Tumgik
hisako528-blog · 6 years
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2018.0312
今日の日記。
今日は3連休最終日。
ハードな日々を過ごした後のこの無意味な時間を過ごせる喜び。
ずっとドキドキワクワク、そんな、刺激的な人生を歩みたいのかなって思ってたけれど、きっと私の場合そうではなく、のんびり、穏やかに、好きな人たちと笑顔で生活を送る。地味でシンプルだけど、それが、一番求めてたことなのかなぁなんて、昨日を迎え、改めて思ったりした。
とりあえず、なにかを、無理に、どうこうして、ということが、何より苦手で。他人と競ったりもきらい。もうどうぞ、自然のままに。流れるままに。マイペースに生きたいと思う。とにかく、自分が穏やかな、おおらかな気持ちでいたい。それがいちばんの望み。
笑ってたい。
くだらないことで。
腹抱えて。
今日の春の柔らかな気候が、さらに、自分のそんな思いを強めてくれたような。
わからないけど。
また何かやりたい!と思うかもだけど。
でもベースは、穏やかに、かな。
そういやね、全然話し変わるのだけど、前に、お店に、ゲーム会社の人が来て色々話してて、私が仙台だって言ったら、こう言ってくれたのさ。
「仙台に事務所があって、新卒の面接とかもするのだけど、宮城、東北の若者は、やはり、若くして、あの未曾有の大災害を経験してるから、なにか、他の地域の子達とは違うんですよね。良い意味で。むしろ、明るくて、前向きで、地に足がついてる。そして、地元愛が強い。悲しい辛いできごとではあったけれど、でも、数え切れないほど多くのことを学んだはず。あの経験を糧にできた被災地の若者たちは、むしろ、強くて優しいと思うし、すごく期待してるんですよ。」
って。
それを聞いて、なんだか、めちゃめちゃ嬉しかったのを思い出した。
もちろん、あれだけの、災害。目に触れてないだけで、子供たちの心に、自覚できるもの、自覚すらできてない大きな傷や悲しみを背負っていると思うし、中には、PTSDで、まだまだ辛い思いで日々を過ごしている子も、現実問題としているのは事実。
でも、日本中、世界中から、あれだけたくさん支援をしてもらって、助けてもらって、応援してもらって。そのことに対する、感謝や、有り難みというものが、彼らの成長にどんな形で、寄与しているのだろう。それは、悲しみの大きさと同様、かなり大きな稀有な経験だったのではないか。
震災当日の2週間後に、ようやく東北道が開通して、実家に帰ることができたのだけど、まだまだ被害の少ない実家の地域でも、ガスの復旧がされてなくて、全国のガス局の車、広島ガスとか、の車が走ってて、あぁ、全国のひとたちみんなで、復旧のためにわざわざやって来てくれてるんだ、って、とても有り難くて、感謝の気持ちで泣きそうになったのを覚えてる。
やもすると不謹慎で、語弊もある表現となるけれど、その経験は、とても大きな財産となり得たのではないか。もちろん、良い側面だけではないけれど。
当時9歳だった甥っ子も、今は高1。
いつも、おどけて、ふざけているけれど、本当はとても、繊細で、優しくて、頑張り屋で、憎まれ口叩いてくるけど、それでも自慢の甥っ子。
彼の心の中は、どんな形として、あの経験がある息づいているのだろう。そんなことを考える。今度帰った時に、聞いてみようかな。
あの、凄まじい経験を乗り越えた子供たちに、アラフォーの私は尊敬の念を禁じ得ない。
全然日記じゃないじゃん!
でも、やはり、感謝なんだな。
今の幸せを噛み締めよう。
今日もありがとう。
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hisako528-blog · 6 years
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2018.0311
今日の日記。
あの日から7年。
何が情けないって、こうやって、3月11日がやって来ないと、あの日のことを、意思を持ってしっかりと思い出そうと、向き合おうとしないところ。
そこに自分の情けなさを痛感する。
別に常に考えてることが立派で、それができないなんてだめだ、と言いたいわけではないのだけど、ただ、自分が、自分だけに対しては、そんなことを思う。地元だからだろうか。
やはり、それでもずっとずっと、県外の人でも、ずっと被災地のことを考えて、支援を続けている人たちに、感謝しかない。
きっとその人たちもやりたいからやっている、と言いそうだけど、それでも、やはり、感謝したい。
福島産、元々、同志ということもあって、風評被害で苦しんでる人がいるのに、たとて、危険だとしても、わたしだけそれを避けて長生きしたって仕方ない、と思って、積極的に東北の方ものを食べてきたけど、もう今は、放射性物質は検出されてないとのこと。
でも、実際は、農家の人たちが抱えているのは、売れない、とか、お金が、以上に、自分たちは決して食べないものを、基準値以下だからといって出荷して、それを他の人たちに食べさせているという、罪悪感、罪の意識が、何より辛いんだって、東電や政府とのやりとりで、訴えてた。
なんかさ、自分の中で、安心したいから、美談で受け止めたい事柄がたくさんあるのだけど、きっと現場に行くと事情は違って。でもだからと言って、未来のために、という大義名分で、闇雲に危険を警鐘して、今、この瞬間、その地で前を向いて生きているひとたちに不穏な思いをさせるのも、なんか違うと思うし、本当に、答えなんてない。
答えを決めない。だからこそ、考え続ける。考えることを止めない。微力だけど、目の前の人にできることって、それぐらいで、その姿勢が伝わることで、その葛藤、自分への疑い、それが人間の「優しさ」というものに、近いんじゃないかな。
なんだかそんなことを思った。
毎年この日は、ずっと涙が出る。
花粉症も相まって、本当にひどい顔。
今度地元に帰ったら、沿岸に車を走らせ、自分の目で今を見てこよう。
そして、美味しい海鮮丼を食べてこよう。
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hisako528-blog · 6 years
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2018.0310
今日の日記。
一週間日記サボりました。
幕張である世界の食の祭典の、イベントでの仕事をして、そのあと銀座に出勤というハードスケジュール。寝不足も寝不足、一週間の家の総滞在時間は、24時間といったところでしょうか。
インドアの家だいすきっ娘(娘?婆?)からすると、家が名残惜しすぎて、うしろ髪ひかれすぎて、半泣き状態で、今生の別れ並みな思いで、毎朝家を出るという。
家にも主の殆どいない日々、寂しい思いをさせたことでしょう。
そして今回知った新たな発見というと、あまりに寝不足になると、目の下のクマにまったく嬉しくない深みが増すのはもちろん、さらに進むとタレ目になるんですね。クマとタレ目。上野と言うよりは、山東省のパンダかってぐらいに、きもいりの、本格パンダの様相を呈して、フラフラになりながら、一週間を亡霊のごとく浮遊して通り過ぎた。そんな感じ。
とにかく疲れた。疲労困憊。
いやぁそれにしても幕張とおい。
仕事のオファーをもらった時、安請け合いしたけど、幕張メッセって、ビッグサイトぐらいの距離と認識してたよね。
まぁ遠い。まぁ乗り継ぐ。
りんかい線も、大江戸線と張るぐらい地下に潜るし。
しかも銀座でも、断固としてもこの一週間は絶対入れるもんか!と決めてたアフターが入って、ママのお客さんで滅多に来ない人から誘われたから、断れず、がびーん!というショックとともに、半泣きでアフター行ったり。
まぁぁぁ疲れた!のひとこと。
でも総じて楽しかったけれど。
基本的に、人に恵まれるし、担当のVIPラウンジも、ハードじゃないし、面白いものたくさん見れたし、話聞けたし、だだっ広い会場が外国の市場みたいで、異国情緒あふれる楽しい空間でした。vipじゃないのにvip装って閉館間際にやってきてありとあらゆる飲み物を、アカデミー賞なみに総ナメにするエセVIPを、最終日でみんなで力合わせて撃退したり。
本当コントだよ。本当。面白すぎた。
でも、、、やっぱり忙しいのいやねー。
なので、一週間の睡眠不足解消のために、この休日の二日間は、超自堕落な生活をするのだ!ときめ、おすすめの映画をTSUTAYAで借り、図書館で笑えるエッセイを借り、自堕落さいこう!とばかりにダラダラした〜。幸せ〜。
今日観たトゥルーロマンス面白かったな。
バイオレンスシーンと、そうじゃない爽やか軽やかなシーンとのコントラストがすごい。ブラピの役どころが不可解で神秘的だけど、やはり存在感放つね。この前観た6歳のぼくが大人になるまで、で母親役だったパトリシアアークエットは、若い頃はあんなに綺麗だったんだ!今はなかなか目も当てられないほど、ご立派な体格となられたのに。
1994年の映画だから、24年前の映画ね。少し荒削りで大胆な恋愛模様。テンポの良い展開。でも、逆に今の映画って少し感情の機微の描写が細かすぎるかもね。好きだから好き!でいいじゃん、って思った。ハッピーエンドでよかった。
映画あまり詳しくないけど、そんな感想を抱きました。
あぁ眠れるって最高だな。
まぁそんな感じです。
明日もゆっくりしよう。
明日はあの日から7年。
そのことについても改めて思いをはせる日。
そこはかとない自戒の念を込めて。
今日もありがとう。
まったり。ゆったりした日々でした。
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hisako528-blog · 6 years
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2018.0304
今日の日記。
明日から始まる怒涛の5日間前の休日。
わーい何もない!
掃除やら洗濯やらして図書館で
村上春樹と群ようこの着物のエッセイと
ふと目に入った苫米地さんの本借りて
学大の平均律という喫茶店で
フレンチトーストとモカブレンドをお供に
読む。
アフターダーク。読んだような読んでないような。
基本的に、小説も映画も観たそばから忘れる。
ほかにもあらゆるカテゴリにおいて結構色々忘れる。
それが災いとなるときもあれば、救いとなるときもある。
ただ、興味のあることや、興味のある人に関しては、かなり細かく、かなりどうでもいいことを記憶してたりする。
でも、そうでもないひとや、ことでも、例外があったり。
久しぶりに来たお客さんと話してて、その人のことでピンと、とある結構ささいなこと、特に脈絡がないことを思い出して、それを伝えたりすると、「よくそんなこと覚えてたね!」と感心され、喜ばれたりする。
正直、その人が来るまでその人のことを一回も思い出すことなんてなかったことなどまさか言えず、あはは〜とやり過ごすのだけど、たまたま以前の結構どうでもいい記憶がその時に���と舞い降りただけなのに、すごく記憶力の良い、細かいところまで気遣いのできるホステスとか勘違いしてもらえることがあり、ごめんね、と思う。ぜんぜんなんだ。たまたまなんだよ。
あの突如として頭に舞い降りるひらめきはなんなのだろう。しかも結構どうでもいいささいなこと。ささいなことほど覚えててくれると、確かに、自分に興味を持ってくれてるのか、と嬉しくなるな。
そんなことを思いながら、時を過ごした。
夕飯はいなばのタイカレーで作ったタイカレー。
鶏むね肉と、豆乳と、ブロッコリー入れて少し彩りを添えて。
今日もありがとう。
来週は忙しい。
忙しいのすきではない。
でも頑張ろう。
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hisako528-blog · 6 years
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2018.0303
今日の日記。
セミナーのお手伝いの日。
見知ったメンバーで、和やかで、イレギュラーも特になく、特筆すべき点がなかった。みんな本当に優しい。楽しかった。
ドクターがたくさん来る講演会なのだけど、今回はスーツ姿の人が多かったな。スーツ着てネクタイしてると、MRのひとかドクターかよくわからないからやめてほしい。休日のドクターはネクタイなしでお願いしたい。
お弁当がなだ万で嬉しかった。
なんだか、自分では今の生活がもう普通すぎて当たり前になってるのだけれど、一般的に見たらかなり変わった生き方してるんだよなぁ。とふと思う。普通に会社勤めしてたらなかなか接点がない人たちと普通に会ってる。
銀座で働いてるとか、あまり普通は言わないのかな。私はプロのホステスではないし、まだまだあまちゃんだけど、今のお店もママも、一緒に働いてる女性も、お客さんもみーんな誇りに思ってるし、やましいことしているつもりも全くないから、全然普通に周りに言ってる。品もあれば気遣いもできて(私はできてないけど)なんだろう。みなさん余程、常識とか良識的にもきちんとしてるというか…。見習うことばかり。
銀座で働いてるって親に言った時、びっくりして特に父にはいい顔されなかったけど(当たり前か)、「私が誰かに騙されたりする可能性はあるかもしれないけれど、私が誰かを騙したり悪いことをすることはないからそれだけは安心して」と伝えた。
この言葉は結構自分の中の基軸になってる。
許してくれてるとは思わないし、引き続き心配かけてるかもしれないけれど、母は毎回帰るたびにママにお土産の萩の月を持たせてくれるし、父もこの前、本屋で銀座のお店特集の雑誌を買って来てくれた。心配だろうけど、それでもそういう点では信じてくれているのが有難い。私もそこだけは、安心してほしいんだなぁ。
もし、自分に子供ができたら、そういう意味で、親を安心させてくれる子供に育てたいな。何やってもいい。平凡に生きてもいいし、何か大きな夢を追いかけてもいい。いくつになっても。そうやって好きに生きてほしいけれど、周りから信頼される。そういう心が自然に培われるようなそんな子に。
えーと…まずは親である私が肝に銘じなきゃ。笑
別に良いひとじゃなくていいけど、いざという時に自然に良識ある行動のとれるひとに。
バロック音楽の流れる老舗の喫茶店で、珈琲飲みながらこれを書いてる。
優雅やー。
ほんの少し、小さな喫茶店とかやってみたいな、なんて思ったけど、多分明日は忘れてる笑。
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hisako528-blog · 6 years
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2018.0202
ひな祭り前日ということで着物着た。
和髪はよくわからないのでセットしてもらったら
かなり下目の、盛られた、極道の妻みたいなら髪型に。
草履はお店で他の女性のを借りることになってたので、極妻は、着て着た服などを持ち、大荷物で、下は靴を履き、小走りで銀座の街を走る。
視線が恥ずかしいけど仕方なし。
靴を履いた小走りの極道の妻。
なめたらあかんぜよ!
って心の中で叫ぶも、あれ、これはスケバン刑事だっけ?と、もうもはや自分が何かよくわからない。極道の妻の若かりし頃はきっとヨーヨー持ったスケバンだったのだろう。まぁだからいいか。
ママにも、苦笑される。
思いっきり着付けも髪も直される。
少しましになる。
キャッシャーのお姉さんにも、今のご時世こんなに襟を開けて着ら人なんていない!とどこで着付けた!と、着付けの人酷評される。
今度はちゃんとオススメしてもらった着付けのところで着付けしよう…。
髪も岩下志麻でもかたせ梨乃ではなく、ましてや、ナンノでもなく、普通にすっきりまとめてもらおう。
お客さんにはおおむね好評だった。(と信じたい)コスプレみたいで楽しかったからいいや。何事も経験ね。疲れたけど着物楽しかった。
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hisako528-blog · 6 years
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2018.0301
今日の日記。
今日から3月。早い。早すぎる。
今日は暖かかったな。
ステーキ食べた。
銀座の老舗ステーキ屋さん。
ヒレとサーロイン半分づつ。
最近ヒレ肉の美味しさがわかるようになってきた。
昔は脂の乗ったサーロインが、断然好きだったけど、大人になったのか赤身肉の味わいを好むように。
まぐろも、トロももちろん好きだけど、赤身のストレートな力強い魚!っていう感じの味がの良さが前にも増して好きになってきた。
ガーリックライス、通常のにんにくの4倍入りの特別バージョンらしいけど、仕事前に食べたよねぇ…。全くプロ意識なし。さらににんにくチップスものっけたし。
鉄板焼きは、髪にも服にも匂いがつくから、それが難点。
それにしても…ガーリックライス美味しい。あれは絶対家では真似できない。ステーキ肉の端のほうの脂身を炒め油に使ってる。
家でやったら「大蒜飯!」という感じで、にんにくばかりが強くなってしまうのだろう。ああはならない。にんにくの細かさも尋常じゃないもの。
家では納豆とか味噌汁とか玄米とかばあちゃんみたいな食事ばかりだから、こうやって普段食べないものを頂けるのは、有難い。良い経験。
今日はひな祭り前日で着物着る。
祖母が私にあげるためにとっておいてくれた着物を送ってもらって。母も着たらしい。どんな着物だろう。今日届く。楽しみ。小物がちゃんと揃ってるか心配だけど。
今日もありがとう。
美味しい日でした。
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hisako528-blog · 6 years
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2018.0228
今日の日記。
今日アフターで食べたのどぐろが美味しかったなぁ。のどぐろの煮付け。
あとは、はまぐり。
中トロも。
茶碗蒸しも。
生がきも。
お店の近くの和食屋さんなのだけど、いつ何食べても美味しい。
お客さんがなかなかのグルメの人のようだったけも、そのひとも、カニクリームコロッケ以外は全部美味しかった!とお店の人に言ってた。
うん。ここは何食べても美味しい。
島らっきょも美味しくていつもたべるけど、なかなかわがままなお客さんが、臭いから嫌い!と言ってたので、今回はパス。
たくさん食べて、眠くて早く帰りたかったけど、みなさん酔っててなかなか席立たず。
帰りたいなぁと思うとき、あぁわたし、今ものすごく帰りたそうな顔しちゃってるなぁ、と思いながらも、それをコントロールできてない自分をあぁ子供ね、と思うよね。
まぁ仕方ないよね。治らないな。とうとう顔だけじゃなく、バッグ膝の上に置いて帰りたいモードを能動的に滲みだそうとするもんね。まぁみんな酔ってるからそんなささやかなアピールに目もくれないけどね。子供というかむしろ単なるわがままだよな。食べるだけ食べたら早く帰りたいってね。良い意味でも悪い意味でも嘘つけねえな。ほんと。
最近、少し太った。
美味しいものたくさん食べてるから。
ありがたいけど。
今日もありがとう。
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hisako528-blog · 6 years
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2018.0226
眠くて寝てしまったので
昨日の日記。
買い物に行くのも面倒で
家にあるもので何か作れないかなーと
思い、桜海老と、ネギと、お好み焼き粉で
ネギ焼き作ったらおいしかったな。
卵もなかったから、水だけいれたのだけど
ちゃんとタネになったし。
マヨネーズとソースかけて。
かつお節かけるの忘れた。
立派な桜海老の香ばしさと
ネギの甘みと歯ごたえを楽しめる
かんたんお好み焼きのできあがり。
今日はキャベツ買ってきて
本格的に作ろうかな。
あの、ソースとマヨネーズのコンビ。
一回食べると、あれをかけたものを
なんだか数日食べたくなる。
軽い中毒になる。
ソースとマヨネーズの魔法。
今日もありがとう。
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hisako528-blog · 6 years
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2018.0225
今日は家でゆっくり。
6才のボクが大人になるまで。観終わった。
良かった。リチャードリンクレイター監督。良い。主演の、エラー コルトレーンも。姉役は、リンクレイター監督の実娘なんだ。イーサンホークは文句なくかっこいい。
ドラマティックな展開や、伏線、エンディング、盛り上がり、そういった一般的な映画に必要とされる要素はほとんど盛り込まれていなくて、ただただ、6才の少年が、本当に12年かけて成長していく過程を、その日常、家族や、周囲の人間との関わりを通して、描いた作品。
もし、あえて悪く言うなら、冗長と言えるかもだけれど、その展開にはたいして必要のない日常のささいな会話のシーンなどが、逆に、とても臨場感のあるリアリティを感じさせてくれる。
好き嫌いが別れる映画かもしれない。
私は好きだな。
12年かけて撮るっていう試み自体が、まず、素晴らしい。
その後にアンハサウェイのブルックリンの恋人を、観たけど、やはり、最後まで観られない…。アンハサウェイと相性が悪いのだろうか。
今日も良き日でした。
今日もありがとう。
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hisako528-blog · 6 years
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2018.0222
名古屋たび。
朝から疲れたー。
旅は旅として、それはまたよしとして
旅だからこそいろいろ考える。
とりあえず、あの人なら、理解してくれる
あの人なら、わかってくれてる。
わかってくれようとする。
考えてくれてる。
そう思ってもらえる存在であれたらなぁなんて。
そういう人がいたら
心強くないかな。
そして、それは単一方向への理解ではなく。
単一方向への理解は、その方向と
他方向との間に、溝を作ってしまう。
線をとにかく引きたくないのだ。
誰かひとりを守りたいと思ったその瞬間
その人に、はからずも、敵を作ってしまう。
その人を、はからずも、孤立させてしまう。
もう一歩、歩をすすめて
そうではなく
あらゆるひと
あらゆる方向性
あらゆる可能性を
見ようとする
理解しようととする「姿勢」。
そこに、調和を見出す姿勢。
何かと何かの間に
断裂を起こすのではなく
むしろ架け橋になる。
いくら考えても分かりっこないし
理解なんてできっこないし
わかったと思ったら終わりだからこそ
その姿勢を、なるべく忘れない。
少し時間も、回り道も要するけれど
たぶん、それがいちばんの良き道な気がする。
そのためには、待つ。
待つしかない。
そして、流れに任せよう。
今日は友とご飯を食べながら
わたしたちぼーっとしてると思われてるけど
あらゆるひとの
あらゆる物事の
あらゆる可能性
あらゆる背景を
考えてしまうから
意見がないのではなく
言葉を失って
何も言えなくなってしまうのだよねーわはは!
と手羽先を食べながら笑った。
今日もありがとう。
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hisako528-blog · 6 years
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名古屋たび
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hisako528-blog · 6 years
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2018.0221
愛されたいというよりは
わたしじゃなきゃ
と思ってくれる人のそばだと
わたしいてもいいんだ、と
思えるから
わたしじゃなきゃ
と思ってくれる人が
いいんだなぁと
思った。
わたしといて
相手が幸せかな?と考えて
気をつかうのが面倒なのだと思う。
兎にも角にも、気を使いたくないのだ。
相手が自分のこと好きなら
文句なしにわたしに愛されて
嬉しいだろうよ!
というドヤ顔の安心感を得たいのだろうね。
相手に何かして欲しいとかいうよりも
あなたにわたしは必要ですか?
ワタシココニイテダイジョブデスカー?
ということを確認したいのだと思う。
もし私以外の誰かといた方が幸せなら
私が独占したら悪いし!ひぃぃ!
っていう、謎の遠慮がある。
もちろん、誰でもいいというわけではないし
なかなか好きな人なんてできないけどさ。
ひとりが気楽だから好きな人がいなければ
付き合うこともなく
基本ひとりでいたがるし。
これが…
まさに…
自己肯定感のひくいってやつ!?
でも、前、スピリチュアル的な方に言われたのは
あなたは自分のために頑張れない人よ
と言われて、私ほど自分のことしか考えていない人間なんていないけど…?
と思った記憶がある。
でも。それは、何かしてあげたい、とかではなく
自分の幸せにあまり興味がないのかなって。
自分が幸せになることに
エネルギーがあまりわかないというか。。
ましてや、なにかを押しのけてまで…とか。
上昇志向も、ありそうで、ない。
なにかをゲットする!とか
最初は頑張るけど
途中で、まぁいいかぁ…と
なってしまう。
根性もないな。
愛されたいというよりは
必要とされたいのかな。
別になにもしないけど(しないのかい)
君がいると助かる!
とか言われると
お、おう、そ、そう?
と、まんざらでもない感じになる。
安心していられる。
嬉しい。
尽くしはしないけど
存在を必要とされたい。
みたいな。
めんどくさいなぁ。
でももう、変わらなそう笑。
拡声器を持って
ワタシヒツヨウナヒトイマスカー?!
と叫びながら街を疾走したいぐらいだ。
必要としてくれるなら
きっと、必要としてくれる限り
そばにいたいと思うぜ。
明日は名古屋!
富士山見て、テーラテールで朝ごパン食べて
常滑のやきもの散歩道を散歩して、原田晴子さんの
器を買って、夜は、友と合流!
旅は近くても楽しいなぁ。
友と久しぶりに会えるのが楽しみで
きっとほっとする。
私の数少ない、かなり、気の緩めるひと。
そして、お店は、まだノーゲスト…。
今日もありがとう。
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hisako528-blog · 6 years
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2018.0220
基本的に人間関係が
受身だなぁと思う。
面倒くさいのかな。
あまり自ら、誰かを誘うとかない。
人生も意外と受け身かも。
もはや、人生をかけて
何を成したい!
とか、そういうモチベーションがない。
何者かになりたい!
というのも。
ちいさなものはたくさんある。
今日もずっと、名古屋で頑張ってる
友に会いに明後日一泊で名古屋に行くのだけど
どのカフェでモーニングするか?
ということで、インスタとずっとにらめっこ。
ついた初日は、「テーラテール」という
美味しくて素敵な佇まいのパン屋さん
に併設されているカフェで
あんバタートーストを食べよう!
と決め、うきうきだ。
なんかね、食パンの形が
かわいいのだ。
それを写真に収めるのも楽しみだ。
あと、新幹線も、E席をとって
富士山は何分通過後に見れるのかな?
とかそこまで調べて
ふつうに楽しみなんですよ。
やっすいもんだなーと
思ったりもするし
寂しい女めとも
自分を揶揄したりもするけれど
事実として楽しみな自分がいる。
崇高な目標とか
誇り高き理想とか
湧き上がるエネルギーとか
そういうのないのかよ
と自分に喝を入れたいけれど
今はもうすこしこのまま
心を養いたいかな。
旅なんて
行く前にガイドブックやらの素晴らしく
撮れた写真を眺めて心を躍らせて
実際、現地では、たいてい自分の想像
より、体感としての感動は薄く
少し残念に思いながらも旅を終え
帰宅の途につき
また帰ってきてからは、その出来事を
自分の中で少しでも輝いたものであってほしい
という願いから、その意外に地味であった
その記憶を写真立てに
飾るがごとく、少し物足りなかった体感すらも
後から素晴らしかったということにしたりする。
せずには、いられない。
人生経験も同じ、かな。
きっと今うきうきして想像する
富士山を見た時のわたしよりも
実際見ているわたしは冷静なはず。
きっと今うきうきして想像する
テーラテールのあんバタートーストも
実際のわたしは、思ったよりも
黙々とくちにはこび、淡々とその
素敵なカフェで時を過ごすのだと思う。
あぁもっと感動するはずなのに、と
わずかなはがゆさを感じながら。
そして、インスタには1.5割り増しの
リア充ぶりをアピールしようとする
わたしが見て取れる笑。
まぁ、人生も、先を見ても
後から振り返って見ても
そんな感じなのだろうな。
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hisako528-blog · 6 years
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2018.0219
今日の日記。
仕事も予定もない。
大変に穏やかな1日。
大変に素晴らしい。
「あと1センチの恋」の続きを観て、すっかりリリーコリンズに惚れ込む。天使みたい。彼女の周りにはふんわりぼかしのような輝きがある。これがオーラというやつなのだろうか。
それに対して相手役の俳優は…うーん、及第点かな。まぁよし。最適まではいかないけど、適、かな。(偉そう)
映画を観てると���いかに、キャストが重要かがわかる。私は入り込めない映画は本当に最後まで観られないのだけど、それはストーリーのせいなのかなと思ってたら、どうやら、キャストによるものなのかも、と思った。
あ、あと、興味の持てないものに対する、集中力のなさが、一般の基準より、大幅に上回る性質も、大いに関与してると思われるけど。
リリーコリンズは、有無を言わさず、この人を見てたい!ってひとだった。
パリの18区それぞれで繰り広げられる18話のオムニバス映画、「パリ、ジュテーム」も、入り込めるもの、そうでないもの、結構はっきりわかった。
1番好きだったのは、パントマイムのお話と、地下鉄駅での一コマ、あとは、ムラカミの「スプトーニクの恋人」が出てきたものと、日本人監督が撮った幼い息子を亡くした母親の話。
パントマイムのお話は、「シュール」と「コミカル」の、掛け算で、あれは最初から惹きこまれた。フランスらしさが存分に出てた。
その後、アンハサウェイの、「ワンデイ」を観たけど、やはり、ね、集中できず…。好き嫌い激しすぎ。アンハサウェイは間違いなく存在感抜群なのだけど、相手役にあまり華がないというか…。華がないのが良い俳優だってたくさんいるし、華がないことが作品にとって良かったりもするのだろうけど、
それにしても、アンハサウェイと恋物語を演じる相手役としては、…私はどうしても感情移入できなかった。アンがこの人を好きになるとおもえない!と、気がつけばアンの好みを勝手に決めつけるお節介な、日本のいちアラフォーの視聴者と化していた。
アンハサウェイも綺麗ね。安定感抜群。スタイルはいまいちだねど(お前が言うな)
というわけで、途中で観るのやめた笑。
これからは、いくつかまとめて借りて、観たいものを観て、なんだか違うな…と思うものな、潔く途中でやめよう!今まではそれができなくて、映画を観るのが億劫だったり、苦手だったけど、観たいものだ観ればいい、という、至極基本的なルールを設けたことで、今後の映画ライフがさらに楽しくなりそう。
あーそれにしても、夕飯で食べた、鯖の西京焼きが美味しかった…。それに納豆に、高野豆腐とネギのお味噌汁。地味…笑 地味すぎる…。
パリに行きたい。
歩くの大好きだから、あてもなく、歩き回りたい。
ボーダー着て、まさしく、サブリナパンツで、レペットのバレエシューズ履いて。高めのポニーテールで。
誰か連れてってくれないかな。←基本的に他力本願。
今日も穏やかでリラックスして、素敵な1日でした。シャワー浴びながら、お湯って暖かいなぁと改めて感じました。
今日もありがとう。
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hisako528-blog · 6 years
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2018.0218
とことんけなす人でありたいって 言ってた人がいて。
当時はいまいちピンとこなかったけど、今ならわかる気がするんだ。
その人が言うには、世の中はやたら褒める風潮で
純粋に褒めるひとももちろんいるけれど、嫌われたくないと言う思いだったり、真剣にその人のことを考えずに
適当に褒めて、適当におだててる人が多いって。
それは、本当は他人に興味がないからで、他人事を自分事に捉えられないから。
褒められてばかりだと肯定されるばかりだと、成長しなくなる。
だから、自分はとことんけなす人でありたい。褒めるばかりの風潮の中、
そう言う存在も、必要だからって。ね。
けなすということは
嫌われるリスクを差し出してまでも
その人のことを本当に思って何かを言うこと。
本当にあなたを思っているのは誰?
そんなことをその人は言いたかったのだろう、と。
話は少し逸れて
私、身内を褒めるのがどうも苦手で。
手前味噌ってやつが。
これはもう好みであり身内を褒める人を見てもそうなんだ〜
としか思わないのだけど、自分自身が、親を尊敬してます!
とか
姉や兄のことが好き!
とか
何でだろう恥ずかしすぎて言えやしない。
なんだか自画自賛している感じで。
まぁ普通に仲は良い方だとは思うのですが。
でも、無理笑、違和感たっぷり。
なぜなら身内ってもはや自分と一体じゃないですか。
身内がなにかよそ様に粗相したら、身内に代わって謝るでしょう。
だから、身内を持ち上げるのが=自分を自分で褒めてる感じがして
何とも難しくて。
だから仮に、私の旦那さんがねそとで、うちの妻は素晴らしいです!
とか言ってたら、恥ずかしいからやめて!となると思う笑。
まぁ嫌な気持ちはしないけど、でもなんか嫌だ。
それはわたしにとっては身内のはずなのに、自分と一体のはずなのに、それを褒めるなんて
他人行儀な気がしてならないのだ。
だから、まぁ、あいつはどうしようもないです(苦笑い)ぐらいに言っててほしい。
だって、どうしようもないのに妻として、パートナーとして認定してくれて、そばにいてくれるのだから。
それ以上の愛はないだろうと私は思うのです。
あとね、あげまんとかあげちんとか
あれも嫌いね笑。身内を褒めないなんて
その逆を行くわけだけど、彼氏や旦那を褒めて、やる気を出させてかっこよくさせて、活躍させる。
うん、まぁ、素敵だとは思うし
そこに男性が喜びを見出せるなら
いいと思うけど、私は無理だな…。何だろう。コントロールかよって、結局自分が良い想いをしたいという下心があまり…。これがいわゆる幸せな恋愛のできないタイプってやつなんだろう。わはは。
でもさ、自分の大切な人が
アガる必要、アゲる必要がどこにある?
そのままのしょうもないその人を
愛せばいいじゃん。しょうもないねって。
相手もしょうもないままでそこにいて
愛されればいいじゃない。
奥さん家族を歓ばす!などという動機と
別のところで、その人は本当に自らが欲していること、もしくは欲していないこと、それを体現すればいいじゃん。
それすらもしょうもないと言われるかもしれないよ。
でも、しょうもないのに愛されてる!
って思ったら、なんでもできるのでは?
もしくは、本当はやりたくないこと
放り出せない?
変かなぁわたし。
でも、昔からどんな彼氏がほしい?
と聞かれたとき、「おちょくりあえるひと」と答えてきたのだけど、それは、こういうことか、とさいきん思った。
尊敬で好きになったとしたらいつかもはや尊敬できないくらい失望した時、どうするのだろう?
だったら最初から失望しているのに、期待もしてないのに、なぜか依然好きである、まるでメリットのない絆の方が強くないかい?
わたしはそんなことを思うのです。
だからまぁ、わたしも、大切なひと、自分と一体だと思うひとが、なにか他人に迷惑をかけたら、真っ先に怒るだろうし、非難するだろう。そしてすみません、と周りに平謝りすると思う。
そのひとをけなすと思う。嫌われるリスクを差し出しても、ね。なぜなら、自分と一体だと考えているから。その人のことを自分事として捉えるから。自分のことだから見て見ぬ振りなんてできるものか。と思うのです。
それでも、依然、好きでいてしまうのだろう。
しょうもないなぁと思いながらそばにいるのだろう。
だから、私が何か粗相をしたら、真っ先に誰よりも叱ってくれるひと、しょうもねえ!と言ってくれるひと、そういう人を望むのです。それは、ある意味において、しょうもないと言われながらも、この人は私を愛してくれているという信頼があるからこそ、欲することができるのだろう。
光と闇を、仮に、白と黒としたならば、片方だけの人なんているわけもなく、白と黒がぐっちゃぐちゃ。限りなく黒に近いグレーになるわけです。人間なんてみんなそんなもんなんです。その醜いグレーをそのまま、醜いねと言って、いとおしむ。
私はそういう恋愛を、したいなって思うのです。そして、普段褒めない人からたまに褒められたり、感謝されようものなら、飛び上がるほど嬉しくない?しかもそれが好きな人からの、言葉ならなお。
しょうもないとけなしつつ、そばにいる。好きでいる。愛している。
その言葉と行動の間のギャップが、まさしく、愛なのではないのだろうか。
でも、石井さんも言ってたけど、見えないもの聞こえないものを見ようとする姿勢、聞こうとする姿勢がお互いにないと、難しいのかも、しれないですね。
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hisako528-blog · 6 years
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2018.0217 その2
今日の日記つづき。
石井さんのお話聞いて
ランチでチャーハンと餃子を食べた。
私は世界でこの組み合わせに勝るものは
あんバタートーストとコーヒーぐらいじゃないか。
と思い、来週いく名古屋では必ずモーニングを
食べようと改めて誓う。まぁいいや。
その後ひとりで
三省堂行って、石井さんが紹介してた
奇蹟を求めて、を探したけど
在庫なくて、Hanakoのレトロ喫茶の
特集号を買い、それをコーヒー飲みながら
喫茶店で飲むのはなかなか乙だなと思い
喫茶店をぐぐり、ラドリオという喫茶店へ。
THE 喫茶店と言う感じ。
タバコだけが難点かなぁ…。
ブレンドコーヒーと
ラムレーズンの素朴なケーキ。
なかなかでした。
江古田周辺に
レトロな喫茶店がたくさんあるようで
散策するのも楽しそう。
そういや
お話を聞いて
震災後に気仙沼などに何回か
ボランティアに行ったことを思い出した。
役に立ちたいという思いより
とりあえず、行かなきゃという
思いだった。
排水溝のヘドロを掻き出したり
流された家の土台に散らばった
さまざまなものを拾い集めて
分別したり
お寺のお堂の下に潜って
ヘドロを掻き出したり。
でもさ、そこにいって
絶望とやるせなさしか
なかったよね。
ありがとうとか
助かったとか言われるけど
別に自分がやりたくてやっただけだし
むしろ、なんだかすみません、て。
私は帰る家があるけれど
この人たちにはこれからも
まだまだ苦しみと不便と
なにかを誰かを失った悲しみと
ともに生きて行かないといけない。
もうね、自分のやってることに
虚しさしかなくて。無力感しかなくて。
役に立てたなんて、喜びなんて
まるでなくて。
でもさ、それでも
その後も活動を続けているひとたち
この前もサンドウィッチマンは4億円とか
寄付続けてるって。
すごいなぁ。無力感や虚しさとともに
ありながら、淡々とやり続けた人たち。
誰かを助けても
他の誰かを助けられない。
この虚無感。
私の持っているもので
もしこの世に効率的に
役立てるものがあるのなら
神様どうか
それが何かを教えてください。
と、思ったよね。
でも、それが特にないのなら
ひっそり、今あるものに感謝をして
日々を穏やかに生きていきたいと
いう思い…かな。
わからない。
わからないけど、少なくとも
人生経験も、勉強も、人としての器も
まだまだな自分が
石井さんのようにストレートかつ
美しい言葉で、何かを伝えていく
ということはおいそれとできないと
最近は痛感してるので
とりあえず素直な発展途上の自分の
思いを日記に書いてる。
何か、ストレートではない形で
表現できないかなって
思ったりはしている。
今日はとりあえず、とてもとても、思考して
疲れたー。
時々にして、普段はささやかな喜びを
見逃さないようち
淡々と生きよう���
今日もありがとう。
タフだけど、濃い1日でした。
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