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凡庸なフレーズから完成度をあげる方法がある程度まとまると、もう少し恐れずに作曲できるのではないか?
ということを考えている。
自分が自分の作曲段階で凡庸なフレーズと思うもののイメージを挙げていこうか。
とくに臨時記号のつかないメロやダイアトニックコードのみで構成されており、童謡のように非常に予測しやすく単純な響きをしている。
単純なことは悪いことではない。予想のしやすさは親しみやすさにつながる部分も大きいし、楽曲制作の上での管理もしやすい。むしろ思考をまとめるうえでは可能な限り単純なものをベースとしたい。
ただし、曲の魅力があるか、というのはより重要な要件になる。
魅力ある曲であることが大事なのであり、単純であることはあくまでも手段である。
単純であるために魅力を損なうなら、そこに手を打つ必要性が発生する。
自分の作ってるフレーズが凡庸に感じるとどういう良くない流れが発生するかについて書いてみる。
フレーズが凡庸に感じる
→ 作業中の曲に自信が持てなくなっていく
→ 時間の無駄な気がしてくる
→ 作業が止まる
→ 作りかけのまま続きが作れなくなっていく
こういった流れというのは発生してしまいがちなものだろう。これは認めよう。
ではこれでどの部分に対処をするか、ということについて考えてみる。
1.ゴミから始める意識を持つ
偉大なる作品も、些細な形から始まることは多い。
また、作品の最初の形から美しく雄大である必要もない。
「ゴミから始め、後からよくすればいい」というのは基本的な合言葉にしていける可能性を感じる。
2.後からよくするための知見を整理する
後から良くすればいい、といってもどうやって後から良くするかのイメージがつかないと不安だろう。
だが、後から良くするためのテクニックは色々あるし、それを忘れずに自分で持っていけば、AやBを試して後から改善できる、という希望がはっきりしてくるだろう。
そういうわけで凡庸なフレーズを磨き上げるためのテクニック集みたいなものを整理することには大きな意義があると感じる。
3.「完成そのもの」を評価する
なぜ、作っている最中にフレーズが微妙に感じるかというと「これを完成させても微妙なものが出来上がるだけではないか」という気持ちが発生するからというのは言えそうだと感じる。
しかしながら、完成品の質が多少微妙であっても完成品が存在することには大きな意義がある。
自分の思考の正しさ、誤りを客観的に認識しやすくなる。もちろんバイアスはかかるが、作品が脳内にあるときと作品が現実にあるとき、どっちのが客観的に評価しやすいかというと圧倒的に後者だろう。
「完成させる」という行為には大きな意義がある。
名曲かどうかというのは、完成させるという意義に比べると些細な話なのだ。それは完成を前提とした話であり、未完成な名作は凡作に劣るのだ。
未完成な傑作より完成した駄作。
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最近重要と感じる基本的な思考をまた並べてみる
・未完成の傑作より完成した駄作
完成した駄作から得られる学びは、未完成の傑作より圧倒的に多いということがまず言える。
脳内だけにあるものでは、客観性を持って判断することが極めて困難と言える。もちろん現実に自分が作ったものに対しても客観性を持った判断をするのは難しいが、脳内ほどではない。
未完成の傑作を脳内に留めるよりも、駄作を完成させる方が学びが大きい。これは事実として受け止めて良いことだろう。
・1日ひとつ強くなる
改善できたことを見つけていく。
これの重要な点は、学びの解像度を高めるということにもある。
ひとつ、なるべく小さな成長をみつけ、それを喜ぶ。
小さな成長を見つけられる自分の目を評価するということもある。
・ゴミから始める
傑作も最初はゴミから始まる。質が重要になってくる可能性があるのは完成品の形からであって、最初はゴミで、ちょっとずつ直していっていいものにしていけばいい。
・なるべく、自分の外側で考える
これは実は「未完成の傑作より完成した駄作」と通じる部分かもしれない。
思考はなるべくテキストなどに書き、図も描く。
作業の流れを書いて整理する。
頭のなかでぐるぐる回すよりも検索する。
手を動かして試してみる。色々難しい部分もあるが、自分の"外側"で考えると、ワーキングメモリの圧迫も防げ、思考そのものも楽になるし、また思考のトレーサビリティが上がる。
一度考えたことを後からまた追えるようになることのメリットは結構大きい様に思う。
・全体像を取得しに行く
判断基準、というものが重要となる。基準を持っているか否かで判断のスムーズさは大きく変化する。
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マルチタスクで逆に仕事の効率を上げる方法
マルチタスクで逆に仕事の効率を上げる方法
https://yuchrszk.blogspot.com/2017/05/blog-post_25.html
上記の記事ではマルチタスクの研究としてある実験を行っている。
2つのタスクについて
・前半にタスク1、後半にタスク2をやることを指定する
・あらかじめ決めた感覚で、定期的に2つの作業を切り替える
・自分の意志で2つの作業の実行タイミングを自由に変えてやる
作業の内容は創造性を試すようなものを重視。レンガの新しい使い方を考えるなど。
結果として、「グループ2」、つまり、前もってタスクを切り替える時間を決めたほうがクリエイティブな結果がでたという。原因について考える。
キーワードとして「認知の固着」と「偽の好調」が挙げられていた。これがなかなか面白いポイントである。
「認知の固着」
要は、同じことを考え続けることで視点が固まりすぎてしまい、選択肢が狭まったりしてしまうことである。
クリエイティブなことに関しては視点が固まりすぎるのはあまり良い結果を生まない。
「偽の好調」
こっちの観点の方が自分には面白かったかもしれない。
自分の主観では「好調に進んでいる!」と感じるが、実際にはそうではない場合である。
これはなんだかんだでいろんな作業で発生しそうな話とも言える。
本筋とは全然関係ない作業にはまり込んでガンガン進めている状態など。実際、関係ない作業がぱっと目についてぱっとやれてまた次が出てきて、を繰り返していると目の前のタスク消化は早いし、まるで好調に進んでいるかのように感じがちだ。
==引用
よいアイデアが必要な場合は、意識的に問題へのアプローチを変えるための時間を作るといい。タイマーなどを使い、定期的な間隔でアプローチを切り替えるのだ。
タイマーが終わったら、違うタスクにとりかかろう。(中略)もしかしたら「今日は調子がいい」という気分になって、目の前の作業から離れるのが惜しくなることもあるだろう。
しかし、そんな時は考え直してみよう。その調子のよさはニセモノかもしれないのだ。
引用==
この考えは音楽制作などにも結構活かせそうな気がする。
まず、言えてしまうのが、作曲というのはクリエイティブな作業にならざるを得ないということ。
クリエイティブというと聞こえはいいが、要は、作業の途中で何を作業するかを定義する必要がある自体が多発するということだ。
作業を、何も考えずに手を動かすという段階に持ち込めるとスピードは爆発的に上がるが、作業内容を考えて作業内容を定義するのを挟むようになると認知的な負荷は大きいしペースも落ちてしまいがちとなる。ここ対応は結構難しい。
音楽制作という「作業」をどうやっていくかという観点での効率化を自分はよくやるが、「クリエイティブ」というのも無視できない観点である。
よりクリエイティブになることで、音楽の作業はより早く、やりやすくできるかもしれない。
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2種類の意思決定
ジェフベゾスの話
https://www.msn.com/ja-jp/money/career/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%95-%E3%83%99%E3%82%BE%E3%82%B9%E3%81%8C%E3%82%84%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B-%E6%B1%BA%E6%96%AD%E3%82%92%E6%97%A9%E3%82%81%E3%82%8B-%E6%96%B9%E6%B3%95-%E6%B1%BA%E3%82%81%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%91%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%AB%E3%81%AF2%E3%81%A4%E3%81%AE%E7%A8%AE%E9%A1%9E%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8B/ar-AAS0Sny?ocid=msedgntp
意思決定を2種類にわけて説明を行っている。
・後戻りできず影響が深刻な意思決定
・後戻りできる意思決定
ほとんどの意思決定は後者である。
決定を下し、実行する。そのあとで間違っていたことがわかる。
大企業ではすべてがまるで後戻りできず、影響の大きな意思決定であるかのように長く煩雑なプロセスをへて決定される。それは最悪だ。
意思決定を下す際に「後戻りできるか、できないか」を問う必要がある。
後戻りできる決定は少人数か、リーダーが一人で下す。
後戻りできない場合はじっくりと分析を重ね、慎重に行う。
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プログラミングの学習、練習方法について見えてきた
ある言語におけるプログラミングの学習、練習方法について、いくつかの工程を踏むことでわりと確実にできてきそうというのが見えてきた。
まず学習について、こちらは基本的な文法などの取り回しなどになる。ただ、文法が理解できるとプログラムが書けるというものではなく、文法はコンパイルやプログラミングに必須な割には学習の本質的な部分からは少し外れていると言えそうな気がしている。
言語としての学習については以下が主軸かと見ている。
・概念の理解
個別プログラムの理解の場合は
・どの行で何をしてるかの理解
・依存関係の理解
あるプログラムに対して「そのプログラムを理解した」と言える状況になるにはどうするか、というと、まずどんな入力に対してどんな処理、出力を行うことかを理解することと、プログラムで作成している構造体や変数の依存関係の理解がポイントになりそうだ。
ひとことでまとめると、目的と構造の理解だ。これについてトレースしていくことが重要となる。
上記の概念の理解については初めてプログラミングに触るというわけでない限りある程度クリアできる場合が多いだろう。行ごとに処理が行われる、関数やサブルーチンなど、処理について分けて記述する構造が存在する、などは基本的な部分だが、因果非因果の話やオブジェクト指向の話など、少々ややこしめの概念もあるだろう。
この���は必要がある場合に理解を進めていく。
次に個別プログラムの理解として自分が作りたいプログラムの分析を多少進めたとする。
じゃあ書けるか、大抵は書けない。なぜかというと、書く練習をしていないからだ。
「こういう処理はこう書く」という基本の理解が抜けていると、いちいち調べながら書くことになるし、どのように調べるかから考える必要性が発生する。
最終的にも調べながら書くことが多いだろうが、それは細かい部分の確認のためがメインであって、調べないと基本の形も作れないようではやはり厳しいだろう。
水の中にいるようなもので、動けるし、届くが、その動きは抵抗を受けてゆっくりになってしまう。その状態で動き続けるのは疲れる。
というわけで、次に基本的な処理について学んでいく、といった形になる。とはいえ、プログラミングそのものの初学というわけではないのなら、ある程度どのような処理が必要となるかの察しはついてくるはずだ。
「こういう感じの処理がしたい」という基本的なパターンについて頭にいれ、練習していくのが有効だととらえている。
プログラミングの演習問題を確認し、やっていく。
とはいえ、答えの写経でいい。
プログラミングの演習問題の引っかかりやすいポイントは、文法的な条件の認識が抜けたコンパイルエラーだ。
処理としてそこまでややこしいものをしないなら、そこのコンパイルエラーばかり考えてもしょうがない。
実際に書いて見てエラーを吐かないか通して確認し、挙動を見る。
記法についてはエラーを見てから確認し、修正していけばいい。
ここで大事なのは「パターンを知り、パターンに慣れる」ということであって、頭を使い自分なりにアルゴリズムを考えていくことではない。
必要な基本処理について書けるようになっていくと、あとは自分の作りたいものに合わせて要件を定義し、それぞれの処理を書いて実装していくことができる。はずだ。
また、基本的な処理のパターンを知っているとプログラムを読むときにも便利だ。
といったわけでまとめると以下のようになる。
言語を理解する
・概念の理解
・文法、記法の理解
書けるようになる
・基本パターンを知る
・基本パターンをなぞり、感覚に馴染ませる
あるプログラムを理解する
・そのプログラムの目的の理解
・各行の処理の意味の理解
・依存関係の理解
・構造の理解
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家での作業について改めて考えてみる
家での作業はそこまで捗っているわけではないので、改善できることを考えてみる。
睡眠時間を増やす
ここは結構重要だなとは思う。ただ、体力的限界がすべての原因とも断じづらいのも確かなので、作業そのものについても目を向けてみる。
20分に1回タイマーを鳴らし、
・作業は順調か
・目的に適った作業を行っているか
・今楽しいことをしているか
・有意義でも楽しくもないことをダラダラ続けてしまっていないか
・休憩が必要な状態か
などをジャッジしていくのは良いかなとは感じた。
この20分に1回タイマーというのは理由がいくつかある。
スマブラが1戦最大7分であること。
曲作りにおいてもなんだかんだで20分より長く集中状態が続くことが少ないというか、少なくとも作業の1区切りは20分と見ても問題がなさそうなこと。
実際に20分区切りをやってみた手ごたえとしてはタイマーによって作業は止められるが、止められること自体は別にそんなに悪くないというのが一つだ。
20分を越えて何かの作業をし続けているときに、めちゃめちゃ充実して進みまくっているというのは実はあまりない感じで、必要そうでやれるからやっていたがそんなにやる必要はなかったな、みたいになることも多い。
偽の好調感である。
20分に1回、機械的にタイマーを鳴らして意識を取り戻し、今やっている作業について考える、というのはかなり有効なように感じる。
・今、これは順調か
・次に何をやるかのイメージはつくか
・この20分で進んだか
・この20分で課題は見えたか
・休憩が必要か
などのセルフモニタリングとジャッジができる。
なんとなく考えがまとまらない状態で20分みたいなのが発生したときにストッパーにできるのが結構でかい。
ポモドーロテクニックに近い。改めて導入してみてもいいかもしれない。
時間術については自分は最初はうまくいくが、だんだん飽きてやらなくなるというのが多い。
というかそもそも時間術ってあんま重要じゃないよなというのがあり。大事なのは集中力とかじゃなく、要件を定義し、定義したことを実行することである。
集中力バリバリでやろうが、死にかけゾンビ状態だろうがやることやってれば成果は出るのである。
なぜ、自分が色々な時間術をやめてきたのか、というのは改めて考えてみてもいいかもしれない。
とりあえず時間について言えそうなことは、20分作業が止まることは痛手ではないが、20分作業が止まったならなぜ作業が止まったかを考える価値は十分にあるということかもしれない。
20分ごとにタイマーが鳴るのは、思ったよりうざくない、そういうのを感じている。
次に、完了を定義することについて。
とくに好きでやっていることに完了を定義するのは業務とはまた違った難しさを感じるかもしれない。
業務における完了は、それ自体がある種の報酬だ。
達成感、これで解放されるという気持ち、要はさっさと離れたいから完了を定義しさっさと離れようという気持ちが強く発生する。
それに対し、好きなことやる場合は続けたくなるので、完了を定義するやる気がそこまで出ない。
また、完了を定義してもそれを達成できるとも限らないのがまた響く。
20分ルールと組み合わせていくのもおもしろいかもしれない。
完了を定義する。また、基本的には20分でできる完了要件を定義する、といった具合か。
実際、調べものをしたり整理したりなどしていると20分はかなりサクッと終わることも多い。
調べものだけで20分経っている場合、もともと知りたかったことの本筋から離れている場合も多い。
タスクそのものを20分区切りで考える、というのは有効かもしれない。
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すぐやる、だけではない取り組み方の話
すぐやる、というのは基本的にあまり有効でないことが多い。
例えば、すぐに住民票を出したい。じゃあ靴だけ履いて区役所に行こう、といっても財布や証明書を忘れていると何も出せなかったり、そもそも電車などが必要なら役所にたどり着けないかもしれない。
「本人確認書類がないとちょっと」と窓口で言われ、取りに戻るとかなるともうかったるい。
即行動が正義かのように最近いわれがちに思うが、ある程度さっさと何かをやるためにも多少の検討と準備は必要となる。
典型的な準備の例は持ち物か。
持ち物のほかにも、必要な情報だったり、また流れの認識が必要な場合もある。
買い物にいって役所にいって、ってやろうとしたらもう閉まっていたり、など。
例が役所ばかりなのは個人的な失敗の経験がそこに多いからだが、基本的にすぐにやってなにかがうまく行った記憶というのはあまりないように思う。
だいたい初手が間違っているか、何かが欠けた行動となる。
とはいえ、すぐやる教もべつに邪教の教えではないし救いはある。一番いい点は「何が欠けていたか」が即座に可視化されることだ。
そこでしっかりつまづく分、何が欠けていたかは非常に見えやすい。
とはいえ、欠落が多層的な場合もあり、やろうとするたびに今度はこれがたりないあれが足りないとがっこんがっこんする場合も少なくはない。
といったわけで素直にすぐやることについては自分は懐疑的な立場を取っている。実際にある程度すぐやることを控えるようにしてからやることがうまくまわるようになってきた手ごたえがある。
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あたりをつけてから、動く
考えてから動く、というのだと少々重々しく感じる気がする。考えたとは何か、事前にあらゆるパターンを想定したのか、そういった部分が含まれ手を尽くさないことが悪手であるかのような意味に捉えられてしまう場合もあるし、実際のところ考えが目の前の状況に対して結論を出すための条件などが足りない場合もある。
要は考えるというのはゴールがないことが多い。
しかし、何も考えずに動くというのもこれまた初手で失敗しやすい。失敗も経験と蓄積され学習はされるが、学習レベルにさえならない失敗というのはちょこちょこある。
ある程度やって失敗することに意味があっても、始めた瞬間に失敗して止まっていれば学習もしづらいという部分は多いだろう。
この辺で見ていくと「あたりをつけてから、動く」というのが良いラインなんじゃないかなと感じる。
つまり、予測はするが厳密な検討はしないといったところか。
厳密な検討をしようと目指���よりも、実際にやった方が早く、また現実に沿った結果が得られるという場合が多い。
あたりをつけずに動くと、これはこれで何のためにこれをやって何を知見として得たのかが不明瞭なままになってしまう場合が多くある。
思考のステップを極端に増やす必要はない。2ステップだ。あたりをつけ、動く。
この辺を意識していくとわりと行動力と行動の意義を保ちやすいんじゃないだろうかという気がする。
あたりの付け方についてはそれなりに期間を有する者に対しては計画検討フレームワーク、ある程度すぐ終わるものに関しては、何をするか、何が必要そうか、何が足りなさそうか、どう始めるか、あたりでそれなりに回りそう。
もちろん、欠落とつまづきは出てくるが、あたりをつけない場合と比べると明らかに減るだろうし、当たりを付けたうえで遭遇する欠落についてはそれなりに学習する価値もあるだろう。
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無知の自覚ともやもやの解消について
実際のところ、全てがわかるということはないものだが、「わからないことがある」という認識がある状態はもやもやが発生するもの。
これについてどうアプローチしていくべきか。
一つ感じたことが、
・もやもや
・わからないことがある状態
は必ずしもイコールではないということか。
わからないことがある状態をなくすことでもやもやを解消しようとすると、自分を騙すしかなくなる。
わかっていないことをわかっているという風に思い込むことでモヤモヤを解消する。
しかし、これは非常にリスキーだ。ついやってしまうときもあるかもしれないが、可能な限り避けるべき手だと言える。
わかった気分になってもわかってないことはわかっていないもので、そこの認識がずれると霧に阻まれたように前も足元もみえなくなり一気に穴に落ちる感覚がある。
おそらく「わからないことがある」という状態は否定すべきではない。
そして「頭の中にもやもやがない」と「わからないことがある」を両立させるマインドセットが必要に思う。
わからないことがあるせいでもやもやして思考が回らないというのも困るものだし。
なので、こう言えるか。
わからないことがある、ということの認識があるのは正しい状態。
頭の中のもやもやの対処としては、わからないことを減らすことのほか、何がわからないかを整理しておくなどの方法がある。
こんな感じかなー。
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自分の中のデフォルト値を決める。
さて、オブジェクト指向の言語、ひいてはそれを利用したツールだと、オブジェクトを作成してそれらを組み合わせて連携させることができる。
このとき、デフォルト値の設定が可能であり、実行時にmodifyを行うことによって一部の値のみを変更し作る、といったことが可能である。
自分が改めて感じることはこの「デフォルト値」の概念を自分の中で持っておくことがよいのかもしれないということだ。
デフォルト値とは何かというと「とくに理由がなかったらこうする」という判断基準のことだ。
判断基準というのはどこまで細分化されていくし基本的には無限大と言っていい。そういった無限の可能性に対してアプローチしていくというのは正しいのだが、厳密な検討にはおそらく無限に時間がかかるし、果てがないし、その果てがない探求をどこまでしたいかという話にもなってくる。
「��断をいかに減らすか」というのが重要で、そのためのアプローチの一つとして「デフォルト値をなるべく決めておく」というのがあるんじゃないかなーと。
例えば、自分の場合は「休日何をするか」のデフォルト値が「音楽を作る」だ。「明日何をしよう」などと迷うことはない。音楽を作るか、作れないなら寝るかゲームするかダラダラYoutubeやニコニコを見るかだ。
デフォルト値設定は判断を減らし、自分が長期的にやりたいことに注力できるように誘導することにつなげていくことができると思う。
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音楽系情報発信について
実際のところ、プラグインを売るというのが主になっている人が多めなような印象はある。
いいプラグインは実際良いし、それを勧めるというのがみんなハッピーというのもわかるんだけど、そうなると逆張りをしたくなってくるのが人間性。
というか、プラグインが問題を解決してくれるか?というのが結構難しいところがあるかなーというのも感じている。
もちろん、プラグイン買わなきゃどうしようもないみたいな話はいくらでもある。楽器の音をよくしたい。とかはその典型だ。
ただ、プラグイン買って全てが解決するなら、セールでプラグインだけ買って曲作りはすすまないみたいな人は発生しないと思うし、そっちの方が大きな問題に感じている。
なんなら自分は買ったプラグインをインストールすることもなく、持っているプラグインの仕様を理解することもなく何も作れず過ごしてきたからな2020年。
プラグインで解決する問題は色々ある。とはいえ、プラグインばかり勧めていてもしょうがないのではないか?ということは感じている。
商品の性質上、自分の持っている道具をちゃんと理解しきるのも難しい。そこが曖昧な状態で取り組んでいくと、どうやったら何ができるのか?というのがだんだんと見えづらくなってくる。というか、なった。
まあ性格の問題もあるとは思うが。やっぱ音楽そのもの、音楽の作り方そのものに主眼を置きたいよなーとは思っている。
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成長のプロセスを改めて自分の中で整理する
言ってもとにかくシンプルな話だが、このシンプルな話を当たり前の前提として自分の無意識に組み込む必要がある。
人は基本的には無意識に合わせて動くし、無意識のプログラムの影響はとても大きい。
ある人はこれを「育ち」と言ったり、ある人は「習慣」と呼んだり、「センス」と呼ばれたりする。
「25にもなって成長とかねえよ」みたいな発言、思想の人もいるが、スキルの伸びというものは個人的には成長と呼んでいいと思うし、自分はスキルを伸ばして色々やりたいというのはある。
昨日できなかったことを今日できるようにする、今日できないことを明日できるようにする、というのはそれなりにおもしろいし、生きる理由と言うこともできるだろう。
そういうふうに淡々と、半ば自己目的化した成長を積み上げて生きていくということを考えている。
さて、プロセスはどうなるか。
理解 → 実行 → 習得
このようになっていく。
場合によっては
実行 → 理解 → 習得
とつながることもあるだろう。
とても大事な話だが
理解 → 習得
はほぼない。実行の伴わない習得は基本的にないと言ってよい。
もちろん、理解が習得のために大きなエネルギーとなったことは過去何度もあるし、実際に効果が出たこともあったが、その場合にも「理解をもとに、試して慣れる」という過程が必ず含まれていたことを過去の自分を思い返して改めて感じている。
例えば、自分のスマブラの理解として以下が身についてきてから一段強くなったのを感じる。少なくとも飛び道具キャラになすすべもなくやられることが大きく減った。
1.攻めとは"ライン有利を取る"こと」
2.相手のライン回復行動を狩ること
1.について。まず、攻めるという概念は少し難しい。自分はとくに自分から仕掛けていくキャラやプレイングを好んでいたが、単に攻撃をしていくだけだと読まれやすく反撃をもらいやすいことが多かった。
また、ラインへの意識もあまりなかった。
スマブラでの強力な行動として「引き行動」というものがある。
相手がジャンプしてくると見た場合に引いて飛び道具で差し返しをしたりするものだ。
これは引き行動そのもののリスクは極端にすくなく、リターンとしては普通に技が当てられたりととても強力な行動となっている。
いわゆる待ちキャラといわれるキャラはこの引き行動が主要な行動となる。
この引き行動、メリットだけかというともちろんデメリットもある。
ラインを消費するのだ。
引き行動を何度も行っていくと、どんどんと下がっていくことになる。そうすると最終的には崖を背負う形になる。
崖を背負うとどういうデメリットがあるか。
今挙げた強力な動きである「引き行動」がとれなくなる。崖外しかもう背後にはないからだ。
そうすると、次に���き行動を起こすためには相手に攻撃を当ててどかしたり、回避を通してラインを入れ替える必要性が発生してくる。
リターンもあり非常に小さいリスクの引き行動と比べ、相手に向かっていくライン回復行動はリスクが大きいものとなる。
ここで2.の「ライン回復行動を狩る」、というのが活きてくる。
ライン回復行動を狩るためにはどういった行動がよいか。
もちろん回避に技を当てるなどそれなりに難しくハイリターンな行動もあるが、とくに剣士キャラは攻撃範囲と判定とまさるので持続と範囲のある技を置くのが早い。
ロイの空N起きやダッシュ先への空上置きなど、他ジャンプで飛び越えようとする相手への空中攻撃など、相手がライン回復行動を行う際には狩れる手段が多い。
とくにロイは機動力、攻撃範囲、判定の強さ、技の回転率など、相手を逃がさない性能はかなり高い。
とくにロイは相手を動かすための飛び道具は持っていないし、リーチも押し付けるといったほど長いものではないが、それでも近接キャラへの判定勝ちなどは見込めるし何より一発をひっかけたときのコンボのリターンが高い。
一度コンボをひっかけると大体はそのまま着地狩りか崖の展開に移行するため、最初は「ステージの真ん中に立つことを目指す」という非常に地味な行動でも十分な攻撃性を発揮することができる。
改めて考えると、本当にリターンが大事なゲームだなスマブラSP。
もともとはフォックスを使っていたが、ロイにメインキャラを切り替えることとしたのはこの辺に理由がある。
フォックスは相手を詰めるまでは早いが、相手のライン回復行動をとがめるのが少し難しい。基本的には身一つなので判定のぶつかり合いに弱く、相手の暴れからライン回復までをされてしまいやすい。
その分小回りの利く性能はしているが。
また、フォックスのコンボは確定のものが多くなく、発生の早い暴れや因果律予測など割り込み行動の邪魔をもらいやすい。
そういったこともあり、自分の中のフォックスのイメージは「強いが、有利状況を維持してリターンを取りきるのが難しい」といったところになっている。攻撃面も差し合いでの防御面も強いのだがなー。
また、ブラスターとリフレクターという強力な飛び道具と飛び道具対策技もある。
リフレクターはジャンプや回避でキャンセルできるため、とくに設置系の飛び道具対策に大きく役立つ。
ゆっくりと飛ぶ、盤面有利をつくるための電撃やFB、ハニワなどの飛び道具はリフレクターでの対処が大いに役立つ。
ブラスターは飛び道具持ち相手にも待ち勝てる飛び道具という部分はある。
だが、自分のプレイスタイルが「ライン有利を取り、相手のライン回復行動を狩る」というのに落ち着いている以上、いまいち使いどころに困る。
そもそも相手との間合いをとる飛び道具というもの自体が、自分が引かなきゃいけないのであまり使いやすく感じないのがね。
自分が飛び道具キャラを使うときによくあるのが、「引かない」というのがある。そしてそれがそこそこ強い。
相手を動かすためというかは、相手の逃げをとがめるために飛び道具を使っている感じ。
というかライン有利取っていると相手が勝手に動くので、あまり飛び道具の必要性を感じていないというのがある。
飛び道具持っていないよりは持っている方がよいというのはあるのだが、持っているキャラは持っているキャラなりの調整をされていることを考えるとロイがちょうどよいかなと。
フィールド中央から崖にかけて、ライン有利を重視しつつ戦うスタイルが自分のやりたいことと噛み合っている感じがある。
復帰はあまり強くはなく、事故るときは事故るが、ライン有利さえとっていればそこまで痛い事態にはなりにくいし。
さて、思考はスマブラの方向へどんどん寄っていったが、実際自分が最近向上を感じているのはゲームの分野で、検討と上達の間に「実行」をちゃんと挟んでいるのを感じている。
実行の起点となる理解に「ライン有利」に関するものがあり、それを実際に試し、実践で理解をプラスに紐づけられるように試す、といったことをしている。
これはまだ完璧にできていることではないが、現状自分のプレイスタイルの軸としてライン有利を取りにいくというのはある程度まとまってきているし、ここに書いていない攻守の面でもプラスに働いていることを感じる。
理解がふわっとある場合は実践的なアウトプットにしっかりとつなげることはまだ難しい。実行を通して無意識的な領域に結び付けられるようになっていくと、次のステップにつなげていきやすくなるし、何より実践的なアウトプットそれそのものが現実に存在する。それ自体がメリットと言えるっちゃ言える。
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「自分を信じる」とは何か
面白い話をするには、自分が面白い話をしていると信じることが大事だったりする。良いライブ演奏をするには自分が良い演奏をしていると信じるのが大事だ。
とはいえ、話が面白くないのに自分が面白い話をしていると思い込んでても面白くない話は面白くないし、良いライブをしていないのに良いライブをしていると思い込んでも良いものにはならない。
結局のところメタ的な客観的な視点は必要なもので、自分の足りてる部分、足りてない部分が見えないとそもそもの質を上げることがなかなかできないというのがある。
その辺を考えると、「ステージに上がるときは躁になれ」みたいなその辺がバランスなのかもなーという感じがする。
たぶんこれがそこそこバランスよく、ステージに上がる時はちゃんと躁になる。考えるときはちゃんと躁を脱する。そういった切り替えがあると、ステージ上での問題はあとに改めて確認して改善していくことができるような感じ。
考えていくと「今は躁になれ!」という躁スイッチが結構大事なのかもしれない。
あと躁の動きは躁でしか経験積めない感じするかこの辺が本番の場慣れみたいなのにつながるんだろうね。
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PDサイクルを回すために土日にギターを弾いた
なぜ自分のPDCAサイクルは回らないのか?というテーマを考えたとき、「Dがでかすぎる」という結論に至り、Dを縮小するアプローチをいろいろと考えていった。
耳コピによる完コピ → フレーズのみの再現 → 知っている曲をギターで弾いてみる
といった具合だ。
実際、相対音感がそれなりに鍛えられてきてわりと移動ドでの音の認識ができるようになってきたこともあり、かなりギターでの演奏などはスムーズになってきたし、知っている楽曲の音をなぞることが楽曲分析に大きくつながるようになってきた。
今回は「思い浮かんだ曲のフレーズをなぞる」ということだけに徹底的に注力したことにより、頭が大して疲れずに済み、練習を続けられたということを感じる。
フレーズがある程度理解できていてもその通りに指を動かすのはそれなりにハードルが発生し、練習が要求される。
そういう部分もあり、程よい難易度で短いスパンのタスクづくりと対処ができるように進んでいった感じがある。
また、指のポジションに合わせてドレミを認識するということを進めてはきたが、慣れていくにつれて別のポジションに移ったりすることもわりとスムーズになってきた。
もとはとくに2~3弦周りで発生する1フレット分の移動も移動ドの認識がバグりやすく怪しかったが、だんだんとどんな音で指1本の移動などが必要なのかもわかるようになり、2-3フレットほどのポジションの移動についても対応力が少しずつ上がってきた。
ギターの指板を縦に使うことを中心としつつ、必要に応じた横への対応力も身についてきた感じではある。
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最初に基礎学習をすべきでないし、メタ理解を優先すべきではない。
学問的な学習や基礎学習、基礎練習というのは最初にすべきものではないというのを感じる。
もちろん最初にした方が良い類のものはあるのだが、「なぜその基礎が重要か」が見えてから取り組まないとそもそもの効果が低い場合が多いように思う。
なぜこう感じるのか、それは「知識の応用性」が個人的には考えられる。
作曲初心者がいきなり音楽理論を学ぶと、その知識の応用性は非常に低い。
そもそも、これは非常に大事な話だが、音楽理論は曲の作り方を教えてくれるものではない。
音楽理論はメタ理解につながる概念だ。
「この曲とこの曲はどっちもいい曲だけどどう共通しているのだろうか?」そういった部分を考えたときに出てくる要素が音楽理論だ。
音楽理論を学ぶことにより、人はより一般化された音楽の「考え方」にアクセスすることができる。
さて、「一般的な考え方」が一番最初に必要だろうか?
そうではない。最初に一番大事なのは「具体」だ。
目の前の問題をどう解決するか。どうやってDAWから音を出す��。どうやってトラックに楽器を追加するのか?ベースはどんなフレーズを鳴らすべきか?
このあたりを色々試し、そこからメタ的な理解が生きる場面が出てくる。
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意志力モデルについてありそうな考えの整理
[意志力は使っても減らない!じゃあ結局「意志力」ってなんなんだ?みたいな話]
https://yuchrszk.blogspot.com/2021/06/blog-post_11.html
というわけで、意志力というのは機会費用で考えられるのではないか?という意思力モデルがある。
例えば勉強なども意志力を消費しているのでなく、
問題がスラスラ解けているうちはいいが、難問にぶち当たると急にゲームで遊びたくなる、みたいな例。
問題が解けているうちは達成感という報酬が発生するが、難問にぶち当たるとストレスが大きくなりゲームにリターンが負ける、という風に読み取ることができる。
人は常に自分のリターンになる行動をとり続ける、という風に読めるかもしれない。ここでいうリターンは長期的なものも含むが、大体は短期的なものだ。
なので、短期ゴール設定など細かいことで細かい達成をえられるような設定が結構大事になってくる感じが基本な気がする。
脳の実行機能はいろんなことに使えるので、最も価値がある活動に使われていると保証するシステムがあれば適応的である、との言及がある。
「最も価値ある活動に脳が使われていることを保証するシステム」についてもう少し考える。
ここで気になる言葉は「保証」だ。
つまり、「今何のためにこれをしているのか」「これをすると何が得られるのか」「目的のために今している行動は適しているのか?」を担保するものが必要となってくるように思える。
担保する方法について考えてみたい。
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具体アプローチと霊感アプローチ
明確な境目があるものではないと思うが、学習における有効なアプローチとして、具体へのアクセスと"霊感"へのアクセスがあるように思える。
具体へのアクセスはいわゆるロジカルシンキングに近い。
問題を要素ごとに分割し、それぞれの要素に対してどういった情報、理解が必要かを整理。なるべく小さく分割したそれぞれの要素に対してアプローチをかけることにより内容の理解につなげるというものだ。
改善点、といった点でのアプローチになるべく落とし込む、というものである。
"霊感"へのアクセスというのはどういうことを言っているかというと「なんとなくわかる」を作るものだ。
霊感へのアプローチは、とにかく情報を大量に頭に入れる、とにかく手を動かして確認する、などの量のアプローチに基本的になってくる。
何がわからないかわからない、という状態から問題を分割して小さい問題に一つ一つ取り組むのが具体アプローチとすると、霊感アプローチは何がわからないかわからないまま、そのまま大量の情報を浴びて何かがつかめるまで待つというものになる。
これは当然時間がかかるし、何がわかっているかを自分でなかなかつかめないのでしんどい部分もある。
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