Tumgik
dymxn · 4 years
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『破局』を読んだ
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先日ラジオで遠野遥の受賞インタビューを聞いてから、早く読みたい!と思っていた。
ラジオで語る彼になんだか親近感を覚えた。世間とのズレの感じとか、でも思ったことを言わないでは入れない感じとか、理解ができてにやにやしてた。
話ぶりが素朴で、気取ってなくていいなと思った。 
で、読み始めたらこれまた面白くて、にやにやしながら読んだ。なんだろう。自律的な主人公の気の移ろい方、思考の飛び方が、わかる。寂しさを掴みきれない感じとか。
できるだけ喜びや悲しみに忠実でいたいと思いながらも、世間はそれでは自分のことを認めてくれない感じがするから、ひたすらに「客観的」「社会に受け入れてもらえるはずだ」という基準を軸に律する。
で、そんな思考回路にそこまで共感している私大丈夫なの?みたいな、私以外の声が聞こえてくるという、矛盾というか悪循環というか… 
結局彼は「破局」というか「破綻」?みたいなところに向かってしまうが、やっぱりそういう思考回路じゃ向かっていけないのだろうか、世間には。
この出来事は、彼にとってただの一つの挫折、ちょっとした失敗みたいになって、結局また警察署を出た彼は
「ああ、やってしまった、あのときどうしたら良かったのだろうか、いやでも警察官は自分のことを好意的に捉えてくれたからこうやって早く保釈してくれたのだ。別に公務員試験にも問題はないだろう。いや、ダメだったとしてもこれまで試験のために自分が培ってきた知識は裏切らないはずだ。就職先について佐々木に相談してみるか。彼ならOBともまだつながっているし、何か仕事の当てをくれるだろう。そういえば、この携帯はいつから利用しているっけ、確か今月が契約更新のはずだ。この携帯機種については支払ったから、この先二年間は3千円ほど安い携帯料金で利用できるはずだ。最近バッテリーの持ちが弱まった気がするが、まあ働き始めたらそんなに私用の携帯も利用することもないからこのままでいいだろう。来週にでも携帯ショップに出向くか」とか考えて日常が続きそうである…。 
批評を読んだら自律的でありながら客観的な視点に依存したような陽介の日々の判断の仕方に結構違和感を抱いている歳上の論評ばかりで、少し戸惑う。
彼らはそうやって嘲笑するけれど(嘲笑っぽく聞こえた。なんとなく)、私たちも私たちであなたたちのこと不可解だなと思いながら見てる。なんでそれを美学と捉えてたのかな、とか。
宗教なき今、慣習なき今、自分を律するとなったら「世間的に受け入れられそうなライン」に頼るしかないんじゃないの?とは思うよ。25歳日本生まれ日本育ちの人間として。 「男だから」「女だから」「30歳なんだから」そういう神格化されていたルールが目の前でがらがらと崩れていく、ときにはその既成概念を崩すために声をあげることさえある日常の中で人と生きていくには、やっぱり「世間的に受け入れられそうなライン」を見極めるしかないんじゃないの? 
実はわたしたちの対話には、何か上の世代から受け取らなかったもの、受け継がれなかったもの、彼らが渡すべきだったなにかが欠け落ちていて、実はふかいふかい谷間がぱっくり口を開けているのかもしれない。
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dymxn · 4 years
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やっぱり私は会社員的、公務員的、普通の学生的コンプレックスがいつまでも心の中にあって、それでもじゃもじゃしている。急に名の知れた誰かの進学報告が心に殴り込んでくる
別に同じことを勉強しているわけでもないのに、やっぱり小さい頃「よし」とされてきたものへは、脊髄反射的に反応してしまうな
ああ、どうして大学のとき、もっとちゃんと勉強を組み立てられなかったんだろうなあ…
いつも心苦しさと闘ってばかりいた
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dymxn · 4 years
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意思もあまり持たずに、消費社会の中に飲み込まれてそこで息をしている、貧困だ保育だということにうっすらと問題意識を持ちながら、それでも性交するし、男受けしなきゃと思うし、そういう若者が日本の大半なのかなと思える瞬間が日本で生きているとあって、そういうことに対するうっすらとした気持ちの悪さが私の嫌悪感のうちの一つ
そして彼らは、別に幸福すら望んでいないのではないか、と思えてしまうときがある。
本当の幸福とは何かすら考えていないんじゃないか。ぬるま湯のような幸福もあるかもしれなく、それを私が理解できていないだけなのかもしれないのだけれど。
本も読まず、テレビから流されてくる「幸福とはこういうものである」「楽しいとはこういうものである」というものにうっすらと感化されて、必死にお金と時間の使い道を求める
自分の好きな休日の過ごし方なんてない、家族とずっとこうしてきたという過ごし方もない
消費して、疲れて、安価でそれなりなもので胃を満たして、”すごい人“に対してすごいなーと感嘆して、でもそれも相手に何か反応しなきゃという気持ちの表現をしているだけで、決して本当にすごいだなんて思っていない、一瞬あとにはそんなこと忘れていて、夕飯のときに話題がなければ時間潰しに口に出してみるだけだ。
中国のそれに対して、私はまだ牧歌的な素直さを感じるのだけれど、日本に対して、それが東京でさえたくさんいて、さらに全国にたくさんいるのかあ…と思うと、どうしても昔の自分を囲っていた環境を思い出して、やるせない気持ちになってしまう
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dymxn · 4 years
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結局私ができることなんて、得意なことなんて、
窓ふきの方法くらいなものだ。
バイトや学校で自分体得してきたものなんて、しょせんそんなようなものごとだ。
どうやったらよりよく人と会話ができるのか、心を通わせられるのか、そういうことなんて教わらなかった。
「楽しんで暮らせば溜まる髪の毛の捨て方なんて習わなかった」
ー伊藤紺
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dymxn · 4 years
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本当の意味で日本的カースト制度がなくなっているとは思わない。遠慮と自虐で線引き、努力はそこを超える免罪符なのだけど、努力がなく超えてきた人をゾーンから追い出す精神的圧力の凄まじさは未だ健在。また努力してそこを越えようとする人を自分のいる世界を安全だと思わせないからと無意識下に敵と判断して引きずり下ろそうとするような方向の圧力だって未だ健在。また、得てしてこういった努力の苦しさ誰かと共有しようとすると、別にそんな努力しなくていいと無気力化させようとする人たちだっている。
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dymxn · 4 years
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最近の私 25歳とちょっとver.
ADHDか知らんけど、私の中には確実に、私の自由を奪うものは悪だ、という気持ちがある。
例えば、先にルールを決めて告知されていたら、それをもとに自分なりに自由を決めて対応するから、そうやって私は私を守ってきたんだだから私はそれを脅かす存在がいやなんだ
私は小さいころ、たまたまこういう抜け道を発見した
私は運がよかった
そして運をきちんと掴んだ
ちゃんといい子にして努力もしたし、
「私を自由にさせないなにか」の向こう側を知るためには迷わず行動した
だから運や周りの支えに感謝するのはする
自分の努力を誇りもする
そしてこれからそれに気づいたならなおさら、輝く未来に向けてまた努力を重ねるだけだ
枠を囲ってから、その中で自由にさせて、というのは
私が自分に課してきた、自分にとって社会に適合するための考え方。
それは心配性だからかな、と思ってたけど、もしかしたら自分を守るために自分が自分に課した考え方だったかも、と思うとなんだか気持ちがほっこりした。
確かにそれは辛かった、でも私はずっと私を守ってきたんだね、必死で生きてきたんだね、と思うと、自分を抱きしめたい気持ちになった。ぎゅっとずっと強く抱���しめたい気持ち。
最近やっと日常はつまらない日の積み重ね、という人たちの意味がわかるようになってきた。
別につまらないのではなくて、いいことがある日も悪いことがある日も、
ちょっと太っちゃう日も、体の調子が抜群なこともあるよね、ということをやっと理解できたという感じ
大学生のとき、ひますぎておばあちゃんおじいちゃんみたいな生活してた日にやたらと不安になって、このまま死ぬんじゃないかと思った、真昼間のスーパーからの帰り道もあったけど、まあそれはそれで、そういう日もあるよね、だった。
ただし、努力したいしなきゃといいながら腰が重かったり、優先順位がまだ沸きらなかったり、それはうじうじまだまだ考えているけどね。
6歳から18歳まで、約12年間、私は学校システムの中でサバイブしてきた
18から25まで、とにかく世の中の「壁」を知りたいと、どうやったら自分が自由に生きれそうなのかを模索してきた。そしてやっと、輪郭と、自分が目指したいバランスみたいなものが見えてきた気がする。
やっと世の中に一般の仕組み、社会の仕組み、が見えてきた。(多分まだまだ何度も学ぶのだろうけど)
その中で私は、やっぱり理性と感性がバランスとれた人間でいたい。
理性的に物事を考え、計画し、だけど感性も尖らせて違うかそうでないかを”感じとる”ことのできる人間。
「ものづくり」という言葉は嫌いだ。嫌いというか、し���くりこない。
それよりももっと、感情とか感性を爆発させながらいきたい。ただそれだけ。
だから、言葉を紡いだり、美味しい食事を作ったり、友達との時間を思い切り楽しんだり、腹を抱えて爆笑したり。
そんな風にしながら生きていきたい。
それだけ。
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dymxn · 4 years
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I just want
I just want to work with people who understand me a little bit more
I just want to be with the people who share my feeling a little bit more
I just want to talk with people who can share the pain a little bit more
I just want to surround by the people who I can share what I feel funny a little bit more
I just cannot stop seeking the way fill my loneliness
I just cannot stop seeking the way to fill my emptiness
Sometimes, I just feel “maybe that’s the life”
“maybe I just keep trying to escape from loneliness
and die”
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dymxn · 4 years
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その場その場で真面目に真剣に責任持って自分の人生を考えてその結論を引き受けるのが大切。 そんなことを繰り返してたらそのうち自分を他者のごとく尊敬できる。 反対にいい加減に過ごして流されてると自分を尊敬できない。
https://marshmallow-qa.com/messages/b4a6f82d-a0c4-4f3a-9982-22c3d2ffaed8?utm_medium=twitter&utm_source=answer
ほんまそれ…
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dymxn · 4 years
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小説に書いてあるようなことはね、私にとってはとてもとても自然なことで、あ、ここにいた、ここにいる、おんなじ人いた、って気持ちになるの。でもそこにばかりいてよいのかはまだよくわからないの。他の人といる、自分のことも、多分私は好きなのだとおもう。そこと自分の外面のつなげ方が、まだよくわかんないの。
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dymxn · 4 years
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Tumblrに書いてる自分は、自分すぎて、ふとした時に戻ってくるとほっとするわ。
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dymxn · 4 years
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私も問題は、会社に属して三年間働いてみてもなお、仕事ということがなんなのか一向にぴんときていないということ
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dymxn · 6 years
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堂々巡りの思考ばっかりだ。
うじうじ考えているばかりで、馬鹿みたい。
100パーセント肯定できなくても、生きていくにはなにかしらをやる、と覚悟を決めなくちゃ。
ネガティブな思考はパワーを奪うよ。
生きていくって、多分もっと大変なんだよ。
自分と社会を隔絶して、自分を守ってばかりいないで、もう少し頑張ってみようよ。
「いいな」を「好き」に、「好き」を「個性」「強み」に育むための努力に時間使おうよ。
自分の「嫌だな」を論理で武装して他者に肯定させるためにではなくて。
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dymxn · 6 years
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I’ve decided it’s ok if he becomes one of my sex friend
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dymxn · 6 years
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全然死にたいわけじゃないんだけど、
何のために生きてんだろって思う。
純粋な疑問として。
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dymxn · 6 years
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あー、うまくいかなかったなあ。なんだかがっかりしっちゃったなあ。先が見えないなあ。
自分が無力だと知る。
こういうことについて考え続けていて、それはいったい私のためになっているだろうか。
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dymxn · 6 years
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自己肯定感のなさをベースにして、話を聞いてくれる人に自分の論理をぶちまけてしまい、すごく後悔している。うわあってきっと思ってるだろなって後から悔やんで、やりきれない。もう、あほぅ、、、。
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dymxn · 6 years
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ai
身近な人を好きになれなければ、組織に対する愛情なんて生まれるわけないじゃないか。
なにを傲慢な。
あなたたちが作ってきた組織はそんなにも、誰からも愛されるものなんですか?どんな状態であっても、その一旦を担うことで気分が高まるような、そんな環境を提供できていると思っているのですか?
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