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ばけのかわ
去年見たサブカル学芸会映画「デッド・ドント・ダイ」のことをいまだに定期的に主出しては怒りに燃えている。怒ることは娯楽だ。頭がカットして罵詈雑言のボキャブラリーを脳内から一気に放出することは楽しい。この愚かな映画への悪口は今のところ脳内とごく親しい身内にだけ伝え、ジム・ジャームッシュファンの多いSNSでの発狂はおさえている。 私は本来なら根っからの粘着アンチ気質で、そうしないのはアンチ行為はみっともないという規範に支配されているだけだ。紳士たれと体裁を取り繕う虚栄心だけがなんとか私を通常人間たちの間につなぎとめているが、私はきっと道端に座り込み、通行人を悪罵する老人の方に親和性が高いのだろう。ああはなりたくない、まともな人たちの間にいたいと必死で取り繕っているが、そして恐ろしいことに、私はいつか規範を投げ捨て、気狂い老人になる日を待ち望んでいる。
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さいきん観ているDVD
時間をどう使っていいのか、まったくわからない。 伊丹十三の随筆の、旅の心構えについての一節に、こんなことが書いてあった。
「ホーム・シックというものがある。これは一時、人生から降りている状態である。今の、この生活は、仮の生活である、という気持ち。日本に帰った時にこそ、本当の生活が始まるのだ、という気持ちである。/勇気を奮い起さねばならぬのは、この時である。人生から降りてはいけないのだ。……それが、現実であると受けとめた時に、外国生活は、初めて意味を持って来る、と思われるのです。」
この随筆を読んだのはだいぶ前になるが、ときどきこのくだりを思い出す。 わたしは今の生活を、本当のものと認めることができない。 この生活を抜け出したら、本当の人生がある、そう思ってしまっている。 簡単に言えば、現実からずっと逃げている。 それでも、抜け出すこともできず、日常の瑣末なもろもろにかまけて、雑事に流されずるずると続けているうちに、この暮らしに慣れてた。 仮着のつもりで着ていたものが、すっかり肌になじんでしまった。 わたしはホーム・シックにかかっているのだろう。 今の日常は本当の人生でないから、自分のものでない時間を、どう使って良いかわからず、持て余している。 とても、もったいないことをしている。自分でもわかっているけれど、進まなくてはと思うけれど、どこへ行ったら良いのかわからず、うろうろしている。 わたしの人生は、降りてしまってから、わからないままだ。
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