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曲っていうのは、ある特定の瞬間に自分がどう感じたかを歌っているだけのものだったりするからね。
Sen Morimotoが見つめるシカゴと日本。結んだ線の延長上で | CINRA
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「今の音楽業界で私が生き残るためには枕に顔を沈めて、叫ぶのを止めろと言わなければいけなかった。『黙れ、黙れ』ってね」と彼女は語っている。「毎日そうやって暮らしてきた数年を経て、私の心は何も感じなくなって、静かになっていった。この時の問題はやっぱり感情は必要としているということね。曲を書くためには感情が必要になる。そうした矛盾がある」
Mitski、無期限活動休止の時に音楽を止めようと思っていた心境について語る | LMusic-音楽ニュース-
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リリー・フランキーに言わせれば、前者が洋画で後者が邦画。邦画が駄目に見えてしまうのは、細かいところまで分かりすぎるが故で、洋画がかっこよく思えるのは、逆に心底理解していないからだ、ということらしい。
Jリーグのサッカーに特徴は無いのか?|逆���ちすれば答えが分かる♪かもしれないブログ|スポーツナビ+ (via jinakanishi) (via blacktights, jinon) (via gkojax-text)
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コンピュータの前に座り、光るスクリーンを見るために感覚の一部を擦り減らすことにただ疲れてしまったのです。手を使って仕事をするよう教育を受けた私にとって、これは純粋な体験と言えます。私の創作には一定の時間がプログラムされていて、それを強行すると集中力や精度が失われます。そのため、創作に集中している時は無意識にも落ち着くのでしょう。長い間ハイスピードで仕事をしてきた自分にとって、これはホッとするような感覚で、少し難解に聞こえるかもしれませんが、自分と体が再び繋がっているように感じるのです。確かにテクノロジーもまた美学を定義しますし、それを改造したり壊したり変換することもできます。私は今でもアイデアのスケッチや考えの記録にデジタルを用いていますが、作品自体の創作では多くを手作業で行なっています。最近の絵はアナログレタリングと呼んでいて、 3D プログラムのようにキャンバスはワイヤーフレームで、残りは全てマッピングです。絵画の素振りのようなレイヤー、情報を含んだレイヤー、そして表面に輝きをもたらす別のレイヤー。キャンバスに描く内容は単なる投影であって、たやすく入れ替えることができます。だからこそタイポグラフィを手で描く際はできる限り完璧を目指します。とはいえ目にすれば手作業によるものだと認識できますし、そこにある小さなミスが私たち人間との繋がりを生み出すのだと感じています。
Nigh Magazine
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私はできる限り少ない情報と少ないレイヤーを使ってストーリーを伝えたいと思っています。私にとってシンプルさはコミュニケーションの鍵です。排除するのではなく包含したいのです。 結局のところ我々はデザイナーに向けてデザインしているわけではありません。けれど、私が教育を通じて人々に伝えたいのは、新たな美学やデザインの背後にある情報を汲み取ること。コミック言語はそのいい例です。ページ上のストーリーの中にタイポグラフィ��うまく配置されていると、とてもパワフルで、あらゆる人にとって理解しやすいものになります (文化や言語にもよりますが)。 芸術活動においては、あらゆる情報を表示するための中立的な容器として Helvetica を使用しています。他の書体を使うと、その書体独自のストーリーが入ってしまうので、それは避けるべきだと考えました。さらに、作品では自由に解釈してもらえることを心がけています。それぞれに個人的な思いを込めていますが、メッセージがそのとおり理解されることは重視していません。それよりも、人々が個人的にどう解釈するのか、その多様性に興味があるのです。
Nigh Magazine
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タイポグラフィはグラフィックデザインの基盤です。タイポグラフィは画像や色彩といったレイヤーがなくても機能し、情報の純粋な容器としても機能します。書体の歴史を含めて実際の文脈に即することで、ストーリーを語ることもできます。また、フォーマットへの配置の仕方によって、その声のトーンを調整することもできます。大きな声か、シャイな声か、動的なのか、静的なのか、解体されたものか、混沌としたものか、グリッドで構成されたものか、直感的なものか、コンセプチュアルなものか。タイポグラフィを使ったデザインには実に多くの方法があります。だからこそ、今日のデザイン分野における真の英雄はタイプデザイナーなのかもしれません。彼らはまた、自分の作品のロイヤリティを得るための素晴らしい手段を最初に確立した人たちでもあります。
Nigh Magazine
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ここ数十年で写真は様々な変化を遂げていますが、それについてはどう思いますか? まずは観客の質が変わってきたと思います。それが一番大きいでしょうね。だから観客に合わせて作品作りを進めるということが全くできなくなりました。大勢の観客と何とかうまくやっていこうと思っていた頃も昔はありましたが、もうそれは諦めました。今では、自分が今まで自分の中で形作ってきたものと、今自分が尊敬する「何か」とだけでやっています。ちょっと孤独な感じはします。 特にここ10年は、世の中に写真がとても浸透しました。プロあるいはアマチュア写真の境界線が曖昧になり、更に海外旅行が急増すると共に、世界の至るものが写真に収められるという現象が起きています。探検家として、はたまた開拓者としての写真家の時代は終わりを遂げました。そんな中、『Ciel Tombé』のシリーズは、ひょっとしてまだ撮影されていない隠れた「最後の辺境」を見せたいという思いもあって取り組んだ作品なのではないかと思ったのですが。特に写真の現状において、畠山さんがアート・フォトグラフィーをどう位置づけるかについてお聞かせください。 そうですね、確かにあなたがおっしゃるとおり、情報としての意味合いでの写真の現状はそうだと思います。被写体を情報的なレベルで捉える写真という意味合いで言うと、もちろんほとんどのものがもう既に撮られています。でも写真は他にもレベルがあるんです。たとえば「グラフィック」というレベル、「感情」というレベル、それから「親密性」というレベル。この辺はすべて撮られたとは言えません。しかし、本来写真家というのはこの4つのレベルに深く関わってきたにも関わらず、最近はこのレベルにおいてでさえ写真家の存在意義はなくなってきているかもしれません。 それから今の東京の観客もこういったレベルにあまり夢中にならないかもしれませんね。グラフィックとして魅力的な写真に対して「別に‥」みたいな態度をとるし、感情のレベルで訴えてくる写真に関しても、もはやそれが普通になってしまっているためあまり意識しなくなっている。でも実際に人は、こういった基準に基づいてでしか写真を評価できないのでしょう。いずれにしろ、この辺に関してはすべてが行われてしまったと僕は思いません。だから、まだまだ写真は撮られていくと思います。ただ、社会の中での写真の使われ方は全く変わってしまいましたが。 以前、面白い反応をもらったことがあるんですよ。この本(『A Bird』)を作った時に、ある人が「まだ世の中に撮られていない写真があるんだなって思った」と言ってくれたんです。僕自身もこういう写真が一ヶ月に一枚だって撮れると��到底思っていません。一年に一枚、あるいは5年に一枚でも撮れればいいと思っています。でも僕もこの写真が撮れた時、「ああ、20年間写真を撮り続けてきて良かった」と思ったんです。この写真は内面の問題でもなんでも無くて、だからこそ「写真的な幸せ」みたいなものがここには存在するわけですよ。だからこういう写真が新たに撮れると本当にうれしいんだけど、これを仕事に再利用できるわけでは無いので、そこが辛いんですよね。ただ、僕はあらゆる写真がすべて撮られてしまったとは思っていません。このレベルでさえも、まだまだ撮られていないものがあるような気がします。 それでも人々の多くが、世の中のあらゆるものが撮られてしまったんだと信じてやまない。僕はそのことに対してちょっと釈然としない部分があります。なぜみんな、そう思うのでしょう。確かに一見そういう風には見えるけど、ひょっとしたらそうじゃないんじゃないかなと僕は思うんです。実際はどうなんですかね。19世紀と比べたら、確かに全然撮られてしまったとは思いますけどね。 あと写真家が探検家かどうかという点ですが、実は僕は内面のために写真を撮る人があんまり好きじゃないんです。「内面」というのはつまり自己概念なわけで。日本語で「内面」と言うと、心の内側とか、なんとなくぼんやりした美の感じ。でも「自己概念」と言うと、自分が自身に与えている何かで、それはその人だけで完結しているものですよね。それをテーマに据えることは、写真家として面白いことだと思いません。僕は、むしろ内面を形作る上で自分の外の世界の方が大事だと思うんです。だから僕はできるだけ外の世界を撮りたい。つまり、まだ見ていないものだったり、まだ僕たちが知らないもの、そういうのを扱っていきたいんです。
落下した空を写真にTokyo Art Beat - ニュース、レビュー、インタビュー
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自分一人でモヤモヤと考えを巡らしているだけじゃ不十分で、気持ちを文章に書いてみたり、人と話してみたりすることにはポジティブな部分がありますよね。最近はSNSなんかで大量の情報が本当にスピーディーに行き交っていますけど、ゆっくり喋ってみることで生まれる言葉や意味が絶対にあるんですよ。そうすることで窮屈な概念と概念の間に少し隙間が生じてきて、空気が流れ始める。そうやって頭の熱が少し取れるんです。
畠山直哉のゆっくり考えるススメ「写真家は過去と付き合う仕事」 - インタビュー : CINRA.NET
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本日のお悩みは、40歳の独身女性から。それなりに恋愛をしてきて、今はフリー。友だちにも恵まれ、仕事も充実している。自分はひとりの時間が必要なタイプなのでこれでよいと思いつつ、今後歳を重ねていくことを考えると、孤独感が増していきそうで不安……。彼女の悩みを、フェル先生は「40歳の壁」だと言い切ります。 ※「フェル先生のさわやか人生相談」では、フェル先生に相談したい質問を募集しています。辛辣な回答も受け入れられる勇気のある方、フェル先生に叱咤激励されたい方は、専用フォーム(匿名可)からご応募ください。 50代60代と年を重ねていくことを考えると……。 今年40歳になった独身女です。出来るだけ簡潔に書きたかったのですが、長くなってしまいました。もし良かったら、読んでいただけると幸いです。 私の悩みは、孤独感です。 現在、恋人はいません。未婚です。容姿は悪い方ではなく(最近は少し中年太りになってきてしまいましたが)、これまでに十指に余る程の男性と関係を持ちました。数年間きちんと付き合ったり、同棲していた男性もいました。不倫の経験もありますが、不毛な関係に嫌気が差し、一年程で自分から別れました。 数は少ないですが、10年20年以上の仲になる女友達、男友達(肉体関係なし)もいます。30代以降は仕事や家庭のことで皆忙しく、頻繁に会うのは難しいのが残念ではありますが、たまに食事をしたり、共通の趣味を一緒に楽しんだりしています。 勤め先は大手の外資系企業で、年齢や人種、バックグラウンド等、多種多様な人間が属しています。能力主義なので評価が厳しくはありますが、やり甲斐がありますし、福利厚生もしっかりしています。仕事の後に飲みに行ったり、一緒に旅行に行ったりする仲間もいて、人間関係にも恵まれています。 ただ私は、他人と一緒にいるのは楽しいと思う反面、ひとりで静かに過ごす時間が必要なのです。特に仕事では顧客を含めて多くの人と顔を合わせる必要があり、休みの日はひとりで引き籠るようにして神経を鎮めないと、ストレスが溜まります。もしかするとHSPの傾向があるのかもしれません。 自分は他人に対して興味がなく、愛着が持てないのではないか、と感じています。よく考えると子供の頃からなのですが、良くも悪くも、ひとりでいてもそんなに寂しいと思うことがありません。家族に対しても同じです。誰といても心のどこかで「ひとりになりたい」と思ってしまいます。友人達は私のそういう部分を理解してくれているので有難いですが、なんとなく自分と他人の間には見えない壁があるような感じがします。好きになった男性と「結婚したい」と思うこともありましたが、子供は欲しくないし、ずっと添い遂げる自信がなくて踏み切ることが出来ませんでした。そして自分から別れを告げてしまうことの繰り返し。そうしている内に、ひとりのまま40歳を迎えることとなってしまいました。 「それなら、無理せずひとりで生きていけばいいのでは?」と思われるでしょうし、自分でもそうする他ないと、半ば諦めています。ただ、今はまだ何とかやっていけるのですが、今後50代60代と年を重ねていくと、どんどん孤独感が増しそうで不安です。生きていくのが嫌になるような鬱状態ではないのですが、このままで良いのかな、という気持ちを抱えたままでいるのが、つらいです。先程「寂しいと思うことはありません」と書きましたが、本当は寂しいと思っているのに、何らかの原因でそう感じないようになってしまったのかもしれません。 心療内科やセラピーに通ったりもしてみましたが、あまり良い先生と巡り合うことが出来ませんでした。こちらの話を聞いてくれるのは多少のストレス解消になるのですが、ただそれだけ、という感じ。当たり障りの無いことを言われるだけだし、結局は自分でどうにかするしかないんだな、と諦めました。 ここまで書いて、何を求めて相談をするのか自分でもよくわからなくなってきました。ただ気持ちを吐き出したかっただけなのかもしれません。ここまで読んでくださっているかどうか自信はありませんが、もしそうだとしたら貴重なお時間を割いていただき、ありがとうございました。 (40歳、女性、IT技術者) A.今回は40歳の独身女性からのご相談です。 40歳。女性にはズシンと重く来る年齢ですよね。「節目」とでも言いましょういか、いきなりバサっと白髪が増える訳でも、ランのタイムが急激に遅くなってしまう訳でもないのに、世間の見る目は明らかに変わって来る。そしてそれ以上に、自分の心持ちが「ついに40歳になってしまった……」と重苦しくなって来る。いまどき「まだ結婚しないの?」とか、「子供は作らなくて平気なの?」と聞いてくる無神経な阿呆はいないでしょうが、それでも世間には何とも形容詞しがたい“無言の圧力”が、令和の時代に至っても明確に存在する。 あなたは多様性を認める大手の外資系企業に勤務し、忙しいながらも充実した日々を過ごしている。数は少ないけれども、気の合う仲間がいて友人関係にも恵まれている。男性経験は「十指に余る程」とのことですから、十数人というところでしょうか。20歳からセックスを始めて、単純計算で新規開拓が2年弱で一人のペース。普通より“やや多め”、というところでしょうか(“普通”ってなんだ、という話なのですが……)。 うんとざっくりまとめてしまうと、あなたは人も羨む「リア充」の女性です。そう。自覚してくださいね。あなたは人も羨むリア充なんです。 エリートが揃う充実した職場。恵まれた人間関係。ですが一方で、あなたは孤独を愛する人間でもある。「ひとりで静かに過ごす時間が必要」で、「休みの日はひとりで引き籠るようにして神経を鎮めないと、ストレスが溜ま」ってしまうと言う。もしかして自分はHSP(Highly Sensitive Person:感受性が極めて強く、敏感な気質もった人:気質であり、病気や障害ではない)なのではないかと自己診断されておられます。うーん、どうなんでしょうね。変な横文字を安易に引っ張り出さない方が良いと思いますよ。何かの言葉を出すと、その言葉に引っ張られてしまいますからね。「きめこまやかな性格の、少しだけ傷つきやすい40歳女子」程度が妥当なところじゃないですか。 「ひとりでいてもそんなに寂しいと思うことが」殆ど無い。それどころか、「誰といても心のどこかで『ひとりになりたい』と思ってしま」う。それじゃこれからも快適に心安らかに一人で来ていけばええやんけ、という話なのですが、一方で「今後50代60代と年を重ねていくと、どんどん孤独感が増しそうで不安です」という漠たる不安感もある。 このままでは将来的に孤独に苛まれてしまうのではないか、病気のときは、怪我のときはどうするのか。孤独死なんてイヤですものね。アレ? ○○さんが無断欠勤なんて珍しいね……と職場の仲間が部屋を訪ねてみたら、ベッドの中で死んでいた、なんてことになったら最悪です。夏場だったらバリバリの腐乱死体です。友人が所有する賃貸マンションで、一度孤独死が出たのですが、あれはマジで酷いです(不動産事故情報サイトの“大島てる”にも、「死体発見」と住所から部屋番号まで表示されています)。 それでは将来に対する保険として、孤独を捨てて結婚するのか。それも何だか変な話です。そもそもそう都合よく、保険男が現れる筈もありません。 文末に「何を求めて相談をするのか自分でもよくわからなくなってきました」と書かれていますが、あなたのお悩みは非常にシンプルです。それは「40歳の未婚女性が、ほぼ例外なく陥る“40歳の壁”」なんです。 先に書いたよう��、40歳になると世間の見る目が変わる。仕事の責任も一気に増してくる。あなたはハナから子供に興味が無いと言うが、ひとりの女性として、出産を経験せずに人生が終わってしまうのかという寂しさもある。両親の事も気になる。仲が良かった男友達の優劣がハッキリ見えてくる。細かいところだと、ブラジャーを脱いだ跡がなかなか消えなくなってくる……。 そんな不安要素の棚卸し時期が40歳なんです。結婚していても、40歳の壁は現れるのですが、未婚であれば尚の事です。ではこの壁を、どうやって乗り越えれば良いのか。 不安要素をひとつひとつ書き出して、整理してみて下さい。何があなたを不安にしているのか。あなたは何を恐れているのか。じっくり時間をかけて、丁寧に整理してみて下さい。そして、それらの要素を予防する方法を、ひとつひとつ検証してみて下さい。“漠たる不安”を“明確な不安”に変化させるのです。 不安様相が明確になれば、対処の方法はいくらでもある。個人年金に入るも良し、不動産を購入するも良し、保険に加入は……あまりお勧めしませんね。保険は最低の金融商品ですから。 そして彼氏問題。孤独が好きなのは分かりますが、やっぱり彼氏はいたほうが良い。仲のいい男友達も大切ですが、恋人との一時はまた別のものでしょう。セックスだってしたいですしね。 この週末に、じっくり時間を掛けて「不安要素の棚卸し」をしてみて下さい。それだけでウンと心が軽くなると思いますよ。 あとはアレです。あまり後先の事を考えずに、これという男が現れたらアタックしちゃいましょう。
40歳独身。ひとりでいたいけど、今後の孤独が不安【404回】|フェル先生のさわやか人生相談|フェルディナント・ヤマグチ|cakes(ケイクス)
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僕と柳井さんは、同じ年に早稲田大学に入っているのですが、2人そろって「学校に行きませんでしたよねえ」「学校に行かずにふらふらしていたけれど、結構なんとかなっちゃうんですねえ」といった話をしました。そんな会話をしたので、柳井さんというのは割に自由な考え方をする人なのだな、という印象です。 ――柳井さんのように大きなお金を稼ぐ人、大きなお金を使える人に対して、村上さんが期待していることは何ですか。経営者や資産家に、「もっとこんな役割を果たしてほしい」と思うことはありませんか。 僕は米国の大学にいたこ��(ハーバード大学、プリンストン大学他、複数校に客員研究員などとして招聘されて在籍)があるのですが、当時のことでよく覚えているのは、キャンパスの中に次々と新しいビルが建つ様子です。それがなぜ建つのかというと、全てお金をもうけた人からの寄付によるのです。 例えばアマゾン・ドット・コム創業者のジェフ・ベゾス氏は、母校のプリンストン大学に研究所を建てました。アンドリュー・カーネギーも、あくどいといわれるようなことまでしてお金をもうけたようですが、米国のあちこちに立派な施設を残しています。 そういうものが米国にたくさんあるのは、寄付額を税額控除の対象にできる税制があるためです。これが日本にはないから、誰も大きな寄付をしない。 お金に良い、悪いがあるのかどうか、僕は知りません。仮にあったとしても、お金に良い、悪いという印を付けることなんてできません。だけど、「良い使い方」は確かにあると思う。そして良い使い方をすることが、良い経済をつくるものだと僕は思います。 日本の場合はそれぞれの人が良い使い方をするのではなくて、「税金を納めましょう、使い道はこちら(政府)が決めますから」というもの。そうではなく、お金をもうけている人たち自身が「良い」と思う使い道を選べるようなシステムにするのがいい。 世の中にはその時々に誰かしら、もうけている人がいるわけです。お金が余っている、なんていう人が必ずいるのです。そういう人にお金を、もっと有効に使わせるシステムを、日本は整えるべきじゃないかなと思います。 ――特にコロナの後には、お金を持っている人に使わせるシステムが必要になりそうです。 少なくとも今はみんな、すでにあるシステムを死守しようとしている。既得権益を持つ人は、どうしてもそこにしがみつきますから。だけどどうやっても、変わらざるを得ないと思う。さて、どう変わるのか?僕にはそれは分からないです。 ――どう変わるにせよ日本は今、変わらなければいけない状態だと思いますか。 変わらざるを得ないでしょう。今のままでは、どうしようもないじゃないですか。 ――日本のどういったところに、その「どうしようもなさ」を感じますか。 そうね……(考え込む)。 ――記者としてはコロナ禍のような事態になると、シングルマザーや、学生のような未来ある若い人に特に痛みが生じることに、どうしようもなさを感じます。中高年の正社員より、ずっと多くの痛みを受けています。 うん、そうだね。 僕が20歳ごろの時代は、「世の中は必ず良くなっていく」とみんなが思っていたものです。でも今は、誰もそんなことを思っていない。そればかりか、世の中はどんどんひどくなっていくと思っている。僕はこれが一番の問題だと思う。 今は何か、「希望の光」みたいなものを誰かが見せないと、このどうしようもなさは変わらない。だから今一番大事なのは、「良きヒーロー」が出てくることだと思う。政治的なヒーロー、ビジネスのヒーロー、文化的なヒーロー。こういう、形になった存在が現れれば、日本も随分、変わってくると思うのです。 それから、これだけ混乱があるわけですから、みんなそれぞれに何らかの間違いを犯すと思います。自分だけは全て正しいことをした、なんて言える人はいないはずです。だから間違わないことではなくて、その間違いに対してどういうふうに一人一人が対処していくのか。それも大きな問題になってくると思う。 ――小説家として、村上さんがこれからやるべきことは何だと考えていますか。 2021年、僕は72歳になります。もうそういう年なのですが、それでもやっぱりこれからも書き続けます。書き続ければ何か出てくるかもしれない。書かなければ何も出てこない。書き続ける、それしかないのです。
村上春樹氏インタビュー、日本に必要なのは「良きヒーロー」とお金を使わせる仕組み | DOL特別レポート | ダイヤモンド・オンライン
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photo: near Utøya (2018) “Say the image stands alone with no accompanying text—how can perspective be addressed if the person taking the photograph is out of the frame?” I love this question, because it opens up many rooms. Many of us were brought up on the mythology of the single resonant image, the picture that’s “worth a thousand words.” We have to give up that mythology. Even though single images have their place, more and more I find that photography as an *ethical* practice is stymied by single spectacular images. While we’ll always enjoy good photos, there’s a vaster satisfaction in a body of photographic work that engages, synergistically, in world repair. I think of it as the difference between a nicely cooked recipe and a memorable meal: the latter not only contains several dishes, but is also connected to company, setting, date, and mood. This is all to say that the purity of a given image, or even of a given image sequence, is overplayed. It has often been convenient for those who are socialized to think of themselves as neutral to insist on that purity. The idea is that everybody else is playing identity politics but that white men, since they are the SI unit of human, have no identity, and can just get on with doing good work. But a photograph is always a residue of social arrangements: a certain person in a certain place with certain equipment photographed certain other people, or landscapes, or scenarios. All that information is implicit in the image. Perhaps too implicit. It is possible, and desirable, to make what is implicit a bit more explicit, in numerous artful ways. These are not responsibilities that can be dispatched simply by writing a caption (and in fact sometimes a caption is not what’s needed—sometimes what’s needed is a window, or a river, or a bomb). Knowing who made the image, and knowing where it was taken (Utøya?) even small bits of information like that can open up the image-work and load it with tension. But it doesn't end there. It starts there. One photo is a beginning. There are other images, other texts and thoughts. Dismantling imperial attitudes is everyone's responsibility. There is no view from nowhere.
(Teju Cole(@_tejucole) • Instagram写真と動画から)
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(Teju ColeはInstagramを利用しています:「I made these photographs in Bcharri District, North Lebanon, in May 2016. The archive of my photographs there, and elsewhere, embeds…」から)
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Photography is hard in a different way from writing. There's a deeper general literacy around writing; the word "literacy" gives that away. Good writing, or let's say good prose, can be understood by a large segment of the public. Photography's status is much more nebulous. It is maybe something closer to poetry. Good poetry is recognized but bad poetry is also recognized. It all comes down to what you like, except it really doesn't: it comes down to people not having the literacy to assess what's better and what's worse. A committed photographer expends huge effort to make tiny gains in vision. He or she deletes interesting pictures, searching for something stickier. Few people see it, I think, and few people care. From time to time, you might put out lesser work, less ambitious work, to applause. When you do so, you'll hear some version of, "Oh, we didn't know you were that good!" What people like is facility, not stickiness, not pictures that try their patience. They like work that gives them a comprehensible emotional jolt. But you can't live there as an artist. You'll starve. What makes photography hard is that it promises you obscurity. It says: make this huge effort, and at best you'll get an uncomprehending glance. It says: do this for years, and the more you refine your vision, the lonelier you'll feel. Nobody cares, or if they care, they don't care about the part of it into which you've put your care. All this is fine. I'm suffering, but not for attention. Nevertheless, something wonderful happened to me yesterday, and you can take it for you too, if you want it: a photographer I both love and admire wrote to me: "I am so grateful that you photograph. That thing that you bring to photography is exactly what I have always missed in photography."
(Teju Cole(@_tejucole) • Instagram写真と動画から)
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結局のところ、著作とは何が作られたかに限らず、何が選ばれたということだ
遠く離れたスイスで沈黙を写すテジュ・コール - SWI swissinfo.ch
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車は山中をさらに北へと走り抜け、少し見晴らしのいい丘の上にたどり着いた。 山を降りれば、向こう側はもうアフガニスタンだ。 美しい夕日と絶景を前にして、僕らはしばらく沈黙していた。 突然、彼は僕に尋ねた。 「二ューヨークに行ったことはあるか?」 「ある」 「やはり日本のパスポートはいいなあ」と言う。 「俺は10回グリーンカードの申請をした。今のところまだ成功していないけれど。ウズベキスタンのパスポートではアメリカに旅行できないから、ニューヨークへ行きたかったら移民するしかないんだ。でもそれが俺の人生の夢だ」 僕の初めてのウズベキスタンへの旅はそろそろ終わりを迎えようとしていた。
関根 拓(せきね・たく) 食を旅する 第7回 「ウズベキスタン」 PEOPLE / LIFE INNOVATOR | The Cuisine Press
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森山大道の発掘を始め、この国のコンテンポラリー・フォトグラフ界を牽引するファッション・ブランドHYSTERIC GLAMOUR/ヒステリックグラマー。ヒスの創始者にして、デザイナー北村信彦氏の出版活動無くして、この国の写真界の盛況は存在しない。 本書は、2001年から約5年間かけて16冊刊行されたhystericシリーズの中の一冊である。 幾何学的な構図、そしてクールとヒューモアの両義性を備えたモデルたちが印象的な植田正治の作品の数々。 植田正治の写真は、海外のコンテンポラリー・Photoマーケットに於いて、「Ueda-cho(植田調)���という言葉で広く紹介され人気を集めていますが、国内でオリジナルプリントを目にする機会は限られています。昨年末、青山の老舗画廊「ときの忘れもの」で開催された展覧会「植田正治写真展-砂丘劇場」は、国内の商業画廊の企画展として約十数年ぶりに開催された貴重な展示でした。 森山大道、荒木経惟、中原卓馬、細江英公に続いて再評価の気運高まる作家、植田正治の写真に注目したい。 ・hysteric one:井上青龍 ・hysteric two:シンディー・シャーマン ・hysteric three:Jack Pierson 80's / ジャック・ピアソン ・hysteric four:femalien / チャーリー・ホワイト ・hysteric five: 尾仲浩二 ・hysteric six:中平卓馬 ・hysteric seven:ディーン・サメシマ ・hysteric eight:鈴木理策 ・hysteric nine:クー・ボンチャン ・hysteric ten:沢渡朔 ・hysteric eleven:小島一郎 ・hysteric twelve:歩く眼 / 深瀬昌久 ・hysteric thirteen:原美樹子 ・hysteric fourteen:長野重一 ・hysteric fifteen:スー・リンスキー そして、シリーズの最後を飾る写真家が植田正治。
HYSTERIC GLAMOURの写真集「hysteric sixteen/植田正治」 | R&DBOOKS
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