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小松原海利 11/16
A班
web
サイトでやろうとしている事や、視点は面白かった。ラベリングとして取り扱っている概念がどれも個人の価値観や感覚によって異なるものであるため、そこで共感を得るのが難しかったかなと感じた。現在実装されている軸の他に、実際にその看板が出来た年代なんかが分かるページがあると、色々と比較できて面白かったかも知れない。
ただ、現代のSNSにおいて評価されるにはクオリティーの他に共感性という軸があると思うが、このサイトはその部分に特化しているのが面白い点でもあるので蛇足の可能性もある。
映像
講評ではまだ立川らしさが足りない、立川でなくても近い映像が撮れそうとの意見もあったが、個人的には十分撮れているのではとも思った。
前半の昼間は閑静な住宅街から始まり、薄暗く灰色の人工的な建物に工事の音が響き渡る。
後半の夜は打って変わって彩度の高いキラキラした看板が立ち並び、人や車や宣伝の音が鳴り止まない。このコントラストが立川という街を表していて、あまり他の街には無い空気感を作り出している。そういった作品に見えた。
総評
サイトと映像との関連性が希薄に見えた。また、それゆえにサイト用に撮りに行った場所で別に映像用の絵も撮るということが出来なさそうで作業量的には大変なことになったのではと思った。ただ、これはWebサイトのコンセプトや扱うコンテンツが特殊である以上仕方のない事なのかなという気もした。最終的に立川で見つけた東京の形の面白さというものが映像とサイトとではっきりと異なった物を伝えているように感じた。
B班
Web
トップページは説明のあった通りもったいない感じになっていたが、それ以外はデザインが良く、雰囲気がよく表れていた。中間発表時に話していた、インタビューの中からさらに飛べるコンテンツを用意するというのがどういう経緯でなくなったのかは気になった。また、国分寺ネパール王国というタイトルにしては国分寺の要素が少ないのは気になった。カレーを食べに行きたくなった。
映像
本来作りたいものから大きく逸れて最後ギリギリで作った作品とのことだったが、しっかり完成に見える状態になっていたと思う。その店だけでしか得られなさそうな体験や空間というものは確かにあまり伝わってこなかったが、国分寺にあるアジアン料理店としての雰囲気は十分に伝わってきた。店舗内の壁など、寄りで撮っているカットも多かったが、なにかずっと客観的に引いて見ているような感覚を受けた。
総評
調べたものやインタビューなどで得た情報が多くて、風呂敷を広げ過ぎた結果、いざ縮小するとなっても時間が足りず最終的に本来より伝える物が少なくなったのかなと思った。まだコンテンツにしていない面白い情報が無数にありそうなので、それを見てみたかった。同じ国分寺という舞台を取り扱ったが、ネパール料理屋に着目するという発想は一切無かったので、それもまず面白いなと思った。
自分の班
web
史跡と住宅圏と都市機能、全て国分寺が持っている側面ではあるが、それが明確な境界線を持つことなく一つの空間に混在している。というのが見つけた面白さであったが、サイトを通してそれを伝えられたかというと怪しい。土地について調べていくと、見た目では分からない情報や歴史がその空間には埋まっているということが分かっていき、その部分を紹介するサイトになっていた。
そういったサイトだとして捉えると、良いサイトになったのではないかと思う。
映像
映像の方は上記の面白さを保持したまま完成できた印象がある。手伝ったとはいえ本当に微々たるもので、池田さんの努力の賜物であると思う。恐らく他の班と比べても現地に行って撮影した回数は多く、より深く国分寺という土地と史跡の関係性には踏み入れたのではないか。ウェブとの表現の違いに関しても、映像でしか伝えられない、その土地の持つ空気感そのものや音が充分に入っていたと思う。
共同作業について
前半の企画段階では積極的に意見を出していたりしていたつもりだが、それがどのくらい班の役に立っていたかは分からない。途中からwebと映像の2グループに分けて作業することとなったが、どちらにも少しずつ関わるという中途半端な立ち位置になった。それはそれでスケジュール管理等に乗り出せば良かったのだろうが、少しずつどっちにも顔を出していたので、それぞれの進捗を具体的に把握することもできず、結果的に最後までお手伝いのような形で終わった。もっと後半も積極的に関わっていけば良かったのかも知れない。
今後の課題
そもそも今年は 1,tumblr毎日更新 2,やる事を最初に明確にしておく 3,生活を維持する 4,積極的に参加する 5,出来なさそうな事は先に言っておく 6,残り時間とやる事を常に考えて動く。という目標を最初に立てていたが、後半からはそれを忘れていてしまった。次からはこれをまず大前提にやり、更にコミュニケーションをしっかりととり、自身の現状を伝えてかつ相手の状況をできる限り把握できるように心掛けたい。また、何かしようとして何もしていない時間というものがあったので、その状態になっていたらちゃんと考えて自分で何かできる事を探して、見つからなければ聞くという事も心掛けたいと思う。
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11/6 小松原海利
投稿を忘れていた。この日は家で殿ヶ谷戸庭園のコンテンツに使う文章を書き、その後サイトに使うイラストを描いていた。
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11/5 小松原海利
ウェブサイトにて実際コンテンツとなる文章をいくらか書いた。
先日からそこそこ喉が痛く、常に痰が絡むような状況なので、念の為明日は在宅でイラストを描くという形にした。
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11/04 小松原海利
中間講評を終えた後、残り時間でラベリングを考えた。
以下中間講評にて指摘された点。
映像
伝えたいものを一度言語化した方が良い。その目的に応じ、映すべきものを考えて撮ったほうが良い。
現状ではなんとなく作っている感覚がある、伝えたいものが伝わってこない。映すものに関して一貫性があると良いかも。
一人に丸投げになっている状況はよろしくない。
現代のものと古いものを交互に映すのでは、その二つがはっきり分断されているように見える。同時に二つのものがあるフレームが多数必要(例えば、墓の前を子供が通るようなあのカットはおいしい)
ウェブサイト
お鷹の道などの具体的な名前ではなく、ラベリングとしては何が出来るのかを提示するべき。
現状ターゲティングに関しての必然性がない。
とりあえず写真を入れると考えやすくなるかも。
各コンテンツについて見てほしい所を決めて、それぞれキャッチーなタイトルを考えるとよい。
昔のものが今も存在していて、使われているという面白さも良いのではないか。
インドネシアの歴史と並列に描くというやり方。
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11/2 小松原海利
ウェブサイトと映像班で2-2に分けて行動した。ウェブサイトにて扱うコンテンツの素材として使えそうな写真を撮影した。また、姿見の池はまだ行っていなかったのでそれも撮影しに行った。
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10/30 小松原海利
今日は各自フィールドワークを行い、途中から合流してサイトで扱うコンテンツ及びワイヤーフレーム等の概要を話し合った。
コンテンツは昨日まで話した内容のものをより詰めていくという形で明確に固まった。また、ラベリングについての理解も多少は進行した。
映像に関してだが、I氏の中には明確なビジョンがあるようなので完全に任せる形になってしまっている。現在自身には曖昧なイメージしか浮かんでいないため、明日以降まず理解する所からはじめるべきかも知れない。
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10/29 小松原海利
昨日まで考えてきた内容をプレゼンという形で発表した。
指摘された点(サイトについて
過去と現在という部分で分けるにも関わらず、その定義が曖昧になっている。
感想というラベリングがよろしくない。
一般人の抱いた感想を見てあまり人はその場所に行きたくなるということはない。
サイトの構造がそもそもトップが2つ存在するような形になっている。まとめ直したほうが良い。
ストラクチャーが意味を成していない。
サンプルがないため具体的に意見が言えない。
あたりが主なものだろうか。
会議にてターゲットユーザーは決まったので後は紹介する内容を決めれば理詰めでそれなりに進められる気はする。
明日国分寺に行き、フィールドワークをしてより具体的にものをきめたい。
前回時間に余裕を持って冷静にと書いたが、その時間はどうやらないらしい。
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10/28 小松原海利
国分寺のカフェに集まり、企画内容とサイト、映像で扱うコンテンツやターゲットユーザーについて話し合った。
昨日話した内容は国分寺の面白さというところから詰めた内容ではないため、一旦破棄となってしまった。
取り扱う国分寺の面白さは開発された都市としての国分寺と、自然や遺跡の残された史跡としての国分寺がどちらも等しく国分寺として存在していることになった。
そこから、その国分寺の面白さを取り扱うならどういった表現でサイトを作っていけば良いかという話になり、結果的には時間がないから無理やりまとめたという形になってしまった。
もう少し時間のある状態で冷静に詰めたい。
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小松原海利 10/27
13:20にエディティングLに集まり、会議を行った。
最初に昨日歩いた所を各々説明し、国分寺の面白さ、扱うコンテンツについて話した。
1時間ほど話したがパッとしたアイデアが出ず、煮詰まったために休憩に入った。10分後会議を再開するも中々話が進まなかったが、色々こねくりまわしている内にI氏からサイトを日記型にするというアイデアが出た。
早速ホワイトボードを使い内容を考えていく。その後はさくさく進み、取り扱うコンテンツとサイトの内容について話が纏まった。

明日は国分寺に集まりサイトストラクチャーとワイヤーフレーム、企画書を制作しつつ内容についてより具体的に探るという形にしたい。
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小松原海利 10/26
今日は四人各々の国分寺の興味を掘り下げるために、一人ひとり別行動で国分寺を散策することとした。
私は国分寺にある記念碑、及び水路に関して改めて調べたいという思いがあるため駅周辺の記念碑を巡った後に休憩を兼ねて殿ヶ谷戸庭園へと向かい、その後分水について描かれた地図を元に水路がありそうな所を歩いていきたい。
以下歩きながら気付いたことや感想を逐次記録していく。
早稲田実業高校前に建っている宇宙開発発祥の地に来た。

国分寺駅からまっすぐ東へと向かい、その後北へと進むルートをたどった。道中は高低差のある道が多かったが、宇宙開発発祥の地から北東に進むと平坦且つ奥まで見通せる長い道路が多くなった。
高校のある所をさかいに台地になっているのかも知れない。
宇宙開発発祥というのは、糸川英夫教授により行われたペンシルロケットの試射実験のことを示す。15cmほどの簡易版ロケットを水平方向に飛ばすものであるため、広く平らな土地が求められる。このことは国分寺が選ばれた要因の一つであろうと考えられるだろう。
宇宙開発発祥の地から電車開通記念碑を目指して東南東、北北東、西南西へと進んだ。前述の通りずっと平坦な道であったが、南の方を見ると急勾配の下り坂が見える。
また、途中小学校と保育園の横を通った。

そのまま進み、電車開通記念碑のある通りまで着いた。この通りも同じく北から南方向へと繋がる長い道であったが、先程見えた下り坂とは違い緩やかな下り坂になっていた。電車開通記念碑に関しては一切調べていないので詳しいことは言えないが、後々どうしてここにこの記念碑があるのか調べたい。
そのまま南へ進むと国分寺駅前の景色が見えてくる。駅に近付くと急に飲食店や彩度の高い看板が増えた。分水地図によると、国分寺駅北を東から西へと向かって国分寺村用分水が流れていた筈だが、痕跡のようなものは見つけられなかった。
駅を通り抜け、今度は殿ヶ谷戸庭園へと向かう。
入り口が分からず、庭園の外周を西から反時計回りに殆ど一周することとなった。これまた急勾配の坂が続き、国分寺駅周辺は北から南に向かい下っていく形になっているのだろうと考えた。

殿ヶ谷戸庭園に来るのはこれで数度目であるため、新鮮さという意味での感動は無いが、それでもその整えられた自然に心の底からの安堵感のようなものを覚えた。英国で言えば貴族、日本で言えば豪族や地主、将軍だろうか。所謂お金持ちと呼ばれる人々が庭園を持ち、そこに豪邸を建てて暮らしていたというのも大変頷ける。


殿ヶ谷戸庭園の中には次郎弁慶の池というものがあり、これこそは分水に関連するものだろうと考えていたが、看板を読むと湧き水によるものであるらしい。

分水地図を改めて見返して見たならば、今まで分水と思い込んでいた国分寺駅周辺の水路は野川と表記されていた。しかし、それはそれで良しとして野川の跡や現在も残っている部分を探そうと決めた。
殿ヶ谷戸庭園を出ようとすると展示が行われていた。殿ヶ谷戸庭園の歴史及び庭園内の苔について説明されたものだ。内容は省くが、この庭園は国分寺崖線に建てられたものであるらしい。また、国分寺崖線とは立川北東付近を始点とし、国立国分寺から等々力へと続く10〜20m程の崖線で、太古の多摩川によって形成されたものとの説明があった。
ここまで歩き、実感してきた地形の仕組みが急に簡潔に説明されて、何もせずに読むよりも遥かに合点がいった。また、新しい知識を得るという事とは別の種類の感動も覚えた。
殿ヶ谷戸庭園を出てから今度は西へと向かう。しばらく平坦な道が続いた後に、急勾配の下り坂が現れた。そのまま下っていくと、水の音が聞こえてきた。野川が流れている。先程の急勾配はこの野川により作られたものだろう。


野川の川上の方向へと向きを変えて歩き始めたが、中央線により遮られていてそれ以上北へは行けなかった。

もう少し西へと進むとまた水の音が聞こえ、何かと思うと下水であった。元々野川が流れていた所などを利用しているのだろうか。
また、さらに進むと急勾配の上り坂が待ち受けていた。や��りこの小さな野川により土地が削られ、作られたものに違いない。
そろそろ3時間になるので終わり���い。
具体的に扱うテーマなどは見えなかったが、土地形成そのものの面白さのようなものは見えたと思う。現在の疑問点としては鉄道開通記念碑のことと、どうしてこんな急勾配の崖の街が発展したのかについて具体的なことを知りたい。
仮説としては、都心へと向かう交通の便が良く、少し北へ行けば水路も通っていて平坦な街が広がっているため学校や大きい施設が作られる。次にその学校に通う人や施設で働く人のために駅前の北側が発展し、それにつられるように南側も発展していったのではないかと考えた。
最後に公園で見つけた良い感じの馬を載せておく。

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小松原海利 10/24
昨日に引き続きウェブサイト実習を行った。html及びcssのコーディング実習が終わった後は実際のサイトを参考にしながらサイトストラクチャーの説明を受けた。
少なくとも取り扱うコンテンツが決まらない限りは仕方がないので、月曜日にフィールドワークを行って未だぼんやりとしている面白さというものを考え、火曜日には具体的な方針を定められるようにしたい。
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