Tumgik
duffffwwwww · 7 years
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矢のように過ぎたあの日
活気があふれる空間は,そこにいるだけで元気がもらえる.
上野で,はしご酒をした.大学時代の後輩とだ.後輩は,実家が茨城で栃木に就職した.その中間地点にある上野が,二人が会うにはちょうど良い場所だった.
集合時間は,13時.駅前のこぎれいなに整ったスペースから信号を渡り,路地に入ると,意外にも多くの人でごった返していた.そういえば,今日はGW初日だったと振り返ると分からなくもないが,大の大人が4,5人で列をなして歩いているのだから,なんとも元気な通りだと思った.
私はいつも遅れて到着する.この日もそうだ.別の後輩からは,「先輩に時間を伝えるときは,他の人よりも30分ほど早めの時間を伝えてちょうどいい」と言われたことがある.会う人によって,臨機応変に対応することができる優秀な後輩だ.それに甘える.立て看板に隠れるように立っていた後輩に,簡単に挨拶を済ませ,店へと向かう.
地下に降りると,外の喧騒同様に,ゲラゲラと笑い声をあげながら顔を真っ赤にしているおじさんたちが,食事を楽しんでいた.飲み放題のお店だから,みんな思い思いの酒を注いで,「数年前はあれがあった」だとか「車を買い替えた」だとか,談笑している.今から自分も仲間入りしよう.予約した席に着くと,さっそく生ビールをジョッキグラスで2杯ほどあおった.後輩は,梅酒.甘いのが好きなのだそう.ロックで飲んでいる.私は,後輩のこういうところが好きだ.
就職したばかりだから,後輩にはまだ仕事の愚痴がたまっていないのかと思ったら,案外たまっていたようで,口を開いてから,止まらない.相槌を打ちつつ,ビールやお茶割,ハイボール,水割り,日本酒を口元に運ぶ.うまい.
安売りの店はコスパはいいものの,その分,モノにはこだわらない.背もたれもなく少し傾いた椅子に座り続けるのにはしんどくなってきた.ここいらで,店を変えようと,外に出る.15:00ごろになっていた.変わらず,それどころか,さらに往来が激しくなっているようだ.
それから数件,ビール専門店・HUB・もんじゃなどを賞味しつつ,道端の香水をかいだりと,恍惚の表情を浮かべながらゆらゆら千鳥足で町中を闊歩した.後輩も同様である.空気と肌の間に熱いどろりとしたものをまとったような感覚を味わえるのがはしご酒の魅力だ.まるで桃源郷を歩くかのよう.
話す内容も,仕事の話や色恋沙汰,そうかと思ったら人生論など話は尽きない.尽きなかったと思う.この辺から記憶はあいまいだ.
ふと気が付くと,時計は21時ごろを指していた.夢のような時間はおしまいだ.自宅に帰らなければならない.自分ばかりが楽しんでしまったのではないかと後輩に目配せをすると,なんだかとても幸せそうな笑顔を浮かべている.また,行こうじゃないか.
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duffffwwwww · 9 years
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3月中に観た映画のまとめ
3月中に観た映画を一覧化+一言コメント
・『父親たちの星条旗』
クリントイーストウッド監督作品。『硫黄島からの手紙』の兄弟作。第二次世界大戦中に、アメリカ国民の意識を勝利へと向けさせた一枚の写真。その写真に写された人物たちの人間像に深く切り込んだ作品でした。
・『ロッキー』
シルベスタースタローン主演。かの有名なロッキーを一つも見ていなかったので見ました。生卵を一気飲みするイメージしかなかったのが改善されました。フィラデルフィア美術館に行きたい。
・『ロッキー2』
アポロのキャラクターが安定していないように思うのは、私だけですか。一作目は、インテリぶったキャラクターだったのに、この時は、なんというか、違う気がしました。相変わらずの「えいどりあ~ん」
・『ロッキー3』
ミッキー!!まさか!!!っとはいっても、この作品を見る前に、実はWikipediaに目を通してしまったがために、大筋は知っていたんです。それで、いつの間にかロッキーと親友になっていたアポロとの友情がミッキーの意思を引き継ぐのです。だれだっけ、ロッキーに一度だけ勝ったやつ。名前忘れてしまった。見どころは、ラストシーンの、アポロとロッキーの誰も知らない戦いでしょう。
・『ロッキー4』
この時期のアメリカ映画の多くは、ソ連を意識していますよね。今作もそれに漏れずしっかりソ連を意識しています。なんだって、ソ連の女はショートカットで冷血女というイメージなんだろうか。日本とアメリカでソ連(ロシア)とイメージが同じなのは、アメリカが日本に作用したのか、はたまたその逆なのか、そこがまた気になるところではあります。あ、ストーリーは、そんなわけでそこまで面白くないし、この作品のためにアポロが死んだとなると、なんだか私、寂しいです。
・『ロッキー5』
トレーナーとしての人生と、息子を育てる立派な父親としての人生、それらの両立に苦悩するロッキーの様子が描かれていた、私は結構好きなんですけど、全米の評価はそこまで高く無いようです。やっぱりロッキーには強大な敵に立ち向かっていって欲しいという思いがあるんですかね。私からしたら、ロッキーもやはり人間だし、こういう人間味あふれる役柄もいいと思うんですけどね。友人のポーリーが殴られたからついキレちゃうロッキー、いいやつ。最初のゴロツキとは全然違う。人間的に成長したんですね。(この度ゴロツキは漢字で破落戸と書くことを初めて知りました。)
・『ロッキー ザ ファイナル』
『ロッキー5』は、シリーズ最終章として大々的に宣伝されていたのですが、結果は閑古鳥が鳴き、酷評だったようで急遽、シルベスタースタローンが監督を務めたこの作品が作られたそうです。原題は『ロッキー バルボア』。ロッキーの本名です。50代になったロッキーが現役ヘビー級チャンピオンに、なんだかんだあって挑んでいくという跳んでもストーリーなんだけど、前作の監督よりも、シルベスタースタローンの方がロッキーの人間性について深く理解していたのかな。いつまでもエイドリアンのことを思い続けるロッキーの深い愛情や、街の名士として人望を集めるロッキーなど、こういうところは、演じていたスタローンのほうが肌で感じる部分があったんだろうね。
・『いまを生きる』
観ている最中に、父が「俺ロビンウィリアムス好きなんだよね」と言ってきました。それだけです。予想していたストーリーでしたが、まさかニールが!そんな!!って感じでした。高校生くらいの時に出会っていたら、やっぱり人生を変えるきっかけになったのかな、なんて思います。物事を見る角度を変えることの大切さ、なんて、気が付いたのは大学2年生の頃だったからな。
・『セッション』
この作品のBlu-rayは買いです。買うべき。買って、一生観るべき。J.K.シモンズの演技は、これこそ、熱演。
・『チョコレート・ドーナツ』
ダウン症の子供をゲイカップルが育てる――これを聞いただけで、きっとこの作品は偏見の目にさらされるだろう。また、この作品が実話を基にした作品だとしたら、どれだけ世界は残酷なのだろう。「正義なんてないってことは、法律学校でならったろ」このセリフだけが、頭の中を反芻する。問いかけてくる映画。
・『龍三と七人の子分』
北野武監督作品。彼の作品を見るのは初めてですが、この作品の評価は割れているようですね。ようは、観客の笑いのレベルによるものだと思いますが。私的には、そこまで面白くはなかったかな。話をまとめるために無理やりキャストを増やしたようにも感じられたし。内容にして、ほとんどクるものはなかった。どうせなら、村上龍『オールド・テロリスト』を映像化してください。監督は北野武監督でいいから。
・『市民ケーン』
ふるーい映画です。「バラの蕾」と言い残して死んでいった新聞王ケーンの人物像の焦点を当てた作品。この作品については、かなり考察が進んでいるのでそちらのサイトを詳しく見ていただければ。かいつまんでいうと、この作品は、実在した新聞王を盛大に皮肉った作品としてのみ作られただとか。通常の内容読み取りでは、その言葉の真意とは、チャーリー・フォスター・ケーンの幼き日の思い出への懐古的意味を持って発せられた言葉であるのです。しかし、その皮肉った意味でとらえると、なんとPussy的な意味になるのだとか。
3月中は、春休み期間だということを生かして、かなりの映画を見たと思います。この調子で、4月も映画を観られたらいいなー
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duffffwwwww · 9 years
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『ゴッドファーザー』
2016.2.1
原題『Godfather』 監督;:フランシス・フォード・コッポラ
主演:マーロン・ブランド,アル・パチーノ
ひとつの借りを作ることによって,それが新たな人間の借りとなり,強固な人間関係と堅牢な権力体制が構築されるであろうことを理解しました.人の悩みは積極的に相談になっておきましょう.恩を売っておきましょう.その究極体が「暗黒街の頂点」として君臨するドン・コルレオーネにつながるのでしょう.なれるならば,私はドン・コルレオーネになりたい.
「家族を守れなかったら,男じゃない」と,パパ・ドン・コルレオーネは言います.イタリア系は,というか,いろいろな映画を見ているつもりだけれども海外って家族同士の絆をかなり重んじるのですね.というか,概観して,日本の方が特殊な家族状況にあると思います.家庭を顧みず働く父や,息子の受験のために,もしくは自分のことに精一杯な,または家族の体裁を維持することに尽力する母,そしてゲームや携帯に注力する子供.映画の登場人物の横のつながりも,海外の映画に売らべて日本の場合は,狭いような気がするのですね.
ゴッドファーザーは,人間同士,家族同然のマフィアという裏社会を描いた作品でありますから,そうした横のつながりは複雑で,難解です.少なくとも普段かた外国人を見る機会があって,登場人物を覚えることに自信がある人でもない限り,一見してゴッドファーザーの人間関係を理解することは難しいでしょう.私は未だに,長男ソニー,次男トム,三男マイケル,ぐらいしかわかっていません.あ,あとドン・コルレオーネ.他は名前もいちいち覚えておりません.難しいですからね.
副音声で,コッポラ監督による作品を見ながらの解説コーナーがありましたので,それを見ていましたら,最初のパーティーのシーンで,主要な登場人物の紹介をしているとコッポラ監督は説明している.よくよく話を聞いてみると,後ろでダンスしているのは彼で,隣で座っているのは彼女で,彼女と彼がダンスをしているから彼らは仲がよくって,遠くに彼がいるから仲が悪くてーなどなど,よく練られた作品というのは,こういうところにも手が込んでいるのですね.ちなみにですが,この特典は,確認はしていませんが,デジタルリマスター盤についているみたいなのでもし借りるならば,そちらを手に取ってみてください.
日本版ゴッドファーザーと言えるのは『仁義なき戦い』あたりなのでしょうか.そこらへんにも目を通しておきたいですね.ずっと,海外の映画ばかりを追っているので,たまには日本の映画でも目を通してみましょう.
もちろん,ゴッドファーザーの続編も見させていただきます.マイケル・コルレオーネがその後どのようにしてコルレオーネ毛を束ねていくのか,もしくは繁栄,または衰退していくのか.見届けたいのです.コルレオーネ家の手の甲に,私も忠誠の証を.
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duffffwwwww · 9 years
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『街の灯』
 2016.2.1
原題『City Lights』 監督;チャールズ・チャップリン 主演:チャールズ・チャプリン
チャップリン作品何作目でしょう.
『モダン・タイムス』,『独裁者』,『ライムライト』,そして『街の灯』,つまり今作品を含めて4作品目になるわけですね.彼の無声映画だと,モダンタイムス以来2作品目になるのでしょうか.
チャップリン作品の面白さは現代においても全く色褪せることがないどころか,昨今の恋愛漫画をベースとした恋愛したことがない女マンガ家の描く脳内お花畑フルスロットルな恋愛映画と比べると,比べることすらおこがましいと言えるかもしれません.(ここで見られるように,私は最近の少女漫画の映像化が大嫌いなのであります)
今回のチャップリンの恋の標的は,盲目の花売りの少女です.少女の可憐な姿と純粋さに一目惚れをしたところから物語は始まります.偶然が重なり(この華麗とも言える偶然の重なり方は彼の作品の魅力の一つとなっている),盲目の少女はチャップリンをお金持ちだと勘違いするし,チャップリンはチャップリンでお金持ちと仲良くなって実際にお金を手に入れます.喜劇王の真髄をみたり,です.
盲目の少女のために,働いたり,ボクシングの試合をしたり,大金持ちの友人を頼ったり…恋に奔走するチャップリンのコメディチック満載な動きは,俳優として観客を魅了します.もちろん私もその一人です.
しかし,これもクリント・イーストウッドが好きな私に共通する点なのではございますが,チャップリンの恋は大抵儚いのです.もちろん,今回もちょい,儚いレベルでしょうか.ライムライトほどではないです.結局チャップリンはその後,花売りの少女と付き合うことができたのでしょうかね.私の見立てでは,自ら身を引くのがチャップリンの美学なので,少女とチャップリンは付き合うことなく別の男性と結婚するのでしょう.何が一番幸せかと追求すると,きっと自己犠牲にチャップリンは走ってしまうのです.
個人的には,このチャップリンの考え方は著しく相手に対して失礼なのだと思います.自らを好いてくれる相手に,あなたは見る目がないと伝えているようなものだからです.チャップリンの目線は,相手に向いているのではなく,徹底して自己に向いている.自分をいくら分析したところで,嫌な自分が出てくるのが関の山であるはずなのに,しかも相手が自分のどこの部分を知らないのに,自らの嫌いなところを相手が見つけて嫌うだろう,もしくは相手は気が付いていないだけだと決めつけてかかり,勝手に身を惹かれるのですから,相手からしたら,重ねて,たまったものではありません.うん,何度考えても相手にとって失礼なのではないでしょうか.
でも,現実ってそんなもんですよね.身分の違いとか,愛し合っていたとしても超えることのできない何かがある.そこらへんも描き出すから,チャップリンのその態度を失礼だとは思うけれども,でも仕方のないことだとも思うのです.
つまり,4作品見てきて,チャップリンの大体の方向性が見えてきた(おこがましいのは承知です)のですが,現実と理想のギャップをうまくとらえながら,しかし理想に向かって努力はしていこうとすることの素晴らしさを,映画を通して観客に伝えているのでしょう.『ライムライト』も併せてみてみると,良いかもしれません.
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duffffwwwww · 9 years
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『道』
 2016.2.1
原題『 La Strada 』(1954)イタリア
監督:フェデリコ・フェリーニ 主演:ジュリエッタ・マシーナ,アンソニー・クイン
淀川長治さんがオススメする映画に含まれているので手に取ってみました.イタリア映画は,極めて主観的な判断ですが,あまり好かないのです.なんというか,男と女の愛がひしめき合うというか,鼻歌で虹が描けてしまうのではないかというくらいの浮かれ具合が鼻につくのです.なので,今までに見たイタリア映画…ぱっと思いつきません.ローマの休日はイタリアを舞台にしていますが,アメリカの映画ですし.イタリア映画は未体験ゾーンです.
簡単に監督が伝えたかったであろうことを説明すれば,「失ってから初めて気が付く」というものでしょうか.これまで献身的に使えてきたジェルソミーナを喪失してからのザンパノの,砂を噛むような(実際ラストシーンでは砂浜で砂を強く握り締めている)思いがひしひしと伝わってきます.淀川さんが勧めた理由が分かります.
ただ,この映画の特筆すべき点は,ストーリーではなく,上映された時期にあります.実は,この映画は1945年に第二次世界大戦が終結してから,初めて上映されたイタリア映画なのです.当時の映画は大衆娯楽的な側面があったとは言っても,まだ高価なものであったし,客のはいりがどのようになるのかは配給会社映画館もほうぼうに手を回して,苦労したようです.努力が実ったこの映画は,広く日本人に見られることとなり,なかなかに良い興行成績を収めたようです.
しかし,今後見返すことはなさそうです.どうにもジェルソミーナもザンパノも気に食わないのです.白痴系の役は好きません.
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duffffwwwww · 9 years
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『グラン・トリノ』
2016.1.30
原題『Gran Torino』(2008) 監督:クリント・イーストウッド 主演:クリント・イーストウッド
私の大好きな俳優,クリント・イーストウッド作品を鑑賞しました.あ,この作品のストーリーいいなぁと思うと,だいたいクリント・イーストウッドが監督しているものが多いので,この人とウマが合う気がします,勝手に私がそう思っているだけですけど.これまでだったら,『ミリオンダラー・ベイビー』や『人生の特等席』,『アメリカン・スナイパー』がそれに当たるんですかね.もし彼と対談する機会があるとしたら,凄みを聞かせながら「お前に話すことなどあるものか」と叱責するクリントに,及び腰になりながらもそれでも笑いかけながら「まぁまぁ話を聞かせてくださいよ」とつっこんでいく私.うん,想像ができる.
それで,今回の作品は『グラン・トリノ』になります.この作品を手に取るまでに「グラン・トリノ」ってなんだ状態だったんですけれども,作品を見終わると,その魅力にとりつかれていました.あ,グラントリノって車のことです.全く車関連に興味を持っていなかった私が(現に今も就職直前に必死になって普通自動車免許を取るために通っているところ),お金を貯めて,将来あのクルマに乗ろう!と思える位のカッチョイイ車なのです.
誰からも尊敬されず,家族からも敬遠されているクリント・イーストウッド演じるウォルター・コワルスキーと,彼の隣の家に引っ越してきたモン族(東洋系)の頭は良いが気弱な少年であるタオとの交流を描いた作品です.舞台は,アメリカの郊外でしょう.街中には民族によってグループ化されたギャングが縄張り争いをするような,治安が悪い場所です.作中では,「女は大学に行き,男はギャングになる」とされていました.そんな場所です.
そんな場所なもんですから,気弱なタオはいとこの東洋系ギャングにグループに入るよう勧誘されます.「他のグループからいじめられたくなければ,うちのグループに入れ」と.ただ,これには条件が有り,その条件こそ,クリント・イーストウッドの持つ1973年製「グラン・トリノ」を盗み出してくること.聡明なタオは,ギャングは車が欲しいのであって,自分の身を守ってくれるのではないことを理解していましたから,なかなかグループに入ろうとはしなかったものの,結局押し切られクリント・イーストウッド宅に深夜忍び込むこととなります.しかし,クリント・イーストウッドの反撃にあい盗みは失敗し,タオはギャングから睨まれるのですね.
で,なんだかんだあって,タオはクリント・イーストウッドの家のお手伝いとして仕えることとなり,タオは男へと成長するとともに,クリント・イーストウッドは人間との交流の仕方(!)を学んでいくのです.
私が,彼の作品が好きな理由というのは,決して全てがうまく行く大団円,ハッピーエンドで終わることが少ないからです.自分で言うのも恥ずかしいのですが,ペニシスト気質が私にあるのでしょう.「そんなに人生うまくいくわけねーだろ」と思ってしまうのです.なので,観る映画の傾向も,ドキュメンタリーや,ノンフィクション,人物伝,社会問題などそこらへんになります.話が横道に逸れましたが,今回の『グラン・トリノ』も御多分に漏れず,終わり方は,映画が終わった時の私は,茫然自失となりました.『ミリオンダラー・ベイビー』のときの衝撃と似た,というかほぼ同等の衝撃を受けたわけであります.美しさすら感じる喪失感.俳優としてのクリント・イーストウッドに加えて,映画監督としてのクリント・イーストウッドにも惚れてしまっていたわけですね.
人間と交流するとは,自らが自らの人生に責任を持つとは,そういうことだと思います.特に印象に残ったのは,若い神父に対してクリントが言い放った,お前の言うことは,教科書に書いてあったことのみで無味乾燥としてる.生と死はもっと複雑である.みたいな言葉(それっぽい内容を話していただけで,内容はうろ覚えですごめんなさい).たまらなく響きました.
「自らの生きている意味,背負ってきた罪,死に行くことの覚悟は自らが管理しなければならない義務なのです.そして,それらの意味は自らが自らの言葉によって意味づけしてやることによって初めて,自らの人生だということができるのである」
こう,クリント・イーストウッドに言われたような気がしました.
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duffffwwwww · 9 years
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『タクシードライバー』
2016.1.30
原題『TAXI DRIVER』 (1976) 主演 ロバート・デ・ニーロ
率直な感想は,中学生のころに見なくてよかった,で���.海兵隊から帰還し,タクシードライバーとして働く主人公役のロバート・デ・ニーロの,現在風に言えば,「厨二病」っぽさを感じる作品でした.Wikipediaのあらすじに目を通すと,現代社会や民主主義の腐敗にどーちゃらこーチャラ書いてあります.ありますよね,そういう時期.身の回りのすべてが気に食わなくて,それらが消え去ってくれればいいのに,毎日遊んでばかりのあいつら何て結局社会の何の役にも立っていないのだから,消えてしまえばいいのに.そういう思いを映像化すると,こういう映画ができるのだと思います.
もちろん,作中でもそういったセリフ回しは多々見られます.代表的で有名なのは「 ケダモノ共はみんな夜になると出てくる。売春婦、×××、ヤクの売人、カネ目当ての汚い奴らだ!いつか本物の雨がこいつらを洗い流してくれるだろう 」があげられるでしょう.ほかにも「You Talkin’ To me?」と鏡の中の自分に問いかける場面なんて,そういえるのではないでしょうか.
マイインターンの渋い,いいおじいちゃんのロバート・デ・ニーロしか知らないのであれば,ぜひこの作品にも目を通していただきたい.デ・ニーロの役作りにかける思いに触れることができるとともに,中学生のあの頃を思い出すかもしれません.そして,できるならば,その先の,この映画でマーティン・スコセッシ監督が伝えたかったことまで感じてくだされば幸いでございます.
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duffffwwwww · 9 years
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『ゼロ・グラビティ』
2016.1.28
原題『Gravity』 主演:サンドラ・ブロック, ジョージ・クルーニー
先日の飲み会で,教授が2015年のマイベストを発表した際に,一番紹介された作品です.それ以来,気にはなっていたものの,手が出なかった作品でもあります.
息もつかせぬほど美しくも恐ろしい宇宙は,この作品の見所だと思います.「ガンジス川の夜明けだ…」と,刻々と表情を変える青き惑星である地球の情景に感動を覚えるシーンがあったかと思ったら,宇宙ゴミの飛来によって瞬く間に死の空間へと一転するのです.
この『Gravity』というタイトルこそ,この作品の重要なポイントなのであると思うのですが,邦訳された際に,その映像技術の高さに驚嘆するあまり,邦訳担当者は『ゼロ・グラビティ』へと改題してしまったのでしょう.これは改悪です.この作品では,まさに「重力」ともいうべき,地球へ表敬しているのです.
実はこの映画のスクリーン上の登場人物は,3人しかいません.しかもそのうち2名は映画序・中盤で亡くなります.なので,上映時間の大半は主人公の女性にスポットライトが当たりつづけ,ストーリー構成も,主人公の宇宙での孤独の戦いを通して変化する心情を中心に構成されています.ストーリー序盤は,宇宙は静かで,娘を失い孤独な自分とそっくりであることに親近感を抱いていたのですが,突然の宇宙事故によって生死の境をさまよい,生きることに目覚めます.そして,地球に生還しようと努力する.結局地球に生還できたかどうかは実際に映画を見ていただきたのですが,この地球への回帰を,監督はGravityと表現したかったのです.
重力は,物体同士を引き合わせる,引き寄せる力.物理の世界では常識であります.しかし,人間と人間が引っ張り合う力にはなんと名前を付けたらよいのでしょう.この人間と人間を引き寄せる力,人間は地球や自然に引き寄せられる存在であるということ,これを科学技術の発達によって宇宙空間に飛び出した人間が地球に帰ってくるということ,それらをまとめて「Gravity」としたのではないでしょうか.
そういえば,谷川俊太郎も『二十億光年の孤独』という詩の中で,「万有引力とは,引き合う孤独の力である」と言っていますから,物体と物体がひかれあうことを総称として,重力(または引力)と呼ばれるのが正しいと私は考えます.
なので,邦題の『ゼロ・グラビティ』は,その重力が存在しないということを表してしまうため,原作者の意図に全く沿わないどころか,まるっきり反対の意味を表してしまっているのではないでしょうか.
このほかにも,見どころはたくさんあります.ソ連の人工衛星ロケットが壊れ,ソユーズでの脱出を目論むも失敗し,近くの人工衛星である中国の人工衛星を使うというところなど,現在の世界情勢を表していて興味深いと思います.ソユーズと中国の人工衛星の型番が一緒というのも,笑えます.
映像技術はもちろん,ストーリーも,よくある言葉でいえば行き過ぎた人類の科学進歩への疑問提起でもあったし,リアルっぽさ(ゆえに宇宙遊泳など不可解な部分も出てくるのですが)が追及されていた良作だと思います.
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duffffwwwww · 9 years
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『新聞記者 司馬遼太郎』
2016.1.25
読もう読もうと思っていても,なかなか食指が伸びない作家がいる.太宰治や芥川龍之介あたりはサブカル街道をゆくものが通る道であるから, 教科書には出てくるけれどもそれ以外の作品を読みたいとはあまり思われない作家らがそれである.列挙すると,菊池寛や,井伏鱒二あたりだろう.
私の場合は,司馬遼太郎がそうだった.祖父から,彼の作品を勧められ,昭和を代表する作家といえば,司馬遼太郎だと母から教え込まれた.どこの家に行っても『ブリタニア百科事典』が置いてなかったことから,どうやら私の家系はインテリ志向をもっていたようなのであるが,その志向は私には引き継がれず,家族の勧める司馬遼太郎の名前は知れども,ついに作品を読むことはなかった.毎日大して上達もしない玉蹴りにくれることに夢中となっていたのだ.
中学,高校へと進学し,大学受験ゆえに玉蹴り人生に一応の区切りがついた頃に,再度司馬遼太郎と出会った.冬のセンター試験も間近に控え,自室の勉強机ではひどく底冷えをするものだったから,リビングのコタツで苦手な数学を解いているときであった.勉強に勤しむ私をよそに,コタツに足を突っ込みながら涅槃像のような姿勢でみかんを貪る母が点けていたテレビに,司馬遼太郎の大作『坂の上の雲』のドラマが放送していたのだ.試験を乗り切るためだけのその場限りの知識を詰め込むことに辟易していた私を,しばしの間救ってくれた.正岡子規と夏目漱石が帝国大学に入学するために企んだことなど,当時の私の状況と重なるところもあり,かけ離れたところもあり,久しぶりに面白さを感じたのである.大学に入ったら時間ができる.そのときは,司馬遼太郎を読破してみせよう.そう思わせてくれた.
しかし,喉元過ぎればなんとやら.大学入学後,今の今まで司馬遼太郎作品を読んでいない.生協で何度か見かける司馬遼太郎フェアに足を運ぶも,素寒貧な財布事情から購入することもできず――図書館で借りることもしていないのだから財布事情は本当は関係がないのであるが――徐々に司馬遼太郎の名を見ると,読まなければならないが読むことができていないという申し訳ない気持ちになり,億劫になっていった.
さて,この本である.ついぞ,司馬遼太郎作品に触れたことがなかったことは先にも触れたとおりだが,彼のヒトトナリを知るためならば,彼の作品を読まずともよいのではないかと考え至った私は,書店散歩時に偶然目にとまったこの本を購入した次第だ.今考えると邪道も邪道だろう.この本には驚くべきことが記されていた.それは,司馬遼太郎は,新聞記者であったということ.そして,彼の作家としてのまなざしは,記者であった経験から得られたものであったということである.彼は,理想の新聞記者像とは「無償の功名主義」であるという.特ダネや「抜く」ことによって名を上げることを目標とはしつつも,それは飽くなき探究心からいづるもので,カネのためではない.これから記者として,足繁く街に繰り出すことになるであろう私に,骨太な指針を与えてくれることに違いない.
産経新聞社『新聞記者 司馬遼太郎』(文春文庫 2013年) (単行本 2000年 扶桑社刊,一次文庫 2001年 扶桑社文庫)
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duffffwwwww · 9 years
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『ライムライト』
2016.1.19
原題「Limelight」 主演 チャールズ・チャップリン
ひとつの時代を築いた天才が最後に伝えたかったこととはいったい何だったのでしょうか.
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
詳細はウィキペディアで
人生とは何か,深すぎて,この物語を通してチャップリンが伝えたかったことを,全身で受け止めざるを得ないうえに,圧倒されています.「モダンタイムス」や「独裁者」,につづいて,私が見る3作目は,チャップリンの最高傑作と名高い『ライムライト』です.
この作品が,チャップリンの遺作となるのですが,彼の道化としてではない,純粋な役者としてみるのは初めてでしたので,その面でもチャップリンの天才ぶりに脱帽しました.チャップリンって,すごいのな.
大きなテーマで「人生」を問いかけるこの映画は,栄枯盛衰,人生と戦うこと,生と死,む,難しすぎる.激動の時代を生きたチャップリンは自らの人生の意味を問い直し,そうして出した答えがこの答えだったのでしょう.長くは語りません.言葉のひとつひとつが,しみわたります.
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duffffwwwww · 9 years
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『ローマの休日』
2016.1.19
原題「Roman Holiday」(1953) 主演:オードリー・ヘップバーン
「そのとき,だれもが彼女に恋をした」
というキャッチフレーズが今でも言われていますね.戦後間もない時代に光を照らしたひとりに,間違いなく「彼女」,オードリー・ヘップバーンはいると思います.彼女の屈託のない笑顔や,気品あふれる瞳.現代においても彼女の美貌はなお輝き続けるといっても過言ではないでしょう.
ストーリーは難しくなく,なんともシンプルな作りになっています.王女は公務勤めの毎日で疲れ切っている→夜に抜け出したら男と出会う→男と王女のデート→秘密警察に見つかりそうになるが逃げ切る→王女は公務に戻る.といった感じです.そこまで難しいストーリーじゃないでしょ.だからこそ,だれにでも理解ができて,シンプルに彼女の美に酔いしれるのでしょう.
ただ,実際の王女って,本当に庶民の生活にあこがれているのでしょうか.この物語に文句を言うわけではないですが,王女の暮らしってそんなに忙しい生活なのかどうか.常に忙しく,生まれた時からそういった生活をしていれば忙しいということ自体を感じないのではないのではないだろいうかと思うのです.
そう考えると,この映画は,大衆が大衆として,あんなに仕事をしていて大変そうだという「いらぬお節介」から描かれた映画としてみることができます.大衆の生活は,自由で,陽気で,格式を意識しなくて,あるがままに生きていくことができる素晴らしい生活である,というさながらマスターベーションです.
戦争終結後,経済的に回復しつつはあるが,大衆は自信を失っていた.その自信を取り戻すためにこういった映画が作られた,いうならな大衆発揚映画のようにとらえることもできるのではないかと,そう思いました.
そうはいっても,やはり,名作は名作です.
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duffffwwwww · 9 years
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『インサイダー』
2016.1.18
原題「The Insider」 主演:アル・パチーノ
信念を貫く男の物語として,私の記憶にとどまり続けるかもしれない.
たばこ会社の不正をめぐる問題と証言フィルムを公開するかどうかをめぐる問題について思惑が交錯するさまが描かれている.実際の事件をもとにして作品が作られているようだが,その事件や詳細については,こちらの記事を参考にさせていただきます.
http://ameblo.jp/strawberry2410/entry-12047459953.html
タイトルのインサイダーとは,内部告発者という意味です.近年の日本でも,内部告発者問題は多く言われていますよね.例えば,東芝の赤字問題とか,化血研の20年にも及ぶうその申告だとか.そういった事件が社会に露呈する一因となるのが,内部の者による情報リークなのです.しかし,彼らインサイダーにとっては,自らの職が危ぶまれかねないことをいうわけでありまして,それ相応の覚悟を持たなければ,告発することはできません.昨今の事件は,どうもその彼らの苦悩の面には焦点が当てられずに,事件のほうが取り上げられ,あまつさえ最近の風潮では,事件を暴いた記者の苦悩(!)と一面的な取り上げられ方になっているのではないでしょうか.
この作品では,インサイダーと記者の両側面から,それぞれの苦悩を描いております.インサイダーの側面は,告発するためには,社内契約のために払われた退職金や医療保険を失う可能性(結果として彼は退職金らを失うこととなる)と戦わなければならないことが描かれています.記者の側面は,報道マンとしてこの情報を社会に伝えることによって世論が動くことを期待するとともに,それを報道することの責任への苦悩,そして,依頼主との約束は「絶対」でその「絶対」を守り抜いてきたことによって築かれた信頼の意味の深さで揺れ動く苦悩が描かれています.
特に印象的だったのが,アルパチーノの最後のシーン.結果として,彼はテレビ局を去ることになってしまうのですが,その理由が言いようもなく,「カッコいい」.しびれるのであります.
「信念」「信頼」「責任」のそれぞれ,とても重要なことであるのには間違いないのですが,その重みを最も知っているのは,やはり,報道マンであり,記者であるのではないかなーと,自らの仕事への意欲を高めることのできる映画でした.
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duffffwwwww · 9 years
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『独裁者』
2016.1.18
原題『The Great Dictator』 主演:チャップリン
世界の名作,かの有名な独裁者を観ました.前回の映画は『ヒトラー 最後の12日間』でしたので,この映画はヒトラーつながりになります.
右といったことが左になったり,生かせと言っていたのが殺せと変わったり,ヒトラーのことをコミカルに批判するのがこの映画の基本姿勢です.メディア戦略やナチ隊のことも批判していますし,もうこれでもかというくらいにチャップリンはヒトラーのことが嫌いなようで.
ヒトラーの考えがゲッペルズ(だと思われる人物)に左右されているのもなかなか面白いです.
一番見たかったのは,有名なあの演説のシーンなのですがそのシーンに行くまでも,いくつかの見所があり,見入ってしまいました.流石チャップリン.圧倒的演技力.この時代にはCGなどありませんから,役者の(オーバーなまでの)演技力が映画の質を決定するといっても過言ではありません.その点でいえば,チャップリンの演技力はメリハリがついていて,観る者の視線を一身にまとうだけの力があります.
で,内容.
第一次世界大戦から第二次世界大戦の戦間期から,オーストリア進駐までの期間,すなわちユダヤ人排除の動きが強まってきたくらいの話です.
内容を通してみると,素晴らしいことを最後のスピーチでいってはいるのですが,全体を通して,なんだか突然そのスピーチが出てくるように感じまして,全体の統一感はそこまでだったのかなーって思います.
調べてみると,どうやらやはり最後のスピーチは後撮りで,別のカットが存在しているようです.そのカットでは,スピーチをしなくてはならなくなったチャップリンが兵士にむけて戦争の終結宣言を行い,兵士らが銃を捨て,歓声を上げるという内容だったようです.しかしチャップリンが,ナチスの行く末を見ていくとなかで批判的にとらえなおさなければならないと感じたとき,ああいったスピーチに至ったということのようです.
そのスピーチといったいどういった内容なのか,それはYouTubeやTSUTAYAで観てみればわかることなので,ぜひ観てみてください,としか言いません.
もちろん,ヒトラーを扱った映画はたくさんありますが,ヒトラーと同時代にナチスを批判する映画を撮ったという点では,チャップリンの偉大さがわかると思います.きっと,彼は彼なりに映画のもつ能力をよく理解していて,映画を通して全体主義がいかに恐ろしく,民主主義がいかに素晴らしく,大衆にそれを伝えることによってより良い世界を作ることができるのではないかと期待していたのでしょう.でなければ,映画という手法をもって反戦宣告を行ったりはしませんから.
チャップリンの意思が,彼の期待するところの大衆に伝わったかどうかは定かではありません.私の思うところでは,大衆はやはり,自らで考えることができない(しようとしない)のだから大衆と呼ばれるのであって,その数はどうしても一定数存在しています.その存在は,科学技術や経営の進歩によってもたらされたものなのですから,なくすことができないのは,当然であります.こうした素晴らしい映画を作ったとしても,それが放映されていた当時の人は「流行」に乗ってみたかもしれませんが,後世になって大衆がその映画を発見するかと言われれば,彼らは自らの興味であるところの「流行」に注力するため,古典と呼ばれるものには目を向けることはありません.
かの凄惨な戦争に対する率直な感想を示してくれたこの映画でしたが,それを生かすも殺すも,視聴者の手にゆだねられているといえるでしょう.「歴史は繰り返す」とマルクスは言いました.繰り返される歴史の中で,価値を持つのは「流行」ではなく,「古典」であり,教養であり,チャップリンの思想であるといえるのではないでしょうか.
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duffffwwwww · 9 years
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『ヒトラー 最後の12日間』
2016.1.17
原題『Der Untergang』 主演:ブルーノ・ガンツ
主演のはまりっぷりに,世界が脱帽.ここ最近のナチス映画で一番いい出来なんじゃないですかね(この映画しか見ていない).
ニコニコ動画でやたらネタにされている映画のことです.『ヒトラー 最後の12日間』.いやはや,ずっときになってはいたものの,ついに見ることができました.うれしい.
ちなみに,ここ最近教授の影響か,同じゼミのN君の影響か,ヒトラーにものすごく興味があります.正確には,全体主義に興味があって,そもそもその全体主義に興味を持ったのは,民主主義の新たな形態とはいったいどういった形態がとられるのかを考えたところ,人類史上類を見ないほど民主主義の方向性が「一致団結」した最終形態が全体主義であったという事実を考えたところというきっかけがあっての,全体主義の興味,ひいては,ヒトラーの興味人つながっているのです.
私の抱く疑問は,民主主義とはいったいどういった形態がとられるべきであるのか.健全な民主主義とはいったいどういった要素によって構成されるのか,という2点です.
そういった興味のもと,ヒトラーに関する本を雑感しています.(ティムールヴェルメシュ『Er ist Wieger da』とか読みました.邦訳だと『帰ってきたヒトラー』です)
で,この作品.ベルリン陥落寸前のヒトラーの秘書として雇われた若い女性の視点から物語がつづられています.興味本位でナチに近づいたと語る女性は,次第に困窮するナチに感情移入していきます.
印象的だったのは,ヒトラーが「すきにしろ」と陣頭指揮を放棄した後の,基地内の様子でした.軍人は酒におぼれ,女性は明日を憂い,子供は歌を歌い,夜にはダンスを踊り・・・.銃弾が飛び交い瞬間ごとに兵士や市民が殺される基地の外とは,あまりにも乖離している,現実的に解決不可能な問題に直面したときに,人間はああいう行動をとるのかと考えさせられました.現実を直視せず,虚構の中で自らの余生を過ごそうとする姿勢が,そこにはあったのです.
これこそ,まさに全体主義の本質のひとつなのだと思います.この戦況を招いたのは,あごうことなき将校らであるのに,問題が発生するとだれも責任を取ろうとせず,現実逃れに走る.そう,責任逃れがその本質です.全体の問題は個々人が招いた問題であるのに,個々人がそのことを意識せず「全体」に問題を押し付ける.
そういった点を考えさせてくれる映画として,記憶にとどめておこうと思います.全体に問題を押し付けてきた報いは,いつか各個人がとらなければならない.責任の取り方が,その個人の格を決定するのです.
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duffffwwwww · 9 years
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『トゥルーマンショ��』
2016.1.17
原題『The Truman show』 主演ジム・キャリー
実は来年度メディアにかかわる仕事に就く予定なので,少しでも勉強するために,メディアに関する映画を見ています.いろいろ見つけてきたのですが,そのなかで,まず借りてきたのがこの映画でした.
ざっくり内容は,ある男の人生のすべてが,実は24時間生放送で全国放映されていた,というものです.放映されていることに気が付いていないのは,主人公だけ.主人公以外はすべてが偽物――妻も,母も,親友も,隣人も,海も,太陽も,空も,天気も――となっています.
なぜそんなことになってしまったかというと,それまでのテレビ番組や映画が,すべてVFXやCGの多用によりリアルではなくなってしまったという意見に対抗するために,本物を伝えようという狙いがあり,その究極が,ひとりの人間の人生を,その始まりから余すところなく放映するというものだったということでした.
で,中身の話です.この作品の作者はこう考えたと思います.
「もし自分のことを撮影している人間がいたら?」
実はこれ自慢じゃないんですけれども,私いっつもこれ考えています.もし自分のことを撮影している人間がいたら,こういう行動はできないとか,そういうの.で,思うに,この発想って万国共通なんじゃないですかね.
日本だったら「壁に耳あり,障子に目あり」なんていわれて,いつどこで誰が聞いているかわからないから慎めってこと言われてますし,「お天道様に顔向けできない」ってのも,そういうことでしょう.キリスト教圏内でいえば,神が見ているという話になりますし,アラビア世界でいえば,アッラーの全面的屈服の上ですし,ほらほら,誰かに見られてるって,実はあまり表面には出てこないけれども,昔から言われているのですよ.
そこで,この映画が画期的だったのは,その「神なる存在」を,テレビカメラに置き換えてしまったということです.神とはすなわち,テレビカメラであり,そのテレビカメラの支配者はテレビマンである.さらに深くは,テレビマンを動かすのはスポンサーであり,スポンサーを動かすのは,大衆で.
神は,大衆になっていることを,示唆しているのがこの作品なんじゃないのかーって思いました.
日本でも数年前にテラスハウスっていう番組がやってましたよね.男女6人の共同生活の「筋書きのない」ドラマを放映するってやつ.それで,その番組がなぜ終わってしまったかっていうと,神なる大衆がその番組が「やらせ」なんじゃないかと訴えたからなくなったわけでして,ここでも,神なる存在が大衆へと移行していることがわかると思います.
最近マイブームのオルテガさんは,この大衆が世の中を支配する構造のことを「大衆の反逆」なんて読んだわけですけれども,こうも大衆が世の中を支配する構造が顕在化し,当たり前のものになってくると,もはや問題にすら問われなくなってくるなかで,この映画は「我々大衆はどうあるべきなのか」を問いかけてくるという意味でも,いい映画だったと思います.
それに,疲れた時にみるジムキャリーの屈託のない笑顔は,観る者の心を癒しますしね.
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duffffwwwww · 9 years
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椎名林檎 「長く短い祭 ⇔ 神様、仏様」 Either heaven or hell.
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duffffwwwww · 9 years
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この文章がどうして気持ち悪いのか分かった。 表現が適切じゃないからだ。 言いたいことはわかるけど、その言葉回しや熟語表現がおかしいという、マッサージ店でツボの3ミリ横を押され続けるような、その感覚に読者は苛まれ続ける。だから気持ち悪いんだ。
にじみでるもの
2015.8.7
先日,友人からこんな連絡が届いた.
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どうやら,画像中のサイトを読んでみて,友人の気持ち悪さの共有したいというのとその理由について考えて欲しい,とのことである.
友人とは(ここでは便宜上「友人」と読んでいるが,友人によると私は「友人」ではないらしい.かといって赤の他人というものでもないらしく,ふたりの関係性を言葉にするのは難しい.「同じ穴のムジナ」とでも形容すればよいのか.),こういったやり取りすることがたまにある.例えば,深夜に個人的ベスト扇情的画像を送りあったり,唐突に漫画の話をしたり,そういう仲だ.先日レビューした衝撃作新田章『あそびあい』は友人のススメでだった.
そんな友人がおすすめするのだから,今回もさぞや恐ろしいサイトを見つけてしまったのだな,と思いながら,URLからジャンプした.
以下がそのURLである.
http://udon-zuruzuru.hatenablog.com/entry/2015/07/24/163012
ざっくり読ませていただきました.
ざっくり読ませていただいて,「気持ち悪い」という感想は,多分,大多数の感想だろう.もちろん私もご多分に漏れず,「気持ち悪い」と感じた.文章の節々から,「なんで俺は報われないんだ!」のような羨望,嫉妬が垣間見えるとともに,自分自身への自信の無さが気持ち悪さを助長.無駄に多用される「…」三点リーダも,「わかってくれよ,俺の気持ち分かってくれよ」と,読者に感情をぶつけてくる.第一印象はこんな感じでした.
(どうでもいいけど,さっきマニキュアで書道できるかな,とふと思い立って書いてみたら,マニキュアに含まれる有機溶剤(多分シンナー)がこのクソ暑い部屋の中で充満して,さらに気持ち悪さを助長しています.おえー)
第一印象を大切にしつつ,彼の文章の気持ち悪さの原因をピックアップしてみました.以下は第一印象をもう少し掘り下げたものとなります.
だいたい,彼の気持ち悪さの原因は4つに集約される.第一に,こじらせにこじらせた,自己中心的な世界.第二に,執拗な性や美醜へのこだわり.第三に,自己顕示欲の強さ.第四に,文章の組立てかた.
それぞれ説明する.
第一に,こじらせにこじらせた,自己中心的な世界.
ブログを書くものとして,必ずネタが必要になる.ネタがなければ,相手に知ってほしいと思うことがなければブログを書く意味などない.自分の考えを整理する意味で文章を書くと反論されても,ならばノートの隅にでも書きなぐっておけば良いので,それをインターネット上に公開するということは少なからず,そのネタについて自分が感じたことを知ってほしい,という思いがあるに違いない.少なくとも私はそうだ.
このブロクの作者も,同様だ.彼は人に会ったり,労働を通したりして「自分って一体なんなんだろう」と問い続ける.あたかも自分の周りのものすべてが彼自身を図るための定規のようなものとして,舞台装置化されており,彼はそれを使っている.「使う」となると,それは行為者と被行為者に分類されることとなり,主従関係が生ずる.つまり,彼は「主」であり,彼の周りのもの全ては「従」なのだ.ここまでは誰しも多かれ少なかれそういった一面を持っている.しかし,彼の文章から滲み出る「主」たる彼の思想は,やはりこじらせにこじらせきっている.
その点は,文章中の( )が見られるだろう.( )内の文章は,あたかも自分の気持ちを語っているかのように見せかけているが,そうではない.「主」たる彼が相対する「従」たる対象が,彼自身よりも格上と,彼が判断したときに,この( )が使われるのである.申し訳ないという気持ちや,畏怖の念を( )内に込めるも,理解することの難しいまたは,判断した際に彼による彼自身への攻撃を緩和するために用いる.( )は,彼にとって被行為者と彼たる行為者の関係を歪ませる(=こじらせる).ひとつにの認識の歪み(=こじれ)は,今後の主従関係の距離感を狂わせる.距離感の狂った関係で居続けると,自分がどのような対応をしたらよいかわからない,だから億劫になっていく.失敗を恐れて怯えていく.こじれがこじれを呼び,歪みが歪みを呼ぶ,そういった集積体が28年目の彼なのだろう.
第二に, 第二に,執拗な性や美醜へのこだわり.
周囲の世界と距離を測ることができなくなった彼には,唯一わかりやすく,距離の測りやすいものがある.それは,セックスであり,それは,美醜だ.可愛いものとは自信をブサイクと断ずる彼にとって,絶対的に正しいものである.「可愛いは正義」を本気で信じているのだろう.そして,その可愛いものを取り込むのであれば,心の距離とかいうあやふやなものへの信頼感ではなく,やはり絶対的な体への密着,セックスこそかれにとって確実な距離感の持ち方なのだ.
作者はこう述べる.
最近、二村ヒトシさんの「すべてはモテるためである」を再読したんだけど、 やっぱり、人間って誰かに『あなたは気持ち悪くないですよ』って言われたいんだよ。
認められたい。承認されたい。あなたはまともな人です。あなたの意見に共感します。 って言われたい。
もちろん、Aさんとセックスしたいという気持ちはある。
だけど、それ以上に『中村さんになら、自分が考えてることを全部話してもいい』 『中村さんと一緒にいると楽しいし落ち着く。ほっとする』って思ってもらいたい。
彼女にとって特別な存在になりたい。
その結果としてセックスが出来ればもちろん嬉しい。
・・・・・セックスしたいだけなら風俗に行くよ。
風俗のほうが誰かとご飯食べるより安いだろうし・・・・。
でもそれだとおもしろくない。
お金払ったらセックスできるなんておもしろくないじゃないですか。
もちろん、それをおもしろいと感じる人がいてもいいし、気持ち は分かるけど・・・。
でも、僕は『その子の心にどれだけ入りこめたか』『その子に とって、どれだけ特別な存在になれたか』で興奮する人間だし 『今日ご飯食べた後、ひょっとしたらホテルに行けるかも・・・ う~ん・・・・無理かなぁ・・・』 みたいな空想して、そのドキドキ感を楽しみたい人間なんで・・・。
セックスできることが確定してたら味気ないと思ってしまう・・・。
心理的特別な関係→肉体的特別な関係の構図を提示する彼.完全に嘘です.
本当はセックスしたくて堪らない.自分より可愛い・美しいものを陵辱したくて堪らないのが彼の本性だ.曖昧な距離感のままで,踏み込みすぎてしまったら自分が傷ついてしまう.だから傷つかない範囲���,「空想」して楽しむ.
のこり二つは,また後で更新します.
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