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もう、凪いでくれ
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loloaa · 2 years ago
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230206 11:37
生きてきた年数分積み重ねた無能感が渦巻いているが、無能感が渦を巻いていてもとくになんのメリットもなければデメリットもない
ただただ意味がない
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loloaa · 2 years ago
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230206 02:06
絵を描くのは、べつに好きではない。いつもそう思いながら描いている。逆張りもあるのだろうが、それを差し引いても、絵を描いていることへの憎悪によって、歯を食いしばっている時間のほうが多い。それでもなお絵を描いている。不快感とともに絵を書いていることになる。 好きなものを思いのまま描くことができたら楽しいのかもしれないが、じっさい俺に好きなものはないし、あったとて思いのまま描く能力もない。(注:好ましいと感じるものはあるが、好きと発言してよい件に「対象について詳しい」「愛があるといえる手のかかる行為をすることができる」「感想を述べることができる」があるため、好ましいと思うものに好きと言っているに過ぎず、軽薄な「好き」であり、誠意を感じられない���のである。俺はこの軽薄な手放しの「好き」をかなり忌避している) この好ましいものを描く能力がない、というのがほんとうに重苦しくのしかかっている。これから脱するには絵を練習しなくてはならない。練習は失敗と向き合い続けることになり、不出来であることをむざむざと目にするのが、本当に虚しくて苦しい。何かを練習してできるようになったことがあまりないので、ただただ不出来な自分と向き合う時間が本当につらい。(こう言うために、できるようになったことがあったとしても、記憶を消しているかもしれない) こう言っていてもべつに描きたいものがかけるようになるわけではないので、やりたいことひとつできない自分に憎悪を向けながらまたペンかそれ状のデバイスを手に取る羽目になる。 不毛だ。
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loloaa · 3 years ago
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20220706
七夕にはいつも死者たちの冥福と生者たちの息災を願っているが、しばらくぶりにそんな余裕がない。
別に仕事が忙しいわけでもないし、その他趣味にあくせくしているということもない(そもそも趣味がない)。 ただ、どうしようもなく絵が下手だと最近改めて気づかされたので、それで頭がいっぱいになっている。 俺が頭をいっぱいにするのは、絵が下手であることを気にしているか、疑心暗鬼に陥っているときか、家にゴキブリが出た時くらいだ。 こう挙げてから気づいたが、家にゴキブリが出た時も疑心暗鬼に属するな…。
絵が下手なのは”俺”・開闢以来絵を描いている間、ずっと分かったつもりでいたのだが、 「良い言葉を言ってよい方向にもっていこう」みたいなキャンペーンというか、民間療法が巷で喧伝されている。 ずっと腐っていると誰かしかから絶対にシバかれるないし反感を買うので、形骸的にでもいうようにしようと思っていたのだ。
まんまとやられてしまっていた。 民間療法に丸め込まれていた。警戒していたのにとてもばかだ。
実力の伴っていないものにすばらしいとか偉いとほめそやすのは世辞で、他者が他者にそういう言葉を投げかけるのであれば、処世術としてもわかるのだが、自分自身に言ったところで実際底力が上がるわけでもないし、別にメリットはない。 自己肯定感は高いに越したことはないとされているが、身分相応の自己肯定感を身に着けるべきだという論調に変えたほうが良い。 さもなくばただただ無意味に踊っている無能が生まれるだけだ。 自己肯定感が高くてしかるべき人間の自己肯定感が、姑の人差し指についた埃程度の場合が多いだけであって、ほんとうは無意味に自信があるというのは嘲笑の対象なのだ。
絵が下手なのはもうしかと努力するか、絵を描くのをやめるなどして対処するしかないが、どうせこの後も描き続けるので、気分が悪くならない程度に努力をしなければならないな…と思うと、道のりが遠すぎて旅路で自害を試みたい気持ちになる。
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loloaa · 4 years ago
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20210610
映画を見に行くので、映画大好きポンポさんを1~3、そしてスピンオフの映画大好きフランちゃんを読んだ。 良かった。 漫画のネームが優れており、ストーリーが優れているのはもちろんなのだが、2巻で「映画人」として映画に触れ続けてきたがゆえに、情熱的感情を覚えたことがないかもしれないと言っていたポンポさんが、ジーンの、狂人めいたなりふりかまわぬ様相で作られた渾身の映画を見て「映画が好きだ」と思うシーンがあるが、俺は映画は全く好きではないが、素直に感動してしまった。ジーンとした、と言おうとしたが、ダジャレみたいになってしまうのでやめた。ポジティブな力にあふれる漫画だった。
で、俺はこの、感想を言うという行為のがものすごく苦手だ。
良かった。とか言っているあたりでお察しだ。良かった。以降は考えたけど、こんくらいしか出てこなかった。浅。 何が好ましかったのか、というのを洗いなおすのがものすごく苦手だ。 いつもこれが好ましかった、これが良いと感じたと言おうとするたびに、何がよかったのかうまく言語化できず、言葉に詰まってしまって言うのをやめる。
たとえば、上記のシーンでなぜ感動したかといえばわからない。タイトル回収がうまい、という意味なのかもしれないが、そのタイトル回収のうまさで感動したわけではない気がする。 結局、おのれの好きな要素を洗い出せないのだ。
ポンポさんに出てくる登場人物のほとんどは映画が大好きだが、3つ好きな映画が出て、巻末おまけ漫画で(筆者の代弁であっても)その映画のよいところがちゃんと語れるところを見ては、「ああ、好きであることに真摯だ」または「誠実だ」と思う。
「好きである自覚」と、それに伴う「好きであることの実績(これの最たるものは感想を言うことだと思っている)」がないと、俺は自分を「それが好きである」と認められないと思っており、 自分にはその実績がなにもないため、なにも好きなものがない状態になっている。 これに気づいてからけっこう空虚だ。 さすがにむなしいと思って、好きである自覚が芽生えたものに好きだと明言する運動を一時期していたが、実績がないのに好きであることを主張するのは、欺瞞を強く感じて不快だったからやめた。
いろんなことに出てくる話題だけど、好きなもの探せばいいじゃないですか、と言われたときに「そんなもんは、ない」で終わってしまうの、あまりにもガキくさくて、ダサい。 でも好きなものがないので、それに関する実績が生まれないうちは、そんな対応をしていくんだろう。むなしい。 反骨心だけで描くけど、見てよかったなと思う映画は「ガタカ」「ケイゾク」「嫌われ松子の一生」。 よく見る映画監督は中島哲也。 一番最近見た映画は「哀愁しんでれら」。
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loloaa · 4 years ago
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210529
自家中毒が極まって交友関係に支障が生じることが多々ある。 自家中毒といっても、比喩だ。 俺は他人の嘔吐しているところを見るのはほんとうに苦手なのだ(好きな人はおそらくごく一部だろう)が、もしかすると飲み下した食物をはき戻すほうがもしかしたらいくらかマシなのかもしれない。俺が吐き出しているのは思想であり、いくらつまらんそれだといっても、人の頭の中にあるものはおおむね臭くて汚いし、後ろめたい。そのうちで負の感情はほんとうに汚い。
そんなもんを「頭に蓄積されていくばかりで吐き出す場所がないから」といって、会話のついでに口に指を突っ込んで吐き出す行為って最悪だな。とここに記しながら思う。
4月ころまでろくに絵を描いていなかったけど、幸運なことに環境もあって絵をかいたり、ノウハウを交換することが増えてきた。
昨年までのやる気に妙にあふれた俺であればもしかしたら喜んでいたかもしれない。ただし今年はなんか…やる気がないらしい。4月ころまで本当に絵を描いていなかったし。ずっと絵を描いてきて3か月ちかくまったく描かないことは今までなかったので、もう絵を描くのをやめられるかなと思っていた。 そうは問屋がおろさなかった。
絵を描く人々と触れ合って、絵を描く行為を楽しんでいる人を見ていて、俺はなんで絵を描き続けていたんだろう。趣味じゃない、仕事でもない、楽しくない、落ち込むと言いつづけ、実際そういう心持でいながら、なぜ毒にも薬にもならない絵を描き続けてきたのだろう。と、かつて考えていたことを強く思い出したし、今またそうなっている。 いつまでたってもその自問自答に答えはでない。
いや、正しく言えば最近になって答えを見つけることができたのだが、さすがにこればかりは自らの口から言い出す気になれない。
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