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世界の中心になりたかった。
これは本当の事で。今もそうで。全てを俺が決めて全ての定義も意味も付けたかった。そうは行っていないってことを暗に示しているんですけどね。上手く行っていない事にどうしても気を取られるからこそ、中心になりたいんです。全部全部、俺が決めたい。でもそれって、そんなに大それた事では無くて、しようと思えばできるんです。それ程の勇気と気力が無いだけで。明日の天気を晴れにしたい、とか永遠の命、なんて望んで居ないんです。今日はいつもより少し遅く帰りたい、だとか、このペンの色だったら青が良い、とか。美味しい珈琲を取り寄せたい、新しい俺にぴったりの革靴が欲しい、一人の夜と誰かと共に居る昼間が欲しい。それだけの事を、どうしても望むのが烏滸がましく疎ましく感じるんです。そういう日も、あるんです。そうじゃない日もあるけれど、そういう日に、俺は生きているんです。
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諦めが三分の二以上を占める、という話。小噺。他人からの評価が客観的意見とは限らない、という事は重々承知でして。単に俺が俺をプロデュースして、その(俺)を見ている他人がそのプロデュースに嵌ってくれたのなら、それはもう俺ではなく(俺)を見ている事になるんですよね。大人な(俺)、物分りの良い(俺)、提案と現実性、優しさ、気遣い、明るい未来を見据えている(俺)。ここで注意ガキを。病んでは居りませぬ。そう思うのなら少し俺の事を見過ぎた、という事です。見過ぎるとそれはもう貴方の想像になってしまうのだから。薄目でご覧なさい。それでですね、そのプロデュースされたものってやはり、需要と供給に添えられたものなんですよ。新しくて懐かしく、的確な量と正確な判断。そんなものがやはり、人にはウケるじゃないですか。社会に属する俺は、そういうウケる(俺)をプロデュースしているんですけどね。そこで偶に言われる、「考えが達観している。本当に熟考している人だ。」という言葉。いやー、嬉しいですよ?なんてったって、俺のプロデュースが成功しているよって言ってくれる、言わば利益率のプラスの黒字ですよ。だからこそ、ふと社会からそっと抜けたプライベートの俺は違うんだよなぁ、と思うんです。その'達観'も'熟考'も、全て俺が今まで"諦めて"きたものなんです。��めたからこそ、執着心が無く、サラリと受け流せるんです。到底受け流せない事も。それでも俺は、プライベートの俺は、今まで諦めてきたものの破片をゆっくり拾っては大切に取ってあげるんです。(俺)のせいで、破片になってしまった、破れたものを。それこそが真であって、本当の真の俺は何も諦めたく無かったんです。何も、達観も、熟考も、本当に要らなかったんです。二面性には必ず境界がある、という小噺。
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青臭い青春時代を思い出していた。ティーンの話だ、ありふれた。
そもそも俺は他人に対する興味が薄い。それに加え子ども、特に同級生が苦手だった。直ぐに広まる噂と根も葉もない噂。噂だらけだ。根のない噂は価値が無い。大人の世界の噂は、損得に影響があると思っていたからなのか。同級生の話よりも、親や先生、本の中の方が余程価値があった。そう思っていた。
こういう事を思い出すのは決まって日曜の夕方。誤りのフールプルーフみたいだ。多分、俺の中のメガメニューの中の日曜の中には組み込まれているのだ。そして、俺は珈琲を淹れる。香りで誤魔化し、カフェインで確実に誤魔化そうとする過去。元々は懐古主義だ。俺にとってのジョハリの窓が現実主義だというだけで。普段は価値のないものには価値を付けるか切り捨てるかで処置をしているにも関わらず、この"青臭い青春時代"だけはそのままにしてしまう。俺は俺を価値のあるものだと俺の中では価値付けている。哲学的ゾンビでは無い、という結論を得たいがためにも。ただ、社会の一部として見るとまた変わるものがある。価値が無い、のでは無く。価値を付け続けなければならない。他人よりも秀でたものが無いのならバランスを。バランスが取りにくいのなら特化したものを。そうやって社会の一部となって、自分の背中を押す。そうやってやってきたし、これからもそうするつもりだけれど、やはりどうしても、この"青春時代"は、社会から離れた個人としての俺に影を落としている気がする。それは哀愁にもなり得るのだろうか。待機系の中に属する俺のやり方は、いつか本当の障害が来た時に、どれ程の実力を発揮できるのか。その時、社会的俺と、個人的俺はどう対立するのか。ポートフォリオの中��でさえ、それは記述されていない。
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