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lucasayumimartin · 5 years
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たしかに手でいのちが触れるのなら
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lucasayumimartin · 5 years
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最首悟 横光利一『機械』の最後:私はもう私が分らなくなって来た。……誰かもう私に代って私を審いてくれ。私が何をして来たかそんなことを私に聞いたって私の知っていよう筈がないのだから。|あくまで私に拘り4人称の私を招来させるから混乱。私の中にあなたを置いてあなたをいくら私と言ってもあなた。
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lucasayumimartin · 5 years
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 と思ったところで目が醒めた。どうやら窓が自分で自分を開けてしまったようだ。月の司る時間のひんやりした風が室内に吹き込んできていた。心臓がどきどき鳴っている。その時、涙をきれいにぬぐって祝祭のドレスを着たヴィタが向こうから近づいてくるのが見えた。
「星に仄めかされて」多和田葉子
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lucasayumimartin · 5 years
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僕が本当に若かった頃@石巻
小林武史さんと岩井俊二さんの対話を拝見。 みながシェルターを探し、みずから作り手になる捏造時代に、人間社会への関心を保ちつづけるのはむずかしい。その人の「若さ」の問題になってくる。お二人にはその「若さ」を感じる。司会の男性編集者は、もともとは「幻冬舎」にいたが、地元の石巻に戻り、「口笛書店」という個人出版社を立ち上げた。石巻にはシェルターレスなまま、土地と歩み始めることのできる「若さ」が流れていたのだろう。
木村英子さんのインタヴューはすべての人間に観賞する義務がある。非人間的人生が、何ら盛られることなく伝えられている。
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lucasayumimartin · 5 years
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SHELTERLESS
松浦(寿輝) 剥き出しになるということですか。
沼野(充義) バフチンが言っているのは、そもそも言語そのものがもっと脱中心化してしまって、一つの統一的な世界観とかイデオロギーによって意味を守られていない状態になっている。だから、もともと中心があって、ヒエラルキーがあって、権威ある言葉があって、その周縁があるというのでなくて、現代は一つ一つの声や言葉がポリフォニックな浮遊している状態にある。その中で多声的な言葉の空間をつくる必要がある。小説はそれができるメディアだということを言っているんです。
田中(純) 国家装置に抗する戦争機械のあり方というのは結局、野戦攻城です。帰るべきところもなくひたすら戦っている状態で、そこにはシェルターにあたるものがそもそも存在していない。
「徹底討議 二〇世紀の思想・文学・芸術」
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lucasayumimartin · 5 years
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 徳仁天皇が「戦陣に散り戦禍に倒れた人々」を、いま生きている全国民と共に追悼するとしているのに対して、上皇においては全国民という枠のなかに「戦陣に散り戦禍に倒れた人々」が含まれると読める。すなわち同胞の死である。徳仁天皇においては先人の死である。このちがいにも注目すべきではないだろうか。 (…) 「記憶」から「記録」への移行は不可逆的なものだ。その間に喪われていくものは多い。 (…)  私たちは、天皇家が近代日本の歴史に対して示そうとする態度を正確に見抜く目を持ちうるのか、いま、それが試されている。
「天皇の歴史意識」保阪正康
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lucasayumimartin · 5 years
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木村英子さん(参議院議員 / れいわ新選組)インタビュー☝️
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lucasayumimartin · 5 years
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 ブレイクの「最後の審判」は、画面の頂点に救い主なるイエスの光り輝く身体が描き出され、その他画面全面にわたってさまざまな身体、光の身体にして闇の身体、神の身体にして獣の身体が互いにひしめき合うようにして、無数に描き出されている。全体として、頂点のイエスと他の無数の身体によって巨大な一つの身体が表現されているように見える。一にして無限、あるいは無限にして一。おそらくここにこそ、自らの「純粋天皇」を内側から食い破り、三島の「空」を内側から食い破ることで「かたち」となった大江の「ふるさと」の完成がある。「海」のなか、「空」のなかに偏在する無限の「時」。それこそが母胎という「かたち」であり、「かたち」という母胎である。純粋天皇の胎水は、「ふるさと」の森のなかに実現したのである。
「純粋天皇の胎水」安藤礼二
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lucasayumimartin · 5 years
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「新しいギー兄さん」のパートナーになる両性具有の「サッチャン」が、男性から女性として振る舞うことを選び、やがて型にはまった女性性をも払いのけて両性のまま生きることにした人物だった必然にも、ようやく社会は追いつこうとしている。大江がジェンダーに理解を深めたのは日本のどの作家より早かった。それも理論に導かれてというより本能的な判断で、デビュー時から弱い男性と強い女性、男性の同性愛者を度々登場させ、性別の役割分担に縛られない、ひねりの利いた人間関係を作中に描いてきた。
「予言者としての大江——「全小説」解説を書き終えて」尾崎真理子
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lucasayumimartin · 5 years
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すべての人間は非力な壊れものなのだということを。  それでも最後まで、〈人間は所詮滅びるものかもしれず、残されたものは虚無だけかも知れない。しかし抵抗しながら滅びようではないか〉。大江の師、渡辺一夫訳による二百年前を生きたモラリスト、セナンクゥールの言葉は壊れることがない。『大江健三郎全小説』を支えるのは、この究極の予言のような教えではなかったか。全巻の解説を書き終え、そう感じている。
「予言者としての大江——「全小説」解説を書き終えて」尾崎真理子
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lucasayumimartin · 5 years
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 しかし、大江にとって何よりも重要な「テキスト」からの引用があるとすれば、やはり『新しい人よ眼ざめよ』の主旋律ともなる、次のブレイクの詩の一節ではないか。「人間は労役しなければならず、悲しまねばならず、そして習わねばならず、忘れねばならず、そして帰ってゆかなければならぬ/そこからやって来た暗い谷へと、労役をまた新しく始めるために」(That Man should Labour & sorrow, & learn, & forget, & return/To the dark valley whence he came, to begin his labours anew.)。この引用こそが、ある意味で、大江のその後の仕事を指し示したのである。
「祈り、テキスト、習慣——大江健三郎と現代日本の精神性」宇野重規
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lucasayumimartin · 5 years
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☝️敗者の歴史から見る日本 佐野史郎さんとの対話
亡くなってもう反論できない「悪者」の声にも耳を傾けることが歴史の検証なのではないかというのが、俳優として歴史上の人物を演じ、感じてきた強い思いです。 漂う何かへの帰属意識を持ちながら、この列島で生きた人、生きる人たちのことを忘れてはならないと思います。
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lucasayumimartin · 5 years
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WAO!WAO!
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lucasayumimartin · 5 years
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Carry Lam(b)
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lucasayumimartin · 5 years
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Carrie Lam
5. In short, Carrie Lam's repeated failure in understanding the situation has made this announcement completely out of touch - She needs to address to ALL Five Demands:  STOP PROSECUTION, STOP CALLING US RIOTERS, INDEPENDENT INQUIRY OF POLICE and FREE ELECTION!
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lucasayumimartin · 5 years
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差別とサヨナラ
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lucasayumimartin · 5 years
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心を開いて
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