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128.一年ぶりの胃カメラを飲む話
去年に引き続き、健康診断で胃カメラを飲んだ。去年は胃カメラは10年以上ぶりだったのと、初めての鼻から入れるものだったので、どんな感じなのか予想がつかない緊張があった。えずくのはしかたがないとしても、それをいつまで我慢すれば良いのか、また苦しいピークがどこなのかがわからない辛さがあった。
ほんの4分ほどの検査だ。それでも、苦しさに耐えていると、時間の感覚は長く感じる。最後の方、もうそ��そろ終わるだろうという頃に、空気を入れて胃を膨らませるのだが、朝から何も食べていなくて空腹なところに、むりやり胃を膨らまされる気持ち悪さが、おえつきに���ラスされる。去年はもう終わるだろうと思ってしまったところにこれがきたから、なかなか辛かった。
色々話しながら気を紛らわせて行う先生もいれば、黙って黙々と作業する先生もいる。力を抜くことに全神経を集中しつつ、耳と思考をすませて、できる限り言われた通りにする。看護師さんがずっと背中をさすってくれる。去年は緊張して前半は体がこわばってしまっていたが、今年は去年の記憶もまだ新しく、とにかく脱力するよう心がけた。その結果か、これまでになくスムーズに検査は終わった。苦しくないことは全然ないけれど、早く終わることに越したことはない。ヨダレと汗と涙で顔の半分がぐしゃぐしゃになったのをティッシュで拭き取りながらゆっくり起き上がると、ただ数分耐えていただけなのに謎の達成感を感じた。
前回より全体的に余裕ができたのか、自分の胃の中の様子を映すモニターを見ることができた。巾着の口のようにキュッと絞られた、(おそらく胃の)入り口だか出口に近づいて中に入っていく様子は、洞窟の中を探検しているようだった。自分の中で起きていることなのにどこか非現実的だった。胃の中にはシワのようになっているところがあって、その感じは過去に見たことがある豚の胃(ガツ)とほとんど同じだった。豚の心臓を人間に移植したというニュースも少し前にあったけれど、それも頷ける。人間を取り巻くものがどんどん進化して、自分自身も変化してグレードアップしているように錯覚しているけれど、肉体だけはいまだにそうはいかないのだと改めて思った。そして自分だけのものであり、その一部でもある自分の体と上手く付き合うことは、実はとても難しいことかもしれないと思った。(2025.6.14)
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127.沖縄の本を読む話
先週ふと思い立って、沖縄の本を読み始めた。2年前くらいに、高校の世界史を学び直すような本を読んで、ざっくりだが歴史の点と点がつながった気になっていたが、考えてみれば私の知識の日本史からも世界史からも、沖縄は抜け落ちている気がしたからだ。私の認識は琉球王国が沖縄になったということと、戦後の歴史は多少わかる程度で、それも本当にざっくりしかわからない。これまでに知る機会もあまりなかったような気がする。
沖縄へは10年以上前、学生の時に友達と旅行で行ったことがあった。三月だったこともあって、まだ海に行くとかでもなく、想像以上に観光地化している国際通りや首里城の様子についていけなくて、レンタカーのナビで出てくる城跡をひたすら巡った。途中で平和記念公園も寄ったが、花を売っているおばあさんに追いかけられて、結局大して見ることなく出てしまった。今なら、観光地はそんなものだろうと思えるが、まだそんなに自分たちで旅行したこともなかったから、かなり面食らってしまったのだった。
その当時も、昔は琉球王国だったという程度の知識もあったから、その時代の城に色々行った。結局歴史はよくわからないまま、石積みの跡がある高台ばかり行った。でもどこも景色がよく、周りの様子を見渡すことが出来るのは、やはり城跡になるだけの立地なのだと納得した。海が遠くまで見えるから、潮の流れで色が変わっている様子も見ることができた。その辺にいる人に道を聞くと、みんな沖縄弁が強くて半分くらいわからないものの、丁寧に教えてくれた。
今思えば、戦争遺跡はほとんど行かなかった。今から思えばもったいないけれど、友達と行きたいところを照らし合わせた結果だったし、教えてあげられるほどの知識もなかったから仕方がない。沖縄慰霊の日が近づいて、戦後80年を迎える今年、知らないままではなんだかまずい気がした。数年前に何故か買っていた沖縄の本を手始めに読み、図書館で本を数冊借りてきた。まだ読み途中のものばかりだが、読み進めるうちに、沖縄が昔からいかに重要な���所であるかということや、それゆえに度々酷い目にあってきたことを思い知らされた。そしてこれまでは点と点だった、世界史と日本史が部分的に線になった感じがした。今も続く沖縄の基地の問題も、これまで私が考えていた以上に深い問題だと知った。
どうしてこのような重要なことを、今まで知ることがなかったのだろうと思った。私の視野や知識が狭いからというのはもちろんだけれど、世界史や日本史は高校までで何度か学ぶうちに、忘れてしまってもざっくりはわかっている。その中で沖縄の歴史についての記述は、ほんの数行でしかなかったように思う。でもその本の数行にあたる部分を少し掘り下げるだけで、周囲の歴史の理解がかなり深まった。こうやって知ったこと、気づいたことを、自分だけの気付きで終わらせることなくどう繋げていけるかをずっと考えている。戦後80年が経ち、私の祖父母は戦争を経験した世代だが、結局ちゃんとした体験談やその時の気持ちを聞くことがなかったことは、私はずっと悔やんでいる。戦時中らしき頃の話を聞くことはあっても、なんだかこちらからは聞くことなく終わってしまったのは、繋げられたはずの何かを逃したことと同義だろう。逃してしまったのは仕方がないとしても、これから私に何ができるだろうと、80年目の節目の年ということもあって、ずっと考えている。(2025.6.7)
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126.視界の話
久しぶりに眼科へ行った。数年前に角膜に傷がついてから、なんとなく治ったり治らなかったりして、また紫外線にも弱いせいか屋外に出るだけで涙が出たりしていたので、ここ3年くらいは眼鏡をかけて生活をしていた。それまではコンタクトレンズをつけていたのだが、洗ったり保存液を買ったりする手間がなくなったことをいいことに、そのまま眼鏡で生活するようになった。
しかしコンタクトレンズをつけるようになる前もそうであったように、姿勢が悪いのか、眼鏡そのものが合わないのか、度数の合う眼鏡をかけていても首や肩が痛くなってきてしまった。毎日というよりは必要に応じて使いたいので、ワンデーの使い捨てコンタクトを試してみることにした。
実に3年半ぶりにコンタクトレンズをつける。それまで10年以上つけていたのだから当然だが、当たり前のようにつけることができた。こんな感じだったっけ、、というのがつけてみた最初の感想で、1日つけていてもずっと常に、こんな感じだったっけ、、、と思いながら生活した。しかし眼鏡と違って視界が制限されないのは大きい。私はどちらかと言えば、一つのことにじっくり集中するのは苦手で、何かをしながらも別のことをいくつか考えていたり、何かを見ながら別のことをやることのほうが多いから、視界が広くなったのは大きな変化だった。
眼鏡のレンズ幅の視界にすっかり慣れてしまった。初めてコンタクトをつけた時は「よく見える!」という感動が大きかったが、今回久しぶりにコンタクトをつけた時は、視界の広さ、特に横に長く全体が把握できるということに、開放感というか気楽さを感じた。立ち上がると、地面までの距離も少し違うような感じがする。私はけっこう目が悪いので、眼鏡のレンズの歪みも大きい。レンズの歪みと、レンズの幅の視界で見る世界にすっかり馴染んでしまっていたのかもしれない。眼鏡がなくては、まともな生活がままならない私にとっては、眼鏡で見ていた少し歪んだ狭い世界こそが、私のリアルな世界だった。
目が悪い人の見ている風景を、目が良い人は想像がつかないという。でもそれは目が良い人だけがわからないのではないと思う。たとえば少しの色の見え方の違いや、立体に対する見え方の違いは、気づかないレベルでもそれぞれ人によってあるのだろう。ただ今のところ、誰かの目になることはできないから、自分以外の人に世界がどのように見えているかは、誰にもわからない。時々自分の見え方を変えて、ひとつの見え方が全てではないということだけでも、いつも感じておきたいと思った。(2025.5.31)
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125.落ち葉を掃く話
家の前に木が植えられていて、その木が葉っぱを落とすので、掃除しなければと、家を出入りするたびに考えていた。しかし木が生えている根本は砂利が敷き詰められ、砂利の上に落ちた葉っぱはなかなか掃除するのが面倒である。私たちが出入りする玄関から道路までの通路は平らになっているものの、その脇に木が生えている部分は砂利が敷かれているのである。砂利の上の落ち葉は、箒で勢いよく掃くと、砂利も一緒に動いてしまう。一枚ずつ拾えるような枚数でもない。上澄みだけを軽く箒で掃いては集める、という程度の掃除はしてきたが、それでは綺麗になりきらなくなってきた。
本来なら、落ち葉を集めるのに最適なのはブロアーだと思う。風を作って落ち葉を任意の場所に集める。ブロアーは持っていないので、似たような効果を作り出せそうなドライヤーで挑戦した。風力は当然ながら足りないが、少しずつであれば砂利の上の落ち葉を平らなところまで運んでくれるので、それなりの効果はあった。数日雨が降っていたが、前の日から天気が良く落ち葉も乾いたタイミングでできたことも良かった。ただこの日は風も少しあったので、気をつけないと風に吹かれてまた落ち葉が���らばっていってしまう。
中学や高校のころ、ホームルームの後に掃除の時間が設けられていて、私はもっぱら屋外の掃除を担当した。屋外の掃除は不人気で、私はむしろ屋外が良かったので、別の場所の担当になってもだれかしらに変わってもらって屋外の掃除をしていた。終わりなく落ち葉を集めるからなのか、夏は暑く冬は寒いからなのか人気がなかったが、雨が降れば中止になるし、私はむしろ教室のような狭い場所でほこりを巻き上げるような掃除よりも、気分が良くて好きだった。一度掃除し終わったと思った場所にいつのまにか落ちてきた落ち葉をまた掃くのも、完璧なんてないことを簡単に示されているような感じがして嫌いじゃなかった。もう10年以上ぶりに落ち葉を集めていて、そんな前のことを思い出した。
今新たに何か、これまで全くしたことのない仕事をするとしたら、落ち葉掃きがしたいと思った。木が葉っぱをたくさん落とした時期だけ発生する仕事。そして風が吹けばまた散らばって、1日ではとても終わりがない。そんな仕事ではとても食べてはいけないかもしれないが、仕事の楽しみとしては十分なものかもしれないと思った。(2025.5.24)
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124.家と仲良くする話
今の家に引っ越して2ヶ月くらいになる。1ヶ月くらいたったあたりで、だいぶ家の暮らし方はわかってきたような気がしていたが、2ヶ月経った今でも、まだなんとなく馴染みきった感じはしない。
もちろんたかが2ヶ月で、馴染みきった感じにはならんだろうとは自分でも思う。それでもまだ、家の中のありとあらゆる場所でただ佇むことがもっと必要な気がした。こちら向きにいるとこの窓は見えない、とか、よく晴れた日の午後はこの辺にいると意外と日差しが眩しい、とか、多分そんな感じのデータがまだ足りないのである。思えば昔住んでいた実家は、ほぼ物心ついた時から住んでいたから、家のあらゆる場所で、座り込んだりゴロゴロ転がりながら本を読んでみたりした。そのこと自体が、家を知るということだったのかもしれない。掃き出し窓の段差を枕にして寝っ転がりながら部屋の中を見ていると、床の上の細かい埃がキラキラと光を反射していることとか、隣の家の屋根の上に満月の頃の月が上がってくるのが見えることとか、階段の下の空間に小さな窓があって午前中はその光が美しいこととか、なんかそんな感じの些細なことばかりが、私が自分の暮らす家との関係性の深め方なのかもしれない。
今は昔の実家のような広さはないにしろ、その域に達するにはそれなりに時間がかかるのかもしれない。今思えば、昔の実家ではどこからどんな風景が見えるのかが、いまだに鮮明に思い出せる。自分の体や内面の成長とともにあった家というのは、特別そういうものなのかもしれない。その記憶すらこれからは薄れていくだろうが、できる限り今住み始めた家とも��良くしていこうと思った。(2025.5.17)
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123.CDを手放す話
音楽CDのデータをパソコンに保存している。というのも、これを書いている今もその作業中である。子どもの頃からMacが家にあったから、自分で初めて買ったパソコンもMacだったし、iTunes(今はミュージック)にずっと音楽データを保存している。外付けのdvdドライブに一枚ずつCDをセットして、読み取れれば自動でデータの読み込みを開始するから、完了の音が聞こえるまで待ち、またディスクを入れ替える。この作業をここ3日くらい、空いた時間ずっとやっている。
今やもうノートパソコンにもCDやDVDを挿入することができないので、学生の時以来7年ぶりくらいに引っ張り出してきたDVDドライブをフル稼働させている。ずっと家にあったCDを捨てるべく、やっと手をつけ始めたのだが、ケースがないものも含めると200枚以上はありそうだ。でも私より上の年代であれば、ある程度CDを買う人なら、似たような感じか、すでに対処している人も多いのだろうか。私が小学生くらいの頃、ちょうどMDが普及し始めて、友達同士でダビングして共有していた。中学生まではMDプレイヤーを使っていて、高校生くらいからはiPodに変わった。ここでそれまで聞いていた音楽とは保存方法が違うから、同じものを聞けなくなってしまった。そして高校生の終わりだったか大学生になってからだったか、iPodの元のデータであるiTunesのデータが一度全て消えてしまったことがあった。これらのデータの断絶のタイミングでも、自分で持っていたCDだけは、またデータを読み込んで聞くことができた。データはいつか消えるし、保存形式は変わっていく。でも私の生きてきた中では、CDだけはその価値や普及率?なんかは変わっても、そのものは変わらず(今も販売もされているし)問題なく再生できるのだ。
それでも今もうサブスクリプションの時代となって、保存形式や媒体が変わるというよりもう個々に保存する必要がなくなりつつある。音楽や映像作品のデータを個別に所有するなんてもう前時代的なのかもしれない。私はいまだに音楽のサブスクには課金していないが、どんどん対応する曲が増えているし、そのうちし始めるかもしれない。そんな私でも今は新しい楽曲を買いたい時は、CDでは���くiTunesストアで購入してダウンロードしているのだから、前時代的な私にとってもいよいよCDは不要なものとなりつつある。
これまで何年もの間、家にずっとあって聞くこともなかった、ただ邪魔だっただけのたくさんのCDを、私は捨てられなかった。それらのCDのデータのほとんどは、サブスク契約すればすぐにでも聞けるものばかりだろう。それでも今こうして一枚につき数分かけてパソコンに読み込んでいるのも、せめて手放す前に一枚一枚を確認しておこうという気持ちの方が強いのかもしれない。読み込み完了の音が、最後の役目を終えたよ、という合図にも聞こえてくる。(2025.5.10)
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122.欲しいと思う話
私は小さい頃から、物欲がない方だと思う。親から、誕生日やクリスマスに何が欲しいかと聞かれてもすぐに思いつかないばかりか、考えてもなお思いつかなくてパスしたこともあった。おそらく自分でも覚えていないほど小さい頃は、それなりに店で欲しいものをねだったり、駄々をこねて親を困らせたりしたこともあったのだと思うが、おそらくそこでたしなめられたことを自分の中で都合よく解釈した結果、一瞬欲しいような気がしたけれど別にいらないのでは…?とすぐに思ってしまう思考回路ができてしまった。
引越しをして、いろいろと古くなったものや合わなくなったものを捨てて、新たに買い足したり買い替える機会が増えた。自分で前から気になっていたものや、いくつか見てすぐにピンとくるもの、自分なりに捨てがたい条件と必要ない条件を判別できるものは楽しく選ぶことができるが、そうでないものもある。そしてそうでないものであっても、なるべく早めに買わなければならないものもあり、意外と決断するストレスで疲れてきてしまった。もともと持っているものを使い回す癖がついていることもあり、新しいものを買うために探すということに慣れてもいない。保留しておけるものはできるだけ保留にしてしまう。それでも、生活していると足りないものや、これもあったら良いのにと思いつくので、また自分の理想に近いものがないかどうか調べて探しに行く。まあ生活とはそもそもそういうものだし、引越したばかりだからそれが多いだけで、普段でも似たようなことは常にある。
先日は父のそうした買い物に付き合っていた。あくまでも私が求めて探しにきたのではなく、父の買い物だった。結局百貨店のある駅まで出向いて、近くのショッピングセンターも含めて色々見ていた。私は普段もたまに行く場所だったが、父の付き添いだったので普段は覗かないようなショップも見て回った。絶対に自分の欲しいものはないだろうと思った店の中で、まったく考えてもいなかったマットが欲しくなった。イランの絨毯やラグの期間���定のショップだった。都内の別の場所で店舗があり、こうしたポップアップにもよく出しているようだった。今まで無地のラグを敷いていたことはあったけれど、こうした民族系の柄物を使ったことはなかった。そしてこういうものは全く手が届かないような値段だとおもっていたから、見向きもしなかった。だがポップアップということもあって、小さいサイズのものが多くて、そんなに高くもなかった。一旦は気になった柄を写真に撮ってそのショップから別のお店へ移動したが、父のスリッパを買っている間の30分くらい考え倒した後、結局欲しいと思ったマットを買うことにした。大体欲しいと思っても、一旦離れて考えるといらないな、となることも多いが、むしろ今買わなければ、もう柄物のマットに興味を持つこともないかもしれない、くらいに思えてきたからだ。普段予定にないものを欲しがったりしない、大体欲しいものはネットである程度調べてから買う私を知る父は、わざわざショップに戻って買うと伝えると少し驚いていた。父に先に帰っててもいいよ、と言ったが、着いてきて、父も同じショップでマットを買っていた。私の勢いにつられたのか、もともといいなと思っていたのかはわからない。でもなんだかこれまでにない経験だった。
ネットでいくらでも調べられる今、たまたま入ったお店や通りがかりで、自分が強く欲しいと思えるものに出会えることは喜ばしいことなのかもしれない。ネットで事前にあれこれ調べてしまうから、むしろその辺を感知する自分のアンテナや判断力は鈍っているような気がした。時間や手間のことばかりを考えて事前に細々と調べてしまうけれど、その時の直感や判断をもっと大事にしたいと思った。(2025.5.3)
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121.豊洲の話
久しぶりに豊洲に行く機会があった。私に住んでいるエリアからすると、よほどそこにしかない場所に用事があるわけでもない限り、ほとんど用事がない場所だ。東京湾のエリアという意味では、お台場とか品川とかその辺までは行くことがあっても、なかなか豊洲の方まで行くことは少ない。
豊洲といっても、私が指す豊洲は周辺の数駅も含めたイメージだ。前にこの辺を歩いたのは、2020年に東京オリンピックが延期になって、その辺に作られている新しいオリンピックの関連施設、築地から移転した豊洲市場や、選手村になる場所を見に行った時だから、もう5年ほどは経っていることになる。その時は夢の島の方から歩いたのだったか、はたまた有明の方からか、とにかく海の見えるところを歩いた。だが今回は、豊洲の駅周辺に用事があったので、豊洲の駅から辰巳の方まで歩いてみることにした。辰巳は、オリンピックの時に作られた巨大なアクアティクス��ンターという水泳の巨大な施設がある。前に見に行った時はまだ周辺にも入ることができず工事中になっていた。近くにはバーベキューができるエリアがあると示す看板が立っていて、ポツリとローソンが一軒あった。今回もそこまで歩いてみることにした。
豊洲の駅から少しずつ海の方へ向かっていく。はじめは大きな商業施設があったりして、人々の生活に便利そうな雰囲気がする。その背景に巨大なタワマンがいくつも見えてくる。いわゆる外海に面している地域の、ガッツリと塩が混じったような海の匂いではなく、なんとなく空気中やその辺の地面や植物やなんかにうっすらと染み込んできているような、ほんのりと海の存在を感じさせる空気がし始める。その雰囲気の中に聳え立つ幾つものタワーマンションは、何かに備えているような、今見せている姿がただの一形態に過ぎないというような、なんだか不明瞭な感じが漂う。そこにたくさんの人が住んでいるのだから、そんなふうに感じるのは私くらいなのかもしれないが、それでもそこに住んでいるであろう人数の割には、まだ平日の午後だからなのか、ただ見えていないだけなのか、人の存在感がまばらなのである。橋を越えてそんな場所を過ぎると、今度はそんなに高さのない、なかなか古めの団地エリアになっていった。たしかにこれだけ年季の入った建物が健在ということであれば、さっき私が感じた不安は思い過ごしなのかもしれないと思いつつ、団地の中の商店街を横目に見つつ、その先にさらに聳えるアクアティクスセンターに向かう。規模感や時代感が違い過ぎて、全然別のエリアが隣同士に来てしまったかのような、変な感じがする。大きめの道路を越えると、いかにもここ数年で作られたような(気がするだけで、そこは前からあったのかもしれないが)公園の先の、距離感がわからなくなるほど巨大な建物にたどり着いた。それまで歩いていたエリア以上に人気はなく、父親と子供2人がふざけながら歩いていたが、彼らとの距離感も分かりにくいほどやはり大きな建物だった。中にはもしかしたらたくさん人がいるのかもしれないが、中を覗いてみることもなく、横を通り抜けた。突き当たった道を曲がって歩いていくと、前にも見たローソンの看板が見えた。ローソンは変わらずそこにあった。お腹が空いたのでおにぎりを買って公園のエリアのベンチで食べた。すると部活帰りのような学生のグループがアクアティクスセンターから歩いてきた。誰もいないかのように見えても、それなりにはやはり利活用されているのだろう。ただ距離感がバグるほどの巨大な建物である必要があったのかはよくわからない。作られた当時その大屋根を作る工事のドキュメンタリーみたいな番組を見た記憶もある。新しい技術を活用することが、無駄に思えてしまう今は、あまり良い時代ではないのだろう。無駄なことに大いに価値を感じられる時代になりたいと思った。(2025.4.26)
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120.裏切らない柑橘の話
昔からだったかどうかはあまり記憶していないが、わりと柑橘類が好きな方である。子供の頃は、静岡県に住む祖母がみかんを箱で送ってくれて、年末年始はこたつに入ってそれを食べる、というのが恒例だった。そして当時はどちらかと言えば酸っぱいものより甘いものの方が好きだったような気がする。小ぶりのみかんは酸っぱいものが多いからと、大きめの甘そうなみかんを選んで食べていた。
ある程度の年齢になってから、自分で自分の食べ物を用意するようになると、柑橘はじめ果物は値段が高いということに気づいて、なかなか口にしなくなった。また10代後半は指先が荒れてしまい、みかんはまだしも大きめの柑橘の皮を自分で剥いて食べることが難しくなった。外側の皮は剥くことができるのだが、中の果実を仕切っている薄皮を剥くには、どうしても指先の傷に染みるのだった。そうしてしばらく何年かは、すっかり柑橘から遠のいていた。
そしてまた何年も経ち、指先もあまり荒れなくなり、自分でたまに柑橘を買って食べるようになったのは、ここ数年のことだ。自分でみかんを買ってみると、糖度などの数字の目安はあれど、買う時に味の見分けは全然つかない。むしろ糖度が高いみかんの、甘ったるい独特な味が苦手になってしまった。なってしまった、というか、昔はそれが私にとっては「ハズレ」のみかんで、甘くてもちゃんと美味しいみかんもあったような気がするのだが、今になって色々買ってみても、私的にはほとんどアタリのみかんには出会えなかった。もっと高い良いみかんを買えば良いのかもしれないが、昔もスーパーでしか買ったことがなかったものを、わざわざそうして買う気にもならず、また遠のいてしまった。
こうしてみかんからは遠のいたものの、自分でよく買うようになったのは、オレンジや八朔、そして文旦だった。なかでも文旦は、柑橘類の中でもいちばん好みの味で、見かけたら買ってしまう。そもそもあまり売っているところを見かけることがなくて、時期になると実家に送られてきたものを分けてもらって、改めて美味しいと感じたものだった。思い返せば、子供の頃も毎年時期になると送られてきたのは、父の実家のあたりではどこの家の庭にもだいたい文旦の木が生えていて、大きな実をたくさんつけるので、それをお裾分けしてもらっていたためだった。文旦といえば土佐が有名だが、熊本や鹿児島の文旦は2回りくらい大きく、でもその大きくなった分のほとんどが皮の内側の白い部分で、そのふわふわした部分のなかに守られた可食部がある。
今年は実家にも、どこからも文旦は送られてこなかったようだった。高齢になってきた父の地元の知り合いたちもまた、高齢なのだ。土佐のアンテナショップに行って、10キロの箱入りの文旦を、シーズンがもう終わる4月前半に購入した。人に分けながらも、黙々と皮を剥いてたくさん食べた。たくさん食べていると、味や食感、酸っぱさ、種のつきかたなどの個体差がわかってきて面白いが、いくつ食べても、好みの味ではないもの、つまり私にとって文旦ではないと思ってしまうような味のものに当たることがなかった。文旦の味は私を裏切らない。柑橘類の中でもビタミンCがたくさん含まれるという文旦を毎日食べていたらお腹を壊したが、整腸剤を飲み少し食べる量を減らしながらもまだ食べ続けている。この歳になって、裏切らない食べ物は意外と貴重なのである。(2025.4.19)
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119.組み立てる話
最近は父の本棚の組み立てを手伝っている。家の引っ越しに続いて、事務所も移転してきた父は、まだ段ボールだらけの部屋が二つほどあるのだ。おまけに、それらはほとんどが本や書類のファイルで、それをしまうための本棚をネットで購入したものの、全て自分で組み立てなければならないタイプのものだった。
私も引っ越しに伴っていくつか家具を購入して組み立てるなどしたが、それを上回る量の組み立て家具を購入していた。本棚は180センチの高さがあって、とても1人で組み立てられるものではなかったので、お互いに都合のつく時に組み立てている。
本棚はとにかくパーツが多い。そして似ているが少しずつ違うものもたくさんある。溝が片面にあるもの・両面にあるもの、ネジ穴が5つのもの・4つのもの、などだ。そもそも重い本を収納する棚だから、パーツも全てしっかりした板なので重い。初めは仕組みを理解するのに時間がかかるが、取扱説明書をよく読んで、パーツを確認して、ひとつひとつ書かれている通りに組み立てる。
組み立てていると、さまざまな発見がある。ネジの種類も、今回家具を組み立てるにあたって初めて見るタイプのネジがあった。あらかじめ板に穴があいていて、そこにネジが半分以上出でいる状態まで捩じ込んだあと、別の板の穴にそのネジを差し込み、そちらにあいている横向きの穴からネジを固定するドラムというパーツを捩じ込んで、しっかり固定するものだ。縦に2枚板を繋げるタイプの、また別の似たようなネジとドラムもある。そのネジがある場所と、木のダボの場所、そしてその両方がある場所とあり、組み立てていると、その配置の理由がなんとなく見えてくる。組んだ時にすぐに固定したいところはネジで、組んだ時ではなくその後に全体が組み上がってきた時にしっかり固定されれば良いところは木のダボになっている。また、最後に背板の後ろから小さいネジで何箇所も固定する工程があり、初めはなんとなく背板を固定するものだと思っていたが、その小さなネジで背板が固定されることによって、全体の歪みがなくなって揺らそうとしても横に揺れなくなるのだ。当たり前だけれど、素人が組み立てて���ちゃんとした強度が出るように、しっかり計算された構造になっているのだと感心する。たくさんの板のパーツは、ほんの小さな違いでも違うものにはそれぞれ異なる名前がつけられ、そしてそのすべてに理由がある。組み立てているうちにそれが見えてくる感じは、ある種の謎解きとか、ゲームに近いものがある。とはいえ、本棚の棚板が梱包された箱はとんでもなく重いから、組み立て自体がかなりの重労働だ。もう一生分くらいは本棚を組み立てたと思っている。(2025.4.12)
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118.ロボット掃除機の話
引越しに伴って、ずっと箱のまま開けていなかったロボット掃除機を開封した。そもそもは父が購入して使わないまま、実家にずっと置かれていたもので、引越しに伴ってやはりいらないとなったものを私がもらったものだった。開封してから調べたら2018年に出たモデルということがわかり、おそらく7年近くもの間、箱の中で眠っていたものだ。
時間設定やスマホ連携もない、スイッチを押したら勝手に始まるだけのタイプで、昨今ほどロボット掃除機の種類が増えていなかった時期なので、とてもシンプルなものだった。もうとっくに保証も切れているものを今更使おうとして、動かなかったらどうしようかと思ったが、開封してから3時間くらい充電してスイッチを押したら、ちゃんと動き出した。
初回だったので、椅子に座ってお酒を飲みながら、掃除機の様子を観察した。あらゆるところにぶつかりながら、ゴミを回収していく。当然のことながら、私たちのように目で見て動いているわけではないから、動き方はぎこちないものの、フロア全体を網羅しようとしながら進んでいく様子を見ていると、この空間を把握する方法や考え方は明らかに生き物的ではないな、と感じる。しかし一方で、同じ人間同士であっても、考え方や方法が違うなあと思うことは常々あるので、実は大して変わらないのかもしれない、とも思った。予測不能の動きをして、また掃除機なのでそれなりの音をたてながらうろうろしているものが同じ部屋の中にいるのは、なんだかとても新鮮だった。思えば私は、部屋の中でペットを飼ったような経験もないから、なんとなく人間以外の動くものが部屋にいることがただ単に新鮮なのかもしれなかった。
結局、音が割とうるさいという理由で、それ以降は出かける前にスイッチを押してスタートし、出かけている間に稼働させて、帰ってきた頃には終わって充電に戻っている、という使い方になった。自分の家の中を自分以外の何者かが勝手に掃除してくれているのは、なんだか不思議な感覚だ。誰かに頼んでやってもらうのとも違う感覚だ。なんとなくロボット掃除機が自由に動き回っ��いるのだろうな、と想像する。人間がいなくてせいせいする、くらいに思ってるかもしれない。(2025.4.5)
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117.写真を撮る話
引越しに伴って、以前たくさんの写真を整理したものとまた対面した。自分が撮られた写真もあるが、自分で撮った写真の方が、その時のシチュエーションやその前後の出来事を覚えている。誰かに撮ってもらった時の自分は、その誰かの視点であって、自分の目で見たものではないから、自分の記憶とは少しだけ距離がある。
そして、自分の手元に残るのは、基本的に自分で撮った写真になる。誰かが撮ってくれた自分の写真は、わざわざその人がプリントして渡してくれたものや、自分の家族が撮ってそのまま家にあるものばかりだ。写真は、長いこと時間が経つと、その写真を眺めた時間もまた一緒に記憶に残るものなのかもしれない。幼稚園の卒業のとき、同じクラスの子たちの保護者が手作りで全員へのメッセージと写真をそれぞれファイルしたものを作ってくれた。幼稚園で実際に過ごした記憶はもうとうに薄れているが、小学生の頃、そのファイルを眺めて同じクラスの友達のメッセージを読んだり写真を、たまに手にとっては眺めていたのを思い出す。幼稚園だから当然だが、友達の幼かった写真を見ては、今はもう成長して変わっているのだろうと小学生ながらに思いながら見ていた。そのファイル自体が、自分が過去の思い出や友達に想いを馳せた最初の記憶をもたらすものになっている。
また今回久しぶりに発掘したのは、20年前くらい前に撮ったプリクラだった。プリクラは、自分が撮られるものでもありながら、撮影する画角を大きな鏡のように見ることができるから、自分たちで自分を撮る、いわゆる自撮りである。それ以前もそれ以後も、ほとんど自撮りをしたことのない私にとっては、自分(たち)を自分で撮るプリクラは数少ない種類の記憶だ。そのせいなのか、自分がなぜその服をきているのか、ポーズや表情を選んでいるのかを、なんとなく思い出すことができる。また私が高校生の頃撮ったプリクラは、自分で落書きするものだったから、大体はその時のノリで適当に書いた言葉や、別の人が書いたものについて、どんなことを思ったかとかその時の会話、友人との関係性が、なんとなく普通の写真よりも思い出される(よく考えれば、高校時代の普通の写真というのがそもそもほとんどないのだが…)。
生きてきた時間の中で、写真を撮ることがどんどん手軽になった。今はこの文章を書いているスマホで、いつでもそれなりの画質の写真が撮れる。カメラを持ち歩いたり、携帯のカメラはあっても画質が悪かったりした時期は、逆に言えば写真を撮るためにカメラを持ち歩いたり、プリクラを撮りにゲームセンターに行ったりすることそのものが、今の私にはもうほとんど縁のない行動になってしまった。写真そのものというより、写真を撮るという行為の意味が大きく変わっている。(2025.3.29)
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116.生活空間の話
今週は引っ越しがあった。といっても、私の引っ越しは自分たちで数日かけてコツコツと荷物を運ぶので、1日で一気に移動するのではない。思えば、大学進学の時や学生でなくなる時なんかも、なんとかして自分たちで運んできた。久しぶりに重いものを誰かと持ち上げると、普段は怠けている筋肉が呼び起こされるからか、逐一声を掛け合うのがなんだか学生の時を思い出すからなのか、なんだか懐かしさすら感じる。
移動距離が短いので(隣町)、事前に荷物をまとめることはあまりせず、その都度箱や紙袋、しまいには新しいゴミ袋に物を詰め込んで運ぶ。運んでいた日数は1週間にも満たないけれど、初めは本など生活に直接関係のないものから運び始め、調理器具、テーブルや椅子、など少しずつ自分の生活で使っている道具を運ぶ。その間に、家はどんどん私の家ではなくなってゆく。かと言って、新しい家で物をきっちりしまっている時間はないので、新しい家もとても生活感のある空間とはいえない状況なのである。一時的に私は私の「家」を失い、また新しい家で自分の生活空間を作っていく感じがした。
新しい家にあるのは、ほとんど前の家から持ってきた物ばかりで、自分のよく見慣れた物ばかりだ。それなのに、まだ自分の生活空間という感じがしない。遠出して泊まる時のビジネスホテルですら、到着して荷物をある程度広げたら、自分の空間になり始める感じがするのに、たくさんの自分のものに囲まれていても、それが自分の生活に沿った配置になっていなければ、全然自分の家という感じにならないのが不思議だ。
これまで住んでいた古いアパートは、いったい何人の「家」となってきたのだろう。築年数は私の歳と同じたから、それなりに何人もの生活を見てきた部屋だ。荷物がどんどんなくなり、何もない元の状態に戻っていく時、住んでいた時にはすっかり私の家として擬態していた空間が、本来の私のものではない空間としての雰囲気を主張し始めた。私はまた新しい家を作る。(2025.3.22)
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115.車の性格を想像する話
たまにだが、2時間くらい車を運転する。高速を使えばその時間は多少短くなるのだが、むしろ渋滞する時もあるし、大幅に時間が短縮できるわけでもないので、結局下道を走ってしまう。
そのほとんどは国道を走っていくのだが、車の運転では目を離すわけにはいかないので、この時だけラジオを聞いている。ラジオを見ながら、あまり道がすいておらず、周りに車が多い時は、近くの車を観察している。車種、車の色、ナンバーの地域、ナンバーなどなどから、その車の持ち主を想像する。必ずしもその車を選んだ人が乗っているわけでもなさそうなので、運転の仕方、例えば、止まる時にどのくらい車間距離を空けるかとか、ジリジリと進む時にどのようなタイミングで前に進むかとか、車線変更を頻繁にするかどうかとか、などから、運転している人のことを想像する。でも自分も運転しながらだと、他の車を運転している人がどんな人かというのは、見えないことが多い。真後ろの車はバックミラーで顔が見えたりもするが、だいたい私が車の「性格」を観察しているのは横から前方のほうが多いから、そうなるとどんな人が乗っているかは、なかなかわからない。そんな状況で観察していると、次第に車そのものが、そうした性格なのかもしれないと思えてくる。例えば、頻繁に車線変更をするせっかちな車は、時間に追われてできるだけ急いでいるのかもしれないとか、逆に周りよりもゆっくり走る車は、なにか壊れやすい大切なものを積んでいるのかもしれない、とか。運転手の姿が見えないことで、それらが車そのものの性質・性格であるように想像するというのが、最近車を運転している時の暇つぶしになっている。
そんなに頻繁に運転するわけではない私でも、急いでいる時や、荷物をたくさん載せている時、などで状況によって、運転の仕方も変わってくるという自覚がある。色々な車に乗る機会はあまりないものの、普段運転しているのではない車を運転する時は、それだけでもだいぶ変わる。だから運転手の性格というよりは、その車をその運転手が運転することで生まれる性格みたいなものなのだ。組み合わせも状況も無限にあるので、同じ車種でもそれぞれの個性を感じる。道が混んでいる時の運転は、順番待ちみたいなものだから、その個性はより色濃く見えてくる。移動時間は短いに越したことはないけれど、最近はそんな新たな楽しみが少しだけある。(2025.3.15)
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114.雪の日の話
この冬は例年より明らかに暖かかった。なので、もう雪は降らないのではと思っていたが、3月になって暖かくなり、春めいてすらきた翌日、いきなり気温が下がり雪がちらついた。その次の日も雪予報で、私はたまたま数ヶ月ぶりに祖母の老人ホームまで車で行くことになっていた。
東名高速を、名古屋方面に下る。北に向かうわけではないから、とは思いつつ、富士山近くの標高の高い地域を通って沼津までゆく。ちょうど帰ろうとした15時前ごろ、雪がちらつき始めた。高速にのってすぐのサービスエリアに寄ったら、16時で通行止めになるという。16時を過ぎてサービスエリアにいると、駐車場からも出られなくなるとのことだった。そのまま東京方面に向かうが、なんとなく渋滞もしていた。先の方では事故も起きていた。結局途中でタイムリミットが来てしまい、高速道路を降りて下道で帰ったが、まだギリギリ帰宅ラッシュの時間でもなかったためか、大きな渋滞に巻き込まれることはなく家に着いた。
年が明けてもう春も近くなってきた頃に降る雪は、私の学生最後の冬にもあった。大学の近くは少し寒い場所だから、都心よりも雪が積もりやすかった。その冬、雪が降ったのは私の記憶にあるだけでも2回はあった。一度めは、膝くらいまで積もるほどのなかなかの雪だった。夕方帰る頃に降り始め、ファミレスで作業をしていたら、帰る頃にはしっかり積もって雪はやんでいた。その時期は活動と博論と展示前とで、本当に切羽詰まっていたから、ひと段落して家に帰ろうとして外に出たら、いつもの世界が真っ白に塗り替えられていたことに、なんだか嬉しくなってしまった。一旦家に帰って靴を履き替えてから、夜中に1時間以上外を徘徊した。そしてその冬の2回目���雪は、もう春も近い3月後半、卒業式の2日前の論文発表の日だった。それが私の学生生活の中で、準備が必要な最後のイベントだったのだ。前日まで作っていたスライドを急遽取りやめて夜中に作り直した。雪は発表の途中から降り出した、のかどうかは記憶が定かではないが、全ての発表が終わって外に出ると、うっすらと3センチくらいの雪が積もっていた。世界を白く染めてしまうには十分な厚みだった。
子供の頃とはまた違う、雪が積もった光景に対する思い入れが増えた。ほんの数時間で見ている景色ががらりとかわる体験は、ほかにそうそうないからかもしれない。去年は2月に札幌に行って、分厚く積もった雪の上を歩き続けた。普段の地面の高さより、50センチ以上は上を歩いた。もし私が1人で外にいる時に大雪が降って倒れてしまったら、そのまま氷漬けになって、春に雪が溶けるまで行方不明になるかもしれないと思った。自分が歩いている足元にも、そんな命があるかもしれなかった。自然の魅力と恐怖を感じさせる雪が、不思議と年々より好きになってきた。(2025.3.8)
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113.やめてしまう話
自分がしたいと思っていたこと、やるための準備までしたにも関わらず、いざ始める段階になって急に、やめてしまいたくなる時がある。昔は、あんなにやりたかったことなのだからそんなのは気の迷いだと思って強行することの方が多かったが、最近はそういう気持ちになると大体スッとやめてしまうようになった。誰かと約束していたり、すでにお金を支払っていたりするときは、不思議とそういう気持ちにはならないから、本当にただの気の迷いなのかもしれない。むしろ誰かと約束をしたりお金を払ったりという、「自分のやりたいこと」として自分で認定する行為によって、気の迷いが生じなくなるだけなのかもしれない。
今週もそれはあった。以前からポスターをみて気になっていた公演。もう時期が迫っているため、チケットは完売していた。でも当日券の販売があるから、それにチャレンジすれば見れるかもしれない。数日前までは、そんなチャンスが残っていたことに歓喜したのだが、いざその当日となったら、急にそんな気分ではなくなってしまったのだ。実際私の予定的に行けるのはその日だけ、しかも仕事を早めに切り上げて、ほかの都合も調整しなければならない。前々からチケットを買っていれば、決まっていることなのだから、と準備ができるが、当日券は買えるかどうか当日までわからないから、全ての段取りを当日に一気にしなくてはならない、という現実に直面して、急に面倒くさくなってしまったのだ。実際には、こんなふうに対応しなければならない問題がいくつか出てきても、まあ仕方ないと思って対応することの方が多いのだが、このときは急にそんな気分ではなくなってしまったのだ。誰かと約束しているわけでもないし、まだチケットを買っていないから見たい誰かの枠をとってしまっているわけでもない、と思い、やめてしまった。
しかし、見たかったものには変わりないのに、自らチャンスを投げ捨てるようなことをなぜ突如したくなるのか。私という一つの人格だが、感情や考えはきれいに一つにはまとまらないということなのかもしれない。見たいという気持ち、見たいためならなんとか調整しようという頑張る気持ち、それらの気持ちが芽生えたときに、その逆の気持ちも生まれてしまう。別に見なくてもいいかもしれないという気持ちと、調整するのはめんどくさいなという気持ち。大抵は、前者のやりたい!がんばりたい!という気持ちの強さに引っ張られて、これらが表に出てくることはない(が、存在はする)。でも、何かのきっかけで、それが逆転する瞬間があり、なにかを始めるその直前が、最も逆転しやすい。そしてそれは、直前になるまで自分でも気づかなかった自分の意志かもしれないし、さまざまな細かい状況が揃って自分の直感が働いただけかもしれない、と思うようになってからは、それにわりと従うようになった。私みたいな人はそうなる前に、見たいものは余裕を持って早めに見に行き、予約できるものはさっさと予約してしまった方がよいのかもしれない。(2025.3.1)
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112.電車のホームにいる時間の話
普段、日常的に行き来する場所は徒歩圏内にあって、遠出する時も車に乗ってしまうことも多いので、電車に乗る機会はあまりなくなってしまった。都心方面に行く時は電車に乗るのだが、都心に向かう電車は混んでいるし、地下���に乗ることが多いので、電車に乗っているというよりは、目の前にやってきた扉から入り、また出る、ということを繰り返しているだけのように感じる。
都心方面とは逆方向に用事がある時、大体は荷物もあるので車で行くのだが、今週は持てる範囲の荷物だったことや、移動時間を本を読む時間にあてたいと思ったので、あえて電車で行くことにした。交通費だけで考えれば、電車のほうが高くなるのだが、時間帯的にも空いているはずだし、ほとんど座っているだけで目的地の近くまで運んでくれるという点では、とても楽だ。
電車の中では、図書館で貸出期限が数日後に迫った本をザクザクと読んだ。じっくり考えながらというよりは、ひとまず読み終えることが目的だ。2回目の乗り換えの時、地上のホームで電車を待つ。複数の方向から乗り入れている電車だから、線路の数がたくさんある。遠くまで見通せるので、普段の視覚的な距離感が狂ってくる。よく晴れていて、線路の金属が陽の光を反射してキラキラしていた。遠くからまた別のキラキラが近づいてくると、ある程度の距離まで近づいた時に、それが電車だと分かった。電車は、こちらのホームに向かってきていると思いきや、少し手前で向きを変えて隣のホームへ滑り込んで行った。
暑い時期は眩しくて、とても線路の先の方までをじっと眺めるなんてことはしない。まだ上着が手放せないほど適度に寒くて、陽の光になんだか暖かみを感じる季節だからこそ見ていられる光景かもしれない。普段の最寄駅は地下にあるから、地下の暗いトンネルの中をずっと通っている一対の線路ばかりを見ているから、いくつかの方面からの電車が乗り入れている、屋外の大きなホームにいると、何本もの線路が光を反射しているだけで、なんだか明るい気持ちになるような気さえする。乗り換えのほんの数分の待ち時間にそれを見るために、ホームの端のほうまでつい歩いてしまう。(2025.2.22)
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