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hitotsudake19-blog · 12 years
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アンチ・スペクタクル
アンチ・スペクタクル : 沸騰する映像文化の考古学 (アルケオロジー) / [ダイ・ヴォーンほか著] ; 長谷正人, 中村秀之編訳||アンチ スペクタクル : フットウ スル エイゾウ ブンカ ノ アルケオロジー
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hitotsudake19-blog · 12 years
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反復
人間の毎日の進化、発見、前進、、、それらは基本的にその裏にある絶対的な反復と日常によって、あるいは鼓動によって支えられている。それらなしには、発展することができないのだ。長谷真人はベルグソンの『笑い』について、人々がチャップリンの機械的反復を笑うことによって、自己の変化、生成を認識する、そこに笑いの意味がある。と語っている。
重要なのは、いつでも日常の差異を手に掴みながらも、その背後にある、絶対的な反復に身を委ねる事を忘れない事である。それに従うこと。それを手放さない事。
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hitotsudake19-blog · 12 years
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森直人さん ブログより
ちょろちょろっと
ああ、しめきりが・・・・ という具合に遊んでいるわけですけども。 最近、居間に置いてある本やCDを舐めようと狙い始めているのがおそろしいです。 先にどうでもいいことを書いておくと 最近、駅弁がデパちかとかで売りすぎて「駅弁」じゃなくなってきたなー。 最初はうれしかったんやけど。 まあ、ボーダーが決壊する時の感じってこんなもんですよね。 で、ちょろっと告知。 本日(実は昨日)発売の「サイゾー」、月刊カルチャー時評のページで 『桐島、部活やめるってよ』について、宇野常寛さんと対談させてもらっています。 これは本作のとりあえずの総括として最もまとまっているのではないか、と思いますので 是非ご一読いただければと! あと明日(実は本日)出るはずの「T.」では『悪の教典』と『ふがいない僕は空を見た』レビューを。 週明けに出る「週刊プレイボーイ」のクロスレビューもその組み合わせですね。 あとちょろっと近況なんですが 先日、ブラッドサースティ・ブッチャーズの「血に飢えた四半世紀ツアー」の東京ライヴ(@渋谷WWW)に行ってきました。 本当堪能しました、この音空間と振動を。 前半の「August/8月」で最初に泣きそうになったな。そんな11月某日。 ちなみにコレ(↓)は笑ったなー(「サイゾー」12月号より)
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hitotsudake19-blog · 12 years
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安田さんの記事
バリ島と言えば
南の島、故に白い砂浜、透き通った海、珊瑚礁などを思い浮かべる方も多いと思います。 しかし、それは誤解です。 それらを求めてバリ島に行くと幻滅いたします。 美しい海がご希望であれば、モルディブやフィリピンやタイなどの、他の島へ行くことをお勧めします。 バリ島の魅力は、海ではなく、むしろ内陸部にあるのです。 美しい自然、棚田(ライステラス)、渓流、せせらぎなどの絶景、のどかな村の風景、お祭りの寺、夜の芸能をはじめとする、文化・芸術の素晴らしさ。 舞踊を観に行った後、田んぼのあぜ道を通り、宿に帰る道すがら、満天の星空に蛍が舞う。 部屋で、昼寝などしていると、ジャングルの向こうから、ガムランの音がかすかに風に乗って流れてくる。 眼に見えるもの、耳に聞こえるもの、五感に感じられるもの全てが、心地良い。 このままここで死んでしまってもいいと思わせるほどです。 バリ島に初めて行く方も、ぜひウブドなどの内陸部にしばらく滞在していただきたいと思います。
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hitotsudake19-blog · 12 years
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via Hukuinobuhiro 
◇ translations|CAMP[戦争について #1] - blanClass+column
今週は、11/8(木)に、日本語以外を話す人とも、通訳をしながら、話し合っていきたいという、CAMP企画による月1のシリーズ[transrations]がはじまる。ゲストには、Okin Collective(アーティストグループ)、粟田大輔(美術批評)、水田紗弥子(キュレーター)と私も参加して、「戦争について」韓国語、日本語(日韓逐次通訳)で話し合いをします。これまで、ゲストも参加者も垣根なくさまざまなディスカッションするシチュエーションを仕掛けてきたCAMPだが、たいがいは日本語でおこなってきた。blanClassで今回CAMPが提案するのは「翻訳」自体を考えながら、同時に「対話」との共存と実践を試みる。言葉の時差とズレを体感しながら、一緒にディスカッションしましょう。
CAMPが用意した質問は
1: あなたにとっての戦争のイメージとは?
2: あなたにとっての戦争を考える経験とは何か?
3: 戦争はアートにどのような影響を与えているのか?
4: 戦争を別の言葉で言い換えてみるとどうなるか?
5: 戦争はどこで起こっていて、なにがそれを引き起こすのか?
6: 戦争はいつ終わるのか?
7: 戦争がなかったらどういう世界があると思いますか?
8: 戦争について話し合うことはどういうことなのか?
http://d.hatena.ne.jp/blanClass/20121106/1352205000
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hitotsudake19-blog · 12 years
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関口正夫展
今回は20点程、OguMAgで。今回の展示写真で面白かったのはやはり関係ない人物の中に関係が生まれているような写真であろうか。よくあるスタイルではあるんだけど、なぜかすごくよく見れる。ただ、それに比べて普通にひとつの物/人が中心にあるような写真は少し単純過ぎというか個性が見えなかった様に思う。家の写真だけは別で、何がすごいのか言語化まったくできないけどすごかった。切迫するような。いまはもうないとのこと。「スナップ〜」購入。
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hitotsudake19-blog · 12 years
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内田樹
577校の入学定員充足率は104・19%。 130%以上……4校 120%台……36校 110%台……146校 100%台……127校 90%台……74校 80%台……69校 70%台……47校 60%台……36校 50%台……20校 50%未満…18校
定員割れしている大学の割合は264校/577校=45・75%。 規模別の定員充足率(入学者/入学定員)は次のとおり。 100人未満 ……91.12% 100~200……88.83% 200~300……91.14% 300~400……95.38% 400~500……93.80% 500~600……93.65% 600~800……95.96% 800~1000 …101.71% 1000~1500 ……106.94% 1500~3000 ……110.55% 3000以上  ……109.62%
入学定員800人が+-の境目になっていることがわかる。 以下は小林さんのコメント。 「上記のデータを都道府県別に分類すると、規模が大きい、および定員充足率が高い大学は都市部に集中し、地方大学が厳しいという状況になります。 万が一、定員充足率が満たない大学が切り捨てられるようになれば、地方大学から削られていくことになります。 大学の特定地域への一極集中、そして、特定大学への一極集中。 これでいいのかと、大いに考えさせられます。」 まことに大いに考えさせられる事態である。
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hitotsudake19-blog · 12 years
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増田展大「交換可能な身体――初期アニメーションにおける身体表象について」
1990年代以降、デジタル技術が前景化するに伴って、一部の映画論ではアニメーションというメディウムが脚光を浴びつつある。そこで頻繁に参照点となるのが、およそ半世紀前にS・エイゼンシュテインが断片的に残していたディズニー作品についての記述である。そのなかで彼は、どんな形象にも変身可能である可塑的な身体表象を「原形質性」という概念によって描写していた。しかしながら、この概念はさまざまな事例に応用される余り、それ自体が流動的な概念になりつつもある。そこで本発表では、この原形質概念の応用を批判的に検証すると同時に、その比較対象としてディズニーのライバルともされるフライシャー兄弟の作品に着目する。とりわけ、彼らによる身体表象とその制作方法の分析によって、アニメーションというメディウムの核心に位置すると考えられる身体運動を浮き彫りにしてみたい。
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hitotsudake19-blog · 12 years
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デリダーレィストロースの関係
デリダによる批判 [編集]
橋爪大三郎の分析によると、
ジャック・デリダは従来のパロール(話し言葉)中心の言語分析(ロゴス中心主義、音声中心主義と称される)に反対し、エクリチュール(文字)を重視せよと主張していた。
そのデリダから見ると、レヴィ=ストロースは音韻論を人類学に持ち込み、なおかつ社会が出来てから文字が出来るという後成説を採っているので、デリダの批判するロゴス中心主義者と写る。
そのためデリダはレヴィ=ストロースを批判したとされる。
しかし同じく橋爪大三郎の指摘によれば、レヴィ=ストロースの主張とデリダの批判の間には噛み合っていない部分が多く、またレヴィ=ストロースの専門(人類学)とデリダの専門(言語分析)は必ずしも矛盾しないとされ、すなわちデリダによる批判という見解にはやや的外れな点があるとされる。
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hitotsudake19-blog · 12 years
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美術手帖
2012-11-11 20*12*11*11
■20*12*11*11 
■日本の貧困対策がどれほど貧困かよく分かる数字(秋原葉月) - BLOGOS(ブロゴス) 
http://blogos.com/article/49904/
■ポリオミノ - Wikipedia 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%9F%E3%83%8E
■King Crimson (Live In Japan) - YouTube 
http://youtu.be/giKVNoTDvOE
■語り得ないことを語る - 日本におけるイェリネクの戯曲 - Japan - ドイツと日本 - 演劇とダンス - Goethe-Institut 
「道徳的なグレーの数値が本当にたくさんあるということ、それは認めよう、それにしてもこれらのパンフレットは色彩豊かだ。だれが処刑者でだれが犠牲者なのかはもはや見えなくなっている。しかし本来それを見る必要はないのだ。というのも、それは分類の問題で、この分類はいつでも変更ができるからだ…」と挑発的に語るのはイェリネクの「レヒニッツ(皆殺しの天使)」で報告者の一人を演じる俳優のアンドレ・ユンゲ。
エルフリーデ・イェリネクは残忍に書く。彼女は小説や戯曲で、国家社会主義やホロコーストの抑圧(『雲。家。』1988、『死者の子供たち』1995)から、資本主義の暗部(『レストハウス、あるいは女はみんなそうしたもの : 喜劇』1994)、女性に対する永遠の弾圧や性闘争(『ウルリケ・マリア・スチュアート』2006、『獣たちについて』2006)に至るまで、日常の衣装をまとって我々の社会に浸透している人間の深淵をえぐり出す。イェリネクは我々の地下室にある屍を、そのすべての腐敗の程度において描き出す - 抽象的に、そして偽りなく。この彼女に特有の「声と反対の声の音楽的な流れ」によって、イェリネクは2004年、ノーベル文学賞を受賞した。
http://www.goethe.de/ins/jp/lp/kul/mag/the/ja10096470.htm
■再録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20110123#p7) 
■Frieze Foundation | Talks | Who Owns Images?
In today’s digital world, even the most basic laptop or phone comes with tools allowing us to process pictures, video or sound. How do changes in technology affect the ownership of images?
Geeta Dayal (Arts, music and technology Writer, USA)
Thomas Demand (Artist, Germany)
Kazys Varnelis (Director of the Network Architecture Lab, Columbia University, New York, USA)
Chair: Sam Thorne (Associate Editor, frieze)
http://www.friezefoundation.org/talks/detail/who-owns-images/
■メモ:1968-1982年の『美術手帖』について 
◇ 美術手帖1963年2月号 - こちらWORKS ON PAPER商品管理部
「視覚・TOKYO」東松照明
http://d.hatena.ne.jp/worksonpaper/20090126
◇ 美術手帖1971年5月号/概念の芸術と芸術の概念 - こちらWORKS ON PAPER商品管理部
【巻頭口絵 】「ビートルズ」構成・デザイン:横尾忠則
http://d.hatena.ne.jp/worksonpaper/20080616
◇ 美術手帖1971年9月号/ものみな複製の時代に - こちらWORKS ON PAPER商品管理部
「図版構成:わが複製〈第三複製帝国興亡の記録」木村恒久
http://d.hatena.ne.jp/worksonpaper/20080611
◇ 美術手帖1972年6月号/〈真なるもの〉の神話ー写真と芸術 - こちらWORKS ON PAPER商品管理部
「〈写真とアート〉私の場合」
http://d.hatena.ne.jp/worksonpaper/20080531
◇ 美術手帖1972年7月号/写真と記録 - こちらWORKS ON PAPER商品管理部
「図版構成:隠れた説得者」構成:木村恒久、多木浩二
http://d.hatena.ne.jp/worksonpaper/20080530
◇ 美術手帖1973年5月号/〈表現〉から〈メディア〉へ - こちらWORKS ON PAPER商品管理部
「写真〈東京1930-40〉」桑原甲子雄
「中西夏之1968-1973」
http://d.hatena.ne.jp/worksonpaper/20080626
◇ 美術手帖1973年6月号/記号とメディア - こちらWORKS ON PAPER商品管理部
「記号とメディア」図版構成・対談:木村恒久+多木浩二
「資本主義リアリズム講座」赤瀬川原平
http://d.hatena.ne.jp/worksonpaper/20080625
◇ 美術手帖1973年11月号/フォトモンタージュ - こちらWORKS ON PAPER商品管理部
特集=フォトモンタージュ
http://d.hatena.ne.jp/worksonpaper/20080622
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※以下、「雑誌バックナンバー販売 [art-blue]」http://art-blue.jp/ より
◇ 美術手帖・増刊 1968年12月 Vol.306
写真・いま、ここに
図版構成:
写真の特性と表現 構成・文=大辻清司
TEXT:
虚構が行為を促すために 岡田隆彦/現代写真のメカニズム:保積英次
作品'68:
新倉孝雄+横須賀功光+高梨豊+森山大道+多木浩二+小川隆之+北井一夫+中平卓馬+立木義浩
座談会:いま写真家であること 高梨豊×中平卓馬×横須賀功光×司会=中原佑介
図版目録・文献:
別刷口絵:石元泰博+東松照明+奈良原一高+細江英公
写真史年表:作成=平野久 レイアウト=巽亜古
表紙:構成=勝井三雄 写真=大辻清司
http://art-blue.jp/bt/sp1960/196812.htm
◇ 美術手帖 1969年02月 Vol.309
現代芸術とテクノロジー
text:
手の失権-シンボルとしての機械と手工的思考 宮川淳/機械時代の終りに立って-[THE MACHINE]EXHIBITION 磯辺行久/芸術-技術-業E.A.T.[SOME MORE BIGINNINGS]EXHIBITION 白南準
http://art-blue.jp/bt/1969/196902.htm
◇ 美術手帖 1969年04月 Vol.311
インターメディアとはなにか
text:
芸術をのりこえるもの 石崎浩一郎/ひろげられた空間への回路 湯浅譲二/クロス・トーク/インターメディア  ロジャー・レイノルズ+秋山邦晴 写真=大辻清司+酒井啓之+新倉孝雄+佐治嘉雄+寺本宗男/新しいテクノロジーと芸術家 ビリー・クルーヴァー
http://art-blue.jp/bt/1969/196904.htm
◇ 美術手帖・増刊 1969年05月 Vol.313
人間とテクノロジー
テクノロジーと芸術の歴史的展開-坂本正治+高田修地(付録1-無し)
誌上シンポジュウム-現代社会とテクノロジー(鎮恭夫)/テクノロジーとイマジネーション(中原佑介)/人口頭脳と思考(大木幸介)/ロボットとオートマン(渡辺茂)/テクノロジーと新しい視覚芸術(G.ケペッシュ)/未来の芸術(N.シェフェール)/芸術家と技術者(B.クリューヴァ)/サイバネティックスと芸術(山口勝弘)/コンピュータ・アート黙示録(幸村真佐男)/コンピュータと音楽(松平頼曉)/作家の言葉(S.フォン・ヒューストン、L.フェデリクソン、伊藤隆康、他)
ディスカッション「芸術とテクノロジー」-秋山邦晴、伊藤隆康、幸村真佐男、他
'60年代の芸術とテクノロジー-岡田隆彦
ルポタージュ「EXPO'70」その実験の背景(北村由雄)/アメリカに見るグラフィックとエンジニアリングについて-J.ライハート
国際サイケデリックアート展カタログ(付録2-無し)
http://art-blue.jp/bt/sp1960/196905.htm
◇ 美術手帖 1969年11月 Vol.319
マルセル・デュシャン
text:
マルセル・デュシャン-その人と作品 粟津則雄/観念の芸術は可能か-オブジェ思想の正体とゆくえ 李禹煥/晩年のデュシャンとチェスゲーム 久保田成子
座談会:
デュシャンを乗りこえるもの 飯村隆彦×宇佐美圭司×小杉武久×高松次郎×東野芳明
http://art-blue.jp/bt/1969/196911.htm
◇ 美術手帖・増刊 1970年07月 Vol.330
EXPO'70 人間と文明
万国博跡地利用の提案
ポスト万国博-浅田孝/物質は消滅すべし-松沢宥/ネガロポジロスへの提案-進来廉/歩くスペース-長新太/万博撤去の跡地に万博を建造する-赤瀬川原平/世界都市計画環境管理センターと都市博物館-戸村浩/真の未来都市「テル・ルーデンス」の建設-仙田満
幻のパビリオン
アメリカ館/東芝IHI館/電力館/三井グループ館/サントリー館/マッシュバルーン/イタリア館/せんい館/ガスパビリオン/ワコール・リッカーミシン館
祭り-泉靖一/現代の祭りとお化け屋敷-辻村明/ネショナル・プロジェクトとしての万国博-坂本二郎/情報とメディア-後藤和彦/二つの文化と環境への志向-山口勝弘/文明の構造の部分として-伊藤隆康/物としてのデザイン-泉真也/「最終走者」の自由と孤独-淀野隆之/万博で考えた21のこと-福田繁雄
写真EXPO'70-新倉孝雄ほか
EXPO'70演出の技術
空気と水-中谷芙二子/光・ディスプレイとしての実験的試み-小南忠明、大熊俊隆/光・多様性とその世界の拡大-石井幹子/空気構造-沖種郎/制御機構-月尾嘉男/私のロボット-相沢次郎
http://art-blue.jp/bt/sp1960/197007.htm
◇ 美術手帖 1970年08月 Vol.331
カメラによって-現代写真の位相
text:
生の証人たち-錯乱の映像のなかで 桑原甲子雄
座談会:機械とともに見る-「沈黙」と「現在」の思想 森永純×内藤正敏×栗原達男×中平卓馬×刀根康尚
口絵:[人間への好奇心] 構成=山岸章二
森真一+土田ヒロミ+立木三朗+新正卓+川田喜久治+立木義浩+森山大道+小林正昭+奈良原一高+牛腸茂雄+高梨豊+富山治夫+中西浩+東松照明+横須賀功光+小川隆之+矢頭保+鈴木清+柳沢信+諸星和夫+鋤田正義+佐藤明+一村哲也+篠山紀信+細江英公+田村茂+沢渡朔+深瀬昌久+久保田博二+石元泰博+秋山亮二
http://art-blue.jp/bt/1970/197008.htm
◇ 美術手帖 1970年11月 Vol.334
地下映画
text:
実験映画の歴史-隠れた怒りからおおっぴらな怒りへ ドナルド・リチー/アンダーグラウンド映画の終り シェルドン・レナン/暗闇の視線を追って-日本の状況 波多野哲朗/ヨーロッパの地下映画作家たち 松本俊夫
http://art-blue.jp/bt/1970/197011.htm
◇ 美術手帖 1971年05月 Vol.342
概念芸術と芸術の概念
text:
眼にみえない芸術 中原佑介/知的表現の奪還へ 藤枝晃雄
http://art-blue.jp/bt/1971/197105.htm
◇ 美術手帖 1971年09月 Vol.346
ものみな複製の時代に
text:
極私的複製絵画潜り 鈴木志郎康/ベンヤミン以後-複製と芸術の今日的課題 針生一郎/アウラ-芸術の外傷体験 刀根康尚/生のアウラから-脱複製技術時代の組織 峯村敏明/西郷札伝播考-戦略としての複製技術 木村恒久
図版構成:
わが複製-第三複製帝国興亡の記録 編=木村恒久
私にとって[複製]とは何か:作品を盗まれて、むしろうれしかった 横尾忠則/複製とは、すなわち私のこと 島洲一/複製概念と戦後民主主義の凋落 赤瀬川原平/ひざまずき、複写機となって 荒木経惟
http://art-blue.jp/bt/1971/197109.htm
◇ 美術手帖 1972年06月 Vol.356
〈真なるもの〉の神話-写真と芸術
text:
”歴史”はもはや商品である-パースペクティヴ喪失時代の映像 内村剛介/他者の侵入-写真の非創造性について 岡田隆彦/自由主義芸術を超える-ハンス・ハーケの仕事 エドワード・フライ/写真的リアリズムの欲望-シャープ・フォーカス・リアリズム展を見て 大石尚/写真へのアジテーション 黒沼康一/美術と写真-その歴史的展開とこれからのゆくえ アーネスト・サトウ 訳=松岡和子
図版構成:MU-REALISM 図版構成=大久保隆史ほか
エッセイ:
写真とアート-私の場合 理論もへちまもございません-[描く]才能に恵まれただけです 辰巳四朗/イメージの覚え書き、あるいは想像力の媒介として 池田満寿夫/僕の存在そのものがメディアであり、表現のすべてである 森山大道/〈なにがカメラに写るか〉-とりあえずそのことが問題 榎倉康二/写真を〈もの〉にするために-現実と写真との隔たり 河口龍夫/”嗚呼、すれちがい大悲劇”-美術家ゆえにカメラを回わして 柏原えつとむ
http://art-blue.jp/bt/1972/197206.htm
◇ 美術手帖 1972年07月 Vol.357
写真と記録-イメージ操作の構造
図版構成:
隠れた説得者 構成=木村恒久+多木浩二/不安のセールスマン 大久保隆史+小野雄一+柊光紘ほか
text:
記録という幻影-ドキュメントからモニュメントへ 中平卓馬/封じられた擬似現実 柳本尚規/広告のゼロ度の探究-アメリカ広告の印象批評 長沼行太郎/シャッター・チャンスの官僚性について 赤瀬川原平
http://art-blue.jp/bt/1972/197207.htm
◇ 美術手帖 1972年12月 Vol.361
フィルムとヴィデオ
text:
認識から表現へ-時間と空間の関係構造とは? 辻勝之/アンダーグラウンド・シネマはどこへ行ったか ふじじいせいいち/アメリカのヴィデオ・フリークたち
インタヴュー構成:以心伝心みえない言語-ビデオを探る 編集部
特集番外:日常の縦糸に批評の横糸をいかに織るか 邦和彦
http://www.art-blue.jp/bt/1972/197212.htm
◇ 美術手帖 1973年02月 Vol.364
緊急特集:著作権裁判をこえて
text:巷談『怪物商法』写真家版-アマノ、白川裁判第一次顛末記 柳本尚規/コップの片面での裁判だ-[権利]と[表現]の間で 木之下晃
アンケート:アマノ 白川裁判をどうとらえたか
座談会:映像の帝国 木村恒久×中原佑介×中平卓馬×針生一郎×司会=多木浩二
http://art-blue.jp/bt/1973/197302.htm
◇ 美術手帖 1973年05月 Vol.367
表現からメディアへ
http://art-blue.jp/bt/1973/197305.htm
◇ 美術手帖 1973年06月 Vol.368
記号とメディア対談
対談:木村恒久×多木浩二
なぜ「ライフ」か/「ライフ」から「プレイボーイ」へ/ステレオタイプ化現象/メディアの生産力/認識の構造と〈模型〉/現代のイコノロジー/記号の消費���はなにか/記号論の目標
text:PFLP=パレスチナ人民解放戦線のポスター 解説=東庄平
http://art-blue.jp/bt/1973/197306.htm
美術手帖 1973年10月 Vol.372
マン・レイ
text:光人録-マン・レイ ドキュメンタージュ 中原佑介/〈ヒト・放射線〉-コラージュ的生き方 山口勝弘/マン・レイとの出会いのことなど 吉岡康弘/見つめられた時間の表面 井上武吉/いそがしい皮肉屋-マン・レイを語る 宮脇愛子
http://art-blue.jp/bt/1973/197310.htm
◇ 美術手帖 1973年11月 Vol.373
フォトモンタージュ
text:
イメージ合成術-都市の生んだレトリック 多木浩二/ダダ技師の”政治”-ジョン・ハートフィールド論 針生一郎/壁にぶら下がった革命派-アメリカのプロテスト・ポスター 宮原安春
対談:映像=大衆 大衆=映像-木村恒久における”わが闘争” 木村恒久×津村喬
http://art-blue.jp/bt/1973/197311.htm
◇ 美術手帖 1974年02月 Vol.378
プリンティング・アート
text:
物体の記号化-刷ることの欲求 岡田隆彦/ドーミエと七月王政-社会諷刺・マルチプルとしての石版画 アーネスト・サトウ/〈川上澄生-その全貌展〉から-漂泊の詩精・趣味と生活の地平から 竹山博彦
座談会:
グラフィズムのなかの〈版〉 靉嘔×粟津潔×木村光佑×下谷千尋
http://art-blue.jp/bt/1974/197402.htm
◇ 美術手帖 1974年04月 Vol.380
現代美術と公共性-表現のシステムと大衆化の構造
text:生きられるシステム 峯村敏明
対談:だれのための芸術か 木村恒久×中平卓馬
芸術のレクチュール2
text:シーニュとしてのレトリック-芸術のカタログ化の理論的前提 宇波彰
対談:視覚芸術とレトリック 宇波彰×多木浩二×針生一郎×山口勝弘
http://art-blue.jp/bt/1974/197404.htm
◇ 美術手帖 1975年09月 Vol.398
自画像-もうひとつの「私」
text:
危機における自己確認 中山公男/仮面のなかの自画像 大島清次/眼差しに問われて 織田達朗/ジキル博士とハイド氏-自画像の変貌 池内紀/顔を描いてしまった人へ 中西夏之/循環する肖像画の計画1969-1970 中西夏之
http://art-blue.jp/bt/1975/197509.htm
◇ 美術手帖 1976年09月 Vol.411
引用の文化-白川=アマノ著作権裁判の記録
http://art-blue.jp/bt/1976/197609.htm
◇ 美術手帖 1978年12月 Vol.442
写真の座標-神話の定着と拡散
http://art-blue.jp/bt/1978/197812.htm
◇ 美術手帖 1980年03月 Vol.462
美術に拠る写真、写真に拠る美術
text:
読む美術-抽象現実主義 中原佑介/存在にさす移ろいの影-写真の彫刻化彫刻の写真化 峯村敏明/塩と蜂蜜のあいだ チハーコヴァー・ヴラスタ/美術を言挙げする写真 上野昂志
アンケート:私の作品と写真 今井祝雄+大阪日出男+小本章+斎藤智+野村仁+眞板雅文+矢田アキ+若江漢字
http://art-blue.jp/bt/1980/198003.htm
◇ 美術手帖 1980年06月 Vol.466
パロディー再考-写真著作権裁判最高裁判決をうけて
口絵構成:
引用のパッチワーク/パロディー裁判考-シンボーの素朴な疑問
座談会:写真表現のこれから 木村恒久×西井一夫×藤原新也×倉田精二
アンケート:
いわいるパロディー写真裁判の最高裁判決に対し、あなたはどのようにお考えになりますか? 赤塚不二夫+秋山亮二+石岡暎子+鈴木志郎康+野坂昭如
text:
超オリジナルの時代へ 上野昂志[資料集+解題]-問題意識の風化 柳本尚規
http://art-blue.jp/bt/1980/198006.htm
美術手帖 1980年11月 Vol.472
地図-私たちは何処に居るのか
図版構成:
text:
想像と好奇の絵図-「イティネレール」をめぐって 堀越孝一/未来という裏側 岡村多佳夫/地図の神話と歴史 大室幹雄
http://art-blue.jp/bt/1980/198011.htm
美術手帖 1981年03月 Vol.478
写真家名鑑-海外編=写真史の101人のプロフィル
コラム:
写真小史 「肖像」の所有+写真印画の発明とニエプス+〈ダゲレオタイプ〉と〈カロタイプ〉+写真事始め+もう一つの自然-ピグメント印画法+空撮写真家ナダール+最初の写真集『自然の鉛筆』+フォト・ジャーナリズムの幕開け+絵画と写真+写真のラファエル前派+カラー写真+ダダと写真+二つの写真展-「ファミリー・オブ・マン」展と「ダイアン・アーバス」展+ロラン・バルトの写真論+鏡と窓-あるいは芸術と記憶 執筆=飯澤耕太郎+宋正弘
http://art-blue.jp/bt/1981/198103.htm
◇ 美術手帖 1981年08月 Vol.500
マルセル・デュシャン再読
図版構成:デュシャンの網目 解説=塩崎有隆
text:もっとも急進的な画家だった1912年のマルセルだけがデュシャンだというひどく好意的なお話 末永照和/U.M.D.-未確認のマルセル・デュシャン 中原佑介/大衆化したスノビズム 藤枝晃雄/時間の計画経済相 峯村敏明/デュシャンに対しての複雑な気持 阿部良雄/ローズ・セラヴィよ、くしゃみをするな 池田龍雄/デュシャンの現代性 宇波彰/デュシャンをポエジーで追う 鍵谷幸信/マルセル・デュシャンあるいは/そして20世紀のペテン師 笠原正明/消え去ったデュシャン 金坂健二/図版参照 ひさうちみちお/モンゴウイカの甲 清水誠一/レオナルド-ヴァレリー-デュシャン 清水徹/デュシャンとベケット 高橋康也/デュシャンとチェスとスタッチョ 戸村浩/マダム”ローズ・セラヴィ” 村岡三郎/わからん 森毅/覗き見るのはいつも他人 山口勝弘/あるペテン師の話 李禹煥
瀧口修造
図版構成:写真=大辻清司+酒井啓之+羽永光利+安斎重男
text:瀧口修造の全体像のために 針生一郎/瀧口修造と美術批評 北沢憲昭
http://art-blue.jp/bt/1981/198108.htm
◇ 美術手帖 1981年12月 Vol.490
映画楽入門
制作=パラノイア・シネマテーク
字幕人=岡島尚志+武田潔+出口丈人+西嶋憲生+森岡祥倫+四方田犬彦
http://art-blue.jp/bt/1981/198112.htm
◇ 美術手帖 1982年01月 Vol.491
メディア・レヴォリューション-エレクトロニクス・アートの新しい地平
図版構成:文=山口勝弘
対談:
空中と地上と=メディア層間の人間像 中原佑介×山口勝弘
text:
記憶された鏡-ホログラフィ 三田村峻右/デジタル・マインドのルネサンス 河口洋一郎/変容する世界その描像 幸村真佐男/四畳半TV局の現状 中島興/コンピュータ・グラフィックスの歴史と可能性 端山貢明/映像芸術とエレクトロニクス 吉積健/欲望の未来-80年代のヴィデオ技術と芸術 ジーン・ヤングブラッド 訳=森岡祥倫
http://art-blue.jp/bt/1982/198201.htm
■メモ(情報保持用) 
◇ カメラ毎日1974年12月号 - 古本屋あなもん:anamon[AnarchoMondoIsm]
表紙写真:W・エグルストン
特集作品1:ポートレート・僕のアルバムから(沢渡朔)
特集作品2:現代アメリカの作家 ウィリアム・エグルストン
特集作品3:東松照明〈太陽の鉛筆〉第3部・宮古島編
特集作品4:北海道〈大雪〉四季の山々(志賀芳彦)
アルバム74:ひぐらしの里・四国路(下津隆之)/「私のためのコンサート」より(亀井利雄)/フィナーレ(原富治男)
特別企画:フォト・スマッシュ〈反面鏡〉真夜中の太地喜和子(撮影=長浜治・劇画=真崎守)
記事特集:カメラを買う=予算別・機能別ガイド(新川幸信) etc.
http://anamon.net/?pid=31177929
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hitotsudake19-blog · 12 years
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opaque
1 不透明な.2 不明瞭(めいりょう)な;理解できない.3 (熱電波などに)不伝導性の.4 光沢のない, くすんだ.5 愚鈍な.
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hitotsudake19-blog · 12 years
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ブレヒト永が
http://video.google.com/videoplay?docid=-216676152094085175
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hitotsudake19-blog · 12 years
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ロジャー・エイヴァリー
http://ja.wikipedia.org/wiki/ロジャー・エイヴァリー
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hitotsudake19-blog · 12 years
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デニス・ルヘイン
http://ja.wikipedia.org/wiki/デニス・ルヘイン
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hitotsudake19-blog · 12 years
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http://abecasio.s23.xrea.com/report/archive/r_repo_02/5.html
周郁芬と少女が求めた新しさ、そして自己の増殖はヤンの台湾論を表している。ヤンはこの作品を通して現代のアジアにおける都市の増殖とそこで起きる不安を台湾論として取り上げている。今、アジアは増殖し続けている。新しいものがどんどん入ってきて、それを受け入れ増殖している。しかし先はまったく見えないのである。この先どうなるのかということは、まったくわからないまま盲進し変化しつづけている。アジアの急速な発展、変化、増殖の反面つきまとう不安。この作品から漂ってくる不安定さ、不安は台湾そのものなのである。そして、この不安定と不安は悲劇的な結末をひきおこす。
 立中は出て行った妻に戻ってきて欲しいというが、彼女がすでに元の恋人のところに居ることを知る��そして電話によって写真家の若者からすべてを知らされる。そして唯一の希望だった会社での昇進の夢も無残に引き裂かれる。彼はすべてを失い、死にいたる。
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hitotsudake19-blog · 12 years
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アイデンティティ・クライシス
アイデンティティ・クライシス
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hitotsudake19-blog · 12 years
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Georgia O'Keeffe
stieglitzの妻
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