lllbudda
57 posts
Don't wanna be here? Send us removal request.
Text
ヴィクター・W・ターナー『儀礼の過程』2020年
「問題となることは、社会や文化の専門分化が進むにつれ、また、労働の社会的分業が進展するにつれて、部族社会ではら原理的に、文化や社会の規定された諸状態の中間の“どっちつかず”の移行期に見られる属性の一セットであったものが、それ自身でひとつの制度化された状態になっている、ということである。(中略)ここでは、移行が永遠のあり方になっている。」
これら部族社会における移行期の状態と、現代の托鉢僧や修道院のあり方は、多くの類似点をもつという。すなわち、同質、平等、匿名、財産の欠如、揃いの衣服の着用、性の抑圧(あるいは性の共有)、序列の撤廃、指導者への服従、親族関係の停止等である。全世界的無構造である。
しかしなぜこれらは類似しているのか。答えは単純で、部族的段階���儀式が制度化されたものが、現代の宗教だからだ。
「簡単にいえば、“構造”の維持に関係のある人たちの見通しからすれば、コムニタスの絶えざる出現はすべて、危険な無政府状態に見えるはずであり、いろいろな規定や禁止や条件付けによって防壁がつくられねばならないのだ。」
ここでターナーの言う「防壁」とは、制度のことである。とすれば、それは制度化された宗教に他ならないのである。
コムニタスがもたらすのは、安定した構造体系に疑問を投げかける、小市民的人間的道徳だ。それは宮廷の道化師のように、バロツェ王家のドラマーのように、ラスコーリニコフを救済するソーニャのように、ギャングースのカズキのように、あるいはビート世代やヒッピー文化のように。
とすれば、社会に復帰する、社会に働きかけること、構造へ疑問を投げかけることが、宗教の役割なのだろうか。とすれば、普遍的な善を求める宗教が「危険」でなくなることはない。我々が生きる俗の世界が、普遍的な善で満たされるまでは。
ただ、制度化は構造化=俗の論理にあるものだから、宗教は制度化された時点で、持っていた属性を失ってしまうのでは?実感として、司教の存在とかよく分からん。神の前では皆等しいというのと、どう位置付けているのだろうか。兄弟子とかは分かる気がするのだけど。タテの考え方って、反さないのだろうか。
というかプリミティブな状態のままそれを維持することって難しいのでは?そもそもコムニタスは異常の状態だから。
(追記)後にそのことに関する考察が述べられていた。
「コムニタスそのものがやがて構造に発展する。そこでは、諸個人間の自由な諸関係は、社会的人格の間における規範=支配型の諸関係に変化してしまうのである。かくして、以下の識別が必要になる。⑴実存的あるいは自然発生的コムニタス。これは今日のヒッピーたちなら”ハプニング”とよび、また、ウィリアム・ブレイクなら”翼にて飛びゆく瞬間”とか、”悪徳を相互に許すこころ”とよぶであろうようなものに、ほぼ近い。⑵規範的コムニタス。そこでは、時間の影響、資源を動員し組織する必要性、共通目標追求の集団構成員を社会的に統御する必要性などのために実存的コムニタスが持続的な社会体系に組織される。⑶イデオロギー的コムニタス。これは、実存的コムニタスに基礎付けられたさまざまなユートピア的様式の社会に貼られるラベルである。」
コムニタスにある「我と汝」的な、全人格的な関わりあいには、なにか魔術的なもの、神秘的なものがある。主観的にはそれは無限の力と呼べるようなもの。他方、構造は透明な思考と持続的な意思、そしてなにより現実的に生きる諸々の資源や関係を提供してくれる。
「英知とは、時と場所の特定の状況のもとで、構造とコムニタスの適切な関係をつねに見出し、いずれかの様式が最高の時にそれを受け入れ、他の様式も捨てることをせず、そして、その一方の力が現在使われている時にもそれに執着しないことである。」
などなど、、、
※今日宇野惟正もツイートしてたけれど、ちょっと危険な思想を持ってる人たちを「宗教」って呼ぶのはヤバい。地球上で何十億って人たちが信じているものだ。
0 notes
Text
アイヌ「パナンペウエペケレ」の“呪的逃走”について
「呪的逃走」とは、呪物を投げることで、追手を邪魔し、窮地を打開して逃走する神話的モチーフのこと。ほぼ全ての世界地域で見られるモチーフである。
ーーーーーーーーー
〔巫女パナンペが、鬼の捕縛から抜け出して、小鬼たちを殺し宝物を盗んで逃げるシーン〕
パナンペはたまらなくなって、「アハハーイ」と笑い転げながら大川に逃げ、走りながら革の小舟を広げ、それに乗って逃げると、鬼は泳いで追っかけた。パナンペが後ろのほうへ黒い糸玉をなげようとすると、鬼はこの大きな川を呑みほ した。鬼が二間三間ほども身近に迫った時、パナンペは舟の中に立上がり、尻をまくって鬼に向かって突出し、「プッ、プッ」とまるで叫ぶように、つづけさまに放屁した。鬼は今の今までそのような屁を聞いたこともないものだから、おかしくて笑い続けた。それと同時に、鬼の口から水がまかれてついに再び大川が流れだした。またもや鬼は追っかけた。
急いで黒い糸玉を後ろの方へ投げると、後ろにはまっ黒な雲が濛々と川の面を覆った。パナンペの行く手は明るく開けていたので、革の小舟は水面を流れるように 走って、家へ着いた。鬼はまっ暗闇なので目が見えず、あてどもなくやみくもに泳ぎ続けてとうとう疲れ死んでしまっ た。
ーーーーーーーーー
以上にあげた「呪的逃走」物語は、アイヌの神話。緊張のシーンなのに笑いが絶えない、不思議な魅力がある。この神話では投げた呪物がそのまま障害物になることが特徴的なところだ。
古事記のイザナギの「呪的逃走」は、少しタイプが違い、投げた呪物が食べ物であるパターン。
ーーーーーーーーー
〔黄泉国で「見るなの禁」を破って、黄泉醜女(ヨモツシコメ)から逃げるシーン〕
ここに伊邪岐命、黒御鬘(ツル草を巻いた、長寿を願う髪飾り)を取りて投げ棄つれば、すなわち蒲子(ブドウ)生りき。こを拾い食む間ひ逃げ行くを、なほ追ひしかば、またその右の御角髪に刺せる湯津津間櫛(歯の多い櫛)を引きかきて投げ棄つれば、すなわち筍(竹の子)生りき。こを拾い食む間に、逃げ行きき。且後には、その八はしらの雷神(=妻イザナミ)に、千五百の黄泉軍を副へて追わしめき。ここにまかせる十拳剣を抜きて、後手振りつつ逃げ来るを、なほ追ひて、黄泉平坂の坂本に到りし時、その坂本にあら桃子(桃)三箇を取りて、待ち撃てばら悉に逃げ返りき。
ーーーーーーーーー
ブドウと、竹の子を食べている間に逃げて、最後は桃で追い払う。黄泉国=死の世界からの逃走であるから、ツタ植物であるブドウと成長速度が速い竹の子=生命の象徴で対抗したのか。ちなみに、櫛は呪的なイメージをもって、またスサノオのヤマタノオロチ退治のところでまたでてくる。最後の桃だけは、時間稼ぎで食べさせるために使うのではなかった。桃3つを投げて、それが直接攻撃になっていた。扱いが他のものと違うので、もしかしたら中国神話からのイメージの流用なのかもしれない。
「呪的逃走」では、追手=敵対する化け物、は、倒されることはない。英雄譚であればこの強敵は倒され、征服されるはずだ。新たな境地にいくため、殺されなければならないものとして敵はでてくる。しかし、時には征服することができない敵もでてくるだろう。それはあるいは死、あるいは夫や妻。生活の実感の中で、無くすことができない大きな問題。「呪的逃走」は、それらのものを乗り越える方法を教える物語である。それは、呪物を投げることによってだった。これは、境界を作ることを意味している。敵との契約関係によって、それをコントロール下、理解可能な範囲の中にいれることを、この「呪的逃走」物語は示していると考えることができるだろう。
2 notes
·
View notes
Text
琉球の「火の起源」神話
次の話は沖縄本島と台湾のちょうどまんなかあたりにある、多良間島で口承によって伝えられたもの。標準日本語訳になっている。
ーーーーーーーーー
おばけ(マズムヌ)と人間が友だちになり、話し合いをして遊んでいた時代があったそうです。そこで、人間の所へ、おばけが来る時は、ほら、火もないからお茶をわかすこともできない。食べ物もないはずね。それで、なまものばかりの生活だったらしいね。人間たちが、そのおばけの家に行った時は、お茶も出され、また、いろいろな食物をやわらかく、ほら、焼いたらそうなるでしょう。そういうごちそうを、おばけは出していたので、人間は「おかしいな、どんなにして、いつも茶請けをさせているんだろう。不思議なことだ。これは何か、やり方や道具があるにちがいない」と人間は考えてばかりいたらしい。
ある日、人間はおばけが起きて、お茶をわかしたり、何も煮てない早い時間に、おばけの家へ行って、長い時間座っていて、人間の方から「どうして、今日はお茶もなく、やわらかいごちそうも出さないの」と言うと、「君たちが見ている間は、そのような料理も作れないし、お茶も沸かせないよ。しかし、君たちが来てしまってからは出さねばね」。人間は、バッタ(ガタ)と一緒におばけの家へ来ていたので、おばけは「私の言うとおり、目を強く、何も見えないようにしばっておきなさい」と言ったので、ニンゲンは正直に、目をタオルで縛って全く見えなくし、バッタは、あの上にあるのを、私たちは目だと思っているが、あれでなく、その下にあるのが目だから、パチパチしているのさ。おばけも人間も、バッタが高い目を隠しているのに、もう本当の目は隠されていると信じてしまったさ。バッタは本当の目で、おばけが火種を使っているのを、見てしまったさ。「ほほう、ああいうものか」と見ていて、帰って���究をしてね、火種というものは、おばけからバッタが習い、バッタから人間は習ったという話です。
ーーーーーーーーー
沖縄本島の半分より北の方と、南の方では民間に伝わる伝承に違いがあるようだ。ガジュマルの木に住むという赤い髪の男の子キジムナーは、北の方の伝承。南の方にはキジムナーはおらず、霊的な存在としてマズムヌが伝えられる。キジムナーより化け物感が強いものとして伝わるようだ。
神から虫が火を伝えるという話は、日本の南西諸島から東南アジア大陸部・島とう部にかけて点々と知られているようだ。シャムや中央セレベスのあたりにこの形の神話が伝えられている。
「琉球神道」は、琉球王朝が統治と統一のために伝えた、琉球王朝の神話である。「民間神話」の分布を調べると、もっと古い時代の人々の流れが分かるのだろう。しかし土着の信仰は、王朝からはよく思われなかったらしい。巫女ユタは、時折弾圧を受けていたとの記録がある。
神話はその民族の心の奥底にある信仰に根付いている。新たな支配者は、その神話を根絶し、新たな神話を教え込む。神話の収集は、だから、時として難しいのだという。信仰の中心を否定されるのを恐れて、人々は口をつぐむのだ。現地の人々に寄り添い、現地の言葉を身につける誠意と熱意のある人間だけが、その言葉を聞くことができる。
しかし、インカのキチェー族の神話「ポポル・ヴフ」や、ニュージーランドのマオリの神話を収集した人々はみな、キリスト教の宣教師だったことは、皮肉なことである。
1 note
·
View note
Text
『ギルガメシュ叙事詩』にみえる洪水神話
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
六日、七夜まで、風が吹き、大洪水と暴風が大地を拭った。七日目になって、暴風と大洪水は戦いを終わらせた。それらは陣痛にのたうつ女性のように自らを打った。大洋は鎮まり、悪風はおさまり、大洪水は退いた。私が嵐を見やると、沈黙が支配していた。そして、全人類は粘土に戻ってしまっていた。草地は屋根のようになっていた。
私が窓を開けると、光がわが頬に落ちてきた。わたしはひざまずき、座って、泣いた。わが頬を涙が流れ落ちた。わたしが四方世界���、また海の果てを眺めると、12(ベールの距離)に領地が立ち現れた。方舟はニムシュの山に漂着した。その山ニムシュは方舟を掴んで、動かさなかった。-(中略)-
七日目になって、わたしは鳩を放った。鳩は飛んでいったが、舞い戻ってきた。休み場所が見あたらずに、引き返して来たのだった。わたしは燕を連れ出し、放った。燕は飛んでいったが、舞い戻ってきた。休み場所が見あたらずに、引き返して来たのだった。わたしは烏を連れ出し、放った。烏は飛んでゆき、水が退いたのを見て、ついばみ、身繕いをし、(尾羽を)高く掲げて、引き返しては来なかった。わたしは(それらの鳥を)四方の風の中に出て行かせ、供犠を献げた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以上が『ギルガメシュ叙事詩』に見られる洪水の神話である。すぐに、旧約聖書のノアの方舟との類似に気がつく。「創世記」においても、ノアの方舟は「山山の頂き」に着き、烏や鳩を方舟から放つことで、地上から水がなくなることを確認する。『旧約聖書』の最も古い資料である「ヤハウェ資料」は紀元前10世紀頃に記されたとされるが、現在に伝わる形の『ギルガメシュ叙事詩』は少なくとも前13世紀頃には成立していたのではないかと言われる。古代メソポタミアの神話が伝播し、ヘブライ人によって新しい神話として編纂されたのであろう。それにしても、洪水による死と再生は、ティグリス-ユーフラテス川流域の実感であったのだろうな。
それにしても、鳥は多くの神話に出てくるけれど、やはり馴染み深いのは烏だ。古事記で出てくる八咫烏のイメージ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今、天より八咫烏を遣わさむ。故、その八咫烏導きてむ。その立たむ後より幸行でますべし。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この八咫烏を遣わせたのは、原初の三柱の神の中のひとり、高御産巣日。鳥は神と近い。北欧神話『エッダ』の主神オーディンは、両肩に控えさす烏を世界に放つし、エジプト神話の太陽神ラーの頭部は隼であった。神の領域である天に飛ぶことができる鳥は、やはり神の領域にいる生物なのだろう。そして、地上の人間世界にも来ることができるので、神の意思を伝える役にもなる。導くものでありながら、それ自体に意思はない。ただ、越境できる生物なのである。季節の巡りに従って旅をする燕も、そのイメージだろう。烏にも、ワタリガラスという渡り鳥の一種がある。オーディンが従えていたのは、この烏だと言われている。
それでははて、鳩とはなんだろうか。。。鳩が出てくる神話を寡聞にして知らない。それにしても、、鳩か。。。神話に見られる生物は、身近に見られる生物だったということだとは思うが、なにか鳩からは神話的なものを全く感じない。
蛇足だが、エジプト新王国時代の『死者の書』において、死後の世界は「葦の国」と呼ばれていたという。古事記では、イザナギとイザナミの生成において産まれた出来損ない��水蛭子は葦船で流される。内田百閒の短編(名前は忘れた)でも死の世界に葦が燃えているシーンがあった。葦はどんな生活から、その死のイメージになったのだろう。葬儀に関することだろうか。神話はメタファーだ。メタファーの解読には、多くの知識がいるので、今はまだ見聞を広めながら、想像するしかない。
蛇足2だが、エジプト神話では天の神が女神ヌート、地の神がその夫男神ゲブである。ギリシャ神話などで見られる大地-ガイアが女神で、天空-ウラヌスが男神のパターンと逆。ヌートとゲブはずっと抱き合ってたから、ヌートの父が引き剥がしたんだって。どうにも近づきたいから、山とかが生まれたらしい。
0 notes
Text
ペルシャ世界の創造神話『ブンダヒシュン』
〔覚知の霊気、ないし賢明なる主であるオフルマズド(アフラ・マズダ)は、天、大地、草木、家畜、義者を作っていく。最後の2つはすなわち、原牛と原人と呼ばれるものである。〕
5番目に、世界の中心のエーラーンウェーズのウェフ・ダーイティー河の岸(つまり、世界の中心)で唯一の牛を創った。それは白く、月のように輝き、身の丈は平均的な葦3本の長さだった。
・・・中略・・・
6番目に太陽のように明るいガヨーマルド。創った。身の丈は平均的な葦4本の長さで、幅は丈と同じだった。それはウェフ・ダーイティー河の岸(つまり、世界の中心)にいた。
・・・中略・・・
唯一のものとして創られた牛が死んだとき、その脳髄が飛び散ったとこらに55種の穀物と12種の薬草が生えた。言われているように、脳髄から胡麻と空豆が---脳髄からでているのでそれ自身が髄である---、角からレンズ豆が、鼻から韮が、血から葡萄酒をそれから作る葡萄の......が。それゆえ葡萄酒は血を増やすのに最もよい。肺から芥子が、肝臓の中からマヨラナ(編注:香草の一種)の巻きひげが、アコーマン(編注:悪神の一人)の悪臭を追い払い、害に対抗するために生じ、その他のものが一つずつ生じた。......
牛の精液は太陰界に運ばれ、そこで清められた。多くの種類の家畜が創られた。まず2頭の牛で、一頭は雄、一頭は雌である。ついで全ての種から1組が......エーラーンウェーズに現れた。
・・・中略・・・
ガヨーマルドが病気になったとき、左側��倒れた。頭からは鉛が、血から錫が、脳髄からギンが、足から鉄が、骨から銅が、脂肪から水晶が、腕から鋼鉄が、魂の抜け殻から金が現れた。金はその貴重さのゆえに今でも人々が魂とともに与える。......
ガヨーマルドは死ぬとき種を放った。その種は太陽の光で清められた。その3分の2はネーリヨーサング(編注:精霊ないし天使)が保管し、3分の1はスパンダルマド(大地の女神)が受け取り、40年間大地にあった。
40年の終わりに1本の茎と15枚の葉をもつ大黄の姿でミフリーとミフリーヤが大地から生えてきた。その様は手に耳を当て、互いに結びついて同じ丈同じ形であった。
ペルシャ・イラン世界は、ときにギリシャ人が支配して、ときにモンゴル人が支配して、ときにトルコ人が支配し、というようにさまざまな民族が支配権を奪い合った土地であった。
土地が侵攻されるということは、文化が侵攻されることと並行する。前6世紀にペルシャ世界を拡大したアケメネス朝の伝統は、アレクサンドロス大王に破られ、その後起こったイラン人によるサーサーン朝も、イスラム化によって自らの伝統に変化を加えなければいけなくなった。
その状況に危機感を感じたのは、イラン発祥のゾロアスター教の人々。聖典であった『アヴェスター』に伝えられた古代イラン神話を、要約し整理して『ブンダヒシュン』を著した。民族意識の高揚とともに、正当性をこの神話によって確保しようとしたのである。
さて、上に引用したのは、原牛と原人の創造、そしてそれぞれから穀物と香草、金属が生まれたところである。この、死体から作物が生まれるという筋書きを持つ神話は、A.イェンゼンの分類では「ハイヌウェレ型神話」と呼ばれ、世界各地に見られる。『古事記』では、大気都比売神(オオゲツヒメ)が、スサノオに斬り殺されて、その死体からさまざまな穀物が生まれる。命名の由来となった、インドネシア・セラム島のヴェマーレ族の神話では、ハイヌウェレという女神が殺されて、主食の芋が生まれたという。これらは、農耕における死と再生の神秘の起源を示したものだろう。ときには、生贄の人間や動物を食し、残りを畑に撒くという儀式も行われたという。(ちなみにハイヌウェレ型神話と区別されているのは、プロメテウス型神話。火を盗んだプロメテウスみたいに、天上の世界から種を盗んできちゃうタイプのものみたい。)
この農耕文化におけるハイヌウェレ型神話の発想は、女性と結びつきやすい。上の2例も女性だ。それは女性が創造の神秘を体現するからであろうが、はて、『ブンダヒシュン』では牛と人。どちらも、死んでからオスとメスに分かれるもの。つまり男でもあって、女でもある存在から生まれる。まあ、人間の創造の行為は、2者が1つになることであるし、考えてみると納得する話である。
金属がとても重要なものとしてでてくるのも、農耕文化の特徴であろう。
そして、原初の男と女が、植物として絡み合って生まれてくるイメージはとてもユニークでおもしろい。それにしてもなぜ、耳を塞いでいるのだろう。ゾロアスター教は拝火教と呼ばれるくらい火と光を重んじるし、主神アフラ・マズダは光の神だからだろうか。耳を塞いだりしているものが出てきたら、チェックしておこう。目や口も。(日光の3ザルってなんなんだ。)感覚という面から見てみると、ハーブが重要なものとして使われていることも興味深い。悪神を払うのは、ハーブの儀式的な香りだ。
アヴェスターの特徴は「善悪2元論」やユダヤ教に伝播していく最後の審判の概念と言われ、そこが重要だろうに、触れなかった。今日は取り止めのないメモでした。
0 notes
Text
オルフェウスの冥界訪問
トラキアの楽人オルフェウスは、妻の死を、この地上世界では思い切り嘆き悲しんだが、そのあと、地下の亡者たちにも訴えかけてみようと考えて、タイナロスにある下界への入り口から、思い切って冥界へとおりていった。ふわふわした亡者たちーすでに埋葬の礼を受けた者たちだがーの間を通って、プロセルピナと、この陰鬱な国を支配する冥王の前へ、まかり出た。歌にあわせて竪琴を弾じながら、こう吟じた。
————————————-
妻を探しにここまで参りました。
一匹の毒蛇のために、まだ年若い妻は死んでしまいました。
あなたが治めるこの冥界こそ、わたしたちの終の棲家。
妻もまた、墓に入るにふさわしい年齢になれば、あなたがたの配下に入ることは必定。
どうか妻にお恵みを垂れ、
それまでの間、もう一度人生を楽しませてください。
それがかなわぬならば、
わたしも地上に帰らぬ決心をしております。
わたしたちがふたりとも死ぬのを見てお楽しみくださればいい。
—————————————
こううたって、言葉にあわせて弦をかき鳴らすと、血の気のない亡者たちも、もらい泣きした。タンタロスも、逃げて行く水をとらえようとはしなかったし、イクシオンの車輪も、回転をとめた。禿鷹たちは、ティテュオスの肝臓をついばむことをやめ、ダナオスの娘たちは、柄杓の手をとめた。シシュポスにいたっては、おのれの岩の上に坐り込んでしまった。復讐女神��ちも、すっかり歌に感動して、はじめて、頬を涙で濡らしたということだ。王妃プロセルピナも、冥王も、オルフェウスの嘆願を拒むことができないで、エウリュディケを呼び寄せた。彼女は、新しい亡者たちの中にいたが、進み出る足どりも、たどたどしかった。傷がまだ障っているのだ。オルフェウスは彼女を受け取ったが、それには、条件がつけられていた。アウェルヌス湖の谷あいを出るまでは、うしろを振り返ってはならないというのだ��この禁を破れば、せっかくの贈り物がふいになるのだという。
もの音ひとつしない静寂のなか、おぼろな靄に包まれた、嶮しい、暗い坂道を、ふたりはたどっていた。もう地表は近づいているあたりだったが、妻の力が尽きはしないかと、オルフェウスは心配になった。そうなると、無性に見たくなる。愛がそうさせたということになるが、とうとう、うしろを振り返った。と、たちまち、彼女はずるずると後退した。腕をのばして、夫につかまえてもらおう、こちらも相手をつかまえようと、懸命になるが、手ごたえのない空気しからつかまらないのだ。こうして二度目の死に臨んでも、彼女は、夫への不平を何ひとつ口にしなかった。それもそのはずだ。こんなにも愛されていたという以外に、何の不平があるというのだろう?ただ、夫の耳にはもうとどかない、最後の「さようなら」をいって、もと来たところへふたたび落ちて行った。
——オウィディウスの『変身物語』より
さて、この冥界下りの物語には、日本神話「イザナギの黄泉の国訪問」との類似が見られる。火の神迦具土(カグツチ)を生み焼け死んだ妻、イザナミを追い、黄泉国へいくイザナギの物語である。ここでも夫のイザナギは、「決して私の姿を見ないでください」という禁を破り、妻イザナミの姿を見てしまうことで、永遠の別離を迎えるという結末になっている。(ここからの必死の鬼ごっこも面白い)
このテーマは、「見るなのタブー」と呼ばれ、各地の神話や昔話に出てくる。ギリシャ神話のパンドラの箱の物語や、果ては日本の昔話鶴の恩返しでも出てくるではないか。この「見るなのタブー」が破られなかったことを、私は見たことがない。何のために禁止と破戒が行われなければならないのか。
ひとつには、知ること、と、分離、を意味していると考えることができるだろう。二極が一であったときから、見るー知ることによって、分離が生まれることの隠喩。あるいはそれは、死の世界と生の世界との分離、あるいはそれは、男性と女性の分離、あるいはそれは楽園と地上との分離(エデンの園の追放のように)。分離は必ず苦痛を伴う。そのときに感じる「見てはいけなかった」という罪の感覚から遡及して、「見るなのタブー」は作られたのではないか。
タブーが必ず破られていることからも、タブーがまずあり、それを破るかどうか、という順番ではなく、すでに破られたものがまずあり、その前にタブーがあったのではないかという推定が生まれた、という理解ができる。
0 notes
Text
ローマ建国神話について
〔ローマ近郊にあったアルバという街に、プロカという名の王がいた。彼にはヌミトルとアムリウスという二人の息子がいたが、弟のアムリウスは兄を追放し、息子を殺害した。さらに、ヌミトルの娘レア・シルウィアを炉の女神ウェスタの女祭司に選び、純潔の義務を負わせた。しかし、彼女は何者かに犯され、ロムルスとレムスという双子の兄弟を産む。〕
だが、私が思うに、かくも偉大な市は宿命によって起こり、神々の御業に次ぐ最大の支配は宿命によって始まった。ウェスタ女神の女祭司は力ずくで犯され、双子を生んだ時、素性不明の子の父親はマルス神だと明かす。そう信じたものか、それとも、神が罪の責任者であるほうがまだしも名誉だったゆえか。だが、神がみも、人間も、母親にせよその子にせよ王の残忍から救いはしない。女祭司は縛められて獄に下される。男の子二人は河の流れに投じるよう、王命が下る。
たまたま神慮により、ティベリス河が両岸へあふれ、ひたひたと水を湛えて、どこからも本来の河筋へ近づけなかったが、子らを運んだものたちは、緩やかな流れながら、幼子たちを沈めることができると予想した。こうして枯れたは手近の浅瀬−−今、ルーミーナ女神の無花果が立っていて、かつてロームルスの無花果と呼ばれたと伝えられるところ--に幼子たちを置き去りにし、王命を果たしたごとく装った。
当時、この辺りは荒涼として人気がなかった。今に残る伝えによれば、男の子たちの捨てられた飼葉桶は波にただよったものの、水流の乏しさのために乾いた土の上に取り残されたが、その時、渇えた牝狼が附近の山地から降り立ち、幼子の泣き声の方へ歩みを外らしたという。牝狼が乳房を垂れて幼子たちに優しく含ませ、しまいには子供たちを舌で舐めてやっているのを、王の牧人--名はファウストゥルスだったといわれる--が目にとめた。彼は幼子たちを自分の小屋へ連れ帰り、妻ラーレンティアに預けさせて育てさせたという。
ラーレンティアは、体を売ったので、牧人たちの間で「牝狼」と呼ばれ、そこから不思議な出来事の伝えが生じたと考える人たちがいる。
このように生まれ、このように育てられ、成年に��するや否や、双子の兄弟は小屋にも畜群のもとにも無為に留まってはおらず、山地を跋渉して狩りをする。これによって身と心を逞しく鍛えると、もはや野獣と闘うばかりか、略奪物を抱え込んだ盗賊一味を襲っては、彼らから分捕ったものを牧人たちに分け与える。この牧人たちを得て日に日にふえる若者の群と真面目なこと、遊びごとを共にする。
〔このように成長したロムルスとレムスは、やがてアムリウスを討ち取り、アルバを支配する。その後に待っているのは、支配権の争いである。双子である彼らは年功で序列をつくることができなかったため、鳥占いをした。しかしそれでも決着はつかず、最後にはロムルスは策略と武力によってレムスを殺し、支配権を得ることになった。ローマという名は、ロムルスからきているのである。〕
さて、この英雄神話は典型的なかたちである。捨てられた子が、放浪の末に祖国へ戻り、支配者を倒すという物語。有名なオイディプス王の物語、また、箱に入れられナイル川で流されそうになった旧約聖書のモーセの出自に酷似している。同様のテーマがこう何度も繰り返されるのはどういうことなのだろうか。同じ心性を持っていたのか。もちろん、伝播していったという説明もありうる。しかしそれにしたって、同じ心性を持ち、共鳴するところがあったから、こうして今まで伝えられてきているのだろう。
人間、特に男性が成長していく際に直面する様々な障害、そしてその乗り越え方を、英雄譚は伝える。その障害とは、象徴的には、父-社会なのである。父への挑戦のためには、父の不在という条件がどうしても必要になってくる。そこから、父が捨てた-父が分からない、などの設定が生まれてくるという説明は、一面としては、正しいものだろう。英雄とは、男性がこども(母の庇護下にある存在)から大人の男(父への挑戦による自己実現と、社会への参与・寄与)への過程の、一種のアーキタイプなのだ。
ちなみに、余談ではあるが、女性の英雄譚の少なさの理由はなんであろうか。そして神話の再現である儀式においても女性の通過儀礼が少ないのがどうしてなのだろうか。これに関して、神話学者のジョーゼフ・キャンベルは、女性は成長の過程において肉体が大きく変化し、こどもから大人への変容の神秘を、自らの身体で必ず体験するからだと説明している。
1 note
·
View note
Text
ジョーゼフ・キャンベル&ビル・モイヤーズ『神話の力』2010
原始芸術についてはしょっちゅうそういうふうに考えます。描いた人、作った人の意図はどの程度まで「美的」であったのか。どの程度まで「表出的」であったのか。(中略)
クモが美しい巣を作るとき、その美はクモの本性から来ています。それは本能的な美です。私たち自身の生活の美は、生きていること自体の美しさにどの程度まで関わっているのだろうか。それはどの程度まで意識的、意図的なんだろう。これは大きな問題です。
1 note
·
View note
Text
レヴィ=ストロース『神話と意味』1977
相違とは非常に豊かな力をもつものです。進歩は、相違を通してのみなされてきました。現在私たちを脅かしているのは”over communication”とでも呼びうるものでしょう。つまり、世界のある一点にきて、世界の他の部分で何が行われているかをすべて正確に知りうるようになる傾向です。ある文化が、真に個性的であり、何かを生み出すためには、その文化とその構成員とが自己の独自性に確信を抱き、さらにある程度までは、他の不満化に対した優越感さえ抱かねばなりません。その文化が何かを生み出しうるのは”under communication” の状態においてのみなのです。
地球上いたるところ、ただ一つの文化、一つの文明だけになる時代を私たちはいまや容易に想像することができます。でも私は実際にそうなるとは信じません。-中略- 人類学本当になんらかの内的多様性なしに生きうるとは思えないのです。
0 notes
Text
ヨースタイン・ゴルデル『ソフィーの世界』1991
白兎は空っぽのシルクハットから引っぱり出されます。とても大きな兎なので、この手品の仕込みには数億年かかります。か細い毛の先っぽに、すべての人の子が生まれるでしょう。だからすべての人の子は、このありえない手品に驚きあきれるでしょう。けれども、人の子たちは大きくなると、どんどんウサギの毛の根本のほうへともぐりこむ。そしてそこにうずくまる......。
0 notes
Text
大岡昇平『野火』1951
花は依然として、そこに、陽光の中に光っていた。見凝めればなお、光り輝いて、周辺の草の緑は遠のき、霞んで行くようであった。
空からも花が降って来た。同じ形、同じ大きさの花が、後から後から、空の奥から湧くように夥しく現れて、光りながら落ちて来た。そして末は、その地上の一本の花に収斂された。
「野の百合は如何にして、育つかを思え、労せず紡がれざるなり。今日ありて明日炉に投げ入れらるる野の草をも、神はかく装い給えば、まして汝らをや、ああ信仰うすき者よ」
声はその花の上に漏斗状に立った、花に満たされた空間から来ると思れた。ではこれが神であった。
0 notes
Text
「童児元型」C・G・ユング 1951
彼の無意識から語りかけてくるのは、われわれの知っている世界ではなくて、心の中の未知の世界であり、この世界が経験的世界の模像であるのはほんの一部だけで、他の部分はむしろ逆に心的前提に従って外界に形を与える。元型は物理的事実から生じるのではなくらむしろこころ(ゼーレ)が物理的事実をいかに体験するかを表現しているのである。-(中略)- 未開人の精神状態は神話を作るのではなく、神話を体験しているのである。
0 notes
Text
安藤宏「『私』をつくる-近代小説の試み」2015
「〜た」に象徴される三人称的な視点を獲得することによって、小説を裁量する「私」は、ひとまずみずからの姿を隠すことに成功した。しかし三人称的な視点もまた一つのよそおいに過ぎぬわけで、潜在する「わたし」は人物の内面にどこまで介入するか(しないか)、またどこまで批評するか(しないか)、という自由を常に保持している。客観をよそおいながら実際には特定の人物に共犯的に寄り添うことによって作中にはさまざまな魅力ある空白、ほころび、矛盾が生起し、「もうひとつの物語」が派生していくことになるだろう。”なりきり-目隠し”の法則からも明らかなように、小説で問われるのは実は「何を描くか」よりもむしろ、「何をえがかないか」という問題なのである。
1 note
·
View note
Text
幸田文『崩れ(抄)』1991
ともあれ、私は自然の林の中に入ると、飢えが満たされ、不足したエネルギーが補給されたような、そんな充足感があって、気持がのびのびとやさしくなる。若いころは、好きなひとに逢ったあとは、気持ちがしっとりして、我ながら気恥ずかしく思うほど、物事にやさしくうち向かったが、いま木々に逢えば、それとは違って、もっとずっと軽快なやさしさになる。人に逢えばからまるような重味のある情感、木に逢えば粘らないさらさらと軽い情感を、おもしろく思う。
2 notes
·
View notes
Text
坪田譲治『心遠きところ』1890
◯今日は三月十八日になります。近頃、私、まるで間が抜けてきまして、編集当番の竹崎さんが来られ、
「あとがき、二枚でも三枚でもよろしい。まっていますから、お願いします」
という話になりました。すると、ナマケモノの私、これサイワイと、スミマセン、スミマセンと、机に向かって、原稿紙を広げました。
その時、いつものように、何でこんなに、原稿がおくれるかと、まず反省しました。
「病気———」
すぐ、この言葉が、頭にのぼってきました。ムスコにききました���ころ、
「お父さんは、十二月十七日から、一月二十六日まで、慈恵病院に入院してたんだ」
こう言われて、まるでヒトゴトのように、
「そうだ。そうだ」
とうなずく始末でした。とにかく、八十八という数字がいけません。まとまった作品を書くわけでもないのに、何だ、かんだと、文句ばかり言って、原稿をのばし、のばしです。
0 notes
Text
岡本真一郎『言語の社会心理学』2013
会話のそれぞれの段階で、自分が携わっている話のやりとりの目的、方向として、その場の人たちが受け入れているものに従うように、会話に貢献せよ。
グライスはこの原則の下に、次の四つの会話の格率を仮定した。
1量の格率 過不足なく情報を与えよ。
2質の格率 偽りと分かっていることや適切な証拠のないことは言うな。
3関係の格率 関連性を持たせよ。
4様式の格率 不明瞭な表現を避け、曖昧さを避け、簡潔にして、また、順序立てよ。
こうした原則や格率がある、と仮定することで、発話に明示されていないことが推意として伝達されるとグライスは考えた。
1 note
·
View note