」と言って部屋を出て行った。
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07 脱出作戦
朝食を持ってきてくれたのは、パウラさんではなかった。 よく日焼けした肌の、恰幅のいいおばさん看護師だった。 おばさんの手首に髪を縛るゴムが掛けてあるのが見えた。 それを指して、貰えませんか?という媚びるような目を向けると
「Si、Si」と言ってゴムをくれた。
「グラシアス」と手を合わせて、さっそくゴムで髪を縛った。
入院してからずっと邪魔だった長い髪がようやくすっきりした。 おばさんはサムズアップをして「サムラーイ」と笑った。
―――――
予告通り、ヨハンソンがやってきた。
「おや?サムライみたいですね」
日本人が髪を縛るとサムライと呼ばれます。ここテストに出ます。 それはさておき、イニシアチブを握らないといけない。
「ここからどこへ連れていってくれるのか知らないけど おれは日本大使館へ行きたいです」 「はい。そのつもりです。 ですが閉館後では、身分証のないあなたは入れないでしょう。 だから今夜はセーフハウスで泊まって。明日、行きましょう」
なるほど、完璧じゃないか。この男を信用すれば、だけど。 じっと目を見るが表情はわからない。彼がスパイなら敵うわけがない。
「じゃあ、作戦を説明します」
大変にクレバーな調子でヨハンソンは脱出計画を告げる。 天井裏を這ったり、カーテンを縛って低層まで降りることはない。 一階のトイレで変装して、窓から出て救急車に乗る。以上。
「二十時に部屋を出て、トイレに行って一階へ降りればいいわけですか?」 「そうです。あとはこちらで準備しておきます」
用事は済んだと言わんばかりに、 「では二十時に」と囁いて、さっさと部屋を出て行った。
そもそも彼はどういう立場でここへ出入りを許されているのだろう。
―――――
「ゴハンデスヨー」
パウラさんが昼食を持ってきてくれた。眩しい。 朝のおばさんが悪いわけじゃない。彼女が美しいのだ。
ゆっくりと日本語で、今夜の作戦を伝える。 セーフハウスで一泊する、という部分に引っ掛かりがあるようだ。
「エンバハダ、トモダチ、イル」 「友達?日本大使館に?」 「デンワ、スル。トテモ、カワイイ」
彼女はウフフと笑って乙女チックなポーズをした。 情報量が多すぎる。処理が追い付かない。
「マス・タルデ」と言って、陽気に部屋を出て行った。
―――――
午後、老医師がやってきて、スペイ���語でなにか言われた。 説明義務みたいなものは無視しているのだろうか。 点滴の管がようやく外される。これでトイレまで楽になる。 車椅子に乗せられ下の階へ連れられていった。
辿り着いた先は、MRIの検査室だった。 技師に寝ろと言われ、装置の台の上で仰向けになる。 シュインシュイン音を立てておれを輪切りにする機械が動く。 何度か体験したことがあるが、 これを終えると超能力を授かった気分になる。永遠の中二病。
続いて別室で頭に電極を付けられて脳波測定。 老医師が波形を見て、目を見開いている。 やはり隠された能力が花開いてしまったらしい。
車椅子に再び乗せられて、元の部屋へ戻された。
―――――
「コミダー」
パウラさんが夕食を持ってきてくれた。 いつものようにテーブルを用意してトレーを置く。 取り出した錠剤を恭しくトレーの隅へ。
「お世話になりました」 「マダ、デス」
ん?様子がわからない顔をするおれに彼女は続ける。
「ワタシモ、イキマス。 マス・タルデ」
事態が飲み込めないまま彼女は去ってしまった。
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08 作戦決行
作戦決行の二十時まであと五分ほど。 夕食を食べ終わってからじりじりと、その時を待っていた。 すると、ノックもなしにパウラさんがやってきた。 いつもと恰好が違う。上はTシャツだが上着のようなものを持っている。 救急隊員の制服なのか。
「セーフハウス、ダメ。エンバハダ、オクル ソトデ、マッテ、マス」
また去ってしまった。 彼女にとってまあまあ危ない橋なんじゃないのか。 鼓動が早くなる。わけがわからない。 でも、この機を逃せば警察か海軍に連行される。 やらずに失敗するより、やって失敗しろ、だ。
―――――
病室のあるフロアのトイレにのろのろと向かう。 するとトイレの前にプラスチックの立て札が置かれていた。 清掃中の札だろうか。警官に苦笑いを向ける。 そしてエレベーターに乗り一階まで降りる。無論、警官も一緒。
一階のトイレの個室を端からチェックすると、 便器の脇に紙袋の置かれているブースがあった。 扉を閉めて鍵を掛ける。 音の出ない布の袋とかにしとけよ!と思いつつ、そーっと袋を開ける。 さっきパウラさんが着ていた制服と帽子が入っていた。 着替えを済ませて紙袋に着ていた入院着を入れ、腹に入れた。
ブースを出て、音を立てないように古い窓ガラスを開ける。 身を乗り出すと、さっき鎮痛剤は飲んだが肋骨が痛む。 我慢して、そっと外に出る。ドサっという音を立ててしまった。 身を低くして辺りを見回すと、 建物の角のところでパウラさんが手招きをしている。 なるべく早く、でも音を立てないように進む。
救急車の後ろのドアを開けてもらい、乗り込む。 運転席にはヨハンソンがスタンバイしている。 パウラさんも乗り込んで来たが、彼の表情は変わらない。
「では、行きます」
彼はそれだけ言って、車を発進させた。
―――――
すごく狭いというわけではないが、大通りではない道をゆく。 パウラさんは前を見て、どの道を走っているのか確認している。 そして、おれの手を握っている。
不意に携帯の着信音が鳴ってドキッとする。 パウラさんの携帯だった。 短いやり取りがあって通話が終わった。 バックミラー越しにヨハンソンの顔色を伺うが変化がない。 パウラさんに目を向けると、 大丈夫だから、というようにコクリとした。
さっきから大通りを避けている気がする。 警察も海軍も追ってきている雰囲気はない。 そろそろトイレ長すぎるだろって気付くはずだが。
交差点、赤信号で停車する。 おれの手を握るパウラさんの手にぎゅっと力が入る。 なにかが起きようとしているのが伝わる。 信号が青に変わった瞬間、 車は急加速して直進する。
「ヤメロイマヒナバ!」
パウラさんが叫んで、おれの腕を引っ張る。 後部ドアを開け、一緒に車から飛び降りる。 後ろから車が来てなくてよかった。
肩のあたりを地面に打ち付けたが、 パウラさんが抱えるようにしてくれたおかげで、他はなんともなかった。
「コレ!」
走れって言ってるのだろう。 パウラさんの方を見ると、地面にへたり込みながら右を指している。 右前方へ目を向けると、日の丸の旗がたなびいでいた。 まるで映画のワンシーンのように広い通りを突っ切り右方向へ走る。
建物がどんどん近づいてくる。 ヨハンソンの救急車も、警察車両も、見えない。 200mほど全力疾走して息が上がり始める頃、 日本大使館のすぐのところまで来た。 振り向いても、パウラさんはもう見えない。
「早く!こちらへ!」
若い女の子の声が聞こえた。 大使館の門の前で、若い女の子が手を挙げている。 何度も飛び降りた交差点のほうを見ても、パウラさんの姿は見えない。 ゼエゼエなりながら女の子まで辿り着く。
「ハナダ ミツルさんですね?」 「そう…です…」 「とにかく中へ」
鉄格子の扉が開いて、敷地の中に入ることができた。
「君が…パウラさんの…ともだちか?」 「そうです。ここの職員の、サクラです」 「すぐに、連絡を、してください… パウラに… パウラ…」
へたり込んで、髪がくちゃくちゃになって、 走れ!って叫んでるパウラさんの姿が、フラッシュバックする。
その姿は徐々に暗くなって、やがて真っ暗になった。
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09 在ウルグアイ日本大使館
知らない部屋で目が覚めた。病院じゃない。 起き上がろうとして、右肩がチリリと痛んだ。 その痛みで、ここがどこなのか理解した。
廊下に出て、あてもなかったが勘を頼りに歩いた。 職員らしき人を見つけて声を掛けた。
「サクラさんという職員の方を探しているのですが」 「ああ、サクラなら事務室にいます。案内しましょうか」
男性��後をついていく。 事務室に着くとサクラさんを呼び出してくれた。 目がくりっとした女子アナウンサーみたいなかわいらしい女の子が来る。 昨夜はまともに顔も見てなかったんだなと思った。
「もう起きて大丈夫なんですか?」 「はい。昨夜はありがとうございました」 「パウラのことですよね?」 「はい。彼女は無事ですか?」
声が震える。最悪の想像しか出てこない。
「平気みたいでしたよ。いま掛けましょうか?」 「え?繋がるんですか?」 「たぶん、出てくれますよ」
事務室の入口から廊下へ向かいながら電話を掛けている。 すぐに繋がったようで、一言二言なにか話をしている。
「はい、どうぞ」
携帯を渡された。
「パウラさん、大丈夫でしたか?」 「ハナダサン、エンバハダ、ホゴ、ヨカッタ」 「おれのことはいいんです!あなたは大丈夫ですか?」 「ダイジョブ。ゲンキ、デス。キョウモ、シゴト」 「よかった…」
心臓から血が漏れているんじゃないか、というぐらい胸が熱くなる。
「グラシアス。ムーチャス、グラシアス、パウラ」
「フフフ。ナーダ」
もっともっと感謝したい気持ちはあったが、言葉が出なかった。 携帯をサクラさんに返す。また一言二言話して通話は終わった。 泣きそうな中年を、サクラさんはにやにや眺めている。
「ありがとう」 「どういたしまして。あ、ちょっとここで待っていてください」 「はい?」
彼女は事務室に入っていった。
すぐに男性職員が出てきた。
「初めまして。私、マツモトと申します。 これからの予定などご説明したいのですがよろしいですか」 「はい。お願いします」
この後、シャワーを浴びて着替えるよう指示された。 昼食を挟んで、午後は面談がある。 シャワーを浴びている間に、着替えを用意してくれるそうだ。 これから寝泊りする部屋は、さっき起きた部屋。 案内するか訊かれたが、覚えてますと遠慮した。
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10 黒い穴の正体
指示通りにシャワーを浴び、用意されたシャツとパンツに着替えた。 昼食を食べ終わってぼんやりしていると、マツモトさんがやってきた。 では、参りましょう、と長い廊下を進む彼の後についていくと、 小会議室とプレートが付けられた部屋に通された。
中には、切れ長の目をした白髪のおじさんと、 その隣に年齢不詳の七三分けのおっさんが待っていた。 促されるまま白髪のおじさんの対面に座る。
「初めまして、私、フジワラと申します。こちらはサトウです」 「サトウです。よろしくお願いします」 「あ、ハナダです。よろしくお願いします」
フジワラさんは温和な顔でおれを見ている。 サトウさんは興味深々といった表情。
「いろいろ大変でしたね。もう身体のほうは大丈夫ですか?」 「そうですね。いろいろありすぎて、あちこち痛いです」 「まさかご自分でここまで来られるとは。素晴らしい行動力です」 「いえいえ、こちらに来てから人に助けられてばかりで。 命の恩人がどんどん現れるので、死ぬまでに恩返しができるかどうか」 「そういうものは世の中を巡るものですから。精一杯生きていれば自然と」
まるで坊主の説教を聞いているようだった。しかし何者なんだこの二人。 大使館の職員とは違う気配をしている。 外交とか政治とかそういう匂いがしない。よく知らないけど。
本題に参りましょう。正体不明の二人との面談が始まった。
「まずは、こちらへ来た経緯についてお聞かせ願えませんか。 できるだけ詳しくお願いします」 「覚えている限りになりますが」
そう前置きして、微に入り細に入り経緯を話した。 ぶつけた記憶がないが、なぜか肋骨が折れている話もした。 フジワラさんは話を黙って聞いていた。 時々小さく頷いて、手持ちの情報と齟齬がないか確認しているように見えた。 サトウさんはひたすら議事録かなにかを入力をしている。
一通り話終えた後、 反芻するように黒い穴が開いたときのことを確認してきた。 熱を感じなかったとか、痺れる感覚はあったか、 焦げるような匂いは感じたか、そんなことを訊かれた。 一瞬すぎてどれもわからないが、熱や匂いは感じなかったと答え、 高速で振動する感じだけは覚えていると付け加えた。
「ところで、不法入国の疑いのある私が なぜ入国管理局ではなく、海軍にマークされたのでしょう」 「それは、あなたが特別な人間だからです。 いま、世界中があなたの身柄を欲しがっているはずです」
特別な人間… なんの話だ。こんな中年どこにでもいるだろう。 海軍が動いているということは、軍事的な価値があるってことなのか?
「あ、もしかして、単独で溺れることなく海に浮いてたからですか?」 「ははは。言い方を間違えましたかね。あなたは”特別な存在“なのです」 「いや、同じじゃないですか」 「いいえ、違いますよ。では、ワームホールという言葉はご存じですか?」
えっ!?なにそれ?急に?映画に出てくるワープの穴だよね。
「ええ。言葉だけは映画なんかで知っています。 空間を繋げる穴というか、球体なんでしたっけ?」 「はい。離れた空間を繋ぐものとされています。 物理学や量子力学で研究されていますが、実験的な検証はされていません。 最新の理論をご説明いたしますと…」
フジワラさんは、ワームホールの仕組みについて丁寧に説明してくれた。 生成には何通りかの可能性があるようだった。 超ひも理論とか負のエネルギーとか、全然わからなかった。 ブラックホールとホワイトホールという話が一番わかりやすかった。 でもブラックホールって太陽ぐらいのすごいデカいものじゃなかったか。
「もしかして、駐車場の穴がワームホールだった、ということですか?」 「我々はそう考えています」
フジワラさんは大真面目な顔でそう言った。サトウさんは手を止めている。 これだけ賢い人がそう言うのだから、あれはワームホールなのだろう。
異世界のイの字も出てこないのは口惜しいけれども。
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11 チートじゃない能力
フジワラさんのワームホール講義はさらに続く。
「実は、ワームホールを人為的に発生させている、 と推察される事例が、十二年前からありました」 「人為的?さっき検証されてないって…?」
十二年前からワームホールの目撃情報があるそうだ。 その際には、発生地点に大き目の磁力異常が観測され、かつ、 発生の直前に複数の人工衛星に不審な電波が発信されているため、 人為的に発生させていると捉えて調査研究をしているそうだ。
今回はアルゼンチン東南海域と、立ち入れないお隣さんが想定されていた。 フジワラさんたちはアルゼンチン東南で船に乗って観測していたが、 モンテビデオ東海域で発生したと連絡があり、急遽こちらへ来たそうだ。
「本来でしたら彼の国に発生するはずのものが、なぜか浜松に。 こちら側も、浜松の対蹠点よりも1000km近く内陸にズレています」 「いままでは必ず地球の反対側同士だったということですか?」 「緯度経度が正確に特定できていませんので、概ねですが、そうです」
ワームホールの話はわかった。それとおれの話が繋がらない。 確かにワームホールは体験したが、超人的な能力を身に着けたわけでもない。
「さきほどから、私が特別視される理由が全く見えてこないのですが…」 「ハナダさんはワームホールを”初めて通った人間”だから特別なのです」 「そうなのかもしれないですけど、穴に落ちただけで特別ってことは…」 「そうですねえ、”ワームホールを通過することができた人間”、 と言えば様々な組織から興味を持たれる理由がおわかりいただけますか」
ああ、そういうことなのか。後から人類全員が通ることができたとしても、 現時点では、おれ以外は通ったことがないから特別扱いになるわけだ。
特別である理由がおれ由来でないことを知って、ちょっとガッカリした。 あの黒い穴は呼び寄せたものじゃないし、自ら穴に落ちたわけじゃない。 よっぽど大海原で命からがら生き延びたことを褒めて称えて欲しいものだ。
―――――
二人に会ってからずっと気になっていることがある。
「あの、つまんないこと聞いてもいいですか?」 「はい。答えられる範囲であれば」 「お二人は大使館の職員じゃないですよね?どちらの方なんですか?」
物理や量子力学に詳しくてワームホールの解説ができる人が、 異国の大使館の職員ということはないだろう。
「ああ、そこをお伝えしていませんでした。 失礼、京都で物理学の大学教授をしております」 「やっぱりそうなんですか。ということはサトウさんも?」 「はい。先生と同じく京都で機械工学の特別准教授をしています」
科学に詳しい理由が腑に落ちた。 しかし海外の大使館��で来て、おれと接触するほど緊急性のある話なのか?
「今日の面談は、私が帰国してからでもよかったのではないですか?」 「私は本来の専攻が物理学ではなくて軍事科学ですから、 どこの国や組織よりも先に、あなたに接触したかったのです」 「軍事科学?」 「既にあるものや未知の攻撃手段から、物理学や量子力学を用いて どのように防衛、または無効化するか、という研究をしています」 「そんな分野があるのですね」
「例えば、ワームホールを使った軍事行為にはどういったものが 思い浮かびますか?」
教授は、なにかを期待しているような顔で尋ねてきた。
「んー… そうですね、 夜にホワイトハウスに侵入して寝ている大統領を殺す、ですかね」
「ご明察。まさにそれなのです。物理的な防御ができないのです」
大当たり!と言わんばかりの様子だ。 なにか含みでもあるのだろうかと思っていると、真剣な顔で言う。
「ハナダさんには、その暗殺者になる資質があります。 お会いするまでその心配がありましたが、今は安心しています」 「現時点では特攻隊ですよね。帰れないじゃないですか」
よほど安心したのか、特攻隊ですか、ははは!と笑っている。
「人間だけとは限りません。火を点けたダイナマイトを投げ込めばいい。 その脅威から防御するため、出口を塞ぐなどの技術が必要となります」
これはなんだ。特別と言っておきながら否定している。 なにが言いたかったのかわからなくなった。
「帰国の準備が整うまで、ここで保護してもらってください」 「文無しで逃げ出しても、捕獲されて解剖されるだけですから」 「解剖と言われるとお願いしづらいのですが、是非検査にご協力を」 「お世話になるわけですから、協力するのは当然だと思います」
彼らは大使館職員ではない。 だけどこの国でおれを使って研究するならここしかない。 で、それを大使館が認めているってことは、日本という国が ここでおれを使って研究をする必要があると考えているのだろう。
「これからしばらくの間、よろしくお願いします」
テーブル越しに差し出された手を、こちらこそ、と握った。 フジワラ教授の手は冷たかった。末端冷え性なのだろうか。
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12 大使の外交
面談が終わって事務室に顔を出すと、 マツモトさんに今日は休むよう言われた。 明日に大使の時間が取れたから、午前中に面談するそうだ。 午後はフジワラ教授にお願いされていた検査の予定。 疲れが抜けてなかったようで、早めに寝た。
―――――
予定の時間に部屋を出て、マツモトさんに執務室まで案内される。 彼がノックをして「お連れしました」と呼びかけると、 「どうぞ」と返事があった。歓迎はされてなさそうな声色。 ドアを開け中に入る。社長室みたいな感じの部屋だった。 促されてソファに座る。��らかいけれど座り心地がいい。 マツモトさんは一礼して去っていった。
「初めまして、大使のシバタです。ようやくお会いできました」
大使が名乗ったとき和太鼓がデデンと鳴ったような気がした。 甲冑が似合いそうな、戦国武将っぽい人だ。
「ハナダです。保護してくださり、ありがとうございます」
恭しく頭を下げて礼を言った。まじ感謝。
大使はこちらが気になっていることを、簡潔に説明してくれた。 ウルグアイの海軍、警察、入管とは話がついたそうだ。 不法入国は強制退去という入管法の大原則に則れば、 帰国の段取りに入ったなら文句はないそうだ。
アメリカ、つまりNSAからはクレームが入ったそうだ。 盗人猛々しいとはこの事だ、とは思ったが、 外交上は「脅威を抱え込んだ」という苦しい立場のようだ。 ここ数日、おれの対応に追われて他に手が付かない、と厭味を言われた。
大使の圧が強くて喉が干上がってきたところへ、 サクラさんがお茶を運んできてくれた。ありがたい。 ついでに大使のお喋り相手も…と思っていたらすぐ行ってしまった。
「そういえば、日本のご家族への連絡はまだでしたか」 「はい。タイミングがなかったものですから」 「いずれその時間を用意しましょう。ごく短い時間にはなります」 「構いません。説明は帰ってからになるでしょうし、 ひとまず無事が伝えられれば十分です」
大使との面談は続く。だが、なかなか帰国の話にはならない。
フジワラ教授の話題になった。 彼の研究は確かに国益になってはいるが、 共同研究国に余計な情報まで晒してしまうのがな、と愚痴っていた。 とはいえ、館内のスペースをあれだけ自由に使わせているあたり、 余計な情報込みで協力関係に役立っているとも思っているのだろう。 フジワラ教授はこの武将を以てしても御し難い人のようだ。 彼のそばにいよう。
「ところでハナダさん、ここで働く気はありませんか」
いくら保護対象とはいえ、タダ飯食わせる理由はないということか? 大使が言うには、飯代を稼げと言っているのではなく、 脅威になりうる人間だから日本へ帰して自由にさせたくない、 そう諸外国は言っているそうだ。主にアメリカ(NSA)だろう。 だから、ほとぼりが冷めるまでこっちに留まれと。
こんな能無しの中年捕まえて、言いがかりも甚だしい。
「ちょっと考えさせてください」 「ご家族をこちらに呼ぶのであれば、そちらの手配はするので」
「それも含めて、考える時間をください」 「生憎、時間はあると言える状況ですから、よく考えてみてください」
礼を言って執務室を出て部屋に戻った。
おれの身柄が日本にあるという状況が好ましくないという。 解析して鉄砲玉を量産することを懸念しているのだろうか。 拳銃もないのに弾だけばんばん作って何になるというのだろう。 そもそも本当に脅威に感じているなら反目に回らないだろう。
昼飯の時間まで、現状を把握して解決策を��ることに費やした。
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13 異常検出
昼食のあと少し休憩して、 様々な検査機器が運び込まれた広い部屋に通された。 そこでフジワラ教授から、検査内容について説明を受けた。 血液検査、細胞採取、尿検査、内視鏡検査、骨髄液検査、脳波測定 あと身体測定。 知能検査とカウンセリングもあるようだが、明日以降になるとのこと。 MRIやCTもやりたいそうだが、館内に絶縁工事ができないらしい。 それらは検査車両が病院から借りられたら行うと言っていた。 来週には仮面ライダーになれそうだ。
まずは身体測定。身長、体重などを計測。視力、聴力なども計測した。 次に血液検査のための採血をした。 そして細胞を採るために口の中の粘膜を採取。 骨髄液を抜くと聞いたとき、フジワラ教授にハメられた!と思ったが、 その前に行った脳波の検査で数値に異常が出たらしく中止になった。
フジワラ教授が検査員とモニターを見ながらやりとりをしている。 そういや、病院でも老医師が目をひん剥いていたなこの検査。
「ハナダさん、頭痛はないですか? クラクラしたり、ボーっとするとかは?」 「いや、至って普通ですけど。血を抜いたからですか?」 「いえ、脳波の検査で、ベータ波が非常に活発というか、 脳が暴走状態になっているという結果が出まして」 「え!?ぜんぜんそんな感覚ないんですけど」 「MRIで血流を見ないとはっきりしたことは言えないのですが、 普通なら脳の血管に相当な負担がかかっている状態です」
教授はそう説明して、また波形の確認をしている。
これって… 普通の人間が使っていない、残り70%の力が引き出されているやつか? すぐ近くで作業をしているサトウさんの肩をトンと突いてみた。 彼はすごく嫌そうな顔をするだけで、肩口が爆発するようなことはなかった。 修行もなしに、一子相伝の暗殺拳の使い手にはなれないらしい。
ふざけてるおれに、教授が歩み寄って来た。
「やはり脳の状態が気になります、他の検査はキャンセルします。 今日はもう部屋で休んでください。 頭が痛くなったり、鼻血が出たらすぐ人を呼んでください」 「鼻血ですか…わかりました。とにかく休んでおきます」
まるで天才脱獄囚のあの弟のようだな。 暗殺拳じゃないとすると超人的な記憶力でも身に着けたか。
しばし空想に耽っているおれの様子を、教授はじっと見る。 目の前で火花がパチパチとした感覚がした。 パウラさんといたときも似たような感じがあった。 緊張による眩暈なのか、脳波の異常がこれを起こしている��か。
―――――
検査の広い部屋を出て、宿泊室に向かう。 廊下を歩いていると、サクラさんに声を掛けられた。 少し待つように言われ、そのまま廊下で待つ。 廊下に立たされるのは小学校以来だ。いまの子も立たされるのだろうか。
「これ、忘れ物だって。パウラから」
西和辞書を渡された。これは借りたものだと思っていた。 お母さんの遺品だと言っていたが、いいのだろうか。
「ありがとう。勉強しますって伝えてください」 「はい。それにしても気に入られてますねー パウラとなにかあったんですか。告白した、とか?」
彼女は悪戯っぽく笑った、そう描写される顔ってこんな感じか。
「なにもないよ。勝手に勘違いされて、セックスダメって言われたけど」 「えー、なにそれ…」 「病院から逃げたくて深刻な顔してたら、勘違いされた」 「パウラ… まあ、誘われちゃうんだろうな」
「そういえば、パウラさんはあの夜、なんて連絡してきたの?」 「事故でウルグアイに来た日本人が大使館に保護を求めているから、 助けてあげてって」 「すごい、完璧な説明だね。パウラさんて賢いんだなあ」 「そうですよー。 パウラは医学部の研修医でもかなり優秀だったらしいですから。 でも看護師になりたくなって看護学部に編入したんだって」
「サクラちゃんは、どこで知り合ったの?入院したとか?」 「違いますよ。美容院が同じなんです。そこで日本人?て話し掛けられて」 「病院じゃなくて美容院なんだ。日本人が気になるんだねパウラさん」 「うん。ルーツがあるから、日本人の友達できて嬉しいって言われました」
とても話しやすい子だ。姪っ子ぐらいの距離感がある。
「ところでさっき、サクラちゃん、て言いました?」 「あっ。すみません。なんだか話やすくて」 「いいですよ。さん付けされるの、おばさんになった気がするから」 「それは、おれがおじさんだっていう…」
また何かあったら声掛けてくださいと彼女は去っていった。
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午後は、宿泊室で辞書を眺めながら過ごした。 天才脱獄囚弟のような記憶力は授かってなさそうだった。
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14 心配される
午前中、予定だったのでカウンセリングを受けた。 日本へ帰国すれば、今の悩みは全て解決するのだから意味がないと思った。 カウンセラーのおじさんも、手応えがないといった様子だった。
午後は昨日に引き続き検査。 帰国に他国が干渉してくる件について相談したくて フジワラ教授を探したが姿はなかった。 脳波の測定をしたところ、やはり異常数値が出た。 相変わらず暴走しているそうだ。
今日はCTもやった。どこからか車両が借りられたようだ。 脳の血管の状態は普通ぐらいだそうで、検査員は訝しがっていた。 暴走状態なら血流も激しくなるらしいが、そうではないようだ。 肋骨は折れてはいなくて、ヒビが入っていた。 そこそこ治ってきているという。
骨髄液の採取は脳波が落ち着かないとできないという判断だった。 内視鏡は明日やるとのことだった。明日の朝食は抜きだそうだ。
夕食後に宿泊室にいると、マツモトさんが来た。 これから日本の家族に連絡を取っていいそうだ。 いまは土曜の二十時、あちらは日曜の八時か。なるほど。 応接室に案内され、日本への連絡方法を教えてもらった。
―――――
固定電話の受話器を上げ、81に続いて奥さんの携帯へ掛ける。 謎すぎる番号からの着信、出てくれないかもしれない。 数回コールがあって、繋がった。
「はい。もしもし」 「あ、おれ、ミツルだけど」
まるで詐欺みたいで切られそうだったが、そうならなかった。
「どうしたの?いまどこ!」 「あ、うん。事故しちゃって入院してるんだ」 「事故?大丈夫なの?相手は?」 「うん、大丈夫。単独だから、誰も、平気」 「お金は?着替えは?保険使えそう?」 「あ、うん。お金は、うん、だいたい大丈夫」
「無事なのね?」 「うん、ごめん。携帯もダメにしちゃったから連絡できなくて」 「心配させないでよ!ぜんぜん繋がらないし!LINEも既読にならないし…」
ついに泣き始めてしまった。 心配かけでごめん。とにかく身動きが取れないでいること、 帰る目処が立っていないこと、"病院"の人たちは親切なこと、 僅かな時間で話せることだけ話した。
そろりとドアが開いてマツモトさんが覗き込んでくる。 もう時間切れなのか。ドラマの逆探知防止ぐらいの短さだ。
「ごめん、もう時間だ。必ず帰るから。子供たちにも伝えて」 「うん… わかった… 気を付けてね」
受話器を置いた。マツモトさんが申し訳なさそうにしている。 お礼を言って応接室を出た。
明日は、日曜で予定がない。 じっくりと帰国する方法を考えよう。
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休館日の大使館は静かだった。
宿泊室で状況を整理しながら作戦を考えている。 脅威だとありもしない価値を付けられて、外交の駒にされて帰国できない。 だったら、交渉の余地がないぐらいに脅威の度合いを水増しするか。 それとも、脅威でもなんでもないですよ、と価値を下げるか。 価値を下げると相手次第になってしまうから下策だな。 相手が外交の世界で海千山千なのだから、それを越えていかないと。
おれは世界でただ一人「通った人間」だから脅威なんだ。 それを上手く利用すれば自らの建前で首を絞め、邪魔ができなくなるはず。 それには価値をブチ上げる仕込みが必要だ。 あとは交渉相手の個人的な情報も入手したいところ。 国のために役人が財産や家族を犠牲にした話は聞いたことがない。 彼らは窓口でしかないのだから。
よし。明日の朝イチでサクラちゃんに大使のアポを取ってもらおう。
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15 戦支度
サクラちゃんに大使のアポ取りをお願いすべく、事務室へ。 PCでなにかの作業をしている彼女に要件を伝える。 大使に内線で連絡を取ると、今から少しなら時間があるとのこと。 都合よければ同行して欲しい、とお願いする。 なぜ私が?という顔のサクラちゃんと一緒に執務室へ向かった。
大使の執務室にサクラちゃんと入る。 おや?という顔を向けながら、ソファに座るよう促す大使。
「お話というのは一昨日の件ですかな」
留まるしか選択肢はないだろうと思っているのか、本題から入って来た。 採用の件ではなく、お願いがあって来ましたと告げる。
「交渉会議をここで開いてください。各国と繋いで。 外交とか事情はわかるつもりですが、おれ自身には縁遠い話なんです。 おれが国を守ったり攻撃したりできるわけないと、直接話がしたい。」 「相手はそう考えていないから難しいのです。あなたは脅威で…」 「買い被りすぎですよ。ただ口実にしているだけ。うんざりです」
言葉を遮って、気圧されないように眼に力を込めて言った。 そんなことは百も万も承知だろうけど、敢えて言った。
おれは「ぼくのかんがえたこうりゃくほうほう」を説明した。 それを実行する準備と、参加者の調査、招集の連絡をお願いした。 サクラちゃんにはその場で、会議の通訳のお願いをした。 すごく嫌そうな顔をしている。ごめんね。
大使は半信半疑、いやもっと疑いを持った面持ちで思案している。
「個人情報は難しいですね相手が相手なだけに。名前ぐらいなら」 「名前がわかれば、ハッタリとしては有効じゃないですか?」 「ええ、まあ。効いてくれることを願いますよ」
半ば呆れているようにそう言うが、 どこかに勝算を見出している気がする。強かな人だ。
「開催は最短でいつぐらいになりそうですか?」 「あちらも避けられない予定もあるでしょうから一週間は必要でしょう」 「わかりました。では3日後で手配をお願いします」
最初から主導権を握らなければ出席すら危ういと、熱弁をふるった。 納得した大使の頭の中で、ホラ貝の音が鳴り響いていることだろう。
よろしくお願いしますと深々と頭を下げ、サクラちゃんと執務室を出た。
―――――
彼女はとても不機嫌だった。口を聞いてくれる気配がない。 廊下をツカツカ進み、事務室の前に戻ったとき、ようやく口を開いた。
「仕事だからやりますけど… 本当はすごく嫌なんですからね!ここ辞めたいぐらい嫌!」 「ごめん。でもおれにはサクラちゃんしか頼れる人がいなくて�� 「私じゃなくても、もっと英語が上手い人いますよ! 同時通訳とかすごく難しいんですから!あーもー無理!」
おれの様子を知っていないと、ニュアンスが汲み取れない。 サクラちゃんはコミュ力が高いから、そういう機微が読み取れる。 嫌がる彼女を必死で説得した。
「じゃあ、有給を貰ってください。1ケ月。一緒に日本まで帰ります」 「うん。わかった。必ず貰えるように話をするよ」 「絶対ですからね!すごく嫌なんですからね!」
喚くように言い放って事務室へ入っていった。
休暇の件は、まあ、なんとかなるだろう。 大使の留飲を下げるのは彼女になるだろうし。
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16 粛々と
10時頃、内視鏡検査を受けた。考案者は日課にしろ。 カメラを操作していた係員が何も言わなかったところをみると、 異常なしなのだろう。
昼食後に検査を受けに行くと、きょうはフジワラ教授がいた。 昨日の不在は、大学病院へMRIの車両を借りに行っていたからだそうだ。 かなり希少な車両らしく、断られたと苦笑いをしていた。 ただ、病院に担ぎ込まれた際に撮影した画像は見せてもらえたそうで、 脳内の血管の様子を確認したが異常はなかったらしい。 きょうの脳波は少し落ち着いてきたようで、標準の幅の上限ぐらいのようだ。
なので骨髄液の採取は今日もパス。よかった。
一通り検査を終えた後、帰国に向けて、 各国との直接交渉を行うことについて教授に説明した。 その場に参加して欲しいこと、そこで一芝居打って欲しいことをお願いした。 全く興味深いですね、あなたは、と相好を崩して引き受けてくれた。 おれを特別だと言ったのは教授なのだから、担保してもらわないと。
用事も済んで、宿泊室に帰ろうかと思ったが 広い部屋の隅で、ぽつんと作業をしているサトウさんが目に留まった。
「お疲れ様です。サトウさんは一人で作業なんですね」 「ええ。そうですね。ここでは一人でやるしかないです」
フジワラ教授とサトウさんの研究内容は、関連はしているが違うようだ。 少し気になっていた二人の関係について尋ねてみた。
「サトウさんはフジワラ教授の生徒だったんですか?」 「違いますよ。今の大学は私の母校ですが、当時教授はいませんでした」 「じゃあ、別の大学から来たってことですか」 「いいえ。物理学の教員募集で一般職から採用になったんですよ」 「そんな採用があるんですね」 「教授はそれまで独学で勉強してたそうです。大した方ですよ」
師匠と弟子って感じはしなかったけれど、 道場破りがそのまま居ついて師範になった感じだったんだ。 お邪魔しましたと言ってその場を去った。
長い廊下のかなり向こうにサクラちゃんがいた。 こちらに歩いてきてたはずが、ゲ!と声を挙げて向こうへ逃げてしまった。 入れ替わりにマツモトさんがこちらに歩いてきた。
「あまり、いじめないであげてくださいね」 「いや、あの、すみません。頼み事がしやすくて、つい」
お互いに苦笑いをして、ハハハと乾いた笑い声が廊下に消える。 なにか用事があるのか尋ねられたので 日本での仕事相手にメールを送りたいと相談したら、ここからは無理だけど 自宅からなら送ることはできる。でもIDやパスワードを教えるのが嫌なら... そこで言葉を遮って、全く問題ないです!とそのやり方でお願いした。 原稿とIDとパスワード、相手先の社名を紙に書いて渡せばいいか尋ねると、 それならとマツモトさんは引き受けてくれた。
コピー用紙を何枚かとペンを貰って宿泊室で原稿を書いた。 これまで請けた仕事を途中でキャンセルしたことはなかった。 だが今回ばかりは、いつ帰れるかわからないから仕方ない。 事情が書けないのは悔しいが、なるべく誠実に謝罪文をしたためた。
夕食前に事務室に寄って、原稿をマツモトさんに預けた。
「お手数ですが相手のメールアドレスは、社名で検索してください」 「承知しました。今夜送っておきますので」 「助かります。サクラちゃんに断られたら、マツモトさんを頼りますね」
え?と固まるマツモトさんに一礼をして事務室を出た。
―――――
会議までの二日間で、脳波は毎日測定、細胞検査を一回だけ行った。 脳の暴走状態は治まり、やや活発程度になっているそうだ。 フジワラ教授とは二回目の脳波測定のときに会った。 仕込み内容について、嘘がバレないラインについて話し合った。
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17 帰国交渉1
おれの身柄に関する交渉会議の日が来た。 会議室にプロジェクターを設置して、 各国代表者と会議ができるようにしてもらった。
おれとサクラちゃんは、ヴェネチアンマスクを付けている。 これを着ける理由がわからないと、サクラちゃんは困惑している。 おれだけだと恥ずかしいからなんだけど、身バレ防止に必要だと言った。
さあ、あとは話し合うだけだ。 その前に大事なことをサクラちゃんに伝える。
「もしおれが汚い言葉を使ったら、そのままのニュアンスで伝えて」 「スラングとかあんまり得意じゃないけど… やれるだけやってみます」
脅しやハッタリは最終局面まで取っておこう。 最初から粗暴な感じでは効き目が薄いだろうから。
定刻になる前に、出席者が続々とスクリーンに映し出される。 日本はフジワラ教授、アメリカは国家安全保障局、イギリスは秘密情報部、 カナダは安全情報局、オーストラリアは保安情報機構、事務方のトップ級。
案内には「決裁権者しか参加を認めない」としていた。 送付先は大使に一任したから、こんな人数が出てくるとは思ってなかった。 これを順番で説得していたら、それは時間がかかるだろう。
とんだ苦労をおかけしましたね大使。
カメラに映らない位置で控える大使に向かって頭を下げた。 こちらの意図を察してか、まあよい、と頷いてくれた。さすが武将。
―――――
サクラちゃんに合図を送り、会議を始める。
「忙しい中、こうして時間を作って頂き感謝します。 初めましてハナダ ミツルです。議長は私が務めさせて頂きます。 通訳の都合上、発言は挙手の後、指名されてからお願いします」
サクラちゃんが復唱し終えるまで言葉を切る。
『なお、この会議は非公式ですが、ここで決まったことは絶体遵守で お願いします。約束を破れば、必ず報いを受けてもらいます』
国の重要ポストに就いてるお歴々だけあって、こんな脅しビクともしない。 これに参加したのも、一目見ておこうぐらいの腹積もりなのだろう。 だけど、こっちは割と必死なんだ。それを知ってもらおう。
『私はテロリストではありませんが、約束が反故にされた場合、 以下の人物の安全が脅かされると肝に命じてください。 キャサリンさん、オリヴィアさん、ゾーイさん、マデリーンさん』
どいつもこいつも固まってる。クフフ。 嫁や娘、孫が危ないって脅されたら、国もヘッタクレもないよなあ。 おれに国を背負わせた罰を食らいやがれ。
―――――
『では初めに、私の身柄をアメリカに預けるとしましょう。 それが脅威だと感じる方がいらっしゃれば申し出てください』
ザワ… ザワ… ザワワ・・・ スクリーンに映る連中があれになっている。
『おや?おかしいですね。どなたも挙手なされないとは… では、日本に私がいることが脅威だと感じる方は?』
そりゃそうだよな。何も言えないよな。 お歴々は、画像止まってる?というぐらいに固まっている。 これもしかして、ここで終了じゃね?
『じゃあ、日本への帰国に協力して頂けますか? カナダを除いたいずれかの国で給油の必要があるかと思います。 是非、ご協力頂きたい』
ここでアメリカが挙手。指名する。
『我々はあなたを安全に帰国させるための作戦を行った。 局員からの説明もあったはずです。だが、あなたはそれを無視して 日本大使館へ入った。これは裏切り行為ではないか?』
言いがかりだ。そんな上っ面な話をする場じゃない。
『お聞きしますけど、なぜ日本大使館へ保護の要請をしなかったんですか? 閉館だから入れないとヨハンソンは言いましたが、実際は入れました』
『それはウルグアイ警察と海軍との緊張状態を回避するための処置で…』
サクラちゃんが通訳してくれているのを途中で遮って
『コラおっさん!おまえのところの詐欺師が騙せなかったのは、 おれが信じなかったからだって、どういう理屈だよ。 キャサリンだって、どっちが間違ってるかわかるはずだぞ』
サクラちゃんをチラリと見る。ぐへぇと物凄い嫌な顔をしている。 しかし、彼女は幾分トーンを下げてNSAの事務方トップに啖呵を切った! すごい!えらい!そのままなのか知らんけど、がんばった。
大使が、スクリーン脇で頭を抱えている。
アメリカの代表者は、絶対許さないという意思の篭った眼をしている。
『ですが。見張りを立てられて身動き取れなかった私を外に連れ出して、 ここまで運んだくれたことに、誤解があったにせよ感謝しています。 さきほど汚い言葉を使ったことお詫びします』
頭を下げ、サクラちゃん���チラリと見る。安心した顔をしている。 各国の代表者、大使も含めて、おや?という安堵が見て取れる。
アメリカ以外は傍観者なのがよくわかった。 ここからが本番だ。
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