Tumgik
dokushokyuka · 2 years
Text
〈滅亡と救済〉 至る処が絶望的な地衣に充たされてゐて わたしたちの流亡を感じるこころがゆくべき処をうしなつてゐた 愛くるしい振光によつて星たちがじぶんの位置から わたしたちの途絶えがちな憩ひのうへを包んでゐた わたしたちは思つた 流亡の群れと救済する手のことを 遠い時間のむかうに何かをまち望むことによってわたしたちの滅亡は 了ることはない 救済の手によつて泥土にまみれたわたしたちのこころが拾ひあげられることはない わたしたちはじぶんの行方を現実的にえらびながら 歩まねばならなかつた 愛する者たちが未だ硝煙の匂ひを予感しないことが わたしたちを不安にしたり時には限りない憩ひのやうにも思はれた だからわたしたちは語りあつた 暗い永遠を歩んだひとのことや六月のオレンヂ色の果実のことを そうして無益である時間が了つてしまふのを愛惜した 手造りの円椅子から立ちあがつて わたしたちの窓の外の荒涼とした時代のなかへかへらねばならなかつた わたしたちは破滅の季節の方へ逃亡してゐた 救済はいつも過去の方向からわたしたちを魅惑した わたしたちはたぶん六月の空にちらばつた星たちのしたで いつまでも反逆と瞋りとを燃やしてゐなければならなかつた (397-398p)
吉本隆明『吉本隆明全集〈3〉』
0 notes
dokushokyuka · 2 years
Text
〈骨と魂とがゆきつく果て〉 足なえといふ言葉で神からの啓示を待たうとすることをしなくなつたぼくの疲労 それは言はば骨格と精神とで歩みつづけ、骨格と精神との崩壊でなえはてるひとりの旅行者のものだ どこをどうやつて歩いてきたかといふことはぼくの足のこたへるべきこと 骨格と精神とは時間に殺がれ、風の感覚に殺がれ、また若しくは 予感のような世界の微粒子に殺がれてしまつた すでに陰湿に耐えなくなつたぼくは、やがて海綿のような多孔性の骨をもつことになり、精神は像を結ぶことをしなくなるであらう ぼくのゆきつく果てがそこにある、そこにある 情の通じあはない時間のなかで、ぼくはさく莫とした風景だけに出逢ふ、おびただしい鋼鉄製の殺人器とか、精神を技術だらけにした大生産者とか、おう斯かる風景ばかりのなかで、幾何学の線でかこまれた建築群はまたとない伴侶である 生きるといふことが斯かる石のやうな乾燥である時を、 ぼくは別に危機といふ呼び名で致さなくなつてゆきつく果てにゆきつかうとする (また繰返へさう) ぼくの足は決してなえることはない だから岩石のやうにまた地質時のなかでの風のやうに神の啓示を必要としない ぼくの骨格と精神とは非情なまでに乾ききつてゐるので、決して頬を必要としない 波瀾のない時を孤独と呼ばう 骨格と精神のゆきつく果てを死滅と呼ばう (558-559p)
吉本隆明『吉本隆明全集〈2〉』
0 notes
dokushokyuka · 2 years
Text
どらむのように ただれたせいかつにみきりをつけえずに れんじつれんじつふたたびもみたびもただれたこころをそのままかなしんで ゆうがたうなだれるかなしいかなしいすがた さびしいさびしいめのまわりのくぼみ おくせずまっすぐあるけばよいとはおもっていても いつもわたしのあしあとは くらやみちりうかぶどろのためのにおいにあこがれ あこがれてさめざめとなみだをながす おもえばせつないたれかのふところであり かおうずめればしみじみとまつげのしめやかさであった ああ れんじつれんじつれんじつ うすきみ、やけはんばのとぐろのくらしは ついにだんだんとわたしののうずいをおかしてゆく なまうめにさとうをかけてくったりなどしながら もうぼうぜん、ぼうぜんとしてこんなにやにさがり したくされのうたをかいてゆく うたはこんぽんいんてりぷちぶるのはきけむかつくものであろうとも かかざるをえない、かかざるをえないこのあわれさを まどべにみえるやけのこりのさびつきうずつまれた てつのどらむのように どらむをたたけばまだばあんばあんとなりわたるように からからとばあんばあんばあんとせいいっぱいあざけりつまはじいて どらむのように、ばあんばあんと ああ、わたしのたいはいまえといううたをこきおろしたように おまえはおまえのたいはいにあまたれいいきになっている などとはいわないで ばあんばあんとどらむのように あかさびうつろのたましいをたたきつぶして だざいきどりでじんせいのくのう ぶんがくのかけぬうんぬんとやにさがるむしのよさを いやというほどずたずたにひきさいてくれ れんじつれんじつ わたしはかなしいうそをついている (30-31p)
がらすのないがらす窓 桶谷昭に 私はまだくされないものが残っている 私は党の会合をさぼり あたえられた仕事を三日もかかって なんにもできず 晩飯のおかずに苦情をいいながら 晩飯がおわればすぐ あおむけになり がらすのはいっていないがらす窓から ぼんやり暮れかかった空をながめている 私はなぜこんなに苦しむのか 党が正しいということはわかりすぎるほどわかっているのに 人は私をプチブル根性だと攻撃する 私がようやく書きあげた長い詩をみて 私の友、すぐれたオルグはせせら笑った ――ひねくれものが月を見て吠えている 私はなんの、といい返してやったが そのときこころは泣いていた どうしてこんなに私のすることだけがさげすまれるのだろうか みんなは私を白い眼でみている みんなは私のうしろから背中を指さす このあいだのよりあいでちょっと くちをすべらしたのがいけなかったのだ 私はそのとき図にのっていた 学校寄付の強制割当に関する細胞の対策が終って みんながほっとし 誰かが私に話しかけた こんなことはめったにない いつも私は会議の始めから終りまで 一言もいわず、一言も訊かれず せいぜいポスターを描くのをたのまれるのが関の山なので このときは跳び上るほどうれしかった しかも、もっとも私の得意とするところ ――野呂さん、近代主義ということが さいきんよくいわれていますね 主体性論、あれはどんなことですか ……一足飛に社会主義革命などできるものではないと彼等はいうのです ……そうです、日本にはまだまだ前近代的なものがたくさん残っている まずこれをぶちやぶらねば話になりません ……完全なるブルジョア民主革命、自我の確立 ああ、私はたしかに図にのっていた 私はいつのまにかロシヤ革命のときの余計者(イズゴオイ)について話しだし その余計者が日頃の私の態度をべんごし じゅうおうに小林多喜二をこきおろしてしまったのだ はっとしたときにはもうおそく みんなはわけのわかったようなわからぬような もうそれから誰も口をきかなかった 私はなんとかいわなければ、べんかいしなければと思ったけれども どうしても口にだすことができず 腹の底では一生懸命、ほんねではない ほんねではないと叫びながら とうとうしらじらしく散会した ああ、ついにみんなは私をけいべつしてしまったのだ なんておろかな 私はめちゃくちゃに頭をかきむしって ふとんをかぶってわんわん泣いた 私はいまマッチを売って歩いている ひとつ一円九十銭、ひとこおり二千個入り 着払い 佐世保―諫早―長崎 博多―二日市―久留米 地区をたより、農業会の同志に泣きつき 背中がきりきり痛むのを ろくまく再発ではないかと気にしながら おずおず見もしらぬ同志の家で寝汗をふいている マッチはなかなか思うようにさばけず もうはずかしいやら情けないやら せっかく持っていったのに ふたたび来た道をひきずって帰ってゆく みよ、私は財政オルグだ 泣きごとをならべ、その泣きごとを詩につくり ときどき嘘を言ってさぼり、〈カルメン〉などを観たりするが それでも私はれっきとした財政オルグだ ああ、しかも私はうしろ指をさされる 私はなんとかしてよい党員になろうと思って弱い心をむちうちはげまし 針をのむような思いでマッチや石鹼 ときには番傘を売って歩く それなのに ああ、もう私は泣くよりほか、手はない 私はなぜいけないのか 針をのむような思いじしんがいけないのか ふふん、ぷちぶるめ マッチを売るのになんの苦痛 しかし私は耐えているのだ そしてしょせん発表できないと知りながらそれを詩に書く ――ああ、マッチ売り かなしや ――頽廃前 それがどうして悪いのか インテリだから駄目だというのか もちろん労働者こそ革命の前衛だ しかし私は一緒についていってる 私は決して同伴者ではない 耐えていることは悪いけれども 私はマッチを売っている おお、がらすのないがらす窓よ 私をあわれむか 私は決して同伴者ではない からだのすみずみ、のうずいのまんなか においはあくどく鼻をつくが 私にはまだくされないもの くされないものが残っている 同志よ、党よ、ときには私をおだてあげてくれ おだてあげれば私は勇気づけられる おだてあげれば私は飛び込んでゆく じろじろ白い眼で見るかわりに 私をげきれいしてくれ 私はうちょうてんになり 炭鉱でも、学校でも、私は行くだろう 私はどろまみれになりたいのだ 革命でどろまみれに オルグよ、にっこり笑って私の肩をたたけ ああ、私は脳髄の中で くされた肉とくされない肉が格闘している くされない肉を勝たすために 肩をたたけ、胸をだいてくれ 私は断じて同伴者ではない 天は黄色く嵐をはらんでひろがり 風もないのに ひらひら木の葉が落ちている レールは道下に黒く光り どこからか汽笛がきこえてくるが かなしみはまだ胸を去らず 三度もひねものといわれたことを思いだして しみじみ友達を恋している ともよ、私の詩はついに破綻しかかってきた 私はいつもこれまでしか書けぬのだ こころをきめようとして私は苦しむ みよ、汽笛は耳をつんざき 汽車はもうもうと炎をあげて走る 炎は煙となり、煙は黒いレールの上を 道下にただよい それをひとすじ光らせてトラックのヘッドライトがつっきってゆく ヘッドライトよ、なぜに私のこころを照らさぬ 汽車は走り、自動車は宙を飛び 月はまだ夜雲にさえぎられ 私は煙でむせびながら つきつめたこころでひとり耐えている 私にはまだくされないものが残っている 私にはくされないものが 残っている、と (37-42p)
井上光晴『井上光晴詩集』
0 notes
dokushokyuka · 2 years
Text
 二〇一一年一〇月一日土曜日、七〇〇人のウォール街選挙運動「Occupy Wall Street(OWS)」の活動家が、ブルックリン・ブリッジをデモ行進しようとして逮捕された。ブルームバーグ市長は、それを、抗議者たちが交通を遮断したという口実で正当化した。五週間後、おなじブルームバーグ市長は、クリストファー・ノーランのバットマン三部作の最終作『ダークナイト・ライジング』の撮影のために、その近隣のグイーンズボロ・ブリッジの交通を、丸二日間遮断した。  このアイロニーについては、多くのひとが指摘している。  二、三週間後、わたしは何人かの選挙運動の友人たち――そのほとんどがじぶんたち自身、一〇月に橋の上で逮捕されていた――と映画を観に出かけた。わたしたちはみな、この映画が基本的に長時間版の反オキュパイ・プロパガンダであることを知っていた。それは問題なかった。それはそれでおもしろいじゃないか、と、わたしたちは期待していたのである。ちょうど、レイシストでもナチでもないが『国民の誕生』や『意志の勝利』の上映を観にいく、そんな気分である。わたしたちは、映画が敵対的である、あるいは攻撃的ですらあるだろうと予測していた。しかし、出来が悪いとはだれも考えていなかったのである。 (294-295p)
デヴィッド・グレーバー『官僚制のユートピア』
0 notes
dokushokyuka · 2 years
Text
絓 あれが出た時点ではまだ斎藤幸平は大々的に登場してなかったから、アンケートでの一番人気は白井聡だったけど、今なら間違いなく斎藤幸平でしょう。 『人新世の「資本論」』(集英社新書、2020年)はアナキズムとエコロジーをくっつけたような本で、オレは感心しないんだが、やっぱり何だかんだでみんなマルクスが好きなんだ。どうにかしてマルクスにすがりたいっていう。で、斎藤幸平はヴェラ・ザスーリチなんか出してくる。運動が行き詰った時に、マルクスの「ザスーリチへの手紙」を云々し始める人は昔から必ずいるんだ。それで気候変動がどうこうとか「地球はあと〇億年しか持たないんだぞ!」とか言い出したりする。それだけ持てば充分だよ(笑)。ああいう相も変わらぬマルクスの使われ方をどう思う? 笠井 柄谷行人の『NAM 原理』(太田出版、2000年)の新版みたいな本(『ニュー・アソシエーショニスト宣言』作品社、2021年)が出たでしょう。あれと斎藤幸平の本を前後して読んだけど、どちらもすごい本だった。というのは、どちらも”マルクス”の名前が何十回も出てくる本なのに、”革命”という言葉がほとんど出てこない。マルクスを論じながら革命が出てこないとは一体何なのか。そうか、”マルクス延命派”もついにマルクスから革命を削除し始めたか、たしかにスゴイ本だ(笑) ――”マルクス抜きの革命”を模索した笠井さんとはまったく逆の……。 (207-208p)
笠井潔・絓秀実『対論 1968』
0 notes
dokushokyuka · 2 years
Text
守り子峠 紅梅そめる 葉おろしの 風習わたる 帯さながらに 擦り切れるまで 泣き果てる 国境 (132-133p)
照井知二『夏の砦』
0 notes
dokushokyuka · 2 years
Text
ハンバーガー屋と礼拝所の交差点を曲がりながら 金曜日の朝稽古を終 へる 帰り道、街を囲む砂漠が水を奪ふと考 へる 直ぐ汗が乾くけど汗に気が付かないので あやふいとも言 へる  へる   へる水 大して強くもないが 教へてくれと請はれて剣を教 へる センセイと呼ばれるのが畏れ多く思 へる  へる   へる水 この国では道着でバスに乗つても ぢろぢろ見られない 無頓着は善きこと 善きサマリア人 さて 善きサマリア人と云ふのはどんな譬へ話だつたか はて 思ひ出せずにバスは終着 バスから空へ霧散する私の記憶のサマリア人たち バスから地へ降りていく乗客たち あしひきのやまどりの尾の白昼の長いアラブ服たち に混じつて袴の裾を砂まみれにして溶け込む夏の街 あつらあああああああああああふ あくばああああある と云ふ声が礼拝所の尖塔から街へ撒かれて人々にかかる 礼拝所には人々が洪水する 大切な金曜礼拝 入りきらない人々が交差点の中州にまで流れてきて 一般道を塞ぎながら額づく のは何か神の法や人の法には反しないのだらうか 礼拝所の横に 年中毒々しく紅葉してゐる赤と黄 のハンバーガー屋が有つて ぱらつぱつぱつぱああああああああ あいむらゔいいいいいいいいいいいんにつと と云ふ声が脳内で壊れた水のやうに流れる 次の金曜日、道場でアラブの剣士に尋ねる あのハンバーガー屋は 赤と青の旗に星の散らばる国のもので アラブの同胞の敵ぢやなかつたのかい、と 其れは其れ此れは此れ、ですよ、センセイ なぜアラブ服を着るのかとも訊きましたね、センセイ アラブ服を脱ぐと自分を自分と思へなくなるからです それに引き換へ日本人は洋服を着るやうになつたのに 日本人であることを失つてゐなくてすごい ハンバーガー屋は単に主義・主張・水位の話でせう、センセイ もくさあああああああああああああああああああああああう と鉄砲水のやうな号令を唱 へる アラブの剣士たちと正坐して黙想しつつ考 へる  へる   へる水 ほんたうに日本人であることを失つてゐないのかな 確かに和服を日常では着なくなつたけど 武道中や正月には未だに着るしなあ 和服は着てみりやわかるけど寒いし暑いし合理的でなくて 洋服を着るやうになつたのも単に合理的だからぢやないか その合理性とか吸引力が日本人であることだらう であれば例へば 錆びた蝶番を替へずに苗字を閉ぢ込めて腐らせること ひらひら蝶舞ふ庭の造り方を吸収しないこと それこそが日本人であることを捨ててゐるつてことぢやないの さふ言えば私の師範は三島に剣道を教へたけど ぜんぜん上手くならなかつたと言つてゐたな 私は物書きだが気安く人を先生と呼ぶのも呼ばれるのも全く もくさうやめえええええええええええええええええええええ 例 へる 喩 へる  へる   へる水 みづがへつてゐるのは確か 深さがあるうちに 乾く前に、さ 礼拝所とハンバーガー屋の立つ 第七環状交差点を バスがぐるりと曲がるとき 竹刀にわづかに傾く力 (14-22p)
千種創一『イギ』
0 notes
dokushokyuka · 2 years
Text
「歴史の終わり」の後になっても、全般的な——単に間欠的ではない——歴史への好奇心が残ってしまったらしい。それは単に次に何が起きるかを知りたいというだけではなく、今ある生産システムあるいは生産様式のもっとも広い運命や行く末に対する、より一般的な不安としての好奇心である——それが永遠の不安にはちがいないことを個々の経験(ポストモダン的な)は教えてくれるというのに、我々の知性のほうは、こうした感情には信憑性がないと主張しながら、その解消や置き換えに関してもっともらしい筋書きに達することができないでいる。今日の我々には、地球や自然の徹底した崩壊の方が、後期資本主義の行き詰まりよりも想像しやすいようだ。もしかするとそれは、我々の想像力の何らかの弱点によるのかもしれない。 (8p)
フレドリック・ジェイムソン『時間の種子』
1 note · View note
dokushokyuka · 2 years
Text
無明の時 拷問でえぐられた眼球がぽっかりあき 喉を貫通した銃殺の弾丸から逃れ 燃えあがる家と 燃えあがる肉親をあとに 玄海灘の荒波に揺られて その男はおれの前に現れ 韓国は未曾有の残虐と餓死がおおいつくしているといった この男を同胞と呼ぶにしては おれはあまりに無傷すぎる 信じるにたらないおれのコミュニズムは この男の肉声に応えることができない 一九五〇年の冬の山稜を這いずり 原始的な武器を振りあげて戦った あの無名の人民戦士たちの いまひるがえる希望にすりかえることもできない おれはそのとき おれ自身を奪いかえすために おれ自身と戦っていたのだ 男の暑い掌と握手を交わし 歪んだ鋭い眼球から溢れてくる報復の光を まともに受けとめようとしてめくらめいた 非望と焦躁のあまり おれは日本の地で革命の虚像を 夢みていたにすぎない おれにとって飢餓は 闇の中の彷徨だった 何ものかを裏切らないというヴィジョンだった いつも雨の中で孤独な魂の軋みを聞きながら 血の沸騰のむなしさを感じる 信じていたものがようやく その裸像のしらじらしさを晒けだした 未来だけが現在を裁き 現在が未来を裁くことはできないか 現在の実在は情熱とともに葬られるか 角ばった頬、短い額、我の強い この男の近親憎悪もまた 故郷を愛するあまり 一つの盲目にとらわれている だが肩をいからせながら追ってくる 興奮した荒々しい言葉を いまのおれにはいかんせんともし難いのだ 幻の都、敗北の霧の中で二十二年生きたが 一人の女を愛することもできなかった ときどき狐火のような パッションと相克する冬の季節があるだけだ 冬の樹木の中で目醒めたおれは この男の遙かに遠い血縁と決別して 栄光ある虹の橋を渡って 何処へゆこうというのか (24-28p)
梁石日『夢魔の彼方へ』
0 notes
dokushokyuka · 2 years
Text
あなたの脳が資本主義に晒されている This Is Your Brain on Capitalism 「ブラウン教授、お久しぶりです。血圧が安定しているので、以前ほど頻繁にお会いしませんね。今日はどうされましたか?」  聴診器を下げた白衣姿の女医は,両手を組み合わせて患者の落ち窪んだ目をのぞき込んだ。40過ぎの男性は仕事でミスをしたと説明した。上司は彼に対して苛立っていた。 「とにかく仕事を終わらせることに集中しなければ」と彼は呻いた。 「他のことに気を散らさずに、やるべきことに集中し続けるのが難しいんですか?」と彼女は質問した。  その通りだった。 「とにかく整理することが苦手で、どうしたら他の人のようにたくさんの仕事をこなせるようになるのかがわからないんです」と男性は説明した。「長時間座り続ける忍耐力が全くないんです。大事な会議であることが多いのですが――私は途中でつまらなくなって、注意が逸れてしまうんです」 「この問題について、もう少し一緒に考えてみましょう」と彼女は言い、大人のADHD評価尺度を彼に手渡すと、それに記入するよう伝えた。それはほぼ間違いなく、ハーバード大やニューヨーク大学の医師たちによって作成された、6間または18間の質問紙だった。その後、彼女は回答を見直し、深刻な表情を浮かべた。 「会話を途中で遮ってしまったり、列に並んで順番を待つことが苦手だと答えていますね」と医師は言った。「仕事を先延ばしにしたり、締め切りを守れなかったり、不注意によるミスが続いていることも気になります……ADHDだと診断されたことはありませんね。ご家族の中で、診断されたことがある人はいますか?」 男性は、はっとして身を乗り出した。 「実はいるんです」と彼は答えた。「息子が大学入学前に診断を受けた時には驚きました。今は服薬をしていて、うまくやれています。特に学業面は順調です」 「それは興味深いですね。」と目を見開き。彼女は言った。「なぜなら、もしあなたがADHDだとしたら――私はそうだと考えていますが――家族間は類似した薬が効果的なことが多いのです」  彼女は口元にすべてお見通しという微かな笑みを浮かべた。 「薬を試してみませんか?」  医師が成人のADHD患者を診断し、医学的に知られている中でも、最も依存性の高い薬のいくつかを服用するよう勧めるのにかかった時間は6分だった。薬のリスクについて検討することはなかった。仕事上の悩み――そもそも彼が本当に悩みを抱えていたとしての話だが――を引き起こしていた可能性のある、他の要因について検討することもなかった。決まり切った質問をいくつかして、検査用紙のいくつかの空欄をチェックしただけで――じゃじゃーん! ADHDの製造ラインから、また患者が1人誕生した。  これは反精神医学の狂信者によるパロディだろうか? 大学生向けの、皮肉が込められた「ただで薬を手に入れる方法」のネット動画の台本なのだろうか?  そうではない。その真逆なのだ。  これらの場面は、大人のADHDの診断方法を今日の医師に教えるための、表向きは真面目な、シリーズ物のビデオ教材から抜粋されたものである。医師生涯教育プログラムは、最新の医学の発展から後れをとらないために(そして医師免許を継続するために)、各州が医療提供者に対して義務づけている小さな研修の一環である。多くの場合1時間ほどで視聴され、最後は驚くほど簡単な多肢選択式のテストで締めくくられる、このビデオ教材とウェブページは、医師が医学部卒業後に精神医学を学ぶための主要手段となりつつある。だが、弁護士や美容師といった他の分野の専門家たちは、その分野で必要とされる条件を満たすために自分で研修費を払うのが通常であるのに対して、医師の研修費は製薬会社によって支払われることが多い。米国精神医学会(APA)のような主要機関や、米国注意欠如多動症学会議のようにマイナーな学会によって開催されるシンポジウムは、製薬会社から多額の補助を受けている。製薬会社はさまざまな講義や、その他のイベントに出資することで、聴衆に大いに感謝されつつ、無料で宣伝することができるのである。APAの学会に参加したある精神科医は、提供された潤沢な宿泊施設に見入って、業界の支援金がなければ「私たちは今頃YMCAの地階に座っていたことだろう」と呟いた。  上述された言語道断なビデオには、あけすけな題名が付けられていた。「大人のADHDの正体を明らかにする」。ウェブページに小さいフォントで記載された文字に気づく者は少ないだろう。 「シャイアー社の独立教育助成金による協賛」 (243-245p)
アラン・シュワルツ『ADHD大国アメリカ』
0 notes
dokushokyuka · 2 years
Text
 それから間もなく孫文博士が西南連合軍の総統となり、傳督軍を敗北させることに成功した。しかしその後孫軍は北方軍閥によって再び湖南から追われてしまった。膨は孫の軍隊と一緒に逃げだした。孫軍の指揮官の一人程潜の命で密偵としての任務に派遣された膨は長沙に戻り、裏切られて捕えられてしまった。当時湖南では長敬堯が権力についていたのである。膨は当時の経験をこう描写した。 「私は毎日約一時間さまざまな方法で拷問されました。ある夜、両足を縛られ、さらに後手にされて縛られました。そして手首に縄をかけて天井から吊されたのです。背中に大きな石を積み重ねられ、その間何人かの獄卒が私をとりまき、蹴りあげて、自白を要求したのです。私に対する証拠がまだなかったからでした。何回も私は気を失いました。 「この拷問は約一月つづきました。拷問が終る度に、この次こそ自白しようと考えたものです。拷問は耐えられませんでしたから。だが、そのつど、翌日まで我慢しようと決心しました。結局彼らは私から何も聞きだすことができず、驚いたことに遂に釈放されました。私の生涯の中で深い満足感を味わったのは、それから数年後、われわれ紅軍が長沙を占領し、あの古びた拷問室を破壊した時です。われわれはここで数百名の政治犯を解放しました。その多くは殴打や残忍なとり扱いや飢えのために半死の状態だったのです」 (34-35p)
エドガー・スノー『中国の赤い星〈下〉』
0 notes
dokushokyuka · 2 years
Text
 紅軍の先方隊に、かつて四川省軍閥軍の士官であった劉伯承という指揮官がいた。劉はこの種族の人びとを知っており、彼ら内部の不和や不満を知っていた。特に彼は、漢民族に対する彼らの憎悪を知っており、倮倮語もいくらか話せた。友好的な同盟をうちたてる任務を与えられた彼は、倮倮の領地に入り、酋長たちと交渉をはじめた。彼は述べた。倮倮族は劉湘、劉文輝の軍閥、それに国民党に反対しているが、紅軍も同じである。倮倮族は独立を維持したいと希う。共産党の政策は中国のあらゆる少数民族の自治に賛成する。倮倮が漢民族を憎むのは、彼らに抑圧されていたからである。しかし”白”倮倮と”黒”倮倮とあるのとちょうど同じように、漢民族のなかにも”白”と”赤”があり、いつも倮倮族を殺したり抑圧してきたのは白い漢民族であった。赤い漢人と黒い倮倮人は、共通の敵である白い漢人に対して団結すべきではないだろうか、と。倮倮人は興味深げに耳を傾けた。狡猾にも彼らは、自身の独立を守り、赤い漢人を援けて白軍と戦うために武器と弾薬を求めた。彼らが驚いたことに、紅軍はこの両方を与えたのである。  そこで迅速なばかりではなく、政治的に有益な通路が開けたのであった。数百名の倮倮が応募し、”赤い”漢人と共に共通の敵と戦うべく大渡河に行軍した。これら倮倮人のうち何名かははるか西北まで遠征することになった。劉伯承は殺したばかりの鶏の血を倮倮族の最高酋長と共にその面前ですすり、両人は種族の儀式に従って血の兄弟の誓いをたてた。この誓いをもって紅軍は、彼らの同盟の約定を破るものは誰であれ、彼らが殺した鶏のように弱く、また臆病であると宣言したのである。 (267-268p)
エドガー・スノー『中国の赤い星〈上〉』
0 notes
dokushokyuka · 2 years
Text
 いわゆる脱工業化(トゥレーヌ、ベル)ということのなかで、決定的なことは、意志の無限性が言語そのものに投資していることである。ここ二十年来の重大な事件は、政治経済学と歴史的時代区分の平板きわまる用語で表現すれば、言語が生産的な商品――つまり、コード化し、脱コード化〔解読〕し、伝達し、(情報をパケットにして)整理し、再生し、保存し、いつでも使用可能な状態に置き(記憶装置)、統合して結論を引き出し(計算)、対立させる(ゲーム、紛争、サイバネティックス)ためのメッセージとみなされた文――へと変貌したこと、そして計測単位――これはまた、価格の単位でもあるが――、つまり情報が確立したことである。言語に資本主義が侵入したことの結果は、まだ出はじめたばかりである。市場の拡大と新たな産業戦略という外観のもとで、来たるべき時代は、最良の遂行性という基準に従って、無限の欲望が言語問題に集中〔投資〕される時代である。 (92p)
ジャン=フランソワ・リオタール『知識人の終焉』
0 notes
dokushokyuka · 2 years
Text
 われわれはいま見たような、二つの知を区別するという解釈に従うわけにはゆかない。われわれにとっては、その解釈は実はそれが解決しようとしている二者択一の問題を再生産しているに過ぎず、しかもこの二者択一の問題そのものが、いまわれわれの研究対象となっている社会に対してはもはや有効性を失っており、またその問題の立て方自体が、もはやポスト・モダンにおける知のもっとも生き生きとした様態には適合しない、対立による思考に属していると思われるからである。技術やテクノロジーの変化に助けられた資本主義の現段階における経済の≪再発展≫は、すでに述べたように、国家機能の重大な変化と対をなすものである。そして、この徴候群(シンドローム)から出発して形成される社会のイメージは、二者択一によって表現されていたアプローチを徹底して見直すことを要求するだろう。それは簡単に言ってしまえば次のようになる。すなわち、社会の制御機能つまり再生産機能は、将来にわたってますますいわゆる行政官の手を離れて、自動人形の手に委ねられることになるだろう。よい決定を得るためには、その自動人形が多くの情報を記憶していなければならず、結局、情報を自由に手に入れることが重要な役割を果たすことになるだろう。情報を自由に扱うことはあらゆる種類の専門家の管轄に属することになる。そして、そうした決定者の階級が支配的な階級となるだろう。この階級はもはや伝統的な政治階級によって形づくられるものではなく、企業の経営者、高級官僚、大規模な職能団体・組合・政治団体・宗教団体の指導者などが混在する階層によって形づくられるのである。 (41-42p)
ジャン=フランソワ・リオタール『ポスト・モダンの条件』
0 notes
dokushokyuka · 2 years
Text
むつかしい仕事(schwierige arbeit) テオドール・W・アドルノへ ほかのものたちの名において 耐えつつ 何もそのようなことを知らぬものたちの名において 耐えつつ 何もそのようなことを知ろうともせぬほかのものたちの名において 耐えつつ 否定の苦痛を保つこと 午後五時郊外電車のなかで溺れ死んだものたちの追憶のため 耐えつつ 理論の汗のハンカチをくりひろげること 午後五時百貨店前を走りゆく通り魔をまのあたりにして 耐えつつ 裏のあるありとある思想をうらがえしにすること 日の各刻に祈りながら死んでゆくものらと目をかわして 耐えつつ バリケードをきずいた未来を呈示すること 夜の各刻に退避訓練と隣り合わせになって 耐えつつ 健全なる腐敗を暴露すること 自足しているものたちの名において 耐えがたく 絶望すること 絶望しているものたちの名において 耐えつつ 絶望を疑うこと 耐えがたく耐えつつ 教えがたいものたちの名において 教えること (339-340p)
 ある深部にまで達してからのエンツェンスベルガーの詩語たちは、にわかに反乱することばの分子たちというおもむきをおびてくる。物静かな活字の群が(彼は文頭はおろか、ドイツ語では名刺のひとつあたまごとに頻発する大文字をいっさい使わない)ひたすら彼方に沈みこんでいくのではなくて、どこかしらで――それが冒頭のことも勿論ある、『狼たちの』のなかの第三部〈怒りの詩〉などがそれだ、そこではすべての詩がおどし文句ではじまっている――、ひと癖もふた癖もある特有の磁場をつくって、そこを足がかりに憤然と、攻勢に、逆襲にとってかわる。あたりちらされるのは何か? それは作者がとどのつまりは悪と断じているもの、資本主義体制下の悪にほかなるまいが、しかもそこに一気に到達してしまうにしてはこの作者の心情はあまりにやさしすぎる。詩人は子ども、という意味でエンツェンスベルガーは子どもである。 (391-392p)
ハンス・マグヌス・エンツェンスベルガー『エンツェンスベルガー全詩集』
0 notes
dokushokyuka · 2 years
Text
私に何ができるだろう? ともかく始めなければならない。 始めると言っても、何を? 世界でただひとつ始めるに値すること、 世界の〈終わり〉だ、決まってる。 (62p)
 植民地化がいかに植民地支配者を非文明化(傍点)し、痴呆化/野獣化(アブリユテイール)し、その品性を堕落させ、もろもろの隠された本能を、貪欲を、暴力を、人種的憎悪を、倫理的二面性を呼び覚ますか、まずそのことから検討しなければならないだろう。 (136p)
エメ・セゼール『帰郷ノート/植民地主義論』
0 notes
dokushokyuka · 2 years
Text
 いまアメリカには、規模は気にしなくていいというこのシカゴ学派の想定のもとで育った裁判官がまるまる二世代います。その結果、長年のあいだにアメリカの企業セクターはどんどん集中がすすんできました。実際、一九九〇年代には、ほぼどの分野でもアメリカよりもヨーロッパの消費者価格のほうが高かったのですけれど、いまは逆転しています。アメリカを訪れるヨーロッパの人はたいてい、アメリカでは何もかもが高いと思うのではないでしょうか――電話、薬、航空券、すべてです。ニューヨーク大学で経済学を教えるトーマス・フィリポンが『大反転――アメリカはいかに自由市場を手放したのか』というおもしろい本を書いています。フィリポンによるとそれは、ヨーロッパが実際に競争政策を重視して多くの市場を強制的にひらいた一方で、アメリカは反対の方向にすすんで経済力の集中を可能にしたためです。独占禁止法が執行されないのは、こうした企業がロビイストを雇って議員に働きかけ、独占禁止法の積極的な執行に賛成票を投じないようにさせているからです。 (40-41p)
 ずっと前に、フクヤマさんはこんなことを言っています。「おそらく若いときには、何かがただむずかしいというだけで、それが深遠であるにちがいないと思うもので、"こんなものはナンセンスだ"と言う自信がないのです」。率直に認めると、わたしも同じように考えています。留学前には何を期待していて、なぜ一学期を終えただけでアメリカに戻ってきたのでしょう。この経験はその後の職業や教育の選択に影響しましたか? 影響したのであれば、どのように?  パリでは、ロラン・バルトのとても滑稽なゼミに参加しました。若いとき、バルトは非常におもしろい本を何冊か書いています。写真についての本などです。でもそのゼミでは、バルトは辞書をつくっていました。あるいは辞書をつくっていると言っていた。ゼミで、バルトはA、B、Cからはじめて、その後は基本的に自由連想をするわけです。こうした文字から何を思い浮かべるのか。armée(軍隊)、bébé(赤ん坊)、café(コーヒー)といった具合です。そしてひとつの単語から次の単語へと移っていく。非常にひとりよがりのようにわたしには思えました。バルトは有名な知識人で、何を言っても許されたからです。学生たちはノートをとりながら、「ああ、それはとても深いですね」なんて言う。  当然ながら失望したわけですね。それでそこを去った。  もう少し時間がかかっています。イェール大学の比較文学科に出願していたからです。当時そこは、ポストモダニスト比較文学の牙城で、ポール・ド・マンが権威として君臨していました。実際、ド・マンの授業をふたつほど履修したのですが、入学とほぼ同時に、これは自分のやりたいことではないと判断したのです。  これは無駄だったとお考えですか? あるいは、なかには有益なこともあったのでしょうか。  やったことはどれも後悔していません。 (106-107p)
自由民主主義の考えを擁護する  論文「歴史の終わり?」は一九八九年に発表されています。その論文のおもなメッセージは何だったのでしょうか。  一〇〇年以上ものあいだ、最も進歩的な知識人は、歴史の終わりは共産主義だと考えていました。カール・マルクスにとっての歴史の終わりがこれです。マルクスは歴史の終わりという考えをヘーゲルから借用しています。一九八八~八九年の前の一年でわたしは、どうやらわたしたちはマルクス主義的な歴史の終わりにたどり着くのではなく、ヘーゲル主義的な歴史の終わりのようなものに向かっているのではないかと考えるようになりました。市場経済と結びついた自由主義国家あるいは自由民主主義国家が歴史の終わりになるのではないかということです。これがわたしの主張でした。それが誤解されたのです。  わたしは歴史の終わりをヘーゲル主義的、マルクス主義的な意味で使っていました。この意味での歴史をいま風に言い換えると、「開発」や「近代化」になるでしょう。歴史の終わりが問いかけていたのは、歴史が止まるのかどうかではなく、近代化がどこに向かいつつあるのかということだったのです。 (125p)
0 notes