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こどもたちと出掛けると
水たまりがある場所に入ろうとすると「あ〜!大変!」と言われるし
土いじりして服もずぼんも汚して遊んでると「汚れちゃうよ〜!」と言われるし
裸足になって遊んでると「大丈夫?靴履かないの?」と言われるし
自分の育児が"普通"ではないのだなと認識させられる。
だけど、にいさんの幼稚園では当たり前にやっていることだし、にいさんを自宅保育していた0〜3歳までわたしが当たり前にさせてきたことで、そういう自分の育児観に近い場所で毎日を過ごして欲しかったから、今の幼稚園を選んだ。
1日何時間も、週に5回も、長い時間いる場所だから、すごく慎重に、真剣に選んだ幼稚園。
基本的にわたしは自分のことよりこどもたちのことをずっと優先してきたし、いろんなことも我慢してきたけど、そこに苦は感じていない。
とにかく自分の使命は、こどもたちが大人になった時に、少しでも生きやすくいられること、そのために今彼らにたくさんの武器を扱えるように土台を作らせること。そのためのサポートをするのがわたしの役目。
もうすぐ運動会。
毎年、こどもたちの一生懸命な姿にもだけど、先生方の情熱もすごく伝わってきて、泣いてしまう運動会…
今年は4年間の集大成だから。きっと感動もひとしお。
会うたびにいろんな先生が「今日○○しててその姿に感動して泣いてしまいました…!」と報告してくれる。
卒園したくないなあ…
おとうとも、��きることならこのまま通わせてあげたい…この幼稚園以上にいい幼稚園なんて、見つけられるのだろうか…
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監督が誰なのかすら前情報を入れずに観に行った。
評判は聞いていて、信頼できる人の口コミを聞き、役者陣の顔ぶれを観て間違いなさそう、と。
鈍器で頭を殴られたような衝撃の連続だった。あまりに圧巻で、鑑賞後は頭痛が酷かった。
役者陣の演技、映像、音楽、どれをとっても一流でこの作品にあまりにも相応しい。
最初から最後までずっと好きだな…と思いながらエンドロールを眺めていたら、そりゃ好きだよな!という顔ぶれ。
原作「横道世之介」「パレード」「悪人」「怒り」の吉田修一
脚本「最愛」「Nのために」の奥寺佐渡子
監督「悪人」「怒り」の李相日
撮影「アデル〜」のソフィアン・エル・ファニ
主題歌、坂本美雨作詞、井口理歌唱
作曲の原摩利彦さんは存じ上げなかったのだけど、すごくよかったので今後いろんな場面でこの名前を見ることになりそう。
調べたところ坂本龍一と共に制作活動もされていたようだし、あの曲だもんな…と大きく頷いたと共に、ここにも血と才能の話が潜んでいたのか…と感嘆のため息。
とにかくどれも好きな作品ばかりをこれまでに手掛けている方々で、そりゃここまでのものが生まれるよ…と。
奥寺佐渡子脚本にしては女性の扱いが淡々と冷たく、それが尚のこと歌舞伎の世界の過酷さを物語るのに説得力を増したと思う。
映像の美しさは圧巻。特に色彩の鮮やかさ、光の儚さのバランスがよく、目で見ていて飽きない。
その映像の美しさに更に、吉沢亮と横浜流星の顔の造形の美しさが乗っかり、彼らの顔が画面いっぱいに広がるたびに「綺麗…あまりに美しすぎる…」と何度も何度も思った。
彼らの美しさあってこその作品とも言える。
横浜流星は息子が好きで出演作の「トッキュウジャー」を去年一緒に観ていたのだけど、デビューしたての彼のお芝居はさすがに初々しかった。わたしはほぼ彼の作品を観たことがなかったので、トッキュウジャーの彼が、これを…!!!????と信じられない気持ちで観ていた。
ラストに向かうにつれ、どんどん増していく重厚感。
でもいちばん印象的だったのは、登場してすぐ、酔って「気持ち悪りぃ」と言いながらも、舞台にいざ出るとなった時に一瞬でスッと没入する表情に切り替わったところ。この人、こんなにいいお芝居をするようになったんだ…と驚いた。
吉沢亮は、目に光を失わせることができる人。
一つ一つの芝居に圧倒されっぱなしだった。あんなにも目で訴えかけてくる役者さんだとは思わなかった。
彼ら自身のこの作品に向き合うための血の滲むような努力が、劇中の中の2人と重なり、わたしは今何を、どっちを観ているんだ…?と若干混乱もした。
世界に誇るべき日本の作品。
そう思いながらエンドロールを眺めて、最後に「李相日」の文字が浮かび上がって、やっぱりこれは国を越えるべき作品だと更に感じた。
後半はさすがにジェットコースターのような展開が連続しているなと感じたが、むしろこれをよく3時間でまとめあげられたなという気持ちの方が強い。
映画館で観るべき映画、というのを久々に楽しむことができた。
他、役者さんについては
黒川想矢くんは「怪物」でアカデミー賞授賞式に出席した際のスピーチがすごく印象的で、彼もまた芸の道を極めるために生きている1人だよな。
一緒に肩を並べていたのが「天狗の台所」のオン役、越山くんなのも嬉しかった…期待されてるんだな…
森七菜ちゃん、こんな大胆なお芝居もできる方だなんて知りもせず驚いた。お芝居から芯の強さを感じ高みを目指しているのだろうなというのが伝わってきた。これからが楽しみな方。
見上愛さん、初見だったのだけど芸妓の姿を一目見て恋に落ちた。美しすぎる…小松菜奈ちゃんの風貌に近いものを感じながらも、彼女とはまた違う妖艶さとふっと消えてしまいそうな儚さも感じた。今後たくさん作品が待っていそう。
高畑充希は、方言も相まって「いつかこの恋を思い出して〜」の役柄を彷彿とさせていて、本当にこの子はこういう役がハマる…登場して叫びそうになった。やっぱりお前かー!!と。笑
「いつかこの恋を〜」では、その小動物ぽいビジュアルから色気のある役柄にあまりフィットしていない気がしていたのだけど、年齢がいよいよ追い付いたなと感じた。彼女以外にこの役にハマれる人は思い浮かばない。
ベテラン勢にはもう…わたしが言うことなんてひとつもない。ただただ圧巻。素晴らしかったです。
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自分はわりと肝が据わっている方なのかなとは思う。
ひとりでどこにでも行けるし、ひとり焼肉、ひとり寿司、ひとりカラオケ、ひとりラーメン、ひとり立ち食い蕎麦、ひとり立ち飲み…などはもちろん、国内も海外もひとりで旅をしてきた。
それに誇らしさなども特に感じない。
ただ行きたいところに行っているだけで、気が合う誰かがいればお誘いするけれど、行きたい場所や食べたいものがその日その時にピッタリとハマることってそんなにないし、友達に会いたい時は、友達に会うことが目的になるのでどこに行っても何を食べても楽しい。
なので、1人で何かをする、というのは自分の欲望に素直になった結果だけのこと。
そこに、わたしって1人で何でもできちゃってるワ!みたいな感情はない。ある人もいるようなので、それはぜんぜん意味わからないなぁと思っている。
基本的に思い立ったら吉日な性格ではある。
出産がこわい、という話もよく聞くけれど、2人産んでもこわいと感じたことはほぼなかった。
さすがに2人目は、経験をしているから、あの痛みがまた来るのかぁぁぁぁああああ嫌だぁぁぁぁああああああとは思ったが、メソメソすることはなかった。
1人目の時は1ミリもこわいと思わなかった(気がする)(夫に確認したが、こわがっていた記憶はないとのこと。)
2人目が生まれる不安もほとんどなかった。
なんでなんだろう。
一つは、恐怖体験をたくさんしてきたから(ウケる)そんじょそこらのことでは動じないのかもしれない。
だから逆に自分の中でトラウマになっていることに対しては、ものすごくウジウジメソメソしてしまう。
もう一つは、意外と思われるけれど考え方がロジック的なのだと思う。いわゆる男性脳に近いのかもしれない。
仕事では特にその傾向が強くて、プライベートと仕事ではキャラが違うというのはわりとよく言われる。こわいと思う、仕事してる時のわたし。
何度か友人関係の状態から一緒に何かをやることになったけれど、あまりうまくいったことがない。
わたしのコミュニケーション能力の問題かもしれないが。
そんな性格故に、人の気持ちが理解できないことが多い。
なんでそんなことでいつまでもメソメソしてるんだと思うことも、なんでそんなこともできないんだと思うことも(仕事)本当に多くて、今まではその気持ちに折り合いを付けるのが難しかった。
40年近く生きてきて、ようやく少しは相手に寄り添えるようにはなったかな…
言った方がいいこと、言わなくていいこと
その見極めもまだまだわたしには難しくて、40歳になれば自然と身に付くようになってるだろうと思っていたけれど、自然と身に付くものなんてこの世にはないね。
何度も失敗して、傷つき、傷つけられ、そうすることでしか手に入れられない武器ばかり。
ただ呼吸してるだけでぜんぶ手に入ればそんな楽なことはないのに、人間って、大変だ。
「生かされてる」
そう思って生きている。
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幼稚園さいごの運動会。
年長さんの今年はクラス対抗リレーがあり、にいさん、アンカーに選ばれた…!
クラスのみんなの推薦で選んでもらったと担任の先生が教えてくれ、こどもたちの主体性を重んじる園の方針と、その上でにいさんに託してみようと思ってくださったことに感激。
毎年、運動会のかけっこは「絶対に1番になる!」と魂を燃やしていたにいさん。
運動会まで自主練(笑)もして、最年少クラス、年少クラスで1位を獲っていた。去年はいちばん仲良しのお友達とずっとライバル争いをしていて、本番はそのライバルのお友達が1位、にいさんは2位だった。
負けてしまったことで心が折れてしまうのではと心配していたわたしたちをよそに「○○くん、ほんと早いよねー!かっこいいよねー!」と話すにいさん。「ぼくもあんなふう早くなりたいなあ」と、相手を認め向上心も見せた。
ずっとそのままでいてほしい。
今年はクラスみんなの連帯を最後に背負う形になるので、本人もプレッシャーを抱えてると思うけれど、とにかく全力で楽しんで、とにかくとにかくいい思い出として記憶に残るといいな。
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おいしいものを、まずおとうとに先にあげるにいさん。
大好きないちごのジュースを渡したら、まずおとうとに飲ませてあげていた。
まだ2歳だった頃もいつもおいしいものは「ママあげる」と言ってくれ、今でも「ママおいしいよ!たべてみて!」と分けてくれ、そしてそれはおとうとにも。
分け与える喜びを知ってるって、いいね。
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にいさんの徒歩遠足のお弁当🌱
むすこのお弁当を作るのが好き。
大したものは作れないけど好き。
そんなことを言うと、いいお母さんぶってると思われそうであまり口にはしないようにしてるのだけど、ぶってるわけでもなんでもなく本当に好き。
坂元裕二作品「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」で「私は新しいペンを買ったその日から、それが書けなくなることを想像してしまう人間です。」 というセリフがある。
育児をしていると、どうしても終わりを想像してしまう。
おとうとが生まれてからはより一層。

いつか、お弁当を作る日が来なくなると思ったら、お弁当!?やったー!!と喜んでくれる姿がたまらなく愛おしいし、どうしても張り切ってしまう。
最年少クラスの時は週に3回のお弁当だったけれど、それもずっと楽しかった。
給食が始まってしまえば、もうあと何回お弁当を作ってあげられるか…もしかしたら高校の3年間くらいじゃないか?
それだって、今日はお弁当いらない、とアッサリ言われる日だってあるだろうし、そう言われてラッキー!と思う自分ももちろん想像ができるけど、でもやっぱり"もう我が子にお弁当を作ることはない"と悟る瞬間を思うと、今それをさせてもらえることにありがたみを感じる。
育児全般に言えることだよなあ。
そんなお弁当を作った日に、推しがラジオでお母さんのお弁当の話をしていた。
中学から高校卒業するまで毎日お弁当を作ってくれていて、高校最後の日はこれが最後かと思ったら寂しくて、思わずインスタのストーリーに上げてしまった、と。
自分の子がそんな風に思ってくれたら、これ以上の幸せはない…
推しのエピソードにより、ますますお弁当作りが愛しきものになった。推し、ありがとう。
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「対岸の家事」最終話を観た。
両親が離婚してわたしも父と二人暮らししていた期間が2年半ほどあり、家事はほとんどわたしが担っていたので、気持ちが痛いほど分かり涙が止まらなかった。
ドラマ内の父親とは違い、たまに料理を作ってくれたがお世辞にもおいしいとは言えなかったし、本人もそれが分かりお弁当を買ってくることが多かった。
安くて量が多い父の職場近くで買える唐揚げ弁当。
父は好んで食べていたけれど、鶏むね肉の唐揚げは味が濃く、正直飽き飽きしていた。
だから、わたしが作るしかなかった。
おかげで1人で生きるのも苦ではなくなる程度には家事力は上がったし、今も料理は好きだ。
にいさんを授かった時に報告をするのに会い、にいさんが生まれてからも一度会ったが、会う度に、連絡する度になんとも言えない気持ちになり、もう会うのも連絡をするのもやめた。
わたしはまだ許せていない。いつか許せる日が来るとも思えないけれど、それでいいんだとドラマを観て少し気持ちが救われた。
親になって親のありがたみが分かった、というセリフはよく聞くけれど、その逆、親になったからこそ余計に許せなくなった、というセリフは聞いたことがなかった。
こどもたちを育てながら、わたしの中にもずっとその想いがあった。
だけど、それもすべて反面教師だと思えば今のわたしの糧になっているし、悪い連鎖は絶対にわたしの代で終わらせると心に決めてこどもを生むと決めたから。
強くありたい。
そんなことを考えながら観た最終話だった。
専業主婦vsワーママ論争は国が変わらない限りずっと在り続けるだろうけど、専業主婦の誰にも打ち明けられない気持ちを代弁してくれた作品で、その意味でも本当に救われた。
結局、経済力が足りない国が男女平等の名の下に「女性の社会進出」といい理由を付けて、共働きが当たり前という風潮を作り出したわけで。
でも、それを推進していきたいのであればまずは共働きをしても家庭が破綻しない社会のシステムを作ることを始めなければいけないのに、それを全くやらないから、あらゆるところで歪みが生まれて、専業主婦vsワーママとかいうくだらない謎の争いまで生んでいる。
「働く女性がかっこいい」という幻想を抱かされていることに母たちは早く気付いた方がいいし、国は経済力も労働力もままならないことを早く認めて、ちゃんと政治をしてほしい。
それを訴える、ほんとうにいい作品だったな。
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甲状腺に腫瘍があると分かったのが
にいさんが生後3ヶ月の頃
それからセカンドオピニオンを受けたり
経過観察をし続けてもう6年
ついに手術が必要になった。
いつかはしないといけないとは分かってたし
最近は明らかに肉眼で見て分かる大きさになり
飲み込むのにも引っ掛かりを感じてたので
そろそろだなとは思ってた。
首に7cmの傷跡が残るし、入院期間は1週間〜10日
受け入れるしかないが、やっぱり
ふと考えるときにため息をついてしまう。
という思いが下書きに保存されていた↑
今はもう仕方ないと割り切り、生命を左右するものではないことに感謝し、首元の傷を隠すためのスカーフやタートルネックの服を探すことを楽しんでる。
今年の夏は思いっきり首を出した服装を楽しみたいな!
今はビーズを使ったネックレスが気になっている。
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昨日の夜、寝る直前ににいさんが
「ママ〜、ぼくさ、すっごいおとうとのこと
かわいいなぁって思うんだあ」と言ってきた
どうしてか分かる?と聞くので
ぷにぷにしてるから!笑、と答えたら
「そう!あとね、おとうとが笑ってるのも
いつもすっごくかわいいなぁって思うんだあ」
と話してくれて泣きそうになってしまった...
おとうとのことかわいいと思えるのは
おとうとがにいさんの弟だからだもんね、特別だもんね
おとうとのことかわいいと思ってくれてママ嬉しいし、ママはにいさんもおとうとも2人ともかわいくて大好きだよ
優しいお兄ちゃんでいてくれてありがとね
と、激重な思いを伝えた。
にいさんは嬉しそうにはにかんで、そして寝た。
ずっとずっと仲良しでいてくれるといいな。
そのためにわたしも努力をしないとな。
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にいさん6歳誕生日前日に胃腸炎になり、そこから1週間近くお休み。
その間、どこにも出かけられず子2人を見るのはなかなかな気力が必要で、気分転換に、そうだ、と思い出して近くでやっているフリマにちょっとだけ顔を出した。
田舎の街のフリマ。
そこで見つけた掘り出し物。イタリア製のかわいいお皿。
1枚100円で手に入れた。
こどもの頃から掘り出し物を見つけるのが好きだった。
貧しい環境で生きてたから、雑誌も買えず、スーパーでタダで貰えるニッセンを眺めてた。
ニッセンを眺めて、その中でも好きだなと思うものは切り抜いてスクラップしていた。
見かねた母がお小遣いから好きな雑誌を買ってもいいよと言ってくれた。
雑誌の切り抜きをたくさんスクラップして何冊も溜まった。時々それを開けてみると、自分の好みがほとんど変わっていないことに気がつく。
日用品にしろ服にしろ、素敵だなと思えるものは手に取りたいけど、ブランドものには今もさほど興味がない。
わたしがブランド品のそのもの自体の良さをほんとうに分かるまでは、きっと買うことはない。
もう40歳近くになるけど、まだまだブランド品の良さを知らないまま。いつか分かる日が来るのだろうか。
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生きてることが楽しくて仕方ない!というのが毎日毎日伝わってくるおとうと。
かわいくてたまらないのだけど、あまりに何もかもが楽しい!最高!いえーい!なので、付いていくこちらは必死の日々。
お腹の脂肪は減らないが、頰は痩せていく。
今年度から、にいさんの幼稚園のプレに通い始めた。入会式では先生方の出し物を見てステージに上がり、童謡が流れれば得意の激しめダン���を披露し、それ以外はひたすら園内を冒険していた。
座っていたのはほんの30秒程度だったかな。
プレが始まってからも自由そのもの。
とにかく目に映るもの全てが煌めいて見えるようで、彼の目も終始キラッキラしている。
何度も一緒にお迎えに行っているので、おにいちゃんがいる幼稚園ということを知っていることもあり、余計に煌めいて見えるのかもしれない。
当然、座っていられるはずもなく、教室の中でも端から端まで探求し気になるものを見つけると興奮気味に「あった!!!」と言ってわたしに指差ししてアピールをする。
教室内での探索が終わると次は外だ!!と言わんばかりに扉を開けて脱走を図る。
保育中、何度も何度も対象物から引き剥がし「今はこれをする時間だよ」と言って聞かせ、何度も何度も先生やほかのママさんに「ごめんなさい、すみません」と頭を下げる時間が続く。
終わって車に乗り込んでようやく味わう開放感…
(もちろん園の玄関から駐車場までも冒険の道のりのため、1分もかからない場所を20分かけて辿り着いている)
も、束の間。
煌めきを見つけてときめきを感じている最中にそれを中断されてしまう当の本人はストレスを感じ、帰宅後は毎度大荒れ。
眠い、お腹空いたのコンボも加わり、昼食の時間は泣き叫びながら、鼻を啜りヒックヒックしながら。
まだ3回のみの参加ではあるけれど、すでに心が苦しくなっているのを感じた。
「すみません、ごめんなさい」と頭を下げながら泣きそうになってしまう瞬間があった。
この時間は本当に彼のためになっているのだろうか…?
ときめきを遮ってまで、集団活動させる意味とは?
我が家の中で決めている「ダメ」のボーダーラインは、「危険なことをしたとき」「人に迷惑をかけたとき」
今の集団活動では、特に「人に迷惑をかける」という部分では、大幅にはみ出してしまっている…?
わたしの中での「人に迷惑をかける行為」というのは人を傷付けることを指すのだけれど、集団活動においてそれ以外の「人に迷惑をかける行為」の判断基準が自分では難しいと感じた…
「ダメ」のボーダーラインを幼稚園側とすり合わせる必要があるかもしれない、と思い園長先生に相談させてもらった。
園長先生が仰る「ダメ」のボーダーラインは我が家のボーダーラインと同じだった。
「お母さんはちゃんとやれてるから大丈夫!!」
いつもそうやって背中を押してくれる園長先生…
わたしのこと過大評価しすぎです…泣、と思いながらも毎度その言葉にものすごく救われている。
園側との目線は合ったので、あとは担任の先生との擦り合わせができれば、おとうとのときめきの瞬間を奪うことなく、気持ちよく過ごせるかもしれない。
にいさんが小さかった頃、この子は何かが違う…と何とも言えない引っ掛かりをずっと感じていて、今のところHSCなんだろうな、というところで腑に落ちてはいるのだけど。
おとうとに関しては、この子は何かが違う、明らかに違う(笑)と感じている。
もうすぐ1歳半検診。
こどものことは資格を取る上でたくさん学びを続けてきたので知識はあるし、もしかしたら、とは思っても心積もりがあるので必要以上の不安や焦りなどはない。
むしろ、もしほんとに"何かが違う"のであれば、早めにそれを確定させたいし、早めに対応してあげたい。
ただ、まだまだ小さくここからいかようにも変化と成長をするのが、こども。
だから、過度��考えることなく、何かあればすぐに行動が取れるよう淡々と知識だけ蓄えておきたいと思う。
今わたしにできることは、この「生きてることが楽しくて仕方ない!」という彼の気持ちを尊重し、煌めきを一緒に見つけ、思う存分ときめかせてあげることだ。
そういえば友達が「地球楽しくて仕方ないって感じだよね!」と言ってくれて、すごくいい言葉だなあと思ったんだ!
たくさんたくさん、地球を楽しんでくれ。付き合うよ!
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「そこそこな暮らし」
それに幸せを感じられるかどうかだな、と数年前から思っていて。
わたしはほんとうに貧しい環境で育ったから、いろんなことも我慢したし不憫な思いもしてきた。
だから、今ある暮らしがすごく平和に思える。
一馬力なのでもちろん節約しながらではあるけど、こどもたちに何かを我慢させることなく、ふつうに遊びに行けて、旅行もできて、きれいな服を着て、外でごはんを食べられる。欲しいものをぜんぶは買えないけど、それはあくまで娯楽なので、必要なものがちゃんと手に入り困らず、プラスα楽しめてるのはわたしからしたらかなり豊か。
足るを知る。
こどもたちにはわたしのような苦労はさせたくないけど、今ある当たり前を当たり前と感じることなく生きてほしい。
かわいいこどもたち。
2人がきゃっきゃとはしゃいでる姿を目を細めて眺められることに幸せを感じられるかどうか。
今日は一日穏やかな気持ちで過ごせた。
寝る前にいさんにも「今日ママにいちどもおこられてないね?」と言われた。笑
明日も、そこそこにやろう。
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体調が酷く、これは産後うつだ、と自分で感じた時に知り合いの助産師さんに相談したところ、地域の保健師さんに相談してみるといいと話してくれ、その保健師さんから一時預かりの提案をされた。
元々、条件が満たされれば利用するつもりではいたけれど、グッと背中を押してくれた。
歩行が完了、という条件をクリアし4月の園児が入れ替わるタイミングを狙い、利用できることになった。
久々ににいさんと過ごした2人の時間。
にいさんがずっとやりたがっていた実験をしたり、わたしたちおなじみのクッキングをしたり、2人で自転車で買い物に出掛けたり。
慣らし保育のたった3時間だったけれど、お互いに笑顔いっぱいの穏やかな時間だった。
自転車に跨がる姿を見て、嬉しそうだねと声を掛けると、そんなことないよ〜と照れた様子で言うので、ママと2人だから嬉しいの?と聞くと「それは当たり前だよ。ママと一緒にいるのはいつでも嬉しいよ。」と言ってくれた。
なんてかわいいこ。
おとうとは、別れ際にぴえーんと泣くくらいで、登園してすぐにおやつのビスケットをめざとく見つけ勝手に盗み食い。
給食は完食し、うんちも2回したとのこと。
大充実じゃん。笑
迎えに行ったときも楽しそうにせっせと遊んでいて、わたしとにいさんを見るやいなや、推しに会えたヲタクのごとく、ぶんぶんと手を振って駆け寄ってきた。(アイドルって毎回こんな気持ちなんだ…最高だな…と咄嗟に感じたヲタク初心者)
別れ際、わたしはサラッ���さりげなく離れた方がいいと心得ているけれど、にいさんは名残惜しそうにして、ぴえーんと泣いてしまったおとうとに「大丈夫だよ、後で迎えに来るからね!」と頭をヨシヨシしてあげていた。
2人育児、毎日余裕がなくガミガミ捲し立てているけれど、兄弟仲良くしてくれてることが本当に救い。
これがずっと続いてくれることを願うばかり。
一時預かりはどれくらいの頻度で利用できるのか空き次第ではあるけれど、たまにこういう時間が持てるだけで心持ちが全く違う。
たった3時間でも、大変な食事時間、片付け、逃げ回るおむつ替え、泣き喚くお昼寝の寝かしつけ、それをぜんぶ代わりにやってくれるのだから、それはもう楽で楽で仕方がない。
空だって飛べるな!というくらい気持ちに余裕ができた。
わたしはこどもの成長を側で見守りたいから、働いて保育園に預けるという選択をしなかったわけで。
特に1〜2歳は大変だけれど、にいさんの頃のことを思うと毎日のお散歩時間も一緒のお昼寝時間も、すべてが尊く、やっぱりそれを全て手放すということはできない。
だから、一時預かりがすごくバランスがよくてありがたい。最高だと思う。ベストofベスト。
こんなふうにもっともっと気軽に預けることができたら、お母さんたちは空を舞うような気持ちで子育てできる日が増えると思う。
「だれでも通園」に期待したい。
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寝る前に、にいさんが「人間って何歳まで生きられる?」と聞くので、80歳とか90歳とかかな〜と答えると「え〜、さびしいね」と言うので、
大丈夫だよ、死んだら天国に行けるから
死んだ人が集まる世界なんだけど
ママが先に死んだらそこで待ってるから、にいさんともそこでまた会えるよ、と伝えたところ、しくしく泣き始めた。
まさかわたしが死ぬ日が来るなんて思いもしなかったらしい。そうだよね。
ずっとずっとずーっと先だから大丈夫だよ、と話して抱っこした。もうずっしりと重たい。
春休みが始まり毎日発狂しキレ散らかしているのに、どうして子は母をこんなにも大好きでいてくれるのか…
少し前に、ママ怒ってばっかりで嫌でしょ?と聞くと
「ママ怒ってても好きだよ!お腹にいた時から好きだよ。
赤ちゃんの時、ママがミルクをくれたりオムツを替えてくれてるの見て、ママってプリンセスみたいだな〜って思ったから!」
と言ってくれた。
きっと、おとうとにミルクをあげたりオムツを替えたりするたびに、にいさんが赤ちゃんの頃もこんな風にしてたんだよ〜って伝えていたからだ。
甘えちゃいけないね。
無条件でわたしのことを大好きでいてくれることを、許しだと思っちゃいけないね。
怒りすぎてしまうことにきちんと罪悪感を持って、明日は少しでもいい向き合い方ができるようにって、そう思わないといけないね。
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4歳のいつ頃だったかな…今までの向き合い方では通用しなくなってるなと感じた。
3歳頃までは向き合うと言っても、こども本人の理解が追い付いていないことも多い分、まともに向き合ったところで意味がないことの方が多く、ある種テクニックみたいなものがあれば回避できることの方が多かった。
でも、4歳〜5歳でそれはもう通用しなくなる。
もう世の中の秩序も言葉も何もかもしっかり理解できるようになった今、こども騙しは通用しない。
親の人間力が試される。
5歳頃から訪れる「中間反抗期」
最近は特に、素直じゃないなと感じることが多く、4歳の頃の素直だったにいさんに会いたいな…と思ってしまうほど。
今日も理不尽なことでわたしが悪いと言われ、拗ねられ、ママ嫌いと言われた…
今までなら、それでもママは好きだよ♡と伝えられていたのに、もうずっと素直じゃない表現をされてきたからわたしまで素直になれなくなってしまっていて、わたしも一緒にプンスカプンスカしている。
一度素直じゃなくなるとなかなか素直になるって難しいよね。
だけど、にいさん。わたしと寝たいと言うので、あれ?ママのこと嫌いなんじゃないの〜?と聞くと「大好きだよ!ママのことはいつも大好き!気のせいだよ〜」と言ってきた。笑
反抗期と言っても、まだまだかわいいとこはある。
そういうところも見習って、わたしももっと素直に向き合いたいな。
いいところを見る。
これがわたしの毎日の合言葉。
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気温7℃と暖かい日。
おとうとが鼻水を垂らしていて夜はその鼻詰まりのせいでまともに眠れなかったのだけど、そんな日だからこそ外に出る。
ほんとうに…ようやく元気になったなと。
毎日、こどもたちとまともに向き合うことがしんどく、こどもたちに何かしてあげたいという気持ちが全くないわけではないのに、それよりもどれだけ手を抜いて体を休ませ楽ができるかということばかり考えていた。
ひさびさに温かいお日様の下を歩いて、にいさんとたくさん歩いた日々を思い出し、涙が出た。
あの幸せだった頃のことが蘇ると同時に、にいさんとおとうとに、あれをしてあげたい、これもしてあげたい、という気持ちが自然と湧き上がった。
こんな気持ち…ほんとうに数ヶ月ぶりだ。
冬季鬱だったのだろうか…
こどもたちに対してだけじゃなく、わたし自身も。
毎日部屋の片付けにすらやる気が湧かず、こども部屋はいつも荒れている。飾り棚の上もごちゃごちゃで、花を飾りたいと思う日すらなかった。
だけど今日、こども部屋を整理したいと思ったし花を飾りたいと思った。
それから、働きたいとも。
おとうとは4月から一時預かりが利用できる。
預け理由が就労の場合は週3回利用ができる。
またワークショップがやりたい、という気持ちになりいろんなアイディアが浮かんだ。楽しみだ。
長かった冬…ほんとうに長かった。辛かった。
ようやく、わたしに春が来てくれた。
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パパがお休みのひな祭り
大人が2人いるだけで、こんなにも負担が減るのかと、なべちゃんが休みの度に感じる。
今日は1日穏やかに過ごせたし、そのことが何より嬉しい…にいさんと楽しく過ごせることが何より嬉しい。
にいさんが旭川旅行を機に生モノが食べられるようになり、一緒にお刺身やお寿司を食べてくれる人が家にいることが喜び。
今までは納豆やツナマヨばかり食べていた手巻き寿司も、今じゃサーモンしか食べない。笑
おとうとはみんなが楽しそうにしているから真似したくてしたくて、手を伸ばしたり海苔をしつこく何度も要求したり。
そんなことも、大人2人だと笑って思い出にできるんだよね。
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