Text
ゴジラの正体
0.はじめに
2016年7月29日、東京が燃えた。映画『シン・ゴジラ』の公開日である。2017年12月現在でも記憶に焼き付いているその作品において、ゴジラは何を伝えたかったのか、その謎に潜っていく。
1.初作『ゴジラ』におけるゴジラの正体
そもそもゴジラとは一体何なのか?まず、初作『ゴジラ』のストーリーを追いながらその記号を読み解いていく。作中では、「ジュラ紀から白亜紀にかけてまれに生息していた海棲爬虫類から陸上獣類に進化しようとする中間生物。それが水爆実験により生活環境を破壊され、安住の地を追い出された」と説明されている。ここでは、ゴジラは核の被害者という記号として描かれた。
核を生み出し、乱用する人間を憎むゴジラは東京に足を踏み入れるや否や、熱放射線を口から吐き出し東京を火の海に変えた。ここでは、ゴジラは核の加害性という記号として描かれた。
そして、物語の最後では科学者である芹沢大助が発明したオキシジェン��ストロイヤーという兵器で殺され、骨だけが海底に沈んだ。人間は、水爆に耐えうるゴジラを殺すために、水爆以上の兵器を発明してしまったのだ。ここでは、核の扱いや存在自体の危険性、すなわち核は一度使えば使うことをやめられず殺し合い続ける、といった特性という記号として描かれた。これは戦後以降の東西冷戦における核抑止論という記号としての読み方もできる。
この初作『ゴジラ』、公開が1954年である。終戦からたった9年後である。これほどまでに生々しく核の恐怖を描いたのは、「核戦争の恐怖を忘れてはならない」ということを伝えたかったからだと言えるだろう。つまり、ゴジラの正体は「核戦争の恐怖」であった。
初作『ゴジラ』ではゴジラにとって動因は「核の原罪である日本人」、そして日本人の記号として人口密度が国内最高である土地「東京」といったいささか遠回しな描かれ方をされているが、同タイトルであり平成ゴジラシリーズの幕開けである『ゴジラ(1984)』では井浜原子力発電所を破壊し、2000年以降のゴジラミレニアムシリーズの幕開けである『ゴジラ2000 ミレニアム』では北海道根室市の発電所を破壊するゴジラを見た主人公・篠田雄二のセリフで「ゴジラは人間の作り出すエネルギーを憎んでいるのか…。」と言明されている。また、決定的な作品として『ゴジラxメガギラス G消滅作戦』では物語終盤でゴジラが目指していた場所は、原子力発電の代替として開発されるがやはりゴジラの標的となったプラズマエネルギーを特別G対策本部本部長である杉浦基彦が国益と自らの地位と名誉のために密造していた渋谷国立科学技術研究所であった。これらの例から、初作『ゴジラ』からゴジラはいたずらに人類を燃焼し東京を襲撃してきたわけではなく、「核への憎しみ」を映像という言語として表現されてきたことが説明される。
ここまでは初作『ゴジラ』がゴジラという存在を通して「核戦争の恐怖」という記号として描かれたことを述べてきた。以後のゴジラではどうだろうか?
2.記号としてのゴジラ作品の変遷
第3作目『キングコングvsゴジラ』ではキングコングはアメリカという記号、ゴジラは日本という記号として、戦後、日米が互角に渡り合あえるという様相が描かれている。日米の新安保条約が結ばれた2年後の1962年の公開である。ちなみに、登場人物が国家という記号として描かれる作品としては『ウォッチメン』も思い出される。
その後、四日市コンビナートの工場煤煙、田子の浦港ヘドロ公害問題の記号として描かれた『ゴジラvsヘドラ』や、前述したオキシジェンデストロイヤー、つまり核のインフレーション性の記号として描かれた『ゴジラvsデストロイア』など、ゴジラは常に日本社会に警鐘を鳴らしてきた。
しかし、ゴジラ作品は公開を重ねる毎に観客動員数は前作を下回っていくことになる。そのうち、ゴジラミレニアムシリーズ第2作『ゴジラxメガギラス G消滅作戦』にはGグラスパー、ゴジラミレニアムシリーズ第4作『ゴジラxメカゴジラ』にはJXFDSといった、同時期に放送されていた『ウルトラマンガイア』におけるXIGや『ウルトラマンコスモス』におけるTEAM EYESのような初代『ウルトラマン』の科学特捜隊から脈絡と続く部隊を彷彿とさせるような組織も登場し、子ども向けで商業的な空想科学モノとしての描かれ方もされるようになった。どこかで「核戦争の恐怖」という命題を、人々をワクワクさせるエンターテインメントビジネスと混同しているようにも見える。すなわちそれは、「核戦争の恐怖」の薄れとも言える。(ここで蛇足としてエクスキューズしておくと、つまりウルトラマンシリーズは子ども向けで商業的で、戦うことで人々をワクワクさせるエンターテインメントビジネス特撮である、ということにもなる。筆者はそういう特撮も大好きであるし、もちろんウルトラマンシリーズの中にもウルトラマン第23話「故郷は地球」やウルトラセブン第8話「狙われた街」など戦うことに疑問を呈することで有名な回もあるが。)
3.『シン・ゴジラ』におけるゴジラの正体
核戦争の恐怖が薄れた日本人に怒り、2016年の我々の目の前に再び姿を現したのが『シン・ゴジラ』である。『シン・ゴジラ』は我々に何を伝えたかったのか?その記号を読み解いていく。
『シン・ゴジラ』には主観的な描写が少ない。『ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃』では、善良なトラックの運転を邪魔した暴走族一味がバラゴンに踏み潰され、真夜中に田舎のコンビニに強盗に入った挙句、番犬の子犬を池に沈めて殺そうとしたキャンプの若者たちをモスラ(幼虫)が池に引きずり込み、息子の言うことを聞かず漁に出ようとする物分かりの悪い漁師の親爺がゴジラ上陸時に船ごと沈没し、刑務所に入所している囚人たちがバラゴンに踏み潰される。怪獣映画ではありがちなこれほどまでに執拗な私怨とも言える描写がほとんどない『シン・ゴジラ』において、ゴジラは無差別な災害である、つまり天災の記号として描かれている。
まず、全編に散らばる会議シーンではとにかく登場人物が早口で捲し立て、細かなカット割りで膨大な情報量を伝えてくる。119分の尺の中で他の作品の何倍もの速度で物語が回転していくのである。そして、最初の会議シーンの内閣官房副長官秘書官・志村祐介の「こんなことやってる場合かよ…。」というセリフの次のシーンでは、既���呑川に横転した大量の船や流された家が押し寄せるシーンに移り変わる。この1シーン内での速さ、そして1シーンから1シーンへ移り変わる物語の速さが、ゴジラが表している天災はこちらの理解なぞ待ってはくれず進んでいくことを映像ならではの特性に倣って表現しているようにも感じる。
そして、その川に横転した大量の船や家が押し寄せるシーン、内閣府が白い作業着を身に着けている様相、いざという事態にただただ無力だった国、これらは我々の記憶に新しい天災、東日本大震災の記号として描かれている。ちなみに、子ども向けで商業的で、戦うことで人々をワクワクさせるエンターテインメントビジネス特撮であるウルトラマンシリーズにも東日本大震災の記号として、映画『ウルトラマンサーガ』の作中で、ウルトラマンゼロに変身する主人公・タイガノゾムの幼少期の回想シーンに、怪獣に住む街を破壊され廃墟の中で泣き叫んで両親を探すシーンがある。
その後、ゴジラはアメリカ軍の戦闘機から爆撃を受ける。これはマクロな視点で見れば、戦後の日米関係の記号とも取れる。ちなみに、ゴジラに武力行使するシーンでは、最後の戦闘でゴジラより高いビルを爆破して倒壊させ、ゴジラの動きを止めるシーンがある。平成ゴジラシリーズ以降、都内に高層ビルが増えたという理由から当初のゴジラの設定身長であった50mから80m、さらに100mまで拡大されており、『シン・ゴジラ』におけるゴジラはシリーズ最大の118.5mである。それよりも高いビルが存在することは、ゴジラシリーズを通して戦後の経済成長を記号として読み解くこともできる。そして、爆撃を受けたゴジラは熱放射線を口から吐き出し東京を火の海に変えた。ついに人の手に負えなくなってしまったもの、つまり福島の原子力発電所の事故の記号として描かれている。
最後には、ヤシオリ作戦で凍結されるゴジラであるが、いつまた動き出すかわからない以上、ゴジラ、つまり震災と原子力発電に向き合い続けなければならないことは、主人公・矢口蘭堂の「人類はゴジラと共に生きていかなければならない」というセリフが表している。
5.最後に
ここまで、ゴジラの骨が沈む海底よりも深いゴジラの謎に潜り、ゴジラが表す記号を読み解いてきた。初作『ゴジラ』が終戦後たった9年後に公開されたように、『シン・ゴジラ』は震災後たった5年後に公開されている。これはもちろん、「震災と原発の恐怖を忘れてはならない」ということを伝えたかったからだろう。つまり、ゴジラの正体は「時代の反映」であると筆者は読み解く。その時代、その年代、その日に観るから意味がある作品なのだろう。そして、公開から1年が経過した2017年現在も「記憶に焼き付いている」と言える筆者のような『シン・ゴジラ』の視聴者がいるならば、ゴジラがまた我々の前に姿を現すのはもう少し先になりそうだ。
0 notes