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日テレNFL中継スローバック 1988年の第1歩(後編)
増田隆生の放送席から眺めたNFL・第10回
日テレがNFLの放送権を獲得した88年シーズン、日本テレビアナウンス室(当時の組織���称)のNFL担当は入社20年目の吉田真一郎アナ、入社7年目の私、そして新人の福沢朗アナの3名でスタートしました。
89年1月に開催される第23回スーパーボウルの実況は、シーズン開始前からベテランの吉田アナに決まっていましたが、レギュラーシーズンは私を中心にシフトを組むことになり、そのことがアナウンス室長から伝えられたのは8月18日(木)のことでした。
NFLのシーズンインまで2週間あまり。当時はNFLに限らず、海外スポーツの情報収集は非常にハードルが高く、時間がない中で私は何から始めたら良いのか頭を抱えていました。
翌週の月曜日8月22日にNFL中継の解説に決まっていた故後藤完夫さんを訪ねて、港区芝公園にあった「TOUCHDOWN」編集部を訪問しました。インターネットが普及する前、その道の第一人者から直接話を聞くことが情報収集の王道だった時代です。
この時に後藤さんから教えていただいたのは、細かい話ではなくフットボールがどんなに楽しいスポーツか、ということでした。その時から、後藤さんとご一緒するフットボール中継は試合を伝えながら自分たちもフットボールを楽しみ、終始一貫フットボールの魅力を届けることを一番に心がけてきました。
このコラムの第3回、第4回に書きましたが、シーズン開幕直前の8月下旬にゴルフ中継でアメリカ出張があったのは非常にラッキーで、後藤さんに教えていただいたNFL関連のデータ誌「NFL Record & Fact Book」、「Football Register」に加えて、シカゴやニューヨークの書店を探し回ってプレビュー雑誌、ファン向けに編集されたペーパーバックなどを購入して帰国したのは、初放送の1週間前のことでした。
アメリカ出張中に各チームが発行する選手プロフィール満載のメディアガイドの存在を知りましたが、アメリカの書店でも売っていないし、どのように入手したら良いのか…。
手元にあるのはドルフィンズ対ベアーズ取材中にプレスボックスで手に入れたベアーズのもの1冊だけ。そこで私はダメ元で「NFL Record & Fact Book」に載っていた各チームの広報担当者宛に、メディアガイドを送って欲しいとFAXを送付するとともに、手紙を書いたのです。すると全28チーム中、24チームからメディアガイドが日本テレビアナウンス室に届いたのには自分でも驚きました。会社の��ターヘッドが印刷された正式なものでもなく、市販の便せんに手書きでしたためた私のリクエストに対して真摯に対応してくれたのです。

各チームから届いたメディアガイド現在も私の書棚にあり、時々見返しています。
相当量のガイド誌や書籍が集まりましたが、当然のことすべて英語のため中継の資料作りには、普段の何倍もの労力が必要でした。88年の秋から冬にかけては、受験勉強の時よりも英文和訳に向き合った時間が長かった自信があります。どうしても理解できない時、報道外報部の英語が得意な人に頭を下げて聞きに行ったのですが、辞書には載っていないフットボールの専門用語も多く「よく分からないな」「何だ、これは。文法がおかしいな」という答えが返ってきて、揚げ句には「もう少しまともな本を読みなさい」と言われる始末。
WRがワイドレシーバーだということも知らない人に聞いた私が間違っていました。
そんな中で、思わぬ助っ人が登場するのです。当時のニュース番組は、主音声が日本語、副音声が英語の2カ国語放送(その頃は音声多重放送と言っていました)だったのですが、その英語放送を担当していたアメリカ人アナウンサーです。
彼は私を見つけると「NFLプログラム見たよ。日本でサンフランシスコのゲーム見られるなんて信じられないよ」と、いきなり話しかけてきました。それまでほとんど面識がなかったのにです。聞けば、彼の故郷はサンフランシスコ郊外で、子供の頃から49ersとレイダーズを応援していたとのこと。そこで私は、訳すのに苦労していた箇所を彼に訪ねると��興奮した口調で、手取り足取りというか、懇切丁寧に本に書いてあることだけではなく、プレーのこと、49ersのことなどを教えてくれたのです。彼は、大好きなNFLの話を日本で出来ることが嬉しくてたまらなかったと後に聞きました。
この気持ち、NFLファンなら分かりますよね。
番組も回数を重ねると、選手のプロフィール系の資料は蓄積が出来るのですが、ゲーム情報が不足していました。「USA TODAY」紙が、金曜版にその週のゲームプレビュー、月曜日に試合結果とレビューを掲載していたのですが、日本国内では入手困難。私が調べた限りでは、帝国ホテル地下の売店で数日遅れのものが販売されていただけでした。
そこでまたも、思わぬところから助っ人が登場します。
ある日、アナウンス室に国際電話がかかってきました。「増田さん、お久しぶりです。覚えていらっしゃいますか。報道でアルバイトしていた時にお世話になっていました」。
報道局にニュースを読みに行くと、記者が書いた原稿をアナウンサーに届けるのは学生アルバイトの仕事でした。その学生アルバイトの一人が、アメリカンスポーツが好きでニューヨークに渡り、親戚の会社で働きながらジャーナリストを目指していたのです。
「日テレでNFLが始まったと聞いたのですが、僕で何かお手伝い出来ることありませんか。
NFLのために何かお役に立ちたくて」と申し出てくれたのです。
そこで、「USA TODAY」のNFL関連の記事を毎週ファックスしてもらうことにしました。
もちろん、アルバイト料を支払ってです。このファックスは、中継資料に深みが出るので、本当に役立ちました。インターネットが発達した現在と比べて、情報一つ一つの価値が非常に高かった時代のエピソードです。
因みに件の学生アルバイト出身の彼は、その後日本の新聞のアメリカ法人でスポーツを担当し、NFLの現場で何度もご一緒する機会がありました。
情報収集が簡単ではない時代でしたが、どこからともなくNFLやフットボールが好きな人物が登場して初期の中継を支えていたといっても過言ではありません。
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