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文明人の死角 《判事》が怪しいと思っても、それだけで身柄を拘束することは(文明人として)できない。やれば秩序を失い、ピストルをもった人間が支配することになる。決定的な証拠を掴むしかないが、たとえば「人を殺す主観を目撃した」と証言しても、「いいや、殺したのはあいつだ」と言われれば破綻する。 公権力が及ばない空間においては、殺人鬼のほうが圧倒的に有利だ。
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IoTならぬ「DNA of Things」 ここでちょっと説明させてほしい。DNAは自然界の情報記憶媒体である。複数の特定の分子からなる配列を構成要素とするDNAによって、例えばバナナなどがつくられる。だが、DNAが異なる順序で配列されると、今度は720種類の性別がある粘菌などにもなる。 しかし、この配列はただのコードにすぎない。それはつまり、これにほかのものを“保存”することも可能であるということだ。 エルリッヒをはじめとする科学者たちは、しばらく前からDNAにデータを保存する研究を続けてきた。多くの企業も、DNAデータストレージの開発を進めている。とはいえ、DNAの特徴を活用できている者はまだいない。非常に小さく、情報密度が高いという特徴をもつDNAは、日用品の構造に埋め込むことも可能なのだ。 エルリッヒいわく、DNAを日用品に埋め込められるようになると、「モノのDNA(DNA of Things)」を開発できるようになるという。つまり、「モノのインターネット(IoT)」のように、電波を介した情報交換によってモノをスマートにするのではなく、モノの成分に情報を注入することによってモノをスマートにする���ということだ。 ここで、エルリッヒのウサギが登場する。 このウサギのフィギュアは、エルリッヒと共同で「モノのDNA」を研究しているチューリッヒ工科大学のロバート・グラスの研究室で3Dプリントされたものだ。フィギュアの材料である高分子マトリックスには、膨大な数の微小なガラスビーズが埋め込まれており、その一つひとつに数十の合成DNA分子が入っている。 DNAにエンコードされているのは、ウサギそのもののデジタル設計図だ。ウサギの4本の脚とふたつの耳と尻尾をつくるため、3Dプリンターのノズルに対して、どの位置まで移動して、いつ樹脂を押し出すかを、この設計図が指示する。ウサギには、その輪郭を示すデータファイルのコピーが、合計3億7,000万も含まれているという。 PHOTOGRAPH BY ETH ZURICH ウサギは究極の「内輪ネタ」 ウサギの設計図の起源は、1993年の春までさかのぼる。 スタンフォード大学のグラフィックス研究室に在籍していたあるポスドク(博士研究員)が、あるとき陶器製のウサギを抱えて買い物から帰ってきた。彼は、研究室のレーザースキャナーと初歩的な画像スティッチングソフトウェアを使って、この陶器製フィギュアのコンピューターグラフィックス(CG)用のモデルを制作した。のちに「スタンフォードバニー」として知られるようになるこのモデルは、3次元物体の最初のデジタル表現のひとつだった。 スタンフォードバニーは、CGデザイナーのための練習台となった。デザイナーたちは、テクスチャーの重ね方や、ウサギの体の曲線に毛皮をレンダリングする方法をこのモデルで学び、このウサギを破壊したり、分解したり、溶解したりすることでアニメーション制作の技能を向上させたのだ。 スタンフォードバニーは非常に象徴的な存在となり、今日に至るまで3Dプリンターの使用法を学ぶ者のほとんどは、最初にこのウサギのプラスティック版を作製する。 そんなわけである意味、エルリッヒのウサギは究極の内輪ネタでもある。「それにほら、帽子からウサギを出して見せることもできますし」とエルリッヒは言う。
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“あなたが一番好きなことを見つけ、それをしているあなたを好きな人に出会いましょう”
— Twitter / @meigenbot (via reretlet)
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日本青年会議所を退会した(自己保存用) 変更前 9年ほど前、地方都市の小さな町工場を経営していた父が亡くなり、家族と古株社員に説得され、地元に戻って27歳で後を継いだ。元々継ぐ気はなく、大学以降ずっと都内で過ごしていたので、地元に馴染めず苦労した。仲が良かった友達もほとんど地元を離れていたし、社員や親戚とは話が合わず、友達を作ろうとスポーツサークルに入ってみたら元ヤン達が幅を利かせていてすぐ辞めた。おれは孤独だった。 そこに青年会議所の誘いが来た。何をやっている団体なのか全く知らなかったが、地元の祭りや花火大会を盛り上げたり、まちづくりのボランティア活動やビジネスセミナーなどを通じて経営者として勉強して、地元の中小企業の経営者同士のネットワークを構築するのだという。活動内容にはピンと来なかったが「経営者には経営者同士しか分からない悩みと孤独がある。それを共有できる仲間ができる」という言葉が突き刺さった。入会金1万円と、1年分12万円の年会費を振り込み入会した。 1年目。子供達のサッカー大会の運営に携わった。市民と一緒にゴミ拾いをした。花火大会のポスターやチラシを検討する部会に入り、自分の意見が採用されると誇らしい気分になった。居酒屋やバーに行く仲間ができ、バーベキューをしたり、地元でようやくリア充的な日々が送れて嬉しかった。 2年目。市長や国会議員や100人以上のOBが集まる新春懇談会を運営するスタッフになった。はじめての出向も経験した。それまでは市単位の活動だったが、県内各地の青年会議所と一緒に委員会を作って活動するのだ。遠方まで出かけ、はじめて行く町で真面目に会議をし、そのあと楽しく飲んで仲良くなった。自分自身が拡張されるようで、嬉しくなった。 3年目。4年目。だんだん色んな役職を任された。後輩ができ、教える立場になった。隣県で開催されるフォーラム、京都での会議、横浜でのカンファレンスなどに参加した。たまに動員に協力させられる憲法や領土問題などのセミナーや、いろんな署名活動のお願いなども、積極的とは言えなかったが協力��た。 5年目。国内で国際会議が開催されることとなり、その運営に携わる委員になった。全国あちこちで開催される会議に毎回参加した。横断幕バナーを持つためだけにヨーロッパにも行った。会社は何とか軌道に乗っていたし、自分の勉強にもなると説得されて役目を承諾した。大変だったが、充実の日々だと自分に言い聞かせた。 6年目。ブロック (都道府県レベルの組織) の役員をやった。ブロック内の新入会員に、青年会議所のビジョン・ミッション・バリューを叩き込む役割だった。トップであるブロック会長の教えは厳しく、ブロック内の理事長達が集まる会議に提出した議案は「背景・目的と手法が乖離している」と叩かれてボロクソに言われたが、意地を張って徹夜で修正し、通した。理事長達に「成長したな」と言われて涙を流した。 7年目。地方の青年会議所を束ねる上位組織、日本青年会議所のスタッフになった。トップに立つ会頭の言葉は絶対で、役員と一緒のエレベーターに乗ることは許されず、奴隷のような扱いをされながらホテルに缶詰になって上からの指示を徹夜でこなした。なにしろ、国民的な憲法議論を喚起するという大切な事業を遂行するのだ。何度も壁にぶつかったが、委員長や常任理事のアドバイスもあって乗り越えた。素晴らしい先輩達に恵まれたと感じ、あの人達のようになりたいと思った。 8年目を迎える直前の年末、母が倒れた。会社はいつのまにか赤字に転落していた。売り上げが落ち、接待交際費と交通宿泊費が激増していた。来年の理事長に相談した。その人を支える女房役となる専務理事を引き受けていたからだ。役目を引き受けるのは無理だ、JCは休んで仕事に専念しないと会社が危ないと話した。次年度理事長は言った。逆境が人を強くする、それはその人に与えられた試練だ、人は乗り越えられない試練を与えられることはない、だから仕事もJCも死に物狂いで頑張れ。そう言われた。 こいつは何を言ってるんだ。 バカなのか? おれが今までどれほどJCのために頑張ってきたと思っている。 少しくらい休むことも許されないのか? こんな状況なのに? そしてすうっと冷静になり目が覚めた。 おれは友達が欲しかった。それと、しぶしぶ継いだ会社だったが、なんとか頑張ろうと思って、その役に立つと思って勉強しようと思った。そんな中、せっかく誘われたことだし、青年会議所がどんなものか分からないけどやれるだけやってみようと思って、やってくる機会にチャレンジしていた。そしたらいつの間にか、おれは青年会議所が命じたままに憲法改正や領土領海問題を他人に説き、偉い偉い役員様が海外でスピーチする時のガラガラの席を埋めるためだけに自腹でニューヨークやオランダに行く人間になっていた。そして家族と会社が不幸になっていた。 それでおれは、退会届けを出した。引き止めは強烈だった。携帯が鳴り続け、会社に何度も色んな人が来た。時に優しく諭され、時に怒鳴られ、時に泣かれた。父の友達だったというOBまでやってきた。地元の集まりに顔を出しにくくなるぞと脅されもした。どんどん青年会議所が怖くなり、嫌いになり、おれは意思を貫き退会した。 青年会議所には、入会前のおれのような人間が陥りやすい罠が待っている。孤独を埋めてくれる仲間と、彼らと一緒にわざわざ作られた苦労を乗り越える経験から得られる高揚感だ。ほどほどで満足できるうちはまだ良いが、のめり込むとだんだん、周りが見えなくなる。入会前に母が「JCはやめておきなさい」と言ったのを聞いておけば良かった。ごめん。病院のベッドに横たわる母に謝ると、彼女はテレビから目を離さずにこう言った。 「それよりあのイチゴおいしそう。食べたいから買ってきて」 買えたのは韓国産でなく国内産のイチゴだったが、母はもりもり食べて元気になり、きのう退院した。 変更後 Facebookメッセンジャーで脅されたので、全文晒して真っ向勝負しようかと思いましたが、戦っても1円にもならないので削除します。コメくれた人、読んでくれた人、すいません。 偉大なる元増田様 https://anond.hatelabo.jp/20180306002045(削除済) 魚拓 https://megalodon.jp/2018-0306-0620-50/https://anond.hatelabo.jp:443/20180306002045 archive.is http://archive.is/uWKMu
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一方で、本作の物語は、直線型でもフローチャート型でもない、多層型(立体的)とも言うべき構造になっており、その各層が密接に絡み合うことによって、物語を理解していく楽しみ、深さを作り上げている。これはおそらく、今までのゲーム……というか、他のあらゆる媒体の事例を踏まえても、なかなか例がない形なのではないだろうか? これは、単純にストーリーテリングのあり方だけをとってみても、本作がとんでもない挑戦をしている作品だということを意味している。 加えて、この多層的な物語構造と、細かいエピソードの集まりで展開されるというシステムが、なんとも相性がよくマッチしているのも奇跡的である。 10分程度で展開される各エピソードを見るたびに、新しい発見や驚きがあり、それでいて、多くのエピソードの終わり方が、続きが気になるような「引きのある終わり方」をしており、テンポよくどんどんと先に進めたくなってしまう中毒性を生み出している。 複雑に絡み合う人物、事件をいったいどうやって整理してまとめていったのか? どういう脳みそをしていたらこんなものが作れるのだろう? と不思議に思えるくらいなのだが、この仕組みも神谷氏が構想して、自身の手で作り上げていった(文字通り、自分でシナリオを書きながら)というのだから、いろいろな意味で驚嘆せざるを得ない。 さらに、改めていうが、この複雑で多層的な物語を、全編(手間のかかる)サイドビューの2Dグラフィックス&アニメーションで表現しているのだから……なんともはや。本作がいかに狂気的な作品か、お分かり頂けるだろうか。 『十三機兵防衛圏』の物語構造の図。断片的に物語が展開されるというのは、システム的にあえて近い例を上げれば、『Her Story』などが挙げられる(あれは、断片的な映像資料を検索しながら謎を探っていくシステム)わけだが、あれはあれで、物語が断片的すぎるという欠点もあった。そこでいうと、本作の物語は、擬似的ながらもちゃんと一本のお話を見ているような満足感、読了感があり、そこが大きく違うものだといえる。
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私の周囲では机上系(?)で活動しているクイア研究者が割と多くいるので、むしろ同性婚には反対していると思います。婚姻を認めれば天皇制を認めることになりますからね。
【メモ】
婚姻を認める→天皇制を認める の理屈が想像もできないのでメモ。時間があるときに調べよう。
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まず、公立図書館や古本屋さんなどの書誌情報が平易に手に入るようになったことが大きいのです。インターネット以前は「本のタイトルは知っているが、どこで読んだらいいか分からない」なんてことは結構ざらにありました。それゆえに国立国会図書館という場所があるわけですが、地理的な意味で距離がある方にとっては遠い場所でしょう。けれど、インターネットによって書名を調べれば、どこにその本があるのか一目でわかるようになります。いや、これは大きい。 SNSを覗いてみましょう。すると、本職の学者先生が自説や歴史学の最前線の話を(なんと無料で)してくださってます。その道の方でもない限り難しい「歴史学の今の空気感」みたいなものを知ることが容易になりました。また、学者さんの他にもその道の詳しい人たちが可視化されたので、歴史界隈である説がどのように扱われているのか、その空気感を知ることができます。 これらの動きは、「高度情報化社会」と言い表すことのできる動きです。 どこに目当ての本があるのか調べがつく。 学者さんの見解を目の当たりにすることができる。 その道の詳しい人と意見交換ができる。 これらのことは、かつては贅沢なことでした。 しかし、上記の贅沢は、今やスマホの画面上で実現できるのです。 思うに、歴史創作は「調査にある種の職人芸を要する」ことが参入障壁になっていた面があったのですが、今、その障壁はかなり薄いものになっています。 実のところ、プロの方すら「歴史・時代物は難しそうだから」とおっしゃるのですが、そんなことはないです。 創作者の皆様、ぜひ、二の足を踏むことなく、皆で歴史創作の世界を盛り上げようではありませんか。
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