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・人のしゃべったり書いたりすることのなかには、 三層のちがう種類の内容があって、混じりあっています。 これは、なにかの学説とかではなく、 ぼくの考えなので、そのつもりで読んでください。 まず、第一層は「じぶんではっきりわかっていること」。 「わたしは、さっきタクシーに乗った」だとか、 「わたしはバナナが好きで、よく食べている」だとか。 日常の近くで交わされる会話は、この第一層が多いです。 次に、第二層は「じぶんでわかりかけていること」。 「好きな人のことを、嫌いになることはあるよな」とか、 「人は、ものをもらってもよろこばないこともある」とか 「子どもが持ってて大人が持ってないものがある」とか いろいろあるけれど、だいたいそう思ってるということ。 そして、第三層にあるのは、 「森鴎外が住んだ家に、その後夏目漱石が住んだ」とか、 「ブラックホールは極めて高密度で強い重力のために 物質だけでなく光さえ脱���することができない」とか、 じぶんがたしかめたり関わったりすることは無理だが、 「そういうことになっている」という知識です。 だいたい、この三層は混じりあっているのですが、 ものを教える仕事の人は、わりと第三層の話をするし、 じぶんひとりで自問自答して考えたり、 親しい人とゆっくり話していると第二層になりがちです。 映画の封切りのとき舞台挨拶がありますよね。 あんなときも、三つ層の話が入り混じります。 「戦後の貧しくても強く生きた男女の 愛と別れを丹念に描いた作品です」 というような第三層の発言もあるでしょう。 そうかと思えば、第二層の感想も語られます。 「嫌われるように別れるように動いてしまう裕子に、 演じながら共感するところがありました」 というような感じかなぁ。 そして、ちょっとベテランの俳優とかが、 「撮影が、もう一年半以上も前なので、 よく憶えていないんですよね」などと言ったりもします。 これは、もう、もちろん第一層の話です。 どれかの一層だけで進んでいく時間よりも、 三層すべてのバランスのある話が、おもしろいですよね。 今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。 という、今日のこの話は主に第二層のあたりの内容かなぁ?
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Owen Jones, Egyptian Ornamental Design, from The Grammar of Ornament, 1856
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https://www.youtube.com/watch?v=IiM9KVVWLzw&list=OLAK5uy_keMXb41FE9GBEHJI8ckUzJqmbF6kID2Tc&index=2
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Way of the Liceu, Rambla, Barcelona,1964 - by Eugeni Forcano (1926 - 2018), Spanish
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Jean-François Dalle Rive. Bords du Rhône au quai Jean-Moulin, Lyon
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Getty images. Claudia Cardinale dancing barefoot on a roof terrace in Rome, 1959.
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Robert Blomfield. Couples, Princes Street Gardens, Edinburgh, 1966.
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