Quote
1、"人"が語る、もっとも強い"馬" 武 豊(たけ ゆたか)という騎手が居る。 別業界である羽生善治やイチローと並べられるほどの"天才"と称され、 日本競走馬界で数少ない有名な"人間"であり、数々の歴代最多記録を残している。 そんな偉人がウマ娘プロモーターになって、あんなCMに出るなんて2000m芝不可避なわけだが、話がそれるのでここまでにしよう。 武豊は2018年現在も現役であり、数々の名馬と共にレースを制している。 親子三代で天皇賞制覇し「絶対の強さで人を退屈させた」と言わしめた"メジロマックイーン" 怪物達と共に第二次競馬ブーム期を盛り上げた平成三強の一頭、"スーパークリーク" 武豊としては二度しか乗らなかったものの、騎手としては伝説的ラストランを走り切らせ、 「神は居る」と思わせた、アイドルホースである芦毛の怪物"オグリキャップ" そんな武豊が騎乗した馬達の中でも、一際異様な強さを見せた馬が居る。 "ディープインパクト" 無敗のまま「皐月賞」「東京優駿(日本ダービー)」「菊花賞」を制して三冠馬となり、 「一着至上主義」「奇跡に最も近い馬」と形容されるほど勝ち続け、恐ろしい戦績を残した名馬である。 以下の画像はそのディープインパクトが残した成績である。 世間はこの馬に注目し、社会現象だと言われるまで取材は相次いだ。 馬は喋れないので当然メディアは武豊にマイクを向ける。 様々なインタビューをされていく中、こんな質問が武豊に飛び込んだ。 「もし武豊さんが『武豊&ディープインパクト』と対戦できるとしたら、これまで数多く乗ってきた優駿の中で、打倒ディープとしてどの騎乗馬を選びますか?」 その質問に武豊は一頭の馬の名をあげた。 その馬の名はサイレンススズカ。 日本競馬史上、もっとも人々に夢を見せた馬である。 2、上村洋行とサイレンススズカ サイレンススズカは最初、武豊ではなく上村洋行という騎手が乗っていた。 上村騎手を乗せたサイレンススズカのデビュー戦は堂々の1着でゴール。 だが次の弥生賞ではレース開始前、柔軟な馬体でゲートをくぐってしまう。 ※ゲートをくぐっちゃうサイレンススズカ サイレンススズカは係員に押さえつけられ、なんとか再びゲートに入る。すると今度はスタートで酷い出遅れをしてしまう。 それでも驚異的な脚力で8着にはなったが、当時の関係者達はこれらの気性面をなんとかしたかった。 「走りたいという気持ちが���走り過ぎる」 「スイッチが入ると暴走するぐらい走りたがる」 サイレンススズカは確かに速い。 だがその身に任せたままだとレース終盤スタミナが尽きて、勝つことが難しい。 次のレースで上村はサイレンススズカを必死に抑えつけて走らせようとしたが、我慢しきれないサイレンススズカは先頭を走り続け逃げ切り1着。 東京優駿(日本ダービー)を勝たせたかった関係者たちは不安だった。 2000mならいいだろう。だが勝ちたいレースの距離は2400mなのだ。 ※Sがスタート地点。Gがゴール地点。 ペース配分ができなければ、速さをコントロールしなければ、絶対に勝てない。 もはや上村は「マイル路線(1600m)で行ったほうがいいのでは」とも考えていたという。 しかし次の2200mでなんとサイレンススズカは1着。しかも騎手の上村が上手くサイレンススズカを抑えて、理想的な作戦勝ちだった。 「ダービーもいくらか抑えれば、勝てるだろう」 だが日本ダービーで、サイレンススズカは勝てなかった。なんと9着。 「もう小細工はやめて、逃げて競馬させよう」 関係者達は方針を転換する。 続く神戸新聞杯でサイレンススズカはレースを先行で走った。 走り続け、断然トップ。これは勝ったと見る者は思った。 サイレンススズカはペースを変えず先頭を走る。あとは、ただ走るだけ。 しかし後方からマチカネフクキタルがグングンとスピードをあげ追い抜こうとしていた。 上村騎手が気づいたころには、サイレンススズカは2着になっていた。 振り返れば、八百長さえ疑われてもおかしくないほどの、酷い抜かれ方であった。 この結果を受け、上村騎手は降板させられてしまう。 上村氏は後悔した。自らの失態を泣き、悔しがった。 そしてサイレンススズカの行く末を心配した。 「恋人以上のものが離れて行ってしまった感覚でした」と本人のインタビューも残っている。 「将来を見据えて、なるべく楽に勝たせてあげたかった」「苦しまずに走らせたかった」「勝ちをちゃんと見据えられてなかった」 当時を振り返ったブログ記事では 「出来ればここを何とか楽に勝たせてあげて、 天皇賞に向けて少しでも身体や精神面にダメージを残さない様にしてあげたい。 そしてより万全の状態で天皇賞に向かわせてあげたい」とも残している。 サイレンススズカに鞍上した上村氏は、誰よりもサイレンススズカを愛し、守りたがったがゆえに、本番レースで勝ち切る「勝負師」になりきれなかった。 競馬は勝負の世界。馬は勝たなければいけない。負けて許される馬など、皆認めなかった。 生涯成績113戦0勝のハルウララがメディアに持ち上げられ、大衆から愛された時も、競馬関係者達の声はあまり暖かくなかった。 武豊もその一人だ。 「強い馬が、強い勝ち方をすることに、競馬の真の面白さがある」 そんな勝つことに拘る騎手、武豊がサイレンススズカと出会うことになる。 3、大逃げの始まり 「サイレンススズカに乗りたい」 そう申し出たのは、なんと武豊からだった。 乗る馬の依頼が来るのを待つのが本来騎手側の立場なのだが、 その慣習を崩した直談判である。 そして香港国際カップでサイレンススズカと武豊騎手は初めてコンビを組む。 ちぐはぐな日程や、馬房内で左回りに旋回する癖を矯正しようとした結果ストレスをため込んでしまうなど悪条件が重なり、レース終盤に他馬に捲られて結果は5着。 「最初から全力で走り過ぎちゃうというか、サラブレッドの本質の塊のような馬だった」 そんな評価をサイレンススズカに下した武豊は大胆な騎乗を思いつく。 「抑えようと思ってもきかない。だったら、前半から好きなように走らせた方がいいと思った。この馬は走っているときがいちばん楽しそうでしたからね。それでも持つんじゃないかな、と」 いかに逃げて力を配分するか。 大逃げという戦法は古くからあるにはあるものの、「勝つための戦術」としては博打感が拭えないシロモノである。 大逃げでの名馬と言えば、どれも個性的で、数は多くない。 破滅的大逃げを幾度となく繰り返し、最後の直線でスタミナを尽かし大失速して馬群へと沈んでいき最下位。そんな滑稽な姿を何度も魅せ、競馬ファン達を楽しませた"ツインターボ" あまりのハイペースでトウカイテイオーらのレース展開を乱し下位に追いやった、大逃げコンビとして有名な"メジロパーマー"と"ダイタクヘリオス" 世界レコードを叩き出したこともある"セイウンスカイ"なども居るに居るが、現在でも常用される戦術とは言い難い。 次走のバレンタインステークスでサイレンススズカはその「大逃げ」をする。 レース序盤の第三コーナー前でサイレンススズカはここまで逃げ離した。 ※左の赤丸にサイレンススズカ。右の赤丸が他の馬達である。 大逃げは最初からハイペースで走るので、最後の直線ではスタミナがあまり残らない。 なので後方馬との差は縮まっていく……はずなのだが、 サイレンススズカは加速する。加速し続け、後方の馬をさらに逃げ離す。 「逃げて差す」 次のレースも大逃げで勝ち、そしてその次のレースも大逃げで勝ち…… 1998年金鯱賞。またもやサイレンススズカ1着。2着との差なんと11馬身。 平地の重賞競走では6例目の大差勝ちであり、これ以降10馬身以上離れての重賞大差勝ちレースは現れていない。 レース後、アメリカから「サイレンススズカを売ってくれ!」とオファーが本当に来てしまうぐらいの圧勝だった。 「あんな体験、普通はできない。(後ろからくる)足音をまったく聞かないままゴールしちゃったんですから!」と武豊は当時の金鯱賞を振り返る。 この金鯱賞のレースは印象に残るどころか、サイレンススズカが伝説と呼ばれるゆえんのレースとなり、そしてその始まりだった。 次の出るのはG1宝塚記念。しかしここで問題が発生した。 サイレンススズカが宝塚記念に出走するのは急遽決まったことであり、 武豊は同レースに出走するエアグルーヴに乗ることを先に決めていたため、鞍上がいなかったのだ。 そこでなんとか南井克巳氏が乗ることが決定し、武豊とサイレンススズカが敵として戦うことになる。 宝塚記念は芝2200m。 南井騎手は少し抑え気味で慎重に前へと走らせる。最後の直線でもギリギリまで引き付けてから鞭を入れ、そのまま加速しサイレンススズカ1着。 武豊鞍上のエアグルーヴは3着だった。 大差ではないものの、サイレンススズカにとって念願のG1レース初制覇でもあった。 4、最速の証明 毎日王冠はG2レースであり、G1より格が下である。 このレースを勝てば、サイレンススズカがもっとも得意なG1レース条件である「芝2000mの左回り」天皇賞(秋)の出場権を得られる。 しかし当初は調教不足などを理由に、サイレンススズカは毎日王冠への出走を見合わせる検討がされていた。 だがこのレースに二頭の馬が、出走を高々に宣言する。 その馬の名は"グラスワンダー" 「怪物」と騒がれ「JRA史上最強の2歳馬」と評された馬が、故障後の復帰戦にこのレースに出走を表明。 そして"エルコンドルパサー" 年度代表馬を得るために、ジャパンカップで勝つために前哨戦としてこのレースを選択。 両馬共に未だに無敗の外国産馬である。 サイレンススズカ陣営も「これで出走を回避したら『あの二頭に負けるのがわかって尻尾を巻いて逃げた』と言われてしまう」と懸念し始め、この対決を受けることを決めた。 競馬ファン達はこの三強馬による夢の決戦を見逃すわけにはいかなかった。 そして当時のルールでは天皇賞(秋)で外国産馬は出走できない。毎日王冠はこの三強馬が勝負できる数少ない機会なのだ。 こうしてG2という格が下のレースにもかかわらず会場には13万人の大観衆が詰めかけた。 レースが始まり、サイレンススズカは逃げ始める。 グラスワンダーはサイレンススズカの隙を付こうと策を弄し、エルコンドルパサーはそのまま真っ向勝負で立ち向かった。 しかし、サイレンススズカは最後の直線で、いつもの通りに再び加速。 差は縮まらない。二馬身差叶わず、サイレンススズカは1着。 不敗神話を一度のレースで二頭まとめて切ったのである。 「影さえも踏めなかった」 エルコンドルパサーに鞍上した蛯名騎手はそうコメントを残している。 サイレンススズカは6連勝。名実ともに当時の最強馬となった。 サイレンススズカ陣営は「天皇賞(秋)を制したらジャパンカップに挑戦し、そのあとはアメリカへ遠征しよう」とウキウキを隠せなかった。 5、天皇賞(秋)の前評判 サイレンススズカが狙うG1レース、天皇賞(秋) 対抗できるのは前年この天皇賞を制したエアグルーヴぐらいだろうと考えられていたが、 鞍上の関係も考えられ、エアグルーヴは別レースを狙い天皇賞を回避することになる。 (※サイコミ掲載の漫画「STARTING GATE! -ウマ娘プリティーダービー 【第15レース-②】特別な1日 ♯01」におい��、エアグルーヴが「サイレンススズカとは宝塚記念や天皇賞で戦いたい」と言っていたのは、これに由来する) そしてサイレンススズカがもっとも有利なレースにもはや挑む気力がある馬も無く、多くの陣営が競走を回避。 するともはやサイレンススズカに対抗できる馬はいなかった。 宝塚記念でサイレンススズカに11着で負けたもののそれ以外は戦績の良いメジロブライトが二番人気。 同じく宝塚記念で6着で去年の有馬記念を制覇したシルクジャスティスが三番人気。 またまた宝塚記念の出走馬であり、もっともサイレンススズカに近かった2着ではあったが、最後の1着レースがG3でもない「阿寒湖特別」というステイゴールドが四番人気という有様であった。サイレンススズカはもちろん一番人気。オッズは1.2である。 その馬体や体調面は武豊騎手、担当厩務員ともに口をそろえて「一番具合が良い」と言い、 もはやサイレンススズカが負ける要素を探すのは不可能だった。 誰もがサイレンススズカが勝つことを疑わなかった。 だがひとつ、たったひとつだけ不安要素があった。 天皇賞(秋)には都市伝説が、ジンクスが存在したのだ。 1987年にニッポーテイオーが1番人気で勝った後、 天皇賞(秋)にて1番人気の馬は、一度として勝てなかったのである。 3度も1番人気に支持されながら一度も勝てなかった"オグリキャップ" 1着でゴールしたと思いきや進路妨害により18着へと降着し、天国から地獄へ突き落された"メジロマックイーン" 大逃げコンビのメジロパーマーとダイタクヘリオスにレースペースを乱された"トウカイテイオー" 春にメジロマックイーンの三連覇を阻止したものの、スランプに陥りそのまま敗れた"ライスシャワー" パドックで違和感を感じながらもレースに入りし、5着。レース後ケガが発覚し、競走馬を引退した"ビワハヤヒデ" 故障の復帰から立ち直れずにレースに挑み、覇気なく敗れた三冠馬の"ナリタブライアン" スタートを出遅れ、その後の展開もミスしてしまい、鞍上も「最高に下手に乗った」と後悔した"サクラローレル" そのサクラロールを倒して連覇を狙おうとしたが、大逃げ馬(サイレンススズカ)を早めに捕まえようとしてしまい、最後はエアグルーヴにクビ差で競り負けた"バブルガムフェロー" 府中には、魔物が住んでいる。そう言われても仕方がなかった。 1998年。 第118回天皇賞 11月1日1枠1番で、1番人気はサイレンススズカだった。 6、"沈黙の日曜日"~Sunday Silence~ レース開始。サイレンススズカは抜群のスタートで快調に飛ばし、いつもの大逃げ。 サイレントハンターも大逃げ戦法を取るが、サイレンススズカとの差は10馬身差。 最後方ローゼンカバリーとは6秒のタイム差が離れ、 全ての馬を映さなければならない中継カメラはめいっぱいズームアウトし、馬が小さすぎて見えないほどになった。 ※左の赤丸がサイレンススズカ。右の赤丸が最後方の馬。 「息が入り始めて、いいぞ、いいぞ、と。本当にいい感じだった」 と武豊はレースを振り返る。 大欅を通り過ぎ、サイレンススズカは一度ペースダウンする。 ここで一息入れて、再加速しぶっちぎる気だろう。いつものサイレンススズカだ。 しかし、そのまま失速する。 サイレンススズカは左前足を宙に浮かせ、三本脚で立ち止まっていた。 どよめく会場、そして叫ぶ実況。 「サイレンススズカ!! サイレンススズカに故障発生です!!!」 歩く馬足で、コースの大外によれるサイレンススズカ。 それを抜くサイレントハンター、オフサイドトラップ、ステイゴールド、残りの馬たち…… 「なんということだ!4コーナーを迎えることなく、レースを終えた武豊!! 沈黙の日曜日!!」 そのまま泣き叫ぶ会場の歓声を聞きながら、レースを続ける馬達。 サイレンススズカは故障しながらも、鞍上武豊を落馬させず、馬群を避け安全な場所に運んでいった。 この事を武豊は「サイレンススズカが僕を助けてくれた」と語った。 ケガの内容は結果は左前脚の手根骨粉砕骨折。 直ちに予後不良の診断が出され、安楽死処分が下された。 1998年 11月1日 サイレンススズカ 永眠 結局この天皇賞(秋)はステイゴールドとオフサイドトラップが競り合いながら、決着がつく。 1着はオフサイドトラップ。史上初の7歳での天皇賞優勝。 「不治の病」と言われている屈腱炎を3度克服した高齢馬が念願であるG1レースを制覇し、ひとつのドラマを作った。 だがその偉業は、残念ながら無下に扱われてしまう。 1998年の天皇賞(秋)は、サイレンススズカが、最速の馬が止まってしまった悲劇のレースとして刻まれた。 粉砕骨折の詳しい原因は不明である。 武豊は「原因は分からないのではなく、無いんだ」とレース後マスコミに答えた。 レース後の武豊の落ち込みは相当なものだった。 同レースに出ていたテイエムオオアラシの鞍上である福永騎手は 「あんなに落ち込んだ豊さんを今まで見たことがなかった」と証言している。 その夜、武豊は知り合いとワインを飲み明かした。 「泥酔したの、あんときが生まれて初めてだったんじゃないかな。 夢であって欲しいな、って」 サイレンススズカの死、それは夢を見た競馬ファン達にとって、最大のトラウマになった。 サイレンススズカはまさに夢のように走る馬だった。 1600mのスピードで2000mを制せる、最速の中距離馬だった。 競馬に絶対はない。だからファンは"たられば"を夢想する。 もし、サイレンススズカがケガをしていなかったら、どうなっていただろうか。 ジャパンカップの2400mも軽々と走っただろうか。海外に遠征しても、並み居る強敵達を圧倒しただろうか。 種牡馬になったら、どんな子供が生まれただろうか。 そんな夢想をしてしまうのは競馬ファンだけではなかった。 武豊である。 自ら鞍上を名乗り出て、サイレンススズカの未来��期待し、夢を叶えようとした武豊は、 あろうことかその夢が崩れ落ちる瞬間の馬に、跨っていた。 ジョッキーにとって、一番嫌な、最悪の瞬間。 その瞬間のサイレンススズカに武豊は乗っていたのだ。 2007年になるまで武豊はサイレンススズカに深く言及することはなく、 2013年のインタビューでも、事故の話になると途端に拒絶し、笑顔を引っ込めた。 サイレンススズカの事故、その絶望の感触は、武豊の心の中へと確かに刻まれている。 ウマ娘 プリティーダービー第1Rにて終盤、トレーナーは問いかける。 「日本一のウマ娘とは何か?」 それはG1で勝つことだろうか。 日本競馬界の象徴であり最大級の目標である東京優駿、日本ダービーで勝つことだろうか。 ファン投票で出場馬が決まり、1年を締めくくる大レース。数々の名勝負が繰り広げられた有馬記念で勝つことだろうか。 この問いに擬人化されたサイレンススズカはこう答えた。 「夢……見ている人に夢を与えられるような、そんなウマ娘」 このセリフを聞いてしまった競馬ファン達の心境は如何ほどのものだったろうか。 サイレンススズカ。 日本競馬史上、もっとも人々に夢を見せてしまった馬である。 7、それでも馬達は走り続ける。 サイレンススズカと戦い敗れたエルコンドルパサーは1998年のジャパンカップを制し、海外への遠征を決めた。 「国内に敵はいない」とのコメントは事実その通りであった。 そしてその海外遠征でエルコンドルパサーは大活躍する。 ヨーロッパ最大の競走の一つ、凱旋門賞では惜しくも2着だったが、現地メディアからは「チャンピオンは二頭居た」とその健闘を称えられるほどだった。 2018年現在、国際的に競走馬のレーティング指数を決める「インターナショナル・クラシフィケーション(旧称)」や競走馬の能力を数値化する「タイムフォーム・レーティング」など、どちらもエルコンドルパサーは日本調教馬として史上最高の数値を保持している。 引退後に現れたディープインパクト等の名馬達、それらを差し置いての高評価を未だにエルコンドルパサーは維持したままなのだ。 そのエルコンドルパサーを相手に、国内レースにて唯一勝ち星をあげていたサイレンススズカの評価も未だに止まることがない。 翌年、1999年の天皇賞(秋)レース。これを武豊は再び走り見事1着でゴールインを果たす。 しかもレース記録を塗り替えるレコード勝ちだった。 去年のリベンジを果たした武豊はレース後、 「ゴールの瞬間、まるでサイレンススズカが後押しをしてくれたようでした」と語っている。 サイレンススズカが後押し、天皇賞(秋)をレコード記録で1着を取った馬、 その馬の名はスペシャルウィーク アニメ「ウマ娘 プリティーダービー」の主人公である。 さらなる余談ではあるが、天皇賞(秋)にかかった一番人気のジンクス、呪いは 2000年にテイエムオペラオーが払拭する。 その後に登場する名馬達も、天皇賞(秋)において1番人気で1着を取れるようになっていった。 名馬達を襲った忌まわしき呪いは完全に掻き消え、今は日本競馬史の一つとして、ただ記されているのみである。
https://ch.nicovideo.jp/yumemura/blomaga/ar996682
8 notes
·
View notes
Text
Twistedしていたのはワンダーランドではなく、私の価値観だった
私は人生のほぼ10割を、ディズニー傘下の元でフラフラすることに費やしてきた人間だ。
私のディズニーの入り口は遡る事2X年前、WOWOWだかで放送されていた、ディズニー短編アニメーションの寄せ集めだかなんだかだったと思う。それから私は長い間、ディズニー傘下、ひいてはUSが本国のコンテンツに触れていた時間がほとんどだった。だから、国内アニメやゲームなどにはほぼ触れることがないまま大人になった。
ここ数年は特に、私が好きになるコンテンツが所謂「Woke culture」に属していることは多かった。Woke Cultureとは、社会的問題の認識がある、つまるところ「目覚めている」カルチャー全般を指す言葉で、日本語で近い表現だと「価値観がアップデートされているジャンル」だと思う。
私は社会の最先端を行き、世界で起こっている問題を取り入れていれながらストーリーを展開させるコンテンツが好きだったし、それを好きでいることも誇らしかった。いや、今も誇らしい。「ポリティカルコレクトネスのせいで世界は退屈になった」という言葉を、物語の深さと美しさ、そして面白さで踏み潰し、様々な人々に手を差し伸べる私の好きなコンテンツたち。それらは、白黒だった私の世界に色をつける事ができる可能性を教えてくれた。
しかしながら、同時に自分が知らないもの・見た事もないものに対する恐怖や嫌悪がどんどん増幅していたことも感じていた。特に、国内コンテンツに対する意識は、私の中で「woke cultureではない」というカテゴライズをし、あまり目にしないようにしていた。それは、なにかの拍子に見たスクリーンショットに写っていた女の子の胸が異常に大きくセクシャライズされているとか、元ネタも知らない二次創作にホモフォビア的言葉が使われているとか、ひいては好きなコンテンツが輸入された途端にジェンダーバイアス色の濃いマーケティングを打たれたとか、そんな事が積み重なったことがきっかけだったと思う。自分が生きている世界に蔓延した価値観の現実を目にするのが嫌で、見ないもの、としてカテゴライズして嫌悪していた。
そんな中で去年の冬頃にツイッターをウロウロしていた際、またま一つのツイッターアカウントを見つけた。「ディズニー Twisted Wonderlandの公式アカウント」とプロフィールにかいてあったと思う。
私はその時点でディズニーのゲームをほぼプレイしたことがなく、ツムツムだとかキングダムハーツはなんとなくの話でしか聞いた事がないし、その他のゲームに関しては全く実態を知らなかったので、なんとなくそのアカウントのツイートを遡ってみた。まだツイートは多くなかったが、投稿されている画像を私は目にした際、状況を理解するまでに時間がかかった。
そこには、ディズニーヴィランズ(ディズニーの悪役たち)がリファレンス・またはインスパイア元となった、日本アニメ作画的な男の子が並んでいた。キャラクターの名前と、絵と、何か一言が添えられた画像が淡々とアップロードされており、思わず「えwwwウケるんだけど」とRTをしたことも記憶に新しい。
「契約を果たせなかった貴方が悪い」とか、「今に見てろよ」みたいなセリフとともにそこにいるアニメ作画のハンサムな子たちは、私に薄い恥ずかしさを覚えさせた。私がその薄い恥ずかしさを感じたのはこれが初めてではなかった。
それからツイステッドワンダーランドは頻繁に目にとまるようになった。東京駅に大きい広告が出ているのを見かけたり、ディズニーストアで買い物をした際、丁寧にほぼフルカラー印刷されたしっかりとしている本を無料で渡されたりもした。その度に、Cringeのような気持ちを覚えていた。 (Cringe・・・見ていて恥ずかしい気持ち が近いかも)
友達にも「あのディズニーの悪役のゲーム知ってる?」と聞かれる事が増えた。面白おかしく茶化して、ウケるよね、みたいな話をしていたと思う。
そんなことをしているうちに、知らない間にツイステッドワンダーランドがローンチされていた。友達が既に始めていて、「思ったゲームと違った、乙女ゲームではないようだ」と教えてくれた。ツイッター上でも「シナリオがしっかりしている」という意見を散見するようになった。私は正直、嫌悪するにしても知ってから嫌悪するか、みたいな気持ち半分、好奇心半分でダウンロードをし、プレイしてみることにした。
先述した通り、スマホゲームに触れずここまで来た私にとって、ソシャゲは未知の世界であり、1ミリとして想像のつかない世界だった。ぼんやりと、なんか「俺にしろよ・・・・」みたいなハンサムが四方八方から壁ドンをしてきて、誰とデートするか選ぶみたいなゲームだろうみたいな予想だけを胸にゲームを始めた。
このゲームは、私の名前と、私が操作するキャラクターの名前を別々に決めることができる。システムがそうなっている理由はいまいちわからないが、私は自分の名前が呼ばれたら恥ずかしいな、と思い私が好きなスターウォーズのキャラクターを主人公の名前にした。
結果としておそらくインストラクションであろうチュートリアルの部分を終わらせるだけで何日も何日もかかったし、チュートリアル部分が終わっても何がなんだかシステムはあまりわからなかった。
とりあえず、この学校はディズニーヴィランズどもを崇拝しており、おそらく彼らの存在は伝説レベルで昔であること、また私のおかげで高校生の子二人は退学を免れ、ビューフォード(from フィニアスとファーブ)と同じ声を持った猫は私と一緒に行動することになり、私も学校に通えることになるらしい。そこに通う子達は別に元ネタであるディズニーヴィランズの擬人化でもアニメナイズでもなく、別人格であり、直接的に子孫だったりするわけではない。それがひとまず私がわかったことだった。チュートリアルを通して、青い髪の毛の子と赤い髪の毛の子は、私のおかげで少し仲良しになったみたいだった。私は喧嘩ばかりしていた二人が仲良くなってくれたのが、純粋にうれしかった。
そのまま「想像していたよりもなんかデートに誘われたりしないんだな へえ」とか思いながら適当に画面をタップをしていたら、知らない曲と一緒に映像が流れ始めた。おそらくオープニングタイトルで、知らないキャラクターたちや、何かで見た事のあるキャラクターたちがアニメの絵で動きまわる。ディズニーはこのゲームに本当に力を入れている、此処まで辿り着くのにどれだけの人が苦労してローンチまでこぎ着けたんだろう。
その時にふと、「私は何故、画面の中にいるハンサムたちが私に話しかけてくる事を恥ずかしく思うんだろう」と考えた。ロジックとしては、「ミッキーマウス クラブハウス」でミッキーマウスが世界の子どもたちにテレビの中から問いかけるのと何ら変わらないはずなのに。
私はなぜ乙女ゲームでないことを聞いてプレイする気になったんだろう。なぜ私は最初から薄い恥ずかしさを覚えていたのだろう。なぜ私は、ツイステッドワンダーランドが乙女ゲームでないことを「評価してやる」という気持ちなんだろう。私は最初に何を嫌悪し、何に好奇心を持ったんだろう。
私は、今までのこの薄い恥ずかしさを覚えたことがある瞬間に、思いを巡らせていた。2.5次元舞台を初めて観に行った時、某テーマパークで男の子達だけが出るショーを観た時、別の某テーマパークで某アトモスフィアが始まった時など、数えたらキリがない。私の中にこびりついて離れない、一定の何かを見ると覚えるうすら恥ずかしさ。それは、なんなんだ。
”それ”はおそらく、いや、確実に、心底ではわかっていながら無視してきた、ミソジニー、つまり女性蔑視だ。私の心の底にこびりついて離れない、恐ろしいミソジニーだ。
幾度となく覚えた「薄い恥ずかしさ」は、別にキャラクターに名前を呼ばれる照れから羞恥を覚えたのではなく、自らが該当コンテンツの一部になることで所謂「夢を見るオタクの女性」にな��事に対する羞恥心であり、それは紛れもなく「ハンサムなアニメ人間に夢を見る女性」という存在を私が蔑視していたということになる。あまり調べてもないのに、心の片隅で「Woke Cultureではないだろうから、だから別に、」というもっともらしいをつけて、私は、…。
一層ではなく、何層にも積み重なり確実に私の心底に根を生やしていた、自らのグロテスクな偏見と目を合わせることがあまりにも久しぶりで、なかなか事実を飲み込むことが出来なかった。
私はファンガールという存在を知ってから、ファンダム文化が大好きなつもりだった。ファンは、信じられない力でどんなことでも可能にする魔法のようなパワーを持っている。高校3年くらいまで二次創作の存在さえ知らなかった私にとって、見た事のない熱意を持って好きな事を話すファンが、オタクたちが私は好きだった。けれど、その「熱意が好き」という気持ちは私の中であくまで「知的好奇心」の範疇であり、存在自体をイコールとして自分が見ていなかった事が、ショックだった。自分が今まで支持してきた思想と対局の意識が私の中で芽生え、捻れていたなんて。
しかしながら自分の内在的差別心や偏見に対する気づき、軽蔑と嫌悪を覚えたのと同時に、不思議と心が軽くなった事も事実だった。私はこの恥ずかしさを覚える必要はないし、覚えるべきでない。偏見に塗れた私の羞恥を捨てることは、私自身への肯定でもあり、私が好きなファンダム文化への真の賛同なのだから。
ツイステッドワンダーランドは、私の捻れ切きった価値観を全く予期しない形で再度捻ることで、別の新しい世界を見せてくれた。
ーー
毎日、ツイステッドワンダーランドについて様々な意見を目にする。上記した考えは私の中だけであって、当たり前ながら意見の数だけ様々な考えがあると思う。私も、ゲームの中で描かれている価値観に対して疑問を投げたくなることは幾度とあるし(何度も言っているアズール・アーシェングロッドさんへのBodyshamingなど)少し前の自分であれば、もしかしたら目にもしたくなくて、単語を片っ端からミュートにしていたかもしれない。
原作にはなかったヒューイ・デューイ・ルーイに個を加えたダックテイルズや、シュガーラッシュ2で描かれたOhmidisney上のディズニープリンセスと同じで、エンターテイメント界のサノスだと言われているウォルト・ディズニー・スタジオ社が広げた大きすぎる傘の下にいる以上、きっとこれからも類似したケースは断続的に起こるのではないかとも思う。
その度にきっと、ファンを失ったり、得たりしながらも、それは続いていくのだろう。もしかしたら私もまた、壁にぶつかるかもしれない。けれど、それと同時に、こうやって何か新しいことに気づく瞬間があるかもしれない。そう思うと、私はワクワクする。
ーーー
この私の内在する差別心に気付かせてくれたソースの一つに、私の好きなファンガール文と、それに対する社会についてのTEDTALKがある。
「イヴ・ブレイク;熱狂的なファンの女の子たちのために」
https://www.ted.com/talks/yve_blake_for_the_love_of_fangirls?utm_campaign=tedspread&utm_medium=referral&utm_source=tedcomshare
「なぜ彼女たちは 控えめにすべきなのか? 頭がおかしいから? それとも『理にかなった』態度の定義が男性に受け入れられるものに基づいているから?興奮して全身で叫ぶ若い女性を目にしたときに感じてきた批判的な考えを見直してみてはどうでしょう?その喜びを表現するのに用いる言葉を見直してみては? 女の子たちを貶めるのをやめてはどうでしょう?彼女たちの知性や関心や能力を 過小評価するような言葉を 使うのをやめるのです 」(同サイトより翻訳引用)
”We can all die tomorrow, so why not love things while we’re still breathing? ”
明日死ぬかもしれないんだから、息をしているうちに好きなものをめいいっぱい愛そう。
自分にかけられた呪いに対峙しないと、その呪いを解く事は難しい。ツイステッドワンダーランドを初めて知ったあの日とは全く違う気持ちで、ディズニーストアでだいぶ前にもらった、適当にほったらかしていた公式アンソロジーを引っ張り出してきて開いてみた。表紙の端は折れているし、しっかりしている紙なはずが適当に保管していたせいか、よれよれになってしまっている。そうか、あの「今に見てろよ」みたいな台詞は、ジャミルくんの台詞だったんだ。あの時開いた際に感じた恥ずかしさは私を襲ってこなかった。
55 notes
·
View notes
Quote
努力は夢中に勝てないんです。
Twitter / 為末 大: 子供が駅の名前全部覚えちゃったりするでしょう。あれを …
うわ。クリティカルヒット。
(via gothedistance)
2011-02-11
(via rosarosa-over100notes)
6K notes
·
View notes
Photo
Happy Halloween!! Super honored to have gotten to work on this years magic cat game Doodle! Fight ghosts, save your school and friends, be a black cat!! [Play and read more about the process here.]
52K notes
·
View notes
Photo
Benedict Cumberbatch photographed by Fabrizio Maltese for The Hollywood Reporter (September/2013).
3K notes
·
View notes
Link
0 notes
Quote
そして事務所を作って何人か人を雇うと、漫画家のアシスタントなのに毎日プログラムばかり打たせました。その成果は「トーキングぼのぼの」という人 工知能ゲームに集約され、コミケとかパソケとか通販とかで売ったら300万円ぐらい儲かりました。あの「Racter」を超えるものだったと自負していま す。BASICでしたけど。 そのあたりがワタシとパソコンの蜜月の頃で、Windowsとインターネットが出来るとワタシのパソコン熱は急速に冷めて行きます。その頃からもう誰もプログラムを打ち込んだりしないし、パッケージソフトもゲームやビジネス物ばかりで、ワタシの熱狂はゲーム機の方へ。 ワタシはキーボードでパソコンと対話したかったのです。なのになんですか、あのマウスたらいうものは。なにがクリックだ。世の中を横着者ばかりにしやがって。クリックなんかでなにか出来ると思うなよ。とか、またワタシのバカ自慢がはじまりそうなので、この辺で結論を。
ものみな過去にありて: #36 さよならパソコン (via kogumarecord)
54 notes
·
View notes
Quote
JASRACに信託しないと、カラオケに一般と同じ扱いでは入れてもらえない。もしくは無償で入れてもらうしかない。二極。真ん中の選択肢がない。
Twitter / そそそ=かずひと (via otsune)
57 notes
·
View notes
Quote
「批判されて当然の行為であるということ」と 「その批判の”仕方”が妥当であるかどうか」は別だよ 批判されて当然のことをしたからと言って、どんな叩かれ方をしていい訳ないし 逆に批判の仕方に問題があるからといって、批判される側の問題点が帳消しに なるというものでもない
���ダブスタ】女性向け二次同人のローカルルール・マナー【矛盾】3 (via otsune)
65 notes
·
View notes
Photo
今まで描かせて頂いたTE2天板イラストやら
描いたイラストやらまとめ。
Reprint and reupload is prohibited
253 notes
·
View notes
Link
0 notes