faraway14
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大袈裟なメモ帳
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大げさなメモ帳
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faraway14 · 2 years ago
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2023年
愛という言葉の意味をはっきり理解できないのは、その定義が個別の具体例によってはじめて各人の記憶や心に刻まれていくからなのではないかと、ふと思った。あまりにも具体的すぎて、誰かに説明するために抽象化すると、その本当の意味との間に距離が生じてしまう。今年もいろいろあった。
5月に結婚して、9月に1週間の新婚旅行に行った。旅行から帰ってきたら母から電話があり、ちょうど出発した日に祖父が死んだと言われた。葬儀はもう済ませた、と。旅行を楽しんでほしいからと祖母は母に口止めしていたそうだ。それから3ヶ月後、祖母も突然倒れて死んでしまった。
母方の祖父母のことはじいじ、ばあばと呼んでいた。同じ市内に住んでいて、���さい頃からよく一緒に過ごした。
じいじは釣りが好きで、近所の川でよく釣りをしていた。川で溺れている人を助けて、市から表彰されたこともあった。小さい頃から野球をやっていて、ずっと巨人ファンだったのに、なぜか数年前に急に阪神ファンになって家族を驚かせた。巨人は弱いものいじめしてるみたいで嫌や、という理由だったと思う(阪神が弱すぎたのか)。じいじのタバコと安い芳香剤の匂いが混ざった古いクラウンで遊びに連れて行ってもらうのが大好きだった。
ばあばは、物や美容にこだわりがなくて、いつも世間に興味がないように見えたけど、それはきっと日々の生活で十分満足していて、自分の存在を他者に示す必要がなかったからだと今は思う。思い出すのは、私が漢検2級をとった後、誰にも言わずに勉強して準1級をとり、私のことをこっそり抜いたことだ。亡くなったあとの部屋には1級のテキストと、見たこともない漢字を練習した跡が残ったらくがき帳が置いてあった。誰にも言わずひっそり漢字の勉強をしていたと思うとおもしろい。
数年前、じいじにガンが見つかった時、お酒を飲みながらじいじが「ばあばが一緒に病院に行ってくれたんや」と言って、笑いながら泣いていたことを昨日のように思い出せる。相手が弱くなったときに一緒にいたい。自分が弱くなったときに一緒にいてくれて嬉しい。結婚はただの届出で、休日専用の窓口では「一旦預かりました、開庁したら確認しますが、受理したとしても連絡はいきません」と言われた。左手の薬指の指輪くらい誰でも着けたい時に着けていいはずだ。愛を象徴する契約や儀式や物ばかり目につくが、その個別の具体的すぎる具体例こそが本質なのではないか。私はこれまで、じいじとばあばからたくさんの具体例を受け取ってきたのだ。
死後の世界というものをずっと信じてこなかったのは、それが「あってほしい」という無力な希望だけでも信じる理由になるということを見落としていたからだ。死はふたりを引き離さず、むしろ、強く結びつけたのだと、まだ新しい仏壇に並んだふたりの遺骨と、すこし盛られたふたりの遺影を見ながら確信した。きっと今は、ふたりだけの小さな食卓で、阪神が38年ぶりに日本一になったことを話しながら、38年前のことを思い出しているはず。その時のふたりは若くて、わたしの母はまだ高校生だったとか、飼っていた2匹の��のこととか。
安らかに眠れとは言いませんので、これまで通りふたりで楽しい日々を過ごしてください。こちらも、これまで通り毎日がんばっていきますので、見守っていてください。
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faraway14 · 3 years ago
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2022.10.15
ゆでたまご失敗してかなしくてむかついた 久々のおでん
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faraway14 · 3 years ago
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約半年のあれこれ
新卒で入った会社を退職した。不満に思うことや嫌なことはあったが、文句を言って出ていく人にはなりたくなかったので、「何も不満はないがキャリアアップのために前向きに辞める」という嘘をついてまわった。それなりにたくさんの人と関わる仕事だったから、その分たくさん嘘をついてまわった。そのせいか、今ではなぜかいい思い出しか残っていない。これは言霊のせいなのだろうか。
退職後、いわゆるプログラミングスクールで数ヶ月プログラミングを学んだ。何かしらスキルさえあれば在宅で楽にたくさん稼げると思ったからだ。授業はかなりハイスピードの詰め込み型で、さらに、言語が英語だったせいで、毎日10時間以上勉強しないとついていけなかった。スクールの最終日、何ひとつ身についていないような気がして、いやそんなはずはない、実際にチームメイトと1つや2つプロダクトも作ったし、と自信を取り戻そうとしたものの、ちょっと待って、やっぱりこれを仕事にするには全然何もわからない、わからないことだけはわかる、と確信したとき、卒業セレモニーのような集まりで先生が「今日が��ールなのではない。今日がDeveloperとしてのスタートなのだ!!学び続けろ!」と言い始めて、面倒臭い世界に足を踏み入れてしまったと後悔した。
プログラミングができますと断言できるかどうかはさておき、いつまでも無職ではいられない。大学ぶりの就職活動だ。いくつかの企業に書類を送り、プログラミング課題を提出し、面接を受けて、2社ほど落ちた後、改めて「どんな仕事がしたいのか」について考えた。仕事で何をしたいのか、どんな働き方をしたいのか、どんな生活をしたいのか。就職活動が難しいのは、このような問いと向き合って決断をしていかなければならないからだろう。わかりやすく考えるために、理想の平日と理想としない平日について考えてみた。
理想の平日。朝7時半過ぎに起きて、ミルク多めのコーヒーを飲む。朝ドラを見たあと9時くらいから在宅で仕事を始めて、お昼は昨日作ったラタトゥイユをソースにパスタでも食べて、17時半くらいに仕事を終える。晩御飯の材料を買いに行って、パッと作って食べる。まだ19時半だ。紅茶を入れて、そこからは自由時間。日によって英会話のレッスンを受けたり、飲みに行ったり、散歩をしたり、楽器の練習をしたり、本を読んだり、映画やドラマを見たり、ただ目をつぶって音楽を聞いたりする。
理想としない平日。朝は6時過ぎに起きる。急いで準備をして、7時半までに家を出る。電車は今日も満員だ。お願いだからテロみたいなことを起こさないでくれ。8時半に会社に着いて笑顔で挨拶。よくわからない朝礼。今日は少し忙しくて、お昼休憩は取れないかもしれないし、このままいけば残業。タイミング悪く電話を取れなかったせいでお局様からの睨みがきいている!20時に退勤して、晩御飯は買って帰ったとしても食べ終えたら22時くらいだ。思い返すと通勤に費やした時間は2時間。ああ、その2時間で何ができた?
こんなことを考えて、私にとって仕事はただのお金稼ぎの手段でしかないし、仕事自体が目的になることはないので、できるだけ楽にできるだけ多くのお金を稼ぐことが最終目標だ、という結論に達した。これまで、私は自分の持つ可能性を一種の資産としてできるだけ守ってきた。例えば、少し極端だが、仕事のために生きるようになる可能性もその一つだ。しかし、立ち止まって考えて、私個人にとって仕事とは頑張らなくても良いものなのだというポジティブな諦めによって、ひとつの可能性を守り続けるという職務から降り、身軽になれたような気がするのだ。
最終的に転職先が決まったのは、退職してからちょうど半年経ったころだった。貯金は100万以上なくなった。大学卒業時の貯金は借金によるマイナス値の状態だったから、就職してから貯金をしたうちの100万でこの半年間の時間やスキルを買ったことになる。そういえばファイナンシャルプランナー試験の参考書で学んだが、親子間の贈与において非課税となる上限額は110万円だから、親が将来のために節税を願っていたとしたら、それくらいの金額は喜んでパッともらえたということになる。お金がない人の戦い方は、一刻も早くより良い職につくために1日10時間も心身を削って勉強をするとか、4年あくせく働いてやっと100万円分の自由を手に入れるとか、そうやって自らの肉体や時間という資産を少しずつ削り取りながら資本主義ルールに則った市場で競売にかけ、地道に資産を増やしていく戦略しかないのかもしれないとも思った。そういえば健康診断で体重を測ったら、大学時代よりも約5キロ落ちていた。
資本主義はさておき、さしあたり日々の生活には満足している。たまに、あの頃の自分の目の前に、いまの私が現れたらどう思われるだろう、と考えることがある。中学生、高校生、大学生の自分。安心してくれるだろうか。報われない努力に気づいて悲しまれるだろうか。すごい人になっているだろうという漠然とした期待みたいなものを裏切ってしまうだろうか。それでも、あの頃の自分たち、チームわたし、が頑張ってきたから今の生活がある。だから、また次の10年をつくっていく努力を続けていかなければならない。それがたとえ、報われない努力だとしても。
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faraway14 · 4 years ago
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就職してから書き始めた日記は、もう少しで4年目に突入する。厳密にいうと毎日は書いていなくて、何かあった日、記録に残したい考えがあった日、あとはただのメモ(「NECスーパータワーの高さは180m、グランフロント大阪の高さは179.5m」とか)を書きたくなった日にしか書いていない。
日記を書くことの楽しみは、書くこと自体というよりは、読み返すことにあると思う。しかも、読み返す楽しみは、時間��経てば経つほど高まる。昨日の日記を読み返すよりも、3年前の今日の日記を読み返すほうが面白いというのは容易に想像できるだろう。
というわけで、3年間の日々を少しだけ共有しようと思う。まずは、初日。
「2018/04/02(Mon)
月曜日から脚がこんなに疲れていたらもたない。金曜日までに油をさしたい。座って話を聞いているだけでもお金を貰えていると思うと感動する。全然話聞いてられる。足に水ぶくれができた。なぜ水がたまるのだろう。水ではないだろうけど、不思議。働くということ、よりも、これからずっとこうなんだ、ということが恐ろしくのしかかる。」
かなりリアルだ。新人研修のために慣れないパンプスを履いて、水ぶくれができたようだ。最後の強烈な言葉、「これからずっとこうなんだ」。ここでずっと働くぞという決意表明ではなくて、働かないと食べていけないのだという恐怖だ。
「2018/06/14(Thu)
土日は、「この休みのために仕事してんねんー」って思うけど、平日は「仕事のために休みがあるんかー」って思う。7日のうち5日も働くん多すぎ!」
こりゃ真理だ。3年前の私の気持ちに同感。
「2018/09/04(Tue)
‪1人暮らし絶対やばい、「暮らすこと」と「1人であること」が結びつかないしやばい、」‬
これは1人暮らしを始めて1ヶ月半が経過した時のこと。この時の感情はまだ覚えている。寂しかったとかではなくて、人類は1人で生活することが当たり前になるときっと種自体が滅ぶと感じた故の日記だ。大丈夫、2年半も経てば、1人が当たり前になるし、今のところ人類も滅びていない。
「2019/01/02(Wed)
夢。安そうな居酒屋に入った。メニューは駄菓子みたいなチープなもの。バンドのアドバイスみたいなのをくれるお姉さんがいた。(実はおばさんやと思う)
ライブをする予定やった。ステージにギターとベースを並べすぎて足の踏み場が無かった。待ってるけどメンバーが来なくて終始焦っていた。トイレが汚かった。」
夢の日記もたまに書く。これは2019年の初夢だったと思う。富士山も鷹もナスビも出てこなかった。1番目が富士山だったら、チープな居酒屋、汚いトイレは何番目なのだろうか。
「2019/03/21(Thu)
朝11時くらいにマクドで朝ごはんを食べて阪急夙川駅まで歩いた。しばらくうちの家には帰ってこないと思うと悲しくて、忘れ物の1つでもしていてほしかった。」
春から彼氏と遠距離になるというときの日記。今思い出してもつらいけど、いい文章に仕上がっている気がする。忘れ物はなかったが、この4日後にまた会っている。
「2019/07/26(Fri)
ストリップすごかった。
もっと下世話で汚いジジイばっかりなんかなと思ってたけど、かなり高尚な雰囲気やった。焦らして焦らして、というタイム感がいい。時間の使い方が最高。最後まで掴めなかったのは拍手のタイミング。オープン時はわかるけどそれだけじゃなかったような気もする。何より、全員が巨乳って感じじゃなかったのが自分の自信につながった。一緒に写真も撮った。」
この日は初めてストリップを見に行ったのだ。ちなみに「オープン」とは、股を開くことである。
「2020/01/02(Thu)
じいじとばあばに会った。じいじはがんが発覚したにも関わらず1番飲んでた。ばあばが病院に連れて行ってくれて、先生もばあばに向かって話すから、ある意味で病人はばあばの方なのだという。じいじは笑いながら、泣いていた。」
じいじ、ばあば。私が2人を知った時、すでに2人はじいじとばあばである。でも、この日初めて、かつては別々の暮らしがあった2人が、愛し合って、1つの家族になったということ、そして私が生まれたということを理解した。しかし、じいじは未だに、私と妹の名前を間違える。
「2020/08/29(Sat)
今日はなんかめっちゃ楽しかった。彼と一緒にいるときに感じるものは、どうしても2人の相関関係の上にある。これは、私だけの感情だと思ってしまいがちな喜怒哀楽が、実は私のものではなくて、彼との2人の関係性のうえにあるということ。どこかに行って疲れたとき、欲しいものが見つからなくて悲しいとき、そういう感情は私のものだけではない。どっちが悪いとかでもない、相関関係のうえに生まれる感情。2人いて初めて生まれるものなので、1/2は私、残りは彼、とかそういうものではない。(彼の部分には名前を書いているが省略)」
これは私の信条である。きっとこの考え方が広まれば、世界は少し平和に近づくはずだ(大袈裟?)。
「2020/12/06(Sun)
お昼過ぎから教習に行った。めちゃほめられて嬉しかった。僕がみてきた女性のなかで5本の指に入るぐらいうまい、車体���覚がある、と言われた。エヴァにも乗れるかもしれん。」
残念だがこの後、仮免許技能試験に1度落ち、本免許技能試験に2度落ち、この日から3ヶ月たった今でも免許は取得できていない。エヴァは縁石に乗り上げて試験中止にはならないし、左折時に左に寄ったりしなくていい。考えが甘すぎるのだ。
「2021/03/16(Tue)
今日は特に何もなかった。と考えて、何もなかったのは、何も感じようとしなかったのではないか、と恐ろしくなった。」
何も感じようとしなくなると、1日は一瞬で終わるし、生活は途端に楽になる。これは、心を売らずに済んでいるという話ではない。こんな生活を��く続けると、何かを感じようとする必要すらなくなる。面白いものを探そうとする視点すら失われる。恐怖を感じた日だった。
これくらいにしておく。3年という月日は短いようで長い。全く予想にもしなかったことや先延ばしにしていた問題が起こって、恐ろしくて何もできなくても、なんとか時間が過ぎて、普通になっていく。これは、自覚は無いとしても、ちゃんと乗り越えているってことなのかもしれない。
3年間の日記を振り返って思った。私と時間をともにしてくれる人びとに感謝してもしきれない。何しろ、時間は常に過ぎていくばかりで、元に戻すことも増やすこともできない、かけがえのないものだからだ。しかも、人間は複数の選択肢を天秤にかけることができる。私なんか選ばなくてもよいのに、それでも選んでくれる方々、いつもありがとうございます。
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faraway14 · 5 years ago
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2020年が終わる。私はねずみ年生まれだから、年女だった。十二支の話で、ねずみは牛の背に乗ってずる賢く1番を取ったとされている。ずる賢さはうまく生き抜くために必要なスキルだと思うが、それは自分がねずみ年だからという潜在的なリスペクトが入り込んでいるかもしれない。
「1年前の自分には想像もしていなかったことが起きている」と思わなかった年末は今までほとんど無かったが、今年は格別だ。まず、いくらパンデミック映画が好きとはいえ、現実に起きるのは厄介だ。パンデミック映画がおもしろいのは、自分が外野にいるという大前提があってのことだ。ケージの中のハムスターがカラカラと車輪みたいなものを回したり、水槽の中の金魚が身体の全長より長いフンをしていたりするのを眺めるのがおもしろいのと同じだ。もし自分がハムスターだったら、「頼むから前に進んでくれ」と願うだろうし、もし自分が金魚だったら、「頼むからいい具合に切れてくれ」と願うだろう。当たり前だったコミュニケーションも、今では濃厚接触である。「濃厚」と「接触」。ショッキングな組み合わせだ。
パンデミックの夏、異動があり東京に引っ越した。引っ越し前は都会のすべてに戦々恐々としていたが、引っ越したからといって変わったことは何もない。強いていえば、山の色で季節を感じる機会がなくなったことぐらいである。久保田利伸の「TIMEシャワーに射たれて」で「どこにいてもそこで生まれた気がしてる」という歌詞があるが、まさにそんな感じだ。もはや、何かに排除される出来事や何かを排除する気持ちが発生しない。歳を取るのは怖いが、歳を重ねるにつれて精神的安定が確かなものになりつつある。これを人は「丸くなった」というのかもしれない。虚しいこと��もしれないが、失いたくない感情を失うとき、哀しみではなく喜びが伴うなら、どう抗えばよいのだろうか。
年越しイベントはもう10年くらい地元の友達とやっていた。きっとお互い結婚とかしたら一緒に年越しできないだろうなとかぼんやり考えていたが、まさか疫病で断念することになるとは思わなかった。想像もつかないことで物事は止まったり動いたりするし、こんなまとめみたいな言葉も無力だ。2021年は、その無力感も不条理もそのまま認めて、貪欲に生きたい。まずは自分の欲望から目をそらさないことから。
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faraway14 · 5 years ago
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窓の外から子どもの声と、リコーダーの音が聞こえる。ほんとうは、学校でドッジボールとかウノとか、したかっただろうな。ほんとうは、リコーダーなんかじゃなくて鉄琴とかアコーディオンとか、したかっただろうな。当たり前だったいくつもの濃厚接触がなつかしい。
 今日はやたらと晴れていて、お出かけ日和だ。バーベキューとかしたいし、外でビール飲みたい。ちょっと肌寒いからって薄いパーカーとか羽織ったりしたい。ベランダから見える木の葉っぱが鮮やかに輝きすぎて、雲ひとつない空がまぶしすぎて、まるで映像を見せられているかのような感覚になる。もしかしたら人類はすでに滅びているのかもしれない。
 昨日は眠りにつくとき、つぎ目を覚ましたら何事もなかったかのように朝が始まって、会いたいひとたちに会って、一緒にお酒を飲んで、病気が流行ったことを懐かしむなんてことがあればいいのにと思った。むしろ、そんな日が来るまで眠り続けたい。もしかしたら、今も私は眠り続けていて、この意味不明な在宅勤務とかって全部夢の中なのではないか。ゴールデンウィークとか、KALDIのオンラインショップ繋がらないとか、全部夢なのではないか。(ゴールデンって何がなん?KALDIってコーヒーを発見した伝説の羊飼いの名前らしい。へー。)
 家でひとりだと、何が本当で何が嘘か、分からなくなる。
 LINEのビデオ通話とかZoomって便利だなとつくづく思う。誰かの姿をリアルタイムで見ることができる(それが本当に今のあなたであると信じることが大前提だが)。でも、やっぱりなんか変だ。絶対に相手と目が合うことがない。相手の目を見て話していても、それは画面で、向こうから見た私は下を向いているか、横を向いているか、どちらにしろ目線が合うことはないのだ。最低限の、時間を共有する、ということだけが保証されている。私は不意に相手を触ったりしたいし(セクハラ?)、変な飲み物を頼んでシェアしたい。
 在宅勤務の退勤はあっけない。定時になれば速攻でパソコンの電源を落とす、それだけ。先輩より先に帰ってはいけないとか、逆に、部下を残して帰りにくいとか、そういうのは一体どういう理由によるものだったのだろう。ぜんぶ夢だったのかもしれない、いや、ある特定の環境にいると考え方がある方向にしか行かない例のあれかもしれない。…どれ?
 何が何なのかよく分からなくなってきた。とにかく、早く目を覚ませますように。
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faraway14 · 5 years ago
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2020年4月18日 AM2時
野良猫の鳴き声がやみ、雨音が聞こえはじめた。コロナ流行のさなかでも猫は愛をうたい、新芽は芽吹き、蕾は花ひらくのだな。私はこの手の比喩が大嫌いである。
さて、社会人というものが何なのかよく分からないまま「社会人3年目」の春を迎えた。「社会人だから」や「社会人として」という甘えた理由を聞くたびに嘔吐感に苛まれるが、それでも労働をやめるわけにはいかない。生きるにはお金が必要だし、お金を得るためには自分の労働力を差し出すしかないのである。
もちろん労働といっても、色々な種類がある。その中で自分が選んだ仕事だからこそ、責任を持つべきだということも分かる。ただ、その人にとって仕事がどのような意味をなしているのかについて、雇い主であれ文句は言えないのだ。就職活動のころ母に「どういう基準で仕事選んでるん?」と聞くと、「自分のタイミングでトイレに行けるかどうか。」という答えが返ってきて驚いた記憶があるが、今ではこの答えの意味が本当によく分かる。
3年目を迎えて分かったことは、「社会人とは何か」について深く考えないことは「社会人」に求められるスキルのひとつであるということだ。深く考えない忖度、あるいはそれ以外の望ましいとされる部分のみ考える忖度とは、まったくもって賃金を得るに値する。ビジネスの世界では、「社会人」の意味が分からないとしても、その意味を他人になすりつけることが許されている。さらに、「社会人」の意味が分からないとしても、「社会人」を演じなければならない。
こんな思想は会社に持っていけない。今日が金曜日だからこんなことを考えてしまったのだ。朝には雨が上がり、濡れた地面を太陽が輝かせるだろう。もう一度言うが、この手の比喩は大嫌いである。
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faraway14 · 6 years ago
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大掃除の小事
2019年が終わる。実家に帰る前に大掃除をしなければと、カレンダーアプリにも「大掃除」と予定を入れていた。今年は事前に大掃除計画を立てた。「換気」から始まり、「パイプユニッシュを流す」で終わるメモを頼りに、大掃除を始めた。気合を入れすぎて、全行程を終えるころには外は真っ暗になっていた。
晩御飯を何にするか悩んで、「せっかくきれいにしたキッチンを汚したくない」と思い、駅前のカレー屋までチャリを走らせた。真っ直ぐ家に帰ったのはいいものの、トイレに行くにも「せっかくきれいにしたトイレを汚したくない」と思い、最小限の数に留めた。お風呂に入って髪の毛がたくさん落ちたのを見たときも、そのような小さな葛藤が生まれた。
しかし次の日、どうしても冷蔵庫に残っていたじゃがいもを消費したくて料理をしたら、醤油の一滴でも飛んだのだろう、運悪くIHの白いコンロになかなか取れない汚れが付いた。せっかくきれいにしたのに最悪だ。ウタマロクリーナーを吹きかけたティッシュでこすりながら、生きていくってきれいなままではいられないっていうことなのか、と考えた。大げさだけれども、大掃除というイベントは、どうしても続いていってしまう日々に、自分が作り出す汚れを受け入れるための準備なのではないか。
大掃除を終えて1日経って、2020年にも1日近づいた。2020年は、大掃除で頑張らなくてもいいようにこまめに掃除をしたい。さて、そろそろお酒でも飲んで、脳みそもパイプユニッシュしてしまおう。
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faraway14 · 6 years ago
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2019年
就職して1年が経った。
1年前実家の駐車場に咲いていた桜は、台風がきっかけで住民の反対に遭い、切り落とされた。二度と芽が出ないように、切り株はワッフルみたいに切り刻まれていた。住民のために植えられた木が、住民のために切り落とされる。「令和」ってこうなのだろうか。
夏に一人暮らしを始めてから、いくつかの新しい知識に改めて「無知」を突き付けられ、(洗濯機の糸くずフィルターの存在なんてみんな知っていたのだろうか?)暮らし続けることについて考えることが増えた。「暮らし続ける」と「生き延びる」の違いって一体何なのだろう。このような問いがふいに湧いてきたとき、いつも思い出すことは、実家の真っ白な壁紙のことだ。あの混じりけのない白さのおかげで、思索のあれこれに向��合えていたような気がする。今は、大家さんの趣味なのか、お花柄の淡いピンク色の壁紙である。見た目は良いが気が散ってしょうがないので、最近は窓の外の風が葉っぱを揺らす様子を眺めている。
正直、仕事は、平日のお昼のニュースみたいに過ぎていく。特に中身も無くて面白味もないニュースを、時間潰しのように流しているような感じだ。もちろんたまには「カルロスゴーン逮捕」みたいなニュースも流れるが、だいたいは知らない芸能人のスキャンダルのようなものだ(そういえばカルロスゴーンが逮捕されたとき、「カルロスゴーン・ハズ・ゴーン」というネタを思いついたのだが、時すでに遅し、ツイッターにはたくさんの投稿があった)。大学の友達と仕事の話をするようになって改めて気付いたことは、自分が心底仕事に興味が無いということだった。働くことや、その先で達成できることが目的になることは無い。お金のために働くこと、それ以上も以下もない。ついにこの結論を出したときから、会社で起こるありとあらゆることがスクリーンに映し出される虚構のように感じている。だからこそ、正気でいられるのだろう。
こんな日々に今まで通りの私を繋ぎ止めるものは、きちんとした食事と人間とのコミュニケーションだ。分かりきったことだが、継続するための努力、しかもコミュニケーションに関しては互いの努力無しには壊れてしまう。たぶん、「暮らし続ける」ってこういう努力をし続けることなのではないだろうか、とふと思ったりする。
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faraway14 · 8 years ago
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コンクリートの壁が街灯を遮っている、ほんの数メートルの真っ暗な階段に私の影が映る日は、空気の澄んだ満月の夜だけだ。月の光が教える青白い色彩に、ドビュッシーの音色を重ねた。街灯は月の光独特の青を持たない。
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faraway14 · 8 years ago
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就活話
約半年の就職活動を終えて、今1番感じることは、時間をどれだけ無駄にしたかということだ。なんというか、むなしい喪失感。もっと「達成感」とか、「成長」とかがあると思っていた。「成長」は後からしか分からないものだとしても、である。世間について学べて有意義だった、という美談を語りたいのだが、多分、単位のためだけに出たドイツ語の授業の方が有意義だった。
3月に就活が解禁されてから、慣れないスーツを着て、苦手な髪の毛のセットをして、サイズの合わない黒い靴を履いて、電車で邪魔になる黒いカバンを持って、大阪・京都・兵庫・あるいは東京を走り回った。ただ、スーツに対する不満はもう言わない。私が言えることはただ、「AOKIで買ったスーツは家で洗えたのでよかった」。これが、「大人になる」ということなのかもしれない。
説明会は、ほぼ話を聞いているだけなので楽しかった。私たちは、就活生でありながら顧客でもあったと思う。特に、私たちに身近なものを扱う会社での説明会は、商品を貰えたりもした。その反面、ハリボテの笑顔が見え隠れする時も多かった。話をしている人事を見る若手の営業の表情が忘れられない。他にも、会場を間違えて美術館に行ったこと、何も知らされず面接が始まったこと、隣の席(それも近すぎる)の男の子がイケメンすぎて話をあまり覚えていないことなど色々あった。
グループディスカッションもした。振り返ると、グループディスカッションをした選考はすべて落ちた。ヤバイ奴だと思われたのだろうか。落ちた理由は誰も教えてくれない。
面接は、意外と楽しかった。圧迫と言われるようなものも無かった。しかし、「あなたはうちには向いてないですね」と単刀直入に言われたこともあった。その場で帰りたかったが、血迷った私は面接官に本気の人生相談をした。「哲学科では何を学んでいるのか」という質問に、「二元論を疑う」と言って困らせたこともあった。今考えると愚かすぎる回答だった。グループ面接で一緒になったテニサーの男は、学生時代に頑張ったことは飲み会だと言っていた。彼は受かったのだろうか。交通費が出たときは、美味しいプリンを買って帰った。
6月になって周りが就活を終えだしたとき、今終わったら楽だろうなと心底羨ましく思った。バイトも増やせるし、授業にも出ることができる。「よし、6月中に終わらせよう!」と意気込んで面接に臨んだのだが、いわゆる「持ちコマ」は0になった。梅雨と絶望の親和性を噛み締めた。極めつけはベンチャー企業のギャル人事だった。なぜか説明会だけで怒られた。辛いときはアキラ100%を見てしのいだ。そして、少しずつやりたい仕事が見えてきて(遅すぎる)、7月には説明会にも積極的に参加した。「7月中には終わらせるぞ!」と意気込んだ。しかし、企業に結果を催促するわけにもいかない。パンデミック映画にハマったのはちょうどこの頃からだ。8月になると、スーツの蒸し暑さだけが悩みの種になり、就活への憂いはほぼ吹っ切れていた。文句はスーツとセミだけに言った。セミをいかに絶滅させるかについて考えながら駅まで歩いたりした。
 なんとか就活を終えたが、失った時間は戻らないので、やるべきことを地道に、愚直にするしかない。まずは企業パンフレットやエントリーシート類をごっそり捨てようと思う。本棚の整理もしたい。就活が終わったら連絡すると言った人たちと遊びたいし、いらない服や物を捨てて下手の隅々まで掃除したい。タイ料理を食べたいし作りたい。卒論のための勉強をしたいし、そのために図書館で本を借りたい。
さて、とりあえずは、コークハイでも作って飲むことにします。
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faraway14 · 8 years ago
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7月1日
たまに思い出して、いまでも元気かな、と思う人が何人かいる。そのうちの一人である、高校3年生の時の日本史の先生を、偶然見かけた。その先生の授業は受験には全く向いていなかったが、何かを学ぶとはどういうことか、について教えてくれた。今の私が、学ぶこと全般に対する理由もない好奇心や探求心を大切にできているのは、先生のおかげだと勝手に思っている。
それで、偶然見かけたとき、「あ、生きている、元気そうだ、よかった!」と思った。全然変わってなくて、時間が止まっているようで少し面白かったけど、元気そうだというただそれだけで、いい事が起こった気分だった。
家についてから、こういう気分になれるのはすごい、これこそが愛なのではないか、とふと思った。その人がどこかで生きていて、たまに落ち込むかもしれないけど基本的に元気で、それだけでなぜか私はハッピーですと思えること。それと同時に、いま会えることの「当たり前」についても、たまには立ち止まって、すごいことだなぁ、と思う瞬間は必要なのかもしれないと感じた。
(24時間テレビみたいなことを書いて少し恥ずかしさがあるうえに、文字にするととても大げさに感じる。とくに愛なんて、ことばにした途端宙づりになってしまうものだ。半笑いで書いています。)
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faraway14 · 8 years ago
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何も手につかない日
何も手につかない日がある。1か月に1日くらい。ほんとうに何もできなくて、しかしそんな時ほどしなければならないことがたくさんあって、自分の心の弱さに失望して、さらに落ち込む。まるでうすっぺらく切った根菜みたいに、まちがえて生ごみに捨てられるみたいに、地べたに倒れこむ。熟れすぎて食べるところのない真っ黒なアボカドや、みんなで��をして最後にちょっとだけ残った2センチくらいの麺、だいぶ前に開けて飲み切れなかった炭酸の抜けたコーラ、ざるうどんを食べたあとのつゆとネギ、かたすぎるキャベツの芯、遠慮のかたまりで賞味期限が切れたヤクルト、噛みきれなくて結局捨てられる旬じゃないアスパラの根元、フライパンで炒めているときに勢いあまって落ちるもやし、みたらし団子のあまったタレ、油っこくて気持ち悪いステーキ肉のはしっこ、お酒を飲みながら朝を迎えてひと眠りしたあとに少しだけ残っているビール、のような自分・・・・
こんなことを考えるだけの中身のない1日を、私は認め始めている。時間が解決することは明確なので、何の問題も無い。たぶん数日後には、立派なシュークリームにでもなっているのだろう。
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faraway14 · 8 years ago
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チョコミントのきもちわるさはクセになる。甘いのに歯磨き粉みたいで、どうしたいのか分からない味。特に大好きというわけじゃないけど、たまに食べたくなるのは、その二律背反な味わいに人間味を感じて変に納得してしまうからだろう。チョコミントからは「矛盾あってこその自分!」みたいな姿勢を感じてしまうのだ。引き算の美学には憧れるが、チョコミント支持者にとっては、足し算の美学も捨てがたい。
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faraway14 · 8 years ago
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The burn. I feel it.
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faraway14 · 8 years ago
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時計の針は、、
やがてすべての力を失い、6時30分を指すのだろうか。(そして進まない)
(これを長針と短針のロマンチックな話だと考えるか?それとも単なる物理法則によるものだと考えるか?物理学者には物理法則がロマンチックに感じるのかもしれない。このような視点の多様性について意識するとき、答えを1つに絞ることの恐ろしさについて考えざるを得ない!なぜなら、何かを選び取ることは、何かを捨てることと同じだからだ。)
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faraway14 · 8 years ago
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『ダンサー・イン・ザ・ダーク』と『異邦人』
爆音映画祭で、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』というミュージカル映画を観た。映画が始まる前に、主催者である樋口泰人さんは「この映画はバッドエンドです。2000年代の暗さを感じてほしい」と言っていたが、この映画で感じた閉塞感は、公開から17年経った今もなお解消されていないのではないかと感じた。(もちろん17年前というと私はまだ4歳なので、正しく比較できているという実感はない。)
この映画を観て最も気になった点は、カミュの『異邦人』の構成との共通点がいくつも存在することだった。主な共通点を以下に3つ挙げる。
①    望まない殺人(現実)/言葉による裁判(再構築された現実)という二部構成であること
②    言葉や目に見える動作、しきたりで表すことのない愛
③    主人公が死刑になること
���私はこの映画とこの小説の共通点において、軸となる問いは「現実の世界とは何か」だと考える。それぞれの主人公であるセルマとムルソーようにお金が無い人々にとって、あらゆる逃げ道は断たれていて、「時間」ですら市場原理に飲み込まれ失われてしまっているのだ。つまり、「お金≒時間」となった時、それらに支配される現実と、それらから解放されるという理想を同時に持つこととなる。その理想を表すところが、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』でいうとミュージカルシーンだろう。現実の時間軸から離れたところで行われる歌や踊りは、理想を提示することによってさらに現実を問うものになっている。(例えば『ラ・ラ・ランド』の最後あたりのシーンは現実の時間軸を大きく離れることによって、思い描いていた理想と現実の距離をうまく表現していたように思う。)さらに『異邦人』での理想を表す描写は、恋人マリーとの海水浴のシーンであろう。(マリーは語源から、母という意味でもある。母の神話的な象徴でもある”海”で出会うマリーの存在は、母を亡くしたムルソーにとってはまさに理想そのものであった。)
カミュは、今生きている現実世界と言葉によって再構築された世界の衝突における違和感(=不条理)を根本思想としている。(本当はこんな短い文章では表せないものだけどゆるしてください)①の共通点において、再構築された現実とは、事件現場や被告の人間性が言葉で再構築された裁判所でのシーンだ。現実とは異なった形で現れた「語られた現実」を前に、私たちは「現実の世界とは何か」という問いから目をそらすことは不可能であろう。そして②の共通点では、愛を言葉や目に見える世間一般のしきたり(儀式)に即して表さないことによって主人公を苦しめていた。なぜなら、その愛とは裁判所で語られるような「言葉」などでは表すことのできないものだからだ。セルマは息子に対し、ムルソーは母に対して直接的な言葉やお金で買えるプレゼントでの愛を示してはいない。しかしまさにそのせいで彼らは、愛のない人間だと考えられたのだ。セルマは厳しい母として、ムルソーは親不孝な息子として、である。ここにも現実への問いがある。そして最後の③の共通点は、「語られた現実」・「再構築された現実」の中に生きることができない人の運命とも言えるのではないだろうか。セルマもムルソーもともに、死刑を免れるチャンスがあった。それにもかかわらず彼らの刑が執行されたのは、セルマにとっては息子��の、ムルソーにとっては海と太陽(それらは母と同義であった)への愛による。それぞれが信じる正しさは認められることがなかったのだ。そして彼らは死の間際、息子の名を呼び、母のことを思ったのである。
これらの共通点は偶然のものとは思えない。しかし偶然であったとしてもオマージュであったとしても、セルマやムルソーにはどうでもいいことであろう。ここで引用をさせてもらうと、カミュは『シーシュポスの神話』の中で「不条理性の感情は、どこの街の曲がり角でも、どんな人間にでも真っ向から襲いかかってくることがありうる」と述べている。しかし、不条理性の感情を知ってしまった者は、やがて第三の物語の主人公になりかねない。その時にできることはただ人生をミュージカルにすることか、海水浴をすることだけなのかもしれない。
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