garagara-pe
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つねづねつれづれ
ルームツアーを見るのにずっとハマってる
ベッドで一日中過ごせちゃう
どんな日でも夕焼けがすき
どんな日でも君がすき
なんてね
夢とか目標は無いけど
戦争と差別は反対
どんなひとになりたいだろう
どんな未来を暮らしたいだろう
目を閉じても煩いとき
鼓動がはやくなるとき
心に真っ黒が滲んで広がるとき
全てを受け入れてくれる
やわらかくてあたたかいものにすがりつきたい
都合が良いだけで何の責任も取れない
いつも口ばかりで中身が伴わない
目の前のひとを抱きしめても
家族に理解されなくても
明日も続く、生活はあまりにも雑で
取捨選択すること
すなわち
信じること
世の中には難しいことが多すぎる
配慮・多様性・社会構造 あぁ情報過多
これまで見えてなかっただけで確かにそこにあるもの
もしくは見ようとしてなかったもの
眠い日が続く
花はいつか枯れる
星が綺麗なところに行きたい
ふだんなんも考えてないよ
思考は止まってる
アップデートしなくちゃ
これまでのツケと焦り
もったいなくて、ものが捨てられない
整理整頓が苦手
使ったティッシュはテーブルに放置
どうやったら大事にできるのか
わかりたいのにわからない
大事にしたいことがたくさんあるのに
大事にしたいひとがたくさんいるのに
扇風機は壊れてるし
喉は乾いたまんまで
パジャマは脱ぎっぱ
不器用
コミュニケーション
愛想が良いだけ
嘘をつくのが下手
すごい嫌なことを思っちゃうことがある
口にしないだけで
ひとの気持ちがわからない
じぶんの気持ちすら間違えていないか不安になる
誰にも言えないこと
誰にも言わないこと
色んなすきがないまぜになって
限りある言葉で限りない宇宙を
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生きること・死ぬこと
母方の祖父が亡くなった。
持病が悪化しており、もう後は長くない状態だった。最期は眠ったまま息を引き取ったらしい。
私はこれまで身近な人の死に直面する機会があまり多くはなかった。
お葬式に出るのは二回目である。
最初は父方の祖父の時で、十五年以上前のことだったので当時何を思ったかは正直あまり覚えていない。
知らせを受けて、現実味が無いフワフワした気持ちのまま、母の実家がある福岡へ駆けつけ、斎場で遺体と対面した。
生きている姿しか知らなかった人間の死んだ姿を目の当たりにするのは想像以上にショッキングだった。
もう動かないその人は、目の前にいるのに目の前にいない。
死化粧がやけに綺麗だった。安らかに眠っているその顔を、私はあまり長い間直視することができなかった。
納棺の瞬間も、花を手向けるときも、火葬炉に入れられる直前も、「いやだ!いやだ!いやだ!いやだ!」とずっと思っていた。
いつもはあっけらかんとして気丈な祖母が、遺体や遺影のそばで何度も何度も「お父さん、」と優しく話しかけるのを見るたびにいたたまれなくなった。
六十年連れ添った夫に先立たれた気持ちはどんなものなのか、結婚できそうにない25歳の私には想像もつかない。
祖父がこの世を去ったという事実だけでなく、残された側のことを思うとつらくなる。
生きている我々はせめて故人の存在を忘れないで、お互いを励まし合いながら生き続けるしかないのだろうか。
人はいずれ死ぬ。
歳を重ねると、その事実と向き合う機会はどうしても増えていく。
“終わりがあるから美しい”と言うけれど、やっぱりお別れってとてつもなく悲しいよ。
終わってから美化しがちな自分に嫌気が差すこともあるけれど、祖父と過ごした時間を思い出すとやっぱり泣いちゃうんだよ。
通夜を終えて眠りに就くとき、家族やいままで知り合ってきた人たちの顔がたくさん浮かんできた。
「元気なうちに親孝行しなきゃな」「人をもっと大事にしたいな」とありふれた結論に達して目を閉じた。できればみんな死んでほしくないし傷ついてほしくない。言うだけなら誰でもできるんだけどさ。
斎場の枕はなんか私には合わなかった。
このご時世、”生きていればまたいつか会える”という言葉をどれだけ信じていいのかわからないけれど、私はいまのところ生きています。
これを読んでくれた、そこの生きているあなた!もしよかったら、またいつか、生きて会いましょうね。何度だって、会いましょう。
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