編集・ライターと広報・PRをやっている人間が、参考になった記事をまとめています。 中の人: Hiroaki Takahashi(PR Editor) http://preditor.link/
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・戻る際にブラウザバックを使用している ・記事下の関連記事などは表示もされないレベルで見られていない ・写真と見出しと同じくらい囲い枠に目が行く ・グローバルナビがパッと見で認識されていない
「関連記事」が読まれないのはガチだと思う。もちろん絶対読まれないわけではなく、UXとして自然な流れが確立されてればクリックされるけど。特にバーティカルメディアにソーシャル流入でランディングしたら直帰なイメージ。(大衆向けノンジャンルなら暇つぶしユーザーが関連記事も読んでくれることありそうだけど)
「囲い枠」おもしろいっすね。タグとかに使っちゃってるけど、「インタビュー」「レポート」みたいな無価値の情報入れるよりは「田舎に住みたい人におすすめ」「お酒好きにおすすめ!」とか、一瞬でクリック欲を高める単語いれたほうがいいのかも。
どうでもいいけど、今や「クリック」より「タップ」のほうが自然らしい。CPCとかCTRもそのうちCPTとかTTPって言われるようになるんかな…。TTPって。
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これは(WELQの問題を糾弾した一人である)私だからこそ、覚悟を持って言えることだと思うんですが、WELQの記事は8割くらいは、そこまでひどい品質ではなかったと思うんです。もちろん、記事の制作過程で著作権を侵害していたとか、内容の信頼性に欠けていたなどの問題は別として。
こういう識者こそ信頼できるよなぁと思って読んでたけど
アルゴリズムについて語ると、アルゴリズムをハックしようとする動きが必ず出てくるので、そうもいかない。例えば、クリックやスクロール量と言ったユーザー行動をアルゴリズムが利用するようにしたら、クリックベイト(筆者注: タイトル詐欺のような手法)のように、そうしたユーザー行動��誘発しようとする動きも必ず出てくる。
これはガチで思う。
ソーシャルでバズったページを優遇するアルゴリズムなんか人工アカウント群によるフェイクバズで一瞬でハックできるし、Google の優秀なメンバーが何年かけても確率論として正しい処理かつハッキングの余地がないアルゴリズムが浮かばないってだけの話なのだろう
? H “araya” Takahashi (@51__araya) 2017年1月26日
「たくさんシェアされた記事」とかもそんな簡単に優遇されないだろうなぁと。
あと、「人は見たいものを見たいように見る」って話で、
例えば「ホロコーストはなかった」って記事が、検索結果の1番から2番に下ったとして、「ホロコーストはあった」ってタイトルと「ホロコーストはなかった」ってタイトルがあったら、「なかった」っていうほうをクリックしてしまいませんか?
医学的に正しいとか、実はそんなに求められてなくて、「毎日りんごを食べてダイエット!」ってやりたい人は「りんごにダイエット効果がないとか言われてますけどそんなことないですよ!専門家に改めて聞いてみましたりんごのすごいダイエット効果!」みたいな頭悪そうな記事とかのほうがよっぽどうけるんですよね。
だからライターとかコンテンツの制作に注力する人材は雑念なく調査・執筆・拡散などにフルコミットしていただければいいと思うんですけど、やっぱ苦しいのは編集者とか、Webディレクターとか。
どんなにいいコンテンツがあっても埋もれてたら意味がなくて、運用するサイト、メディアがソーシャルや検索で流入する仕組みをつくり続けないといけない。しかし、金儲けのみを追求するアコギな連中は「費用対効果がいいWebマーケティング」で圧倒的な力を行使してくると。
個人的には「編集者じゃないほうの編集者」名乗ってて、マーケターでも編集者でもないどっちつかずのポジションでやっていくつもりですが、これは局地戦(特定業界や地方での戦い)に最適化するってことなので歴史の表舞台には縁がなくなるとは思う。ただ勝算はあるというか、それなりのクオリティと流入の確度は両立できると思っている。
大衆向けサイト、報道メディアとかはそういうわけにもいかないので、まぁ大変だろうなと。
ただ一つだけはっきりイメージしてるんですけど、「インターネットの治安」って未来永劫良くなることはないと思うんですよね。インターネットってもともと無法地帯だし。(昔の無法っぷりと今の無法っぷりはまた違うって話もあるけどまぁグレーゾーンこそ面白いみたいな領域ではあると思う)
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IT企業が要衝を押さえた流通サイドのメディアでは、すでに職業的な編集者が介在することの意味を見出しておらず、編集の省力化が始まっているのです。要は、ありものを組み合わせるだけだったり、価値基準を自分の中に持たない編集者は役割を終えてしまいました。
まぁ「いい記事を書ける」=「(何でも)バズらせることができる」みたいな、神か何かだと思われますからね。
日本語として正しいか、事実かどうかとかよりも何よりもシェア数、PV数、売上っていう世界なので、もともとは「Webメディアは儲かる」「オウンドメディア作ればすべてうまくいく」みたいなデマが流れたせいじゃないかと思っている。
営業色の強い会社や起業家がよくわからんままメディアを立ち上げたりメディア支援事業をはじめたり運営代行を依頼したりする ↓ 数字に直結しないことはどうでもいい。数字が伸びれば正義。
っていう本質的でイノベクティブでバリューの高い戦いになりますからね。
犬や猫、お姉さんたちの写真を紹介しながら、「閲覧数が示すようにユーザーは喜んで読んでくれている」と言葉を美しく言い換えてみたところで、「なんてことのない記事」を生産し、流通させるページビュー至上主義は、所詮、企業の儲けのための論理です。
バズらせたかったら美女とか面白動画とかをひたすらシェアしていけばいいわけでな。金融とかキャリアとか科学とかのメディアでそんな飛び道具はできないわけやけどな。
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面白いのは、ネットでは長文もまた読まれる傾向にあるのです。極端に短い記事か、極端に長い記事が好まれるという二極化がおこっています。 これについては、アメリカのニュースサイト『クオーツ(QUARTZ)』が調査した、どの文字数の記事が好まれるかという調査を行っています。結果、500文字以内か、800文字以上の記事が好まれるという事がわかりました。
「読んでくれ!!!」みたいな必死感がゼロな長文記事でも成功してる日本仕事百貨さんはすごいなーとしみじみ思います。
多くの人が「ちゃんとした長文で読みたい」と思う種類のコンテンツもあって、そのジャンルで勝負する場合はまさに編集者やライターの腕の勝負になる。
逆に言うと、500文字以内の記事で事足りるジャンルやメディアをやりたいところには「Webライター」「編集者」として勝負したい人間は行かないほうがいいですよね。かなり営業・コンサル・マーケ寄りだと思うので。
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(要約)
被験者の半分にまず退屈な作業をさせてから、残りの半分には何もさせずにクリエイティブな作業をさせるという実験を行なった。 結果、退屈な作業をしなければならなかったグループは、何もしなかったグループよりもずっと創造的であることが判明した。
これはものすごい興味深い。
もともと自分は「何も考えないようにするとか身体を休ませるとかより、全然違う作業をしたほうが脳の疲労は回復する」と思っているので、休日には平日の業務でやってない作業をやりたがるのですが、「退屈な作業」が特別な効果あるとしたら面白い。
あと今年のログミー記事のナンバーワンだと思ってるやつも引用。
「残業よりも午前の仕事を禁止すべき」 朝型勤務が日本人に向かない理由とは(ログミー)
人間っていうのは(中略)、午前中はものすごく人間的に理性的に動いていて、夕方くらいからそれだけだと動かないので、動物的なエネルギーを出すらしいんですね。
でも、直感的なことだったりとか、クリエイティブな仕事っていうのは、実は、前半ではなくて、午後。しかも、実は、午前中のほうがいいのは、仕事ではなくて勉強らしいんですよ。つまり、インプットするのは、実は午前中のほうが頭が整理されていて、学びやすいらしいんですけど。
これは単に朝方の人間と夜型の人間がおるって話やないんかって感じもするけど。「ちょっと調べたら」って言ってはるし。
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地域の外にいる人に向けたPRをしたい人は増えているんですけど、一番大事なのは地域の中にいる人の満足度なんですよ。 それは別に地域のことに限った話ではないですけどね。 住んでいる人がその地域を好きになれば、その人たちが仲間を連れてきてくれます。PRだって、そうやって友だちヅテで広げてもらえれば早いですからね。
これすごい納得した。
「みなさんのためにこれをやってあげてるんですよ!!(キラキラ」
みたいなテンションでやってると半年後にはダークサイドに落ちそう。
(編集とPRの職務領域があいまいになっていくと唱えている人間のつぶやきです)
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多くのデジタル・メディアはネガティヴなサイクルに囚われているという現状があります。記事がネットワークで配信される時に彼らが最も気にするのは、内容のクオリティーよりも閲覧回数です。そのためクリエイターたちは新しい観点を生み出すことに集中することよりも、コンテンツやマーケティングの隠し芸的なものを学ばされています。
まさに自分が考えたことが書いてあった感じ。
書く技術自体を学ぶのはフォームを固めて打撃練習するということで、「稼げる」「バズる」ライティングみたいなのはカーブ打ちとかフォーク打ちとか特化した練習。打撃力自体がつけば実戦の中で「順応」していくだけでカーブは打てるけど、カーブしか打てない人間が他の球も打てるようなるのは難しい
— H “araya” Takahashi (@51__araya) 2015, 10月 1
隠し芸はあくまで隠し芸でしかなくて、地力がつくとは思えないんだよな。
まぁ自分は邪道を生きてきてなんやかんやでそれなりのスキルが身についているような人間なので「王道じゃないとあかん」と言うわけにもいかないわけですが。
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ハイスペックな女子大生も 「Instagram映えするから撮っておこうとか、常に周りを意識することが増えた」と言ってるし。
つまり若者たちは、いかに「なかま」から良いと思ってもらえるか(”褒められそう!“ ”これなら浮かない“ ”いい話のネタになりそう”など)という視点を常に持っているといえます。さらに、それを自分が所属している複数のコミュニティー別に、それぞれ「なかま」からどのように評価されるかを瞬時に予測し、行動できるようになりました。
これは、「なかま」の存在感や重要性をますます強めることになり、そして若者たちの「これ欲しい!」を生み出す過程の第一のフィルターとして機能するようになってきたのです。まずこのフィルターを通過できなければ、どんなに良いモノやサービスでも、消費者にとってはただ情報が流れてきているだけ、というふうに捉えられてしまいます。
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http://media.hateblo.jp/entry/2015/09/22/080654
ともかぶる部分があるけど、「人間にしかできないことをテクノロジーで加速する」ってのはいいですね。
完全に機械に委ねることはしないというのが、Yahoo!ニュースの大方針だ。
「かつてはCTRが一番いい見出しに差し替えてしまえばいいじゃないかという議論もありました。ですが、仮に多くクリックされようとも、その見出しがいわゆる釣りになっていないか、誤解を招いたり人権侵害になったりする要素が入っていないかは、現状は機械が100%の精度で判断するのは難しい。そのため、数字はあくまで判断材料として、最終ジャッジは編集チームにお願いしています」(庄司氏)
とはいえ、開発側としては全ての判断をこのまま編集チームに委ねておくつもりではない。「将来的には、機械学習を記事とユーザーのマッチングというレベルに留まらずに、職人芸になっている編集スキルを解析することにも使っていきたい」と庄司氏は話している。
「ただし、どこまでいっても100%機械に置き換わるということはあり得ないと考えています。Yahoo!ニュースのスタンスは『人にしかできないことをテクノロジーで加速する』というもの。その役割は、編集チームのサポート的なものになるでしょう」(庄司氏)
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