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青春を君に
2023年4月7日
とあるミュージシャンの訃報が耳に届いた。
彼の名は三浦隆一
燻るわたしの青春に光を当ててくれた彼のことをいつでも思い出せるように、ここに過ぎ去りし思い出を書き残そうと思う。
まだ高校生という身分だったある日、お下がりの古いノートパソコンでyoutubeを開いて気になる邦ロックを片っ端から聞き込んでいたところにその曲は現れた。
空想委員会『難攻不落ガール』
耳障りのいい軽快なギターロックに乗せて可愛い女の子が駆け回り、放たれるは影からこっそり見つめる男の妄想が見え隠れする言葉の羅列。
簡単に言おう。衝撃だった。
くるりやナンバガを聞かずに邦ロックの道に足を踏み入れたわたしにとって、ロックとはそれこそ荒くれたというイメージしかなかった(彼がくるりに傾倒していたことは後に知った)。わたしはそれでもロックを愛していたけれども、そこに突如入ってきた、爽快さと青春への��る種の諦念と言える感情が共存する音楽に頭をぶち抜かれたのである。
何だこれは。
こんなロックバンドが存在していいのか。
腐るほどの時間を持て余した女子高生の行動力は凄まじかった。まだ当時インディーズバンドだった彼らの少ない動画を何度も見て、ひとつの結論に至った。
このバンドはこの思想を持って初めてここに存在しているんだ、と。
青春を持て余し、恋愛に対して卑屈な感情を持ち、大衆と一線を引くことで自分のプライドを保って生きてきた自分の共感者がここにいるんだと思った。
時間はあるが金のない女子高生は女子大生になり、軽音楽部に入部し、なけなしのお小遣いでタワーレコードに駆け込み、インディーズコーナーでついに彼らのペラペラのCDを手にした。もともと自分が好きなものを人は知らないということに優越感を覚えるタイプの卑屈な人間だったため、部活の中に同志がいないことに気付いた途端、心の中で高笑いをキメた。軽音楽部あるある「どのバンドが好きなの?(品定めタイム)」にもわたしが卒業するまで終ぞその名前が挙がることはなかった。
敬愛する先輩が「ライブには絶対行った方がいい」というので、ツアーで名古屋に来るタイミングを見計らって初めてライブというものに行った。もうどこだったかも覚えていないが小さな箱。空間が怖かったから後ろの端の方で見ているつもりだったのが、気が付いたら前から3列目、ボーカルとベースの間の位置に立っていた。フロントマンはこいつ本当にバンドマンか?どっかの公務員の間違いじゃないのか?と思うほどワイシャツとネクタイにメガネがよく似合う真面目そうな男。動画で見たままの風貌。三浦隆一その人であった。なぜかライブを進行するのにバインダーを片手にMCをしていた。ギタリストは動きのうるさい陽キャみたいなやつ。ベーシストは見た目も頭もゆるふわそうな草食系男子。ドラマーはめちゃくちゃ上手いけどデブのおっさん(事務所の社長)。改めて実物を見ると変なバンドだなあと思ったが、そんなことより初めて生で見るロックバンドの演奏や熱量に圧倒されて、よく分からないまま家に帰った。
バイトを始めた女子大生は自由に使えるお金が増えた。1回行ったら2回も10回も20回も変わらないだろうと言わんばかりにライブに足を運んだ。ツアーで名古屋に来る時は必ず。主催する対バンツアーを見るために��戸まで遠征したこともあった(この時の対バンはゲスの極み乙女とKEYTALKだった)。メジャーデビューが決まったときには東京に記念ライブを見に行き、赤坂のライブハウスでしこたま泣いた。ある昼前に起きた土曜日、京都の箱での当日券が余っていると知ったときにはその場で高速バスの予約を取って日帰りで参戦したりもした。部活の友達が好きなバンドとの対バンが東京であったときには、当日昼までの授業を終えた後一緒に名駅からの高速バスに乗り、ライブが終わってからその日の夜行バスで名古屋に帰ってきて大学の近くに住んでいる別の友達の家でシャワーを浴びさせてもらって次の日の授業に出る、なんてこともやった。完全にジャンキーだった。1年半続けたバイトを辞めて次のバイトを見つけないままライブに行き続けるものだから友達にはものすごく怒られた。彼らに関する思い出だけでもわたしの大学生生活の半分は占めている。歪であろうが精神衛生上止めることはできなかった。前述の先輩は「ここまでしろと言ったつもりはなかった」と笑っていた。でもそれだけ楽しいって思えたなら勧めてよかったよと言ってくれた。稼ぎがないことを心配した友達は自分のバイト先に強制的にわたしを紹介してくれた。都合のいいことをと思うかもしれないがこういう縁を作ってくれたのも空想委員会というバンドであった。
自分の好きなものの魅力を他の人間が知っていなくてもいいが好きなものは好きとして表現したかった。グッズのカバンを通学用にしていたしドキュメントケースにはこれでもかとステッカーを貼っていた。タオルやパーカー、缶バッジも実家に大切に保管している。彼が自分の意思を貫いて世に出てきてくれなければ、行動も考えも違う自分ができあがっていただろう。今の自分が誇れるかと聞かれれば間違ってもハイとは言えないが、あの経験だけはやりすぎと反省はしようとも後悔はしていない。
活動休止の知らせが出たとき、生活の変化や持ち前のメンヘラ具合からなかなか曲を聴くことができなかったが彼らの動向はずっと気にしていた。あんなに熱意を持って活動していたのにという些細な疑問はずっと胸にあったが、彼らが元気でいるならと見守るにとどめていた。いつだったか、インスタに写る彼が、以前大病を患ったときの父親と重なって見えた。嫌な予感がした。
数年経って、ネットニュースで彼の訃報を見た。
悲しかったが、やっぱりか、と思った。
思い出したくないことの方が多いけど、その中でも控えめに光り輝いていたわたしの青春のひとつが終わったと、そう思った。
↑ここまでは2023年に書いたやつ
↓ここからは2025年に入ってから書いたやつ
書いたことも忘れていた下書きが発掘されたので自分でも驚いているよ
大筋考えてることは一緒だけど書き口がちょっと違う気がするのは許してね
ふと思い出してSpotifyで「空想委員会」を検索した。
YoutubeでMVなんて見ようものなら号泣して何も考えられなくなってしまうからできなかったし、歌詞を見るのも感情にダイレクトアタックしすぎるのでできず、バックグラウンド再生にしてTwitter(何年経ってもこう呼ぶのをやめられない)を眺めながら聴いた。
心と体がままならなくて泣いてばかりいたハタチそこそこの自分と、無闇矢鱈と傷を負わないよう無意識にポジティブな打開策を打ち出そうとする30歳の自分が頭の中で綱引きを始めたが、あの鋭くも柔らかい唯一無二の歌声に貫かれて霧散した。
後悔や嫉妬や憧憬、それらを自分の内に受け入れて昇華した彼の心は果たして救われたんだろうか。少なくとも彼に救われた心はたくさんあるはずだ。かつてのわたしもそうだった。だからこそ彼にも救われていてほしいと思う。
もしかしたら若くして天に連れていかれたことが何よりもの救いなのかもしれない。現世では彼のことを本当の意味で救うことはできなかったのかもしれない。わたしは無宗教で無神論者の体をとっているが、そう考えてしまうことを許してほしい。
だって買い替えたばかりの安いイヤホンから聞こえる彼の声は記憶と違わず芯があり、優しく、それでいてどこか焦りを感じさせるような気がしたから。
だけど何回聴いてもこのバンドは奇跡だったなと確信する。この文章を読んだ人には本意は分からなくてもいいから一度だけ聞いてほしい。わたしのおすすめは学生時代にしぬほど聴いた『23:50』。どの曲も真っ直ぐさと危うさと小賢しさが共存する(めちゃくちゃ褒めてる)、キャッチーなのにクソほど難しいことやっててむかつく(褒めてる)大好きな大好きなバンドです。ドラムもベースも難しすぎてどうしても軽音部の追いコンでやりたいとは言い出せなかった、それだけは後悔しています。
それこそ昔は自分好きなものの価値は自分だけが分かっていればいいと思っていたけど、それはあらゆる方面に対する驕りだなあと最近は思うようになった。成長したんだな。
人は大学生くらいの時のことを基準にして生きるってどこかで見たことがある。 30歳になった今もわたしはあなたの思い出を忘れることなく生きています。ギターを弾くときの真剣な表情とオーディエンスにいたずらっぽくはにかむ顔がすごく好きだった。たまにはこうやって感傷に浸らせてください。今日もどこかであなたの青春を追求していてね。
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ロックンロールとは
ま永遠の命題ですわなこれは。
音楽をかじっている者からすればどんなジャンルの音楽にもそれぞれ良いところがある。クラシックにしろジャズにしろ演歌にしろ、まあ分かりやすいところばかり挙げたわけだがどれも特徴あるでしょ?それが好きか嫌いかは一旦置いといてそれぞれの特徴がその音楽を作りその精神を作るとわたしは思っています。わたしは音楽だけでなく文化というものそのものを愛しているのでこういう考えになるのかもしれない。もちろん異論は認める。ではわたしがいちばん愛する音楽ジャンルのうちのひとつであるところのロックンロールとは果たしてどのような精神を司っているのか。これからそれが明らかになりますたぶん。
ここまで言っておいてアレだがこの問いに一言で答えるのは非常に難しい。人間は考える葦であると言ったのはニーチェだったかカントだったか覚えていないが、すなわち人間は思考する生き物なのである。だがしかし人生の始まりから終わりまで同じ思考で生きている人間は誰一人としていない。さまざまな経験をしてその度に思考しそれぞれの物語ができる。音楽は人間の生活に根ざしたものだ。一種の知的高等生物である我々人類が音楽にさまざまな意味を見出してきたことは周知の事実だが、その意味は人によって様々であり、また1人の人であってもその時の経験や感情によって音楽が与える印象は様々なものとなる。したがってわたしというひとりの人間の視点から「ロックンロールとは何か」ということを語ることでさえ、いつどういった状況でどのように感じたという仔細を全て記さなければ不可能なのである。あでも今回は手短に書くね。なぜなら全て伝えようと思ったらマジで終わんなくて結局いつもみたいに諦めて止めちゃうと思うから。せっかく書きたいなって思ったから片鱗だけでも残しておきたい。どっちやねん。
『ロックンロールが死んで』という曲がある。わたしがロックというものに触れるきっかけになったDOESというバンドの知る人ぞ知る曲である。きっかけだったはずなのにいつのまにか終わっているとはいかに。これによるとロックは死んだものらしいんですね。「死んだ」ということは「生きていた」ということです。なんてこった生き物だった。でもわたしが言いたいのはこういうことなんですよ。生と死があるものには輪廻があるんですわな。あ待って宗教の話だとか思わないで敬遠しないで。生と死が繰り返すものだと思ってくれればそれでいい。別に同じ生き物に限った話じゃない。広い世界の中で、今この瞬間にも生まれるものがあって死んでいくものがある。ロックンロールひいては音楽それ自体も同じこと。わたしが最初に感じた彼らのロックンロールは死んだ。でも死んだらそこで終わりという訳ではない。また新しいロックンロールが生まれる。同じ場所にかもしれないし、違う場所にかもしれない。ただ新しく生まれたそれも紛れもなくロックンロールであり、「ロックンロール」自体がなくなるわけではない。残念ながらこの世に永遠というものはない。人工知能だって日に日に成長していくし、ロボットだって同じ動きを繰り返しているだけのように見えるけど一方で本体は経年劣化して朽ちていくし中身は状況に応じてアプデされていくよね。人間の営みであるところの芸術、ひいては音楽が変化しないわけがない。その変化がロックンロールの死であり新たなロックンロールの誕生ということである。お分かり?分かってもらえなくても話は続くよごめんね。
ここまでのことを踏まえて言えるのは、「ロックンロールとは『生きる』ということである」ということです。ま端的に言ってしまうと「ロックンロールは人生だ」という実にありきたりな一文に落ち着きます。在りし日のロックンロールは死んだとてなくなるものではない。クサいことを言ってしまえば、「あなたが感じたロックンロールは永遠にあなたの心の中に生き続けるのですよ」というような感じ。そしてこの『生きる』をもっと分かりやすく言うと『革命』になるのだとわたしは思う。突然話がデカくなったなって思った?実はそうでもないよ。革命ってすごく平たく言っちゃえば変化ってことだよね。なんか国とか時代とかを表すときに使われて勝手に規模が大きくなっちゃってるだけで、もうちょっと言葉自体をこっちサイドに持ってきちゃえばそんなに難しいことないよ。生きるために変わる。自分が自分であるために周りを変える。それが一番身近な意味で使える「革命」という単語で、自分に「革命」をもたらしてくれる、もしくは既にもたらしてくれた音楽こそがその人にとっての「ロックンロール」だと思うわけ。なんとか話繋がったよね?あんまり何も考えずにウワーーーー!って書いて後で修正するタイプだから筋が通ってなかったらどうしようかと思ってたけど今のところ何とかなってそうでよかった。今すごいホッとしてる。
そもそも現代の音楽シーンにおいてジャンル分けってすっっっっっっっっっっっっっごい難しいの。(すごくシ��プルな言葉で表現するから咎めないで欲しいんだけど、)白人が言うところのブラックミュージックがあって、彼らには彼らの音楽いわゆるカントリーミュージックがあって、ビートルズがロックンロールを作った。日本には演歌があったり���和歌謡があったりしたけど海外の音楽が入ってきて混ざり合ったりして、J popやJrockやその他いろいろな音楽ジャンルができたけど、特に2010年代に突入してからのバンドだったりアーティストについて言えば、一つの音楽ジャンルのみを掲げて活動しているものは極端に少ないだろうね。仮に掲げているものがひとつだったとしても聴いてみれば全然そんなことはない、ということもしばしば。2023年現在日本でトップの知名度を誇る公式髭おじさんや青林檎夫人やヌーの王でさえも、彼らはいわゆる「ロックバンド」というには大衆の目に晒されすぎてしまっているし、「ポップスター」というには尖りすぎているし、けれども明確にいろんなジャンルの音楽の影響を受けている。最近は演歌歌手だって歌舞伎町の女王が提供した楽曲を歌うし、ラブソングの王様はアイドルと一緒にアニメの主題歌を歌ってる。CDショップなんかはジャンルごとに並べないと話にならないからなんとなくしっくりくる分類で分けてるだけで、もはや音楽ジャンルなんてものはあってもなくても変わらないところまで来ちゃってる。
ここでひとつ言っておかなくてはならないのは、わたしはロックのいちファンとして「わたしはロックが好きです」と言うけれど、他のジャンルだって多少の優劣はあれど等しく好きだということである。幼少期には肉親の影響で吹奏楽、歌謡曲、演歌、クラシックというマイナー四天王を植え付けられ、クラシックピアノを習ったかと思えばショパンやベートーヴェンの短調ばかりを弾き倒し、正当な吹奏楽を始めたもののビッグバンドやジャズに傾倒し、中学生になって初めてロックに天啓を受けるのとほぼ同時期にボカロに頭を溶かされるという、どこからどう見ても異色の音楽経歴を持つわたしにとっては、どのジャンルも等しく自分の人生の中に当然にあるもので、正直なところ優劣をつけるという愚行に走ることは到底し難い。ならばなにゆえ「わたしはロックがすきです」という駄文で自己を表現するのか。答えは至極簡単である。それは前述の通り「ロックンロールは人生だ」を信念に掲げているからに他ならない。「生きる」ということは全生物が持つ普遍的な欲求もしくは遺伝子に植え付けられた使命なのだ。そして「ロックンロール=人生」という等式が成り立つならば「人生=ロックンロール」という等式も当然真であるからして、生物が生及び変化を永遠の命題とする以上、全ての音楽は人生と密接に結びつきそれ自体がロックンロールと呼べるものなのである。遠い昔、古典派音楽の作曲家たちは、貴族や王族のお抱え音楽家となり、彼らをパトロンにすることによって曲を書いている間の生活費を賄ったり演奏会に出向くための資金を調達するなどした。端的に言ってしまえば援助者と「寝た」人もいるだろうね。今の時代だって真偽は分からないけど似たような話はよく聞くじゃん。わたしは真相は本人たちにしか分からないから気にしたって仕方がないという意見を貫いているからあんまり気にならないんだけどね。だけど別に地道にコツコツ生きていたってバチは当たらない。困ることは何もない。じゃあ何故彼らはそれを良しとしなかったのか?それは彼らが、彼ら自身の音楽を作りそれを世に出すということを自分たちの「人生」だと定義づけたからに他ならない。自らの意思を音に込め、既存の音楽ではない自分にしかできない表現を完成させ、それを広く世に知らしめるため、彼らは自分の信念を貫き、それに伴う苦難を乗り越えた。その意志をロックンロールと言わずして何と呼ぼうか。彼らは、自分が、自分こそが変えてやろうって思ったんでしょ。別に他の人が変える未来もあっただろうし、誰も変えないという未来もあったかもしれない。その可能性すら覆して、革命を選んだ。ものすごい意志だとおもう。
結論。
何度も言うけど人生=ロックンロールであり、音楽という営みは全てロックンロールなの。だからどのジャンルの音楽も今ここに存在しているものは全てロックンロールに片足を突っ込んでると思うの。だからわたしはロックンロールを愛しているし音楽そのものを愛しているの。
すっごい単純なことを言うとさ、まあ自分語りではあるんだけど、音楽聴いてると生きようって気分になるんだよね。逆にいえば音楽聴く余裕もない時ってだいぶ精神的にやばいってことなんだけど。そういう時期もあったけど。たぶんなんでそう思うかっていうと、生きた証みたいなのを脳髄に直接流し込まれてる気分になるからだとおもう。隙あらば死にてぇって思ってたやつが20年以上生きてきたんだからこれもう違法薬物かなんかでしょ。効くやつと効かないやつがいるだろうけどさ。まあ何が言いたいかって音楽ってすごいねってことよ。ありがとう音楽。あなたのおかげでここまで大きくなりました。まあマジでほんとにね。あの時死んでたかもなって思うこといっぱいあるもん。今でも死にたいって思うことあるけどさ。生かしてもらってるからさ。なんか何が言いたいか分かんなくなってきちゃったからこの話はこの辺でとりあえず終わりにしようかな。
次は何の話にしようかもう決まってるんだけど、ある意味ではロックンロールの対極にあるとも言えるもの。だと思う。生きとし生けるものの反対にあるもの、我らが永遠のアイドル。初音ミクさんのお話をしようと思います。いつになるか分かんないけど期待しないで待ってて。愛が重すぎてたぶんしぬほど時間がかかるから。じゃあまた。
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ご挨拶ですねって皮肉
久しぶりすぎてアプリ消してた。
ゆとり世代の成れの果てというか承認欲求のモンスターというか、そういう種類のアレなもので、自分が吐き出したものを共感してほしいとは言わずとも共有したくて、ただ自信もないので見られるのが怖くて、みたいな無限ループに陥ってこんなんならやめちまえよ!という心持ちだった。だからアプリも消したんだろうな。備忘録だと言っていたのにその備忘録の存在を忘れてたなんて本末転倒すぎて笑えるけどこういうことをよくやらかすんだよなあ...
そんなこんなで最後の投稿から3年以上が経ったわけだが、ひょんなことからこのブログとも言えない言葉の羅列を見てくれている数奇なひとがいると知った。もちろん嬉しかったし死ぬほど恥ずかしかった。ベッドの上でちょっと転がった。だがしかしやはりわたしは表現者に憧れる者そして承認欲求に躍らされる奴隷であるが故、これを機に書かねば女が廃ると思ったのであった。(思考回路が崩壊していることはお察しいただきたいしそのようなことを考えていてはこんな文章は書けないということを承知していただいた上で諸君にはわたしの文章を読んでいただきたい。)
「ずいぶんなご挨拶だこと」という表現は過去のわたしと現在のわたしが応酬する皮肉である。こういうのをブラックジョークと言ったり繊細な日本語の妙だと考える人もいるかもしれないけど、メンタルがクソ雑魚ナメクジだという自負が多いにあるわたしにとってはその矢印が誰に向かっていようと言葉の棘、ナイフ、そして傷口に擦り込まれる塩と同義。浸透圧によって消滅してしまう日も遠くはない。そういえば先日ジョジョ第6部を見終わったのだけどカタツムリって人間と同じ大きさになったらめちゃ速いとはいわないまでもそこそこの速度で移動するとおもう。こわいけど。閑話休題。
人に好かれたいと思いながらも嫌われたくないと思いすぎるタイプの人間あるあるだと思うのだけど、細かいことを気にするあまり今周りにある好意や善意を台無しにしてはいないだろうか。非常に耳が痛い。取れそう。わたしの場合は誰かに自分の話を聞いてほしい、でも面倒だなって思われたくない、なんやこいつ変なやつだなって思われたくない、でも自分が普通じゃない自負も自覚も十分あるしみんなと一緒にはされたくない、そもそもみんなと一緒って何?みたいなクソみたいな感情たちが入り混じった結果、何も言わずとも読んでくれていた人や過去のその事象を体験した自分、それを経て今生きている自分その他諸々へ自分には価値がないと示しているのと同じなのである。これ���での自分の人生は全て素晴らしいものだ!困難も神が与えし試練!なんて宗教じみたことを言うつもりは毛頭ないけど、せめて最悪な人生の中でも一粒くらい楽しいと思える出来事がないと死にそうな思いをしてまで生きてきた今までの自分が浮かばれない。だからって絶望して死ぬのも嫌だ。こわいし。
何が言いたいかというとこれはまだ見ぬ誰かと嫌というほど見てきた自分の綺麗な部分に対して放置プレイという無礼を働いたわたしに向けた最大の皮肉だということです。でもすごく面倒くさいことを言いますがわたしは基本的に人間という生物のことを愛しているのです。ただ愛ってものは伝えなくてもそこに存在するものではあるのだけれどやっぱり伝えていくべきだと思う。なぜならわたしは伝えてほしいとおもうから。好きとか愛してますとかそんなに重くなくても全然いい。究極「いい天気ですね」くらいの話だっていいのよ。だって会話って高等生物のする行動だから。そして会話ってのは相手がいるものだからね。実際わたしはあなたとのたわいのない会話に生かされているし、そのおかげでまた言葉を綴ろうと思ったわけです。そうやってみんな生きているんだよ。そういう風に考えないだけでね。
次回、好きな音楽の話ロックンロール編
はたして何年かかるやら、、、
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仕事をやめたはなし
ずいぶん久しぶりの投稿だな
2019年 令和元年と呼ばれるこの年に、アルバイトから数えて3年と少し勤めた黒と黄色の看板でおなじみの大企業を辞めました
大学を留年になって、当時もらっていた内定をお世辞にも丁寧とはいえないやり方でお断りしたあのときの自分は、就活なんてまたやり直せばいいしなんとかなると思っていた。お得意の能天気さで。
実際はそう上手くいかなくて、うまくやる方法はあったかもしれないんだけど、もともと多くのことを並行して進めるのが苦手なわたしにとって、他人と同じように大学を卒業できない、半年分の学費を稼がないといけない、一緒に暮らしている人のために何かしないといけない等々のプレッシャーに耐えきることは到底簡単なことではなくて。
何もできなくなって1Kの狭い部屋で毎日泣いてばかりいたわたしが、それでも唯一できたのが当時からやっていたアルバイトだった。ある意味では他人に全く興味がないのではと感じるその職場は、ある意味とても心地よくて、自分で入れたシフトから2時間遅れて出勤しても、少し苦い顔をされる程度で怒られるようなことが一度もなかった。もちろん時給分の仕事はちゃんとしていたし、働くことは割と好きなのでやれる限り働いていたら、当時の店長が、社員にならないかと持ち掛けてきたのでした。そのときまだ自分の可能性を捨て切れていなかったわたしは、なんとなく屈辱的な気がして乗り気じゃなかったのだけど、説明会だけでもと泣き落としに近いやり方で説得されて、説明会に赴くはめになったのです。
結果、説明会はなかなか感触がよく、それでもああだこうだ理由をつけて何ヶ月も決め切れなかったのですが、結局自分の知らないことを一からすることの不安に耐えられず、これ以上プレッシャーを受けるくらいならと半ば諦めのような感じで内定を受けた。そうして4月、研修と入社式のために東京に行ったわたしは、入社式の会場であるANAインターコンチネンタルで、自分が所属する会社が大企業であることに、やっと気が付いた。遅い
最初のうち、仕事は概ね楽しかった。期待されているのは分かっていたし、それでも突き放さずしっかり教育してもらえる場があった。上司は仕事ができて、とても信頼できるひとだった。
ここまで書いて、思ったよりかなり長くなりそうな予感がしてきた。それになにより、辞める決断に至るまでかなりの労力を必要としたので(自分的に)、まだ、つらい出来事だったという印象が強すぎて書き進めるのが苦しい。しかしこのtumblrは備忘録であるので、自分がどれだけ大変だったのかをちゃんと思い出せるように、これ以上辛い思いをする必要がないように、書けそうになったら続きを記していこうと思う。
それではまた
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煙草のはなし
昔はとっても煙草が嫌いだった
覚えている限りいちばん昔の記憶は、もうその頃から一緒には住んでいなかった父親が煙草を吸っていたこと。何年も会わないうちに、わたしの年齢が二桁を超える頃には、いつの間にか父親は煙草をやめていた。周りには他に煙草を吸う人があまりいなかったから、世論一般と同じように、体にはよくないものだよなあという認識を持っていた。ただ、ロックを聴くようになって、いちばん好きになったバンドマンが煙草を吸っていて、それが格好よくて、背徳感みたいなものを覚えた気がする。
大学に入って軽音楽部に入ると、年上の先輩方は何人も煙草を吸っていた。とってもカルチャーショックを受けた。部室に入るといつも煙で真っ白だし、1年目の夏に部室を掃除したときなんかは、壁を拭いたらヤニが取れて白い壁紙があらわれてものすごく驚いた。入ったばかりの頃は知らなかったのだけど、大学の構内はほとんどが禁煙だったから、部室でバレないようにみんな煙草を吸っていたとのことだった。執念みたいですごいなあとおもっていたけど、彼らは安心できる場所で一服したかったのかな〜〜と今は思う。
大学4年目のときに、なんとなく言葉にし難いいろいろな感情やストレスに振り回されて、煙草を吸ってみようかと思ったことがあった。別にもういい歳なんだからそういうことは自分で決めればいいのに、形のない何かに対して後ろめたいような気持ちになったからやめた。そういった後ろ向きな気持ちがなくなったら、今度こそ吸ってみるのもいいかもしれないと思った。
大学を休学することに決めた、4年目の終わりに、煙草を始めてみた。最初は吸い方が分からなくて彼氏に教えてもらって、火を点けるのにひと吸いしたら咽せた。
結局、煙草を吸おうとちゃんと決めたのは、単に煙草がストレス発散の道具などではなく、麻薬とかみたいに中毒になって自分をダメにするようなものでもなくて、その他のそれと同じように趣味の一環であると書いてあるものに出会ったこと。それはもしかしたら喫煙者の言い訳だったのかもしれないけれど、始めて前向きな理由をそこに見つけて、お酒と同じように楽しめたらいいなあと感じたことが大きい。何事も経験が大事だというのは日々感じていることで、一度試してみるか、という気持ちが芽生えた。
あれから1年が経つ。わたしはまだ煙草を吸い続けている。吸い続けてまず第一に感じたことは、煙草を吸うことはストレスの解消にはならない。持論。いろんな銘柄があって、いろんな香りがあって、燃え方や灰のでき方、落ち方もそれぞれ違って、それらを楽しむことはすごく面白いけど、それがストレスを減らすものになりうるかというと、そうでもない。ストレス発散なら、美味しいものを食べる方がよっぽどいい。自分自身の話でいうと、毎日吸わなくても生きていけるし、1年間、おもちゃみたいな1mgの煙草を吸い続けているけど、物足りないという気持ちになったこともない。まだ家族には煙草を吸っていることを告げてないから、実家に帰ると当然吸えなくなるのだけど、1週間くらいは吸わないのも平気。そんな感じで、付かず離れずの関係性ができている。
得られたことは、彼氏と同じことをする同じ時間を共有できるようになったこと。今までのように、煙草を吸っているのをただ眺めていることも好きだったし、そもそも吸う頻度が違うから、今でもそれはあるのだけれど、隣同士で火を点けて、息を吸って、吐いて、という同じ動作をするということが、なんというか心地いい気がする。そういう気持ちを持てたことは、何事も経験、の成功例かなあと思う。またひとつの趣味としても、もっといろいろ知りたいと思えたことは、やはりやってみないと分からないことだったな、と感じます。それではまた
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うたうことについて
前回までの自分の投稿を眺めていて、(アプリでは)本当にめちゃくちゃ見にくかったので、ちょっと書き方を見直そうと思いました。1年以上前に卒論を書いていた時にも何度も指摘してもらったのだけど、どうも段落を変えるとか句読点を付けるとか、そういうことが上手くないみたいです。気が付いたことは直していきたいね。備忘録ではあるけれども、あるからこそ、わたし自身が読み返すことは何度もあるとおもう。それにもしかしたら誰か他の人が見ているかもしれないよね。読みやすいって大事。がんばります。
先日友達とお酒を飲みに行ったのですが、そのときに言われた言葉がとても刺さっています。インフルエンザウイルスのような、丸いところがどこにもないようなわたしのことが、人間らしくて好きだったと彼女は言いました。つまらない人間になったという自覚はあったけれど、たぶんいちばんつまらなくなかったわたしを知っている彼女に言われたのが堪えたんだと思います。どうにか少しでも、つまらない人間でなくなりたいと思いました。
つまらなくなかった時の自分が何をしていたか考えました。今までは惨めな気持ちになるから目を背けていたことでした。今の自分にできそうなこと、楽しいと思えること、考えて、浮かんだのが、歌うことでした。
昔から歌うことが好きだったのは、縛られてなかったからだとおもう。親はずっと音楽をやっていたけど、楽器ばかりの人で、わたしが楽器を演奏することについてものすごく厳しいというか、いろんなことを求めてくる人でした。だけど歌は下手くそだと自分でも言っていて、あまり干渉してこない人だったから、隙を見て家でも外でも歌ってばかりいた。中学生の頃から時間とお金さえあれば1人でもカラオケに行っていた。
歌うことについて、人とは違うなあと思っていることがあった。人より高い音程が出るということだった。高い声を出すのは頭がすっきりするというか、そんな感じで結構気持ちがよかったし、当時からボカロにものすごくはまっていたから、ちょうどよかった。ただあんまり人と共有できない趣味だということは理解していて、なんとなく燻っていた。
そんな昔のことを思い出したりして、1人でカラオケに行った。大きな声を出すのはこれまでにないくらい久しぶりだったから、きっと前のようには歌えないだろうな〜〜とは思っていた。そうしたら本当に下手くそだった。高音が出ない、リズムについていけない、舌が回らない、肺活量が足りなくてすぐ疲れるといった感じで散々だった。でも何曲も歌っていくうちにちょっとずつ喉が慣れてきて、3時間くらい歌って、終わるころには少しは楽しめるくらいに歌えたとおもう。
いろいろなことに手を出してきたけど、そういえば上手くできなくてもいちばん頑張ろうと思って練習できたのは、歌うことだった。思い切って1人で行ってみて思い出した。別にそのためだけに歌っていたわけじゃないけれど、上手だと言ってくれる人がいて嬉しかったこともあった。何よりやっぱり音楽が好きだし、体で表現できるって感じがして好きだなあ、歌。せっかく思い出したので続けていきたいです。それではまた。
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きれいなもののはなし
キラキラとひかるものが好きだったとおもう。
金や銀といった色がすきだ。マットな色味のものも決して嫌いというわけではないのだけれど、どちらかというと光を反射する色や艶めいた感じのものが好きなんだと思う。
というのも、小さい頃からずっと持っていた万華鏡のことを思い出したのである。
随分と簡素なもので、買い与えられたのか母のものだったのかも分からないが、物心ついたときから部屋に置いていた。明るいところ、暗いところ、どこで見ても違う色に光ったし、二度として同じ形になることはなかった。あの頃携帯というものを持っていてインスタ映えという概念があったら、間違いなく毎度写真に収めていただろうなと思う。世界が狭かったわたしの大切な遊び道具であった。
偶然、ここ最近の間に何度か万華鏡を売っているお店を通りかかることがあった。あのときのわたしの万華鏡はいつだったかしまい込んでしまって久しい。わたしが持っていたような筒と棒の簡単なものではなくて、小さいもの、大きいもの、見た目も華やかで綺麗なものが多かった。今もなおそれはわたしの心の中まで照らしてとても綺麗だった。
何年か前は自分の欲望にすごく忠実で、欲しいものは絶対手に入れる!行きたいところには絶対行く!という考え方で実際にそういうふうに生きていたんだけれど、自分に自信がなくなってきてあの時と同じように生きられなくなってしまった。そのときのツケというか、お金をめちゃくちゃに使いまくっていたのの支払いにも追われて、自由に使えるお金もなくなってしまった。今は綺麗なものを見ると、自分には不釣り合いだとおもうけど、嫌でも惹かれてしまって、苦しくて悲しい気持ちになる。自分らしく生きること、やりたいことをすること、我慢したくないし躊躇いたくないとおもうけど、大切な人のために生活することにしか時間を割けなくて、それもとても必要なことだと思うんだけれど、そんなことわたしでなくてもできることでは?と思ってしまう。わたしにしかできない生き方がしたいし、わたしでなければだめだと思ってもらいたいのだけど、なんでかうまくやっていけないなあ。くそう。それじゃあまたね。
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猫のはなし
猫とはすなわち神が人を惑わすために作ったのではないかと思うのですよ
犬も好きなのだけれど猫がやはりこの世の生き物の中で一番美しいです。中でも耳がぴんと立っていてしっぽがすらりと長く、まんまる吸い込まれそうな目をしている子が最高です。誰かの家で飼われている猫、我が実家で最大勢力を誇る3匹、ペットショップにいるまだ名前のない子たち、近所の人から様々な名で呼ばれる流浪の民、どの猫もそれぞれ素敵なのです。
まだわたしが女子高生という身分だったころ、夜に家に帰ってきた母が抱えていたのは、片手にすっぽりおさまる大きさでねずみ色をしたまだ目も開いていない毛のかたまり、といったような仔猫でした。海の近くで母猫に置いていかれてかすかに鳴いていた声を聞いて連れて帰ってきたということでした。何日かミルクをやったり手のひらで転がしたりしている(物理)うちに開いたその仔猫の目はとても綺麗で、ふわふわしたねずみ色の毛色もあってわたしたちはもしかするとこの子はロシアンブルーかもしれないなどと思ったものです。しかしその後彼女はすらりと尻尾の長い黒猫に育ち、そしてまた何年か経つとその毛色は黒寄りのこげ茶色になったのでした。よくよく考えれば野良猫の子供がロシアンブルーだなんてことはなかったのです。海の近くで拾われた彼女はうみ、と名付けられ、先に我が家に住んでいた2匹の猫と人間共に甘やかされ、お姫様のように育ちました。今ではもう7歳なのでいい歳をしたお姉さんの年頃なのだけれども、彼女はこれからもずっと我が家のお姫様なのだと思います。野良猫だったとはとても思えないほどの綺麗な毛並みで、彼女はいつもわたしを誘惑するのです。とはいえ彼女はものすごく人見知りで警戒心が強いので、いまだに威嚇されたり爪を出されたりするのですが、そんなところも素敵だと思えてしまうほどに、猫はわたしたちを惑わせますね。それではまた。
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聖バレンタインデーについて
バレンタインというイベントが大好きだ
製菓会社が作り出したイベントだと馬鹿にされることも多いけど世論などどうでもいいのです。チョコレートのことが好きだしチョコレートを使ったお菓子を愛している。食べることも作ることも勿論。
たぶん中学生くらいの頃からお菓子作りにはまっていた。大好きな祖母は料理とお菓子作りが得意な人で、シフォンケーキやコーヒーゼリーを作ってくれた。小さい頃は週末によく泊まりに行っていたから影響されたんだとおもう。昔は100円ショップにテーマ別のかわいいレシピブックが売っているのを親にねだったりしていた。ただ誰に似たのかすごく不器用で、失敗作をこしらえては半泣きになっていた記憶がある。何度やっても綺麗にまとまらないバターと小麦粉のボロボロになったものを見るのがトラウマで、今でもクッキーを作るのは苦手というか怖くてほとんどできない。
いろんなレシピを見て作るうちに自分の得意なものと苦手なものがわかるようになってきた。不器用なりにそれなりのものを作れるようになった。綺麗に混ぜれば綺麗にできるものとメレン��で膨らませる必要がないものが得意。たとえばパウンドケーキは今まで失敗したことがないのでお菓子作りが苦手な人にもおすすめです。
高校に上がるくらいまで女の子らしくあることがかなり苦手だったのでお菓子作りが好きだと声を大きくして言うことがなかった。だけど何よりプレゼントというものが(するのもされるのも)だいすきなので、名前を借りて人に自分の作ったものを食べてもらえるバレンタインデーというイベントはとっても嬉しいのです。デパートとかで買ってきたちょっと高くて美味しいスイーツも大好きなんですけど、クリスマスも誕生日も自分で作ったケーキでお祝いしたい派。最近はハロウィンも合法的に(?)お菓子を配り歩けるのですきです。高校生くらいのときはそういう習慣があんまりなかったのでテスト期間にストレス発散と称してケーキを焼いては自分と親に振る舞っていた。片道30分の自転車通学じゃなかったら確実に太っていたとおもう。
今年はタイミングを逃して1枚も写真を撮らなかったのですが、ブラウニーと生チョコを作りました。名駅の富澤商店で製菓用のチョコレートを2種類買ってきて作ったガナッシュはとてもおいしかったです。紅茶風味にして、上にイチゴフレークを散らしたので見た目もとてもよかった、、機会があったらまた作って今度こそ写真に収めたい。想像力豊かな読者諸君には頭の中で思い浮かべてほしいです。それではまた。
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いろんなことがあっていいとおもう
2017年のまとめを書くなんて言ってたのはいつだったっけ
書いていたら自分のあまりの不甲斐なさに死にたい気持ちになったのでやめました。あとめちゃくちゃ長くなった。いつか笑って振り返れる日が来るといいなと思います。
最近は時間ばかりあってやりたいことが何もないので考え事ばかりしています。そしてまたやってくるメンヘラループ。いつになったらわたしはわたしでいることを肯定できるのかな。人のためではなく自分のためにできることが欲しいしなにか楽しいことをやりたいと思いたい。まだまだ時間がかかりそうです。
携帯を開いてもそんなに見るものはなくてすぐ暇になってしまうな〜〜と惰性で過ごしていた数週間、tumblrの存在を思い出しました。ブログという感じではなく日記みたいに綴っていくのがいいのかもしれない。
今日は珍しく朝8時頃に起きれてしまったのでネイルをしました。ちなみにいつもは昼ごろまで寝ています。ものすごく時間がかかるし本当にやるぞ、と気合を入れたごくたまにしかできない。
お気に入りのネイルポリッシュがPLANET NAILというやつでぎっしりキラキラのラメが入っているものです。ゴールド、ピンク、ブルーなど系統も多くて種類も豊富。ひとつひとつに星や宇宙にまつわる名前が付けられていてこれもまた素敵。不器用なので時間をかけてネイルファンデーションからポリッシュ、トップコートまでゆっくりやりました。1回擦ってよれてしまったけど、ラメばかりなのでえいえいっとやったらいい感じに���りました。今日のはブルーとシルバーのラメが不思議に光る"彗星のメカニズム"です。この時期使っている真っ青なマフラーと相性がとてもよい。ではまた次回、気分乗ったときに。
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2017年まとめ(前編のさらにその前)
簡潔な文章は書けないしきっと長くなる予感しかしないならいっそのこと最初から前後編に分けてしまえばいいじゃないという予防線を張っておきます。
もうすぐ2017年が終わるなんて信じられないけど、恒例のクリスマスの約束を見終わってしまった今となっては年の瀬を実感せざるを得ませんね。
2017年という年はいわゆるターニングポイントと言える年だったのかなあと思います。ほとんどの人に話していないようなこともあったし、多くのことを考えて、まとまったりまとまり切らなかったりした1年でした。正直、思い出したくないこともあるけど、わたしがどうしてこのようになってしまったかは、たぶん読んだら分かるんじゃないかな。まだ書いてないからわかんないけど。
じつはここまで書いたところで1度データが消えたのでこの上の文章は2回目ということになります。tumblr始めたばかりでなかなか難しい。以前に使っていたサービスとの差を感じています。このブログのタイトルにあるわたしのルーツの青色についてはいずれ触れたいとは思いますがまたいつか。とても大切な過去なので必ず残したいと思っています。
次から前編にはいります。
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tumblrはじめました
いろいろブログやら何やら試していましたがこの度tumblrを始める運びとなりました。
もともと自分の中にあるものは表現していきたい性質なのだとおもう。あと正直言ってものすごく忘れっぽいのでどこかに残しておかないと大切なものもそうでないものも忘れてしまう。大切なものを覚えておけないのは悲しいしそうでないものも忘れてしまったら味気ないよね。ということです。
いま書いてて思ったんだけど読点が少ないな。読みにくいかもしれないので改善していきたいです。
手始めに2017年のまとめなど書いていきたいと思いますが今回はここまで。誰の目にも留まらなくていいとも思うし誰かに見てほしいとも思う。こいつこんなことやっててこんなこと考えてんのかとか思ってくれるのもきっと嬉しいです。
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