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好き嫌い
自分の好きなものを皆が好きとは限らないということと、反対に自分の嫌いなものも誰もが嫌いなわけじゃないということは忘れてはいけないな。兎角人は自分の好きなものには敏感でも他人の嫌いなものには鈍感すぎる。
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こころという名の劇場に また雨が降る……雨が降る 台詞のなかのガス燈に うしろすがたがよく似合う 「台本は 人生で汚されてしまったわ」 こころという名の劇場に 幕を引くのは思い出か あるいは炎の鳥となり 燃えて翔びたつ わが歌か 「消えろ消えろ つかのまの蝋燭よ 人生は歩いてゆく影に過ぎぬ」 焔のときと 灰のとき 焔のときと 灰のとき 喝采を背にききながら 帰る楽屋にひとり寝の ベッドが暗く冷えている (ハミング)
台本/寺���修司
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#18
二十一歳になった。少女と呼ぶには難しい時期もとうに過ぎ、気付けば人の親となっても何ら不思議ではない年齢になってしまった。今の年頃は人生を四季に喩えると夏だと聞いたことがある。燦然と輝く太陽による目が眩むほどの強い陽射しやうだるような暑さと、建造物のような入道雲からもたらされる突然の夕立と雷鳴。すぐに終わってしまうこの短く激しい季節は、確かに青年時代と共通するものがあるように思える。 思春期を過ぎ、大人とも子供とも言い切れない微妙な期間から今に至るまで、何度も何かに身を焦がされ、激しく雷雨に打たれるような苦難に直面してきた。受験をして、恋愛をして、好きなことややらなければいけないことをして、沢山の人と関わり傷つき傷つけた。見たことのない景色を見た。会ったことのない人と会った。この季節がずっと続いて欲しいと思っていても、必ず終わりが来るところも通じていることに、最近実感が湧くようになってきた。 大学で、シェイクスピアのソネットを学んでいる。154もの14行詩の中に、若く美しい恋人を夏の日に喩える詩がある。短く目まぐるしく過ぎて行く季節と、即物的な若さと美しさはいずれも永遠ではない。不変ではないからこそ、人を惹きつけるのだろう。終わらない夏休みは悪夢でしかなく、永遠に変わらない美貌には恐怖さえ感じる。いつか終わる時が来ると分かっているからこそ人生は美しく、素晴らしいものになりうるのだろう。地面に転がる蝉の死骸と、音もなく落ちていく線香花火は私達にメメント・モリと伝えているのかもしれない。 記憶の中の夏は、愛しくなるほどに懐かしく切ない。秋が過ぎ、冬になった時に、あの夏は楽しかったと追憶することができるよう、日々を過ごしていきたいと思う。
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得体の知れない不吉な塊
高校を卒業して早数年、自分の考えや感情を吐露する文章を書く機会がとんと減った。数日程前、出来心でかつて使っていた携帯電話を起動してみた。携帯電話の中の私は16歳のままだった。小学生の頃から毎年書かされていた読書感想文も、中高で当番制になっていた礼拝でのお話も、友達と深夜に交わした青臭い応酬も、かつての交際相手との戦争のようなメールも、自己顕示欲に塗れたSNSの投稿も、私から発せられた言葉の一文字一文字は、気付かぬうちに私の血となり肉となり生命を維持していた。十代の私は、飢えた蚕が桑の葉を食み繭を作るかのように活字を読み、文を咀嚼し、様々な媒体を用いて言葉を吐き紡ぐことを繰り返していた。連綿と続く繭はしばし私を守る堅固な砦となり得た。その繭は今もまだ健在だろうか。今一度、丸く白い錠剤のようなつるりとした無害な殻を、狭く閉塞した、出口も窓もない私だけの城砦を作ろうと思う。世界の片隅で、丸善に仕掛けられた紡錘型の爆弾のように誰かの脅威になればいい。
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