kurock-969
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kurock-969 · 4 years ago
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先週、実家の猫が死んだ。名前はキキ。
元々ここしばらく具合が悪かったのだが、母から早朝に状態が急変したとの連絡があった。
日曜日の事で私は寝ていてそれに気付けず、確認したのは昼過ぎのことだった。
私が住んでいるのは埼玉、実家は兵庫。
飛び起きて支度をし、祈りながら新幹線へ乗った。
途中、お別れを言うために帰ることが辛くて仕方なかった。
約5時間後の18時、何とか間に合ったが既に息も絶え絶えで、わかってはいたがもう長くない事を悟る。
実家には母と姉と姪2人がいて、みんなでキキを囲っていた。
私もその輪に加わる。
今朝からもう歩けなくなっているそうで、目は焦点があっていない。
水を飲もうとしているのか立ち上がろうとするも、すぐにへたりこんでしまう。
やせ細って骨ばってしまった身体を床に打ち付ける音がコツンと響く。
見かねて水を注射器で口に注いだ。ペロペロと舐める様子が愛らしかった。
その後は少しの間おだやかな時間が流れた。
その後数時間経ってキキに痙攣が起こる。
呼吸がうまくできないのか、聞いたことのない鳴き声で苦しんでいた。
母が病院からもらってきた座薬を入れようとするが姉が止める。
私も同じ気持ちだった。もういたずらに苦しい時間を延ばしてやりたくない。
みんなで声をかけながら撫でていると、次第に呼吸が落ち着いた。痙攣も収まったようだ。
移動で疲れていたのもあり、私はキキの顔を撫でながら少し眠った。
それから少し経って、また痙攣がはじまった。
さっきと同じ鳴き声だ。みんなで駆け寄って様子をみる。
時折苦しそうに力なく暴れ、息をしようとするも肺に空気が入っていないようだった。
今度はもう収まらない。涙が止まらなかった。
私は、「もう大丈夫、もう大丈夫」と念じながら顔や背中をなで続けた。
次第に目の光が消えていき、最期は一人で熱心に看病を続けていた母の腕の中で呼吸が止まった。
日付が変わる直前の事だった。
本当に長い間苦しかっただろう。よく頑張ったね。
母の次に私が抱いた。ぐったりとしてしまってグラグラ動く首を支えて顔をうずめる。
そこにはいつも嗅いでいた日光浴の後のお日様の香りはなく、獣のにおいがした。もう死体になってしまっていた。
それでもそのにおいも愛したかった私はその香りをいっぱいに吸い込んだ。
涙と鼻水がたくさんついてしまっただろうと思うけど許してね。
その次は姉、その次は姪と順番に抱いていく様子を眺める。
死に顔もうちの子らしく、とっても綺麗だった。
一巡してまた私が抱き、どんどん硬直していく身体を感じながら、ずっと毛並みを整えていた。
グリーンのビー玉のようだったキラキラした目もだんだんとくすんで鈍い水色になっていく。
でもその目の色も綺麗な顔に似合っていたように思う。
抱っこが嫌いな猫で、1分と抱っこさせてくれる事はなかったけど、初めてずっと抱いたままでいられた。
同様に触らせてくれなかった肉球もたくさん触ってやった。1時間ほどそのまま過ごした。
先に母にシャワーを浴びさせ、その後私も続く。
戻った時には完全に身体が固まってしまっていた。
身体をゆっくりと開いて保冷剤を抱かせ、最後の夜は母と一緒に眠ってもらい、私も布団に入った。
朝、帰省している時恒例の姪の騒がしい声で起きる。
キキの身体は保冷剤によって凍ったように硬く、冷たくなっている。
会社に休みの連絡を入れて、別れまでの少しの時間キキを撫でて過ごした。
ふわふわの毛並みを少しでも手に覚えさせておきたかった。
しばらくして手向けの花を買いに行っていた母が戻ってきた。
それを棺代わりの箱に入れる。美人に見合うよう、綺麗に整えて入れた。
死臭をスイートピーの香りがやわらげてくれる。
花に囲まれることで、本当に死体ぜんとしてしまってまた涙が溢れた。
火葬の時間が迫る。
母の「行こっか。」という淋しげな声に付いて行き、キキを納めた箱を抱いて車に乗る。
前日の大雨の尾を引く曇り空が、昼には快晴になっていた。
風は強かったが爽やかな天気だった。
火葬場はすぐ近くで、10分ほどで到着した。まだ桜が咲いていた。
箱の蓋を開き、ずっと家猫だったキキに初めての花見をさせてあげる。
一度帰宅していた姉家族が来るまでの数分、椅子に腰掛けて顔を見つめる。
本当にいい天気で、陽の光が反射して顔の周りの白い毛がキラキラとしていた。
キキと桜と青空を収めて写真を撮った。
姉家族も到着し、みんなで桜の元で写真を撮る。
そのままみんなで順番に抱いて別れのあいさつをした。辛くて辛くて身体が震えた。
焼き場につれていく。ペットは後部座席を火葬炉に改造したワゴン車で焼くようだ。
ただ、箱のままでは焼けないらしい。母はこういうところがある。ちゃんと事前に聞いとけ。
箱から出して、火葬炉に続く台に乗せる前にもう一度強く抱きしめる。キキの顔に私の顔をうずめる。
悲しみが何よりも先にきて、最後に何を伝えればいいかわからなかった。
ただ、ありがとうとは伝えられた気がする。
台に乗せて、箱の中の花を取り出し、もう一度囲んであげる。
母や姪が書いた手紙を乗せて、さらにその周りを好きだったご飯やおやつで囲む。
キキはかなり偏食で好きなものしか食べなかった。お嬢様である。
腕に火葬場の方からいただいた数珠を巻いて、最後に母が木から取った桜の花を一輪、首元に添えた。
ピンク色がグレーと白の毛並みによく映えた。
これで最後だ。
最後の別れを順番に告げる。お別れなんかしたくないのに。
ずっと同じ調子で泣いていた母も、最後は堰を切ったように嗚咽をもらしながらキキに顔をうずめ、泣いていた。
涙と鼻水でキキの顔がぐしゃぐしゃだ。
綺麗に毛並みを整えた後、姉が若い頃の毛並みを再現するように顔周りの毛をたてる。
私は最後に頭をひと撫でした。
いつもそこを撫でるとゴロゴロと甘えてくれた場所だった。
火葬炉に係の方がゆっくりと台を進めていく。
本当に綺麗で眠ったような顔のまま入っていく。
途中どうにも耐えられなくなって下を向いてしまった。
その間に扉が閉まり、お別れとなった。
ご好意で桜の木の下でお別れをさせてもらったので、本来火を付けるすぐ近くの駐車場へ車が向かう。
火葬が始まったとの知らせを係の方に聞いた後、
15分ほどその場で車を見つめ、キキを想った。
1時間後、火葬が終わった。
風が強い日だったので、骨が飛んでしまわないようガレージの中でお骨拾いをするとのことだった。
変わり果てた姿になってしまったショックを受ける覚悟をしていたが、存外平��だった。
あまりにも違った姿だったからかもしれないし、その姿で家に帰って来てくれる少しの嬉しさがあったからかもしれない。
係の方に部位の説明をしていただいた後、骨壷とは別の、小さなカプセルに収めていただく。
私が持って帰る物だ。
途中コロンと転がった頭蓋骨が、本当にモノになってしまったことを実感させ心が痛む。
係の方がカプセルに収め終えた後、参列したみんなで骨壷へ骨を収めていく。
私は、手触りが好きだった足、ゴロゴロと心地よい鳴き声を聞かせてくれた喉仏、よく撫でた下顎、触ると怒られる尻尾の骨を選んで骨壷に入れた。
最後に頭の骨で蓋をする前に、ふと目に止まった部位があった。
係の方にどこの部位か伺うと、尻尾の付け根の物だった。
ここも撫でると気持ちよさそうに喉を鳴らしていた場所だった。気付けてよかった。
ここも壺に収める。
別れの直前に撫でた頭の骨を最後に被せて、骨揚げは終了した。
係の方にお礼を告げて家へと帰る。
行きはキキの亡骸を乗せていた私の膝の上に、今度は骨壷があった。
車の揺れに合わせて蓋がカタカタと音をたてていた。
その日の晩に埼玉に帰る予定だったので、あまり時間はなかったが、キキを偲んでみんなで夕飯を食べることになった。
母が台所で支度している途中、私が買ったビールを渡し、一緒に飲んだ。
散々泣きじゃくったせいで乾いていた喉に沁みる。
母もたいそう嬉しそうに、美味しそうに飲んでいた。
あまりゆっくりできないまま夕飯を済ませ、帰路についた。
新大阪へ向かう電車と新幹線でまた1度ずつ、涙が出た。
持ち帰った遺骨は玄関に置いて、出かける時と帰宅した時に声をかけている。
実家にいた猫が自分の家にいるのは、少し嬉しかったりもする。
歳が離れている事で兄と姉が早くに家を出てしまっており、母も仕事で家を空ける事が多かった高校・専門学生の頃、家に一人の私にとってキキは同じ時間を過ごした唯一の家族であり兄妹だった。
私が一人暮らしを始めてからは、いつか来る死に目に逢えるかが不安でしょうがなかったが、しっかり看取る事ができて本当に良かった。
独り身の母を支えていてくれてありがとうね。
こうやって感謝を述べたところで、結局は人間側のエゴかもしれないけど、
残された家族として、これからも感謝の念と思い出を忘れずに生きていきたいと思う。
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