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BITCH, DON'T KILL MY VIBE
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ka-wa-korg · 2 years ago
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拙い今日、苦悩。
暗くなるのが早いからって理由だけで、冬が好き。
冬の夜は、誰の手も届かないところに逃げたくなりながら、でも必死な日常から抜けられない寂しさに襲われる。
だから、そういうときは夜の海を見にいくのだ。
夜の海は黒くて吸い込まれそうで、誰も居ない、無機質で無味乾燥なくせに、自我を持っているような気がするから不可思議だ。明日の誰かの何かのために必死に波を打ち続けているように見える。
海に行けばいろんな事を考えさせられる。年を重ねたからか、思考の純度が上がり現実と向き合うのが上手くなった。
幼い頃描いていた世界征服の野望だとか、背伸びしすぎた夢を追いかけるのをやめて、晩ご飯を考えたり、目一杯お洗濯をしたり、身近な日常のなかの小さなタスクを達成することで、小さな幸せを見出すことも上手くなった。
それと反比例するように、10代の頃に感じた切なさのようなものはどんどん薄れていく。
小さい世界のなかに自分を押し込めるのはもうやめた。
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ka-wa-korg · 3 years ago
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目を合わせあって生きる
お金も時間も体力も余裕も小鳥みたいに消えていく。「いつか」は来ないと知った。思ったその日その瞬間動いておけばよかった。どんなに不完全でも、不完全のまま動くしかなかった。
ベストなタイミングは、永久に来ない。はいあなたの出番です、なんて調子の良いコールは滅多に来ない。必要なものは、現地調達するしかない。拾いながら走っていくしかない。扉をたたきに行くしかない。どうやら人生は、そういうもののようです。
私が唯一こういう女でありたいという理想像は、曲線でも水分率でもおべっかでも品の良さでもない。度胸です。仕事が飛んでも金がなくなっても生き残る気迫と気概を持ち合わせた度胸です。その孤独にも耐えうる、生き様です。
綺麗な女も可愛い女もたくさんいる。でも、度胸を持った女は珍しい。
綺麗は劣化する。可愛いは消える。でも、生き様の真実は絶対に消えない。
とはいえ「今から一緒に花火でも振り回しながら海にでも突っ込もうぜ」と言える、破滅上等派の男は滅多に見ない。
欲しい物は、すぐに買った方がいい。物欲にも賞味期限がある。
好意は、早く伝えた方がいい。だってすぐに消えてなくなる。
送信できなかった言葉、既読にならなかった言葉を思う。
なかったことにしたかった話、なかったことにできない話を思う。
最も痛々しい思い出が、それでも一番美しいのです。
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ka-wa-korg · 3 years ago
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お元気ですか。
現代は、最悪の時代だと言われます。
寂しさの時代だ、という人もいる。引き裂かれた時代だ、という人もいる。
誰とも会わずに家で一人でいる正義がある。街に繰り出して経済を回す正義もある。しかし私たちの大半は、どちらにも振り切れない。そうしてなにをするにも後ろめたさが付き纏うようになった。いつからか楽しいことがあっても人に言いにくくなった。辛いことがあっても言いにくくなった。
こんなどうしようもない話を、直接会って話したい相手こそ一番大切で、だからこそ会いづらいのだった。
こんな夜は気の利いた独り言も、お洒落で眩しい十五秒の動画も、テレビもサブスクも虚しい。いまでも話したいけど話せない。遊びたいけど遊べない。触れたいけど触れられない。
そうして夢は叶わない。努力は報われない。信じていた言葉には裏切られる。永遠だと思いたかったものはどうやら永遠ではなかった。いや、ほんとうは大切ななにかがいつか消える予感も香っていた。それを肺一杯吸い込んで、承知しようとしていた。どうでもいいものこそどうでもよくないもので、いとおしいのだと、本当は内心気付いていながら。
私たちを守るものは、私たちを孤独にもする。なにが正しいのか誰にも分からない。
二十代は最悪の時代で、寂しさの時代で、引き裂かれる時代ではなかったか。
夜は長い。しかしやさしくない。そして私たちには、時間がない。
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ka-wa-korg · 5 years ago
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百貫デブにはサプリメントを、有色人種にはマシンガンを
何度も同じ本を読んで、何度も同じ映画を見て、何度も同じ音楽を聴くのが好きだ。 もうここ一年くらいずっと、同じプレイリストを聴いている。 そんな中でぼんやり考えていると自分が何になりたいのか、何をしたいのか、全く見当がつかなくなってしまった。 「新しいことに挑戦したい」とは言っているものの、何がしたいのか全く見通しが立っていない。
音楽の仕事では、メインの仕事をもらい、チーフを任されるようになり、ドーム単発公演では終了後、来年のツアーも期待して下さいと言われた。 きっとこのまま続けていれば、素晴らしい景色をまた沢山見ることができるのだろう。
しかし、いま自分が音楽の仕事を続けたいのか分からない。 音楽の仕事自体は素晴らしいものだとは思っている。 人の心を動かすモノを作り上げるという感動や、作り上げてきたチームの一体感、達成感は普通に生きていたら並大抵味わえるものではない。 学生の頃に大好きでよくライブに行っていたアーティストと一緒にお酒を酌み交わすことだってできた。そのアーティストが、酔っ払って私だけのために一曲歌ってくれた。
でもやっぱり何か足りない。 全てを見てみたい。
自分の人生を決めてくれるコンシェルジュは居ないのだろうか。 「あなたはこういう資格を持っていて、こういうことが昔から好きだから絶対この仕事にハマるよ。ちなみにあなたに適した転職時期は〜」とペラペラ解説してくれたり、時には「この男はあなたのことを大切にしているけど、あなたの親戚とは上手くやれないよ。」だとか、「あなたは物事の本質を見ているようで全く見れていないよ。」といったような、自分の人生に寄り添ったアドバイスをしてくれるコンシェルジュが欲しいのだ。
この際、人の気持ちを汲み取れる人工知能でも良い。 家族や友人のアドバイスではなく、無機質な第3者がただ淡々と私へアドバイスするのだ。
占いや宗教など、不安産業が廃れない理由を垣間見た気がする。 心の闇は普遍だ。
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ka-wa-korg · 5 years ago
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ヨロイを着てなきゃ外も歩けない
2020年4月18日(土)
今、世界ではコロナウイルスが流行している。
教科書に乗るであろう世界的パンデミックに遭遇してしまい、うっかり歴史の証人となってしまった。記録用として書き留めておこうと思う。
このウィルスのせいで、4月以降に入っていた仕事は全て白紙となり、再開の目処も立たず全く未来が見えなくなってしまった。
ライブ本番日、機材搬入、セッティングから始まり、アーティストと世間話なんかをして、リハが始まって、ああでもないこうでもないと音作りをする。
本番前のお弁当の中身に一喜一憂して、あっという間に本番が始まる。
直に人に会って、盛り上がるステージやフロアの熱量を感じ、生きたエネルギーを交換する大切な機会が無くなってしまった。
毎日ただ生きているだけ。
そして毎日「不要不急の外出自粛」を律儀に守っていると、自堕落生活のルーティーンが出来上がってしまった。
昼前に起きて昼食を作り、食事の後はSwitchのどうぶつの森で島作りに勤しみ、ソファでまどろんだ後寝落ちして、起きると夕食の買い物を近所のスーパーで済ませ、少し夕食を凝って作り、食後はデグーを部屋で散歩させるかネットサーフィンをするだけ。
ほとんどこれの繰り返しで、暇であること自体に疲れてきた。
毎日こんな生活を続けていると、脳味噌が退化してしまう気がして、毎日BBC World Newsを点けて流し聴きしている。
これもまたコロナウィルスに関するトピックばかりで、なかなかウンザリする。
しかしこの不自由な生活がいつまで続くのか世界中の誰にも見当がつかない。
それでもって「無期限」という言葉を初めて残酷だと感じた。
友達に会いたい。
実家に帰りたい。
お酒を飲んでワイワイしたい。
洋服を買いに行きたい。
何もできない。
普通にできていたことが、普通にできなくなってしまった。
そして厄介なのが、「終わり」を定義するのがどうなった状態なのかさっぱり分からないこと。
首相から「はい、コロナ終息です」と宣言されたとしても、私の職種だとすぐには軌道に乗らないのが目に見えている。
収まったところで、希望すら無いのだ。
今の状況に身を任せることしかできない。
満身創痍になった日本が、また数ヶ月前のように日常を取り戻すことができるのだろうか。
太ってブクブクになる前に緊急事態宣言が解除されることだけを願う。
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ka-wa-korg · 7 years ago
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目を合わせるということ
大好きだった親友が死んだ。
バイクの事故だった。
音楽が好きというだけで仲良くなった友達だった。
7限目が終わった瞬間ダッシュで坂を駆け下り、明日のことなんて何も考えずに電車に飛び乗り、制服のまま一緒にライブハウスに行った。
バイトで小遣いを稼いで、ほとんど無いようなお金を掻き集めてチケットやTシャツを買って、仮病で早退してはライブへ行き、ライブの次の日は一緒に学校をサボって感想を語り合ったり、あの頃の私たちの何もかもは音楽の為に動いていた。
好きなバンドの新譜が出れば一日中感想を語り合ったし、あの歌詞がエモいだのどういう意味だのずっと話していれた。
音楽が好きすぎたあいつはバンドをやっていたが、私は一度もライブを見なかった。
音楽も何も知らねえヤツラに自分の仲良しの友達がキャーキャー言われているのがなんだか嫌で、ただそんなくだらない理由だけで、誘われても適当に理由をつけてライブに行かなかった。
そんな理由だけで行かなかった自分が本当に恥ずかしくて、とてつもなく後悔している。
その気になればいつでも友達のライブなんて見れると当たり前のように思っていた。
当たり前のことだが、当たり前が続くことなんて実はありえないことなのだと思った。
今もまだどこかでせっせとバイトをしながらバンドをやっている気がする。
ハタチを過ぎた頃、私は東京に引っ越して自然と連絡を取ることも少なくなり、遊ぶこともなくなった。
音楽のことを語り合うだけじゃなくて、旅行にも行きたかったし一緒にお酒も飲んでみたかった、楽しいことをたくさんしたかった。
あいつはこれからもずっと音楽を好きでいたかったに違いない。
そんなふうにいくら毎日後悔してもあの頃の時間はもう戻ってこない。
その事実が一番悲しい。
あいつは私の青春時代を作り上げたうちの一人で、あいつがいなければ多分学校も辞めていただろうし、あんなに楽しかった青春時代は送れなかっただろう。
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ka-wa-korg · 7 years ago
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憧れのインディアは遠かったけれど
仕事の都合でインドへ行ってきたのでその時のことを書こうと思う。
ひとまず、無事に帰国することができた。
往路ではマレーシアでトランジットする為クアラルンプール行きの飛行機に乗っていたのだが、その道中、本当の意味で私は死にかけた。
深夜発の便だったため私は飛行機の中でずっと寝ていたのだが、明け方焦ったCAのアナウンスで目が覚めた。
寝ぼけている私には全く状況が理解できなかったが、アナウンスをよく聞くとどうも右翼のエンジンがオーバーヒートしたようだ。
なるほど、と理解したのちも意外と自分は冷静だった。隣に座っていた大学生は私よりもずっと冷静を保ち、勉強を続けていた。このまま死ぬかもしれないのに勉強なんかして無駄でしょう、なんて思ってしまったが、彼はきっととっくに生存することを諦めていたのだろう。
もうここから逃げることもできないし、電波もないから最期のメッセージも送れない。家族と彼氏には好きだよとメッセージを送った。何度確認しても送信中の矢印は消えないままだった。
体験したことがないほど揺れている飛行機のなか、今まで生きてきた22年間はなんだかんだいい人生だったなと古い記憶に、思いを馳せることしかできなかった。
全員が死ぬと確信し大泣きしている大人の女性すらいる中、腕の良いパイロットだったのか、那覇空港に緊急着陸することができた。
無事着陸できたが、かなりの長時間那覇空港に閉じ込められた。
もう飛行機なんてこりごりだ、と考えながらトランジットし気づけばインドに到着していた。
インドに着いて感じたことは、インド人は優しいしご飯は何を食べても美味しいし物価は安いしインドは最高の国だ。
プリーはまだ発展途上だからこそ勉強になることが多かった。
日本でスイッチを押せば当たり前のように電気がついて、水が出て、テレビがついて、清潔なご飯が食べられるのは奇跡であると感じた。
すれ違うたびにハロー、ナマステと言ってくれる気さくな人ばかりだった。
ガンジーの非暴力非服従の教えを大切にしているから揉め事がおこっても絶対に話し合って解決しようとするし暴力なんてもってのほか(キマってるチンピラは一人で怒鳴り狂っていた)。
ただ、良いことばかりではなく、しつこい売り子や物乞いにはキッパリNoと言い続けないといけなかったのはとてもつらかった。
物乞いの女の子にこっそりクッキーを渡して、2人で一緒に食べた。
本当は良くないが、1ルピーも渡した。
渡した後にこれは優しさなんかじゃ無くて、自分が悪者になりたくなかっただけなのかもしれないと思って少しだけ自己嫌悪に陥った。
世界の全員を救えるなんて夢みたいな、そんな話はあるわけないのである。
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