Tumgik
koheilog · 6 years
Text
2018.4.4
久しぶりに漫画を描いてみた。本当に思いつきである。小学生の時に自由帳に描いてはいたが、そのころから思い返すと本当に絵ばかりでストーリーについて重点を置いていなかったことがわかる。訓練やインプットが足りていないのを痛感する。続けようとは思っていないが、ガワだけでなくコンテンツをどう考えていくか、独自のコンテンツとは何か、外部の目に左右されない、自分が作り出せるものをどのように積み上げていくかを考えていく必要がある。どうもせっかちな性格なので、すぐにそれなりのクオリティの成果をだそうと焦ってしまう傾向がある。じっくり進めていきましょう。計算や概算を常に出し続ける癖もつけたい。
0 notes
koheilog · 6 years
Text
2018.4.3
ふと、音楽の好みが変わっていることに気がつきます。そして今はどのようなものかと考えます。
これまでは知識を追い求めるかのように様々な音楽に手を出していました。この中には知識の量で優越したいというエゴも大いにあったように思います。好みの音があり、ちょっとでも合致すればOKという方針でバンドを探していたと思います。
現在は、音楽の歴史の流れというものが大きな指標になっていることがわかります。音楽も、様々な創作には必ずインスパイア先が存在します。それをたどることで、何かこれまでの知識や、自分の求める音の本質的なものが見えないかなという考えで動いているように観察されます。
なので、最新の音源を追い求めるより、過去の音源を掘り下げる機会の方がほとんどを占めるようになりました。digという言葉、発掘という意味ではこちらの方が適切であるように思います(余談)。
自分の良し悪しをはかるフィルターとして、インスパイア先が明確にわかるかどうかというものができてきました。あまりにも露骨にインスパイア先がわかるようではオリジナリティのある芸術的なものではないと判断しています。
たまにインスパイアがありつつも良い音楽に出会うことがあります。ここ最近ではdeafheavenとかです。過去の要素の組み合わせでありつつも素晴らしいオリジナリティが発揮されているのは、製作者のセンス、ロジックがとても優れたものであるということだと思います。
何も知らなかった時は、自分の音楽の幅を広げてくれる、全く知らない音楽との出会いが楽しくて仕方ありませんでした。それなりに知識がついて多様なジャンルをカバーできるようになるとこのような楽しみ方はどんどん自分の中でできなくなって、楽しみ方がシフトしていっているのであろうと見ています。
なんにせよ、他人の目を自分の意識からどんどん外そうという意識がでてきているのは大変よい傾向であると思います。
0 notes
koheilog · 6 years
Text
自分の姿と適性
自分の思っている適性と実際の適性は真逆である可能性が大半だそうです。森博嗣先生の著書において、長く、多くの学生と接した経験からの観察によるものです。
まず、適性と思っているのが、自身の願望であるパターンが考えられるでしょう。理想に近づくためにがんばることが美しい姿ではありますが、効率的かどうかを問われると疑問が残ります。あらゆる事象にふれたときの自分の振る舞い、反応が自分として観察できるものです。その観察にいかに理想の自分というフィルターをかけないようにするかが重要であるように思います。
フィルターをかけないということは思考と妄想の区別をつけるという言い換えもできるかなと考えました。思考とは「まわりの事態に応じて課題を解決して行く過程。」妄想とは「正しくない想念。転じて、根拠のない想像。」であり、意味合いは全く異なります。大きな違いは課題の解決が目的になっているかどうかです。また、思考は生産的、妄想は非生産的であるといえるでしょう。(創作の場合、妄想を形にアウトプットすることで生産的にできることもありますが、それ単体だけでは生産には繋がらないと考えています。)順序でいうと、まず想像をし、そこから妄想に移るか、思考に移り、課題解決に向かうかのどちらかではないかと思います。後者の方が良さそうに思います。
自分はよく白昼夢を見ます。妄想癖ともいえるでしょうか。思考ではなくそこに陥りがちになるのは、書籍によると、それだけ自分の中に満たされない欲求があり、妄想の中で発散しているとのことです。これまでの多くの時間を思考ではなく、妄想に割いた実感があります。実感があるがゆえ、これからそちらに時間を割いていくことで、より生産的な生活にできないものかと考えています。この文を書きながら考えていることは妄想ではなく、思考であると思っています。
0 notes
koheilog · 6 years
Text
焦りと不安という言葉
長年、自分の弱点はこの焦りと不安の2つに尽きると思っています。プレッシャーとも言い換えることもできます。しかしながら、その実態について考えたことがなかったので、ここで考えてみようと思います。
まずそれぞれの言葉の定義を見ます。焦りとは”期待通りの結果が得られないとき、早く実現させようとして普段の落ち着きを失うこと”とあります。そして不安とは"何かが気がかりで、落ち着かない(安らぎが得られない)心の状態。"とあります。この段階でこの2つの言葉は密接な繋がり、意味としてかぶる領域があるように見受けられます。焦りの感情から不安の感情へリンクするという流れが見えました。様々な不安要素がありますが、今回のテーマとしては焦りから生まれる不安というところにフォーカスを当ててみようと思います。
身の回りの焦りで一番大きいのは周りとの比較から生まれる劣等感によるものが大きいと観察されます。劣等感とは、自分の価値観で物事を判断できていない状態、自分を受け入れていられない状態、現在勉強中で多様な言葉の定義があり、自分の中ではまだまとまっていない状態です。もうちょっとでまとまりそうな予感がしています。今はこのくらいの認識でちょっとずつ認識を進めていければと思っています。
ここで問題点として劣等感や自分の受け入れ方というものがこれからの大きな課題となることが明確になりました。原因の根本的な解決はまだ明確な目標が見えていない状態です。だからこそ、「焦って」行動に移らず、あいまいな状態を保つことが現在の自分への施策として試みてみようと思っています。
0 notes
koheilog · 6 years
Text
Godspeed You ! Black Emperor
音楽Dig(音楽を店舗、インターネットで探索すること)を長らく趣味としてずっとやってきましたが、最近その活動は減少傾向にあります。
その要因としては、昔の大量のDigの成果によって、自分の好みがはっきりわかってきて、手当たり次第に探索の範囲を広げる必要性がなくなったことが大きいです。昔は何もわからず、かつ流行というものを感じることができておらず、メインストリームへの反発でメタルなどのエクストリーム音楽を好むというスタンスだったのですが、そのメインストリーム界隈の中での流行に流されていた。そんな状態でした。年齢を重ねるうちに、自分を客観視できるようになったのか、それとも脳の感性を司る部分が老化してきたのか、世間の流行の流れというものが見えるようになってきたように思います。いかにその流行というものに流されず、自分が好きな音楽の要素とはなんだろう?というものにフォーカスを当てられたことで、Digのやりかたがこれまでより大きく変化したものと思われます。
まず変化の1つは新譜をDigることがほぼ無くなったことです。音楽において新しいものを1から創造するということはほぼないように思います。全ては過去の参照によって成り立っているのです。過去から参照し、再定義し、新しいポジションを作るというサイクルが繰り返されていると感じます。なのでもし新しいポジションを作りたいのであれば、過去をさらに掘り下げて、関係性、連続性を調べることが必要ではないかと考えているのです。
長らく自分はpost rockの世界観に魅了され、たくさんのバンドを探してきましたが、Godspeed You! Black Emperorを知ったことでその長いDigの旅を終えようとしています。絶対的なパイオニアを知ると、後続は全てその参照ではないかと思ってしまいます。どうやらGYBEにもルーツはあるのでこの沼は簡単には抜けられなさそうですが、あくまで現在の自分の理想の音世界の中でのゴールです。
ただ聞いて楽しいのであればそこまで深く考える必要はないと思います。ただ自分はいろいろ作ってみたい欲求が強いのでこのようなルーツや歴史の流れに興味を持って成り立ちを調べたがってしまうのでしょう。
0 notes
koheilog · 6 years
Text
memo
・なにげない普通のことを疑う。
・なにげない普通のことを少し変えてみる。
・なるほどな、となにかで感じたら、似たような状況がほかにもないか想像する。
・いつも、似ているもの、喩えられるものを連想する。
・ジャンルや目的に拘らず、なるべく創造的なものに触れる機会を持つ。
・できれば、自分でも創作してみる。
0 notes
koheilog · 6 years
Text
「行っておけばよかった」という言葉
Twitterで「行っておけばよかったという言葉を使わないように心がけると、半年後思わぬ場所にまでたどり着ける」という文章に出会いました。 非常に自分にとって頭の痛くなる言葉です。自分がそれに大きくとらわれてきたこそ、出会った時のショックが大きいのでしょう。ここでは、〇〇しておけばよかった。ということについて記述することにします。 ついさっきも、前の会社をやめたことについて、続けておけばよかったのでは?という疑問や、生き方についてもこうしておけばよかった。という事柄でその言葉を使ってきました。この言葉が意味するのは大きな後悔や迷いの感情です。迷いや後悔があるということは現状に満足していないということです。 自分の場合、悩むことで何らかの発散を活発に行なっていた傾向があります。悩みのタネを発見したときに、その悩みを発展させる危険な要因になってしまっているのでしょう。 そもそも〇〇しておけばよかったということは、現状に満足していない。すなわち現状を受け入れるということができていないと考え��ことができます。受け入れられないからこそ、不満を解消することができず、過去の後悔で悩むことでそれを解消しようとしているのではないかと考えます。 悩むことで、心身の健康や多くの時間、エネルギーを浪費しているものと考えられます。この浪費をなくすためにも、受け入れるということが重要になってくるのです。 言葉を使わないように心がけるということは、不満を感じた時に、悩みのモードはいるときのスイッチ切り替えを行わないということです。現状に視点をフォーカスさせる上では非常に画期的な取り組みであるといえます。 日頃の自身の感情のラベリングの中で、このような後悔の感情に苛まれるときがあれば、まずはこの過去のもしもを排除するということが、自���改革にさらに役立つものであると思われます。
0 notes
koheilog · 6 years
Text
文化という言葉について
文化という言葉がふと記事やSNSで目に入る機会が多いので、その言葉について考えてみました。
wikipediaで調べると[総じていうと人間が社会の成員として獲得する振る舞いの複合された総体のことである]とのこと。 獲得するということはその過程に長い時間があることが想像できます。この内容でわかるのは文化というものは長い時間継続されている考え方、それに伴う振る舞い、行為が1つのスタイルとして確立されたものであるという解釈です。 そして文化という文字にフォーカスしてみます。そのまま文が化けると書いて文化をなります。いえ、対象が逆で文に化けるから文化ということでしょうか。長い時間をかけて慣習化し、文章としてルールが表現できるほど集団がシステム化された状態を文化と呼ぶのかもしれないと考えます。 ハードコアを始めとする音楽カルチャーにはよくそれぞれのジャンルの文化という表現が多様されます。自分はハードコアシーンしかわかりませんが、音楽表現は個人でできますが、それを社会にアウトプットするには様々な行為が付随します。スタジオでのリハーサルから、ライブハウスを借りること、物販の制作、販売など、今書き出してもたくさんあって、本来の当初の目的である音楽表現の創造というものが占める割合はこんなにも小さいのか、と思います。これだけ複雑になったこのシステムに途中から入り込むと、音楽プレイするという目的の中でフォーカスしたいことが各々のなかで違ってくることも容易に想像できます。 sns上では〇〇の文化を守りたいという言論を多数見かけますが、そもそもその文化のどういうところ、どういう考え方を守りたいのか、そのへんのそもそものその文化が形成されるに至った抽象的な根幹の考え方を把握できなければ、その意見に同調を得ることは難しいのではないかと思います。 その文化というシステムの中で、どのような部分が自分の考え、やりたいことと合致するのかという細分化して考えることの必要性が感じます。一概に文化という非常に複合的な主語を用いてしまうと、聴き手それぞれの受け取り方で本来の意図と異なる多様な展開が起きてしまうでしょう。本当にその人が守りたいのはその文化のどういうところなのかをきちんと伝えるところが、そのような言説において必要とされることではないかと考えます。
0 notes