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極重悪人は ただ仏を称すべし
テーマのこの文は、宗祖親鸞聖人の「正信偈」において、源信僧都(げんしんそうず)の教説の表現として、掲げられた御文である。ただしこの文の原文は、源信僧都がその著「往生要集」の中の、大文第八「念仏証拠」の箇所において、「如何にしたら人は浄土に往生して救われるか」という教説を十文掲げてあるが、その第四番目の文なのである。
さてこの強烈な御文である。我々は浄土真宗のみ教えによって救われたいと切望しているのであり、救われるためには、私自身が阿弥陀仏の本願を信じ念仏を申さねばならないのであるが、そのためにはまず「私自身が『極重の悪人』として自覚せねばならない」と説かれるのである。
そしてかような自覚の中からお念仏を申す時に、絶対的に救われるのであると説かれるのである。即ち「他力回向の信心」が頂けるのであると説かれる。しかしかような極重悪人の自覚が我々凡夫に可能であろうか。我々が通常抱いている自覚とは、極重悪人の自覚ではなくして、結構しっかりした近代的理性的自己の自覚なのではないだろうか。
しかし正信偈のこの文の後に以下の文が続いてくる。「われまたかの摂取(せっ��ゅ)のなかにあれども、煩悩(ぼんのう)、眼(まなこ)を障(さ)へて、見たてまつることあたはずといへども、大悲(だいひ)倦(う)むことなくして、つねにわが��を照らしたまふ」。(浄土真宗聖典 七祖篇 往生要集 956-957頁
つまり弥陀の本願に遇うことが無い段階においては、極重悪人の自覚などはついぞあり得なかった。しかるに尊いご縁に恵まれて、弥陀の本願に遇うに至った時、極重悪人の自覚という凄絶(せいぜつ)な境涯があきらかになったのであった。これこそ「絶望から希望への転換」であり、真実信心の心相なのであった。
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住職在職30年表彰
去る1月29日、東京の築地本願寺の新年互礼会において、私は本山から「住職30年」ということで表彰された。これは大いなる喜びであるが、私の本当の喜びはこの65年の寺院僧侶活動のおかげをもって信心を頂いたことであり、むしろ私が逆に本山にお礼を申さねばならないことが真相なのである。
それではその「信心決定」とはどういうことであろうか。我々はまず、普通は日常生活にはまりこんでおり、即ち政治・外交・経済・職業・娯楽・教育等々に明け暮れている。この事態を「世間」(「現生」)という。読者諸君はかかる世間にどっぷり浸かっており、永劫無量の境涯(後生)の存することについては全く関心を持っていない。ところがこの世間とは全く別の境涯があって、それは「後生」といわれ、六道輪廻の境涯であって、地獄・餓鬼・畜��・修羅・人間・天の六道を輪廻している境涯に外ならない。(この「後生」概念を徹底的に宣布されて布教されたのは蓮如上人であり、法然上人、わが祖親鸞聖人、存覚上人は使用されておらない)
そこでたまたまごくわずかな人が「死んだらどうなるか」という問題に気づき、この「後生」の恐ろしさから、この流転輪廻から解脱しようと試みる。ここから仏教の求道が始まるのであり、そこで聖道門仏教(天台・真言・禅等々)に入るのであるが、これらは難行道であって到底証得し得ない。
ご和讃に説く:「自力聖道の菩提心 こころもことばもおよばれず常 没流転の凡愚はいかでか発起せしむべき」(正像末和讃16)
かくて私は弥陀の本願・光明・名号を頂いて信心獲得して救われることになったのである。
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島根県松江市 西宗寺様 参拝旅行
去る旧蠟、12月11日より3日間、住職の私と坊守の節子と二人して島根県は松江市の西宗寺様参拝を目的とする旅行へと旅立った。この旅行には深い因縁があるので、ここにその尊い因縁を記させていただこう。
今から84年前、昭和15年3月頃、西田誠信氏(以下誠信氏)という青年僧侶が我が寺に「役僧」として入寺してきた。役僧とは、寺の活動は住職一人では処理しきれないので、若い青年僧を住み込ませて寺務の手伝いをさせつつ、夜学に通わせて資格を取らせるのである。さてこの誠信氏という青年僧は稀に見る念仏者であった。昼は寺の法務を手伝い、夕方から日本大学宗教学科へ通学し、教師(住職資格)を取るのであった。その当時、私は小学校の3年生から6年生であったが、彼はずいぶん私を可愛がって、いろいろ遊んでくださったり、教えて下さったりした。
ところが時代は昭和16年12月8日に大平洋戦争の勃発となる。翌17年9月、大学卒業の資格もとれたので、18年3月末、故郷の鹿児島���帰り、その後まもなく島根県松江市の西宗寺様へ布教に赴き、そのご縁で19年1月19日に入寺され、ほどなく奥様は今のご住職である高野顯信氏を受胎された。他方大平洋戦争の戦局は、19年に入るや増々悪化し、誠信氏は召集令状を受け、6月松江師団浜田連隊に入隊。7月サイパンの陥落、東条内閣の総辞職となる。19年の8月、誠信氏は輸送船でフィリピンのルソン島に赴き、サンフェルナンドに上陸。ルソン島守備に就く。やがて10月18日米軍レイテ島上陸、レイテ決戦が開始された。同年11月9日、ご子息の顯信氏誕生。
レイテ戦は19年内に日本軍の惨敗に終わり、開けて20年正月からルソン戦が始まる。在ルソンの���本軍の布陣は、尚武集団(山本奉文大将:北部ルソン)、振武集団(マニラ防衛)、健武集団(クラーク西方高地)。誠信氏は尚武集団に属し、ルソン西北部サンフェルナンド近郊守備にあたる。彼は兵士でありつつ念仏者であり、「私は本願を信じているから不死身である」と同僚に豪語され、ここで戦死されたという。ただし誠信氏出征直前に胤を宿され、19年にご子息の顯信氏が生まれ、西宗寺を継職され現在に至る。顯信氏最近わが寺を訪問され、私もこの仏縁を尊び、西宗寺様と誠信氏のお墓に参らせて頂いたのである。
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宗祖:親鸞聖人のご往生
報恩講の夕方、本山を始めとしてすべてのお寺においては、「御伝鈔」が拝読される。ところで、この御伝鈔の下巻の第六巻には宗祖の御往生の情景が記されている。
この箇所にいはく、「聖人弘長二歳 壬戌 仲冬下旬の候より、いさゝか不例の氣まします。それよりこのかた口に世事をまじへず、たゞ佛恩のふかきことをのぶ。聲に餘言をあらはさず、もはら稱名たゆることなし。しかうして同第八日午時頭北面西右脇に臥たまひて、つゐに念佛の息たえましましをはりぬ。ときに頽齢九旬にみちたまふ。」(浄土真宗聖典全書・四・相伝篇・上 103ペー��)
我々浄土真宗の門徒たる者も、やがて臨終に直面するだろう。私も今は93歳を過ぎて来年・満94歳の誕生日あたりが臨終の頃かなと予想し覚悟している。そこで臨終の行儀について親鸞聖人のみ教えを聞くことにしよう。
先ず我々は「世間」(現世)の中にドップリ浸かっている。世間とは、政治・外交・経済・実業・商売・教育・趣味娯楽等すべてであり、我々の日常慣れ親しんでいる生活の一切である。この段階においては未だ「臨終」は現れていない。しかるに臨終に近づくとやがて「後生」という領域が現れてくる。後生とはこの私が曠劫以来、流転輪廻して迷い来たり現在に至った事態である。我々は、この迷いの後生において流転輪廻から悟りの往生成仏へと転換せねばならない。この転迷開悟のためには自力聖道門によっては不可能なので、阿弥陀仏の本願力の名号(南無阿弥陀仏)の信心をいただいて救われるのである。
我祖は末灯鈔にいはく「眞實信心の行人は、攝取不捨のゆへに正定聚のくらゐに住す。このゆへに臨終まつことなし、來迎たのむことなし。信心のさだまるとき往生またさだまるなり。來迎の儀式をまたず」(浄土真宗聖典全書・二・宗祖篇・上 777ページ)と。
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後生の一大事
浄土真宗・中興の祖、蓮如上人(以下蓮師)はその「御文章」において「後生の一大事」という言葉を頻々とお使いになって、み教えを説かれている。この「後生」とは、現世とは異なる領域であって、「世間」に対する「出世間」ともいい、衆生の六道輪廻と阿弥陀仏の浄土救済の領域のことである。そこで蓮師は教える「いまも無常の風きたらんことをばしらぬ体にてすぎゆきて、後生をばかつてねがはず、ただ今生をばいつまでも生き延びんずるやうにこそおもひはんべれ、あさましといふもなほおろかなり」(4帖-2通)と。
蓮師の室町時代が過ぎて江戸・徳川時代に入り、徳川幕藩体制になると、儒教・国学・神道が盛んならしめられ、おしなべて現世そのものだけがもっぱら肯定され、後生という仏教的超越的領域が否定され無視されるようになった。たとえば山北幡挑(1748-1821)は「芦の代」において歌った「地獄無し、極楽も無し、我も無し、ただあるものは人と万物」。国学者・本居宣長(1730-1801)は「あるが儘が神��意志の現はれである」として、神に依頼する必要もなく、神在ると見る必要もないと考えて、宗教を否定するのであった。
このように蓮師の「後生の一大事」なる教説が圧殺されたのは徳川時代の265年にわたる儒教・国学・神道の活動によったのであり、我々浄土真宗の門徒たる者は、このことに覚醒して、再び「後生の一大事」に気がつき、本願・名号・信心を頂くのでなければならない。
◎参考文献 津田左右吉「文学に現はれたる国民思想の研究」(岩波文庫1916)
和辻哲郎「日本倫理思想史」(岩波文庫 1951)
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世紀の遺言
人間は二つの境涯に生きている。即ち現世と後世である。現世(現生)とはすべての人々が熟知しているこの世界の生活である。日常家族生活、社会職業生活、さらにはウクライナ戦争、パレスチナ戦争、台湾有事などである。新聞やテレビによって報道される事柄はすべて「現世」の生活である。
大平洋戦争敗戦直後、シンガポールの戦犯裁判の判決によって、若い京都大学 学徒兵:木村久夫氏は遺書「おののきも 悲しみもなく絞首台 母の笑顔を抱きてゆかん」(「世紀の遺言」)を残して、処刑されていった。この若い学徒兵は、処刑される直前に、後生の境涯に直面して、この歌に示される心でもって処刑されていったのである。彼は平生において佛法聴聞しておられなかったので、突然「後生の一大事」に直面して、母の笑顔を唯一の拠り所として処刑されていったのである。
我々浄土真宗の門徒は、日常生活において現世を生きつつ、同時に念佛申しつつ後生を自覚しながら生きている。後生とは、曠劫以来この私は流転輪廻し来たり出離の縁なき身であるが、阿弥陀佛の本願の名号を聞くことによって、信心決定して浄土往生が定まる。しかも一旦浄土に往生するならば、浄土の菩薩となって利他教化の活動ができると受け取ることである。
「後世」、「後生」とは、死んでからの事態ではなく、この現実世界の奥にある広大なる精神的世界であって、迷える衆生も、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天あり、他方無量の諸佛・菩薩・声聞・縁覚等の活動する境涯であり、阿弥陀如来の活動される世界でもあるのである。蓮如上人は頻々と「後生の一大事」ということを説かれる。
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人は何故 戦争をするのか
令和四年二月二十四日、ロシアはウクライナに軍事侵攻を開始し、令和五年十月七日、イスラエルによるガザに対するジェノサイド攻撃が始まった。
そこで朝日新聞の佐藤武嗣氏の論説に教えられて、アインシュタインとフロイト共著の「ひとはなぜ戦争をするのか」(講談社学術文庫2368)という本を読んだ。アインシュタインは、戦争をしかけるのは人間の権力欲と、戦争で利益を得る「権力に擦り寄るグループ」の欲であると考えつつ、更に人間の心を探求するフロイトに見解を求めた。フロイトは答える。人間を行動に駆り立てる「欲動」には、生物の本能的な憎悪と破壊の「死の欲動」と、生存本能という「生への欲動」の二種類があって、両者は相互に作用する。憎悪と破壊の欲動も消し切れないが、他方、「生への欲動」という「文化」の発展によって、戦争をなくす方向に人間を動かしてもいけると、希望の光を当てたのである。
ここで大無量壽経に立ち帰れば、その上巻においては出世間と後世が説かれているのだが、下巻においては世間の相(現世の相)が五悪として説かれている。即ち、第一悪は殺、第二悪は盗、第三悪は淫、第四悪は虚言、第五悪は飲酒。つまり世間というものは殺にまみれ、戦争は限りなく続くと説かれているのである。世間は五悪として、フロイトの所謂「死の欲動」そのものなのである。そこで上巻において説かれる後世へと立ち帰らざるを得ない。アインシュタインもフロイトも科学者として所詮、世間に留まりて、出世間(後世)の境涯を知らない。科学というものは世間の行業である。
蓮如上人は説く、「それ、八万の法蔵をしるといふとも、後世をしらざる人を愚者とす。たとひ一文不知の尼入道なりといふとも、後世をしるを智者とすといへり。」(御文章 五帖(二))後世を知り、六道輪廻の境涯を心得、本願の名号を頂くところに真の平和があると頂くのである。フロイトの所謂「文化の発展」の内に、真の宗教が考えられているとするならば、我々念仏者も彼の説に同ずることは出来る。
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戦争と信心
昭和二十年八月十五日、日本国は十五年戦争に敗北して、戦争放棄の憲法を発布した。その時私は中学二年生であったが、私を含む日本人の大部分は、アメリカ合衆国がいかに偉大な国民であるかと尊敬したものであった。ところがその偉大とされたアメリカがまもなく朝鮮戦争に介入し、ベトナム戦争に突入し、湾岸戦争へと突き進み、イラク戦争を開始した。最近のロシアのウクライナへの侵入には武器援助をし、さらにイスラエルがパレスチナに戦争をしかけるやこれを応援する。他方アメリカ合衆国の内部においては、トランプを応援するアメリカ国民が国会議事堂に侵入した。
こんな行業で私のアメリカ合衆国への尊敬の念はハタと消え去ってしまった。
大無量寿経においては、「世間」には「五悪」というものがあり、その第一悪は戦争であると説かれている。「諸天人民衆悪をなさんと欲へり。強きものは弱きを伏しうたたあひ剋賊(コクゾク)し、残害殺戮(ザンガイサツリク)してたがひに呑ぜい(ドンゼイ)す」。
つまり世間においては人間は昔から永遠の未来に至るまで戦争をやめられないというのである。
この世間に対して「出世間」という境涯があり、この境涯においては、衆生は自分自身が六道輪廻という迷いの境涯をたどっているのを心得、阿弥陀佛の浄土の世界が存在しており、この浄土の境涯に落ち着くことが人生の究極目的であり、幸福なのであると説かれている。
多くの人々は「世間」の領域にのみ没入しており、「出世間」の領域の存在を知らない。世間の領域においては戦争は永��になくならない。出世間の領域においてのみ絶対的平和が存在している。
ぜひ皆様も信心・念佛申して、出世間の領域に入って頂きたい。聖徳太子は既に七世紀の古代において「世間虚仮 唯佛是真」と説かれておられた。即ち「現実肯定・内在的世界観(世間)しか有しなかった日本人が初めて否定を媒介とする世界弁証法的構造(出世間)に目を向けた画期的思想の表明であった。」と評されている。(家永三郎:『聖徳太子集解説』岩波 日本思想体系2 473ページ)
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「酒か信仰か」
お正月を祝う儀礼として、日本人は「お屠蘇(とそ)」を頂く慣習がある。大無量壽経の下巻に、人類の悪に五つあって、その第五の悪が飲酒であると説かれている。つまり人類は大昔から人生を紛らわすために酒類を発明したのである。即ちビール、日本酒、葡萄酒、ウイスキー、ブランデー等である。
人生は苦である。この苦から逃れるために人類は二つの道を発見した。其の一は酒類(アルコール)を飲ん��酩酊すること。其の二は普遍宗教によって無限の生命を頂くことであった。
私は人類が酒類を開発した智慧と技術には驚嘆している。酒類の開発は核兵器の発明とともに人類の悟性と技術の最大の成果とも言えよう。ただし酒類においては、一時的には酩酊し苦から脱するのであるが、やがて酔いが醒めると元の苦悩に戻らざるを得ないことである。
これに反して宗教は全く別の道を歩む。飲酒が「世間」の領域における出来事であるとするならば、普遍宗教は「出世間」の領域にまず出て、曠劫以来の自身の流転輪廻を知らしめられ、この自身が阿弥陀佛の本願の名号「南無阿弥陀佛」を頂いて信心決定し、一期の命尽きぬれば浄土に往生させて頂くのである。
アルコール依存症の人は、アルコールが切れたらまた再び以前の苦に戻る。信仰者はひとたび信心決定すれば、もはや絶対に元の苦には戻らない。
苦の人生において、酒で解決するのか、それとも真実信心によって解決するのか。二つの解決方法の根本的相違を心得べきである。
第一の悪(戦争)については次号に述べる。
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大無量寿経の教え
宗祖親鸞聖人は、その主著「教行信証」の冒頭において、「それ真実の教えを顕はさば、即ち大無量寿経これなり」と説かれている。大経は上・下二巻から成り立っている。その叙述形態は「世間」と「出世間」の二つがあるのだが、多くの人は「世間」に完全に没入し、「出世間」という境涯について殆ど全く無知である。「出世間」という存在様式を自覚することが先決であろう。
(大経・上巻)冒頭から出世間の領域の叙述が始まる。出世間の領域において、一切衆生を救わんが為に、法蔵菩薩は五劫の間思惟し、四十八願を建てられ、兆歳永劫の修行を経て成仏された。そして浄土を建立し、阿弥陀如来となられた。かくて衆生救済の本願・名号・信心を発布されることになった。
(大経・下巻)さてその救済の対象としての衆生の状態であるが、下巻は中頃において世間のすがたの叙述が展開される。人々は三毒(貪欲・瞋恚・愚痴)にまみれ、五悪(殺人・窃盗・淫乱・妄語・飲酒や麻薬)に沈没して、苦しんでいる。これが「世間」の事態であり、我々の日常の事態であるが、ここで仏教的智慧に照らされると、「出世間」の境涯が明るみに出されてくる。即ち曠劫以来の流転輪廻の相が明るみに出されてくる。こういう流転輪廻から人々が救われるには、難行苦行して覚ることを目指す自力聖道門仏教によっては、到底目的を達せられない。
そこで上巻において説かれた法蔵菩薩のご苦労によって建立された易行道が示される。即ち本願を信じ、「南無阿弥陀仏」の名号を称えるということによって、現生において正定聚不退転となり、一期の命尽きぬれば必ず浄土に往生し成仏することが明らかになったのである。
「往生成仏」の確信これ程の喜びが他にあるだろうか。
「念仏成仏これ真宗 万行諸善これ仮門 権実真仮をわかずして自然の浄土をえぞしらぬ」(浄土和讃 71 浄土真宗聖典注釈版569ページ 本願寺出版社」
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浄土真宗のみ教え
多くの人は「世間」しか知らないようであり、世間の中に埋没しているけれども、真実は「世間」と「出世間」の二つの境涯があるのであり、このことを知ることが決定的に重要である。
さてその「出世間」の境涯であるが、これは自身がこれまで曠劫以来流転輪廻して、今後も未来永劫に流転してゆくであろう恐るべき事態なのである。
この流転輪廻の事態に気づき、これから解脱することが仏教の目的なのであるが、この目的を達するためにまず、仏教においては自力聖道門の修行の道が説かれた。しかし自力修行によって輪廻解脱する道は、この末法の時代においてはほとんど不可能であることから、浄土教が説かれた。浄土真宗とは本願を信じ念仏を申して救われる道である。弥陀の本願に基づいて出来た「内に信心を込めた念仏」(真実信心必具名号)を申すことによって救われる道である。このように本願・名号・信受すれば、その時「前念命終 後念即生」と言って、この私の浄土往生は定まるのである。肉体の死の時(臨終)でもなければ、また死後の時でもない、現在の救いである。
さて、このように信心決定した後、肉体の死に至るまで、貪欲・瞋恚(しんに:怒り腹立ち)の煩悩の荒れ狂う中を念仏のお喚声(よびこえ)を聞きつつ白道を歩んで行くのであろう。やがて肉体の死を迎え、念仏の息絶え終わんぬとなり、お浄土の住民とならせて頂くのである。
顧みれば、永い永い懐疑と彷徨の生涯であった。その中に絶えざるお導きがあった。この莫大なる喜びを宗祖親鸞聖人は「慶喜いよいよ至り、至孝いよいよ重し」(教行信証 化身土文類 後序 P473)と述懐されている。
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死後の不安
最近の新聞の広告欄に『死後の不安にかられ、宗教書を求め、読んで救われた。』という記事があった。大体「死後の不安」などは現代人の殆ど多くの人は感じていないので��なかろうか。大抵の人は職業生活に追われるか、或いは退職すれば趣味道楽か旅行などをしている。「死後の不安」にかられて宗教に赴くような人は現代では殆ど稀だといってよかろう。しかし、それでは人は「世間」という日常性に埋没しているのみであり、「出世間」という宗教的世界を全く知らない存在様式にいることになる。
そもそも私の生存は、「世間」と「出世間」とから成立しており、世間とは日常生活、政治、外交、経済、科学、倫理・道徳等々の世界である。多くの人々の慣れ親しんでいる存在様式である。この世間について皆様は非常に心得ておられる。しかし私の生存はこの「世間」だけで成立しているのではない。もう一つ、「出世間」という広大な領域が存在しており、この領域にこの「私」は生存しているのである。
出世間とは非日常的世界にして佛・菩薩と六道輪廻の世界である。六道とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天のことである。私はこの六道を曠劫以来、生まれ変わり死に変わり流転輪廻してきて現在に至ったのである。佛教の目的は世間から離れ、出世間に至り、六道輪廻の自己を自覚した上で、さとりを得、成佛することである。しかしこの目的を達成するには、自力では到底不可能なので、阿弥陀仏の本願にもとずく名号(南無阿弥陀佛)にこめられた「信心」を頂いて救われるのである。「死後の不安」が問題であるようだが、浄土真宗においては、現生において唯今、信心決定した時、六道輪廻から離れて浄土往生が定まるのであり「死後の不安」には何等おののくことはないのである。
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親鸞聖人のご誕生をお祝いして
我が浄土真宗の宗祖・親鸞聖人はご誕生以来、今年で850年を迎え、京都のご本山においてはこの3月より5月まで慶讃法要が修行されている。
聖人は1173年(承安3年)に皇太后宮大進・日野有範の子としてご誕生された。その当時の政治的社会的状況について言えば、平家の全盛時代にして、1167年には平清盛が太政大臣となり、1171年には清盛の娘・徳子が入内す���という、「平家でなければ人でない」という状況であった。しかしそれからまもなく、1185年に平家は滅亡し、源氏が再興し、1192年に源頼朝の鎌倉幕府の成立と発展するのである。
親鸞聖人はその後、20年の比叡山修行時代を経て法然上人の弟子となり、専修念仏を戴くようになるが、それは征夷大将軍となれる源頼朝が亡くなって源頼家が後を継いだ頃、建仁元年の頃であった。その後わが祖のご生涯は、越後ご流罪(5年)、赦免後(2年)、関東布教(20年)、帰洛(30年)と続くのであるが、その間わが祖は一貫して、師匠・法然上人のみ教えを護り、「本願・名号・信心」という根本的存在様式は変わらなかったのである。しかし宗祖ご誕生800年後の我々真宗門徒は大いなる思想的混乱に陥っているようである。
それは明治維新以後の近代欧米文明の流入への対処の仕方と15年戦争の敗戦という事件である。そこで我々門徒は、もう一度落ち着いて、「正信偈」を味読して、わが祖親鸞聖人の存在様式に帰りたいものである。
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内陣と外陣
お寺の本堂は中央で黒い框(かまち)によって仕切られている。その上段半分は「内陣(ないじん)」と呼ばれ、その内陣一番奥の中央にはご本尊の阿弥陀如来が安置されており、その右側には宗祖親鸞聖人の御影が掲げられている。
黒い框の外は「外陣(げじん)」と呼ばれ、ご門徒が着席し、仏法聴聞する場所と定められている。さて玄関・外階段・外界は世間を表し、外陣・内陣は出世間を表している。多くのご門徒の皆様は玄関を通過して外陣に入ってこられるけれども、この外陣への入堂によって、人々の心は二回転換すべきなのである。
第一回の変転は、日常的世界(世間)から超越的世界(出世間)への転入である。政治・経済・科学等々は我々に親しい日常的世界(内在)であり、出世間とは非日常的世界(超越)の領域である。ここにおいて自身が曠劫以来六道を輪廻してきたことが明らかになる。参詣者は何気なく入堂してこられるが、かかる内在から超越への転換は極めて難しい。
第二回目の変転は、一般仏教の自力聖道門より、他力浄土門への転入である。輪廻からの解脱が自力によっては不可能であることから、この罪業の私を救わんがために阿弥陀仏の本願が建てられたのであり、それに基づいて名号「南無阿弥陀仏」に込められた信心を聞き得て救われるのである。この信心決定の時点において浄土往生は定まり、真宗においては「臨終のお迎え」を待つことはないとされる。こうしてめでたく獲信した人は、外陣でも最前列に着席し、念仏の声も絶えないであろう。このように「正定聚不退転」となれる人は「妙好人」とも呼ばれる。
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新年を迎えて
ロシアのプーチン大統領が去年2月24日に命令を発し、ロシア軍をウクライナに軍事進攻せしめて戦争を始めた。これに対して、アメリカ合衆国とその友好国、北大西洋条約機構(NATO)、7大国などはウクライナを物質的に援助している。他方東アジアにおいては、中国��よる台湾有事や、北朝鮮のミサイル実験などによって甚だ憂慮すべき事態が生じている。
この事態に対する日本の態度には三つあるようだ。第一は憲法第九条は其の儘にして軍事予算は倍増させる仕方。第二は憲法第九条を文字通り尊重して自衛戦争に踏み込むことを避ける仕方(カントの「永遠平和の為に」、中国の習近平の説)、第三は憲法第九条を改正し、「自衛の為の軍隊を持つ」と規定し、堂々と自衛戦争ができるようにすることである。
我々の存在様式には、「世間」と「出世間」の二つがある。世間とは我々の日常的常識的世界であり、政治・外交・経済・科学・医学・薬学・娯楽・社会・戦争の世界であり、他方「出世間」とは佛と神々と六道輪廻の境涯である。
全人口の九割迄は世間のことしか知らず、出世間については殆ど無知であるようだ。但し全く感じないわけでもない。例えば神社のお祭りには御神輿をかつぐ人もいるだろうし、「お伊勢参り」、元旦の初詣、近親者のお葬式、墓参などは「出世間」の入口なのである。そこでこの入口から「出世間」の中に本格的に入ってゆくならば(求道・仏法聴聞に専念するならば)、やがて自身の六道輪廻の境涯が知られ、更に聖道難行を去り、浄土他力易行の道に入り、遂に「弥陀本願・名号・信受」して往生成仏して決着するのである。
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世間と出世間
我々は二つの存在様式に生きている。一つは「世間」であり、もう一つは出世間である。世間というのは誰でもそこで生活している境涯であり、日常的生活であって、政治・外交・経済・実業・教育・家庭生活・娯楽等である。これに反して「出世間」というのはこの世間の奥にあって、我々人間や生きとし生けるものが無量の命を相続している流転輪廻の境涯である。この境涯は地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天・声聞・縁覚・菩薩・佛とされている。
我々は「世間」のことは熟知している。しかし出世間における流転輪廻の境涯については多くの人は殆ど心得ていない。此の現況は極めて恐ろしいことである。しかし全然無知・無縁かといえばそうでもない。一番よい機会は親族の死である。どの家庭においても、時々、祖父母・両親・兄弟・子供等の逝去に出会うことがあるであろう。その際に、我々は葬式を行い、火葬し埋骨等を行わざるを得ない。この時、「死者はどうなったのであろうか」という問題が提出されるのであり、この機会が「出世間」を考える入口になるのである。近親者の死は、「出世間」を考える絶好の機会であろう。
死者はもはや「世間」にはいない。併し「出世間」の境涯においては依然として、流転輪廻という在り方において相続しているのである。死んで無になるのではない。その人の前世の世間における行業に報いて六道輪廻を続けているのである。それでは如何にしたら迷いの輪廻を脱して成佛し得るか。それは宗祖・親鸞聖人の教えに従って、「本願を信じ念佛申す」ことである。本願を信ずるその時に流転輪廻は終わり、浄土往生は定まるのである。
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死に直面して
中国の高僧、曇鸞大師(476~542)は山西省雁門の生まれ、神鸞とも尊称された。彼は若くして病気をもっていたようで、仏教研究を果たされず、そこで、先ず不老長寿の法を求め、江南の道士・陶弘景を訪問し、仙経道術を学ばれた。そこから北支に帰るのだが、帰途、洛陽で菩提流支に逢う。流支は教える、「まことの不老永生の法とは輪廻転生を超えるところの仏法、浄土教による他はない」と。この教誡に従い、曇鸞大師は仙経を捨て、浄土教に帰依されたと伝えられている。
さて21世紀の現代において、我々は非常に進んだ近代医学と薬学の恩恵を被っている。この事態は到底、6世紀の曇鸞大師の頃とは違い、遥かに幸せになっているかのように見える。しかし果たしてそうであろうか。
仏教においては「定命」と言って、人の寿命はすでに定まっていると説く。ただ本人には判らない話である。蓮如上人は曰く「人間の寿命をかぞふれば、今の時の定命は五十六なり。・・・これにつけても、前業の所感なれば、いかなる疾患をうけてか死の縁にのぞまんとおぼつかなし」(御文章4帖ー2)
そこで現代人は懸命に医学と薬学を発揮して、寿命を延ばそうとするのであるが、その甲斐なく定命通り命が終わり、死んでゆくのであり、ここから流転輪廻を続けるのである。自己が流転輪廻を続けていることが明らかとなり、ここから解脱、成仏せんと願い、「出世間」に入る。出世間に入っても、初めは自力聖道門を歩み、次に自力無効を悟り、浄土門に転向する。しかしこの段階に入っても自力根性が残存している。一切の自力根性が抜け、阿弥陀仏の本願海に身を委ねた事態が、信心決定の事態である。ここを和讃に曰く「本眼力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき 功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし(高僧和讃13)
私一人が阿弥陀仏の本願海に身を委ねた事態こそ、無量の命を頂いた境地なのである。曇鸞大師の落ち着かれた境涯もここにあったのである。歎異抄に曰く「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」(歎異抄 後序)と。
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