Tumgik
hiraide-hon · 2 years
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20220424
クロールの腕の形をつくりつつ死ねって人に思われたこと /山崎聡子『青い舌』P67
(今日、港区であった「さまよえる歌人の会」の『青い舌』会に参加してきました。一首選んで喋る時間があったので、そのときに喋ったことを書き残しておこうと思います。)
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「死ねって人に思われ」ること、って、【私】の行為としてしかありえない、んだよな……と思った、思い出させられた、一首です。  前提として、人は他者が何を思っているのかそのまま知ることはできない、わけですよね。「人に~~って思われた」という表現を成立させるためには、その相手に教えてもらうしかない。それだって教えてもらったことが事実なのかなんてわかんない。  だから 「人に~~って思われた」って表現がなされるときにはだいたい(という風に推測される)とかの、書かれてない補足が入ってくる、ということになると思う。
 そのこと……を転がして、考えると、「人に~~って思われる」ために、別にその「人」は必要ない、必要なくなる。元から「思われる」ことができるのは、そう表現できるのは【私】以外にはありえないから。
 この一首の文法は、ふつうに考えるとちょっとおかしいと思う。「つつ」の接続が変だ。たとえば「クロールの腕の形をつくり」→「つつ」→「死ねって人に思ったこと」ならおかしくない。「私の行為」→「(をおこない)つつ」→「私はこう思う」は、素直な用法だと思う。「私の行為」→「つつ」→「~~って人に思われたこと」は、やっぱりふつうだとおかしい。
 でも、これがほんとうはおかしくない、っていう歌だと思う。「死ねって人に思われる」のは「私の行為」だから。だから、この「つつ」は成立する。「つつ」でつなぐことで、それがそうであること、を思い出させてくる、形になっているんだと思う。
墨汁が匂う日暮れのただなかのわたしが死ねと言われてた道 /山崎聡子『青い舌』P21
 どういったニュアンスのそれかはわからないけれど「死ね」と言われた記憶がある。記憶が、つまり経験があれば、その人はいつでも「そう思われる」ことができる。「思われる」という行為の主体になりえる。
 その【事実】の、すごさ、だと思いました。
(いったん、以上でーす)
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(またちょくちょく、ここに書いていけたら、と思います)
(よろしくお願いします。)
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hiraide-hon · 4 years
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20201231
原因は電池切れだと思ってて思ってなかったのかもしれない
/御殿山みなみ「悪魔たち」 『えいしょ2020』2020.11.22
 このスピード、で、この思考が出てくる、ことがすごくわかる。自分の思っていること、のゆらぎはこれくらいのスピードで認識できるし、もしくは認識できない、ものだと思う。
「発言」としては矛盾していると言えば矛盾していて、なんというか、リアルの世界でこんなこと言ってると「どっちなんだよ」とツッコまれるような内容とスピードだと思う。短歌、でしか言えない。無意識の領域で「思って」たことにすることはできる、一方で、思ってさえいなかったのかもしれないと正直に言える、そういう世界で流れるスピードに、一番きれいに【乗った】歌だと思う。
 もちろん僕たちは「リアルの世界」に生きているわけだけど、でも同時に「短歌の世界」にもいようとしていて、ある程度【いる】ことができていると思う。異なるスピードと価値観で並走する世界の両方が重なる気持ちよさ、みたいなものを感じさせてくれた一首、でした。
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hiraide-hon · 4 years
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20201226
かもしかと見つめあいたいかもしかと見つめあうとき私はいない
/青海ふゆ「白転」
『ほとり vol.5』塔短歌会三十四十代歌人特集(ネットプリント)、2020.12.20
 いや、いるでしょ。「見つめあう」が成立してるときに「私はいない」わけはなくて、いるでしょ、と思う。
 でも、まだ「見つめあいたい」と願望を抱いているだけの段階で、イメージしたその「見つめあい」の場、を本気で思い描いていったら浮かぶのは「かもしか」だけで自分は見えないというのはその通りで、わかる、とも思う。自分から自分見えないから。
「いない」わけではないから、いるでしょという指摘が間違っているわけでもない。けど、そ��を言ってちょっと気持ちよくなった自分、が、なんか悔しくなってくる。このひとは本気で「見つめあい」のことを考えたから「見つめあうとき私はいない」と言えた、のだと思う。で、僕は、それに後から追いついていくことしかできなかった。
 歌に、こういう風に悔しがらされることってあんまりなくて、すごい貴重な体験をさせてもらった、感覚です。
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hiraide-hon · 4 years
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20201224
腐っても鯛でしょうけど鯛ですよなんで腐らせちゃったんですか
/曰
「うたの日」(http://utanohi.everyday.jp/open.php?no=1423c#c20180221021)2018.02.21
 ほんとにねえ。なんでだろう。腐らせたらもったいないよねえ。
 言うまでもなくこの歌は「腐っても鯛」ということわざをいじっていて、「すぐれたものは多少悪い状態になっても、本来の価値を失わないというたとえ」という意味合いのそれに対して「そうは言っても腐らすなよ」「鯛だぞ」「もったいないだろ」とツッコんでいる歌であると読める。
 なんでこんなに、この発話にうれしくなっちゃえるんだろう。すごいうれしい。おもしろい、のは、そう、なうえでのうれしさ。
 やっぱり、このひとが【ガチの目】してる感じ、かなあと思う。ことわざに無粋なツッコミいれたりする【おもしろ】は割とよくあるけど、この歌のガチさはことわざに対してじゃなくて「鯛」に対してだから、どこか突き抜けた一首になっているんじゃないかと思う。
「鯛ですよ」で、「鯛」の価値を言えてるのがおもしろい。鯛っておいしくて高級で、価値がある。のは前提で「鯛ですよ」って言ってきてる。【ガチの目】で。
「これは、俺に言われてる……」と読者に思わせる歌は、強い。歌が、こっちを見てくる「鯛ですよ」の一瞬から、逃げられなくなる。
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hiraide-hon · 4 years
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20201219
マッチングアプリで出会った人とさえ新型コロナの話をしてる
/逢坂みずき 『塔』2020年7月号
 2020年も残すところ二週間ほどになり、今年を振り返る……的な気持ちになったとき、振り返らなきゃなーといま一番思う歌、がこの歌でした。  僕は「塔」っていう結社に所属してて、結社誌っていう本を読んでるんですが、もう本当に、掲載歌の四割くらい「コロナ」のこと書いてて、それも、言っちゃ悪いんだけど【いい歌】も【うまい歌】も全然その中になくて、ずいぶんうんざりしていた……というのが僕の振り返る「2020年の短歌」の一面では間違いなくあった、わけです。  掲出歌は同じく「塔」の結社誌に載ってて、「コロナ」って言ってて、で言うとその【うんざり】の流れに乗っているんだけど、その中で唯一と言っていいくらいの【おもしろい歌】だと思った。  僕の抱える【うんざり】と同じくらいのうんざりをしっかり持って、それを言ってて、そのことがおもしろい、と感じた。短歌でさえ「コロナ」の語から逃れられないうんざり、と、マッチングアプリという非日常や新たなるものを求めて利用するサービスの先でさえ「新型コロナの話」ばかりになる掲出歌の主体のうんざり、は、ほとんどぴったり重なったと言っていいんじゃないかと思う。  うんざり、を言えてると感じるのはやはり「とさえ」の効果で、こういった上手さが、この一首を、抜けた一首、のところに持っていっていると思う。こんなしたたかさみたいな言葉の動き方、を見れたことは初めてこの歌を読んだあのとき、ほんとうに嬉しく鮮やかなことでした。これをこう、ここらへんに書いておかなきゃなあ、と思うくらいに。
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hiraide-hon · 4 years
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20201214
少なくてもいいという意味もできるだけ込めて好きなだけ食べてと言おう
/永井祐『広い世界と2や8や7』(左右社)2020.12.8
 この「できるだけ」の誠実さ、すごくないですか。【誠実】ってこうだよな、っていう感じの。
「できるだけ」しか「込める」ことができないんですよ、【言葉】に【意味】って。でも、「できるだけ」「込める」ことならできる。めっちゃ当たり前だけど、そういうことを思わされる。
 シチュエーションとしてはおそらく食事を奢ったりふるまったりしている場で、相手に本当にちょうどいい量を食べてほしいと思っている場面だろう。「好きなだけ食べて」と言うと、感覚的には「遠慮せずにたくさん食べていい」というニュアンスが伝わってしまいそうだ。しかし、細かな人間関係にもよるだろうが、それを言われた側はむしろ気を遣って必要以上に多く食べようとすることもある。主体は、そんなことをしないで、本当に「好きなだけ」食べてほしい。だが「少なくてもいい」などと本当に言って付け足してしまうと話はややこしくなる。言われた相手は、気を遣って必要よりもずっと少ない量しか食べないようになるかもしれない。言葉というのは、コミュニケーションというのは難しい。
 けっきょく、言葉にするのは「好きなだけ食べて」という常套句に留まる。それは仕方ない。でも、「少なくてもいいという意味もできるだけ込めて」言う。それがこのひとの【誠実さ】なんだと思う。
「~~と言おう」と締められることから、この歌は意志の歌、willの話をしているのだとわかる。その場で瞬時的に巡らせた思考なのでなく、おそらくは時間をかけて考えた結果なのだ。そうだとわかる、ことが、このひと、を裏付ける。
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hiraide-hon · 4 years
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20201209
先輩が壁の向こうで吐いている くの字だったらいいなと思う
/工藤吹「春セメスターまとめ」
『松風』第二号、2020.11.22
「いいなと思う」に、なにがだよ、となりながらもなんかわからんでもない気がしてくるこの感じ。おもしろい。
 このひとも本気でそれを「いいな」と思ってるわけではないんじゃないだろうか。「壁の向こう」から聞こえる音とかから想像して浮かべた「先輩」の姿、があって、それが「くの字」で、その想像が現物と一致していようがいまいが、恐らくはどうでもいい。想像できていること、自体が「いいな」なんじゃないかなと思う。
 想像できるのは関係があって知っているからで、そのうれしさ、の歌なんだと感じる。別にぜんぜんよくないシチュエーションでよくない想像をして、それが「いいな」に繋がってくるのは、そのよくなさの場を共にできるそのひとがいるから、だと思うしそれが伝わってくる、歌だと思う。
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hiraide-hon · 4 years
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20201207
消印が消えかけていてもしかして知ってる文字じゃないかもしれない
/臼井悠華「君と、ひかりのにおい」 『東北大短歌』第六号、2020.11.22
 届いた郵便の消印って割と消えかけていてほとんど読めないことが多い。そのことを言っている歌、ではもちろんあるんだけど、そこから一歩踏み込んだ感覚を描いているのがおもしろい。
 たしかに、消えていて読めない以上そこに本来書かれていた文字が「知ってる文字じゃない」可能性は大いにある、し、それは「かもしれない」としか言えない。読めないんだから、知ってる文字だとも知らない文字だとも言い切ることはできなくて、「かもしれない」としか言えない。
 このことを言えるのは同時に、たしかにそこに何かしらの文字が書かれていたことが確かなときでもある。どこかで押された消印には何かの文字がもちろん書かれている。この「かもしれない」は、それを見つけて見つめてはじめて言える「かもしれない」で、そのことは、同じものを見たことがあるのにそこには至れなかった者、つまり僕を感動させる。そうなんだ、「かもしれない」んだ。
 二句、三句の脚韻が効いて、歌の核となる「かもしれない」へ向かっていく構造が良いと思う。そういった短歌の韻律、気持ちよさがあることで、このことは【ここ】まで、到る。
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hiraide-hon · 4 years
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20201205
市役所の前のカーブはゆるやかに命はひとつきりしかなくて
/河田玲央奈「朝焼けのパセリ」
『ぬばたま』第五号、2020.11.22
 歌の構造としては、飛躍があるように見える。しかしどこか、この接続には「たしかにそうかもしれない」と思わせるものがある。
 人工的な道におけるカーブのゆるやかさは、人の命を守るための構造でもある(知らないけど、たぶん)。人の命をなんで守ろうとするのか、でいうと、突き詰めていくなかで「命はひとつきり」という点は出てくると思う。ひとつしかないから大切に守らなきゃいけない。
 それを踏まえると、この歌の接続は不思議なままなんだけど、このふたつの要素がここに並ぶことについては直感的な納得を得ることができる、と思う。
「市役所」という具体性と、それ自体の必然性のなさ、は、この歌の ふいにそう思った 感じを強化していると思う。市役所を通りかかって、カーブがゆるやかで、ふいに、そこで命のことを思った、感じ。
 この文で前述したような思考の過程が【このひと】にあったわけではないと思う。直感でそういうことを思うのが人間で、そういうことがおもしろいと思うから、そういうこと を描いているこの歌に惹かれた。
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hiraide-hon · 4 years
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20201203
https://twitter.com/Hiraide_Hon/status/1334629831812648960?s=19
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hiraide-hon · 4 years
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20201201
秋の味覚弁当 秋が厨房に通されてしばらく秋を待つ
/おいしいピーマン「秋の味覚弁当 五百円」 『半夏生の本 vol.2』2020.11.22
 カウンターでの注文が厨房に伝達されるときの略称のアレ、のことを言っている歌で、そういえばこれをイジってる短歌ってはじめて見たかもしれないと思った。ありそうだけど、でもよく考えたらそんなにおもしろい例ってなさそうだし、ないのか。
「秋」はおもしろい。季節じゃん。弁当のメインは「秋の味覚」なんだけど、厨房に通されるのは「秋」。もちろんただの略称なんだけど、そういう概念的なものが自分にはよくわからない理屈で動いてるような変な錯覚がある気がする。
 他にどういう略称だったらおもしろいだろうと考えて、たとえば「○○健康弁当」みたいなのがあって「健康」って略されたらおもろいかなとか思ったんだけど、それを歌にしたとき、掲出歌でいう「秋を待つ」のおもしろさは出せない。「秋」はもう季節としてはきているから「秋の味覚弁当」というメニューが出ているんだと思うけど、それをもういっかい待たなきゃいけなくなるという錯覚、がやっぱりおもしろい。
 略称をイジってるだけ、じゃなくて、そういう【錯覚】が出てきてる感じ……がこの一首をおもしろいものにしてくれているんだと思う。
 最初の「秋の味覚弁当」が説明・前置き的にいっかい見えるけど、読んでると注文のときの発話の、声として聞こえてくる感じがあって、それがあるからこそ主体に親しみを覚えやすくなる。イジってるこのひと、というよりかは、錯覚しててそれを楽しんでるこいつ、みたいに思える感触があった。
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hiraide-hon · 4 years
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20201129
小説家下の名前で呼ぶようになるのは秋がはじまる合図
/久間木志瀬「出土」
『ぬばたま』第五号、2020.11.22
 なんの因果関係もなさそうで、実際ないと思うんだけど、でも【このひと】がそうしようと思えばそうできちゃうよなってラインで、グッとくる。
 小説家を下の名前で呼ぶ、とちょっと通(つう)っぽくなる。そういうことしたくなる時期ってあるよな~と思いつつそれが「秋がはじまる合図」につなげられるのはわからない。時期、とは言ったけど、そんな一年置きの季節でとかじゃなくて、高2くらいで、みたいな人生のそういう時期ってあるよねって話のつもりだったからびっくりする。
 あるある、や、イジリ、で終わらなかった歌だよなと思う。「小説家下の名前で呼ぶようになる」ことを、そういうわかりやすさに回収しないで、不思議な感覚のところに持っていっている。だからこそ、読者が一首の前に立ち止まる時間の長くなる、歌になっているんだと思う。
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hiraide-hon · 4 years
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20201125
もう二度と会いたくなくて旅先で後ろ姿を探してしまう
/大村咲希「私のBL」 『ぬばたま』第五号、2020.11.22
「探してしまう」ってそれ「会いたい」んじゃん、っていっかい思って、思ってることとやってることが意識の底でずれちゃってるっていう歌なのかなー、と読んでたんですけど、違いますね。これ「後ろ姿」をもし本当に見つけたら逃げちゃうんだ。たぶん。そのために、探しちゃってる。
 この、こっちの想定をいっかい完全に上回ってきた本気っぷり。あーそういうことかー、って動く読み味が、「もう二度と会いたくなくて」というこれ自体はふつうな言葉を、変える。
 平易で、取りたたてものすごいことを言ってるわけじゃなくて、とにかく本当にそれを思ってそう言ってること、がいっかい読者を驚かせる。こういうことあるんだよな短歌って、っていうのを思う歌でした。
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hiraide-hon · 4 years
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20201123
なんかいも洗って干したTシャツが急にいらなくなる夏の午後
/佐藤廉「スタンド・バイ・ミー」
『ぬばたま』第五号、2020.11.22
「なんかいも洗って干した」わけで、つまり割と気に入って「なんかいも着てた」はずなんだけど、なんで「なんかいも着たTシャツが」って言わないんだろう、と思う。洗って干すために着るわけじゃなくて、着るために洗って干してるわけだし。
 すごいシンプルに考えると、「急にいらなくな」った理由が「なんかいも洗って干してしてるうちにボロボロになったから」って感じなら、どちらかというと「着た」ことよりも「洗って干した」ことが原因な気がするのもわからなくはないから、こういう言い方が選択されるのもわかる。……でもなんか、そんなにボロボロになったみたいな明確な理由でいらなくなったわけじゃなさそう、なのは、「急に」って言ってるからで、ここには「なぜか」「なんとなく」のニュアンスが含まれているように感じる。
 そういえば、そのTシャツを自分が見てる時間、で言うと、多いのは着てるときより洗って干してしてるときなんですよね。着てたらあんまり見れないから。できても変な角度からしか。
 っていうのを踏まえると、まあ言っちゃうと飽きたんかなー、みたいな気がしてくる。着てるときはただのTシャツ、だけど、洗って干してしてるときには見飽きたTシャツ、になりうる。Tシャツは。だから、「急にいらなくなる」の前段で語られるのは「なんかいも着たこと」じゃなくて「なんかいも洗って干したこと」なんじゃないだろうか。
 言い方が選択されている、的なことをこの文の中で僕は言っちゃってるけど、歌のニュアンスとしては【選択】とかじゃなくて【無意識】で出てきた表現なんだと思う。その【無意識】が「急に」の感覚に繋がってる感じ、を読者が見出せる、というおもしろさってあると思う。
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hiraide-hon · 4 years
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20201118
いろいろを打ち明けてみていろいろとあったんだねの言葉をもらう
/伊舎堂仁『トントングラム』2014.12.17
 起きた、とも言いにくいくらいにあっさり、あった、出来事のことほど忘れられなかったりするのが人生だと思う。と急にでかい話からはじめるけど、この歌ってそういう歌だよなーと思って読んでます。
 一度目の「いろいろ」は、ほんとうにその会話のなかで「いろいろ」と発話したわけじゃないと思う。「打ち明けてみて」っていうくらいだから、打ち明けるなりに詳細を話しているだろうと考えるのが自然だ。
 対し、二度目の「いろいろ」は、たぶんほんとうに「いろいろ」と言われている。ぜんぶまとめて「いろいろ」にされた、瞬間なんだろう。
 同時に、このひとがこの「いろいろ」を「いろいろ」と呼べるようになったきっかけ、でもあるのかもなーと思う。この歌の一度目の「いろいろ」のように。あー、あれ「いろいろ」なんだー、って急にぜんぶ軽くなる、みたいな。ちょっと読みすぎかもしれないけれど、「言葉をもらう」のニュアンスからはそういった印象を受けた。
 これくらいにあっさりと、変わるんだと思う。抱えてきた「いろいろ」が「いろいろ」になる。そうだと言って「もらう」時間がある。そういうこと、が、人生にはある。こんな、人生、とかのことまで思わされるくらい、この歌の「いろいろ」は、効く。
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hiraide-hon · 4 years
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20201116
元気でねと本気で言ったらその言葉が届いた感じに笑ってくれた
/永井祐『日本の中でたのしく暮らす』2012.05.20
 前回(https://hiraide-hon.tumblr.com/post/634584287070568448/20201112)引いた歌をはじめて読んだとき、顔が熱くなるような感覚があった、ということを書いたかと思います。それと同時に、なぜか思い浮かべていたのが、今回の掲出歌です。顔熱くしながら、橋爪さんの歌と向き合いながら、同時にこの歌のことを考えていました。
 まあ、この歌も同じく、僕の顔を熱くしてくれていた歌、なんだよなということをいま思います。「元気でね」と言ったのも言われたのも僕じゃないし「笑っ」たのも僕じゃない。この歌の風景の中に、僕はいない。のに、言葉が、笑顔が、僕まで「届いた」。ように、ずっと、感じています。
「本気で」とあえて言っていること、は、つまりこのひとの言葉は常々「本気」なわけではないんだ、ということで、それはふつうのことでもあるんだけど、ちょっと切ないなーとも思います。この歌は「本気で」を言うことで、ここにはないいくつもの「本気」じゃない言葉を呼び出して、そして一瞬で犠牲にします。このいっかいの「本気」を、この「元気でね」を光らせる、ために。
 すごくわかるんです。いつもいつもの言葉はだいたい「本気」じゃない。決まり事として発する「お疲れ様です」や「お大事に」のようなものばっかりです、日々。でもたまに、「本気」でそういう言葉が出てくることってたしかにあって、そのときにまた顔が熱くなったり、する。この歌は、そんなとき、そんなとき、のあの感じ、を追体験させてくれる。読むたびに、そう、です。
 ひととひとのコミュニケーションのもどかしさの歌、だと思います。どれだけ自分が「本気」でも、相手にそれが届いたかはわからない。返ってくる笑顔が「本気」のそれなのかどうかわからない。自分に言えるのは「届いた感じに笑ってくれた」ことだけ。「くれた」んだと感じる、その気持ちを持っておくことが、自分の限界なんですね。本当は「届いた」んだって言いたい、でもそれはわからない。そんなもどかしさが、ぐんっ、と歌読んでるこっち側に迫ってきます。それは、そうであることが、わかる、から。
 同時に、ひとと言葉のコミュニケーションのもどかしさの歌でもあるんですね。「本気」だったり「本気」じゃなかったり、おんなじ言葉のはずなのにいつもまちまちな、別な言葉みたいに動いてしまう。思い通りになんてできないのに、言うだけ、だったらできてしまう。そんな、なのにいま、この歌のこのひとは「本気で」言いたくて「本気で」言えた、んだと思います。ひとと言葉のコミュニケーションが、通じた場面なんですねこれは、たぶん。
 このひとの顔は、きっとものすごく熱くなってると思います。評の言葉、を離れて、そんな気がする、ということを。その熱は歌を通して読者の側、こっち側まで伝導して、同じように顔を熱くさせる、んじゃないかと思います。その証拠みたいに、いまこの瞬間こんなにも熱い僕の顔があって、でもこのことをこれ以外の言葉で伝えられない。
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hiraide-hon · 4 years
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20201112
生きてまでやりたいことがあまりないことがうれしいのを信じてよ
/ 橋爪志保「とおざかる星」 『ねむらない樹』vol.4、2020.02.01
 ありがとう、って言われてなんかびっくりするときないですか? 僕、会社の部署でいちばん若手なので慣例的に部署へかかってくる電話は僕がいったん取ってそれから本来の宛先のひとに回したり回せなかったりするっていうのをやってるんですが、いっかい、滅多にその「宛先」にならない先輩に回した時に「ありがとう」って言われたことがあって、そのときすごくびっくりしたのを覚えてます。ふつうに仕事でやってることだし、その「ありがとう」の時間分電話の向こうで保留音聞きながら待ってるクライアント(たぶん?)がいるわけで、ビジネス的には不要だしなんならあっちゃならない「ありがとう」だったんですけど、なんかちょっと、顔が熱くなったんですよね。要らなさ、ってときにそういう、力(ちから)、に、体温、になったりする。んじゃないかということを考えています。余剰なエネルギーは熱として発散されるってやつですかね。その先輩にはそれを含めて三回くらいしか電話を回したことが今のところなくて、「ありがとう」を言われたのはこの一回だけです。
 この歌、の「信じてよ」をはじめて聞いた時の僕、それくらい顔が熱くなってたんじゃないか、と、いま思います。覚えてないんですけど、でもそういう不思議な感覚、があったのはたしかです。なんで そう なのかわからないまま、この歌すごい、この歌いい、とこれまで何回も何回も思ってきていて、今やっとその理由にちょっと近付けている気がします。
 言わなくていい、んですよ。「信じてよ」って。たぶん。僕ら(と軽率にみなさんを巻き込みますけど)、「信じる」とこから、短歌を読み始めてませんか、いつも。歌の言ってることを、とりあえず信じる。このひとこんなことあってこんな風に思ったんだ、ってのを、いったん信じて���そこから話を始める。ってしてませんか? 情報として事実であるか否か、じゃなくて、ほんとに思ってるかどうか、みたいなことを。
 この歌が入っている「とおざかる星」から他に引くと
花を浴びながら川べりの階段をゆっくりきみは降りてきてくれた
ほんとうに大事にしたい 酔ったきみにブスと言われて悲しい自分
「降りてきてくれた」ってほんとに思ったんだろうな、「降りてきた」じゃなくって。とか。「ほんとうに大事にしたい」を文字通りほんとうに思ってるんだろうな、「悲しい」のもほんとうなんだろうな。とか。
 そういうふうに、信じる、ところから僕は【短歌を読む】。だから、ときに「この言葉は嘘のように感じる(からよくないorからおもしろいor etc)」みたいな評のことばが動いたり、するわけですね。
「信じる」準備をして【短歌を読む】僕に対して、【短歌】が「信じてよ」って言ってきたんですね。この歌は。だから、びっくりした、んだろうと思います。そんなこと言われなくたって、こっちは書いてあることを、少なくとも一回は「信じる」んです。いわれる言葉、描かれる気持ち、ずっと信じながら、この「とおざかる星」読んできたのに、ここへ来て こう 言われて、動揺しちゃったんですね、初読時の僕は。それから先いままでずっとの僕も。
「信じてよ」って、こっちの台詞ですよね。信じてるんだから、信じてることを「信じてよ」と思うんですね、僕は。信じられていることをどこかで信じていないひとの言葉じゃないですか、だって。
 短歌、に対して、読者の僕が「信じてよ」と思ったことがあるのはこの歌だけです。いまのところ。ほんとうに特異なんですね。【短歌】と【読者】の関係性を強くつよく揺さぶる、一首です。
 この「信じてよ」が【読者】に向けられたものかどうか……という点について、でいうと、むしろ本筋としてはNOだと思います。たぶん、本筋としては連作中に出てくる「きみ」に対しての主体の発言を定型に落とし込んだもの、という読みがもっともストレートなものでしょう。おそらく。
 それは承知の上で「信じてよ」を受け取った【読者】の僕、の話もしたい、この歌を読んで熱くなった顔のその熱さのことを言いたい、と思うような心の動かされ方、のあった一首で、そうさせる力、過剰なまでのエネルギーを持ちうる、のもまた短歌っていうものなんだろうな、といま思っています。
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