Tumgik
icchi-yutb · 2 months
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“悪“たらしめるもの
皆さんは悪と聞いて何を思い浮かべるだろうか?まず悪そのものの概念を想像する人は少ない。大抵の人は「悪い人」を思い浮かべるだろう。そして悪い人を思い浮かべた時、イメージとして出てくるのは「犯罪者」、もしくは学園ドラマなどが好きな方は「不良」などでなないだろうか?
自分はよく自分を「悪い人」になっていないだろうか?と思う時がある。もちろん犯罪は犯してないし、不良でもなかったと思う。では、なぜ自身を疑う時があるのかと言うと、自分の言ったことや思ったこと、感じたことが自然に批判や対立意見になることが多いからだ。対立してしまえば、相手からは大なり小なり「敵」になってしまい、結果的に悪になってしまう。そして、そうなるのは大半の場合「少数派」に属するからであり、要するにあらゆる場面で少数派になることが多いからである。
少数派が悪と言ってる訳ではない。悪と「見られる」と言うことである。例えば会社など学校で何か取り決めをする場面を想像してほしい。10人中9人が賛成して、1人が反対という状況だとする。そして反対意見を持つ人がどうしても賛成を認めたくないとしよう。これでは取り決めが進まない。賛成の9人は、少し嫌な顔をするかもしれないし、その人に対して嫌悪感を抱く人も現れるのは想像に難くない。そういった取り決めのような状況下では、誰しもが賛成や反対、もしくは意見なしということを主張できる権利があり、この場合の反対の人も、その権利を行使したまでである。なんなら、10人も集まれば満場一致は難しいと考えるのが妥当だろう。それを分かっていながら、自然と1人の少数派に嫌悪感を抱いたりする。
こういった、悪と「見られる」状況は今この瞬間でも日本のどこかで起きているだろう。しかしならが、このどこでも起きる状況を今一度見直してほしいというのが、次から話す話題だ。
先ほどの例で行くと、10人中の1人が意見が違う場合、みんなはどうするだろうか?残りの9人のために1人が主張を諦めてもらって多数派に意見を合わせるとスムーズに事が進む。それは誰しもが分かる。だからこそ、1人に対して9人は、諦めてもらうように頼んだりするだろう。もしくは冷たい視線を送ったり、同調圧力をかけたり、更には無理矢理反対意見をなかったことにすることもできる可能性もある。普通の人にとっては普通の出来事かもしれないが、ここでの普通の人は多数派のことであり、ここで少数派の人間は多くのものを失っていると私は考えている。
まず一つ目に、「信頼」である。微量ではあるが、信頼を失っているとも言えるのだ。人間は多くの人がいるところにいると安心感を得る。逆に言えば、そうでない場所は危険であると捉える。遥か昔、人類がまだ類人猿ですらない時代に広大な大地でサバイバルをしていたところを想像してほしい。仲間が多くいる場所の方が、「多くいるなら安定して生活出来ているところなんだな」と認識するだろう。つまり、多くの人がいるところは本能的に安心するようになっているのである。すなわち、喋り合いの世界では、多数派が自然と安心する場所になるのだ。だからこそ、少数派の人間に対して警戒心が発生して、自然と嫌悪感が産まれ、自然と信頼は落ちる。
二つ目に、「権利」である。少数派も意見を通す権利があるの当然で、何を言う権利もある。しかし、同調圧力は言いくるめられたりして、発言する権利さえも、徐々に多数派に押し殺されてしまうのである。もしかしたら、次から“話し合いの場”に参加することさえも失うかもしれない。同じ土俵に立っているように見えて、必要以上に不利を被っているのだ。
このような話を言うと、「多数決が嫌いなんですか?」「多数決はダメなんですね」と思われてしまいそうだが、多数決は悪いことではないと私は思う。むしろ、多数決よりもっといいやり方があるなら、もう既に世界中に浸透しているだろう。私が問題視しているのは、多数決で「決める」ことではなく、そこに発生する責任問題だ。
最初に悪を想像するという話をしたが、犯罪者や不良も、先ほどからずっと言っている「少数派」に属する人たちだ。もちろん少数派であるというだけではない。倫理や法律、教育問題にも関わってくるが、一旦ここでは、少数派という属性にスポットを当てる。
そして、イメージしやすいよう「盗みをした犯罪者」「同級生を恫喝する不良」とする。彼らはなぜ悪なのか?端的に言えば、法律を破っているからであり、被害を受けている人がいるからだ。ではなぜ彼は少数派なのか?一つ理由を挙げるならば、数が少ない方が都合がいいからである。不当な理由で被害を被る人はない方がいいし、治安がいい方がいい。
なら、この「〜方がいい」という気持ちはどこから出てくるのだろうか?これは『大多数の人が思っている』ことであろう。大多数は平和を望んでいるし、誰しもが法律を守ってほしいと思っている事だろう。
つまり、悪を悪たらしめるものは、多数派である。どんな状況であれ多数派に対立関係にあるものは悪になる。
しかしこれでは違和感を持つのではないだろうか?普通の人は、まるで我々が悪人を生み出してるかのような言いぐさだなと少し怒りのような感情が出てくるかもしれない。会議でたった一人で反対意見を出すのと、ものを盗むことを一緒くたにしているのか?と思うかもしれない。しかし、全くもってその通りなのだ。ものを盗む人が現れた時、最善は多くの人が望む平和を実現することで、そのためには盗みを減らし無くすことを考える。それを実現させるには、まず盗みがどのような行為であるか(この場合はものを盗むと所有するという権利を侵害するからとする)を共通認識の中から炙り出し、多数であると分かった上で、そのような行いをする人を「悪人とする」のだ。これをしないと盗みを働く人を正当な悪であるという理由で捕まえることはできない。逆に言えば、多数派は権利や正当性を共通認識さえあれば自由に作り出すことができてしまうのである。会議の例でも、自然と少数派に諦めてもらうを提案したり、同調圧力をかけるのは自然な成り行きだと感じる人が多いだろう。しかし、無意識に多数派はこの「悪人とする」プロセスを各々素早く完了しているのだ。だからこそ本質的には同じと私は考える。
しかし、本質的に同じとは言ったが、圧倒的に違う部分がある。それは”責任“だ。
それを説明するために、まずは「権利」と「正当性」を作り出せることについてを解説する。盗みを働いた人に対して、逮捕した例で行くと、人を逮捕するには権利と正当性が必要である。ここで言う権利は「身柄を確保していい権利」であり、正当性は「法律に違反している」ことだ。まず、この権利や正当性はどうやって作られるのだろうか?簡単に言えば法律ベースである。権利は法律に書いてあるし、正当性も「違反してる」という理由が真っ当だと感じない人はいないだろう。そして法律は、多数決で作られる。裁判官などの判決に関わる人は投票によって不信任で外すこともできるし、そもそも犯罪を犯す人より、そうでない人を守るのを基底に法律は作られるだろう。裁判が発生した時に、法律が作り替えられる可能性もあるが、それも裁判官による多数決システムがある。よって権利と正当性は多数派によって作られ、それは大元は多数決によって決められていると言える。
では、ここに責任問題がどう関わってくるのか。貴方は犯罪者を逮捕する理由を自信を持って正しく言えるだろうか?おそらく言えるだろう。治安を守るためでもいい。悪い行いに対して罰せられるべきでもいい。少なくとも、理由が“ある”だろう。そして、その意見に責任を持てるだろうか?と問われても、「もちろん」と返答することができるだろう。理由については詳しく説明しないが、ざっくり言うと、治安や悪い行いを罰することを深く掘り下げていくと最大の単位が『命』が元になるからである。治安が悪化したり罰することがなくなれば、極端になると家を破壊して命を脅かすような暴力が横行することになる。それを防いで命を守るためを細分化していけば、はっきりとした理由になる。
しかし、会議で反対意見をする人に諦めてもらうことの理由を自信を持って正しく言えるだろうか?「会議だから」「そういうものだから」とも言えるが、そもそも会議は取り決めをする場であり、諦めをお願いする場ではない。期限があるとしても、期限は会議そのものではなく、会議を行う学校や会社のエゴであり、話し合いのなかで発生した問題とは直接関係がない。では、先ほど挙がった『命』に対応する元になるものはなんなのだろうか?それは、「多数派が快いかどうか」である他ない。反対意見がなく、満場一致であれば取り決めは恐ろしくスムーズに終わるだろう。取り決めは終わらせることをベースに進行しているので、スムーズに終われば快い。それを顕にする人もいれば、オブラートに包む人もいるだろう。
「快い」は非常に曖昧なものである。会議が1時間程でで終わればいいなと思っている人もいれば、1分もで早く会議室を脱出したいと思っている人もいるだろう。でも、無意識に擦り合わせていくと「快い」に終着する。ただそれだけのものなのだ。しかし、「権利」や「正当性」は相手の権利を奪いかねない強固なものである。この「目的」と「発生する事象」の、強さの”差“が責任を曖昧にしていると私は考えている。
責任が曖昧になると、悪たらしめるハードルが極端に下がる。簡単に特定の誰かを悪にしやすいのだ。多数派になれば、責任意識が分散しやすいので尚更ハードルが下がる。悪にしやすいということは、誰かを「悪として作り出しやすくなる」ということである。悪をつくりだせば、権利や正当性を作りやすくなる。それらが作りやすくなれば、それらは多数派に有利に働くものなので、『多数派が多数派として維持されやすく』なり、余計に悪とされる人を生み出しやすくなる。いわゆる「エコーチェンバー現象」に似た『負のループ』が起きやすくなる。
少数派になる要因はランダム性がある。家庭環境や受け取り方の違いで自己というものは千差万別だ。そのランダム性がある中、責任が曖昧の多数決で悪たらしめるのは如何なものかと私は思う。多数派としての責任を全うするためには、まずは「少数派の尊重」が必要不可欠だ。少数派の力を増やせと言うことではなく、まず尊重するという考えが念頭にあるかが大切であると思う。
近頃はSNS等を見ると、少数派とするものに排他的な意見が支持を集めてしまう現状がある。意見の交換というのは、どんな相手であれ言葉の上では対等な関係ではある。だが、SNSでは「嫌なら見なければいい」がブロックなどの機能として存在する。しかし、これを安易に使えてしまうと、「快くない」と「悪たらしめる」のどちらのハードルもほとんど無い状態になる。これでは『負のループ』をとてつもない速さで回ることになってしまうのだ。
人間は対話の中で生きている。対話の回数を重ねると学生時代にはずっと多数派だった人が少数派に回ることになるかもしれない。しかしインターネットの発展により誰でも繋がれるようになり、そのため対話を介さずとも安易に多数派の利点を獲得できるようになった。しかし、それでは曖昧な責任の中で多くの悪を無意識に生み出すことになる。しかもそれを分からない人も同時に生み出してしまう。私はそれが現代における非常に難しく大きな問題だと感じているのだ。
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icchi-yutb · 2 months
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Tumblrを始めてから5周年を迎えました 🥳
なんか定期的に投稿しないと色々あるみたい
6年目までの目標は定期的に投稿だぁ
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icchi-yutb · 1 year
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日常での、拾い食い
1
自立支援センターに通って半年ほど経つ、のかもしれない。体力が付いているのかどうかは分からないが、人生の不安定さや目標の無さ、将来への期待がないことが大きな精神的な疲労を引き起こしているらしい。午後3時半に帰宅して家の掃除や夕飯を作る準備や洗濯物など色々やって、さぁ自分の時間となった時に疲労で気絶する。寝てしまって起きたら夕飯になっていて、飯食って風呂入って。と他にも色々あって、11時。12時から1時あたりに寝ないと次の日がキツイ。そう考えると猶予は一時間。僕の趣味はゲーム。ここが勝負。最近流行りのオープンワールドのゲームを起動して、マップの1/4にも満たない距離を移動して終わり。何も成果はなし、ダンジョンを攻略することもなければ、ストーリーが進むこともない。アクション要素も移動しただけでは中々出会えない。ここでふと思う。趣味とはなんだろうと。好きでゲームをやっていることは事実だが、それでも体力が限界で、やっとの思いで得た1時間を使ってプレイするも、達成感もないし、何ならプレイしたという実感すら湧かない。ゲームの実況もどきでもしてみるかと思っても、深夜11時。家族は隣の部屋で寝ているので声は出せない。ただひたすらに漠然としたゲームをプレイする空間時間への嫌悪感。吐き気がする。
2
正直、自分に価値がないと思っている。夢や目標もないし、自分の将来にも期待していない。特別何かある訳でもないし、人付き合いが上手い訳でもない。別に死んでも構わないのだが、数奇なことに、ある程度の倫理を持ち合わせているので自殺は悪だと、自死を自制して生きている。最近悟ったのは、付加価値のある人間になるという努力が必要なことだ。テレビでタレントが多く出ている番組があるだろう。そういうものには大抵司会がいる。番組を進行するだけならアナウンサーでもいいのだが、芸人がやっている場合が多い。それは司会の進行だけでなく、プラスしてボケやツッコミや話を広げようとするアクセントを加えるからだ。付加価値とはこういうことを指す。自分は発達障害というデメリットを背負っている以上、何かプラスした付加価値がないと社会と戦っていけないと思ったのだ。ただ仕事ができるだけだとか、それだけだと疎外感を感じる。今まで自分は孤独だと思ってきた。しかし案外微妙な関わりを保ち続けている人物が多いことに気がついたらのだ。そのような人達が、そのような人達であり続けてくれるためには、そのような付加価値が必要だ。そう思ってアクションを起こしたり会話をしてみたりして、そして失敗し続けている。
3
障害者手帳を取得した。ただやる気と体力と頭が少し弱い健常者だとは思うが、それでも3級を取得することができた。僕の中学生時代に優生思想のR君がいた。失礼な言い方ではあるが、学力に関しては自分と同等か少し下のようなやつだった。端的に障害者は社会的に排除すべきだと言っていた。R君とは僕がほぼ友人関係だったので、僕は相手の話を聞き取った上で、間違いだと否定した。R君は納得はできなかったようだったが、私の話は理解はしてくれたようだった。手帳を取得した後に、R君を含めた友人数人で会話していた時に、思い切って手帳の話題を切り出した。単純に世間的に障害者がどう思われているかが当事者として気になったからだ。R君を含めた友人達は全員「何とも思ってない」「気にしていない」と言った。それ以上の回答はなかった。僕は複雑な気持ちになった。同級生達はそれぞれの道を歩み、みんな大学生になり、俺だけ学がなくて落ちぶれていき、社会に出たものの適応できずに泣いた。これでは社会の迷惑になってしまうと手帳を取得しようと決心して、細々と他人の目を気にしたがら生きてきた数年間。その上に出てきた「気にしていない」の言葉。もう訳が分からなくなった。優生思想を持っていたR君も大学生になり、特にそういう思想もなくなった反面、それを否定した自分だけが取り残されている気がした。もし優生思想がこの世に充満するのであれば、真っ先に自分を真っ当な理由で殺して欲しいと思った。
4
インターネットに自分の価値を見出そうとするのは辞めようという話。ネットという存在は良いものなのだが、反応がまるで自分の価値が上がったかのように、存在に意味があるかのように錯覚させる。が、そんなことはなく、別に面白くもない人間がネットから面白くないと言われるだけなのだから。少なくもと、僕は反応すら価値や意味を感じるほど受け取ったことがない。まず自分とネットを照らし合わせる土台すら存在しなかった。継続は力なりという言葉は間違いではないのだとは思うが、おそらくその言葉は100年以上の歴史があるだろう。だから50年ほどの歴史しかないインターネットにはそぐわないのだろうと考えた。努力や出生は不確定要素が多いのは既知の事実だとは思うが、それよりもインターネットの方がぐらつきがある。自分の価値が見出せるという幻想とインターネットを照合させたことがあまりにも間違いで、もっと早くその間違いに気付くべきだったなと後悔している。でも別に途端に辞める必要はないので、もう少しぼちぼちと生きていこうと思う。
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icchi-yutb · 1 year
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Tumblrを始めてから4周年を迎えました 🥳
長文を投稿したい時のみの利用なんですが、4周年らしいです
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icchi-yutb · 1 year
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自我を持つレコード 2023/6
※希死念慮や心の病気がある方は読むのを控えてください
レコードはご存知だろうか。今ではスマホで音楽を聴く時代なので知らない方もいると思う。ではCDは知っているだろうか。おそらくCDは分かるという人が大多数だろう。CDは音を録音して、それをデジタルデータとして円盤にしたものだ。そしてレコードはCDの前身となったアナログもの、つまりデジタルデータにするという作業を介さずに円盤にした音楽を楽しむためのものだ。説明が下手なのだが、スマホのUSBメモリがCDなら、レコードはメモ用紙ということだ。
本題に入ろうと思う。私は最近死ぬのが怖い。本当にここ2週間前辺りからだ。今まではその逆だった。死ぬことは救済だと思っていたし、死ぬことで人生の全ての問題が解決するという極端かつ強引な思想を持っていた。だから別に怖くもないし、むしろいつの瞬間でも死んでもいいと思っていた。むしろ死にたいと。しかし、理由が全く分からないが、急に怖くなった。
当たり前だが死ぬと意識がなくなる。寝ている時と同じ状態だ。寝て意識が消えた瞬間から次起きるまでの時間意識がなくなるわけだ。しかし、それは起きたからこそ「今まで意識がなかったな、寝ていたな」と認識できるわけで、それが死んでしまったら認識も何もない。
そもそも意識とは何か認識とは何かという話ではあるのだが、どちらも脳が処理していることである。そしてそれ以上それ以下でもない、それ以外何者でもないのだ。死んだら大抵は葬式を執り行うだろう。脳は燃やされ、土に還る。私の意識は死んだ瞬間、二度と復活することなく本当にこの世界から消滅するのだ。私が今まで持った認識や経験の記憶、意識すらなくなってしまう。
これがもしUSBメモリだったらどうだろう、真っ二つに割れたUSBメモリ。普通に使うことはできないが、何とか復元できる可能性が少しでもないだろうか。しかし脳みそはUSBメモリに例えられることはできない。レコードはその表面にアナログデータがある。真っ二つに割れてしまえば、どうくっ付けたところで、割れた部分の凹凸は治らない。
さて、ここまで読んでみて「何を当たり前のことを」と思っただろう。そう、当たり前なのだ。死を理解した人はこの事実に何も驚かないし、しょうがないことだと思っているだろう。私もそうだ。人間はいつか死ぬということは十分分かっている。十分すぎるぐらいに。
だからこそ怖いのだ。何かに熱中している時や、やりたくないけどやらなければならないことをやってる時など、起きてから寝るまでにこの「いつか死ぬことの恐怖」が常に存在し続けている。この恐怖と隣り合わせで生きている。「意識がなくなったらどうなるんだろう」だったり、「死ぬってどんな感じとか、そういうものじゃなくて今感じているものが感じなくなって無になる」だったり。そういう思考感情がずっと頭の片隅から離れない。何かに集中していても、ダメ。ゲームが趣味なのだが、どれだけゲームに熱中していても、このゲームが好きという気持ちさえも、死んだら消えてしまうという事実が離れない。こんなこと考えながら生きている人などほとんどいないだろうが、残念ながら私はずっとこの状態だ。
何故死にたいという感情から、急にこのように移ったのかが理由が分からない。でもおそらくだが、一種のポジティブな理由があるからだと考えている。先程も言ったが、僕はゲームが趣味だ。ゲームが好きすぎる男だ。だからこそずっとゲームをやっていたい。しかし、それは叶わない。仕事をしないと生きていけないし、やるべきこともたくさんある���ゲームをやる環境も自分では満足でない。そして何よりもやりたいゲームがたくさんある。ありすぎる。みんなが想像する100倍はある。だから時間がとにかく足りない。おそらく10年間無職でゲームをやり続けても終わらない。でも生活するためにはそんなのできない。ゲーム以外のこともやりたいことが多すぎる。ネット上に色んな動画を投稿してみたい。絵が上手くなりたい。一人で旅行をしてみたい。家を立ててみたい。求めすぎている。どれだけ時間があっても足りないし、だからこそ、そういう経験が意識できなくなる死がとにかく怖い。
・死んだら意識がなくなって、今この瞬間の意識そのものが消えることに対する恐怖
・やりたいことが多く、それを死によっていつか感じられなくなる恐怖
要するにこれが今自分に降りかかっている死の恐怖だ。不老不死の研究が成功する確信があるのであれば、俺は生物の研究をしたい。そのためならどれだけでも勉強ができると思う。それぐらい今の自分は死を免れたい。怖いし嫌だし避けたい。ワガママかもしれないけれど、この恐怖が今も自分の中を巣食っている。
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icchi-yutb · 2 years
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素晴らしい未来
男は市役所に向かっていた。速度標識が視界に入り、「40」という数字を確認した後に自分の車の速度メーターを確認する。針は40を指していた。信号機が見えてきて、男はウインカーを出して駐車場へと入って行った。
席に座ると担当の女性が机に向かいに座った。「まずは名前等とご記入ください」と差し出された紙に名前を書きながら男は言った。
「安楽死申請をしたいのですけど」
彼女は冷静だった。「はい、了解しました。過去に治療歴などあったら、紙の下の欄にご記入ください。資料があるので少しお待ちください。」席を立ったのを確認して彼は紙に記入を初めた。彼が全て書き終わる頃に彼女は帰ってきた。数冊の冊子は安楽死に関する説明をするものだった。彼女は何も躊躇いもなく淡々と説明を始めた。「安楽死制度一般申請枠は1年前から方法が変わりまして薬から機械に変わりました。以前は薬物投与だったのですが、今では酸素低下ポッドに入って終わりという形になります。」冊子を開きつつ、2ページ目の写真をペンで指す。男は(そんなことは分かっている。もうネットで何十回も調べたところだ。)と思いつつ、話を聴きながら人生を頭の中で回想し始めた。
ー貧乏な家庭だとか親が育児放棄しただとか、そういう生まれではなかった。ごく一般的な家庭に生まれ、何も隔てりもなく育ったと思っている。しかし小学生になり、他人と違う部分が垣間見え始める。それは忘れ物が多いということだ。何十回先生に怒られたことか。自分でもどうしようもなかった。何度確認しても忘れてしまう。怒られたことよりも、その現状が自分の意志でどうしようもならない事実に打ちのめされたのだ。
中学高校と進んで行くと更に自分の欠点が発現し始める。それは勉強ができないということだ。やり方が分からないだとかそういうレベルの問題ではなく、根本的に学習で物事を吸収するスピードが遅かったのだ。常に理解は周りと足並みを揃えることが出来ず、教師には怠けていると叱られた。ここでも自分でどうしようも出来ない事実に、ただ泣くしかなかった。
高校を出て、仕事を探しては辞めてを繰り返した。その中で理解したことは「仕事が向いていない」ということだ。上司から指示を受け、そして言われたとおりに動く。たったそれだけのことが難しくてたまらなかった。質問に対して答える時に言葉がすぐに出てこない。道具が上手く使えない。同じミスを繰り返す。泣きそうになった時はトイレに駆け込んで大粒の涙を流した。
そうしてやっと自分は病気なんだと気付いた。おそらく脳みそがイカれてるのだろう、と。いろんな検査を受けた結果発達障害だと分かった。治療を進めたが、やはり過去の自分がしてきた失敗がフラッシュバックする。そして心の病気も診断された。うつ病だという。しかし治療は出来なかった。発達障害は投薬治療に対して、うつ病の主な治療法は「ただ安静にして寝る。」というものだったからだ。しかもそれを一年以上続けないと治らない���いう。そう聞いて私は治療を諦めた。
私に仕事がないと両親がとても心配してしまう。今までどんな困難があっても、両親のおかげで何とかやってきたのだ。だからこそ心配をしてほしくなかったのだ。両親は事あるごとにアドバイスをしてくれた。自分が選べない選択肢を選んでくれたし、進むべき道も迷った時に助言してくれた。だから仕事を辞めないと治療できない趣旨の話をしたところ「仕事をしてないと今の時代心配じゃないか」と言われたのだ。たしかにそうだと思い、仕事を続けたのだ。ー
「ここでお金を支払っていただければ、後はいつでも市役所裏にある機械をご利用いただけますので。」と言って説明は終わった。男は持ってきた封筒を差し出した。中には札束が入っている。「確かに受け取りました。」と言って彼女は横に置いてあるカバンに入れた。「ご不明な点はございますか?」と言われたが、男は無いと答えた。最後に指紋の認証をして手続きは終わった。あっという間だった。
ーそうだ、こんな人生だった。小学生の時にテレビで見たロックバンドの映像は今でも覚えている。マイクを握りしめてファンが盛り上がる。人生で初めてカッコいいと思った。こんな歌が作りたいと思って、作曲家を目指した。小学生の時から図書館に通い詰めて、職業の成り方を調べた。家に帰るといろんな歌番組を見て作曲家への憧れを膨張させた。中学生になって、将来の選択を迫られた時、その夢を親に言えなかった。周りの人は皆進学校に行くと言っていた。両親も私もそのつもりだと思っていた。それもそうだ。この夢はあくまで夢で、目指そうとすると色んな人に迷惑がかかる。僕は両親の気持ちを優先して進学校を目指すことにした。
20歳を越えて普通に仕事をし始めた頃も、まだその夢が脳裏によぎっていた。高校でいい成績を収めることは出来ず、両親に音楽系の専門学校に行きたいとすら言えなかった。こんなに出来の悪い息子の我儘は両親を苦しめるだけだ、と。そう思い夢を諦めて普通に仕事をし始めたのだけれども、やはりずっと志していた物をすぐに忘れることが出来なかったのだ。稼いだお金で機材を買って、自分で独学で頑張ってやろうと思った。
ある日ふとテレビを付ける。とある作曲家の特集をやっていた。インタビューの映像が流れる。顔が若い。私より若いのではと年齢を見る。17歳...。この年でこの人は売れっ子。悔しいという気持ちより虚しさが出た。もしこれが俺だったらと思ったのだ。もし自分だったら、もう少しいい機材を買えるのではないか。もしたくさん儲けがあれば親孝行できるのではないか。自然に溢れ出たその感情は、自分を蝕んでいった。ー
自分は何も出来ないんだ。何も出来ない。そう思いながら男は市役所裏に着く。そこには庭があった。綺麗に手入れをしてあるその庭の中央にはカプセルホテルの一室をそのまま置いたような見た目をした機械が置いてある。指紋認証をすると上半分の蓋が開いた。男はゆっくり中に横たわり蓋を閉める。中にはボタンが一つ。深呼吸したあと、親指で力強くそのボタンを押した。意識が遠のいていく。彼は目を瞑った。
ステージに立っているロックバンドを男はテレビ越しに見ていた。曲のタイトルが出て、作詞作曲とテロップが出る。そこには自分の名前がある。男は用意したお酒をコップに注いだ。男の顔には笑顔があった。
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icchi-yutb · 2 years
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とても暑い夏
蝉が鳴いている。私は別に嫌いではない。夏の風物詩として蝉の鳴き声は昔から存在しているが、最近では五月蝿い、聴きたくないという人がいるそうだ。
なぜ鳴くのか。知らない人はいないと思うが子孫を残すためである。そのために土の中で必死に生きて、時が来たら土から這い出て全力で鳴くのだ。それが蝉の仕事であり、命を懸けて全うする行動なのである。
蝉の一生はほとんど地中で過ごす。地中にいる時間は数年ある。有名なアブラゼミだと4年ほど地中にいるそうだ。そして地上に出て子孫を残すために必死に鳴き、そして1週間で死ぬ。地上に出て1週間で死ぬのは、体が���ういう構造になっているからだ。
一生が4年間であり、その内に命をかけて頑張らないといけないのが1週間という、それが蝉の人生なのである。これは私にとって羨ましい人生だと思う。そう思う人は私以外にもたくさんいるのではないだろうか。
人生100年時代といわれてきたこの頃。日本では平均寿命が伸びてきていて、私が歳を取ったら100歳近く生きることになりそうだ。4年の一生を100年に合わせると25倍になる。蝉が頑張らないといけない1週間を25倍してみよう。すると25週、約半年である。人間単位にすると100年生きていても最後の半年間頑張ればいいのだ。素晴らしいと思わないだろうか。
種が違うので比較することがナンセンスなのは十分承知なことだが、人間という生き物は蝉と比べて頑張って生きないといけない期間が長すぎる。今20歳の私だが、この20年間に苦難が詰め込まれていて、そして現在進行形で悩まされていて、そしてこれから生きていく上でも苦労を強いられている。人間の一生は私に何をさせたいのか。何をそこまで苦しめたいのかと考えてしまう。もう少し楽にしてもらえないだろうか。
半年間打ち込むほど、やりたいことがあるわけでもない。ただ単に常に頑張っていないといけない人生に疲れてくるのだ。ずっと頑張ってきて、これからますますやらないといけないことがたくさんある。そういう現実と向き合うと、ふと短命の生物が羨ましく思えてくるのだ。
寿命が迫ってくると危機感を感じるのかもしれない。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」なんて言葉がある。本当にやりたいことが出来る人なんていない。何故なら明日があるからだ。今日一日に全てのお金を使ってやりたいことを全部やって人生の悔いがないようにしたとしても、それでも人間は明日を生きなければいけない。それこそ全力になれない理由で、なおかつ疲れる理由だと思う。
蝉は死ぬ間際の1週間はやることが決まっている。子孫を残すことだ。しかしながら人間は自分の意思で子孫を残さない選択肢も取ることができる。人間を苦しめているのはこの選択肢ではなかろうか。今日一日やり残しがない日を過ごしたとして、明日生きるとが嫌になったら首を括ればいいのだ。その選択肢さえも常に隣り合わせで一生を過ごす。でも死は手段であって願望ではない。首を括るまでに願望は山積みになっていることだろう。だからこそ死が選択肢ではなく確定事項であれば、やるべきことは一瞬で絞られるのだ。そこにも人間が生き物として長く生きるデメリットがある。
杞憂ではあるが、将来が心配だということだ。明日死ぬならいいけれど、そういう訳にはいかない。漠然とした不安と人生の辛さが、蝉の鳴き声を聴くと膨張していくのである。
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icchi-yutb · 2 years
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自分という人
2022/6/13 今日は月曜ですね。自宅には車が二台しかなくて。免許を持ってる自分を含めて家族で車を使える人は父母自分と3人いるわけです。母親は仕事なのですが父親はたまたま休みで。僕も日中車を使うかもしれないと思って母を職場に送っていったんですよ。
帰り道に救急車が対向車線から来たんですよ。そこは下り坂で、前の車がパッシングしてくれたんですよ。んでその前の車も同じようにパッシングしてて。だから俺もやらなきゃって思ったんですよ。でも焦っちゃって出来なかったんですよ。本当に申し訳ないと思って。慌ててたら救急車はもう行っちゃっててね。なんで俺はこんなことも出来ないんだって。ため息吐きながら自宅に帰るわけです。
自宅には父親の車がありまして、二台並列に駐車するんですよ。私が駐車するべきスペースの前はちょっと狭くてですね。道が交差してるんでちょっと駐車が大変なんですよ。でも免許取って一年経つし、今まで何事もなく駐車してたんですけど。今日は駐車場近くの路地から車が来ていまして、ええ、焦っちゃったんですよ。私が駐車しないと通れないもんですから。駐車もちょっと時間かかるのでね。んでハンドル切って下がった瞬間ね。当たったんですよ、父親の車に。やっちゃったと。もうダメだと思って一旦駐車場から離れて来てた車を通したんですけどね。もう朝から失敗続きで。
私はまだ学生でも社会人でもないニートで。人と喋る機会なんてほとんどないわけですよ。母は早く働けと言ってくるだけなので会話もしなくなって。父とは昔から喋るような間柄ではないですし。姉は東京に行って大手で仕事してますので。必然的に誰とも喋らない1週間があったりするんですよ。喋るとしたら母方の祖父母ぐらいでね。もう祖母は80近いし祖父は80超えたぐらいで。でも普通に会話出来るんですよ。健康そのもので、理想の老後のような生活してる夫婦なんですよ。僕が今のところ唯一普通に会話できる相手で。今日はずっと家にいるつもりだったんですが、何か家にいるのも嫌になってしまって、祖父母の家に言ってきたんです。祖父は犬の散歩に行く時間だったみたいで。祖母と駄弁ってたんですよ。「鬱を治療しようかと思って」って言って。そうしたら「自分自身でうつ病だって思い込んでるだけで、本当のうつ病の人は会話もできない」って言われちゃったんです。あながち間違ってなくて。親戚にセルフネグレクトになったなような人がいまして。本当に会話も食事もマシにできないようになってしまった人がいて、最近その人がちゃんと暮らせるように引っ越しさせたんですよ。身内が住んでる場所の近場にって。その手伝いに祖父母と母親が行ったんですよね。だから直近にうつ病の人と対峙してて。それと比較すると僕なんて普通に会話できるし食事もできるし車も運転できるし、全然うつ病なんかじゃないって思われたんでしょうね。
私、泣き出しちゃって。
それ言われた瞬間もうわけわかんなくなるぐらい泣いちゃったんですよ。おかしいですよね本当に。今までの人生の辛い経験がバァーって蘇ってきて、それを溜め込んで来たダムが決壊したみたいな。
-高校一年生の時から鬱っぽくて。原因は勉強が出来なかったことでしたね。中学の時に高校選べって言われた時に自分はまだ将来のこと何も考えてなかったのでとりあえず自分の身の丈に合った進学校に入学して。めっちゃ頑張ったのに母親に「受かって当然」とか言われて。燃え尽き症候群的なものなんでしょうかね。中3の時に「第一志望に絶対受かれ」って毎日のように言われ続けてましたから。受かった瞬間解放されたと感じました。んでその数ヶ月後にテストを受けたら点数が酷くて。六月ぐらいにはもううつ病だったんだと思います。
高校3年間は本当にうつ病で。辛くて辛くて。こんなこと言っちゃいけないんですが、勉強してる人より辛かったと思います。どれだけ頑張ってもいい点数取れなくて怒られて。宿題も全然手に付けられなくて、提出物も完成出来なくて怒られて。学期末になると成績が悪いと怒られて。校長室に呼ばれて卒業できないかもしれませんなんて言われて。部活も辛くてやめて。正直でいられる方がおかしいと思います。マンツーマンで先生に勉強教えてもらっても何も分からない。でもうつ病だからと言って休めば成績に関わる。だから必死に耐えて我慢して頑張って、死ぬ気でやって卒業できたんです。もう終わったんだなって思いましたよ。
卒業できたその次の週に母親に言われたことは「自動車の免許を取れ」でしたね。別に間違ってはないんです。でも勉強出来なくて鬱になったのに、卒業した直後に自動車学校で学科の勉強しないといけなくなって。車の運転練習だって大変で。ちょっと不安障害みたいなのが僕にあって慣れるのに大変でしたね。指導員の方にたまに話しかけられるんですよ。「今何してるんですか?大学生?」って。何もやってませんって言うのが恥ずかしくて。無職ですって堂々と言えなくて。場面緘黙症もあるんですよ私には。だから上手く言葉が出ないこともあって。今思えば何となく「仕事探し中なんですよね」とでも言えたんですけど、逆に言えば思い返さないと言葉がその場で完成しなかったりするんです。それでも何とか自動車学校を卒業して免許を取れたんです。奇跡ですよね、1発で合格したんです。人生唯一の成功体験でした。でも試験が終わった後にふっと「怒られる!」って思ったんですよ。いや、誰に怒られるんだって話なんですけど。今までテスト終わりには怒られるって流れで3年間過ごしてきたので、合格してるのになぜか喜べなくて、ずっと「怒られる」が頭から離れなくて。
免許も取ってやるべきことはやっと、やっと終わったと。終わってないんですよね、仕事がない状態で終わるはずがなくて。無職なので仕事を探さなくちゃいけなくなったんです。でも自動車学校で受けた言葉が思い浮かんじゃって。「今何やってるの?」が。無職なんですよ。辛い辛い高校生活を終えた後の頑張った記憶があろうとも私は無職以外の何者でもなかったんですよ。世の中の情勢もあり、仕事を探すのが大変で。まず仕事の探し方なんて学校で習わないからゼロから始めないといけなくて。でも不安障害や場面緘黙症も相まってか、中々思い切って仕事をやろうって出来なくて。人と関わらない仕事だとか軽作業とか条件を付けまくると中々仕事は出てこなくて。そりゃそうですよ、自分にピッタリな仕事なんてないわけですから。だからこそ困っちゃって。身内からは「当たって砕けろ」「早く仕事見つけろ」って言われてて。砕ける勇気がなかったんです。アルバイトに応募してみたこともあるんですよ。でも応募した後に確認したら自分が参加条件に合ってなくて。応募前はちゃんと確認して、「未経験者歓迎」だとか「資格学歴関係ない」とかあったんですけど。それでも色々あって出来ないことを応募後に分かったので取り消ししました。そんなことあったりして一年が経ってしまいまして。
20歳になり国民年金の催促の郵便が届いて、危機感を感じたんですよ。同級生はほとんど大学生になり、そんなものとは無縁の生活を送っているのに俺だけこんな風になってしまって。どこで道を間違えたんだろうって。だから4月下旬にハローワークに行きました。というか母親に連れて行かれて。仕事の悩みのカウンセリングを受けて、なんか仕事出来そうだなって思っちゃったんですね。国民年金のこともあって、すぐに仕事をしないとって。それでハローワークの検索機を使って仕事を調べまくって。でもその間にずっと頭にあったのが国民年金のことで。20歳になる数ヶ月前から「仕事がないと国民年金が払えない」「お前は大人になるんだから年金払わないといけないんだぞ」って母に言われてて。ずっとそれを目標に調べてて、その道で職探しを進めてたんですよ。ある程度ハローワークの人と進めてたんですが、面接と履歴書ってのが出てきてですね。一番の壁です。面接も喋れるか不安だったし、何より履歴書に高校のこと以外何も書くことがなかったんですよ。しかも卒業して1年間空白。それはどうにもこうにもならなくて。アルバイト経験もほとんどないのに急に労働保険範囲内で職を選ぶってのは精神的に来たんですよ。なので途中まで話進めてしまって申し訳ないんですが、時間の短いアルバイトをしようと思いますって一旦ハローワークと進めてたのを置いておいて、新たに職を自分で探し始めたんですよね。
それで行く当ては一応あったんです。友達が近所でアルバイトをしてまして。その友達は大学生なんですが。今人手が足りないので来てほしいって言われたんですよ。ハローワーク通ってる間に。職探しを進める中で、履歴書とかもプレッシャーがあって短時間のアルバイトから始めようってなった時に。だからそこに応募しようって思ったんですよ。ほぼ初めてのアルバイトで。だから職探しを短時間アルバイトの方にシフトし始めた直後にすぐ応募したんです。面接で言われたことは「人手が足りてるので雇えるかまだ分からない」でした。聞いた話と違うと思ってその友達に聞いたんです。そうしたら「私が応募する数日前に数人来た」って。不安もあって、雇われることに対して安心材料として「人手不足」を知って勇気を振り絞って応募したのに。-
人生いつもこうですよ。選択間違えたり失敗したり落ち込んだり怒られたり。もうなんなんですかって。んでそれが全部体の内側から出てきたんですよ。今まで抑え込んでた全部が。涙として。もう顔がぐしゃぐしゃになるぐらい泣きましてね。
でもうつ病がもっと重篤な人だって実際身近にいるし、不安障害だって行動が出来ないぐらい深刻な人もいるし、場面緘黙症だって家族以外の人と喋られない人だっているんです。僕がどう辛いと言っても、それ以上に辛い人なんていっぱいいる。だから僕は耐えて来たんです。耐えて来たのに、もっと辛い人より幸せ者だって教えられて来たはずなのに、泣いてしまったんですよ。限界だったんです。
昔抗うつ剤を飲んでいたことがありまして、朝に飲んで学校に登校していたんですよ。初めは良かったんですが、次第に「飲んだら学校に行かないといけない」「頑張らなくちゃいけない」と思いようになって、学校で吐くようになったので服用をやめてしまったんですよね。だから自分で健康維持から治さなくちゃいけない。
アルバイトは採用されました。でも人手が足りてるのが理由だと思いますが、シフトはあまり入れられないって言われました。でもよかった。これで無職ではなくなる。しかしこれからどう生きていくかの不安は拭えぬまま。アルバイトだってシフトが多くなければ給料が出なくて国民年金が払えない。仕事をしながら新しく仕事を探さないといけない。ここ数年、ずっと人生が辛いままだ。もう自分の力では動かせないので、ひたすら人生がいい方向へと向かうのを願うだけ。
それが今日までの自分という人です。
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icchi-yutb · 2 years
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布団を畳んだ。この時期になるともう布団に触れるだけで汗ばんでくる。ベランダからは強い風が吹き込んできて金網を鳴らしている。1ヶ月も経つとこの音は虫の大合唱に変わるのだろうか。無職二年目。焦りより自責の念の方が肥大化している。ハローワークに通ったりして、何とかこの状態を脱したいと思いながら過ごしている。
私には顕著な躁鬱が存在して、躁の時に行動しては鬱になって減速する。それを繰り返して一年。普通の人には分からぬ葛藤や苦しみは、傍から見ると怠惰に見えるのだろう。
なんだかんだで目標ができた気がする。鬱を減らすことだ。とにかく減らす。今やっているネットの活動も日常生活も、何もかもダメになっている。その原因は鬱だと分かった。分かったというか、今までもそうであったが、半ば諦めていた。しかしながら、根本的にそこをどうにかするという目標ができたのだ。
職を見つけることだなまずは、と。その点では大学生を羨ましく感じる。それ以外では特にないが。鬱の原因の大元は無職である劣等感と、母親からの圧力である。人生、そんな簡単に進むはずはない。確かに一年無職であったことは事実だが、それを引き合いに何度も何度も叱責するのは違うとは思う。が、しかし母親はそういう経験がない。今まで全て上手く行ってきたのだ。そして厄介なことに一般的には順調に進んでいる人生のワンシーンも「自分の価値観では上手くいかなかった」ような記憶として保持しているために、「上手くいかない」という経験がないだろうという指摘に反論ができてしまうのだ。
そういったどうしようもならない圧力と鬱と戦いながら、もうすぐ仕事が出来そうにある。これは躁で賄ってるわけではなく、鬱の原因を減らしたいという目標に沿っての行動力である。
ネットの活動も話しておこう。過去に何度も言っているが、有名人になりたいとかちやほやされたいという気持ちは、他の人よりはないのかもしれない。普通であれば「注目を浴びたい」が原動力になり創作したりするものだ。しかし私はそれが普通の半分ぐらいだと思う。完全にないわけではないが、それより「自分がネットで活動している」という事実が、自分が生きた証のように感じていることが原動力なのだ。高校時代私はうつ病だったのだが、「今ここで死ぬとネットにある俺の全てはどうなるんだ」と思い留まらせてくれた。今はもうあの時ほど鬱ではないのだが、やはり根底にあるのはそのスタンスである。これを俺は続けて行きたいと思っているし、それで評価や価値を生み出せればいいなと思っている。出せなくてもいいのだ、副産物として生まれればラッキーという感じである。
もう五月の終盤か。人生の波に乗ってきた気がする。ここで頑張らなければ。踏ん張らなければと。
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icchi-yutb · 2 years
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バースデイ
誕生日は親に感謝する日だと聞いたことがある。極端な話、僕を発達障害に産んでくれてありがとうとは言い難いものだ。それで特異な才能を見出せているならまだしも、「発達障害=何か突出した才能がある」という世間の認識とは程遠い存在である。一例として私がいるのだが。
そもそも発達障害とアーティスティックな才能を結びつけるということそのものが当事者として疑問を持っている。世間に何か才能を持って発現する人は、どういう人間であれ注目を浴びる。それが発達障害が否かは別なのだ。それがスポーツであれボードゲームであれ同じことである。そういう人達が全員何かの障害を持っているかと言うと違う。成功した人の中に発達障害を持ち合わせていた人もいるというだけの話で、割合的に出てくる算出なのである。しかしながら、持ち合わせているという部分だけに注目して、「発達障害=何か突出した才能がある」と認識することに首を傾げてばかりである。
反出生主義的な考えなのだが、20年前に私を産まなければ20年間の失敗や苦しみはなかっただろうに、と思ってしまう。4月6日、私の母は誕生日ケーキを買ってきた。ホールではなく小さいものだ。私は別に食べる気はなかったが、催促されたので食べる他なかった。食べていると記念写真をスマホでバシャバシャと撮ってくる母親。そうか、そういうことなのかと確信した。母親にとって私が産まれてきた日は記念日であって、嬉しい日であり、息子の成長を祝う日なんだと。それは母親自身の主観的な気持ちに過ぎない。じゃあ私が今引きこもりの無職であることは何とも思っていないのだろうか。それに対して「早く就職先見つけて働け」のワンアドバイスしかしてこないのは、私の過去や今までの20年を全く分析出来ず、「息子が育っているな」としか認識していないということであろう。その20年の間、私は発達障害と闘い、うつ病やPTSD、パラノイアと闘い、誰の助けも借りられずに必死に生きてきたのだが、それを主張すると「みんな頑張って生きている。自分だけじゃない」と言ってくる。そうではない。みんな苦しんでいてみんな1人1人の悩みがあって、それが立場がどうだとか、性別がどうだとか、稼ぎが多いとか、そういうのは関係ないのだ。その感覚だけが、私の母親には著しく欠けている。
仮に世間一般の「発達障害=何か突出した才能がある」という認識を通すと���て、では私に才能が芽生えなかったのは、母親のせいではなかろうか?そして私個人がここまで20年間悩み苦しんで、少しも楽になれずに生きてきたのも母親のせいではないだろうか?と思う。それは人のせいという訳ではない。単純に過去の発達障害やうつ病との闘いを客観視した時に、やはり自分ではどうしようもならない場面がある。そして他人の手を介入させる必要があるのだ。母親自身が手を出すべきだとは思わないが、専門家や行政の手を仲介したりするべきだったのではないだろうか?それは産んだ人の責任であると私は思う。
そうするべきだと分かっていたかどうかは分からないが、おそらく分かっていなかっただろう。何故息子の苦しみを分からない親だったのか。それは自己中だからである。私が誕生日ケーキを食べながら「何故俺はこの世に産まれてきて20年も苦しむ必要があったのだろうか」と思いながらいるところを、ニコニコしながら記念写真をバシャバシャ撮っているということは「子どもが歩んできた人生の良い成長している場面や自分のお陰で子どもが成長できた場面」しか思い出せていないのだ。それは自己中心的に過去の一部を切り取って美化しているだけだ。私がどう人生と向き合ってきたかなど微塵も関係なく、ただ自分の子どもが自分のお陰で成長したという単純かつ害悪な思考しかないのである。だからこそ私は反出生主義にも納得してしまうのだ。
「職を探す努力をしろ」「当たって砕けろ」とよく言われるが、そんな人として産まれたつもりはないし、そういう“よく出来た”人間に育てられた経験は一切ない。だからこそ私に対して怠けているなど言ってくる人間は割と良い教育環境で良く育ったのだろうなと羨む日々を過ごしている。皆同じ感覚ではないし同じ人生じゃない。同じ経験を積んでる訳でもないし、同じ価値観ではない。みんな違うのだ。私が無職であることに、疑問や怒りを覚える人も少なからずいるだろうが、そんな0か1かの思想で人を判断出来るのであるならば、是非ともそのままの人生を歩んで欲しいと思う。
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icchi-yutb · 3 years
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https://twitter.com/icchannel_yutb/status/1491776424428326914?s=21
のまとめ
いや、ネット上で名を馳せている人とかにファンはいることに対して、ほとんどは納得出来るんですよ。トークが面白いとか企画アイデアが面白いとか。アイドル的な立場を確立したとか。まぁ分かるんですよ。僕ってなんですかと思ってしまう。独創性があるとか奇抜だとか。そういうのもないし。
趣味の一環であるために、「他人より抜きん出ている点がある創作をしないといけない」という縛りはないから、ここまで考える必要はないというのが過去に出した結論。やりたいと思ったことをやっているだけで、そこに自分の創作が完成されたという事実さえあれば満足であるという思想に変えた。
だから自分の投稿が見向きもされなくても、「誰にも見てもらえないであろうという前提で作った」と考えて、評価を一旦捨て去った。だから一度でも反応が来れば大成功だと思えるし、無くても良いものだということにした。
だが、何故かそのようなものに継続的に反応してくれる人が現れ始めた。僕からしたら嬉しいという感情よりも不思議だと思った。不思議だからこそ漠然としてそこに謎だけが残る。創作に関係なく、その謎に悩まされている。反応がある以上、見る側の視点をどうしても無意識のうちに考えてしまう。
ここで今ままでの「誰にも見てもらえないであろうという前提」が崩れて、何も考えずに出てくる創作ではなくなった。自然と体から出てきたものが、急に出てこなくなった。今までとは全く違う部分からアイデアを絞らざるを得ない状況になってしまった。謎は解けぬままである。
「他人の評価を気にするようになった」とは少し違う。他人が何故自分を継続的に見る人がいるのか?という謎が気持ち的に引っかかり続けているということだ。ファンを獲得しようとは一度も思ったとがないので、反応も一期一会でいいと思っていたのだが。
その引っかかりがずっとあって、今まで漏れ出してきたアイデアが急に漏れ出さなくなった。絞ってやっと出てくるぐらいになってしまった。かつての状況を取り戻すためにはどうしたらいいものかと、日々私は悩んで考え込んでいる。これが根本的に解決しなければ、僕は創作が出来ない。苦悩だ。
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icchi-yutb · 3 years
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変死体とゾンビ
オリンピックの開会式について、YouTubeを開くと批判的な意見がたくさん出てくる。私も若干同情している。パフォーマンスとしてはよかったが、東京らしさ、変なところに無理矢理日本らしさを出しているような。とにかく心にあったモヤモヤをネットを介して発信してくれる文才達が言語化して納得している。が、しかし、他人の言葉を借りて自分の意見を確立させるほど恥ずかしいものはないと思う。自分の意見を持たねばと思っているところだ。
前置きはここまでにして、開会式について母親の意見を聞いたら180度違う意見が出た。それは、「別にみんな見てすごいでいいんじゃない?それ以上に何があるの?文句言いたい奴は言いたいだけなんだから言わせておけばいい」と言ったのだ。私がネット上で見た批判的な意見を述べる人は、音楽関係の人が曲に関して意見していたり、映像クリエイターの人が映像に関して批判していたりと専門家の人が専門的知識を用いて批判していたのだ。そういう人を母はどう認識しているのか知らないが、「ただ文句を言いたい人」として捉えているのだ。
もちろん専門家の意見としては「東京五輪という世界に見せる式なのに、もっとしっかりして欲しい。」という日本の文化に対する考えを持っているが、それも含めて母は「文句を言いたいだけの人」と言っているのだ。「専門家かがどうかとか、それはそういう知識を持ってる人が、こうであれと思っているだけ。だから文句が出てくる。私はそんなこと思わない。見ててす��ーいでいいじゃないか」と言うのが母親の意見だ。私はそれもある種間違ってないのかと思ってしまったのだ。
今やネットを開けば専門的知識を解説してくれる人が沢山いる。つまり知ると知るほど「面白い・凄い・楽しい」の基準が上がる。そして楽しめるものが楽しめなくなるのだ。西村博之氏も「舌を肥やすな、飯が不味くなる」と少し過激な発言もしているが、それに通じるものがあるのではないか。母親は、世の中の情勢などに興味がなく、法改正や制度の変化のよって生じる不満に文句を言わないのだ。しょうがないものとして割り切る性格である。レジ袋が有料化された時も「そうなったのね」と一瞬で割り切った。不満はあるだろうが、文句は言わないのだ。たとえ文句を言って制度が変化するとしても、そこに多くの労力がかかること完全に理解して、何が来ても割り切るスタンスで半世紀を上手く生きているのである。
しかし、母親は会社には文句を言う。もちろん職場だからと言うのが一番の理由なのだが、おそらく文句を言う言わないの基準は、「自分の意見が通るかどうか」だと私は考えている。会社と言っても中小企業で、会社内の上下関係が狭いから成せる業だとも思うが、自分のために自分が変えられる範囲で文句を言うのだ。
政治情勢に意見を持ち、主張し、文句を言う。デモクラシーの基本であるが、これを半ば放棄した状態のままの母親は、上手く生きている。このスタンスは全く問題ないとは言えないが、少なくとも不幸せを感じにくく、柔軟性もあるものだと私は評価したい。
プラトンが言った「政治家に頼る国家より、国民が個人で幸せにある努力をすれば、結果的に良い国家になる」に似てる部分があるような気がする。どうにもならないことを切り捨て、どうにもなるだろうけれども自分へのリターンが少ないものも切り捨てる。この情報社会でたくさんの情報を受け取る現代人にとってなかなか難しいのではなかろうか。
そして先程言ったように、私はその真逆の性格でである。どんなものにも意見を持ち、こんな風に言語化したがり、まとめたがる。世の中にある多くのものを批評し、いろんな意見を吟味してしまう。良いことかどうかは分からないが、少なくとも母と比べれば最悪な性格だろう。こんな人間と母親という人間がなぜ血が繋がっているのか。とても疑問である。
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icchi-yutb · 3 years
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日常のB面
19歳無職という自己紹介も飽きてきた頃なので、虚無人でも言っておこうか。8月に入るというのに、何も変化がないニートとしての生活を過ごしている。かのマルクスでさえニートだったとかいう話があるが、事実かどうかはこの後の文章には関係ない話だ。
「中世の人が一生に見る情報を、現代人は一日で見る」
そんな主旨の言葉をどこかで聞いたことがある。つまり現代は情報に溢れているのだ。いいニュースも悪いニュースも悍ましいスピードで目の前を流れているのだ。でも昨日SNSで見たニュースの内容をはっきりと覚えている人はいるのだろうか?いるとは思うが、そう多くないだろう。いくら中世の人が一生かけて見る情報を一日で見たところで「流し見」している状態なのではないだろうか。しかし、気になったニュースや情報は、たとえ数年経っても覚えている。昨日起こった出来事さえも忘れているのに。それが私、ADHDという人間なのである。
11時にスマホの通知を鳴らしたのは、小学生からの付き合いがある親友からのLINEだった。私は無職という存在が「恥ずかしい存在」と認識しているので、そのことを知らせるのは信用している人間だけと自分で決めている。私が職を持っていないことを案じたその親友は、とあるバイトを勧めてきた。内容はこの際どうでもいいのだが、時給が少し高く感じた。変に疑ってしまったのだ。普通の人だったら「時給高めでラッキー」としか思わないだろうが、そこを気にしてしまった。疑ったら最後、とことん疑ってしまったのだ。会社はどこか、どういう土地なのか、バイトまとめサイトの評価はどうなのかと。その親友は素直に夏短期バイトでお金が欲しいからという理由で応募したらしい。尤もらしい理由だ。それで時給が高いことに理由があったとしても(例えば思った以上に大変。作業環境が悪いなど。)でもお金がちゃんと貰えればいいことだし、お金を稼ぐという経験になる。また今後バイトするための基準にもなるかもしれない。でも私は変に疑ってしまったせいで応募するのを辞めてしまった。この人生にとってプラスになるであろう初めてのバイトをする機会を自ら絶ってしまったのである。
なぜやらなかったのか。おおよその理由に「ネットからのバイトに対する負のイメージ」である。いいバイトもあれば悪いバイトもある。そしてネットを利用するとマイナスの情報が目に付きやすいのだ。『バイトで〇〇して失敗した話』『初バイトが〇〇だった件』などなど。前もって危険を察知して止めるという人間さながらの機能を存分に発揮した結果、「やらない」という選択肢が「正しい」と感じてしまったのである。もちろんそういう記事をチラッと見て何年も覚えてる人などほとんどいないと思うし、記事を書いた人も「誰かの失敗を防げれば幸い」という気持ちで書いているのだろう。が、しかしそういう情報のマイナスの面を執念深く脳裏に残し、かつそれが年々蓄積されていくと「挑戦」という人間の本質的な行動を抑制するとことに繋がるのだ。というのが私が先程考えたことである。
ネット上に無数にある「失敗談」「経験談」など。これらを駆使すれば数々の失敗を未然に防げるかもしれない。しかしそれを多用しすぎると、挑戦を忘れてしまうかもしれない。これを私は情報に溢れている現代の落とし穴なんじゃないかなと思う深夜2時であった。
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icchi-yutb · 3 years
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散髪に行った
「数分間、二人が目を見つめ合うと相手を好きになる」というものをネットで見た気がするので、散髪に行った時に髪を切ってもらう間、鏡にいる自分自身をずっと見つめてみた。これで自分を好きになれば、美容室に行くたびに自己肯定感が上がると思ったからだ。本来は髪を切ってもらうためにお金を払ってただ座っているだけなのだから、これで自己肯定感が上がれば実質無料の自己投資になると思ったのだ。
結果から言おう、自己肯定感は上がらない。
まず最初に自分の目をずっと見ていたが、目の大きさが左右違うことに気が付いた。そもそも左右対称っぽく見える人間の顔でも、絶対に左右のパーツが全く同じ大きさや形にならないことは元々知っていたが、それをはっきり感じることになったのだ。だからといってこれは何も自分にプラスにならなかった。次に、自分に目の下の隈が気になった。毎朝自分の顔を見ているが、まじまじ見てみると酷い顔だ。隈から感じる疲労感がとにかく酷い。常に疲れてそうに見える。目の下の隈は睡眠不足や疲労から来ると言われているが、そうなのだろうか。
更に自分の顔を見続けているとあることに気がついた。隈に気になるのは顔の彫りが深いのが理由なのではないだろうか?私の顔の特徴として目の上の眉毛辺りの部分が少し背が高くなっているのだ。前に飛び出していると言ったところか。それに私は眉毛が太い。太いが故に眉毛の量が多いために、さらに目の上の高さが高くなっているのだ。それが、美容室特有の室内の天井にある強いライトの光によって、普段より強い影が出来ているのでは?と結論が出た。隈が気になるのがそのためだったのだ。と
そこからずっと自分を見続けていると、そもそも論「見続けて相手を好きになる」とはあり得るのだろうか?と思い始めてきた。そもそも見続ける前の相手と見続けた後の相手は、仮にその間30分だとして、30分間では相手は30分前の相手と30分後の相手は同じ個体でも全くの別人なのだ。
ちょっと訳がわからないと思う人もいるだろうが、例えば子供が小学校を卒業して中学生になった時、小学生としてのその子はこの世から消滅して、中学生としてのその子が誕生したことになる訳だ。つまり人間は一瞬一瞬変わり続けていると考えられるだろう。
夫婦間の仲が悪くなることも同じ原因で説明が出来ないだろうか?夫婦になった時は仲が良かった場合、それは夫婦になった頃の自分や相手がこの世から消滅していて、お互いが関わり合って数年経ったお互いが誕生している���だと考えると仲が悪くなるのも感覚的に受け入れることが出来ないだろうか?同じ個体の別人になったのである。
話が逸れてしまったが、つまりは人間は変わり続ける生物であり、自己肯定感が上がった自分というのは変化に気付けて、それを肯定的に捉えられる人間だということなのではなかろうか。
散髪が終わった。ありがとうございましたと言って椅子から立ち上がると、そこには自己肯定に対してずっと考えていた自分がいた。変わったのは髪型だけではなかったようだ。そう思うと無料で自己投資をするということに関しては、目標達成したと言えるだろう。
か?
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icchi-yutb · 3 years
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AM 12:12
今、私の目の前には陶器のカップがある。そしてその中にはたった今お湯を注いだばかりのチキンラーメンが入っている。猫舌なのでこの文章を書きつつ冷ましていこうと思う。
私は食べ物を口にするのは、2種類の要因がある。一つ目は腹が減った時、二つ目は腹が立った時だ。あまりいい癖ではないと自覚しているがイライラした時はどんな時間帯であろうとインスタント食品や一口サイズの菓子をついつい口にしてしまうのだ。
くだらないことに腹を立てているのは十分承知だが、こういうことは文章に書かないと治らないのでここで発散させてもらおう。
先程母親が寝るために、寝室まで歩いていたところ、壁掛け時計に当たってそれを落としてしまった。それは壁に掛けてあったわけではなく、以前に故障してしまっていて、直すためにとりあえず廊下にある少しものを置けるスペースに置いておいたのだ。もちろん私がだ。少しそのスペースからはみ出していたので、それを母は歩いて体に当てて落としてしまったのだ。そしてその時計のガラス部分が割れてしまったのだ。
その時の母の言葉が信じられなかった。「そもそもそこに置いておいたら当たるよね。片付けといてね。」と言ったのだ。そして何もなかったかのように布団に入ったのだ。確かに置き場所が悪かったかもしれない。しかし、「落とす」というアクションを起こしたのは母親なのだ。これはおかしい。でもこんなことでイライラする理由は他にある。
もしこの状況の立場が逆だったとしても片付けをするのは私だからだ。私が落としたとしても落とした本人だからと言う理由で片付けは私になるのだ。両方の場合においても私片付けを任せて、絶対に自分はやらない。母親はやらないと決めたら私がどんなに文句を言って動かない人だ。
(ここでチキンラーメンが食べごろになったので、食べつつ文字を打っている)
つまりこのアクシデントを起こした人か、起こしやすくした人か関係なく母親の都合でこの状況の処理が私になる。
これはいかがなものか。19年間この母親の元で生きてきたが、振り返ってみるとこんなことばかりだった。道徳的観点からでも教育的観点からでも「よく考えたらおかしい」を、母親という権力で圧をかけて「普通のことだ」とされてきたのだ。
私は高校に入り学力が落ちたのをきっかけに「日本教育の根底に問題があるのではないか」と色々な教育学者や教育評論家の本や論文を読み漁ったが、知識を得ると得るほど、今まで母親から受けた教育の「おかしさ」に気づかされたのだ。その度に私は母親に向かって「あなたは息子の教育に失敗している」と言ったものだ。しかしながら「でもあなたは普通に育っている」と反論される。確かに体罰や異常な束縛はなかった。そのため体は健康に育ってきている。しかし教育をするものとしてのやり方は私は自身の過去19年を、自らで得た教育に関する知識と照らし合わせると、やはり間違っていると断言できる。こんな浅はかな知識でもだ。
しかしそのことに気がついたのも最近の話だ。そんなこんなで今私は高校卒業後無職で数ヶ月過ごしている。普通は大きな環境変化や予想もしない災難でもない限り自然発生で無職などならないのだ。そういった状況からも、母親の教育がおかしいと言えるだろう。
私は被害者なのだ。反出生主義者になるのも、自然な成り行きとも言えるのだ。
はぁ
怒りが収まってきた。目の前には、空の陶器のカップ。こんな時間なので、もう寝るとしよう。
おやすみなさい
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icchi-yutb · 3 years
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やらないで後悔よりやって後悔は正しいのか
ただの個人的な憂さ晴らしのように見えるタイトルから、目を下ろして文章を読んでくださってありがとうございます。
と、まぁ冗談はこれくらいにして、ここからいつも通り淡々の主張を書いていこう。タイトルの通りなのだが、
「やらないで後悔するよりやって後悔した方がいい」
よく聞く言葉だろう。特に著名人や老人など。テレビなどのメディアから耳にすることが多いのでは?
本題、果たしてこの言葉は正しいのだろうか?という疑問だ。現に今私は無職引きこもりニートをやっている19歳なのだが、この前ネットで見つけた料理のレシピをふと作ってみたいと思い、その記事を参考に作ってみた。とても美味しかった。
とても美味しかった、ただそれだけなのだ。
美味しいと感じることに、とても価値があると感じられる人なら有意義な行動だったという記憶として残るが、私はそうではなかったのだ。というよりそうではなくなってしまったのだ。
作ってみる前は、作ってみたいという好奇心から行動して、作り終わった後も食べてみて上手くいったことに嬉しさを感じていた。が、その後だ。その事を知った母親から言われた言葉は「そんなことより働き口を探したら?」だった。
別にこの言葉が間違っているわけではない。私が働かないつもりでいるわけではない。そこは問題であるが、美味しいに関する価値の問題には直結しない。
そこで私の価値観がねじ曲がってしまったのだ。例えその料理が作れたとしても、それが美味しかったとしても、私が今世間一般的にやるべきことは就職活動又は働く事なのだ。
とここで、ここまで読んだ人は有名な「壺の話」をご存知だろうか。『とある先生は教壇の上に大きな壺を置く。その中に大きな石を入れていく。壺の上まで来た時に生徒に「壺の中にはもう何も入らないか?」と聞く。生徒が「入らない」と答えると、先生は小石を取り出し壺の中に入れていく。先程入れた大きな石の隙間に小さな石が入っていく。また先生は生徒に「もう何も入らないか?」と聞く。生徒はまた「入らない」と答えると、先生は砂利を取り出し壺の中に入れていく。砂利は小さな石の隙間に入っていく....』という話だ。ここで教訓にしてほしいのは「もう入らないと思っているが、実は入れるものがある」ではなく「大きなものは先に入れておかないと、後で入らなくなる」である。
無職の今、私は言わば「なんだって出来る」状態なのである。つまり壺は空の状態なのだ。だから、「働く」を壺に入れることも出来るし、少し親にお世話になるが「料理」をすることだって出来る。そして私は「料理をしたくなった」訳だ。更に冒頭で「やらないで後悔よりやって後悔」と重ねた結果、好奇心を抱いて料理を作り上げた訳だが、本来私はやるべきことは料理などではなく働くことなのだ。料理をした時間を直接バイトの時間に出来たかもしれないし、働き口を調べる時間にすることもできた。
しかし私が料理をした時間は本当に、そうするべき時間だったのだろうか。壺の話と後悔の話を繋げると、「やらないで後悔よりやって後悔」の行動は、私にとって「大きな石」なのではないだろうか?そしてそこに「働く」という大きな石を入れると「やらないで後悔よりやって後悔」にあたる行動(大きな石)を入れられなくなるのではないだろうか?
現実的に話すとバイトしながら予定を上手く立てて昼は休んで、その時間で料理すればいいと思うだろう。しかしその頃には私はその料理の記事の存在を忘れていて、ただ漠然とした「何か料理をしたかった感覚」だけが残るようになる。これこそ「やらないで後悔」なのではな��だろうか。忘れるぐらいだったら、そこまで自分の中で重要視してないものだったと指摘されそうだが、思い立ったら吉日というように「好奇心に駆られた行動は重要ではない」と言えないだろう。そこが人生の分岐点になることは今までの歴史の偉人や著名人達が散々言ってきたことだろう。
つまり、そういった情報からだと最優先事項は、私にとって「料理」であり、世間一般常識によると最優先事項は「働く」ことなのだ。
しかし、この好奇心に従った行動は誉められることだろうか。親は無職の私が何も生産性のない料理する姿を見てどう思うだろうか。それは「やらないで後悔よりやって後悔」に従った行動である。
そのため、「やらないで後悔よりやって後悔」は本当に正しいのか?という疑問に至ったのである。
私はあえてここでは「これが正しい」とは言わないことにした。
なぜなら今執筆している現在でもこの問題に葛藤しているからだ。
しかしこの葛藤も、価値があるのだろうか.....?
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icchi-yutb · 3 years
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死んだ精神
無事に高校を卒業して1ヶ月半が経とうとしている
果たしてこれがおめでとうなのかどうかは未だ分からない
私がいた高校は進学校だった。卒業した同級生の進路はどうだろう。進学、就職だろうか。基本その2択だ。残念ながら受験に落ちて浪人生になった人もいるだろう。じゃあ俺は何をしているか。
それはニートである。紛れもないニートである。
高校を卒業した後の進路が決まっていないまま卒業した。卒業式数週間前、周りは大学受験に向けて必死に勉強をしていた。もう大学合格が決まっていて、友人との思い出作りをやっている人もいた。そしてみんな奮起して「お互い頑張ろうな」と言いながら下校していく姿を教室の窓から見ていた。私は教室で先生と一対一で授業を受けている。補充授業である。
卒業後、身分を証明するものがなくなった。なのですぐに母親に自動車学校に行けとお金を渡された。私は言われた通りに自動車学校に今行っている。今までの人生も言われた通りにしか動けなかったからこうなってるんだなと思いながら通っている。ただもし言われた通りに動くことが出来なかったら高校で教師を殺していたかもしれないが、そんなことは今となってはどうでもいいことだ。
中学の同級生と自動車学校でたびたび見かけるのだが、気づかないでくれと祈るばかりである。みんなは就職か大学か専門学校に行っているのである。どんなに人に出会ってもニートは一人もいないのだ。ここでも私のマイノリティの自然に傾く現象が起きているのだろうか。俺は話したくない。自分の人生の堕落ぶりを語るのは気持ちのいいことではない。
中学の友達も親友もあの頃は同級生だった。それは主観的にも立場的にも同級生だった。今はどうだろう。みんな普通に成長していった。普通に高校生活を送ったことが容易に想像ができる。俺はどこで道を誤ったのだろうか。なぜこうなってしまったのだろうか。考えて思いつくのであればある程度後悔しないのだが、それが分からないのが一番の哀しみであり恐怖なのだ。はっきりと理由が有ればいいのだが。クズのような理由でもいいのだ。「働く気がない」とはっきりでも言えればいいのだが、そう言うとウソになってしまう。本当に理由がない。この高校で中身が空になってしまった自分と、出会う中学の同級生との対比が、僕の目の前の闇を深くしているのかもしれない。
自らがマイノリティと分かっているなら、それがおかしいと思わなければいい話なのだが、どうしても中学の同級生と会話をすると「あの時まで一緒に横一列で歩いてきた集団から俺だけが10歩ほど引いた状態にいる」という事実に耐えられない。それはプライドではなく、同級生を見ていると「それがもしかしたら本来の自分の姿なのではないかと幻滅してしまう」という無意識な置換が俺を苦しめているのかもしれない。マイノリティと言葉としては自分に染み込ませているけれども、精神はそれを受け入れていないのだろうか。
元同級生に会うと進捗の話になる。これが私を苦しめているのだが。彼らには目的があり、それに対する行動がある。大学に行きたいだとか就職したいのだとか。俺はそれがないのが大きな違いだと感じた。誰もが天命で生きているわけではないのだから、行動の発現は全て後天性である。それでいて私と同じ年齢に至るまでに、目的が形成される後天性の原因があるはずだ。しかしそれが俺にはなかった。欠けていた。それも一種のマイノリティなのだろうか運が悪いのか。その差とはなんなのだろうか。私も普通になってみたい。いつも人生の選択を間違えている。選択したものを正解にする能力すらない。自己啓発能力も乏しく、私の眼下にはもう先がない道が見える。
将来を創り出す能力がないのかもしれない。普通の人間になりたいと生まれて初めて思った。自分が嫌いだ。
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