"Meeting-People" Photographer and Nihongo sensei www.helloharuo.tumblr.com
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TRAVELING:トラベリング:火:行動
道を歩む一歩一歩、それ自体が大切なのです。
この「トラベリング」のカードは、新しいものを受け容れ、抱擁することを思い出させてくれます。
OSHO
生はつねに、つねに、連続したものだ。それは最後の目的地に向かって進んで行くのではない。巡礼そのもの、旅そのものが生なのだ。どこかの地点に行き着こうとしているのではなく、ゴールはなく、ーーただ踊りながら、巡礼の内にあって、どんな目的も気にせずに楽しく進んで行くーー。
目的地にたどり着いたところで、あなたはなにをしようというのかね?これまで誰もこんなことをたづねた者はいない。誰もが生に目的地を設けようとしているからだ。だが、それが意味するのは‥‥。
もし、あなたがほんとうに生の目的地に着いたとしても、そのあとは?あなたはとても困ってしまうだろう。どこにも行くところがない‥‥。あなたは最後の目的地に着いてしまったのだーー。しかも、その旅の途中で、あらゆるものを失ってしまった。だから、あなたは最後の目的地に丸裸で立ち、まるで馬鹿のようにあらゆるところを見回すことになる。いったいなんだったんだ、と。あなたは必死になって急いでいたし、次々と心労が絶えなかった。それなのに、その結果がこれなのだ。
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RECEPTIVITY:受容性:QUEEN:クイーン:水:感情:小アルカナ
「水のクイーン」は限界のないひと時、どうのような期待も要求もなく、生がもたらすすべてのものに感謝するひと時をもたらします。
OSHO
聴くことは、神���寺院に入るためのもっとも基本的な秘法のひとつだ。聴くことは、受け身であることを意味する。聴くことは、自分を完全に忘れてしまうことだーーーー。そうして初めて、あなたは聴くことができる。ある人の言うことを注意して聴いていると、自分のことを忘れる。自分のことを忘れられなかったらけっして聴いてはいけない。自意識が過剰だったら、あなたは聴いている振りをするだけだ。ーーーー聴いてはいない。うなずいたり、ときには「はい」とか「いいえ」とか言うだろうーーーーが、聴いてはいない。
聴いているときは、あなたはまさに通路、受け身、受容性、子宮になる。女性的になるのだ。そして行き着くためには、人は女性的にならなければならない。攻撃的な侵略者、征服者として神に到達することはできない。あなたが神に到達できるのは、ただ・・・・・・あるいは、こう言ったほうがいいだろうーーーー神があなたに到達できるのは、あなたが受け身、女性的な受け身の状態のときだけだ。あなたが隠(いん)に受け身になったとき。扉が開かれている。そして、あなたは待つ。
聴くことは、受け身になるためのアートだ。
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GUILT:罪悪感:8:雲:心
あなたはあるがままのあなたで完全にオーケーなのです。ときには道に迷ってしまうこともまったく自然なことです。そのことから学び、先に進みつづけ、その教訓を生かして、二度と同じ間違いをおかさないようにしましょう。
OSHO
この瞬間! この<今ここ>・・・・・・・。なにか達成しようという観点から考えはじめると、それが忘れ去られてしまう。達成しようとする心が湧いてくると、あなたは今いる楽園とのつながりを失ってしまう。これは解放をもたらす最良のアプローチのひとつだーーーーそれはまさに今、あなたを開放する! 罪などすべて忘れてしまうがいい。聖人らしさもすべて忘れてしまうがいい。どちらもばかげている。このふたつがいっしょになって、人間の喜びをすべて破壊してきた。罪を犯した人は罪悪感を感じている。喜びが失われているのはそのためだ。たえず罪悪感を感じていたら、自分はこんな悪いことをした、あんな悪いことをしたと告白するためにいつも教会に行っていたら、どうして生を楽しめるかね?悪いこと、悪いこと、悪いこと・・・・・あなたの生全体が罪で作られているようだ。どうして楽しく生きられるかね?生を楽しむなど不可能になる。あなたは重くなる、荷重がかかってしまう。罪悪感があなたの胸の上に岩のように居すわり、あなたを圧しつぶす。あなたを踊れられなくしてしまう。どうして踊れるかね? どうして罪悪感が踊れるかね? どうして罪悪感が歌えるかね? どうして罪悪感が愛せるかね? どうして罪悪感が生きられるかね? だから、自分はなにか悪いことをやっていると思っている人は、罪の意識をいだいている。重荷を��い、死より先に死んでいて、すでに墓に入っている。
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NEW VISION:新しいビジョン:12:Ⅻ:大アルカナ
このカードの人物は新たに生まれようとしています。
OSHO
あなたが究極なるものに向かって聞くと、すぐにそれがあなたに注ぎ込まれる。あなたはもはや普通の人ではない。ーーーーあなたは超越したのだ。あなたの洞察は、全存在の洞察になっている。もはやあなたは離れていないーーーー自分の根を見つけたのだ。そうではないなら、普通は、誰もが根をもたずに動き回っている。自分たちの心臓はどこからエネルギーを受けつづけているかも知らずに、自分たちの内側を流れている生のジュースも知らずにーーーー。
それはからだではない、それは心(マインド)ではない—-それはすべての二次元を超越するなにかであり、それが「バガヴァット——十の方向もつバガヴァット」と呼ばれている……。
あなたの内なる存在は、開いたとき、まずふたつの方向を体験するーーーー高み、深み。それから徐々に、それがあなたをしっかり定まった状況になるにつれ、あなたはまわりを見回し、ほかの八つの方向に広がりはじめる。
そして、自分の高みと深みが出会うポイントを一度達成したら、あなたは宇宙のまさに外周まで見回すことができる。そうなったら、あなたの意識は十のすべての方向に開きはじめる。だが、道はこれまでずっとひとつだったのだ。
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MOMENT TO MOMENT:瞬間から瞬間へ:2:虹:からだ
このカードは、別の場所と別の時に心奪われている状態から離れて、今ここで起こっていることを油断せずにいてごらん、と私たちを促しています。
OSHO
過去はもうないし、未来はまだない。このふたつは両方とも、その必要もないのに、存在しない方角に動いている。ひとつは、かつて存在していたがもはや存在せず、もうひとつは、存在しはじめてすらいない。唯一正しい人とは、瞬間から瞬間へと生きる人、その矢が瞬間に向けられている人、常に今ここに在る人のことだ。どこにいようとも、その人の全意識、全存在は、ここの現実と今の現実にかかわっている。それこそ、唯一正しい方角だ。そういう人しか黄金の門には入れない。
現在がその黄金の門だ。
<今ここ>が、黄金の門だ。
・・・・・・そして、あなたが現在に在ることができるのは、野心がないときだけだ。------成し遂げるということがなく、権力、金、名声、光明さえも達成したいという欲望がないときだけだ。というのも、野心はすべて、あなたを未来へと導いていくからだ。野心のない人であれば、現在のとどまることはできない。
現在に在ろうとと望む人は、考えなくてもいい。ただ見て、門を入ればいいだけだ。体験はやって来る、が、体験は前もって計画されたものであってはならない。
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INNOCENCE:無垢:XIX 19
しかし、充分に生きられた生の無垢には、智慧の質と、生の果てしなく変化する驚きを受け容れる質があります。
OSHO
禅は、こう言っている。もしもあなたが知識を落としたら------知識のなかにはあらゆるもの、あなたの名前、あなたのアイデンティティ、あらゆるものが含まれている。というのも、これは他人によってあなたが与えられているものだからだ------もし、あなたが他人から与えられているすべてを落としたら、あなたは自分の存在に全面的に異なった質——–無垢を得ることになる。
これは、仮面(ペルソナ)、人格(パーソナリティ)の十字架の死、そしてあなたの無垢の復活になる。あなたは、再び子どもになる。生まれ変わる。
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CHANGE:変化:Ⅹ:大アルカナ
世界でただ一つ変わらないものは変化そのものだとよく言われてきました。
台風の中心へと進み、これもまた過ぎ去ることを知って、リラックスしましょう。
OSHO
生は愚かにも自らを繰り返す------あなたが気をつけるようにならないかぎり、生は車輪のように繰り返し続ける。仏教徒たちがそれを「生と死の輪廻」と呼ぶのはそのためだ。------時間の輪。それは車輪の輪のように廻る。誕生の次に死が来て、死の次に誕生が来る。愛の次に憎しみが来て、憎しみの次に愛が来る。成功の次に失敗が来て成功が来る。ちょっと見てみるがいい!
もし数日間でも見守っていられたら、ひとつのパターン、輪のパターンが現れているのがわかるだろう。ある日の晴れ渡った朝、あなたはとても気分がよく幸せだ。ところが、別の日にはとてもだるく、死んだような感じがするため自殺を考えはじめる。すぐ前の日は、あなたはとても生命に満ち溢れ、至福ので満たされ、深く満ち足りた気分でいることを神に感謝するほどだったのに、今日はとても不満で、なぜ人は生き続けなければならないのか、その理由がわからない・・・。それがどこまでもつづいていく。だが、あなたはそのパターンを見ない。
一度そのパターンを見たら、あなたはそこから出てくることができるのだ。
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MORALITY:道徳:QUEEN:雲:心
心が下すこうした判断はすべて、私たちが受けた条件付けによって生み出されているのを思い出すことが大切です。
条件付けという檻を突破し、私たち自身のハートの真実に行き着いて初めて、生をあるがままに見ることができるようになります。
OSHO
菩提達磨・・・・・・は、道徳家、厳格な人、いわゆる善人たち、空想的社会改良家たちをはるかに超えている。彼は、問題の底の底まで理解している。
覚醒があなたのなかで湧き起こらないかぎり、あなたがたの道徳はすべて偽物だ。あなたがたの教養は誰にでも破壊できる薄い層にすぎない。だが、ひとたびあなたの道徳がなにか規則からではなく、あなたの覚醒から出て来るようになったら、それはまったく別なものだ。そうなったら、あらゆる状況で、あなたは自分の覚醒から応じるようになる。そしてあなたのすることはすべて良くなる。覚醒には悪いことなどなにひとつできない。それが覚醒の探求の美ーーーーー。覚醒から出て来るものは、すべてただ美しく、ただ正しく、どんな努力も訓練も伴っていないということだ。
だから、枝や葉を切るのではなく、根を切るがいい。そして、根を切るには、ひとつの技法以外に方法はない。油断せずにいるための、醒めてあるための、意識してあるための技法だ。
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ABUNDANCE :あふれ出る豊かさ:KING:虹:からだ
男性に関しては、今こそ従来の男性の典型を突き破り、全体的な人間の豊かさを輝き出せる時だということを表しています。
OSHO
東洋では、人びとはからだを避難してきた。物質を非難してきた。物質を「幻」、マーヤと呼���できた------。それはほんとうは存在せず、存在しているように見えるだけで、夢と同じ材料でできているのだ、と。彼らは世界を否定した。東洋がいつまでも貧しく、病み、飢えているのはそのためだ。人類の半分は内なる世界を受け入れてはいるが、外側の世界を否定している。人類の残りの半分は物質の世界を受け入れてはいるが、内なる世界を否定している。両方とも半分ずつだ。半分でしかない人間が満足できるはずはない。
あなたは全体でなければならない。からだ豊かで、科学も豊かで、瞑想も豊かで、意識も豊かでなければならない。私から見れば、全体的(オール)な人だけが神聖な(ホーリー)な人だ。私は、ゾルバとブッダが出合ってほしい。ゾルバだけではむなしい。ゾルバのダンスには永遠の趣がなく、つかの間の楽しみにすぎない。すぐ飽きてしまうだろう。宇宙そのものから手に入る、枯れることのない源泉をもっていないかぎり・・・・・・。あなたが存在に即したものにならないかぎり、あなたが全体になることはありえない。
これが人類への私の貢献だ。------全体な人。
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SUPPRESSION 抑圧 10:火:行動
このカードのほんとうのメッセージは、潜在しているこの爆発が癒されるはけ口を見つけることです。
破局が起こるのを待っていてはいけません。
OSHO
サンスクリット語には「アラヤ・ヴィガン」という名称がある。社会の条件、文化、文明ゆえに、やりたくてもやれないことをあなたが地下室に放り込みつづけている家のことだ。だが、それらはそこに溜まりつづけ、あなたの行動、あなたの生に影響を与える。------ひじょうに間接的に、直接には、それらはあなたの前��出てくることができない------あなたはそれらを暗やみに押し込んだのだ。だが、その暗い面から、それらはあなたの振るまいに影響を与えつづける。それらは危険だ。こうしたすべての制御を抑制を自分の内側にとどめておくことは危険だ。
人が精神に異常をきたすとき、こうしたものごとがクライマックスに達するということは大いにありうる。精神異常とは、こうした抑圧がすべて、もはや自分ではコントロールできないポイントまで達してしまうこと以外のなにものでもない。だが、狂気は容認されるが、瞑想はそうではない------が、瞑想こそ、あなたを完全に正気にさせる唯一の道だ。
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EXISTENCE:存在:Ⅰ:大アルカナ
完全という蓮の葉に坐っているこの裸の人は、夜空の美しさを見つめています。彼女は、わが家というのは外の世界にある物理的な場所ではなく、くつろぎと受け容れることの内なる質だということを知っているのです。
今こそ、どこにいようとも「我が家」にいると感じる、その並はずれた贈り物を受けいれるようにしているかどうか、見てみる時です。
今夜は、外へ出て、星たちを見ましょう。
OSHO ZEN TAROT
あなたは偶然の産物ではない。存在はあなたを必要としている。あなたがいなければ、存在のなかで何かが見失われ、代わりをつとめることは誰にもできない。そのことが、自分��いないと全存在が寂しく思うということが、あなたに尊厳を与えるのだ。。星や太陽や月、樹や鳥や大地ーー宇宙あらゆるものが、あなた以外の誰かではけっして埋めることのできない小さな空白を感じるだろう。これが、自分は存在とつながっていて、存在は自分の面倒を見てくれているという途方もない喜び、満足をあなたに与えてくれる。ひとたびあなたがきれいになり、澄みわたったら、あらゆる次元から自分に降りてくる途方もない愛を見ることができる。
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FIGHTING:戦い:ナイト:雲:心マインド
あなたが愛をなかに入れさえすれば、そこに愛はあふれるほどあり、あなたの手に入るのです。自分を許すことから始めましょう。
OSHO
ある瞬間にはそこにあったものが、別の瞬間にはなくなっている。ある瞬間には私たちはここにいるが、別の瞬間にはもういなくなっている。が、このちっぽけな瞬間のために、私たちはどんな大騒ぎすることだろう。どれほど多くの暴力、野心、闘い、衝突、怒り、悲しみがーーーー。
ただ、この短い瞬間のために! 駅の待合室で列車を待っているだけなのに、とんでもない大騒ぎをする。争い、傷つけ合い、自分のものにしようとして、服従させようとして、支配しようとして——すべて政治だ。そして、列車がやって来て、あなたがたは永遠にいなくなってしまう。
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THUNDERBOLT:稲妻:ⅩⅥ:大アルカナ
大火の後、大地は再び豊かになり、嵐の後、空気は澄みわたります。
OSHO
瞑想では、ゆっくりとすることを、弟子がなにか問いをたずねている状況のなかでの、マスターの予期せぬ素晴らしいーー喝ーーーマスターは跳びかかって一喝する、あるいは弟子を打つ、あるいは扉から放り出す、あるいは弟子の上に飛び乗る・・・・。こうした技法はまったく知られていなかった。それはまぎれもなく馬祖のひじょうに創造性豊かな天賦の才によるもので、彼は多くの人々に光明を得させた。
ときには、それはとても愉快なものに見える。彼は、なにに瞑想したらいいのかたずねるために来ていた人を二階の窓から放り出した。さらに馬祖は、放り出しただけでなく、その後を追って飛び降り、その人の上に落ち、その胸の上に坐り込んで。「分かったか?!」と言ったのだ。
かわいそうなその人は「はい」と言ったーーー「いいえ」などと言おうものなら、殴られるかなにかされるに違いないからだ。もう充分だーーーーからだの骨が折れているというのに、馬祖は胸の上に腰を下ろして、「わかったか?!」と言っているのだ。
が、事実、その人はわかっていた。あまりにも突然で、青天の霹靂だったからだーーーーそんなことは考えても���なかった。
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CONDITIONING:条件付け:ⅩⅤ:大アルカナ
池に映る自分の影をよく見て、他人からの条件付けによって自分はこうだと信じ込まされて来た、そのすべてを打ち破るために、動きだす時です。
OSHO
自分の人格を落とさないかぎり、あなたは自分の個で(インディビジュアリティ)あることを見いだすことなどできない。個であることは、存在から与えられている。人格は社会が押しつけたものだ。人格は社会のなかで都合がよい。
社会の個であることは耐えられない。個であることは、羊のように追従しないからだ。個であることはライオンの資質がある。ライオンは独りで働く。
羊はつねに群れをなしている。群れのなかにいると楽で居心地がいいな図だと期待する。群のなかにいると、守られて安全な気がする。誰かが攻めてきても、群の中にいれば、自分を救える可能性がいくらでもある。だが、独りだと?ライオンだけが独りで動く。
そして、あなたがたひとりひとりが、生まれつきのライオンだ。だが、社会が絶えずあなたを羊として条件付けしている。あなたの心を羊としてプログラミングしている。それがあなたに人格、当たり障りのない人格、素敵でとても都合がよく、ひじょうに従順な人格を与えるのだ。
社会は、奴隷を望んでいる。どんなことがあっても自由に身を捧げる人々など望んでいない。社会が奴隷を望むのは、特権をもつあらゆる者たちが従順さを望むからだ。
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FRIENDLINESS:親しさ:2:水:感情
花を咲かしているこの二本の樹の枝は互いに絡み合い、地上では落ちた花びらが混じり合って、美しい色をなしています。それはまるで天と地が愛で橋渡しをされたかのようです。
OSHO
まず瞑想するがいい、至福に満ちるがいい。そうなったら、多くの愛がおのずと起こる。そのときこそ、ほかの人たちと一緒にいることは素晴らしく、独りでいることもまた素晴らしい。そうなったら、それは単純なことでもある。あなたはほかの人たちに依存しないし、ほかの人たちを自分に依存させることもしない。そうなったら、それはつねに友情、親しさだ。それはけっして関係にはならない。それはつねに、かかわりをもつということだ。
あなたはかかわる。が、結婚はつくりださない。結婚は恐怖から生まれる。かかわりをもつことは、愛から生まれる。
あなたはかかわる------ものごとが素晴らしくいっているあいだは、あなたは分かち合う。そして、互いの道がこの十字路で別れるために出発するときが来たとわかったら、相手がこれまで自分にしてくれたすべてのことに、相手と分かち合ってきたすべての喜びと、すべての楽しさと、すべての素晴らしい瞬間に大いに感謝し、さようならを言うがいい。惨めになることもなく、痛みもなく、あなたがたはただ別れる。
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THE CREATOR:クリエーター:KING キング:火:行動
成熟から生じる理解があれば、いま私たちが着手しているすべてのことが、私たち自身の生とほかの人たちの生に豊かさをもたらすことになるだろう、と。
OSHO
世界にはふたつのタイプのクリエイターがいる。一方のタイプのクリエイターは対象に取り組む。ーーーー詩人、画家、彼らは対象に取り組む、ものごとを創造する。もうひとつのタイプのクリエイター、神秘家は、自分自身を想像する。彼は対象には取り組まず、主体に取り組む。自分自身に、自分の実存に働きかける。そして、そういう人こそが、ほんとうのクリエイター、ほんとうの詩人だ。
あなたは自分の内側にひとつの最高傑作を隠し持っている。だが、あなた自身が道に立ちはだかっているのだ。ちょっと脇によければ、その最高傑作が現れてくるのだろう。誰もが最高傑作だ。というのも、神はなにひとつそれ以下では誕生させないからだ。誰もが何生にもわたってその最高傑作を隠しもっている。自分とかいったい誰なのかも知れずに、ただ表面で何者かになろうとして。
何者かになるという考えを落とすがいい。あなたはすでにひとつの最高傑作だなのだ。あなたはもっと良くすることなどできない。あなたはただそれに気づき、それを知り、それを悟ればいいだけだ。神みずからがあなたを想像したのだ。そのあなたをもっと良くすることなどできはしない。
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EXPERIENCING:体験している:3:火:行動
「体験 experience」は、ノートに書き記したり、写真に撮ってアルバムに貼ることのできるものです。「体験している experiencing」というのは、驚きそのものを感じていることであり、交感(コミュオン)のスリルであり、私たちはまわりのすべてとつながっているという優しい感触です。
OSHO
ちょっとまわりを見てごらん。こどもの日、あるいは恋人、母親、友人の目のなかを見てごらんーーーあるいは、ちょっと樹を感じてごらん。
あなたは、樹を抱いたことがあるかね?樹を抱いてごらん。すると、いつの日か、自分は樹を抱いたのだというだけでなく、樹も応じることが、樹もあなたを抱いてくれることがわかる。そうして初めて、あなたは樹がただの形にすぎないのではなく、植物学者たちが言うようにある特定の種にすぎないのではなく、知られていない神なのだということがわかるようになるーーーあなたの中庭で青々と繁り、中庭で満開の花を咲かせ、すぐそばであなたを招き、何度も何度もあなたを呼んでいる。
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