Tumgik
kankay51 · 1 year
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慌ただしい春は変化の兆し
方々に伸ばしていたものたちの方向性が定まりつつあり落ち着いてきたかと思いきや、定まったことで逆にやらなきゃいけないことが次々に湧き出てきた。そしてそれらが局所的に集中したために、慌ただしい日々を過ごしている。
引越しが一番大変だった(そしてまだ終わってないのがツラい。。。)。同時並行でまったく別件のペーパーワークも処理しなきゃならない。カレンダー内のToDoが、沸騰したお湯のように消える前にポコポコと増えていく。なんだか仕事をしていたときの気持ちを思い出す。
しばらく前から実家に戻り、帰国してからほとんど触れてなかった段ボールの整理をしていた。ほぼ片付けも終わり業者の手配も完了して、東京へ戻る。その間案の定体調を崩して、二、三日寝込んでいたが持ち直してきた。書類や振込や手配もだいぶ処理した。
気づいたらまだ少し残っていた山桜たちも散って葉桜に変わっていた。それが自分に起きている変化のようでもあって、大袈裟なんだけど、世界と自分との間に小さな接続を感じた。頑張ろうと思う。でもきっとすぐ体調を崩してしまうから、お茶とか飲んでホッとしたり、友人たちとお酒を酌み交わしたりして、なるべく忙しくも気持ちにのんびりしたものを持ちながらやっていこう。
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kankay51 · 1 year
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あえてゆっくり
日本は電車網が充実していていい。元々少し乗り鉄なところもあり、去年はローカル線に色々乗れて楽しかった。特急や急行に極力乗らない。新幹線もこだまに乗る。そういえば内田樹も「あえて」こだまに乗るとかどこかで言っていた。
急行に乗る方が速いのは間違いない。僕自身割りと効率厨だ。でも、その速さにどれほどの意味があるのだろうかとたまに考えてしまう。だからよく各停に乗る。それには遅刻する、ということに慣れなければならない。間に合う、こともそれほど重要じゃない気がする。だって、究極的には会えればいいじゃん。
はい。飲み会に遅刻している言い訳です。
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kankay51 · 1 year
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息を吐いたら白いから寒いと気づいた
このシンとする寒さを体験するのは久しぶりだと、先ほど外へゴミ出しに出て思った。気づけばもう12月で、2022年が一月も経たずに終わる。
怒涛の一年だったように思う。とにかく日本社会、日本の状況に自分自身を合わせていくのに必死だった。そんなに無理に合わせなくてもよかったのかもしれないけれど、とにかくそうするしかできなかったから、仕方ない。もし帰国前に戻れたとしても、きっと同じことをするだろうと思う。
日本に戻ってきて、いろいろなことが身近な範囲で起きた。処理、というかそれらをきちんと受け止めるにはきっと長い時間がかかるのだろうと漠然とそう感じる。思えばいつだって、感情が先行することがない。いつも遅れて、もうそんなこと考えてないよと周りが言い出す頃に、ようやく、その時自分に起きたことを心で感じて、真剣に考え始める。そういう感度の低いやつなのだ。
あまりに寒くてほんのわずかな時間外にいただけだけれど、日本の冬の、この冷たい閉じた空気が嫌いじゃないなと感じた。シカゴの寒さは強烈で絶対外になんか出たくないと思ったが(そういう意味ではNYも寒かったが)、日本の東京の寒さは言ってもそこまでではなくて、心のどこかにある考える種のようなものをそっと抱えて、ぎゅっと包み込むにはちょうどいい寒さのように思える。
締め切りが迫っているものがあって、そろそろ本格的に仕上げなきゃならないんだけれど、いつもぎりぎりまで腰が上がらない。心が機敏に動かないのは、歳を取ったせいなのだろうか。ちょっと、運動でもした方がいいのかもしれない。元来、僕は体を動かしてものを考えるタイプなのだ。そう、机にじっと座って何かできるタイプじゃない。汗をかいたら?毎日起きるとそう言われている気がする。
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kankay51 · 2 years
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やりたいこと
日本へ帰国してから、ずっと、心の焦点が定まっていない感じがしていた。久しぶりに会う家族、友人。久しぶりの日本の生活、東京。したかった/行きたかった場所へ旅をしても、心のどこかで、何か収まりどころを見つけられなくてキョドキョドしている感じ。落ち着かなくて、つまらなくて。
今日友人と話していて、唐突に、ようやく心の躍る目標を見出せた気がした。というより、思い返せば前からほとんどそれしかなかったのに、ようやく気づけた。こんなに心が軽く、前向きになれたことは、ここ何年もない。でも、そう、これだ。僕はこれがしたい/かったんだ。
もう人生でやりたいことなんてほとんど何もないと思っていたけれど、なんだ、まだあるじゃない。明日から、そのために時間を使っていこう。何か見出すだけで、心ってこんなにも軽くなるんだ。って、いまこのエントリーを書きながらそう感じている。もしかして、もうちょっとだけ、生きていることに感謝してもいいのかも。したくてやりたくてなりたくて、でも何もさせてもらえなくて、何もできなかった、Dead Poets Society。
思い出した。あの悲しみを感じたのなら、今見つけたことに全力を出さなきゃ。
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kankay51 · 2 years
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共感の正義
誰かが命を落とすことがある。寿命だったり、事故だったり、自殺だったり、事件だったり。とても悲しいことだ。それが、親しい人だとより悲しいのは言うまでもない。できれば、誰にもそんな辛いことは起きてほしくない。
知り合いの誰かが、唐突にその人生を終えたとき、周りがざわめく瞬間がある。誰かが情報を伝播させ、微妙に関係があったとか、かつて少し仲良くしたとか、お世話になったとか、同じ組織にいたとか理由は様々だと思うが、とにかく一瞬の風として回ってきた情報に対してざわつく。悲しいことがあったら、悲しんで当然で、少しシリアスになるのが当然、という空気。それに乗らないと、失礼、とされる。
これが、共感の正義なのかもしれない。
でも少し待ってほしい。私はそんなに、その人のことを日常的に考えていただろうか?思いを馳せていただろうか?むしろ、知り合い伝いに耳にした情報で初めて、その人のことを思い出したりしなかっただろうか?なんとなく界隈でざわざわしているから、真面目な雰囲気になっていく、あるいは自分をそういう方向へ持っていってはいなだろうか?強い言葉を使えば、安易に共感していないだろうか?ハッシュタグツイートと同じことをしていないだろうか?
共感の正義は、ほとんどいじめと同じ構造を持っているように見える。根底にある同調圧力。みんなが真面目になって、みんながシリアスになって、みんなが悲しんでるのに、なんでお前はみんなと同じように振る舞わないのか。おかしい。変なやつ。違うやつ。気持ち悪いやつ。不気味なもの。
でも落ち着いてみてほしい。家族でも、恋人でも、親しい友人でもない、言ってしまえば第三者の私は、何に共感しているのだろうか。悲しい出来事がホットな話題になっているからその熱量にだろうか。周りがざわついてるから、真剣にざわついた振りをするのが空気を読むことなのだろうか。
でも考えてみてほしい。第三者の私にできることって、ほとんど何もないじゃないか。たぶん取りうるべき態度としては、自分が当事者じゃないことに謙虚になる/相対的でいることだけなんじゃないだろうか。もちろん、本当の当事者とは何か、の定義は難しい。当たり前だけど当事者とは複雑な存在で、単純じゃない。でも当事者だからこそ、正義を翳さなきゃならない瞬間がある。それが本当の当事者じゃないだろうか。見て、知って、動く、の前に、考える時間があってもいいと、そんな風に感じる。
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kankay51 · 2 years
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小休止
梅雨明けしていたのではなかったのか?と誰もがそう思ってしまうのではないかというくらい、雨。帰国便の荷物がカビてしまうんじゃないかと少し心配になる。まだ段ボールに入っているものもあるのはご愛嬌。
帰国してからあちこち動いて、ここ10日くらいはどこへも行かずのんびりしている。日がな読書したり映画を見たり、または眠りたいときに眠ったり。こういう生活があまりに自分に合っているから、もう"世間/社会"へは戻れないかもしれないなと、半ば冗談混じりにでも半ば本気で思い始めてきた。今はまだ休憩が必要なのだと、自分に言い聞かせるよりも前に身体がそう反応する。
といいつつ、継の旅の準備を粛々と進めている。地域限定だけどかなり広範囲に動く予定で既にワクワクが止まらない。旅は、旅しているときも最高なんだけれど、旅の準備も無茶苦茶楽しい。心配性だからある程度の宿は事前に押さえ、後は途中合流するアメリカから一時帰国している友人Yと相談しながらになると思う。数年ぶりの帰国だから、氏もきっと同じようにワクワクしているに違いない。
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kankay51 · 2 years
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汗をかいたら
公立の図書館で、時間ができたら読もうと思っていた本をじっくり読み、院試の前に勉強したアカデミックイングリッシュを久しぶりに50pくらいやって、いい感じに脳みそを使う午後だった。暑いけれどそこまで暑くない、なかなか良い気候で、午後6時前くらいに図書館を出てもまだ陽は落ちておらず、参加予定のウェビナーまで1時間強ある。どうしようかなとGoogle Mapをいじっていたら自転車で6, 7分の距離に源泉掛け流しの湯屋があることを発見し、少し浮かれ気味でペダルを漕いだ。
一回700円は少し高い(住民割が使えると半額以下)とも思うが、行ってみると存外よく、2種類のサウナに加えて広い風呂場、露天もある。源泉自体の温度が低いのか、お湯はかなりぬるま湯だったけれど、サウナでじっくり汗を流し、外気浴でばっちり整い、十分に疲れた脳と身体を癒せた。先日まで楽しんだ高品質の温泉の後にお前はそんな温泉へ行くのかと小言を言われたが、お風呂が好きなのだから仕方ない。
帰宅後、とてもとても嫌な、頭の痛いニュースが流れてきた。貧すれば鈍するの一つの帰結とも言うべきか。ただただ心が重い。SNSを見るのはやめ、これ以上のニュースも、ほぼみる必要はないだろう。支持者ではないが、今夜の最初の一杯だけは、献杯にしようと思う。福尾さんがタバコ一本を捧げようと思ったように。さっぱりしたはずなのに、背中がじっとりと濡れているこの自分の身体と、眼前に広がる暗澹たる状況とを僕はきっと忘れないだろう。
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kankay51 · 2 years
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西の名泉
つい先日中部の名泉にいたと思ったら、今はその先へ足を伸ばし、西のとある名泉にいる。
連日朝から翌早朝まで温泉に浸かり、合間にビールや日本酒を飲み、少し観光がてら散歩したのち、また温泉に入り汗を流す。流した水量を取り戻すかのように、再び酒を入れる。そんな感じで過ごしながらときおり酒の画像を友人グループへテキストしていたら、もはや上がってくるビールの画像が僕自身に見えてきたと、そんなコメントを貰った。存在論的、ビール的。
ニュースなんかもほとんど見ず、BBCやCNNのラジオも聞かず、ただ温泉と酒。ときおり読書。家に斜陽の文庫があり、カバーを外して持ってきていた。ぼんやりとしか記憶していなかった内容を進めるほどに思い出していく。最後半部で怒涛のように押し寄せる独白集に、太宰の勢いを感じる。かず子と直治は、上原とお母さまのそのどちらにもなれず、でも抱える熱情を伝えずにはいられないこの不器用さ。斜陽。
台風なぞどこ吹く風で、完璧に晴れ渡る山間の景色を眺めながら、さて次はどこへ行こう。とひとりごち。
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kankay51 · 2 years
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ゆるっと
またふらっと旅に出ている。中部の有名な温泉街。学生時代に何度か足を運んだこの地も、訪れるのは10年振りくらい。駅を降り、温泉地特有の、川と橋と坂の景色を眺めると、あぁ懐かしいなと思わず感慨にふける。歳を重ね、郷愁を感じるものが増えていく。
朝、これまた懐かしい名古屋的なモーニングを味わえるカフェという名の喫茶店、いや純喫茶へ。あるある、モーニングセット。分厚い食パンとゆで卵をコーヒー1杯の値段で楽しめる、謎の食文化。コーヒーを日常的に飲まなくなって久しいけれどこのモーニングがしたくて一杯モーニングする。美味い。地元の常連客が続々やってきて銘々近況を投げ交わす。その交わされるやり取りのトーンに彼女たちが持つ関係性の深さを感じる。「74歳だけど、うちのはまだ仕事しとるんよ。」「本当色々あるわなぁ。」「年寄りやでもう死んじゃうで。あっはっは。」うむ。緩い時間が流れる。日本を旅するのも楽しい。次はどこへ行こう。
この、モーニングセット以外に使いようのないプレートに、まさにサルトル的ペーパナイフなものを感じ、思わずクスッとする。実存が先立ち過ぎている。
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kankay51 · 2 years
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めっせーじ
いつLINEを交換したかもよく覚えていない(元)同僚から、またみんなで飲もう!そういえば連絡取れなくてCさんが困ってるよ、とテキストが届いた。
余計なお世話である。有給休暇を消化しているのだから、連絡が取れないのは当たり前だろう。この無邪気な善意とその無神経さが、強い表現をすれば、嫌いだ。そしてそれらが無邪気さと善意に溢れているからこそ余計に、気持ちを不要に揺さぶってくる。こういったものたちの背景にある無自覚な感覚こそが、(僕が感じる)社会の息苦しさに繋がるのだろう。と、バカンスに不協和音を投じられたせいか、少し機嫌が悪くなってしまった。でもそんなことを思うから、僕はこの社会とあまりうまく折り合いをつけていけないのだろう。ビールはどこにいっても美味しいけれど。
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kankay51 · 2 years
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夏、前休み
退職届を出し、有給を消化している。友人たちには無職の怪獣と少し畏れられている。この無敵感と誘い方の自由さが働き蟻たちの恐れを生んでいるのかもしれない。
大人の夏休みだね、なんて言われる。夏はまだ来ていないから、夏前休みとでも言おうか。とにかく時間はある。1週前には高知にいた。カツオとどろめと日本酒と、〆の屋台餃子。リョーマとよさこい激推しのあの街は、身を溶け込ませていくととにかく酒飲みに温かい、というより、酒を飲ませてくる心地よい場所だった。あぁ、酒飲みに優しい高知。
今は変わってシンガポールにいる。海外旅行なんていつぶりだろうか。台湾→日本はしたけれど、それは旅行というより帰国で、日本国民でいるための手続き処理や家族や友人たちに会うことを目的としたものだったように思う。あまりに久しぶりで、国外での楽しみ方を少し忘れてしまった気がしている。だからか、ちょっとスタンプラリー的に動いてしまった。とりあえず飲みながら自分の振る舞いについてほんのちょっとだけ考える。
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kankay51 · 2 years
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天気とか
台湾に比べて日本の気候はマイルドで、雨が降ってもそれほど不快な感じはしない。今のところ。日本の梅雨���もう何年も経験していないから来月あたりは警戒しているけど、まぁ台北よりはマシでしょうと高を括っているアカウントがこちら。日本在住の方々には辛めのコメントをお願いしたい。いや、お願いします。
転入のための諸手続きを粛々と進めてはいるものの、まだ日本での生活が始まった実感が湧いていない。ホテル暮らしなので食事は全て外食。ふらっと気になったお店に入り、日本語のメニューを見て、日本語で注文する。オンライン決済的なものも浸透し始めているみたいだけれど、まだ登録できないし(面倒で調べてない)、毎回少額をクレカで払うのは対応していない店もあるだろうから面倒だしで基本現金で支払う。アメリカから一時帰国していたときは何て不便なんだろうと思ったものだが、同じく現金社会の台湾を経由していたこともありあまり違和感がない。むしろ、変な言い回しに聞こえると思うだろうけど、お金を払って物を受け取るやり取りにコミュニケーションを感じる。リモートや支払いの電子化は便利でいいし、それによって救われる人も多いとは思うしで強い批判はないけれど(僕も基本はそっちの方が良いと感じる、ただ)、アナログ性の残余みたいなものはあってもいいかもしれない。
あえて電車や地下鉄、バスなどに乗らず東京の街をぶらぶら歩きながら、この国でのコロナは一体どういうものだったのだろうと想像を巡らせる。過去2年間における禍中の空気を僕は知らない。辛かったのだと思う。まだまだゆっくりと、個々の微細な流れを泳ぐように見ている段階だけれど、どうも日本はコロナとの共存を目指しつつあるようで、と同時になんとなく全体統制的になってきているのかなと、ここ数日そんな印象を抱く。外にいて人も密集していなければマスクをしていてもしていなくても変わらないとは思うけれど、どことなくした方がよい、ような匂いがする。だって、全く車のない横断歩道を渡ることさえ誰もしない。同調性や同一性への圧力を感じる。外しているだろうか?外しているかもしれない。ただそういうときいつも、社会のコードを変容できる隙間を作ることが重要だよなとは思う。
日本に限らず、リスクを回避し一貫性を重視する傾向が先進国にあることはよく言われることで、何か発生すれば自己責任として処理され、コードから逸脱すれば反発や非難を受ける。それら一貫性を脅かすものはある種の”悪”として排除されていく。誰も”礼”という発想を第一にしない。偶然性を歓待しない。カント主義的な義務論と功利主義的なコスト論があり、その対立によってメリットデメリットを考えさせる社会。でもそれって、ちょっと余裕がないように見える。僕個人は、ゆるい空気が好きで、別に仕事せず昼からお酒を飲んでいようと、外でタバコを吸お���と、マスクを外そうと、横断歩道を待たずに渡ろうと、それらの行為にそれほど強い関心を抱かない(※法律に違反することを推奨するわけではなく)。10年くらい前に読んだジェームズ・スコット(”Two Cheers for Anarchism”。おそらく邦訳が出ている)の提唱するような日々の実践の中での小さなアナキズムに今こそ意識を向けるべきじゃないだろうか。そうやってコードをずらしていく。と気候の良い穏やかな水曜の東京でそんなことを思った。とりあえずビールでも飲もう。
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kankay51 · 2 years
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ご飯が美味しい
とにかく、これにつきる。今夜はバスク料理とワインのペアリングコースだったわけだけど、美味しかった。ペアリングに含まれていたマデイラも、昔行ったポルトガルを思い出し良い。別卓で中国語と英語が聞こえてきて、なんとはなしに少し聞き耳を立てて音を拾ってしまった。
明日は聖地へ。友人たちとの本格合流までサウナでもしながらのんびりしたい。徐々に徐々に、日本に慣れていく準備体操を。今夜はこれ以上は飲まず、就寝。
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kankay51 · 2 years
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どんじん
日本に戻ってきた。もう、少し遠目にこの国について眺めることも、薄い膜一枚隔てたような距離を感じることもなく、この国の一員として生活のリズムを刻んでいかなければならないことになる。昔から合わない世界だなと感じているこの社会にうまくアジャストしていけるだろうか。心も強くない僕はかなりナーバスになっている。わずかに動悸もする。
出だしも悪かった。不安が的中して空港で2、3悶着があり心が折れ始め、タクシーが都内へ足を踏み入れる頃には”東京”の人々の目線を恐ろしく感じるようになっていることが分かる。タクシー越しの人々との距離があまりに近く、こちらの目線とあちらの目線が交差する頻度が高い。道も入り組んで狭く、そのわりに異様に人も多い。お前帰ってきたみたいだけどやっていけんの?とそう問われているようになぜか感じてしまう。日本国外に住んでいる友人にやばいかもしれないとテキストしたら、俺もお前がやっていけるのか分からんわ(笑)と返ってくる。いやいや、カッコ付きで笑っている場合ではない。
NYでの生活を始めるときには感じなかったこの不安。あの時は一人の知り合いもいない極寒のシカゴを一人で生き延びて自信もついていて、むしろ世界都市(サッセンが90年初頭にGlobal cityと言っていたが確かそこでの副題はロンドンとNY、そして東京だったと思う)で仕事を始めることに軽い興奮もしていたからか、感じる緊張はポジティブに作用していたように思う。今回は違う。否応なしに適応を求めてくる(だろう)ことが、生まれ育った国だからこそ手に取るように分かり、あるいは故郷であるが故に些か過剰に意識してしまうためか、とにかく落ち着かない。あまりに緊張しとてつもない不安に襲われ、とてもホテルで一人にはなれないと思い、多くの人にとってはなんでもない平日だとは分かっていながらも、友人何人かに軽く飲まないかと誘いの一報を入れる。
今日着いて今日いけんの?と当然の反応が返ってきたがそれでも店を指定してくれて、こちらの連絡から30分後くらいにはもう一緒に飲んでいた。有難い。酔いと疲れと旧知の友人との会話とで徐々に神経の過剰反応が和らいで行くのを感じる。深更。1時頃に解散してホテルでビール缶一本、なんとか床に就けた。
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kankay51 · 2 years
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5月になっていた
気づいたら5月になっていた。もう完全帰国まで秒読み段階。最近台湾では感染者数が激増しており(3万強/日)、知らぬ間にかかっていてもおかしくない。ワクチンは接種しているしこれまでの情報を見ているかぎり重症化はしないだろうしで危機感はそれほどないが、帰国間際なのでかかっていると非常にまずい。全ての手続きをやり直さなくちゃならない。家も退去するので住まいの確保も必要だ、まぁ人事がやるんだが。とにかく来週のPCR検査で陽性にならないことを祈るばかりだ。最後の送別飲み会もキャンセルになって今泣いているのだから陰性であるべきだろう。だって天気も気持ちよくてこんなにみんなと飲みたいのを我慢しているのだから 笑
7年強の海外駐在もこれにて一旦幕が降りる。東京からアメリカ、からの台湾へと不思議な動きをした。今では基本英語と中国語でやり取りし(中国語は酷いレベルだが)、日本を遠くに感じること自体が日常となっている。そしてそれは全く想像していなかったわけだけど、でもこれまでに萌芽というか仄めかしがなかったわけでもない。先日唐突に、学生の頃にそれこそ『四畳半神話大系』の占い婆婆様のような人から、あんたたぶん海外に行くよと予言めいたことを言われたことをふと思い出す。いやいや、毎長期休暇にはバックパック背負って旅してるんだけど?とその当時は軽く受け流したが(基本占いに関心がない)、今思うと日本を離れて長期に国外で生活する、ということだったのかもしれない。そしてもしそうならばそれは的中していると言わざるをえない。繰り返すが本当にそうだとしたらそれは凄まじい。はい、10000円。え、1000円スタートじゃなかったっけ??
これからどうしようか。少し前のエントリーでもそのことに少し触れたように思うが、今まさに岐路に立っているように思う。現実的に帰路である、だけではなく。ようは今後の展開のこと。日本に戻れば言語能力やこれまでの職務経歴での優遇はあるだろう。友人たちと話していても転職はそれほど難しくないと勝手に想像している。◯ニーや◯ーグルに華麗に転職している友人を横目に見ているからだ。でもそれでいいのか。というより、そんな人生でよいのか。望んでいない環境で望んでいない人々と望んでいないことをし続けるでもぱっと見の条件は良い=普通に賢く生きることに魅力を感じない、ということ。かつて多額の奨学金を抱えていたことから修士卒後は働く必要があったが、それも完済し今では貯蓄まであるこの状況で、これ以上どうしようもない世界(世界がどうしようもないというより自分が触れている世界と自分との合わなさについてということ)と付き合っていく必要があるのかを考え始めている。どうせ働くのなら(もちろん働くこと=企業勤めでなくてもよいだろう)、自分が真に共感できる理念でもって事業運営を行なっている組織に身を投じるべきではないかという気持ちが日々募っている。
場所も変え、環境も変えたが、結局一緒に働く人がどうかが問題であることは経験上明白だからだ。身の振り方を考えると人は言う。振ったことのないものを今更どう振ればよいというのか。心の声に敏感になり、フォースと共にあるようにしていくしかないのだろうか。そのためにはとにもかくにもいったん休もう。思えばずいぶんと遠くまできたものだ。いや距離的にはむしろ近づいているんだけれども。
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kankay51 · 2 years
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4月も
4月ももう終わる。そんな頃にまた体調を崩した。週末から具合の悪さを感じながらでも単なる疲れと思い週明け突入、でもやけに体が重く体が睡眠を求める日々が数日続く。火曜日に缶ビールを一杯飲んだだけなのに酔った感覚を覚え、これは本格的に疲労かなとそんなことがちらっと頭をよぎったことをわずかに記憶している。それとも最近神経を和らげる薬を飲んで肝臓が疲れているせいかなと(首から肩にかけてひどい炎症を起こし指先が麻痺する症状に襲われていた)、その時はなんとなくそんな感じで違和程度と思い過ごした。木金には有給を入れて色々引っ越し雑務や買い物をしようと考えていた。が、違和感がより強い実態を伴って襲ってくる。つまり発熱。朝起きたら明らかに体が動かずあの感じに襲われていた。たぶん風邪だ。
これはいけない。風邪にも、とりあえず控えめにしておけばやり過ごせるものと38度以上の熱を出し見事に動けなくなるパターンのものなど様々ある。で今回は後者。こうなると辛い。1、2日では動けるようにならないからだ。予定を全て変更せざるをえなくなったことも余計に状況を辛くさせた。金曜夜に送別会を企画してくれていたスタッフにも申し訳ない気持ちになる。でもこれは無理だ。とにかくなんとかしなければ。まだどこかに残っていたはずという記憶を頼りにアメリカ時代に頼りにしていた風薬(デイキル・ナイキル)を引っ張り出し服用。やはり効く。ちゃんと栄養と睡眠を取ったこと、薬が効果を発揮したこともあり土曜日には熱が下がり始め体が動くようになる。良かった。
と、風邪についてダラダラと書いてしまった。ところで僕は具合の悪い時は積んでおいた映画や本を消化するのに充てる習性がある(いやみんなそういうものかもしれない)。でも今回はダメだった。全く見れない、読めない。体の怠さが少し酷かったというのもあるかもしれない。でもそれより、これは気持ちの問題のように思われた。とにかく集中力を保てない。頭を使うことに欲望を感じない。やる気が出ない。こういう状態は振り返れば幼い頃にも頻繁に見舞われた。頑張っていると具合が悪くなる。当時は薬の服用ができなかったから、ひどい時は二週間以上回復に時間がかかる。だから頑張って、どんなに頑張っても何か進化しそうな途中で何もかもリセットされてしまう。振り出しに戻らされる。スポーツ選手になんて絶対になれないと子供心に理解していたのはこの影響が強いように思う。もちろん精神力、というのはそのとおりだとは思うが。いや、しみったれた話はこの辺で終えよう。4月ももう終わるのだ。もう少し夢をみよう。今は単純にどうあっても明日がやってくることを信じて。
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kankay51 · 2 years
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新しく
4/1。新年度を迎えた。のだが、何をしたのかあまりはっきりと覚えていない、というか思い出せない。会社へは行った。仕事もした。7PMくらいから始まる会議もした。夕食も取った。寝た。
いや、何かが違う。何か足りない。
そのまま大好きな酸白菜鍋を食べに同僚と足を運んだのがその日の明暗を分けたのだと思う。気づいたらパン一で自宅一階の床にいた。全身が痛い。
もう何度繰り返した所作か。持ち物を確認する。スマホ2つ、鍵、財布2つ、AirPods、胃薬。よし、全部ある。じっと見つめると会社スマホの画面が割れていた。ショック。修理しなきゃ。
足りないものはなんだ。
何かがズレた世界に迷い込んだような感覚が抜けないが仕方ない。それは既に、好むと好まざるとにかかわらず決定的に変わってしまっただろうから、取り戻せない。そうやって4月が始まった。
欠けているものはなんだ。いや、そんなもの、本当にあったのだろうか?
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